かんこう佐渡博物館が所蔵する佐藤槙界コレクションに︑一冊の﹁伊勢物語﹂が
収められている︒このたび︑機会を得て実見したところ︑従来知られてい
なかった一条兼良の本奥書をはじめとする︑興味深い特徴を確認できた︒
伊勢物語研究の中でのこの本の位置づけについては︑今後明らかにしてい
く予定だが︑それに先立って︑まずは佐渡博物館に御許可をいただき︑全
体の普影を本稿に褐戦し︑紹介することにした︒掲赦にあたっては︑佐渡
博物館から提供していただいた画像を用い︑現在の通行本にしたがって章
段番号を付した︒
佐藤槙界コレクションは︑大正から昭和にかけて蒐集を行った佐渡の蒐
集家︑佐藤冠猴こと佐藤慣界師︵一八六五一九三三︶にかかるコレクショ
ンである︒過墨資料を中心に︑約一︑七○○点にも及ぶ膨大なコレクショ
ンは︑平成十五年に開催された佐渡博物館﹁新春特別展佐藤冠猴コレク |︑はじめに 佐渡博物館蔵﹃伊勢物語﹄
I解題・影印I
ション幕末・維新の志士遺墨展﹂において︑すでにその一部が公開され
ている︒横界師は︑慶応元年二八六五︶︑佐渡郡沢根町︵現佐渡市︶生まれ︒十
三歳の時に曹洞宗総源寺にて得度︑仏門に入った︒龍鳳寺︑東光寺︑剛安
寺の住持として同地宗門の要職にあったほか︑社会教育活動にも熱心だっ
たという︒大正六年︵一九一七︶に刊行された人名辞典には次のように記
赦されている︒
師は新潟県佐渡村吉井村︑曹洞宗弐等法地剛安寺住職にして︑自潮斎
冠猴と号す︒同県同郡沢根町佐藤万四郎氏の二男︑慶応元年五月二十
二日を以て生る︒明治十年同郡の総源寺藤井寛全師に就て得度す︒同
年矢田元紋師の随意会に安居し︑課余州儒円山浜北の学古塾に学び︒
十三年新潟県曹洞宗専門支校に掛錫し︑十六年同校卒業後矢田元紋師
に師事する多年︒十八年龍鳳寺へ住持し︑四十一年特選を以て東光寺
藤島綾
教導者としての日々を送る一方で︑自瑚斎冠猴と号したことからもわか
るように︑文学への関心は高く︑同コレクションには︑﹃︿笑話﹀有喜草
上︵中・下二﹁︿笑話﹀うき草続篇﹂﹁かれこれ草﹂﹁自潮斎歌棄﹂﹁自潮
斎詩蕊﹂﹁解頤諏﹂と題する著作.︵自筆本︶が収められている︒また︑御子
孫にあたる佐藤淳吾氏のお話では︑若い頃から漢学への造詣も深く︑しば
しば新聞に漢詩文を発表していたという︒それらが生前出版されることは
むらじなかったようだが︑一部は残後約半世紀を経て︑過族佐藤漣氏によって︑
﹃冠猴詩集﹂︵非売品一九七九年︶としてまとめられている︒同詩集巻末
に付された﹁佐藤冠猴略歴﹂によると︑昭和八年︵一九三三︶四月七日︑
剛安寺にて逝去︒
漣氏の女婿である淳吾氏によれば︑剛安寺住職であった時期にとりわけ に転じ︑大正二年更らに当山へ特選転任し︑以て今日に及ぶ︒公職としては新潟県佐渡宗務分局教導副取締︑新潟県支部布教師︑同県第十一宗務所管内監事心得︑西両山布教師代理︑同県第十一宗務所長︑同上総教会講長︑同上宗務所管内布教部委員長等を歴任し︑功績顕著の賞状賞典を下附せらる︑今や宗門一切の公職に就くを欲せず︑単に佐渡郡教育会の代議員に推薦せられ︵大正五年︶多年理想とせし小学校教科書中に就て︑尊号拾頭格閥字式を首唱し︑当該訂正方を其筋へ申請せむ事を企図し︑以て小国民をして不知不識の間に於て皇室の尊厳を自覚せしめむと欲す︒
︵井上泰岳編﹁現代仏教家人名辞典﹂︶
まず︑書誌について述べる︒佐渡博物館蔵佐藤横界コレクションに収め
られた一冊本である︒書型は︑縦一七・六糎︑横一三・一糎︒外題︑内題
