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ラテンアメリカの市場志向型
政策への転換とその性格
小 倉 明 浩
0 はじめに 1980年代のラテンアメリカ諸国は,厳しい経済危機に見舞われた。この危機 はこれら諸国の多くに,二つの面での重大な変化をもたらした。経済開発戦略 面での市場志向型経済政策への転換と,政治体制面における民政への移行であ る。これらの変化はたんに危機への対応過程での一時的現象ではなく,ラテン アメリカにおける経済・政治構造の変動をともなって定着しつつある。 市場志向型政策への転換について見れば,現時点においては,ほとんどの諸 国で,貿易障壁の引き下げ,外国からの投資の制限の緩和などからなる対外経 済開放政策と,国営企業の民営化,規制緩和からなる国内経済自由化政策が採 1) 用されている。その政策方向は,91年からの地域の経済回復をもたらし,さら に,少なくない国において,選挙による国民の審判をへてなお継続されている。 特に94年におけるメキシコ,ブラジル両大統領選では市場志向型政策が争点と なり,推進派が勝利している。民主化についてみれば,94年10月におけるハイ チのアリスティド大統領の政権復帰により,キューバを除き複数政党が参加し 2) た選挙によらない政権は存在しなくなった。 1)市場志向型政策への転換は80年代以降発展途上国全般にみられる現象である。この点に ついては拙稿「80年代における発展途上国の自由主義政策への転換の政治経済学的分析」 (『彦根論叢』273・274号 1991年12月)参照。 2)民選大統領によるクーデタとその権力下での新議会選挙をへたのちのペルーのフジモリ 政権の評価の問題や,94年の大統領選後に野党から不正選挙批判がだされたメキシコの場 合にみられるように,選挙自体の公正性の問題は依然として残っている。しかし,ラテン アメリカ諸国の民主制は,選挙制度の面で見ても,政権による指名議員などが残るASE AN諸国のそれよりは先進諸国の制度に近いものであり,選挙で選出された政権の安定度/このような変化は,開発政策をめぐる議論や,先進諸国との国際関係につい ての考え方に対して問題をなげかけている。ラテンアメリカの第二次世界大戦 後の輸入代替工業化による開発戦略は,政府の主導により,経済活動を国内・ 対外関係両面において規制することによって経済成長をめざすと同時に,先進 諸国への経済的従属関係からの脱却をめざすことを意図したものであった。そ の政策の裏づけとなったプレビッシュによる中心一周辺関係理論(構造学派) や従属学派の諸議論は,ラテンアメリカの経済成長上の限界を国内構造に求め ると同時に,先進諸国との国際経済関係のあり方によってもたらされるものと 3) 考えており,両方面での変革が必要とされたのであった。しかし,今日の市場 志向型政策はかつての流れを逆転させたものとなっている。また,この政策転 換が,反対派の権力的弾圧が可能な権威主義体制によってではなく,民政政権 において遂行されていることも,60年代の軍政の成立を分析した官僚制的権威 4) 主義体制論の想定とは異なっている。 以上のように,ラテンアメリカ諸国の開発政策の転換と民主化という二つの 変化は,従来のそのとらえ方に再評価を迫るものとなっているのである。本稿 においては,それを試みてみたい。そのために,第一にそれら変化の過程を検: 博する。市場志向型政策がどのような背景から選択されたのか,政策の遂行が なぜ民政下で可能となったのかが問題となる。第二にその政策方向の性格を検 討する。現在の政策を,従来の輸入代替工業化を柱とする構造学派の政策提案, あるいは一般にその対極に位置付けられる東アジアの輸出志向工業化戦略と比 \においても,ほぼ同時期に民主化が試みられながら挫折の相次ぐアフリカ諸国のそれより も高いものである。 3)プレビッシュの議論については,R. Prebisch, Capitalismo P6漉沈。−C万廊yTrans− formacion, Mexico, Fondo de Cultura Econ6mica,1981を参照。彼やECLACの政策提 案が必ずしも閉鎖的経済発展を目指すものではなかった。