「哲学の終わり」に臨むハイデガーの思索
著者
相楽 勉
著者別名
Tsutomu SAGARA
雑誌名
白山哲学 : 東洋大学文学部紀要 哲学科篇
巻
54
ページ
49-68
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00012107
﹁将来の思索はもはや哲学ではない﹂ とハイデガーが語ったのは ﹃︿ヒューマニズム﹀ についての書簡﹄ ︵以下 ﹃書簡﹄ と略記、一九四七年初 出 (( ( ︶においてであり、そういう思索と哲学との関係の思索は一九六四年の講演に基づく﹃哲学 の 終 わ り と 思 索 の 課 題 ﹄︵ GA14 、 以 下﹃ 思 索 の 課 題 ﹄ と 略 記 ︶ に 結 実 す る。 ﹁ も は や 哲 学 で は な い 思 索 ﹂ の 可 能 性 を 考えることは、哲学を過去の思索様式と看做し、克服すべきものと考えているようでもある。しかしながら一九五五 年 の 講 演 に 基 づ く 著 作﹃ 哲 学 と は 何 か︵ W as ist das- die Philosophie? ︶﹄ ︵ 以 下﹃ 哲 学 ﹄ と 略 記 ︶ に お い て は、 哲 学 が 必ずしも否定的観点から評価されていたわけではない。そして﹃思索の課題﹄講演で﹁哲学の終わり﹂が語られるの は確かだが、 ﹁終わり﹂ に達する ﹁哲学﹂ そのものが否定されているとも言えない。それでも ﹁哲学﹂ という名称を ﹁終 わり﹂と結びつけるのはなぜか。 ま た﹁ 哲 学 ﹂ と い う 名 称 が こ と さ ら に 問 題 に な る 事 情 に 目 を 向 け る な ら、 ﹃ 哲 学 ﹄ 講 演 も﹃ 思 索 の 課 題 ﹄ 講 演 も、 フランスにおいてなされたものであることに留意すべきであろう。そもそも ﹃書簡﹄ もサルトルの ﹃実在主義はヒュー マニズムである﹄に関するジャン・ボーフレからの問い合わせに答えたものだった。ハイデガーが一九四六年にボー
「哲学の終わり」に臨むハイデガーの思索
相
楽
勉
フレの訪問を受けたことが機縁となり、一九五五年に﹁哲学﹂講演のためにノルマンディ地方を訪れ、その途中のパ リ に も 滞 在 し ル ネ・ シ ャ ー ル と 会 っ て い る。 さ ら に そ の 翌 年 と 翌 々 年 に は エ ク サ ン │ プ ロ ヴ ァ ン ス を 訪 ね て﹁ ヘ ー ゲ ルとギリシア人﹂と題する講演を行い、 最晩年の一九六六年から三回もプロヴァンスのル ・ トールでゼミナールを行っ た (( ( 。 これらフランスの知識人たちとの交流はボーフレによって隅々もたらされた交流というだけではなく、ハイデガー 自身が戦前の時期からフランスとの思想的対話の必要を感じていたという事情もその背景にはあった︵ GA15, 409f. ︶。 いずれにせよ、フランスの知識人たちとの交流に際して﹁哲学﹂という古代以来の共有伝統に訴えるのは意外ではな い だ ろ う。 ﹃ 哲 学 ﹄ 講 演 は ま さ に 知 的 課 題 の 共 有 が 目 指 さ れ て お り、 そ れ 以 上 の 部 分 に は 踏 み 込 ん で い な い。 だ が、 それはまさにその後の本来の課題への導入であるとも言える。一九六四年講演が示すのは、 まさにそのことであろう。 しかしながら、 ﹁哲学﹂はフランス知識人との対話に際してのみ問題になることではあるまい。 ﹁哲学の終わり﹂後 の﹁ 思 索 の 課 題 ﹂ は、 い う ま で も な く﹁ 哲 学 ﹂ と の 関 わ り か ら し か 生 じ 得 な い。 ﹁ 哲 学 ﹂ に お い て 思 索 さ れ な か っ た ことは、 ﹁哲学﹂の内にしか示されえない ということにならないか。 以下においては、一九五〇年代以降のハイデガーにとって﹁哲学﹂と﹁思索﹂という言葉によって考えられたこと を辿り、 ﹁将来の思索﹂においてこの両者が持つ関わりを考えたい。 ま ず 一 九 五 五 年 講 演 に 基 づ く﹃ 哲 学 と は 何 か ﹄︵ GA11 ︶ に お け る﹁ 哲 学 ﹂ に 関 す る 発 言、 次 に﹁ 思 索 ﹂ に 関 す る 同 時 期 の 講 義﹃ 思 索 と は 何 を 意 味 す る か ﹄︵ GA8 ︶ に お け る﹁ 哲 学 ﹂ の 意 義 づ け を 順 次 考 察 し、 そ れ ら を 踏 ま え て 最 晩 年 一 九 六 四 年 の 講 演﹃ 哲 学 の 終 わ り と 思 索 の 課 題 ﹄︵ GA14 ︶ に お け る﹁ 哲 学 ﹂ と﹁ 思 索 ﹂ 両 者 の 関 係 を 改 め て 考 え て みることにしたい。
一 「知恵」に応じて語ることと「哲学」 序 で ふ れ た よ う に、 ﹃ 書 簡 ﹄ 以 来 自 ら の 思 索 を﹁ も は や 哲 学 で は な い ﹂ と 語 る ハ イ デ ガ ー が﹁ 哲 学 ﹂ を テ ー マ と し た講演を行ったのは、たしかにフランスの知識人たちとの対話という特殊な状況下であったからかもしれない。そう 考えるなら、ここで﹁哲学﹂に関して語られたことが、同時期の講義で﹁思索﹂について語られたことと重なる部分 を持つことは不思議ではない。だがこの講演題名を、状況に応じた言葉の使い分けとのみ理解すべきではない。ハイ デガーがここで自身がドイツ語で考えてきた事柄を、フランス語による思索との関連の内で見直そうとしていること もまた事実であり、それはつまり自らの思索の道筋をフランス、ひいてはヨーロッパ圏における﹁哲学﹂の思索諸形 態と対話させ、そこから自らの思索を普遍化しようとしているとも言える。この対話に導くという講演の意図に留意 しつつ、講演で触れられた論点の幾つかに触れてみよう。 冒 頭 で ハ イ デ ガ ー は ま ず﹁ 哲 学 ﹂ と い う テ ー マ を、 そ れ﹁ に つ い て︵ über ︶﹂ 外 か ら 問 う の で は な く﹁ 哲 学 へ 入 り 込む﹂対話を行うものとして設定しようとする。だがそうすると哲学は﹁情動、情緒、感情の事柄﹂になりはしない か と い う 疑 義 に も 向 き 合 う こ と に な る と 言 う。 つ ま り、 哲 学 は﹁ ラ チ オ︵ ratio ) の 事 柄 ﹂ な の だ か ら、 客 観 的 に 解 明 すべきであって心情に﹁入り込む﹂べきではないという反論が予想される。だが、ハイデガーはそれこそが﹁哲学と は何か﹂という問いに対する性急すぎる答えであり、そもそも﹁ラチオ、理性﹂とは何であり、その哲学に対する支 配ということもさらに問われうると言うのである︵ GA11,8 ︶。 こ の 冒 頭 か ら し て、 ハ イ デ ガ ー 独 自 の 問 い の 展 開 が 見 て 取 ら れ る。 ﹁ 哲 学 と は 何 か ﹂ と い う 問 い を ま さ に ラ チ オ の 問いと考えてしまうその理由が実は本当の問題だという示唆によって、そういう発想の歴史的原点が問われざるを得
