100円手形事件判決批判
著者
坂井 芳雄
雑誌名
東洋法学
巻
31
号
1・2
ページ
177-205
発行年
1988-01
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00003564/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja百円手形事件判決批判
坂 井 芳 雄
一 二 三 四 五 目 次 本稿の目的 事実関係と判決理由 問題点の分析・整理 私見 若干の考察 本稿の目的 昭和六一年七月一〇日最高裁判所第一小法廷は、手形金額一〇〇万円の約束手形を振出すつもりであったのに、手 形用紙の手形金額欄に﹁金壱百円也﹂と記載したというケースについて、この手形にょる手形金請求事件の上告審に おいて、 ﹁この手形の手形金額は文字通り一〇〇円と解釈すべぎである。﹂と判示した。原審判決は、これを﹁萬﹂ 東洋 法 学 一七七百円手形事件判決批判 一七八 の字を遣脱した誤記であると認めて、一〇〇万円の請求を認容したのに、これを破棄した上での判決であったので、 この判決はジャーナリズムの話題を呼んだ。すなわち、﹁今の世の中に額面一〇〇円の手形があり得るものか。非常識 な判決だ。﹂という角度からの批判である。しかし、素朴な常識論としてはともかく、手形法理に照らした法律論と しては、この判決を如何に評価すべきか。この点を検討するのが本稿の目的である。 二 事実関係と判決理由 甲は乙からある物件を代金一〇〇万円で買受け、その支払のために約束手形を振出した︵この手形振出しの原因関 係はどのようなものであるかは、入手し得る資料からはわからないが、原因関係は何であれ、この法律問題の検討に は関係がないので、わかり易くするために、売買代金支払のための手形振出しと擬制することにする。︶。 手形金額が一〇〇万円の手形の場合、当時の印紙税法では一〇〇円の収入印紙を貼用することになっていたので、 甲は乙の手形に金一〇〇円の収入印紙を貼用した。また、銀行協会所定の手形用紙では、手形金額欄の記載と重複し て欄外に数字で金額を記載する箇所が設けられている。甲はその場所に﹁艦押8ρ08i﹂と記載した。しかしなが ら、所定の手形金額欄には﹁金壱百円也﹂と記載してしまった。 この約東手形の転得者であるところの丙は、この手形の手形金額欄の記載は﹁金壱百萬円也﹂と記載するつもりで あったのに、﹁萬﹂の字を遺脱したものであるから、本件手形の手形金額は一〇〇万円であると解すべぎであると主張 して、手形金一〇〇万円と訴状送達の翌日から支払ずみまで年六分の割合による遅延損害金を求める訴訟を提起した。
第一審の岐阜地方裁判所は、この手形の手形金額は、手形金額欄の表現通りの一〇〇円であると判示して、原告の 請求中九九万九九〇〇円の部分を棄却した︵職騨地聴欄覗臨娚聯糊逝。 第二審の名古屋高等裁判所は、手形金額欄の記載は外観上明白な誤記であるが、このような場合は手形金額を一〇 〇万円であると解すべぎであると判示して、岐阜地裁の判決を変更し、原告の請求を全部認容した︵銘砧躍騙職縣㎎禰弗 醐融覇謬鉱﹀. 名古屋高裁判決の判決理由は、次のとおりである。 ﹁︿証拠﹀によれば、本件手形の金額欄には漢数字で﹁壱百円﹂と記載され、その右上段に算用数字で﹁艦ど8ρ 80ーー﹂と記載され、同手形には一〇〇円の収入印紙が貼倖されていることが明らかである。 このように手形金額が数字をもって重複して記載され、その金額に差異のある場合︵数字は数を表わす文字であ るから、漢数字も数字であり、本件手形は金額を文字及び数字をもって記載した場合に該当しない。︶、手形法六条 二項は、金額が不確定のため手形が無効となることを防ぐ目的で、最小金額を手形金額とする旨を規定している。 しかし、手形の外観︵印紙税法二条による貼用印紙額を含む。︶自体から数字による重複記載のいずれか一方が他 方の誤記であることが明らかである場合には、金額不確定のため手形が無効となることはあり得ないので、右手形 法六条二項の規定の適用はないと解するのが相当である。 本件手形に漢数字で記載された金額一〇〇円は、手形金額として存在しえないわけではないが、﹄本件手形の振出 日である昭和五五年四月二八日当時の貨幣価値からして右金額の手形が振出されることは経験則上ほとんどありえ 東洋法学 一七九
百円手形事件判決批判 一八○ ないと推断されるばかりでなく、昭和五六年法律一〇号による改正前の印紙税法二条によると、右振出日当時手形 金額が一〇万円未満の手形は非課税であり、一〇〇万円以下のものの印紙税額は一〇〇円であったから、振出人が 金額一〇〇円の手形に一〇〇円の印入印紙を貼付して振出すことは一般常識上ありえないというべきである。そう だとすると本件手形の漢数字による金額の記載には﹁壱百﹂の字と﹁円﹂の字の間に﹁万﹂の字が脱漏しているこ と、すなわち、漢数字によって記載された金額は算用数字によって記載された金額の誤記であることが明らかであ るといわなければならない。 以上のとおりであるから、本件手形には手形法六条二項の規定の適用はなく、算用数字で記載した金額一〇〇万 円を本件手形金額とすべきものと解するのが相当である。これと異なる被控訴人の主張は採用できない︵銀行取引 においても、金額欄記載の金額が欄外記載の金額の誤記であることが手形の外観上明らかである場合にまで金額欄 記載の金額を手形金額とすることに合理性があるものとは考えられず、またそのような慣行があることを認めるに 足りる証拠はない。︶。﹂ 右二審判決に対し被告甲は上告し、上告理由として次のとおり述べた。 コ、ω 原判決はまず、本件の場合手形法六条一項の適用はないとし、その理由として﹁数字は数を表わす文字 であるから、漢数字も数字であり、本件手形は金額を文字及び数字をもって記載した場合に該当しない﹂という。 しかし、本件約束手形に記載されている﹁金壱百円﹂との表示が、同法六条一項にいう﹁金額ヲ文字ヲ以テ⋮ 記載シタル場合﹂に該当しないとすれば、原判決は一体如何なる場合が、右に該当する場合と考えているのであろ
