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木 村 虻 身  

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(1)

ジョ ン◎ラスキン宣経済学  

木 村 虻 身  

﹃ミケラソヂエロの模倣暑が彼の映鮎のみを模した如く︑カーライル︑ラスキン及びモリスは今日安慣な模倣脅を  

持ち︑これら模倣者捺彼等の清高な霹感︷直観とを持つてをらぬ︒﹄ ︵A・Mars訂︼−﹀習incip訂s−欝d・−ワ一ゴ岩二戸   一  

大塚氏詳飾鵬分炒四〇五冥︒︶  

∵   

近代経済思想史上におけるぞdン・ラスキン︵︸︒訂Rus−甘こ∞−甲1−讐岩︶の地位に関して従準ぢの親方  

が参る︒∵つは﹁商人歴済﹂︵me冒a邑leecOnOmユの支配する敢禽に封するラスキンの改革の執楢を讃へ︑祀  

脅主義阻撃賢者としての風格にその特質を見ようとするもの︑他はラスキンのト︼−サー菰的︒凰族的・耽美的性  

格︑その思想の形而上畢的︒苗代−中世紳堕的な匂ひむ料率の時代に逆行するもの 

家としてのラスキン棄却に向はうとするもの 

して現れたとこみのラスキンの敢禽1経済1倫理思想に関する語弊作は一大鰐において皆後期のラスキン︵瓜此  

必鹿後の者にもW著作叫八六〇年以後︶の不遇と失意転封する愚頼又は哀悼の意昧を浪く有してむり︑前者の系  

統に属したと富へるαダック︑ホブズン︑ハリスン等によるラ′スキン評傾がすなはちそれであつ冤しかし\乍ら  

一班の理論経済蓼者は勿論ぽ臍畢史家もー㌃キンの名を経済箪挙甲に数へることすら疇敬したやうに 

へY   

∂  

第二サニ巷 第二●≡壁  二∵四  

(2)

︵その鮎︑ヴイルブラン⁚トの審済夢死などは著しか例外の一つであらう︒︶何故であるか︒それはラスキンの現代      ︵ l︶  への影響が姪臍思想家としてよりもむしろ奉術批評琴七しての顔動にあつたと見る西欧知識階級の常款を彼等が  

そのまi受入れたからである︒汐れども啓蒙胡の攻囲に恕炉てぼ︑恵づ︑この西欧知識階級の常誠が細々常識たる  

理由を胡らか托する必要が参つた︒外閉経臍撃の稜々な流れの理解と吸収とに多忙む極めた初期の哉甜経済各界  

にぉいてほ︑経頭峯兜の分岐の威相を散ることに急で︑敬敢へず西欧終演思想に封する鳥撤的な批判が観念的論理  

を適うて形成されて行?た︒勢汰個々の経済攣宥の思想鰻系を仔細に吟味するといふ仕事は取残されざるを待象  

か︑つたのである︒このやうな趨勢の中で夙転ラスやンに関する西欧の常識が常識たる理由む明らか灯されたのは  

︵2︶  

大熊信行博士であつた︒すなはち大熊将士はその魔女労作においてラスキンと正面から取組まれ︑該停な理解−  

特に贅術および職分思想に随⊥﹂の跡む示されつ1ラスキンⅥ脛臍・政令瓜想について叫見飴鵡む残さない嘩に  

藤野多彩監研究され.︑優に西欧でのラ′スキン路評債に托抗しうる樺威奉る作菜を果されたわけちあつた︒この弊  

伶は従裾の追悼的ラスキン評憤に封する一つの鳥陳的批判でありラスキンの審巣南職分感む高く評憶されると  

ともにラスキンにぉける赦昏改革家としての意義をむしろウイ甘アム■・もリス笹譲り︑ラスキンの本領は職分的  

道徳感に支へられた垂術論者とし七の簡にあり︑拳術から離れようとする程ラスキン・の森領は表はれるが故に︑  

眈密思想家として由上げようとするならラスキシとモリスとをー醜としで取上げる他はないとされ溌のである︒  

一口にいふならぼそれはラスキ/に封する極めて内在的な︑しかし結局において制限的な︑解繹で・あつ潅といへ  

るであらう︒この名著にぉいて昔々は︑それが名著であるが故にこそ︑その時代の我拳界における制限的批判形  

成への忠恕を最も明瞭によみとるこ主が出発るやう\に思ふ︒   

ところがこれと隙後してラスキンの生観において∵づの痙目すペ寧フスキシ解鐸がバーナーF・ショウによつ  恥  ジョン︒ラスキンと繹臍箪  二↓五   

(3)

第ニサニ巻第二・三訟  二三  ♂  て示され︑我観では河上肇博士によつて受け楷がれた︒河上博士の見解は賠局ラスキンを以て尋東軍的経酒畢の  

準庚﹂の終極忙位艦して展蟹の﹁ヴェール老犬阻に頼げ﹂るべく活動した誉フリスト.換言すればアングロ●ザ  

︵3︶  

クリンの内部におけるマルクス︑重義経済壊蟄鹿のへラル∫の二人として理解されるわけであるが︑この見方は驚  

は明らかにショウの示唆に負うてゐる︒すなはちショウ竺九∴九年十叫 

雪スキン生警年紀念展署賢いてニラスキンの政翫酢窟する議の管誓講警行つ潅が∵そゐ諭  

旨によれぼ∵フスキンの聾術琴祈ら経絡撃宥への推移はそむまゝに審済的乃至敢脅的なものが政治の基盤である  

といふ根本誠識﹁ショウに 

この鮎計そのま1主張したところにこそラスキンの経潜聾者としての偉大さ︵それは英人中ではジュグオ/スに  

此すべ室で 

力ある少数者の支配の必蟄を認めてアリストそフシーを躇許する射では︑レ/−;と同様まさにポルシよゲイス  

トであつたと述べてゐる︒これはいはゞうスキンに封する内在的でしかも拭張的な解繹のTづの項型であらう︒  

もちろんこの論旨は︑管際はショウ叫流の遊説的皮肉に掛ちてゐる鮎︑論文でなく即興む主とする講演であつた  

撃今から見ると時代的に古い鮎︑等々で相常の割引を以て判断しな紛ればならないであらうが︑しかし祀倉睾  

義への展望が一段︑と具鰻化した硯社において立派兼ヤつのラスキ∴解辟む形成するものと恩ふ︒驚際それは欧米  

人の仙部の常識む代表してゐるのであるぐ  

同じくl極め七内在的であり乍ら一方臥制限的︑他方は拭鋲的といひうるところの以上二つの典型的なラスキン 

解繹む封意させ吟味することによ′つてむこから何等か¢新しい解樺が生れはしまいぁと恩はれる︒声稿はこの  

新を明らか忙しようとする︒しかしもちろん昏々の課題はラスキン軋封する﹁科挙的﹂評偵なのであつて﹁審美   

′  

(4)

