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近代史のなかのオセアニア国家 : ミクロネシアの 現代 ―2極分化への道―

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近代史のなかのオセアニア国家 : ミクロネシアの 現代 ―2極分化への道―

著者 小林 泉

雑誌名 国立民族学博物館研究報告別冊

巻 021

ページ 307‑327

発行年 2000‑03‑21

その他のタイトル Oceanic States in Modern History : Economical Affairs in Micronesia after Independence

URL http://doi.org/10.15021/00003517

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第6章  近 代 史 の な か の オ セ ア ニ ア 国 家

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小 林    ミク ロ ネ シ アの現 代

ミ ク ロネ シ ア の 現 代

2極 分 化 へ の 道

小 林 泉*

は じめに

  信託統 治終 了後の国 々

Ⅱ   発展地域の驚異成長

Ⅲ   経済成長の要因

Ⅳ  発展地域の社会変貌

Ⅴ  開発が進 まぬ地域

Ⅵ  経済停滞 の理由

Ⅶ   停滞地域 の社会変化 おわ りに

は じ め に

  ミク ロネ シア の 島 々か ら 「太 平 洋 国 連 信 託統 治領 」 とい う厳 しい肩 書 きが 消 え た の は,早 い もの で ひ と昔 前 とい う気 がす る。 パ ラオ は信 託 統 治 の終 了 が1994年 だ った か らまだ5年 だ が,そ の他 の ミク ロネ シ ア連 邦,マ ー シ ャル諸 島,北 マ リア ナ諸 島 の2 力国 ・1地 域 で は,国 連 管 理 の 政 治地 位 終 了 か らす で に12年 が経 過 して い る。 だ が, 国民 国家 の建 設 とい った 観 点 に 立 て ぽ,こ の10余 年 の歳 月 は 決 して長 い とは 言 え な い。

ま してや,有 史 以 来一 度 も 国家 形 成 の経 験 を持 た な か った地 域 だ け に,こ の時 点 で国 家 的 完成 度 を 云 々す るに は,余 りに も時期 尚早 とい う見解 が あ って い い だ ろ う。 「国 家 百 年 の計 」とい う言 葉 か らす れ ぽ,ま だほ ん の 一 割 強 の時 間 が経 過 した にす ぎな い。

  さ らに また ミク ロネ シア の 国 々 は,長 い歴 史 的経 過 の 中で醸 成 され た 地 域 住 民 の 内 在 的 なエ ネ ル ギ ーに よ って形 成 され た 国 々で は な い,と い う点 に留 意 しなけ れ ば な ら な い。なぜ な ら,こ れ らの 国 々は統 治 国 ア メ リカ とそれ を取 り巻 く国 際 的諸 事 情 に よ っ て,領 土 範 囲 や政 治 ・行 政 機 構 とい った国 家 的 枠 組 み が規 定 され た か らで あ る。 そ し て 国民 は,そ の与 え られ た 枠 組 み の 中 で,国 家 の 完成 に 向け た 営 為 努 力 を強 い られ て

*大 阪学院大学国際学部

Key  Words:Micronesia,  growth&stagnancy,  development  policy,  economical  in‑

       dePendent.  foreign  aid

キ ー ワ ー ド:ミ ーク ロネ シ ア 諸 国,発 展 ・停 滞,開 発 政 策,自 立 経 済,経 済 援 助

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国立民族学博物館 研究報告別冊  21号 い る。 こ こで言 う国家 の完成 とは,第 一 義 的 に は 「経 済 的 自立 」 を意 味 し,政 府 指 導 者 層 の関 心 は も っぱ ら こ の点 に照 射 し続 け て きた 。 島 々が 独 立 国家 と して 歩 み 出 す に あた り,統 治 を して いた ア メ リカは もち ろん,近 隣 の先 進 国 は これ を支 援 し,経 済援 助 も実 施 した が,こ う した外 部 の協 力活 動 を受 け 入 れ る の も また,与 え られ た 国 家 的 枠 組 み の範 疇 で あ った。 それ ゆ え ミク ロネ シ アの 国 々は,初 めて の 国家 建 設 とい う国 民 的事 業 に もか か わ らず,出 発 の 時 点 か ら外 国の 経 済 的依 存 に よ って 自由 な民 族 の 裁 量 権 を実 質 的 に剥 奪 され た まま,一 定 の方 向 に 向け られ た レー ル の上 を走 ら され て き た 。 しか も,初 め か ら決 め られ た 期 間 内 に,国 家 と して の 自立形 態 を お おむ ね 完 了 さ せ るべ く条 件 が 付 され て い た。 これ が,ア メ リカ との15年 間 の 自由連 合協 定 で あ る。

この15年 とい う国家 の 完 成 目標 の期 間 を前 提 にす れ ば,独 立 か ら12年 が 経過 した現 時 点 で 国家 の 完成 度 の 状 況 と今後 の方 向性 を 考 察す る こ とは 決 して 時期 尚早 とは言 え ま い。 そ れ ど ころか,第 一一次 自由連 合 協 定 が 終 了す る2001年 を 目前 に控 え,自 ら これ ま で の 国家 運 営 に対 す る冷 厳 な評価 を下 し,惰 性 的 国 家運 営 を 脱 した 新 た な 国家 方 針 を 策定 しは じめ るそ の時 期 が 到 来 して い るの で あ る。

  とい うの も,1999年11月3日 か らア メ リカ と ミク ロネ シア連 邦,マ ー シ ャル諸 島共 和 国 との 間 で,独 立 か ら今 日に 至 る実 情 の総 括 を 踏 まえ て,自 由連 合 協 定終 了後 の財 政 支 援 問 題 を含 む協 定 継 続 問 題 に 関す る政 治 交 渉 が ス ケ ジ ュー ル化 さ れ て い るか ら だ1も こ う した 時 期 ゆ えに,ア メ リカ は も ち ろ ん,援 助 問 題 な ど を 中心 に こ の地 域 に 関 わ ろ うとす る近 隣 諸 国 が 島嶼 国家 の 現 状 を 分析,把 握 し,そ の結 果 導 き出 され る幾 つ か の 島嶼 国家 の可 能 性 に 基づ く将 来 像 を 認識 して お くこ との意 義 は大 きい 。   そ こで 本論 で は第 一 に,信 託 統 治が 終 了 した後 に 出現 した 国家 ・地 域 が,現 時 点 で

経 済 自立 を どの程 度 達 成 し得 て い るのか,否 か を 追 究 した い。 これ は既 述 の よ うに, 独 立 時 に ア メ リカが期 待 し,島嶼 の人 々が 描 い た 国家 像 の完 成 度 を はか る指 標 とな る か らで あ る。 しか し島 々 に は,経 済 開発 行 為 に連 動 して 以前 とは 異 な る島環 境 が 出現 して い る。 新 しい 国家 を つ くるた め の新 しい経 済 行 為 は,結 果 と して 島 々に多 大 な社 会変 化を 強 要 す る役 目を果 た した の で あ る。だ が この 過程 で,独 立 時 に 目標 と した 「国 家 の 完成 」 が 単 に 「経 済 自立 」 の達 成 だ け に依 拠 す る もの な のか,と い う国家 概 念 に 関 す る根 本 的 な疑 問 が 急 浮上 して きて もい る。 島唄 社 会 の 実態 とア メ リカが設 定 した 近 代 化 へ の レー ル とは そ もそ も矛 盾 的 存 在 で は なか った か とい う認 識 の 芽生 え ・ それ は,島 喚 人 が選 択 肢 の な い 一元 的 な 国家 像 を 強 い られ て きた こ とに よ うや く気 づ き始 め た 証 で もあ った。 な らば,島 嘆 国家 は 自 らの存 立 基 盤 を ど こに 求 めた ら よい の か,

ア メ リカが 敷 い た レール 以 外 に 国家 建 設 の 選 択肢 が あ った の だ ろ うか,こ れ が 本 論 に

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小林  ミクロネシアの現代

お け る第 二 の論 点 で あ る。 これ は,新 た な ア メ リカ ・ミク ロネ シ ア関係 の あ り方 や 日 本 を含 め た近 隣 先 進 国 の 関 わ り方 に も関 連 し,同 時 にそ れ は21世 紀 に存 在 す る島 喚 諸

国の 現 実 的 な姿 の展 望 に も繋 が る で あ ろ う。

Ⅰ  信託統 治終 了後 の国 々

  信 託 統 治 領 の 島 々は,4つ の政 治単 位 に分 裂,再 編成 され た。 そ こに至 る経 緯 に つ い て私 は,拙 書(『 ミク ロネ シ ア の小 さ な国 々』,『ア メ リカ極 秘 文 書 と信 託 統 治 の 終 焉 』)で 詳 し く記 述 した の で,こ こでは 重 複 を 避 け た い。4つ の政 治 単 位 の 内,北 マ リア ナ諸 島は 米 自治領 とい う政 治 地位 を選 択 した た め,正 確 に は 国家 で は な く 自治 国 と言 うべ きで あ る2も だ が 本 論 で は,特 に 区 別 す る とき以 外 は 国 と表 現 して,他 国 と 並 列 に論 じた い。

