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フランス南部の「低開発地域」(1) 一資本の地理的起源と地域−

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(1)

フランス南部の「低開発地域」(1)  

一資本の地理的起源と地域−  

石 原 照 敏  

Ⅰほ.じめ甘こ   

フランスにおける地域経済の樽異性は,単に−・都市地域への人口集中という   点にあるのでほ.ない。−・都市地域への人口集中という点であれば,1955年に・,  

ロンドン・コナ・−ペー  ジョバ/ほ,イギリス人口の16%,1954年パリ・アグロ.メ   ラレオンほ,フランス人口の15%を占めていて,両国間に異なるところほ.ない◇  

しカ?し,都市人口分布の地域間バランスという点に・なるとフランスの地域経   済は特異な様相を示すことになる。実際,ただ1つの巨大都市しか,一周内部   に存在せず,ただ1つの巨大都市に.のみ,その国の他の諸都市とは都市人口規   模の格段の階層差をもって人口集中の顕著に進んだ国は,少なくともフランス  

と比較すべき,発展した資本主義工業国を問題とする限り,このような国はフ   ランス以外にほ存在しない。つまり,フランス地域経済の特異性ほ経済の地域   間バランスにおいて,冠絶した巨大都市パリ・アグロメラシオンとその他の地  

(1) 方領域との問での断層の激しさということである。以上は,「フランスに・おける  

エ業立地と地域経済」において,フランスにおける地域経済の特異性を研究し   た結果,筆者が得た結論である。   

本稿の課題ほ,前掲の「フランスにおける工業立地と地域経済」においては   はとんど研究されなかった,フランスにおける地域経済の樽異性の実態的内容   とその形成要因を,フランス国内の「低開発地域」に焦点をあてながら考察す   ることである。そのためには.,冠絶した巨大都市バリ・アグロメラシオンとは   対照的に,極端に工業化されていないか,あるいほ工業の衰えた南・西半分の  

(1)拙稿「フランスにおける工業立地と地域経済」『香川大学経済論鼠』籍39巻第3号,   

1966年8月,24−25ぺ−ジ。   

(2)

寛45巻 策5・6号  

_一 2 −   608  

低地諸地域や,一部に工業化が進みながらも農業すら衰退している地方の多い   山地諸地域を問題にせざるをえなくなるであろう。われわれ咋,このような地   域のうち,山地諸地域の1こっの事例研究として,経済的に衰退している山間地   帯の経済的復興がさし迫った今日的課題となっているアルプス地域の経済的隆   格を,パリのような経済発展の「極」地域との関係に・おいて,かつて考察した  

(2)  

ことがある。今回は,南・西諸地域のう ら,南部の低ラングドック(Bas・  

Languedoc)を事例として,低地ではあるが,パリという経済発展の、「極」地   域からみて,いわば辺境地方におかれた低ラングドックの経済社会的実態とそ   の形成要因を明らかに.するこ.とを通じて,前述した課題に接近していきたい。  

なお,事例研究として,低ラングドックをとりあげたのは次の理由軋よるもの   である。低ラングドックほ,その経済がブドウ耕作によって支配されて:いる ̄地   域であるが,こ.こでは地域経済構造ほ萎縮し,低ラングドック全体に・影響力を  

もった独白の工選地域すら形成されでおらず,工業の構造的不均衡は益々激化   し,萎縮した小企実の破産とともに・,労働者の解雇と移出が生じ,経済社会的   な危機状態におかれているので,「低開発地域」とは低位工業「地域」であるとい  

うフランス「■低開発地域」の特徴をよく示していると考えられるからである。   

との研究ほ,1つの事例研究にすぎないものではあるが,われわれはこのよ   うな事例研究を積み重ねることを通じて,フランスにおける地域経済の特異性   の実態的内容とその形鼠要因とを,同国内の「低開発地域」に・焦点をあてて,  

地域的多様性において明らかにし,地域類型を設定せんとするものである。さ  

(8) らに,われわれは,わが国の地域経済に関して同様な研究をさらに深めたうえ  

で,発達した資本主義国でほあるが,後発的な資本主義国であるが故に,国内   の−・部の地域を先発資本主義国なみに発展させることに・よって先発資本主義国   と市場競争において対抗せざるをえず,それ故に・また国内に「低開発地域」を  

(2)拙稿「アルプス痙済の地域的性格」『人文地理』第17巻第3号,1965年6月,225   247ぺ一汐。  

(3)筆者がこれまで行なってきた,わが国の酪農地域に関する研究は,このような研究  

の−・環をなすものである。   

(3)

フランス南部の「低開発地域」(1)   ー 3 −   609  

のこさざるをえなかった,フランスや日本などのような後発資本主義国におけ  

(4) る地域経済の形成のあり方を,先発資本主義国であったが故に,国内諸地域の  

間で比較的均衡のとれた地域経済の形成をみた,イギリスのような先発資本主  

(5) 義国の地域経済の形成のあり方と比較検討することを通じて,いわば地域類型  

的な法則を定立することができないかどうかを換討しなけれほならないであろ   う。本稿はこのような研究の−・里塚ともいうべきものである。  

ⅠⅠ資本の地理的起源と地域    1 生活様式と資本   

生活様式概念は,地域の実態を把握しうる概念として,少なくとも過去に‥お   いては大きな役割を果たしてきたが,今日でも十分に有効であろうか。低ラン   グドックの実態もこの概念をよりどころとして把握されて−きたという実績があ   るだけに,この点について検討しておくことが望ましいように思われる。   

周知のように・,フランス地理学派のいう生活様式(Genre de vie)概念は,  

VidaldelaBlache(グィダル・ドゥ・ラ・プラ−Vユ)以来の地理学者達に  よって育てあげられてきたが,この概念ほ.,VidaldelaBlacheによっですら   明確に規定されているわけではない。生活様式とほ「人間が外囲の自然の申か  

らとった材や要素の助けをかりて創造した,人間の生存を保証する何等かの方  

(6)  

法的なもの」であり;諸々の道具の組み合わせ(Combinaison d,instr・uments),  

栄養手段(Moyens de nourriture),居住(Habitation),習慣(Habitudes)の  

(7)  

ようなものである。なお,地理学者は,人類集団に.かかわるものとしてしかこ  

(4)このことはフランスにおける地域経済の形成のあり方とわが国におけるそれとを同    一偲することを意味するものでほない。  

(5)United Kingdomでは,地域間および都市・農村間の所得格差は尭常に小さ小。A 

E..HolmanS,〟Inter−RegionalI)ifferencesin Levels ofIncome:AIe There    Twonations,or One?〃,Pabers on Regi onalDevelobmeni,0Ⅹford,1965,pp.  

1−19 

(6)Vidaldela Blache,Princibe.s de G60grabhie Humaine,Paris,1921,pp.  

115−116 

(7)Vidaldela Blache,Op.Cit。,pp.115−116,pp 133−148.   

