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筑前国怡土庄故地現地調査速報

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Academic year: 2022

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

筑前国怡土庄故地現地調査速報

服部, 英雄

九州大学大学院比較社会文化研究院 : 教授

https://doi.org/10.15017/1520164

出版情報:1999-12-31. 服部英雄研究室 バージョン:

権利関係:

(2)

I I 地 誌 篇

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〔地誌篇凡例〕

−「地誌篇」に収載する各文章は、調査担当者がそれぞれ提出したレポート原稿を基本とする。

−体裁等は、字句などの用法の統ーにとどめ、基本的にレポート原稿の通りにした。したがって、各地 区によって体裁は全て異なる。

−但し、明らかな誤字、不適当と思われる表現については、編集協力者・前原茂雄の判断により、文意 を損わない程度に訂正・補筆した0

・調査者及び話者の年齢・学年・肩書等は、レポート提出段階のものである。

−「地誌篇」に収載した地形図は、レポート原稿に添付して提出された調査者作成の成果地図をもとに、

今回新たに作成した調査基本図に前原が情報を転写したものである。なお、一部、調査者提出の成果 地図などをそのまま収載したものもある。

−調査基本図は、福岡市については国土基本図と福岡市作成1/5000地形図、前原市については国土基本 図と前原市作成1/5000都市計画図、志摩町については志摩町作成1/10000地形図を利用した。但し、

収載に際し、縮尺を適宜変更している。

−調査基本図には、小字名・通称地名・井堰名・屋号・古蹟の位置などを記入している。下線を引いて いる文字が、通称地名・井堰名及び屋号である。

−小字にかんしては、地籍図・字切図などから、その範図の大略を実線で示している。なお、この作業 は前原が行い、中西義昌氏の協力を得た。

−縮尺幅、地図出典などは、各々の収載地図に明記すべきであったが、『速報』という緊急性を重視し て、割愛した。

(文責:前原茂雄)

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福 岡 市 西 区 桑 原

大 学 院 文 学 研 究 科 修 士 課 程 大 塚 俊

〔はじめに〕

桑原地区は糸島半島の東部に位置し、元意防塁で知られる今津の長浜海岸から一歩内陸に入った所に ある。北側は標高254.5mの柑子岳が笠える草場と境を接し、南側・東側は平野部の広がる元岡・太郎 丸・今津と接しているO また西側は峠路を越えて桜井(現糸島郡志摩町)へと抜ける。同地区は東側を 除く三方を山に固まれているため、集落や耕作地は谷部に位置しており、谷の中央には大原川が流れ、

Jllに沿って田圃が多く見られる。集落は地区のほぼ中央、大原川の左岸に集中して所在し、東組(下の 谷)・中組(中の谷)・西組の三つに大きく分かれる。桑原から周辺地区に出かける際には坂道を越える事 が多く(現在では舗装されているが)そのためか山間の道筋には「〜サカ」の通称が幾っか残されてい る。また谷の出口にあたる東側には干拓地が広がっているO

『元岡村誌』(註1)によると、明治38年(1905)に糸島郡内最初の耕地整理が桑原のうち深田・山崎 において施行された。これは福岡県内でも二番目に早い耕地整理にあたり、糸島郡における模範耕地整 理と称されたという。続いてその三年後には整理組合が結成され、以後大正6年 (1917)に至る聞に旧 元岡村各地で耕作整理が実施されたが、桑原でも大正2年(1913)汐見殿において行われている。この ように桑原地区では非常に早い段階から耕地整理に積極的に取り組んでいるので、今回の事前調査の時 点では、恐らく地名等はほとんど伝えられていないのではなし1かと考えていた。しかし実際の聞き取り 調査では予想外の成果が得られたので、この場において報告させて頂く事にしたい。

今回の調査は1997年度前期および後期の二期に亘って行ったもので、前期には大塚俊司・青柳博晃・

福島由紀子の3名が、後期には同じく大塚、および北村景子・篠塚麻紀子の3名が担当したO なお本報 告については、二期連続で調査を担当した大塚が執筆した。

〔史料にみる f桑原庄Jについて〕

桑原地区に関する中世の史料を探していくと、その多くは「桑原庄」と記載されている事に気付く。

管見の限りでは、同時代史料における「桑原庄」の初見は『木屋文書』正平日年(1356、延文元年) 8  月7日付懐良親王令旨(註2)であり、「筑前国志摩郡内桑原庄参十時家分」が兵綬料所として木屋弾正左 衛門尉に預け置かれている。もっとも長禄3年(1459)の成立とされる『安楽寺草創日記』では、康和 3年 (1101)に安楽寺満願院が大江匡房により建立された際、「桑原庄三十町」が寄進された旨が記さ れている(註3)。再び『木屋文書』に戻って正平12年 (1357、延文2年) 7月2日付懐良親王令旨

(註4)によると、兵根料所である「筑前国桑原庄」が志摩郡代官によって違乱されているとの訴えが 起きている。下って『太宰府天満宮文書』亨禄3年(1530) 8月日付安楽寺公文所下文(註5)では、

