Ⅰ.はじめに
(1)驚愕すべき再審無罪事件
ある「強制わいせつ・強姦被告事件」(以下「本件」とも書く)につい て、平成
27
年2月27
日、大阪地裁は再審開始を決定した。そして、早くも10月16日には、大阪地裁が72歳の被告人 A
に無罪を言い渡し、大阪地検 が上訴権を放棄したので、無罪判決は確定した1。まず確定有罪判決で認被告人の防御権と事案の真相
―崩壊しつつある刑事裁判
吉 弘 光 男 梅 崎 進 哉 宗 岡 嗣 郎
1 再審開始決定(大阪地決平成27年2月27日(LEX/DB文献番号2550584))お よび再審無罪判決 (大阪地判平成27年10月16日(LEX/DB文献番号25541276)) を参照。また、再審無罪が確定した後、最近になって、1審判決(大阪地判平 成21年5月15(LEX/DB文献番号25542341))、2審判決(大阪高判平成22年 7月21日(LEX/DB文献番号25542342))および最高裁決定(最決平成23年4 月21日(LEX/DB文献番号25542343)も
LEX/DB
に掲載されている。以下、各々、「再審開始決定」「再審無罪判決」「1審判決」「2審判決」と略記引用し、
各々、LEX/DBにおける
A4版での印字頁数を記す。なお、本稿では、再審
無罪判決の表記に従って、以下、被告人をA、被害者とされた少女を B、兄を
D、B・D
の実母をF
と匿名表記する。なお、平成16年当時、Aは、母親、妻、B、D
の5人で団地1階のA
宅に住んでいた。Aの妻は、再婚であり、FはA
の妻の子であり、B・DはF
の子である。また、かつて、AはF
と合意の上で 性的関係をもったことがあり、そのことが裁判官に予断を与えている。1審判 決には、Aの「過去の行動傾向等の見地から考えても、……(Aの妻)が銭湯 に行って不在の隙に、多少の危険を冒してでも強姦に及ぶことがあり得ないと はいえないように思われる」という認定がある(1審判決LEX/DB
9頁)。定されていた「罪となるべき事実」をみておこう。それは、被告人が、同 居中の
B(当時11歳)に対して、①平成16年11月に強姦を行い、同じく、
②平成
20
月4月にも強姦を行い、③同年7月に強制わいせつを行ったとい うものであり、被告人は「自宅で養育中の実質上の孫娘に対し繰り返し強 姦・強制わいせつの行為に及んだ」とされている2。ただし、本件では、B
の被害供述とB
の兄D
の目撃証言以外に証拠はなく、弁護人が両証言 の信用性を一貫して争ったが、裁判所は、それを悉く退けて、有罪を認定 したのである。再審無罪判決の決定的な根拠は、第1に、「本件再審請求後、検察官に おいて補充捜査が実施された結果、検察官から証拠請求された本件カルテ
(当審甲2)には、
B
が、平成20
年8月29
日、H
産婦人科医院を受診し、『処女膜は破れていない』との診断がなされたとの記載があることが認め られるところ、その診断結果に信用性を疑わせる事情は何らうかがわれな い」ことであり3、第2に、平成26年9月12日付で提出された再審請求書4 に、
A
の有罪確定判決の根拠となったB
・D
両証言につき、被害供述は 虚偽だというB
の告白(後掲資料②~⑩)と、目撃証言は虚偽だというD
の告白(後掲資料⑰~㉔)が含まれており、これが信用できるものとさ れたことである5。これらがA
に無罪を言い渡すべき新たな証拠(刑訴法435
条6号)に該当することは明白であり、再審開始決定はもとより、再 審無罪判決も当然の帰結であった。本件は驚愕すべき冤罪事件である。何よりも、確定有罪判決で、被告人 が平成16年から足かけ4年に亘り「繰り返し強姦・強制わいせつの行為に 及んだ」とされている少女は、平成
20
年の起訴直前に「処女膜は破れてい ない」と診断されており、この「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」たる2 1審判決
LEX/DB 1、2、18頁。
3 再審無罪判決
LEX/DB 4頁。
4 この再審請求書は、刑事裁判の研究に対して資料的価値が高いので、本稿で の考察に利用するため、プライヴァシーに関する部分を削除しつつ全体的に圧 縮して、本稿の最後に掲載した。
5 再審無罪判決
LEX/DB 5頁。
診断書が何故か公判に提出されることもなく、有罪が確定したことであ る。ところが、再審時の補充捜査で、この診断書はいとも簡単に
・ ・ ・ ・ ・ ・
「新た な」証拠として出現している。一体、何故、
B
の診断内容が確認されない ままに、強姦罪が認定されたのか。しかも、有罪の決定的証拠とされたB
の被害供述とD
の目撃証言をみれば、強姦に関する内容はきわめて具 体性に欠けるものであった。再審無罪の新規証拠となった新供述では、B は、告訴当時、「性体験もなかったので、具体的に説明できなかった。強 姦の意味も分からなかった。……恰好とか、どこまで脱がされたとか、痛 みについて聞かれ、適当に答えた」と告白しており(後掲資料④~⑥)、D
は、捜査官から「『少女がこうゆうふうにやられてるんやけど、君、本 当にちゃんと見たんか』と責められ、渋々、どういう状況だったかも頭の 中でパズルを組み立てるようにして答えた」と告白している(後掲資料⑲)。実際、後述するとおり、
B
・D
両供述とも、内容のない供述であっ た。しかるに、本件では、すべての捜査・裁判関係者が、当時、高校生と 中学生であった兄妹の語る全く架空の強姦被害にみごとに欺かれ、両供述 の無内容さや客観的事実との矛盾を指摘した弁護人の主張は一顧にもされ なかった。その結果が懲役12
年の有罪判決であった。(2)裁判関係者のコメント―その問題性
再審請求をうけて、検察が再捜査し、強姦の事実そのものがなかったと 判明した以上、この無罪判決は当然の結論である。それは検察の認識でも あり、地検は、「男性には再審で無罪が言い渡されるべきだと判断」し、
再審開始決定に先立つ平成
26
年11
月18
日、大分刑務所に服役中のA