  そ れ ぞれ の思 惑 を秘 め た域 内再 編成 の結 果,こ の地 域 に誕 生 した4力 国 の指 導 者 た ち は 国 づ く りの なか に数 々の可 能 性 を秘 め た夢 と理 想 を 描 い て い た。 とは い え,誰 も がバ ラ色 の未 来 を 想 像 して いた わ け で は な い。 む しろ,国 家 存立 の不 利 条 件 を数 多 く 抱 え て い た が ため に,す べ て の未 知 数 に 対す る不 安 要 素 が 将 来 へ の視 界 を 曇 らせ て い た か も しれ な い。 そ うした厳 しい現 実 社 会 の洗 礼 を受 け な が ら こ こま で来 た 今 の姿 を 客観 的 に分 析 す れ ぽ,彼 らの希 望 や 理 想 が ど うで あれ,島 峡 国 家 が掲 げ た 諸 政 策 の成 否 と将来 へ の可 能 性 に 対す る答 は,す で に 出 た と言 って い い 。 国 々の今 とは,究 極 の 開発 に 突 き進 ん だ北 マ リアナ諸 島 を一 方 の 極 に,そ して基 本 構 造 と して は独 立 時 と変 わ らな い ミク ロネ シア連 邦 とマ ー シ ャル 諸 島 を も う一 方 の極 に お く二極 分 化 した 姿 で あ る。 独 立5年 目のパ ラ オは,北 マ リア ナ諸 島 の 方 向 に 向か いつ つ あ る よ うに も見 え るが,現 時 点 で は両 極 の中 間 地 点 に位 置 して お り,北 マ リア ナ型 に 突 き進 むか 第 三 の 道 を 歩 み 出 す か は 今後 の政 策 決定 如 何 に か か って い る。 こ の あた りの現 状 分 析 と未 来 予 測 も また 極 め て興 味 深 いが,本 論 では これ 以 上 パ ラオ につ い ては 触 れ な い。

  既 述 した 二 つ の極 を仮 に 発 展地 域 と停 滞 地 域 とす れ ば,発 展 地 域 で あ る北 マ リア ナ 諸 島は,経 済 的 自立 とい う意 味 で す で に完 成 度 に 到 達 して い る。 一 方,停 滞地 域 で あ る ミ ク ロネ シ ア連邦 や マ ー シ ャル諸 島 は,国 家 の 完 成 に は程 遠 い状 態 に あ り,こ の時 点 では 将 来 へ の 明 るい展 望 も見 い だ しに くい。 そ れ ゆ え,発 展 した 地 域 の 国 家建 設 は 成 功 し,停 滞 地域 で は失 敗 だ った とい う見 方 もで き る。 とは い え 停滞 地 域 に お いて も, 外 資 の誘 致,航 空 路 線 の拡 大,観 光産 業 の 開発,外 部 技 術 の導 入 とい う近 隣 先 進 国 を 巻 き込 も う とす る諸 政策 は,基 本 的 に は発 展 地 域 と同様 で あ った が,結 果 と して は経

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      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 済 発 展 が 実 現 しなか った の であ る。 それ は,ア メ リカが施 政 権 を 握 って い た信 託 統 治 領 とい う同一条 件下 か らの ス タ ー トで は あ っ て も,自 治政 府 の開 発 政 策 上 の違 い 以上 に,地 理 ・地形 的,国 家 形 成 の社 会構 造 的,国 際 関 係 的 な諸 条 件 に大 きな 相違 が あ っ た か らだ 。 ミク ロネ シアが こ こへ きて は っき りと発 展地 域 と停 滞 地 域 へ と二極 分 化 し た最 大 の理 由は,こ こに あ る。

  しか し,北 マ リア ナ諸 島が 行 き着 い た社 会 的 現 実 を鑑 み る と,経 済 的 自立,す なわ ち 自治 政 府 を ア メ リカの援 助 な しに運 営 で き る まで に 域 内収 入 を増 大 させ る とい う点 の み に 国家 形成 の 目標 を 設 定 した こ とが果 た して 得策 で あ った のか,吟 味 す べ き数 多 くの問 題 が 噴 出 して きて い る。 この地 域 の人 々は経 済 的利 益 と引 き替 えに 島 の伝 統 性 を こ とご と く失 った し,出 発 時 とは ま っ た く異 な る島 の社 会 環 境 が 出現 し,そ れ に伴 う従 来 に は なか っ た社 会 問 題 の付 加 が政 府 に 新 た な課 題 を 招 来 させ て い るか ら で あ る。 ミク ロネ シ ア連 邦 とマ ー シ ャル 諸 島 は,こ の発 展地 域 の驚 異 的 な経 済 成 長 を羨 望 の眼 差 しで み る一 方,伝 統 性 の喪 失,住 民 文 化 の マ イ ノ リテ ィー化,生 活 環 境 の激 変 等 々へ の警 戒 感 を強 め て い る。 そ れ ゆ え北 マ リアナ諸 島 は,良 く も悪 し くも,島 喚 開 発 を突 き進 め た一 つ の究 極 的 な形 と して,停 滞地 域 の貴 重 な 参 考 事 例 に な った。で は, そ の北 マ リア ナ経 済 の成 長 実 態 が どの よ うに推 移 した のか,次 項 で検 討 して み よ う。

Ⅱ  発展地域の驚異成長

  サ イパ ソ,ロ タ,テ ニ ア ンお よび北 方 諸 島が,北 マ リア ナ諸 島 とい う一 つ の 自治体 と して 発 足 し た の は1978年 で あ る 。 対 米 関 係 の 形 式 が 信 託 統 治 領 か ら米 自 治 領 (Commonwealth)へ と移 行 した の が86年 で,信 託 統 治 の終 了 が 国 際 的 に 認知 さ れ た の は90年 だ った。 しか し,実 質 的 な 北 マ リア ナ諸 島 の 内政 自治 化 は78年 か らだ と考 え て差 し支 え な く,こ の時 点 か ら 自主政 策 に基 づ く域 内 開発 が着 手 され,20年 が経 過 し た 。

  ア メ リカ と の政 治交 渉 で 独 立 国家 の形 態 を 模 索 す る信 託統 治 領 ミク ロネ シ ア の 中 で,こ の 地 域 は他 諸 島 との連 合 構 想 か らはや ば や と脱 退 を決 意 し,ア メ リカ帰 属 の 自 治 政 体 を 形 成 す る道 を 選 択 した 。 そ こに至 るに は,域 内諸 島間 に 生 じた 対 立 的思 惑 や ア メ リカ との政 治 駆 け 引 きに よ る曲折 が あ った が,北 マ リア ナ諸 島 が 他 地域 か ら分 離 して ア メ リカ領 を望 ん だ 最 大 の 動機 は経 済 開 発 上 の効 率 主 義 に 他 な ら なか った。 信 託 統 治終 了 後 の政 治体 制 交 渉 は,統 治領 の地 域 枠 を 一 国家 とす る原 則 で 始 ま った。 とは い え,そ もそ も人 種 的,文 化 的 に も同一 では な い マ ー シ ャル,カ ロ リソ,マ リア ナ の

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小 林    ミク ロネ シア の現 代

三 諸 島 か らな る ミク ロネ シア が,初 め て 自 らの主 権 を樹 立 す るに あ た り,地 域 を 統 一 させ な け れ ば な らない 内 部 的 な必 然 性 は特 に 見 当 た らなか った 。 同 時 に,同 緯 度 上 の 海 に数 百 キ ロ離 れ て散 在 す る島 ど う しは,政 治 的 思惑 を除 外 す れ ば,相 互 補 完 性,協

力性,統 一性 を希 求 す る関 係 に は な りに くか った の で あ る。

  こ、うした 状 況下 で マ リアナ 地 区 が独 立 政 体 を選 択 した主 た る理 由は,第 一 に ア ジ ア の人 口密 集地 帯 に一 番 近 く,ア メ リカ領 グ ア ム と同一 諸 島 ・文 化 圏 に あ る とい う地 理 的要 因 が 挙 げ られ る。 この 地 区 内 に あ るサ イ パン は,日 本 統 治 時 代 に は 日本 に 最 も近 い南 洋 群 島 の 島 と して開 発 が 進 み,域 内最 大 の 人 口を誇 った 。 そ の 後 の信 託 統 治 時 代 も高 等 弁 務 官府 が設 置 され,グ ア ム に隣 接 す る航 空路 の要 島 と して イ ン フ ラス トラ ク チ ャー の整 備 状 況 が他 地 域 に 比 べ て抜 き に 出て い た 。 これ らは み な,こ の 島の 有 す る 地 理 的 優 位 性 の た め であ る。