安楽寺領の各庄園の庄司に対し、御祭田楽の「酒直」を弁済するよう命ぜられているが、その中に「桑 原々々(御庄)」が含まれている。また『大鳥居文書』中に永禄3年 (1560) 8月19日書写の御祭!騎馬 貫首支配帳(註 6)があり、その中で「丑未辰戊」の年に勤仕すべき「庄々」のーっとして「桑原」の 名が見える。よって桑原庄は安楽寺の所領であった事がわかる。

以上により桑原地区は、桑原庄の所在地であり、

f

台土圧には属してなかったと考えられる。ただし

『大友文書』嘉元3年 (1305) 8月2日付鎮西探題裁許状(註7)によると、恰土庄友永方に属する名 主達の中に「桑原四郎丸名々主藤原氏」が見える。この「桑原四郎丸名」と「桑原庄」が同一地に位置

‑ 3 

(5)

していたのかどうかについては、なお検討を要するが、あるいは桑原の一部が恰土圧に含まれていた可 能性もあるのではないだろうか。なお後述する今回の聞き取り調査では、残念ながら「四郎丸」という 地名は確認できなかった。

〔地名について〕

桑原地区の地名聞き取り調査を、平成10年10月に行った。今回、お話をして下さったのは同地で専業 農家を営んでおられる中村裕雄氏である。中村氏は昭和3年10月の生まれで、調査当時は68歳であった。

郷土史に興味を持っておられて、こちらからの依頼に快く承諾して下さったばかりか、御自分で近所の 古老を訪ねて地名の聞き取りをされ、小字および通称(ホノケ)を蒐集して下さった。それゆえ今回の 調査では中村氏自身が元々馴れ親しんでおられた地名と、古老(80歳位とのこと)から聞き得た地名の 両方について、その位置およびそれに関連する話を聞き取る事ができた。よってその成果はひとえに中 村氏の御尽力によるものであり、むしろ自分達が同氏の話をどれだけ多く、且つ正確に聞き取り得たか 甚だ心許ないが、一旦この場においてまとめを試みる事としたい。

通称(ホノケ,しこ名)については、以下の35ヶ所を確認できた(所在地については地図を参照のこ と)。

a)山関係:トヤマ、ボウズヤマ、シオヨケ、ヤマノシタ

トヤマ…小字「戸山」に存する山の名であり、中世の山城跡が残る(後述)。

ボウズヤマ…以前は萱が生い茂っていたという。古墳が多く残る。

シオヨケ・一前方後円墳のシオヨケ古墳がある。この山の南側に接する小字「尾石」では、潮が出 て田の出来ない所があった。

ヤマノシタ・・・山の下にある。

b) Jll関係:マエノガワ、サヤノガワ、ゲローガワ、ジンスケガワ

サヤノガワ…幸川(=大原川)。上流に水源があり、年間200トンの湧水がある。

ジンスケガワ…かつて幸川の流路で、あったが、基盤整備によって現在の大原方面への流路に変更 された。

c)谷関係:ミズタニ、タニグチ ミズタニ−−−よく水が出る。

タニグ、チ…小字「中ノ谷」の道に面した出口に位置する。

d)坂関係:オナゴザカ、オオサカ、クビキリザカ、サカモト オオサカ…古戦場がある。

クビキリザカ…牛坂(ウッサカ)ともいう。

サカモト−−−オナゴザカの下にあるO

e )田畠関係:ワサダ、ヒラパタケ、アシカタ

ワサダ(ワセダ)・・・早田、早稲田と書くか。ワサダ井堰がある。

アシカタ…足形のような小さな田ばかりなので、こう呼ばれたというo

f)屋敷:シンヤシキ、ゲンヤシキ

シンヤシキ・一新屋敷と書く。昭和以降、近くにあった航空隊関係者や分家などがここに移り住ん だためにこう呼ばれるようになったという。それ以前は家が1軒しかなかった。

ゲンヤシキ…元(源)屋敷と書く。

g)祭杷関係:サヤノカミ、ベンテン

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サヤノカミ(サヤカミ)…幸神と書く。幸清水と呼ばれる水量の豊富な湧水があり、幸神が杷ら れた桐がある。

