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(1)

論文以外のコンテンツ

雑誌名

東洋大学社会福祉研究

1

発行年

2008-07

(2)

STUDIES ON SOCIAL WELFARE, TOYO UNIVERSITY

社会福祉教育90年の歴史と

これからの展望

第1回大会シンポジウムより(2005年11月) 天野マキ 坂口順治 高橋重宏 ※東洋大学社会福祉教育略年表(転載)

N。. 1

2008年7月

●東洋大学校友会基金授与論文概要

      後藤広史

      相馬大祐

研究と現場の関わりについて

第2回大会基調講演/小林良二(2006年8月) シンポジウムの記録 渡邊 隆 山本美香 和気康太 加山 弾   唐田順子   永野淳子   本田恵理 阿拉坦宝力格  大網真紀子

●学位取得者論文要旨

      西田恵子

     野口友紀子

      井上修一       益田早苗         2005−2006年度活動報告         東洋大学社会福祉学会会則 「東洋大学社会福祉研究」投稿規程/執筆要領 TOY◎UNWERSITY

東洋大学社会福祉学会

The Society for the Study of Social Welfare, Toyo University

(3)

【巻頭言】『東洋ノく学社会福祉研究』創刊に寄せて 言 頭 巻 【

『東洋大学社会福祉研究』創刊に寄せて

  東洋大学社会福祉学会 平成20年度会長 小林良二  本誌は、東洋大学社会福祉学会の機関誌として創刊されるものであるが、ここ までの経緯について簡単にふれておきたい。  本学会が創設されたのは1969(昭和44)年ll月のことであり、それ以降4回の大 会が開催された。しかし、その後のさまざまな事情のために学会活動は休止状態 となり、40年近くの月日が経過した。この間、社会福祉を取り巻く環境は大きく 変化し、社会福祉の援助やサービスの仕組みが急速に拡大するとともに、東洋大 学大学院社会福祉学専攻、及び福祉社会システム専攻を修了し、社会福祉の教育、 研究、実践の第一線で活躍する方々は飛躍的に増加した。  2005(平成17)年になって、それまで活動を休止していた東洋大学社会福祉学会 を再建しようという機運が高まり、この年の11月に第5回大会が第1回の再開大会 として開催されることになった。また、これと並行して、東洋大学福祉社会デザ イン研究科を独立大学院として新たに開設する準備が行われ、2006(平成18)年 4月には、社会福祉学専攻、福祉社会デザイン専攻、ヒューマンデザイン専攻の3つ の専攻からなる新たな体制が発足することになったのである。  このように、東洋大学大学院の社会福祉の研究・教育システムと社会福祉学会 活動とは車の両輪となって、新しい時代を切り開こうとしているのである。  学会の創設は、学内における研究・教育と学外における実践・教育と連動させ、 相互の情報交換と知的交流を可能にする機会となるとともに、研究成果を広く世 に問うてゆく上で重要な役割を果たすことになる。また、最近では、学会が研究 成果の公表と評価の点で重要な機能を果たすようになっている。大学院に籍を置 く院生や社会福祉の実務の現場で研究に関心を持つ人々が、その研究成果を論文 として発表し、会員相互の議論の場を提供することは、学会のもつ大切な役割で あろう。  再開後の東洋大学社会福祉学会はこれまで3回の大会を開催し、基調講演、シ ンポジウム、分科会などに取り組んできた。これらの成果を踏まえ、本年度から は、機関誌の発行に取り組むことになったのである。  本誌に掲載されているのは、これらの研究活動の成果であるが、本誌の発行を 基礎にして、今後は投稿論文の掲載を含むより本格的な研究・交流活動を繰り広 げてゆくことにしたい。  学会員諸氏のより一層のご支援・ご協力を改めてお願いする次第である。

(4)

東洋人学社会福祉研究 創刊号( 2008 t}三7Jj) 東洋大学社会福祉研究 創刊号 【巻頭言】

「東洋大学社会福祉研究」創刊に寄せて

東洋大学社会福祉学会平成20年度会長小林良二 1

CONTENTS

つ↑

社会福祉教育90年の歴史とこれからの展望

第1回大会シンポジウムより(2005年11月) ●天野マキ(社会学部教授) ●坂口順治(本学元教授/とげぬき生活館・館長) 司会:高橋重宏 (社会学部教授) ※東洋大学社会福祉教育略年表【転載】 3 21

研究と現場の関わりについて

第2回大会基調講演(2006年8月) ●小林良二(社会学部教授) シンポジウムの記録 ●渡邊 隆(介護支援専門員) ●山本美香(淑徳大学専任講師) ●和気康太(明治学院大学助教授) コーディネーター: 加山 弾(社会学部専任講師) 10ノ コ﹂3∼ ●東洋大学校友会基金授与論文概要 後藤広史「ホームレスの自己退所による路上回帰化の要因」 相馬大祐「身体障害者療護施設の入所者における地域生活移行の阻害要因」 唐田順子「現代の出産・子育てにおける助産師の役割」       …・ 永野淳子「介護支援専門員による家族への支援の実態把握」       …・・… 本田恵理「女性障害者の生活問題と性役割葛藤」       …’… 阿拉坦宝力格「中国・内モンゴル自治区における貧困と貧困農民施策に関する研究」   …・・… 大網真紀子「疫病回復におけるスピリチュアルケアの有用性」 ●学位取得者論文要旨 西田恵子「地域福祉における情報化問題」       …… 野口友紀子「社会事業成立史論の方法」       …’ … 井上修一「特別養護老人ホーム入居者家族への支援方法」       …・ 益田早苗「乳幼児を虐待する母親への援助」

36Q/35705556/067

3830/

778QO

2005−2006年度活動報告 東洋大学社会福祉学会会則 「東洋大学社会福祉研究」投稿規程/執筆要項 編集後記/須田木綿子 ※特別掲載:東洋大学社会福祉学会創立大会(1969年 1月)記念写真        94   ・・・・…     96 ・一@      ・・一一 97    ・・・・…   98        99

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第1回大会の記録(2005年ll月)/シンポジウム「社会福祉教育90年の歴史と展望」 ●東洋大学社会福祉学会 第1回〈通算5回〉大会/2005年11月27日 【シンポジウム】

社会福祉教育90年の歴史とこれからの展望

司会:高橋重宏(社会学部教授)/報告:天野マキ(社会学部教授)/提言:坂口順治(本学元教授) 高橋(司会):社会福祉教育の歴史というのは、 天野先生からお話しして頂きますが、東洋大学と 日本女子大学がほぼ同時に始めて、約90年の歴史 を持っているとのことでございます。詳しいこと をご存じない方もいらっしゃると思いますので、 後程、「生き字引」的な山下先生(山下袈裟男本 学名誉教授)にもご登場頂きます。まずは天野マ キ先生から「東洋大学社会福祉教育90年の歴史」 ということで、ややレクチャーめいた形のお話を 頂く事にしています。  続きまして、本学の教授であられました坂口順 治先生から、在職当時の事も含めて、お話を頂き ます。  それを踏まえまして、山下先生から、皆さんの お持ちの「要旨集」の一番後ろのところに転載さ せて頂いております、山下先生自身が著書の中で おまとめになった内容を含めてコメントを賜れた らと思います。  今日は日本社会事業大学名誉教授の仲村先生も お見えでございます。まさに、日本の社会福祉教 育のパイオニアであり、現役でございます。いろ いろとこ発言も頂けたらありがたいと思います。  さらに会場を見回しますと各地からOB、 OGが ご出席でございます。天野先生のご報告、坂口先 生のご報告、山下先生のコメントを受けた後でい ろいろとこ発言を頂けたらと思います。  資料をお持ちでない方はいらっしゃいません か。2種類ございます。2種類ない方は手を挙げ て頂けますか。今、資料を配布いたします。  今日、司会をさせて頂きます高橋重宏でござい ますが、私は昭和44年の卒業でございます。ぜひ 天野先生、何年頃学生で、いつぐらいから教員に なったのかといった自己紹介を含めて、お話頂け ればと思います。また、坂口先生にも何年から何 年ごろに、教員をされていたかをお話を頂けたら と思います。  それでは早速、天野先生よろしくお願いいたし ます。 【報告】