由﹂評偵なのではない︒私はこの小論におい七結局十八・九髄紀の経済畢の主流︵狗乙晩卑王義に由訳するもの 

は鮒く措く︶の背後にあか功利主義哲塾の基礎と︑これに謝するラスキン・の腰所思想にぉける職分主義﹂−理想   

主義曹拳ひ基盤と望息昧を考へることによつて問題を畿見したいと考へるものであるが︑功利主義・理想主義▼の  

ヽ ヽヽ 優劣の軋断が款題ではない︒いはんやラスキンがダンテ︑ミル︑モツアルト︑\或ひはマルクス︑レーニン︑トル   

思すことは麗済単においても決して無用では潅いであらうといふL雪′その▼場合に叫見特異・不可解で時代錯誤 ●   

財  で︑却って或る澄渡で右の解決に側衝的な三の光む投げう左のではあるまいかといふこと−−小論は計よそこ  

ヽヽヽヽ  ︵1︶ 欧米の∵股大衆の常裁は必ずしもさうでない︒むしろラスキソほ敵軍宝蔵者であるといふのが繁朴な人々のラスモソ翫 一竹   \  

ス︻トイ.︑果ては昔レミヤやエゼキ立ル等のうちで誰に最も似茅ゐるかといふことを問題とするわけでもなぃ︒・た   

ゞ今日盛に論議せられてゐる二つの脛臍畢沃ハいはゆる﹁近代脛臍畢﹂と﹁マルクス脛臍輿﹂︶の絶望的計封宜   

が︑驚はそわ鷹匠共通な功利主義倫理へ\の反省の誕潜む潜めてをり︑∵履敵い祓鮎からこの倫理の課題の解決町  

的とも恩はれるラスキンの経済思想ノむ吟味し直すことが必サLも﹁形而上凰こへの忌むべき偏向を意疲しない  

の\やうな間勉の提出以上忙出でようとするものではない︒  

であるらしい︵萬叫その由来が訂掲のショウの演説転職を発するものとすれば︑ショウの安任は重大といふべきであらう︶︒   

/ これについては左記を参照︒J.町邑s.R計in︸山喜ws 

悲倉竜瀞著だといふ見解はpa−葛b−euntruthなるに拘らず歳入心得帳の⁝.項目となってゐる程だといふ︒   

︵2︶ 大熊信行博士﹁敢曾思想家としてのラスキシとモリス﹂︵昭︑こ︶︒偏しその童稿は既に濃京帝大﹁鋳掛研究﹂第叫巷第   相  

耽︵大︑叫○︶および﹁国儀経選歌諒﹂第二九巷詔叫︑二聯︵大︑九︶に忍表せられてゐる︒  

︵3︶ 河上葦博士﹁控臍革大綱﹂︵昭︑三︶下巻第五聾参照︒  

ジョン・ラスキソと経済礎  ニ劇七   

(5)

∴  

︼八   第十二番 第二︒≡睨  

︵4︶野呂dSlきR︒S賢仇旦i賢−T訂R︒S粁i昌︒H旨篭C菖n︒i蒜版\︵Ⅰ︶の講演録に警︒  

 

大熊博士の見解忙従ふならば︑結扁ラスキンの批愈−経済思想のすべては襲術批評における道徳的原理の延長  

に他なら寧かつ▼た︒曾てまづ瓜近世諸家論∀ついで瓜穫築の七燈>とAヴュチスの石Wによつて名を成した垂術  

批評の大家は︑やがてへ巽術の脛臍論∀以降﹃英国公衆の層罵骨浴びつ1経消給料行ふところの一個の酢愈改革  

者に豹欒﹄するに室つた︒成程彼が︑畠中王義経開墾に野Lて︑これを︵蕎OSp箪○≠巴ammO㌔或ひはごDisma−  

Sc甘cや﹀と痛罵したカ・−ライルと同じ蹄紳を以て︑しか臥師にまさる分析的才能を用ひて批判肉迫し︑﹁経済  

人﹂の仮定を取壊し︑−︵T許諾i00n︒薫a−tFbuニiずり>の命題を以て宵の\定義に皆き換へ︑.経済 ︵P︒−iti邑  

EcOnOmy︶の原則好こ姉む家政の原則から︑また夙戌生活の迫應もこれを豪儀の海徳から︑攣かLめよと論じ・  

以て がヾこれは科単著として.の功鋳ではない︒結局に︑おいて﹃遮築美術の歴史的研究の結論は︑プラトン︑クセノフ  ∵  オン等の政治軽率諭への鐸服︑キリスト教的同胞主義の高唱︑概して之堅首へ.ぼトマス・カーライルの感化の下  

に立ちつ1行はる1敢愈論﹄に控し怠り︑′融合改革豪としてのラスキンの笥薮︑・﹂Aフォルス・クラウイゲテW  

の刊行や﹁翠ジョージ組合﹂の計喜−−も結梅は﹃中世ゐ封建制慶匿理想を求める反動的復古︑三義であり︑その  

年面に患いて庭近代わ産発生活及び商菜主義の奉らゆる潮滴から飴弊む摘饗するところの感傷的・啓発的・或い  

濠倫理的批評﹄に他ならなかつ冤 ﹃プーアトン流の政治思想む経とし基番数相同胞重義む繹とする彼の国家歴所  

論﹄ − すなはち犠牲Q美徳︒不平等の原幾や正邪秒間題を挽く瓜此の最後の賓にもWや︑或ひはマンチェスク  

∵⊥洪の経済畢に封する不評たる ムネラ・ブルウエリスW−1ならば︑彼を須たすとも他の何人かゞmてこれむ   

(6)

書きえた管で必る︒ラスキンの経済塾兜上の何等かの地歩が賀し許されるとしても︑それは右の二軍の草葉る  

佐因竃は一芝が︑しかもこれ守ても﹃果して経済讐警警\べきや否や︑人已て疑念を挟吏︹むる飴弛 ︑  

を残すものである︒﹄しかし恩ワニ⊥=スの石∀晦にその琴義攣ハ茸を中心とする古今衛歩のゴシック建築の本  質論ほ∵フスキン鳥い七芋蔓雷冨な違で雪︒か隻博士皆の警詳細賃析し︑後期ラスキンの  

′√ 諸嘗めヰにではなく却つて前警スキン芸術批評の申に汲も充賀した彼覇鞄蒜倉思想 /−撒笈想を見出さ  

れ爾後はむしろこれを受渡いで驚既に移しガウイリア′ム・言スの方に功績む護るべきであると考へられ︑両人  

相侠つてはじめて三重藍屋準十ギルド敢愈主義の党政1としでの意義を覚成すべきものとせられる︒  扱て大凡以上のやう孜大熊博士扮見解から︑私はご衝の主張を試みとることが些筈やうに息ふ︒第言ラス  

キ芸生涯の推移の多彩さにも拘らず︑々こ竺賞して流れてゐる高邁軸比な審契感・道徳感乃至職分感こそ︑ \  後期ラスキンの経臍思想笹おいてもやはり垂命となつてゐるのだといふことやこれはラスキン評慣の雲の短橡  

− 面である︒前野フスキンに関する限り︑すな濾ち釆轟⁚蓼術の方面貯おれては︑梗極簡のラスキン評憤を時雷す  

る人は少くないであらう︵例へば我圃においても御木本氏︑石田氏︶︒恵た後期支キンの祀昏思想を時代背景  

と蒜聯にお等詳しぐ追究した西欧の努作む少︑か長音還彗てゐる∴例へばホブス廿以下露著作︶︒L  かし乍ら彼の後期甚おける経済思想の謎を却って前期評憤への沈潜誓つて見事に解明せるものは︑ひとり我が ′  木綿博士あろの臥ではないかと息軒れる︒抄皆も攣一に︑この寮費感∴道徳感乃至職分感は畢意省代・申せ的  

カト町ツク朋姦而壷の造物▼で雷︑これがひいて苧フォリズムで頂く科挙的定義を目指した瓜ム︑孝子Vむ  

すらまた形而上拳牝乃寅﹁感傷﹂化せしめて︑途にはうオルス・クラウイゲラWにおいて利子現象も蒸気や機  

械の支配もない原始的田園経済の再現︵聖ジきトジ宣ルド︶′をすら彼紅夢見させるに至つたといふこと︒これ   ≠  二完  ぎン㌻スキンと慧阿撃  

ノ   

(7)

′  

\   第二十二番 璽丁≡耽  二○  はラスしキン許偶の常識的な滑極所である︒誇張していへぼ︑青々は玄灯コリンダウツドやホブスン以下のラスキ  

○ ンに捧げる義の讃歌に封抗して﹁ラスキンの悲劇﹂を確認するところのいは三らのエレジーの展開む感じと ︵5︶  ることが出奔よう︒ところでこの第二面の評慣が若しも金く正しいならぼ︑経済畢に関する限りラスキ・ンの地位  

に封してそれは致命的であるやうば見える︒また第蒜の評慣をみとめるならば第二而の評慣も常然に認めねぼ  

ならぬやうに見える︒だが事洛は必ずしもさうではない︒ラスキンが﹁商人脛警望﹂︵M讐a邑e EcOn音y︶  

を横木から改訂しようと努力する飴り脛臍撃と経欒政撃との混同に気附かなかつた1ナスキンは︵︵PO−itical  

E︒︒岩音3といふ語む古典的に交三岡義に用ひてゐるl・﹂ことノはたしかに最も大きな誤謬であつた︒しかし彼は  

この努力の過程貰いて人間の﹁経済人﹂的行動のみ怠らす倫理的行動▼審美的行動︑要するにあらゆる人間の  

︼   行動殊些職分的行動︑更に人間の才能までを取入れて︑経済畢の新しい材料としで考へよう上したのであつて︑   

このこせはこれらの材料を放扱ふ方法にあいて科挙的なものとさうでないものとの混措が率つたといふこと1決  

して同じではない︒確か豊芸紘ラスキンが脛酒畢の方洪をプラトン的といふよりむしろ聖トマス的・ダンテ勒  

な形而上拳の方法ど大いに混同したことを認めなければならぬ︒その限り凍熊博士のラスキン評慣の壁面は正  

しいで誓う︒げれども悼むらくは博吉︒の讐面の許償の讐に却つて嗣払されて︑ラスキ霊職分思想の  

.ヽヽ 重要むみとめられつ▲も第山簡とは別の今三の塁宴をフスキン許慣の積極面を取上げられ訂に至らなかつた︒  

ヽヽ もちろん周到藷限な博士がこの鮎を公然無税される宥はない︒名著の巻末にもいはれでゐる︑﹃・⁝・けれども叫  

方では︑共著利経済単にやよぼト尭かれの影響は︑あるときは非常に大きく許償還れてゐます︒寄茸どれほど?   

