ヱ
中 国
浄 土 教
に
お け
る
唯
心
浄
土 思
想
の
研 究
←)
柴
田
泰
は じ めに 第一
章従 来の 見
解
と問 題の所 在………・
………・
3
第二 章経 論に 説 か れ る弥 陀 浄土思 想と唯 心 浄土 思想
…・
・
…・
8
第
一
一
一
・
節浄土 三部経に説か れる弥 陀 浄土の 諸 相
・
……
8
第二節
主 要 な 経 論に説かれる弥 陀 浄土 の 諸 相
・
・
…
・
15
第三節
唯 心 浄土 思想の
典
拠…・
…………・
…・
………
21
要 結
・
・
………・
………・
・
・
・
………・
…・
…
25
第三章唯 心浄土思 想 成立以 前の
先
行 思 想・
…・
26
第
一
節
〈唯心 浄土〉 の先 行 思 想
…・
………・
……・
…・
・
…
・
・
27
第二節
〈本 性 弥 陀〉の 先 行 思 想
………・
…・
………
・
…
・
…
・
34
要 結
……
42
第四章唯心 浄土思想の成立
一
永明 延寿の 浄土思 想一
・
・
44
第
一
節従 来の 見 解と問題の所 在
……・
・
…………・
……・
・
………
・
44
第二節
永明 延 寿の唯 心 浄土思想
・
……
・
・
48
第三節
永明 延寿の 弥 陀 浄土思 想
・
62
第四節
中 国 浄土思想史に おけ る永明延 寿
・
89
要 結
…・
………・
…・
…………・
…・
・
……・
…………・
一
一
一
.
.
95
第五章唯 心 浄土思 想の確立
……・
・
…………・
…………・
……
・
・
…
以 下次号 第六
章
唯 心浄土思 想の 継承 結 論 本 稿は,
「中 国 浄土教に お ける 唯 心 浄土説」 『宗 教研究』 第259
号 (昭 和59
年3
月 ) 「 永明 延 寿の唯 心 浄土 説」 『印仏研』 第32
巻 第2
号 (昭 和59
年3
月〉 「中 国 浄 土教と心の問 題」 『仏 教 思 想9
心』 (昭 和
59
年 10月) 「『 楽 邦 文 類』 の浄土 思想 史的 意 義」 『印 仏研』 第37
巻 第1
号 (昭和 63年 12 月 ) 「描 立 相 論と虧 浄 備 の勲 」 『露
驪 轟
イ・ ド酵 と瞰 、 (平 成 元 年11
月 ) を補 訂 加 筆 し, 以 っ て中 国 浄土教にお け る 唯 心浄土思 想の 総 合 的 成果 を 意 図 する。
2
中 国浄 土 教に おけ る唯 心 浄土思 想の 研 究(
一
・
)は じ め
に 浄土 と は何かp 西 方に あ るの か,
心にあるの か。
この 問題は
,
今 日 で も一
般に論 議 され る。従
来の 浄土宗学・
真 宗 学の 立 場で は,
“ 極楽 浄土は西 方 に報土 として存在する”とい う立場であ り, その他の 宗 派では, “ 浄土 は心の 表わ れ, あるい は 自己 の 心であ る” とする立 場が 多い。
ま た, 宗 学に係わ り な く論 ずる 人 々 で は後者
を 支持 する方が多
い。
い ずれにせ よ, 浄土 につ い ての 見 解は極め て今 日 的 課 題 である。
中 国 仏 教に お い て も
,
浄土 に つ い ては様々 な見
解が考 え られ てい た。
と り わけ,
独立 し た宗
派(
学 派)
に な らなか っ た 中国
浄土教で は,
浄土思 想家
に限 らず, 多
くの 諸 宗の思 想 家 を含 め て様々 に解 釈さ れた。
その 中で も,代
表 的 見解が指 方立相 論 と唯 心 浄 土思 想 ωで ある。
“ 極 楽 浄土 は西 方 を指 し,
報土 とい う相 を立 て て存 在 する” (「今 此 観 門等,
唯 指 方 立 相,
住心 而取 境」 『観 経正 宗分定 善 義』 巻三) とい う指 方立相 論は,
初 唐 代の善導
(613
− 681
)が主 張 し, 彼の思 想 を継 承し 発 展 した 日本浄 土教[
浄 土宗・
真 宗]
の 主 要 な 思 想であ る。一
方,
“ 浄 土 は ただ心の み で あ り, 十方に周 遍 する ” (唯 心浄 土,
周遍 十 方」 『万善同帰集』 巻 上 ) とい う唯心 浄 土思 想は,
一
般に く唯心の 浄土,
己心の弥陀〉と連 句さ れ, その 最 初の提唱者
永明延 寿 (904− 975
> 以降
の 中 国 浄土教の 主 流の 思 想であ る。
こ の よ うに 日本
・
中 国と袂 を分っ た代 表 的 浄土観につ い て, 指 方立相論は善 導 並び に善 導に関 係 する諸師 (た とえば,
曇鸞・
道 綽・
迦 才・
懐感 など)
の 浄土観 など,
多くの 論考がな されて い る。
そ れ に較べ て,
唯 心 浄土思想 につ い て は,
後に も触れ るが望 月 信 享・
服 部 英淳・
藤 吉 慈 海 博士 など,
王 に永 明延 寿の思想 を中
心に論 述さ れ るこ とがあっ ても,
その 起源か ら成立 に至 る ま で,
更に宋 代以降
