1,使徒信条の由来と其真義,日野真澄,Masumi HINO,pp.437-474 2,十如本文に対する疑義,本田義英,Yoshihide HONDA,pp.475-504 3,唯識宗の異派(承前),羽溪了諦,Ryōtai HATANI,pp.505-548 4,梵本アパリミターユル陀羅尼経の校合,池田澄達,Chōtatsu IKEDA,pp.549-564 5,梵文検討漫録(第2),荻原雲来,Unrai OGIWARA,pp.565-572 6,宗教学と宗教哲学,石原謙氏『宗教哲学』を読む,宇野円空,Enkū UNO,pp.573-593 7,現代文明と仏教,椎尾辨匡,Benkyō SIIO,pp.594-612 8,マハーバーラタにおける古代印度人の結婚について,池田澄達,Chōtatu IKEDA,pp.613-615 9,批評紹介,pp.615-620, 10,学界彙報,pp.621-624, Posted in 1916(大正5)年
某替歌命に信仰の低目を列摩し花信催なる着の存することは、普く世界に知れ渡つ咋事であ
牟。而して此信條なる老は、概して異端や邸諭の起った時に、自詭の主張鮎を高調せんが男め
に作成した着であるから、何も反射のなかった時に冷紗に考へて、何等利益得塊の念なしに.晃浬を眞細の虐めに番いたものとは違ふが、倍偵は執れも常時の紳撃褒や宗教家が、韮倍数に
取って大切であると判断したる鮎を逓ペて居ると云へる。倍俵の作成せらるゝや、既に論敵に
封抗せんとの目的があるから、之に由らて韮督敦の眞髄を公申に判断せんとする唯一の材料と
せば、多少一方に偏する嫌はあるが、之に由りて倍催の作成せられたる時代の人々を成勒せし
使徒信膵日出東と旺ハ梶我 ︵日 野︶使徒宿便の山楽と共晶義
日 野 屋 澄
四三入 宗 牧 研 究 熱一巷 聖二兢 め鱒併の棺紳を窺はんとす一Qには至極通常である。韮暫敢は長き年月に亙♭て人心を支配した る宗教であるから、単に一時代のみの思想や信仰にて、垂彗晶威するは不公卒である。され ど其督数にも危機はある。英危機に生起した思想や信念は、比較的に他の時期に生せる著よむ も、長く人心を支配す・匂カを有して居った。故に斬る危機に生起した倍條の申凍や忠義む諭す る串は、基督敢の将帥を捕捉する上に於て、有益である串は勿論である。 基衡散骨に世界的︵白euヨe−1⋮喜l又はC邑⋮芽︶倍催と耕せらるゝ者が三ある。即ちニカヤ倍 條とアサナシアス信條と使徒侶條︵S句m宣un−Ap邑。li2m︶ とである。以上の三信條は必ずし も世界執れの地に於ても、典恋なく用ゐられたと云ふのではないけれども、比校的他の倍催よ ーも贋汎に用ゐられた着でぁる。故に﹁世界的﹂と云ふ形容詞を加へセのである。以上三伯S中 で使徒侶條は、今のま∼では一語古いとは云へないけれども、現今の韮を渇した古代羅掲信條 と糾す早着は一番古いのみならす、亦放れよbも贋く用ゐられたものである。予が此文を草す る目的は、此使徒倍條の眞並の意義を脚明せんとするものである。されど基怠張を明にする褒 めには、是非此倍健の作成せられたる歴史的背景一旦別にせなければならぬ。先づ基山琉一里罷述 する持とする。
址罷倍化とり“第一阿を指すか、予示明にせねばにらぬが、事に是は治美軟第四申八十四に成 せてある。之を研究い便宜の窮め、三段十二暗分に分ちて左に柚載する︵借分は予の窮したる 着である︶。 l l・我tl天地の飢泣虫能ほざる所なさ発光る紳な借す. 1エコ.衣け〓典痛千載餌のまイエス、キースl㌧ 3.即ちふ〓沌に1リ拒めろ虚女†V十上り舷れ. 3・ポリナナ、ヒラーり時苔む受け、十字鞄l二つけられ、死にて葬られ. 5.性情に昨り虚三nlこ死者の稚かエリ姓ヘリ。 飢天lこカリ、龍ほざる所セさ父の脚の右lニ坐L. 7・叉生る人と死ねる人とむ詔列かんが秀めに彼爵エリ東リ給ふ重九こ偏†. ll軋我l‡彗宣とノ l一 9.蟄公甘と、聖徒の交際と。 ● 10罪の放しとJ ● 〓負他の蛙生と。 ほ椚∵㌦き∴㍑とh二〓ナ. 岬祉信腫の山根 拉箕・“ハ〓 野︶ 四三九
四四〇 宗 教 研 究 節﹂懲 節三珠 此信傭は、現在の佳にては紀元五官年よ♭以前に潮ることは出水ぬと思ふ。されど紀元五首 00 年頃にも、矢張う之を﹁使徒信條﹂と呼んだ。斯くも後世の作に﹁使徒﹂の名捕を附するに伶 程鼻であるから、何か之には仔細がなければならぬと思はぎるを怨近い。此仲代よむ以前の昏 類を折究すると、之よりも以前に超掲に於ては、此使徒信條よりも短亨信條を用ゐて居った難 が判明である。即ちルフ井ヌース ︵Tl一rrPコiロSRu苧1一S︶が、彗若﹁伐徒信櫻澤曇﹂ ︵芽−与iニC S箋邑iA苫。−ヱ㌫軌鮒︶に於て倍條を戴せて居る。此信條は誰が視ても、鋸春せる使徒信條 よりも更に古くして壇きポなる串は疑へぬのであ・0。生ぇを左に我す。 Ⅰ.︼. C苫dO iロビeロm句ptr昌一つt喜“葛l芸t;こ lI.ド 巾ニnC−1ri芝5一J館岩5一.ヨlぎ竺号−ul−訂uB−ロ各計一≡冒旨≡l− P 弓l星空e箆計S号ぎⅥ書きや︻ソど㌻Ylrml芳− ㌣ ql−i2す句昌l訂勺i一已す▼1コ1つ芸当一el等︻己11︼嶋、
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基詳丈左の如し ー1.我圧能にざる所光き父光る紳か惜ナ。 Ⅱ2.我は其碍子我債の主光るキースl、イエス、 3.即ち聖芯と長女▼−ヤと上り鉱れ。 孔ポジチす.ヒヲトの時十字鞄に拙けられ誹られ. 6.節三n〓H lこ稚猫の吋エリ粒り. 6.天に昇り. 7.父のこ朋に坐し。 8.叉生ける人と死ぜる人とみ諒列かんが瓜めに彼凪エリ東リ給ふ︵キⅥこ∧ト︶互.借†︻ m飢我け金座と、 1〇.聖歌合と。 11叩の放しと. 〓l・P eニl二日盲・ざコ一手︼三さ一 ト■ ト■ トJ h) トー く> 佃21nhご一票∵㌻キ二二︸ r巾已け小y芳一∴つ?C−ュCり己ヱ CJr〇−叫 r巾竺︼叫巧mqごOne日. 使徒倍條の山元と非恥衣 ︵〓 野︶
川内の麹りとむ借す. 故に三宮九十年頃には雁馬政令に於て、此ルフ搾又−スの倍健一で用ゐて居た串は明かである が、此侶條ぉ前に戟せたる櫨徒倍備に比牧する持は、両者は大隈に於て同一である。唯彼の倍 偵は前ょりも和々並くして、多少の追加せる句があるのみである。此の追加せる旬を列紀すれ ば、−天地の創造ま﹂﹁仕付に降♭﹂﹁教祉の安際﹂﹁窮なき生﹂がま要の句にして、犯に組員に搾 れば、﹁雛める﹂﹁#を受け﹂﹁死して﹂﹁公﹂︿り窮析L=紙用舶毎じ等である。斯く比校せば、 何人と維ど・h班徒信催は、ルノ井ヌースの信條を土壷として、之を少しく隙正加肇したもので あるとしか思へ氾。然るにルア非ズー・・︿よりも紺古代に通して、殆んど之と重く同じ信催があ る。是はアンクラ 盲1薫鼠〓竺▼ルヶルルス ︵巳弓Ce〓uエ・い信経である。今基信條を希脱文の ま∼左に坤我する。 −.−● ヨ●訂uO乳s TheOロp呂t?打邑03− H−●ド 訂i巾訂Cl一ユs旨11℡○昌一ざコhuiOn呂tO−ニ0ごヨ⊃誓g呂♪tOコぎr⋮0−1Fか巳○︰一− ㌢ tO−1㈹el一コ賀岩nlP算pllel一ヨPt畠F品ぎ一打㍍iソhri冨tかニー弓t訂−101√ A. tつーl勺つi勺2tぎ一句ぎl⋮St喜l・蔓le已︰−汀−〓︰tp訂ntご ざ、 k〃l二手︶tr−丘ご言ヨur︰−︵ニ書房t呂tP e粁tぎー一作kaロー 宗 救 研 究 霹︼怨 弟三披