むのであつたかは︑アルフレウド・マー㌣﹃ルの﹁原理﹂新見れば砿鶴を得られるであらうと恩ひます︒ラ′スキ  

ンは︑むしろ貯代置臍畢の壌設者達にくわへた法外の批難によつて︑かれ等の思想および性略に射する忌扮しい   

(8)

誤解を流布⊥たものとして︑茸を負ふべ︑きであるといはれてゐます︒ト:⁝﹄私はむしろ隠士のこ 

アポ昌7に問題が潜んでゐ揉しないかと恩ふ︒︒すなは 

想への著偲が︑州歩をす1めて史にラスキンを経済撰者とレても立沢に存簸せしめうるものとなるのではある恵  

いかといふことが是れである℃   

︵5︶ 菅べが近くラスキン死後五十年を迎へようといふとき︵彼の死は一九〇〇隼仙月二〇日︶曽て我国にラスキンの思想に  

つき啓蒙の螢をとられた御本不随二臨の最近の御桐息と戊のラスキン文梼復興の壮蓼のことを儲へ開いて私は蔭ながら勝快  

にたえない︒しかし﹃契と笹と経済が一つに調和Lた饗しい敢曾を叫日も早く作り上げたいむのです︒﹄と述懐される御木馬   

氏・その人にラスキンのトラジカルな風格を偲ぶにとゞまるこ 

︵讃賢新聞︑昭和二四年一月山九日翫所載配串参照︒︶  

lニ   

シ訃りの前記の諦演は論旨些か矯激せはあるが興趣に屈むものと息はれ︑且つ我国ではま灯内容があまり知ら  

れてないと考へられ・るので慧梢増しく紹介してみよう︒  

−  \  

も  

澗︵こ まづショウは即興的にこの民党魯に飾られたラ.スキンの宵像蘭群を指示しながら︑彼の風釆の多面性を諷調し∵掴の  

青銅皿上のラスキンのプロフィルは染琴モツアルトに似︑ハーコマ一指けるところの二軍像冠由一こS・ミ几に︑更にラスキン  

老後のレーク地方での竪奥の或畠ものはグラント︒アレ 

のまゝラス吏ソの事術家から思想家を経て預言者たるに至る進化を示㌻ものである︑と如何kも.ショウらしい前置きをする︒更  

にセヴアーシⅥものしたラスキン死ま直前の署像が協申人間申の誰かに似るといふより︑ブレークの占︒︒k︒ご蔓示に措か  

ヽ   

二叫   ジニコン▲二ブスキシと紆酔顔  

ヽ  

(9)

′れる﹁秤﹂に最も似てゐる︑といふ︒   

±一︶ 穐じて本論に入るk先立ち︑簡シ㌻りは政策家としてのラ一スキンがネ可解︵u已nte富ib㌃︶であるといふ叫股の批評の  

由つて来る軍備を説明する︒ショウによると︑この批押の密生した理由は︑たゞ偶轡フスキンの君著暦が少数特殊の打紐人であ  

ったためにラスキンのいふことが徽等には信じがたかった︵i宍redib㌃︶といふことセある︒成租ラスキンは鋤く階級の人々にユ  

く萌改したが︑いづれにして′もすべての肝腎の人々中彼の傑徒だつた壱は蕗聖文化と闘つた少数八にすぎなかつた︒そしてこ  

ヽヽヽヽ︑ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ  の少数人は堺命的熱情をマルクスからでほなくラスキンから得たのである︒﹃私は生睦申忙若干の極囁に革命家肌の人物に魯つ  

たが︑そのうち甚だ多数の人ほ︑私が﹁そんな革命の仕軍にあなたをひき入かたのほ誰ですか〜 カ︑ル○マルクスァしと尋ね  

ると︑﹁いや︑一㌢スキン﹂と腎へたものです︒概してラスキソ主義者は現在の祀曾秩序への敵封者中でも仙番徹底して居ります︒﹄  

ところが叫股讃者となると別で︑その大部分は自ら高い敦盛と待性をもつもの七倍じ︑﹁地の靡﹂を以て自ら任ずる人士 − 有閑  

連中で︑例えばモーゼのナ誠をナ︑分に守つて自分捺生きでゐるものと伝だしてゐた︒跨腐らんや︑ラスキンの示せるナ談はモーゼ  

のとほ全く正反封のものであつた︒ラス中ソ.服︑君建誓﹂ノの新しい十誠をこそ粗野に.遮ってゐるのだと教へ︑結局﹁君蓮ほ泥棒  

の集幽だ﹂と断定したご﹂れを何か深遠な︑己れ以外の人々に射する比職だとは感じても︑文字通り自分のことだとして受けと  

pぅる人べが讃著の中に恕かつたのも叫紅塵戦かちぬことである︒これはラスキン・妃とつて串なる哉−∵何故といふに︑罷−彼  

のいふことが本質にこれらの有閑語著厨把理解されじゐようも町ならラスキソほ絞め殺されらだらうから!そこでショウほ空の  

よう卑悪口の大家﹂としてのラスキンをウイリアム︒コベット瀧よびマルクスと此醸し︑コベツぶの疲大な作風の申に含まれる  

種々の苫るべからざる勢ひの愚ロ︑またユダヤ人でまるで預言者エレミヤを思闇せ\るやうなすル︑クスのヾバリ・コミューン郡匪  

後における僻蘭西﹁紆閥﹂に向けた物ヂごいぃトニ手軽後kガリアユを失脚させたほどの1惑ロ︵マルクス︑A傍関西におけ  

る内乱∀参照−筆者︶も︑ラスキンの毒口にはかなはないだらうといふ︒その理由は労そらく︑′御困人の方は敵をあまり徹底的  

に憎みすぎたといふ鮎にあらう︒ラスキンの窓口にほ憾みがなく純粋さがある︑だから恵Pも栗噂らしいものになる︒それ故に   

\ 

第十二食 滞二・三択   ー ⁝− 〜−ト1トト1‖ほりほバk川ほh甘け柁護り屑um慢胴帖星  

二二  

(10)

︵三︶ 羅減は愈々本論に移って脛.臍拳・河野攣へのラスキンの寄輿の関越に入る?ショウはこれを現代政治に 

エコノミふ/ク  封する何等かの裔輿ありやといふ問題として考隠する︒要言するならぼ︑軟論の基盤は須らく山の脛解約基ガで  

ソシ禽Pジカル  あり︑また山の融合撃的基盤であらぬぼなら風といふ根本命題の樹立てそ︑マルタス.と並んでラスキンのこの方  

′   面での最も大き・な寄輿であつた︒ラスキ\ン生存中はこのことはあまり明瞭でなかづた︒そして昔々は右の命題を  今日大きな犠牲を飾って禽侍したわけだが︑また将来も︑危磯打開の方静を敬見せぬ限りは二厨大きな犠牲を沸   