ともにない︒字高は約一五・一糎︒一面九行︒和歌一首二行︒装訂は︑袋 蒐集に熱心だった由である︒ちょうど︑﹁現代仏教家人名辞典﹂が出版された︑大正の初め頃から晩年にかけての時期に相当する︒これら蒐集の品が散供することを横界師はかたく戒めており︑それをうけて︑相続者の漣・サク氏夫妻は謹直な態度をもって管理保存に努められたとのことであった︒
かくして受け継がれてきたコレクションの内容は︑じつに多彩で︑さま
ざまな分野の先人の遺墨から考古資料にも及んでいる︒この膨大なコレク
ションが︑どのようにして形成されたかについては︑今後の解明を待つこ
とになるが︑佐渡博物館学芸員羽生令吉氏によると︑志士の遺墨の蒐集に
関しては︑交際のあった京都周辺からの入手も想定されるものの︑本稿に
扱う﹃伊勢物語﹂の場合︑佐渡に伝わっていたものか︑あるいは佐渡以外
の地で入手したものか︑不明であるという︒旧蔵者にさかのぼりうる蔵書
印などもなく︑また入手経緯を記した手控類も確認されていない以上︑該
本の伝来の追求は難しい︒新たな資料の発見が望まれるところである︒
近年︑槙界師の蒐書について調査しておられる︑佐渡在住の歴史研究家︑
児玉信雄氏がこの﹁伊勢物語﹂に注目されたことから︑今回の調査を行う
ことになった︒
二︑書誌
状に折った料紙︵雁皮紙︶を重ねて綴じた結び綴じ︒ノドが詰まっている
ほか︑文字の途中で切断された箇所があり︑小口や背の状態も一定ではな
いことから︑改装本と推定される︒表紙は金欄表紙で紺地に草花唐草を織
り出しており︑それを五色の糸を使って料紙と綴じている︒見返しには
銀砂子を撒く︒紙数は︑墨付き八十三丁︑遊び紙が前に一丁︑後ろに一葉︒
初めの遊び紙のオモテ中央には﹁伏見殿︿貞常親王むかしおとこ﹀︵弐
一l︶守こという平塚平兵衛の極札が付されている︒貞常親王二四二五一四
七四︶に言及した記載はこれ以外にも二つあり︑うち一つは︑本を収めて
いた桐箱の蓋中央の﹁伏見宮貞常親王/伊勢物語壹冊﹂との箱書だが︑
この記載の﹁貞常親王﹂の下部には︑三ないし四字分の文字を擦り消した
痕跡︵かすかな墨色︶が認められることから︑かつては現在と異なる形で
あったと思われる︒もう一つは︑見返しの剥離面に付された押紙に﹃野史﹂
を読み下したものだが︑これは筆跡等から慣界師によるものとわかる︒こ
のように貞常親王に関わる三つの記祓を持つが︑現在のところ︑筆者を貞
常親王とするだけの確たる証拠は見いだせない︒さらに︑該本は︑貞常親
王を筆者とした場合には矛盾を生じる書写奥書を持っており︵後述︶︑その
書写については︑なお検討が必要である︒書写年代は室町後期を下らない
と思われる︒手擦れを確認できることから︑実際に人の手に取られる機会
も多かつたものであろう︒
なお︑和歌十一首を記した﹃秋篠月清集﹂断簡︵縦一三・八糎︑横一
三・二糎︶が同じ箱に収められている︒ かつて伊勢物語諸本を調在分類した池田勉鑑氏は︑諸本中︑いわゆる流
一叩﹄一布本第二類の伝本の多くに︑①③④の奥書が認められることを指摘した
︵ただし︑流布本第二類の③は︑佐渡博物館本が持つ﹁合多本所用捨也可 該本の特徴のひとつは奥書にある︒記載順に挙げると︑次の通り︒
①﹁抑伊勢物語根源古人説々不同或云在原中将自記︿云々﹀⁝
︿中略︶⁝先年所瞥之本為人被借失冊為備証本/重所校合也戸部尚書︿在/判と︵藤原定家奥書IⅡ根源本奥書︶
②﹁業平朝臣︿三品弾正尹阿保親王男〆母伊豆内親王﹀年月日任左
近将監⁝︵中略︶:.同廿八日卒﹂︵在原業平官歴︶
③﹁合多本所用捨也可備証本〆近代以狩使事為端之本出来末代之人今
案也⁝︵中略︶⁝只可翫詞華言葉/而已戸部尚書︿在/判﹀﹂
