『人文コミュニケーション学科論集』21, pp. 37-55. © 2016茨城大学人文学部(人文学部紀要)
-愛着関係の視点から-
野口 康彦 野口 洋一
<要旨>
本稿では、ある男子中学生の事例研究を通して、被虐待者の心理発達について考察を行う。
事例のクライエントは、本人によると、生後間もなく病気のために、長期にわたる入院生活 を経験した。しかし、母親は見舞いに訪れることはなかったという。
そして退院後は,祖母に引き取られたが、祖母との間にも情緒的な交流を持てないばかり か、食事など必要な世話を与えられることもなく、
3
、4
歳の頃は自らおにぎりを作って食 べることを覚えて成長した。言葉の意味が分からなかった彼は、小学校に通うことの意味も 分からず、担任に声をかけられる小3
の時まで不登校の状態が続いていたという。中学校に進学した後は特別支援学級に通級をしていたが、スクールカウンセラーである筆 者とのカウンセリングが始まるまでは、彼の苦しみは周囲に気づいてもらえなかった。この ような意味で、彼は重複的な虐待を受け、さらに社会的にもネグレクトされてきたことにな る。
上記のような厳しい環境を彼はどのようにして心理的生存を図ってきたのか。そしてその ためにどのような心理的機序を発達させてきたのか、愛着関係の視点から考察を行った。
キーワード:被虐待者、心理的機序,愛着関係
I
問題と目的「児童虐待の防止等に関する法律」は、児童虐待を、「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレク ト」「心理的虐待」に分類して定義している。この
4
つの虐待は親の側の行為態様による分類 であるが、子どもの側から見ると、心身の生存が脅かされるだけでなく、情緒的欲求が養育 者に応えてもらえていない点が共通している。この情緒的な欲求とは、小さな子どもが自分 を理解し、守ってもらいたいと母親に安心と安全を求める、ごく当たり前の心理のことであ る。この点、身体的安全に危機が生じなくとも、この情緒的欲求が満たされないことが子ども
の心理発達に及ぼす影響は、計り知れない。イギリスの児童精神科医であったボウルビィ
(
1969
)は、子どもの発達初期における母親と子どもの相互交渉による情緒的な結びつき(絆)をアタッチメント(愛着関係)と呼んだ。ボウルビィはこの愛着への欲求を、乳児が 社会的相互作用を求める人の生得的な欲求と説いた。子どもはこの愛着関係という絆につな がれて、情緒的な欲求が充たされ、安心と安全を体験していく。これが基礎になって、子ど もに自尊心が育まれ、適切な自己評価の機能を発達させて社会参加を果たしていくのである。
この意味で、愛着関係は、子どもの心理発達の土台となっている。
この愛着関係は、子の情緒を読み取り応答できる、という親の側の条件があって初めて成 立する。母親が赤ん坊を世話する姿を見ると、絶え間なく赤ん坊の表情を注視し、その泣き 声に耳を傾けているのが分かる。そしてこれらを読み取って応答し、子の表情からそれが適 切だったかどうかを確認していく。赤ん坊は母親の応答に満足すれば微笑み、気に入らなけ れば泣き声を大きくして母親に自分の欲求を伝えていく。この絶え間ない交流は母親が子の 喜怒哀楽を理解し、それを我がこととして感じることが出来るからこそ成立している。いわ ば、子どもの心理発達は、このような母親の存在が前提であり、愛着関係の成立が初期条件 として説かれてきたのである。こういった通常の愛着関係が成立している時は、子に痛みが あれば、親はそれに気づき、子の痛みを和らげようとするだろう。このような関係が成立し ていれば、母が子に虐待することは考えられない。
しかし、母親が子の情緒に応答出来ず、愛着関係が成立していない場合はどうだろうか。
母子の心理的交流は成立せず、子の情緒は見捨てられることになる。この愛着関係不成立に よる母子の心理的交流の欠如を高橋(
2015
)は、「心理的ネグレクト」と呼んで、虐待の真 の原因としている。即ち、母子に心の交流が成立せず、子の痛みを母親が理解出来ない、あ るいは関心を持てないからこそ虐待が生じることになる。愛着関係の不成立が虐待の基底を 成すものとして、4
つの虐待を目に見える氷山の一角、そして心理的ネグレクトを氷山の基 底とする氷山モデル(図1
)を提唱している。このように理解すると、心理的ネグレクト=愛着関係の不成立は全ての虐待に共通する問題であり、そこから被虐児に共通する心理的機 序を見いだすことが出来る。
更に高橋は、愛着関係が成立しない理由として、第一に母親の側の知的能力障害を挙げて おり、子の情緒の読み取りと応答が、母親の知的能力に支えられていることを説明している。
一般的には、虐待は親のうつ病や人格、環境要因など様々なリスク要因の積み重ねで生じる という見解が有力だが、愛着を知的能力に関連づけ、親の知的能力障害を虐待の第一の要因 として挙げている説は他に類を見ない。
さて愛着関係に恵まれずに育った子どもは、どのような心理発達の過程を辿り、どんな特 有の心理的機序が形成されるのだろうか。
ネグレクト被害の影響について奥山(
2000
)は、①愛着関係の欠乏・歪み、②基本的信 頼の欠乏、③受容されている感覚の欠乏、④万能感の欠乏、⑤発達刺激の欠乏をあげている。このような見解は広く支持されているが、高橋の指摘する「心理的ネグレクト」という視点 から見るならば、ネグレクトがあるから、愛着関係の欠乏・歪みが生じるのではない。そも そも愛着関係が成立していないので、ネグレクトが生じることになる。
今日、被虐児の心理研究は、虐待被害を「心的外傷」のスペクトラムとして捉えようとす るものが多いが、心理発達の初期条件である愛着関係の視点からこれを捉え直すことが必要 であると思われる。
よって、本稿では、幼少期から母親との情緒的な交流を持つことができず、また家族との つながりを持てずに育ったある男子中学生との面接を通して、被虐待者の心理的機序につい て、主として愛着関係の不成立による影響を中心に検討と考察を行った。なお、ボウルビィ の指摘したアタッチメントは、通常「愛着」と訳されているが、この語には、愛着への傾性 と愛着の絆の
2
つ意味があるので、後者を指し示す語として愛着関係とした。また愛着関係とは、母親かそれに代わる養護者との関係であるが、以下、この両者の意味 を含めて「母親」と記述した。
II