って愈得し直さぬば憶ら曳ことゝ滋らう︒この方算はラスキンのそれから遠からぎる魔に横たはつてゐるベ  

ラスキ訂寅涯経済聾者の瓢著最上げた・︵賛際毘管して芸−ド︑フォiセツ主よぴ﹁︑ルー筆者︶  

が︑それらの論者こそわがマンチェスクー式資本重義が自己の存季告蕾化せんと試みる際の手段であつた︒こ  

れ粧よつ℃彼はカール・マルクスが曾七為したと同じ仕事む果したので参るが︑これに封するラスキンの魔方む  

−   腐敗的だといふのが必ずしも償をえないこともマル・クスせ何棟である︒たゞ抽象的経済単に対する公平な輿術的  熱意をもつて笛典派む取上けたのではなく︑﹁資本家と心ふ犬﹂を打つ手段としての慧固がはじめから存してゐ  たことを認めぬぼならぬ︒マルクスはアダム・スミスが始めマルサスが教展せしめ・莞慣億論を取上げたが︑この  慣倍論姦窒賢向誓敵警せることが由管・と看てとるや︑瞥身の農の上に 食︒疲の有名な慣偲論ばかくして出舞上つたわけだが︑今白.で偲有名な綴りでもある︒ラス車ンの馬したことも  丁度これと同断︒テスキンはいふ︑﹁経済単著達︵代表者はI′・S・ミルト筆者︶は低値を交換慣倍と東鶉するっ  だから交換用死ぬものには慣値がなく︑交擁さへ揖釆れば慣偲があること1なる︒よろしい︒ヴェニスへ行く途   

ジョン ニ二三   い︑と決めこませてしまふに至った訳解でぁる︒   ︸   こそ彼の祀曹狸酎の唯↓の双発は︑讃者をして︑さうだ︑ラスキン民放膏々オーナラブルな人士のことなど語つてゐる箸がな  

(11)

俸ニナ巻 第二︑.≡奴  二二田  

中のパリで英圃旗行者讐異りつけられるイシ≠キ版撃と︑去れから正/エ舌ス 

㌢コ講堂の天井のテイ/トレットの絶と駿べるなら︑前者の方が慣借が高い︒何故なら後者は交換されえないか  

ら抑々低値がないがためである︑といふ寸法だ 

へ心 後まで辿る束はせぬ︒何故ならばこの行旗の落着く先は何磨か︑判ってゐるからだ∵−日ぐ︑地獄である︒地獄  

のことなど後から考えたらよ↑といふ印象むお受けになるかも知れぬ︒がそれは間違つてゐ彗諸君は目的地に  

既に在るので・ある︒諸君の生活状態がまさに地獄なのである︒﹂ つま竺フスキンはこれ以上深入りすることがな  

かつ食わげセある︒ 

の革命的法則たる地代法則には︑到達どころか興味さへももたなかづた︵ショウはリカーての野葺地代理論を考  

えてゐるらしい一筆者︶︒マルクスの方はこんなに淡白でなく︑螢働者階級が搾取されつ1あることーこの投  

奪の度合がいわゆる﹁剰飴債倍率﹂で︑これマルクスのカ癖を入れたところだがーを澄明する際︑いか忙も数  

畢的・客観的な取扱い敬するといふポトズむとり︑搾取の数量的局酎を決定しょうと大い忙努めてゐる︒このや  

ノ  

が判つた以上︑五割だけの泥棒だらうが七割だけの泥棒だらちが︑それは間溜ではない︒.ラスキンにとつては剰  

僚慣低率の犬いさなどどうでもよい︑泥棒であるといふことだけで十分なのであつた︒ところがこのこと教謹ん  

だ資本家は︑隣りの太郎兵術や瀾ひの次郎作のこ・とだと思って大いに︑しかしょく判ら︑すに︑賛同した︒何ぞ固  ヽヽ  らん︑彼等白身のことだつ︑たのである︒︵常時の名士軒前忙置いてのショウ白身の悪口も恵た最高潮に達するら   

しい︒︶   

﹃確か竺フスキ/は完全に支度を療へ潅経済畢着で喀なかったが︑それにも拘らすジュヴオンズと倶に偉大な   

(12)

腱臍単著の叫人であると考へます︒何故ならば︑彼は古典派経済畢の基盤たる偵鯨なるも紆が非人間的・如現茸  

的基盤であつて︑文化の破壊なしにはそれむ祀昏の基盤として全英叉容れえぬものであることむ示すことにより  

ゝ斯攣山番の大露混む衝いたからであります︒それから後にゼユダオンスが出て釆てこの古山ハ的低値理論を抽象科  

盛ゐ面から打破Lたのです︒﹄ネルケスもまた地代速射む把返することなく︑ラスキン同校その片腕むも通解し  

寧かつ篭だがエクスはマルクシズムを樹立し各マルクシズムとは何等かの特定な理論傾ことではなくてー  

鹿瞬間題こそ政競および社食に憩いて基本的であるといふこ壱なのせある︒マルクスはこれを些か大言壮語む以  

七述べたにすぎない︒歴史家バックルーもまた大皿同じ方向む求めてゐる︒ 

シズム 過な思想について鹿爪らし.いお詰むしてゐるが︑何時まで凍やれといふことになると困るわ︑けで︑識らぬ裡にラ  

スヰンのことなどお留守になり︑しまひには︑いぐら私が菜食主義者でも︑悪衆者諸君申で叫番福々しい人の肉  

を喰ふことしか考へぬやうになるだらう︒ダミ三の発も結局ヴキキスむ迫った人々の健康・孝幅の反映なので   

ある¢   

︵四︶ こゝでショウほ漸く′紺じて︑ラスキン死後曾て﹁信じがたい﹂とせられた彼の数へを蒼行に夢す如き坐きた政治溝助が果  

して行はれて衆たかどうかを検討することに何つてゐる︒もちろん彼ほコミュニストであつた︑この鮎だけは塀際で卦る︵!︶︒  

しかし彼は琴芝鶴巻であつただらうか︒民意々義が近代′の平等遊撃制圧︑投票制偲妃ひとしいといふ意啄においては︑偉大な   

人物が蘭さうであハ〝たやうに︑ラスキンも民主々識者ではなかった︵!︶︒この瓢ほ同時代の今山人の偉人チャールス◎デイケン  

ズと同鹿である︒デイケンズほラスキンが買族的毒あるk射し極めて寧民的な人物だと思はれてゐ/るけれど﹁民主々義﹂妃閲す  

る限りタスキy同疏容赦がなかった︒志の由つて来る彊は政留横磯金憶であるとの怠識に首醒めて ﹁ハード︒クエズj.を召叶  

/  

町  

二二五  ジ′ヨソ三ブスキンと理研睾  

(13)

二二六  第サニ巷 警丁三敬  

た彼のデイケンズ偲︑小説家たると同時遠雷著に将ずる9漁言著といふものほハバクク書や三ル書と供に死んだ人達なのだ  

恐怖を大技の祀曹主項著よりもよし撒つてゐたのは︑それらがすべて菖由と進歩の代償だと信じてゐたからである︒これは放電   阜想像してほならぬ︒︵出精してゐるイソジ僧正を指して︶/現にこの骨功にも†入居られる0だが漆芸者ディケンズほ決して民  望義撃アイケソ.ズでぼない○彼ほつねにア呈トタラシーに訴へる0敵督改革の仕事はその鱒に啓念する少数の蹄力的晶心  的な優秀者に委ねるべき特殊なジョブである0人民を封象とする︵○叫︶人民のための︵首︶政治ほ︑必ずしも人民・による︵by︶  ことを要しない0これーデイケンズ︑ラスキン︐してまた私︵ショウ︶自身の態陛である︒牧草の仕郵だけでない︑すべて=幌の  療治はつね夢魔著の仕警ので雪︒㌢この少蘭薯が良心的でない場合も︑笠の利贋祀昏の利金に叫警るといふ擬鮎  が行はれ︑脚巧な人士にこ・とをこじつけ論叢させる0;チ芸クー涯︑■つまり反ラスキン沈はかういふ人士に事欠かなかっ  た0オースチシの法得静ほその三の典型である○オースチン白身ほ臨めて良心的だ人であつたが︑彼が蕾本義義の不可避や鱒   

主義がまだ葦既約な政乳として認められぬ時のことであつた︒そこで︑次のやぅに拳慧いふ指導者をもつた宣ころの︑コミュl﹁  

ズふを正しいアリスト針ヲシーと結びつけるやうな政治運動は欧洲に現存してゐるであらうか?日く﹁醸禽により漸進改良を期  

管て・説齢芸竃く賃率河警待つにぴとしく︐むしろ唯芸慧は遠しき悪蹴をもつ反撃扱者の落雪のみ︒霊ほ ′  

無益である︒﹂と︒︵玄に急進的フ言ア芸トとしての常時のショウの閻姐とした腎影がみられるとともk︑流石のショウも共役  

完治的甜繹特にファシズふの揆警凋箔姦恋したなかつ警遠雷あわせ憾慨深いものがある︒︶ショウはこ1で︑雪熱  

心な政空義者として屡々褒記をやつた際英闊で激愈主義に確論上反封する︑者がゐないので却つでとても讐たといふ紆政談学  舐ぢた孜︑常時の猫乙散骨民主荒の多数弾力にも拘らざる欝行カの欠如を指摘し︑その領袖ペーペルが警次大戦より教時節の  

