女子大学生における情動知能に及ぼす共感経験の効 果
著者 豊田 弘司
雑誌名 教育実践総合センター研究紀要
巻 17
ページ 23‑27
発行年 2008‑03‑31
その他のタイトル The Effects of Empathic Experiences on Emotional lntelligence in Female
Undergraduates
URL http://hdl.handle.net/10105/667
1.はじめに
青年期後期にいる大学生においては友人を中心とし た他者と親しく交流を持ちたいという親和動機がある が、その動機は女子学生において強い(小出,1998)。 他者との関係を円滑にすすめるためには、他者の一緒 にいる場面では、世間で良く使われる「場の空気を読 む」ことが重要になる。「場の空気を読む」というこ とは、その場にいる他者の感情を理解し、その相手の 感情に応じて、自分の気持ちや行動をコントロールす ることである。そこには、「相手の感情を理解する能力」
と、その感情に応じて「自分の感情をコントロールす る能力」が必要なのである。
これらの能力は、近年盛んに研究されている情動知 能(Emotional Intelligence)に含まれている。情動知 能には多くの定義があるが、Salovey & Mayer(1990)
は、「情動知能とは、情動を扱う個人の能力である。」 と定義し、情動知能の下位能力を自分自身や他人の感 情や情動を監視する能力、これらの感じ方や情動の区 別をする能力及び個人の思考や行為を導くために感じ 方や情動に関する情報を利用できる能力と述べている。
Taki(2002)は上述したMayer & Salovey(1997)
の 定 義 に 基 づ き、情 動 的 コ ン ピ テ ン ス(emotional competence)を 測 定 す る 尺 度(Emotional Skills &
Competence Questionnaire; ESCQ)を開発している。
このESCQの下位尺度は、情動の認識と理解能力(PU)、 情動の命名と表現能力(EL)、及び情動の制御と調節 能力(MR)である(豊田・森田・金敷・清水,2005;
Toyota, Morita, & Taki, 2007)。
上述した「場の空気を読む」ために必要な能力のう ち、「相手の感情を理解する能力」は、このESCQにお いては、PU得点に反映される。また、「自分の感情を コントロールする能力」はMR得点に対応する。この 2つの得点が高い者が「場の空気を読む」ことができ るということになる。
では、このような能力を伸ばすためには何が必要な のであろうか。Goleman(1995)は、学校を児童・生 徒の情動知能を育成する環境であると考え、その後、
情 動 的 学 習(Social and Emotional Learning;SEL)
を高めるための共同研究(Collaborative to Advance Social and Emotional Learning; CASEL)を 行っ て い る。そこでは、全世界の学校において情動知能育成の ための多くのプログラムが実行されている。これらの プログラムの運営において重要なのが、何を学習させ るかというプログラムの学習目標である。その目標設 定における背景となるのが、Goleman(1998)による 情動知能の構成要素である。彼は、自己アウェアネス、
自己制御、動機づけ、共感及び対人的スキルという5 つの要素をあげている(Mayer, 2001)。また、情動知 能の独自のモデルを提唱しているBar-On(1997)にお
女子大学生における情動知能に及ぼす共感経験の効果
豊田弘司
(奈良教育大学心理学教室)
The Effects of Empathic Experiences on Emotional Intelligence in Female Undergraduates
Hiroshi TOYOTA
(Department of Psychology, Nara University of Education)
要旨:本研究の目的は、情動知能に及ぼす共感経験(共有経験と共有不全経験)の効果を検討することであった。女 子大学生178名を対象に、情動知能はToyota, Morita & Taki(2007)による日本版情動スキルとコンピテンス尺度、
共有経験と不全経験は角田(1994)による尺度によって測定された。2つの尺度間の関連性を相関係数を用いて検討 した結果、共有経験は情動の制御と調節と他者の情動の認識と理解との間に正の相関、共有不全経験は情動の制御と 調節との間に負の相関を見いだした。これらの結果は、他者の感情を共有した経験は情動知能を促進することを示し た。そして、共感の育成に基づく情動知能の育成プログラムの重要性が議論された。