  第二 は,ア メ リカに よる テ ニア ン島 の軍 事 基 地 建設 構 想 であ る。 ア ジア大 陸 に直 面 す る ヴ ェ トナ ムル ー トの 最 先 端 基地 と して活 躍 した グ アム の米 海 軍 基 地 に連 動 して, 同一 諸 島 内の テ ニアン に グア ムを補 強す る海 空 軍 基地 を建 設 しよ うとす るア メ リカの 計 画 は,他 諸 島 との違 い を際 立 た せ る 島経 済 発 展 の重 要 な 目玉 と して 北 マ リア.ナ諸 島 の政 治 指 導 者 を 引 きつけ た 。 他 に も幾 つ か の分 離 理 由は見 いだ せ る。 しか し,こ の二 つ の有 利 性 は,隣 島 グア ム の経 済 的 成 功例 を 目の当 た りにす る人 々に とって,観 光 業 と基地 産 業 を 二 本柱 と して経 済 発 展 の シナ リオを 具 体 的 に イ メ ー ジで き る極 め て重 要 度 の高 い要 素 で あ った。 そ して,こ れ を有 効 に活 用 す るた め に も,足 手 ま とい に な る カ ロ リン,マ ー シ ャル の両 諸 島を 切 り離す 必 要 が あ った 。

  さて,他 を 分 離 し発 足 した 自治 政 府 は,た だ ち に観 光産 業 の振 興 事 業 に着 手 し,毎 年 驚 異 的早 さ で諸 島経 済 を拡 大 して い った。 表1は,そ の拡 大 の ス ピー ドが どれ ほ ど 凄 じか っ たか を 如 実 に示 して い る。発 足 年 度(78年)に おけ る政 府 の 域 内 収入(税 収, そ の 他 で,米 国か らの 補 助 金 は含 まず)は500万 ドル だ った が,10年 後 の88年 は7,240 万 ドル と14.5倍 に 成 長 し,そ の 後 も順 調 に 増 加 し続 け97年 では2億4,970万 ドル と初 年 度 の な ん と50倍 に も拡 大 した の で あ る(Economic  Service Counsel  1998)。 そ の 間 の年 間 平 均 成 長 率 は19.75パ ー セ ン トに達 して い る。 そ れ に と も な い 自治 政 府 の予 算 規 模 も,97年 では 発 足 時 の17倍 に膨 張 。 ア メ リカ が拠 出す る財 政 補 助 額 が 域 内 収 入額 を 上 回 って いた の は82年 まで で,そ の後 は 数字 が逆 転 し,93年 か らは補 助 金 が な くな

り自治 政 府財 政 は完 全 に 自立 した。

  こ この 現在 の経 済 規模 をGDPで 示 す と約22億 ドル,こ れ を6万 人 弱 の人 口か ら一 人 当た りGDPを 割 り出 す と3万5,000ド ル で,ア メ リカ本 国 の2万7,800ド ル(96年)

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      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 表1  北マ リアナ諸島 自治政府財政支 出

      単位:百 万 ドル

年 域 内収入 財政援助 収入合計 総支 出

1978           $5.00         $9.90            $14.90            $14.90 1979        $7.00         $11.90         $19.40         $19.30 1980          $10.20         $13.00        $23.20        $23.00 1981          $10.80           $14.40           $25.20           $25.80 1982         $14.20           $15.20           $29.40           $29.80 1983          $21.50           $16.10           $37.60           $38.00 1984         $24.40           $16.30           $40.70           $44。70 1985           $32.40         $16.90         $49.30         $51.00 1986           $43.20         $17.80         $61.00         $58.50 1987          $52.80         $17.00        $69,80        $68.50 1988           $72.40         $16.40         $88.80         $76.70 1989          $80.00        $15.00           $95.00           $81.50 1990          $103.80         $13.00        $116.80        $108.60 1991          $140.00         $11.00           $151.00           $156.30 1992          $149.10         $10.30           $159.40           $156.90 1993         $138.60         $0.00           $138.60           $154.10 1994          $153.00        $0.00        $i53.00        $181.60 1995          $199.80         $0.00           $199.80           $187.60 1996          $226.70        $0.00        $226.70        $221.70 1997          $249.70         $0.00           $249.70           $249.90 出 所:Finance  paper,  Department  of Finance/1998,  CNMI

を は るか に上 回 って い る。 これ は 先 進 国 上位 の水 準,つ ま りた った の20年 間 弱 で 国 際 的 に も最 高 水 準 の裕 福 な 国へ と成 長 した の で あ る。 奇 跡 とい わ れ た 日本 や 東 ア ジ ア諸

国 の経 済 成 長 速 度 を,は るか に凌 ぐ勢 い だ と言 え るだ ろ う。

Ⅲ  経済成長の要 因

  こ の 地 域 の 経 済 成 長 を 飛 躍 さ せ た 原 動 力 の 筆 頭 は,日 本 資 本 お よ び 日本 人 観 光 客 を タ ー ゲ ッ トに し た 観 光 産 業 で あ った 。 そ の 成 長 ぶ りは 訪 問 者 数 の 増 加 推 移 を 見 れ ば 明 ら か で,78年 の5万7,319人 か ら10年 後 の88年 に は22万3,291人,97年 に は72万6,690 人 に も膨 張 し た(Department  of Commerce  1996)。 こ の 内,80年 代 の 半 ば ま で は 日 本 人 が80パ ー セ ン ト以 上 を 占 め て い た が,そ れ 以 後 は 韓 国,台 湾 か ら の 訪 問 者 が 急 増

し,こ こ 数 年 の 日 本 人 シ ェ ア ー は60パ ー セ ン ト程 度 に な っ て い る。

  観 光 と 軍 事 基 地 を 二 本 柱 に し た 国 家 経 済 を 想 定 し て ス タ ー ト し た 自 治 政 府 だ っ た

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小林  ミクロネシアの現代

が,そ こで は二 つ の誤 算 が 生 じた。 一 つ は,基 地 建設 計 画 の 中止 で あ る。 信 託 統 治 終 了 の時 点 で ア メ リカ は基 地 計 画 を 白紙 撤 回 し,テ ニア ンの建 設 予 定 地 を 自治 政 府 に返 還 して しま った。 二 つ め は,政 府予 測 を は るか に 上 回 る観 光 産 業 の 展 開 で あ る。 怒 涛 の よ うに 流 入 す る外 国資 本 に 対 応す る ため,政 府 は 外 国人 へ の土 地 売 買 を禁 止 す る 憲 法 規 定 か ら生 じる制 約 を事 実 上 取 り払 うべ く,外 国 法 人 へ の50年 の 長期 リー ス法 を 制 定 して ホ テル建 設 の た め の外 資 を受 け入 れ た 。 さ らに,そ れ に ともな い建 設 や ホ テ ル部 門 で急 激 に 不足 す る域 内雇 用 を補 うため に フ ィ リピン,中 国,韓 国 な どか ら労 働 者 を導 入 した 。 基地 建 設 の 中止 ほ 誤算 で は あ った 。 しか し,観 光 産 業 の 発 展 は基 地 経 済部 分 の消 滅 を 補 って 余 りあ るほ どの 勢 い で,結 果 と して 諸 島経 済 の成 長 に は な ん ら 打 撃 とは な らな か った の で あ る。

  著 しい観 光 産 業 発 展 の一 方 で,86年 の信 託 統 治 終 了 を 契機 に縫 製 業 が 登 場 し,も う 一 つ の主 要 産 業 へ と成 長 した。90年 代 の産 業 統 計(Department  of Commerce  1996)

を み る と,こ の 業 種 が 常 に全GDPの18パ ーセ ン ト前 後 を 占め て い る。 これ は 小売 り 業全 体 のGDP値 とほ ぼ 同額 で,ホ テル 業 の6パ ー セン ト強 と比 べ る と単 一 業 種 と し て は抜 き に 出た 数 字 で あ るの がわ か る。この業 種 の担 い手 は,香 港,台 湾 の資 本 家 だ っ た。 製 造 され た 既 製 服 や セ ータ ー類 は ア メ リカ本 土 へ 向け た 輸 出 品 だ が,北 マ リア ナ 諸 島 か らの製 品 は ア メ リカ国 内 の移 動 で あ って,輸 出品 と して の 関税 等 の制 約 を 受 け な い とい うア メ リカ領 と して の有 利 性 が あ り,こ の点 に着 目 した 事 業展 開 で あ った 。 この よ うに域 内経 済 は,自 治政 府 発 足 当時 に 地 元 指導 者 らの誰 もが 予想 で き なか った ほ どの速 度 と方 向 で奇 跡 的 な経 済 発 展 を遂 げ た 。 北 マ リア ナ諸 島 とい って も そ の開 発 は サ イ パ ンだけ に集 中 して い た の だが,結 果 か らみ て この奇 跡 を 可 能 に した要 因 を分 析 す れ ぽ,次 の諸 点 を挙 げ る こ とが で き よ う。

  まず 第一 は,有 利 な地理 性。人 口密 集 地 で あ る ア ジア大 陸,日 本,台 湾 な どに 近 く, グア ム と同 一諸 島 内 に位 置 す るた め に 日本 ・グア ム空 路 の経 由地 とな った 。

