大本経の研究
一過去仏思想と仏伝との関連性一
大本経の研究
一過去仏思想と仏伝との関連性一
目次
序論
第1節問題の所在と研究目的・大本経の内容・構成・...........................................2 第2節研究方法および研究に用いる文献資料.....................................................7 第3節七仏の事蹟について ............................................,...............................19本論
第1章大本経が伝承する菩薩誕生記事..。..。,、、、,..................,..,、,...,.,..............................36 第1節 『希有未曾有法経』における菩薩誕生記事の問題点.......................36 第2節大本経における菩薩誕生記事..................,........................................43 第3節 『七仏経』編纂過程について..............................................一...........、51 第4節七仏の事蹟と菩薩誕生記事との結合..............、.................................53 まとめ........................。..............、.......................................................................55 第1章註................................、...................................................................。.......57 第2章大本経が伝承する過去仏成道記事..........................................................68 第1節十二支縁起説観察によるブッダ成道記事の成立.........................,....69 第2節ニカーヤが伝承する十文縁起成道記事............................................72 第3節過去仏思想と縁起成道記事との関係................................................ブ5 まとめ....................................................................................}.........................77 第2章註.................................................................................、......ll..................78 第3章梵天勧請について...................................................................................91 第1節ニカーヤが伝承する梵天勧請...........................................................92 第2節パーリ律受戒健皮部におけるブッダ成道記事と梵天勧請の関係.....98 第3節M励φα砺”伽〃吻肋が伝承する梵天勧請..........、...........................101 まとめ.............................................................................................................102第3章註..........................................................................................................103 第4章大本経が伝承する過去仏の初転法輪記事....,........................................110 第1節ブッダの初転法輪記事.................................................................、.110 第2節大本経における過去仏の初転法輪記事...........。..............................112 第3節律蔵受戒健度部仏伝における「次第説法」......、....、...............、.......116 まとめ..、.........................1................................................................................121 第4章註....,..........一......................................................................。...................123 第5章大本経が伝承する波羅提木叉制定記事.................................................131 第1節 大本経における波羅提木叉制定記事.................................,..........131 第2節 律蔵経分別における過去七仏一...........1....................,....................136 第3節 『毘婆戸仏経』における波羅捷木叉制定記事........,..。.............、...150 まとめ............一................................................................................................152 第5章註..........................................................................................................153 第6章大本経の編纂方法.............................................、...................................159 第1節 ava硯㎜について一大本経と関連する事柄を中心に一.1....................159 第乞節 大本経の構成と編纂方式.............,.....................、.....。....................165 第3節 長阿含経における大本経の位置..............................、.1...、..1...........170 第4節 浄居天の神々に関する記事..........................................................173 まとめ.............................................................................................................178 第6章註.,....、.......................................................、...........................................17g 結語....、...。.....、.........................................................、.…......、、..............,......................187 略号 参考文献
第1節問題の所在と研究目的 _大本経の内容・構成_
