九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
「俳諧とんと」翻刻と解題 : 不角に対する論難書
平島, 順子
http://hdl.handle.net/2324/4755972
出版情報:雅俗. 3, pp.188-212, 1996-01-10. 雅俗の会 バージョン:
権利関係:
凡例
一︑底本には東京大学知十文庫蔵本を用いた︒
一︑本文は底本にできる限り忠実であることを旨としたが︑読みやすさを考え句読点を付した︒
一︑ルビは全て原本通りとした︒
一︑丁移りは﹂︵一・オ︶の如く示した︒
L f J
と ん と ﹄
諧
﹃翻刻と解題
不角に対する論難書—|
平
島
順
子
俳諧とんと
営流と古風問答の事
寓言俳諧の事
季なし切字なし発句の事
江戸筏難の事
序跛に習ひある事
愛長乾金たとへの事
古風儀理讀の事
てにをは習ひある事
第三韻字とめの事
古風より油徳をしかる事
つけのまくらの事
原俳論の事
俳諧の道時ミに替る事
古風体営流の門弟に成事
常流と古風との点を取あハせ見る事﹂︵見返し︶
玉淵堂の主人蝠龍といふ人あり︒関西より出て東武のかたハらに隠れ︑茅屋半間の邊に卦て性俳諧を好ミ︑風雅の林に遊ふ︒
一日︑享保五子の歳旦引付を撰らんて︑執箪不礫をまねき︑板下をかAしむ︒折節客ありて閑窓を敲く︒縄床を下りて向へ
は客曰︑それ人ハ時に遇を喜ふへし︒金革を褥にして命を旦暮に待もの︑猶文をよこたへて詩を賦ーの風雅あり︒何況先
•E生と我と、幸に泰平の御代に生れて鹿日を扶桑の梢に戴く。願ふらくハ楽みを衆とともにして、典を月花に寄ん事をと。主
人﹂︵一・オ︶悠然として︑人の性たる︑各好む所あり︒淵明か菊︑和靖か梅︑餘香ある事を知らす︒杜豫に左他の僻あり︒
ヒトAナッ吾元卿芭の家に長て︑詩謁の奥ふかき林に遊はす︑唯俳諧を好みて群を郷里の小児と共にす︒衆とともに楽にあらすや︒客
曰︑俳諧ハいかやうにたしなむへきそや︒答曰︑或問に記す所の守武ハ神明の御告にまかせて此道を興起す︒今世に行ハるA
守武千句是也︒其巻を見るに︑悉く寓言をもて本とす︒かAる越格のオありしかは神明の内證に叶ひけるにや︑白日登仙あ
りしと也︒今世の俳諧を考るに︑嘗流に﹂︵一・ウ︶寓言あり︒邪曲の流を捨て︑楽みを我と共にし給へかし︒客曰︑俳諧
の中興ハ貞徳とこそ聞侍りしに︑其外にも流の侍るや︒また寓言の俳諧とハいかやうの事にて候や︒答︑奈良に杜丹花︑
伊勢に守武の流あり︒今江戸の宗匠ハ勿論︑すべて此道を楽むもの︑ミな貞徳の枝葉ならすといふ事なし︒されは時代にか
ハるはいかいの風儀に目をつけておもへは︑守武より宗鑑︑宗因︑其角とつAひて︑ミな寓言をもて仕立たりと見ゆ︒凡寓
言とハ︑我か心に思ふ事を物に比し︑事に賦していひ出すの義也︒抑荘子のこAろハ︑道ハ大極の前にあれは︑天地︑人物︑﹂
︵ニ・オ︶有情︑非情ひとつにして斯に洩る事なし︒物素同根なれは︑彼を善とし︑是を悪とすへからす︒此道ハ音もなく︑
香もなく︑さしていふへき形もなし︒万物を消息すれとも︑己か功とせす︑古今にワたれとも︑己か徳とせす︒我も又此徳
にひとしく︑万物ともに往来して無窮の楽みをたのしむへしとおもへり︒その意味ハ︑逍遥滸︑斎物論を見て考へし︒かく
逍遥自在の道に剋体して︑万物に等く見る眼なれは︑仮りにも物にあつからす︒心にうかふ千差万別︑二地の私意塩梅なく
いひ出せは︑是を非とし︑非を是とし︑真偽を混る言薬の自然と﹂︵ニ・ウ︶無偽の道に帰する︑是や荘子か寓言といふな
らし︒本朝にてハ︑源氏一部の大意︑よく此心に叶へり︒一條禅閣の御説にも︑肖柏老人の講せられしも︑おもてハ荘子か
寓言也とのたまひし事︑世をもて知る所也︒客曰︑然らは寓言ハ是非邪正を混り︑あらさる虚をいふ事牧︒答て︑其言葉
に顕るA所を聞はさのことくなれとも︑道体の廣大なるを形容する所より出たるもの也︒此心︑老荘の書のミにあらす︑偏
佛こも/\この類多し︒強ていは
A
易に︑龍野にたAかふ︑其血玄黄也といひ︑詩鰹に︑嵩嶽の神︑降て申伯と成といヘ
り︒その外︑皇天上帝を﹂︵三・オ︶立て︑人物︑禍福を監る事を論す︒果して此衣冠底の人ありとせんや︑是其理を形容
して人に告たる也︒されは楊亀山も︑逍遥の一篇ハ子思の意也といへり︒朱文公も道士の名に詫して参同契に註せられたり︒
班道を以ていへは︑京極黄門の柿本射貫とてこと/\'しく呼れたるハ︑人麿︑射恒︑貫之三人を合せたる作り名也︒松岩寺
大臣善成公︑河海抄を作りて︑物語博士源惟良といへる︑惟光︑良清を合て作れる也︒これミななき事を有やうにいひなし
ぬれは︑寓言といはさらんやと或問に見へたり︒客曰︑しやれ風の俳諧にハ切字もなく︑﹂︵三・ウ︶季もなき発句あり︒
其故を聞は︑季ハ心に持せたり︑営風ハ切字の詮議なし︒切字てにをはなきかしやれ也といへり︒先生の句にも其類ひあり
と︑世に沙汰せしを聞り︒誠さやうに候や︒答︑営流に切字︑時の季︑用ひぬといふ法式なし︒予か句に
持扇子五常へ配り明の春
ほむのりと枕草紙も明の空
一とせの歳旦也︒俗俳の知る所にあらす︒名師にしたしミ偲を受なは︑闇夜に灯を得るかことくならん︒時に客︑少悶の色
見えて︑懐中より一冊を取出し︑先生正風集を見すや︑法式常に用ひさるをしやれ風也と︑松月堂か﹂︵四・オ︶一集の序
に書り︒殊にしやれ風の法破りとも︑江戸筏と号けて二十余班倦︑泊徳に判させて︑手本に見よと油洲序を書たり︒筏とハ︑
組ムといふ心なるへし︒世上十か七ツ︑しやれ風にかたまりたると聞しに︑独吟の作者綾に稀也︒化鳥と誠らるA正風体よ
り︑百歌仙を以て風儀の盛なるを見せなは︑しやれ方閉口すへしとて︑我にも強て進められしに︑程なく百の上に満たり︒
此上にも猶思ひ寄ありと︑序のミを書て跛を残すの書一巻︑これ見給へとて投出す︒主人おしひらき見て︑拙なし/\︒お