  第 二 は,ア メ リカ領 の選 択 。 これ に よ り当面 の安 定 した財 政 援 助 が 約 束 され る と と もに,ア メ リカ領 と して の安 心 感 が海 外 の資 本 家 に よ る投資 意 欲 を 誘 発 させ た 。   第 三 は,社 会条 件 の整 備 。 サ イ パン は空 港,道 路,電 気 な どの社 会 イン フ ラス トラ

クチ ャーが 他 の 島 々 に比 べ て整 って い た。

  第 四は,開 放 的文 化 背景 。 マ リアナ 諸 島 は ス ペ イン 時 代 お よび1898年 以 降 の ア メ リ カ時 代 を 通 して 西 欧 人 ・フ ィ リ ピン人 な ど との混 血 化 が 進 み,近 代 化 を 阻 み や す い伝 統 的社 会 構 造 が 存 続 して い なか った 。 また,観 光 産 業 が発 展 した 隣 島 グア ムの 経 験 を 目の 当た りに して い た 。 こ う した 諸 条 件 が外 資 に よる新 事 業 や 外 国人 を受 け 入 れ や す

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      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 い 社 会 的 土壌 を つ く りあ げ て い た。

  以 上 の よ うな 開発 の た め の プ ラス要 因 は,ミ ク ロネ シア の他 の 島 々に は な い。 そ れ が80年 代 の 日本 並 びに 東 ア ジ ア諸 国の 好 景 気 と海 外旅 行 ブ ー ムに 遭 遇 して,一 気 呵 成 に花 開 い た 感 が あ る。 幾 つ か の好 条 件 が 重 な った とは い え,わ ず か に 面積120平 方 キ

ロの 島 が これ ほ ど短 期 間 に 高 度経 済 成 長 を 遂 げ た 事例 を,私 は他 に知 らな い。

Ⅳ 発展地域の社会変貌

  経 済 の 発 展 が社 会 変 容 を 招来 させ る のは 当 然 で あ る。 だ が,小 さな 島に起 こった 急 激 な 発 展 が地 元 社 会 に 与 え た 影響 は 計 り知 れ な い 。 この20年 間,私 の 目に映 った サ イ パ ンの 変 化 は凄 じいば か りで あ った。 経 済 成 長 と引 き替 え に ,こ の島の人 々が失 った マ リアナ ら し さは余 りに も多 い,と 私 には 思 え るの で あ る。

  信 託統 治 時代 のサ イ パン に は街 並 ら しい 景 色 は な か った のだ が,そ れ が一 変 した。

島 の西 側 海岸 線 に延 々 と続 く白砂 の ビー チ とそ の 先 に広 が る珊 瑚 礁 の海 は相 変 わ らず 美 しい 。 だ が,今 では 島 の 繁 華街 チ ャ ラン カ ノ ア地 区 や ガ ラパン 地 区 の ビーチ ロ ー ド 沿 い に は 両側 に び っ し りと建物 が立 ち並 び,観 光 客 相手 の商 店 や オ フ ィスの看 板 は マ

リアナ の 公用 語 で あ る英 語 を凌 駕 して 日本 語,中 国 語,韓 国語 の文 字 で埋 め つ く され てい る。 背後 に広 が る ヤ シの 木 が茂 る南 の 島 ら しい ビ ーチ の光 景 とは,い か に も ミス マ ッチ の 国籍 不 明 の奇 妙 な街 並 み な のだ 。 街 の 繁 華街 を抜 け,ビ ー チ ロー ドを南 下 し て サ ンアン トニオ地 区 に さ しか か る と,ど こか 東 南 ア ジ ア の 国 の郊 外 にあ る華 人 街 に 来 た よ うな雰 囲気 とな る。 つ い 数年 前 ま で タ ガ ン タガ ンの プ ッシ ュに 覆 われ て い た道 路 沿 い に,家 電屋,雑 貨 屋,食 堂 な ど中国 語 の 看 板 を 掲 げ た二,三 階 建 て の ビル が連 な って い るか らだ。

  ホ テル や レス トランの従 業 員,バ スや タ クシ ーの運 転 手,土 産 物 店 や ス ーパ ー の店 員,お よそ 島 を 訪 問 した 普 通 の 観 光 客 が 出 会 う働 く人 々は い ず れ も外 国 人 労 働 者 で あ って,マ リア ナ人 に 接 す る機 会 な どほ とん どな い と言 って いい 。 この よ うに繁 華 街 や 居 住密 集地 域 の景 色 は,な ん と も無 国籍 風 な の で あ る。だが 一 方,郊 外 に あ る シ ョ ッ

ピン グセ ンタ ー や病 院,役 所,公 園 な どの 公 共 施 設 は,ア メ リカ的 だ 。 と りわ け,開 設 ま もな い ア メ リカ記 念 公 園 は 美 し く刈 り込 まれ た芝 生 が広 々 と続 き,そ の 向 こ うの 木 立 の遊 歩 道 に ジ ョキン グ姿 の 人 々 が行 き交 う様 は,ま さ し くア メ リカの雰 囲 気 を か も しだ して い た。

  交 通量 の増 大 も島 の雰 囲気 を変 え た要 因 の 一 つ で あ る。 島内 に は数 か所 しか 信 号 機

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小林  ミクロネ シアの現代

が 設 置 され て お ら ず,主 要 幹 線 道 側 で も歩 道 の 整 備 は ほ と ん ど な い 。 そ れ で も,島 幹 線 道 路 の 舗 装 は ほ ぼ 完 全 に 整 っ て お り,車 の 往 来 は 激 しい 。 そ の 激 し さ を 証 明 す る 自 動 車 の 登 録 台 数 は1万8,644台(96年,サ イ パン の み)(Department  of Commerce 1996)で,実 に 島 の ほ ぼ3人に 一人 が 車 を 保 有 して い る 計 算 で あ る 。 「マ リア ナ 人 の サ イ パ ンは 何 処 へ 行 っ て し ま っ た の だ ろ うか 」,こ れ が5年 ぶ りに こ の 島 を 訪 れ た 私 の 素 朴 な 印 象 で あ った 。     

  経 済 発 展 に よ る 島 々 の 変 化 は,外 見 上 だ け で は な く,当 然 の こ と 島 の 基 本 構 造 を も 著 し く変 容 さ せ た 。 そ の 最 大 要 因 は 人 種 構 成 比 の 変 化 で あ る 。1980年 の 北 マ リ ア ナ 諸 島 の 総 人 口 は1万6,780人(サ イ パン は1万4,549人,ロ タ1,261,テ ニ ア ン866,そ 他104),そ の85パ ー セ ン トが マ リ ア ナ 人 で あ っ た 。 そ れ が1995年 に は5万8,846人

(5万2,698人)に ま で 膨 張 し た(Department  of Commerce  l996)。 こ れ は も ち ろ ん 自然 増 で は な く外 国 人 の 流 入 に よ る増 加 で あ る た め,全 人 口 に 占 め る マ リア ナ 人 の 割 合 は37.7パ ー セン トに ま で 低 下 した 。 こ れ に 常 時 数 千 人 の 外 国 人 が 観 光 客 と し て 島 に 滞 在 す る の だ か ら,マ リア ナ 人 の 影 が 薄 く な る の も うな ず け よ う。 人 種 別 で は 最 大 グ ル ー プ を 形 成 して い る も の の,も は や マ リア ナ 人 は 絶 対 多 数 者 で は な い 。

  経 済 発 展 と人 口増 加 が も た ら した 主 要 な 社 会 構 造 の 変 化 を 挙 げ れ ぽ,次 の よ うに な ろ う。

  ① 外 国 人 に 対 す る マ リア ナ 人 の マ イ ノ リテ ィ ー化   ② 複 合 民 族 社 会 の 出 現

  ③ 土 地 長 期 リー ス に よ る マ リア ナ 人 の 存 在 基 盤 弱 体 化   ④ 経 済 活 動 の 主 体 移 動(マ リア ナ 人 か ら 外 国 人 へ)   ⑤ 自給 生 産 社 会 の 消 滅

表2  人種別外 国人労働者数(労 働許可書所有者)

単 位:人

鏡1989

1990 1991 1992 1993 1994

国2,1843,7284,5705,1865,9915,184

フフィリピン     11,786     14,762     18,940     15,812     14,858     15,160

 484  506  584  565  613  628

 2,933  1,748  1,094  700  505  450

  778  694  606  519  519  620

   246    419    349    245    280    518

計      18,411 21,857 26,143 23,027 22,766 22,560   . 出 所:Statistical  Yearbook  1996,  CNMI

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      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 以 上 の よ うな 構造 変 化 が,環 境,教 育,文 化,生 活 様 式,労 働,人 種 間 の あ らゆ る分 野 に 影響 を及 ぼ し,マ リア ナ人 の主 体 性 を 脅 か しは じめ た 。 そ して,自 立経 済 の実 現 化 に と もな って生 じた ① か ら⑤ の社 会 変 化 は,い ず れ も誰 の た め の 島(国)開 発 か,