うか。 本件の場合以外には到底考えられぬところであり、原判決のいう﹁数字は数を表わす文字である﹂との説示はそ の通りであるが、この事からいきなり﹁漢数字も数字であり﹂との理由付けをなす事は訪弁である。 即ち﹁数字﹂とは﹁数を表わす文字﹂には違いないが、手形法六条一項にいう﹁数字﹂とは﹁アラビア数字・算 用数字又はローマ数字などを以って数を表わす場合﹂を、又﹁文字﹂とは﹁漢字を以って数を表わす場合﹂をいう と解すべきである。︵ちなみに、現行通貨である一〇〇円硬貨の魯に表示されている数が﹁文字﹂であり、⑳に表示 されているそれが﹁数字﹂である。︶ よって本件はあくまで、同法六条一項の適用のある事を前提として判断されるべきである。 ③ とすれば、原判決が手形法六条一項についての解釈を誤りこれを適用せずして、同条二項の解釈と適用の問 題として判示していることは、その判断に法令違背が存しその結果は判決に影響及ぼすことが明らかである。 二、OD 次に原判決は、手形法六条二項の解釈として﹁手形の外観自体から重複記載のいずれか一方が、他方の誤 記であることが明らかである場合には、金額不確定のため手形が無効となることはあり得ないので、手形法六条二 項の適用はない﹂という。 ⑧ 右はまず、手形法一条二号の﹁一定ノ金額﹂の解釈にも関連するものと解されるところ、手形法の規定は手 形取引の迅速安全を保っため、その殆んどが強行規定とされ、ただこの事によって手形自体が無効とされることに よって生ずる不便・不条理を救うための救済規定が設けられているにすぎない。
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一八一百円手形事件判決批判 一八二 ⑥ してみると、原判決のいう﹁手形が無効となることはあり得ない﹂というのは、まず強行法規である右手形 法一条二号にいう﹁一定ノ金額﹂の解釈を如何に理解するのかの判断を示さず、いぎなり同法第六条の二項の適用 は無いと判断している。 ㈲更に前述の通り、手形法規の殆どが強行法規であることを考える時、本件の場合のように権利者側の立場に 立った場合の結論としては、妥当性ある場合もあるやもしれないが、一方所持人が他に手形を譲渡せんとする場合 において、如何に同手形の金額を解釈して、その責任を覚悟すべぎかを迷うこととなり手形の迅速・安全な流通を 妨げることは明らかである。︵﹁冷酬十旧﹂と﹁衆一ρ8ρ82というように、その差異が多ければ多い程、手形の 所持人の判断にかかる負担は多くなる結果となる。︶ 三、結局、以下は原審でも述べた事であるが、 ω 手形法六条は強行規定であって、その文理からして、単なる解釈規定にとどまらず擬制的意味を有するもの と解すべきで、経験則をもって安易にその適用を排除することは許されないというべきである。 右のように解さないと、強行法規はその意味と存在価値を失うことになるとともに、原判決のような考え方を採 ると、手形取引の迅速・安全が失われるおそれがある。 ω 手形金額の最低・最高額については、現行手形法上格別の制限が設けられていないところ、一円の手形であ っても適法というべきである。 従って、一〇〇円という少額の手形を発行する者は実際上誰一人としていないとしても、そのことだけをもって
金額記載を誤りとしたり、常識や経験則による判断で強行法規の存在をないがしろにすることは許されないものと いうべきである。 そもそも、経験則とか常識、更には振出人の意思の推測判断というものは極めて曖昧なものであって、手形金額 の最低限を画する確固たる基準もない以上、原判決のような見解は手形取引を無用に混乱させることになるだけで ある。 ⑥ 銀行取引においては複記のいかんにかかわらず、所定の金額欄記載の金額によって支払われるようになって いるところ、この銀行取引事実や、所定の金額欄に記載された文字による金額が手形金額として、取引においては 重視されている事実を考えると、むしろ経験則上手形用紙上の所定欄に文字で記載した金額はいかに少額であって も、実在する金額である限りこれを手形金額と解するのが自然であり、かつ簡明であるべぎというべきである。﹂ 第三審の最高裁判所は、たとえどのような附随的事情があろうとも、文字をもって記載されたものであるところの 手形金額欄記載の一〇〇円をもってこの手形の手形金額と解すべきである、と判示し、二審判決を破棄して原告の控 訴を棄却し、結局一審判決を確定せしめた︵臓鶴餓騨調鹸四︶。ただし、これには谷P正孝裁判官の少数意見が附記されて いる。 最高裁判決のうち多数意見の判決理由は、次のとおりである。 コ一しかしながら、eまず、原審の確定した前記事実関係によれば、本件手形の﹁壱百円﹂という記載は、手形 法六条一項にいう﹁金額ヲ文字ヲ以テ記載シタル場合﹂に当たるものと解すべきである。けだし、同条項において
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一八三百円手形事件判決批判 一八四 文字による記載を数字による記載に比し重視しているのは、前者が後者よりも慎重にされ、かつ、変造も困難であ るからであると解されるところ、前示の﹁壱百円﹂という記載は右のような文字による記載の趣旨に適った記載方 法であるということができるのであり、また、このような記載が文字による記載に当たるものと解しないと、仮名 文字による記載が現実的でないことに鑑み、同条項の対象とする文字による記載がありえないことに帰し、不合理 だからである。 ⇔ 次に、原審の確定した前記事実関係のもとにおいて、本件手形上に記載された手形金額については、同条 項を適用して右金額を一〇〇円と解するのが相当である。思うに、同条項は、最も単純明快であるべき手形金額に つき重複記載がされ、これらに差異がある場合について、手形そのものが無効となることを防ぐとともに、右記載 の差異に関する取扱いを法定し、もって手形取引の安全性・迅速性を確保するために設けられた強行規定であり、 その趣旨は、手形上の関係については手形の性質に鑑み文字で記載された金額により形式的に割り切った画一的な 処理をさせ、実質関係については手形外の関係として処理させることとしたものと解すべきであるところ、原判示 のように、一〇〇円という小額の手形が振出されることが当時の貨幣価値からしてほとんどありえないこと及び本 件手形に貼付された収入印紙が一〇〇円であることを理由として、本件手形における文字による金額記載を、経験 則によって、算用数字により記載された一〇〇万円の明白な誤記であると目することは、手形の各所持人に対し流 通中の手形について右のような判断を要求することになるが、かかる解釈は、その判定基準があいまいであるた め、手形取引に要請される安全性・迅速性を害し、いたずらに一般取引界を混乱させるおそれがあるものといわな