ないという問いの道筋が見いだされる。 かくして講演は、 ラチオの事柄とされる哲学の始まりをめぐる対話の喚起に向かう。 まずはギリシア語フィロソフィ アが ﹁ギリシア精神の実存を規定するもの﹂ であり、 ﹁西欧的ヨーロッパ的歴史の最も内的な根本趨勢﹂ の規定に関わっ て い る と い う こ と の 省 察 に 進 む︵ GA11,9 ︶。 フ ィ ロ ソ フ ィ ア と は、 あ る も の に か ん し て﹁ そ れ は 何 か ﹂ と 問 い、 さ ら にその﹁何﹂が﹁いかなる意味で理解されるべきか﹂ということまでも問うような思索である。プラトンのイデアは そ の 一 つ の 答 え で あ り、 カ ン ト、 ヘ ー ゲ ル に 至 る ま で 様 々 な 解 答 が な さ れ る が、 そ れ ら は す べ て﹁ あ る も の が 何 か ﹂ を規定するものである限り、哲学の問いは﹁歴史的な由来によって歴史的な将来への一つの方向性を見出してしまっ ている﹂ ︵ GA1,12 ︶とハイデガーは言う。 こ の﹁ 歴 史 的 将 来 へ の 方 向 性 ﹂ と は、 ﹁ あ る も の と は 何 か ﹂ と い う 問 い の 始 ま り に﹁ 哲 学 ﹂ そ れ 自 身 と は 何 か を 問 う必然性も含まれ、そのような循環的問いを自覚的に引き受けるという方向性でもある。講演冒頭に言われた﹁哲学 に入り込む﹂とは、そういう循環的事態への参入をも示唆しているのである。 そ の よ う な フ ィ ロ ソ フ ィ ア の 原 点 は﹁ 知 恵 を 好 む︵ φιλóσοφος ︶﹂ こ と に あ る。 こ れ に つ い て は す で に ヘ ラ ク レ イ ト スが語っている。ただし、 彼にとって ﹁知恵を好む人 ︵ ἀνήρ φιλóσοφος ︶﹂ とは後世の ﹁︽哲学的︾ な人間﹂ とは全く違っ た こ と を 意 味 し た と ハ イ デ ガ ー は 言 う︵ GA11,14 ︶。 彼 に と っ て﹁ 知 恵︵ σοφóν ︶﹂ が あ る と は、 ﹁ 知 恵 に 応 じ て 語 る ︵ ὁμολογ είν ︶﹂ ということ、 即ち ﹁一にして全 ︵ ἝΈν Πάντα ︶﹂ という知恵に同調し応答するという意味だった。 ﹁全 ︵パ ンタ︶ ﹂ とは ﹁あるもののすべて﹂ 、﹁一 ︵ヘン︶ ﹂ は ﹁一者 ︵ das Eine ︶﹂ 、﹁すべてを統一するもの ︵ alles Einigende ︶﹂ 、従っ て﹁ 一 に し て 全︵ ヘ ン・ パ ン タ ︶﹂ は﹁ あ る も の す べ て は︿ あ る︵ Sein ︶﹀ に お い て あ る ﹂︵ ibid. ︶。 ﹁ ヘ ン ﹂ は あ る も の 全 体 を﹁ 集 約 す る ﹂ 限 り﹁ ロ ゴ ス︵ λόγος ︶﹂ で も あ る と 言 う。 つ ま り、 ヘ ラ ク レ イ ト ス に と っ て﹁ 知 恵 を 好 む ﹂ と
は﹁あるものすべて﹂を統一する知恵の集約である﹁ロゴス﹂に応じて語る営為ということになる。 さて、ハイデガーはこのヘラクレイトス的な﹁知恵﹂への態度とプラトン以降のフィロソフィアとは区別されると 言 う。 後 者 は ソ フ ィ ス ト 的 悟 性 の 攻 撃 に 対 し て﹁ 知 恵︵ τό σοφόν ︶﹂ を 擁 護 し 積 極 的 に 確 立 す る 努 力 と い う 性 格 を 持 つ か ら だ︵ GA11,15 ︶。 そ う い う フ ィ ロ ソ フ ィ ア へ の 問 い は、 ソ ク ラ テ ス と プ ラ ト ン に よ っ て な さ れ、 さ ら に ア リ ス ト テ レ ス に よ っ て﹁ あ る も の と は 何 か︵ τί τὀ ὄν; ︶﹂ と い う 問 い と し て 特 徴 づ け ら れ た と 言 う。 そ れ は、 た と え ば﹃ 形 而 上 学 ﹄ に お け る フ ィ ロ ソ フ ィ ア の 規 定 に 看 守 さ れ る。 一 つ は、 哲 学 が ἐπιστήμη θεωρητική 、 即 ち﹁ 観 察 す る ︵ θεωρεἶν, ausschauen ︶ と い う 権 限︵ Zuständigkeit ︶﹂ に お け る 知 と さ れ て い る こ と、 も う 一 つ は、 そ れ が 存 在 者 の﹁ 第 一 の 諸 根 拠 と 原 因 に 関 す る ﹂ 知 で あ る こ と だ と 言 う︵ GA11,16 ︶。 そ れ ら の 性 格 が そ の 後 二 千 年 の 様 々 な 哲 学 を 貫 い ているとした上で、ハイデガーはこの哲学に関する﹁アリストテレス的特徴づけ﹂が﹁哲学とは何か﹂に対する唯一 の答えではないと言う。 この著の元となった講演がフランスの知識人たちとの対話の導入という事情によるものだとも言えるが、この著の 意 図 は﹁ 哲 学 と は 何 か ﹂ に 関 す る ハ イ デ ガ ー の 答 え で あ る と い う よ り、 ﹁ 哲 学 す る 答 ﹂ へ の 対 話 を 開 く こ と に 向 け ら れており、しかもそれが﹁哲学﹂の問いがそこから発せられるような問題の確認に向けられている。 ところで、アリストテレスのいう﹁あるものとは何であるか﹂と、ヘラクレイトスの﹁一にして全﹂に聴く﹁ロゴ ス﹂を歴史学的に受け取るのではなく﹁自己のものとして﹂問うことがここでの課題であると言われているが、それ はアリストテレスの規定した﹁哲学﹂の路線なのか、あるいは﹁哲学﹂以前の﹁知恵への愛﹂なのか。その未決定性 を含めた問いがここで提起されているのだとしたら、 ﹁哲学とは何か﹂ というこの講演自体が、 ハイデガーによれば ﹁知 恵の愛﹂とフィロソフィアへ応答する思索ということになろう。
つまり、この講演の思索が﹁哲学﹂に批判的であろうと、 ﹁それが何であるか﹂と問う限り、 ﹁哲学﹂的な思索である ことも否定できない。ここに﹁哲学﹂と﹁思索﹂のかかわりという問題がある。ハイデガーがことさらに﹁哲学﹂と いう名称を避けて﹁思索﹂を問う事情もここにかかわっている。それが最晩年にどのような結論に達したかを考える 前 に、 こ の﹃ 哲 学 ﹄ 講 演 に 先 立 つ 講 義 に 基 づ い た 著 作﹃ 思 索 と は 何 を 意 味 す る の か ﹄︵ GA8 ︶ に お け る﹁ 思 索 ﹂ の 思 索を辿りたい。 二 思索を命じるものへの問いと哲学 この著作は一九五一年から翌年にかけてフライブルク大学でなされた講義に基づくもので、その翌々年に公刊され た。前節の﹃哲学﹄講演のいわば前提となっているこの講義は当然ながらドイツ語でなされ、そのことにハイデガー 自身が意義を認めていることにも注目したい。それは何よりもこの講義題名に関わる。 ド イ ツ 語 タ イ ト ル W as heißt Denken? は 講 義 の 最 後 に 到 達 す べ き﹁ 問 い ﹂ で あ り、 そ の 意 味 に 気 づ く の は﹁ わ れ わ れ自身が思索する時﹂であると講義冒頭で言われるのだが、それはこの問いのドイツ語としての多義性に関わるから でもある。それに気づく﹁思索﹂を﹁われわれは未だ為し得ていない﹂のであり、それこそが﹁最も熟思すべきこと ︵ Das Bedenklic hste ︶﹂ ︵ GA8,5 ︶ な の で あ る。 講 義 は﹁ 思 索 す る こ と を 学 ぶ 準 備 ﹂ な の で あ っ て︵ GA8,5 ︶、 そ れ が う ま くいけば W as heißt Denken? の意味にたどり着くというのである。 ではなぜ学ばれるべきことが﹁哲学﹂ではなく﹁思索﹂なのか。第一部最初の時間においては﹁哲学への関心が示 さ れ る こ と は、 思 索 へ の 準 備 が あ る こ と を 何 ら 保 証 し な い ﹂︵ GA8,7 ︶ と 言 わ れ る。 こ の 関 心 と は 当 時 の 世 間 的 な 哲 学への関心、おそらく当時の実存主義などへの関心であろう。だが﹁思索への準備﹂はそのような当時の哲学ブーム