もふにうき世也島といふてさし置ぬ︒客面を赤めて︑営に﹂︵四・ウ︶師を磯ハ我かつらをはるにおなし︒うき世也ケりと
ハ︑正しく嘲時の詞にこそ︒倭謁の神かけて返答を聞むと云︒主人莞休として曰︑かAる文盲至極の序を︑有かたしとか
しつく初心若俳の類族︑国に盗人︑家に鼠の心より︑うき世也ケりとハいへり︒角か難文に︑しやれ風のはいかいハ先達の
掟を用ひす︑新ク乾ノ如金︒これいかなる文盲そや︒凡序跛︑記行︑物語︑言葉書等にハ定まれる習ひあり︒先しやれ風ハ
先達の掟を用すとハ︑何を以いふにや︒正風体ハ慶長金のことく也︒一句せは二句にむかふとハ︑塗桶の熟柿を母の目をし
のんて盗ミ心にて焼物の寸尺を取﹂︵五・オ︶の類ひ款︒慶長乾金の文談︑狂言に書なしたるも︑俳諧なれは見ゆるじても
tとらすへし︒さりなから角か常にたしなむ俳諧︑皆化物にして︑初心若俳の性根をうはひ︑魔道へ引入るA方便の句に︑ミ
ん/\ミといふ作あり︒何事そやと書たるを見れは︑蝉といふ字にミん/\の仮名を付たり︒雪に長点か飛といふを見れは
鷺の足︑太夫にマツ︑三味線にナリモノ︑又ハ絵て見せ︑はんし物を書て︑若俳未練の臆病ものを迷す︒妥を化鳥とハ呼也︒
常流の作者ハ猛将勇士にして︑化鳥の喝声を聞ても動セす︒常に古来の法式を守り︑をはもかAらぬのおさへなくてハにて
と﹂︵五・ウ︶留らす︒見ゆハうくすつぬふむゆるとおさへ︑上の句のつAとめハなからほとふるの習ひを請︑そるこそれ
と覚へ︑下の句のにて留︑こそ留︑平句のかな︑ワキのてには留︑第三五ケの外に︑五ケ定は連班の深秘なれは︑委しく記
さす︒其中に約字留といふあり︒今世上を見るに︑はやりものなれは︑ふかき習ひなれともあらましハ述へし︒月の草のと
してハ留らぬもの也︒尤仮名書にしても留らす︒然るに不角方にハ︑文字とめの第三︑かそふるにいとまあらす︒貞徳紅梅
千句に
春の末天下に名ある郭公
とあり︒ほとAきすの文字数あれとも︑如此留られ﹂︵六・オ︶たり︒此有ルといふ字︑ありとしてハ第三にならぬそや︒
貞徳ハ連歌の證句を引ていたされたり︒其證句
山の端に月影滸<朧川
秘博の儀なれは︑連班師も此第三知る人稀也︒一紙品定と云秘書にあり︒是月とおかれさるゆへ︑川とAめたり︒二字韻︑
三字韻といふ習あり︒俳諧ハ連歌の跡を追へは︑しらぬ事ハセぬものそや︒発句の切字ハ︑十八神道を出やして二九の数に分
つ︒外に習ひの切字といふは︑三段︑三名︑大週し︑五文字切︑心切︑よりの捨切︑云添切︑文字餘︑云残し︑廻るてには︑
玄妙切︑五音相通︑連磐切︑親疎の仕立を以て常に嗜む俳諧︑何そ古来の﹂︵六・ウ︶掟を破るヘケんや︒其外宗祇の云い
ろは四十七文字︑いつれも切字也とそ︒宗長の曰︑うたかひハ猶決定の仕立に発句ありとそ︒此説堪應の作者ならてハ知る
事なし︒何として款︑夢にたも弁ふへき事にあらす︒若返答あらは︑再返答にケ條の品;書顕して︑眠りを覚さすへしとい
へは︑客曰︑主人悉く嘗流を符擁して︑正風体を難し給ふハ何事そや︒つけの枕の序も書さる事ハ︑此書に見えたり︒然る
に浮生か原俳諧をはしめ︑動もすれは我道の風儀を諷給ふいはれなし︒正風体になんそ誤りあらん︒既にしやれ方にハ古来
より夏に用ひ来れる百日紅を秋に﹂︵七・オ︶なし︑干鱈の季をとり失ひて雑になし︑盛りの花ならてハ正花に用ひす︒恋
と恋とを二句去に更とり︑さし合︑打越をかまはす︑焼返しの句を幾度も高点にし︑漫に我まAをふるまひ給ふハいかにそ
ゃ︒答て︑さし合︑打越ハ見落とて古来より誤とせす︒判者ハてには︑附心のよしあしを評する役人也︒打越︑差合ハ執筆
の所為也︒焼返しといふハ︑世にはやる付道具の事なるへし︒色品かハりなは︑くるしかるまし︒月ハ八ツ︑花ハ四本︑先
作あれは︑いやとてせすに置へきか︒百日紅ハ︑油徳︑ふミ蓬莱に書るかことく︑他に用ひよとにハあらす︒私の了簡也︒
古来より﹂︵七・ウ︶時の捌ハ宗匠の心に任せよと也︒又つけのまくらの序︑書さる云訳今更立へからす︒誠書さる云訳せ
んとならは︑原俳論を出せし靭︑なと返答ハせさりしや︒今浮生古人となり︑しらふるものもあらしとおもひて︑今此序に
云訳を書たるよと︑人の嘲らんを恥す︒至愚といはさるヘケんや︒とるにたらすんは善悪の評つくへからすと︑此とるにた
らすんはの文段︑おこかましくも︑あふけなくこそ聞ゆれ︒角方おもふ所あらは返答せよ︒俳諧の道ハ一筋の物也︒幾度も
出て請答ふへし︒客曰︑たとへ不角しやれ方の俳諧を難したりとも︑主人ひとりかくまて諷給ふハ何﹂︵八・オ︶事そや︒
油徳︑油洲︑其外営流の宗匠方よりの返答あるへきを︑横合よりの批判︑潜上のやうにこそ候へ︒殊はいかいも和班の一体
なるを︑古風ハ化鳥の異名を付て詐り嘗風にハしやれの名を呼んて雌雄と分る︑根元いかやうの事にて候や︒答て︑油徳を
はしめ外の宗匠逹を閣て意趣を述るハ客への異見そや︒此正風集を見せ給ふより︑思ふ事いはぬハはらふくるA
の類
ひに
や︒
宗匠ハ判者也︒外の好人ハ面ミに生業あれは︑唯の連衆也︒我ハ下手にてこそあれ︑江戸に一人の俳諧師也︒外に業もなく︑
一生俳諧に遊ふ隠者なり︒故に陥ふへき所もなく﹂︵八・ウ︶善悪の中を分ケて道理を述る也︒先化鳥を呵るにいはれあり︒
古風体はかりなれはあしきといふにあらす︒古風体ハ伊勢物語にして︑賓を虚に仕立る一句の作者︑此物語の心ならすや︒
是を不角︑俳諧の種として︑あらたに給を書キ︑判しものに仮名を付て︑初心の耳目をよろこはしめて︑化鳥の古巣へ引入
るAをなけかしくおもふゆへ也︒嘗流といふハ源氏物語也︒虚を賓に仕立て︑幽玄なるすかたを嘗流とハ申なり︒さかし︑
おろかなるも︑ともに仕習ふへきハ此流なり︒客曰︑正風体にハ古事古語を用ひ︑物の異名を弁ふ︒しやれ風ハ︑古来より
p1 94 .1 .1 p1 95 .1 .1 4 p2 02 .1 .5
.