とい う国民 国 家 の 建 設 に と って 最 も大 事 な基 本部 分 を 揺 るが す 結 果 とな った の で あ る。

  確 か に 北 マ リア ナ諸 島 とい う自治 体 は ア メ リカの経 済 援 助 を 受 け ず と も自 力 で 自治 政 府 を 維 持 し,内 政 自治 権 を 実 質 的 に も行 使 で き る制 度 的,経 済 的 実 体 を整 えた 。 と ころが 一 方 で,島 社 会 に おけ る経 済 活動 の主 体 を 資 本部 門 で も労 働 部 門 で も外 国人 に i奪わ れ,地 元 民 と して の実 質 的 立 場 を危 う く して しま った。 つ ま り,経 済活 動 の場 と して の島 は 繁 栄 した が,島 の 主 で あ った はず の マ リアナ人 の存 在 が 島 社 会 の 中 で希 薄 に な って しま った の で あ る。

  これ を 経 済 活動 を担 う職 業 階 層 の観 点 か らみ る と,さ らに顕 著 とな る。 マ リア ナ人 は政 治 家,公 務 員,合 弁 企 業 の現 地 パ ー トナ ー と しての 役 員,会 社 経 営 な どの 高 給職 業 に つ き,下 級 労 働 職 を外 国人 が担 うとい う職 業 的階 層 が構 造 化 され た。 これ が 収 入 格 差 に連 動 す る こ とに よ って,マ リア ナ人 が 島社 会 の富 裕 階 層 を形 成 す る に至 った の で あ る。95年 度 の場 合,域 内 労 働 人 口(16歳 以 上 の 男女)は3万4,812人 だ った が, そ の 内 マ リア ナ 人 は35.2パ ーセン ト(1万2,252人)を 占 め て い る にす ぎ な い 。 職 業 形 態 の 比 率 で は,民 間 企 業 雇 用 者82.8パ ー セン ト,経 営 者2.5パ ー セン ト,公 務 員 14.4パ ー セ ン トに な るが,マ リア ナ 人 に 限 れ ば 実 に5人 に2人 が 公 務 員(4,774人) だ った。 公務 員 は最 も安 定 した 高給 職 業 だ が,給 与所 得 者 の平 均 年 収 額 を マ リア ナ人

と第 二 人 種 グ ル ー プ の フ ィ リ ピ ン人 と で 比 較 す る と前 者 が2万1,827ド ル,後 者 が 7,042ド ル で,年 収 面 か ら も人 種 グル ー プに よ る所 得 格差 が 明 瞭 で あ る(Department of Commerce  1996)。 役 所 勤 め は もち ろ ん,企 業 で働 くマ リア ナ人 も経 営 者,役 員 ク

ラス で あれ ぽ オ フ ィス の奥 で の執 務 が 多 くな り,従 って 彼 らの姿 が一 般 の観 光 客 の 目 に は触 れ に く くな る。

  信託 統 治 時 代 と比 べ て余 りに も急 激 に変 貌 した サ イパ ン島 の姿 に,私 は 著 しい違 和 感 を 覚 え た。 だ が,北 マ リア ナ諸 島 の大 方 の地 元 民,特 に 年 配 者 の 目に は,特 段 危 惧 す べ き事 が らで は な か ったか も しれ ない 。 とい うのは,北 マ リア ナ諸 島 の現 状 が 主体 性 や 伝統 文 化 とは 無 縁 な 開発 に よる発 展 だ と して も,こ れ と同 様 の サ イ パン の都 市 化 現 象 を南 洋群 島時 代 に経 験 して い るか らで あ る。1914年 に 日本 が 占領 し,そ の後 の 約 30年 間 に起 こ った 日本統 治時 代 の 開発 速 度 とそ の変 貌 具 合 は,過 去20年 間 に匹 敵 す る か,そ れ 以上 で あ った 。

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小 林    ミク ロネ シア の現 代

  サ イ パ ン島 は,マ リアナ諸 島 の砂 糖 産 業 開発 と 日本 か らの 南 洋航 路 の最 初 の寄 港 地 と して 栄 え,南 洋 庁 が 置 か れ た パ ラ オ以 上 に 日本 化 が 進 ん で い た。 当時 の 人 口動 向 に よ り,島 の繁 栄 ぶ りを 知 る こ とが で き る。1914年 当時 の北 マ リア ナ諸 島の 総 人 口は, 2,830人 。 そ の 内 マ リア ナ 人2,711人,日 本 人30人 で あ った が,20年 後 の35年 に は マ リ

ア ナ人4,917人 に対 し,日 本人(台 湾,朝 鮮 を含 む)が3万5,943人 も移 住 して いた の で あ る(南 洋庁1936)。 中 心地 の ガ ラパン 地域 で は,日 本 人 の商 店 や 民 家 が 切 れ め な く軒 を 連 ね て お り,そ のた め,突 然 の ス コール に会 っ て も少 し も濡 れ ず に 街 並 み を通 り抜 け る こ とが で きた とい う。 当時 の写 真 帳 な どで そ の様 子 を確 認 で き るが,ヤ シの 木 さ えな け れ ば,日 本 の何 処 か の町 並 み と何 ら変 わ る とこ ろは な い。 圧 倒 的 多 数 の 日 本 人 に 混 じって存 在 して い た マ リア ナ人 の 居 住 区 は,日 本 人 とは別 で あ った し,仕 事

は農 漁 村 で の 自給 作 業 か 日本 人 の下 働 きで あ った 。 それ で も島 全 体 か ら見 れ ば,賑 や か で活 気 あ る産業 化 社 会 で あ った。

  経 済 自立 を 目指 す 政 治 指 導者 らが イ メー ジ した 島 の経 済 発 展 とは,こ う した 日本 時 代 の姿 で あ る。 当時 の町 並 み は 日米戦 争 で破 壊 され,残 った 建 造 物 は ア メ リカ軍 に取 り払 わ れ,島 の市 街 地 は す べ て タガン タ ガ ンの ブ ッシ ュに変 わ った。 そ の後 の ア メ リ カ統 治 は,補 助 金 の投 入 に よ り住 民 の生 存 は 保 証 した が,積 極 的 な イン フラ整 備 や 産 業 開 発 のた め の政 策 は実 施 して い な い。 そ れ ゆ え,私 の 目に焼 きつ い て い る信 託 統 治 下 のサ イ パン の 風景 は,過 去 百年 間 ばか り歴 史 を 遡 ってみ て最 も荒廃 した 時 代 の そ れ だ った のか も しれ な い。 で あれ ぽ,マ リア ナ人 に と って の経 済 開 発 活動 は新 た な 営 為 で は な く,か つ て存 在 した 姿 の 復興 に他 な らな い 。 信 託統 治 時 代 のマ リア ナ諸 島 の 状 態 は マ リアナ 本 来 の伝 統 社 会 と して の姿 では な く,従 って マ リア ナ人 に と って は 経 済 発 展 を犠 牲 に して守 り抜 くほ どの対 象 で は なか った の だ ろ う。

V  開発が進 まぬ地域

 経 済 開 発 に 成 功 し,経 済 自立 を 果 た した北 マ リアナ 諸 島 の対 極 にあ って,開 発 が 一 向 に 進 ま な い の が ミク ロネ シ ア連邦(FSM)と マ ー シ ャル 諸 島共 和 国(RMI)で あ る。両 国 の事 情 を 詳 細 に比 較 す れ ば 国 家 の有 す る条 件 は そ れ ぞれ 異 な る もの の,経 済 自立 を果 た せ な い本 質 的理 由 は 同一 で あ る。 そ こで本 論 で は,FSMを 中 心 に して 独 立 後 の 国家 建 設 状 況 の考 察 を進 めた い 。

  ア メ リカ との 自 由連 合協 定 下 に1986年 に独 立 したFSMに よる 国家 建設 の シナ リオ は,15年 の 協 定 期 間 中 に供 与 さ れ る コン パ ク ト ・グ ラ ン ト(compact  grant)と 称 す

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国立民族学博物館研究報告別冊  21号 る経 済i援助 を基 に,域 内 の経 済 基 盤 を整 備 し,国 家 の 経 済的 自立 を 実 現 させ る とい う もの で あ った。 同協 定期 間 は,い わ ば 経 済 自立 を達 成 して実 質 的 主 権 独 立 国 家 に な る た め の 助走 期 間 と言 え るが,そ の協 定 期 間 もす で に三 分 の二 が終 了 し,三 段 階 目の最 終 ステ ージ を迎 え るに 至 って い る。

  では,FSMに お け る経 済 開 発 の試 み は どの よ うに推 移 した のか を 見 よ う。 政 府 は, 5力 年 ご との経 済 開 発 計 画 を策 定 し,次 の よ うな 開発 目標 を定 め た(Federated  States of Micronesia 1986)。

  そ の第 一 期 は,主 体 的 政府 を樹 立 し,民 間 活 力 を強 め なが ら貨 幣経 済 社 会 を 構造 化 す る(過 渡 的,建 設 的期 間)。 第 二 期 は,前 段 階 で の 開 発 投 資 が 実 を 結 び,そ れ の 回 収 段 階 に 入 る(持 続 的 経 済 成 長期)。 第 三期 は,国 民 経 済(貨 幣 経 済)を 定 着 化 させ, 外 国依 存 体 質 か ら脱 却 す る(経 済 自立 の完 成 期)。