べンテン…昔、弁財天が杷られていたが、干拓の際に太郎丸の厳島神社脇に移されたo

h)寺院関係:ソトバザキ、ゴンギョウ、 トウノメン

ソトバザキ…卒塔婆に由来するか。昔、庚申塔があったが、サカモトに移された。

トウノメン…陶ノ免と書くか。昔、瓦を作っていた時、ここの赤土を使っていた。あるいは塔ノ 免か。

i )陣所:ジンノウ・・・陣野と書く。戦国時代に原田氏と臼杵氏が争った時、原田勢が陣を張った所とい

つ 。

j )古墳:カナクソヅカ−−−金尿塚と書く。小字「金尿」にはかつて溶鉱炉があったという。

k)その他:オコナ、ハナレ、 ドキロ、イッポウ、オオゾン、スズタマ、ヒダリワラ、ロッポンマツ、

アマザネ

オコナ…オコナ井堰がある。

ハナレ…花手と書くか。

ドロキー・ロキロともいう。

オオゾン・・・大園と書く。ヤクジンサマ(薬神様)が杷られていた。

ロッポンマツ…ベンテンと同じ場所。松の木が6本生えていたためにそう呼ばれた。

次に小字名を以下に列挙する。なお難しい読みをするものについては、聞き及んだ範囲で( )に読 み方を記した。

御開(オヒラキ)、汐見殿(シオミデン)、町間(チョウマ)、山崎、津田、浜開、才平田(サイヘイダ)、

深田(フカタ)、立浦(タチウラ)、神楽田(カグラデ)、前田、別所(ペッショ・ベッソ)、柿ケ元、石 ケ元、戸山、金尿、牛坂(ウッサカ)、尻広、山ノ後、下ノ谷、後(ウシロ)、狩衣(カリギヌ)、六反 田、飛櫛(ヒクシ)、宮ノ浦(ミヤブラ)、中ノ谷(ナカンタン)、楢尾、大野、大津庵(オオツアン)、

錦田、浦山、表一番ケ浦、一番ケ浦、二番ケ浦、大浦、仏石、尾辺田(オベタ)、彼岸天(ヒガンテン・

ヒガンデ)、牛切(ウスキリ)、千原(チワラ)、平川、履形(クツガタ)、柳ケ浦(ヤナンガウラ)、裏 山、尾石

〔旧跡について〕

今回は桑原地区に存する旧跡のうち、その存在があまり知られていない山城跡(註8)について調査 を行ったO 桑原地区のほぼ中央に位置する小字「戸山」には、地元の人々から戸山と呼ばれている小山 がある。戸山は南端部が痩尾根で南側の山と連なっているものの、独立丘に近い形状をしており、南北 方向から見ると稜線が「く」の字形に湾曲している。北側の山裾に沿うように大原川(幸)||)が流れ、

この川沿いの斜面が最も急峻になっている。また西側には現在の県道桜井・太郎丸線が通っているが、

ここには「オオサカ」の通称が残っているので、古くからの道筋と考えられよう。尾根上には三つのピー クがあり、そのうち北端が最も高く、標高が74.2m(比高は約60m)あり、この場所を取り込む形で城 が造られているO 以下この城跡を便宜上、戸山城と仮称する。なお戸山城より1.5キロ程北方には、志 摩郡における大友氏の拠点柑子岳城があり、 650m程南東には水崎山城がある。

戸山城の城域は狭く、尾根上を南西−北東方向にlOOm程度の聞に収まっており、南側に位置する残 り二つのピークは全くの手付かずになっている。同時に山腹にも特に遺構らしきものは認められなかっ た。その中心部にあたる主郭は尾根筋方向に沿って湾曲し、長さが凡そ70m弱あり、幅は広い所(北端

‑ 5 ‑

(7)

部)で、約llm、狭い所(中央部)で約6mあるO 現状を見る限りでは削平はあまり丁寧になされておら ず、主郭の北端(山の頂上にあたる)から中心付近にかけて少しずつ下っている。また周縁部も同様に 傾斜しているので、どこまでが削平地でどこからが切岸なのかがわかりにくく、特に南東側の側面はほ

とんど自然地形に近い状態と見られる。

主郭の北側と南側にはそれぞれ堀切が設けられており、北側には一本、南側には三本確認できる。北 側の堀切はこの城で一番大規模であり、正確には計測できなかったがそ《の幅はlOm前後はあろう。一方 南側の堀切は、主郭から最も遠いものが幅約4 m、二本目は約5m、そして主郭真下にある三本目が約 7 m程で、あり、同時にその深さも主郭真下の堀切が一番深い。また東側の方がやや長く、短いが竪堀状 になって数m下がっているO

ところで主郭北端部の南側斜面には土塁状の遺構が張り出しており、主郭から緩やかな下り坂になっ ているので、堀切の脇を迂回して主郭に登る際の通路として利用できる。果たしてこの遺構が城の存続 した当時のものなのか、あるいは後世に必要に応じて付設されたものなのかは俄には判断しにくく、少 なくとも周辺の山城における類似の遺構の有無を確認しておく必要があろう。

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(8)
(9)
(10)

(1)  元岡村誌編纂委員会編。 1961年3月刊。なお元岡村は昭和36年(1961) 4月1日福岡市と合併し たO

( 2)  『大日本史料第六篇第二十巻』

( 3 ) 『大日本史料 第三篇第五巻』 なお同書の成立は、『国書総目録』によると骸文より長禄三年と される。

( 4)  『大日本史料第六篇第二十一巻』

( 5)  『太宰府・太宰府天満宮史料十三』

( 6)  『太宰府・太宰府天満宮史料十五』

( 7)  『大分県史料 26』

( 8)  この山城に関する記述は、『筑前国続風土記』以下、諸々の地誌にも見る事ができない。

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