東洋大学社会福祉教育90年の歴史

天野マキ 天野:みなさん、こんにちは。あまりまとまった 話はできないと思いますが、私はこの大学に昭和 57年に赴任致しました。お隣におられます坂口先 生が立教大学へ移られた後に参りました。昭和57 年からですので、今年で24年目になり、現在では、 社会福祉学科教員スタッフの中で一番高齢になっ てしまいました。  赴任しました当初から、東洋大学における社会 福祉学専攻創立時のことに興味をもちました。資 料の中にも、お名前が出ていると思いますが、森 田明美先生、川池智子先生、旭洋一郎先生という 方々と一緒に研究を継続してきました。その間ず っと、山下袈裟男先生にご指導を受けながら、東 洋大学社会福祉教育の歴史を追跡し続けました。 1.渡辺海旭先生のエピソード   ー吉田久一先生との談話から一  レジュメの「はじめに」というところに、渡辺 海旭先生のお名前が出てきますが、この先生のエ ピソードをきっかけに、はじめたいと思います。  若い方たちは、ご存知ない人の方が多いかとも 思うのですが、渡辺海旭先生は、ある意味では、 東洋大学社会福祉教育の原点になっておられるか

(6)

東洋大学31会福祉研究 創Fl」号(2(ハ08年7月) もしれないと、私は考えます。大正IO年に、日本 ではじめて、社会事業科が夜間に創設される以前、 渡辺海旭先生の感化救済関係の講座がありまし た,その当時のカリキュラムは、図書館に、資料 として残されておりますので、興味のある方は、 確認して頂ければと思います。  「社会福祉学科」が、まだ「社会福祉学専攻」 であった頃に在任されておりました吉田久一先生 は、東洋大学の社会福祉教育の歴史や社会福祉教 育に関わられた諸先生方について、大変、興味を もっておられました。ことある度に解説をして頂 き、とても勉強になりましたが、残念ながら、つ い最近亡くなられました。  吉田先生のお別れの会は、来年1月30日(2006 年)、午後1時半から市谷のアルカディアで開催 予定ですが、ここで、あらためて、吉田久一先生 との忘れがたい会話を思い出します。  中でも、吉田先生が語られた、渡辺海旭先生に ついてのエピソードは、鮮明に記憶に残っており ます。新宿の「中村屋」さんと渡辺海旭先生との 関係がとても深かったというエピソードです。  「中村屋」さんには、創設時、若い人が大勢集 って、活発な知識人のサロンみたいであったよう です。女主人の中村黒光さんと渡辺海旭先生は、 親しくしておられたようです。渡辺海旭先生が当 時、創作された「中村屋」さんの羊糞に、「黒光 羊糞」と命名されたそうです。吉田先生が在任さ れておられた頃、中村屋さんにでかけ、「黒光羊 嚢」の存否を確かめたことがあります。その時は、 確かに販売されておりましたが、最近、確かめた ことはありません。羊糞と同時に、「海旭最中」 も作られたそうですが、この最中の方は確認して おりません。渡辺海旭先生については、社会福祉 関連の古典を集めた著書の中にお名前がありま す。もし、そういう著書がお目にとまりましたら、 是非、読んで頂きたいと思います。 2.吉田久一先生の思い出  吉田久一先生が、つい最近(2005年)、亡くな られました。東洋大学には一年半しか在職されま せんでしたが、たくさんの思い出と、貴重な社会 福祉研究の手がかりを残されました。たまたま日 本女子大学を定年になられて、その後に赴任予定 であったのですが、赴任前に脳の手術をされるこ とになり、生死の境を彷復われたというお話を伺 いました,先生は、度々、自らの臨死体験を語ら れ、それがおもしろくて、何度うかがっても引き 込まれたものでした。先生が、瀕死の状態であっ た時、病室には先生の応援されている郷里のオペ ラ歌手、中沢桂さんが歌った島崎藤村作詞の「椰 子の実」の曲が流されていたそうです。先生はそ の曲を聴きながら、樽の中にはいって、大海原を 流されていたそうです。時々、先生を呼ぶ声が聴 こえ、その中には仲村優一先生の「お葬式はどう しよう」というようなお声も聴こえたそうです。 それから、みんなの呼ぶ声に起こされて目覚めた ということでした。その後、70歳の定年をむかえ られ、90歳をこえるまで研究活動を続け、私たち を励まして下さいました。東洋大学には、一年半 の在任でしたが、私たちに東洋大学社会福祉学科 の歴史を強烈に意識させ、研究のきっかけを作っ て下ったと感謝しております。 3.塚本 哲先生のこと  塚本 哲先生は、昭和34年に東洋大学が新たに 社会学部を設置し、応用社会学科の中に社会福祉

学関連の講座を設置した頃から関わり、昭和

37(1962)年に社会福祉学専攻を創設した時に正式

に赴任されました。それに先立って、昭和

34(1959)年4月には、巣鴨高岩寺住職からの依頼 もあり、「とげぬき生活館」を開設、コミュニテ ィワークの地域における実践活動を開始されま す。昭和26年に成立した社会福祉事業法に基づき、 東京都が新宿に「新宿生活館」を創設した折、館 長に任命されたのが塚本先生だったということ で、塚本先生には、すでに、生活館の運営の経験 がありました。「とげぬき生活館」における地域 活動は、学生の実習活動には大変効果的でした。  私も、教え子の一人として「とげぬき生活館」 にはまり込み、畳敷きの大広間で先生が、とげぬ き地蔵にお参りした帰りに立ち寄る高齢者の方々 の相談を受けておられる様子を、恐る恐る見学さ せて頂き、時には相談に立ち合わせていただいた ものでした。  その当時の事は、山下先生も坂口先生もいらっ しゃいますので、私の方は詳しい話をすることは 致しません。ただ、塚本先生が、大正10年に創設 された社会事業科の三回生であったことを確認し

(7)

