• 検索結果がありません。

札幌大谷短期大学紀要22号 柴田 泰「中国浄土教における唯心浄土思想の研究(一)」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "札幌大谷短期大学紀要22号 柴田 泰「中国浄土教における唯心浄土思想の研究(一)」"

Copied!
97
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

中 国

浄 土 教

お け

土 思

研 究

 

←)

柴  

は じ めに 第

 

従 来の

と問 題の所 在

 

………・

………・

      

3

第二

 

経 論に 説 か れ る弥 陀 浄思 想唯 心 浄土 思

    

…・

  

…・

       

8

 

 

浄土 三部経に説か れる弥 陀 浄土の 諸 相

      

……

         8

 

第二節

 

主 要 な 経 論に説かれる弥 陀 浄土 の 諸 相

      

   

15

 

第三節

 

唯 心 浄土 思想の

 

…・

…………・

…・

………

      

21

 

要 結

………・

………・

………・

…・

       

25

第三章

 

唯 心浄土思 想 成立以 前の

行 思 想

      

…・

26

 

 

〈唯心 浄土〉 の先 行 思 想

 

…・

………・

……・

…・

      

27

 

第二節

 

本 性 弥 陀〉の 先 行 思 想

 

………・

…・

………

   

    

      

34

 

要 結

       

……

      42

第四章

 

唯心 浄土思想の

永明 延寿の 浄土思 想

      

44

 

 

従 来の 見 解と問題の所 在

 

……・

…………・

……・

 

………

       

44

 

第二

 

明 延 寿の唯 心 浄土思想

      

……

        

48

 

第三節

 

永明 延寿の 弥 陀 浄土思 想

       

62

 

第四節

 

中 国 浄土思想史に おけ る永明延 寿

       

89

 

要 結

…・

………・

…・

…………・

…・

……・

…………・

       

95

第五章

 

唯 心 浄土思 想の

……・

…………・

…………・

……

       

   

以 下 第六

章 

唯 心浄土思 想の 継承 結  論 本 稿は

中 国 浄 お け 唯 心 浄土説」 『宗 教研究』 第

259

号 (昭 和

59

3

月 ) 「 永明 延 寿の唯 心 浄土 説」 『印仏研』 第

32

巻 第

2

号 (昭 和

59

3

月〉 「中 国 浄 土教と心の問 題」 『仏 教 思 想

9

 

心』 (昭 和

59

年 10月) 「『 楽 邦 文 類』 の浄土 思想 史的 意 義」 『印 仏研』 第

37

巻 第

1

号 (昭和 63年 12 月 ) 「 立 相 論と虧 浄 備 の勲

驪 轟

・ ド酵 と瞰 、 (平 成 元 年

11

月 ) を補 訂 加 筆 し, 以 っ て中 国 浄土教にお け る 唯 心浄土思 想の 総 合 的 成果 を 意 図 する

(2)

2

中 国浄 土 教に おけ る唯 心 浄土思 想の 研 究

 

は     じ   め    

に 浄土 と は何かp 西 方に あ るの か

心にあるの か

 

この 問題は

今 日 で も

般に論 議 され る。

来の 浄土宗学

真 宗 学 立 場

“ 極楽 浄土は西 方 に報土 として存在する”とい う立場であ り, その他の 宗 派では, “ 浄土 は心の わ れ, あるい は 自己 の 心であ る” とする立 場が 多い

ま た, 宗 学に係わ り な く論 ずる 人 々 で は後

を 支持 する方が

れにせ よ, 浄土 につ い ての 見 解は極め て今 日 的 課 題 である

 

中 国 仏 教に お い て も

浄土 に つ い ては様々 な

解が考 え られ てい た

と り わけ

独立 し た

学 派

に な らなか っ た 中

浄土教で は

浄土思 想

に限 らず

, 多

くの 諸 宗の思 想 家 を含 め て様々 に解 釈さ れた

その 中で も,

表 的 見解が指 方立相 論 と唯 心 浄 土思 想 ω

“ 極 楽 浄土 は西 方 を指 し

報土 とい う相 を立 て て存 在 する” (「今 此 観 門等

唯 指 方 立 相

住心 而取 境」 『観 経正 宗分定 善 義』 巻三) とい う指 方立相 論は

初 唐 代の

善導

613

− 681

)が主 張 し, 彼の思 想 を継 承し 発 展 した 日本浄 土教

浄 土宗

真 宗

主 要 な 思 想であ る

。一

“ 浄 土 は ただ心の み で あ り, 十方に周 遍 する ” (唯 心浄 土

周遍 十 方」 『万善同帰集』 巻 上 ) とい う唯心 浄 土思 想は

く唯

己心〉と連 句さ れ, その 最 初の提唱

永明延 寿 (

904− 975

> 以

中 国 浄土教の 主 流の 思 想であ る

 

こ の よ うに 日本

中 国と袂 を分っ た代 表 的 浄土観につ い て, 指 方立相論は善 導 並び に善 導に関 係 する諸師 (た とえば

曇鸞

道 綽

迦 才

懐感 など

の 浄土観 など

多くの 論考がな されて い る

そ れ に較べ て

唯 心 浄土思想 につ い て は

後に も触れ るが望 月 信 享

服 部 英淳

藤 吉 慈 海 博士 など

王 に永 明延 寿の思想 を

心に論 述さ れ るこ とがあっ ても

その 起源か ら成立 に至 る ま で

更に宋 代以

主 な 見 解に つ い て論及 した総 合的 成 果は未だ認 め ら れない よ うであ る

そ れ に は理 由が あっ て,

で に 日本 浄土教, と くに浄土宗

へ の影 響が 少ない こ と に よ るが

も う

つ の 大 きな 理 由 は, 中 国の 主 流の

派, 天台

華 厳

ど で は唯 心浄土 思 想は 当 然の 立場であり

何 ら問題 に なら ない こ とに も よ る。 従 っ て, これ ま での研 究では, 浄土教の立場か ら は善 導の 指 方 立 相 論に対して

そ れ と は異 なる 唯 心 浄 土思 想 を 如 何に会通し

あるい 批 判 するか で論 議さ れ る 程度であり, その 他の 立場か ら は大 きな課 題に は 成 り え な か っ た の であ る

 

しか し な が ら, 善 導の 指 方立 相 論 に 日本浄 土教が如 何に多 大な恩 恵 を受 け た とし て も, 中 国 浄土 教十数世 紀の展 開におい て

唯 心 浄土思 想が主流 であっ た こ と は

少 し諸 資 料に 当れ ば誰 れ し も首 肯く史 実で あ る。 本 稿で は

中 国浄 土教に お け る主 要な 唯 心 浄 土思 想につ い て

その 源 か ら成立 へ と辿

V

その 主 な 見解 を探求 す ることを 意 図 し たい

そ れによっ て,

国 浄土教の 特 徴が明 ら か に な る であろうし

,善導

指 方立相 論の 独創 性 も よ り客観 的に評 価さ れ るであろう

〔1) 唯 心浄土思 想とい う用 語は

従来 唯心 浄 土 説

唯 心 浄土論

唯 心 浄 土 観 な どと定っ て い

本 稿で は

今日  よ く使われ る 「 思 想」 の語 を 用い るが

厳密な規 定でない

(3)