に抗して言われているだけではない。さらに﹁思索しようとする試みと課題は、従来の思索がその内で満たしたと思 い、 満 た し て い た と 思 う 諸 要 求 が 無 効 に な る よ う な 世 界 時 代︵ W eltalter ︶ へ と 向 か っ て い く ﹂︵ GA8,163 ︶ と 言 わ れ て もいる。この﹁世界時代﹂とは﹁思索﹂を﹁諸科学の有する知に通じない﹂ ﹁有効な生活の知恵をもたらさない﹂ ﹁世 界 の 謎 を 解 か な い ﹂﹁ 行 為 の た め の 力 を 与 え な い ﹂ も の と 評 価 す る 時 代 だ が、 そ の﹁ 思 索 ﹂ は﹁ こ の 世 界 時 代 に 入 っ て い く 過 程 で 回 避 し が た い も の ﹂ で も あ る と 言 う︵ ibid. ︶。 こ の﹁ 思 索 ﹂ の 無 力 さ の 評 価 は、 ﹁ 従 来 の 思 索 ﹂ と し て の ﹁ 哲 学 ﹂ に 対 し て な さ れ る よ う に 思 わ れ る。 そ れ が 提 供 で き な い 四 つ の 課 題 の 解 決 が 科 学 と 科 学 技 術 に よ っ て な さ れ る 時 代 が、 こ こ で の﹁ 世 界 時 代 ﹂ で あ ろ う。 す る と、 ﹁ 哲 学 ﹂ の 無 力 に も か か わ ら ず こ の 時 代 に 向 か う﹁ 思 索 の 試 み と課題﹂があると言う理由は何だろうか。またこの思索はなぜ﹁哲学﹂とは呼ばれないのだろうか。 ここでは講義がめざす冒頭の問いの意味へと向かう道筋を、特に講義の後半である第二部の内に見て行きたい。講義 第 二 部 は W as heißt Denken? と い う﹁ 問 い ﹂ を 問 う﹁ 様 々 な 道 ﹂ を 数 え 上 げ る こ と か ら 始 ま る。 第 一 の 道 は﹁ 思 索 ﹂ という語の意味を問う道、第二の道は﹁思索﹂に関する﹁従来の学説﹂を問う道、第三の道は﹁思索﹂の本質に従っ た遂行に何が属するかを問う道、第四の道は﹁何が思索を命じるか﹂を問う道である。この最後の問いの道は、ドイ ツ語 Heißen の意味を ﹁命じる﹂ ﹁申し付ける﹂ と解する場合における W as heißt Denken? の意味である。 Uns を補って ﹁何 が わ れ わ れ に 思 索 を 命 じ る か ﹂ と 読 む 場 合 の こ の 問 い こ そ が﹁ 基 準 決 定 的 な 問 い ﹂ で あ る と 言 わ れ て い る。 そ し て、 第二部全体を概観するなら、第一の道から始まって第四に到達する流れになっている。ただこれらの四つの問が重な る 四 重 の 道 と し て の W as heißt Denken? と い う﹁ 問 い ﹂ は﹁ ほ と ん ど 見 渡 し 得 な い 遠 大 な 道 の 発 端 に 立 っ て い る ﹂ ︵ GA8,162 ︶と言われている。 こ の 点 に 留 意 し な が ら 第 二 部 の 論 旨 を 辿 る。 ま ず﹁ 思 索︵ Denken ︶ は 詩 作 し は し な い が、 言 葉 を 根 源 的 に 言 う こ
と ︵ Sagen ︶ であり話すこと ︵ Sprechen ︶ であるがゆえに、 詩作の近隣に留まらねばならない﹂ ︵ GA8,140 ︶ と言われる。 第 一 の 道 で あ る ド イ ツ 語 Denken の 意 味 へ の 問 い は こ の 脈 絡 に お い て 問 わ れ る。 Denken が ど の よ う な﹁ 言 う ﹂ こ と な の か が 問 題 に な る。 そ の 際 ハ イ デ ガ ー は Denken に 関 連 す る﹁ 諸 語 の 意 義 史 ﹂ か ら 何 ら か の﹁ 示 唆︵ W ink ︶﹂ を 得 よ う と す る︵ GA8,42 ︶。 そ こ で﹁ 考 え ら れ た こ と︵ Gedachtes ︶﹂ ﹁ 思 想︵ Gedanke ︶﹂ ﹁ 感 謝︵ Dank ︶﹂ な ど Denken の 関 連 諸 語 の 内 で﹁ 基 準 と な る 根 源 的 な 意 味 を 示 す 語 ﹂ は 中 高 ド イ ツ 語 の Gedanc だ と い う﹁ 指 摘 ﹂ に 注 目 す る︵ GA8,143 ︶。 こ の 語 は﹁ 論 理 的 合 理 的 な 表 象 ﹂ と い う﹁ 思 想︵ Gedanke ︶﹂ の 今 日 的 意 義 を 持 た ず、 ﹁ す べ て を 取 り ま と め る 思 い ︵ Gedenken ︶﹂ あ る い は﹁ 心 情︵ Gemüt ︶﹂ ﹁ 心︵ Herz ︶﹂ を 意 味 す る こ と、 さ ら に そ こ に は﹁ 敬 虔 な 心 持 ち︵ An-dacht ︶﹂ としての﹁記憶︵ Gedächtnis ︶﹂もあると言うのである︵ GA8,143f. ︶。 こ の よ う な 語 源 的 考 察 の 意 図 は、 Denken が 合 理 的 な 所 作 で あ る 面 と は 別 に、 自 ら に 与 え ら れ た﹁ 気 が か り Anlie gen ﹂ を 負 う と い う 経 験 で も あ る こ と へ の 着 目 で あ ろ う︵ GA8,145 ︶。 だ が こ の よ う な Denken の 意 義 史 を 手 が か り と し た 本 質 洞 察 の 限 界 が 四 時 限 目 に 語 ら れ て、 問 い は 次 の 局 面 に 移 行 す る こ と に な る︵ GA8,157 ︶。 た だ し こ の ド イ ツ語 Denken 考察の意義は講義の終盤に第四の問の道に際して見直されることになる。 次に辿られるのは先ほど挙げた第二の道である。 ﹁西洋における思索の歴史﹂ において思索に関する学説は ﹁論理学﹂ と 呼 ば れ て き た。 な ぜ な ら 思 索 は﹁ ロ ゴ ス の レ ゲ イ ン︵ λέγ ειν ︶﹂ ︵ GA8,165 ︶、 す な わ ち﹁ 何 か に つ い て 何 か を 言 明 す ること﹂を意味すると思われているからだと言う。この理解が今日に至るまでの西洋における思索を貫いており、古 代 ギ リ シ ア 哲 学 に お け る﹁ テ ィ・ エ ス テ ィ ン︵ τί ἐστιν ︶﹂ と﹁ ホ テ ィ・ エ ス テ ィ ン︵ ὅτι ἔστιν ︶﹂ の 区 別、 ま た 中 世 に おける essentia と existentia の区別の根拠であり、現代の論理計算の根拠でもあるとハイデガーは言う︵ GA8,165f. ︶。 ハイデガーはこのような﹁思索﹂理解の歴史的発端を、パルメニデスの断片六の解釈を通じて明らかにし、そこに