第1回大会の記録{2005年ll月)/シンポシウム「社会福祉教育90年の歴史と展望」 ておきたいと思います。  また、坂口先生が現在も継続している「とげぬ き生活館」の館長であられることをご案内してお きたいと思います。 4.富士川游先生と「社会事業科」の創設  塚本 哲先生は授業の折、学生時代の恩師であ った富士川游先生のことを、本当に懐かしそうに 度々話されました。大正IO年に創設された東洋大 学社会事業科の初代学科長こそ、その富士川先生 でした。社会事業科は、社会人を対象に夜間に開 講されました。  社会人を対象とする大学教育、社会事業専門職 の養成、男女共学等、当時としては、大変、先駆 的な試みであったと思われます。塚本先生から富 士川先生のことを伺うたびに、興味が深まってお りましたので、この大学に赴任早々、その研究に 着手することになりました。富士川先生は、医師 であり、医学史の研究者としては日本でも第一人 者でした。 5.富士川游について  以下に、富士川游について、紹介しておきたい と思います。  富士川游は、慶応元(1865)年5月、広島県安 佐郡大字長楽寺に生まれた。父、雪氏も見識豊かな 医家であった。旧姓の「藤川」から「富士川」に 改姓されたのが、明治5(1872)年富士川游7歳 の折、また、幼名「充人」を「游」と改名された のが明治14(1881)年、16歳の折であった。  改姓改名の理由は、漢詩や和歌に造詣の深かっ た父雪翁の趣味の問題であったかもしれないと富 士川の弟子たちは推察している。明治6(1873) 年、游8歳の折、開成舎に入学、小学校教育を受 ける。広島県立中学校で中等教育を受け、15歳で 京都に遊学するが、母の死により京都から戻る。  明治14(1881)年、游16歳の時に広島県病院附 属医学校(のちに広島県広島医学校)に入学。こ こで尼子四郎という生涯の友人を得る。明治20 (1887)年、游22歳で広島医学校を卒業、上京、 明治生命保険会の保険医となる。明治22(1889) 年、24歳の折、医師免許を受け、75歳で没するま で、医師として数々の業績を残すことになる。  40歳を越す頃から、富士川は、社会科学、特に 教育病理学に接近し、これを通して児童教育の権 威となっていく。40歳後半に入ると、真宗にかか わる宗教論が中央公論等に掲載されるようにな り、活発な宗教活動と共に宗教家富士川游の側面 が浮き彫りされてくる。50歳までには、医学関係 の業績をほぼ完成させ、50歳を越える頃からは、 医学的立場から社会問題へのアプローチが注目さ れるようになる。大正10年、東洋大学に社会事業 科が創設され、初代学科長になったのは、富士川 56歳の時であった。東洋大学の社会事業科設置は、 社会事業に関わる専門従事者を大学教育をもって 養成する我が国における初期的試みの一端でもあ ったから、当時、格好の注目を集めたようである。  富士川は、東洋大学で教育病理学や人生論を論 ずるとともに、日本女子大学でも社会衛生学の講 座を設置することに関わった。西欧諸国に遅れて 資本主義国への仲間入りを果たした我が国にあっ ては、「追いつけ追いこせ」と急速に資本制経済 を推進したため、その経済構造より排出される諸 問題の顕在化も尋常ではなく、問題の深刻化は深 まる一方であったと推測される。かたや、石原 修が 『衛星学より見たる女工之現況』や『女工と 結核』を世に問い、高野岩三郎は『月島調査』等 をもって、労働者の生活実態や健康状況を明らか にしつつあった。(天野マキ「富士川游の社会事 業」東洋大学社会学部紀要第30−1号,1992) 6.社会事業科創設の背景と創設まで  上記3人の先生方は、私に東洋大学の歴史を考 えるきっかけを与えてくれた先生方です。  以下では、先に紹介しました富士川游を、初代 学科長に迎えて創設された東洋大学社会事業科創 設の背景と創設について、ご案内させて頂きたい と思います。  1917(大正6)年、大学創立30周年を迎えた東洋大 学は、1918(大正7)年の「大学令」発布を契機に、 新たな発展を展望し、かつ、新たな時代に対応し た大学像を求めていました。  1919(大正10)年の社会事業科創設も、新たな大 学像具体化の一端でありました。一私学の「でき ごと」にすぎない東洋大学における社会事業科創 設は、日本における社会事業の歴史において、無 視することのできない意味を持っていたと推察で

(8)

東洋大学社会福祉研究 創刊号(2〔}08年7月) きます。  東洋大学は、すでに、社会事業関連分野(社会教 育・感化救済事業)における従事者教育を、独立した 学部・学科ではありませんでしたが、1912(明治45) 年から開始していました。専門部第一科(倫理教育 諸科)、教育病理学、生理衛生、応用心理学、社会 教育学、社会衛生学、法制経済、弁論学、実習等の 科目を設置し、富士川游、高島平三郎、高田慎吾、 三田谷啓らが教育にあたり、感化救済事業従事者養 成を行っておりました。当時、感化救済事業従事者 養成は、主として、講習会方式で行われておりまし たが、大学創設30周年を迎えた19i7(大正6)年当時、 この分野における卒業生の数は、全卒業生3,424名 中194名に達しておりました。  「大学令」に基づく大学昇格計画は、1920(大正9) 年3月に手続きを完了し、同年4月、富士川游の指 導による男女共学の「社会科」新設計画の発表を 経て、1921(大正10)年4月、「社会事業科」の設置 に至りました。「社会事業科」という名称につい ては、「本学基本金募集趣意書」の計画段階では 「感化救済科」となっており、実施の段階で「社会 事業科」に変更されていました。その理由につい ては不明で、目下、調査中です。ただ、この時期 が、日本の社会事業の成立期であったことと無関 係ではなかったのでないかと推察しております。

社会事業行政の動向に限定してみましても、

1918(大正8)年に「大阪府方面委員規定」公布、 1919(大正8)年11月、内務省救護科が社会科と改称、 1920(大正9)年に大阪市に社会部設置、同年8月、 内務省社会局の設置というように、「社会」という 用語が中央・地方行政に受け入れられる状況が 多々、見られる傾向にありました。  ともあれ、1921(大正10)年2月に、その目的を 「今や益々紛糾錯綜せむとする凡百の社会事業に たずさわり優良なる指導者たるをえる社会技師を

養成せむとするに在り」(「東洋哲学」voL26

No.llP.75)とする「社会事業科」設置を発表するに 至りました。  1921(大正10)年4月、富士川游学科長のもと、通 学者の便宜をはかり夜学として、専門学部四科 「社会事業科」はスタートしました。本学科は 「大学令」に基づく大学昇格を目指す東洋大学に おける大学昇格計画の重要な柱の一つでもありま したので、社会事業科の創設には、大きな期待が かけられておりました。  1921(大正10)年6月8日、東洋大学は帝国ホテル において「新設学科披露会」を開催、大学関係者以 外にも、内務大臣・床次竹二郎、文部大臣・中橋 徳五郎、東京市長・後藤新平はじめ、生江孝之、 小沢一、呉秀三、渋沢栄一、田子一一民、矢吹 慶輝、渡辺海旭等、社会事業関係者も多数出席し、 社会的期待と注目を受けていたと思われます。 7.社会事業科と社会事業教育カリキュラム  以下では、社会事業科創設時のカリキュラムを 紹介しながら、当時の社会事業教育の概況に注目 したいと思います。詳しいカリキュラムは、参考 資料をご参照ください。  当時、社会事業科は3年間の課程で、実践道徳、 基礎学科、実際学科、外国語の四科に分かれてお りました。基礎学科は、教養課程にあたるようで すが、「教養」のみではなく、社会事業に必要な 専門的知識も含まれておりました。この基礎学科 は、社会事業実践にとっての「基礎」という意味 であって、東洋大学の社会事業教育の姿勢が明確 に反映していたと推察できます。  個々に特筆されることは、「実践道徳」、基礎学 科における「仏教概説」等、東洋大学の学問的伝 統を活かした科目がみられることであり、両科目 とも、境野学長自らが担当していたことでありま す。さらに注目されるのは、両科目にみられるよ うな「精神論」の充実・強調に終始するのではな く、科学的思考と実践的技術を養う科目も配した ことであります。医学、生理学関連の科目が多い が、現在の社会福祉専門教育カリキュラムと比較 しても遜色はなく、科目の配置から大学内外の 「期待」に応えようとしていた姿勢が理解できま す。また、当時の日本の社会事業に期待されてい た社会的ニーズにもあおったものと推測できるよ うに思われます。  上記カリキュラムの配置に加え、それぞれの科 目を担う教授・講師陣も、また、それにふさわし い人物が登壇しておりました。下記資料にも示さ れておりますように、社会事業科創設時のカリキ ュラムには、「担任未定」となっている科目が多 くみられますが、4月の時点で「社会政策」は赤 神良譲、「統計学」は、二階堂安則が担当するこ とになって、第一学年の講義が開始されました。