︵藤原定家奥書ⅡⅡ武田本奥書︶
④﹁以祖父卿真筆不違一字書写校合之可備〆証本突藤為相﹂
︵冷泉為相奥書︶
⑤﹁応仁己避歳孟夏中榊日老眼馳禿兼以或本加書写了頗可備証本者也/桃華老人︿在/判と︵桃華老人奥書︶
⑥﹁彼御自筆不違一宇諜写校合了/文明十八年十月三日従五位下行源昌康﹂︵源昌康奥書︶ 三︑奥書について
︲4.4凸P︐Ⅱ?u■53■■︑唾DffprqfQ?▲刀cEq■少d4T口呵qタマj●●◇4︸や951lFqI9︲守上49︲ 備証本﹂の部分を欠く形になっている︶︒また︑山田清市氏は︑池田分類の
−3−流布本第二類の祖本として武田本為相自筆本を挙げたが︑この為相自筆本
の流れを汲む伝本には︑①轡︒④と同内容︑同配列の奥瞥を持つ本がある
ことを示した︒また︑先年片桐洋一氏によって鮮明な影印が公刊された︑
正徹加証奥書本﹁伊勢物語正徹自署・蜷川智蕊筆﹂は︑やはり①②③④
と同じ奥書を含んでいるが︑同氏はこの本を流布本第二系統と位置づけて
︵4︶いる︒これらの先行研究をふまえ︑①圃三凶④が︑いわゆる流布本第二類の
諸本に多く見られる奥書であるとの判断ができよう︒
さて︑それに続く﹁応仁己丑歳﹂の記赦を持つ応仁三年︵一四六九︶四
月中旬の﹁桃華老人﹂奥書⑤︑さらに﹁文明十八年十月三日﹂の﹁源昌康﹂
奥書⑥の二奥書は︑従来知られていなかった新出記事である︒
まず⑤について検討してみよう︒﹁桃華老人﹂といえば︑一条兼良二四
○二一四八二が想い起こされる︒武井和人氏は︑﹁源氏物語﹄︵文正元
年︿一四六六﹀︶︑﹁伊勢物語﹄︵応仁二年︿一四六八﹀︶爵﹃職原抄﹄︵文明三
年︿一四七一﹀︶の三香の奥書に︑兼良の﹁桃華老人﹂の署名を確認できる
︽令へ︾ことを指摘している︒佐渡博物館本が伝える応仁三年の伊勢物語書駁も︑
これら三書と比較的近い時期に行われている︒したがって奥書⑤の﹁桃華
老人﹂もまた︑三書同様︑一条兼良その人であると考えて良いだろう︒応
仁二年九月に兼良が伊勢物語を書写したことは知られていたが︵天理大学
附属天理図書館蔵﹃伊勢物語﹂奥書︶︑翌三年四月中旬には︑別の伊勢物語
を親本にして書写を行ったことを︑今回︑佐渡博物館本の奥書から確認で
きたことになる︵佐渡博物館本は︑応仁二年書写本と異なる本文の特徴と 奥書を持つ︶︒この書写直後の四月二十八日︑応仁三年は文明元年と改まった︒
一方︑⑥の奥書については︑いくつかの問題がある︒現段階では︑丁を
改める形で記された記邪︵書影参照︶を︑源昌康の書写奥書と考えている
一価︾のだが︑まず︑この人物の事績を確認できない︒奥書によると︑昌康が兼
良自筆本の書写校合を終えたのは︑兼良が没した文明十三年二四八二
から五年後︑文明十八年二四八六︶十月三日のことである︵文明十八年
七月二十日︑長享に改元︶︒どのようないきさつから彼は兼良自筆本を手
にしたのだろうか︒言及する記事もなく︑手がかりとなるような事績も確
認できない現状では︑不明とするほかにない︒
さらに︑この奥書の内容は︑先に述べた極札とも矛盾している︒当初か
ら文明十八年書写を伝える奥書があったとすると︑なぜ文明六年に蕊じた
貞常親王を筆者とする極札が付されたのだろうか︒その根拠となる資料が
別にあったものだろうか︒このように︑該本の書写については不明な点が
多く残っていると言わざるを得ない︒大方の御教示をお願いしたい︒
佐渡博物館本の奥書の構成が︑いわゆる流布本第二類の諸本と共通する
ことは︑先に述べた︒当然︑物語本文の特徴をとらえるにあたっても︑ま
ずは流布本第二類と目される諸本との対照が必要になってくる︒