仏教の開祖であるブッダは、35歳で悟りを得て、80歳で入滅するま での45年間、ガンジス河中流地域で用いられていた言語で説法を行っ たと考えられている。 そして、諸部派が伝える律蔵には、所謂第一結集の伝承が等しく保存 される。パーリ律の記述によ.れば、ブッダ滅後、マハーカッサパが中心 となり、500人の阿羅漢を代表として集め、マガダ国の首都ラージャ グリハ(王舎城)で会議を開催した。その目的は、ブッダ滅後、その説 法内容を正しく伝えるにはどうすればよいかということであった。そし て、アーナンダとウパーリによって、法と律とがそれぞれ請出され、現 在にも残る聖典保存形式である五二カーヤと律が形成されたという。 この第一結集の記録は、あくまで文献上の伝承であって、歴史的事実 であるかどうかは定かではない。ただ、仏滅後のある時期に、仏弟子た ちの間でブッダの教えをまとめておこうとする動きはあったと考えるべ きであろう。そして後に、仏の教えである法は経典として、’方で出家 者である比丘個人の規則や、教団としての儀式作法などは、律蔵として 編纂されるようになった。 第一結集の伝承において留意すべき点の一つは、ブッダの教えが、書 写によって編集されたのではなく、弟子たちが、かつてブッダから聞い た話の記憶をもとに、よみあわせを行っだということである。実際にも、 仏教徒たちのあいだで、口承によって伝わっていた内容が、ある時期か ら書写されるようになったのであろう。しかし、仏典が書写された時期 は、早くても仏滅から数百年以上経過した頃と考えられる。 我々の知る仏教の歴史は、現存する様々な仏典の編纂過程の考察によって構築されている要素が多い。しかし、現存する仏典の編纂が、’ ブッダ滅後、数百年の時間を経て、徐々に行われていったものであれぱ、 仏典から構築出来る歴史とは、ブッダ滅後から始まるものであるともい える。 現存する阿含経・ニカーヤ、律蔵等の初期仏教文献といえども、仏滅 後、数百年たってから編纂されたものであり、それは、仏教教団が複数 存在したであろう部派仏教時代の所産,.,であるわけだから、それらの文 献によって、歴史的なブッダ時代の仏教、あるいは仏教教団の姿を十分 に知り得るものではないことは、もはや周知の事実である。 このことは、初期仏教文献中に多く含まれるブッダの生涯に関わる記 述についても同様である。つまり、そこに記されるブッダの生涯とは、 あくまで「伝承」の一つであり、歴史的ブッダの真実性を語るものでは ない。では、そういったブッダの伝記(以下「仏伝」)は、なぜ仏典に伝 承されているのか。つまり、仏’教文献に仏伝が描かれる意義を明らかに しなければならない。そのことは、様々な仏教文献の編纂目的等を明ら かにするうえでも重要となるため、多くの研究者によって着手されてき た課題でもある。 現存する仏伝の形態・内容は、時代・地域・信仰形態等の影響から多 種多様なものとなっているが、誕生から般浬繁に至るブッダの全生涯に ついて記す文献の出現についてEtienneLa皿。“e氏は、紀元2世紀まで 待つ必要があるとして、具体的な仏伝文献として、馬鳴(A≦vag止。睾a)作 の3〃肋αc〃吻等を挙げている1。全生涯を記す仏伝が出現する背景には、 様々な要素が考えられるが、その成立過程及ぴ原型を追究するとなると、 当然、初期仏教文献に含まれる仏伝の研究が不可欠となる2。これらの仏 伝は、ブッダの生涯を断片的に記すものである3。断片的な内容の仏伝に
ついて、平川彰氏は「経典作者は仏陀の伝記を作るのが目的で経典を語 っているのではなく、別の真理を示さんとしたものが、たまたま仏伝の 形をとったにすぎないのである。すなわち仏伝が、何らかの教理的価値 をもっており、弟子たちの修行に有意義である場合のみ、聖典として語 りっがれる資格を持ったのである」と述べる4。この視点を持てば、ブッ ダの生涯を断片的に記す文献の存在はなんら不思議ではない。また、中 村元氏は、「経典の古い層のうちに仏伝と見なされ得るものは存在しな い。ただ、ゴータマ・ブッダの生涯に関することが断片的に言及されて いるだけである。直後の仏弟子たちはゴータマ・ブッダの生涯を問題と しなかった」と述べる5。 そもそも、仏典の初期段階では、ブッダの生涯そのものが主題であっ たのではなく、そういった記述を用いることによって示される教義など が主題であったと考えるべきである。しかし、徐々に、仏教徒の興味の 対象が、仏伝へと変化していったため、後代には、全生涯を描く仏伝文 献が出現するに至ったのであろう。 一方で、初期仏教文献には、仏伝と並行して、ブッダ以前の時代に存 在したとされる過去仏の事蹟が多数存在する。そして、「過去七仏」とい う体系化された概念が確立されるようになると、過去仏の伝記は、仏典 のミ中で具体的に語られるようになる。具体的な過去仏の伝記を最も詳し く描くのが、主にパーリ長部、『長阿含経』に収められる、大本経と呼ば れる一連の経典である。 大本経の内容を概略すると以下のようになる。(ここではパーリ本の 内容一一,・に従っておくが、基本構造は諸本ともに一致する)。 く1〉比丘たちの問で前生1 ノ関する談話が起こる。それに答える形で、
ブッダが比丘たちに、過去六仏および自分自身の、生まれた時代、生ま れ、姓、寿命、菩提樹、二大弟子、サンガの構成、侍者、父母、王都の 名称を述べる(「七仏の事蹟」)。ここで一度、ブッダは比丘たちの前から 去る。く2〉再び現れたブッダは、第一仏であるヴィバッシン仏の伝記を、 比丘たちに語り始める(以下「ヴィバッシン仏伝」)。く3〉最後に、浄居 天の神々が、ヴィバッシン仏の事蹟をブッダに語る。 このように、大本経は、七仏の事蹟とヴィバッシン仏伝との二部構成 となっている。 本経は、初期仏教における仏陀観の変遷・展開、あるいは大乗仏教で 形成される現在多仏思想の形成や、仏名経典の出現を検討する際には、 常に重視されてきた経典である6。しかし、こういった場合、注目される のは、主に七仏の事蹟部分であり、ヴィバッシン仏伝については、あま り言及されない。 次にヴィバッシン仏伝の内容について説明しておく。この過去仏の伝 記は、ヴィバッシン菩薩の誕生記事から始まり、ヴィバッシン王子の具 える三十二相についての説明、四門出遊・出家、成道、梵天勧請、初転 法輪、サンガの成立、ヴィバッシン仏による波羅提木叉の請出・制定に ついて記されており、過去仏の伝記とはいえ、極めて纏まった仏伝の体 裁を保つ。このことについて、平等通照氏は「断片的な仏伝しかない阿 含聖典の中で特異な存在をなしている」と指摘する7。上記の内容に浬繋 記事が加われば全生涯について記す内容となるため、全生涯を描く仏伝 の出現と深く関わってくる可能性を有している。平川彰氏は、ヴィバッ シン仏伝の内容から、大本経には、後に下天・托胎・降誕・出家・降魔・ 成道・転法輪・入浬繋の八つに分けてブッダの一生を示す「八相成道」
の思想に発展する要素があることを指摘する8。 本稿で着目することは、大本経におけるヴィバッシン仏伝の内容・構 成である。この内容・構成から想定すべきことは、過去仏の伝記のほう が、仏伝よりも早い時期に、纏まった内容として編纂された可能性であ る。 このことは、ヴィバッシン仏伝が、仏伝を模倣して作成されたのか、 否かという問題と深く関わる。これについては諸説あるが、大方は仏伝 の模倣とみる傾向にある。しかし、これまでの検討で十分な結果が得ら れているわけではない9。 本稿では、この問題について、ヴィバッシン仏伝に含まれる事蹟によ って事情は異なると考える。つまり、初めからヴィバッシン仏伝全体が、 仏伝の模倣であるかどうかを想定するのではなく、ヴィバッシン仏に関 わる事蹟ごとでの調査・検討から正確な答えが導けると考える。この際、 調査の方法として、所属部派が一致する仏伝との比較・検討が有効とな る。この作業は、初期仏教文献における仏伝の一形態を定義するうえで も重要となる。というのも、ヴィバッシン仏伝に保存されている事蹟は、 岡野潔氏が指摘されるように、大本経が編纂された当時、存在した仏伝 の複製である可能性がある。現存の仏伝には示されない内容が、ヴィバ ッシン仏伝に保存されているとすれぱ、失われた仏伝の形態を再構築す ることも可能となる。その一方で、ヴィバッシン仏伝には、仏伝の模倣 ではなく、過去仏の伝記のために編纂された事蹟が存在する可能性もあ るので慎重に峻別しなければならない。同時に、仏伝が、一 買Bバッシン 仏伝に含まれる事蹟を模倣した可能性を検討する必要もあろう。 本稿では、上記の問題意識をもって、ヴィバッシン仏伝に含まれる過 去仏の重要事蹟を調査・検討し、大本経の形成過程および編纂目的を明
確にすることにより、仏伝と過去仏思想との関連性を指摘する。具体的 な研究方法については、次節で説明する。
第2節研究方法および研究に用いる文献資料
本節では、前節で述べた内容を前提として、大本経を検討する際の研 究方法と、用いる文献資料について述べておく。 本稿では、以下の文献資料を研究の中心とする。 ・Mα蛎μ砺m舳伽〃α(D凡14,DW』pP.1・54.)=M1/P(パーリ上座部) ・『長阿含経』巻第1r大本経」後秦・仏陀耶舎・竺仏念訳(412∼413 年訳出、大正1,No.1,pp.1b・1Oc.=『大本経』)。(法蔵部) また、中央アジアで発見された、上記二経に対応する内容を持つ梵本 の断簡も存在し、以下のものがWa1dschmi砒により校訂出版された1o。 ・E,Wa1dsc止mi砒,DωMo肋ソ〃δm舳用TeiI.1,2.(AKADEMIE・V瓦BLAG Ber1in,1953.1956) さらに近年、吹田隆道氏が、新たに発見された梵文写本を用いて校訂 本を出版した。・ Takamichi Fukita,τゐe ルfαゐ∂ソ。d∂nα5玩炉。 ノ 〃ew e〃れ。n わα∫ed o〃
m伽舳Cゆ独 必㏄〃〃ed, 1π ㈹r伽7π f〃加舳腕 (Va皿denlhoeck&Ruprecht,2003) =M∠γ 本稿では、M〃『大本経』M∠γを総称する際、大本経と標記する。 大本経の成立年代であるが、M〃については、古い要素は含まれてい るものの、経典全体としてはニカーヤの中で、それほど早い時期の成立 ではないことが指摘されている11。
M〃については、『南伝大蔵経』第6巻所収の平等通照氏による翻訳
以外にも、複数存在する。本稿で参照したものは以下のものである。