(4)

第45巻 第5・6一号   610  

・− 4 −  

の概念を使わないことを明記しておくべきであろう。  

このような生活様式概念ほ,特定の人類集団が必要とする生活資料が,その   集団によって供給されるというような,いわば自得的・閉鎖的で,社会的・労   働的分化も認められない原初的な人類集団の研究には,地理的に・みて,きわめ  

(8)  

て有効な概念であったとみなされている。われわれもまた特定の生活様式のひ   ろがる亀囲が,1つの地域であったという意味でも,この生活様式概念を評価   するものである。   

だが,Vidaldela Blacheがすでに認めて−いたように,「あるいほ,外部から   の圧力の下で,あるいほ経済的な諸条件の発展によって,特定の生活様式をも  

(9) った,堅固に構成された社会を変えた本質的変化が起った」状態の下で,われ  

われは,地域の実態を生活様式概念でもって十分に把握しうるであろうか。  

Vidaldela Blacheさえも,「世界市場の影響の下に.,工業的・都市的な生活が   農業的・農村的な生活を犠牲にして発達しつつあることや」,「その結果とし  

て,耕作方法のみならず,社会関係,出生率,家族的紐帯,食物摂取などにお  

(10)  

いても変化が生じている」のをみれば,生活様式の執拗な抵抗はみられないと   判断することができることを指摘するとともに,これらの事実に感動させられ,  

(11)  

しばしば不安に陥れられるといっているのである。Vidaldela Blacheはこの   ような変化に.きわめて敏感に対応し,人類社会の研究において−ほ,生活様式の   諸々の変種とか残存という事実をつねに掛酌しなければならないと述べている   だけでなく,古い生活様式の傍らに出現した別の「生活形式」(For■me devie)  

(12)  

に.も注意「を怠っていない。  

(8)P.George, Systらmes d,Organisationf:conomiqueetSocialeetPopulation ,   助か肌知dね柁∂エ,戯加わG伽都・α♪鬼才α録βdeJ〃P〃♪〟Jαf∠〃〝ゐ脇〝dβ,Paris,1951,  

pp.69J77∴MDerruau,以La Notion deGenre、de Vie:Expos6 et Critique ,   

」Ⅵ㍑勃紺闇jり・∂c∠.ざdβG∂〃gグ・句舛琉2月加陥扇〝¢,PaI・is,1969,pp−11ト117.  

(9)VidaldelaBlache,Op.Cit・,p206 

(10)Vidaldela Blache、Op.Cit ,p 206 

(11)Vidaldela Blache,Op.Citl,p206 

(12)Vidaidela Blache,Op.Ci亡,P.207 

(5)

フランス南部の「低開発地域」(1)  

611    ー ∂ 一   

このように,特定の生活様式の支配的であった領域の中に,部分的にせよ,  

全体的にせよ,]二業的・都市的な「生活形式」が出現してくれほ,特定の生活   様式のひろがりの範囲が1つの地域をもなすという原初的な状態が崩壊したの  

も決して偶然でほないし,このような状態の下では,いわゆる生酒様式概念   は,地域の実態を把捉しうる概念としては,次第に有効性を失ってきたのも十  

(13)  

分に.理由があると筆者は考える。   

それならば,地域の実態を有効に把握しうる概念として,いかなる概念が構   成されるべきなのであろうか。われわれほ,VidaldelaBl?Cheが指摘した  

「生活形式」の延長線上において,この点を模索してみたいのである。Vidal   dela Blacheは「生活形式」の意味内容を明確に規定しているわけでほない  

ので,簡単に・断定するわけにはいかないが,それにもかかわらず,ここで明確   にする必要があるのほ,前述したいわゆる「生活様式」とほ異なる意味での  

「生活形式」の意味内容である(ここでは「様式」とかi「形式」に含まれてい   る言語学上の意味を問題にしているのでほ.ない)。VidaldelaBlacheは,こ.の   点について,ある程度の暗示を与えている。それは,VidaldelaBlacheの次   のような言葉から読みとれる。「文明の進歩とともに勝ち誇ってくるもの,発展  

してくるものほ,元来は自然と人間との協同から生まれたものではあるが,環  

(14)  

境の直接的影響から益々解放された社会集団の形態(Modes)である」。Vidal   dela Blacheの,このような言葉の意味を深く洞察するならば,いわゆる生活   様式が,ロー・カルな環境の直接的な影響の下Ⅶ・形成された,人間の生存を保証   する「何等かの方法的なもの」であるのに・対して,「生活形式」は,ロ−カルな   環境の直接的影響から解放されて−はいるが,なおかつ人間と環境との間にあっ  

て,「■世界市場の影響の下に」「経済的諸条件の発展の結果として」形成された,  

人間の生存を保証する「何等かの方法的なもの」と言う ことができるであろ  

(13)しかし,「生活様式概念は,今日では,歴史的−・要因としてのみ考察されなければな   らない」というYLユCOSteの考え方(Y.Lacoste,山Perspectives delaG畠ogIabhie  

Active enPaysSous・Developp6, La Glographie Active,Paris,1964,p=49.)  

にほ若干の問題がある。  

(14)Vidaldela Blache,OpCit一,p.115   

(6)

第45巻寛5・6葛  

_ 6 _    612  

う。言うまでもなく,この「生活形式」なるものの先端に.あるのは,工業的・  

都市的な「生活形式」であろうが,このことはローカルな環境の直接的影響か   ら益々解放されつつある農業的・農村的な「生活形式」の存在を否定するこ.と   に.ほならないであろう。さらに,現代における地域生活(Vie r畠gionale)を   深く吟味し,ロー・カルな環境の直接的影響から解放されてはいるが,なおかつ   人間と環境との間にあって,「世界市場の影響の下に」「経済諸条件の発展の結   果」として形成された,人間の生存を保証する「何等かの方法的」なものが,  

資本によって髄嘩されているものとすれば,地域概念の中に,貨幣資本をも含   めて,資本概念を導入することが不可欠のものとなってくるであろう。従来,  

地理学的研究でほ,展観的・可視的な要素が重視され,非可視的な要素が無視   されていたにもかかわらず,1955年に・発表された忘J.Labasse(ラパス)の「負  

\15) 本と地域」に.関する研究で,「地域生活」概念の申に.資本概念が導入されるよう  

になったのはこのような事情に・基づくものである。この大著で,J.Labasseは  

「空間の−・定の部分における貨幣のフローの起源と結果は−・定の地理的価値を  

(16)  

もっている」と述べているが,資本の地理的起源と地域に・関する,J.Labasseの   このような考え方と,生酒様式概念の有効性を批判したうえで,それ軋代わるも  

(17)  

のとして構成された,P.Geo工ge(iyヨルジュ)の「経済社会組織」(Organisation   宜conomique et Sociale)なる考え方とが,いわば統合されていると考えられ  

(18)  

るのが,M.Rochefor′t(ロミ/コ.ホ−ル)のエ美的な「活動殖絨」(0ェganisation  

(19)  

d,activit6)とか,R.訂ugrand(デュグラン)の工業的な「生活組織」(Organisation   devie)という概念である。ここでは,明らかに,「地域生活」概念の中に「工   業資本」概念が導入され,工業資本に・よって組織された「地域生活」が問題に   なっ」ているだけでなく,資本の地域的集中の傾向に照応しで,資本の地理的起   源との関係において−,「地域生活」jが問題になっているのである。それでは,次  

(15)J。Labasse,L,eS CaPitaux eiLa R6gion,Paris,1955,pp.1−532.  