二芦斉風子←一芦斎風子
に浮生か原俳諧をはしめ︑動もすれは我道の風儀を諷給ふいはれなし︒正風体になんそ誤りあらん︒既にしやれ方にハ古来
より夏に用ひ来れる百日紅を秋に﹂︵七・オ︶なし︑干鱈の季をとり失ひて雑になし︑盛りの花ならてハ正花に用ひす︒恋
と恋とを二句去に更とり︑さし合︑打越をかまはす︑焼返しの句を幾度も高点にし︑漫に我まAをふるまひ給ふハいかにそ
ゃ︒答て︑さし合︑打越ハ見落とて古来より誤とせす︒判者ハてには︑附心のよしあしを評する役人也︒打越︑差合ハ執筆
の所為也︒焼返しといふハ︑世にはやる付道具の事なるへし︒色品かハりなは︑くるしかるまし︒月ハ八ツ︑花ハ四本︑先
作あれは︑いやとてせすに置へきか︒百日紅ハ︑泊徳︑ふミ蓬莱に書るかことく︑他に用ひよとにハあらす︒私の了簡也︒
古来より﹂︵七・ウ︶時の捌ハ宗匠の心に任せよと也︒又つけのまくらの序︑書さる云訳今更立へからす︒誠書さる云訳せ
んとならは︑原俳論を出せし靭︑なと返答ハせさりしや︒今浮生古人となり︑しらふるものもあらしとおもひて︑今此序に
云訳を書たるよと︑人の嘲らんを恥す︒至愚といはさるヘケんや︒とるにたらすんは善悪の評つくへからすと︑此とるにた
らすんはの文段︑おこかましくも︑あふけなくこそ聞ゆれ︒角方おもふ所あらは返答せよ︒俳諧の道ハ一筋の物也︒幾度も
出て請答ふへし︒客曰︑たとへ不角しやれ方の俳諧を難したりとも︑主人ひとりかくまて諷給ふハ何﹂︵八・オ︶事そや︒
泊徳︑油洲︑其外堂流の宗匠方よりの返答あるへきを︑横合よりの批判︑潜上のやうにこそ候へ︒殊はいかいも和班の一体
なるを︑古風ハ化鳥の異名を付て詐り営風にハしやれの名を呼んて雌雄と分る︑根元いかやうの事にて候や︒答て︑油徳をt
ノ
︶ 卜
︶
M ヽ
1 ‑E
危.ク 一
日 :
Uヨ
3 E . / : E '
︑ ︑ L7
︑ r
ノ見も
︐ご
Po
七E凪佳にし
r ‑ i
ょ︱合ふより︑思ふ翡︑︑なねハはらふくるA
の類
ひに
や︒
俳諧師也︒外に業もなく︑
化鳥を呵るにいはれあり︒
i︑此物語の心ならすや︒
ふめて︑化鳥の古巣へ引入
i流とハ申なり︒さかし︑
ぢしやれ風ハ︑古来より
.
スツトメメ
←スットメ
浮生か原俳諧←浮生か原俳論
正誤表
先生平点︒
先生判に留らす︒述班手本に急け目を末また遠き都路にとあり︒惣して下知ハせいはいの詞ゆへにてともにとも留らす︒
猫にスツトメメの
訓な
し︒
先生判に連斑の発句也︒袖下集のうちにあり︒
灯涙猫をひんとはねたる憂の海老
スットメ 銀
且那出まして宿に織内 漠 張れ絹を族兄弟諸ともに 大極 霜に歯形の心なき下駄 亀背 枝なから月ハ散リたる木葉かな 栄 酉判謁仙
こ道なき﹂︵九・オ︶新法なれは︑何そ其徳あらんや︒答︑いにしへより道なしとハ︑餘り文盲なるいひ事也︒万薬ハ実を表︐ 亨
にし︑花をかたハらに撰れたり︒古今集ハ花実相酎せり︒代ミの撰集︑時/\にかハりあり︒周の代おとろへ︑泰の代募逆
にして︑儒を坑にし︑書を焚︑周公︑孔子の跡かたもなくなりしに︑漢の代起りて鰹書やう/\出︑注疏も次第に出来たり︒
宋明の儒者︑性理の学を本として︑漢儒の非を揚て其説を破するの論︑古往今来やむ事なし︒其論まち/\`なりといへとも︑
鰹書の文學正しく訓詰して︑古に通ル﹂︵九・ウ︶事痰儒より宜ハなし︒若淡儒の訓詰なくむは︑いかむそ宋明の性理の学
も起らんや︒古より和漢ともに道の改るハ常也︒客︑嘗流の深意を感して︑古風の魂をみかき︑先生の門人となりて去ぬ︒
不礫筆を捨ておもふに︑今先生と客と新古の問答︑私に定かたしと心付より︑一軸の謁倦を綴り︑雌雄の中に立︑先生の即
評を取るより︑角にも点させて是を引合見る︒
不礫獨唆」(+•オ)
先生加筆に捉師寺ハ尺教てなし︒治郎左衛門と直して 長点
︒
薬師寺に十念乞へは治郎左也
南無あミたと見ヮたし
平点
︒
先生乎点︒
是同く連班也︒
先生長点︒ 先生判に連斑也 ︒ 長
点︒
剃にコソケルの
訓な し︒
同寄合のうちの連斑︑宗紙の句也︒ 先生判に連斑也︒寄合の内にあり︒
労/\迪す駕の棒組 朱鹿を見て矢立の筆の先を噛 乎朽木に残る月のかけはし﹂(+一・オ 舟三重てあこきあこかれ出給ふ 朱コ
ソ ケ
ごそと剃て南
まみ陀佛` ︑ 下帯の結ひも果す絶やせん 朱 いとけなきより契る行末 あらましを胸の遠山おもひやれ 茶に立は呼ひ引ッつられケリ﹂(+・ウ 英
^ ^ '
長点︒ 平点︒ 長点
︒
長点︒ 平点︒
長点
︒
附心古風也とワキ揖あり︒ 先生判に舟呼ふ納のうらはの夕霞と寄合にあり︒ ,〒 "
先生判︑寄合の内のもと班に声遠きかねのミたけの花に寝てとあり︒
乎瓜て世をふくさに喰ふハ中から下 十ニ・オ ス長閉帳前ハ海道を押﹂︵ 乎物いひて扱ハ狂氣の母と知り 英目くれ心もきゆる太刀取 平何事のおハしますかハ拝ミます 俊赦免なき身ハ今の俊寛 朱帆を呼ふ鞘のうらはの夕かす 平おもひ八九三の明日を待梅」(+-•ウ 朱花に寝て鐘のみたけの下焦れ 乎杉戸の奥へ至る引舟
長点
︒
是も連歌︒ 連弼也︒名に立そを名に立かと替たる迄也︒ 長
点︒
平点
︒
朱長
︒
此句十八年以前重藤に雉子の羽以てはいたる矢といふに付たる句にて不角点︑無上宝︑
廿三点也︒
連斑也︒寄合を
見す や︒
先生判︑是等の句形おとなし
から す︒
英人間の花ハ廿の五六年 平うき木の亀に似たる我中 朱引かふる後を誠の名に立牧 蒙障子に穴をあけてさA
やき