池田氏により流布本第二類と命名された諸本については︑その後も詳細 四︑本文について
な検討が加えられており︑山田消市氏﹁伊勢物語︵武田本伊勢物語︶﹂︵武
蔵野書院一九五九年︶﹁伊勢物語の成立と伝本の研究﹂︵桜楓社一九七
二年︶︑藤井隆氏﹁伊勢物語武田本についての考察﹂︵﹁帝塚山短期大学紀
要﹂第一号一九六三年一二月︶︑片桐洋一氏﹁伊勢物語流布本第二類考l
その武田本末流にあらざることl﹂二文学・語学﹂第三六号一九六五年八
月︶﹁伊勢物語の研究研究篇﹂︵明治書院一九六八年︶等に代表される月︶﹁伊勢物語の研究研究篇﹂︵明治書院一九六耐
一連の論考に諸論と伝本の数々を知ることができる︒
それらの中でも︑田中氏が武田本為相自筆本系統の本文を持つ伝本とし
て調査紹介した天理大学附属天理図書館蔵尭孝奥書本は︑とりわけ興味深
い存在である︒なぜならば︑佐渡博物館本が持つ物語本文の特徴のいくつ
かを︑尭孝奥書本もまた︑備えているためである︒一例として第六○段を
あげてみよう︒今は地方官人の妻となった女に︑勅使として下向した男が
勧酒を強いる場面である︒佐渡博物館本には︑
とらせよきらすはのましとい︑けロロか□ロロィ女あるしにかわらけ.とりていたしたりけるに
という具合に︑本文があって︑その右側に﹁とらせよさらすはのましとい
ひけれはかはらけ﹂という定家本の多くが持つ本文が︑異文として傍記さ
れている︒この部分︑尭孝奥書本も︑
とらせよさらすはのましといひけれはかはらけィ女あるしにかはらけ.とりていたしたりけるに.
と︑やはり異文注記をともなった本文を持っている︒異文の書き入れがど
の段階で行われたかという問題はいったん措き︑この︑おそらくは目移り
によって生じただろう脱文を六○段に認める本を︑佐渡博物館本と尭孝奥
書本がともに祖本とすることはまず間違いないだろう︒ さて︑佐渡博物館本の物語本文の傍らには︑朱と墨を使って︑注や異文
等が記されている︒
墨を使って書かれた異文注記は複数の人物によってなされた可能性が高
く︑墨色や筆勢が本文部分とは明らかに異なるものも含んでいる︒この別
筆と思しき注記は︑たとえば︑奥書の﹁嫌還比興﹂の文字列について︑﹁嫌
還﹂をミセケチし︑定家本の多くが持つ﹁謙退比興﹂に正している︒しか
し︑この﹁嫌還比興﹂は︑蜷川智蕊筆本︑尭孝奥書本︑また兼良自筆本
﹃愚見抄﹂など︑一定の伊勢物語写本群に認められるものでもある︒親本
を目にした筆者であれば︑そのような処置をしない可能性は高いのではな
いだろうか︒このことから︑奥書に確認できる傍記については︑後世の別
︵9︶人による書き入れであろうと推測する︒同様に後世のものと思われる書き
入れとしては︑四段の﹁ほいにはあらて﹂︑五段﹁みそかなる﹂などが挙げ
られる︒ しかしその一方で︑両者には異なる本文を持つ箇所もあり︑その関係については慎重に検討しなければならない︒
一条兼良は︑壮年期に尭孝所有の﹃伊勢物語﹂を書き写している︵伝藤
︵7︶︵8︶房筆本﹁伊勢物語﹂奥書による︶︒比較的近似した本文を持つこれらの伝本
を検討することで︑兼良の伊勢物語書写の一面を明らかにできるように思
︑︽ノ︒
五︑傍記について
しかし︑それ以外の墨筆異文注記については︑本文と同筆か︑別筆か︑
判断が難しい︒そもそも︑字形や墨色に明白な特徴を確認できない傍記に
ついては︑それらが本文書写時の書き入れなのか︑または後世のものなの
か︑判断を下すのは困難であるように思う︒伊勢物語の傍記に関しては︑
本来は行間に小さく書かれて本文と区別されていたであろう勘物を︑書写