キーワード:共感経験 empathic experience 共有経験 sharing experience 情動知能 emotional intelligence
いても、他者の感情に気づき、理解できる能力として の共感性を情動知能の重要な因子的要素としてあげて いる。このように、情動知能の要素の中で共感性は、
重要な要素として位置づけられている。
角田(1991)によれば、共感性とは「能動的または 想像的に他者の立場に自分を置くことで、自分とは異 なる存在である他者の感情を体験すること」と定義さ れている。したがって、この共感性が高まるというこ とは、他者の情動理解につながる可能性が高く、その 結果、情動知能が高まることになる。角田(1994)は、
その人の気持ちを感じとることが出来た経験を「共有 経験」と、相手の気持ちを感じとれなかった経験を
「共有不全経験(不全経験)」と呼んでいる。そして、
この両経験を測定する尺度を開発している。
もし、上述した「場の空気を読む」ために必要な能 力である「相手の感情を理解する能力」及び「自分の 感情をコントロールする能力」が、共有経験によって 規定されるならば、共有経験尺度で測定された共有経 験得点とESCQによって測定されるPU及びMR得点と の間に正の相関が得られるであろう。反対に、共有不 全経験とは負の相関が得られるであろう。この予想を 検討するのが、本研究の目的である。
2.方 法
2.1.調査対象
関西の私立大学に所属する女子大学生178名であり、
年齢平均は18.6 歳であった。
2.2.調査内容
2.2.1.Japanese version of the Emotional Skills and Competence Questionnaire
(J-ESCQ)
Toyota,Morita & Taki(2007) によって開発さ れた尺度であり、「情動の認識と理解(PU)」(項目例 「私は、知り合いに出会った時には、すぐにその知 り合いの気分がわかる。」)、「情動の表現と命名(EL)」
(項目例 「私は、自分の感情をうまく表現できる。」)、
「情動の制御と調節(MR)」(項目例 「私は、よい気 分でいようとしている。」)の3つの尺度に8項目ずつ、
全24項目からなる尺度である。各項目に対する評定は、
「いつもそうである(5)」から「決してそうでない
(1)」の5段階である。
2.2.2.共感経験尺度改訂版
角田(1994)によって開発され、共有経験を調べる 下位尺度(項目例 「相手が楽しい気分になっている 場合に、その楽しさを感じ取ろうとし、その人の気持 ちを味わったことがある。」)と、共有不全経験を調べ る下位尺度(項目例 「相手が何かに喜んでいても、
自分はうれしい気持ちにならなかったことがある。」) からなり、各下位尺度10項目、全20項目の尺度である。
各項目に対しては「とても当てはまる(6)」から「全 くあてはまらない(0)」の7段階評定である。
2.3.調査手続き
調査は著者の授業終了後、集団的に実施された。調 査者(著者)がJ-ECSQの24項目を読み上げながら、上 述した5段階による評定を行った。次に、共感経験尺 度改訂版の20項目についても同じように調査者が読み 上げ、それにあわせて評定を行った。最後に評定漏れ がないことを確認した後、一斉に回収した。
3.結 果
3.1.J-ESCQと共有経験尺度との相関
共有経験尺度による共有経験得点とJ-ESCQのPU及 びMR得点との間に正の相関(それぞれr=.31、.36)
が得られた。一方、共有不全経験得点とMR得点間には 負の相関(r=−.28)が得られた。
3.2.共有経験による類型ごとのJ-ESCQ得点 角田(1991)は、共有経験と不全経験の組合せから 4つの類型化をしている。すなわち、共有経験も不全 経験も多い両向型、共有経験は多く、不全経験が少な い共有型、共有経験が少なく、不全経験が多い不全型、
そして、共有経験と不全経験がともに少ない両貧型で ある。この類型化に従って、共有経験及び不全経験の 得点によって、ほぼ人数が等しくなるように共有経験 の高低×不全経験の高低による4つの群を設定した。
各群の尺度ごとの平均得点がTable1に示されている。
J-ESCQの各尺度得点について2(共有経験の高低)
×2(不全経験の高低)の分散分析を行った。その結
Table 1 共有経験及び不全経験による群ごとの各尺度得点
PU MR
EL 不全経験