朱蝉折の音に野も庭も咲乱れ 豪壬生の小猿ハ秋の脊を踏4﹂
︵十
ニ
・ウ
朱かへり見る跡の山の端月暮し 無極工
︑
鰐出やれ餌ハそれかし
無 上 質 倍 廿
=
︳点 重代を伊達にハ指二すこんな時 英ミッ
サ イ ケ
関の荷とりの哨を投
` ふ
`
9 . ,
上ハ玉渕堂︑下ハ松月堂︑雨判の歌仙をうつして世上の俳肱をうかAふ︒てにはの配剤︑
者の第一也︒若俳の倫︑邪慢の瞳を折て老誹の功者に習ふへきもの也︒﹂︵十三
・ウ
︶ 解題 一 書 誌
東京大学知十文庫蔵本
(A
00
・知十・一五八︶︒半紙本一巻一冊︒︵底本︶0表紙黄土色表紙。二十二•OX十五・七糎。乍〇題答左肩。枠なし。「住とむと全」十四・八x三•O糎゜諧
0
丁 数 十 三 丁
0
見返し中央に挿絵とともに﹁
0
内題・尾題なし︒
0
柱 記 な し
︒
顕印
松月堂
川リ
半 落葉五
工業
/\ よ り
畔とんと﹂と題し︑左右に内容を表す小見出しをつけている︵図版︶︒ 平遊ふに利あり春の晦日﹂︵十三・オ
一句の仕立にヒ加減有へき事︑判
天理図書館綿屋文庫蔵本︵わ
‑ 1 0 1 ‑
五︶︒半紙本一巻一冊︒
0
表 紙 黄 土 色 表 紙
︒ 二 十 一
・ 六
x
十五・ニ糎︒〇題策なし︒左肩に﹁俳諧とんと﹂と墨書︒
〇旧蔵者北田彦三郎︵﹁紫水文庫﹂の印︶︒他は底本に同じ︒
二 解 説
江戸における正風︵貞門︶と洒落風の論争としては風雲子編﹃つげの枕﹄︵宝永四年︶が洒落風を攻撃したのに対して︑
季吟の門人であり本来は同じく貞門であった浮生が同年すぐに﹃滑稽弁惑原俳論﹄を著して洒落風擁護をかって出て洒落風
側へ転向した争いが知られている︒︵穎原退蔵氏﹁続俳諧論戦史﹂﹃俳諧史論考﹄星野書店昭和十一年六月︒﹃穎原退蔵
著作集第四巻﹄中央公論社昭和五十五年三月に再録︶﹃つげの花﹄に参加しているのは編者風雲子ほか子英・径菊・調和・
周竹・一徳・白鳳・志交・一蜂であり不角の名前はみえないが︑﹃俳諧とんと﹄の中でも問題となっている︵七・オ
l
八・
オ︶ように︑不角編﹃正風集﹄序には
フルマヒ問他を請
ー 事 を嫌ひ給ふよし︑是亦鉾楯の行跡なり
︒それ如何となれハつけの枕の序は痩︵平島注不角︶
0
丁付
0
〇匡郭 行数〇挿画
〇刊記
なし
︒
本文部分十二行︑歌仙部分六行︒
なし
︒ ﹁‑﹂ー﹁十三﹂︒
なし
︒
の書
よぴ
し︒
︵引用は天理図書館綿屋文庫蔵本により︑私に句読点を付す︒引用文の句読点については以下同︒︶
とあり︑当時﹃つげの枕﹄の序文は不角が書いたものであるという風聞があった︒同じく﹃正風集﹄の序文の中で不角は︑
つけの枕始ル時予にも加るへきよし内意侍りし故︑労ハ他の誹諧をなじり給ふ思量あり︑予に力なし︒労の上手並に
罷出てものせんもおこかましくこそ侍れ︑我ハゆるしてよとて彼集に入らす︒彼序ハ一芦齋風子と有︒曽て何者と云事
をしらす︒時に各︑今迄ハ先生序を書りと自他共に思り︒序書さる事をいかにして今迄は仰られすや︒孔子ハ陽虎に
似て膚と成︑丘不言天命に随て国を出す︒天眼未問嶋を不顧︑霜天に五異香をさAす︑四知の明らか成もの也︒今序文
書さる事︑他の誹諧への言分してめたれ顔のふるまひにてハ全くなし︒
尻口
にて
言一
︑︑鉾楯の働と労いへる其断を述る
迄也︒
と述べ︑﹃つげの枕﹄の序文を書いたことを否定しているが︑﹁つけの枕始ル時予にも加るへきよし内意侍りし﹂と仲間に加
わるよう誘われたこと︑及びこの後に続く文章では﹁"其心底にて何条彼集を手前より弘めけるにや﹂という問いに対して
答我に子数多有︒
独ハ
書生とす︒たとへ他の誹書なりとも頼まは何そ板におこさAらんや︒他の誹書を板におこせハと
て我他の誹諧に移るにもあらす︒普
ヘ ハ
書生に日蓮派あらんに三部紐を版にして弘るかことし︒
注ーと不角が書陣を営んでいたことより﹃つげの枕﹄を出版したことは認めている︒そして
不角は﹃正風集﹄序で︵中略︶本書︵平島注﹃つげの枕﹄︶を出版したことは認めているので︑序文及び刊行の業は彼
によったと思われる︒︵鈴木勝忠氏﹃未刊江戸座俳論集と研究﹄百二十一頁︒未刊国文資料刊行会
昭和五十 昭和三十四年一月︶
編者は不角の匿名とおぼしく︵白石悌三氏﹁つげのまくら﹂の項︒﹃日本古典文学大辞典第四巻﹄岩波書店
九年
七月
︶
というように︑現在は﹃つげの枕﹄の序文を書いている編者﹁風雲子﹂は不角の匿名であると考えられている︒先に挙げた
﹃正風集﹄の序文の中で不角は﹁彼序ハ一芦齊風子と有︒曽て何者と云事をしらす﹂と﹃つげの枕﹄の序文を書いたのは自
分ではないと述べているが︑﹃つげの枕﹄には巻末に﹁風雲子写之﹂とあるのみで﹁一芦齋風子﹂という名前は見出せない︒
﹁風雲子﹂と﹁風子﹂とは似ているので勘違いしたとも考えられるが︑﹁不角が自らかうした誤を犯して居るのは︑一芦齋
風子も風雲子も共に不角自身の廣名として使用するつもりだったからではあるまいか﹂︵穎原退蔵氏﹁続俳諧論戦史﹂前出︶
とも考えられる︒序文を実際に書いたか否かは別としても︑仲間に加わるよう誘われており︑出版をひきうけていること︑
及び﹃つげの枕﹄の出版以後も﹃つげの枕﹄に参加している俳人達と不角とは親しい交流を続けていくこと等より︑﹃つげ
の枕﹄に名前のみえる俳人逹と不角とが俳諧に対する考えを同じくするものであったことは認めてよいと思われる︒
﹃俳諧とんと﹄は﹃つげの枕﹄﹃滑稽弁惑原俳論﹄の争いより十三年後の享保五年に玉淵堂主人蝠龍によって著された洒