の 主 な 見 解に つ い て論及 した総 合的 成 果は未だ認 め ら れない よ うであ る。
そ れ に は理 由が あっ て,一
つ はすで に述べ た 日本 浄土教, と くに浄土宗・
真宗
へ の影 響が 少ない こ と に よ るが,
も う一
つ の 大 きな 理 由 は, 中 国の 主 流の宗
派, 天台・
華 厳・
禅宗
な ど で は唯 心浄土 思 想は 当 然の 立場であり,
何 ら問題 に なら ない こ とに も よ る。 従 っ て, これ ま での研 究では, 浄土教の立場か ら は善 導の 指 方 立 相 論に対して,
そ れ と は異 なる 唯 心 浄 土思 想 を 如 何に会通し,
あるい は批 判 するか で論 議さ れ る 程度であり, その 他の 立場か ら は大 きな課 題に は 成 り え な か っ た の であ る。
しか し な が ら, 善 導の 指 方立 相 論 に 日本浄 土教が如 何に多 大な恩 恵 を受 け た とし て も, 中 国 浄土 教十数世 紀の展 開におい て
,
唯 心 浄土思 想が主流 であっ た こ と は,
少 し諸 資 料に 当れ ば誰 れ し も首 肯く史 実で あ る。 本 稿で は,
中 国浄 土教に お け る主 要な 唯 心 浄 土思 想につ い て,
その 淵源 か ら成立 へ と辿V
,
その 主 な 見解 を探求 す ることを 意 図 し たい。
そ れによっ て,中
国 浄土教の 特 徴が明 ら か に な る であろうし,善導
の 指 方立相 論の 独創 性 も よ り客観 的に評 価さ れ るであろう。
〔1) 唯 心浄土思 想とい う用 語は,
従来 唯心 浄 土 説・
唯 心 浄土論・
唯 心 浄 土 観 な どと定っ て い ない。
本 稿で は,
今日 よ く使われ る 「 思 想」 の語 を 用い るが,
厳密な規 定でない。
柴 田 泰
3
第
一
章
従
来
の見 解
と問 題
の所 在
唯 心 浄土 思想に限 らず
,
指 方立相論 を含め た中 国 浄土教に おけ る浄土観 は これ まで どの ように考 え られてい た の で あ ろうか。
わ れ わ れ は,中
国 浄土思 想史
の 上で唯 心 浄土思 想の重要 性 を正 し く確
認す るた め に,
まず中国
浄 土教に お け る代 表 的 浄土観を先
学の総 合 的 成 果か ら学び,
そこに認め ら れ る問 題 点を探
ろう
。 次い で,
わ れ わ れ は 唯心 浄土思 想に関
する主 な 研 究 成 果 を検討 し,
従 来の 見 解の難 点と具 体 的な問 題の所 在 を見出す
こ とに し よ う。
そ れ に よっ て,
中 国 浄土思 想 史に おけ る唯 心浄土思 想 研 究の 意義
が客 観 的に位置づ け ら れ るし,
本 稿の 方 法 論・
なすべ き分 野が 定 まる であろ う。まず
,
中 国 浄土教に お け る代 表 的 浄土観を鳥
瞰 しよ う、
中 国 浄土教の研究は, 今 日の 浄土宗
・
真 宗の盛 行と相 俟っ て,
と り わ け善 導とそれに 関 係 する研 究 成 果は数 多 く認め ら れ る。 し かし, 中 国 浄土教 全 体を 網羅 した総 合 的 成果 となる と,
今 日 でも望 月信亨
『 中 国 浄土教 理 史』 を除い て 殆 ん ど認め ら れ ない 屮そ こ で, 本書
の 中か ら代 表 的 浄土観を 辿 る と概ね 次の よ うに なる であろう。中 国にお ける最 初 期の 浄土観 は羅 什とその 門 弟 (道 生
・
僧 叡 な ど)に よっ て言及 さ れ た が,
その 嚆 矢は浄 影 寺慧
遠 (523− 592
)の 三 種浄土匚
事 浄土・
相 浄土・
真 浄土]
であ り,
その後,
天 台の 智頻 (538−
597
),
三論の 吉蔵 (549− 623
),
華 厳の 智儼 (602
− 668
),
法 相の窺 基 (632−
682
)な どに よっ て, 三 種・
四 種 の浄土観が主張 さ れ た。
中で も善 導 以 前の 諸師の 弥 陀 浄土観は,
細か な 相違はあるが, い ずれ も応土 (あるいは凡 聖 同 居土) と低い 評 価であるの に対 して, 曇 鸞 (476− 542
)…
道 綽 (562− 645
)一
善 導 (613− 681
) と相 承 し大 成 し た 弥 陀 浄 土観は指 方立相の 報土説である。
と くに浄 影 寺 慧 遠 を徹 底 的に批 判 し、
その他
の諸 点を 含 め て, “ 古 今 を指 定” した善導
の 凡 入報土説は極め て 独創
的な見 解 と さ れてい る。
その 他
,
浄土 につ い ての見 解は,
摂 論 系の 道基・
法 常,
律 系の 道 宣・道
世,
法 相系の 玄 奘・
恵 景・
神泰 ・
遁 倫, さら に は, 円 測・
元暁・
懐 感・
憬興, 華 厳 系で は法 蔵・
李 通 玄・
澄 観.