をす でに釈放していた6。再審開始決定の前に、検察が補充的に再捜査するこ とも、服役中の受刑者を釈放することも異例の展開である。しかしなが ら、報道された裁判関係者のコメントを見るかぎり、必ずしもこの重大な 事態を深刻に受けとめているようには見えない。6 再審開始決定
LEX/DB 2頁、朝日新聞2014年11月19日朝刊。
たとえば、再審無罪判決言い渡しの翌日の朝日新聞朝刊では、当時
11
歳 であったB
への「強姦罪などで懲役12年とされて服役中、被害証言がう そと判明して釈放された大阪府内の男性のやり直し裁判(再審)で、大阪 地裁は16日、男性に無罪判決を言い渡し」、裁判長は「身に覚えのない罪 で自由を奪い、誠に残念」だと述べたこと、および、地検の次席検事は「当時の証拠関係からすれば起訴相当の事案だった」という談話を出した と伝えている7。
まず、検事のコメントから検討しよう。次章で考察する「名倉事件」の ように、たとえば満員電車内での痴漢事件を典型として、物証を確保しに くい強制わいせつ事件の場合、わが国の検察実務では、被害者からの詳細 で具体的な供述があり、その供述内容に不自然で不合理な点がなく、迫真 性や臨場感があるならば、被害供述だけで起訴され、審判の結果、有罪と なることも少なくない。その点、本件では、少女
B
(告訴当時14
歳)の被 害供述のみならず、当時高校生であった兄D
の目撃証言があり、検察か らみれば、本件は「起訴相当の事例」であったという談話に不自然はない だろう。つまり、被害供述のみならず目撃証言まであったのだから、本件 は「大阪地検に限らず、どの地検でも起訴した」事案であったと弁解して いるのである。だが、この談話は、誤って無辜の人間を訴追し服役させた ことを反省し、どうすれば類例の発生を防止しうるかを考えようとする法 律家の発言とはいえまい。大阪地検がこの事件を起訴したことに過失はな いと居直った法務官僚の発言でしかない。次に、再審無罪判決の言渡しに際して、裁判長は被告人に対して「再審 公判を担当した裁判官として誠に残念に思います」と発言したとのことだ が、この事件の異常性を真に認め、この種の誤判事例の再発を防止しよう とするのならば、再審公判で、「捜査・公判を通じて虚偽の被害証言が見 逃された原因を明らかにする」ために「取り調べた検事らの証人尋問が不 可欠」だと訴えた弁護人の主張に対して、その「必要性がない」として簡
7 朝日新聞2015年10月17日朝刊。
単に斥けるべきではなかっただろう8。この点、本再審無罪判決には、誤 判に対する危機感ともいうべき、裁判官としての積極的な問題意識は感じ られない9。しかし、それでも、再審無罪判決は、
B
やD
の旧供述内容に 少なからぬ疑問点があることを指摘しているし、特に最初に強姦された「日にちを1年間違えていた」という
B
供述に決定的な変遷があったこと、さらには、Bの供述変遷と符合して、Dもまた強姦を目撃した時期を「1 学年間違えてしまった」と供述を変更させたことを示して、これらの事実 から、B・Dの主張する強姦被害に関し、「被害時期にとどまらず、被害 内容それ自体についても、その信用性は大きく減殺され」たと指摘してい る10。つまり、本件確定判決が、証拠評価に問題があったことを示唆しつ つ、まことに正当にも「
B
及びD
の各旧供述は、その核心部分が重要な客 観的事実と大きく矛盾している」と指摘したことは評価されるべきだろう。そのことを認めた上で借問しよう。この再審無罪判決の正当な指摘は、
旧供述は虚偽であったという
B・D
からの告白を得て、確定判決全体の虚 構性が明確になった現時点において、初めて認識可能となったのだろう か。断じて「否」である。再審無罪判決が正当に指摘するとおり、確定判 決の「罪となるべき事実」は事件の実在的な事実と一致していない。そし て、そのことは、弁護人が「控訴趣意書」や「上告趣意書」に繰り返し詳 述している。弁護人は、実在的な事実を踏まえてB
・D
供述が虚偽だと論 8 朝日新聞2015年8月19日。この点、裁判所としては、誤判原因の追及は再審 担当裁判所の役割ではなく、既に無罪の心証を得ており、これ以上の証拠調べ は必要ないとの判断だったのかも知れない。しかし、少なくともB
とD
の取 調担当者への尋問は、被害を訴えた旧供述と虚偽を認めた新供述に関する信用 性の比較という側面はあるのだから、事態の重大性を考えれば、捜査検事らの 証人尋問を実施すべきだったと言えよう。9 大阪高裁の裁判官であった石松武雄は、より重大な死刑の再審無罪事件に関 する発言だが、「全裁判官が辞職して責任をとらねばならないような深刻な事 態」(石松武雄『刑事裁判の空洞化』16頁)だと指摘している。このような意 識があれば、ただ「残念に思う」といった発言ではなく、なぜ地裁から最高裁 まで10人を超える裁判官が弁護人の正当な指摘に気づかなかったのかにつき、
できる範囲で、誤判要因の考察へと一歩でも半歩でも踏み込むべきであっただ ろう。
10 再審無罪判決 LEX/DB 7-8頁。
じ、犯罪事実そのものが「なかった」ことを説得的に論じている。そし て、本稿で考察するとおり、B・D旧供述を丹念に検証すれば、B・D供 述によって強姦事件が「あった」と証明することは困難である。しかる に、本件の1・2審判決は、格別の補強証拠を示すこともなく、年少者で ある
B
・D
供述の信用性を全面的に認めた11。A
の否認供述は「偽である」が、B・D供述は「真である」、と。そして、この確定判決の判断に対し、
弁護人は、
B
・D
供述が「偽である」ことを実在的な事実に即して浮かび 上がらせたのだが、弁護人の主張に注目した裁判官はなく、上級審の裁判 官もまた、全員が1審の認定を承認した。この事実は何を意味するだろうか。現実の検察実務を前提に大阪地検の 次席検事が本件を「起訴相当の事案」と述べたように、現実の刑事裁判実 務を前提にすれば、多くの裁判官にとって、本件は「有罪相当の事案」で あったのだろう。そうだとすれば、この種の事件があれば、今後も、検察 は同様に立件し、裁判官は同様に有罪判決を書くことになる。わが国の刑 事司法の現実をみるかぎり、そうなる可能性はきわめて高い。しかし、再 審無罪判決が書くとおり、B・Dの新供述がなくとも、「B及び