事例の概要と面接の経過及び面接の小考察本事例の概要については、基本的にはクライエントとの面接から得られた情報をもとに 記述しているが、生後間もない頃の入院生活など、教員が母親から聞いた状況を付記して いる。以下、スクールカウンセラーをSCとし、クライエントの発言を「 」、SCの発言 を< >で示す。なお、倫理的な配慮であるが、本生徒には事例の公表の了解を得ており、
事例の性質上本質を損なわない程度に一部事実関係に修正を加えてある。
図1:虐待の4類型と心理的ネグレクトの氷山モデル
(「児童虐待防止支援者のためのケースワーク・ガイドブック」高橋和巳 野口洋一 箱崎幸恵,2015)
1
.事例の概要クライエント(以下Clと記す):A、男子中学生、
15
歳。SCとの面接について:Aが通学する学校では、SCは月に
1
度の勤務であった。特別支援 学級担当教諭(以後、Bとする)がAの心理的サポートとともに、学習の指導も行っていた。校内の教員からは自閉症スペクトラム障害ではないかという疑いをもたれていたため、B教 諭からは、SCにもAの心理アセスメントも行って欲しいという要望があった。
Aとの面接は月に
1
度の頻度で、1
回につき1
時間程度行った。面接の場所については、特 別支援学級の予備としての空き教室を使用した。なお、B教諭から強く勧められたというの がSCとのカウンセリングの発端であったが、カウンセリングに期待することについてAに 訊くと、「話を聞いてもらえればいいです」という返事があった。家族構成
義父と実母、その両親の間に生まれた
4
歳の弟との4
人暮らしである。生活史(Aの発言から)
Aは生まれて間もない頃から、熱性けいれんのために長期にわたって入院生活をしており、
その当時両親が離婚したため、実父の顔は知らないという。Aが
3
歳になった頃に退院し、母方の祖母の家に預けられたが、祖母からおにぎりの作り方を教わって、自分で作って食べ ていたという。自宅には一人でいることが多く、家族の誰かに借金があったようで、借金取 りが毎日自宅に来ており、その人が家族ではないかと思っていた。小学校
3
年生から母親と の同居が始まり、現在の住所に転居し、そして小学校6
年生時に母親が再婚した。またB教諭によるとAの入院生活や退院後の生活状況、親の離婚については、関係の教員 も知るところでもあったが、幼少時にAの世話をしなかったという母親についてはネグレク トであるという認識が持たれることはなかった。また、関係の教員による母親の印象は、A との情緒的な交流に重きをおくよりも、行動の指示を強調する傾向である人とのことであっ た。
小学校から面接時における学校生活の状況(Aの発言から)
Aは小学校
1
、2
年生の時は不登校状態であり、当時の担任から登校を促されて小学校3
年 生の頃に週に1
回ほど登校するようになった。その後、小学校4
年次から週2
日の登校となっ たが、友達は全くおらず、周囲から拒絶されていた。言葉の意味が分かり始めたのは小学校5
年生の頃からであり、テレビで言葉の意味を理解するようになった。Aによると「テレビ は言葉をつないでくれるから」だという。中学入学後しばらくは登校していたが、「教室に いてもしっくりこなかった」という理由で休むようになり、2
年生の6
月から特別支援学級 を利用している。3
年次には特別支援学級と併用し、科目によっては教室で授業を受けるよ うになった。担当教諭によると、定期テスト等の成績は中程度であり、科目間の成績の大きなばらつき はない。なお、他の生徒とのコミュケーションの不得手な面から、Aは自閉症スペクトラム 障害(以下、ASDと記す)ではないかとの疑いを関係の教員からもたれた。
SCの見立てとかかわり
Aの抑揚のない話し方と無機質な表情から、当初はASDの印象を感じたが、状況の理解 の良さと他者の感情を察知できることから、ネグレクトを主とする虐待を受けて育った子ど もの特徴がある生徒であると考え、この点については関係の教員にも伝えた。Aとのかかわ りであるが、AにとってSCとの面接が他者との交流体験の一つになることを念頭においた。
また、進学などAの今後のことを考えると母親との面接も重要であると考えたが、母親が仕 事を理由に来談せず、面接は実現しなかった。
2
.事例の経過と各面接における小考察以下、
1
つの学期ごとに、SCとAとの面接の概要について示した。また、各面接回につ いて、Aの発言をもとに小考察を記した。(
1
)1
学期(#1
~#3
)#
1
(X年4
月Y日)初回、B教諭より、Aを紹介される。Aの身長は
175
センチ程度であるが、体重は100
キ ロ近くあるという。頭髪は丸刈りであり、うつろな表情でぼうっとしているような雰囲気だ が、話しかけるとぽつぽつとではあるがしっかりとした口調で話す。この日は、本人の趣味 であるオセロを一緒に行い、SCは8
個のみをとっただけであっさりと負けた。小考察:Aのオセロの力量は相当に高いという印象を持った。また、不登校の期間が長いに もかかわらず、中間・期末試験では全体の中程度の順位(
1
学年3
~4
クラスの中規模校)を とるなど、Aの知的能力の高さが窺えた。#
2
(X年5
月Y日)前回と同様に給食の後、オセロをともに行う。B教諭によれば、AはSCとオセロをする のを楽しみにしていたようで、「目的を果たすことができた」と嬉しそうな表情を見せる。
その後、相談室でAは
2
年次の相談学級での思い出を語った。その当時、相談学級に3
年生 が数人在籍し、Aはその生徒たちと仲良くなり、「今まで15
年生きてきたけど、あんなに楽 しく過ごしてきたことはなかった」と言った。そして、「ある先輩が誰かにあだ名をつけて、それで盛り上がったりした。(途中省略)あまり、自分の中には友達と仲良くしたくなかった。
タネを残したくなかった。卒業の時に悲しくなるから」と呟いた。そして、「先輩からオセ ロの伝統を受け継いでいったので、負けてはいけないという使命感がある」と続けた。ただ し、最近は心身の調子が悪くなっており、「(食事は)食べても全く美味しいと思わない。味 を感じない。夜は眠れていない。
3
年生になってからダメ。一番は3
年生がいなくなってから。いるのが当然だと思ったから」と語った。
友達関係については、「昔から友達いなかったし。自分は友達になる範囲が限られている。