・
宗密
な ど多 く の 思 想家
に よっ て考 究さ れ たが, その多くは一
般的 浄土観であっ て,
その中で僅か に弥 陀 浄 土に 言 及 してい るにす ぎない。
や が て, 唐 末五代の 永明延 寿 (
904−
975
)に よっ て 唯 心 浄土 思 想が提唱 され る と,
宋代に 入っ て知 礼 (960− 1028
)・
遵 式 (964− 1032
> をは じ め と し て,
道環・
智 円1
宗 印 ・義
懐・
宗 本・
守 納・宗
臣責・
楊 傑・
王 古・
江公 望・
王 日休・
子 元・
道 因・
宗 暁な ど が 主張 した。
その中
でも宗 暁の 『楽邦 文類』 に は十 数 部の 資 料に唯 心 浄土思 想が論述 さ れてい る。
さ らに は元代の 維 則・懐
則, 明代で は 大 佑・
妙 叶・
李 贄・
伝 燈・
徳
清・
元賢・
円 澄・
厳敏郷・
袁 宏 道・
株 宏 (1535− 1615
)と その 門 弟・
智 旭,
そ して清 代以降 も続々 と く唯 心 浄土・
本性 弥 陀〉 の 主張が 継承される。
こ の僅 か な紹 介だ けで も, とくに宋 代以降, 唯 心浄土思 想が 中 国浄 土教の主 流の 流 れであっ たこ とは容 易に納 得され よう
。
しか も, これ ら 諸 師の具 体 的 思 想 内 容は従 来 殆ん ど考 究 されてい ない よ うに思わ れ る。
とこ ろ で, 上記の 見解は中 国 浄土教の総 合 的 成果 か らの抄 出で ある か ら, 当 然の こ となが ら, 浄
4
中 国浄土教に お け る 唯 心浄土思 想の研 究
(
一
) 土観に限定
し た研 究では ない 。 従っ て,
われ わ れ は こ れ らの一
々 の 資料 に 当っ て検 討 し, 本 稿の考 察 を進め てい かねばならない。
そ れでは,
この 巨視 的 な 見 解か ら,
どの よ うな 課 題・
問 題 の 所 在が 提示 さ れ てい るで あろ うか。
まず 第
一
は,
浄土思 想 あるい は浄土教 と 言っ て も, 厳 密に は浄土全 般に わた る思 想,
あ る い は諸 仏 浄土思 想と弥陀浄土思 想 を峻 別 し なけれ ばな らない 点が ある。
その 代 表 的 事 例の 二,
三 を挙 げる と, 第一
例 は諸 経 典に説か れ る諸
仏 浄土 であ る。 『法 華 経 』の 霊 山浄土や 『観普
賢菩薩
経』 の 常 寂 光 土, 『華厳 経 』 の 蓮 華 蔵世 界 や南 方 補 陀 落山 観音 浄土,
『大 乗密
厳 経』の 密 厳 浄土 , 『阿閑 仏 国 経 』 阿 闕仏 の 妙 喜 世 界,
『薬 師 本 願 経』 薬師如 来の 浄 瑠 璃世 界 な どなど,
最終的に は 六方・
十 方・
無 数の 浄 土 が説か れて い る。 これ ら は諸 仏 浄土 の 諸 例である。
第二例は,
これ を中
国 仏 教 に当ては め る と,
すで に少 し知 っ た唐 代 まで の善 導系 以外の 諸 師が考 えた一
般 的 浄土 観 と その 中で弥 陀浄 土 を低 く評 価 した諸 例で 明 らか であろ う。 第三例は,
中 国浄 土教
史の上で, 初期浄 土教の 単 純 莫 然た る浄土信 仰が,
や が て弥 勒・
弥 陀 信 仰が盛ん とな り,
隋 よ り唐 代にわ たっ て両 浄土教の 対立・
論難が行わ れ, や が て 阿弥陀浄土教の 著しい 勃 興 流 布 と なっ た こ と をわ れ わ れ は学ん で い る醫 〕 そ れを 継 承 し て宋 代に 入 る と,
一
般 的浄土の 分 類は少 な く,
弥 陀 浄土教の見
解が 多 くな る。
こ れ らの諸 例は, 浄土 と 言っ て も, 諸 仏浄 土 と弥 陀 浄土 は異なる こ とを教え て い る。
ところ が,
唯 心 浄土思 想の最
初の提唱 者と さ れ る 永 明延 寿 などの 思 想 を注 意 して調べ る と ,従 来の見 解では その辺 りが極め て曖 昧で ある。 浄土 と言 え ば弥 陀 浄土・
極 楽 と考 えて そ う誤り で ない 日本 浄土 教や 〈唯 心の 浄土・
己心の 弥 陀 〉 と 連 句さ れ る場 合に は問題 ない が,
永明 延寿の 著 作の 中には, 「己 心 弥 陀 」の 用語はない。
わ れ わ れ は まず浄 土 に関 する諸師の 見 解 を 諸 仏 (あるい は他 仏)浄 土 を意 味 してい るの か, 弥 陀 浄土 を指 して い るの か を絶 え ず 注 意しな けれ ば な ら ない。
そ して唯 心浄土思 想は最終的に は 〈唯 心浄 土・
本 性 弥 陀〉 を標 榜 するのである から,
本 稿で は あ くまでも弥 陀浄:ヒC3〕を意
味する唯 心 浄土 思 想 を主 眼 とし,
諸 仏 浄土の唯心 浄土 思 想は そ れ 以’
前の 先 行 思 想と 規定し よう,
第二 に, 唯 心 浄土思 想が主 流に な るのは宋 代 以 降であるこ と を知 っ た が, 従 来, 〈唯心 の 浄土
・
己 心の 弥陀〉 と連 句さ れ る く己心の 弥陀〉 とい う用 語が 中国
の 諸 資 料に は 全 く 認め られ ない 点がある。
中
国で連 句 され る 用 例はい ずれ も く唯 心の 浄土L
本 性の 弥 陀 (あ るい は 自性の 弥 陀 )〉 で あ る。 <己 心の弥 陀〉 とい う用語は ど うも 源信 (942−
1017)か ら始 まる 日本 浄土教の用 語 ら しい の であ る留
そ して こ の 点 は わ れわれに次の こ とを予 想さ せ る。
唯心 浄土思 想は当 然の こと なが ら弥 陀 も唯 心 であ るが,
その 先 行 資 料 を探る と き,
唯 心 浄土 と本 性 弥 陀と は その 淵源・
変遷に は二系 統があっ た の で はない か とい う点であ る。
こ の こ と は, 従 来の伝 統 的 解釈 「依 正二報 」 の 理解が わ れわ れ を強 力に 支持 して く れ る。
周知の ように, 浄土教 学で は弥 陀 を正報, 浄土 を 依 報 と説 く が15
〕 こ の 場合,
主[
正]
た る 立 場 は弥 陀であっ て, 浄土 は従匚
依]
に す ぎな い。
これ を唯心 浄 土 思 想 に適 用 すれ ば, 本 性弥 陀 (あるい は 自性弥陀)の立場が主流であっ て,
唯心 浄土は従的系 統とい うこ とにな る。
また, こ の 点 は今日の一
般 的 常識, あ るい は仏 教 全 体の 立場か らも納 得 で きる もの であ る。
わ れ わ れ が 「唯 心」 を考える場 合,
まず 思 うこ とは わ れ わ れの心が仏に な るか な らぬか,
す な わ ち,
衆生の心がそ の ま ま 仏 に な りえるの か, な り えない のか が 問題であっ て, そ の 次 の段 階では じめ て浄 土 が 問題に な る はずである曽
)事
実,
仏 教 全体 での 大 きな課 題の一
つ は「心 」を 中心 と した衆生 と 仏の 関 係であっ柴 田 泰
5
た こ と は華 厳の 「唯 心 偈」,
唯 識の 「阿 頼 耶 識」,
天 台の 「一
心 三観」・
禅
の 「即 心即 仏」 などなど,
枚挙にい とまがない。
心 を 浄 土 との 関 係で考 察 する思想 は そ れに較べ ては る か に 少 ない の で ある。 本 稿で は,
その考 察 を本性弥陀の 系譜と唯 心 浄土の二 つ の 系譜に分 けて探ることに し よう。
従っ て , こ の 二つ の指 摘か ら
,
本 稿の 問題の所 在は, 1 .