これまでとは別の﹁道﹂を見出そうとする。問題になるのは﹁あるものがあることを、言うことと思索することが必 要である﹂というその﹁翻訳﹂であり、この翻訳を解体して新たな翻訳を試みることが、ハイデガーの﹁思索﹂への 問いとなる。 こ の 断 片 六 に 関 し て ハ イ デ ガ ー が 最 初 に 問 う の は﹁ 通 常 の 翻 訳 ﹂、 即 ち ド イ ツ 語 訳 だ と Nötig ist zu sagen und zu denken, daß das Seiende ist ︵ GA8,171 ︶ に お け る﹁ 必 要︵ nötig )﹂ で あ る。 そ れ は こ れ も 通 常 の 理 解 に よ る な ら、 ﹁ ロ ゴス﹂の教説としての﹁論理学﹂の﹁必要﹂と関わる。それは﹁あるものがある﹂ことを﹁言いかつ考える﹂自明性 に迫られた﹁必要﹂である。ハイデガーはこの伝統的解釈自体がある特定の﹁思索﹂理解、即ちロゴスのレゲインと しての﹁論理学﹂に基づいていると見、それに代わる新たな解釈を提案する。断片六の語群を﹁必要言うことと思 索 す る こ と も、 あ る も の あ る こ と ﹂ と﹁ 並 列 的 に 語 り か つ 聴 く ﹂︵ GA8,189 ︶ こ と を 手 が か り と し て、 ま ず﹁ 必 要 ﹂ と訳された χρὴ を﹁ ︵それは︶用いる Es brauchtet ﹂ (( ( と﹁翻訳﹂する︵ GA8,191 ︶。それは χρὴ が属す動詞 χράω や χράομαι の 内 に ή χείρ ︵ 手 ︶ と い う 語 が 存 し、 手 中 に す る︵ handhaben ︶、 確 保 す る︵ behalten ︶、 そ こ か ら﹁ 私 は 用 い る︵ ich brauche ︶﹂ と 解 し う る か ら だ が︵ ibid.190 ︶、 さ ら に﹁ 本 来 的 な 用 い る こ と ﹂ は 単 な る﹁ 利 用 ﹂ で は な く、 ま さ に﹁ 手 を 尽 く す ﹂、 つ ま り﹁ 用 い ら れ る も の に 適 合 な い し 呼 応 ﹂ し て そ れ を﹁ そ の 本 質 の う ち に 収 め る︵ einlassen ︶﹂ こ と を 意味すると言う。つまりハイデガーが χρὴ を Es ist nötig ではなく Es brauchtet と解する意図は﹁あるものがある﹂という 強 意 の 論 理 的 限 定 よ り も、 問 わ れ る 事 柄 を﹁ そ れ が 何 で あ り い か に あ る か と い う こ と へ 解 き 放 つ こ と︵ Ablassen ︶﹂ にある。 こ の よ う な﹁ 用 い る ﹂ か ら 次 の﹁ レ ゲ イ ン ﹂ と﹁ ノ エ イ ン︵ νοέιν ︶﹂ を 見 直 す な ら、 通 常 の ロ ゴ ス 理 解 か ら さ ら に 離れることになる。ハイデガーは ﹁レゲイン﹂ が ﹁言う ︵ sagen ︶﹂ ないし ﹁語る ︵ sprechen ︶﹂ を ﹁必ずしも﹂ 意味せず、
根本においてはラテン語 legere ︵取り集める︶ 、ドイツ語 legen ︵置く︶ と同じ語であると言う ︵ GA8,201 ︶。もちろん ﹁語 る こ と ﹂ の 本 質 が﹁ 取 り 集 め ﹂﹁ 置 く ﹂ に あ る と 理 解 で き る。 た だ﹁ 語 ら れ る ﹂ 場 合 に 断 片 七 が い う﹁ 虚 ろ な 目 と ど よ め く 耳 と 舌 を 楽 し ま せ る 道 ﹂︵ GA8,202 ︶ も 出 現 す る こ と か ら、 真 正 な 語 り の 本 質 を﹁ 取 り 集 め 置 き ﹂ か ら 考 え る 解釈とも言えるだろう。 さ ら に﹁ 置 く ﹂ こ と に よ っ て﹁ 置 か れ た も の ﹂ は 二 義 的 だ と 言 わ れ る︵ GA8,294 ︶。 ﹁ 置 く ﹂ は 何 か を﹁ 前 に 横 た わ ら せ る︵ zum Liegen bringen ︶﹂ が、 そ れ は す で に﹁ 横 た わ っ て い る も の ﹂ を 前 提 し て お り、 そ れ を﹁ 置 く ﹂ こ と に な る︵ ibid. ︶。 レ ゲ イ ン は﹁ 前 に 横 た わ っ て い る も の ﹂ に 呼 応 し て 語 り︵ entsprechen ︶、 ﹁ あ る ﹂ と い う 規 定 に よ っ て 人 間 に と っ て の 世 界 を 開 く が、 そ の 際﹁ 横 た わ る も の ﹂ 自 体 が﹁ そ れ は あ る︵ es ist ︶ と 無 言 で 語 る ﹂︵ GA8,210 ︶、 す な わ ち﹁ あ る ﹂ は そ の﹁ 横 た わ る も の ﹂ に 帰 属 す る。 ハ イ デ ガ ー は こ の よ う な﹁ ロ ゴ ス ﹂ 解 釈 に よ っ て、 ﹁ ノ エ イ ン ﹂ に対する ﹁レゲイン﹂ の先行性も主張する。 ﹁ノエイン﹂ の方は、 ﹁何かを心にかける思案 ︵ Sinnen ︶﹂ を意味する ﹁ノー ス︵ νόοϛ ︶﹂と﹁ヌース︵ νούϛ ︶﹂との語彙的関連に着目すると、 ﹁注視する ・ 気にかける︵ in die Acht nehmen ︶﹂と﹁翻 訳 ﹂ で き る と 言 う︵ ibid. ︶。 ﹁ 注 視 す る ﹂ た め に は、 す で に 何 か が﹁ 前 に 置 か れ る ﹂ こ と が 先 行 す る の だ が、 二 段 階 と して区別されるべきではなく、相互に関わりあう﹁接合構造︵ Gefüge ︶﹂ ︵ GA8,212 ︶を成すと理解すべきだと言う。 このような ﹁レゲイン﹂ と ﹁ノエイン﹂ の理解は ﹁概念﹂ を思索の本質とする理解を避ける意図に基づくのだろう。 ア リ ス ト テ レ ス も 含 め 古 代 ギ リ シ ア の 思 索 者 た ち は﹁ 概 念 な し に 思 索 す る ﹂︵ GA8,215 ︶。 ﹁ 概 念 な し に ﹂ と は﹁ 問 い に値するものへの道に留まって﹂ ﹁一つの決定された答を偽造﹂しないことである。 ﹁前に横たわらせる﹂ことは、必 ず し も﹁ 概 念 ﹂ を 形 成 す る こ と で は な い。 ﹁ 概 念 ﹂ の 把 握 は 主 観 の 表 象 作 用 か ら 考 え ら れ る が、 こ こ に 示 さ れ る レ ゲ インとノエインの関係は、それらを関係づけるもの、すなわちレゲインが﹁横たわらせる﹂ものから考えられる。す