落風側からの︑今度は不角個人に対する論難書である︒米谷巌氏・浜森太郎氏が﹁近世俳書年表稿︵六︶﹂︵﹃近世文芸稿﹄
二十五号広島近世文芸研究会昭和五十四年十一月︶において﹁洒落風に荷担︑不角の化鳥風を難ずる蝠龍の問答体俳論︒
蝠龍評と松月堂不角点の︑不礫獨吟﹃両評謁遷﹄一巻を付す︒全十三丁︒﹂と紹介された以外にはとりあげた方はいないが︑
﹃つげの枕﹄﹃滑稽弁惑原俳論﹄の論争につづく﹁正風﹂と﹁洒落風﹂との江戸における俳諧論戦史上に加うべき一資料で
あり︑本書の価値もそれにつきるといえる︒
書中﹁或問に記す所の﹂︵一・ウ︶︑﹁或問に見へたり﹂︵三・ウ︶とあるが︑﹃俳諧とんと﹄はその前半部の記述のぼとん
玉淵堂の主人蝠龍といふ人あり︒関西より出て
東武のかたハらに隠れ︑茅屋半間の邊に訃て性
俳諧を好ミ︑風雅の林に遊ふ︒一日︑享保五子
の歳旦引付を撰らんて︑執筆不礫をまねき︑板
下をかAしむ︒折節客ありて閑窓を敲く︒縄床
を下りて向へは客日︑それ人ハ時に遇を品ふ
へし︒金革を褥にして創点j旦暮に待もの︑猶文
をよこたへて詩を賦ルの風雅あり︒何況先生と
我と︑幸に泰平の御代に生れて発日を扶桑の梢
に戴く︒願ふらくハ楽みを衆とともにして︑興
を月花に寄ん事をと︒主人悠然として︑人の
性たる︑各好む所あり︒淵明か菊︑和靖か梅︑
餘香ある事を知らす︒杜豫に左傭の僻あり︒吾 俳諧とんと どを脩竹堂著﹃俳諧或問﹄︵延宝六年︶によっている︒﹃俳諧とんと﹄を読んだだけではどこからどこまでが﹃俳諧或問﹄しによっているのかいまひとつはっきりとしないが︑今両書の対応する箇所を示せば左の如くである︒
︵﹃
俳諧
或問﹄の引用
は天
理
図書館綿屋文庫蔵本
によ
る︶
俳諧或問
シ ウ チ ク ダ ウ シ ュ モ ノ ク ハ ソ サ イ タ ウ プ
脩竹堂の主人といふ者有︒関西より来て東武の
かたハらに僑居す︒黄金千層の富を談笑して素
コ
ノ ハ
イワウクネ
ジ ッ カ ソ
賓半間の雲に卦す︒性俳諧を好んて︑梅翁の種
ソ ウ シ ナ ソ エ ソ ウ ヘ
を荘子か南苑に栽むとす︒亦かたからすや︒一
キャクショソウ日︑客有︒其書窓をたAく︒主人出てむかへ︑
ア ク ス ナ ハ チ ゲ キ ャ ク
酒茶有にまかせて飽は即休する事を解す︒客の
ョ ロ コ キ
ソ
カ ク シ キ ネ
︵ マ マ
︶
日︑人は時に逢ふを喜ふへし︒金革を褥にして
ク ソ ポ
ホ コ ヨ コ ク エ フ フ
ウ命を旦暮に待もの︑猶文を横て詩を賦するの風
ヵ サ イ ワ イ
雅あり︒いかにいハんや子と︑我と幸に太平の
キ ャ ウ フ ソ
ウ イ ク A キ
代に生れて発日を扶桑の嶺にあふく︒願ふらく
クノシミは楽を衆と共にして︑興を花月に寄せん事を︒
クハソヂ主人莞爾として云︑人の性たる︑各好む所有︒
渕明か菊︑和靖か梅︑餘香ある事を知らす︒杜
ヒトAナッ元岬芭の家に長て︑詩謂の奥ふかき林に遊はす︑
唯俳諧を好みて群を郷里の小児と共にす︒衆と
ともに楽にあらすや。(一・オi-•ウ)
客曰︑俳諧ハいかやうにたしなむへきそや︒
答曰︑或問に記す所の守武ハ神明の御告にまか
せて此道を興起す︒今世に行ハるA守武千句是
也︒其巻を見るに︑悉く寓言をもて本とす︒かA
る越格のオありしかは神明の内證に叶ひけるに
や︑白日登仙ありしと也︒︵一・ウ︶
1 1 .. , I I I I I I ̲
̲
̲
̲
̲ I I I I I I I I I I I I I I I l
̲
̲
̲
̲ 1 1
ー客日︑俳諧の中典ハ貞徳とこそ聞侍りしに︑其
外にも流の侍るや︒また寓言の俳諧とハいかや
うの事にて候や︒答︑奈良に杜丹花︑伊勢に守
武の流あり︒今江戸の宗匠ハ勿論︑すべて此道
を楽むもの︑ミな貞徳の枝築ならすといふ事な
し︒されは時代にかハるはいかいの風儀に目を
つけておもへは︑守武より宗鑑︑宗因︑其角と
っ
Aひて︑ミな寓言をもて仕立たりと見ゆ︒凡寓言とハ︑我か心に思ふ事を物に比し︑事に賦
ヨ サ デ ソ ヘ キ ワ レ ソ ウ パ ウ イ エ ヒ ト
Aナッ豫に左傭の僻有︒予もと草葬の家に長て︑詩班
オ ク フ カ ア ソ ク
A
コ ノ グ ソ
の奥深き林に滞はす、唯俳諧を好んて群を郷—
里の小児と共にす︒
︵一
・オ
ーニ
・オ
︶
衆と共に楽むに非らすや︒
ア ラ キ ク モ リ ク ケ タ ッ
荒木田守武なん深く俳諧の心に達し︑神明の御
ッ ケ ケ ウ キ
告にまかせて此道を興起す︒今世におこなハるA
モ リ ク ケ こ と
Aクウ守武千句是なり︒其巻を見るに尽く寓言を以て
セ ッ セ イ ナ イ ソ ヤ ウ
本とす︒かAる絶世のオ有しかは神明の内證に
トウも通しけん︑白日に登仙しぬ︒︵四・オ︶
•IIIIIIIIIIIII_
一問︑守武︑宗鑑の後にも俳諧の好士おほし︒
今なを京︑江戸の点者おほくは貞徳の門より出
クウゲソれ共︑寓言を本とす共見えす︑風儀また宗因に
ことなり︒寓言とはいかなるを申にや︒答云︑
貞徳はさすかのオ徳なれは︑笈に心なきにあら
コ シ ウ
す︒只故習にひかされ︑またハ時勢にほたされ
シ ソ キ カ キ ヲ ケ
て新奇を出す事なかりしにそ︒其書置る物を見
クウケソて知へし︒寓言とハ︑我心に思ふ事を物に比し︑
ソモ/\ソウシ事に託して云出すの義也︒抑荘子か心は︑道ハ
L していひ出すの義也︒抑荘子のこAろハ︑道ハ