まず、女子はダメ。レベルの高い男子はダメ」と強い口調で述べた。特別支援学級の通級生 と会話をしている時は、「あの教室に通う人には何かある」、「頭の中が忙しい」と言葉を選 んで話をしていることを強調し、「会話をしていて、どう返して良いか分からない」と戸惑 うように語った。また、幼い時に両親が離婚し自分が入院生活を送り、退院後は祖母に引き 取られ、小
3
の時に母親に引き取られて転校したこと、そして小6
の時に母親が再婚したこ とについて語った。「幸せそうな家族のことを聞くと、イライラしたり悲しくなる。それか ら、人を好きになったり信じることはできない」、「周囲に拒絶されていた」と言い、<それ は、つらかったと思う>と言うと、「幼少期の頃から自分に鞭をうっていた。これからもそ うすると思う」、「1
、2
週間前は、自分の名前すら忘れようとした」と淡々と語った。小考察:この回で特徴的な発言は、
3
年生との交流について語った言葉である。Aは特別支 援学級での3
年生との交流は、「今まで15
年生きてきたけど、あんなに楽しく過ごしてきた ことはなかった」という。それは中学生で初めて出来た友人、というより文字通り人生で初 めての人との交流の体験を語るものであった。しかし、それだけ楽しかった体験であるにも 係わらず「仲良くしたくなかった」と彼は語った。これは楽しさを求める通常の中学生と は異質な心理である。楽しさを求めるのではなく、これを自ら禁じていることにAの心理特 性がある。それは他者との交流において楽しさや温かさを感じると生きるのがつらくなるか らである、と考えられる。「幼少期の頃から自分に鞭をうっていた」のもそれが理由であり、他者に情緒的な交流(愛着関係)を求める気持ちを抑えて生きていかねばならないという心 理が基底にある。それを求めても得られなかった彼は、愛着を求める欲求を封印しなければ、
これまで生きることはできなかったからである。
そのように考察していくと「タネを残したくなかった」という「タネ」とは楽しかった記 憶であり、それを残すと我慢して生きていくのがつらくなることが理解されてくる。彼の苦 しみは、封印し難い楽しさを体験してしまったことにあると言えるだろう。
また、オセロゲームについても特徴的な言葉がある。SCにオセロで大勝し、「目的を果 たせて良かった」という言葉である。ここにあるのは、中学生が大人に勝てて嬉しい、とい う心理ではない。先輩から教わったオセロの伝統と守らねば、という責任を果たせてほっと した、という心理である。オセロには、楽しかった体験とそれを与えてくれた先輩に対する 責任を果たさねばならない、という
2
つの心理があると思われる。#
3
(X年6
月Y日)Aは落ち着いた表情で来室した。自宅での生活の様子について、「家では明るく振舞うし かない。怒られないようにしている。弱音を吐くことはできない。沈んでいると怒られる。
夜もよく眠れない。土日も家の用事で
1
日つぶれてしまう。買い物にもついていっている。親はいつ切れてもおかしくない。いつも気を張っていないと授業に集中できない。気の休ま る暇がない」と話した。(途中省略)<困っていること>について聞くと、「ほとんどですね。
自分で考えて対処している。歯車がかみ合わない。授業を受けていても、何の授業を受けて いるのか、分からなくなるときがある。あまり、人に相談をしない」と答えた。<これまで も自分でやってきた>と返すと、「そうやってきた。自分でやってきた。楽しい記憶がない。
家にいても監視されている。電話に出るのもかけるのもダメ」と言った。
小考察:この回は、Aの自宅と学校での生活の様子が中心に語られた。自宅では親に合わせ て気を抜く時がなく、学校では、どのように振る舞ったらいいのか分からず、自問自答して いる様子である。家庭の様子の中に、Aが自らに強い我慢を課してきた理由が見いだせる。
家の手伝いに応え続け、いつ切れてもおかしくない親の元で、Aは普通の子のように我慢を 教わったのではなく、自ら学んだのである。
また学校の中でAが自問自答しているのは、対人的な適応様式や学校という場の意味を親 から学べず、一人で対処することが求められているからである。親とのつながりを持てなかっ た彼は友人とのつながり方もまた分からなかった。その中でどう振る舞うか、これらを一人 で自問自答して見つけようとしているのである。Aの「何の授業を受けているのか、分から なくなる」という発言は、教室という空気、級友や先生とのつながり、勉強の意味を共有で きず、学校社会から自分一人浮いている不安の中で生じた感覚であろう。Aは教室という皆 が立っている共通の土台に立つことが出来ないでいる。
(
2
)2
学期 (#4
~#7
)#
4
(X年9
月Y日)SCが来校すると、B教諭から夏休み直後の出来事を聞いた。Aは熱が
38
度あったが、母親から学校に行くように言われて自宅の最寄駅の付近をうろついた後、午後になって同じ 学年の男子生徒の自宅に行き、そこに泊まらせて欲しいと言ったという。結局、その男子生 徒の父親から学校に連絡が入り、Aが家を出たことがわかった。
この日のAは、セッションの中で、小
3
で急に転校することになった当時の状況を思い出 しながら、「今、何で女子が怖いのか、よく分からない。何で女子がダメなのか。それが分 からない」と語った。また、転校する前の学校では同じ通学路を一緒に帰るなど、仲の良かっ た女子児童がいたが、その子の名前や顔が思い出せず、「その子もいじめの対象になってい た」とつらそうに話した。そして、「自分もいじめの対象だった。それに(仲の良かった女 子児童との記憶)すがるようになってしまった。家族から、誰かにすがることを教えてもらっ ていない」と言った。小考察:B教諭から夏休みに起こった事件を聞いたが、これは明白な虐待エピソードである。
しかしSCはその認識が不十分であり、その対処が上手く出来なかった。被虐待児は自らの 被虐待経験を積極的に語り、助けを求めることはしないので、具体的な状況をSCは積極的
に確認する必要があった。
セッションでは「女子が怖い」とAは言っているが、これは何故だろうか。ここにも被虐 児の心理的機序を見ることができる。母親に愛着を希求する欲求を封印してきたAであった が、異姓に近づくとその封印が解ける恐怖が生じる、と解することができる。
楽しみを覚えてしまい、それを再度抑圧しようとしているAにとって、女子に好意を持っ てしまうとその葛藤は一層強いものになると想像される。もしそこで愛着の希求を抑えきれ なくなると、Aは破綻してしまうことになる。