D
の各旧 供述は、その核心部分が重要な客観的事実と大きく矛盾している」のであ る。それが事実である。しかも、公判を通じ一貫して、弁護人がその矛盾 を指摘していたのだが、それにもかかわらず、弁護人の主張は裁判官の心 証形成に如何なる影響をも与えなかった。この歴然とした事実が訴訟記録11 本件の場合、B
は、単なる「年少者」ではなく、Aから強姦被害を受けたと主張する年少者であり、他方、Aはそれを全面的に否定している以上、Bの供 述内容を吟味して、実母
F
やF
の夫やF
の弟ら周辺成人からの暗示や誘導の有 無を検証する必要はあっただろう。実際、強姦等の被害状況については、BはF
らが「強姦の恰好を実際にやってくれた」(後掲資料④)ことを参考にした と告白しているし、Dは「周りの大人に言われて細かい話ができた。-中略-『こういうふうにされたん違うの、こういう風なところ見たんじゃないの』と 言われ、ヒントのようになり、『ああそう』みたいな感じになった」(後掲資料
㉔)と告白している(再審開始決定
LEX/DB 2頁以下も参照)
。なお、誤判 との関連で、年少者供述と補強証拠の問題については、吉弘光男「補強証拠 論」村井敏邦・川崎英明・白取祐司編『刑事司法改革と刑事訴訟法 下』919頁 以下参照。として残っている以上、本件1審判決が如何なる論拠を示して・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
B
・D
供述 の信用性を肯定し、犯罪事実の存在を認定したのか、また、高裁・最高裁 が如何なる論拠を示して・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・1審判決の論理を肯定し確定させたのかを改めて 検証し、供述証拠に関する裁判官の事実認定の実態を徹底的に批判するこ とこそ、この種の誤判を1つでもなくすための必須の作業であろう。
(3)「事案の真相を明らかにする」こと
以前、吾々は、東電
OL
殺人事件と足利事件という2つの再審無罪事件 を題材として、冤罪に至る事実認定の問題を検討した際、カントの認識論 を引用しつつ、悟性によって自己の前に立て(Vor-stellung)られた像と しての「観念的表象」と、感覚によって実在から与えられる感覚像として の「実在的表象」の区別を論じ、刑訴法1条にいう「事案の真相を明らか にする」とは、言語化された事実認定と実在的事実が一致することを求 めているのだから、「『個別性・現実性・具象性』をもって、『そこにある モノ』を直接的に捉える」直観の対象となる事実こそが、刑事裁判におい て認定されるべき事実であり、それは「実在的事実」であるとした。つま り、事実認定は、単なる観念的表象を記載することではなく、実在的事実 から与えられる実在的表象の記載でなければならない12、と。その上で、たとえば、東電
OL
殺人事件では、具体的な鍵の保管と殺害場所となった 部屋の管理状況が問題となった場面で、部屋の現実的な管理状況から完全 に遊離して、「鍵をもつものだけが室内に入れる」という一般論(観念的 表象)が事実認定として記載されたこと13、また足利事件では、自白と異 なる殺害方法を伺わせる死体の状況について、何らの具体的根拠も示さず に、被害者が「抵抗して暴れるから、ずれても異とするに足りない」とい う一般論(観念的表象)が事実認定として記載されたことなど14、事実認12 吉弘光男・梅崎進哉・宗岡嗣郎「事実認定とは何か―刑事訴訟法1条の法意
との関連で」久留米大学法学71号3-5頁。
13 吉弘・梅崎・宗岡「前掲」14-17頁。
14 吉弘・梅崎・宗岡「前掲」27、29頁。
定の至る所で、実在的事実に支えられていない観念的表象を持ち出すこと によって、最終的に「実在的事実」として記載されるべき「罪となるべき 事実」が単なる裁判官の「観念的表象」の記載と化してしまった点に、誤 判原因があることを指摘したのであった。
それでも、東電
OL
殺人事件や足利事件は殺人事件であり、少なくとも 死体検案書を中心とした重要な客観的証拠が多数あり、「殺人が行われた こと」自体は、実在的事実として確定されていた。その意味では、弁護側 は、各々の事件のコアとなる実在的事実との対比において、被告人の犯人 性を争うことは可能であった。これに対し、本件では、B
・D
の供述以外 にめぼしい証拠はない。本件のように、罪体自体が存在しないかも知れな い事件の場合、被告側に可能な防禦方法は、ひたすら被害者供述や目撃証 言の不自然さや矛盾を指摘するしかなく、場合によっては、供述調書とい う「作文」の「出来栄え」によって全てが決定されてしまいかねないとい う固有の危うさを内含している。この危険性を回避するためには、供述内 容が実在的事実と一致するか否かを検証する以外にない。供述内容が実在 的事実と一致する時、そして、その時にのみ、その供述は「真である」と 言えるからである。これが刑事訴訟法1条の「事案の真相を明らかにす る」ことの意味である。人間が問題にする「真理」とは、常に「認識の真 理」であり「判断の真理」のことである。存在や事実には、「真」も「偽」もありえず、真偽の対象ではない。したがって、真理とは、認識(表象)
と認識の対象(実在的事実)が一致していることを指す15。
(4)プロローグとしての名倉事件
ところで、本件起訴に先立つ平成18年10月31日、本件のプロローグとも いうべき名倉事件につき、東京地裁が有罪判決を言い渡していた。そし
15 アリストテレスは「存在するもの」を「存在する」と認識することが「真」
であり、「存在しないもの」を「存在する」と認識することが「偽」であると 述べているが(アリストテレス『形而上学』岩波文庫版上・148頁)、これは事 実認定における「真偽」の絶対的基準である。