柴 田 泰

3

 

見 解

問 題

所 在

 

唯 心 浄土 思想に限 らず

指 方立相論 を含め た中 国 浄土教に おけ る浄土観 は これ まで どの ように考 え られてい た の で あ ろうか

わ れ わ れ は,

国 浄土思 想

の 上で唯 心 浄土思 想の重要 性 を正 し く

認す るた め に

まず

中国

浄 土教に お け る代 表 的 浄土観を

学の総 合 的 成 果か ら学び

そこに認め ら れ る問 題 点

を探

。 次い で

わ れ わ れ は 唯心 浄土思 想に

する主 な 研 究 成 果 を検討 し

従 来 解の難 点と具 体 的な問 題の所 在 を見

出す

こ とに し よ う

そ れ に よっ て

中 国 浄土思 想 史に おけ る 心浄土思 想 研 究の 意

が客 観 的に位置づ け ら れ るし

本 稿の 方 法 論

なすき分 定 まる で う。

 

まず

中 国 浄土教に お け る代 表 的 浄土観を

瞰 しよ う

 

中 国 浄土教の研究は, 今 日の 浄土宗

真 宗の盛 行と相 俟っ て

と り わ け善 導とそに 関 係 する研 究 成 果は数 多 く認め ら れ る。 し かし, 中 国 浄土教 全 体を 網羅 した総 合 的 成果 となる と

今 日 でも望 月信

『 中 国 浄土教 理 史』 を除い て 殆 ん ど認め ら れ ない 屮そ こ で, 本

の 中か ら代 表 的 浄土観を 辿 る と概ね 次の よ うに なる であろう。

 

中 国にお ける最 初 期の 土観 は羅 什とその 門 弟 (道 生

僧 叡 な ど 及 さ れ た が

矢は浄 影 寺

遠 (

523− 592

)の 三 種浄土

事 浄土

相 浄土

真 浄土

であ り

その後

天 台の 智頻 (

538−

597

三論の 吉蔵 (

549− 623

華 厳の 儼 (

602

− 668

法 相の窺 基 (

632−

682

)な どに よっ て 三 種

四 種 の浄土観が主張 さ れ た

中で も善 導 以 前の 師の 弥 陀 浄土観は

細か な 相違はあるが い ずれ も応土 (あるいは凡 聖 同 居土) と低い 評 価であるの に して, 曇 鸞 (

476− 542

道 綽 (

562− 645

善 導 (

613− 681

) と相 承 し大 成 し た 弥 陀 浄 土観は指 方立相の 土説である

と くに浄 影 寺 慧 遠 を徹 底 的に批 判 し

その

の諸 点を 含 め て, “ 古 今 を指 定” した善

の 凡 入報土説は極め て 独

的な見 解 と さ れてい

 

その

土 につ い 見 解

摂 論 系

法 常

律 系 道 宣

・道

法 相系の 玄 奘

恵 景

神泰 ・

遁 倫, さら に は, 円 測

元暁

懐 感

憬興, 華 厳 系で は法 蔵

李 通 玄

澄 観

宗密

な ど多 く の 思 想

に よっ て考 究さ れ たが その多

的 浄

か に弥 陀 浄 土に 言 及 してい す ぎ

 

や が て 唐 末五代の 延 寿 (

904−

975

っ て 唯 心 浄土 思 想提唱 れ る と

礼 (

960− 1028

遵 式 (

964− 1032

> をは じ め と し て

道環

智 円

1

宗 印 ・義

宗 本

守 納

・宗

臣責

楊 傑

王 古

江公 望

王 日休

子 元

道 因

宗 暁な ど が 主張 した

その

でも宗 暁の 『邦 文類』 に は十 数 部の 資 料に唯 心 浄土思 想が論述 さ れてい

さ らに はの 維 則

・懐

則, 明代で は 大 佑

妙 叶

李 贄

伝 燈

元賢

円 澄

厳敏郷

袁 宏 道

株 宏 (1535

− 1615

)と その 門 弟

智 旭

して清 代以降 も続々 と く唯 心 浄土

本性 弥 陀〉 の 主張が 継承され

 

こ の僅 か な紹 介だ けで も, とくに宋 代以降, 唯 心浄土思 想が 中 国浄 土教の主 流の 流 れであっ たこ とは容 易に納 得され よう

しか , これ ら 諸 師の具 体 的 思 想 内 容は従 来 殆ん ど考 究 されてい ない よ うに思わ れ る

 

とこ ろ で, 上記の 見解は中 国 浄土教の総 合 的 成果 か らの抄 出で ある か ら, 当 然の こ となが ら, 浄

(4)

4

      

中 国浄土教に お け る 唯 心浄土思 想の研 究

 

) 土観に限

し た研 究では ない っ て

われ わ れ は こ れ らの

資料 に 当っ て検 討 し, 本 稿の考 察 を進め てい かねばならない

そ れでは

この 巨視 的 な 見 解か ら

どの よ うな 課 題

問 題 の 所 在が 提示 さ れ てい で あろ うか

 

まず 第

浄土思 想 あるい は浄土 と 言っ て も, 厳 密に は浄土全 般に わた る思 想

あ る い は諸 仏 浄土思 想と弥陀浄土思 想 を峻 別 し なけれ ばな らない 点が ある

その 代 表 的 事 例の 二

三 を挙 げる と, 第

例 は諸 経 典か れ る

仏 浄土 であ る。 『法 華 経 』の 霊 山浄土や 『観

賢菩

経』 の 常 寂 光 土, 『厳 経 』 の 蓮 華 蔵世 界 や南 方 補 陀 落山 観音 浄土

大 乗

厳 経 密 厳 浄 , 『閑 仏 国 経 』 阿 闕仏 の 妙 喜 世 界

薬 師 本 願 経』 薬師如 来の 浄 瑠 璃世 界 な どなど

最終的に は 六方

十 方

無 数の 浄 土 が説か れて い る。 これ ら は諸 仏 浄土 の 諸 例である

第二例は

これ を

国 仏 教 に当ては め る と

すで に少 し知 っ た唐 代 まで の善 導系 以外の 諸 師が考 えた

般 的 浄土 観 と そで弥 陀浄 土 を低 く評 価 した諸 例で 明 らか であろ う。 第三例は

中 国浄 土

史の上で, 初期浄 土教の 単 純 莫 然た る浄土信 仰が

や が て弥 勒

弥 陀 信 仰が盛ん とな り

隋 よ り唐 代にわ たっ て両 浄土教の 対立

論難が行わ れ, や が て 阿弥陀浄土教の 著しい 勃 興 流 布 と なっ た こ と をわ れ わ れ は学ん で い る醫 〕 そ れを 継 承 し て宋 代に 入 る と