・T.W.Rhys Davias,〃〃0Gσ醐0F m亙丑σDD〃,VoL2(PTS,1910)4・41
・平等通照「先の佛陀の生涯」『仏陀の死』(印度学研究所、1961) pp.155’210 ・草間法照「過去仏の伝記」『原始仏典3ブッダのことばI』(講談杜、 1985)PP.189・241 ・岡野潔「偉大な過去世の物語一大本経」『原始仏典』2(春秋杜、2003) pp.3・70一 ・片山一良「大著喩経」『パーリ仏典第二期3長部ディーガニカーヤ大 筒I』(大蔵出版、2004)19’141 『大本経』の翻訳には、『国訳一切経 阿含部7』以外に、以下のもの を参照した。 ・三枝先悪・森章司・管野博史・金子芳夫校注『新国訳大蔵経 長阿含 経I』(大蔵出版、1993)65・116 ・丘山新・神塚淑子・管野博吏・末木文美士『現代語訳r阿含経典」長 阿含経』第1巻(平河出版社、1995)pp.106−198 また、大本経の内容と部分的に一致する漢訳文献として、以下に挙げ る4本が存在する。 ・法大訳(斗O世紀後半訳出)『七仏経』(大正1,No−2,pp−150a・154a) ’法大訳(10世紀後半訳出)『毘婆戸午経』(大正1・N・・3〃・154b’159・)
・失訳『七仏父母性字経』(大正1,No.4,PP,159a・160a) ・僧伽提婆訳(397∼398年訳出)『増’阿含経』不善品第4経、(大正 2,No.125,P二P.790a・791b) これらの内容・構成には異同がある。以下、表にして示しておく。 『七仏経』 七仏の事蹟、毘婆戸菩薩誕生(三十二相記事含 ゙) 『毘婆戸仏経』 四門出遊・出家・成道・初転法輪・サンガの成 ァ・波羅提木叉の請出・制定 ヲ梵天勧請無し 『七仏父母性宇経』 七仏の事蹟のみ保存 『増一阿含経』巻45 七仏の事蹟のみ保存 本稿では、上記の文献についても、大本経と併せて用いる。 さて、本稿ではヴィバッシン仏伝に含まれる過去仏の重要事蹟のうち、 菩薩誕生記事、成道記事・初転法輪記事、梵天勧請記事、波羅提木叉の 請出・制定記事について、第1章∼第5章で順次検討していく。そして、 それらの調査結果を踏まえたうえで、第6章では、大本経の編纂方法に ついて論じる。 第一節で述べたように、所属部派が一致する文献同士の比較・検討が 有効となるのだが、大本経を扱う場合、Ml/Pと同様、パーリ三蔵に含ま れる文献が同一部派の文献となるため、比較対象として選定しやすい。 そのため、本稿では、各章において、M/Pと、それに一致、あるいは関 連性のある記事を有するパーリ聖典との比較検討が中心となっている。 そこに、対応関係にある、所属部派の異なる漢訳文献、サンスクリット 文献を参照する。さらに、パーリ聖典の注釈書は、その成立時期は、主
に5世紀にスリランカで作成されたものであり、成立年代こそ遅れるも のの、パーリ上座部の伝承形態を考察する’うえで重要な説明が多数合ま
れているため、常時参照する必要がある。M〃の注釈、は、
∫〃m肋g〃〃〃ゐ舳1王pp.407−480M’α蛎〃砺舳舳〃。〃ωα仰伽δに収められ ている。 さらに、大本経の記事と律蔵に含まれる記事が’致、あるいは類似す る場合は、『大本経』と訳者、所属部派が一致する『四分律』との比較・ 検討は、パーリ文献同士の比較と並行して行うと有効となる。 これらを併せて総合的に検討することにより、各章にて問題点を提示 する。 また、菩薩誕生記事、成道記事・初転法輪記事、梵天勧請記事につい ては、所謂パラレルとなる文が、他典籍に存在する。大本経の形成過程 を考察するうえで、そういった資料の検討は不可欠となる。特にパーリ 長部や『長阿含経』に収められる、比較的分量の長い経典は、編纂時点 で既に存在したであろう別の文献の記述を付加することにより、増広さ れていった過程が想定できるからである。この研究手法は、かつて増谷 文雄氏が、M〃即〃舳ω励伽舳α〃吻(Dκ16)等を中心とする、初期仏教 における仏伝文献の研究に用いたものである”。増谷氏は、ブッダ最晩 年を語る重要経典であるM〃φ〃舳肋δm舳伽〃ωに含まれる記述が、主 にパーリ相応部等に保存される記事を中心とする30箇所以上からの引 用により編纂されたものであることを指摘した。これは、初期仏典を考 察するうえで、極めて重要な指摘となった。本稿の研究は、増谷氏が確 立した研究方法に依るところが大きい。 仏典の編纂期間については、推測の域を超えないが、数百年に誇るも のである。ましてや、阿含経・ニカーヤ、律蔵のように、異本が多数存存し、分量も大部からなるものであれば、その編纂時期は、一同には語 れない。そこで問題とされてきたのが、文献間における成立の新古であ る二そういった問題に着手する際、一定の記事を手がかりとすることが 多いのであるが、例えば、現存する文献Aと文献B、二つの文献に同一 の記事が存在する場合、少なくとも以下に挙げる’可能性が想定出来る。 ①文献Aが文献Bに含まれる記事を引用した。 ②文献Bが文献Aに含まれる記事を引用した。 ③文献A,文献Bとも現在存在しない文献(文献X)から、同一の記事を 引用した。 ①②については、現存するものがもっと多い場合があるであろうし、 ③については、当然、文献Xも山っではないであろう。また現存する文 献A、文献Bは、必ずしも同一言語で残っているわけではなく、漢訳文 献の場合は、訳出年代の違いも問題となる。また、記事の新古が確定で きても、それがそのまま、文献全体の成立の先後関係を物語るわけでは ない。仏教文献を取り巻く環境は、上に図式化したほど単純なものでは ないが、いずれにしても、仏典編纂過程を考察する場合、現存する文献 から、有効な手がかりを得る方法を構築しなければならない。 そこで上記①②③を想定しつつ、先後関係等とは別に、少し角度を変 えた視点を設定することが重要となる。それは、現存の仏典が、ある一 定の記述を共有しているという事実である。例えば、前節の冒頭で述べ た第一結集の伝承も、諸部派が伝承した複数の律蔵を中心に、現存する 多くの文献に伝承されている。その内容について、細かな相違点は多々 あるものの、仏滅直後に仏弟子たちがラージ,ヤグリハ(王舎城)に集ま
って、経・律、あるいは論を読み上げたという筋は大方一致する。それ は何を意味するのか。もちろん、それぞれの律蔵が保存する記事の新古 についても重要であるが、同時に、ある一定の情報が、複数の立場で共 有されているという事実である。複数の立場とは、主に、異なる部派で あったり、時代や地域の異なる仏典編纂者たちといったところになる。 この視点は、本稿のように、所謂部派仏教の文献を扱う際には重要とな る。 ここでいう情報の共有とは、なにも細かな記事に留まるものではない。 初期仏典の範囲でいえば、その編纂形式についても、部派間で共通する 要素が多分にあったものと考えられる。初期経典の基本的な保存形式で ある四阿含・五二カーヤを例にとろう。五二カーヤは、パーリ上座部の 経典保存形式であり、漢訳で残る四阿含については、説一切有部系のも のが多いようであるが、複数の部派によるものであり、同一の部派のも のではない。それにもかかわらず、パーリ聖典と漢訳には、M〃と『大 本経』のように、内容的に対応関係にある文献が多数存在する。さらに、 M〃『大本経』については、両経とも『パーリ長部』『長阿含経』に含ま れるものである。これは’、聖典保存形式についても、一定の方法、つま り情報が共有されていたことを物語る。律蔵の編纂形式1とっいても、同 じことがいえよう。呼称の違いはあれど、比丘個人の規則について記す 経分別の部分と、仏教教団としての規則、作法の在り方を定めた健皮部 から構成される点では、諸律ともに一致する。こうしたことに着目した 多くの仏教学者は、膨大な文献を整理し、その比較・検討作業から、仏 教のより原初的な形態を明確にしようと試みた。 かつて、中村元氏は、パーリ聖典を中やにブ.ツタの生涯に関わる事蹟 を詳細に調査し、そこで重複する記事が古層に属するものであり、歴史
的ブッダに近づく一つの手がかりとした13。つまり、様々な事蹟の、原 型を構築しようとした。それは、現存する資料から、源泉的な要素を抽 出しようとする試みである。一 しかし、本稿では、ある事蹟の源泉資料の確定ではなく、仏典編纂史 上で発生した様々な伝承の変遷の一端に注目していく。つまり、現存資 料から、時代的に過去へ遡る作業に重点をおくのではなく、大本経を中 心とする現存資料を一つの帰結点・到達点として、そこに至るまでの経 緯を可能な限り明らかにすることに重点をおく。作業の手続きを図式化 すると以下のようになる。 ・大本経に保存される過去仏の事蹟と、他典籍に保存されるパラレルに なる記事の確認 ・上記の記事と関連性のある記事の確認。(パーリ注釈書等) ↓ ・上記の資料および先行研究から、大本経に含まれる事蹟の形成過程を 検討 ↓ ・問題点の指摘 また、先ほどから、「記事の引用」という用語を用いているが、仏典 編纂事業は、当時の仏教徒にとっては、我々が簡単に考えるような編纂 作業ではなかったであろう。というのも、仏典には、聖典として語り継 がれる資格が必要となる。とりわけ経典においては、「仏説」ということ が重視される。その条件を満たすことが、経典編纂者に課せられた課題 の一つであったはずである。「仏説」という条件を充たすために、編纂当