て、本件1審判決が言い渡された日の約1か月前、最高裁は、供述証拠の 評価に関する注目すべき判断を示して、名倉事件1・2審の有罪判決を破 棄し、被告人を無罪としていたのである。名倉事件は、満員電車内での痴 漢行為が問題とされた事件であるが、被害者供述を基準に事実認定をした という点では本件と共通していた。そして、被害者供述を全面的に採用し て有罪と認定した1・2審判決を破棄して無罪を言い渡したのは、奇しく も、本件で被告側上告に対し棄却決定を行うことになる第3小法廷であっ た16。なぜ同じ裁判体が、本件においては、名倉事件と同じ態度を取りえ ず、誤判に至ったのか。この点を明らかにするために、本件の検討に先 立って、まず名倉事件を検討し、名倉事件での無罪判決の趣旨を検討して おこう。最高裁は、名倉事件において、どのような理由で無罪を言い渡し たのか、また、そこにはどのような問題がありうるのか。まず、この点を 確認して、本件の検討へと進むことで、もっぱら被害者供述や目撃証言と いった供述に依存する型の事件での事実認定の問題性がより明快に示され るだろう。
そこで、以下、まず名倉事件を検討し、供述依存型の事件について、最 高裁が示した判断の意義と限界を検討する。その上で、本件における有罪 確定判決の問題点の検討に進むことで、事実認定として、単なる裁判官の 観念的表象が平然と記載されている刑事裁判実務の問題点が明らかになる
16 最判平成21・4・14刑集63巻4号331頁。この判決については、
「特別企画第 3小法廷の2判決―事実認定の明と暗」季刊刑事弁護59号75頁以下など参照。名倉事件の最高裁判決では、被告人は、無罪とされたが、1審(東京地判平成
18・10・31刑集63巻4号439頁)も2審(東京高判平成19・8・23刑集63巻4
号450頁)も、ともに有罪(実刑判決)であった。1審判決は、①被害者に痴 漢被害があったこと、②虚偽告訴をする理由がないことを挙げた上で、その供 述内容が③「具体的、迫真的なもので、その内容自体に、不自然・不合理な点 はない」こと、その④「供述態度は真し」であることなどを挙げて、被害者の 供述を措信しうるとし、2審もそれを是認した。これに対して、最高裁は、1 審の論理では「犯罪の証明が充分でない」として、無罪を自判した。その主要 な理由として、最高裁は、1審のような論理であれば、それに対して、被告人 が「有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められる」と述べて いる。これは完全に正当な指摘であり、本件再審無罪事件との関連について、後に詳述する。
だろう。ここに誤判の最大の原因がある。
Ⅱ.名倉事件の最高裁無罪判決と被告人の反論権
(1)供述に依存した判決
名倉事件の東京地裁判決から、「罪となるべき事実」をみれば、事件の 内容は平成
18
年4月18
日午前7時56
分ころから同日午前8時3分ころまで の間、被告人が、走行中の満員電車内で、女子高生(当時17歳)に対し、その意に反して、下着の中に左手を差し入れ、その陰部を手指でもてあそ ぶなどし、強制わいせつ行為をしたというものである。被告人は容疑を完 全に否定しており、これは全面的に被害者供述に依拠した判決となってい る。もちろん、逮捕後に、被告人の手指の付着物鑑定が実施され、そこで は、被害者の着用していた下着の繊維は発見されなかった・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
。
ところが、審理は、この事実が重視されないままに、被害者供述の真偽 が問題とされ、これに弁護側が疑問を投げかける形で展開された。名倉事 件は、このように、もっぱら供述に依存しているという点で、本件と類似 している。ただし、名倉事件では、最高裁は、被告人の防御権・反論権が 充分に保障されていないとして1・2審の有罪判決を破棄し無罪とした が、本件では、1・2審判決をそのまま承認したのであった。そのため、
本件強姦・強制わいせつ事件の検討に先立つプロローグとして、この名倉 事件判決を一瞥して、被告人の反論権が封じられていく供述依存型事案の 認定メカニズムの問題点を摘出しておこう。
さて、名倉事件において、東京地裁が被害者供述を信用した根拠は以下 のとおりである。まず、痴漢の被害を受けたと主張する女性に関して、① 何らかの不当な意図の介在をうかがわせる事情はまったく見当たらず、同 女が本件電車内で痴漢行為に遭ったことに疑問の余地はないこと。また、
同女には、②ことさら被告人を痴漢に仕立て上げる理由はなく、③その供 述態度も真摯なものだと認められること。さらに、その供述内容に関して
も、それは、④当時の心情を交えた具体的・迫真的なもので、そこに不自 然・不合理な点がないこと。そして、最後に、同女は、⑤意識的に当時の 状況を観察・把握しており、犯行内容や犯行確認状況について、勘違いや 記憶の混乱などが起こることも考えにくいといった事情を挙げている。東 京地裁は、「こうした事情に照らすと、被害状況、犯人確認状況に関する 前記供述は十分信用できる」と判示し17、結果的に、もっぱら被害女性の 供述に依拠して、被告人を痴漢の犯人であると断定し有罪判決を言い渡し た。東京高裁も、同様に、「女性の原審供述は詳細かつ具体的であり、疑 問を差し挟む余地はない」と判示して18、1審の判断を肯定した。
これに対し、最高裁は、もっぱら被害者供述に依拠した1・2審判決の 事実認定に対し、これでは被告人の防御権を侵害する危険性があると指摘 した。すなわち、「本件のような満員電車内の痴漢事件においては、被害 事実や犯人の特定について物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害 者の供述が唯一の証拠である場合も多い上、被害者の思い込みその他によ り被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うこ とが容易ではないという特質が認められる」と説示し、被告人の防御権の 保障について、裁判所は「特に慎重な判断をすることが求められる」と判 示した。その上で、①供述中の痴漢被害は、相当に執ようかつ強度なもの であるにもかかわらず、被害者は、車内で積極的な回避行動を執っていな いこと、②そのことと、下車駅で被害者の行った被告人に対する積極的な 糾弾行為とは必ずしもそぐわないように思われること19、③被害者が、途