  と ころが,独 立10余 年 が 経 過 した現 在,開 発 計 画 の 思惑 は期 待 した ほ どに は進 行 せ ず,援 助 金 な しに 自力 で政 府 を維 持 で きる には 程 遠 い 状態 の ま まだ 。 ア メ リカか らの 財政 援 助 に匹 敵 す る額 の域 内税 収 や政 府 収 益 事 業 の 拡 大 が経 済 自立 の条 件 とな るの だ が,そ れ を可 能 に す る域 内産 業 開 発 の た め の外 国か らの 資 本 ・技 術 を 呼 び 込 ん だ事 業 振 興 策 が順 調 に 実 を結 ば なか った か らで あ る。 北 マ リアナ 諸 島 の場 合 とは 対 照 的 に, 外 か らの資 本 の流 入 は 小規 模 か つ 緩 慢 で,従 って い まだ に域 内経 済 を牽 引 す る よ うな 産 業 が育 って お らず,国 内 の就 業機 会 は も っぱ ら政府 雇 用 に依 存 しな け れ ぽ な らな い。

約10万 人 の人 口を抱 え るFSMは 年3パ ーセ ン トを超 す 高 い 出生 率 のた め,人 口構 成 では 若年 が多 く,労 働 力 とな り得 る15〜64歳 年 齢 は50パ ーセン ト,5万 人程 度 で あ る。

そ こか ら専 従 家 事 労 働 者,就 学 者,不 健康 者 等 を除 いた 実 質 労働 可能 人 口は3万 人 程 度 と見 積 も られ るが,そ の 内 の2割 強 を政 府 雇用 者 が 占め る。表3 ltgO年 と95年 の 業 種 別 労 働 者数 の比 較 で あ る。

表3  FSMの 業 種別 労働 者 数

単 位:人

雇 用 業 種 1990 % 1995 %

政 府 雇 用     6,410 民 間 企 業     7,356 農 業 漁 業     12,606

24.3       7,030 27.9       8,950 47.8       13,249

24.3 27.9 47.8

失 業  者 4,128 135 2,854 8.9

労 働 力 合 計      30,500  100,0    32,083  100.0 出 所:Second  National  Development  Planか ら 作 成

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小林  ミクロネシアの現代

  こ こで示 され た 農 業 漁業 従 事 者 の8割 以上 は 自給 的 生 産 に携 わ る人 々 と考 え られ る が,自 給 的 生 産 者 の人 口変動 が微 動 に 過 ぎな い の は,こ の期 間 に新 しい産 業 の創 出 が 起 こ らなか った 事 実 を 如 実 に示 してい る。

  こ の デ ー タ で も明 らか な よ うに,FSMで は 政 府 予 算 の 消 化 に よ る公 的経 済 を 中 心 に,そ の 周辺 に派 生 した 商 業 お よび 自給 的 な 農 漁業 が経 済 活 動 の骨 格 に な って い るの が分 か る。 つ ま り,今 も この 国 の経 済 は,公 務 員 の給 与 と公 共 事業 支 出 が最 大 の 消 費 源 で あ り,そ の財 源 は援 助 と して外 か ら流 入 す る とい う信 託 統 治 時 代 か ら引 き継 い だ 植 民地 経 済 の一 つ の典 型 的 な 姿 を呈 して い るの で あ る。

  そ れ は数 字 的 に も裏 づ け られ る。1995年 のGDPは1億1,580万 ドル,一 人 当 た り にす る と2,000ド ル に な る。 だ が,そ の生 産 を 生 み 出 した基 幹 部 分 は,GDPの77パ ー セ ン トに相 当す る政 府 支 出 額1億6,640万 ドルだ った 。 これ が 公 的経 済 と言 わ れ る所 以 で あ る。政 府 支 出 を可 能 に す る歳 入 合 計 は独 立 次 年 度 の87年 で1億4,380万 ドル(そ の 内 の援 助 金 額1億1,830万 ドル),そ の 後 は年 ご とに増 減 を繰 り返 しは した が95年 に は1億7,500万 ドル(同1億1,120万 ドル)ま で膨 らみ(Asian  Development  Bank 1997),援 助 率 も82.3パ ー セン トか ら63.5パ ー セ ン トに まで 低 下 した 。 そ の間 の援 助 金 額 が 横 ぽ いか 減 少 傾 向 に あ った のに,全 体 と して の政 府 収 入 額 が拡 大 した の は域 内 収 入 が増 え た こ とを意 味 す る。 そ の域 内 収 入 の 中 身 を政 府 の 収 入動 向 か ら検 討 して み る と,1987年(協 定 財 政 開 始 時)以 降 の10年 間 で は税 収 が 年 平 均10パ ー セン ト,税 外 収 が17パ ーセン トの歳 入 成 長 を示 して きた 。 この数 字 の推 移 だ け を み る と順 調 に 発 展 を遂 げ て きた か に 思 え るが,政 府 の歳 入 増 の 中 身 は 民 間経 済 活 動 の 発 展 が主 た る要 因

表4  FSM財 政 の 推移

単位:百 万 ドル

87 89 91 93 95

総 収 入  税収(中 央 ・州)  税外収入    入漁料    その他   援助収 入    協定援助    その他

143.8   9.9

15.6   3.8 11.8 118.3 92,7 25,6

160.1 13.4 33.0 10.8 22.2 113.8 92.2 21.8

169.2 17.1 32.9 12.9 20。O l19.1

99.7 195

162,8 20.9 40.6 18.3 22.3 101.4 89.9 11.4

175.0 20.7 43.3 21.5 21.8 111.2 92.8 18.4

総 支 出 106。7 143.9 171.7 168.1 166.4

出 所:Department  of Finances,  FSMの 資 料 か ら 作 成

319

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国立民族学博物館研 究報告別冊  21号 だ ったわ け で は な く,む しろ88年 以 降 急激 に増 大 した 入 漁料 収 入 が政 府 歳 入 を拡 大 さ せ,そ れ に伴 う政 府 支 出 の増 大 に よ る波及 効 果 に よ って一 般 税 収 な ど の数字 が膨 らん だ と考 えた 方 が 真 実 に近 い。

  総 政 府 歳 入 に 占め る援 助 率 を協 定 援助 金 と入 漁 料 収 入 を含 め て算 出す る と87年 が85 パ ーセン ト,95年 が76パ ー セ ン トとな り,こ の間 わ ず か に9パ ー セ ン トしか 自己充 足 率 を 高 め られ なか っ た(Asian  Development  Bank  1997)。 これ は,援 助 財 源 に 代 わ り得 る域 内生 産部 門 が 目標 通 りに 開 発 され て いな い こ とを物 語 っ てお り,そ の事 実 は 輸 出入 の品 目別 割 合 に特 段 の変 化 が 見受 け られ な い貿 易統 計 な どを み て も明 らか であ る。 こ こか ら もFSMが 国家 開 発 の第 二 期 の 目標 で あ る 「開発 投 資 の 結実 」 が 達 成 さ れ な い ま ま,最 終 段 階 で あ る第 三期 に突 入 して しま った状 況 がわ か る。

Ⅵ 経済停滞 の理 由

  政 府 の 開発 方 針 や 政 策 の方 向 性 は,短 期 間 に 驚 異的 経 済 発 展 を 遂 げ た北 マ リア ナ諸 島政 府 が 掲 げ た そ れ と際 立 った 差 異 は な か った の に,FSMは な ぜ 独 立 後 も依 然 と し て経 済 の 依存 体 質 か ら脱 出す る見 通 しが 立 た な い のか 。 そ れ はFSMに は政 治 的,地 政 的,歴 史 的,文 化 的,そ して 資源 的 に も北 マ リア ナ諸 島が 有 した の と同様 の好 条 件 が な か った に もか か わ らず,類 似 の 政 策 を展 開 した か らだ とい うの が私 の見 解 で あ る。

FSMは ヤ ップ,チ ュー ク,ポン ペ イ,コ ス ラエ の4州 か ら成 るが,各 州 は 数 百 キ ロ 離 れ て お り,信 託 統 治 時 代 は そ れ ぞれ 独 立 の 行政 区 と して 散 在 して い た。 同 じ く独 立 行 政 区 で あ った北 マ リアナ,パ ラオ,マ ー シ ャル が いず れ も独 自で 自治 国 を形 成 した の は,一 地 区だ け で 自治政 府 を維 持 す る財 源確 保 に勝 算 が あ った か らで あ る。 そ れ に 対 しFSMの4州 は,乏 しい保 有 資 源,地 理 的 隔 絶 性,伝 統 性 社 会 とい った 近 代 産業 の 誘 致 に は 不 都 合 な 条 件 が 重 な って いた4も ア メ リカ の基 地 建 設 計 画 か らはず され, 従 って社 会 基 礎 部 門 の整 備 が遅 れ て い た理 由 は この こ と と無縁 で は な い。 だ か ら4地 区 は これ 以上 の脱 落者 を 出 さず に,独 立 の好 条 件 を 統 治 国 の ア メ リカか ら引 き出 す た め に 相互 の連 帯 が 不 可欠 だ った。 この よ うに,持 た ざ る者 同士 の連 帯 国家 の 形 成 は, ス ター トの時 点 か ら重 い ハン デを 背 負 った船 出だ った の で あ る。