国際雷議書警の空言域にお宝典讐笥的勢力を偶蒜存′命中の彿蘭酉の㌢レスに向つて畠してこのやを  勢力は俳蘭西にあるかと問うたとき︑ジョレスが﹁併蘭西がそんな事惰下監あるならきつ吏何か起つてるでせう﹂ど痛い返事をし  

たといふ挽詩を紹介す急かくてカサツキーの机上論を夢因りlレー一;の開眼を辞撥した綬︑レ三芸警窟的簾産はウイ   

(14)

yストソ睾ヤーチルヤアーサlOバルブオアのそれに共通するとする︒飴属それほ少淑の薄暮の踏力宗達の必然にとるべき感  

匿であり︑人民また本舘的にとめことを心得てゐる︒若しも諸君がポルシェグイズムとはラスキンとチャーチルのトー 

班政治とラスキンだけの軍現下あるトー少−式コミユ⊥二スムとの儲成物だと呼びたいならばさうしてもよろLい′︒かくてラスキ  

ン静轟讐芦壱として静塑的妃戴きうる政麓を求めるなら喋︑それはポルシェダイキだといふ.ことになる︒︵仙同異笑︶ 人々はラス  

キンがトーリト県民だといふことでタス軒ソ的問題から逃げⅣしたが︑その窓味ではすべての社脅主事者はトーリ1罵員であ  

る︒尤もポルシェゲイズムといへぼ′流血的暴力主義だと軍合鮎する河は︑こ・鞘彗アスキソの名前を結びつけること・に反封するか  

も知れぬ︒しかし政府の流血の罪の由つて凍る研がその琴冨着にありといふことなら︑敵組・宗教¢人間性そのものを否洋せね  

ぽなをまい︒例へば宗教はノ今迄宗教上の粛々¢闘ひの軍恕を生んだからとて否定されう㌃ものでほない︒篤しうる鳩山のこと  

は︑たギ琴意蟄貰除するといふことのみ︒そしてまたこのとと捻ポルシェダイストに限ったことではない︒ポルシェゲイスたる  

と否とを間接ず︑吾々すべてが︑既に超′つた革質に封して言つ七ふさはしい唯γのことほ ﹁静よ赦し鎗こである︒  

以上のショウの城東的論旨の申から色々の興煉ある問題が篭って舛るやうに息はれるが︑昔々の菰接に問題と  

する鮎はもちろん︵三︶であつて︑政治琴ブスキ/の風貌ではな㌔そしてその場合の問題とは︑既述じたやう  

に\ショウがラスキシの脛臍思想に由する右のやヶな茂張的解繹をマル′クスとの閑聯から引き出↑てゐるといふ 

ことである︒啓Åはこの・鮎について今少し舞込んでみよう︒  /  

○  

四   

若しもラス牢ンの経済思想輿上の意義が︑紋が批愈主義者であつたか否かといふ判断によつて決定せらるべ寧  

二七   ジョソニニフスキン︑と渓折畳   ×  ×  ×  

(15)

東二十二巷 啓二・三取  三︼八  

むのであるならば︑これほど判断の主観性を示す好い事例はないであらデ︒例へば︼方ではフェビアン叢害中ノラ      ︵ 6︶  スキンの侍記む櫓常したモ・・一‖ノー女史に従ふと︑﹃ラスキンは自ら赦昏主義督たることむ否定したのみでなか\つ  

た︒彼はす1んで人類平等といふ計令室義的理想は到達不可能セあるし︑鮎た望ましくも寧Sものであるか主張  

した︒彼は﹁自由と平等﹂について富くヤー紹者は雄ひだといひ︑後者の可能性などはないと貰ってゐる︵瓜時  

と廟Y第二二審︑恕叫四叫薗︶︒彼は自ら喋﹁古風な過激トーリー麓員﹂︑﹁偏狭壷壷智﹂だと精したわけだから 

赦愈主義的教義む明瞭に引出さうと思へぼラスキンの菅寄申以外の塵を探さなけれぼならぬことは確かである︒﹄  

︵侍A此の最後の者にも∀第五四節に翌フスキン白らさう富冨してゐる︒−聾者︸︑ところが他方で接ラスキンの  

盤も恩賞で飴賛姦鹿記者であるコリソグウッド拭︑聖ジョージ組合の計簸苔﹁フォ几ス・クラウイゲラ﹂の内容  

︵7︶  

が常時の人々に不可解だつたが今日の人々には容易忙理解風発る理由を述べる際竪ろてゐる震けだし︑﹁フォ  

ルス﹂が苦かれてからずつと後になつヱ他の著作家達が白分せ同七教養藍且侍して和も自らを赦脅主義者だとい  

ぅてゐる0をみて︑ラスキンは自分も奮た風合主義者だと富つ準からである︒﹄ コリンダウツドはこの箇所以外  

控はラスキンと祀愈︑李哉との閃聯に解れ七ゐないし自分の意見も挙ペないが︑これでみると少くとも後期のラス  

キ′ンは自ら赦愈︑琴義者であることを試めたことになる︒これは結局ラスキンが祀愈主義者であつたか香かの閉域  

が水掛盟等あることむ示すものであつセ︑すべてはラガキン乱費の表面上の二面的性徴に基く︒しかしこの二  

面は︑彼め思想を仔細に祝祭するならぼ決して矛看Lてゐ富のではないことが明らかとなるであら㌣ラスキン 

の水鏡がトーリ!的コミュテストであつたといふショウの蓋張は︑山見奇妙に見えるがその意味ではたゞしい.紆  

セぁる︒ラスキンの生涯の推恕が悲劇で疫あつても決して矛盾ではなかつたこと︑﹃緒換ではなくしてらの轟  

︵8︶  

旗であつ空︵大熊博士︶ことは∵アスキン白身の指示するー・S∴ミルの場合に封比で普よう︒   

(16)

に桝明し直すことであつノ洛のである′︒要するにラスキン拭安寧家1商人経済撃に対する攻撃略語いて︑また蓼   そこで︑ショウに即するラスキン僻繹の問題の解一抹︑ラスキンとマルクスとの共通節を捉へてこれを現代的   

術の嶺祇に脛臍を裾ゑる鮎にお′いて﹂急進的な敢愈主義者であつたと同時佐︑選管の能力\をもつた少数者の支配  

紅以七政治わ永遠の基礎形意であるとする文字通りの妄経めアリてセラシー﹂ノヘの義ハ鳴庭芝ては戒固な  

ト号︑苧蓼替乃至プラト芸義堵︑つ苦言巳へば理想表警莞た︒とすれば︑ショウに如してのラ  

升キン解穆の問題の第二は︑ラスキンの経済思想がマルクスのそれと興る鋸に懸つてゐる′ゎけであらう︒これ略 装 

からい仏直せば︑マルクス経済塾が秘めもつところ一.の古曲ハ沢渡臍革との何等かの共鱒地盤そのものゝ反省につ  

いてのラスキン′の寄輿といふ課題匹他ならない︒私は第﹁の鮎よりむしろ却ってこの第∵での鮎にショウから学ぶ  

ヰ寧フスキン解繹の嘩本間題を絡めたいと恩ふ︒箋して若しもこの鮎が明らか佐されるならば︑ラスキンが咽の  

噂想主義者十卜療ぬ輔とLてのカ 

十分の麗由が︑襲術批評家としての地位を別にして︑錯示されるとょ1.なるであらう︒﹃瓜衣装哲嬰Wと瓜掛去主現  

奮の作者が抱いてゐた歴史に射する達観世︑わがジョン﹂ラスキンは欠いてゐ・監といはれる大熊博士の批評  

は︑確かに聖ジョージ組合のサー寸ピア的性格に関する限り誤少ではない︒tかし乍ら既に古歌十年匿意る経済  

蓼の應奥の欠侶む悟って越野蓋義教経済革と結びつけることの必要を感じとつたといふことは︑或る意味では却  

って﹁骨太巻な歴史認放では乳かつたであらうか︒こ1竺フスキンを蛍トマスやダンテ︑更把モーナやカーライ  

ルせ同仙列牢固きえぬ鮎がある︒理想主義む聾竺佃霊峯乃至倫理たるに終らしめないでこれむ経済政策の野  

内に浸き︑﹁陰鬱料螢﹂を抑々陰鬱でないやうに構成しようとする試み︑これこそ猫り我がラスキンのものであ  

つ允Qである︒それならぼ︑マルクスの方はどうで蓼つたであらうか︒ 

ジョン・ラスキンと繹済螢  ニ二九   

(17)