(9)

第]回大会の記録(2005年11月)/シンポジウム「社会福祉教育90年の歴史と展望」  カリキュラムは、学年の進行に合わせて充実し てゆき、1922(大正ID年2月、社会事業科教授会が 開催され、「担当未定」の科目はそれぞれ以下の ように決定されました。

 まず、基礎科目については、日本社会事業

史=境野哲、精神検査法=三宅鉱一、変態心理 学=三宅鉱一、教育心理学=富士川游、犯罪心 理学=寺田文学士、刑事人類学=杉江法学士、 刑事及び刑事政策=山崎法学士となりました。 また、「実際学科」においては、杜会事業総論= 内務省事務官・富田法学士、感化制度少年法= 富士川游、保護教育=富士川游となっておりま した。そして、第二学年からは実習が開始され ますが、母性保護、労働保護、児童保護の三分 野に分かれ、指導保護については、医学的側面 を竹内医学士、制度的側面を小沢 一教授、実 際的側面を三田谷啓が、それぞれ、担当するこ とになりました。  以上のカリキュラムから、富士川游の担当す る科目が多いことに気付かされます。同時に、 富士川の学問的範囲の広さにあらためて驚かさ れますが、富士川の社会事業観と社会事業科に 対する熱意も感じさせられます。この熱意は、 当時の東洋大学の特色に反映されていたのかも しれないと改めて考えました。 8.社会事業科の発展  スタートしたばかりの東洋大学社会事業科は、 順調に発展し、1922(大正ll)年1月には、田子一 民、生江孝之らを迎えて、社会事業科茶話会を 開催、また、同月、アメリカ人ウッド夫人、ス コット夫人等日本キリスト教女子青年関係者の 社会事業科視察を受けました。さらに、東京市 「浮浪者調査」に参加し、それを裏付ける記録も 残しました。  翌年、1923(大正12)年からは、社会事業科第三 学年の講義が始められ、「社会事業各論」(斉藤 樹)、「社会問題」(赤神 譲)、「精神薄弱者教育」 (富士川游)、「社会心理学」(桑田芳蔵)、「免囚保護」 (勝水淳行)がカリキュラムに付け加えられました。  しかし、1923(大正12)年、東洋大学は二つの不 幸な事件に見舞われ、社会事業科もその波にまき こまれました。一つは、「境野事件」、もうひとつ は、「関東大震災」でした。「境野事件」は、「東 洋大学事件」ともよばれ、学内、卒業生を二分し た学内紛争事件でした。発端は、境野学長の人事 問題についての処理の些細なミスとされておりま したが、暴力事件、ll日間の休業、学生30名の除 籍、退学という事態に至り、文部省による学長解 職という異例の処置で、一応、収拾に至った事件 でした。社会事業科の創設と教育に尽力した境野 学長が、この事件によって、東洋大学を去ること になり、後に社会事業科の運営に影を落とすこと になりました。  その動揺が、まだ、落ち着かない1923年9月1日 に、「関東大震災」が発生しました。東洋大学は 社会事業科学生を中心に、簡易食堂、法律相談所、 職業紹介所、情報部を設け、被災者の救護にあた りました。当時、社会事業科学生であり、後に東 洋大学教授になった塚本 哲は、日比谷公園で児 童相談を行いました。後に、塚本は「何のことは ない、一年生の時から実習です。社会福祉に最も 必要な実践の中で育てられたということになりま す」と回想しておりました。  1924(大正13)年3月、社会事業科は、はじめての 卒業生19名を出しました。卒業に先駆け、同年 2月、社会事業科学生有志は、「東洋大学社会事業 学会誌」発刊し、学び得たものをまとめました。 その表紙を後ろに添付しておきます。今回、あら ためて、東洋大学社会福祉学会が発足し、あらた に「学会誌」が発刊されることになるかと思いま すが、その先駆けの雑誌に注目して頂ければ幸い です。  1926年2月には、社会事業科用施設「原田ホー ル」が建設され、同年ll月には社会事業学会主催 による「社会事業講演会」の開催、12月には、 「社会事業科出身在京クラス会」が開催され、そ の歩みは、順調であるかにみえました。 9.「社会教育社会事業科」への改称と廃止  時代が「昭和」になると、社会事業科にも大き な変化が表れ始めました。  1928(昭和3)年、懸案であった「大学令」による 東洋大学の設立が認可されました。  これにより、文学部が設立され(開講は翌年4月)、 従来の大学部専門部は、専門学校令による専門部 となり、社会事業科のカリキュラムも大きく変わ ることになりました。昭和3年度のカリキュラム

(10)

東洋大学社会福祉研究 創卜‖号〔2008年7月} は、資料として別添しますが、従来の基礎学科、 実際学科という枠はなくなり、単位数も大幅に、 増えることになりました。憲法、民法、商法、行 政法、刑法、社会法規、論理史、社会教育各論、 体育教練が追加され、仏教概説、精神検査法、入 体検査法がなくなり、生理、衛生関連科目が大幅 に減らされました。実習についての規定もみられ なくなり、社会事業科創設時にみられた医学を基 本とするカリキュラム構成や実践志向が薄れまし た。昭和3年度から、「社会事業科」という名称は、 「社会教育社会事業科」と変更され、名称の変更 は、社会事業教育にも大きな影響を与えたようで あります。  1929(昭和4)年3月、小沢 一とともに、富士川 游も東洋大学去っている。その理由を明らかにす るため、社会事業科の卒業生をたずね、面接調査 を行ないましたが、正確な理由を確認することは できませんでした。  1932(昭和7)年からは、新入生の募集を中止し、 「原田ホール」も取り壊され、社会教育社会事業 科廃止の意向がうちだされました。  「社会教育社会事業科廃止」に対して、学生た ちは、卒業生の支援を受けて、執拗に高楠順次郎 学長と交渉し、反対運動を行いましたが、「昭和 恐慌」の渦中にあって、学生数の激減、大学経営 の危機に直面していた東洋大学は、その熱意を受 け入れることができず、1934(昭和9)年3月、つい に、「社会教育社会事業科」を廃止しました。