(16)J..Labasse,OpCitい,p.2 

(17)PGeorge,Op,Citり,pp.69−77  

(18)MRochefoIt,L,Organisation Urbaine de L,AIsace,Paris,1960,pp.2ト74 

(19)R.Dugrand,VilleSret CampagneS enBas−Languedoc,Paris,1963,pp.3−84.   

(7)

フランス南部の「低開発地域」(1)   − 7 一   613  

に.,M.RochefoI■tの,エ美的な「生活観織」概念の中核的部分ともいえる資   本の地理的起源と地域に.関する概念について−・瞥してみよう。   

2 資本の地理的起源と地域   

M.Rochefo工tほ,アルザスの都市軸織を分析することに.よって−,金融資本   の発展の時期における資本の地理的起激と地域に関して考察している。政治的   にほ複雑な発展を示したが,古くから織物などの工業が発達していたアルザス   では,ロンドンやパリのような莫大な人口集積地たる巨大都市に統轄された都   市網状組織ほ.ないが,大都市,中都市,小都市などの都市階層秩序をもった,  

ストラスプー・ルの都市網状組織と,コルマール,ミュルーズなどの中都市の禍  

(20)  

状組織がある。M.Rochefortによると,19世紀後半以降の経済的集積  

(Concentration畠conomique)は,大都市を出現させるとともに,その単位が   もはや都市ではなく,地域網であるところの階層化された都市の骨組をつくり  

(21) 出したのであり,大都市は,その銀行家,実業家,商人によって,地域の全活  

動の操縦梓を握っているのであり,それ故にまた,大都市によって構成された   地域網(地域都市網)は,それ自身,自律的な(Autonome)機構をあらわし,  

(22)  

地域区分の骨組の基礎となったのである。このように,大都市によって構成さ   れた地域網(地域都市網)が,それ自身,自律的な機構をあらわし,地域区分   の骨組の基礎となっていたのは,地域の仝議動を操縦する強力な管理機構が大   都市に存在していたことに根拠をおいていたとM・Rochefortはみているので   ある。この′ような,大都市に・よって構成された都市網の自律性の確立は,小都   市がもは.や仲紘他にしかすぎなくなるような配給組織のために,小工場の衰退   や職人・小商人の没落とともに,小都市の伝統的な機能が作用し終えたことを  

(23)  

意味するものである。   

ところが,鉄道の時期に形成された,こ・のような都市網を修正する動きが,  

(20)MRochefort,OpCitり,ppl129−138 

(21)M,Rochefort,OpCit ,p337 

(22)M.Rochefort・,OpCit,pp2】L3−214,pl341  

(23)M‖RochefoIt,OpCit ,p・213 

(8)

算45巻 鱒5・6号  

一一 8 一−   614  

20世紀になって現われてくるのである。1929−31年の恐慌を契機として進展し   た金融的集積が,銀行の地方分立主義(R6gionalisme bancaire)を失わせたか  

らである。地方銀行ほ全国的な銀行に席を譲り,地域の富の−・部が他の地域に   投資されているのに.,工業的な企業ほ外来資本(Capitaux ext6rieurs)にその   門戸を開いたのである。要するに,経済的なイニシアチブが,大銀行の本店や  

(24)  

大トラストの代理店を集積しているパリに留保される傾向があるといえる。こ   の時期には,恐慌にもかかわらず,エ業発展に関する種々の試みがなされ,小   都市に.ほ,若干のダイナミ.ックな要素がもたらされた。このダイナ・ミックな要   素は,小都市のプル汐ヨアジ−の自立性回復の努力でほなく,小都市への外来  

(25)  

資本の工場の立地であった。1920年以来,アルゲスに・分散立地した,いろいろ   の新しい工場ほ.,益々,国際的な大資本に従属している。アルザスのエ業化   が,固有の家族資本主義に・依存していたことは事実であるが,1929−31年と   1951−52年に.おける織物工業の恐慌ほ,アルザスの大家族をして−外来資本と協  

(26)  

定を結ぶことを余儀なくせしめたのである。かくして,地域網(地域都市網)  

は.,その自律性をうしない,国家あるいは大トラストによって構成された,し、  

っそう広大な単位に従属することになったのである。  

・そ・れでは,自律性をうしなった地域網(地域都市網)は,地域概念の基礎とし   てとどまっているのであろうか。前述したようにM.Rochefortが,地域概念   の基礎ほ,地域網(地域都市網)であるといったのは,地域網(地域都市綱)  

それ自体が,固有のブルジョアジーとその管理機構の存在によって自律的な掛   構をあらわしていたからである。とこ・ろが,地方銀行が全国銀行に席を譲り,  

地方の家族資永主義がパ.りの大トラストにイニシアチブを奪われるようになれ   ば,M.Rochefortのいう自律的機構は崩壊せざるをえない。そこで,M.  

Rochefo工 tは,地域網(地域都市細)が,いまなお地域概念の基礎そのものとして   とどまっているかどうかを自問自答せざるをえなくなり,地域綱(地域都市  

(24)MRochefort,Op.Cit,p.341..  

(25)M.Rochefort,OpCit,pp 213N214.  

(26)M Rochefo工t,Op.Cit,p.54,pP238−239   

(9)

・・−タ・・−  

フランス南部の「低開発地域」(1)   

615  

網)の自律性がうしなわれた段階において,なおかつ,それが地域概念の基礎   であることを主張するために,輸送・配給組織の現状の下では,都市網(地域   都市綱)は,いまなお,地域生活に不可欠の技術的骨組を構成し,地域概念の  

(27)  

基礎そのものとしてとどまっているように.みえるというのである。   

以上で,われわれほ.M.Rocbe壬0It のいう資本の地理的起源と地域に関す   る概念紅ついて−L暫したが,次に,M.Rochefort の概念が,現代の地域の実   態を把握するために,いかなる意味で有効であるか匡ンついて,簡単に,私見を   述べてみよう。現代の諸地域は.,空間的に,相互に関係のない状態の下で並存  

しているのではない。空間的に.並.存した諸地域は,相互に,支配・従属の関係   におかれているのである。例えば,フランスの諸地域は,パリのように,大銀   行や大トラストの管理機能が集積し,経済的イ 

配■地域と,経済的イニレアチ・プをうしなって,単なる工場しか存在せず,都市   舶(地域都市鍋)が構成する技術的骨組によって,かろうじて「亀城生温」の   結節性を維持して−いる従属地域へと,いわば両極分解をとげたといえるのでは   なかろうか。この両極分解を主導したのは,支配地域に.集中した資本である。  

とすれほ,このような地域の実態を把握するためには,前述した資本の地理的   起源と地域に.関する概念はきわめて有効であるといえよう。  

ⅠⅠ!低ラングドックの経済社会的実態   

前述したように,本稿の課題ほ.,パリ という経済発展の「■極」地域から魂   て,いわば辺境地方に‥おかれた低ラングドックの経済社会的実態とその形成要   因を明らかにすることを通じて,フランスにおける地域経済の特異性の実態的   内容とその形成要因を考察するこ.とであった。このような課邁に接近するため   の地域概念の換討は一応これで終わり,本節では,M.Rochefo工・tと相互に交   流の機会をもちながら,同氏の資本の地理的起源と地域に関する概念と基本的   には類似した概念をよりどころに・して,低ラングドックの経済社会的実態を分   析したR.Dug王■andの実証的な研究を経済地理学的に検討してみよう。  

(27)MRochefort,OP.Citハ,pp。340−341.   