中
2
の時に3
年生との交流によって生じた楽しかった体験から、葛藤が生まれ、封印して きた過去の感情(小3
の時の友達との別れによる悲しみや別離と感謝の言葉が言えなかった 罪悪感)が想起され始めて、不安定化している状態と考えた。#
5
(X年10
月Y日)Aは「夜、眠れない」と体調が不良であることを話しつつ、特別支援学級ではない親クラ スに入れれば良いが、「集団に入りにくい。会話を続けないと、気まずい感じがする」と言っ た。そして、「困っている人を助けたい」ので、学校で便利屋をやっているとも話した。こ の便利屋については、「学校で便利屋をやって人の話を聞いて、情報が入ってきて。
3
年生は 遊びの話しとかおしゃれの話し。そういう中で有効活用ができれば良い。そういう情報は整 理して頭の中に入れている。重要なものはとっておいて、くだらないものは捨てている。便 利屋の一つとして、人の記憶を頼まれることもある」と言った。小考察:
10
月に入ったこともあり、Aは自分が所属するクラスで受験のために勉強する必 要性を感じてはいたが、全ての科目をクラスで過ごすことはしていなかった。「集団に入り にくい。会話を続けないと、気まずい感じがする」というのは、黙っていると相手に不快な 思いをさせてしまうのではないかと心配しているからであろう。この回ではAの便利屋の仕事が多く語られている。自分が便利である存在になるようにA は動いているが、それはAが人と交流できる唯一の対人関係の様式である。この点について は、考察で論じることにする。
#
6
(X年11
月Y日)体のだるさを訴えつつ、「昼間は考えていることが多い。何も考えないということはない」
と言った。そして、Aにとって今一番の心配は学年のことであり、教員が対処しきれないで 困っている
3
年生の問題があり、この1
ヶ月で4
、5
回の相談があったという。SCが<どん なトラブルがあったの? >と聞くと、「僕もよく分からないけど、お互いの意見が違う。自 分はここにしかいないけど、便利屋やっています。今回は一筋縄ではいかない。次元が別の 次元になっている」と答えた。また、「基本的には人を助けるのが好き。基本は悩んでいる 人を放っておけない」と言うので、<今助けてあげたい人はどんな人? >と聞くと、「その次元の違う人。その人は前から孤立している。
3
年生。周りから見るとお人よし」と答えた。さらに、「基本的に便利屋開いているから、人を導くのが好きなんでしょうね。偽善者かも しれませんね。どうしても自分に自信が持てない。助けているって感じがしない。人を助け ることで、自分の価値があがる。存在感があがる」と言った。そして、「人間の心を閉ざし ているのを開くのは難しい。解決できない問題がある。先生にも話せない、友達にも話せな い。そうしたら自分のところに来るしかない。考えごとが楽しいわけではない。半分義務み たいになっている」とやや硬い表情で話した。
小考察:この回の面接では、便利屋としてのAの苦労が語られた。便利屋として、助けよう としている人が出てきたが、その人は次元の違う問題を持っている、とAは感じている。A によれば、その人は、お人好しで人を頼ろうとしない、解決出来ない問題を背負っている人 間である。Aには、その人には容易に立ち入れない心の領域があることが察知され、便利屋 としてどう近づいたら良いか分からないと、苦悩している様子がうかがえる。
Aがそのように捉える生徒は、恐らくAと同じ被虐児ではないだろうか。Aは、自分の解 決できない問題を、この相手にも見ているのではないか、と想像できる。だからこそ便利屋 としてAは行き詰まりを感じている。
加えて受験を控えた
3
年生全体に緊張した雰囲気が生まれ、Aの便利屋としての苦労が増 しているのだろう。これらが重なって、Aの便利屋としての対処能力を超え始め、Aの負荷 が強まっていると想像出来る。便利屋が出来なくなると、Aは学校に自分の居場所を失うこ とになるだろう。#
7
(X年12
月Y日)
2
、3
週間前から頭痛が続いていて、Aは痛みやぼうっとした感覚になっているという。「人 の話が聞きづらいこともあるし、自分の言っていることが分からなくなるときもある。ほぼ 毎日、ぼうっとしている」と言った。そして、あまり授業に出てこない3
年生の男子が気に なっており、それで担任の先生に案を出して、その後先生に実行してもらっていると話した。困っている人に対して慰めの言葉をかけることがあると言うので、<A君は慰めの言葉をも らったことがあるの? >と聞くと、「ないです(大きな声で即答する)。まるっきりないです。
自分は仕方がないと思うから」と答え、「自分の気持ちを言わないように断ってきた」と語 気を強めて言った。そして、自分の怒りを出す環境がないこと、仕事から帰ってきた母親に 八つ当たりを受けると話した。母親からの八つ当たりとは、Aが部屋に逃げると罰が待って おり、一番重いのは家から追い出されることであるという。また、母親が怒鳴り散らしてい る時間は
2
時間から4
時間くらいであり、途中から意識がなくなって、何を言っているのか、分からなくなると話した。「自分から逃げちゃいけないと思う。そうしないと学校にも行け ない。立ちなおれないで学校に行けなかったら、また罰が待っている。家を追い出される」
と言い、「それは便利屋にもつながっている」と語った。
小考察:体調の悪化を訴えたAであった。学校内での便利屋の仕事がうまく行かず、常に考 え事をし、緊張と疲労で頭がオーバーフローをきたしている状態となり、注意機能の低下と 思考抑制が見られる。また、母親からの心理的虐待のエピソードと解離と思われる症状が語 られた。
(
3
)3
学期(#8
~#9
)#
8
(X+1
年1
月Y日)このセッションでは、Aの生活史が語られており、重要だと思われるので部分的に逐語録 を抜粋して、以下の通り示しておきたい。
Aは「昨日、早退した。寒気がして頭が痛くなった。今日も同じ調子だった」と言い、
<よく学校に来たね>と言うと「親から無理やり行けと言われた」と答えた。そして、「学 校に行きたくなかった。誰かにうつすかもしれないし。(途中省略)特別支援学級で横になっ ていたが、頭痛がひどくて眠れるどころじゃない」と話した。家にいるとずる休みをしてい ると言われるので登校したと言い、「どこかで親が見張っているんじゃないかと思う。トラ ウマになっている」と話す。<お母さんのことがトラウマになっているの? >と聞くと、