︵叩︶の際に本文と同時に書き写した事例も報告されている︒異文注記について
も同様の事が行われた可能性はある︒また︑際だった字形の違いが認めら
れない場合︑かりに墨色が異なっていたとしても︑筆者が本文とは時期を
違えて書き込んだとの見方すらできるだろう︒
朱や墨を使って本文の左右に記された注についても︑同じことが言えよ
う︒佐渡博物館本の場合︑加注に言及する記事はなく︑また本文と注の字
形に明らかな違いも認められない︒本文と朱注が同時に香かれたとは考え
にくいが︑しかし︑いずれにしても注の書き込まれた時期は不明とするし
かなく︑本文と同筆か別華かの判断も下しがたい︒ただ︑内容に︑次のよ
うな特徴を読み取ることが可能である︒
朱注の一部は文字が消えかかっているが︑確認可能な部分については︑
源通具本︑また伝藤房筆︵兼良補写︶本︑蜷川智蔑筆本︑尭孝奥書本が持
つ傍注と︑内容や表現に共通する記事が多い︒この内容を持つ注を︑片桐
︵皿﹀洋一氏は冷泉家流の注と位置づける︒一方︑墨注の場合は︑﹁愚見抄﹂のい
わゆる初稿本系統の内容と一致するものが多い︒しかし︑﹃愚見抄﹄であれ
ば否定するであろう一見﹁古注﹂的な注も含んでおり︑注意が必要である︒ 注
︵1︶久保木秀夫氏のご教示による︒
︵2︶﹁伊勢物語に就きての研究研究篇﹂︵有精堂出版一九六○年︶二
八六頁に︑﹁按ふに流布本の現存諸本は︑大別して二の系統を構成する︒
即ちその第一は︑流布本奥書︵藤島補記l﹁抑伊勢物語根源古人説々
不同﹂奥書を指す︶をのみ巻末に有する一群であり︑その第二は︑武
田本奥書を併有し︑為相の識語を附した本の系統で︑これは現存流布
本系統諸本の主流をなすものである︒﹂と指摘する︒
︵3︶﹁伊勢物語の成立と伝本の研究﹂︵桜楓社一九七二年︶所収の諸論
考を参照されたい︒
︵4︶片桐洋一氏編﹁伊勢物語古注釈書コレクション第一巻﹂︵和泉書院
一九九九年︶解題︒
︵5︶.条家関係者の記した奥書・識語・注記を持つ古典籍について﹂
︵﹁中世古典学の普誌的研究﹂勉誠社一九九九年︶
︵6︶この昌康奥書に関しては︑筆致がそれ以前の記事とやや異なって見 一条兼良が著した﹁愚見抄﹂は︑当時の主だった注釈書を厳しく批判す
る言葉から始まる︒兼良がどのような﹁伊勢物語﹂を手にし︑書き写し︑
学び︑物語観を形成していったのか︑佐渡博物館本を初めとする兼良在名
諸本は︑それらを追究する上での道標となる存在といえよう︒ 六︑おわりに︒
える︒しかし︑原本では︑墨色に濃淡の差はなく︑筆勢にも明白な違
いは認められない︒また︑署名の﹁源﹂の字については︑奥書の﹁伊
勢物語根源﹂の﹁源﹂と形がよく似ている︒したがって︑現段階では︑物
語本文と奥書については同筆︑奥書と署名も同筆と考えておきたい︒
︵7︶吉田幸一氏編﹁伊勢物語伝藤原藤房筆本﹂︵古典文庫第六二四冊
︵9︶なお︑奥書の傍記の墨色吟
をミセケチし﹁知﹂と改めヲ
補入も﹁謙退﹂と一致する︒ ︵8︶山田清市氏は﹁伊勢物語の成立と伝本の研究﹂二○八頁において︑
尭孝奥書本と伝藤房筆︵兼良補写︶本の兼良補写本文について︑別系
︵皿︶山口堯二氏編﹁愛媛大学古典叢刊一二伊勢物語伝後京極摂政良
経筆本﹂︵愛媛大学古典叢刊刊行会一九七二年︶
︵︑︶︵4︶に同じ︒ 尭孝奥書本と伝藤房筆︵兼良補写︶本の兼占統とはみなせないという見解を示している︒ 一九九八年︶
奥書の傍記の墨色については︑八一丁オモテ第一行の﹁和﹂
チし﹁知﹂と改めるものや︑同第四行の﹁冨士﹂の﹁士﹂の
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