(10)

簿45巻 籍5・6号  

−JO −−   616   

1 低ラングドックの経済社会的特徴  

低ラングドックほ,アルザスとは異なり,「地域首府」も欠如し,都市網の整備   もおくれているが,この地方のブルジョアジー・も,19世紀の中葉までほ,炭   鉱,製塩所,ランヤ工場,頑布・靴下・編物類製造工場の所有者であり,取引  

(飽)  

を推進し,地方銀行を配置していた。そ・して,これらのプル汐ヨアジ−・ほ.また   地主でもあった。ところが,19世紀の後単になって,フランスの他の地域のブ   ルジョアジ−は土地財産を解体したのに,低ラングドックの諸都市のブルジョ   アジー・ほ土地所有を強化し,世界的に著名な大ブドウ栽培地の創設へと寄与し  

(29)  

たとR.Dug柑ndは述べている。他方では,同時期に設立されたフランス北   部の大工業・金融グループの攻勢があらわれ,それらとの競争によって,低ラ  

(80)  

ソグドックの工業ほ廃れ,人口の流出がほじまったのである。   

実際,フランスのノ−ル,アルザス,リヨンなどでは,工業化と都市化とが   相伴って発展しているのに,低ラングドックでは,都市化とエ業化とが完全に  帝離しているが,これは工業化がおくれ,経済構造が不均衡であることを示し  

ている。こ.のような工業構造ほ.,R.Dugrandの案出したInqicede structure,  

およびIndice quantitatifによって,よりよく把握することができる。   

2 低ラングドックの工業構造   

R.Dugrandに,よると,Indicede structure,およぴIndice quantitatifほ  

(81)  

次のようにして計算されている。  

A=地域の部門別工業就業人口   B=地域の総工業就業人口   C=全国の部門別工業就業人口   D=全国の総工業就業人口  

とすると,Indicedestructureは,撃と雪芦の差であり,こ・の差がプ  

(28)R‖ Dugrand,Op。Cit.,pp372−387,pl548 

(29)RDug工■and,Op.Cit,p‥539 

(30)R.ノDugI−and,Op‖Cit小,pp。548−549 

(31)RDugrand,OpCit,p。5,p.587 

(11)

フランス南部の「低開発地域」(1)   一一JJ−  

617  

ラスであって,差が大きければ大きいはど,地域的局面においては,当該工業   部門ほ他のエ業部門とくらぺて息要な地位を占めていることに・なる。他方,  

Indicequantitatifはヂであって,この数字が旦欝を上廻るすべての   旦  工業部門は,全国的局面においては,他のエ業部門とくらぺて重要な地位を占   めているこ.とにLなる。低ラングドックのIndice de structure,およびIndice   quantitatifは,第1表のようになり,低ラングドックでほ,地域的局面にIお  

第1表  就 業 人 口  

A 賢哲 c   CxlOOEIndice de  

Indice quantitatif  

1電気・ガス・水道   2 石   油   3 石   炭   4 ポー・キサイト  

+ 06%  

+13  

+15り2  

+ 0.7  

−19   134,960   

28,440    269,200    113,940    194,260    734,100    47,100    129,600   1,357,180   

316,120    541,780    631,720    457,300    239,440    237,580   102,840    169,140   135,980   6,840,600  

1い7%  

5.5  

6い4  

1.8  

0い4  

0,6  

0‖8  

1い2  

16   0.、9   1.6   10   11   1.1   0.9   04   0,9   06  

253一131  

ー 03  

− 01  

+ 4.3  

−1,7  

+ 2..0  

−・23  

− 0.7  

− 0い6  

−11   

−11  

−07  

−10   7 カ  ラ  ス  

8 陶   器   9 建築・公共事業   10 化 学 工 業  

11食 料  品  

12 織   物   13 衣   服   14 毛 皮・皮   15 木材・家具   16   紙   17 印   刷   18 そ  の  他   

合   計  

0 7  

18   19 8 

48   79   9,2  

6り6  

35  

3い4  

1.5  

2い4   1い9  

 ̄ 

l  

Bx10000 

D   =1.6%  

(注)A=地域の部門別工業就業人口   B=地域の総工業就業人口   C=全国の部門別工業就業人口   D=全国の総工業就業人口   

IndicedestIuCture=AxlOO_旦竺i99  

B   D  

Ax10000  Indice quantitatif =   C  

(資料)R.DugIand,Villes et Campagnes en Bas−Languedoc,PaIis,1963.pい587.   

(12)

第45巻 寛5・6号  

ー−J2 −   618  

いては,石炭が他の工業部門とくらべて重要な地位を占めていることになり,  

全国的局面においては.,石炭や石油が他のエ業部門とくらべて重要な地位を占   めていることになるのに,金属加工,化学工業などをはじめはとんどの工業  

(82)  

が,貧血状態におかれているこ・とがわかる。   

次に.,従業員規模別企業数をみると,従業員20人以下の企業が,低ラングド   ックの全企業の96%を占めて.おり,従業員200人以上の企業数ほ全企業数の0.3  

%(37企業)に・すぎない。R.DugIan4はフランス全体の従業員規模別企業   数と同じ構造をもつものと仮定して,低ラングドックの従業員規模別の数字を   静出しているが,これによると第2表のように・,低ラングドックが全国平均に  

籍 2 表  従業員規模別企業数  

企   業   数   低ラングド  

ックの従業  

員数  

従業員規模  

フランスi讐茅ン別院笑㌶(2)王(2卜(1)  

200人以上 姜  4,131   一十 19  

+ 30   十 50  

− 602   55   

176    336   11,142  

27,640   16,150   10,120   37,304   91,214    13,175  

25,201   835,543   50岬200  

20−50   20人以下  

合  計   878,050112,274  

(注)(1)低ラングドックにおける現在の企業数  

(2)フランスの従業員規模別企業数の割合と同じ割合をもつものと仮定した   場合の低ラングドックの従業員規模別企業数   

(資料)R.Dugrand,Vi11es etCampagnes en Bas・Languedoc,Paris,1963,p   589 

到達するためには,従業員20人以下の企業数がかなり減少しなければならず,  

(33)  

従業員20人以上の企業数が増加しなければならない。とのこ.とは逆にル、えば,  

現在,低ラングドックでほ,フランス全体とくらべて,200人以上,50」200   人,20−50人の企業数の全企業数に・対する割合が低いのに,20人以下の企業数   の全企業数に.対する割合が高く,従業員規模別にみて,企業構造が脆弱であ   ることを示しているものと考えられる。さら忙,従業員規模別賃労働者数を   みれは,先の弟2表のように・,地域労働者の約30%が従業員200人以上の企   

(32)R.Dug工 and,OpCit,pp・5−7 

(33)R.Dugrand,Op.Citl,p.8,pい589 

(13)

フランス南部の「低開発地域」(1)  