3
、4
歳の頃という当時の記憶の断片を以下のように語り始めた。Aの発言を示す「 」は省 略する。幼い記憶があって、家に誰一人いなかった。
3
、4
歳くらいの頃ですけど。家の外のつぼ の中に鍵があって、それを使って家の鍵をあけていた。家の前をクルマがけっこう走ってい て、クルマからひかれそうになった。それをよく覚えている。あまり、親とは一緒にいなかった。生まれた時から、病院にいたので。その辺にいる子ど ものような生活はしていませんね。
3
、4
歳の頃から一人で生活していた。おばあちゃんか らおにぎりの作り方を教えてもらって、おにぎりを作って食べていた。たまに借金取りが来 ていた。家族の誰かが借金をしていたみたいだった。毎日来るので、借金取りが家族だと思っ ていた。・・・母は夜になっても帰ってこない。母の帰りを待って、ある時、晩から朝まで一睡も せずに待っていて、それでも母が帰ってこない時があった。
(途中省略)病院にいたのは生まれつき熱性けいれんが起こりやすくて、その治療のため。
毎日のように点滴を打たれたのを覚えている。入院中、家族は誰一人こなかった。来ても、
医者か看護師。ずっと、病院にいたので、家族が何をしていたのか、知らなかった。
3
歳く らいで、おばあちゃんからおにぎりの作り方を教わった。正直いって、今も分からない言葉 がある。生きるための言葉、行動しか身につかなかった。幼稚園にいても言葉の意味が分か らなかった。その生活が小3
の頃まで続いたけれど、ある時母親が父親と一緒に暮らし始め た。1
日で荷物をまとめた。・・・その時は、荷物という言葉の意味も知らなかったですけど。言葉の意味が分かり始
めたのは小
5
の頃からですね。<どんな方法で言葉の意味を理解したの>
テレビですね。テレビは言葉をつないでくれるから。
・・・人と話していなかったので、会話をまとめるのが苦手。自分の考えを言うのが苦手。
小さい頃から話すほうより、聞くほうが多かった。それが楽だったので。
<小学校の頃、誰とも話さなかったの>
小中とか、俺に誰も近寄ってこなかった。陰が薄いんですよ。幼稚園の頃、一人で遊んで いた。小学校
1
年生の頃、学校には行かなかった。いや、行けなかったんですよ。苦痛でし たから。空間が違っていて、何をして良いのか分からなかった。小学校というものを知らなかった。
小
2
のときも続いた。丸1
年学校に行けなかった。一人で家にいた。途方にくれていた。何 が良いのか、何が悪いのか分からない。小3
のとき、始業式の日は行っていた。先生からと りあえず、学校に来いよと言われて、何か良いことがあるかもしれないと、それで行ってみ ようかと思った。とりあえず、言葉を集めたいというのもありましたね。(途中省略)
1
週間に1
日くらい登校していた。小4
の頃、1
週間に2
日行った。愛のない生活だった。今 は愛という言葉を知りましたが。小学校5
、6
年生からは、学校に行けと言われて行くよう になりましたが。いじめにもあって、何をいじめだというのか分からなかったから、放置し ていた。言葉の意味も分からなかった。・・・テレビと周りの人の話し方で理解した。小
6
でやっと普通の会話ができるようになっ た。それで中学はきつかった。毎日おにぎりを作って食べていた。よく、母親が自分のこと を棚にあげている。自分が育ててきたんだと。よく言うなあと思う。人に不幸になって欲し くない。人に頼るのが好きじゃない。自分も含めて誰かにすがるというのは出来なくなって いる。自分でもよくグレなかったなあと思う。そこは自分でもほめたい。弟は母にかわいが られている。それはちょっとうらやましい。自分がされていないことを弟はされている。別 にいいやと思いますが。どうしても自分と弟とを比較する。誰かすがる人がいるのはいいな あと思う。家族と一緒にいても、あまり家族という感じがしない。血のつながりを感じない。<お母さんってどんなイメージ>
近くにいる人、信頼できる人、身近で守ってくれる人。うちは真逆ですね。近くにいない、
信頼できない、身近で守ってくれない。友達も母親ってそういうイメージだよと言っている。
小考察:Aの生活史がA自身から語られた回であった。これらの言葉には、被虐待体験のエ ピソードと徴候が多岐にわたって現れている。その内、次の
5
点を指摘しておきたい。①
3
、4
歳の当時のエピソードについては、幼い子が一人で放置されており、致死事故が 生じても不思議ではない状況下に置かれていたことが推察できる。それにも係わらず、助け を求めて家族に訴えるエピソードは全く出てこない。これらを語るトーンは客観的で淡々と しており、感情を伴っていない点が印象的である。まるで荒涼とした誰もいない世界にただ一人立っている風景が描写されているかの如くである。これは、Aの原風景を思わせる。
② 「幼稚園にいても言葉の意味が分からなかった」とAは述懐しているが、これは祖母や 母親との言葉のやり取りがなく、言語刺激を受けられない結果、言葉が遅れてしまったのだ と推察される。発達障害が疑われても不思議ではないが、そのエピソードも語られていない。
これらのことから、言葉の遅さを家族にも心配されず、発達障害相談の履歴もないのだと想 像される。
③ 言葉の意味を理解した方法として、Aは「テレビは言葉をつないでくれるから」と言っ ている。これは、単語の辞書的な意味ではなく、言葉と言葉のつながりを学んだという意味 でとらえるべきだろう。言葉のつながりとは、単語と単語の相対的な関連性とその全体的な 意味解釈を司る文法を指している、と考えられる。人は、親とのやり取りで
2
語文あるいは3
語文といったように言語の発達過程でこの文法を獲得していく。Aはテレビからこの言語 構造の文法を獲得した、と考えられる。さらにこの言葉の遅れについては、被虐者として社 会的にもAは発見されず、他の成人との交流もなかったことが要因ではないかと考えられる。④ Aの「風邪」であるが、明らかに風邪の症状とそのつらさを語っているのに、「風邪を ひいた」と訴えていない。「誰かにうつすかも知れない」と風邪の本質を理解しているのに
「風邪」という言葉をAは使っていないのが不思議である。これは、Aがネグレクトされた 結果である。風邪という言葉、そしてその対処法を教えてもらっておらず、そのケアを受け ていないことの現れである、と想像できる。