共有経験と不全経験の 共有経験
高低による組合せ n M SD M SD M SD M SD M SD
4.49 27.07 2.82
29.21 5.66
26.93 7.01
33.86 4.57
47.37 43
高・高(両向)
5.17 29.11 4.00
29.93 5.40
27.72 6.35
18.24 4.00
47.43 46
高・低(共有)
5.84 24.67 4.51
26.93 6.27
25.67 4.90
35.89 4.93
34.54 46
低・高(不全)
5.27 24.40 3.79
28.79 5.93
26.63 4.84
23.07 3.17
37.21 43
低・低(両貧)
ELは「情動の表現と命名」 MRは「情動の制御と調節」 PUは「情動の認識と理解」
果、MR(情動の制御と調節)得点において共有経験 の主効果(F (1,174) =8.58,p<.01)及び不全経験の主効果
(F (1,174)=4.89,p<.05)が有意であった。
また、PU得点については共有経験の主効果(F (1,174)
=20.10,p<.001)のみが有意であった。EL得点に関し ては、主効果、交互作用ともに有意ではなかった。
4.考 察
4.1.情動の制御と調節(MR)に及ぼす共有経験 と不全経験の効果
本研究の目的は、共有経験得点とPU及びMR得点と の間に正の相関、不全経験得点とは負の相関が得られ るという予想を検討することであった。MR得点に関し ては、予想通り、共有経験得点と正の相関、不全経験 得点と負の相関が見られた。また、共有経験と不全経 験得点の組合せによる分散分析においても共有経験と 不全経験の主効果が有意であり、予想通りの結果と なった。したがって、共有経験と共有不全経験によっ て情動の制御と調節が影響されることが明らかになっ た。共有経験の効果については、相手の気持ちになれ るという経験をすることにより、同じような情動が自 分に生じた場合にも、その経験を利用して自分の情動 の制御が可能であることを示唆している。
一方、不全経験の影響は、どのように考えればよい のであろうか。上述した結果は、相手の情動が理解で きないという不全経験が多いと情動の制御と調節がう まくできなくなるという結果である。したがって、相 手の情動を理解できないという経験は、自分に同じよ うな情動が生じた場合にも相手の情動を理解できてい ないので、それを自分の情動の制御や調節に利用でき ないということになる。したがって、情動の制御と調 節に利用可能な手がかりが少ないことが影響している のであろう。
本研究においては相関係数による検討だけでなく、
群の組合せによる検討も行った。それは、共有経験と 不全経験の交互作用及びいずれの経験が優位か否かを 検討するためであった。しかし、交互作用は有意にな らなかった。情動知能には妨害的に作用するのかもし れない。ただし、Table2の高・高(両向)群と高・
低(共有)群の差をみると、ほとんど違いはない。こ のことは、情動の制御と調節を促進する要因としては 共有経験の影響が優位であり、共有不全経験の影響は それに付随する要因になる可能性が高い。角田(1994)
は、自己の共有経験を他者理解に結びつけることがで きる共感者と、同情反応のみであり、他者理解に生か せない同情者との区別をしている。共有経験尺度の項 目に対しては、共感者も同情者も同じ反応をすると考 えられる。しかし、不全経験尺度の項目に対しては、
共感者は自分と他者との区別が明確であるので、共感
できないことを明確に区別して反応することができる が、同情者の場合には自己中心的な認識であるために 不全経験が意識されにくいことになる。すなわち、不 全経験尺度の得点において共感者と同情者の違いであ る自他の区別に関する明確な意識の差が現れるのであ る。この角田(1994)の指摘は重要であり、本研究の 結果において不全経験の影響が少ないということは、
情動の制御と調節には自他の区分に関する意識は反映 しないということである。情動の制御と調節は、自分 主体の心的活動であり、他者理解を前提としなくても よい。言い換えれば、自他の区分を意識していること よりも、「自分も同じように感じる」ことができた経 験における手がかりを利用することが重要なのである。
したがって、情動の制御と調節の育成には、他者の気 持ちを自分も同じように感じるという経験が重要であ ることを明らかにしたのである。
4.2.情動の認識と理解(PU)に及ぼす共有経験 の効果