この点については,J. M. Sa1・ azar−Xirinachs, “The lntegrationist Revival : A Return to Prebisch’s Policy Prescrip− tions?,”CEPAL Review N Q.50 August 1993.を参照。 4) G. O’Donnell, “Toward an Alternative Conceptualizaition of South American Politics,” Reprinted in P. F. Klaren and T. J. Bosert eds., Promise of DeveloPment : Theon’es of Change in Latin Amen’ca, Boulder, Westview Press, 1986,
ラテンアメ1」カの市場志向型政策への転換とその性格 181 較することによってそれを行う。この試みを通じて,これらの変化が従来のラ テンアメリカの国際関係の捉え方,すなわち中心一周辺関係論や従属論,新植 民地主義論からどのように説明づけられるのか,逆にどのような修正をこれら 理論に要求するものなのかを分析する足掛りを得たい。 1 市場志向型政策への転換の要因 (1)政策転換を可能とする一般的条件 ラテンアメリカ諸国が市場志向型政策を採用するにいたった主要な原因は, それらが第二次大戦以後すすめてきた輸入代替工業化による開発路線がいきづ まったことにもとめられる。ラテンアメリカ地域の年平均成長率は,第一次石 油ショックの前の10年間には7.6%であったものが,70年代を通じては5.9%, 80年代にはL3%に低下している。国内市場向けの製造業を保護政策をとり育成 することによって工業化を目指したこの政策は,挟隙な国内市場向けにフルセ ット型の工業を独自に保有する方向に進んだため,経済効率の悪化を招いた。 また,この工業化は技術を海外に依存し,資本財等の輸入にも依存していたた めに,輸入能力の確保が,経済の順調な運行に決定的に重要であったにもかか わらず,政策には輸出税等,伝統的輸出産業の発展を阻害する方向への偏向が あり,それに変わる輸出産業育成も十分ではなかった。そのため,この過程で は絶えず国際収支上の困難が,経済の巡航を妨げる要因として登場し,経済不 均衡がインフレーションとなって現れ,政府は緊縮政策とその緩和を繰り返す ストップ・アンド・ゴー型の経済運営を強いられていた。その困難の緩和は往 々にして外国からの資金導入に依存し,対外資金借入能力がその経済動向を左 右するという構造が形成されていったのである。 ただ,経済成長の方向をかえようとする政策転換ないしは,環境の変化に適 合した新しい経済制度・組織を構築するためには,古い制度に依存して経済利 益を得ている利益諸集団の抵抗を乗り越える必要がある。輸入代替工業化政策 は,輸入代替工業部門の資本,労働者,政府部門の官僚など,それにともなう 利益を享受する国内利益集団を生み出し,政府の政策決定はこれら利益集団の
レソト・シーキング行動(rent seeking activity)によって決定されるものとな 5︶ る。その結果,たとえ経済全体ととってマイナスとなるように政策決定であっ ても,これら利益集団にたいしレソトをもたらすかぎり,その政策が選択され るのである。経済の困難が政策転換への要請を高め,改:革が試みられたとして も,利益集団はそのレソトを保持しようと政治的圧力を集め,改革を妨げるの 6) である。これを乗り越えられないかぎり,改革は長続きしない。逆に言えば, 旧来の経済制度・組織による成長の困難が,制度的硬直性を失わせるほど,つ まり利益集団の力を十分弱めるほど(レソト獲得から排除されている集団の反 発が政治的な力を獲得できるほど)激しいこと,極端に言えば,制度・組織が 破壊されてしまうことが政策転換を容易にするには必要なのであると考えられ 7︶ る。 (2)政策転換の諸経験の相違の背後にあるもの ラテンアメ1J力諸国の政策転換を概観すれば,輸入代替工業化戦略のもたら した経済成長上の困難は各国に共通にみられるのにもかかわらず,市場志向型 政策の採用の形は様々である。