な わ ち、 断 片 六 の 最 後 に 言 わ れ た﹁ エ オ ン・ エ ン メ ナ イ︵ ἐòν ἔμμεναι ︶﹂ か ら で あ る。 ハ イ デ ガ ー が 挙 げ る 従 来 の 訳 で は﹁ あ る も の が あ る こ と︵ daß das Seiende ist ︶﹂ ︵ GA8,182 ︶ だ っ た が、 こ の で も ハ イ デ ガ ー は 新 た な 翻 訳 を 考 え る ︵ GA8,223 ︶。 まず冠詞なしの ﹁エオン﹂ が名詞的意義と動詞的意義を併せ持つ ﹁分詞 ︵ Partizipien ︶﹂ であることに注目する ︵ GA8, 224 ︶。 そ の 二 義 性 は﹁ そ れ 自 身 に お い て 二 重 襞 的︵ zwiefältig ︶ な も の ﹂︵ GA8,224 ︶ へ の 関 係 か ら 成 り 立 つ と 言 う。 しかもこの ﹁エオン﹂ は ﹁ある﹂ に関する事態だから、 ﹁あらゆる可能的な他の分詞を自らに集約する分詞﹂ ︵ GA8,225 ︶ つ ま り 分 詞 的 事 態 そ の も の の 名 称 だ と 言 う。 ま た ハ イ デ ガ ー は こ の﹁ 二 重 襞︵ Zwiefalt ︶﹂ こ そ が プ ラ ト ン の 言 う﹁ 分 有︵ μἑθεξιϛ ︶﹂ の 根 本 を 成 す と も 言 う。 即 ち 分 詞 を 意 味 す る ラ テ ン 語 participium の 原 語 は ギ リ シ ア 語 μετοχή で あ り、 イ デ ア を﹁ 分 有 す る︵ μετέχειν ︶﹂ こ と は﹁ あ る も の ﹂ が 含 む 二 重 襞︵ Zwiefalt ︶ を 前 提 す る と 言 う︵ GA8,226 ︶。 プ ラ ト ンにとって単に ﹁あるもの﹂ からイデアとしての ﹁ある﹂ に超越することが問題だったが、 その出発点は分詞的な ﹁あ るもの﹂だった。レゲインが前に﹁置く﹂エオンが﹁置く﹂以前に﹁横たわって﹂おり、それが﹁自ずと出現するも の︵ Φύσιϛ ︶﹂ と 呼 ば れ る な ら、 そ の﹁ あ る ﹂ に 向 か っ て 行 く 思 索 は﹁ 形 而 上 学︵ Metaphysik ︶﹂ ︵ GA8,227 ︶ と な る と いうわけである。 ではその﹁エオン﹂と後続の不定詞﹁エンメナイ﹂はどのような関係か。ハイデガーはパルメニデスが﹁エンメナ イ ﹂ を﹁ エ オ ン ﹂ と 言 い 換 え る 例 を 示 し、 ﹁ エ オ ン・ エ オ ン ﹂ と い う 同 語 反 復 表 現 も あ り う る と 言 う。 要 す る に﹁ エ オン・エンメナイ﹂は従来考えられてきた﹁あるものがある﹂という存在規定には収まらない事態であって、それに 面し受けとめることが原初の﹁思索﹂だったとハイデガーは考えるのである。だがそれは﹁あるものがある﹂という 経験とどう違うのか。
そ の こ と は W as heißt Denken? と い う 題 名 が 示 す 第 四 の 道﹁ 何 が わ れ わ れ に 思 索 を 命 じ る の か︵ W as heißt uns Denken? ︶﹂に至って示される。ハイデガーはパルメニデス断片翻訳を介して、 この思索を命じる﹁何︵ Wa s ︶﹂を﹁エ オン ・ エンメナイ﹂ ︵あるもの ・ ある︶と解き、さらにその事態を Anwesen ︵現前︶というドイツ語によって解釈する。 こ の 語 は 周 知 の 通 り、 ハ イ デ ガ ー が 一 九 三 〇 年 代 に、 古 代 ギ リ シ ア 人 た ち の 存 在 理 解 に お い て﹁ ウ ー シ ア︵ οὐσία ︶﹂ の意味を ﹁恒常的現前性 ︵ Beständige Anwesenheit ︶﹂ と解釈した際に用いていた語であることを想起する必要があろう。 そ の 際 に は、 こ の 解 釈 が 存 在 忘 却 の 歴 史 と し て の 形 而 上 学 の 発 端 に な っ た と 言 わ れ た が︵ GA31, 8,~10 ︶、 今 や 改 め て ﹁ 現 前︵ Anwesen ︶﹂ が パ ル メ ニ デ ス の﹁ あ る ﹂ の 意 義 と し て 登 場 し た の で あ る。 そ れ は や は り﹁ わ れ わ れ に 現 在 す る も の︵ uns Gegenwärtiges ︶﹂ と し て の﹁ 現 在︵ Gegenwart ︶﹂ ︵ GA8,237 ︶ で も あ る と 言 わ れ て い る が、 ﹁ 形 而 上 学 ﹂ の 根 本趨勢を示す存在理解として言われた Anwesen は、今やそれとは別の思索の道をも示す語とされるのである。 ﹁ エ イ ナ イ と エ オ ン を 現 │ 前︵ an-wesen ︶ と 訳 す ﹂ 理 由 と さ れ る の は、 ﹁ エ イ ナ イ に は パ レ イ ナ イ︵ παρἐῖναι ) と ア ペ イ ナ イ︵ απἐῖναι ) が 常 に 共 に 思 索 さ れ ま た 言 わ れ も す る。 パ ラ は こ ち ら へ︵ herbei ︶、 ア ポ は あ ち ら へ︵ hinweg ︶ を 意 味するから﹂ ︵ GA8,240 ︶ と言われる。つまり ﹁現 │ 前する﹂ ことは今や ﹁不 │ 在 ︵ ab-wesen ︶ との抗争において﹂ ︵ ibid. ︶ 考 え ら れ る。 そ し て、 Anwesen の 前 綴 り an に auf 及 び in の 意、 す な わ ち﹁ 現 ﹂ の 出 現 と、 そ の﹁ 現 前 す る も の ﹂ へ の 侵 入の両義が顧みられる。 他方、 Anwesen の wesen の方は古高ドイツ語 wesan と関係づけられ、 ﹁存続する、 留まる ︵ währen ︶﹂ ︵ ibid. ︶ 意 が 汲 み 取 ら れ る。 つ ま り Anwesen は﹁ 隠 れ の な さ か ら 立 ち 昇 り、 隠 れ な い も の︵ das Unverbor gene ︶ と な る ﹂ ことだが、その﹁隠れのなさ︵ Unverbor genheit ︶﹂自体は﹁隠れたまま留まる︵ verbor gen bleiben ︶﹂ ︵ ibid. ︶と言う。 ロゴスのレゲインは﹁隠れないもの﹂を﹁ある﹂と規定するが、 それは﹁既に横たわるもの﹂として無言で﹁ある﹂ と言い、 ノエインはその両者に注視する。講義の最後にパルメニデスの断片三が取りあげられるのは、 その事態を﹁隠