 かつて、調査の過程で、昭和8年卒業の森口

清氏と昭和9年卒業の森口貞子ご夫妻を訪問、面 接調査を行ったことがありましたが、お二人とも、 学長に「社会教育社会事業科廃止反対」を訴え続 けたということでした。特に、森口 清氏は、卒 業を延期して、反対を続けたリーダーだったとい うことでした。面接調査は、昭和60年ll月21日、 松戸市のご自宅に伺って行いました。当時、ご夫 妻とも90歳を過ぎた年齢でしたので、今は、この 世の人ではないと思います。90歳を過ぎて、まだ、 御夫妻で幼稚園を経営されておりました。その折 の面接調査の概要は、東洋大学昭和60年度特別研 究報告書に掲載されております。 おわりに  今回は、東洋大学社会事業科の創設と廃止まで をご案内致しました。  昭和9年に廃止された「東洋大学社会教育社会 事業科」は、戦後、あらためて「社会学部応用社 会学科社会福祉学専攻」として再出発し、「社会 福祉学科」に発展、現在に至るのですが、そのプ ロセスにつきましては、目下、編纂中の「社会学 部50周年史」の中で、明確にされることと考えて おります。「社会学部50周年史」の編纂にご協力 を心よりお願い申しあげます。  社会学部50周年は平成20年で、目下、記念事業 も準備中です。近々に「東洋大学100年史」の社 会学部関連記事と「社会学部30周年史」の部分的 記事を電子化し、ホームページに公開予定であり ますので、興味のある方は、是非ともホームペー ジを開いて頂ければ幸いです。  ちなみに、戦後、再出発した社会福祉学科の沿革 について、以下に簡単にご案内したいと思います。 社会学部の変遷 昭和34年4月  社会学部は文学部から独立してスタートしまし た。社会学部第一部は、社会学科と応用社会学科 を設置、第二部は、社会学科を設置しました。  応用社会学科の中に社会福祉関連科目が開講さ れました。 昭和37年4月  社会学部第一部応用社会に学科課程別専攻コー スが設置されました。広報学、社会福祉学、図書 館学の3専攻でした。 昭和38年4月  応用社会学科に心理教育学専攻コースを設置し ました。 昭和39年4月  「心理教育学コース」を「社会心理学専攻コー ス」と名称変更し、4専攻コースを学則上にも 「専攻コース」と明記しました。 平成4年4月  「応用社会学科」から「社会福祉学専攻」が独 立し、「社会福祉学科」を設置しました。 平成12年4月  「応用社会学科」の「マスコミ学専攻」及び 「図書館学専攻」が統合され、「メディアコミュニ ケーション」として創設、「社会心理学専攻」は、 「社会心理学科」として独立、また、「社会学専攻」

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第1回大会の記録(2005年U/]〕/シンポジウム「村会福祉教育90年の歴史と展望」 は、「社会学科」と「社会文化システム学科」と して、それぞれ独立しました。現在も、社会学科、 社会文化システム学科、メディアコミュニケーシ ョン学科、社会心理学科、社会福祉学科の5学科 体制で動いております。 大学院の変遷  最後に、大学院についてご紹介して、終わりた いと思います。 昭和34年4月  東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻(修士、 †専±課程)設置 昭和41年4月  東洋大学大学院社会学研究科に社会福祉学専攻 修士課程を設置 昭和53年4月  東洋大学大学院社会学研究科に社会福祉学専攻 †専士課程を設置 平成8年4月  東洋大学大学院社会学研究科に福祉社会システ ム専攻修士課程を設置 平成18年4月  独立大学院福祉社会デザイン研究科が設置さ れ、社会福祉学専攻及び福祉社会システム専攻は、 社会学研究科から福祉社会デザイン研究科に所属 変更を行いました。  東洋大学における社会福祉学科の長い歴史的経 過は、そのまま「社会福祉とは何か、社会福祉学 とはどのような学問なのか」を問いかけ続けてい るのではないかと考えさせられます。 【資料等の出典及び参考文献】 1,東洋大学雑誌「東洋哲学」各年度版 2,「東洋大学一覧」大正13年度版 東洋大学 3.「同上」昭和2年度版、東洋大学 4.「同上」昭和3年度版、東洋大学 5.「同上」昭和6年度版、東洋大学 6.「同L」昭和8年度版、東洋大学 7,雑誌「社会事業」第11巻第7号 8.「社会福祉研究」第2号、1983(昭和58)東洋大学社会福  祉研究会 9.天野マキ・森田明美・川池智子「富士川游研究(1)」東洋大  学児童相談研究第3号、1984(昭和59)東洋大学児童相談室 10.天野マキ・森田明美・川池智子「富士川游研究(2)」東洋大  学児童相談研究第4号、1985(昭和60)東洋大学児童相談室 11.天野マキ・森田明美・川池智子「富士川游研究(3)」東洋大  学児童相談研究第5号、1986(昭和61)東洋大学児童相談室 12「東洋大学における社会事業教育の展開過程について一社会  教育社会事業科成立時代を中心として一」研究代表者:藤島  岳/共同研究者:吉田久一・山下袈裟男・吉沢英了・天野  マキ、東洋i〈学昭和60年度特別研究報告(昭和61) 13川ド袈裟男・菅野重道・藤島岳・天野マキ「東洋大学におけ  る社会事業教育の歴史的研究と社会事業史Eの意義」東洋  大学昭和62年特別研究概要報告書自由課題、昭和63年 14.山下袈裟男「東洋大学社会福祉学科の成立とその背景」  東洋大学社会学部紀要第30−1号、平成5(1992)年 15.天野マキ「富上川游の社会事業」、東洋大学社会学部紀要  第30−1号、平成5d992)年 16.藤島岳・天野マキ「富上川游と児童相談」児童相談研究  第20号、平成12年、東洋大学児童相談室 17.山下袈裟男「地域社会の変容と福祉研究」ミネルヴァ書房  平成16(2004)年 高橋:ありがとうございました。今のお話を聴き まして、渡辺海旭先生というと、宗教大学で長谷 川良信先生、現在の淑徳大学の学長のお父さんの 良信先生が卒業した時に、「渡辺海旭先生の勧め で養育院巣鴨分院に行った」という良信先生の日 記がありまして、そういう意味で、東洋大学との つながりというものに、改めて今、気付いたわけ でございます。  午前中から参加されていらした方はお聴きにな っていると思いますけれども、午前中、古川先生 (古川孝順ライフデザイン学部教授)から「これ からの東洋大学の福祉社会デザイン研究科」とい う形でお話がありました。新しい形の一歩を東洋 大学は歩もうとしています。これについてもパン フレットに入っておりますので見て頂きたいと思 います。  以上、天野先生から、どちらかというと大正10 年前後のところからの歴史というものを中心にご 説明頂きました。何人か名前が出ておりますので、 森田先生(森田明美社会学部教授〉など、必要が あれば後で補足をして頂けたらと思います。  ここでとりあえず、今の天野先生のお話に対し てご質問等ありましたら、受けたいと思います。 挙手頂きまして、所属あるいは何年卒の誰々とい うことを名乗って頂いて、ご質問を頂けたらと思 います。先程、金子事務局長が言いました通り、 機関誌に掲載する関係で、そういうことを前提に 録音させて頂いております。どなたかございませ んでしょうか。 先に山下先生にコメントを頂いて、それから坂