その時期や実施政権の性格が異なっているばか りか,その進展の速度,さらにはどの程度包括的に行われるかについても違い は小さくない。比較的経済規模の大きい主要な8ケ国に限定しても,差は明確 に存在する。この差異をもたらしている要因を検討する。これによって,市場 志向型政策の採用の形態,成否を左右している主要因が,旧来の成長の方のい きづまりの程度であることを明確にしていこう。 表1にラテンアメリカ主要8ケ国の改革政策の経験をあげた。時期的には, アジェンデ政権をクーデタにより転覆した,1973年のチリのピノチェット軍事 5)レソト・シーキングの政策への影響については,A.0. Kreuger,“The Political Econ− omy of Rent Seeking Society,” American Economic Review, Vol. 64 June 1974. J. N. Bhagwati, “Directly Unproductive Profit Seeking (DUP) Activities,” loumal of Politicαl Economy, Vol.90,0ctober 1982.を参照。 6) A.O. Kreuger, Political Economy of Policy Reform in DeveloPing Countries, Cam− bridge MA, The MIT Press 1993. Chapter 7. 7)M。Olson,“Productivity Slowdown, Oil Shocks, and the Real Cycle,”ノ露㍑α10f Economic PersPective, Vol, 2 No. 4, Fall 1988.
ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 183 表1 ラテンアメリカ主要8ケ国の経済改革プラン開始と経済パフォーマンス
舅轡権嘱鶉緯i禦。。懸留 GDP成長率 讐率
開始年性格 上昇率 成長率 成長率 1990 1991 1992 1993i 1992 アルゼンチン11976a 軍政 347.5 アルゼンチン2 1989b 民政 3,079.2 ボリビア 1985c 民政 11,804.8 ブラジル1 1985d 民政 226.9 ブラジル2 1990e 民政 2,938.0 コロンビア 民政 チリ 1973f 軍政 452.8 メキシコ 19879 民政 131.8 ペルー 1990h 民政 7,482.6 ヴェネズエラ 1989’ 民政 84.3 2.2 −1.1 −O.9 3.0 2.0 2.3 −O.2 −2.9 L9 一14 O.1 8,9 8.7 6.0 24.9 0.1 2.6 4.1 2.7 3.2 12.1 L5 一4.4 Ll 一〇9 5.0 99L1 3,5 4.3 2.1 3.5 5.2 27.0 2.6 3.0 6.1 10.3 6.0 15.4 1.6 4.5 9.6 8.6 5,9 15.4 −Ll 一4.4 2.7 一2.8 7,0 732 0,5 6.5 9.7 6.8 一LO 3L4 資料:ECLAC, Economic Survey of Latin A menca and Carnbian,およびIDB, Economic and Social Progress in Latin A meγica,の各年版 IMF, PVorld Economic Outloofe, October 1994. a:軍政下のオス経済相による自由化計画開始年 b:メネム政権の自由化政策開始年 c:バス・エ ステンソロ政権の安定化・自由化計画開始年 d:クルザード・プランによる安定化計画開始年 e.コロル・プランの開始年 f.ピノチェット軍事政権の自由化政策開始年 9:経済連帯協定によ る安定化政策開始年(ただしメキシコの場合,自由化政策は83年のデ・ラ・マドリ政権成立とともに開 始される) h:フジモリ大統領権力掌握後の政策転換 i:ペレス政権の自由化政策開始年 1:IMFによる暫定値 政権による試みを,その最初のものとみなすことができる。