P 昌さ呂F O訂すロー0日ヨ︼Ou鴎ぎi katgmeロ0−︼e畏d賃iP︵⋮︶t呂電t−忌− ↓. ’○旨什n彗のFOF一打Hiロeiロ各nFひ貯已日生qO∈. ロH●∞.訂i ei中lOビ品訂P召昌日∫ P 訂g㌻ne打已℡Fn− ︼P 眉F邑P訂白胃監P− ︼︼.旨一軒家巨岩けE首− 1P 温かn PざPiOP 英和揮を左に叔す 1L我I‡凡てみ治め給ふ紳九こ偶ナ. 1−2.我l‡其稲生子にLて我借り主なるダースト、J・エス. 乱即ち蟄弘と嵐女ヤサ十とエリ生れ。 4.肘ソ テオ、ピラーの時†字尭に打けられ葬られ. 軋第三n二日lこ死者の中エリ蛤り. 軋天に界り、父のおに坐し. 7.吐ける人と宛ぜる人とみ審列かんが停めに祇良1リ叔り給ふ九こ隔す. 川8.我ほ軸確と. 他礎借惟の由雅と基昇竜 ︵日 野︶
以上は卸拉太州γソタラの監督陀bしヤルケ〝〝スが三百二十五年に開かれ佗るニカヤ大倉 に於ては、アラま昌反射してアサナシク品に左祖し、街燈設︵︻ぎ〇ic乱。S︶︵附霜謂謀判︶ を撃しゝ、岡醗設︵︼ど8鼓つエ︵川那㌶叩㍍刷佃那旺︶を準じたりしに拘はらて痙に同概説を 拳やるの紡基、甚だしく之・笠姦して、荘にサペリア蒜︵㌢茎i毒ぎ二川㌫艶㌫拓、一に陥 れる王らんとの嫌疑を安け、三日ニ十六年コ/スクソチノポリスの骨法に於で敬職哲剥がれた
れば、ヤルケルルスは自説の正統派のま張と周一なるを掃明せんとて、雁掲の監督エツクス
︵J〓l訂︶に輿へたりり詐輪中に以上の信仰告白文を述べたる前にて、批は之を自己の信仰である と云って居る。牡が此串状を認めたる年代は、多分lニ肩三十七年頃なるべしとは、ハーン︵寧旨11︶ の鑑定する併で、三百四十一年頃なるべしとはツァーソ ︵N乙⋮︶の鑑定である。予は執れにするも大差なき串でにあれど、三宮三十七年と君撤すを至思であると想うて居る。何となれば顆
宗 歌 研 究 恭一筍 妨三波 り︰立飲食と. 1仇押の放しと。 11肉の埴生と. H京互︸・生とを倍す. 四囲囲の如き瑠諭は、事件の教生後閑もなく生じ易き黎で.除b長く時間を経過Lて後は、犬種問題 とならぬやうになるが常であるからである。 此のマルケルルスの信仰皆白文に就いて起って凍る問題は.是がマルケルルスの云へるが如 く、彼白身の爪仰督臼であつたか、或は羅掲には恍に一定の信條が存して居ったから、†ルヶ ルルスが自分の信仰は寸分之と注はないと云はんが虐めに之を引用したのでぁらうかと云ふ箪 である。是は如何にしても、彼は既に羅掲の致曾に於て用ゐで慮った倍條を知って居って、今 は耶に之を反覆したに過ぎぬと観ねばならぬと思ふ。何となれば、ヤルケルルスの倍催普白文 を〝フ井ヌースの倍佗に比牧せば、彼は拉典文であると此は希脱文であるとの差の外には、唯 快かに︼偶の﹁窮なき生﹂がマルケルルスの告白文に追加せられたる差があるのみで、重文悉 く一致して屠ろからである。是に由かて之を観れば、三宮九十年頃即ちルフ井ヌース時代には、 雁掲に一定の侶條があつたのみならす、†ルケルルス時代即ち三田三十年時代にも、︼足しセ 倍條が好構にあつた串は疑ふべき飴地はない。 次に起って凍る問題は、胱に凍将に一定の倍健があつたとすれば、是は無論拉典文にて音さ れたる鶉であらうが、†ルケルルスが、座席の監督に書を呈するに食って、何故に希脇丈で此 他社倍恢の山水上北ハ混載 ︵8 野︶
四望ハ 宗 敢 研 究 筋一奄 聖二坑 侶催を啓して、拉典文で書かなかつたかと云ふ疑問である。若し之に答ふろに懲りて、西部に ては即ちアドリヤ渥の以南にては、畢者は普通希胞語を勉強したけれども、東部にては拉典語 を勉強する羽慣少なかりし故、東部に仕丁る加拉太の監強が希脱文を解する羅梅の拉此ハ人にも、 希胞文にて倍條を反細したのであると留餌に云ふぢらば夫までなれども、事の異相は斯くも罫 純ではあるまいと息ふ。 今日古典学者は、一般にルフ井ヌースの躍掲古代の使徒倍條を以て、サルケルルスの載せたる 希汲文の㈲謬であると刊師するのである。北ハのまなる理由は、希独文の方は拉典文の方よらも意 義が如何にしても洗長であるので、巧妙に成って居るのである。例へばl︶邑?打r旨P︵帆削減拍︶ と。m阜。蔓Å雌加持る︶とを比較するに、前者の方が意義如何にも深いのである。何人も。mロil 扇ぎ1tつ日をp呂t︻計邑〇2とは斬罪せぬだらうと思ふ。されどp呂tOkrPt弓Pを0日nipOtenざmと ならば止むを糾す押するかも知れぬと恩はる∼。叉mO−−Cg2︰a︵拘生︶と11n⋮eGm︵和一︶とを 比較す右に、曲者の方が怠炊が深いと思ふ。故に†ルケルルスの倍僚はルフ#ヌースの拉典文 の郡鐸に非すして、拉典文のカが希脱文の御許なることは、先づ確定したと視て間違なからう と思ふ。
若し央れ拉典文の舌代雁掲の使徒信條は、希脱文の翻繹であるとすると、之を誰が誰の強め に番いたのであると云ふ問罵が起る。誰が古いたかは無論今日判じ待ないが、希政人が番いた と、云ふより外はない。叉誰の窮めに古いたかと云ふと、之には二偶の股寵ユ盲外に立てられ まいと思ふ。即ち東部の希臓致骨りために古かれたと云ふか、若くは逓場数令妹に経略政令内 に住める前職人の鰯めに、尊かれたと看撤すかである。前訟を採るは自然なれど.此倍健は西 部に用ゐられた痕透は著しいが、東部に用ゐられたと云ふ串には、央程確著なる数的澄枝がな い。故に此倍條は原と希職人によらで.希臓の韮督敬祉の食めに起草された蕾なれど、立とし で、西部の拉典故骨、殊に羅馬散骨にー㌻りで用ゐられたと聞足する串が出家やうと恩ふ。若し 束部に於て尊かれたとすれば、東部の何廃なるペきや。是には如何にしても域及のアレキサン ド,ヤ地方か、小亜細亜ではエペヅ地方と云ふよむ外に、見常がつさ兼ねる郎と恩ふ。 †ルケルルスの信仰督白文は、確かに雁掲敦曾に用ゐられたる倍億であるとすれば、是が何 時頃よb経略散骨に於て用ゐられたらや。之を研究せねばならぬ。串にして一アルトプアヌース ︵要一一l㌫⋮S︶︵諾珊欄てィレネタス︵冒enP旦︿認諾摘心り︶とは侶仰規則︵厨ulP蔓︶の串 を口にする 而して此.〓仰規則は各数分の敬切に係る者に非すして、使徒よら樽承︵Tr邑tiO 使徒惜條の山水と華嬰我 ︵五︻ 野︶
西田八 宗 衣 桁 究 節一怨 壁一義 又は ︵︸︶罵琶Sis︶したごであると証言しで居る。殊にチルトリアヌースは此信仰規則の内容を 三戊までも判別に記述して居るが、之を見る者は何人も基大綱に放て、†ルケルルスの倍伐と 同︼なるに欝かぎるを狙Ⅳぬのである。左に之を記磁す・q串とする。 チルトリアヌースは廿ペ著冒5rgil一ibusゴ︼呂dis﹁莞女の拉而に裁て﹂の節一輩に於て、信 仰規則︵l〟e聖㌻⊥挙旦﹀なる語を川ゐ、其内容を左の通り記述した。 11我l工世界の創造者舵l‡ざる所セ、で環の紳ち惜サバ ほ2我l工基子イエス、キースト。 りり即ち鬼女マーサ−●り出れ。 4 ポリチす、ヒラーのり時lニ十字簸に紅けられ。 6郡三〓lこ死者の山﹁エリ生命に捜され. G天に受けられ. 7今父の右に坐し給ひ。 12内の転出み鯉て. 8仕りる人と宛ゼろ人とみ詔列ぜんが馬めに躇り給ふみ侶す。 と明言して屠る。