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東洋大学社会福祉刷究 kh]j N号〔2008年7月) 口先生の報告に人っていった方がいいかなという 感じを受けましたので、もしよろしければ天野先 生のご報告を受けての、山下先生のコメントを頂 けたらと思います。よろしくお願いします。 山下:私は何の準備もしてきておりませんが、天 野先生のお話に多少追加しておきたいことがあり ます。それを一言お話をいたします。  戦前の「社会事業科」がですね、「社会教育社 会事業科」に名称が変わったということでありま すが、私も一緒に研究したんですけれども、大正 10年に「社会事業科」が生まれまして、それから 「社会教育社会事業科」は昭和3年ですね。その間 に「社会教育」という用語が法制上の用語になっ た。大正13年に文部省に「社会教育科」が設置さ れていて、さらに昭和4年ですか、「社会局」にな るんです。その過程でですね、大正14年に「社会 教育職員制」というものが生まれるんです。  要するに地方行政に従事する「社会教育主事及 び主事法」という制度が生まれまして、それが 「社会教育」というものを普及させる一つの原因 になっているのではないかと思っています。  それから社会事業の方でも、同じこの時期に 「地方職員制」が制定されて、「社会事業主事」等 が制定されているわけですね。「社会事業科」が 生まれたのは大正10年ですから、「社会事業科」 といったって、まだそういう任用資格みたいなも のは無かったわけです。それを先駆けて、手掛け たという点では、東洋大学は非常に早かったと思 うんですね。しかし、「社会教育社会事業科」と 名称が変わるのは、やはり大正14年にそういうも のが出来上がってきている、就業の機会が生まれ てきたという社会的背景があったんじゃないかな と思っております。それが一つの補足です。  それから、戦後のところですね。社会学から社 会福祉学、社会福祉学専攻が生まれてきた過程に ついてですが、これどうしましょうか。 天野:そうですね。 高橋:お話しておいてもらった方が、あとでわか りやすいので、もしよろしければ。 山下:「社会事業科」から「社会教育社会事業科」 になるわけですが、大正10年の頃ですね、当時の 歴史的な「感化救済事業」みたいなものが「社会 事業」に変わってきた。その社会的な背景が「社 会事業科」を生み出し、それから「社会教育」と いう言葉が出てきた。  戦後の話はというと、「社会学」ができたこと によって生まれてきたわけですね。「社会学部」 が生まれるには、「社会学科」という学科があり まして、その中で「社会学」が発展するわけです。  昭和34年に「社会学部」として大きくなるわけ ですね。その後、「社会学科」の場に「応用社会 学科」が生まれて、その中に専攻が生まれた。そ れで「社会福祉」はその中の一つだということで すね。  ただ大変大事なことは、「社会福祉学」だけじ ゃなくて、応用社会学の中に、先程話がありまし たように、「マスコミ学」とか「図書館学」とか、 その後に「社会心理学」とかもそうですが、そう いう専攻コースが生まれてきます。それが全部応 用社会学科という中に入っていて、それはあくま でも「社会学」を基盤にしてその上に応用社会学 科というものを作った。  ですから共通の取得しなければならない履修科 目というのが四つありまして、一つは「社会学概 論」、それから「社会調査法」、それから「社会調 査及び実習」、それからもう一つは「社会心理学」 ですね。この四つは、社会学科、応用社会学科の 全員が履修しなければならない。そのことによっ て社会学的なものの見方、科学的なものの見方、 そういうものをそこでしっかり履修させよう、特 に応用社会学の学生は誰でも社会調査がいつでも できると、そういう能力つけさせようと、その上 にそれぞれの専攻の専門コースを発見させていこ うということだったんですね。これがそのいきさ つです。一応ここまでです。 高橋:はい、ありがとうございました。山下先生 のコメントに対してご質問なりございましたらお 受けしたいと思いますけれども、よろしゅうござ いましょうかo  山下先生のお話は、戦後の「社会福祉学」をど ういったことを基盤として養成しようとしたか、

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第1回人会の記録12005年ll月〕/シンホジウム「社会福祉教育90年の歴史と展望」 つまり「社会学」をきちっと学んで、「社会調査 法」を身につけた社会福祉の人材養成ということ が中核にあったというお話でございます。 天野:それではちょっとすみません。今、社会教 育主事の話が出ましたけれど、言い忘れました。 ありがとうございました。本来、山下先生はここ (ステージ)におられるはずなんですけれども、 体調の関係がありまして、血圧が少し高いという 事で、あちらの席に座っておられます。シンポジ ストの一人ですので、これからまた補足をして頂 ければと思います。ありがとうございました。 高橋:はい、ありがとうございました。じゃあ先 へ進めさせて頂きます。  第二報告として坂口順治先生からご発題を頂こ うと思います。先生のレジュメにつきましてはお 手元の資料集の4頁にございます。  坂口先生、何年頃東洋大学にいらしたかという ことを含めてよろしくお願いいたします。 (D塚本 哲先生の理論と実践の系譜 (2〕古川孝順先生の新パラダイムの構築 B)高橋重宏先生のウエル・ビーイングの実践 4.次の世代の東洋大学福祉専攻者に期待するもの cl 1)2015年以降の社会、価値観、福祉行政、福祉ニーズ t2)今、求められる福祉専門家の資質能力、育成課題 〔3)杜会市民生活の中心的役割、連携調整創造のリーダーシノ プ発揮 (41この学会に期待する専門職の相互研究・研修 【参考文献】 ・塚本 哲 1970「大正デモクラシーと社会事業」東洋大学 社研・年報 ・古川孝順 1997「社会福‡止のパラダイム転換」有斐閤 ・高橋重宏 1997「ウエルフェアからウエルビーイングへ」 Jll島書店 ・吉田久一 2000「社会福祉思想史人門」勤草書房 ・阿部,土肥,河,2001「新しい社会福祉と理念」中央法規 ・嶋田啓一郎、他 1999「社会福祉の思想と人間観」ミネル  ヴァ書房 ******************************* 【提 言】

生活統合のコーディネーターとしての

    リーダーシップの発揮を

坂口順治 【発題要旨】 1. 自己紹介と研究・研修の変遷 (1)60年代のアメリカ、70年代のイギリス滞在の経験 (2)行動科学の研究と社会福祉実践の統合化時代 (3)グローカルな研究・研修の時代 2,社会福祉論モデルの変化 (D救貧・慈善モデル (2)経済救済モデル (3)社会事業モデル (4)階級闘争モデル (5)社会保障モデル  通達行政の福祉人材育成教育   3法から6法へ (6)自己責任モデル  社会福祉構造改革(98)新法(2000)人権、4D、 (7)統合経営モデル  福祉、医療、法律などの連携調整、包括支援 3、東洋大学に流れている人間福祉思想と人間性の継承を 1.自己紹介と私の立場  私は昭和45年(1970)4月から57年3月までの 短い期間でしたが、本学の専任教員として社会福 祉方法論を担当いたしました。就任する前の2年 間は立教大学に勤務しながら非常勤講師として、 この応用社会学科で社会福祉専攻と社会心理専攻 の科目「グループ・ダイナミックス」を担当しま

した。その前はアメリカ・ミシガン州立大学

(The University of Michigan, Ann Arbor)に留学して 社会心理学を専攻していました。  そこで大きな文化的ショックを受けました。昭

和35年(1960)です。当時はケネディ(John

F.Kennedy)が大統領に選ばれ、堀江青年がヨット で最初に単独無寄港の太平洋横断をした頃でし た。当時はまだまだ敗戦後の影響を引きずってい ました。日本とアメリカでは経済も文化も大きな 差があり過ぎました。よくこんな国と戦争をした ものだと思いました。見ること聞くこと生活のス タイルも全てショックでした。学問の体系も大学 の教育も全く違って戸惑いました。日本では一つ の専門を小さく深く究める、いわば象牙の塔に閉じ こもった狭い領域の専攻領域を究めるのが普通でし た。ミシガンに来てびっくりしたのは、先生たちは