大極の前にあれは︑天地︑人物︑有情︑非情ひ
モトとつにして斯に洩る事なし︒物素同根なれは︑
彼を善とし︑是を悪とすへからす︒此道ハ音も
なく︑香もなく︑さしていふへき形もなし︒万
物を消息すれとも︑己か功とせす︑古今にヮた
れとも︑己か徳とせす︒我も又此徳にひとしく︑
万物ともに往来して無窮の楽みをたのしむへし
とおもへり︒その意味ハ︑逍遥滸︑斎物論を見
て考へし︒かく逍遥自在の道に剋体して︑万物
に等く見る眼なれは︑仮りにも物にあつからす︒
心にうかふ千差万別︑一奄の私意塩梅なくいひ
出せは︑是を非とし︑非を是とし︑真偽を混る
︵マ マ︶
言葉の自然と無偽の道に帰する︑是や荘子か寓
言といふならし︒本朝にてハ︑源氏一部の大意︑
よく此心に叶へり︒一條禅閣の御説にも︑肖柏
老人の講せられしも︑おもてハ荘子か寓言也と
のたまひし事︑世をもて知る所也︒︵ニ・オー
三・
オ︶
サキ太極の前にあれは︑天地︑人物︑有情︑非情ひ
モトとつとして寃にもるAことなし︒物我素同根な
れは︑かれを善とし︑是を悪とすへからす︒こ
ヲ ト カ
の道は音もなく︑臭もなく︑さしていふへき形
シ ャ ウ ソ ク
もなし︒万物を消息すれ共︑己か功とせす︑古
ワク今に亘れとも己か徳とせす︒我も又此徳にひと
ム キ ウ
しく︑萬物と共に往来して無窮の楽ミを楽むヘ
しおもへり︒其意味ハ︑逍遥遊︑斎物論を讀て
カ ン カ ジ ザ イ テ イ
考ふへし︒かく逍遥自在の道を体して︑萬物を
ひとしく見る眼なるゆへに︑かりにも外物にあ
サ ヘ ッ カ ウ ア ソ
つからす︒心にうかふ千差万別︑二地の私意按
排なく言出せは︑是を非とし︑非を是とし︑真
キ ミ ク
偽を混る言葉の自然と無為の道に帰する︑是を
ク ウ ケ
ソ荘子か寓言といふなり︒本朝にてハ︑源氏一部
の大意︑よく此心にかなへり︒一條の禅閣兼良
公の御説にも︑牡丹花肖柏の講せられしにも︑
ク ウ ケ ソ
おもては荘子か寓言なりとの給ヘリ︒︵五・オ
ー六
・ウ
︶
客日︑然らは寓言ハ是非邪正を混り︑あらさる
虚をいふ事弦︒答て︑其言薬に顕るA所を聞は
さのことくなれとも︑道体の廣大なるを形容す
る所より出たるもの也︒此心︑老荘の書のミに
あらす︑儒佛こも/\この類多し︒強ていはA︑
易に龍野にたAかふ︑其血玄黄也といひ︑詩鰹
に︑嵩嶽の神︑降て申伯と成といへり︒その外
皇天上帝を立て︑人物禍福を監る事を論す︒果
して此衣冠底の人ありとせんや︑是其理を形容
して人に告たる也︒されは楊亀山も︑逍遥の一
篇ハ子思の意也といへり︒朱文公も︑道士の名
に詫して参同契に註せられたり︒班道を以てい
へは︑京極黄門の柿本射貫とてこと︵しく呼
れたるハ︑人麿︑射恒︑貫之三人を合せたる作
り名也︒松岸寺大臣善成公︑河海抄を作りて︑
物語博士源惟良といへる︑惟光︑良清を合て作
れる也︒これミななき事を有やうにいひなしぬ
れは︑寓言といはさらんやと或問に見へたり︒
︵三
・オ
ー三
・ウ
︶
ゼ ー
J
牙 力 廿 カ ー
`s Iクー
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1
一問︑然らは寓言は是非邪正を混り︑あらさる
︵マ マ︶
うそをいふ事か︒答て云︑其言にあらハるA所
をいへはかくのことくなれとも︑道体の廣大な
ケ イ ヨ ウ
るを形容する所より出たるものなり︒此心︑老
荘の書のミに非す︑偏道にも此類おほし︒しゐ
ていは
A
易に︑龍野にたAかふ︑其血玄黄な
スウカク
シソハクりといふ︒詩経に︑楳嶽の神︑降て申伯と成た
るといへり︒其外︑皇天上帝を立て︑人物の禍
フク
カ ソ カ ミ ソ ハ ク テ イ
福を監事を論す︒果して此衆冠底の人有とせん
ャウ
や︑是只其理形容して人に告たる也︒されは揚
亀山も逍遥の一篇は子思の意なりといへり︒朱
文公も︑道士の名に託して参同契に註せられた
ミ ツ
ラり︒班道を以ていへは︑京極黄門の柿本射貫と
ヒトマロミツネてこと/\しくいはれたるは︑人麿︑射恒︑貫
ユ キ ッ ク リ ナ
之の三人を合せたる作名也︒松岩寺太臣善成公︑
カ カ イ
ハ
カ セ
河海抄を作て︑物語博士源惟良といへるハ︑源
氏︑惟光︑良清をあわせてつくれる也︒これミ
ななき事を有やうにいひなしぬれは︑寓言とい
はさらんや︒︵七・オ
i
八・
オ︶
ャ冒頭からして﹃俳諧或問﹄と著者名を入れ替えただけに等しい文章の構成は﹁玉淵堂蝠龍﹂及び﹁不礫﹂が実在の人物では
なく匿名であることを強く感じさせるものである︒加えて不角側の人物であるとされている﹁客﹂が問う内容も﹃俳諧或問﹄
からとったものがほとんどであることから︑この﹁蝠龍﹂と﹁客﹂との間でくりひろげられた問答が虚構のものであること
は自から明らかである︒﹃俳諧とんと﹄の著者﹁玉淵堂蝠龍﹂及び執筆﹁不礫﹂なる人物は﹃国書総目録﹄﹃古典籍総合目録﹄
︵岩波書店︶によると本書にみえるのみであり︑いかなる人物であるのか不明であるが︑その独自の主張は﹃俳諧或問﹄に
よらない後半部分にあるといえる︒
﹃俳諧とんと﹄がその前半部の記述のほとんどをよっている﹃俳諧或問﹄は延宝六年に脩竹堂によって著されたものであ
るが︑﹃俳諧或問﹄の内容は惟中の見解と口吻にほとんど等しいものであり︑脩竹堂は惟中の匿名かといわれている︵穎原
退蔵氏﹁俳諧論戦史﹂﹃俳諧史の研究﹄星野書店昭和八年五月︒﹃穎原退蔵著作集第四巻﹄に再録︒米谷巌氏﹁俳諧或問﹂