般 的浄土の 分 類は少 な く

弥 陀 浄土教の

が 多 くな る

こ れ らの諸 例は, 浄土 と 言っ て も, 諸 仏浄 土 と弥 陀 浄土 は異なる こ とを教え て い る

ところ が

唯 心 浄土思 想の

初の提唱 者と さ れ る 永 明延 寿 などの 思 想 を注 意 して調べ る と ,従 来の見 解では その辺 りが極め て曖 昧で ある。 浄土 と言 え ば弥 陀 浄土

極 楽 と考 えて そ う誤り で ない 日本 浄土 や 〈唯 心の 浄土

己心の 弥 陀 〉 と 連 句さ れ る場 合に は問題 ない が

永明 延寿の 著 作の 中には, 「己 心 弥 陀 」の 用語はない

わ れ わ れ は まず浄 土 に関 する諸師の 見 解 を 諸 仏 (あるい は他 仏)浄 土 を意 味 してい るの か, 弥 陀 浄土 を指 して い るの か を絶 え ず 注 意しな けれ ば な ら ない

そ して唯 心浄土思 想は最終的に は 〈唯 心浄 土

本 性 弥 陀〉 を標 榜 するのである から

本 稿で は あ くまでも弥 陀浄:ヒC3〕を

味する唯 心 浄土 思 想 を主 眼 とし

諸 仏 浄土の唯心 浄土 思 想は そ れ 以

前の 先 行 思 想と 規定し よう

 

第二 に, 唯 心 浄土思 想が主 流に な るのは宋 代 以 降であるこ と を知 っ た が, 従 来, 〈唯心 の 浄土

心の 弥陀〉 と連 句さ れ る く己心の 弥陀〉 とい う用 語が 中

諸 資 料に は 全 く 認め られ ない 点がある

国で連 句 され る 用 例はい ずれ も く唯 心

L

本 性の 弥 陀 (あ るい は 自性の 弥 陀 )〉 で あ る。 <己 心の弥 陀〉 とい 用語は ど うも 源信 (

942−

1017)か ら始 まる 日本 浄土教の用 語 ら しい の であ る

そ して こ の 点 は わ れわれに次の こ とを予 想さ せ る

唯心 浄土思 想は当 然の こと なが ら弥 陀 も唯 心 であ るが

その 先 行 資 料 を探る と き

唯 心 浄土 と本 性 弥 陀と は その 淵源

変遷に は二系 統があっ た の で はない か とい う点であ る

こ の こ と は, 従 来の伝 統 的 解釈 「依 正 」 の 理解が わ れわ れ を強 力に 支持 して く れ る

周知の ように, 浄土教 学で は弥 陀 を正報, 浄土 を 依 報 と説 く が

15

〕 こ の 場合

た る 立 場 は弥 陀であっ て, 浄土 は従

に す ぎな い

これ を唯心 浄 土 思 想 に適 用 すれ ば, 本 性弥 陀 (あるい は 自性弥陀)の立場が主流であっ て

唯心 浄土は従的系 統とい うこ とにな る

また, こ の 点 は今日の

般 的 常識, あ るい は仏 教 全 体の 立場か らも納 得 で る もの であ る

わ れ わ れ が 「 心」 を考える場 合

まず 思 うこ とは わ れ わ れの心が仏に な るか な らぬか

す な わ ち

衆生の心がそ の ま ま 仏 に な りえるの か, な り えない のか が 問題であっ て, そ の 次 の段 階では じめ て浄 土 が 問題に な る はずである

仏 教 全体 での 大 きな課 題の

つ は「 」を 中心 と した衆生 と 仏の 関 係であっ

(5)

柴   田 泰

5

た こ と は華 厳の 「唯 心 偈」

唯 識の 「阿 頼 耶 識」

天 台の 「

心 三観」

の 「即 心即 仏」 などなど

枚挙にい とまがない

心 を 浄 土 と関 係で考 察 する思想 は そ れに較べ ては る か に 少 ない の で ある。 本 稿で は

その考 察 を本性弥陀の 系譜と唯 心 浄土の二 つ の 系譜に分 けて探ることに し よ

う。

 

従っ て , こ の 二つ の指 摘か ら

本 稿の 問題の所 在は

, 1 .

唯 心の 諸 仏

2

唯 心の諸 仏 浄土 ,

3

唯 心の 陀,

4

唯 心の弥 陀 浄土

の四つ の 分 野を考 えるこ とを示 唆 してい る

。事

唯 心 浄土思 想の淵 源は最 初か ら 唯 心の 弥陀浄土にあっ た ので は な く 唯 心の諸 仏

唯 心の 諸 仏浄 土にあ り

そ れ が後に唯 心の 弥 陀

唯 心の 陀 浄 土に転用 さ れ成立 し発 展 する。 その こ と は後に立 証 し よう。

 

以 上, 中 国 浄土教につ い ての 総 合 的 成 果か ら

代 表 的 浄土観 と問題 の 所 在 を知っ た

 

次に そ れで は唯 心浄土思 想に限

した従 来研 究 成 果は どで あ ろ

 

は じ め に述べ た よ , 唯 心 浄土思 想の研究につ い て は永明延 寿の 思 想を主と して個々 の成 果は 認め ら れ る が, その 総 合 的 成 果は殆ん ど認め らない よ

で あ るc そ う した 中で, 比 較的

くの資 料 を提 示 してい るの が実は 論 文で は な く

服 部 英

博士 が 草稿され

望 月信

博士 が閲 読さ れた 『 月 仏教 大 辞 典』 (昭和 8年 初 版 )の 「唯 心浄土 」 と 「己 心弥 陀」 の 項 目と思わ れ る

9

 

まず 「唯 心 浄土」 の 項 目で は,

  

浄土は 唯 心の 所 変 又衆 生 心 内の もの と なす を云ふ。 蓋 し唯 心 浄土 を 説 くに

義あ り

と初め に説明 し, 『釈 浄 土 群 疑 論』 第

一 ・

六 (懐 感 ), 『 往生浄土決 疑 行 願二 門』 (遵 式 )

『観 無 量 寿 仏 経 疏 妙 宗 鈔』 第

(知 礼〉, 『 寿 仏 経 義 疏』巻 上 (元照 ), 『 祖 大 師 法 宝 壇 経』, 「

帰 集』 第二 (延 寿)

「 唯 心 浄土文」 (守 訥

邦 文 類』 第四所載 )の 例文 を挙 吠 更に参 考 資 料と して 「楽 邦 文 類 第五, 廬山 蓮宗 宝鑑第

浄土或門, 観 心往生論, 観 心念 仏, 即 心 念 仏 談 義 本

禅 祖 念仏 集 等に 出づ」 と結んでい る。

 