時存在した「仏説」経典から重要記事を抽出して、異なる文献に付加し、 新たに再編集する方法は、有効であったと考えられる。そうして、新た な「仏説」経典が出現する。仏滅後、長い時間の間に、こういった作業 が多く繰り返された結果、多数の「仏説」経典が伝承されることになる。 紀元後まもなく、中国には、同時に多くの「仏説」経典が伝えられた。 すべてブッダが説いたものであるという前提になると、多くの人が混乱 したであろうことは、想像に難くない。どの経典が、真実のr仏説」で あるのか、といった混乱である。そういった「仏説」経典の存在を合理 化するために、例えば、代表的な教相判釈の一つである五時人教のように、 ブッダの生涯を軸に、仏典を説いた時期を設定するといった、様々な経 典解釈方法が構築されたのであろう。 インドにおいても、ある’定の時期に仏典の整理作業が行われたもの と思われる。そのため、現存資料において、その保存形式が共有される 結果となっているのである。 また、先述した「聖典として語り継がれる資格」という視点は、一方 で聖典以後の文献にも目をむけなければならない。各部派が伝承した経 典や律蔵は、ある時期までは、付加・増広、あるいは部分的な削除とい った編集を施されてきた。そして、ある時期に、その発達は停止する。 このことについては、近年、馬場紀寿氏による研究業績が様々な示唆 を与える。馬場氏は、五世紀にブッダゴーサが著したパーリ注釈書と、 現存する漢訳された北伝阿含経の内容を比較・検討した結果、そこに多 くの一致点があることを明らかにしている14。この事実が意味すること は、本節で夙に述べた「情報の共有」ということと深く関連する。パー リ注釈書と北伝阿含経の一致点の重要性、それはパーリ上座部では、聖 典の発達がある時期に停止し、それ以降の情報は、注釈書としてまとめ
られたのに対して、他の部派では、同じ情報が、そのまま聖典に付加さ れ、聖典として継承されていったことを語るのである。もう少し具体的 に言うと、パーリ上座部では、聖典の発達が停止した一方で、北伝阿含 では、引き続き聖典の発達は続いた可能性が想定できる。伝承された内 容は一致しても、伝承の在り方に相違点が生じていることになる。こう いった視点は、本稿において、特にパーリ注釈書を扱ううえで、十分に 配慮しなければならないことである。 文献の原初的な形態、つまり源泉資料を、簡単に文献Xなどといって も、その素性を完全に把握することは、不可能に近いが、現存の資料に 至る過程を追究することにより、仏教の伝承の在り方.の一・形態を定義す ることは、あ’る程度可能である。研究方法として本稿が目指すところは その点にある。 以上が、本稿における基本的な研究方法と文献の扱い方になる。 以下、各章で用いる大本経および上記諸漢訳文献用以外で用いる主な 文献資料を列挙しておく。
第1章
・ノ㏄伽吻αう舳舳a伽m舳舳C如(MW.123,M凡皿pP.118・124.) ※M〃菩薩誕生記事と内容が一致する菩薩誕生記事を保存 ・Pαp械。舳〃mi W ・『中阿含経』巻第人(32)「未曾有法経」、東晋厨賓三蔵膣曇僧伽提婆訳 (大正1,No26,pp.469c’471c)第2章
・∫αψγmc舳欣勿αX1I.65Nagam(∫M,皿pp.104・107)※M〃過去仏成道記事における縁起説と一致するブッダ成道記事を保 存 ・∫oψ〃〃〃汰砂αX■.4∼1O(∫凡皿pp.5’11) ・蛎用〃乃ψPα砺sオ切,Vo1.皿 ・η舳γαρ伽たα「人品」Mah邑khan砒aka(ηm〃.Ipp.1−44) 求那政陀羅訳『雑阿含経』第287経「城邑経」(大正2No.99,pp.80b・81a) 支謙訳『貝多樹下思惟十二因縁経』(大正16,No.713,pp.826b・827b) 玄英訳『縁起聖道経』(大正16,No.714,PP.827b・828c)、 法賢訳『仏説旧城楡経』(本正16,No.715,pp−829a・830b) 僧伽提婆訳『増’阿含経』巻31,38・4(大正2,No.125,p.718a・c)
・S.Lさvi,“Textes saI1scrits d−e ToueI1・Houang,”∫ノ皿(1910)二PP.433−456.
・E.H.Johnston,“The Gop至Ipur Bricks,,’JRノ∫ (1938) PP.547・553.
・C.Trip五ψi,F”mプレ〃♂zwαnz〃g∫πrα∫dω〃〃∂〃ωαψγ〃〃α (∫α〃∫伽{〃e対e
口〃∫ ae〃 rm7プb〃∫1”〃de〃 〃e7α〃5gegebe〃 im∠ω∫炉αge der■たα♂emjeソ0n万rπ3‘
mα’”5c乃mfδC,V皿)(Akade皿ie−Ver1ag Ber1in,1962)
→村上真宗・rサンスクリット本城邑経」『仏教研究』3(1973)pp.20−47 により訂正・再校訂。
・ G.Bongrad・LeviI1, D.Boucher, T,Fukita, k,Wi11e,“Tbe
Nagampamas耐ra : An Apotropaic Text from t止e Sa叩yuk樋gama,”
∫πrlF,Beiheft6 (1996) pp.7・131.
第3章
・3o〃か物た・m∂・α舳伽(M凡85,M凧■p.93) ・〃〃m舳岬γmα,1,1五y5・…哩(肌W,肌I,PP.136・138) ・η舳yψ伽肋r人品」Ma胴khandhaka(ηm〃.Ipp.1−44) ※上記すべてM〃と一致する梵天勧請記事を保存
第4章
・η舳γψ吻κα「人品」Ma蝸kha皿dhaka(η舳〃.Ipp.1−44) ※M∠一P過去仏初転法輪記事における説法内容と一致する記述を保存。 『四分律』r受戒捷度」銚秦仏陀耶舎・竺仏念等訳(大正22,No.1428, pp.779a・799b) ※『大本経』過去仏初転法輪記事における説法内容と’致する記述を保 存。第5章
・η伽γψ印ακα、Suttavibha血ga,P至刺ikaI,Veraijab胴岬v5ra(η舳〃.皿 PP・.1・11) ・∫αmα〃‘αρ∂s∂dゴκ∂I,1PP.185−186 ※上記二文献に、M/Pにおける波羅提木叉の請出・制定記事成立に関わ る、過去仏に関する重要記事が保存されている。 ・D加mmψ〃α ・D加mmαρ〃α4伽肋肋ε皿、pp.236’237 『四分律』巻第1、四波羅夷法之一、銚秦仏陀耶舎・竺仏念等訳(大正 22, No.1428,pp.567b・575c)※『大本経』における波羅提木叉の調出・制定記事成立に関わる記事を 保存。 r五分律』巻第1、第1分初波羅夷法、来演賓三蔵仏陀什共竺道生等訳 (大正22,No.1421,pp.1a−7a) 『摩詞僧砥律』明四波羅夷法之’、婬戒之一、東晋天竺三藏悌院政陀羅 兵法顯謬(大正22,No.1425,pp.227a’235a) 先述したように、大本経が伝承するヴィバッシン仏伝が、初期仏教文 献の中では極めて整った仏伝の体裁を維持している点は、重視すべきこ とである。初期仏教文献における仏伝の形態と併せて検討すると、過去 仏の伝記のほうが、仏伝よりも早い時代に、纏まった形態に集約・編纂 された可能性が想定できる。このことからも、大本経の成立に関わる研 究は、仏伝の成立過程を明確にするうえでも有益となる。 また、ヴィバッシン仏の初転法輪記事についての調査結果から、「ヴ ィバッシン仏伝」が、在家者・異教徒を中心とした、より多くの人を意 識して編纂された可能性を指摘するが、このことは、初期経典編纂過程 における出家者以外の影響力、当時の仏教教団の背景を併せて考察する 必要がある。これに近い視点を持って、辞支仏・過去仏について記す経 典の編纂過程を考察したのが以下の論文である。 ・「辞支仏とMα蛎〃砺〃伽舳m刎『龍谷大学仏教学研究室年報』12(2004) ここでは、教団内の「礼拝対象を重視する人々」について、過去の研 究をまとめ、その影響力について考察を試みた。しかし、課題を多く残 す内容となっている。今後は、過去仏思想と仏伝との関連性という視点 で、再検討する。 大本経の大部分を占めるのが、七仏の事蹟とヴィバッシン仏伝である
が、先行研究によると、七仏の事蹟相当部分が先に成立したと考えられ ている15。第一章 ..で取り上げる課題となるのだが、七仏の事蹟 と、仏伝における成道以前の事蹟との関連性は、より詳細に検討する必 要がある。仏陀観の展開と併せて調査していく。
第3節七仏の事蹟について
本稿では、大本経が保存するヴィバッシン仏伝に含まれる重要事蹟に ついての検討が中心となるのだが、その前に設置されている七仏の事蹟 は、大本経成立を考察する際、重要となる。本稿の本論においても、当 然考察の対象となるので、ここでは、その内容をM〃に従って確認して ま5く (j)ハダI.p.1’7)。At11a kho samb汕u1重na叩 bbikkhOna叫 pacch五一bhatta哩 pipφap砒a。一 patikkant5na理・Ka肥h−mapφa1a−m重1e san皿isinn量na叩san11ipatiI1重na叩
pubbe−niv邑sa−patisa叩yut蝸 dhammi kath乱udapadi:‘Iti pubbe−niv三so,
itip皿bbeniv三soti.’ (」)バグ皿.P.1) く訳〉さて、食事の後、托鉢食を離れ、カレーリ円堂に集まってい た多くの比丘たちに、過去の生存に関する法話が起こった。「過去 の生存はこのようであった、過去の生存はこのようであった」と。 この後、上記の比丘たちの会話を天耳通によって聞いたブッダが現れ、 以下のように述べる。
砒ammi叩katha㎎sotu皿ti?’