の項︒﹃日本古典文学大辞典第五巻﹄岩波書店昭和五十九年十月︶︒ここで注目されることは︑先に挙げた浮生の﹃滑稽弁
惑原俳論﹄もまたその論旨を惟中著﹃俳諧蒙求﹄︵延宝三年︶によっていたことである︵白石悌三氏﹁滑稽弁惑原俳論﹂の
項︒
﹃
H本古典文学大辞典第二巻﹄岩波書店昭和五十九年一月︶︒出版された︑洒落風が正風を攻撃した書で現在知られる
のは﹃滑稽弁惑原俳論﹄﹃俳諧とんと﹄の二書のみであるが︑この二書はともにかつて談林の論客として貞門を攻撃した惟
中の言説によっているのである︒
不角や調和は前句付の点をしたことから︑現在では﹁雑俳点者﹂という認識のもと低く評価されがちであるが︑当時にお
いては彼らは貞門の俳諧師として存在していた︒不角方の人物である﹃俳諧とんと﹄中の﹁客﹂が﹁俳諧の中興は貞徳とこ
そ聞侍りしに﹂︵ニ・オ︶と述べるのは不角が貞門であることを認識した上でこそ生きてくる言葉であり︑それに対して洒
落風側の人物である﹁蝠龍﹂が﹁時代にかハるはいかいの風儀に目をつけておもへは︑守武より宗鑑︑宗因︑其角とつAひ
てミな寓言をもて仕立たりと見ゆ﹂と答えるのも洒落風が談林と同じく貞門に対するものであることをふまえてこそ理解で
きるものである︒鈴木勝忠氏は﹃つげの枕﹄と﹃滑稽弁惑原俳論﹄の争いを﹁貞門対談林の論争延長として理解するのが︑
その性格の上では最も妥当なようである﹂︵﹃未刊江戸座俳論集と研究﹄未刊国文資料刊行会昭和三十四年一月︶とされ︑
﹃つげの枕﹄の連衆を﹁前句付派貞門俳人﹂︑洒落風である油徳を﹁談林系油徳﹂︵﹁享保俳諧の展開﹂﹃俳諧史要﹄明治書
院昭和四十八年十一月︶とよばれた︒対立する﹁洒落風﹂が︑不角ら﹁正風﹂を攻繋するのにかつて談林が貞門を攻撃し
た時の論客であった惟中の言説を用いたのは︑その対するところが同じく貞門であったからであるといえる︒鬼貫が﹃ひと
︵享保三年刊︶において
りこ
と﹄
当時もてはやす俳諧の中に︑此句を聞給へと語り侍るを︑前句は何といふにやと問ふ人あれば︑今時前句をたづね給ふ
は扱も古めかしく侍る︑当風は前句なんどにかAはる事候はずといふ人などもありげに聞ゆ︒にがにがしくこそ侍れ︒
いにしへ談林風・伊丹風などいひて句にさまざま異形をつくせし時節も︑更に前句を忘るA事なく︑或は文字をけうと
くあましたる句もあれど二句隔る掟を守らずといふ事なかりし︒
と述べているように談林風と﹁当時もてはやす﹂洒落風とは親句と疎句との違いのあるものであり︵白石悌三氏﹁元禄しや
れ風の説﹂﹃創立三十年福岡大学記念論文集文理編﹄昭和三十九年十一月︶同じものではなかったが︑その対する相手が貞
門であるという点では両者は同じ性質を有するものであった︒現在では﹁雑俳点者﹂という何か一段低い評価しか与えられ
ていない不角であるが︑当時においては伝統をうけつぐ貞門の俳諧師として存在していた︵不角の俳糸は貞徳I
未 得
│
│
注3
不トー不角︶のであり︑それは対立していた洒落風側でも認めていた︑いわば当たり前の認識だったのである︒また︑
﹁連班の深秘なれは︑委しく記さす﹂︵六・オ︶︑﹁貞徳ハ連歌の證句を引ていたされたり⁝⁝秘他の俊なれは︑連班師も此
第三知る人稀也︒一紙品定と云秘書にあり﹂︵六・ウ︶︑﹁先生判に連班の発句也﹂﹁連班手本に﹂(+・ウ︶︑﹁先生判に連
弼也﹂﹁是同く連班也﹂﹁同寄合のうちの連班﹂︵十一・オ︶︑﹁連班也﹂︵十ニ・ウ︶︵十三・オ︶︑﹁是も連歌﹂︵十三・オ︶
というように︑﹃俳諧とんと﹄中で蝠龍は不角を非難するのに連歌を用いている場合が多い︒これは蝠龍が連歌にくわしい
じ人物であったと考えることもできるが︑﹁俳諧ハ連歌の跡を追へは︑しらぬ事ハセぬものそや﹂︵六・ウ︶という言葉からも
うかがえるように︑新風である洒落風に屈する蝠龍が﹁貞門﹂という︑いわば俳諧における伝統を非難するためには︑貞門
俳諧のそのさらに大元である連歌という伝統によることが有効であると考えたためであると思われる︒さらに﹃俳諧とんと﹄
中に
客曰︑たとへ不角しやれ方の俳諧を難したりとも︑主人ひとりかくまて誠給ふハ何事そや︒泊徳︑泊洲︑其外常流の宗
匠方よりの返答あるへきを︑横合よりの批判︑潜上のやうにこそ候へ︒︵八・オ︑八・ウ︶
とあることより洒落風を代表する宗匠である泊徳や泊洲が不角を直接非難したことはなかったことが知られるが︑それには
注4泊徳が調也︵露言︶の弟子としてその俳諧師としての人生を歩み出すこと等も関係があったのではないだろうか︒調也は貞
門である調和の門人であった︒泊徳は﹁のどかで大らかな人柄﹂︵白石悌三氏﹁一宗匠誕生の周辺ー│水間泊徳覚書︵一︶﹂
﹃文学研究﹄第六十二輯九州大学文学部昭和三十八年九月︶であったといわれるが︑彼自身が争いを好まない性格であっ
たことに加えて︑自身もその俳人としての初期に親しんだ貞門を直接非難することには遠慮があったのではないかと思われ
るの
であ
る︒
﹃俳諧とんと﹄がその前半部の記述のほとんどを﹃俳諧或問﹄によっていることは先に述べたが︑その他の部分には﹃江
戸筏﹄﹃正風集﹄﹃紅梅千句﹄﹃一紙品定﹄といった書名がみえる︒今それらについて簡単に記せば次の如くである︒五・オ︑
ゥに言う﹁角か難文﹂とは︑不角編﹃正風集﹄序に
適訪来る人二人三人世上の誹諧の沙汰をとり/\に言フ︒一人の曰︑今誹諧正風林︑しやれ風と分れて正風林をけちゃ