次に 「己心 弥陀」 の 項 目では,

  

自 己 心 内の弥 陀の

又 唯 心弥 陀, 或は自性 弥陀 と も称 す

即 ち即 心 即 仏に して

弥 陀は衆 生

  

心内の もの なり と説 くを云ふ

と説明 し, 『観 無 量 寿 経』

『観 無 量 寿仏 経疏 妙 宗 鈔』第

, 『六 祖 大 師 法 宝 壇 経』

『大 原 談

聞 書 鈔』 の 例 文 を挙 げ鏡 録第二 十 九 観 無量寿 仏 経 疏 妙 宗 鈔 第四

観 無量 寿 仏 経 融心 解

浄土境 観要 門, 楞伽 経文 句 第五

廬山 蓮宗宝 鑑 第十, 浄土或問, 発 起宿 善 鈔, 観 心 往 生 論, 金剛 宝戒 秘 決 章

大 原 談

聞 書 鈔 見 聞

大 原 談 義募 述 鈔 巻 下, 台宗二 百 題 第十

等に出づ 」 と結ん でい る

 

とりわけ, 「唯 心 浄土」 の解 説は

400

詰 原稿 用 紙 約八枚に相 当し

唯識

天 台

禅 系の

表 的 見 解 を要 を得て説明 し,

中国 ・

日本の参 考 資 料十数 部が挙 げ られ てい る か ら 今 日

わ れ わ れ が 唯

L

浄 土思 想 を考 究 する場 合でも好個 の典 拠になる

この

説は

後に服部 博士が 「永明延 寿の浄土 思 想」 等で再 説 補 促 さ れた ように

18

〕 今 日 で も学 的 価 値を持つ もの である

しか し, 何分 にも辞 典 とい う性 格 上

その 出典の

々 を 調べ る と 以 下の 点に更に検 討の 余地 が あ るよ うに 思わ れ る

 

に, 「心 浄 」 「己 心 弥 陀」 の 用 語が認め ら れ ない 出 典が非 常に 多い

こ の こ とは唯 心 浄土 思 想をはっ き り と 主張 した資 料 と 唯 心 浄 土的な思 想

は その ル

る先 行 資料 と の区 別 を瞹 昧に してい

第二 に,

出典の 内容に 当っ て み る と

唯心 浄 土 と 唯 心弥 陀の 明が混 在 してい

の ことは前にも述べ た が , 唯 心浄土思 想 を探 求 する場 合に 唯 心 浄土 の 資 料だけで な く

(6)

6

中国 浄土教に お け る唯心浄土 思 想の研 究

 

O

唯心弥陀の 系 譜 も探 らねば な らない こ とを教 えて い る

第三 に, 各 出典

各 宗 派の解 説は全 く説明 通 り である が

相 互の 影 響 関

や関 連 性が説明 さ れて い ない

第 四

最 も古い 典 拠 と して

釈 浄 土群 疑 論』 か ら始まっ てい るが

若 し, 唯心 浄土 的思 想が 認め ら れ るな ら, わ れ われはやは り経

か ら探るべ き と思わ れ る

第五に

後に指 摘 する が

唯 心 浄土思 想に最 も重要な

厳系の 出

が含 め ら れ てい ない

唯 心 浄土思 想の最 初の 提唱者が若 し永明延寿であ る な ら ば, 彼に最 も係わ りの 深 い 華 厳 系

を無 視で きない であ ろう

 

望 月仏

辞 典 』の解 説には 上

の 課題が認め ら れる が, し か し

こ の解 説の評 価は 現在でもい さ さ か も損 なわれてい ない

辞 典 とい う制 約 上 こまで論及する必 要の ない 課 題 もあり

すで に

50

年 以 上 を過 ぎた今日 で も, その後の関 係 論 文 をみて もこ れだけ 要 を得て資 料 を提 示 し,

広 く 唯 心 浄土思 想に論及 し た成 果は見 当 ら ない

 

次 に, 唯心 浄土 思 想 を 多少 と も 総合 的に扱っ た論 文 と しては

 

柏原 祐

心 浄

」 『宗 学 研 究』 第

20 ・

21

合併等, 昭和

15

( 『大 系 』 思 想 篇 第

1

  巻

法 蔵館, 昭 和 63年 収録)

が ある。 その 要

を上 げると

  

自性 唯 心

貶 浄

親鸞 「信 巻」 別 序 )の 人々 と して, 浄 影

嘉 祥

能 ・

  

守 納

知 礼

道 環

延 寿 を挙 げ

沽 来の正 当 浄 土願 生 者の

右に挙 ぐる唯心浄土説に対し

  

て, 如 何なる批 判 を下せ るか を

し て み よ” と問 題 提 起 し

唯 心 浄土説 と他土往 生 説の難

  

易の見 解 (延 寿

王 日休

智 円

慧 能

易 行 院 な ど) を批 判 し

二諦配 当 説 (道 探

遵 式

智 旭

  

月院

明教院

守 納 ) を考 察 する。 さ らに, 唯 心思 想の典 拠 として

十 華 厳 経 』 〈唯 心 偈〉 『維

  

摩 経』 〈心 性説〉 (智礼

遵 式 を 引 用 )と法 相 唯 識 ( 『二 十 論』 『 成 唯 識 論』 『起 信 論?1 『大 乗 論 釈 』)

  

を挙げ, “ こ の 教 旨によりて

弥陀仏の 土建 設 を領 会せ られ た る もの に

我が曇 鸞 大 師の 『

  

土論註』 二巻が ある ” と し て, 曇 鸞の 浄土観 を考 察 し高く評 価する

そして “ か くて謂 ゆ る 唯

  

心 浄土 説の 偏見 な る こ とを 知 り得るの である が

更に ま た後 世こ の謬 想に沈 迷す る もの が輩 出     し たの である。 ” と結ぶ

こ の論文には, 代 表 的 思 想が考 証さ れ てい るこ と の外に

唯 心浄土 思 想 主 張 の 理 由 が二点 (難易 判 釈 二諦 配 当 説)指 摘さ れてい るこ と, 二 , 三の典 拠が 経 論 に求め ら れてい る こ と な ど, わ れ わ れが参 考 とすべ 点 は

しか しなが ら

先の 『望 月 仏教 大 辞 典』 の解 説で認め ら れた課 題が な お残さ れてい こ と

教 学 的立場 (曇鸞の 浄 土 観 )で唯 心浄土思 想 を「偏 見 」 「謬 想」 とすることは 問題であろう。 中 国 諸 師もや は り命 を賭 けて 自 らの 思 想 を形 成 した の で あり, 史 実は唯 心 浄土 思 想 が 主 流 と なっ た か らである。 わ れ わ れ は