619    −エラ ー  

業によって占められていることと,従業員20人以下の小企業に,地域労働力の   約41%が属していることとは,多数の小企業と少数の大企業とへの労働力の  

「集中」,つまり生産部門の内部的不均衡を如実に示し七いる。これはフランス   石炭公社,石油会社,セメント会社,および造船所などのような大企業が,国   家の補助金によってつねに支えられて−いるのに対して,織物,機械,化学,食   料品などの地域工業は零細で萎縮していることを意味してこいる。工業の2つの   顔ともいうべき,低ラングドックの工業の,このような構造的不均衡は,第2   次大戦後,益々激化し,零細で萎縮した小企業の破産とともに.,労働力の解雇  

(34)  

と移出が生じて「いる。   

それでほ,このような低ラングドックの工業構造ほどのように.変容しつつあ   るのだろうか。フランス全体の工業人口が1946年から1954年までに14%の増加   をみたのに,低ラングドックの工業人口ほ0.5%しか増加しなかった。これを   部門別に.みると,エネルギーや鉱山などの基礎工業と,造船や建築材料などの   工業ほ従業員数が増加したのに対して,金属,織物,木材製紙などの工業は生産   の退化と従業員の減少を示している。前者ほフロンディナソ椿油所(Raffinef■ie   de Frontignan)の設立,セヴュンヌ炭鉱(Houilleres)の近代化,バニョル  

(BagnoIs)の電気精錬のように.,低ラングドック以外からの融資紅起蘭をも   ち,後者ほせわめて,僅かな自己資金の投下に.依存している。第2次大戦後,  

試みられた工業分散化政策も偲ラングドックに対しては真の恩恵を与えてはい   ない。このように,低ラングドックの工業構造ほ,深い工業危機の存在をよく  

(3Bl  

示している。この危機は,織物工場,ビスケット類製造工場,樽工場,秤量器   具製造工場,亜鉛工場などの閉鋲や,多数の労働者の解雇とか,失業となって   現われている。1956年の省令によって決められた,フラソス全体で26のZones  

critiquesのうち,Bassin d,Al色s,Ganges−Le Vigan,Lodeve−B畠darieux,  

B色zieres,Montpellier−SeteのZonescritiquesが低ラングドックに存在し  

(34)R‖Dugrand,Op,Cit,pp。8−9,pp.465−535 

(35)R.Dugrand,OpCit.,pP.9−12,pp.387−402 

(14)

第45巻 第5・6号   620  

− ユーノ ー  

(36)  

ている。工業の危機状況は,階級斗争,人口移出,社会生活機魔の麻痺三 貴金   の減少による商業の衰退などを生ぜしめ,遂には都市の退化に.まで達する危険  

(37)  

がある。   

3 低ラングドックの工業の萎縮とフランス資本主義の発展   

低ラングドックの工業の萎縮はいったい何に起因するのであろうか。それほ   こ.の地方の開発可能性の凡傭さのせい紅することができるのであろうか。たし   かに.,開発可能性と現実の開発との問の不一・致が大きいことほ「低開発」の理   由を明確に.することを妨げている。この地方に・おける鉛,亜鉛,ボーキサイト,  

塩,石炭,水力などの原料・エネルギL一資源や,石油相製のために便利な海岸線の   存在ほ工業の発展に.とって有利な開発可能性を与えている。とくに,ポ−キサ   イトと塩は,低ラングドックの基本的な富ともいうべきものである。しかし,ボ   ーキサイトは低ラングドックでアルミナに製造されるのではなく,粗鉱のまま,  

アルプスやビレネ、−・に積み出されており,ここに問題があるのである。たしゾか   に.,多患の電力を要するアルミ.ニウムが電力産地であるアルプスやビレネ−・で   製造されるのは,立地上,合理的であるとして−も,アルミナ・製造のため紅必要   なソー・ダは,この地方の塩から役得されうるにもかかわらず,ポ−・キサイトか  

らアルミナへの製造が,何故に,低ラングドックでなされえないのだろうか。  

また,ロ−・ヌからオ、−・ドまでの沿岸地帯に並存している塩田は,1年に・約60万   トン,V3まりフランス製塩晶の3分の2を生産している。しかし,塩はSalindres   に・おける 

くと,大部分が低ラングドック以外の地方にある塩素のエ場に送られている。  

かくして,低ラングドックほ,ポ−ヰサイトの場合紅も,塩の場合にも,原料資源  

(38)  

の生産一地にとどまっているのである。エネルギ−・資源の分野でも,ローヌ河谷   の水力電気とフロンティナンの石油精製コンプレックスがある。ロ−ヌ河谷の   ValenceとBeaucaireの間に.,100億kwh以上の電力を供給するであろう8ケ所  

(36)R.Dugrand,OpいCit‖,pp‖12−16 

(37)R.Dugrand,Op・Cit・,pp・12一16,pp・542−556  

(38)R.Dugrand,Op.Citい,Pp」・16−19 

(15)

フランス南部の「低開発地域」(1)  

621    −J5−・  

(39)  

の水力発電所が建設されるであろうが,そのうちDonz畠reとMont61imarの2ケ  

所の水力発電所が完成し,30億kwh以上の電力を生産している。バニョ  ルに.お   ける工業センター・の発生ほ,この水力電気の開発と関係があるといえる。中東  

石油と化アフリカ石油を輸入して精製するフロンディナンの石油精製コンプレ   ックスほ,タンカーを容易に.到達させうるS如eの海岸線をもち,年100万トン   以上の石油を精製している。このようにみてくると,低ラングドックの工業   の,このような低さの原因を原料・エネルギー資源の不足のせいにすることは  

(40)  

到底できないであろう。   

しかし,このことは近代工業の発展のために.は,ポ−キサイトや塩のような   原材料,水力電気や石油のようなエネルギー資源が存在すれぼ十分であること   を何等意味するものでほない。低ラングドックほ,鉄鋼のように重患のある原   材料をロレ−ヌなどから移入するためには,距離・輸送費からみて有利でほな   かったことほたしかであろう。しかし,鉄鋼などの輸送費がかかることが,低   ラングドックの工業の低さをどの程度説明することになるのであろうか。低ラ   ングドックほ,ノール(NoId)やロレー・ヌ(Lor工・aine)とくらべて,原料・エ   ネルギー資源で劣るであろうが,アルザス,ツール−ズ,マルセイユ,リヨン   などとくらぺて,本来,エ業の発展に.とって−必要な条件を備えていなかったの  

(41)  

かどうかきわめて疑問に.なるのである。R.Dugrandは,低ラングドックの.1  業の低さは,原料・エネルギ一層源の不足のようなものに起因するのではな  

く,フランスの大化学工業であるPechineyの揺藍の地,Salindresがここに   存在し,Al畠sやBeaucaireの高炉が19世紀の終り紅,なお,ここで機能して   いたにもかかわらず,19世紀の後半に・なって,地域金融構造の萎縮がほ・じま   り,エ業が時代おくれの管理方法や近代的設備の欠如で苦しまざるをえなかっ  

(42)  

たことに起因すると述べて1いる。  

(39)1966年のフランス水力電気生産蒐は約517億kwhである。Ⅰ・N・S・E・E,Annuaire   Statistique dela France1968,p。215 