17 東京地判平成18・10・31刑集63巻4号443頁以下。従来から、痴漢事件にお
いては、被害者の供述が①「詳細かつ具体的」、②「臨場感があり迫真性があ る」、③「虚偽の事実を申告する動機がない」、④「供述内容が不自然・不合理 でない」、⑤「経験則に反していない」および⑥「主観的確信に満ちている」という6つの要件を充たすか否かが信用性判断の重要な判断基準とされていた という(たとえば秋山賢三「『合理的な疑いを超えた証明』の基準と最高裁判 決」季刊刑事弁護59号79頁など参照)。つまり、名倉事件でも、東京地裁は従 来の判断基準に従っていたことがわかる。
18 東京高判平成19・8・23刑集63巻4号451頁。
19 積極的な糾弾行為とは、被害者が最後の駅で、被告人のネクタイを掴み「電
車降りましょう」「あなた今痴漢をしたでしょう」と迫った事実のことを指す。中駅でいったん下車しながら、車両を替えることなく、再び被告人のそば に乗車しているのは不自然であること(原判決も「いささか不自然」と述 べている)などを勘案すると、同駅までに被害者が受けたという痴漢被害 に関する供述の信用性にはなお疑いをいれる余地があるとし、被害者の
「供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は、必要 とされる慎重さを欠くものというべきであり、これを是認することができ ない。被告人が公訴事実記載の犯行を行ったと断定するについては、なお 合理的な疑いが残る」として無罪を言い渡したのであった。
(2)最高裁の判断と供述依存型事案の特殊性
最高裁の論理を要約すれば、「被害者供述のみが証拠となっている訴訟 においては、有効な防御を行うことが容易ではないため、有罪認定には特 に慎重な判断が求められるが、原審は必要とされる慎重さを欠いているの で、これを是認できない」というものである。だが、供述依存型事案で、
なぜ防御が容易でなくなるのか、そこで要求される「特に慎重な判断」と は何を意味するのか、この点に関しては、法廷意見では必ずしも明らかで はない。
この点につき、那須弘平裁判官の補足意見が参考になる20。那須は、ま ず、本件のような痴漢事件の特徴から、被害者供述について「普通の能力 を有する者(例えば十代後半の女性等)がその気になれば、その内容が真 実である場合と、虚偽、錯覚ないし誇張等を含む場合であるとにかかわら ず、法廷において『具体的で詳細』な体裁を具えた供述をすることはさほ ど困難でもない」という。そして、「その反面、弁護人が反対尋問で供述 の矛盾を突き虚偽を暴き出すことも、裁判官が『詳細かつ具体的』、『迫真 的』あるいは『不自然・不合理な点がない』などという一般的・抽象的な 指標を用いて供述の中から虚偽、錯覚ないし誇張の存否を嗅ぎ分けること も、けっして容易なことではない」と敷衍して、反対尋問の限界にふれつ
20 最判平成21・4・14刑集63巻4号336-341頁。
つ、東京地裁判決および東京高裁判決が依拠した信用性の判断基準に含ま れた問題点を指摘した。すなわち、弁護人による反対尋問が有効に機能 していないにもかかわらず、「詳細かつ具体的」とか「迫真的」といった 一般的・抽象的な信用性基準に依拠して、裁判官が被害者供述の信用性を 肯定することこそ、被告人に保障されているはずの「有効な防御を行う権 利」を著しく困難にしている最大の原因である21、と。
さらに、那須補足意見は、いわゆる証人テスト(刑事訴訟規則
191
条の 3)が入念に行われることで、被害者の公判供述が「外見上『詳細かつ具 体的』、『迫真的』で、『不自然・不合理な点がない』ものとなるのも自然 の成り行き」であり、「これを裏返して言えば、公判での被害者の供述が そのようなものであるからといって、それだけで被害者の主張が正しいと 即断することには危険が伴い、そこに事実誤認の余地が生じることにな る」と述べ、被害者供述にのみ依拠する事実誤認の可能性を指摘した。そ の上で、「冤罪が真摯に争われている場合については、たとえ被害者女性 の供述が『詳細かつ具体的』、『迫真的』で、弁護人の反対尋問を経てもな お『不自然・不合理な点がない』かのように見えるときであっても、供述 を補強する証拠ないし間接事実の存否に特別な注意を払う」必要があり、「補強する証拠等が存在しないにもかかわらず裁判官が有罪の判断に踏み 切るについては、『合理的な疑いを超えた証明』の視点から問題がないか どうか、格別に厳しい点検を欠かせない」と帰結した。法律上、被害者供 述には、自白の場合とは異なり、憲法
38
条3項や刑訴法319
条2項のよう な補強法則の適用はなく、補強証拠がない場合に有罪認定が禁じられるわ けではないし、那須補足意見も、被害者供述に必ず補強証拠が必要だと述 べているわけではない。しかし、その点を留保したとしても、補強する証21 堀籠幸男裁判官は、その反対意見において、被害者とされた女性が「長時間
にわたり尋問を受け、弁護人の厳しい反対尋問にも耐え」(最判平成21・4・14 刑集63巻4号344頁)たことを同女の供述の信用性肯定の事情として挙げてい る。しかし、那須補足意見が指摘するように、被害者供述に対する反対尋問に は限界があるので、反対尋問に耐えたことを過大に評価することは不当だろう。拠に注意を払う必要が示された点は重要である22。
(3)なぜ「特に慎重な判断」が必要なのか―「供述」と「主張」の違い