ければならないからである。 三 してみると、以上と異なる見解のもとに、本件手形の金額欄記載の﹁壱百円﹂の文字による記載を数字にょ る記載とし、手形金額を一〇〇万円と解すべきものとした原審の前示判断には、同条の解釈適用を誤った違法があ り、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。﹂ 右最高裁判決のうち谷口裁判官の少数意見は、次のとおりである。 ﹁一 原審が、適法に確定した事実関係に基づき、本件手形の金額欄記載の﹁壱百円﹂を数字による記載であると し、手形法六条一項の規定の適用はないと判示した点については、右記載は、同条項にいう﹁金額ヲ文字ヲ以テ記載 シタル場合﹂に当たるものと解すべきであるから、右判示には、論旨指摘の法令の解釈適用の誤りがあるものといわ ざるをえず、多数意見と見解を同じくするものである。 二 しかしながら、手形法六条一項は、手形上に手形金額が文字と数字とにより重複記載されていて、その金額間 に差異がある場合について、手形金額の不確定により当該手形が無効となることを防止するため、文字によって記載 された金額を手形金額とする旨を定めているが、右は、通常の手形金額の重複記載の場合の解釈規定であって、手形 面上の記載自体から文字による金額の記載が数字により記載された金額の誤記であることが明白である場合にまで文 字により記載された金額を手形金額とする趣旨ではなく、かかる場合には、数字により記載された金額が手形金額で あると解するのが相当である。思うに、手形行為の解釈については、手形面上の記載以外の事実に基づいて行為者の 意思を推測して、記載を変更したり補充したりすることは、許されないが︵畷編麟鯛鞠湘欄癬餌鋤聯靴拒誘嗣轟劉瑚聾瓠顯第︶、このよ 東洋法学 一八五
百円手形事件判決批判 一八六 うな手形面上の記載自体を解釈するについては、一般の社会通念、慣習等に従って記載の意味内容を合理的に判断す べきであって、文字による金額の記載が誤記であることが手形面上の記載自体の解釈から明白である前示のような場 合には、手形金額の不確定により当該手形が無効となることはなく、また、文字による記載が数字による記載よりも 重視されるべき理由もないからである。 以上の見地に立って、本件手形をみると、それが振出された昭和五五年四月の時点において金額一〇〇円の手形が 流通すること及び一〇〇円の収入印紙を貼付した金額一〇〇円の手形が振出されることはその当時の貨幣価値及び振 出費用等に照らし経験則上ありえないこと、また、本件手形における金額の重複記載については、文字と数字の各記 載の対比によりいずれか一方がその桁数を誤っていることが手形面上から看取されるところ、数字による金額記載の 場合に比し右のような文字による金額記載の場合には万の字が脱落して万の桁数における誤記が生ずる可能性がある ことを総合すると、本件手形における文字による﹁壱百円﹂という記載は、手形の外観上、数字による記載にかかる 一〇〇万円の誤記であることが明白であるというべぎである。 三 したがって、手形法六条二項につき右と同旨の見解を採用したうえ、本件手形金額を一〇〇万円であるとした 原審の判断は、結論として以上述べたところと異ならないことに帰し、前示の同条一項所定の﹁文字﹂に関する解釈 適用の誤りにもかかわらず、結論において正当として是認するに足り、論旨は排斥されるべきであるから、これと異 なる結論及び理由を採る多数意見には賛同することがでぎない。﹂
三 問題点の分析・整理 手形法六条は次のように規定している。 ﹁為替手形ノ金額ヲ文字及数字ヲ以テ記載シタル場合二於テ其ノ金額二差異アルトキハ文字ヲ以テ記載シタル 金額ヲ手形金額トス 為替手形ノ金額ヲ文字ヲ以テ又ハ数字ヲ以テ重複シテ記載シタル場合二於テ其ノ金額二差異アルトキハ最小金額 ヲ手形金額トス﹂ 手形法七七条二項にょり、この規定は約束手形に準用されている。 この規定は何故設けられたか。それは、手形法一条二号所定の﹁一定ノ金額﹂との関係からである。すなわち、手 形金額は、確定した金額でなければならない。しかし、手形上に手形金額が多様に記載された場合、金額が不確定と なるおそれがある。そこで、六条一項は、文字による記載と数字による記載との間では文字の記載が優先し、二項は、 同一種の記載の間では小額の記載が優先する旨を定め、手形金額不確定の結果に陥ることを防止したものである。 本件手形には、﹁金壱百円也﹂との記載と﹁螺督8ρ08ーー﹂との記載があるため、まず手形法六条一項の適用の 有無が問題となる。 次に、右の検討の結果﹁金壱百円也﹂の記載の方を基準とすべきものと判定した場合、実はこの記載は一〇〇万円 の明白な誤記であるから、手形法理上もこれを一〇〇万円として取扱って差しつかえないかという問題がある。 東洋 法学 一八七