唯 心の 諸 仏,2
.
唯 心の諸 仏 浄土 ,3
.
唯 心の 弥陀,4
.
唯 心の弥 陀 浄土,
の四つ の 分 野を考 えるこ とを示 唆 してい る。事
実,
唯 心 浄土思 想の淵 源は最 初か ら 唯 心の 弥陀浄土にあっ た ので は な く, 唯 心の諸 仏・
唯 心の 諸 仏浄 土にあ り,
そ れ が後に唯 心の 弥 陀・
唯 心の 弥陀 浄 土に転用 さ れ成立 し発 展 する。 その こ と は後に立 証 し よう。以 上, 中 国 浄土教につ い ての 総 合 的 成 果か ら
,
代 表 的 浄土観 と問題 の 所 在 を知っ た。
次に, そ れで は唯 心浄土思 想に限
定
した従 来の研 究 成 果は どうで あ ろうか .は じ め に述べ た ように , 唯 心 浄土思 想の研究につ い て は永明延 寿の 思 想を主と して個々 の成 果は 認め ら れ る が, その 総 合 的 成 果は殆ん ど認め らない よ
う
で あ るc そ う した 中で, 比 較的多
くの資 料 を提 示 してい るの が実は 論 文で は な く,
服 部 英淳
博士 が 草稿され,
望 月信亨
博士 が閲 読さ れた 『望 月 仏教 大 辞 典』 (昭和 8年 初 版 )の 「唯 心浄土 」 と 「己 心弥 陀」 の 項 目と思わ れ る9
}まず 「唯 心 浄土」 の 項 目で は,
浄土は 唯 心の 所 変 又は衆 生 心 内の もの と なす を云ふ。 蓋 し唯 心 浄土 を 説 くに
多
義あ り。
と初め に説明 し, 『釈 浄 土 群 疑 論』 第一 ・
六 (懐 感 ), 『 往生浄土決 疑 行 願二 門』 (遵 式 ),
『観 無 量 寿 仏 経 疏 妙 宗 鈔』 第一
(知 礼〉, 『観無量 寿 仏 経 義 疏』巻 上 (元照 ), 『六 祖 大 師 法 宝 壇 経』, 「万善
同 帰 集』 第二 (延 寿),
「 唯 心 浄土文」 (守 訥,
礫
邦 文 類』 第四所載 )の 例文 を挙 吠 更に参 考 資 料と して 「楽 邦 文 類 第五, 廬山 蓮宗 宝鑑第一
,
三,
浄土或門, 観 心往生論, 観 心念 仏, 即 心 念 仏 談 義 本,
禅 祖 念仏 集 等に 出づ」 と結んでい る。次に 「己心 弥陀」 の 項 目では,
自 己 心 内の弥 陀の 意
。
又 唯 心弥 陀, 或は自性 弥陀 と も称 す。
即 ち即 心 即 仏に して,
弥 陀は衆 生心内の もの なり と説 くを云ふ
。
と説明 し, 『観 無 量 寿 経』,
『観 無 量 寿仏 経疏 妙 宗 鈔』第一
, 『六 祖 大 師 法 宝 壇 経』,
『大 原 談義
聞 書 鈔』 の 例 文 を挙 げ, 「宗鏡 録第二 十 九, 観 無量寿 仏 経 疏 妙 宗 鈔 第四,
観 無量 寿 仏 経 融心 解,
浄土境 観要 門, 楞伽 経文 句 第五,
廬山 蓮宗宝 鑑 第十, 浄土或問, 発 起宿 善 鈔, 観 心 往 生 論, 金剛 宝戒 秘 決 章,
大 原 談義
聞 書 鈔 見 聞,
大 原 談 義募 述 鈔 巻 下, 台宗二 百 題 第十一
等に出づ 」 と結ん でい る。
とりわけ, 「唯 心 浄土」 の解 説は
400
字
詰 原稿 用 紙 約八枚に相 当し,
唯識・
天 台・
禅 系の代
表 的 見 解 を要 を得て説明 し,中国 ・
日本の参 考 資 料十数 部が挙 げ られ てい る か ら, 今 日,
わ れ わ れ が 唯・
L
、
浄 土思 想 を考 究 する場 合でも好個 の典 拠になる。
この解
説は,
後に服部 博士が 「永明延 寿の浄土 思 想」 等で再 説 補 促 さ れた ように18
〕 今 日 で も学 的 価 値を持つ もの である。
しか し, 何分 にも辞 典 とい う性 格 上,
その 出典の一
々 を 調べ る と, 以 下の 点に更に検 討の 余地 が あ るよ うに 思わ れ る。
第
一
に, 「唯心 浄土 」 「己 心 弥 陀」 の 用 語が認め ら れ ない 出 典が非 常に 多い。
こ の こ とは唯 心 浄土 思 想をはっ き り と 主張 した資 料 と 唯 心 浄 土的な思 想,
あるい は その ルー
ツ に当 る先 行 資料 と の区 別 を瞹 昧に してい る。
第二 に,一
々 の 出典の 内容に 当っ て み る と,
唯心 浄 土 と 唯 心弥 陀の 説明が混 在 してい る。
この ことは前にも述べ た が , 唯 心浄土思 想 を探 求 する場 合に 唯 心 浄土 の 資 料だけで な く,
6