すでに触れたとおり、起訴状や有罪判決に記載される「罪となるべき事 実」は、検察官や裁判官の単なる観念的表象ではなく、実在的事実によっ て与えられる実在的表象を言語化したものでなければならない。つまり
「罪となるべき事実」は「実在的事実」の記載でなければならない。とこ ろが、被害者供述が唯一の証拠である場合、「罪となるべき事実」はそれ に全面的に依存して書かれることになる。しかし、改めて考えるまでもな く、被害者供述は、それ自体として
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
は「被害者の主張
・ ・
」であって、「実在 的事実」であることが証明されているわけではない。
たとえば誰かが「金庫の10万円が盗まれた」と主張した場合を考えれば よい。それだけでは、通常、その主張が承認されることはない。「証拠は あるか」と反問されるのが普通だろう。これは、君の主張は「真である」
のかという反問と同じ意味だから、実在的事実と一致しているのか否かを 問いただしていることになる。したがって、10万円が金庫に現存していた という事実や、それが金庫からなくなっている事実などを示して、自己の 主張が実在的事実と一致することを示さなければならない。そして、被害 者の「主張」が実在的事実によって支えられ補強されていることが示され たとき、初めて、その「主張」は実在的事実を言語化した「供述証拠」と して承認されることになる23。つまり、単なる「主張」と証拠になり得る
22 なお、近藤崇晴裁判官もまた、
「本件においては、『被害者』の供述と被告人の供述とがいわば水掛け論になっているのであり、それぞれの供述内容をその 他の証拠関係に照らして十分に検討してみてもそれぞれに疑いが残り、結局真 偽不明であると考えるほかないのであれば、公訴事実は証明されていないこと になる」という補足意見を書き、「『被害者』の供述するところはたやすくこれ を信用し、被告人の供述するところは頭から疑ってかかるようことがないよう 厳に自戒する必要がある」と注意している(刑集63巻4号341-342頁)。
23 その点では、被害者供述は、起訴状に書かれた、検察官が主張する(まだ証
明されていない)「罪となるべき事実」と同様、証拠によって証明されるべき 事実を提示したものにすぎず、当然、他の証拠による証明を必要とする。「罪
「供述」との決定的な相違は、後者が実在的事実の言語化だという点に認 められる。したがって、被害者「供述」もまた、実在的事実に支えられ補 強されたとき、単なる「主張」から、証拠となりうる「供述」になる。こ の点、本件「強姦・強制わいせつ事件」の弁護人が控訴趣意書で紹介して いるドイツ連邦裁判所の心理学鑑定の手法は24、正鵠を射ている。すなわ ち「供述心理学鑑定における方法論上の基本原理は、供述の措信性を、そ の否定が収集された事実と一致しなくなるまでは否定することである」。
これは「ゼロ仮説」と呼ばれるようだが、供述は、それが実在的事実に よって支えられ補強されるまでは、単なる主張に過ぎない。供述の「措信 性」の真の根拠はここにある。実在的事実に支えられていない「供述」(単 なる主張)は、単なる観念的表象であり、それのみに立脚して記載された
「罪となるべき事実」もまた、観念的表象の記載でしかない。
しかし、名倉事件の1・2審判決がそうであったように、刑事裁判実務 では、実在的事実に支えられているか否かの検証、すなわち供述の「真 偽」が問われなければならない場面で、「詳細かつ具体的」とか「迫真的」
あるいは「不自然・不合理な点がない」等の一般的・抽象的指標に依拠し て、供述の措信性を認める傾向がある。それは、実際、非常に強い傾向で ある。だが、那須が指摘したとおり、普通の能力の者がその気になれば、
この指標を満たす供述をすることは、それほど困難なことではない。さら に、上記の指標は、供述が「真である」ことを保証していない。ドストエ フスキーは、帝政ロシアの片田舎で生じたカラマーゾフ家の殺人事件を、
この上なく具体的・迫真的に描き出しているが、その具体性・迫真性ゆえ に、それが実在的事実の記載だと考える者はいないだろう。「真らしくみえ
となるべき事実」が証拠となって「罪となるべき事実」が証明されることなど はありえない。被害者供述のみを証拠として有罪認定をする場合、裁判官は、
このような「禁じ手」を行使することにならないか、自戒が必要だろう。
24 控訴趣意書4頁。その紹介として浅田和茂「刑事鑑定と心理学」(村井敏邦
編『刑事司法と心理学』15頁以下収)19頁参照。したがって、ドイツの「ゼロ 仮説」に立脚することは、本稿が提示している「真偽」の基準と基本的に同じ である。る」だけである。結局、上記の指標に拠る判断は、それが具体的な実在的 事実との連続性のない抽象的・一般的判断を内容とする以上、「真らしくみ える」としても、供述が「真である」と言えるための実在的事実に支えら れていないかぎり、その供述に措信性は与えられえない25。
(4)供述の信用性の判断―試されているのは「供述」それ自体である
供述は実在的事実に支えられ補強されたとき、単なる「主張」ではな く、「供述証拠」になりうる。名倉事件の捜査機関も、当然ながら補強証 拠の必要性を感じていたが故に、逮捕後に、被告人の指の付着物を採取 し、繊維鑑定を実施したのである。しかし、被告人の手指に、被害者の下 着に由来する繊維は付着していなかった。この事実について、東京高裁 は、「女性の原審供述によると、被告人が下着の上から女性の陰部を触っ たというのは、向ヶ丘遊園から登戸までの2分間弱のうちの一部分であ り、かなり短かった」と述べ、さらに、痴漢行為から付着物採取までの間 に、被告人は指先をどのような状態にしていたのかが不明だから、被害者 の下着に由来する繊維が脱落した可能性があるとの暗示も加えて、そうで あれば、「下着を構成する化学繊維や色素付着の綿繊維が被告人の指から 発見することができなかったにしても、特に不自然ではない。被告人が女 性に触れてわいせつな行為をしたことには合理的な疑いがあるということ はできない」との結論を導いている26。