叉甚賛し;⊇望Sざ∃≡5■ブラキセアスを駁す﹂の第二覚た於ても、信仰規則が戒音の初め よト僻承せる者な・るを痛論し、其内容を左の如く述べて居る。 I l耽臍ほ周一¢紳む信す。 ゴト㌧バ H2耽憐ほ此紳にこ泣ありて足れ即︻二敢の子にLて萬物紋にエリて泣ちれたるな僻す∪ 3彼圧父lこエリイ、戌女の胎内にこ造られ、彼女エリ坐れ、人にLて紳、人¢子にして約の子たり 而LてJlエス、キu,ス1rと呼ばれ。 4改革に飽へて苦みみ受け、托して葬られ. 6父にエリて起らされ. ¢文末に昇らしわられたる後. 7父のポl:亜L. 8生ける人と宛ぜる人とみ滞銅かんが超めに再踵ぜらるべし. H.9破け己が蛙べる約束に従ひて、発と子と艶蛋とむ催する人々の信仰む望むるカセる訓慰 l 師即ち金座み咄ほ給LふべL. と明言して居る。此の所謂信仰規則が、羅鵜数骨舌代の使徒倍催なるニー長疑ふべきの飴地は ない○ 使徒借順の由耗と異姓義 ︵日 野︶
宗 欧 研 究 第一ぢ 節三鰯
四義0 テ〝トリアヌースは更に≠著︼Jこ︸r覆Cril己。記口実芝i萱ヨヨご異端語に射する駁論﹂第十三輩第三十六章にも﹁倍仰規則﹂を論じ柁ろ末、華内容を示したる研があるが、前に掲げた嘉と大同小
異である故に、之を省略する。第十三串に於ては、彼ほキリストが狗に此信仰を詭へたとまで明
言して居る。第三十五六雨季に於ては、使徒よゎ伯はれる者の茄理ならざるペからぎる所以を
詑き、アカヤの帝枕多†ケドニ︼ヤのどリビ、テナロ一一ケ、蒐細璃のエペソ、以太別の羅掲、誼非
利加の諸政骨に貿して、異端の賛同を得ペきやを問ひたろ後、暗々理に蛍非利加の諸政骨の率
やる信仰規則は、以上述べたる諮例の致命に於て一致して承認すべきを旺約して更に其信仰規
則の内容を示して居る。故にチルトリアヌース時代Ⅲち紀元二田年頃に、ルフ井ヌースやマル
ケルルスに引用された舌代定格の知き位従信條が羅掲及び並非利卸に於て用ゐられた事は疑ふ
べき除地がない。
イレエクスは百十五年頃よヱ一行年頃までの人であるが、貴著﹁異端を駁す﹂の第二慧空・
茸に於て、敢骨は灸世界を池じて、抜祉及び北西弟より信仰を相加せりとて、基信仰山内容を示
して居るが、基言と思想と能く羅握舌代の如き倍伐と大同小英である故、イレエクス時代に、
此侶催がゴール ︵G昌l︶及び羅鵬の錯政令に於て採用されて居った串は、枯めて判明であち。そこで古代雁馬の倍條は、イレエクスの﹁興職を駁す﹂を著し柁頃に、産掲やゴールに於て用 ゐられた箪は明である。然らば﹁異端を駁す﹂の著作時期は何年頃なbLや。今日之を確定し 得ないけれども、甫五十年頃よゎ後鹿の作ではあるまいと思ふ。故に舌代牒将の短き倍條は、 首五十年頃には散骨の倍催としで用ゎられてゐた串は、中らすとも撞からぬ判断であると云は ねばなら氾。 吾人は首五十年頃よ∼更に潮♭て、此古代羅馬の倍條へ批絵描蒜即霊詣︶の避原を定め得 べきや否やは、研究に位ひする鮎である。喜入ほイグナシクス ︵Ig宝t訂﹂ の磯せる七薄翰な 温璃して、此中に倍健の存したる形跡ありや否やを碓足せねばなら氾。彼の遭翰には、Rに用 ゐたる文句に類似の句が極めて多い。例へば以苑所人に輿ふる背筋十人節に於て、﹁花館め油な るイエス、キクストは、帥の定むる所に準じてマリヤの・胎内に姫まれ⋮・生れ洗祀ぉ受け云々﹂ と云ふが如き、叉†グ・ネジヤ人に輿ふる啓の第十一節に於て、﹁ピラーの治唯巾に塗せし誕生と 受難と恥鈷と由り云々しと云ふが如き、叉トラレ人︵TrPl−e︶に輿ふる啓節九節に於て. 〇い 〇〇 ﹁キーストは、〆せデの訴に偶Lて†サ†の子たり.乳に貌れ、飲食し.ガリナナ.せラーの時故に趣 00 む受け、嵐∵に十字染に好けられ天に衣ろもの地に在るもの地の下lこ准る者共い前にて死L捨 使徒信時の曲水∼其れ我 ︵8 野︶
四五二 小心 故 研 究 第一令 姉三耽 〇〇 ひ、乳に父彼む賎L給ひたれば、死者の中エリ廷り給ヘリ。父l‡亦同じはにて、彼な信ナる紙筒な も、キースー、イエフ1こエリて終らL拾ふべL。我岱にほ、若L改む草れ圭∵らんには、払の錠舟あろ :と互かるべし﹂ と逓べたる戯は、質にRの言に瀕して居卑り特に往か丁べきは、技に﹁卿㌘と反覆して芸 ひ花る串であつて、常時反射茂は、イエスの生涯に於ける歴史的隼件を疑ふか、若くは軽んじ たろに対して、イグナシクスが其歴史性一里苗調したるポなら節を、察する串が出家る。 ﹁スチルナ人に輿ふる書﹂の節一節にも、イエスに就いて同様の群が記述されて屠る。此には イエスが、ヨハネによりで洗織を受けたる事を述べて居る。イグナシクスは、韮督の肉と血と の賓在をま放して止まない。彼は殆んど物勇ま覇者にてあらぬかと思はるゝ去でに、之を高調 して居る。 斯の如くイ〆ナシクスの七啓翰中にほ、Rに類似の句が移しい。又反対盛は、イエスの歴む 的事件特に受邦と死と進化とを以て、一時の幻象であつて、鱈除キリストの身に過った串でな いと云ふ揺呪文㍍㍍顆郁︶を取れるに、イグナシク蒜此牌現論を駁して層る準は拒めて明 白である。彼は現にdOkeか︵現ほれる︶と云ふ語すら川ゐて、之を駁して居る程である。故に
イグナシ’スには椛現諭に反対して信用む作成しさうな境遇に居った事は、之を謎めねば在ら
ぬ。然らば賓際彼の時代に何か倍化の存し托籠披が鬼ゆノるかと云ふに、何踵にも基柾逃がな
い。彼には何等の﹁倍仰規則﹂が戯然として存して居らぬ。故に共文御中に、Rに酷似せる文 句が幾何許♭移しく生じて居っても、是は倍仰規則又は信催としての言離ではなく、I⋮1己及び自其の信仰を表現した言僻に過ぎぬと見ねばならぬ。要するに、其信仰は椅ほま軌的借金であ
って、未だ之に依ト・て以て他の倍念を批判すべき客観的接準、即ち倍催としては存在せな折り
たと判断せねばなら氾と患ふ。されどイグナシクスの時には、倍催を作成するに最も好都合な
下地は、十分備って居ったと云はねばならぬ。
是に由♭て之を観れば、Rの作成せられたるはイソニク云の﹁基描を収すしの著作時代︵謂尤︶と、イグナシクスの七書物の著作時代との閏にあつたものと判断せざるを得ない。イグナ㌢’
スの著作時代は何時であつたか、是は彼が迫蕃ぉ受けて小壷細亜よ♭擢掲にゎかんとす阜誌上
にて、何倍の徒を翻ょさんとて認めたものである。彼の死は雁鵜島帝トラヤヌーヌ つ耳す旦
の治世中︵謂珊認叶鴇︶ に起った串は、先づ確定したと翫て差支へがなからう。故にRの作成せられたるは、第二世紀の初めより其の中英に至るまでの悶に於てあつセき持と判断せねばな
使徒借條め由水と其乱読 ︵只 野︶仕従倍償の超脱が以上述べた如く判別すれば、次に研究すべきは、之が何のために、叉如何 なる賂合に用ゎられたかと云ふ串である。此侶條の作成せられたる目的は、極めて判明である。 滑様的に云へば、捕現諭に反封するためで、織榛的に云へば、使徒時代より似はれる正統の信 仰■ざ鼓吹しやうと云ふのである。故にタルトプアヌースにしても、イソニクスにしても、皆R が、根徒より他承した着であると論じたのであろ。夫は必ずしも、文節池号に使徒よ♭寸分速 はや朽茹で傍はつたと云ふ怠でなくして、畢に其棉紳が確かに使徒より槍承したと云ふ意であ っても、兎に角此信條の効カは、使徒の権威に基くと叡たのである。然るに此考が露に誇大と 打了,、第六世紀以後になれば、十二使徒等が五旬節に放て、改宗の風化何ほ極めて硲なる頃、 各一個條づヽを捉伏して、十二個催よゎ成れる侶健を作成し、之をペテロが羅掲に祈らして、 良く益軒軟骨の貴重なる貰とし化といふ倍詭七構成するに蓋ったのである。此樽設の取るに足 らぬことは、云ふまでもない。其十二個條の何なるかは、既に分け花区分に就いて一斑せられ んことを請ふ。 らない。 宗 敦 研 究 霹一審 ホ三隕
