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吉岡栄一著『村上春樹とイギリス : ハルキ、オー ウェル、コンラッド』
柿﨑, 隆宏
九州大学大学院比較社会文化学府 : 博士後期課程
https://doi.org/10.15017/1456074
出版情報:九大日文. 22, pp.57-60, 2013-10-01. 九州大学日本語文学会 バージョン:
権利関係:
村上春樹とイギリス。「村上春樹」という固有名詞と並置さ
れる対象として、「イギリス」という国名が並んだ場合という
のはほとんど目にしたことがないと思う。
村上春樹は海外の文学、特にアメリカ文学からの影響を早く
から公言しているし、スコット・フィッツジェラルドやレイモ
ンド・カーヴァーをはじめ、アメリカ文学の翻訳者としても活
躍している。その他にも小説やエッセイ、対談、インタビュー
の端々からは、ドイツ文学やロシア文学からの影響が随所に見
受けられる。そして近年では、中国などの東アジアとの関係が
新たに浮上してきている。
しかしこのような状況においてさえ、アメリカと同じ英語圏
の文学であるにも関わらず、イギリス文学との繋がりについて
は作家自身もほとんど触れることはなく、また考察が試みられ
ることもなかったのではないだろうか。
本書はこのような村上春樹との接点が顧みられることのなか
ったイギリス文学との関係から、村上春樹文学の起源を探る試
みである。その際に取り上げられている作家は、副題にもある
吉岡栄一著 『村上春樹とイ ギ リス―ハルキ、オー ウェル、コ ン ラッド』
柿 﨑 隆 宏
KAKIZAKITakahiro ようにジョージ・オーウェルとジョゼフ・コンラッドである。以下に本書の構成を記す。なお、各章の節は省略した。
まえがき
第一章オーウェルと村上春樹
―『
一九 八 四 年』と
『 1 Q 84
』の タ イ トル の類 似
をめぐって
第二章コンラッドと村上春樹
―『闇の奥』、『地獄の黙示録』、そして『羊をめぐる
冒険』
第三章オーウェルとコンラッド
―エグザイル意識と女性表現の共通性
ハルキ、オーウェル、コンラッド
―あとがきにかえて
引用・参考文献
索引
第一章では村上春樹『1Q84』(新潮社、二〇〇九年五月、二〇
一〇年四月)とジョージ・オーウェルの『一九八四年』との関連
について考察している。吉岡氏によれば、村上春樹作品の中に
オーウェルについての言及や作品の引用はほとんど見られず、
イギリス文学の作家自体、チャールズ・ディケンズをのぞけば
ウィリアム・サッカレー、ジェイン・オースティン、サマセッ
ト・モームの他には言及がないという。
周知のように、村上春樹は作品内で外国の様々な文学者の名
前や文学作品、ジャズやロックの歌手名やバンド名、曲名など
を頻繁に引用している。にもかかわらず、『1Q84』発表以
前にほと
んど言及
が及ぶこ
とのなか
ったオーウ
ェ ルの作品名
が、何故今になって引用され、それも作品のタイトルに用いら
れるのか。吉岡氏はそこから村上春樹におけるオーウェルの影
響を見い出していく。
オーウェル作品の影響や類似点として吉岡氏が挙げるのは、
村上春樹作品における、ロシア革命やスペイン内戦に関する記
述や表現、高度資本主義社会や大量消費社会への作家の批判的
態度、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮
社、一九八五年六月)等に登場する一角獣のモチーフである。村
上春樹の小説
や エ ッ セ イ に 散見 す る これら の 挿話や比喩表現
と、オーウェル作品の題材やオーウェル個人の感受性が近似し
ているとし、『カタロニア賛歌』、『動物農場』、『一九八四年』
などのオーウェル作品の受容を推察している。しかし『一九八
四年』と『1Q84』との影響関係については、タイトルの借
用以外ほとんど認められず、そのタイトルの借用も『一九八四
年』が幅広い読者から支持を得ている実情から、読者獲得のた
めのマーケティング戦略の一環ではなかったかと論じている。
そうした上で、タイトル以外に接点の薄い『一九八四年』を捩
って作品のタイトルに関した要因には、『ねじまき鳥クロニク
ル』(新潮社、一九九四年四月、一九九五年八月)の主な時間軸が『1
Q84』と同じく一九八四年に設定されていることから、一九 八四年という時代への作者のこだわりがあったからではないか
とも付言している。
第二章では『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年一〇月)を
中心に、ジョゼフ・コンラッドの影響について考察している。
吉岡氏は村上春樹が『羊をめぐる冒険』の翌年(一九八三年)に
「朝日ジャーナル」に寄せた『コンラッド中短篇小説集』の書
評の中で『闇の奥』を絶賛していると指摘し、さらに『ノルウ
ェイの森』(講談社、一九八七年九月)等の作品内およびインタビ
ューや対談でのコンラッドへの言及、そしてコンラッド作品の
引用から、村上春樹がコンラッドを深く読み込んでおり、少な
からぬ影響を受けているのではないかと推測している。
その上で『羊をめぐる冒険』と『闇の奥』、そして『羊をめ
ぐる冒険』の下敷きと言われているフランシス・コッポラ製作
の「地獄の黙示録」
( 「
地獄
の黙
示録
」は
『
闇の
奥
』を
下
敷き
に
して
いる
)
の三作が物語の構造や主題を共有していると述べる。『羊をめ
ぐる冒険』における物語の構造については、蓮實重彦氏が『小
説を遠く離れて』(日本文芸社、一九八九年四月)で「依頼と代行」
による「宝探し」という構造を、井上ひさし『吉里吉里人』(新
潮社、一九八一年八月)などの同時期に書かれた諸作品と共有し
ていることを指摘している。吉岡氏も蓮實氏の論を中心に、大