しかし、被告人の手指に繊維が付着していないという繊維鑑定の結果
25 実在的事実に支えられた供述の例を挙げれば、たとえば、被害者供述の中
に、被害者が知るよしもない、いかにも被告人を指示するような特殊な言動が 含まれている場合とか、年少の供述者が実際に体験しなければ不可能であるよ うな詳細な描写をしている場合などがあるだろう。また、このことと関連し て、自白に補強証拠が必要な存在論的理由は、まさにここにある。この点に関 しては、吉弘「前掲」参照。26 東京高判平成19・8・23刑集63巻4号452頁以下。この点の高裁の論理を正
確にみておこう。すなわち、被告人が被害女性の「下着の中に手を入れて陰部 を触っている間、指先が下着にも触れていると考えられるものの、陰部が接触 する部分の裏地(クロッチ布部分)は無色綿繊維により構成されていると認めは、被害者供述が実在的事実に支えられず補強されていないことを示して おり、被害者供述は「真である」ことの立証に失敗したことを示している。
ところが、東京高裁は、ことさら「下着の上から触った」という被害者供述 の1部分を切り取り、また下着の中に手を入れる痴漢行為についても、「手 を入れる際」という部分に限定して、いずれの行為も短時間だったから手指 に何も付着しない可能性があったと判断している。その上で、被害者の下 着に由来する繊維が被告人の手指から検出されなかったという事実は、本 来、被告人にとって決定的に有利な実在的事実であり、それ故、被害者の 犯人識別供述に対して疑念を投げかける契機となるべき実在的事実であっ たけれども、裁判所は、かなり執拗な痴漢行為をしていながら、被害者の 下着の繊維が被告人の手指に付かない「可能性がある」として、被告人の 有罪性に合理的疑いを挟むものではないとしている。
同様のことは
DNA
鑑定についても言える。弁護人の上告趣意書によれ ば、被告人が警察署に連行された後、手指からの微物採取用採証テープを 持参した警察官から「DNA
鑑定をすることになる」と告げられ、無実を 訴えていた被告人は鑑定の結果に期待していたという。しかるに、1審公 判の中で、検察官が「DNA
鑑定は存在しない」と述べ、被告人の指に被 害者の体液が存在していたことの立証準備がないことを明らかにした。こ の事実につき、東京高裁は、「被告人の指に付着した物質についてDNA
られる。下着の中に手を入れる際に化学繊維が含まれる他の部分に触れたにし ても、その時間はごく短時間であったと考えられるから、指先に化学繊維の付 着がしにくい状況であったといえる。さらに、化学繊維は、綿繊維と比較した 場合、一般に、繊維が長いために着衣から離脱しにくい、繊維の吸湿性が少な く、表面が滑らかであるために手指に付着しにくい、という特徴があることも 認められる。また、一部赤色色素付着の綿繊維及び一部黒色色素(光学顕微鏡 下での観察による)付着の綿繊維は、下着の生地に占める面積割合が少ない ハート柄部分の表側だけに存在している。そして、これらの色素の付着した綿 繊維は、顔料が付いているため、衣服からはがれにくい、という特徴があるこ とが認められる。その上、被告人が女性の下着に触った時刻が午前8時ころで あるのに対し、被告人の指先から繊維を採取したのは、弁解録取手続が終わっ た午前9時25分ころから取調べが開始された午前10時ころまでの間である。そ の間被告人が指先をどのような状態にしていたか明らかでない」と指摘してい る。いずれの指摘も裁判官の観念的表象の吐露にすぎない。鑑定を実施したという証拠はなく、検察官がその証拠を提出していな い事実から被告人の指に女性の体液が付着していないという事実を推認す ることはできない」とし、「付着の有無は不明というべきである」と論じた。
しかし、名倉事件では、体液の付着は犯罪の決定的な証拠となりうる事 実であり、しかも、被告人は捜査段階から一貫して痴漢の事実を否認して いた。この種の否認事件において、捜査機関がそれほど困難でない
DNA
鑑定を実施しないことは考えにくいが、捜査機関が漫然と実施を怠ったの だとすれば、訴追官の不手際というほかない。そうではなく、DNA鑑定 が実施できない何らかの事情があったとすれば、その事情を検察官に釈明 させるべきであっただろう。訴訟の中で、このような経緯を明らかにさせ ることなく、被害女性の体液の「付着の有無は不明」であると述べて、こ のことは被告人の犯人性と矛盾しないと片づける論理は、明らかに供述依 存型事案において、実在的事実による補強を求める姿勢が欠けていると言 わざるを得ない。被害者供述が実在的事実に支えられているか否かが問わ れている場面であることを前提にすれば、検察官が補強に失敗したことを 認めるべきであり、「あって当然の体液の存在が立証できていない」とい う点では27、当然、被害者供述が「真である」ことに合理的疑いを投げか けるべきであった。
(5)供述の不合理性―最高裁の判断方法と防御権侵害の構造
以上のとおり、名倉事件においては、被害者「供述」の補強証拠は法廷 に顕れず、むしろ、あって当然の補強証拠が示されないという点では、被 害者「供述」が「真である」ことに対し積極的な疑念を生じさせるもので あった。したがって、被害者の供述内容と実在的事実との一致が示されな かった以上、「有罪の証明はされなかった」とすべき事案であった。この
27 DNA
鑑定を実施したが、訴追官にとって好都合な結果が出なかったので証拠として提出しなかったのであれば、それは、「不手際」ではなく、明白な検 察の犯罪行為である。
点、1・2審の有罪判決を破棄自判して被告人を無罪とした最高裁の結論 は正当であるが、内容的には、本稿の考察視座とは異なっている。最高裁 の論理は、供述依存型事案において、措信性を判定する際にも、一般的指 標に即して被害者「供述」を検討することで足りるが、その場合、「不自 然・不合理な点がない」というレヴェルまで、高度な検証基準を充たすべ きだが、1・2審判決はそのレヴェルに達していないと判断したようにみ える。最後に、この点を中心に、名倉事件における最高裁判決の意義と限 界を確認しておこう。