情動の認識と理解の得点が、共有経験の得点の高さ に影響されることも明らかになった。すなわち、相手 の立場に立ち、その人の気持ちを感じとることが出来 た経験のあるということが、他者の情動の認識と理解 を高めることが示された。しかし、不全経験の影響は 認められなかった。先に紹介した角田(1994)の主張 は、不全経験の得点に自他の意識が反映され、それが 他者理解につながるというものである。この主張から すれば、不全経験の影響の方が、他者の情動の認識と 理解により強く現れてもいいはずである。ただし、そ れはあくまで角田(1994)の主張する他者理解と、ESCQ による情動の認識と理解が同じであるという前提の論 理である。これらの概念の整理は今後の検討課題であ ろう。
このような課題はあるが、本研究の結果は、相手の 気持ちになれるという経験によって、他者の情動の認 識と理解の高まる可能性が示されたのである。同じ気 持ちになれた経験を思い出すことは、その経験と同じ ような場面に遭遇した場合にはその経験において感じ た情動を想起できるということである。それ故、他者 の情動を理解しやすくなると考えても良いであろう。
5.結論と今後の課題
本研究は、親和動機の強いとされている女子大学生 において共有経験の多さと不全経験の少なさが情動知 能に促進的に機能していることを示した。特に、情動 の制御と調節に関しては、両経験の影響が明らかにさ れた。
男子学生を調査対象とする検討は今後の課題である が、性別に関係なく、情動の制御と調節という能力を
高めるために共有経験を増やすにはどうすれば良いの か。人と接する機会を増やすことで、不全経験も増え るが、共有経験も増えるので、他者との交流機会を増 大させる試みは当然必要である。ただし、Eisenberg, Fabes, Shepard, Murphy, Jones, & Gudvie(1998)は、
自分の情動を制御できる児童は、他者とうまく関係を 結ぶことができ、共感的に反応していると報告してい る(Eisenberg, 2005)。この研究からすれば、情動を 制御できる児童は、共感的であるということになる。反 対に、共感的な児童は、自分の情動を制御できるとい うことになる。したがって、情動の制御と共感とは一 体的に考えなければならない概念であるのかもしれな い。Eisenberg(2005)によれば、道徳的行動等の向 社会的行動(prosocial behavior)を含む共感関連反応
(Empathy-related responding)は、攻撃行動や反社 会的行動を確実に抑制する効果が明らかにされている
(Feshbach & Feshbach, 1982)。したがって、共感は、
研 究 の 中 心 的 ト ピ ッ ク に な っ て い る の で あ る
(Eisenberg, 2005)。
最近は、情動知能という言葉が主流であるが、他者 の情動を理解する上で共感を欠いては考えられないし、
上述したBar-On(1997)も情動知能の重要要素として 共感を含めている。Eisenberg & Fabes(1990)は共 感に関する展望論文として有名であり、最近では Eisenberg, Losoya, & Spinrad(2003)がある。これら の共感研究の成果を背景にして、情動知能の育成の中 で他者の情動の理解に目標をしぼり、CASELに続く情 動知能育成プログラムを構築することが重要であろう。
また、教員養成に関しても、情動知能の育成は重要な 課題である。Justice & Espinoza(2007)は、アメリ カのテキサス州において近い将来大きな教員不足が生 じる危機的状況を背景にして、教員養成コースの大学 生に調査を実施し、これらの学生が共感性を含むいく つかの資質を伸ばす必要があることを指摘している。現 在の日本では教職大学院にみられるような学校におけ る教育実践重視の方向性がある。教育実践から学生が その根底にある教育原理を習得できればそれは理想的 である。しかし、それとは別に、児童・生徒の理解と いう教員としての課題を達成するために、児童・生徒 の気持ちに共感できる能力育成は必要である。学生個 人の共感性の育成を目標にした教員養成プログラムが あっても決して不思議ではない。
(付記)本研究のデータ分析に関して、奈良教育大学 心理学専攻3回生の井口穣二君、大堀はるかさん、岡 村明奈さん、佐藤愛子さん、多田羅由子さん、矢倉利 枝子さんの協力を得た。記して感謝の意を表します。
なお、著者の指導の下、上記3回生がデータ概要を演 習授業の一部として平成19年度奈良教育大学輝甍祭(大 学祭)において発表した。
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