第こ世紀には、捕現給が随分勢力が猛烈であつた。是は一はブラトーソの成化を受け、一は 東洋の制慾的唯心論の威化を受けて、希脱文化の行はれた小兢紳立地方に、勢力を占めた着で あつ咋。基樽贋に就いては後に略述するが、此雌収諭はイグナシクスの文中に観るも、常時勢 力の強かりしを解する串が出凍るが、新約晋時代にも恍に其虹辻を遺して居る。例命約翰第一 青田車一節以下に r愛する沓エ、凡ての韮な倍する勿れ。基歪紳£り出づるや否やね武む.へし−多くの鶴泊首者出で て此仏に入れ∵リ、凡そイエス、キースlrの肉綻となりて蕗り給へ・〃謳を霊代†琵は榊エリ出づ。之 に由りて謝り産わ知るべL.凡そイエス、キりス︸ね詑はさざる鑑ほ耐エリ出づるに非す即ち キ,スlに敵†る老の整セリ﹂ 約翰番二番七節に rモは感に綿ふ者多く世に出でイエス、キサスーの肉醍と克りて班り給へる掌な恩さす.此譜lこ 兢ふ者はカちキーストの歓心ればなり﹂ と云って居るが、キリストが肉備にて振れるを拒むと云ふは、如何に考へても描現論を指すと 一丁,外に考へられぬ。鈍るに此椛現諭が成立すれば、キクストは一個の幽霞の如く幻象の如き 龍城慣性ゐ由水と真義 ︵日 野︶
宗 教 研 究 猫一筍 聖二耽 四玉六 者と成♭果てゝ、歴史性ぉ金然没却し去ることになる。故に初代政令は権現論者と軍ふに至っ た、而して権現論者は蓬に典濁論者と云ふ判決ぉ受けて散骨外に騙速されたのである。彼の約 翰第一啓三牽十八節以下に ﹁濡チエ.今は即ち学壮キースlに散†る着水らんと宵甘が閃きし所¢如く、今晩にキサスlに 敵寸︰る器多し.及に山りて今ほカち撃の世七る九〓竺併任知れり戎償を触れて彼等出でれりと 拉どし来エリ我萬の屈ならぎる互り。著し我債の屠ならんには、担に我依と倍光るべL.彼竹W出 で去るl工衆ての者の悪くほ我僻の威光らざる=とみ潰さんが匁めセリ﹂ と云へるは、碓現論者の韮僅数分よ■り収骨せるを指したのであるとー†り外に、解繹の捻はな からう。櫻現諭は、斯の如く希脱文化と東洋思想との威化を受けた小詑細歪の地方に隆盛な極 めたから、初代の散骨は之と戦はねばならなかつた。此はパウロが苛称参酌番離十義孝に於て 赴珪なしと諭せる着を戯せる場合にも、其心中には械現箪者を論敵と看撤しで屠ったのではな からうかとも思はる程である。兎に角赴建と云ふ箪は、一恰狛大人の思想であつて、希職人に は嫌はれた思想である。観念と理性とロゴス ︵Fつg且とを韮んじた希臓の士違約唯心論耕は. 肉膿の匙珪と云ふやうの串は痴人の駄言のやうに戚じた。盗れどパウロに耽りては、姓丑哲否
定するは韮督の死は罪人の刑罰と同校であつて、紳は之を全く殺された怯に打葉て∼駐いたと 云ふ串になるので、其赴任を肯定するは、紳が逓督の横死を坐成するに忍びや、基正確忠正の 生班む軌で.之に発車の表彰をなしたと云ふことになる。基上バクロはキリストの死と姓生と を稗紳的に解しで、之が肉に死しで憲に姓ると云ふ信念の認耽であると悟ったから、極力韮督 の匙生をま潰したのである。彼が節十五要一節以下に ﹁兄弟エ,駒に我がlば習に停へし調音み今よた村野に告ぐ。追は甜憎が受けし桝之に囚りて立ち し所セリ⋮⋮︰我が阿智に伴へしほ、我が受けし所の串にて.基郊一li即ち聖郡に應へてキリ スー我債の罪の発わに死に、ま中二盟邦∴ト於へて葬られ、郵三‖に蛤り、ケバに現lミれ後十二の弟 子lこ現ほれ給へる堵なりし と云へるは、英語句がRの語句に類似しで屑る。彼は之を事するに常♭て、基心中に椛現論者 む論敵として考へて居ったか背かは今吾人に判然となつで居らぬが、兎に角彼は椛現論者と火 他に於て思想系統の同じかった知識振︵G営∽賢i旨︶ 凪の戚化の下に存し光らし韮報的唯心論 者に反射して、此ま覗をなしたことは明であらうと恩ふ。 更にRを温讃するに、権現徐に反射し光と思はる∼鮎がこつある。即ち 使祉借情の由鹿と其眞義 ︵日 野︶
明五人 〟小 牧 研 究 節一令 姉三敏 伸 此信條に於て、イエスがヨハネより況純一で受け柁ることを硯落し穴ることさ 明 肉の池井む紀入したることでぁる。 一昭相貌論に反射して、イエスの生涯に於ける難件殊に大小︰・作にろ空蝉準他生等を将挿す もは、至招尤もの・串であるが、珪汗中の大串作1し云へば、イエメがヨハネより淡路を受けたと 云ふ串は、出女の胎内に種板せられたなどと云ふきIiユむも大切である。然るにRに此安耽の串 ■で苫さないのは何故であらうか。眈に論じた如く、イグナシクメの七薄給中には、彼の受洗は 怜他り史的締付!併如して紀通せられて㍍ったのに、Rに至bてせ洗損㍊準突如とLて脱藩し たのは、何故であらうか。之には二偶の坪山があつたからである。即ち 鞘 イエスの耽祀ケ受似せる串を記述せば、彼レリ嚢非ならざりし一で違するが如く思はる∼北 立痛切であつた串 笹 権現詮ポは、大工G子定るイエスの身惜に、ノシヤの㌫が硯洗の狩人れ∴こ化め、イエ.ス は一州恥・−てキり′メトとなり、彼に普治り′、にキ†して、紳㌫に先にされたムんーこ化し7れ トと脱たりし放、餞流のことを越ぶれば膵現論む出立せしむるに捷なろも、正統派の裁け 諭を立っるに不利となゎし典ありし郎でぁる。
故に傾洗の串を述べぎるは、重珊的稽現諭の失政せるを白状し、解放的歴妃派の勝利を語る紀 念碑である。常時の困難は、イエスの超自然性や紳性を維持するには〃しなかつ托。蓋し常時 の基衡数社は、世間一般の人と同じく概して超日蝕的勢力を信じ、奇潰を信じー天佗と悪慌と を信じたから、イエスの神性を信やることの如きは何でもないのであつた∵因雄は却ってイエ メの人位を倍することであつたと云って宜しい。 次に﹁肉の赴生﹂を諭じたるは、明に権現静に反して居る。庄に肉︵明弓H︺と云って㍍るのは 肉憶︵払mエではない。肉憮即ち各日pならば、希汲の彫刻家などが藁術の模型とト・し小︰八美咲 なま′l 耕し得べき程愉快巧者であるが、浮rHは牛肉や梅肉の如く生々しいポで、雄鳥む催さす粛l悪の 更科を滑す。魂随人も之智尊敬する繹に行かぬ。然るにRにでは、特に此肉め赴佳を倍すと拍 音せるは、如何にしでも碓現派の主張に反対した着である韓をこ不して居らと持せねばならぬ。 何が陀めにRが作成せられたるかは、以上の所論によりて賂ぼ明であろとすれば、此R倍條 は如何なる場合に用ゐられたかと云ふ挙が次の問退である。今日嬰鹿は一般に此倍條が耽祀志 願者に敬へたもので、志願者が之を告白した場合に洗祀を施し佗ものであると云ふ串は、一致 能彼償仰の由♯と其豊 ︵巳 野︶
四六〇 宗 教 研 究 鮨一怨 筋三披 し花議諭である。是は受託者が用ゐた告白であるが、洗祀を施す人は、如何なる形式を用ゐて 授托したか、之ぉも考へねば此倍健の成れる穏達史を知♭難いと思ふ。故に受洗者の用ゐたも のと授耽瀦の用ゐたものとの二方面より之を考へて見やうと思ふ。先づ受沈着の方よむ研究す ることと致さうっ 一憮受洗者の方にて如何なる告白をなしに場合に、泥縄を受くる事を許されたか。其例を新 約葦替中に探るも基例が甚だ少云い。パウロが羅寓由十輩九、十両節に於て、 ﹁若し切目‖にこて主イ霊 スみ帥仙はし、叉閻心にて紳の被わ紙上り拉らし1み倍ぜげ救は∵ろ.へし.夫 れ人は心に信じて我とぜられ、口に温けして軟ほるゝセリ﹂ とあるより推せば、受耽者は異にイエスにのみ関して告白したる場合に洗祀を授けられたので あつたらう。今庄にある文を﹁若し開口にてイエスをまなりと訟はし云々しと許するも主文な き故、洗縄志願者はイエスを自己りまならと告白せねばならなかったのであらう。即ち父と改 墨とに就いては何等の告白をもなさなかったのである。佗従行他人孝二十六飾以下にラブオビ アの大臣が受洗せる光溌を記して居るが、弦にては大臣は﹁我イエス、キクスーは紳の子なb と信すLと督白するや、ビタポは之に洗祀を施Lたと番いてある。故に初代にあつては、イエ