まず 諸師の 思 想が 何で あっ た か を 客観 的に知 ら ね ば な ら ない

こ こ では, わ れ わ れ が先 学の成 果に学んで, どこ まで唯 心 浄 土思 想につ い て知 ら れ てい るか

そ して今 日, 何 を新た に解明 し な け れ ば ならな い かを明 らかにするた め に取上 げた

 

以 上の従 来の見解 によっ て

われ わ れ は 唯 心浄土思 想 研 究の 方 法 論 と問題 の 所 在と し て

次の こ と を 確 認 したe

 

唯 心 浄 土思 想の 有 力な 引 証 と なっ た経論が何であっ た か を先 ず 探 ら ね ばな ら ない 。 こ の こ と はイン ド浄土教 を考え る 上 で も重 要と思わ れ る。

(7)

       

 

   

       

7

 

第二 に

従 来の 成 果べ て の資 料を今

度 検 討 し, その具 体 的 内容が 唯心の 諸 仏

弥 陀で あ る の か

唯 心の 諸 仏 浄

弥陀 浄 土で あるの か を 峻別 し

諸 資 料 相互の関 連 性 など を 整 理 し なけれ ば な ら ない

 

第三に

従 来 指 摘 さ れてい ない 資 料を 渉 猟 し なけ れ ば な ら な1・ )

 

第四 に, これらの

業が唯 心 浄土思 想の

行 資 料 とする な ら , その

初の 提唱者と さ れ る永明延 寿の 思 想 を先 行 資料

関係

で よ り正確に

明 しな けれ ば な らない

本 稿の 最 大の意 図は

はこ こ にある

 

そ し て, 第 五に

唯 心 浄 土思 想は延 寿以降の 中 国 浄土教 主流の 中心 思 想 る が

従 来 , 殆ん ど 言及 されて い 宋 代 諸 資 料 を指 摘 証 し な れ ば ならない

 

こ う した幾つ かの考 察 を経て, 初めて中 国 浄土

に おけ る 唯 心 浄 土思 想の 総合的 成 果が 可 能と な る であろ う

〔1) 望 月 信亨 『 支那浄土理史』 法蔵館

 

昭 和

17

年 初 版

のち に 『中 国浄埋 史 』 と改題 (昭和

39

年 第2刷)

 

望月 信亨 「 浄土教の起 源 及 発達』 761

− 762

頁 参

  

中 国浄土教 を 総 合的に扱っ た 研 究書と し て は

今 日 で も僅か に本 書と 佐木 月 樵 『 支 那 浄 土教 史』 無 我山 房

 

大 正 2年 (の ち に 『 佐 妹 月 樵全 集(⇒・囎 )の 二書で剤 , その他 沖 国浄 土 教の概説謝 たと えば

塚 本欝 ・中 国翫 教 蜥 究・ [『塚轄 隆著 鰈 ・ 第

4

巻]・

2・8頁

Emn

之 ・土轍 駛 、 [サ

磁 書

15

4194頁

 

石 田 瑞 磨 「中 国 」 『講座 東 洋 思 想』 第6巻

36

69頁 など〉に は近 代 ま での及が殆ん ど 認 め ら れ ない

 

従っ て唯 心 浄土思想に は言 及 しい ない

  

また

阿 弥 陀 仏の 仏身イム 土 に限・ た 秀れ た研究と し て は , 神 子 上 恵 龍 ・弥

P

它身土思想 展 開 購 昌 堂

 

和25年 (の に 『弥 陀思 想 』 と 改 題)があるが

中 国の諸 師で は曇 鸞

聖 道諸 師 (浄 影

天台

嘉 祥

 

華厳 系

法 相 系)

道 綽

善導の浄土観であ り

従っ て唯 心 浄土思 想の論及 はない

2

) 塚 本 善 隆 『中 期 』 (法 蔵 館 刊)71

72頁 同 「竜 門に 現1

北魏 仏 教 」 『塚 本善隆著 作 集』 第2  巻

260

262

421

448頁

(3) 弥 陀 浄 土は

周知の と お り, 阿弥 陀仏 〔無 量 寿 仏

無量 光 仏 )の浄土

すな わ ち, 漢訳で須摩提

安楽

安 養

 

極 楽 など と 訳 さ れる から

弥陀 浄土 とい う用 語は訳 語 的に も内容的に も正 しい で ない (藤 田宏 達 『 原 始 浄土思

 

想の 研究』431

438

507

516頁)

しか し

唯心 浄 土 思 想 を考 究 する 本 稿で は

常に諸仏 浄 土

十方 浄土 との関 係

 

で論 述 するの で

本 稿 では 「 弥 陀 浄土」の用 語を用い

(4) 田 村 芳 朗 「 本 鰓 想と 浄 土 念 仏」 『印 仏研・第 22巻第2

448

・三働 浄土観」 r日本仏 教 学 会 年報、 第42

 

28頁

同 「 来世浄土 と 阿 弥 陀 仏」 『印仏 研』 第30巻 第1号

,13

  

なお

古田紹 欽 博 士 よO “ 〈己 心の 弥 陀〉 の用 語は 明 代の 雲棲 株 宏 〔1535

1615)あた りに あ るか も知れ ない

 

海 道 印 度 哲学 仏 教 学会』 第

2

回学 術 大 会

駒 大 岩教 養 部

61

11

15

と の 教を う けた が

未だ認  め てい

 

 

た とえば

『 観 無量 寿 経義 疏』 慧遠 (大 正 37

178下)

『観 無量 寿 仏経 疏 導 ( 37

246

247 上)

柏 原 糠 『 浄 土 三 部繍 義・ (改 訂繖 )479

481

6

0− 623

浄 土 三 部黼 説、347

353

363−

370

515

 523

525頁 な ど

(6) 出 村 芳鱒 士は諦 土念 仏の

思皺 の起 点に お い て は

念 仏 す な栃 阿弥 陀 仏が主 軸で あ o

x

世 浄 土は 副 次的

 

付 随 的 なもの であっ た

と さ れ る (「 来 世 浄 土と 阿弥 陀 仏」 『印 仏 研』 第

30

巻 第 1号

ユO

ll頁 )

〔7) 『 望 月{嗷 畑 椣 ・ 第2

・5

124

494

49

6

服繊 淳・ 永 明 延勧 浄土思 想、 ・印仏研、 第

14

飜 2号

 

ll7頁

同 「 禅浄 融 合思 想に おけ る 浄 土の解明」 「仏 教 大 学 研究紀 要』 第5〔[84

  

因みに 仏 教 辞 典類 ( 仏 教 辞 典』 『宇 井 仏 教 辞 典』 『仏 教 学 辞典』 『仏教語大 辞 典』 「新

浄 土宗 辞 典』 「浄

 

土宗 大 辞 典』 「真宗 大 辞典』な ど)で は「唯心浄土」 「唯 心 弥 陀」 「己 心 弥 陀」 「己身 弥陀「己身弥 陀

唯 心 浄 土

 