(40)R.Dugrand,OpCith,p,.19 

(41)R.Dugrand,OpCit.,pp.20−22 

(42)R.Dugrand,OpCit,ppい20−22,pp372−428 

(16)

輝45巻 寛5・6号   622   

− ヱ6 −  

西ヨーロッパ的な経済構造をもった諸国で,人間と環境との間に最も敏雄な   仕組みを確立したのは資本主義的関係である。1つの社会がその生活の骨組を   確立したのは投資によって:であり,融資の研究は地域工業のメカニズムを明示   することを可能にするとR.Dugrandは小うのである。R.D喝工′andは資本   のつながりの仕方を解明することこそ,呉の因果関係に到達することであり,  

工業の発展と構造の深い理由を理解することにつながると述べているのであ  

(43)  

る。R.Dugrandが,M.Rochefortとともに,資本の地理的起源と地域に潤   す・る概念を構成していることに・ついてほ,すでに前節で述べたが,ここでほ,  

この点K.関するR.Dugrandの特色に,ついて述べると,それはR.Dugrand   が,資本の貸付老をその工業的利用者とむすぴつける地理的と同時に技術的   な,金融的と同時軋社会学的な関係を正確把評価することが重要であることを   強調していることである。とりわけ,それほ軍・Dugr■andが,資本の貸付者が   その地方の起源であれば,地域成長の意向を表明することができるが,反対の   場合にほ,外来資本の投資ほ,地域外への利益の流出を招き,地域の利害と僅  

(44)  

かの関係しか持たないことを強調して:いることであろう。具体的にいえば,R.  

Dugr・andほ,外部から低ラングドックへの資本主義の影響は,どんな疑いも   なく,基本的な構造的所与であり,低ラングドックにおける生産は.,外部の   Rentabili縫に.しか従っていない。こ.れが低ラングドックの工業生産の萎縮を   説明するとR.DugI・andほ昂ているのである。R.DugIandは,この点につ   いて,基礎工業(大企業)に対する金融資本の独占と中小企業の地域金融構造   とに分けて−,外部支配の結果を考察している。  

(1)基礎工業(大企業)に.対する金融資本の独占   

低ラングドックには,石炭,ポーーキサイト,塩,電気冶金などの基礎工業が   あるが,ここでは,このような基礎工業に対する金融資本の独占にンついて考察   してみよう。  

①石炭1946年に・Al由にほ6つの石炭会社が存在していた。当時,  

(43)R,Dugrand,Op.Cit.,p 23,pp.403−428 

(44)R,Dugrand,Op.Cit,pp=24−25 

(17)

フランス南部の「 借間発地域」(1)   −J7 −   623  

Grand Combe石炭会社が採据鼠の約半分を占めていたが,この会社ほ,1900   年以来フランスの大資本家のコントロールの下にあり,こ.の会社の株,102,000   株のうち,1921年に100株以上を所有して1、る166の買手に40,000株が所有され,  

500株以上を所有した14の株主に約21,000株が所有されていた。そ・して,1921   年に,この会社碇.株式応募の申込をした株主の地理的分布は非常に暗示的であ   る。344人の株主に.よって引受けられた102,000殊についてみると,その3分の  

1がかろうじて牒』域ブルジョアジー・に.属しているにすぎず,その半分はマルセ    イユとパリの財界人によってコント ロ−ルされている。大銀行の代表は11,  

000株の応募申込みをしているRothscbildである。これらのことから,2つの   結論が生ずる。つまり,−・方では,会社の管理は,地域の監督から免れて\お  

り,他方でほ,低ラングドック人の個人投資は,自ら管理しえない会社に・は関   与しない。このような傾向ほ,低ラングドックにある他の石炭会社,つまりパ  

リの資本に依存しているd sss畠ges,リヨンの資本に依存しているRochebe11e,ノ   ールの資本に依存しているHouill由eS du Npr・dd,Al由,ローヌの資本に・依存   しているMines de La11e,グルノ−プルの資本に依存しているCessous et  

(45)  

Comberedondeなどの石炭会社の場合に.も認められるところである。  

㊥ボーキサイト #L−キサイトの鉱床は,Bauxite deFrance,Union  

desBauxites,Comptoird,extraction et de vente desbauxites,Bauxitedu   Midi,P畠chineyなどの大会社の所有物である。これらの会社は,Salindresと  

Marseilleの工場に,B畠darieux と Villeveyracの鉱石をおくるP6chiney と   Bauxites de Franceのよう紅,その固有の勘定で採掘しているわけであり,地   域ブルジョアジー一には,ポ∵キサイトに関与するどんな余地も残されてほいな   いのである。上記の,地域外の大会社の代表ほ,1928年に1300万フランの資本を  

(4¢)  

もっていたBauxitesdeFranceであり,これはパリの実業家の所有である。  

⑧塩 低ラングドック地方においては,硫酸からプラスティックまで,  

種々の生産物に不可欠の原料となる南部の塩田(Salins de Midi)はど資本主  

(45)R,Dugrand,0  

(46)R小DugIand,0  

9 4  

2 3  

■   13  

2 3  

p p  

p p  

︑        −  

▲し一t  

C C  

p p   

(18)

算45巻 第5・6号  

−Jβ −   624  

義的支配が重要性をもっているものはない。実際,ロー、ヌとオー・ドの間にある  

(47)  

南部の塩田(Salins de Midi)は,7つの会社のグル十ブの所有である。1889   年に,SalinsdeGiraudの支配人になったP6chiney礼は,現に.Salinierede   laCamargueをコントロ岬ルしている。Salins del,Audeのはとんどすべ  

てと,GardのSalins de LaMarelleはUgine社の所有地である。1年に.,  

20万トン以上の塩を生産している低ラングドックの4つの塩田は,Salins du   Midiet de piibouti社に依存しているが,同社の取締役会のメンバ.は,フ   ランス石油FranGaise des P6troles社,フランス・インドシナ銀行などをは   じめとする塩業会社以外の9つの会社の指導下に.ある。低ラングドックの塩田   は,この半世紀の間に,フランスの化学工業トラストや銀行などにコントロー  

(48) ルされるようになり,その支配の網の目の申に.組み込まれているのである。  

④電気冶金と石激化学 電気冶金業と石油化学工業は,低ラングドック   に最近立地した工業として注目すべきものである。電気冶金業は,ローヌ川の   水力エネルギ,(Donz如e−Mondragonの水力発電所)とMarcouleの原子力   発電所の建設に応じて,カ■−Iト・アルプス(Hautes−Alpes)の工業がBagnoIs  

(49) に進出してきたものである。これらの発電所の近二くに,いくつかの工場が設立  

されている。BagnoIsの近くのArdoiseにほ,Ugine社によっで電気冶金工  

業が設立されている。との工場ほ,ヨー・ロツパの中で最も近代的な工場の1、つ   であり,クロ−・ム鉄やステンレス・スチールを生産している。同じところに,  

KelleI・・Ldeux社ほ,同社のアルプスエ場を移転し,珪素鉄生産の専門工場を  

(47)この7つの会社は,独占の端緒となる参与販売会社(Une soci6t6 de、vente en   participation)を構成している。この7つの会社というのは,Salins duMidietde   