うと号す︒けちゃうといふハ何を以て云や︒答しやれ風の誹諧ハ先達のおきてを用す新ク乾ノ如金︒正風林ハ慶長金の
︵元禄十四年︒引用は東 ことくと也︒尚可レ請ー心より慶のイを略てけちゃうとす︒予曰︑かた/\の物語にてけちゃうの謂始て知り︑案するに此異名末繁昌すへき先表なり︒今正に一句せは二句にむかふへきものヒいヘハ︑人?大笑ス︒
とあるのを指し︑八・オの﹁とるにたらすんはの文段﹂とは︑同じく﹃正風集﹄序に
又曰ク︑正風鉢の中にも先生を目に懸て訓ル︒何そ請リかへささるやo予答委ハ旅僧問答に書ルかことく︑訓ル人ハ名人な
り︒誰らるA我ハ下手也︒呵乙一起蜆蜂︳︱/奮迅ぶ懇竜ーいへとも︑予曽て蜆蜂程の力量なし︒或人亡師不卜ヘ来て誹諧の沙
汰有中に不卜の風義を笑ふ人有と︒不卜曰︑はや我誹諧も訓らるA程にこそ成つらめ︒哀訓られ足らぬやうに覚て侍る
と答へられたり︒此詞︑金言成ー事今も耳に残れり︒とるにたらすんハ善悪の評附へからす︒
とあるのを指す︒また七・ウの﹁泊徳ふミ蓬莱に書るかことく﹂というのは︑泊徳編﹃ふみ蓬莱﹄
京大学洒竹文庫蔵本による︶に
百日紅一名紫薇花︒秋也︒六月と云説あれと難用︒六月ハ末也︒枝薬皆成就して木に花のなき月也︒盛久しき物なれ
ハ五月末よりも咲る也︒萩も五月雨の頃より少つA咲とも畢党秋盛也︒秋萩とよめることハり也︒紫薇花四五月より花
開き初て六七月に至ると云り︒八月まても咲也︒東披か紫薇の詩にも秋風落日照
I
横叙↓︑李義山力詩にも秋庭暮雨洗こI
塵埃
1と云り︒花の久しく盛なる事を稲して名とせる物なれは︑久しきを用ひて秋にとりたるかよし︒
青 砥 左 か 百 日 紅 や 水 の 影 泊 徳
とあるのをふまえてのものである︒﹃一紙品定﹄は未詳である︒また︑先にも少し触れたが︑論難書にありがちなこB
では
︑ヤあるが﹃俳諧とんと﹄では巻末の歌仙においてわざと既存の連歌の句を用いて連句を作り︑それを見抜けなかったとして不
角を非難している︒蝠龍の評を写した歌仙の上の部分には﹃袖下集﹄﹃連班手本﹄﹃寄合﹄といった書物名がみえる︒このう
ち﹃寄合﹄については﹃連歌寄合集﹄︵木藤才蔵氏・重松裕巳氏編﹃連歌寄合集と研究﹄未刊国文資料刊行会昭和五十四
注5年八月︶を閲するとやや句形の異なるものはあるものの︑全ての句をみつけることができる︒しかし︑同様に実在した書で
あると思われる﹃袖下集﹄﹃連班手本﹄︑及び二十八句目の評にみえる﹁十八年以前﹂の﹁不角点﹂については明らかにす
ることができなかった︒ご教示を請いたい︒
付記本稿をなすにあたり︑翻刻をご許可下さいました東京大学総合図書館︑並びに資料の閲覧でお世話になりました天理
図書館︑九州産業大学付属図書館にお礼申し上げます︒
1﹁我に子数多有︒独ハ書生とす﹂とあるが︑この場合の﹁書生﹂とはおそらく筆耕あるいは書陣といった意味であると
思われる︒﹃日本古典文学大辞典第五巻﹄︵岩波書店前出︶の﹁不角﹂の項は﹁平松町南側の書陣︿二息﹀で︑編著は
すべて自筆私家版﹂とする︒不角の書は非常に特徴のある文字で書かれたものが多いが︑出版した編著の多さを考える
と他にも筆耕がいたものと思われ︑不角晩年の編著は文字は同じようにみえるものの不角の二男寿角が書いたものが多
いようである︒不角編紀行文﹃鎌倉海鏡猿田彦﹄︵寛保元年︶には﹁全部九冊法眼不角編//松千堂寿角書之﹂︑不角編
歳旦帳﹃帆なし船﹄︵寛保二年︶には﹁右一冊寿角画筆﹂︑不角編歳旦帳﹃春の春﹄︵寛保四年︶には﹁右松千堂寿角愚
画筆﹂︑不角編﹃歳旦馬肝石﹄︵延享四年︶には︑﹁松千堂寿角画筆﹂とあり︑また不角編歳旦帳﹃鶴の声﹄︵宝暦三年︶
こま
' ︵' ー
注
5 4 3 2
4 今年此歳旦清書愚弟辰角助ケければ
寿角
同息
渕龍
斎
手が殖て弁才天と年暮ぬ
手に餘る那智の若衆や鬼の豆同息ヽ斎辰角
とある︒不角没後一年の出版である寿角編歳旦帳﹃蓬莱山﹄︵宝暦四年︶の明月堂折角の序文に﹁妥に松千堂ハ松月堂
の居宅を譲られ初の春を迎え﹂︑同書同じく祈角の句に
松月堂誹諧の家督ハ梅林斎に譲り居宅ハ松千堂にゆづられけれは
今年からニタ葉の松や門飾明月堂祈角
とあり︑不角︵松月堂︶の俳諧の家督は長男不島︵梅林斎︶に︑居宅は次男寿角︵松千堂︶に譲ったことがみえるが︑
これは書陣としての家を譲ったものであると思われる︒寿角が書陣としての家業を継いだであろうことは︑寿角編歳旦
帳﹃玉くしのは﹄︵宝暦六年︶巻末の﹃天神奉納雲間の梅﹄の広告に﹁松月堂編集//松千堂再板﹂とあること︑及び
不島らの撰集では﹁清書所﹂としか書かれないところが寿角の撰集においては﹁松千堂寿角﹂と書かれること等によって
もうかがわれるところである︒従って﹃つげの枕﹄は不角の二男寿角によって版におこされ︑出版されたものであると
思わ
れる
︒ 拙 稿
﹁ 立 羽 不 角 論 序 説 ー 貞 門 の 俳 諧 師 と し て の 不 角 ー
﹂
﹃ 語 文 研 究
﹄ 第 八 十 号 九 州 大 学 国 語 国 文 学 会 平 成 七
年十
二月
︒
泊涼編﹃綾錦﹄︵享保十七年︶︑生川春明編﹃誹家大系図﹄︵天保九年︶による︒智角編﹃或問﹄︵寛保三年︶によれ
ば貞徳ー玄札ー未得ー不トー不角︒﹃或問﹄は鈴木勝忠氏編﹃翻刻俳諧伝書集私家版﹄︵平成六年三月︶による︒
白石悌三氏﹁改稿泊徳年譜考証ー元禄末年までー﹂﹃雅俗﹄第二号雅俗の会平成七年一月︒
句の異同は次の通り︒七句目﹁あらましに﹂﹁おもひやり﹂︒二十九句目﹁月入ぬ﹂︒