れのなさ﹂に結び付けるためであろう。通常﹁というのも、思索と存在は同一だから﹂と訳される τὸ ϒὰρ αὐτὸ νοε ̑ιν ὲστἱν τε κ αἰ εἶναι の﹁同一 ︵ τὸ αὺτὸ ︶﹂ が﹁一様 ︵ einerlei ︶﹂ でも ﹁等しい ︵ gleich ︶﹂ でもなく ﹁相依相属 ︵ zusammengehören ︶﹂ と 解 さ れ る。 ﹁ 注 目 す る こ と ﹂ と し て の﹁ ノ エ イ ン ﹂ と﹁ 現 前 ﹂ と し て の﹁ エ イ ナ イ ﹂ が 相 依 相 属 す る と い う の が 断 片 三 に 関 す る ハ イ デ ガ ー の 解 釈 な の だ が︵ GA8,245 ︶、 で は﹁ な ぜ、 そ し て ど ん な 仕 方 で ノ エ イ ン が エ イ ナ イ と 相 依 相 属 す る の か ﹂︵ ibid. ︶、 そ し て﹁ エ オ ン・ エ ン メ ナ イ が な ぜ ど ん な 仕 方 で 思 索 を 命 じ る か ﹂ は﹁ 暗 い ま ま に 留 ま る ﹂ ︵ GA8,246 ︶ と言われる。だがそれによってまさに第四の道である ﹁何が ︵われわれに︶ 思索を命じるのか﹂ という ﹁問 い﹂に達したということになる。それこそがこの講義の目指した所だった。 そして、ここに至って﹁哲学﹂という思索に一貫するものが開示される。 ﹁哲学﹂を命じた﹁何﹂は暗いままだが、 少 な く と も﹁ 現 前 ﹂ と し て の 存 在 と の 相 依 相 属 関 係 か ら、 ﹁ 論 理 学 ﹂ の ロ ゴ ス も、 カ ン ト の﹁ ア プ リ オ リ な 総 合 判 断 の最高原則﹂も解釈されうる。即ち﹁経験一般を可能にする諸条件は、同時に経験の諸対象を可能にする諸条件であ る﹂ということがパルメニデスの﹁ト・アウトー﹂の近代的解釈と解される。 またそのような解釈の発端に遡ることを含む ﹁思索﹂ の思索が中高ドイツ語 Gedanc と関連する ﹁記憶 ︵ Gedächtnis ︶﹂ で も あ っ た。 そ れ は﹁ 哲 学 ﹂ を そ の 発 端 の﹁ 暗 が り ﹂ に 直 面 さ せ る 思 索 と し て、 ﹁ 哲 学 ﹂ を 問 う も の と い う こ と に な ろう。 三 哲学と思索の相依相属 最後に、このような﹁思索﹂と﹁哲学﹂の関係が最晩年どのように語られたかを、一九六四年講演﹃哲学の終わり と 思 索 の 課 題 ﹄ に 即 し て 見 て 行 き た い。 こ の 講 演 も パ リ で 開 催 さ れ た キ ル ケ ゴ ー ル シ ン ポ ジ ウ ム の 成 果 出 版 物︵ ﹃ 生
け る キ ル ケ ゴ ー ル ﹄︶ に 収 載 さ れ た フ ラ ン ス 語 訳 が 初 出 で あ る こ と か ら も 明 ら か な 通 り、 フ ラ ン ス 語 と い う 他 者 の 言 語で読まれることが前提で書かれた。そのことも含め、講演の最終的意図を考えてみたい。 講演題名は、 ﹁哲学﹂という知が総括されて、哲学とは異なる知的営為への移行が提案されているように思わせる。 だが﹁哲学の終わり﹂は、ヘーゲルの﹁哲学の完成﹂同様、 ﹁哲学﹂がなされなくなる時点ではなく、むしろ﹁哲学﹂ の 知 的 本 質 が 露 呈 す る 事 態 を 指 す と 理 解 す べ き で あ ろ う。 そ の 際﹁ 思 索 ﹂ と い う 言 葉 が 再 び 大 き く 取 り 上 げ ら れ る。 この両者の関係を考えたい。 ま ず﹁ 哲 学 ﹂ は﹁ 全 体 と し て の あ る も の︵ das Seiende im Ganzen ︶ を、 そ の﹁ あ る︵ Sein ︶﹂ に 注 視 し て 思 索 す る ﹂ も の で あ り、 そ れ は﹁ あ る ﹂ が﹁ 哲 学 の 開 始 以 来、 そ し て 開 始 と 共 に、 根 拠︵ ἀρχἠ , αἲτιον, Prinzip ︶ と し て 示 さ れ、 そ れ ゆ え﹁ ︿ あ る ﹀ は、 根 拠 と し て、 あ る も の を そ の 都 度 の 現 前︵ Anwesen ︶ へ と も た ら す ﹂ と 言 う︵ GA14,69 ︶。 こ れ は す で に﹃ 哲 学 ﹄ 講 演 に お い て﹁ あ る も の と は 何 か︵ τί τό ὂν ︶﹂ と い う ア リ ス ト テ レ ス の 問 い に お け る 第 二 の 特 徴 と 言 わ れ て い た も の だ が、 そ こ に﹁ 思 索 ﹂ 講 義 に お け る﹁ 現 前 ﹂ が 付 加 さ れ、 ﹁ あ る ﹂ の 根 拠 づ け 性 格 が﹁ 現 実 的 な もの ︵ W irklic hes ︶﹂ の ﹁現前性 ︵ Anwesenheit ︶﹂ という ﹁刻印 ︵ Gepräge ︶﹂ において考察される。その刻印が思索の ﹁最 極端の可能性へと集約﹂ されることが ﹁哲学の終わり﹂ という事態である ︵ GA14,70f. ︶。それをハイデガーはまずニー チェやマルクスによる ﹁形而上学の転倒﹂ に見、 そこに ﹁哲学が開示した視圏の内で諸科学が形成される﹂ という ﹁決 定的趨勢﹂が現れると言う。この趨勢は古代ギリシア哲学にすでにあったが、ハイデガーがここで注視するのは記号 論 理 学︵ Logistik ︶ を 含 め た﹁ 経 験 科 学 ﹂ の 哲 学 か ら の 独 立 と い う 事 態 で あ る︵ GA14,72 ︶。 そ れ は 彼 が﹁ 技 術 の 本 質 ﹂ 考察の内ですでに繰り返し思索してきたことではあるが、 一つ新たな考察が付加される。 すなわち、 ﹁諸科学がその各々 の領域の範疇を推定せざるをえない状況においては、それでも常にあるものの︿ある﹀について語る﹂のであり、そ
の 限 り﹁ 哲 学 か ら の 由 来 を 拒 絶 で き な い ﹂ と い う こ と で あ る︵ GA14,73 ︶。 つ ま り、 ハ イ デ ガ ー は 各 々 の 科 学 的 探 究 が 自 ら の 領 分 自 体 を 反 省 せ ざ る を え な い 時、 そ し て お そ ら く﹁ 科 学 │ 技 術 的 世 界 と そ の 世 界 に 相 応 し い 社 会 秩 序 の 制 御可能な設定﹂自体が問い返されざるを得ない場合、自らの﹁哲学﹂からの由来と﹁哲学の終わり﹂にかんする何ら かの気付きがあらざるをえないと考えるのであろう。 たしかに、最先端の科学研究が研究対象の哲学的根拠を問うことはないだろうが、想定外の自然災害に際して自ら の研究の前提が顧みられることのうちに、知的根拠への問い返しが含まれることは疑いえない。あるいはそれを無視 し よ う と す る こ と 自 体 が、 そ れ へ の 気 づ き を 否 定 し え な い。 ﹁ 哲 学 の 終 わ り ﹂ は ま さ に そ の よ う な 形 で 否 定 的 に 気 づ かれるところで受容されうる概念だろう。 では、この﹁終わり﹂という﹁最後の可能性﹂に気づくことが﹁ある一つの最初の可能性﹂に通じるとはどういう こ と か。 ﹁ 哲 学 の 終 わ り ﹂ が﹁ 科 諸 学 の 独 立 ﹂ に お い て 知 的 由 来 が 無 効 化 す る 可 能 性 と 考 え る 時 点 で、 明 ら か に 無 効 化されるものに気づき、 無効化されていいのかと考える。 