Djibouti,Compagnie saliniもIIe dela Camargue,SalinsduCaban,Sociるt6civi1e   duvillene11Ve et de Frontignan,Compagnie des salins dela M畠diterranるe,   

Salins del,ile Saint・Martin,およびSoci6t6m6ridionalesaliniさreである。との提   携の原理は単純であり,加入している各会社に,参与紅よってなされた購買申込みに   よって,一・定の販売割当額を定めながら,塩の市場を規制すること,つまり価格を維   持することである。R。Dugrand,Op‖Cit.,p..34 

(48)R.Dugrand,Op.Cit,pp.34・−36,ppn403−428 

(49)R〃Dugfand,Op,.Cit,,p.37 

(19)

フランス南部の「低開発地域」(1)   ーJ9−  

625  

(50) つくりあげた。   

石油化学工業は外国資本であり,その資本は外国起源のものである。フロン   ティナンに.ある石油精製.=.業ほ,ニュ.−・ヨーP9のStandard oilCo.の所有で   ある。硫酸と肥料を生産して:V、るBalarucエ場は,地域外のSaint・IGobainと   La Peyrade社の所有である。フロンディナソに.ある硫黄のエ場は,マルセイ  

(臥)  

ユ・の資本に.よるものである。   

このように,低ラングドックの基礎工業は,低ラングドック以外の資本に大   きく依存しているが,この点を従業員に∵ついてみると次のように.なる。従業員   200人以上の三大冶金工場が,いまなお土着の金融構造を有しているとしても,  

基礎工業に従事している約3万人の従業員のうち,約75%は低ラングドック以  

(62) 外の地域の人々の投資に依存しているのである。  

第 3 表  工業資本の地理的起源(1918−・1956)  

(資料)RnDugrand,Villes et Campagnes enBas−Languedoc,Paris,1963,p‖591.  

(50)P.Carr≧Ⅰe et R..Dugrand,LaR∂gionMuiierran畠enne,Paris,1967,p.78.  

(51)R、Dugrand,Oph Cit.,pp。38−39,ppい165−320 

(52)RいDugrand,Op.,Citい,ppり38−39.   

(20)

寛45巻 寛5・6号  

−20 −   626   

(2)中小企業の地域金融構造   

資本の地理的起源をみると,節3表のように,調査された697のエ場のうら   231,つまり34%が,1918年と1956年の間では,外来資本(Capitalex縫ri印r)  

に/依存している。50万フラン以上の資本をもつ大工場でほ,その42%が外来資本   に依存しているのに対して,50万フラン以下の資本をもつ中小工場では,その29  

%が外来資本に依存している。また,低ラングドックの質労働者20−100人の   エ場の場合,基礎工業を除いて,i着資本(Capitalautochtone)が284エ場   において18,000人の質労働者を雇僻しているのに対して,外来資本(Capital   exterieur)ほ142のエ場で,9,000人の賃労働者を雇傭している。低ラングドッ  

ク以外の地域からの支配ほ,特に活瀞に活動して1、る工業のうえに及んでいる   が,中小工業の場合に咋,基踏工業(大企業)のうえに・確立された,事実上の独   占に近い状態にまでは達していない。このことはエ業部門によって異なってお   り,公共事菜や沸立材料ユ蔑でほ20%であるが,化学工業や小冶金業でほ亜%  

位である。それほ化学工業に関する限り,蚤要な工場の3分の2以上に達して   おり,そ・の結果,低ラングドックの人々のコントロールの下に残っているのは  

し53、  

僅かの生産遍.でしかないのである。  

それでほ,次把,′外来資本が,低ラングドックの中小企業に・対していかなる   影響を及ぼしているかについて,外来大資本の影響の場合と,外来小資本の影   轡の場合とに分けて考察して−み.よう。  

、  

① 外来大資本と地域中小企業  

i   

外来大資本は,第1に生産の可能性を増加させるためでほなく,顧客を手町   人れるために,中小企業をコントロ−ルしている。例えば,マルセイ・ユ・硫黄剋   造工場(RaffineriesdusoufredeMarseille)と,P畠chiney社が1947〜49年   に,AtofixdeSeteのコントロ」−ルによって征服しようとしていたのほブド  

ウ栽培の市場である。また,最近,Me11Seのピ−ル醸造所がブドウ酒会社を  併合しながら警戒しているのほ,果物汐ユ・−スとの競争である。外来大資本は欝  

(53)R,Dugrand,Op.Cit,pp.41・−42 

(21)

フランス南部の「低開発地域」(1)  

627    −2J−  

2咋二.生産を継続するためだけではなく,それを拡張するために.適当な工場の併   合を行なう。この場合,しぼしば,水乎的特化(Sp6cialisation horizontale)  

にむかう外来の投資ほ,地域起源(0rigine r畠gional)の集積の試みに先行し   ている。例えば,1930年に,モンぺリエの南部化学生産会社(Compagnie   m6ridionale des produits chimiques)ほクールマン(Ⅹuhlman)社に・吸収合   併されるまえにUsine d Agde et de SainteHippolyteを吸収していE)ので   ある。外来の大資本ほ寛3に.単純な金融上の操作に符合するという型をとり,  

その場合,銀行の参与が最も数多いよ うに.みえる。ニ−∴ムの S.A.des  

produits chimiquesindustriels et viticoIs de Nimes ほ,1924年に,北ヨー   ロッパ銀行の支配をうけた。そ・して,同じくニームのConstruction m畠canique   du Ga工・dは,1920年に・,パリの3つの銀行のいいなりになったのである。ス  

イスの財界は,B畠ziefSの工業をコントロールしている。一方では,Millauの   Villa銀行ほ,B畠zieI・sの白探し草販売業にたえず参与している。最後に・,大   資本の最も顕著な傾向ほ,例えば地方工場を,あるいほ単純な生産工場に・,あ  

(84)  

るいほ.固有の特殊性をもった単なる仲買人にかえるこ.とである。   

以上のように.,外来大資本は,販売市場の確保,生産の集中,金融的支配な   どを通じて,地方.工場を単なる生産工場か,あるいは単なる仲買人に転化させ   てきたのである。かくして,低ラングドックは,大資本の集積地たるパリやリ   ヨンなどの従属地域に転化させられたとい.える。  

④ 外来小資本と地域中小企業   

仝フランスに源を発する小実業家や小資産家は,地域工業の金融にきわめて   活動的に参与している。彼等ほ.資本を提供しているが,一・般に企業を管理して  

ほいない。企業の管理は共同株主に委ねられている。このような小規模投資は,  

第1に純粋な報酬概念の結果としてというよりも社会的な条件の結果としてし   ばしば発生する。これは低ラングドックから移出した人々が,移住先から低ラ   ングドックの親や友人に援助したり,いつか故郷に帰ることを夢想しながら;  

(54)R‖Dugrand,Op.Cit。,pp‖42−44.   