塚英志氏の『物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日
本』
(角川書店、二〇〇九年七月)に用いられたジョセフ・キャン
ベル『千の顔を持つ英雄』の単一神話論、ウラジミール・プロ
ップの『昔話の形態学』等を援用して、『羊をめぐる冒険』、『闇
の奥』の物語構造の類似点を検証している。そして『闇の奥』
から村上春樹が受けた影響を、主題と物語構造、すなわち「「宝
探し」=「聖杯探求」」であると論じている。
吉岡氏は村上春樹がコンラッドに傾倒する理由として、コン
ラッド が 外 国 語で 小説 を 書 いた 作家で あ る こ とに 注目 して い
る。コンラッドはポーランドからイギリスに帰化し、実質第三
言語(ポーランド語、フランス語、英語)で小説を書いた作家であり、
広義の亡命文学、故郷離脱者の文学とされる。コンラッド自身
も自らを「二つの言語と二つの文化に引きひかれた「二重人間」」
と定義していたことに触れ、コンラッドがイギリス社会のアウ
トサイダー、異人としての意識にさいなまれていたのではない
かとしている。
このようなコンラッドが抱いていた「エグザイルとしての言
語意識」、言い換えれば、言語的にも社会的にも自らをアウト
サイダーとするコンラッドの認識に対して、村上春樹が共感を
寄せていたのではないかと吉岡氏は推論している。村上は対談
やインタビューで、たびたび第二言語を用いて小説を書く作家
に対する関心を述べているが、その際に名前が挙がっているの
がナボコフとコンラッドである。またデビュー作『風の歌を聴
け』(講談社、一九七九年七月)の最初の数ページが英語で書かれ
たのはこうした第二言語を用いて小説を書くことへの共感、あ
るいは関心の現れであり、それが村上春樹独特の軽妙な文体の
創出を可能にしたことを示している。
さらに日本の文壇の党派性、出版社との関係等、日本の出版 業界の慣習になじめず、一九八〇年代末から一九九〇年代半ば
までおよそ一〇年に及んだ村上春樹の「イグザイル(故郷離脱)」
(村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社、一九九七年三月))体験にも、
アウトサイダー的な作家への共感を見ている。また村上が敬愛
するスコット・フィッツジェラルドや宮本輝、辻原登などの現
代日本文学の作家にもコンラッドの影響が及んでいることも、
合わせて指摘している。
第三章では村上春樹を離れ、オーウェルとコンラッドの影響
関係を考察している。吉岡氏によれば、晩年のオーウェルはコ
ンラッドに倣ってアナキズムに関する小説や、コンラッドの政
治小説についての評論文を書く計画を持っていたという。コン
ラッドとオーウェルの影響関係については英文学の領域でも国
内外問わずほとんど言及されていないが、オーウェルは若い時
代にトルストイ、ポー、トウェィンとともにコンラッドの作品
を愛読しており、オーウェル作品の人物造形やオーウェル自身
の感受性にはコンラッドの影響があると述べられている。
特にコンラッドの小説における女性の登場人物は、作品内で
の役割が矮小化され、悪女的なイメージが付きまとうなど肯定
的には描かれておらず、その女性像は硬直化しているという。
オーウェルの作品でも女性は「躍動感にとぼしく、生身の肉体
感を欠い」ており、女性像もコンラッド同様に硬直化していく
とされている。ともに「女嫌い」との批判を受けるほど作品に
ミ ソ ジ ニ ー
おける女性の描き方が不得手な点は、コンラッド、オーウェル
に共通する大きな特徴であり、村上春樹にも通底するものでも
ある。
さらに吉岡氏は、オーウェルがコンラッドによせる親近感の
根源には、イギリス社会に対するアウトサイダー意識、異人意
識があったからではないかと述べている。オーウェルは大英帝
国の植民地であったインドの、コンラッドは帝政ロシアに分割
支配されていた東ポーランドの出身である。両者はともにある
時期に外部からイギリスに身を寄せることになった異人という
立場にあった。また、コンラッドは河船の指揮を執るためにベ
ルギーの植民地下にあったアフリカのコンゴに、オーウェルは
インド帝国警察の警官として外地に勤務した経験も類似してい
る。このように自らと重なる出自、経験を持つコンラッドを、
オーウェルは非イギリス人という視座から特にその政治小説を
高く評価し、自らの創作上の手本、巨匠として意識していたと
結論づけている。
ハルキ、オーウェル、コンラッド。三者の関連を通して吉岡
氏が析出したものは、特に第二章、第三章で述べられている「ア
ウトサイダー意識」、「エグザイル意識」である。本書のあとが
きには以下のようにある。
村上の公言するところによれば、みずからも日本の文壇や その党派性になじめずに外国に移住し、日本にたいしてた
えずアウトサイダー意識やエグザイル意識を持っていたこ
とが、村上のコンラッド評価の原点となっている。そこが
また村上の非日本的な小説が生まれる磁場ともなっている
のだ。
このようにイギリス社会に対してコンラッドやオーウェルが
「アウトサイダー意識やエグザイル意識」を抱いたように、村
上春樹が感じていた日本に対する「アウトサイダー意識やエグ
ザイル意識」こそが「村上の非日本的な小説が生まれる磁場」
となっていると吉岡氏は結論づけている。
本書の結論から導き出されるのは、誤解を恐れずに言えばア
ウトサイダー(エグザイル)の文学者としての村上春樹という新
たな村上春樹像である。これまでほぼ論じられることのなかっ
たイギリス文学との関連から導き出された視点から、今後どの
ような論究がなされていくのか。本書を通して吉岡氏が提示し
た可能性は、決して小さなものではないと思われる。
(二〇一三年四月彩流社二〇四頁一八〇〇円+税)
(九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程三年)