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東洋大学社会福祉研究 創刊号(2008年7月1 殆どの方が生活実践の中で学問をしておられること でした。しかも専門領域を超えて関係領域の研究者 や生活者と関わって実践協力をしていました。いわ ゆる学際的と言いましょうか、Interdisciplinaryな 活動でした。実際の生活に役立ってこそ学問があ ると言わんばかりでした,私がついた先生もリー ダーシップ研究で歴史に名が残っている有名な人 でしたが、児童福祉と野外活動の実践指導をしな がら研究をしていました。学部も当時の日本には ない学部ばかりでした。ソーシャル・ワークや看 護学部やジャーナリズムというようにそれぞれ独 立した学部でした。  大きなショックを受けた私はそこで回心をしま した。日常生活に役立つことこそが理論になると、 今までの実験心理学の狭い勉強の枠を取り払いま した。生活者主体の実践の中からこそ理論化がで きると悟りました。いわはアメリカン・プラグマ ティズムの洗礼を受けたようなものでした。そこ で、行動科学と社会福祉の統合化が目下のところ 必要であると感じとったのでした。  さらに私は自分が以前からもっていた社会福祉に 対する偏見と誤解を溶解することができました。社 会福祉は救貧慈善活動だと思っていました。裕福な 人が経済的に困っている貧者を助けることだという 昔の篤志家の活動だと決めつけていました。がしか し、ここでは人間同士のあいまみえる関係の中から 自立していく人を支援するのだということを体験学 習させてくれました。古い固定観念に捕らわれてい た自分でした。社会福祉は人間関係の教育活動なし では不可能であるという理解ができました。  そうした経験が帰国後の私の歩みに反映しまし た。東洋大学は応用社会学科という呼び方の中に 心理や福祉があり行動科学そのものの探究でし た。私のスタンスに合う感じがしました。自分の 専門に立脚しながら関係領域の人たちと協力関係 をつくりながら実践・研究ができることは、非常 にうれしいことでした。言葉は悪いですが、雑学 が研究に役立つと言えるのです。グローカルとい う和製英語がありますが、自分の領域をもちなが らグローバルに展開していく、ローカルである狭 い専門とグローバルという広い範囲の関係領域を ともに学びながら統合していける機会が与えられ たのです,,  その後、東洋大学から立教大学へ移りましたが、 そこでは生涯教育学会の立ち上げに参加したり、 恰好よく言えば勤労青少年の福祉活動に道を開拓 したりして教育と福祉の谷間を埋める仕事をして きました。また、政府の婦人少年問題審議会委員 もし、生涯教育関係の委員もして、文部省(旧) が2000年に新しい教育改革を実施した中に、ボラ ンティア活動や体験学習という言葉を導入して現 代の教育に役立つ変革のお手伝いをしてきまし た。立教大学の定年後は京都の平安女学院大学の 学長として赴任し、社会福祉学科を創設しました。 また、国際ボランティア学会を発足する努力をし ました。  このように私は真っ直ぐに進んできたのではな く寄り道の人生を歩んできました。今も寄り道を して、道草をしているのかも知れません。しかし、 グローカルというとらえ方で縦割り学問領域の谷 間の架け橋役をしていると自負しています。こう した考え方のよって立つ根拠は、ヒューマン・ビ ーイングにあります。人間がよりよく生きるため に個人も社会もどのようにしたらよいかを実践を 通して学問をしていくことです。それは人間関係 の中に変化と成長を支援していく福祉的行為が私 の今の実践です。  現在は第2の定年が過ぎて人生の賞味期限が終 わった年齢になりましたが、ボランティア活動と して「とげぬき生活館」の館長をしながら、厚生 労働省のニート問題の専門委員として無業者若者 の自立塾の運営に携わっています。  一つの専門領域にこだわらないで、実践を行って 日々新たな福祉活動をしていくこと、グローバルに 雑学を身につけながら関係領域の人達と交流してい くことが私にとって素晴らしい人生のアクセントに なっています。同時に、これからの世界の動向はこ うしたグローカルなそして統合的な福祉活動が求め ている時代だと思うのです。  これから述べる私の提案は、社会福祉活動を人 間学を主軸にして関係の諸科学と医療やコミュニ ティの実践家と共同しながら纏めていく調整連絡 のできるリーダーシップを発揮するワーカーの育 成が必要だと申し上げたいのです。

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第1回大会の記録〔2005年ll月)/シンポジウム「↑]会福祉教育90年の歴史と展望」

 そのためには第1にはIT機器の活用です。福

祉の世界で実質的に活用できるソフトの開発と活 用の担い手になることです。それによって関連領 域のコオーディネイトが促進されます。第2はそ れと正反対のことになりますが、人間の五感覚を 活用した人間関係の場と時とを多くもつ機会をつ くることです。直接に触れ合う人間関係のリーダ ーシップをもつことです。グループダイナミック スの活用と言えましょう。IT社会が人間的触れ 合いをなくしていく一方で、5感覚の交流の大切 さを認識し直し、それによって人間福祉の在り方 を究めていくことができます。この2つに絞って 福祉専門家を育成することを提案したいのです。 2.社会福祉論のモデルの変化  社会的実践を伴いながら理論形成をしていく社 会福祉学は、時代とともに変化していきます。ソ ーシャルワークのモデルはその時代の様相を直接 的に反映していく特徴があります。時代的社会的 環境が大きく影響しながら変化するわけです。同 時にその変化に対応するだけでなく、変化を創り だすのが社会福祉の特徴であるとも言えます。社 会福祉の根幹は人間存在の意味を問いかけながら ウエルフェアを実践していることには変わりあり ません。したがって時代の変化に敏感であること、 そして、人間存在の根本は不動のものとして学問 していくのが福祉学です。その変わらないものと 不断に変化するものとの統合を創造していくのが 社会福祉学であり、社会の改善と創造を願って実 践するのがソーシャルワーカーの使命です。  独断的ですが、私は日本の社会福祉を時代的な反 映を考慮して、次のようなモデルに分けて考えてい ます。お手許にある要旨の2の(1)から(7)まで が時代の順番に並べてあります。(1)の明治時代の 初期は救貧・慈善モデルでした。宗教家や篤志家な どあわれみの心をもった人たちが、極貧のどん底生 活の人たちを救う社会福祉モデルです。(2)は経済 救済モデルです。最低の生活も出来ない状況、とく に近代産業の勃興の過程で犠牲になった人々への福 祉活動モデルです。そして(3)はこうした経済救 済モデルだけでは不足すると入間性を強調したモデ ル。いわゆる社会事業モデル、これは大正デモクラ シーの時代的反映が大きく影響したと思います。  第2次大戦後は民主主義の普及とあいまった人 間福祉が社会事業モデルにつながって発展しま す。そして、(4)の階級モデルが幅をきかせてき ました。マルクス経済学を基盤にした左翼の人た ちの闘争モデルは見逃すことができません、そし て、戦後が落ちついた頃になって、(5)の社会保 障モデルの時代になりました。社会福祉3法が6 法になっていった時代です。  ここでのソーシャルワーカーの教育は、行政府 の通達を実行する人材育成が主眼となりました。 ケースワーカーは計数ワーカーと椰楡されたよう に、国の補助金や保護費の算出の仕事が多くなっ た時代です。(6)は自己責任モデルと言って過言 ではない現在の社会福祉です。1998年に社会福祉 構造改革がなされ、2000年には新しい社会事業法 が成立施行されました。この理念の基本は自己責 任にあります。介護保険や成人後見制度などに見 られるように、選択と責任の人権尊重にあります。 児童権、障害者の権利に見られるように基本的人 権の尊重にあります。加えて社会経済の時代的特 徴は4つのDと私は呼んでいますが、グローカル な時代になってきました。4つのDというのは、 Decenrralization. Democracy. Diversity.そして Dynamics.です。ディセントラリゼーションは地方 分権化と言ってよいと思います。中央集権ではな く、コミュニティ中心の福祉時代を意味します。 デモクラシーはいうまでもなく民主主義のことで 住民主体のコミュニティへの参加福祉を遂行する ことです。ダイバスティは多様性ということです。 時代がグローバルになったこと、いろいろな人種 の人とも共に生きる時代であり地域であること、 福祉の領域が多様な側面をもっていることを意味 します。複合的総合的な福祉が必要な時代である が故にソーシャルワークは医療、教育、経済など の側面にも大きくかかわっていかなくてはならな くなります。ダイナミックスとはいつも変化して 動的であるということです。それは時代の価値や 地域のニーズに合わせて可変性をもって動的に変 貌していくことを意味します。時代の価値は大体 10年で変化します。家族の形態と機能をみても約 10年で変貌しますから、その時その状況に応じて