(22)

第45巻 第5・6号   628  

一22一  

低ラングドックの企業に投資する小資本の問題である。つまり,これはマルセ   イ・ユやリヨンから,ユースやスイスから,  パりやアフリカから,地域工業の管   理に参与してこいる低ラングドック人の移住者速からの投資である。とのような   小規模投資の事例ほ,1918年以降に多く,1926年に,4人のSaint一宜tienne人,8  

人のParisiens,2人のLyonnais,1人のAIsaciens,4人のGangeoisに.よっ   て一創設された100万フランの資本を膏するⅤal1eraugue製綿工場の例はこ.の点  

で例証的である。と.のような小株主が永続性をもって存続したことは少ない   が,資本を集中することによってエ場を管理しつづけて、いるという若干の例も   ある。このような小規模投資ほ.,第2に技術的な諸連関に根拠をもっているも   のであって,同一・の,あるいは補完的な生産に専門化されたエ業諸都局を酪一  する投資の網の目である。そ・の1つは,ブドウエ業に関するものであり,ノいま  

1つほ織物工業,および皮革工業に関するものである。フランスのプドク園に   源を発し,ブドウ洒の売買そのものに・はタッチしない出資金ほ,ブドウの種油   の抽出,蒸溜物製造所などに」句けられている。   

これらの資本の地理的起源は,ほ.っきりわかっている。1943年に創設された   B6ziersの果実採種会社は.,AngersやSaumurのブドウ栽培資本の放射で   ある。1923年に.VilleneuvelesrB畠ziersの蒸溜物製造所を新規に眉収したのほ,  

Charente,とくに・Cognacの資本であり,1925年にIB6ziersの大工場を所有   したのほノルマン人の資本である。1935年にUsinedeMelleの仲介によって   M畠zeにおいて地中海蒸溜所を所有していたのはランス人の合資会社である。  

織物業の技術的・金融的諸連関はつねにはるかにJ披経であった。織物の伝統を   もった都市の中で,この30年来,地域工業の管理に参与していなかった都市は   はとんど存在しない。実際,Elbeufが,−・方でほB畠ziersに.おいて,他方で   はB組aIieux紅おいて,2つのラシャエ場を自分のものにしていた時に,  

RoubaiⅩが1947年に,Nimesの衣料品.工業を自分のものにしたのはこのよう  

にしでである。Saint一色tienneは,1928年に,Sous・C6venolesの2つのエ場  

をコントロ−・ルし,Mulbouse はニ−ムにエ場を所有している。このような事  

例の中でとりわけ注目すべきものほ,とくにGardの衣料品の製造へのリヨ   

(23)

フランス南きβの「低開発地域」(1)  

629    −−23−・  

ソの資本の浸透であり,これは全国織物水分検査の大市場へむけて,Cるvenne   の絹が発送されていた時代に.起源を発するものであって,C6venneとローヌ   の「首府」,リヨンとの間の技術的・金融的連関をあらわしてし、る。かくして,  

リヨンは GangesからSaint−Hippolyte et Sum昌neを経由して,Saint−Jean  

(55)  

du GardにいたるC畠venneの衣料品工業の金融上の「首府」となっている。   

(3)外来資本による地域支配   

前述したような外来資本の浸透とともに,低ラングドックの工業従事者,  

55,000人のうち,その4分の3にあたる約40,000人が低ラングドック以外の資   本に.依存するにいたっているが,これは低ラングドックの地域経済に.対・してい   かなる結果をもたらしてこいるのだろうか。  

¢  欝1に.,低ラングドック以外の資本は,大資本であろうと,小資本であろう  

と,何よりもまず利益の概念に.敏感であって,地域的利害関係にははとんど気   を配らない。経済不況に膚面すると,低ラングドック以外の資本は,地理的観   点からも,収益性の観点からも,Marginalな地域である低ラングドックの自  

己所有工場を閉鎖したり,新規工.場を立地させないということに・なる。この場   合に,金融構造ほ経済変動の害を拡大させているのである。算2に,工業に対   する外来資本の支配は釣合いのとれた地域開発に対立せざるをえない。それ  

ほ,エ業に.対する外来資本の支配の論理が集団の利益の概念にではなく,個人   の収益性の概念に根拠をおいており,あまり紅も多くの工業的参与が単なる投   資目的に応じて.■いるからである。総工業利益の4分の3に.相当するエ業利益が   毎年低ラングドックを離れているのである。外部からの資本主義的支配は,た  

しかに,地域工業の退化の起点なのではないが,単世紀以来,エ菜の衰弱を強   化したことは疑いない。こ.のように.考えると,土着資本主義の軽視は,1つの   地域にとって「低開発」のはじまりでありうる。第3に.,都市構造の面からみ   ると,外来資太の支配は,この地域の枠の外への本社の移転を生ぜしめてお  

(55)R.Dugrand,OpCit.,pp.44−46.  

(岳6)私的な会社の本社の移転は総売上高に対する税金の徴収という地方収入を奪ってい   る。工場は地域にとって其の局外者紅なっているのである。R。Dugrand,Op.Citい,  

p.48.   

(24)

籍45巻 第5・6号  

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し5(ミ) り,外来資本の商業関係ほ,管理機構と同じく,地方的な枠を免れている。外  

来資本の市場ほ,地域のメカニズムに依存しているのでほ.なく,ほるかに複雑   な循環に統合されており,低ラングドックの都市卸売業に・とってどんな利害関   係ももっていないのである。母工場の倉庫と地域の子会社との問の輸送は本社   の近隣輸送会社に依存している。地方銀行ほ,萎縮しでおり,給料の支払に不   可欠の振替事務などに甘んじている。工場ほ.,重要な一・連の生産に統合されて   いるのに..,−・定の資格水.準をこ.える経営管理者も技術者もいないのである。小   売商人や ̄下請人が排除されていることによる商業環境の麻痺,技術者幹部の移   出による第3次部門の萎縮,銀行管理の停止などにより,低ラングドックの都   市は,単なる1つの骨観龍なっているのである。低ラングドックの都市はプル   汐ヨアジーの管理機能を失って小るので,単なる生産の工場でしかなく寧って   いる。外来資本は工場を建設しても,地方的労働力の利用に興味すら示さなく  

(67)  

なっているのである。かくして,低ラングドックの兵の「首府」は,もはや  

Montpellier,β畠ziers,およびNimesでほなく,まさしくParis,Lyon,およ  

(ら8)  

ぴMarseilieである。   

(4)地域工業資本の内部組織   

外釆資本に・よる地域支配に・ついては前述したが,外来資本に依存せず,地域   起源の投資に依存している,いわゆる地域工業資本の内部組織匿ついて?R・  

Dug工・andほ,どのように実態を把偏しているのであろうか。   

20人以上の労働者な雇僻しているエ場に雇われている低ランクドックの   55,000の賃労働者のうち,その4分の1に相当する約15,000は地域起源の投資  

に依存している。地域工業投資は月並.みでは.あるが,そのことから低ラングド   ックの資本主義の分析ほ興味がないと推論しない方が早いし,庵済社会機構に  おける低ラングドックのエ業資本主義の地位を労働力の総括的な評価だけによ  

(57)例えば,PeflarrOya社ほ,Saint−F6iix・de−Pauiらres鉱山を開発しながら,地方労   働力を利用するというよりほむしろ,人のあまった,M血OCやSaIdaigneの造船所か  

ら労働力を連れて来ている。RDugrand,Op.Cit,,p.48,pP.431q535 

(58)RDugrand,OpCit」,pp.46−48 

参照

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