スに封する告白のみを点せば、受洗は許されたのである。 是よケ授洗者が如何なる形式を用ゐで洗祀を施したかを調べて見やう。之には三投の順序ぉ 経て居ると恩ふ。即ち先の池盲である。 印 イエスの名に入れて洗腫を挫くと云ひし時。 拘 イエスと聖整との名に入れて授洗すと云ひし時。 印 父と子と聖鼻と三番の名に入れて授洗すと云ひし帖。 第一段。最初は異にイ⊥∵スの名に入れて洗醗を施すと云ひしことは、パウロが紀元五十年頃 の作たる苛林多前審に於で、信徒骨キリストに於て一致和合すべきの琴官設き、邸論弁派の弊 を慨して、﹁耐甘はノブタス†を受けてバクpの名に入♭しや﹂と難鍔した。基澄は桝かに信徒 は骨パブタス†を受けて、韮督の名に入りしを隠約せること桝である。是はべ−プロが位祉行醸 二輩≡十八節に﹁河野各悔改めで罪の赦を得んが戒めに、イエス、キリストの名に託してパブ タス†ぉ受けよ。然らば耐曹も染笠の拗を受くべし﹂と宜嵩したるに徹するも明である。又十 薄田十八節に﹁立の名に託うてノブタ文二丁哲受くべき串を付す云々Lとある紀箪よ○鞍するも 明である。然るに造にイエスの名に加へて、塾堅ぉも入れねばなら氾やうに成つ化印仰が生じ 使徒僻件の由栴と其眞畿 ︵日 野︶
たと恩ふ。是が窮二段の磁合である。
琴︼段。使徒行欄入幕十六節、及び十九孝五節等を観れば、常時基曹独伊には奇妙な現象が
あつ仁。央は外でもないが、耽祀を受けても、鰐にイエスの名ためみ入れられて改定を受けな
い時は、邦人は秘めて平凡であつて、何等なす研がないと云ふ現象である。然るに婁畏をせけ
ると云ふと、紀ちに異常の韮をなし符ペしとの信念である。そこで・ノ拭祀﹂一ぜせけてまイエス
の名に入れらるると同時に、授沈着の﹁手を﹂志間者わ﹁上に按きて盈霞﹂の降臨を請ふと云
ふ習慣が行はれ、茄諸相針批串︶随ってまスの名に入れらる、のみならす、迭にイエスと艶宣との名に入れて浮沈すと云ふ定式が生やるに至ったではなからうかと思ふ。之にはぇ段上の
乾性が十分でない。けれども中らすとも泣からざる想伐でぁると郎サム。
鯖三投は極めて判明である。基倍数従は紳を倍やると云ふよ♭も、光昭一ざ倍すると云ふりで
自ら獅太政徒より賦別せらるゝに空ったのであるから、沈祀を翠′、ら時に、イエスの名に入れ
られたと云ふのは至柘常然の箪である。故に﹁イエスの名に入れて耽紹を施す﹂と云へば、夫
で済む管である。然るにイエスに独和殿を邦ふれば、勢ひ基イエスを追はせし父、改憲の視たる
父なる紳を政吉にして知らぬ凪をして屠る渾には行かぬ。故に父と丁と毘⋮鑓の名に入れて、托
宗 敢 研 究 茄一巻 姉三朝祀を施すと云ふ定式を川ゐる串になつたと恩ふ。是は文成上籠接が十分で毛顎疑ふべき挽弛が ない。即ち鵬太昭二十人輩十九櫛に、イエスが弟子に下したる命令として、﹁爾曹経きて常闇の 民にノブタス†恕施し之を父と子と塾⋮盟の名に入れて弟子とし云々Lと朋記して居る。是は蘭 に掲太他にあるのみならや、将太借よりは少しく彼の著作であらうが、第︼世紀の終り頃の作 でぁる、﹁十二使徒に由トて異邦人に僻へられたるまの致訓﹂の第七櫛にも﹁父と†と週足の名 に入れて活ける水にて洗祀・げ施すペし﹂とあれば、第一世紀の終り頃には、洗蛸を浸くる時の 定式は父と子と詑露との三者に対して施すペき者となれる箪は朋である。以上三者に射する泥 縄の定式の作成は第一壮紀の終より先年頃潮るを得ペきや、今‖の厨揖太棉甘八輩十六郡以下 の著仰年代確定せぎる限ち、之を定むるを得ざる謬であるが、紀元八十年頃には、斯∽如き定 式が行はれて居ったかも知れない。兎に角耽祀式に用ゐられた定式が棚椚せられて、造にRの 倍條となつ串は疑はれぬと恩ふ。但し之には一々文躁上の怒蚊を寿ぐる評には行か氾けれどもー 先づ決して間違はぬ推定であらうと恩ふ。 次に考へたい串は、好況用の定式を作成するに恰もて、多少の成化を有したものではなから うかと想像せらるるものがある。央は初代位従等の諸政萬に摺れる晋翰の自由と基結末とに於 他社慣性の内水と其豊 ︵h 野︶
宗 ♯ 軒 先 霹l春 野一義 空ハ四 て用ゐ佗挽拶である。バク∇の啓翰を観るに、先づ何時も冒頭に用ゐたる定式がぁる。是は、 多少常時希聴や約太に布はれた習慣を塵考したには相違はあるまいが、基結果はバクp特有の 定式となつたっ即ちバクⅤは何時も、﹁爾曹彪はくは父なる紳及び我僻のまイエミキリストよ b恩寵と卒康を受けよ﹂と番いて居る。弦には改蛋のことは入れてない。叉杏翰の軌末には田 現に於けろ程一定したる定式はないが、必ずキリスト若くは沖より何等かの就癒を斬るを常と して居る。而して将に注意すべきは、寄林多後聾十三牽十四節には、父と子とに聖霊をも加へ て、﹁戯くは壬イエスの恩寵と翻の変と弛笠の交際両替衆と倍に在らんことを﹂と云ひて文を結 んで居る堺である。是は後になつて祝薦︵出en乳ietiOn︶ の範となるに至ったのである。是は田 より信健を作成するに蕾も、幾何許わ成化があつ托か判然とは言へぬけれども、晴々裡に成化 のあつねことがあらうと恩ふ。授洗川の定式の場合には、イエそ染琴父なる紳と云ふ舶序で 用ゐられ一番翰の一枚拶や就腑の場合には、父なる紳・イエス二現過と云ふ昭序にて用ゐられた。 執れの脇合に於てもイエスの脱漏したことはない。要するにイエスは、韮倍数徒が信仰の焼鮎 となつて屈つねことは判明であると思ふ。
伐徒侶偶の適度と其の此に至れる経路とは略ば明であると思ふが、是よ♭倍偵の晃正の意義
に就いて研か卑見を述べて此文を丁る串とせよう。
は何であるか、之を朋にせねばならぬ。権現諭は知識派の一糀である。然らば知識派の暫撃
使徒南條の土立となれる雁桜台代の倍健Rは、櫻現諭の隆盛なる時代に作成せられたる者なるを以て碓現諭に反射して自説を主張したる者なることの疑ふペからぎるは、既に論じた迫り
であ乙。故に使徒倍健の異義は、椛現静に照して始めて之恕知るべきである。然らば捕現諭・・し
と
は如何なる着であつたか、基特徴を略述せねばならぬ。
知識沈の暫撃は、第︼世紀の終らよ旦型二世紀の終b頃までに亙りて、希脱文化の戚化を受けたる串者の他界浪人世親である。之を皆睦の宗数哲簸であるとも云へる。此の如き思想は、普
通に常腫の他界に行はれたものである。プラトーンのま埋的唯心論と.披斯地力よb凍れる制愁的二元鎗とが、批合して成れる︼椰の宗致督顔であつた。此思想は原水基督致骨外の蕃であ
ったけれども、基衡致内の嘩者をも妬く支配した思潮であつた。今基僻微凱を堪ぐれば先の温
使祉慣條の山水と其眞哉 ︵ロ 野︶ * * * 骨 場♭である。 一、紳と物質との二元冷。二元とは沖と物嚢とを揖すが、固より紳と物賀とを対等成して二 元となしたのではない。紳は無限に高く、物栗は無限に卑しいと看促した。而かも此宇宙には 紳あるのみならす、物勇も存在すと看放したのである。而して紳は荷物の原因であると判断し た。そこで之に件ふ困難は二個生じて凍た。 M 紳を以で荷物の超脱となしたる故に、物貿も静ユり出でたるに外ならねと重恨さねばな らなかった。故に如何にしで斯くも劣重なえ物賃が、牽き紳よら出でたるや之を知るに苦しん だのである。 桐 知油状の人々は、膏紳を以て無限に物肇よbも大在りと看撤し、叉基層舷に於ても、比較 し柑べからぎる稗紳を物眉よむも優ったと宕催したが、地物非より成る身憶と他界とより郎脱 すペき逸を個人に示し得ざbしため、蓬に個人をして物界の巾に煩悶苦情せしめねばならぬ隼 と戊り陀。此派の人は、出凍得る事ならば物肇界を嶺成す・0箪を拗めた。故に此探々三元的で あると云ひたればとて、紳と物貿界とを封等に詳慣して胎敗何れとも決し托しとの意では二元 論であるとは諭すべきでない。然れども此泥を悩ませし二大中心思想は、正しく紳と物貿とであ 宗 畿 研 究 筋一審 節三蚊