以後20年余の間に またがって,2度の石油ショック,累積債務危機を経験するなど,とりまく国 際経済環境が大きく変貌するなかで,各国の取り組みは実施されてきた。 (a)遂行政権の性格の相違一軍政か民政か 第一に70年代の二つのケースはともに軍事政権によって遂行されたのに対し, 80年代の場合にはすべて民政下での試みである(ペルーのフジモリ政権の性格 を問わないとすれば)。一般に,国内圧力集団の反対を抑圧することがより容易 な軍事政権下でのほうが,反対により影響されやすい性格を持つ民政下におい てよりも,重大な経済政策転換の完遂の可能性が高いと考えられる。だとすれ ば,民政下での試みが行われた80年代のほうに,国内政治的に政策転換をより 容易にする他の条件が存在していなければならない。 この点について,民主政権のほうが,国民の支持のもとに政策選択を行って いるという政権基盤の強さがあると考えられるかもしれない。しかし,アルゼンチンのメネム政権,ブラジルのコロル政権,ペルーのフジモリ政権,ヴェネ ズエラのペレス政権は,市場志向型政策を選挙で公約し,それが国民の支持を 得て政権についたのではなかった。メネムの正義党(ペロン党)は,ポピュリ スト政党であると認識されてきたのであるし,フジモリは大統領選で保守派の 対立候補を破って当選したのである。すなわち,市場志向型政策の合理性,必 要性が国民に理解されたうえで,政策転換が行われたのではない。つまり上か らの改革であったという点では軍政下のものとかわりがないのである。したが って,政策転換に際しての,80年代における国内政治的好条件を政体の差,つ まり民主政権の正統性の高さという条件に帰すことはできない。 これらの政権は,選挙「公約」に反して,国民の支持を失う可能性のある市 場志向型政策への転換を開始したのである。このことは,これら諸国の経済を とりまく環境が,それ以外の選択を許さないほど厳しいものとなっていたこと を示している。また,その同じ環境が,民主政体が危機に陥いることなく政策 転換を実施しえた条件でもあった。アルゼンチンにおいて,失敗におわった76 年軍政下の試みと,少なくとも現在までのところ成長率をプラスに転換せしめ た89年からの民政下の試み,この両ケースの直前のインフレーションと直前5 年間の年平均GDP成長率の数値を比較すれば,このことはよく示されている。 76年の場合はインフレ率が347,5%,年平均成長率2.2%であったのに対し,89 年の場合は,それぞれ3,079.2%,一1.!%であった。しかも,アルゼンチンは この間78年からの事前為替切り下げ率予告制度,貿易自由化計画(軍政下),85 年のアウストラル・プランの導入(民政下)と経済安定化・構造改革政策の試 みを繰り返しており,メネム政権の試みは,典型的な経済困難→改革→失敗→ 一層の経済困難→新たな改革,というパターンを経験してきたすえのものであ 8) り,追い詰められた状況下での決定であった。 それでは,ほぼ同時期の軍政下の改革であるにもかかわらず,アルゼンチン のものが失敗に終わり,チリの経験が,一時的停滞期はあるにせよ,経済成長 8)拙稿「アルゼンチンの経済安定化政策一インフレーションと経済停滞の15年」(西島章次 編「ラテンアメリカのインフレーション』アジア経済研究所,1990年)参照。
ラテンアメ1Jカの市場志向型政策への転換とその性格 185 のパフォーマンスから見れば成功したのはなぜだろうか。表1のように両者の 改革実施直前の経済状況はほぼ似かよっており,この点では経済困難が改革の 成否を左右するという仮説は拒絶されているかに見える。しかし,両改革の直 前の政権の性格を考慮すれば,旧来の経済制度・組織の破壊が改革成功の条件 となっているということは言える。すなわち,チリのアジェンデ政権が社会主 義を志向する政権であったのに対し,アルゼンチンのペロン党(正義党)政権 がラテンアメリカ旧来のポピュリスト型政権であったという違いである。前者 は旧来の発展の型を否定する政権であるのに対し,後者はまさにそれを推進す る政権である。さらに両政権が資本主義経済体制に与えた混乱,経済政策の方 向などではない体制存続そのものへの支配層の危機感は,大きく異なっていた と考えられる。