百円手形事件判決批判 一八八 後者の問題点を詳論すれば、次のとおりである。 一般に文章によって意思表示をなした場合、その表現の中に誤記があったときは、誤記であるという理由でその部 分を無効であるとしたり、あるいはこれが存在しないものとしてネグレクトしたりすることがでぎるのではなく、そ の表示の内容を表示者が主観的に意図したもの、即ちあるべぎ内容に補正して解釈することが許される。そして一般 の意思表示の場合は、そのあるべぎ内容を判断する資料には別段の制限はない。ところで手形の場合はどうか。手形 行為の内容の解釈については、手形証券に現れた資料に限られるという制限があることは疑いない︵手形外観解釈の 原則︶。しかし、解釈の資料は手形証券に現れたものに限定するという制限に服するとしても、およそ手形金額に関 するかぎり、そもそもそのようなあるべき内容に補正した解釈というものは許されず、その表示通りの内容に固定さ れるものではないか、というのが一方の意見である。いや、極端な場合には、手形金額といえども解釈による補正が 許される、というのが他方の意見である。本件手形の﹁金壱百円也﹂の記載について、前者の意見に組みするか、後 者の意見に組みするかによって結論が違ってくるので、これが検討を要する第二の問題点となるのである。 第一の問題点は、手形法六条一項の解釈適用の問題である。しかしながら、第二の問題点は、手形法六条一項の解 釈適用の問題でも六条二項の解釈適用の問題でもない。なぜならば、六条の一項も二項も二様になされた記載の優劣 をきめているだけであるからである。手形上になされた一個の記載の補正解釈が許されるかどうかという法律問題 は、手形法六条の解釈適用を離れたところの、手形法理の基本に属する法律問題であるといわなければならない。 以上のように、本件は上記二つの問題点を包含しているのであるが、しかし、翻って考えて見ると、壱百円と
螺押8ρ08iとでは、壱百円の方が小額である。従って、﹁金壱百円也﹂の記載を文字による記載と解し、六条一 項により﹁金壱百円也﹂の記載の方が優先すると解しても、名古屋高裁判決の言うように、﹁壱百円﹂も漢数字であっ て文字ではないから、本件手形には六条一項の適用がないと解しても、所詮六条二項により﹁金壱百円也﹂の記載の方 が優先するのである。そうであれば、本件の事案はいずれにしても、手形金額欄に記載されたところの﹁金壱百円也﹂ の表示を規準とした上でそれから先の検討に入るべぎ事案なのであるから、本件は上記二つの法律問題のうちの後者 の法律問題だけの事案に帰着する。前者の法律問題を如何に解するかは判決の結論には影響しないのであるから、そ の可否を検討することは無用である。前者の法律問題は、文字であると主張された表示が多額である場合にのみ実益 ある法律問題として登場するものといわなければならない。 このように問題点を分析し整理して見ると、さきに紹介した名古屋高裁判決、最高裁判決のいずれも問題点の意識 的な分析が十分になされていなかったのではないかと思われる。そのため、判文のうえに表現上いささか不透明と感 ぜられるところが見受けられる。 まず、名古屋高裁判決 ﹁手形法六条二項は、金額が不確定のため手形が無効となることを防ぐ目的で、最小金額を手形金額とする旨を 規定している。しかし、手形の外観︵印紙税法二条による貼用印紙額を含む。︶自体から数字による重複記載のいず れか一方が他方の誤記であることが明らかである場合には、金額不確定のため手形が無効となることはあり得ない ので、右手法形六条二項の規定の適用はないと解するのが相当である。 東 洋 法 学 一八九
百円手形事件判決批判 一九〇 ︵中略︶ 以上のとおりであるから、本件手形には手形法六条二項の規定の適用はなく、算用数字で記載した金額一〇〇万 円を本件手形金額とすべきものと解するのが相当である。﹂ 右名古屋高裁判決において、﹁手形法六条二項の規定の適用はない﹂といっているのは、私の言うように、手形金額 の誤記の補正解釈を許すかどうかは、手形法六条の解釈適用の問題ではない、との趣旨でそのように言っているので ないことは明らかである。その趣旨を推測すれば、﹁金壱百円也﹂を﹁金壱百萬円也﹂と補正して解釈し、その上で、 手形金額欄記載の金額と欄外記載の金額とが一致して両者の間に差異はないから、手形法六条二項の適用はない、と 言ったものであろう。そうであれば、最後の結びであるところの﹁算用数字で記載した金額一〇〇万円を本件手形金 額とすべきものと解するのが相当である﹂との記載は、単にその金額だけを援用した趣旨であって、手形金額欄に漢 数字で記載した﹁金壱百円也﹂の記載をネグレクトし、欄外にアラビヤ数字で記載した﹁膿一る8る8ー﹂の方を採 用すべしと言っているものではないと解すべぎことになる。しかし、それならそうでもっとその趣旨が明瞭に現れる ような表現方法がとられて然るべぎところである。この表現方法の曖昧さの故に、上告理由や最高裁判決に誤解を与 える結果となっていることが惜しまれる。殊に、漢数字は文字なりや数字なりやという、結論に関係がないくせに微 妙な解釈間題を表面に押し出して徒らに上告理由を誘発し、それが最高裁多数意見の結論にまで影響したのではない かと推測される点、残念である。 次に最高裁判決︵多数意見︶
最高裁判決︵多数意見︶は、誤記という理由による修正解釈を許さないという姿勢である。それはそれで手形法の 基本理念に基づく一つの解釈態度なのだが、判文では、 ﹁次に、原審の確定した前記事実関係のもとにおいて、本件手形上に記載された手形金額については、同条項︵注。 手形法六条一項を指す︶を適用して右金額を一〇〇円と解するのが相当である。思うに、︵中略︶。 してみると、以上と異る見解のもとに、本件手形の金額欄記載の﹁壱百円﹂の文字による記載を数字による記載と し、手形金額を一〇〇万円と解すべきものとした原審の前示判断には、同条︵注。手形法六条を指す︶の解釈適用を 誤った違法があり⋮⋮﹂ と表現する。 この表現では、手形の手形金額欄に表示された金額と欄外に表示された金額とのいずれを採用すべきか、という問 題意識だけで問題のとらえ方をしているように見受けられる。そこには、手形金額欄に記載された文字にょる表示 ﹁壱百円﹂を補正して解釈すべぎかどうかという視点が明示的には表現されていない。そのため、名古屋高裁判決は 手形法六条の解釈適用を誤ったと断じているのであるが、名古屋高裁判決は、先程分析したところによると、﹁壱百 円﹂を﹁壱百萬円﹂と補正して解釈し、その結果二つの記載の間に差異がないから手形法六条二項の適用はないと言 っているのである。複記された金額に差異がなければ手形法六条二項の適用がないのは当然であって、その間には何 ら法令の解釈適用の誤りはない。手形金額欄記載の﹁壱百円﹂を﹁壱百万円﹂と補正した解釈をすることが許される か、という法律問題については、最高裁判決はこれに否定的であるのであるが、この点は手形法六条の解釈間題では