’Etassa b11agava k重1o,etassa Sugata k訓。,ya叩一官ha.gav星pubbe_niv互sa
lP剛isa叩yutta叩 dhammi叩 katha叩 kareyya,Bhagavato sutv互 bhikkh五
dh三ressantiti.’
‘Tena hi bhikk11ave su坤tha,s互dlmka叩ma皿asikarotha,b11量siss三miti.’
‘Eva叫bha皿te’ti kho te bbikk11−Bhagavato paccassosu加,Bhagav5eta.d
avoca= (Dハr. 1I.P.2) く訳〉「比丘たちよ、あなた方は、過去の生存に関する法話を聞きた いか。」 「世尊、そのために適した時であります。善逝、そのために適した 時であります。世尊が、過去の生存に関わる法話をなさったら、比 丘たちは、世尊の[過去の生存に関わる法話を]聞いて、[その内容 を]億持いたします。」 「比丘たちよ、それでは聞きなさい。・十分に注意しなさい。私は[過去 の生存に関わる法話を]話そう。」 「わかりました。世尊。」と、かの比丘たちは世尊に答えた。世尊は 次のように述べた。
Ito so bhikkhve eka−nav耐。 kappo ya叩 Vipassi 舳agava ara11am
l
samma−sambudd.11010ke udapadi. (D凡皿.p.2)
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるヴィバッシン世尊は、 今より九十一助前の世に現れた。
It… bhikkb… k・一ti叩・・㎞pP・y・㎎畔hi bh・g・・五・・汕・平
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるシギン世尊は、今より 三十一助前の世に現れた。
Imasmi叩yeva kho bhikkhve eka−ti㎎se kappe〉e嘗sabh丘bhagava arabam sam㎎a−sambuddho1oke udap三dil (D凡1I.p,2)
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるヴェヅサヴー世尊は、 今より三十一助前の世に現れた。
Imasmi叩yeva kho bhikkhve bhaωa−kappeKakusa皿d止。 bhagav乞araham
samm三一samb皿ddho1oke udap童di. (Dκ皿.p.2)
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるカクサンダ世尊は、こ の賢劫の世に現れた。
Imasmi理 yeva kho bhikkhve bhadda−kappe Komagamano b止agava
araha呼samm五一sambud砒。1oke皿dapadi一 (D札11−p−2)
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるコーナーガマナ世尊は、 この賢劫の世に現れた。
Imasmi叩yeva k止。 bbikk止ve bhadda−kappe Kassapo bbagav5araham
samm三一samb皿ddho1oke皿dap互di. (Dκ皿.p.2)
比丘たちよ、阿羅漢であり、五等覚者であるカッサパ世尊は、この 賢劫の世に現れた。
Imasmi㎎ yeva kho bhikkhve b11adda−kappe aha卿 etara止i amham ■ samma−sambuddho1oke uppanno.(Dκ皿.p.2) 比丘たちよ、現在、阿羅漢であり五等覚者である私はこの賢劫の世 に現れた。 このように、ブッダが、1.ヴィバッシン、2.シギン、3.ヴェッサヴー、 4.カクサンダ、5.コーナーガマナ、6.カッサパ、7.自分自身の生まれた時 代について、述べる設定となっている16。この後の記述については、上 記の内容もふくめて、下記にまとめる。上記の資料同様、きわめて定重 化した文となっている。また、諸本とも基本構造は一致している(大正 1, p,1c・3c, ed。.Fukita,pp36−51) 17。 (1)生まれた時代 1.91劫前 2131劫前 3.31劫前 4.賢劫 5.賢劫 6.賢劫 7.賢劫 (2)生まれ 1.王族 2.王族 3.王族 4.バラモン 5.バラモン 6.バラモン 7.王族 (3)雄 1.コンダンニャ 2.コンダンニャ 3.コンダンニャ 4.カッサパ5.カッ サパ 6.カッサパ 7.ゴータマ (4)寿命 1.8万歳 2. 7万歳 3.6万歳 4.4万歳 5.3万歳 6.2万歳 7,100歳
(5)菩提樹 1.パータリ樹 2.プンタリーガ樹 3.サーラ樹 4、シリーサ樹 5.ウト ゥシバラ樹 6.ニグローダ樹 7.アッサッタ樹 (6)二大弟子 1.カンダ、ティッサ 2.アビブー、サンバヴァ 3.ソーナ、ウッタラ 4. ヴィトゥーラ、サンジーヴァ 5.ビッヨーラ、ウッタラ 6.ティッサ、 バーラトヴァージャ 7、サーリフッタ、モッカラーナ (7)サンガの構成 1.三集会(680万人、10万人、8万人の漏尽比丘) 2.三集会(1O万 人、8万人、7万人の漏尽比丘) 3.三集会(8万人、7万人、6万人の 漏尽比丘) 4.一集会(4万人の漏尽比丘) 5.’集会(3万人の漏尽 比丘) 6.一集会(・2万人のの漏尽比丘) 7.一集会(1250人の漏尽比 丘) (8)侍者 Lアソーカ 2.ケーマシカラ 3.ウパサンダ 4.ブッディジャ5.ソッテ ィジャ 6.サッパミック 7.アーナンダ (9)父母および王都の名称 1.バンドウマー王、バンドウマティー妃、バンドウマティー王都 2.アルテ王、パバーヴァティー妃、アルテヴァティー王都 3.スッハテイタ王、ヴァッサヴァティー妃、アノーマ王都
4.アッギタッタ・バラモン、ヴィサーカー・バラモン女性、ケーマヴァ ティー王都 5.ヤンニャダヅタ・バラモン、ウッタラー・バラモン女性、ソ’一バヴァ ティー王都 6.ブラフマ・タッタバラモン、ダナヴァティー・バラモン女性、バラナ シー王都 7.スッドーダナ王、マーヤー妃、カピラヴァットゥ王都 さらに注釈には子、妻についても記す。 1.サマヴァッタッカンダ 2.アドゥラ 3. スッパブッダ 4.ウッタラ 5.サックヴァーハ 6.ヴィジタセーナ 7.ラーフラ 1.スタナー 2.サバカーマ 3、スチッター 4.ローチニー 5.ルチャッ カティー 6.ステンター 7.ビンバー 以上が七仏の事蹟の内容である∫8。 さて、仏教における過去仏の思想は、仏教以前から存在したヴェーダ 文献に現れる「古仙人」「七人の仙人」といった用語からの影響が多分に あるものと考えられている19。そして、初期仏教文献においても「古仙 人」という用語は多く見出せる。こういった用語は、後に過去仏、さら には過去七仏へと展開していく前段階のものであろう20。 こういった仏陀観の展開のうえで、舳〃伽ψ研α第356偏は、以前から 重視されてきた21。そこには『第七の仙人(iSi−Sattama)」という表現が ある。