  こ う してFSM政 府 は,他 地 域 よ り不 利 な条 件 を抱 え な が ら も観 光,漁 業,農 業 の 三 本 柱 を産 業 化 す る こ とで経 済 自立 を果 たそ うと企 て た。 漁 業 が 有 望 視 され る の は, FSM海 域 が鰹 ・鮪 の豊 富 な漁 場 だ か らで,こ の資 源 を 当 て にす る近 隣 漁 業 国 か ら の 入 漁 料 は 直 ち に 政 府 の 重 要 な 歳 入 に な った 。95年 度 の 入 漁料 収 入 は2,150万 ドル で,

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小 林    ミク ロネ シ ア の現 代

この額 は 域 内総 税 収 を上 回 り,コン パ ク ト ・グ ラン トの23パ ーセン トに相 当す るほ ど 貢献 度 が 高 い(Asian  Development  Bank  l997)。 この 海域 で の漁 業 は5億 ドル産 業, あ るい は それ 以 上 と も言 わ れ て お り,こ れ が 地 場 産業 化 で きれ ば 国 家 を 支 え る基 幹 産 業 に十 分 な り得 るだ ろ う。 しか し,近 代 漁 業 には 大 きな資 本,高 度 な技 術,安 定 した 市場 が必 要 だ か ら,独 力 で の事 業 化 は それ ほ ど容 易 で は な く,漁 業 先進 国 の協 力 も不 可欠 とな る。 そ の た め,当 面 は 経 営 リス クが 伴 なわ な い 資源 売 りを 主 と しな が ら も, 外 国 漁船 の域 内 水 揚 げ基 地 化 事 業 が少 しつ つ 始 ま って い る5も

  で は,も う一 つ の 有望 産 業 と思 わ れ るFSMに お け る観 光 事 業 が,ど の よ うな現 状 に あ る の か,首 都 の あ る ポン ペ イ 州 を 事 例 に して み よ う。1997年 度 の 訪 問 者 は1万 959人 だ った(Pohnpei  Visitors Bureau l998)。1987年 度 と比 較 す る と一 気 に 二 倍 に 膨 張 した が,こ こ数 年 は1万 人 を 前 後 して い る。 この 程 度 で は 国家 の基 幹産 業 に は な り得 ず,こ の数 字 が飛 躍 的 に拡 大 す る兆候 は 今 の と ころ な い。観 光業 が奮 わ な い の は, 1.東 ア ジ ア,ア メ リカ の い ず れ か ら も遠 く,主 要 航 空 路 線 上 に 位 置 して い な い, 2.グ ア ム ・サ イ パ ンに比 べ て 島 々の地 形 が リゾー ト開 発 に 適 して い な い,3.イ ン

フ ラ ス トラ クチ ャーが未 整 備,と い った 原 因が 挙 げ られ て い る。だ が私 は それ 以 上 に, 政府 の産 業 奨 励 政 策 に反 して,こ の島 に 国外 の観 光 資 本 を 呼 び込 む 社 会 的 条件 が整 っ

てい ない こ とが 主 原 因 だ と考 え て い る。

  ポン ペ イ には,域 内 外 の個 人 投 資 家 が経 営す る小 規 模 なホ テ ル が14件 あ るが,い わ ゆ る観 光 リゾー トホ テル は まだ建 設 され て い な い。 これ まで 大型 の ホ テル 投 資 事業 が 計 画 され た経 緯 は少 なか らず あ ったが,現 地 法 人認 可,借 地 権 な どに まつ わ る法 的不 備 に 起 因 す る住 民 との トラ ブル が相 次 ぎ,い ずれ も実 現 しな か った ので あ る。 大 資本 に限 らず 個人 投 資 家 も含 め て,外 国か らの 投 資事 業 が 地 元 民 との トラブ ルに 巻 き込 ま れ て 撤 退 す る ケ ースは 後 を 絶 た な い。 そ れ は 近 代産 業 を根 づ か せ るだけ の国 内 諸 法 の 未 整 備 に 加 え,行 政,国 民 双方 に近 代 法 治 制 度 の概 念 が 定 着 しに くい社 会 構 造 が 現存 して い るか らだ と思わ れ る。 ポ ンペ イ には,土 地 を基 盤 に生 産 秩序,社 会 秩 序 を 形成 す る伝 統 社会 が 今 も生 きて お り,日 常 的 に は 習慣 法 が 国家 法 に優 先 す る場 合 も少 な く

な いか らだ 。 これ が外 国 人 投 資 法 を制 定 し,外 資 導入 が 国 内産 業振 興 の最 大 の 鍵 だ と 認 識 して いな が ら,政 府 が 外 国 人 投資 家 の投 資 意 欲 を 高 め るべ く行政 力 を発 揮 で きて

い な い主 た る理 由 に な って い る。

  観 光 業 として の 開発 条 件 が 悪 い とは い え,外 部 か ら投 資意 欲 を 示 す投 資 家 が い るか ぎ り,不 利 条 件 は 徐 々に解 消 され る可能 性 は あ る。 グア ムや サ イパン の よ うな飛 躍 的 な発 展 は望 め な い に しろ,こ れ まで の外 国人 プ ロジ ェ ク トの導 入 に 成功 して いれ ぽ,

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      国立民族学博物館研究報告別冊  21号 ポン ペ イ の観 光 業 が現 状 の ご と く停 滞 し続 け る こ とは なか った ろ う。 外 資 導 入 が 困 難 な の は,農 業分 野 に お いて も同 様 で あ る。 現 在,日 本 か ら胡 椒,疏 菜 農 園 な どの経 営 を手 がけ る企 業,個 人 が少 数 い るが,生 産 物 の現 地 販売 制 限 とか 雇用,、借 地 権 な ど の 社 会 的 諸 問 題 で 苦戦 を強 い られ て お り,後 続 の投 資意 欲 を高 揚 させ る状 態 に は な い の

が 実態 な ので あ る。

  以上 は ポ ンペ イ の場 合 だ が,他 の3州 で も程 度 の 差 こそ あれ,ほ ぼ 同 様 な原 因 が外 資 の流 入,す な わ ち 近代 産 業 の 開 発 を 阻 ん で い る。 資 源 を保 有 す るだ け に漁 業 関 連 の 収 入 源 は確 保 され は した が,そ の他 産 業 の停 滞 状 況 を 見 るか ぎ り15年間 の協 定期 間 が 終 了 す る2001年 の時 点 で,財 政 援 助 に 代わ り得 る財 源 が創 出 され る可 能 性 は な い と言 え るだ ろ う。

Ⅶ 停滞地域の社会変化

  FSM  4州 の 首 島 に おけ る 幹 線 道 路 の舗 装,空 港 施 設,発 電 施 設,上 水 道,政 府 庁 舎,桟 橋 等 々 の社 会 基礎 部 門 に 関 して は,信 託統 治時 代 よ りず っ と整 備 され た 。 これ は 独 立 準 備 の た め に ア メ リカが 拠 出 した イ ン フ ラ整 備 資 金 や 日本 のODA(累 積 拠 出 額1億75万 ドル)事 業 の た め で あ る。 ゆ え に 各 州都 の風 景 は,信 託 統 治 時 代 に 比 べ れ ば 公 的 資 金 に よる 開発 整 備 に伴 う若 干 の変 化 が 見 られ る もの の,そ れ 以 上 の大 きな 変 化 は 感 じられ な い。 そ れ は 既 述 の よ うに 島 々の 産業 に基 本 的 な構 造 変 化 が起 って いな い のだ か ら,当 然 の結 果 だ と言 え よ う。

  しか し,経 済 が停 滞 した ま まだ か ら とい って,島 社 会 もそ の ま まの状 態 に留 っ て い るわ け で は な い 。 こ こに は 北 マ リアナ諸 島 の よ うな 劇 的 な変 化 は な い が,一 見 して見 え に くい 国 民 の 伝 統 的生 活 方 式 や 国 民 の意 識 レベ ル の 変化 が 徐 々に進 行 して い る の で あ る。

  政 府 報 告(Asian  Development  Bank  1997)に よる と95年 時 点 で の各 州 平 均 の 自給 生 産 生 活 者 割 合 は10パ ー セン ト,非 市場 部 門 の生 産 高 はGDPの 約20パ ーセン ト程 度 と見 積 も られ て い る。 しか し,従 来 の狩 猟,採 取 的 な 漁業 や 農 業 に よ る 自給 的 な生 産 に完 全 に 依 拠 して い る生 活 者 は 急 速 に減 少 傾 向に あ る。信 託 統 治 時 代 と比べ て,町 の ス ーパ ー マ ー ケ ッ トに見 る食 料 品 な どの豊 富 さ は,輸 入量 の増 大 か ら も裏 づ け られ る し,首 島 に限 れ ば,す で に殆 どの住 民 が貨 幣 経 済 に 組 み込 まれ て い る と言 って い いだ ろ う。 これ は 島 々の伝 統 的 な生 活 様 式 や社 会 構造 が 消 費活 動 とい う外 来文 化 の影 響 を 受 け て,し だ いに 変 容 を き た して い る現 実 を表 してい る。 と ころ が問 題 な の は,国 民