って、姉等の思想は、常に此二大中心鉛の問に坊絶して尻つたと云ふ忠妹に於て、二元論であ ると云ふ一で妨げぬ。 こ、韮術数を以て知討へgn註∽︶であると判師した串。知識振の人々は基督致を解辞するに放 て、顕 ︵E叫○雷ic︶密︵E邑2ェe︶ こ楼の方法があると焉化し、前者は俗人に適し、後者は串諭 仰はれる別敬い士に透した解辞法であると論じ、更に進んで新地に法れば基衡歌は侶仰︵p訂且 であると耶すべきも、衆決に掟れば之を知識であ乙と刊サペしと邪倣した。而して彼等は後者 を以て広かに前部よゎも深奥なる異聖を示す新であると着撤し、之な償喩的解秤法︵A︻l薫︶rH乳 int2r℃re首t⋮On︶と密推の制係を結ばしたのであつた。 三、政市紬と天地の創造紳とぉ区別したる恥。如誠所S人々は、最高紳一で以で純金佗る超題 的潜在であろと邪撤し、直接世界にも亦人生にも、何等の聞係を保ち得ぎる程の′暦惟であると 依ったのである。故に此紳は不可知的の存在者であつて、凡ての差別を超したる純有︵tO。ご又 は℃∈諸]PiPg︶でぁると判じた。斯の如き紳は如何にしても差別界を造るべしとは思へぬ故、 此派の人々は此充満紳に対して更に一個め仙抑を立し、此地軸︵11旨1・CSニー⋮又はd2什er〇三訂?︶ によbて.天地は創造せられたと君倣したのであっ光じ彼等は此創追伸を﹁他紳L又は﹁節二 仙椎惜嬢の出水と基眞載 ︵日 野︶
宗 教 研 究 節一巻 第三舐 四六八 紳﹂と呼んだ外に、普通の稀呼に徒ひてd冨i00rg〇∽即ちエ人と呼んだ革もぁる。彼等は心中此 の如き紳を信じたか香かは甚だ疑問であるが、多く民衆の俗情に妥協し花結果.此の如き麓こ 帥をエ両したものであると恩ふ。此創造紳は、至高紳即ち無差別的の言説を紹したと覇促され 陀る紳に反封する者としては解辞せらるペきでない。唯之よ♭も造かに等級の†トたる者にて 至高紳の命を奉じて常に働くぺき邪であると召使されたのである。此紳は喜高紳と︰諒志全く疏 通するのであるから、基曹敦にある神意に泣ふ一ざ以て己が摘出として居ろ悪帖㍍い⊥抑た一〇サク ソとは同︼税すべきではない。 四、物梨︵−岩反を窓であると宥催したる事。知識派の人々は、物質を以て紳の正反射に放 き、之を無窮小であると看仮したのみならす、基侶伍に於ても触限に低いと看催し、更に池ん で物貿を以て敢も娩ふべき憩であると宥催した。惑の原因を忠志の虚弱なろに蹄せすして、之 を物貿の不完全なる罪に録したのは、知識振の保持せる人鎌取の船級である。狛大の宗教鼠想 は惑と卯とを聯想Lて、罪即ち忠志の曲折せる結果、悪事を働く作川な以て志を解き、道徳を 以て人生を解し、正鴻を如⋮みするを以て励起ムと観じ、意志の曲折t−乱ハ巌窮なるとを以て非む 産むの付であると宕催した。知識派の解揮は、希晩酌でぁつて督草的である。人珪は不完全な
るが故に罪蕪じ、醜なる事物存するが故に慈生するのでぁると看傲した。そこで罪窓を以て、
不孝の子が、基父に封しで反抗する悼泣非道の行承であるとは着倣さない。彼等は物肇を以て
患であると宥撤し、更に進んで身健︵sぎエを以て物偏と同一視し、死に身鹿古内︵望且に温 元し.肉醗は肉の如く嫌ふペき忍であると宥倣し、肉は物儲と同様非悪のぬすて以て生する源であると悟ったのである。
五、権現静︵せeent材日︶ を収bし事。物質と身醗と肉とを同一成して骨均しく慈であると断じたる知識派の人々は、如何にしても最高緬の喪旨・甘受けで、此世に存したと看倣されたる基
督を以で、汚械多き肉鰹其物の巾に内佳するとは倍することは能くせなかつた。そこで彼等の
考に捻れば、基督即ちメシヤの塞ほ、大工の子イエスが洗祀ぉ受け花る時に、基肉恰に騒人し督
時仮の寓踵を此虞に設け、基身濃内に幽監の如くして住んで居ったが、イエスの受難前に、キ
クストとの窺魂はイ萬スの身膿よb蝉脱して、現象界の外に超越し了つたのであると宥催し佗。故にグタブ†ネの囲にて、血の汗を流して天父の前に絶叫したと云ふ人は、大工の子イエスで
あつて麗に勒さるゝキリストではない。十字架の苦しみぉ受けたのもイエスであつて、キリス
トではなかった。キクストは令食なる貨在なれば、有限界の苦爛や頑関守によつて、基心を悩
使祇倍條の由水と其乾哉 ︵日 野︶四七〇
宗 敦 軒 先 筋l怨 妨三紋 ませるが如き、窮き蝕な着でないと悟ったのである。されど斯の如く受難を刑険し、現質を去 ト、確虫ぉ腹したる宗致哲単は、重く一の客想と恩はれ、理論山みにて戊立ち、仝ぬ活力なき 想條︵P訂−1七島ユとして秘野性を放くペしとの不安の念を剣ふるに宣つ化のである。故にイグ ナシクスの如きは、梅カイエスの受鞋と死と監生との欝在位をま琉し、以て権現静に反封した のであつた。 六、知識派の人々は何れも泣出諭︵P⋮乏一〇ロ︶を耽らたる批・。放出論に注目すべき聴孜を 逓ぶれば、 回 流出件用が無蕊識的なる箪。無差別なる大元よ♭差別的現象界の出づるのは、拾ほ太陽 よか光線の敬射するが如く.狛ほ見よ♭水の湧くが如く、知らや茂らざる問に光蝕も河流も張 出するものにて、正に意を用ゐぬものであ乙と看催された故、天地閉の事慶が膏無意識的に生 起して、塵も之に目的がないと宕似された。故に是は普通に理解せらるゝ避督畝の紳軌とは、 大に異なつて居る。 ㈲ 流出作用は永泣に間断なく蹟く弊.大元は無窮であるから、流出作用が何年蔚くとも大 元の源を瀾■らす心配はいら出と宥似せるが位に、刷じ串が年中持崩して止む挙がない∼茄催した箪は、此派の常に著しい。此考に操れば新しいと云ふ串は焦せぬ故、之を人蕪魁に適用すれ
ば、新化なる元気と企業心とが興らぬ串となるは止ひを符ぬのである。
伺・流出作用が怨に生超せば、恰も光蝕も太陽よりの距離大なるに随ひ、弱くなるが如く、
後になる程、流出せらるゝ物の僧侶が劣等となるべしと石催されたろ事。即ち大元よ♭もロゴ
スが北.倍偲若等で中り、基後に流出する智カは更に劣等となり、最後に流出する肉醗や物肇は 基僧位汲も劣感となもと看催された。故に洗出諭の・他界脱は、進化葡にぽ約せらる∼世界恕と 反射である。進化論は措舐は進歩の他界である故に、希望に発ちて新一サJ随って基世界脱は粟天的である。之に反して流出諭に徒へば、時の経過するに随って、流出作用は森々劣等となる
故に、赫凍は不愉快で絶望的である。随って流出諭は何時も厭世的他罪‰と始結する傾向を捕
びて居る。故に流山諭は勢なき仁臨時代に生じ易い世界観であると云へる。
此の如き世界馳や腹史薯塾や人生観に封して初代の韮督敦曾は、概して反射の銀波を取った
のである。
節一に射しては、物質も紳の造れるものなれば、英日身惑に非すと断じ、唯用ゐる入の心懸
け如何によつで、轟ともなり、慈ともなるべしと答へた。