二三〇   鰐サニ葛 餅ニュ二睨  

周到なる哉如﹁ラスキンとモリス﹂の著者はマルクろとラスキンとの差異にいて夙に次のやうな観察む下され  

た︒﹃若しカール.・マルクスの思想的立場︑すなはち赦禽の痙臍的形態抄磯革むひとつの自然的行程と解し︑個  

々人が︑筆硯的檻如何に四園の覇情を超越するとも︑敢愈的濫はその被造物で遜り︑従つて四囲の事情忙ついて栄  

位む負ふこと最も乏しいものでぁるとする立場に封しーその反封極の立場にある︑ものを求めるならば︑党づ.第側  

に摘むジニヲγ︒ラス韓ン些屈すべきは︑両者の歴史的偉大性の健劣のどときはしばらく招督∵ほぼ輿論のないと  

とみで■あらう︒美術批評家ラスキンをして鵬偶の敢愈思想家たらしめる特撰拡︑現代露柴盤活の原田翠よび諸結  

ヽヽヽヽヽヽ 粛に封する道徳的・審美的批判のみではない︒祀脅的事態と不正とに封する胤人的賛任感の強調である︒たとべ  

ぽ⁝⁝︒かくのどとぺ歴見附後腹過程に計ける道徳的不合儲を偶人のぎ訂に蹄すること︑そしてあらゆか階顔  

と職発とに向つて︑夫々そ望且場忙おける理想的の精締約典型む掲示することが︑ジョン・ラスキンの使命であ  

るかの如くである︒ゝ注意すべきは︑敢禽関係に対する偶人的茸任の雷大を説いたA此の最後め者にも∀の著者拭  

彼自身汲も敷くこの茸任感に悔んだものであるといふ叫轟である︒⁚⁝・﹄しかL博士のいはれるマルクスの個人  

層慧是とラスキンの呼人倫建重税との撃皿といふこと拉︑J結局甲八軒生理的横磯としての﹁経済人﹂ト′着るか  

生きたま1の﹁倫珪人﹂として看るかといノふ二親鮎 

間取がリカード以来ゐ﹁経済人﹂・ぱ想及その鳶ゝ受け攫いだものである古いふ非常に盈慰な事賢については︑琴  

妙にも傲り人々によつて反省されて・ゐ払いやう軋思はれ・る︒卜﹂このことは必ずしもマルクス︑笹封する非雑を意  

味するものではな㌢むしろ彼は功利主義支配の時代に功利主義の醗臍螢に徹するこrとに 

菜歴臍の矛盾の内在朗批判む果すことが出井た針のと私拭考へる︒.・・tlベンクミズムを経済蓼に注入すること忙  

よつて作られたりカード流の︵必ずしもスミスのでは患い!︶ ﹁照清人﹂思想波︑人々が古典派を批判する際∂   

(18)

好個の棟約と彗た︒琵ども功利主義曹挙が具・▲ド誉び見−蒜瞥義者達む警マルクス近よや水  陸匠移解せられて彿薗西的唯物静と脊髄せしめられる′や一兎彩陸離たるべ・ふル腎欝法の影荒くれる︒いはば  それは唯物粁詮洪濾患抄るアキレスの腔となる︒⁝ゲル元のマ妄言夕卜准勒によつて争を究められごル  ク意十数年豊るロンドンの慧嵩撃つ完成されたマルクス療笠が完苦瓜ハ悪質の吸収に各  て十七攫紀以舜の英幽の倦統的功利蓋暴追が放かつ允とすればむしろ不思議である○土ンゲんス碧トラ  

\ イヤのA過去と現在Wから餐永童義盛済皐批︑判について大小に革んだといはれてゐる︒しかし螢ぼれたものは市  

民瞥の矛纂放ではあつても這覧−ライル芸次の慧衰智慧は1思った︒鹿骨の宥恕級の宗  純別事の矛盾として割切ってし藍ふをろではー融合柿迫匿射する個人空軍任は問題となりえない︒個人は根本  匿お笠は誉﹁経済的﹂に存在すれぼ足る︒この偶人愉規の無税といふこと如唯㌫倫也甘あるといふ逆説こ  

妄功利主義哲傘の選評であつたのである︒個人が寄ら己れの利害む中心として純粋に劫ぐことが敢禽−個人の  

京大多数lトめ利益竺致し従って審構造の基蟄慧︑つ蕗諭基で臥るといふ警は︑バーナー下・ド︒マ ︵ 10︶  ソドヴ.イルの違の寓話W以来近代英国自由放任思想の痍億で告たが︑書芸滴らずも・﹁脛臍畢批判﹂の序言  に敵いて︑癒錐されたその改訂散文版乾見るのである︒例年マックス︒ヴデ・バーがプ占テスタソティズぶの  愉由と呼んだものも∵終局功利垂範が近代宗教へ主漁連しでゆく過程の分析から﹁理念型﹂宣して浮び上らしゆ  

られた概念に他ならないであ■らう︒  

︸  表¢マルクシズムにとつては︑緯商館盈供に益々踵太され行く被踵迫階級の著しみが克服さるペ普矛盾の核 

心である︒紛肉親食・適者生存のマルサス由原理に封抗し︑すべての人間の自然的生存権紀封といふヒキーマーr  

ズムの原理が優越す驚しかしこの三−てキズム應﹁最大多数︵潜働秦階級︶の駄犬事稽﹂といふ功利意義の   

℡  

≡   ジョyOラス号シと経済喪  

(19)

一ダ   

ノ  第二十義弟土・三野  ⑳±主二  

︵11︶  理想賢つてひそか匿支へられて.ゐる︒この理想警杉村博士のやづに﹁自然法﹂︷呼ぶことが暇に許され畠と 

しても︑それは生物準化的な自然法ではなくて︑人間の自然梅褐靭のト政策可能誉計宣的樋トト自然法冴わ  

である︒基にマルクシズムとダーウィニズムとの決定的な相違鮎が限る︒︑とのことを特に鋭く論遼したのはソー  

スタイン・ヴェブレンであつた︒  

ヴ;レンは∵マルクスが理論としてヘーゲル的唯物論︵唯物耕詮携︶に凍り︑且つこれに掠るについ七ぼ鷺  に憤雷魔討塞ぬ祭ら︑▲他巧驚漕理警して白票晶誓ことが如何にぴつた呈英国系買利遍 

の系譜に従ふものであるかについては︑皇然反省の潜をむら寧ぢたことハそしてこめベンクム流のヘドニズム  

の系譜は︑如何に浪漫狗乙的・ぺーゲル的系譜とは異質的な一本釆泰相容れぬものであつ允かといふこといそれ  

紅も拘らすこの二つの相富に異質的なものを巧みに﹁綜合﹂したところにこそ′マルクスの創造の才と魅力とを静  

めるべき甘雪と心ふこと嘉じ︑厳にす1んで︑雄近著トや準夢を逐げ食わ叙乃至祀脅心理畢の成兼に赦する  

jき︑この数式がオーストリア沢経済畢のへドニスティックな計算︵限界数用理論を指す︸と同様に最早如何笹  

観念的なもので.空かと︑レふことを説明して︑オブ≠イミストとしてのマルクスの風貌晶やかに箔奮出して  ︵12︶  

ゐる︒ととろで吾々にとつて綻︑ヴネプレンの慧眼だがまはりくどい制度璽流の説明よりもーむしろラスキ㌢  

流に率直性急に︑﹃マルクスもま写経済人﹂の魔術にか1つ′てい発といふことだ汐で十分だ!﹄と詮翫に誉ろて  

貰った方が簡静で琴領を得るやうに鳳はれる︒﹃今日の慧量義者達の路用してゐるものは︑マルクスわマルク ︵ 音 13︶ シズムではなくてダ★ウインの唯物主義である︒﹄ノといふヴよプレンの瞥め捻ハ 完〇七年に獲せられたもので  

ヽヽ ぁって︑現在では必ずしも営む絡な小にしても︑マルクよの奨天的功利︑重義の理想を見盛った常時の礪乙敢合意  

読者達共通の絶望状態を汲もよくいひあらはしてゐるであらう︒苧ヴュプレ蒜有のスケプチイ芸ムは︑餞  

(20)

訂して正統政経臍革もマ〟クス沃経済学豊ハ匿受容れえしめ.なかつたと同じやうに︑ラスキンの理想薫薄紅も務  

︵14︶  

−       に共感させえずに終ったことを認臥ねば怠らなぃ︒   

︵6︶ EditFノl・MOr訂yこ︒ぎ冒紆iつandS︒評−Etどcs∴芯㌫・官許芦丁旨C什ZO.−声吋=Nト   

︵7︶ W・G・C︒−洋品卓︒&﹀つ訂Li訂︒呵J︒hnR誘粁iプL呂d呂﹀00ed∵忘−−﹀噂.望N.  