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東洋大学社会福祉研究 創lill号〔2008年7月) もっとも必要で適切な社会福祉を実践していくダ イナミックなそして柔軟な対応が必要になってき ます。  (7)のモデルは統合経営モデルと名付けてい ます。これは今後の展望の中に10年後の社会福祉 のありようを予測して名付けています。これにつ いては次の世代に期待することの中で述べたいと 思います。 3.東洋大学に流れている人間福祉の思想と   人間性の継承  90年の由緒ある歴史、わが社会福祉の東洋大学 では、私の触れた昭和40年代から通底しているも のは何かを考えますと、そこには人間福祉の価値 を時代を超えて響きわたっていることです。  塚本 哲先生は、若い頃から永い年月を東京府 の社会事業に携わってこられました。特に戦後の 混乱期に浮浪児や生活困窮者の救済に尽くされま した。また、この学会の第1回の会合を「とげぬ き生活館」で開催し指導されています。昭和45年 (1970)2月にお話になった先生の定年退職の記 念講演の記録を読みますと、先生のヒューマニズ ムが如実に語っておられて感動しました。社会福 祉を支えている愛の心が一貫しています。  古川孝順先生は、最近のこ著書の中にパラダイム の転換は経済、政治、生活にプラスして文化を加え ることだを主張しておられます。文化の枠組みの内 容は、生命、環境、倫理のことです。これは人間を トータルな人間の生き方にかかわるヒューマンセン タードな考え方です。時代変化の反映とともに人間 の存在価値を基本にしておられます。  高橋重宏先生は、児童の権利を中心に人間福祉 の基本はウエルビーイングであることの証明をさ れています。これとても人間存在の基本を問い直 しながら、時代に適切な福祉を行っていくことで あります。先生は現在日本社会福祉学会の会長と いう重責を担っておられます。多くの学会があり ますが、社会福祉学会は最も大きな規模と会員組 織を擁し、しかも多くの関連部門と連携している 学会です。その頂点に高橋先生は立っておられ、 理論的にも運営的にも指導的立場と責任を担って おられます。人間中心の視点をいつも強調されて の指導をしておられます。  こうした人間性の尊重、一人ひとりを大切にし た東洋大学の社会福祉の歴史、その伝統を継承し ていく情熱を私はつよく持続していきたいので す。歴史に通底している人間学の展開こそがわれ われの学会の使命です。 4,次の世代に期待することども  さて、次の10年にはどんなことが起こるでしょ うか。(7)のモデルを統合経営モデルと名付けて いますが、福祉、医療、看護、法律、行政などが 相互連携を綿密にしていく時代になります。福祉 が単独でワークするということではなく、関係諸 機関との連絡調整をして人間福祉を包括的に扱っ ていくことになります。包括的とはトータルに人 間をとらえて福祉援助をしていくという意味で、 専門分化している現代とはちがって、総合的なア プローチが必要な時代になります。そして、従来 のような活動から一変して活動主体が独立的で経 営的になっていきます。補助や奨励金によって活 動するのではなく、地域のニーズに合致した活動 を独立採算制で展開していく時代になります。地 域の特色を生かしてユニークな活動ができるよう になります。しかも、10年先は今の団塊の世代が 70代の高齢者に突入する時代です。さらに、情報 科学の進展で総合的な技術も関係領域を包含する 技術社会になります。したがって関係領域の境界 がなくなります。そんな時代が身近かに到来しま す。そんな時代になればこそ、市民生活にもっと も近い立場で活躍できる福祉ワーカーに期待がか かってきます。  次の時代は看護師、保健師、医師、療法士、心 理士、弁護士などとワーカーはチーム・ワークを 組んで広い意味での福祉を展開していく時代で す。行政のことも必要ですが、地域の人達の福祉 が住民参加で展開していく時代です。そんな時代 を迎えて、社会福祉のワーカーはこうした諸専門 家のコーディネイト(連絡と調整)するリーダー シップを発揮していくことが求められています。 だから、今何をすべきかと言えば、私は福祉のエ リートを育成していくことが必要だと思っていま す。関連部門の専門家の連携と調整のできるワー

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第1回ノ\会の記録(2005年ll月//シンポシウム「引会福祉教育90年の歴史と展望」 カーです。多くの関連領域の知識や情報をもち、 人間性の豊かな、そして対人関係の能力に卓越し た資質能力を備える必要があります。ワーカーは 福祉の主体者である住民を熟知していますから、 その人の立場から考えて適切なアドバイスができ るのです。私はこうした関連領域との調整と真の 福祉のリーダーシップをもつ優れたワーカーをこ の大学で育成してほしいのです。  最後にこの学会への具体的な提案は3つありま す。毎年一回の大会と機関誌発行に加えて、第1は 各地で有志の懇談勉強会を開催することです。学会 が院生の活動の場であるともに卒業生の現場体験を 交流する場として活用することで、地域の課題もク ローズアップされます。また、実践と理論とのホッ トな討論と情報交換の場となるからです。  第2は年間に数回、大学キャンパスで「研究会」 あるいはサロン的な「談笑の会」をもつことを望 みます。これは、他の分野の人達との交流をもつ ことによって、雑学を学ぶ機会になることと、会 員相互の交流を深めるのに必要だからです。無駄 と思われるお喋りが新しい発想を得る機会になる からです。定期的に開催されると、東京に出てく る機会にタイミングを合わせて多くの会員が参加 できるようにもなります。  第3はインターネットの活用です。プログを用 いて会員間の通信情報を密接に行うことが地域差 と時間差をなくして情報交換ができます。立ち上 げたりするのは何でもないと思います。  私が願っているのは、社会福祉は人間学と社会 科学の統合をめざして進んできた学問であり実践 ですから、あくまでも人間学の立脚点を見失わな いで欲しいのです。科学の科学にならないように、 また、議i論の議論を重ねることのないように願い ます。 高橋:どうもありがとうございました。「相互研 究のサロン、場を提供して頂けたら」という大変 すばらしいご提案を頂きました。今の坂口先生の こ発題に関して何か、まずご質問等ございました ら受け付けたいと思います。  「一つは専門を持ちながら、より他の分野とや っていく」、これについては古川先生が専門職大 学で「複合科学の重要性」ということをおっしゃ っているので、後でお話し頂けたらつながるかな という感じもいたします。お願いできたらと思い ますけれども。  何かございますでしょうか。 天野:質問ではないのですけど、坂口先生にぜひ お願いしたいんですけれども、私ども今、ゼミで インターンシップというシステムを取り入れてい るんですね。昔、私たち、とげ抜きの生活館によく 伺いました。そこらへんで、まだインターンシップ とは言わなくても、学生をとりこんで頂けたら。 坂口:これは、あの形式でできるかどうかわかり ません。というのは「見学」と、「実習」に来ら れる人はときどきあります。それは拒否はしてい ません。  東洋大学が、「実はシステムとしてそうなって いるんだ」と昔の先生がおっしゃったんだけれど も、探してみたら何にもそれは無いんです。  だから逆に言えば、私は東洋大学の関係者にな ったから、そこに行ったわけですね、40年程前に ね。ですから他の大学、とくに大正大学の方はよ く来られていました。という形なんで、可能性は あると思います。 天野 よろしくお願いいたします。 高橋二はい、そのことはまた改めてお願いします。 歴史的に、先程のお話にありました通り、我々も 内藤文質先生なども行っておられました「法律相 談」です。東洋大学の先生達が、「とげ抜き生活 館」で相談活動をされていて、非常に関係が深か った。今、たまたまOBである坂口先生が館長をさ れているということですけれども、可能な限りそ ういうフィールドは、これから東洋大学の学部生、

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