中国 浄土教に お け る唯心浄土 思 想の研 究O
唯心弥陀の 系 譜 も探 らねば な らない こ とを教 えて い る。
第三 に, 各 出典,
各 宗 派の解 説は全 く説明 通 り である が,
相 互の 影 響 関係
や関 連 性が説明 さ れて い ない。
第 四に,
最 も古い 典 拠 と して,
『釈 浄 土群 疑 論』 か ら始まっ てい るが,
若 し, 唯心 浄土 的思 想が 認め ら れ るな ら, わ れ われはやは り経典
か ら探るべ き と思わ れ る。
第五に,
後に指 摘 する が,
唯 心 浄土思 想に最 も重要な華
厳系の 出典
が含 め ら れ てい ない。
唯 心 浄土思 想の最 初の 提唱者が若 し永明延寿であ る な ら ば, 彼に最 も係わ りの 深 い 華 厳 系の 見解
を無 視で きない であ ろう。
『望 月仏
教
大辞 典 』の解 説には 上記
の 課題が認め ら れる が, し か し,
こ の解 説の評 価は 現在でもい さ さ か も損 なわれてい ない。
辞 典 とい う制 約 上, そこまで論及する必 要の ない 課 題 もあり,
すで に50
年 以 上 を過 ぎた今日 で も, その後の関 係 論 文 をみて もこ れだけ 要 を得て資 料 を提 示 し,巾
広 く 唯 心 浄土思 想に論及 し た成 果は見 当 ら ない 。次 に, 唯心 浄土 思 想 を 多少 と も 総合 的に扱っ た論 文 と しては
,
柏原 祐
義
「唯心 浄土説の 考察
」 『宗 学 研 究』 第20 ・
21
合併等, 昭和15
年。
( 『真宗大 系 』 思 想 篇 第1
巻,
法 蔵館, 昭 和 63年 収録)。
が ある。 その 要旨
を上 げると,
「沈 自性 唯 心
,
貶 浄土真証 」(
親鸞 「信 巻」 別 序 )の 人々 と して, 浄 影・
天台・
嘉 祥・
慧能 ・
懐感
・
守 納・
知 礼・
道 環・
延 寿 を挙 げ,
沽 来の正 当 浄 土願 生 者の,
右に挙 ぐる唯心浄土説に対して, 如 何なる批 判 を下せ るか を
一
暼し て み よう” と問 題 提 起 し,
唯 心 浄土説 と他土往 生 説の難易の見 解 (延 寿
・
王 日休・
智 円・
慧 能・
易 行 院 な ど) を批 判 し,
二諦配 当 説 (道 探・
遵 式・
智 旭・
香月院
・
明教院・
守 納 ) を考 察 する。 さ らに, 唯 心思 想の典 拠 として,
『六十 華 厳 経 』 〈唯 心 偈〉 『維摩 経』 〈心 性説〉 (智礼
・
遵 式 を 引 用 )と法 相 唯 識 ( 『唯識二 十 論』 『 成 唯 識 論』 『起 信 論?1 『摂大 乗 論 釈 』)を挙げ, “ こ の 教 旨によりて
,
弥陀仏の 浄土建 設 を領 会せ られ た る もの に,
我が曇 鸞 大 師の 『浄土論註』 二巻が ある ” と し て, 曇 鸞の 浄土観 を考 察 し高く評 価する
。
そして “ か くて謂 ゆ る 唯心 浄土 説の 偏見 な る こ とを 知 り得るの である が
,
更に ま た後 世こ の謬 想に沈 迷す る もの が輩 出 し たの である。 ” と結ぶ。
こ の論文には, 代 表 的 思 想が考 証さ れ てい るこ と の外に,
唯 心浄土 思 想 主 張 の 理 由 が二点 (難易 判 釈 二諦 配 当 説)指 摘さ れてい るこ と, 二 , 三の典 拠が 経 論 に求め ら れてい る こ と な ど, わ れ わ れが参 考 とすべ き点 は多
い 。 しか しなが ら,
先の 『望 月 仏教 大 辞 典』 の解 説で認め ら れた課 題が な お残さ れてい るこ と,
教 学 的立場 (曇鸞の 浄 土 観 )で唯 心浄土思 想 を「偏 見 」 「謬 想」 とすることは 問題であろう。 中 国 諸 師もや は り命 を賭 けて 自 らの 思 想 を形 成 した の で あり, 史 実は唯 心 浄土 思 想 が 主 流 と なっ た か らである。 わ れ わ れ は,
まず 諸師の 思 想が 何で あっ た か を 客観 的に知 ら ね ば な ら ない。
こ こ では, わ れ わ れ が先 学の成 果に学んで, どこ まで唯 心 浄 土思 想につ い て知 ら れ てい るか,
そ して今 日, 何 を新た に解明 し な け れ ば ならな い かを明 らかにするた め に取上 げた。
以 上の従 来の見解 によっ て
,
われ わ れ は 唯 心浄土思 想 研 究の 方 法 論 と問題 の 所 在と し て、