あるいは科学技術的探究が遭遇する危機が指示するのは、 ﹁哲 学﹂的始まりという原初への問いであろう。 さ ら に ハ イ デ ガ ー が﹃ 存 在 と 時 間 ﹄ で 提 起 し た﹁ ︿ あ る ﹀ の 問 い︵ Seinsfrage ︶﹂ は、 当 時 の 諸 科 学 の 危 機 の 考 察 か ら提起されたのだったが、 ここに至っていわば﹁ ︿ある﹀の問い﹂自体が問われることになる。 ﹁あるもの﹂に対して、 その存在根拠を解明することによって、表象し算定するそのことの始まりが問われている。そこで﹃思索﹄講義と同 様 に、 ︿ あ る ﹀ を﹁ 現 前︵ Anwesen ︶﹂ と い う ド イ ツ 語 に 移 し 替 え る。 前 綴 り の An に 強 拍 を お け ば、 ﹁ そ れ は 何 で あ る か︵ τί εστιν ︶﹂ あ る い は﹁ あ る も の と は 何 で あ る か︵ τί τό ὂν ︶﹂ と 言 わ れ た、 存 在 者 の 本 質 を 規 定 す る と い う︿ あ る ﹀ の 強 い 意 味 が 窺 わ れ る。 だ が 晩 年 の ハ イ デ ガ ー は、 こ の 強 意 の︿ あ る ﹀ の 抹 消 可 能 性 を 考 え た (( ( 。 そ れ を 前 と 同 じ
Anwesen という語に聞き取る。即ち An に到来しそこから退くものの滞留 ︵ wesen = wahren ︶ を聴く。だからハイデガー にとって Anwesen は ﹁現前する﹂ と同時に、 その ﹁現が退く﹂ ことをも意味する。 ﹃思索﹄ 講義ではそういういわば ︿あ る﹀の原経験が最後にパルメニデスの諸断片を通して問われた。 この ﹃思索の課題﹄ 講演では、 ︿ある﹀ の原経験がもう一つ別の方向から語られる。ヘーゲルとフッサールの ﹁方法﹂ の前提という方向からである。両者とも﹁哲学﹂が扱うべき問題にかかわる不適切な態度の遮断を﹁事象そのものへ ︵
zur Sache selbst
︶﹂ と表現する。ヘーゲル ﹃精神現象学﹄ の ﹁序文﹂ において哲学が従うべき ﹁事象そのもの﹂ は ﹃論 理 学 ﹄ を 示 唆 す る。 ﹁ 論 理 ﹂ と は﹁ 哲 学 の 目 的 に つ い て の 語 り ﹂ で も﹁ 成 果 に 関 す る 単 な る 報 告 ﹂ で も な く、 主 題 と 方 法 が 一 体 で あ る よ う な﹁ 叙 │ 述︵ Dar -stellung ︶﹂ ︵ = 論 理 的 叙 述 ︶ で あ り、 そ れ が 哲 学 の 問 う べ き﹁ 事 象 そ の も の ﹂ で あ る が、 そ れ は い わ ば﹁ 意 識 の 内 に 置 か れ た ὑποκεἱμενον ︵ 基 体 ︶﹂ 、 す な わ ち﹁ 実 体︵ Substanz ︶﹂ な い し﹁ 真 に 現 に あ る も の︵ das wahrhaft Anwesende ︶﹂ を 意 味 す る︵ GA14,76 ︶。 つ ま り ヘ ー ゲ ル に と っ て 哲 学 の﹁ 事 象 ﹂ と は﹁ 現 に あ る ﹂ と し て の﹁ あ る も の の︿ あ る ﹀﹂ で あ る。 フ ッ サ ー ル も﹁ 自 然 主 義 的 心 理 学 ﹂ や﹁ 歴 史 主 義 ﹂ を 避 け て﹁ 事 象 そのものへ﹂向かうが、 それが﹁認識の正当な源泉﹂であるのは﹁本源的な与える直観︵
origenäre gebende Intuition
︶﹂ という﹁原理中の原理﹂による。それが要求するのは﹁唯一絶対的なあるもの﹂としての﹁超越論的主観性﹂である ︵ GA14,78 ︶。 ハイデガーは両者の哲学的企図の違いにもかかわらず﹁方法﹂において﹁主観性﹂という同じ﹁事象﹂に向かう点 に 注 目 す る。 そ し て﹁ 重 要 な こ と は、 ︽ 問 題 事 象 そ の も の へ ︾ と い う 呼 び か け の 内 で 何 が 問 わ れ な い ま ま な の か を 問 う こ と ﹂︵ GA14,79 ︶ だ と 言 う。 弁 証 法 論 理 の 根 拠 も、 ﹁ 超 越 論 的 主 観 性 ﹂ の 根 拠 も そ れ 以 上 問 わ れ な い。 そ れ 自 体 が 根 拠 だ か ら だ。 ﹁ 哲 学 の 問 題 事 象 は、 そ れ 自 身 か ら そ れ 自 身 に 対 し て 現 れ て く る ﹂ の で あ り、 そ れ は﹁ 必 然 的 に あ る
明るさの内で︵ in einer Helle ︶起る﹂ ︵ ibid. ︶。だがこの﹁明るさはそれ自身ある開けた場所、開かれた場所に根差す﹂ ︵ ibid. ︶。その場所が﹁開けていること︵ Of fenheit ︶﹂を、ハイデガーは Lichtung ︵空け︶と呼ぶ︵ GA14, 80︶。それは ﹁フランス語の clairière の直訳借用語﹂であり、語尾は W aldung や Feldung に準じており、森の空地︵ W aldlichtung ︶を意 味すると説明されている︵ ibid. ︶。 主 観 性 の 論 理 や 本 源 的 直 観 が も つ﹁ あ る 明 る さ ﹂ を﹁ 空 け ﹂ と の か か わ り に お い て 見 る と い う の は、 ﹁ 明 る さ ﹂ を 規 定 根 拠 と し て 見 な い と い う こ と だ ろ う。 ﹃ 思 索 ﹄ 講 義 以 来 問 わ れ て き た﹁ 現 前 Anwesen ﹂ と し て の 存 在 に 関 し て も 同じことが言える。それは ﹁あるものである﹂ ことを贈る ﹁現 An ﹂ であると共にそのことの由来の存続でもある。 ﹁現 にあるものが経験され叙述されるにせよされないにせよ、現前性は開けたところに入り留まることとして、すでに支 配的な空けに付託されている﹂ ︵ ibid.82 ︶と言うのである。 この﹁空け﹂は︿ある﹀を根拠として、 ﹁明るさ﹂からのみ規定する﹁形而上学﹂によっては思索されないままだっ たと言う。ではどこに﹁空け﹂が思索された痕跡があるかというと、ここでも﹁パルメニデス﹂の名が挙げられ、そ の例示として断片一の二八行以下が﹁汝はすべてを経験すべし、まずよく円を成す隠れのなさの動揺なき心、また隠 れ な い も の を 信 頼 す る こ と が で き な い、 死 す べ き も の ど も の 見 解 を も ﹂ と ド イ ツ 語 へ﹁ 移 し 置 か れ ﹂ る︵ GA14,83 ︶。 そ の 要 諦 は﹁ 隠 れ の な さ︵ Unverbor genheit ︶﹂ と 訳 さ れ た﹁ ア レ ー テ イ ア︵ Ἀλήθεια ︶﹂ が﹁ 空 け︵ Lichtung ︶﹂ に 相 当 するという解釈である。つまり、 否定辞﹁ア﹂を伴う﹁アレーテイア﹂は、 ﹁空け﹂が﹁明るさ﹂を受け入れ、 ﹁空け﹂ 自 体 は 隠 れ る と い う 原 初 の 事 態 を 指 す と 言 う の で あ る。 そ れ に 付 加 さ れ る﹁ エ ウ ク ク レ オ ス︵ εὐκυκλέος ︶﹂ は﹁ よ く 円 を 成 す︵ gutgerundet ︶﹂ と 訳 さ れ、 ﹁ そ れ に お い て は 至 る 所 で 元 初 と 終 わ り が 同 じ ﹂ と 解 さ れ る。 明 ら か に、 ﹁ 哲 学 ﹂ の始まりと終わりにおいて﹁隠れのなさ﹂という同じ事態に当面すると言うのである︵ GA14,83 ︶。