舵機伴性め出猟と撼眞鵡 ︵日 野︶宗 教 研 究 第一懇 堕二耽 四七二 第二に対しては、韮常数は知識なbと云ふよb■も、信仰であると主張し、基督致を以て智力 問題であると看佃さや、心の問越であつて、基衡の心を以て自己の忠となすが韮督放であると 断じた。 第三に射しては、蒐く唯一紳が天地の創造者なるを主張して、節こ紳や他紳やエ人︵dぎ㌢ 彗g〇S︶ を否定した。 第四に対しては、物質基物を悪であると着順さす、身紀を以て紳の内任すペき紳放であると 論じ、婚姻を垂化し托。ソ訂reぎが数骨に入れられなかったのは、肉憺を汚桟成して婚姻を否 定したからであつた。 節五に対しては、韮督が踵女より坐れて十字架に釘けられたる事を主張して、韮督の庇史性 を高調したのである。 第六に対しては、紳人間の変温は父子相貌の舗係であるから、極めて貌密で、紳は有意寵的 の変をま張して椛現諭に反対し先のである。
知識派と柚現諭とに照らして解挿せられたる、使徒倍條の忠魂は加何になるやと云ふに頼め
て判例である。即ち細と此世界、叉叫・工人匪、随って紳と韮鷺1に極めて親密な閥係を保雄し て成立って屠るのであるから、紳は歴史に活動して止まぬ串を説くに、此信條の放ふる所であ 次に人世と窟接の制係・で肯せる人の父なる甜は、キリストをして現葦の鹸史的葎命を和せ る。 しめ、内債を有せし・め、受難死守い霹愴■で賢際炊はしめたることを斗張し・上㍍乙と㍊ふ。彼の 聖監と幽女†リヤとよb生れたと云ふ㍊想は、勧もすれば常狩の人は、肉を柁んじ小児を詭んじ たれば、几に於て之を詫服しにるハ㌧らんし㌧思はしめないでもないが、されど牒現諭にkした㍊ の思想に披れば、踵女より生れに1云ふほ、大姉の闇係一で軽祝しにと云ふ考︰l人、毛兢琵に現㍍ れて居らぬ。㍑の将帥は、キリストは暦l登内潤一で有して居ったので、如女J止b焦れに常であつ て決して幽小股の如く幻象の如く客鹿なる新ではないと主眼したので・あ乙。即も肉の汚轄・ぜ否定 し其貰在を廿同調したのである。 更にR倍條ほ、最も高らかに基捏故は露悪に非すLて隈む的㌫放であると云ネ叫なま航して 居る。宗敢は理論や理想のみでド︰成立せぬ。理想を具倍化︵/.き1−巴1邑icl−u=g︶した時に、始 めて成立すと云はねばならぬ。 此鮎に於て、宗歌は瀕撃と大に曲を異にして居ると思ふ。歴史に少しも蝦盟努留め棺氾理想、 使徒僧職の血謹と北ハ昇竜 ︵8 野︶
宗 欺 研 究 熱一* 節三枕 頭七粗 放官制腹の中に入、ツて人心を支配するに至らざる理想は、宗放であるとは云へ鱒。吾人は、使 徒倍條が基斬の身上に生じたる勝敗的損耗餌一ざ冤んじたるは、此旦硝化せ・りれ托る理想を電ス じたからであると取ねばならぬ。即一h﹁肉性とな♭て我債︵人類︶の間に滞れるし淀を食兼しわ るに外ならぬでぁらうと患ふ。
珪に揮謂十如とは碓井繹妙法華麗方便品の文で、耕法宵相恩性詑桝の︼節、即ち 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、−︳ヽヽ 唯鋤動体乃地先盛紳法賞相成珊鴻法知見相知足性軸足馳如盈力加温伸知見囚知見縫知見典 ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ 如塁報知泉水先発先導。 樗甘−践浮沈準揺輿水−十如本文の厘忠と妙正離水−妙水¢水文鴫償憶1法華論1五 種注と十如−天台−家のこ聯搾−㍊凰の解招−霜絆の解将−花道の立氾−従来り解将に 封寸︰?校誼∵−長編∵!馬蛸∵−梵辣比較−軸足大地報−戦域性相萌−五和法の水文的京成 −性相拍的椚挿−智戊抽の九瑠托−九種注丁二純什と十如・ 十如*丈に封†る姓踵 ︵* 陶︶
十如本文に対する疑義
本 田 義 英
である。而しで右記する年代に依て知る如′∼、正江雅紀は妙法非紅よbも時代に於て一首三十 年早く浮出されて居る。故に法華耗原如上から考ふれば、前者が夜前よらその原型に近かるペ しとは一見何人も想像する所であらう。然し之号史的服光の姉別なるに囲・?hしい。若し柿々 宗 教 研 究 節一巻⊥聖二抗 日空ハ ヽノ に於ける十約の﹁如是L霊的ふ・↑前歯窓恩此文を苛むに皆如といふ、故に呼で十如となすと侍 ふ。この十如が準虚痙の十界と智度静の三世問と共に天台一念三千諭の一安東とな㌔天台数 理示二大源泉を成せる串は、弦に之を発するの要は無い。然し本稿述べんとする所は、余が近 時何等宗派数理の如何に拘泥せす、殆ど混交捗に鼎立なる純本文批評の立脚地ユ♭法華森本文 の考英断究を試みたる結果一俵て得たる幾多の疑義巾喘に比捜的韮大と寵めらる∼十如本文に 裁て、少しく金の所見を開陳し、廣く斯鑑識前のエり⋮致是正を仰ぎ、以て汝非縦本文研究の一室 料とせんがために外ならぬのである。 言ふまでもなく撲珊津法準紅にして現存するもの三種あら、即ち ︵〓正法華錯十幕︵或は七黎︶ 二こ妙法述非科人黎︵初七器︶ ︵三︶盗品妙法述緯七谷︵或は入港︶ 前晋、空清護、太虚七年︵A・P3の︶謬 桃葬 鳩糎羅骨、弘抽入年︵㌣声合ヱ鐸 隋闘、那雌多、遁椰笈多、仁章元年︵LrD●GO−︶澤
抑も妙法華麗十如本文の存する方便品のま限とする翫は、体得邁雅言由妙り境地唯彿輿傭乃 ヽ′ 能究菰諸法蜜初の本旨を閲顕せんとするにある。嘉し理に従って名けば、既に腎舶品と言ふべ しと言はるゝも敢て過言ではない。而してその十如なるものは、基尭その諦法賓亜の属性を示 した文句である。而して之に対する解秤は、簡に天台一家の詳細微妙なるものあるのみならす、 天台以外の紛帥にして支那日本古凍之が討究解辞を試みたるもの亦一々放郵するの退もない。 就中支那に在ては光宅専決豊の法華経鶉詑、嘉鮮の法雑損範疏、慈恩の決非家裁の如き、哺に その原型に近く、随って現存法華揮諸本中比較的最も原本的なものならと〓脚はるゝ郡は、恐ら 謬出が時代に於て彼のものであるとしても、抄紙雑損の方が却て内容外形共に正法華経よbも の方面よりの史的考霹や法華経一部の致叩文脈組織上等より詳細に之を研究するに、棍命をの ヽ′ く否定すべからざる革質であるべしと侶する。次に盗品洩非痙はその名の示す如く、悉くに妙 法華経によゎ唯その開くる桝を常時存在し中寿経基本を箱勘し、之を添補したに過ぎない。故 に統局十如の本文に関して正しく比較し縛らるペき泣葦淡紫障としては、犠かに正妙所本ある のみであろ。 十如本文に封†る疑我 ︵木 田︶
宗 教 研 兜 恭一怨 節三蚊 四七八 をの著しきものなるべし。ぬし今微細燭預なる数理上の詮索は之を措き、純粋本文批評の立揖 −丁ウニの十如の本文を見れば、その意味する堕罪凍それが話法賓細め恩性として轟げ花のであ るがら、つまわ諸法質粕には相性能力作内線果報存し、而もそれ昔前後本末究克無差別中谷互 鼻汁アサといふのが普浦安常な解群であらゎばならぬ。然るに今之を立法準綻に求ひるに、その ヽ′ 之に相督する併には用 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 如求恰丁相法所由、徒何朗衆謂法自給、分別法統東胡根本如法日銭、︵肴橋品︶ Iこけつて居る 築かに彼此を比較するに、内容上面宥和や趣を同ふする桟であるが然し形式に 放ては大に英る研がある。彼の十如に射し此は五和としか見られぬ。叉その一々が相互何れと 軸臆すべきものであるかも耽に堺でない。而も着凍この鮎に閲して相成的研究を試みたるもの 金券閉にして未だ之を聞く所がないのを頗る追峻に恩ふぐ さて妙法準緯を以て法華鮭諸本中比瞭的澱も原本的打了りとなすは前逓の如しと廻も、然−畢 発比瞭的といふに止▲iLリ、重く原本と同型打丁りとは何人もよく断言する串不可能の事なるべし。 その狩出に至るまで椰々の事柄のために掛からぬ年握を紅、随って基悶多少の痙造出入が基本 文の上に祈はれて居る邦も悪政するに難くない。加之羅什評経の岱度は、前澤に依らす発く賎