Esa s山v夏pasi砺mi vaco te isisattama, ・m・gh・興ki・・m・p・舳・哩…m・叫・・i・・ib・手hm・草・・(∫・・356) 第七の仙人さま。あなたのお言葉をきいて私は喜びます。私の問い は決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、私 をだましません。” 一方で、古仙人と、畔支仏・過去仏との関連性が深いことも既に指摘 されており、辞支仏を主題とした経典である〃g市舳吻 (M凡116,M凡
皿、pp.68−71)では、八十余名の辟支仏の名をあげるのだが、
〃〃乃〃舳舳の過去二十四仏に含まれる七仏と、名前が一致することな どが指摘されている23。 また、過去七仏のうち、賢劫の世に出現したとされる四仏(カクサン ダ、コーナーガマナ、カッサパ、ブッダ)を一つのグループとする形式 も存在する24。『大唐西域記』、『高僧法顕伝』に賢劫の四仏が信仰されて いたということは、既に指摘されている”。過去七仏という概念とは別 に、賢劫の過去四仏という概念があったのであろう。 また、アショーカ王がコーナーガマナ仏の仏塔を増築したというアシ ョーカ碑文にある記述は有名である26。 いずれにしても、過去仏の概念は、比較的早い時期から、仏典にも現 れていたようである。しかし、大本経における七仏の事蹟は、その形式 化された内容から、過去仏が、過去七仏思想として体系化された後に、 確立されたものであると考えるべきである。つまり、仏典において、既 に「古仙人」や、『過去における五等覚者」といった記述があった段階に、 そういった過去仏に、より具体的な情報を付加することにより、過去七仏の明確化が図られたのであろう27。 七仏の事蹟成立までの流れを簡単に図式化すると以下のようになる。 仏教以前から存在するヴェーダ文献に記される「古仙人」等の概念が仏 典にも取り入れられる。 ↓ 現存す.る初期仏典には、過去仏に関する記事が多数存在するが、例えば パーリ聖典で「過去における五等覚者」であるものが、対応漢訳では「古 仙人」となっている場合など、諸本問で異同がある。辟支仏との区別も 明確化されていない。また、最初から、七仏としての概念が確立されて いたわけでもないようであるが、次第に七人に固定されていったものと 考えられる28。 (※過去四仏の形式は、七仏の形式から派生したものか、あるいは七仏 が確立する途上の概念であるか、現時点では定かではない。) ↓ 漠然とした過去仏の記述に具体的な情報を付加し、過去仏の存在を明確 化。過去七仏の概念が完全に陣立される。=七仏の事蹟の完成 七仏の事蹟成立まで、このような経緯が想定できよう。 序論 註
1宜tienne Lamotte、〃市アγo/〃伽m〃a〃ゴ∫m,打ans.Sara Webb−Boi11
(Louvain・Paris,1988)p.655参照。梶山雄一氏もほぼ同様の見解を持 つ。梶山雄一「原始仏典10 ブッダチャリタ」(講談杜、1985)pp,476・478
参照 2阿含・ニカーヤ、律蔵に含まれる仏伝については、外薗幸一『ラリタヴ イスクラの研究(上)一』(夫東出版社、1995)PP.43・48に列挙されている。 また、増谷文雄氏は、意図的に編纂された最初期の仏伝文献として、パ ーリ律人品Ma胴kha皿砒akaに含まれる仏伝、ル枇〃吻e舳吻舳吻(M札26)、 MIα栃ρ〃肋ゴ肋肋ω〃α〃ω(Dπ16)を詳細に分析した。増谷文雄『仏陀の 伝記・資料の研究・(増谷文雄著作集5)』(角川書店、1981)pp.106・339. 3現存の初期仏教文献が残す断片的な仏伝が、纏まった伝記から分離した とする考えも否定することは出来ないが、その可能性は極めて低い。 4平川彰『律蔵の研究■〈著作集10〉』(春秋杜、2000)p.1O1参照。 5中村元『ゴータマ・ブッダI【中村元選集決定版11】』(春秋杜、1992) P.11参照。 6仏陀観の展開については、吉本信行・柏原信行・茨田通俊「原始仏教に おける過去仏・未来仏思想の展開」『真宗総合研究所研究所紀要』7 (1989)pp.31・36、村上真宗・及川真介『仏のことば註・パラマッタ・ ジョーティカー研究・仏と聖典の伝承』(春秋杜、1990)pp.48・100、梶 山雄一「仏陀観の発展」『佛教大学総合研究所紀要』3(1996)pp.5・46 参照。仏名経については、璽入食道「中国仏教における仏名経の性格と その源流」『東洋文化研究所紀要』42(1966)pp.221−320参照。 パーリ上座部の過去七仏思想は、二十四仏に発展する。一方、北伝の過 去仏は燃灯仏以降の過去十五仏を説く『仏本行集経』、過去五十三仏を一説 く『観葉王葉上二菩薩経』、『仏説無量寿経』過去一千仏を説く『過去荘 厳劫千仏名経』、f現在賢劫千仏名経』、過去二十二万人千仏を説くものに 『根本説一切毘奈邪薬事』、『大毘婆沙論』、『倶舎論』、『大智度論』など がある。
7平等通照『佛陀の死』(印度学研究所、1961)p.31参照。 8平川彰『仏教入門』(春秋杜、1992)pp.133・137参照。また、パーリ経 典では後期の成立である〃〃乃〃岬Mには、簡単ではあるが、ヴィバッ シン仏の浬梁について記されている(3〃〃仰α榊α,p.79)。 9ヴィバッシン仏伝が、釈尊の伝記を模倣して作成されたとするものは、 平等通照[1961コp.32.干潟龍神「インド仏教重要事項年代考」『鈴木学 術財団研究年報』12!13(1976)p.8など。また岡野潔氏は「実質的に本 経の大きな部分を占めるヴィバッシン仏の仏伝は、編集当時存在したで あろう原始的な釈迦牟尼の仏伝の、固有名詞だけを入れ替えた複製とい えるものである」と述べる。岡野潔「偉大な過去世の物語・大本経・」『原 始仏典』第2巻(春秋杜、2003)p.481参照。一方で、R.0土to Franke 氏は、仏陀の理想型であるヴィバッシン仏伝から、釈尊伝が成立したと
推定した。R,O杭。Fr汕ke“DerdogmatisoheBuddhanac11dGm
Dighanik5ya”〃ZK〃,28−4(1914)pp.331−335.しかし、上記の説に対して 岡野潔氏は「ヴィバッシン仏の仏伝が出来る長阿含の成立期まで、釈迦 の仏伝が暗に形成されていなかったはずはないから、釈迦の仏伝がヴィ バッシン仏の仏伝に応用されたと考えたほうがよい」と述べる。岡野潔 「仏陀の永劫回帰信仰」『論集!印度学宗辞学会』17(1990)p−3参照。 他に中村元氏も、釈尊の伝記が『ヴィバッシン仏伝」を借用したという 可能性を示唆する。中村元[1992]p.7参照。また、石上善応氏は、菩 薩誕生記事に含まれる誕生偶と、四門出遊の記事は、ヴィバッシン仏伝 のものが最も古形であろうと述べる。石上善応「仏伝と仏伝文学」『大・正 新修大蔵経会員通信』39(1964)p.2参照。10梵本の所属部派は説一切有部系である可能性が高い。草間法照