この差が強権的な経済政策の方向転換に対しての抵抗をチリに おいては弱いものとし,克服を可能とした要因であると考えられる。 (b)国際経済環境の相違 第二に,70年代においては,石油ショックが石油輸入国に対して打撃を与え たという事実にもかかわらず,国際金融市場はラテンアメリカ諸国にとって好 環境で,市場志向型政策への転換が海外資金獲得の実効ある条件どはならなか った。アルゼンチンは78年からの為替事前予告制導入によって,国内経済改革 の不十分さにもかかわらず,多大な資金流入を獲得し,消費中心の成長を一時 的にせよ達成できた。このことが改革の進展を妨げ,その後の一層の経済混乱 9) へとつながっていったのである。 それに対し80年代においては,ラテンアメリカへの民間資金流入は途絶した も同然となっていた(表2参照)。その中で資金の残る貸し手となったIMFや 世界銀行などの国際金融機関,アメリカを中心とする先進国政府は,市場志向 型政策への転換による経済構造改革の実施を資金供与の条件とし,ラテンアメ リカ諸国に改革を迫ったのである。民間資本は,それが実施されて初めて,対 ラテンアメリカ投資を復活させた。表2のように,90年代,直接・間接投資を 9)拙稿「輸入代替工業化型経済への自由主義政策適用について一アルゼンチンの事例に拠 って」(『彦根論叢』253・254号,1988年12月)参照。
表2 ラテンアメリカへの資本流入 10億ドル 1977−82 1983−89 1990−93 純直接投資額 純証券投資額 その他長期資本流入 短期資本流入 総:資本流入 5.3 1.6 22.2 −2.8 26.3 4.4 −1.2 −14.0 −5.8 −16.6 11.0 17.5 −9.7 5.0 23.8 出所.IMF, PVorld Economic Outlook, October 1994 軸に大量の資金が流入している。 ただし,注意しなければならないことは,民間資金流入の復活と表1のよう な91年からのラテンアメリカ諸国の経済回復の関係である。これらの資金は, 民営化計画への投資や,貿易自由化にともなって企業がラテンアメリカを国際 ロジスティック戦略に統合していく試みの中で流入している。その意味では市 場志向型政策への転換が,資金流入の復活をもたらしたと言える。そして資金 流入はラテンアメリカ諸国の改革の困難を支え,経済成長をもたらしている。 しかし,ラテンアメリカ諸国の多くにおいては市場志向型政策への転換は,依 10) 然,経済構造の転換を十分にはもたらすにいたっていない。したがって,先進 国からの民間資金は,いわばラテンアメリカ諸国の改革への意思を評価,信頼 して流入しているという状態である。かつて累積債務危機を経験した国際金融 界が,このような不確実性の高い段階で,ラテンアメリカへの投資を復活させ てきたことには,90年代初頭からの先進諸国の景気停滞,金融緩和への政策転 換(表3参照〉という,先進諸国内での投資環境の悪化も影響している。その 表3 先進国の利子率 年率%
1988 1989 1990 1991 1992 1993
アメリカ長期利子率 8.8 アメリカ短期利子率 7.7 先進国平均長期利子率 8。5 先進国平均短期利子率 7.1 8.5 9.1 8.7 8.88.6 7.9 7.0 5.9
8.2 5.8 3.7 3.2
9.5 8.7 8.0 6.6
9.2 8.0 6.7 5.1
出所:IMF, World Economic Outloofl, October 1994 10)Latin American Special ROports, August 1993.の記事を参照。ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 187 点から言えば現在の資金移動のあり方を安定的なものとみなすことはできない。 94年からのアメリカの高金利政策への転換が,流れを逆転させる恐れがないわ けではないのである。また,資金流入は,安定化政策の一貫として取られた固 定相場制度と相まって,メキシコやアルゼンチンでは為替相場の過大評価化を 11) もたらすなど,経済改革にマイナスの影響をももたらしている。