上述したとおり、補強証拠のない被害者「供述」の措信性が問われてい る場合、その「供述」が実在的事実に支えられ補強されるまで、その「供 述」は単なる主張であり仮説にすぎない。そして、あえて当然のことを記 せば、刑訴法は仮説によって有罪とすることを認めていない。刑訴法が要 請するのは、「事案の真相を明らかにする」ことであり、それは犯罪行為 を実在的事実として立証することである。前章Ⅰでも示したが、事実認定
・ ・ ・ ・
が「真である」ことは、認定者の認識(判断)を言語的に表明した「言明」・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
が「実在的な事実と一致する」ことによって、そして、そのことによって
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
のみ判定される・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
のである。
つまり、起訴状や有罪判決に記載される「罪となるべき事実」は、常 に、「実在的事実」でなければならない。換言すれば「実在的表象」が記 載されていなければならない。これに対して、実在的事実に支えられ補強 されていない「主張」すなわち「単なる仮説」が「罪となるべき事実」と して記載されるのであれば、実在的事実に即して「真偽」を争う弁護活動 は不可能なものとなる。実際、次章以降で詳述するが、実在的事実に即し て「真偽」を争うことは可能だが、検察官や裁判官の「単なる主張」や「単 なる仮説」つまり検察官や裁判官の「観念的表象」を論駁することは不可 能である。しかし、現行憲法上の裁判の位置づけをみるとき、訴追者の主 張に反論し論駁しえない裁判というものはありうるのだろうか。ありうる はずはないだろう。
こう考えれば、名倉事件において、最高裁が東京地裁・高裁の論理を否 定したのは当然のことであったが、被害者供述が措信しえない根拠として 繊維鑑定や
DNA
鑑定といった実在的事実に触れることなく、もっぱら供 述の合理性への疑問を理由として無罪判決に至っている点、供述証拠の本 質を踏まえたものではない。その意味では、「被害供述のみが証拠となっ ている訴訟においては有効な防御を行うことが容易ではないため、有罪認 定には特に慎重な判断が求められる」という最高裁の論理も、いわば「防 禦しにくい事件だから、『合理的疑い』の幅を少し広くとり、被告人に有 利に判断するように」という一般的な訓辞以上のものになっていない憾み がある。最高裁は、本稿とは異なり、供述内容が実在的事実に支えられて いるか否かを決定的なポイントにしているわけではない。実は、この点こ そ、本件「強姦・強制わいせつ事件」において、1・2審のみならず、最 高裁第3小法廷までが判断を誤った要因である。次章以下、そのことをあ きらかにしよう。Ⅲ.本件の事実審裁判官は何を「認定」したのか
本件「強姦・強制わいせつ事件」は、検察官および裁判官が被害者であ る
B
や目撃者であるD
の供述を「真である」とし、全面的にB
・D
供述 に依拠して、被告人が強姦・強制わいせつ行為を行った事実が「ある」と したのに対し、弁護人がB
・D
供述に種々の疑問を投げかけ、供述は「偽 である」と主張した供述依存型事案であった。もちろん、現時点では、弁 護側主張が全面的に正しかったことも、裁判所の判断ミスの内容も、完全 に明らかにされている。その意味では、名倉事件以上に、本件は供述依存 型事案における証拠評価研究の好素材である。以下、まず本章Ⅲで、B
・D
供述を「真である」とした有罪確定判決の事実認定の基本構造を検証 し、次章Ⅳで、それを「偽である」とした弁護側の反論内容を示し、これ を否定する事実審判決の論理を検証しよう。まず、判決の論理だけを見れば、本件は、供述依存型事案であり、「物証なき審判」であるが、本当に そうなのかという点の検討から始めよう28。
(1)物証なき審判か、物証を求めなかった審判か
本件訴訟は2本の起訴状から始まる。起訴状に記載された公訴事実は、
B
の被害供述とD
の目撃供述を主たる証拠としており、それ以外の物証 はなく、物証なき審判であった。そして、1審判決が認定した「罪となる べき事実」は、順不同ながら、検察官が記載した公訴事実とほぼ同じもの であり、結局、B
・D
供述だけを証拠とした完全な供述依存型事案の審判 となった。2審判決も同じである。ただし、現時点では、再審無罪判決が 示したとおり、H
産婦人科医院のカルテ(「処女膜は破れていない」旨の 記載)があり、また、それとは別の病院のカルテや診断書が複数あったこ ともわかっている29。再審無罪判決では、H産婦人科医院のカルテは、弁護人によって再審 請求書が提出された後、検察の補充捜査で判明したと書かれている30。そ うであれば、捜査の時点で、検察はこのカルテを知らなかったのかもしれ ない。しかし、再審公判で、弁護人が
B
らを「取り調べた検事らの証人 尋問が不可欠」だと主張しているように、なぜ検察はB
の診断書やカル テを証拠としなかったのかについて、少なからぬ疑問がある。特に、再審 請求書の中で、「検察から証拠がいると言われ」たB
の実母F
に依頼され て、B
を病院に連れて行った女性G
の供述は重要であろう(後掲資料⑭)。G
は、診察に際し、「少女は泣きだし、病院で暴れた。痛がって、見るこ とができなかった。医者は『確定できない』と言っていた」と供述してい28 すでに検討したように、名倉事件も、本当は供述依存型事案ではない。訴追
官が鑑定結果に示された実在的事実を無視して公訴を提起したため、訴訟が供 述依存型事案の形態をとったのである。29 再審無罪判決では、
「産婦人科に3度連れていかれた」という再審請求審における