心 弥 陀

己 心浄土」 など不 統

中に は相 当る項 目が ない 典 もあ

こ の

心 浄土思 想につ い ての

(8)

8

中国 浄土教に お け る唯 心 浄土思 想の 研 究

 

う  評 価が極めて低い こ と を 物 語っ て い る

 

後の服 部 博 士の言 及によれ ばt ・ こ才しは三+ 数 年 前にた ま た ま 私が纏 {・当・ た 六 +余 枚の原 稿で超 月 博 ±bf閲 讃 れた もの で あ る

 

ERSS

英 淳 ・禅浄 融 合 思 想に おける浄土の解・

f

撚 学研 欄 要・ 第5盻 84頁 )

〔8) 服部英淳

前掲 論 文

       

 

れ る弥

土 思

土 思

 

弥陀浄土 に限っ た唯 心 浄土思想の 探 究 を 意 図 する わ れ わ れが最 初に な さ ね ばな ら な い

業は

経 論に は弥 陀 浄土が どの うに説か れてい る か

そこ に唯 心 浄土 思 想の 源流に なり

る 経 文が 認め ら れ るか ど うか を探るこ と で あ ろう

経 論に唯 心浄土思 想が明瞭に説か れ

後の

国 浄土教の 諸師 が 有 力な典 拠 として引 証 し てい れ ば

われ わ れは そ れ を唯 心浄土 思 想の源 流 と し て後の変 遷 を辿 れ ば よい わ けで ある

し か しなが ら, すで に知っ た よ うに従 来の 研 究で は 唯心 浄 土思 想を説く経論は指 摘さ れて い ない

そ れで は

弥陀の 唯 心 浄土思 想は

来 経 論に指 摘さ れて い ない 従 っ て

経論 に 説 か れて い ない それ ゆ え 中

人が 勝 手に考え た もの で ある, と短 絡に規 定 して よい の であ ろ

 

中 国 諸 師は 自 らの教 義 を主 張す る とき, その 正当 性 を必ず 経 論に求め, 絶対的証 拠 とし た。 仏説 や論

え は絶 対の真理 とい う大 前 提の も とに 自らの

義 を 形 成 した。 そこ に中 国 仏 教の , 更に は 日本 仏 教の特 徴が あっ た

わ れわ れ も

師に倣っ て, まず 唯心 浄 土思 想の 源 流 を経 論 に求め るこ と か ら始めよ う。

 

そこ でまず

唯 心 浄土 思 想の 直 接の対 象 と な る弥 陀 浄土 が経論 に は どの よ うに説か れ て い る か , そ して, その 弥陀浄土が唯心 浄土思 想に な りうる か ど

か を調べ よ う この こ と は

イン ド浄土教 の正 当 な弥 陀 浄土観が何で あっ た かを知るだけでな く, 後の 中 国

土思 想 史 をそ れ に よっ て照

する上で も極 め て重 要 な 作 業で ある

そこ で, も し経 論に説か れ る弥 陀 浄土 の 描写が唯 心浄 土思 想の 源 流にな り えない こ と が確認 さ れれば, その と き初め て, わ れ わ れ は従 来の 研 究が何ゆ え 唯心 浄土思 想 を経論で指 摘 してい なか っ た か を理解 するで あろうし, 唯 心 浄土思 想が中 国独 自 の 思 想であるこ とも自信 をもっ て主 張で き より

 

阿 弥 陀仏

極 楽に言及 す る漢訳経 論につ い て は

すで に藤田宏 達 博士 によっ て

290

部が指 摘され てい る

9

)その 中, 弥陀の 経 説 を除い た弥陀浄土に 限っ た経 論は 約

150

部 ほ ど であ る が, その 中には 後の 中 国 浄土教で全く用い ら れ た痕 跡 ない 経 論

い の で あ L) , こ こ で はその す べ て を取上 げ る必 要は ない であ ろ うp そこ で, こ れ ら多くの 経論の 中で も, 主要な浄 土経

あるい は

国 仏 教で重 視 さ れた代 表 的経論に限 定 して

弥陀浄土 が どの よ う に説かれてい るか を 調べ よ う

    

一 節

 

土 三

に説か れ る

弥 陀

浄土 の

 

日本 浄土教の ように浄土 三部経

あ るい は 三経

論 とい う査 定  はな か っ た が

中 国浄 土教に お い て も主 要 な 浄土 経 論 は浄土 三部経 であっ た

そこ に は

阿 弥陀 仏 と その浄土

そこ に往生する衆 生 とその行業 などが実に詳 細 に説かれてい る

こ こ で は浄土三部 経の構成 [分科]を伝統 的 解 釈か ら借

(9)

柴  田 泰

9

用 し

1

:i , とくに浄土 の主な諸 相 を学ぶ こ とにする

『 無 量 寿経』 康 イ曽鎧訳“ }  序   分 正宗分 鱒 土・ 因

      略説 如 来 浄土の果 広説 仏 身の 光明 仏 身の 寿 命 大 衆の 功 徳 宝樹の荘 厳 : 道

の 霊徳 : 音 楽の 殊妙 :       浄土の 諸 相        倦 上 ) (

48 願

 

31 国

土清 浄 願

32

宝香 合 成 )

彼比丘

……

荘 厳 妙

所 修 仏 国 ,恢 廓 広大,超勝独妙

法 蔵 菩

今 己 成 仏

現 在 西方

去此 十 万 億刹

其 仏 世 界

名日安 楽

其仏 国土

自然七 宝

……

合 成為 地。 恢 廓 昿 蕩

不可 限 極

。……

清 浄 荘厳, 超踰十方

切 世 界。

      

其国

七宝 諸 樹, 周 満 世 界

      

又無 量 寿仏其 道 場 樹

,……一

切 衆 宝, 自然 合 成。

      

第六天上, 万 種楽 音, 不如 無量 寿 国 諸七宝

種音

      

声, 千億倍 也。亦 有 自 然 万種 伎 楽

又其 音 声

無 非 法       音。 堂舎の偉 観堂 精舎 宮 殿 楼 観

七 宝荘 厳

宝池の 奇 徳内 外 左 右

諸 浴 池

……

, 八 功徳 水

湛 然盈 満

……

n

      

黄 金 池 者

底白 銀 沙

…・

     

池 岸 上

栴檀樹

香 気 普 熏。 聖者の果

処宮 殿 衣 服 飲

衆 妙 華 香 荘 厳之具

猶第六 天 自然

     

之物。

     

彼 仏 国土 清 浄 安 穏

妙 快

……

無 量 寿 国

     

諸天人

衣 服 飲 食華 香瓔 珞繕 蓋憧旛, 微 妙 音声, 所

     