揮に随ひ、長短別神楽人に対して理解し易からしめんために、前彼の意次その宜しきを計った
ヽ′
といふ準も、秦欝大路揉の牒什に於て、決して有り付べからぎる串ではない、故に羅什の所謂 ︵今幣へば法華経︶を若し一部の辟輿自櫓として見る場合は四く冷せす、若しそれを一謬鐘と して批評的に本文桝究を試みんとする場合には、聡それが比較的頂本的ならといふ堪純なる理 山のみに依り、重く他本を励みず之にの・み紹封の信用を置くといふ隼は、比較研究上決しで常 を樽た方放とは言へない。故に今所謂十如本文の問題に闊しても、妙信用*その形を異にする 以上、何か他に之が費料を求めて、公準にその本末七考集すべき必要があると鮎ふ。而して企 はその筋︼資料として党づ耽溺の法華箪を鬼庇い。 世親の法華諭は、既に印度に於ける独華緯註滞として現存する琉音唯︼のものである。元よ む基併依の法華経が、現存異本巾鬼して何れに属するものであるか速挿する郎は出来ないが、其 方便品を秤するに皆盲て、特に妙法畢綻の十如の文に相常する閉まで、之を完全に引用してあ る噂は、この小満に対して断る有力なる資料を供するものと闊ひ得る。さて今法華諭桝引方位 品の文に就て之を見るに、元よー多少煩俄の別はあるが、その評語上の憮裁の如き山に妙法華 粧に準じたといふ串は一目瞭然である。然るにその十如の文に相済する所に至かては、両者火 十如♯先に封†る慧 ︵本 国︶唯俳典仰視法、純俳如水能如彼法究究貿柑、舎利邦雇併如水知一切汗、合判顆喘俳如水能耽一切 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 沌、何尊法云何泣付似誰何柑托何佗ほ何等玉村何位何相何曜知見専一uほ如水塊且非不現見■ となつて居る。明に五和法である。而してこの五和法なるものは、かの正は非損の五和Lし比較 の紙某、殆んど同類の如く想催される。故にこの五和法と十如との闘係が別にさるれば、妙正 面本に於ける十如英南本末S由題も亦自ら机朋さる∼と思ふ。故に技に問題盲五種法と十如と の闘係に移す串とする。而して五郡法は十如の厩宿したものであるか、或は十如が五和法の用 度であるか、或は半面着生く別柿のものであるか.若し別枠のものなりとすればその本末閲係 放して如何といふ三筋の疑問を提犯して罷く。 今先づ桝究の胎持として.基両者の相互駒係に閲する従来のまなる解滞り一二を糞げ、最後 に私評を述ぶる郡とする。 さて法華諭に依れば、他親はこの五和法に四澤を如へて居るが、天台一家に於てはそれに依 むで十如との閥係争ピ就いて居る。捌か萬ほしき城あるも、今その大酷を比校拳不する串とす る。而して天ムヱ家といふも、技には湛然の淡紫文句記を以て之を代表せしむ。蓋しこの沓が 宗 教 研 究 第一各 節三渋 ヽ′ にその軌を一にせない。即ち諭の文に彷は 四八〇
この方宙に対する天台一家の重要なる構成たれはな♭。
池 華 静 0井︼ 渾 何等法者.謂畢同法駆文飾津結併法故. 云何沈着、開演穏和諦雄視故。 何似沈潜、供三枝門持清沖故。 何相法者、珊三囁敬一相法故。 何籠注耕、触こ放牧、無二佗碁、謂血竺蕊ふ邦幌二二彿 熊触こ無敗。 0邦こ押 倒な泳者、所謂有馬触発法な。 ︼ポ何弦巻、開園披非園紘法等。 何似抹悲、桝開館沌触滑法等・、 何相維新、印鑑尊三相托不生等三相控. 何憶決着、硝五陰性押立陰性故。 十如本文に封†る疑義 ︵本 四︶ 0桁闘三乗展略別招紺血相喝 以帝閏触匁封六道抜足有馬故。 以文飾封飴非囚抜放。 以苫降泣封飴八界悉触購故. 姐以三乗封飴六外皆三相故。 十界五陰骨賞鰻故。 四八︼ 明十和洩三発注。 所謂三乗我差別故。 三罪人供敦賀邪。 開三乗相知他柏故. 閏三乗規唯一黒故. 天 台 ︵文句紀︶ヽ′ 而して世親が法準綜併設の賛相を以て竿如凍減法身之股不縫舐﹂となし、法華経に於ける授 記詭の成立期拍は、畢克十方世界中佃無二兎何配布三の唯一俳荻の純忠に基き、その所謂﹁一 乗の恰とは即ち諦倍加寒中等法身にして、その︼偽東は四椰の我に伐て説く﹂と開て屠る鮎か 宗 教 研 究 飾︼各 節三駄 ○餌三樗 何似法者.謂無幣法布袋法均操法. 何相法者、印可見相軍法. 何捜活着、伊珊五陰縫取可取、以五陰長芋銑轄 故、又五陰者、見遣相性故。 ○第四持 何等沈着、所珊名句草月等故。 云何法者、網俵如東研説法。 何似沈着、絹能故他可他者故. 何相法粛、供青野取、以俵菅野取彼法故u 何位沈着.調伯名農法相我故。︵懸下︶ 以上二句抱合在於第三句中、仇投弟三人節用 巾、閏三鞄法可見放、又地帯四人餌五中、戊初音 雄視指著述仝旦定荘感三叉五陰ポ、道道持餅、 故知六道三乗望仰八東及著挑. 〇依五句欲以税法汲祝前. 具語十舟橋災法故。 所依倍賞祇給故故. 明惜畏櫻法要不同故。 明絹棍技官大地故. 明能他所低能紋所詮皆促地氾、以望所詮唯叫旺 耳故︶ ︵巷西中︶ 四八こ
ら見れば、その田澤の如何は西︿措き、その四押に放て詑かれたる五錆建白盛者以で、鮎細い 虚位説明でぁると認めて居る串は疑はれない。即ち十如と五和法との本末脚係が如何なるもの であるにしても、・﹁、の本文的方面からでなく瞞〓初の屈性といふ方面から見れば、甫着金く同− 趣意のものであるといふ隼だけは之を知る郎が揖凍乙。 ヽノ 而して更に溝然に二依れば、以上世親四揮の・各に試て天台の十如四秤との相聞を研究して仏 和樗既以三乗陀相曾山 舵叫即外界持也. 女帝飯以三乗対人道揮、即卜界繹也. 決河胱約華巣引退、此外無能、即約位樗J 吹挿即約能詮救挿.山敢撼ご予枚方こ仙骨.即豊倉持。 上なし、r諭四辞即今家四秤と﹂詠じ、r由文一十八句乃成一十八重繹十如也一としで両者の同 一趣なる串を極論し﹁一家大義拉輿論旨某符﹂と拙論したのは、敢班﹂。全く無理とはいへない。 枕崎敬ちその法華去惑に於で、﹁莫造天ム‖曹法華諭︶と厨七て居るゥ 然し之昼畢鬼天台歓迎の限先に伐りて.妙扶華経営紹封に信用する続発、自ら正絹紘を以一 児型十如の蒋と燭新し、両者の聞係・ぜ概姉的に紛兜したものであつて、汲理的呵究としては大 十如*文に糾†る縫鼓 ︻本 田︶ M八∴
囲八田 宗 教 研 究 狐こ瓜℡ ‖芥三攻 に努めたものである躯は之を認ひるに難くはないが、然し之に依て金は両者の各年なる本文的 一々の関係に重♭ては蓬に何等得る所がないといふ箪を退城ながら告白せぎるを楷ぬし 然らば天台以外のものにしてこの雨着の関係に就て研究・貨試みたるもの、果して如何であら う。金はこの鮎に関する緒論師小.法華す曇の著者慈恩の論究が、比較的和興味一で喚起するも のあるを知るに過ぎない。然し悪恩も換Lで五和法白偲と十如との正接聞係を研究しだのでな く、上述世親の田澤中嶋に第二符を以て最も鑓常なるものとすれ︰に、之に依♭て十如との比較 ヽ′ を試み待となすに過ぎない。即ち付 知是相加正使合足許一何等法相足宥芳性足鵠匁故. 知見〓陥托〓ん釣玉川旺試用韮陰性非五曙㍑故人u・川霧文. 知見力如n作者合及第二日似法力謂幣泣鳥法右ト﹂龍改作呵⋮経楷法有造作故. 如n.仇阿知日.虹技知見熟知是報☆足㌫こ云何法E払川パ弘之中宥匁是︰〓伸し厨吐之法紙箱非凹払㍍ 生泣建立免戒名胃成郎報哉名抜純㍍基名田成㍑免∴投川見名蝿典籍名弧. 知見本末追伸山四何相ほ奴等三相托盈末忙先番故不生符三相是ホ・︰再㍑是埋故. 死文等遥謁解現本法性究克也. と謂て居る。即ち之に依れば五捕法は十如の鵬㍍、十如は五相法の開展でぁるといふ︰γにな一号