⑤ 面接の最後にカウンセラーは母親イメージを問うている。その答えとして、先ず友人が 持つ母親イメージを返答している。これは、自分の持つ母親イメージではない。その逆であ る自分の母親とは、それを反射させて述べられたものである。彼が語った母親像は、客観的 に観察された母親であり、彼の心の中にいる「お母さん」ではないことが分かる。Aには母 親イメージが内在化されていないのである。では自己イメージはどうだったのだろう。これ についてはセッションの中では言及されなかったが、考察で検討したい。
以上の諸点は、いずれも重度のネグレクト状況の徴候が示されている。これらを判断して、
幼少期に家庭に誰もいなかった、というAの陳述は事実であったのだろう。
このような状況を生き残るために、彼は通常とは異なる心理発達を遂げてきたと言えよう。
#
9
(X年2
月Y日)とその後最後の面接となった#
9
では、高校に期待することはないが、何でもいいから、ボランティ アをやってみたいと話し、大学は哲学科に行ってみたいと言った。Aは3
学期に入って、高 校受験のためにほぼ毎日教室に入っているが、春休みに家にいるのは地獄と同じようなもの と語った。Aは中学を卒業後、自宅近くの県立高校に入学を果たした。卒業式にSCが出席すること はできなかったが、関係教員を経由してSCにAからの手紙が届いた。そこには、定期的に
SCに話しをしたことで気持ちが楽になったこと、そしてどんな時でもSCがAの話を聞い てくれてことが嬉しく、学校生活を頑張ることができたと記してあった。
III
.考察以上、小考察で述べてきた点をまとめると、Aには、次のような特異な心理発達過程が見 られる。
第一に、幼少期に「自分に鞭を打つ」という厳しい禁欲機制を課し、ストイックな成人の ように規範を既に内在化させている。
この点は、子が母に欲求の充足を求め満足を体験した上で我慢を覚えていく通常の幼少期 とは全く異なっている。この点で、Aには第一反抗期がなかったのではないか、と想像され る。
第二に、思春期に至っても、愛着に応答してくれることのなかった母親に対して、怒りの 表出がない。また同性・異性への親密性を希求することもなく、むしろ近づくことへの恐れ を抱いている。この点、第二反抗期である思春期心性が全く見られない。
いずれも、愛着関係を成立させて、脱愛着過程を経ていく心理発達過程とは全く異なるも ので、愛着関係を得ることの出来なかったAが一人で生き延びて獲得した心理的な機序によ るものだと考えられる。
以下、これらについて、あらためて考察を行う。
(
1
)愛着欲求の否認#
8
でAが語っているように、彼は生後間もない頃から母親との身体的な接触及び情緒的 な交流を得ることが出来なかった。愛着を求めても与えられず、それに代わる養護者もいな かった。この愛着欲求の充足は、心の発達のスタートから封じられていたことになる。愛着 行動への応答が得られなかったAは、早々にこれを無自覚のまま封印していったに違いない。そして愛着関係を求めないことが、心理的に生存する唯一の方法となったと考えられる。求 めても得られない葛藤から自分を防衛するためである。これを高橋(
2015
)は「愛着欲求 の否認」と説明している。そして「おばあちゃんからおにぎりの作り方を教えてもらって、おにぎりを作って食べて いた」(#
8
)というように、Aは人に頼ることや自分の欲求を家族に求めることをせずに、一人でやることが当たり前のようになっていった。
このようにAの心理発達のスタートラインは、愛着欲求の充足ではなく、充たされない愛 着欲求の否認である。それを維持して彼は成長した。
(
2
)「自分に鞭を打つ」厳しい禁欲規制の内在化この愛着欲求の否認を初めにして、Aは、「幼少期の頃から自分に鞭を打っていた」(#
2
)。そして人に依存せず全て自己責任で行動する、という厳しい規範が内在化されていったのだ と思われる。孤立無援の状況において生存するための唯一の在り方だったのだろう。
通常、子どもは生育過程で、母親のいいつけを守り、自分の欲求を我慢することを躾けら れる。いいつけを守ることができれば、母親に褒められ、安心と満足という報酬を与えられ て、子どもは我慢をおぼえていく。一時的に、自分の欲求は我慢を強いられ抑えられるが、
その後に安心と満足が得られると、それが我慢の動機になる。しかしながらAにはその報酬 である安心と満足は与えられていない。どんなことで感情が切れて爆発するか分からず、一 方的に振る舞う母親の元にいたAにあるのは、緊張と我慢だけである。
ネグレクトによる厳しい環境で生き延びるためには自らの欲求充足を禁ずる厳しい規範が 必要であり、これに従えないと自分自身の生存が脅かされることになる。愛着関係が不成立 の場合に、心理的生存のために必要となる心理的機序は、愛着欲求の否認を軸にして自己へ の厳しいストイシズムを作り上げることである。それをAの言葉が教えてくれている。
(
3
)「タネを残したくない」−交流の体験による葛藤と再抑圧中学校に進学した後は、「集団に入りにくい。会話を続けないと、気まずい感じがする」
といった理由で不登校状態となっていたAだった。だが、不登校の生徒が集まる相談学級 で
1
学年上の生徒との交流を持つことになり、生き生きとした感情を体験する「楽しさ」を 知ってしまった。「自分に鞭を打ち、欲求を抑圧する」ことを生き方の規範としたAにとっ て、他者との交流による「楽しさ」を実感することによって、自らの規範が守れなくなって しまう危機に直面することになった。やがて、Aの抑圧の崩壊の危機とその後の葛藤が生じ る。#2
の「これからもそうすると思う」「1
、2
週間前は、自分の名前すら忘れようとした」という発言には、葛藤に対処するために、「もう二度と自分を可愛がることはない」とより 厳しく自分に鞭を打とうとする、再抑圧による防衛の維持が見られる。小考察でも述べたが、
「タネ」とはAが体験したことのなかった他者との交流から得られた楽しい思い出である。
「タネを残したくない」心理は、楽しい体験を思い出すと今の自分が耐えられなくなるので、
タネを残さずに自分の生き方を全うしたいというAの苦しみであるとも言えよう。
「楽しい」と欲求充足をすると葛藤に直面する。この被虐児の心理は、欲求を充足出来な いと葛藤を感じる通常の心理発達を遂げている子どもと真逆である。