居 舎宅宮殿楼 閣

形色

……。

自然 徳 風

……。

衆       宝 蓮 華

…・

衆生往 生の

衆 生往生 の 果

釈尊の 勧 誡 ) 流 通 分

(10)

10

中 国浄 土 教 に おける唯 心 浄土思想の研 究

 

) 『観 無 量 寿 経 』 量良那舎訳   序  分                 正宗 分

定善

十三 観 散 善三観 阿弥陀仏

去此 不 遠。

 

此想 成 已, 見瑠 璃地 内 外 映 徹

下 有

剛 七宝 金 幢

堅 瑠 璃 地ゲ

…・

 

百宝 所 成

一一

宝 珠,

一一

八 万 四 千 色

……

不 可

 具見。

:次宝 樹 観

。……其

諸 宝 樹, 七宝 華 葉

……一

衆 宝

以 為映 飾

一一

池 水, 七宝 所

……一一

宝 色

黄 金 為 渠

……一一

 

水 中

有六 十億七宝 蓮 華e

……

其 光 化 為百宝 色 鳥

和 鳴 哀 雅

衆 宝 国土,

一一

界 上

五 百 億 宝楼 閣

:此蓮 華 台

八万 金剛

甄叔 迦宝

梵 摩 尼宝

妙 真珠 網

以 為 交 飾。 :次 当想 仏

所以者

何。

諸 仏 如 来

是 法 界

。 入

衆 生 心 想 中

 

是 故 汝 等

心 想 仏時, 是 心 即 是三 十二相 八十 随 形 好

是心

仏,

 

是 心 是 仏。 諸 仏正偏知 海, 従心想生

。……

了了 分明

見 極 楽

 

宝 荘 厳, 宝 地 宝 池宝 樹 行 列

諸天 宝 幔弥 覆 其 上

衆宝 羅 網満 虚 空   中

:無 量 寿 仏 身

如百 千 万億 夜 摩天 閻 浮 檀 金 色。 :菩 薩

……身

紫 金 色

。……

頂 上眦楞伽摩 尼 宝

以 為 天 冠。

……

面   如 閻 浮 檀 金 色。 :此 菩

薩 ……

亦 如 観 世 音。

……

此菩

天冠 有五 百 宝華

雑 想観

 

得 益分

流通 分

耆 闍分 『 』 鳩 摩 羅 什 訳   序   分 正宗分 讃 極 楽 浄土 勧 念 仏 往生 略 讃 広 讃

  

従 是 西 方

十 万億 仏土 有世 界

名日極 楽

其土有仏, 号       阿 弥 陀。 報 :極 楽

七重 欄 楯 七 重羅網, 七 重 行 樹, 皆 是四 宝

……。

  

極 楽 国土

有七 宝 池

……,

地底純 以 金 沙 布 地

四 辺階 道, 金

  

銀 瑠 璃 玻 潔合 成

上 有 楼閣, 亦 以 金 銀 瑠 璃玻麟 斬 渠赤珠 碼 碯

   而 厳飾 之

  

彼 仏 国土 常 作天楽

黄金為地

。……。

彼 国 常

種 種奇 妙 雑     色之鳥

出和 雅 音。

……

報 流 通分

(11)

柴   田 泰 11

 

以 上の 土 三部 経の 土に限 っ た主な

相 , さ らに 浄土 三部 経 全 体 を通 読 して, われわ れが知る 弥陀 浄 土は

大地

池 水

樹 木

宮殿楼 閣

台座か ら, 衆

鳥 ・

清 風

音 楽

衣服飲 食に至 るまで

さ ら に は阿 弥陀 仏

観 世 音 菩 薩

至菩 薩

無 数の眷 属の 描 写 まで

すべ て がすべ

五 百億 宝

無量の衆 宝に荘 厳さ れ た絢 爛

華な有 形 的 感 覚 的具体 的な仏 国士で ある曽}

 

その中で も, わ れ わ れ が弥 陀 浄土で直 ちに思い つ く

名な

節は

 

。法 蔵 菩 薩

 

ますで に成 仏

西 方ま し ま

こ こ去 る と 十 万 億刹 な り。 その仏

  

の世 界 を

づ けて

安 楽 とい う

『無量寿経』 巻上

 

れ よ り 西

十 万 過 ぎ て , 世界 あ り

名づ けて極 楽 とい う (『阿 弥 陀経

の経文である 『1

っ て 浄土 三部 経に説か れ る弥 陀 浄土 諸 相

例 外 を 除 て, す べ 西 方有 形 的 感 覚 的 具

で も 上 記の経 文が西 方 有形的浄 土の代 表 的 典 拠で あ る。

 

な お, こ こ で “ 有 形 的 感 覚 的 具 体 的な 浄 土” とい 現 代 表 現る が

中国

浄土教 を扱 う本 稿で は, 中

諸 師が 用 い る 「西

相 浄土」 の用語に統

し, 現 代 文で は “ 有 形” を 用い よ う

 

と こ ろ で後の 伝 統的 解 釈で は

浄土三部経 につ い て細か な

まで精 緻 に考 究さ れ

西方

相 浄土 と矛 盾 する極 く

, 二 の例 外 まで論 議さ れ た

次に

その

二の 例 外につ い て考 証 し よ う

 

っ は, 『 量 寿 経』 巻 上に説か れ る弥 陀 浄土の西方 有形 的 な荘 厳の極 く細 部に,

 

。 (浄

,恢

広 大

, (

他の い か な る もの に も) 超え 勝れ 独 妙な り

 

。 その仏土 は

……

恢 廓 昿 蕩 , 限極 すべ か らず

。…… (

か か る) 清 浄 なる荘厳 は 十方     の

切 の世 界に超 踰 す

と 説 く

節である

2

弥陀浄土は “ 恢 廓

広 大 (お お き く広やか)” とか

“ 恢

昿 蕩

不 可 限極 (お お き く広や かで, 限 りが ない ) ” , し か も “ 十方の

切の世界 を 超踰 す (超 えてす ぐれてい る

” の で ある か ら, そ れ は西 方 有 相 浄土 を否 定 する 表現でない か とい う論議である

 

句 も疎か に し ない 伝 統 的 解 釈 をわ れ わ れ も充 分 留 意し な け れ ばな ら な , この

来 西 方 有 相 浄土 を否 定 する 内容であっ た か ど

かを , ひ とまず 梵 本に当っ て知るこ と にしよう

梵 本で は,

 

。 かれ は , この よ う な 仏 国土 の 清 浄 と仏 国土の威 勢 と仏

土の広 大さ とを達 成 し て ,

……

9

 

か の世 尊ア ミ タ

る 世 界 は , 富 裕で あり

繁 栄 して お り

平 穏であり

豊饒

  