次の こ と を 確 認 したe第
一
に,
唯 心 浄 土思 想の 有 力な 引 証 と なっ た経論が何であっ た か を先 ず 探 ら ね ばな ら ない 。 こ の こ と はイン ド浄土教 を考え る 上 で も重 要と思わ れ る。柴
田
泰
7
第二 に
,
従 来の 成 果の すべ て の資 料を今一
度 検 討 し, その具 体 的 内容が 唯心の 諸 仏・
弥 陀で あ る の か,
唯 心の 諸 仏 浄土・
弥陀 浄 土で あるの か を 峻別 し,
諸 資 料 相互の関 連 性 など を 整 理 し なけれ ば な ら ない。
第三に
,
従 来 指 摘 さ れてい ない 資 料を 渉 猟 し なけ れ ば な ら な1・ )。
第四 に, これらの
作
業が唯 心 浄土思 想の先
行 資 料 とする な ら , その最
初の 提唱者と さ れ る永明延 寿の 思 想 を先 行 資料 との関係
で よ り正確に解
明 しな けれ ば な らない。
本 稿の 最 大の意 図は実
はこ こ にある。
そ し て, 第 五に
,
唯 心 浄 土思 想は延 寿以降の 中 国 浄土教 主流の 中心 思 想に なる が,
従 来 , 殆ん ど 言及 されて い ない 宋 代以降の 諸 資 料 を指 摘 し考証 し なけ れ ば ならない。
こ う した幾つ かの考 察 を経て, 初めて中 国 浄土
教
に おけ る 唯 心 浄 土思 想の 総合的 成 果が 可 能と な る であろ う。
〔1) 望 月 信亨 『 支那浄土教理史』 法蔵館昭 和
17
年 初 版。
のち に 『中 国浄土教埋 史 』 と改題 (昭和39
年 第2刷)。
なお
,
望月 信亨 「 浄土教の起 源 及 発達』 761− 762
頁 参,
照。
中 国浄土教 を 総 合的に扱っ た 研 究書と し て は
,
今 日 で も僅か に本 書と 佐々木 月 樵 『 支 那 浄 土教 史』 無 我山 房大 正 2年 (の ち に 『 佐 妹 月 樵全 集(⇒・囎 )の 二書で剤 , その他 沖 国浄 土 教の概説謝 たと えば
,
塚 本欝 ・中 国翫 教 蜥 究・ [『塚轄 隆著 鰈 ・ 第4
巻]・−
2・8頁,
Emn
之 ・浄土轍 駛 、 [サー
磁 書15
],
41.94頁,
石 田 瑞 磨 「中 国の浄土思想 」 『講座 東 洋 思 想』 第6巻
.
36−
69頁 など〉に は近 代 ま での論及が殆ん ど 認 め ら れ ない。
従っ て唯 心 浄土思想に は言 及 してい ない
。
また
・
阿 弥 陀 仏の 仏身イム 土 に限・ た 秀れ た研究と し て は , 神 子 上 恵 龍 ・弥P
它身土思想 展 開 購 、 永畋 昌 堂 昭和25年 (の ちに 『弥 陀身土思 想の展開 』 と 改 題)があるが
,
中 国の諸 師で は曇 鸞・
聖 道諸 師 (浄 影・
天台・
嘉 祥.
華厳 系
・
法 相 系)・
道 綽・
善導の浄土観であ り,
従っ て唯 心 浄土思 想の論及 はない。
〔2
) 塚 本 善 隆 『唐中 期の浄土教 』 (法 蔵 館 刊)71−
72頁, 同 「竜 門石窟に 現1.
/.
たる北魏 仏 教 」 『塚 本善隆著 作 集』 第2 巻,
260−
262,
421−
448頁。
(3) 弥 陀 浄 土は,
周知の と お り, 阿弥 陀仏 〔無 量 寿 仏・
無量 光 仏 )の浄土,
すな わ ち, 漢訳で須摩提・
安楽・
安 養・
極 楽 など と 訳 さ れる から
,
弥陀 浄土 とい う用 語は訳 語 的に も内容的に も正 しい 用語で ない (藤 田宏 達 『 原 始 浄土思想の 研究』431
−
438,
507−
516頁)。
しか し,
唯心 浄 土 思 想 を考 究 する 本 稿で は,
常に諸仏 浄 土・
十方 浄土 との関 係で論 述 するの で
,
本 稿 では 「 弥 陀 浄土」の用 語を用い る。
(4) 田 村 芳 朗 「 本 鰓 想と 浄 土 念 仏」 『印 仏研・第 22巻第2号,
448 頁,
同・三働 浄土観」 r日本仏 教 学 会 年報、 第42号
,
28頁,
同 「 来世浄土 と 阿 弥 陀 仏」 『印仏 研』 第30巻 第1号,13
頁。
なお
,
古田紹 欽 博 士 よO “ 〈己 心の 弥 陀〉 の用 語は 明 代の 雲棲 株 宏 〔1535−
1615)あた りに あ るか も知れ ない”
(『北海 道 印 度 哲学 仏 教 学会』 第
2
回学 術 大 会,
駒 大 岩見沢北海道教 養 部,
昭 61.
11.