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一九一百円手形事件判決挑判 一九二 なく、手形の金額記載に対する厳格解釈を貫徹すべぎかどうかという、手形法理の基礎に属する法理の問題なのであ る。このことが意識されていたならば、最高裁判決︵多数意見︶はもっと異った表現になっていたのではなかろう か。︵最高裁判決は、その末尾で﹁本件手形の金額欄記載の﹃壱百円﹄の文字による記載を数字による記載とし、﹂と 書いているのは、何を言っているのかわからない。二つの記載のうちのどちらを採用すべぎかという間題のとらえ方 しかしていない意識の現れであろうか。もっともこのような問題のとらえ方をさせたのは、,名古量高裁判決の前示し た﹁算用数字で記載した金一〇〇万円を本件手形金額とすべきものと解するのが相当である﹂という誤解を与え易い 不明瞭な表現のなせるわざであるとすれば、名古屋高裁判決にも一半の責任はあろう。︶ 最後に、谷口少数意見 ﹁右︵手形法六条一項を指す︶は、通常の手形金額の重複記載の場合の解釈規定であって、手形面上の記載自体 から文字による金額の記載が数字により記載された金額の誤記であることが明白である場合にまで文字により記載 された金額を手形金額とする趣旨ではなく、かかる場合には、数字により記載された金額が手形金額であると解す るのが相当である。思うに、︵中略︶、文字による金額の記載が誤記であることが手形面上の記載自体の解釈から明 白である前示のような場合には、手形金額の不確定により当該手形が無効となることはなく、また、文字による記 載が数字による記載よりも重視されるべぎ理由もないからである。﹂ 谷目少数意見は、以上のように判示する。手形法六条一項は通常の重複記載の場合の解釈規定である旨の見解は正 鵠を射ている。しかし、誤記の場合は、誤記を補正して解釈することが許されるか、という手形法六条を離れた法律
間題に立入らねばならないことは意識されず、ここにおいても、多数意見と同様に、数字による記載と文字による記 載との択一関係のように論理を進めている。そのため、﹁文字による記載が数字による記載より重視されるべき理由 もない﹂と説示して、いささか勇み足と思われることにまで論及している。数字と文字との関係では文字優先を定め た六条一項はそれなりの法的根拠があるのであって、これを否定されたのでは一般の賛同は得られないであろう。 四 私 見 私は、この手形の手形金額を金一〇〇万円と解すべぎであると思う。 その理由を、次の二段に分けて説明する。 第一に、本件手形の手形金額欄記載の﹁金壱百円也﹂は、﹁金壱百萬円也﹂と書くべきところを、﹁萬﹂の字を書き 落した結果このような表示となったものである。 そのように断定する資料は、次の三つである。その一は、現在︵昭和五五年本件手形振出当時︶の経済社会におい て、一〇〇円の支払のために約束手形を振り出すことは経験則上起り得ないこと。その二は、この手形に一〇〇円の 収入印紙が貼用されているが、一〇万円未満の手形は非課税であり、一〇〇万円以下のものの印紙税額は一〇〇円で あるから、この手形の振出人は、この手形の手形金額を一〇〇円と意識して行為したと仮定すれば、一〇〇円の収入 印紙を貼用した事実と相容れないこと。その三は、この手形においては、手形金額欄の欄外に、﹁艦一る8る8ー﹂ と記載されているが、通常手形金額欄の欄外に手形金額欄の記載と重複した形で金額を記載するのは、手形金額欄に
東洋法学 一九三
百円手形事件判決批判 一九四 おける金額の記載に誤記、脱漏、後日の消失、変造などであることに備えた念押しのために記載するのであるから、 この記載はそれ自体の誤記がないかぎり通常は主観的に意図された手形金額に一致すること。 以上三つの徴懸事実を総合すると、手形金額欄記載の﹁金壱百円也﹂は、﹁萬﹂の字を書ぎ落した結果このような 表現になったものと断定せざるを得ない。 右の判断資料は、手形面上の表現および経験則であって、手形の原因関係上の資料は含まれていないから、手形行 為の解釈に関する基本原則に抵触するところはない︵原因関係上は、一〇〇万円の売買代金支払のために振出された ものであるから、その点からもこの手形の手形金額欄の記載は一〇〇万円の誤記であるといえるが、そのことは判断 の資料として使用していない。︶。 以上の判断は、何人にとっても異存のないところである。本件の審理を担当した最高裁判事もその例外ではあり得 ない。従って、本件最高裁判決の多数意見を構成した各裁判官も、この点については右のように考えていたと見ざる を得ない。このような場合を、﹁手形金額の誤記が手形面上客観的に明白である場合﹂と定義することがでぎる。 そこで、以上のことを所与の前提として、次の論点に進むことにしよう。 第二。手形金額欄記載の﹁金壱百円也﹂は、﹁金壱百萬円也﹂と書くべぎところを﹁萬﹂の字を書き落したもので あることが手形面上客観的に明白である場合は、これをそのように補正して解釈することは許される。 この提案に対してこそ異論があり得るところである。本件最高裁判決の多数意見は、これに反対であるから、本件 手形の手形金額を一〇〇円と解釈したのであり、名古屋高裁判決および谷β少数意見は、この提案と同意見であるか
ら、本件手形の手形金額を一〇〇万円と解釈したのである。そして、この二つの解釈姿勢の可否は、法律制度の基本 にまで遡らなければ解明でぎないところであるので、以下この点を詳論する。 そもそも手形法六条は、手形面上に手形金額の記載が二様になされた場合の処理方法を定めたものである。手形金 額は一個記載すれば足りるのに、わざわざ二個記載するのは、確認のためとか、変造を困難にするためとかに外なら ない。いずれの目的であるにせよ、それは主観的には同一金額を記載するつもりであったことは間違いない。そうで あれぽ、二つの記載の間に金額の差異が生ずるのは、その一つは誤記であるということになる。手形法六条は、まさ にこの誤記があった場合の処理方法を定めたものであるから、誤記であるからという理由で誤記された方をネグレク トすることはでぎない。たとえば、手形金額欄には六〇万円と記載し、欄外に八○万円と記載してあった場合、たと え振出人の主観的意思は八○万円の手形を作成する趣旨であって六〇万円の方は誤記であったとしても、手形法上は、 この手形の手形金額を六〇万円であると解釈しなければならない。このことは、正に手形法六条の守備範囲に属する ところであるからである。 しかしながら、いかなる法文においても共通のこととして言い得るのであるが、手形法六条にも、その制度を作る に際して予定した領域というものがある。制度を合理的なものとして解するかぎり、法の予測した限度を越えた分野 に属するものは、その制度の守備範囲に属しないものといわなければならない。このことは法文の立法技術的制約か ら来ることなのである。たとえば、手形法六条の起草の際、立法者は、通常の誤記の場合はたとえ誤記の方であろう とも金額の少い方に従うこととするが、誤記の結果が経済界においてはあり得ないような非常識な手形金額になる場