︵8︶ Gほ︒T訂︸′亀・慧00・衝この鮎につい・てほ左をみよ︒大泉行雄教授﹁敢倉思想家としてのジョン○スチチアート●︑︐︑   

′  

︵u︶ 杉村既成簡士﹁政令斜撃﹂︵三木︑現代哲壊辞典申︶参照︒   

︵1︒ご T・言b訂n−T訂s︒Cia詳t曽︒コ︒mics︒叫雷r−Mar舛and罫s響巳すe声H..T訂丁訂2▲訂Of謬ユMar㌘   

むuar什彗−ylOu昌a−○叫EeOぎmic∽−くOL㍍がA畠.㌧−安芸†   

︑  ︵13︶ di丹tOこⅠ・T訂どterMar敷戸9J.〇叫︑EcOこ一己.舛だ一句eb.こり8.   ︵14︶ di旨−T訂丁訂︒甘yOft㌻e訂is空eC−aβN箋ぜ謎−¢−N−pp.−ひTN.  

五   

ラス・キンのぎer︵曽ti−e空言Omy︸∵に封する攻撃は︑言葉むかへれば﹁経済人巌想に封する攻撃であつたq  

そ︒にはラスキン白身も欝僻ぬ努あてゐると︒ろ写⁝︒ジーの氾讐必品随粧て㍑る︒作鷺も地味と  

思はれる会ネラ∀においてすら︑侍聖賢はもちろん︑ホメ芸︑プラトン︑クセノ葺から︑ 

タヨ︑ソ︑.ラスキンと倭商凝  二三≡  

■ ヽ    ︵10︶ これについての最も新しく且つ焼成ある次の文献をみよ︒上田辰之助鱒士コ感の寓話﹂の襟搾思想﹂≒1二鱒諭滞ら第ニ   ル﹂︵昭五︶︑序説︒  

︵9︶ 硬述参照︒  

鈴鹿二︑祝︵三浦博士記念論文集︶朗報︒  

(21)

讐三高竺・=痘  ニ旨   側ウ  ヨーサト︑スペンサ㌧シ土クスピア︑ゲー≠︑ヰ﹂リー︑ハーバート等の諸家の停品に対する紳革的解繹が喝   

所に跳踵し︑てしかも容易に出=夙堅不さす︑これを科挙の番として二組する宥をして辟易せし欄各ものがある1こ   

のことからラスキンむ感傷的思想家として断定することは叫見極めて容易である︒それにも拘らず︑これらの常  

葉生産引いて冷静に眺あるとき︑この﹁経済人﹂の経済に封するラズキンの攻嚢が︑同時に麓臍畢のゆ︑たかな新   

たるnべき二著草から取敢ヘザ注目すべき鮎を披き苔的に拾払出してみょう︒  Lい材料をも十分に食んでゐることが謎められるせあらう︒この材料が具鰹的にどのやうなもの・であるかむ黎然   と示すことは固より容易でない︒彼自身の経済拳擁系は未完成のま1打数柴され食からである︒だがをの序にあ   

\  Ⅰ︑脛準の目的乃至本質忙関する規定1・・通常の経済拳の照輝では人間鐘消化詣ける繹局面は夫々亙に鞄宜し   

鰐つ七夫々の目的の相互封立があり︑脛臍のl目的扱∑mer詫S3とLての芸mOn2y﹀﹀の増砥1苗雲霞等いへ  

鹿﹁蘭殖﹂古記malis−ic飢︶または﹁徴利﹂ハ宏喜︶V新しい普嘉でいひ直せば宿人的及び国民的所得の増大﹂   ハ   −に在ると看る︒従ってこれが人生敦盛としてゐ月的と結果においナ二致するか否かは直凄問題とはせられな  

い.︒ラスキン匿おいては経済の目的とは︑最初から︑且つ最後まで︑人坐白鰭の目的︑すなはちエi軍﹀ の獲得  

増張以外に私心︒消費の重税︒故に著し生活手段たる諸物資わ獲得乃室営利追求が偶人翠よび有機的敢愈全餞の  

︵沌︶  

ヱi窄む破壊溶くは減少する警還︑これは経済では頂い︒この規定は最も罷乳である︒   

Ⅱ︑宵の定義Ⅰ経済の水軍から引き崩されるたゞし空値昧の﹁原生﹂ ︵w軋∵乱酔艮宅㌫・beiぷ︶として  

の﹁匡︵w邑tF︶の概念1展南勢の主題︒これと許なる雇裕﹂ ︵ric訂sノとの憧別︒﹁富裕﹂は﹁螢蔓   

︵p︒喜ty︶に封應する相封語で︑他人の労働力乃至推力・に射する﹁支配﹂︵讐義挙属官︶む温昧サる︒﹁魯乏﹂  

とは逆忙支配されること像意味し︑﹁隷従﹂︵sla責y∵の義︒ま空買物質的蒐横壷○蒜u裟OCk︶との国別︒脛   

(22)

沸教︵富と富裕・貪乏との紺聯を究明す︶主管還︵富とス与との開聯を究明す︶︑雷びこれらと商業璧賓 ノ 

′へ沌︸  富打線術品等︶との固別︒寓後浮との闘聯蓼 

潤⁝       :︑ 巧緻臍秩序の構成笠品する親牢−それ浣仮の均衡曾賢eO叫e莞官営yJではなくして正義の  

均衡嘉㌢⁝ご邑旦で雪といふこと︒最近わ理論正よれぼ経済の均衡が不安蒙り㌃との由恐から ︑ヽ.  均衡條件と安党倣件とが別総論ぜられるが→動畢化患ふことの本営の意味︒雷安定的な均衡と・は愛惜と健騎  を含めての正慧均街以外にな笠と︒あらゆる営利的のみならず道徳的丁警へヴチ︑▲賢びキャパシティー       へ 

17︶.  の均衡︒故近の行動心理革の成果との開聯︒職分思想︒  

叩物そのもの︵鱒品埜産肇働α交換低値︶とやふ意味でめ﹁本補償鯖﹂︵i喜i乱け邑艮の概念と︑こQ本  

葬憤偲とそれを享受する﹁繋﹂︵capa音:慧品する富力汀髄質意思力︶と窟合賢つ歪み出さ  

れると壱の鼠果貸﹂︵きc蜜邑艮︵商品¢交換慣棺︶の慧との慣別︒この置別とマルクスの使用慣  

倍i慣恨1交換低位の罷別との閑聯U¶γカー下およ穂;ルクスの場合でほ使用憤倍ぬ関する限軋聯閑が打切られ  

11 る︒しかし労働法元の思考によりひそ・か琶れを快復す︒彼等償お料羞﹁軍刀﹂の陰伏化︒ラスキン踪よれば︑  

本発憤値をぺそ冨受讐むJとすれば慧低値は叩︒讐監︵y︶︑且つyの増加讐ねに冨増加せし 

むむ敦盛偵砥が正め▲とき漉w邑苧む︑零のときは邑訂ngをノーまた負・ならばd象呵uCtiく¢W邑許i声料=牢あ  

らはす︒明かにy芸憲政用可測垣間題と同じアポリアあり︒しかし需要函傲をみとめる以上はその中に陰伏  化されてゐる﹁能力﹂ぬついても︑﹁時間﹂間磁と同じくナ考む要すること︒要する忙﹁能力﹂問題の提起︒そ       人 