「Mα蛎ソ〃肋伽玩舳に関する一考察」『印度学仏教学研究』22・1(1973) pp.383・388参照。 11平等通照『印度仏教文学の研究(1)』(印度学研究所、1930)p.142、 平等通照『悌陀の死』[1961]p.36、前岡恵学『原始仏教聖典の成立史 研究』(山書房仏書林、1964)p.633 梶山雄一「仏陀観の発展」『佛教大学総合研究所紀要』3(1996)p.9等 参照。 12増谷文雄[1981]参照。 13中村元[1992] 14馬場紀寿『上座部仏教の思想形成・ブッダからブッダゴーサペー』(春 秋杜、2008)参照。 I5吹田隆道「『大本経』に見る仏陀の共通化と法レベル化」『渡邊文麿博 士追悼記念論集・原始仏教と大乗仏教』上(永田文昌堂、1993)参照。 16ここで記される過去六仏の名称については、宮坂宥勝工1970]r過去七 仏の系譜」『高野山大学論叢』5(1970)pp.5・1Oで詳細に検討されてい る。 また、田辺和子氏は、M∠Pで使われる『今より∼劫前に出現した」とか 「この賢劫に出現した」という定型句は、後世のアヴァターナ集成書で ある小〃励口伽如καやD仰か〃励αのはじめにbh耐ap耐v岬と共に用いら れることを指摘する。田辺和子『パーリ聖典に見られる物語文学の世界』 (山書房仏書林、1997)P.106参照。 17『七仏経』における七仏の事蹟と大本経諸本との比較については、岡 野潔「正量部の伝承研究(2)第九劫の問題と『七悌経』の部派所属」『イ ンド学諸思想とその周延一北條賢三博士古稀記念論文集・』(2004)
pp.166’189参照。 18『大本経』七仏の事蹟は以下のようになる。 [時代] 過去九十一助。時世有俳名毘婆戸如來.至真。出現下世。復次。比丘。一 過去三十一助。有俳名月棄如來.至真。出現於世。復次。比丘。即彼三 十一助中。有俳名毘舎婆如來.至真。出現於世。復次。比丘。此賢劫中 有俳名拘棲孫。又名拘那含。又名迦葉。我今亦於章劫中成最正覚。 [寿命] 毘婆戸佛時。人壽八萬歳。戸棄佛時。人壽七萬歳。毘舎婆佛時。人壽六 萬歳。拘棲孫佛時。人壽四萬歳。拘那含佛時。人壽三萬歳。迦葉佛時。 人壽二萬歳。我今出世。人壽百歳。少出歩減。 [生まれ、姓コ 毘婆戸佛出刹利種。姓拘利若。戸棄佛。毘舎婆佛種。姓亦爾。拘棲孫佛 出婆羅門種。姓迦葉。拘那含佛.迦葉佛種.姓亦爾。我今如來.至真。 出刹利種。姓名日程曇。 [菩提樹] 毘婆戸佛坐波浪羅樹下成長正覚。戸棄佛坐分院利樹下成最正覚。毘舎婆 佛坐娑羅樹下成長正覚。拘棲孫佛坐月利抄樹下成最正寛。拘那含佛坐烏 暫婆羅門樹下成長正覚。迦葉佛坐尼拘俸樹下成長正見。我今如來.至真。 坐鉢多樹下成長正覚。 [サンガの構成] 毘婆戸如來三倉説法。初會弟子有十六萬八千木。二舎弟子有十萬人。三 倉弟子有人萬人。戸棄如來亦三會説法。初舎弟子有十萬人。二倉弟子有 人萬人。三會弟子有七萬人。毘舎婆如來二會説法。初舎弟子有七萬人。
次會弟子有六萬人。拘棲孫如來一會説法。弟子回萬人。拘那含如來一省 説法。弟子三萬人。迦葉如來一會説法。弟子二萬人。我今一會説法。弟 子千二百五十人。 [二大弟子] 時。毘婆戸併有二弟子。一名篶茶。二名提舎。諸弟子中最為第一。戸棄 併有二弟子。一名阿毘浮。二名三婆婆。諸弟子中最為第一。毘舎婆悌有 二弟子。一名扶遊。二名蕾多摩。諸弟子中最為第一。拘棲孫併有二弟子。 一名薩尼。二名亭棲。諸弟子中最為第一。拘那含併有二弟子。一名辞繋 那。二名蕾多棲。諸弟子中最為第一。迦葉併有二弟子。一名提舎。二名 婆羅婆。諸弟子中最為第一。今我二弟子。一名舎利弗。二名目捷連。諸 弟子中最為第一。 [侍者] 砒婆戸併有執事弟子。冬日無憂。戸棄佛執事弟子。冬日忍行。砒舎婆悌 有執事弟子。名目寂滅。拘棲孫併有執事弟子。名目善覧。拘那含併有執 事弟子。冬日安和。迦葉併有執事弟子。名目善友。我執事弟子。名目阿 難。 [子] 砒婆戸併有子。名目方鷹。戸棄併有子。冬日無量。砒舎婆併有子。名目 妙寛。拘棲孫併有子。名目上勝。拘那含併有子。冬日導師。迦葉併有子。 名目第軍。今我有子。冬日羅喉羅。 [父、母、王都コ 砒婆戸佛文名盤頭。刹利王種。母名繋頭婆提。五所治城名目渠頭婆提。 戸棄佛文名。日明相。刹利王種。母名光曜。五所治城名目光相。 砒舎婆佛文名書燈。刹利王種。母名稻戒。五所治城名目無職。
拘棲孫佛文名祀得。婆羅門種。母名書抜。王名安和。随王名故城名安和。 拘那含佛文名大徳。婆羅門種。母名書勝。足時王名清浄。随王名故城名 清薄。迦葉佛文名日梵徳。婆羅門種。母名目財主。時王名汲砒。五所治 城名波羅奈。我文名浮飯。刹利王種。母名大清浄妙。五所治城名迦砒羅 衛。 19中村元『ゴータマ・ブッダI【中村元選集決定版121』(春秋杜、1992) p.454参照。 20阿含・ニカーヤにおける仙人に関する記述は、平野(村上)真宗氏に よって詳しく調査されている。平野(村上)真宗「過去仏について」『印
度学仏教学研究』9・2(1961)それによれば第一に
A山haka,V星naka,V五madeva,Ves5mitta,Yamataggi,A血girasa,B胴radv5ja,V五set tha,Kassapa,Bhag皿の十人のヴェーダの讃歌の作者であるというバラモン の古仙人或いはAsitaDeva1aと七人φバラモン仙人である。これらはヴ ェーダ文献にも知られている名である。第二には、古の外道師、或いは外道の仙人とよばれる
S皿netta,MOgapakkha,Ara皿emi,K皿dd訓a,Ha舳ip訓a,Jotip51aの六人、或いは Arakaを加える七人である(ノ札IV,pp.135)。これらはヴェーダ文献に は見られない名である。以上のことから古仙人と言われるものにはバラ モンの聖者と非バラモンの聖’メがあったと考えられる 他に、真柄和人「辟支仏と過去仏」『仏教論叢』23(1975)真柄和人「初 期仏典にみるisi−sattamaについて」『印度学仏教学研究』28・2(1980) 村上真宗[19901『仏のことば註一パ・ラマック・ジョーティカー一研究仏と聖典の伝 承』pp.336・346参照。 21宮坂宥勝工19701pp.10・13、宮坂宥勝『仏教の起源』(山書房仏書林、1971)pp.307・310参照。 22翻訳は中村元『ブッダのことば』(岩波書店、1984)p.75を使用した。 また対応漢訳では、iSiSattamaに相当する語がr無上士」となっている。 このことについて宮坂宥勝氏は、「釈尊を呼ぶときのバラモン教的な名 称を敢えて避けて訳したがためであると思われる」と述べる。宮坂宥勝 [1970]pp.1O参照。isisa“amaについては、他にもその用例は確認さ れている。rゐ。.1240,〃α.1276(=舳.356)∫凡I,pp.192−193,∫凡Vp.342。 「第七の仙人」についてパーリ注釈書は「ヴィバッシンを始めとする仙 人たちの中の第七の仙人」と説明する(P〃αmα〃勿。倣∼Ip.351、 ∫かα舳α〃ακ刷痂Ip.278)。 23勝本華蓮「諸仏と梓支仏Apa硯naを中心に」『印度哲学仏教学』16(2001) P.91参照。 24∫M.15.20(W.皿pp.190−193)など。この問題については、熊谷進「過 去七仏信仰について」『印度学仏教学研究』27・2(1979)pp.180・181参 照。 25この事に関しては竹本寿光「過去四仏について」『印度学仏教学研究』 28・1(1979)pp.297−299、杉本車洲『インド仏塔の府究』(平楽寺書店、 1984)pp.262−280に詳しく記されている。 26杉本車洲[19841pp.262・263他参照。 27吹田[1993]参照。 28ニカーヤに現れる過去七仏について、勝本華蓮氏は、以下の情報を提 示している。 r尻erαgあC乃万 490,491 (p. 51) j)ハr.14 (」)ハ「pp.1・54) j)ハ㌧32 (』)M.皿. p=p. 195−196)W.12.4−1O(W一■pP.4・11);Mκ50(MW.Ip332・338) M〃.81(MW.■,PP.45・54)舳.6.2.4(∫M.IpP.155−157)W.15.20(W.