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百円手形事件判決挑判 一九六 合はこの限りでないことにしよう、と考えたとしても、その意図が適確に表現できて、しかも法文としての妥当な体 裁を失わないような立法技術はなかなか見当らない。そこで、﹃そのような極端に例外的な場合は、条理の適用によっ て補正することとし、その点を明文をもって規定することは諦める、という立法態度をとらざるを得ない。このよう なことは、あらゆる法律制度において共通して見受けられるところであって、あえて異とするに足りないことであ る。 ︵谷口少数意見において、﹁右ーi手形法六条一項を指すーは、通常の手形金額の重複記載の場合の解釈規定 であって、﹂と説示しているのは、この法理を言っているのである。︶。 ところで、当該のケースが手形法六条の守備範囲外であるかどうかを判断する規準は、常識をもってそれとする外 はない。本件のケースについていえば、今の経済界において手形金額一〇〇円の手形を振り出すことがあり得るであ ろうかという疑念は、常識に属する事柄である。本件の最高裁判決が新聞紙上で大きなニュースとなったのは、この 常識に照らしての疑念があったからに外ならない。手形の欄外に数字で一〇〇万円と記載してあったことや、一〇〇 円の収入印紙が貼ってあったことは、この常識による判断を補強しているものにすぎない。しかし、これらの補強的 事実の助けを借りたにせよ、今の社会では一〇〇円手形はあり得ないからこれは明白な誤記であるという判断は、万 人が万人皆同様にそのように思うところである。そうであれば、これは手形法六条の守備範囲外に属するところであ るから、この点については条理を適用し、前記解釈資料を利用した上、本件手形の手形金額欄の記載﹁金壱百円也﹂ に﹁萬﹂の字を補ってこれを解釈することは許されるといわなければならない。 手形の厳格性の原則も、この結論の妨げとはならない。なぜならば、手形は流通証券であるから、その機能を全う
させるために手形上の権利関係は手形上の記載自体によってその内容を決定すべ蓉であるというのが手形の厳格性の 意義なのである。要するに、原因関係その他手形上の記載以外の要因によって手形上の権利内容が左右されることを 防止すれば手形の厳格性の要請が充たされる。記載された表現を如何に解するかは、解釈資料につき前記の制約に服 するにせよ、通常の解釈基準に従って差しつかえない。手形当事者の特定について嫡この点かなり柔軟に解釈され ていることと思い合わされたい。手形金額の二重記載の場合について手形法六条は一つの法規制を加えているが、こ れとても手形金額が不特定になることを防止するという必要に出たものにすぎない。文字優先の原則と最小金額優先 の原則は、恐らく手形所持人による変造の抑制を横睨らみしたものであって、それ自体としては合理性のある制度で ある。そのため、文字の方、あるいは最小金額の方が誤記であった場合といえども︸律にこの法規制に従わねばなら ないのは已むを得ないところである。しかし、万人が万人、恐らく手形交換所の職員や支払銀行の行員も、これは ﹁萬﹂の字が遺脱したものであると直感するようなもの豪でその規制の内に加えるべく意図された制度でないことは 確かである。もしそのような場合まで規制の内に加える趣旨であったとすれば、それはあまりにも合理性を欠く制度 であるとの批判を受けざるを得ないであろう。 以上の理由で、私は、本件手形の手形金額が金一〇〇万円であると解釈した名古屋高裁判決および最高裁谷自少数 意見に賛同する次第である。 最高裁多数意見は、手形の厳格性の意義を強調し過ぎて、法技術の底辺にあるものを見失ったと批判したい。一般 に、技術的な法制度は、その技術性を特色とするが故に、得てしてそれが必要以上に強調され勝となる。本件の第一 東洋法学 一九七
百円手形事件判決批判 一九八 審の岐阜地裁は、手形法の技術性に幻惑されて形式的な判断しかなし得なかったのは、一審裁判所としては自然の成 り行きということができるであろう。しかし、名古屋高裁判決がこれを矯正して条理に合致するように改めたのであ る。それを最高裁に至って再び元に戻してしまったことは何としても理解し難いところである。もし名古屋高裁判決 において、﹁漢数字も数字である﹂という異論が起りそうな議論を持ち出していなければ、その他の説示するところ は説得力があり、条理にもかなっているのであるから、上告されても、他の多くの上告事件と同様にすんなりと上告 棄却の判決を受けることができたのではなかろうかと思うと、なくもがなの判示であるだけに残念に思う次第であ る。 最高裁多数意見は、判文中で ﹁本件手形における文字による金額記載を、経験則によって、算用数字により記載された一〇〇万円の明白な誤 記であると目することは、手形の各所持人に対し流通中の手形について右のような判断を要求することになるが、 かかる解釈は、その判断基準があいまいであるため、手形取引に要請される安全性・迅速性を害し、いたずらに一 般取引界を混乱させるおそれがあるものといわなければならない。﹂ と説示されるが、それは全く無用の杞憂であるといわざるを得ない。なぜならば、本件手形は、金額一〇〇万円の 手形として流通した上、手形の転得者が振出人に対し手形金一〇〇万円を講求しているのである。誰もこれを一〇〇 円の手形とは考えていない。手形の受取人は、この手形は一〇〇万円の手形のつもりで受取っているのであるから、 これを一〇〇円の手形として他に譲渡するはずはない。手形の譲受人も、一〇〇万円の手形であるからこそこれを譲