であ り, 好 ま しく,

……

2

°1 と説 くにすぎ ない か ら

殊 更

西方

相 浄 土を 否 定 し

無 方無相の絶 対 的 浄土 (た と え ば法 身土)を 表 わ してい る わ けではない

従っ て

「恢

広 大

超 勝妙 」 「恢 廓 昿 蕩

不可 限極,

……

超 踰 十 方

切 世 」 とい う難 解な漢訳語は 中 国 的 変 容であっ て

lm

明確に無 方無相 浄土 を 意味 し て 用 ら れ と考え な くてよい であろ う

 

量 寿 』 で

少 気 に か か る経 文はこ の 個所だけであり

1

切 ま た 『阿弥 陀 経 には 西方

相 浄 土 と 矛 盾する経 文は認め ら れ ない か ら , イン ド浄土教の 原

的 形 態 をと ど め る主 要な 浄土経 典 『無量寿 経』 『阿 弥陀 経』の 弥 陀浄土の諸 相は

細 か な部分 を穿 鑿 し て も, すべ て が 西方 有相 浄 土だけと結 論 し て よい 。 言 葉を代え て 言えば

弥 陀 浄土 の 源 流は 西方 有相 浄土 で あっ て, 無 方 無相 浄 土

(12)

12

中 国浄 土教に お け る 唯心 浄上 思 想の研究

 

e

) の 表 現や考 え 方は な かっ た とい うこ とに な る

 

こ の こ と は

後 の 弥 陀 浄土観の 展 開 を考え る上で極め て重要であ る

す なわち

中 国浄 土

に お い 弥 陀 浄土観が 論 じ られ る場 合に も

無 量 寿 経m阿 弥 陀 』 を 絶対の経 証 とする見 解は西 方 有 相 浄土を支

する指 方 立 相 論 (浄土 は西 方 を 指し 匚指方

相 を有して い る [立 相

とい う見解 )でな け れ ば な ら ない こ と を 示唆 する。 従っ て,

善 導

に よっ て 大 成さ れ, その 影

を 強 く受 けた 日本 浄土教 の指 方立 相論は 『無 量 寿 経 』 『阿弥陀経』に源 流 を もつ イン ド浄土教か らの 正統な見

を継 承 し 発展 させ た もの とい こ とである

指 方立相 論は単に善 導か ら

ま り

日本 浄土教に至る とい う流れに 限 られ たもので はな く

広 くイン ド

・中国 ・

日本 を貫ぬ い た 正統 な 弥 陀 浄土 観 であっ た とい う点で, 浄土思 想 史の 上 で極め て重 要なの で あ る

1

 

とこ ろ で, 浄土教の源 流に 当 る 『無 量 寿 経 』 『阿弥 陀経』 の 弥 陀 浄土の諸 相がこ とごとく西 方

相 浄 土であるこ と は

本 稿の主題 である唯 心 浄土思 想に とっ て は極めて都 合の 悪 い こ と になる。 唯心 浄土思 想は, “ 浄土は ただ 心 であ り

あるい は 心の 現 わ れ にす ぎ ない” と 説 くか ら

西 方の具 体的有 形の 浄土 であっ てはい け ない の である。 唯 心浄土思 想は心が主体であ る以 上

方位 も なけ れ ば, 具 体 的形 を持つ こ と は許さ れ ない 。

 

そ れ で は, 唯 心 浄土思 想は 主要な 浄 土 経典の 中に は な い の で あろ うか

 

ら く性 急 な 断 定は避けて, こ こで は

イン ド浄土教の 源 流

原 始 形 態 を 示 す無 量寿 』 『阿弥 陀 経』 はすべ て西 方

相浄土を 説 き

従っ て

指方立相 論の 源 流であ

D

, 唯心 浄 土 的思 想は全 く認 め ら れない

それ ゆ え 唯 心浄土思 想の源 流には な 「」えない

とい う『無 量寿経』 「阿 弥 陀 経』に限っ た結 論に とど め よ う。

 

唯 心 浄土思想の 源流

典 拠 を探 ぐる わ れ わ れ は

も重 要 な 『無 量 寿 』 『阿弥 陀 経』 を調べ て, 源 流に な り え ない こ とに到 達 した

 

従 来の 伝統 的 解 釈か ら知 ら れ る浄土 三部 経に説かれ る西 方

相 浄土 と矛 盾 する 経 文の 二 つ は

無 量 寿経』 に 認 め ら れ る次の 二個 所で

中 国浄 土教で は実に大 き な 問題 と なっ た

その経 文は,

  。

阿 弥 陀 仏

こ こ を去 るこ と遠か ら ず。

 

。 もろもろの仏

如 来は

これ

法 界

に して

切衆生の 心想に入 り た も う

この ゆえに

  

ら よ

心 に仏 を 想 う時, この 心 は, す なわ ち, これ,

の 三十二相

八 十 随 形な れ

  

の 心

仏 を作 り

この心

こ れ仏 なり。 諸 仏の正遍 知 海は

心 想 よ り生ず。 であ る即 すで に考 証し た 『無 量 寿 経 』 「恢 廓 広 大」 「

1

爽廓 昿 蕩」 は絢 爛た る 浄 土荘 厳の極 く細か な

句で

経 典 全 体 を左 右する 大 きな比 重 と内 容 を持つ の で は ない し か し

こ こ で の経 文 は 西方 有 相浄 土 と 真向か ら対立する大き な 比重 と思 想 を持つ もの であ る

しか も 「 観 無 量 寿 経』は梵 蔵 本

漢訳異 本 もな く, 従 っ て

その 撰 述

構 成な ども 問 題が 残る

5哽 に加 えて

中 国浄 土 教の 立場で は

と く に隋 唐 代の仏 教 全盛期に圧倒 的 支 持 を集め た経典で あ る巳5〕こ うした 『観無 量 寿 経』 その も の に関 する諸 問題 は暫 ら く措い て

こ こ で は, まず 当 該経文の正 しい 意味 と本 稿の テ

, 唯 心 浄 土思 想 との 関 係に 限っ て考え るこ とに し よう

 

“ こ こ を去 るこ と遠か らず”

去 此不遠

の 経説が論 議され る の は, 『寿 経 』 『阿 弥 陀経』の

弥 陀浄土 が こ れより西 方

十 万 億の 仏土 を過 ぎた世 界” と説 か れ るこ とと の関 係で, 弥陀浄土 は遠い

参照

関連したドキュメント

[r]

雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University.

大学教員養成プログラム(PFFP)に関する動向として、名古屋大学では、高等教育研究センターの

〔付記〕

主任審査委員 早稲田大学文学学術院 教授 博士(文学)早稲田大学  中島 国彦 審査委員   早稲田大学文学学術院 教授 

大学で理科教育を研究していたが「現場で子ども

Short-term topographic changes of the Nakatajima dune, which is located on an eroded beach on the Enshu-Nada coast, have been investigated with continuous field surveys over two

哲学史の「お勉強」から哲学研究へ 平成 28 年 2 月 21 日 柴田正良 金沢大学副学長(教育担当理事)