15
)と の御示 教を う けた が,
未だ認 め てい ない。
た とえば
,
『 観 無量 寿 経義 疏』 慧遠 (大 正 37・
178下),
『観 無量 寿 仏経 疏』 善導 (大正 37・
246
下一
247 上),
柏 原 糠 『 浄 土 三 部繍 義・ (改 訂繖 )479−
481・
6
・0− 623
頁,
坪井{皴 ・浄 土 三 部黼 説、347−
353,
363−
370,
515,
523−
525頁 な ど。
(6) 出 村 芳鱒 士は諦 土念 仏の・
思皺 の起 点に お い て は,
念 仏 す な栃 阿弥 陀 仏が主 軸で あ o,
x
世 浄 土は 副 次的,
付 随 的 なもの であっ た
”
と さ れ る (「 来 世 浄 土と 阿弥 陀 仏」 『印 仏 研』 第30
巻 第 1号,
ユO−
ll頁 )。
〔7) 『 望 月{嗷 畑 椣 ・ 第2・
・5巻,
12・4,
49・4−
49・6
頁・
服繊 淳・ 永 明 延勧 浄土思 想、 ・印仏研、 第14
飜 2号,
ll7頁
,
同 「 禅浄 融 合思 想に おけ る 浄 土の解明」 「仏 教 大 学 研究紀 要』 第5〔[号84頁。
因みに, 他の仏 教 辞 典類 (『織田 仏 教 辞 典』 『宇 井 仏 教 辞 典』 『仏 教 学 辞典』 『仏教語大 辞 典』 「新
・
浄 土宗 辞 典』 「浄土宗 大 辞 典』 「真宗 大 辞典』な ど)で は「唯心浄土」 「唯 心 弥 陀」 「己 心 弥 陀」 「己身 弥陀」「己身弥 陀
,
唯 心 浄 土」 「唯心 弥 陀
,
己 心浄土」 など不 統一
で,
中に は相 当する項 目が ない 辞典 もある。
こ の ことぽ,
唯 心 浄土思 想につ い ての8
中国 浄土教に お け る唯 心 浄土思 想の 研 究(
.
.
う 評 価が極めて低い こ と を 物 語っ て い る。
後の服 部 博 士の言 及によれ ばt ・ こ才しは三+ 数 年 前にた ま た ま 私が纏 {・当・ た 六 +余 枚の原 稿で超 月 博 ±bf閲 讃 れた もの で あ る
.
”
(ERSS
英 淳 ・禅浄 融 合 思 想に おける浄土の解・月」 『f
」・
撚 学研 欄 要・ 第5盻 84頁 )・
〔8) 服部英淳,
前掲 論 文。
第
二章
経
論
に説
かれ る弥
陀
浄
土 思
想
と
唯
心
浄
土 思
想
弥陀浄土 に限っ た唯 心 浄土思想の 探 究 を 意 図 する わ れ わ れが最 初に な さ ね ばな ら な い
作
業は,
経 論に は弥 陀 浄土が どの ように説か れてい る か,
そこ に唯 心 浄土 思 想の 源流に なりう
る 経 文が 認め ら れ るか ど うか を探るこ と で あ ろう。
経 論に唯 心浄土思 想が明瞭に説か れ,
後の中
国 浄土教の 諸師 が 有 力な典 拠 として引 証 し てい れ ば,
われ わ れは そ れ を唯 心浄土 思 想の源 流 と し て後の変 遷 を辿 れ ば よい わ けで ある。
し か しなが ら, すで に知っ た よ うに従 来の 研 究で は 唯心 浄 土思 想を説く経論は指 摘さ れて い ない。
そ れで は,
弥陀の 唯 心 浄土思 想は従
来 経 論に指 摘さ れて い ない , 従 っ て,
経論 に 説 か れて い ない , それ ゆ え 中国
人が 勝 手に考え た もの で ある, と短 絡に規 定 して よい の であ ろう
か。
中 国 諸 師は 自 らの教 義 を主 張す る とき, その 正当 性 を必ず 経 論に求め, 絶対的証 拠 とし た。 仏説 や論
書
の 教え は絶 対の真理 とい う大 前 提の も とに 自らの教
義 を 形 成 した。 そこ に中 国 仏 教の , 更に は 日本 仏 教の特 徴が あっ た。
わ れわ れ も諸
師に倣っ て, まず 唯心 浄 土思 想の 源 流 を経 論 に求め るこ と か ら始めよ う。そこ でまず
,
唯 心 浄土 思 想の 直 接の対 象 と な る弥 陀 浄土 が経論 に は どの よ うに説か れ て い る か , そ して, その 弥陀浄土が唯心 浄土思 想に な りうる か どう
か を調べ よ う。 この こ と は,
イン ド浄土教 の正 当 な弥 陀 浄土観が何で あっ た かを知るだけでな く, 後の 中 国・
日本の 浄土思 想 史 をそ れ に よっ て照射
する上で も極 め て重 要 な 作 業で ある。
そこ で, も し経 論に説か れ る弥 陀 浄土 の 描写が唯 心浄 土思 想の 源 流にな り えない こ と が確認 さ れれば, その と き初め て, わ れ わ れ は従 来の 研 究が何ゆ え 唯心 浄土思 想 を経論で指 摘 してい なか っ た か を理解 するで あろうし, 唯 心 浄土思 想が中 国独 自 の 思 想であるこ とも自信 をもっ て主 張で き より。
阿 弥 陀仏
・
極 楽に言及 す る漢訳経 論につ い て は,
すで に藤田宏 達 博士 によっ て290
部が指 摘され てい る9
)その 中, 弥陀の 経 説 を除い た弥陀浄土に 限っ た経 論は 約150