り受ける気になるのであって、もしこれが一〇〇円の手形であるならば、馬鹿馬鹿しくて誰もそんなものを相手には しないであろう。譲渡の際﹁萬﹂の字の遺脱に気づいていたかどうか明らかでないが、たとい気づいたとしても、﹁あ あ、これは萬を書き落したのですよ。﹂﹁そうでしょうな。﹂で済んだことであろう。このように見てくると、この手形 の手形金額は一〇〇円であると言い出したのは、訴訟になってからの被告代理人である弁護士であるということにな る。要するに、このような手形の手形金額を一〇〇円であると考えるのは、訴訟当事者位のものであって、手形を取 扱う経済人は誰もそのようには考えないから、判決理由で説示されるように﹁いたずらに一般取引界を混乱させる﹂ という御心配は、杷憂にすぎない、というのである。思考の方向としてはむしろ逆なのであって、一般取引界におい て誰でもこれを明白な脱字として補正して解釈するような内容の誤りであって、はじめてそのような修正解釈が許さ れると言った方が正確な表現になるかもしれない。そして、本件手形が正にこれに属するのである。 一般取引界混乱の点から言えば、事態はむしろ逆なのである。一般取引界では、常識に従い、﹁萬﹂の字の脱字は適 当に補正して解釈し、それで円滑に手形が流通していたのに、最高裁判決によってこれを一〇〇円と解釈することを 強要されるとなれば、手形の受取人と譲受人との関係はかえって円滑にはいかなくなり、そのことの方が一般取引界 を混乱に導くのである。 そうはいっても、誤記や脱字のあることは、それがない状態に比べれば一つの欠陥であることには変りはない。欠 陥のある文書はそれなりのマイナスを背負うことになるのは、已むを得ないことである。たとえば、先に挙げた事例 で、私は、手形の譲渡人と譲受人との間で、﹁ああこれは萬を書き落したのですよ。﹂﹁そうでしょうな。﹂という会話 東洋法学 一九九
百円手形事件判決推判 二〇〇 を交わすことで済むように言ったが、案外譲受人は不安がってこの手形の受取りを拒むかもしれない。そうなると譲 渡人としては、この手形を振出人のところへ持参して、手形の差し替えを要求せざるを得ない破目になるであろう。 それから、手形所持人は、この手形を手形交換に廻すのを躊躇せざるを得ないだろう。なぜならば、手形交換所の職 員は極めて機械的な事務処理の仕方をするから、場合によっては一〇〇円を支払っただけで手形が振出人に取戻され てしまう危険も予想されるからである。これらの不便は、所詮手形に一つの欠陥があることから生ずる不便なのであ って、それらの欠陥のない手形に比べると、取扱上の不利が生ずるのは已むを得ないところである。 しかしながら、このことは欠陥のある文書の不便さということだけであって、その文書にいかなる内容の法律的効 力が生ずるかということとは関係がないことである。むしろ、その文書の有効な内容は動かないことを前提として、 その内容通りの効力を実現する手続の上で生ずる不便である。事の性質はこのようなことなのであゐか奥この不便 の存在を理由として文書の内容自体を表示通りに解釈すべしと主張することは許されない。そのような主張は、いわ ゆる本末顕倒論に属するといわなければならない。 五 若干の考察 本件上告事件において、 る。 第一 被告甲は上告理由として述べている事柄のうち、次の諸点については、若干の考察を要す
被告甲は、上告理由として、次のように述べている。 コ一㈲更に前述の通り、手形法規の殆んどが強行法規であることを考える時、本件の場合のように権利者側の立 場に立った場合の結論としては、安全性ある場合もあるやもしれないが、一方所持人が他に手形を譲渡せんとする 場合において、如何に同手形の金額を解釈して、その責任を覚悟すべぎか迷うこととなり手形の迅速・安全な流通 を妨げることは明らかである。︵﹁蹄耐継田﹂と﹁癌器るOρ8eというように、その差異が多ければ多い程、手形 の所持人の判断にかかる負担は多くなる結果となる。︶﹂ この主張は、次の法理を念頭に置いたものであろう。即ち、手形行為は、手形署名者毎の別個の手形行為であるか ら、たとい、振出人の手形行為は一〇〇万円の手形行為として成立したとしても、裏書人の手形行為は、﹁金壱百円﹂ と表示した手形証券につき署名することによって成立するのであるから、裏書人の手形債務は一〇〇円に確定するの ではないか。という法理である。 しかしながら、本件のケ⋮スは、この法理の前提に狂いがあるケースなのである。即ち、本件手形証券全体の表現 と手形振出時の社会現象とを総合すると、本件手形証券は金額一〇〇萬円と表示した手形証券として解釈せざるを得 ないケースなのである。従って、裏書人の手形行為も、振出人の手形行為と同様に、金額一〇〇万円の手形行為とし て成立する。 .それでは問を以て問に答えただけではないか、と論難されるかも知れない。しかしながら、私は、既述のように、 本件は金額欄の表示が﹁萬﹂の字を遺脱したものであることが誰の目にも明らかなケースであることを前提として論
東洋法学 二〇一
百円手形事件判決拭判 二〇二 理を進めているのである。この前提が崩れれば、全体の構想は崩れる。しかし、この前提が是認される限り、前記の 結論も容認されるであろう。 上告理由では、所持人が他に手形を譲渡せんとする場合において、如何に同手形の金額を解釈して、その責任を覚 悟すべきか迷うことになる、と論ぜられる。しかし、私は所持人が他に手形を譲渡した時はこれを一〇〇万円の手形 として被裏書人に譲渡したことを前提として上来の論旨を進めて来ているのである。したがって、問題は、手形裏書 人が手形の遡求を受けた時に、金額欄の表示が﹁壱百円也﹂となっていることに籍口して一〇〇円の責任だけで済ま そうとすることが許されるか、という形でしか登場しない。そのような形で問題が登場した時に、法律家は誰しもそ のような口実は容認すべきでないと判断するであろう。そうであれば、所持人はその覚悟すべき責任の範囲につぎ何 も迷うことはない。要するに欲を出さなければ済むことなのである。 手形の額面金額は、これを変造した上裏書譲渡することも可能である。この場合、裏書人の責任の範囲は、変造後 の金額に従う︵第六九条前段︶。そうであれば、本件の場合でも、所持人は、手形の金額欄の表示が明示的には一〇〇 円となっているところから、手形証券上の記載に手を触れることなく、この手形を金額一〇〇円の手形とする趣旨 で、その旨を明示して被裏書人に裏書することも可能である。その場合は、被裏書人に対する償還金額は一〇〇円で あることはいうまでもない。しかしながら、それはそのような特別の行為の結果そうなるのであって、これをもって 一般論に移し変えることはできない。ただ、訴訟になれば、その特別の行為がなかったのに、そうであったかのよう に主張する抗弁も飛び出しかねない。しかし、このことは、前述した堰疵のある物と理疵のない物との安全性の差異