18︶  

れが必ずtも形而上学の領域でないこと︒  

ヤ︑慣偲と交換原理との開聯ぺ商品と絶カ  

ジョン:ブスキンと経済撃   ハ労働力︶との唆叩1⊥フスキンは傾楢原因につ朴て古典的塀働憾∵  

三五   

(23)

値.誠に綻ひづ1︑憤偲尺度の夢姦働時間が蓋警決掌るとし†利潤︵痢飴侶億に霊る︶豊贋よつ て甲み生 

じ︑交換︵雷び分配︶によつて掌るものではないとする︒フィジオクラシーへの反省︒従つ墓碑 芸換の笠は費 用乃至代償由慮通せ衷ちて篇原欝輩︒真贋の商菜は生産の﹂部門であつて営利ではな い︒利構嘗び 

警の震︒ラスキどJ︒B・クラーク︑遷アスキンとマルクスの雷︒この禦らの今日       ︵19︶ のこ革派樹立の解決へ の或る示唆︒  以上のやう最澄誓警豊︑むしろこの鮎品するモーリーの次の簡潔量約が叫殴の人に麓嘗あ  

らう︒﹃ラスキンJにとつては︑完は人間性芸心てのみ成掌る︑︒讐て﹁買入﹂喜成ナるやう姦蹄に 封 して禁感症である︒﹁経壇人﹂と誓食慾姦械﹂で雷︑孟芸笠は逮芸暮的愛情晶警妨 碍的茎葉 

にすぎぬ〟からで雪︒却つ吉トヅワースの雷雲と瞥︑〝吾々拭著と希警愛写ち豊治      ︑⁚︑︑11︑11⁚1⁚ 

⁚111〜′⁚111⁚         ヽ1ヽヽ する盈〟で雪て∵人間性晶するこれらの︑還姦思慕攣るとと喜︑永久に姦悪あ是科叢 ヽヽヽ で監︒個人 

は己れの仕雷︑叫漕梵問的緒情葡から斗他方では肉贈的男晋意望から︑扇撃ことが    ⁚⁚︑︑⁚1⁚⁚11︑11︑1〜 

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とし毒へるの竿分でない︒個人墨ふ恕誉警も荒も︑同時に図家に反作用L漂的書的厚 苫矛掌 

る︒同時にま焉場で賞しえぬノも′のf貰・歪・犠慧︒才讐還等々i肱・孟驚拘 ︵20︸ らず︑雷供給に誓書姦轡笈賢し︑及警ざ 

る髪ざ蓋︵傍郵筆肴叫要する監岩窟・こはエコノ ミック・マン同志の宗の均衡では苧て︑・‖レーシ言宅⁝−ショナル莞問望心霊警憐警の均等 雪 といふ霊が決して非料率的でないと‡ことは明らかと空で誓う︒  

へ禁c芸u爵慧二号きe嵐這孟ぎe讐二滋・盲t昌is貰冨喜i巨Ec︒n︒myO妄言e呵長e戸   軍二王一巻 鱒二・≡設  ≡六   

(24)

∧16︶Muner銅︸=−seq・∵切付か革㌫∽冨山・盲n什〇・拗∽¢革完⁚E・0叫A→−ふ一言C・\   

︵17︶ M︒諾rごApp.︑︸⁝冒t︒−抑−○︶勒彗se山.ごぎ  

<鱒︶Unt︒㌫ぎ昔風盲neゑーN革︹荷﹁讐﹂聞返について讐九〇九年盲平野Ha註eなる人物が行つ ︑  

た演寵に喝教委したタイムズ紙上の⁝タク︵W・翠M崇c紆︶封シ・ヨウの贋を興味誓論寧のととを参照すべきであら   ぅ︒c叫・出・S賢㌫OCia−ism一a鼠Sup2百官i蔓A嘗冒−OMr・M註○卑1邑On−冨●雷管丁重芦−声′u   ︿讐冒責a−均等ギ﹀吻軍肋冨n⁚Un什0−∽思ご虐十   

︵讐 E・㌣等温ey−Op.Cit.も.−−.  

大  

J  私ほ以上覧笠︑嘉では大熊博士のラスキンに封する制限的解繹の由つて辣る理由を指摘し︑その十分な  功践がラスキンにお望遠徳感・職分感賢つて繋がれる塾術と経済とめ不宙分性を看破され海尉にぁられるに  

も拘らず㌻スキン¢露る職分思想を中心とす孟想違約志向基局に芝て形甲遺言同睨されようと  

したところにラスキン評慣の制限面があるといふことをば明らか灯し恕︒更に他方では︑ショウ1!河上博士の  一っスキンに封する損張的解樺の由つで禿る理由が︑ラスキンをマルクスと同列にぉいて敢愈室蘭者として親祭す  ること 

ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 尭︒結局何れの編棒に・おいても不備であつたこよは︑三キンが理想主義的倫理感にも︑とづく新しや1ト近代の  

︑︑︑︑︑︑︑1〜 1 1 11 11/1 11︑1 111︑1 11 1︑・  11 11 1ヽ︑︑ヽ︑ヽ 1ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽヽ ヽ︑︑ヽ 1ヽ ヽ 感臍警とつて新しい︑しかし入間忙とつては夙に古い1材料を以て控臍革急き直さうと七宝嵩そのもの  

\ 転封して︑︑評慣が不徹底であつたと小ふこと︑︑これである︒私はまたこのラスヰソの志向︑並び托それに封する  

書芸許偵が︑必ゃしも歴史への逆行でもなけれぼ形而上革の遊放砿嵐するものでもないといふととを指摘しよ  

ぅと努めた管芸る︒Aムネラ;ルウ言ス蒜菅に彼の未完成窟済塔慣系に射する序讐雪濠かや・   ヨソ︒ラ妄言理研壌  三七   

(25)

第十二審 撃て三敬  

二  

三一天  

甘なべ︑また新しい未完成な理想主義麗海塵への序詭となりうるであらう︒Lかし繰華していふやうに︑功利主  

義・理想主義の優劣そのものは全ぺ別個の課題である︒たゞ両者の差異に従づて夫々に基いて成立する経済拳鰻  

系の農具を特にラスキンをめぐつて吟味することが鼓での問題であつた︒賛際︑ 

も存在しえない︒栗臍単における功利ま義背嚢の基ぶは決して古典派経済革とともに消失したのではない︒﹁澄  

臍人﹂の思想む批判ずることは改正一八・電○年以釆グッフ●レスリーやアウグスゝト︒オンケン以下のいはゆる古  

典派批判家群の極めて通俗な思考である︒しかL﹁経済人﹂の思想を批判するだけではもちろん功利主義尊重そ   

のも町む放賛した経済笹の樹立藍蒜トない︒否むしろ近代におゼる経済劉憂殊にぼ値論1の歴史は︑或る \  

憩味に芝て功利重義牽展兜の叫側面ですら雪た︒名は数用慣偲単説の偶人の瀾費の詭明から致命ぬ生産  

め説明への飛撞軋明らかにこのことを立記してゐる︒伯方で確近代的な労働偵低誠にぬける債倍賞臨機念や刺飴  

憤倍の分配に関する思考︑愚笹階級的刺客の観念巧功利主義の地膵有くしては考へられないbさうしてみると  

寄既において﹁経済人﹂0思想11典鰻的にいへば親争原讐交換汀東軍僚埋忙よ≠て支配される市場人の思想  

−を前提してゐない脛臍笹閤系もいふものは︑﹁料拳﹂の範囲にお笠は容易に見常逐ない︒常分のところ蕾  

乍はそれへ望心向状況を探ること計以て満足し・なければならないであらう︒私ほ故後にこの探求の粗赦な島撤粗  

を描くとと数以てこのさ1Lやか■琴アスキン解樺をむすぴたいと恩ふ︒  

まづ︑英音別に翠ける功利主義の貼鷹確立盟肌匠あつて︑蘇格繭わ特殊な遷確約茶気に包まれた結果︵ラス卑 ︵ 21︶  ンも蘇格蘭の血統む断つてゐ発こと里芋注意しよう︶︑﹁経済人﹂思想の影響むうけつゝもとれから臆しょうと  

虞蟄に努めたところQ特殊な︑そして偉大な経済螢者は︑アダム・スミスであつた︵この彗蒜は問題が掛ら  

ぅ︒しかし乍ら遺徳情操論∀から感富論∀へのスミスの哲蓼の欒遷に望芋べきであらう︒W︒も︒グラム  

︶1−J   

参照

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