■pp−1gO−1g3)ηmγα(η舳〃皿.p.8)ただしM札50は第4仏、M’W.81 は第六仏、W.6.2.4は第2仏、W.15.20は第4∼7仏のみ出る。
勝本華蓮[1999]「〃〃加w榊αにみられる仏陀の光明と寿命」『パーリ学仏 教文化学』13参照。
第1章 大本経が伝承する菩薩誕生記事
本章では、大本経が伝承する菩薩誕生記について検討する。 最初に、ブッダ誕生場面を描く経典として、広く知られるパーリ聖典 ∠㏄乃α吻αあ舳〃α〃αmmω舳α(MW.123,M凡皿pp.118−124.以下『希有未曾 有法経』と表記1)との比較・検討から、パーリ上座部では、誕生偶を 含む形式の菩薩誕生記事は、七仏の事蹟を前提として伝承されているこ とを指摘する。さらに、大本経に相当する内容を.持っ文献の一つであり、 過去仏誕生記事を保存する『七仏経』の構造に着目する。そして、本経 の編纂過程を検討することにより、大本経において、七仏の事蹟と菩薩 誕生記事とが結合した理由を明確にする。,第1節
『希有未曾有法経』における菩薩誕生記事
ここでは、大本経と同形態の菩薩誕生記事を保存する『希有未曾有法 経』について、その内容を確認しておく。本経は、後代の仏伝文献にお けるブッダ誕生場面の源泉になる要素を含むものとして古くから重視さ れてきた2。また、パーリ聖典において、一般に「誕生偶」と呼ばれる 箇所を含む菩薩誕生記事を保存する経典は、『希有未曾有法経』とM〃 の二経となる3。 以下に、『希有未曾有法経』における菩薩誕生記事の内容をまとめて おく4。 (1)菩薩は念をそなえ、正知をそなえ、トゥシタ天の身に生まれかわ る。(2)トゥシタ天にとどまる。(3)寿命の限りとどまる。(4)そこか ら没して母胎に入る。(5)母胎に入ると、無量の広大な光が神々の威神力を圧倒して現れる。(6)菩薩と母とを守護するために四天子が接近す る。(7)菩薩の母は自然に戒をそなえる。(8)菩薩の母には他の男性に 対して愛欲を伴った思いが起こらない。(9)菩薩の母は五種の欲を与え られ楽しむ。(10)菩薩の母は安らかで身体に疲労がない。.(11)菩薩の 母は、菩薩が生まれて七日のうちに亡くなり、トゥシタ天に生まれかわ る。(12)菩薩の母は十ヵ月で菩薩を出産する。(13)菩薩の母は立った まま出産する。(14)菩薩が母胎から出るとき、初めに神々が、後に人々 が受けとめる。(15)菩薩が母胎から出るとき、菩薩は大地に到達する ことがなく、四天子が受けとめる。(16)菩薩が母胎から出るとき、い かなる不浄物にも汚されない。(17)菩薩が母胎から出るとき.、冷熱二 つの噴水が現れ、菩薩と母を水洗いする。(18)菩薩は生まれると、静 かに両足で大地に立ち、北に向かって七歩進み、あらゆる方向を眺め、 「私は世界の第一人者である」との言葉を語る5。(19)菩薩が母胎から 出るとき、無量の広大な光が神々の威神力を圧倒して現れ、また一万世 界が震動する。 上記の項目それぞれの末尾に「世尊の希有であり未曾有である法と億 持いたします(肋agavatoa㏄止ariy岬abbhuta砒amma㎎砒五remi.)」という 定型句が添えられる。また(5)と(19)の内容を含む菩薩誕生記事は、 〃g〃〃舳肋δ〃にも保存されている(ノ凡皿pp.130・131.ここでは誕生偶 は含まない)6。 さて、『希有未曾有法経』の冒頭には、上記の菩薩誕生記事の直前に、以 下の記述が設置されている。 【資料1】
At11a kho sambahu1至皿a哩 bhikkh−na叩 pacch5b11atta叫
san皿ipatit亘m興 ayam anta施kat胴 udapadi :一Acch肌iya叩, 乱vuso,
abbhuta叫,avuso,Tathigatassa mahidd11ikat量mah量nu.bhavat5,yatra hi n五ma Tath互gato atite Buddhe parinibbute凶imapapa五。e chinnavatume
pariy量dinnava螂e sabbad.皿kkhavitivatte j5nissati: Eva哩_jacc包 te
Bhagavanto ahesu哩iti pi,eva叩n五m五te Bhagavanto a11esu叩iti pi,
eva㎎一gott5te Bhagabanto ahes皿叫iti pi,eva㎎一si胴 … eva叫一d11amm童
… eva岬一pa五節 ’・’ eva叩一vih互ri … eva叫一vimutt互 te Bhagavanto ahes{叫 iti piti._Eva叫 v皿tte, ヨy5sm5 五11ando te bhikkhi etad
avoca :一Agchariya c’eva, 5vuso, Tath5gata
acchariyadhammasamann星gata ca ;abb1mt5 c’eva,至vuso,Tat11agat邑
abbhuta砒ammasamamaga蝸 c互ti.Ayai caガida皿tesa叩b阯kkh耐a叩
antar互kath量vippakat5boti. (Mπ皿pp.118−119) く訳〉さて、多くの比丘たちが、食後に托鉢よりもどり、講堂に集ま って、坐っていたとき、つぎの談話が起こった。「友らよ、希有であ る。友らよ、未曾有である。如来に大神力があり、大威力があること は。実に如来は、般浬磐し、戯論を断ち、道を断ち、輪廻を終億させ、 一切の苦を超越した、過去の諸仏について知っていたからである。 『かの世尊.方はこのような生まれであった』とか『かの世尊方はこの ような名であった』とか『かの世尊方はこのような姓であった』とか 『かの世尊方はこのような戒を持っていた』とか『かの世尊方はこの ような法を持っていた』とか『かの世尊方はこのような意を具えてい た』とか『かの世尊方はこのように住していた』とか『かの世尊方は このような解脱をした』というように」と。このように言われたとき、 尊者アーナンダは、比丘たちに次のように言った。「友らよ、希有で ある。如来方が希有の法をそなえていることは。友らよ、また未曾有