の問題に分類されるべき事柄である。 第二 被告甲の上告理由中に、次の主張がある。 ﹁三⑥ 銀行取引においては複記のいかんにかかわらず、所定の金額欄記載の金額によって支払われるようになっ ている⋮⋮﹂ この主張は、控訴審においても主張されていたと見えて、二審判決は、次のように判示している。 ﹁︵銀行取引においても、金額欄記載の金額が欄外記載の金額の誤記であることが手形の外観上明らかである場合 にまで金額欄記載の金額を手形金額とすることに合理性があるものとは考えられず、またそのような慣行があるこ とを認めるに足りる証拠はない。︶﹂ この主張と判断の応酬は、銀行取引における手形決済は、常に金額欄記載の金額によってのみ行なわれるか、それ とも金額の誤記が手形面上明らかな場合にはその限りでない、とする取扱いが許されているかの争いであって、控訴 審裁判所は事実認定問題として被告甲の主張を排斥しているのであるが、筆者自身は、手形交換所において、いかな る実務指導が行なわれているか、また、全国数多くの手形交換所におけるこの点に関する実務指導がすべて画一的で あるかどうかについての知識は持ち合せていない。したがって、以下は仮定の上に立った考察を行なわざるを得ない ことになるのであるが、かりに、被告甲の主張するように、手形交換所における手形の決済は、複記された金額の如 何にかかわらず金額欄記載の金額によって決済すべきものと指導されていると仮定すれば、このことが本件の法律問
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百円手形事件判決批判 二〇四 題に何か影響があるかを考えて見よう。 この実務指導は、明らかに手形法六条に違反する。すなわち、金額欄記載の金額と複記された欄外の金額を比較し て、欄外の金額が小額である時は、手形法六条二項により欄外の金額に従わねばならないのであって、これを多額で あるところの金額欄記載の金額によって手形決済を行うことは適法ではないことになる。 しかしながら、極めて多数の手形を短時間内に決済処理しなければならない手形交換所においては、そのような機 械的な画一的処理も事務手続上已むを得ないところであって、例外的に不当な結果が生じた時は、その都度後日の修 正措置を行うことによってこれを賄うとするような事務処理もまた合理性がないとはいい切れない。 このような形式的事務処理の事例に遭遇すると、私は不動産登記手続を想い出す。周知のように、不動産登記事務 を担当する法務局職員は、登記申請書に表示された不動産の表示が不動産登記簿に登載された不動産の表示と一字一 旬でも表現に差異があるともう登記申請書を受付けない。不動産の表示などは、他の不動産との誤認混同のおそれが ない程度に同一性が確保されておれば、それでその登記申請は適法であり、従ってこれの受付拒否をするのは違法な 筈であるが、しかし、受付拒否という事実行為に対しては抗争のしようがないから、申請人は仕方なく法務局職員の 指導のままに申請書を修正して提出し直す。その申請が判決に依存する時は、裁判所に対し判決の更正決定を申立て ることからやり直さねばならない。裁判所に対する更正決定の申立のほとんどが、このような不動産の表示訂正の申 立であるといっても過言ではない︵裁判所の更正決定ー畷傭酷条⋮は、純粋に確認的なものであって、既になされた裁 判の内容の変更を伴うものではないから、申立期間の制限などは設けられていない。︶。
肝多数の事務を短時間内に処理しなければならない時は、このような形式的な事務処理の仕方もまた已むを得ない。 そして、判決の更正決定の手続などは、そのような事務処理の仕方を支障なからしめるのに結構奉仕している、とい うのが社会の実体である。 手形交換所の事務処理にこのような形式的な事務処理がもし存在するとなれば、それもまた社会の実態として受け 取るほかはないであろう。しかしながら、法務局の登記事務と異なり、この場合には裁判所の更正決定に相当する制 度が整備されていない。この場合になすべき修正措置は、手形振出人に要求して手形の書ぎ直しもしくは再発行を求 めることであるが、それがスム1ズに実行されることの保障がない。さりとて、この手形を修正なしで手形交換に廻す と、それこそ一〇〇円の支払だけで手形が振出人の手に回収されてしまう危険がある。銀行取引口座を有する老が一 〇〇円の残金がない筈はないから、この手形が不渡り返還されることはない。 そこで、手形所持人のとるべき態度としては、この手形を交換に廻すことなく、直接振出人︵支払銀行︶に呈示し て、一〇〇万円を請求するより外仕方がないことになる。本件手形の遅延利息ないし遅延損害金が満期の翌日からで はなく、訴状送達の翌臼から起算されているのは、この事態を物語っているというべきであろう。 誤記のある手形は誤記のない手形に比べてこのような不便が生ずるのは已むを得ないところである。しかしながら、 そのような不便があるということと、究極のところ、手形上の権利内容として如何なるものが生じているかというこ ととは、全く別の間題であることは既述したとおりである。手形交換所における事務処理が形式的に行なわれるとい うことは、これまでの私の結論に影響を与えるものではないといわざるを得ない。 東 洋 法 学 二〇五