そして ﹁動揺なき心 ︵ nichtzitte rndes Herz ︶﹂ の方はこの ﹁隠れのなさ﹂ をその ﹁最も固有な点において指す﹂ と言う ︵ ibid. ︶。 ここで言及されてはいないが、 ﹃思索﹄講義で中高ドイツ語 Gedanc に﹁心︵ Herz ︶﹂という含意を読み取ったことがこ の パ ル メ ニ デ ス 引 用 と 響 き あ う。 ﹁ 動 揺 な き ﹂ は﹁ 隠 れ な い も の ﹂ を 信 頼 で き な い 臆 見 を 斥 け た 思 索 の 性 格 を 示 す も の で あ ろ う。 そ し て﹁ 心︵ Herz ︶﹂ に は、 ﹃ 思 索 ﹄ 講 義 時 に は 与 え ら れ な か っ た 新 た な 解 釈 が 示 さ れ る。 ﹁ 空 け ﹂ と し ての﹁アレーテイア﹂は﹁真理﹂以前の事象であると言うのである。 ﹁真理に関する自然的概念﹂ は ﹁隠れのなさ﹂ ではなく陳述の ﹁正しさや信頼性﹂ を指すという支配的意見に対して、 ハ イ デ ガ ー は そ の 趣 旨 を﹁ 隠 れ の な さ ﹂ が﹁ 直 ち︵ sogleich ︶﹂ に﹁ オ ル ト テ ー ス︵ ὀρθὁτης ︶﹂ 、 す な わ ち﹁ 表 象 と 言 明 の 正 し さ と し て 経 験 さ れ た ﹂ と 解 し、 ﹁ 真 理 の 本 質 変 動 ﹂ と い う﹃ 真 理 に 関 す る プ ラ ト ン の 教 え ﹄︵ GA9 ︶ で の 自 説 を 撤 回 す る︵ GA14,87 ︶。 そ れ は 歴 史 学 的 な 批 判 に 対 応 し た と い う よ り も、 真 理 問 題 を﹁ 隠 れ な さ ﹂ か ら﹁ 命 題 の 正 し さ ﹂ に 関 心 が 移 る 歴 史 的 経 過 と し て 表 象 す る こ と を 断 つ と い う 意 図 に よ る の だ ろ う。 ﹁ 事 象 ﹂ は﹁ ア レ ー テ イ ア ﹂ そのものである、従って﹁アレーテイア﹂が﹁隠れのなさ﹂と見られない理由も﹁アレーテイア﹂にあるという洞察 なのである。 ﹁ 経 験 さ れ 思 索 さ れ る の は、 空 け と し て の ア レ ー テ イ ア が 授 与 す る も の で あ り、 空 け と し て の ア レ ー テ イ ア が 何 で あ る か で は な い ﹂︵ GA14,88 ︶。 そ の﹁ 何 ﹂ は﹁ 隠 さ れ た ま ま︵ verbor gen bleiben ︶﹂ で あ る。 な ぜ な ら﹁ ア レ ー テ イ ア に は レ ー テ ー が 属 す が、 そ れ は 付 加 物 と し て で も、 光 に 影 が 伴 う よ う に で も な く、 ア レ ー テ イ ア の 心︵ Herz ︶ と し て ある﹂ ︵ ibid. ︶からだと言う。 パルメニデスの語る ﹁動揺なき心﹂ を ﹁隠れのなさ﹂ 自体の核である ﹁隠れ﹂ と解釈することによって、 ハイデガー は﹁ 哲 学 の 終 わ り に お け る 思 索 の 課 題 へ 向 か う 道 に 達 す る ﹂ と 言 う︵ ibid. ︶。 こ こ に、 こ の 時 期 の ハ イ デ ガ ー に と っ
ての﹁哲学﹂と﹁思索﹂の最終的関係が示される。ここで考えられる﹁思索﹂は、たしかにこれまでの﹁哲学﹂が問 わ な か っ た 課 題 に 関 わ る。 ハ イ デ ガ ー が 問 い 返 す の は、 ratio, 、 νούϛ 、 νοέιν 、 Vernehmen 、 あ る い は フ ッ サ ー ル の﹁ 原 理中の原理﹂ とは何を意味するか ︵ W as heißt...? ︶ だが、 それは根本的には ﹁何が ︵それらに向かうことを︶ 命ずるか﹂ と い う 問 い な の で あ る。 そ の﹁ 何 ﹂ は 結 局、 ﹁ 隠 れ の な さ ﹂ の 隠 さ れ た﹁ 動 揺 な き 心 ﹂ と い う こ と に な る が、 も ち ろ んそういえば済むものではない。 少なくとも言えることは、このような﹁思索﹂は﹁哲学の終わり﹂に達しなければ始まりえないということであろ う。それはもちろん哲学の終結時期のことではなく、哲学の発端にあったはずの﹁最極端﹂の問いに達する、あるい は﹁ 臨 む︵ Zu ︶﹂ と い う こ と で あ ろ う。 ハ イ デ ガ ー の 言 う﹁ 思 索 ﹂ は﹁ 哲 学 の 終 わ り ﹂ に 臨 む そ れ な の で あ る。 こ の 講 演 の 最 後 に﹁ 空 け と 現 前 性︵ Lichtung und Anwesenheit ︶﹂ ︵ GA14,90 ︶ が か つ て の﹁ 存 在 と 時 間 ﹂ に 代 わ る﹁ 思 索 の 課題﹂とされる。それは﹁存在と時間﹂という﹁事象﹂の最初にして最後の可能性を問い続けた道において開かれた ﹁思索﹂と言っているのである。 参照文献と略号 ハ イ デ ガ ー 全 集︵ Mar tin Heidegger Gesamtausgabe, V ittorio Kloster mann V erlag ︶ か ら の 引 用 は 略 称 GA の 後 に 巻 数、 頁 数 の 順 で 記 す。 本 稿で言及した全集テキストは以下の通りである。 GA8 W AS HEISST DENKEN? GA9 WEGMARKEN GA11
IDENTITÄT UND DIFFERENZ
GA14
GA15 SEMINAREN 註 ︵1︶ この﹁ヒューマニズム書簡﹂は、 最初
Verlag A,Francke AG, Ber
n から﹃プラトンの真理論、 ︿ヒューマニズム﹀についての書簡付き﹄ と い う 著 作 の 一 部 と し て 公 刊 さ れ、 二 年 後 の 一 九 四 九 年 に V ittorio Kloster mann 社 よ り﹃ ヒ ュ ー マ ニ ズ ム に つ い て ﹄ と い う 単 行 本 と し て 公 刊 さ れ た が、 内 容 的 に 大 き な 変 化 は な い の で、 初 出 時 の 名 称 に 基 づ き﹃ 書 簡 ﹄ と 略 記 す る。 公 刊 形 態 の 変 化 の 詳 細 は 渡 邊 二 郎 訳 ﹃﹁ヒューマニズム﹂について﹄ ︵ちくま学芸文庫、 1997 年、以下﹁渡邉 1997 ﹂と略記︶に詳しい。 ︵2︶ この辺りの事情に関しては、渡邊二郎 1997 の巻末﹁解題的総注﹂ p.168 以降を参照。 ︵3︶ Es braucht の古形の使用は、以下に示される brauchen の歴史的多義性を示唆する意図による。 ︵4︶ ﹁ある﹂の抹消に関しては、 Zur Seinsfrage ︵ GA9 ︶において論じられた。