部 ほ ど であ る が, その 中には 後の 中 国 浄土教で全く用い ら れ た痕 跡 ない 経 論も多
い の で あ L) , こ こ で はその す べ て を取上 げ る必 要は ない であ ろ うp そこ で, こ れ ら多くの 経論の 中で も, 主要な浄 土経論
あるい は中
国 仏 教で重 視 さ れた代 表 的経論に限 定 して,
弥陀浄土 が どの よ う に説かれてい るか を 調べ よ う。
第
一 節
浄
土 三部
経に説か れ る弥 陀
浄土 の諸
相日本 浄土教の ように浄土 三部経
,
あ るい は 三経一
論 とい う査 定 はな か っ た が,
中 国浄 土教に お い て も主 要 な 浄土 経 論 は浄土 三部経 であっ た。
そこ に は,
阿 弥陀 仏 と その浄土,
そこ に往生する衆 生 とその行業 などが実に詳 細 に説かれてい る。
こ こ で は浄土三部 経の構成 [分科]を伝統 的 解 釈か ら借柴 田 泰
9
用 し1
:i , とくに浄土 の主な諸 相 を学ぶ こ とにする。
『 無 量 寿経』 康 イ曽鎧訳“ } 序 分 正宗分 鱒 土・ 因薦
略説 如 来 浄土の果 広説 仏 身の 光明 仏 身の 寿 命 大 衆の 功 徳 宝樹の荘 厳 : 道樹
の 霊徳 : 音 楽の 殊妙 : 浄土の 諸 相 倦 上 ) (48 願
中第
31 国
土清 浄 願,
第32
宝香 合 成 )。
彼比丘……
荘 厳 妙土。
所 修 仏 国 ,恢 廓 広大,超勝独妙。
法 蔵 菩薩
今 己 成 仏,
現 在 西方。
去此 十 万 億刹。
其 仏 世 界,
名日安 楽。
其仏 国土,
自然七 宝……
合 成為 地。 恢 廓 昿 蕩,
不可 限 極。……
清 浄 荘厳, 超踰十方一
切 世 界。又
其国
土,
七宝 諸 樹, 周 満 世 界。
又無 量 寿仏其 道 場 樹
,……一
切 衆 宝, 自然 合 成。第六天上, 万 種楽 音, 不如 無量 寿 国 諸七宝
樹
一
種音声, 千億倍 也。亦 有 自 然 万種 伎 楽
。
又其 音 声,
無 非 法 音。 堂舎の偉 観 :又講堂 精舎 宮 殿 楼 観,
皆七 宝荘 厳.
宝池の 奇 徳 :内 外 左 右有
諸 浴 池……
, 八 功徳 水,
湛 然盈 満……
n黄 金 池 者
,
底白 銀 沙・
・
…・
。其
池 岸 上有
栴檀樹・
・
…
香 気 普 熏。 聖者の果報
:所処宮 殿 衣 服 飲食
衆 妙 華 香 荘 厳之具.
丁
猶第六 天 自然之物。
彼 仏 国土, 清 浄 安 穏
,
微妙 快楽 。……
無 量 寿 国,
其諸天人
,
衣 服 飲 食華 香瓔 珞繕 蓋憧旛, 微 妙 音声, 所居 舎宅宮殿楼 閣
,
称其
形色……。
自然 徳 風……。
衆 宝 蓮 華・
・
…・
。
衆生往 生の 因・
衆 生往生 の 果・
釈尊の 勧 誡 (巻下 ) 流 通 分10
中 国浄 土 教 に おける唯 心 浄土思想の研 究(
一
・
) 『観 無 量 寿 経 』 量良那舎訳 序 分 正宗 分定善
十三 観 散 善三観 阿弥陀仏,
去此 不 遠。此想 成 已, 見瑠 璃地 内 外 映 徹
。
下 有金
剛 七宝 金 幢,
堅 瑠 璃 地ゲ…・
百宝 所 成
。
一一
宝 珠,有
千光
明,
一一
光明,
八 万 四 千 色……
不 可具見。
:次宝 樹 観。……其
諸 宝 樹, 七宝 華 葉……一
切衆 宝,
以 為映 飾。
:一一
池 水, 七宝 所成
。……一一
支作
七宝 色。
黄 金 為 渠 。……一一
水 中
,
有六 十億七宝 蓮 華e……
其 光 化 為百宝 色 鳥,
和 鳴 哀 雅。
:衆 宝 国土,一一
界 上,
有五 百 億 宝楼 閣。
:此蓮 華 台,
八万 金剛・
甄叔 迦宝・
梵 摩 尼宝・
妙 真珠 網,
以 為 交 飾。 :次 当想 仏。
所以者何。
諸 仏 如 来,
是 法 界身
。 入一
切衆 生 心 想 中 。是 故 汝 等
,
心 想 仏時, 是 心 即 是三 十二相 八十 随 形 好,
是心作
仏,是 心 是 仏。 諸 仏正偏知 海, 従心想生
。……
了了 分明,
見 極 楽国
七宝 荘 厳, 宝 地 宝 池宝 樹 行 列
,
諸天 宝 幔弥 覆 其 上,
衆宝 羅 網満 虚 空 中。
:無 量 寿 仏 身,
如百 千 万億 夜 摩天 閻 浮 檀 金 色。 :此菩 薩……身
紫 金 色。……
頂 上眦楞伽摩 尼 宝,
以 為 天 冠。……
面 如 閻 浮 檀 金 色。 :此 菩薩 ……
亦 如 観 世 音。……
此菩薩
天冠 有五 百 宝華。
雑 想観得 益分
・
流通 分・
耆 闍分 『阿弥陀経 』 鳩 摩 羅 什 訳 序 分 正宗分 讃 極 楽 浄土 勧 念 仏 往生 略 讃 広 讃:従 是 西 方
,
過十 万億 仏土, 有世 界,
名日極 楽。
其土有仏, 号 阿 弥 陀。 報 :極 楽国
土, 七重 欄 楯 七 重羅網, 七 重 行 樹, 皆 是四 宝……。
極 楽 国土
,
有七 宝 池……,
地底純 以 金 沙 布 地。
四 辺階 道, 金銀 瑠 璃 玻 潔合 成
。
上 有 楼閣, 亦 以 金 銀 瑠 璃玻麟 斬 渠赤珠 碼 碯,
而 厳飾 之。
彼 仏 国土 , 常 作天楽
,
黄金為地。……。
彼 国 常有
種 種奇 妙 雑 色之鳥…
出和 雅 音。……
報 流 通分柴 田 泰 11