「女子が恐い」心理も、愛着欲求の否認が解け葛藤に直面する怖さであることは、小考察 で述べたとおりである。
(
4
)「便利屋」−他者へのケアテイキングを中心とする対人関係様式の確立#
5
と#6
では、学校で便利屋をやっているというエピソードが語られた。彼の言う便利 屋とは何だろうか、また何故そうなろうとするのだろうか。ここにも愛着関係を持てずに成 長した彼の心理的機序を見ることができる。便利屋とは、自分の欲求を抑えて、自分が便利な存在となって人の役に立つことである。
これは学校への通学を始め、学校集団の中で適応しようとして獲得した対人関係様式である。
中学まで級友とのつながりがなかったAは、孤立し、他者との関係の様式を学ぶことができ なかった。時折登校した教室という対人状況の中で、彼は必ずと言っていいほど途方にくれ ていた。しかし、普通学級の通級が始まって彼が取り始めた役割がこの便利屋であった。
被虐児は、孤立し、しばしばどこにも所属感を持てない。どの場所にあっても、「自分が そこにいてもいい」と感じることが出来ない。どこに行くのも無料で入場することに引け目 を感じ、入場するためには他者の期待に応える、という入場料を支払わなければならない感 覚を持っている。自分が生まれてきて良かったのかどうか、その疑問が根底にある。
恐らくAもそうだったのだろう。教室に入場するためには、便利屋として人の助けになる 仕事を全うすることが必要だったのだろう。ここにあるのは、自分の欲求を封じ、他人の役 に立つことで、自分の居場所が作られる心理である。しかしながらこれが果たせないと罪悪 感が生じ、そこにいることが出来なくなってしまう。そのような心理から、Aにとって便利 屋とは、学校集団に入るために身につけた極めて現実的な適応の様式なのである。
被虐待児が人や社会との関係性を保つのは、安心や楽しさがあるからではない。そこにあ るのは義務と責任だけなのである。便利屋とは、自分を抑え、仕事のように相手を助けよう とする役割であるが、それは自分を抑え、他者をケアテイキングしていく対人関係様式その ものである。
(
5
)対象としての母の不在−母子葛藤なき心理発達Aは中学
3
年にしてこのような対人関係様式を獲得しているが、これは思春期のものでは ない。それまで従ってきた親や社会の規範に対する反抗が思春期の特徴であるが、親や教師 への反抗や怒りは全く表明されていない。どこまでも自らの規範を守ろうとし、そこに成人 のような自責感を持っている。Aには思春期特有の母子葛藤が不在である。何故なら、母親との愛着関係というつながり が成立せず、母親像が内在化されていないからである。「瞼の母親」という、心の中で思い 浮かべられる「お母さん」が彼にはいない。言うなれば、彼にとって「近くにいない、信頼 できない、身近で守ってくれない」(#
9
)母親は、常に機嫌をうかがわねばならない「同居 人」のような存在である。エリクソン(
1950
)が乳児期の発達課題に「信頼対不信」を示しているように、子ども の精神発達において基本的信頼感の確立は自己形成の基層を成す要素である。ただし、エリクソンの指摘においても、愛着関係の成立を暗黙の前提としている点は留意する必要がある。
不信という感覚は、信頼を知っているから生まれる感覚である。この点、三島(
2005
)は、子どもとの情緒的な交流がなかった空疎な親との間には、「不信」という感覚ですら子ども には生じないと述べている。怒りという感情も同じである。#
7
で自分に八つ当たりをする 母親のエピソードについてAは語っているが、そこに思春期特有の親に対する怒りの感情は 見られなかった。相互性のない親子関係の間では、親は空疎な存在、信頼も不信もない存在 であって、怒りが生じることはない。対象の母親像が持てない時、自己像もまたあやふやで不確かなものになる。自分の気持ち や欲求を受け止めてもらえず、自分のものとして確認が出来ないからである。そこで今、自 分が何をしたいか、何をしたくないか、更に自分が何者か、その感覚に自信が持てないこと になる。
(
6
)底知れない孤立感対象の母親の不在によって生じる問題は、社会参加に対する不適応問題も招く。高橋
(
2013
)は、愛着の不成立によって、社会規範と感情の共有化ができず、子どもは社会共通 の心理基盤を持つことができないと指摘している。Aは小学校1
年生の頃、学校に行けなかっ たのは「空間が違っていて、何をして良いのか分からなかった」(#8
)と語っているが、こ れは「学校」という社会を共有出来ず、浮いてしまっていることを意味している。学校の空間から心理的に切り離された彼は、いじめを受けながら、それを「いじめ」とす ら認識出来なかったのである(#
8
)。以上、ただ一人、底知れない孤立無援感を抱えながらも、Aは厳しい課題を自分に課して、
心理発達と学校適応を果たしていった。それは幼児期から一足飛びに成人心理を遂げた過程 のように思える。しかしそれは、安心と安全を与えられず、独力で生き残る道のりでもあっ た。
A
は中学に至って、先輩との交流から楽しさを体験し、再びそれを抑えようとした。厳し い我慢を先に覚えたAにとって、この葛藤の解決が、その我慢を解いて安心と心地よさを自 分のものにする大事なステップになっていくだろうと思われる。IV
.Aに対するカウンセラーの応答のあり方と今後の課題(
1
)Aに対するカウンセラーの応答のあり方Aとの面接については、SCの勤務の形態上、月に
1
回という限られたものであったが、Aは自分の思いや考えをゆっくりと確かな口調でSCに語ってくれた。卒業時に、AがSC
に手紙を出したのは、Aにとって月に
1
回のカウンセリングがAの自己表現の支えになった のかもしれない。Aとの面接を通して、心理的虐待あるいはネグレクトを受けて育った子ど もへの心理的支援のあり方について、筆者の応答のあり方にも言及しながら、若干の意見を 述べてみたい。杉山(
2007
)は、被虐待児の中に明るさや人への信頼を失わない子どもの特徴として、「人 からのサポートを受け入れることができる」「記憶の断裂が比較的少ない」「衝動性が比較的 乏しい」ことをあげている。面接や学校内でのかかわりを通して感じた印象として、Aは自 己の洞察をする力があり、学習面では知的な能力も高かった。人生の早期において困難な体 験をしながら、自らの努力で環境に適応できる力を身につけた人であると言えよう。だが、その一方で、Aとの面接においては、「便利屋」の仕事の意味など、カウンセラー である筆者の側がAの心理的体験を十分に理解できず、彼の気持ちに沿っていけなくなって いる場面もあった。また、#