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小林  ミクロネシアの現代

へ の 消費 活 動 の 浸 透 が,必 ず しも旧 来型 の生 産 方 式(非 市場 部 門 の 自給 的 生産)か ら 新 しい生 産 方 式(貨 幣経 済 下 での 生産)へ と変化 した た め で は なか った 事 実 で あ る。

そ れ は政 府 予 算 を 核 に した経 済 規 模 の 拡 大 に よる もの で,か え って 国民 の 公 的経 済 へ の依 存傾 向 を高 め る結 果 に な って しま った 。 これ はFSMが 目指 して きた 経 済 的 自立 とい う国家 建 設 の 目標 と明 らか に逆 行 す る方 向 性 だ った ので あ る。 政 府 資 金 の 使 途 が 域 内産 業 の育 成 に効 果 的 に 作用 しなけ れ ば,公 的依 存 の体 質 は か え って大 き くな るぼ か りで あ って,単 な る貨 幣 経済 化 がす な わ ち豊 か な 国民 生 活 を 導 き出す とは 限 らな い 現 実 に直面 して しま った 。 政府 財 政 の基 金 化 構 想 な どが真 剣 に検 討 され 始 め た 背 景 に は,こ うした 政 府 指 導 者 の 中 に芽 生 え た 開 発 に 関す る認 識 の変化 が あ った か らで あ る。

お わ り に

  信託 統 治 を 脱却 した ミク ロネ シ アの 島 々は,国 家 完 成 の 第 一義 的 要 件 と して経 済 の 自立 を取 り上 げ た 。経 済 自立 とは,そ れ まで の植 民 地 的 地位 を返 上 し国 民 国家 と して の 政 治単 位 が 主 体 的 に 国家,つ ま り国 民 の運 命 を決 定 して 行 くた め の基 本 条件 で あ る と考 え た か らで あ る。 そ の観 点 か らす れ ぽ北 マ リア ナ諸 島 とい う政 治 単 位 は,域 内 自 治 に 限 定 され て い る とは い え,自 らの 主 体 性 を十 二 分 に発 揮 で きる だけ の経済 的成 功 をお さめ た と言 っ てい い 。 しか し,そ の 政 治 単位 を構 成 す る住 民 に 焦点 を 当て れ ば, マ リアナ住 民 の主 体 性 の 保 持 は極 め て 危 うい 状 態 に あ った こ とが,こ れ ま での 記 述 で 理 解 され た で あ ろ う。

  島の 景 色 が かわ り,人 々の生 活 様 式 が 変 わ った。 こ こま では 経 済 発展 に伴 う産 業 社 会 や 都 市 化 現 象 の 必然 的 結 果 と して許 容 で き る と し よ う。 だ が,外 国 人移 入 に よる マ リア ナ人 の マ イ ノ リテ ィー化 は,彼 らの将 来 的 な 主 体性 保 持 に著 し く危 険 な要 素 を孕 ん で い る。 北 マ リア ナ諸 島憲 法 に は,土 地 所 有 は 元 々の マ リア ナ人 に 限 定 され る こ と (第12条 第1節),選 挙 権,被 選 挙 権 は 一 定 期 間 北 マ リア ナ諸 島 に居 住 し,ア メ リカ 国籍 か市 民 権 を 有 す る者 に のみ 与 え られ る こ と(第7条 第1節)な ど,信 託統 治 時代 か ら こ この市 民 で あ った 者 の権 利 が 侵 害 され な い条 項 が 備 わ って い る。 これ は 対 外 問 題 等 に 関す る 国家 の 主 権 は ア メ リカに委 ね る もの の,内 政 自治 は あ くまで もマ リア ナ 人 が そ の主 体 性 を 守 り抜 こ うとす る意 志 を 示 す ものだ 。 マ リアナ人 が少 数 であ りな が ら社 会 の支 配 層 に君 臨 して い られ るの は,こ れ ら規 定 に守 られ て政 治,行 政 を 自 らの 手 中 にお さめ る と ともに,土 地 の所 有 者 と して産 業 活 動 に参 画 して きたか らで あ る。

しか し,外 資 導 入 に は有 利 条 件 で あ っ た ア メ リカ領 とい う政 治 地 位 が,同 時 に 将 来 へ

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国立 民族学博物館研究報告別冊  21号 の 不 安 材 料 に もな って い る。 ア メ リカ は属 地 主 義 を と るた め,こ の地 で生 まれ た フ ィ リ ピ ン,中 国 な どか らの 移民 の子 供 た ちが いず れ もア メ リカ国 籍 を取 得す るか らで あ る。 現 に,小 学 校 で は フ ィ リピン人 の子 弟 が 急 増 し,日 常 クラ スで フ ィ リピン言 語 で あ る タ ガ ログ語 の教 育 が 行 わ れ て は じめ て い る。 移 民 の子 弟 と い え ど も,現 行 憲 法 で は18歳 に な れ ば選 挙 権 を 獲 得 で き る よ うに も読 め るか ら,先 住 マ リアナ人 の政 治 的優 位 性 が 将 来 的 に脅 か され る可能 性 は決 して小 さい とは 言 え な い。 よ しん ば これ か ら先 に,こ の 地 で代 を重 ね た 移 民住 民 に対 し何 らか の 法 的 差別 規 制 を も うけ た とす れ ば, か え って 政 治 的主 導 権 を め ぐる域 内 民族 間 の軋轢 が 発 生 しかね な い。 先 住民 と移 民 イ

ン ド人 の 間 の 憲法 上 の差 別 化 が 根 本 原 因 で87年 に クーデ タに ま で発 展 した フ ィジ ー諸 島共 和 国 の事 例6)を 見 る まで もな く,複 合 民 族 社 会 に お け る人 種 グル ー プの主 導 権 争 い は,最 も不安 定 な社 会 をつ く りだ す要 因 に な るか らで あ る。

  一 方,発 展 した経 済 部 門 につ いて も,不 安 要 素 を 抱 えて い る。 現 在 のマ リア ナ人 の 優 位 性 は 先 住 民 と して の既 得 権 が 法 的 に 保護 され て い る結果 で あ り,経 済 活動 の 実質 的担 い手 は資 本,労 働 の どち らも外 国人 で あ る。 ゆ え に,将 来 的 にみ た経 済 行為 の 力 の蓄 積 は,マ リアナ 人 に で は な く外 国 人 の方 へ と備 わ って 行 く こ とが予 想 され るか ら だ。

  この よ うに,今 の構 造 の ま ま で の経 済 的繁 栄 が継 続 す るな らば 「国栄 え,民 亡 ぶ」, 経 済 的低 迷 が 起 これ ば 「民族 間摩 擦 の発 生 」 へ の危 険 度 が 昂 進 す る。 どち らに せ よ,

こ うした 「場 貸 し」 と して の経 済 的 繁 栄 の上 に立 脚 して い る限 り,マ リア ナ人 の 立場 に は 危 うさがつ き ま と うの で あ る。20年 前,北 マ リア ナ諸 島が ア メ リカ領 を選 択 した 時,そ れ に反 対 した 当 時 の テ ニアン 市 長 フ ィ リ ップ ・メン デ ィオ ラは 「いず れ 土 地 を 奪 わ れ,ア メ リカ ・イン デ ィアン の よ うな末路 に な っ て しま うの で は な いか,不 安 だ」

(小林1982:184)と 言 った。 マ リア ナ人 は,現 時 点 で は イン デ ィ アン とは違 い,域 内 での経 済 的優 位 者 に な った 。 しか し,人 種 的,文 化 的 には,イ ンデ ィア ンの よ うに 確 実 に マ イ ノ リテ ィーに な りつ つ あ る。そ れ ゆ え私 は,こ の諸 島 の先 々を 展 望 す る時,

ど う して も メン デ ィオ ラ と同 じ思 い に駆 られ てな らな い の であ る。

  北 マ リア ナ諸 島 の経 済 的 繁 栄 を羨 む一 方 で,「 庇 を 貸 し,母 屋 を 取 られ る」 こ との 危 険 性 を 感 じて きた のがFSMとRMIで あ った 。産 業 社 会 化 へ の 自然 的 開発 条 件 が 悪 い とい う逃 れ が た き理 由が あ った にせ よ,一 方 で,両 国が 経 済 的 停 滞地 域 と な っ て い る のは,急 激 な外 国資 本 や 外 国 人 の 流 入 を拒 ん で きた か らで もあ った 。 それ は彼 ら の確 信 的 な 意 志 とい う よ り,近 代 化 を受 け入 れ に くい伝 統 社 会 の存 在 ゆ え で は あ った が,結 果 と して 国民 が近 代 国 家 の 形 態 を整 え る こ と よ り,自 らの 島唄 人 と して の ア イ

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