4
の母親から家を追い出されるエピソードなど、被虐待者は自 分の体験を語らないので、こういった場面においては、カウンセラーの能動性が発揮されね ばならない。#
8
で、Aは幼稚園に入っても、言葉の意味が分からずそれは小学校3
年生の頃まで続き、テレビを見ることで、物には名前があるのだと理解したと話したが、それは母親とのかかわ りを通して言葉を覚えていくと言う段階を踏むことができなかったゆえであった。養育者と の皮膚感覚による接触と情緒的交流が乏しいクライエントとのカウンセリングは、本人の感 情と言語が一致しにくいため、カウンセラーとクライエントの間で感情の表現を共有すると いった工夫も必要であろう。例えば、#
8
の風邪に関するエピソードなど、風邪という言葉 を教え、ケアが必要なことや体調管理の仕方を教えてあげることが必要である。本事例では そこまでには至らなかったが、喜びや嬉しさといったポジティブな場面にフォーカスを当て て、湧き上がった感覚や感情が言語化されるように介入することは、他者との相互交流を促 進し、ともにある体験を通して、クライエントの社会的存在感を強固にすることであるとも 言えよう。(
2
)今後の課題心理的虐待やネグレクトを生じさせる養育者の側には、どのような個別的な事情があるの だろうか。イワニエク(
2003
)は情緒的ネグレクトが生じる背景について、「親の不注意」「無 知」「憂うつな気分」「無秩序な生活態度」「貧困」「支援のモデルがない」ことをあげており、親の側の養育能力の在り方について言及をしている。既述したが、高橋ら(
2015
)も愛着 関係が成立しない理由として、更に具体的に母親の知的能力と養育能力との関連について説 明している。愛着関係が成立している「普通の」家庭では虐待は起きない。「普通でない」ファクターがあるので虐待は起きている、と高橋は続ける。その「普通でない」ファクター とは、子どもの情緒の読み取りと応答に対する養育者側の共感的能力の欠如である。
果たして、Aの母親の養育者としての共感的な対応はどうであったのだろうか。結果的に、
SCと母親とは一度も会う機会が得られなかった。SCの要請に母親が応じなかったからで ある。通常、不登校状態の子を持つ母親は、子の不登校に悩んで自ら来談するが、そのよう な心理は窺われない。また、幼少時の生活に関するAの陳述についても、不可解な点がある。
生後間もない頃から、熱性けいれんで長期に渡って入院生活をしていたとAは話しているが、
熱性けいれんによる年単位の入院生活は考えられにくい。Aがこのように思い込んでいる背 景には、母親が入院理由を気に留めず、Aにきちんと説明していなかったのか、あるいは母 親がそう思い込んでAに説明したのか、母親側に理由があるように思われる。そして「#
8
で入院中、家族は誰一人こなかった。来ても、医者か看護師。ずっと、病院にいたので、家 族が何をしていたのか、知らなかった」と語っているように、母親はAに近づかず、Aの情 緒は完全に見捨てられていた。ほとんどの場合、子どもの痛みや苦しみを共に分かち合おう とするのが母親の態度や行動だが、Aの発言にはそのような母親の姿はない。さらに、#7
の「母親からの八つ当たり」に見るように、現在の生活においても母親による心理的な虐待 がAに行われている。明確な評価はできないものの、Aの発言と体験を基に推察するならば、彼の幼少時のネグ レクトや#
4
で語られた事件、そして#7
の八つ当たりのエピソードなどから、母親の自覚 が薄く自分の視線だけで動く様子が浮かび上がってくる。ここに、母親の子への情緒の読み とりと共感性の問題が垣間見える。この点の見立てがSCにとってあいまいであって、実は この母親の見立てが虐待介入に欠かせないものである。Aの被虐待の特別な辛苦の理由が母 親の見立てにあるのである。残念ながらこれが社会的にも見逃され、言語の獲得の遅れ、長期不登校など更にAはハン ディキャップを負うことになってしまった。
被虐待児にとって、学校がいかに適応様式を獲得する場として重要なのか、この事例は雄 弁に物語っている。学校は被虐待児が発見されるのに、非常に重要な場所である。虐待の発 見は、その周囲の大人の責任でされなければならない。被虐待児本人から助けを求めるなど、
虐待の状況や事実を訴えることはないのである。そして、その兆候は通常の心理発達では捉 えきれず、正確な理解が求められる。
被虐待児(者)を誤解してしまう理由に、本人を取り巻く支援者や関係者が自分自身の体 験から問題の状況を理解してしまう点がある。つまり、自分の愛着関係を暗黙のうちに読み 込んでしまい、自分の感覚から被虐児を誤解してしまうのである。この点、愛着関係の有無 による感覚の違いもこの事例にはよく示されている。虐待問題を検討する際には、被虐待児
(者)と親との愛着関係について、的確な理解と評価が求められる。
<文献>
Bowlby, J. (1969) Attachment and Loss vol.1 Attachment. Hogarth Press.(黒田実郎・大羽蓁・岡田洋子・
黒田聖一訳 1991 母子関係の理論(1)愛着行動 岩崎学術出版)
Erikson EH (1950): CHILDHOOD AND SOCIETY. W.W. Norton & Company. 仁科弥生(訳)(1977):
幼児期と社会Ⅰ・Ⅱ みすず書房
三島正英(2005)ネグレクトの行方.山口県立大学社会福祉学部紀要,11,71-79 杉山登志郎(2007)子ども虐待という第四の発達障害.学研.
高橋和巳・野口洋一(2013)カウンセリングセミナー講義テキスト.HCM事務局.
高橋和巳・野口洋一・箱崎幸恵(2015)児童虐待防止-支援者のためのケースワーク・家カウンセリ ングガイドブック.児童虐待防止支援者のための講座事務局.
奥山眞紀子(2000)児童虐待と心のケア.母子保健情報,42,74-81.恩賜財団母子愛育会.
Iwaniec, D. (1995) The Emotionally abused and Neglected Child 1995 New York, Willey(桐野由美子監 訳 麻生久実訳 2003 情緒的虐待/ネグレクトを受けた子ども 明石書店)