そこでは,こ の過大評価が流入資本の一つの利益源泉になっていることやインフレ抑制の目 的もあり,その修正は困難な課題となっている。しかし,過大評価はいつまで も維持可能なものではなく,そこから経済の不安定が発生し,資金循環を急激 に逆転してしまう恐れもある。そのような不安定な資金の流れに支えられてい るという意味で,現在のラテンアメリカの経済回復は不安定性を有しているこ とは否めない。実際に政策転換による資金流入と為替の過大評価化,それに続 く環境変化による資金の流れの流出への逆転という現象は,累積債務危機発生 時にチリが経験しており,一時的に為替・貿易管理の強化など市場志向型政策 の後退を強いた要因となったものである。チリはその後,一層徹底し,かつ社 会的公正性に配慮した市場志向型政策の採用によって経済成長を回復すること 12) になる。 (c)市場志向型政策への転換の速度と範囲 ラテンアメリカ諸国の市場志向型政策への転換は,それが遂行される速度と 範囲が各国において異なっている。つまり,急進的改革を実施する諸国と漸進 11) M.R. Agosin and R. Ffrench−Davis (“Trade Liberalization in Latin America,” CEPAL Review, No.50, August 1993.)によれば,自由化開始後,73年チリの場合10%, 89年アルゼンチンの場合40%,メキシコの場合9%の過大評価になっている。このような, 資本流入の拡大がもたらす利点,問題点については,S. Schadler, M. Carkovic, A. Ben・ nett, and R. Kahn, Recent Eteperinces with Surges in Capital lnflows, IMF Occasinar Paper 108. December 1993.に詳しい。 12)Agosin and Ffrench−Davis, op. cit. p,48.チリの民営化計画はその第2期においては, 産業集中を排除する目的をもかねて,労働者や年金基金への株売却を行った。この方向は 大衆資本主義(Capitalismo Popular)と呼ばれている(岸本憲明・山田真矢・磯部貢一「ラ テンアメリカの産業民営化一主要5ケ国の動向」「海外投資研究所報』91年3月号,11ペー ジ)。
的改革による諸国があり,しかも改革の包括性,徹底度には差がある。 改革の速度において好対照を成すのは,チリとコロンビアである。この両国 について興味深いことは,80年半ラテンアメリカ全般が経済不振に喘ぐ中で, 13) この2国がプラスの一人当りGDP成長率を記録していることである。一方は, 経済社会混乱を終止するため急進的改革をいち早く実施していたがゆえに,他 方は保守的な政府のもとで安定的経済運営の結果,国際環境変化のなかでも混 乱に陥ることがなかったがゆえに,累積債務危機下の環境のもとでも経済成長 14) を達成することができたのである。 このような両者の差は,政体の差と経済制度・組織の安定度とによるものと 考えられる。先にも述べたようにチリは社会主義志向の政権を倒した軍事政権 による改:革であったのに対し,コロンビアでは2大政党の安定的民主制が維持 され,しかも80年掛においても累積債務危機を経験せず,その経済は82年から 91年の間に51%拡大した。ただし,コロンビアのインフレーションは90年置に 入り他国では改革が実施され全般的に安定化が進む中で,チリに比べ高率のま 13)チリ.0.9%,コロンビア:1,4%の年平均成長率。他に一人当りGDP年平均成長率が プラスであったのは,バハマ,バルバドス,ジャマイカで,いずれも1%未満の成長率。 14)チリにおいては73年,軍事政権のもと政権成立後直ちに,対外開放面では輸入割り当て 制の廃止,関税率の引き下げ計画が開始され,翌年には内資と外資の扱いを同等にする新 外資法が導入された。また,市場経済化の点では,物価統制が廃止されるとともに,アジ ェンデ政権下で政府の介入を受けた企業の返還,CORFO(チリ産業開発公社)保有の 国営企業株の売却も73年から実施された。金利の自由化も74年から実施された。これらの 過程は当然ながら,軍制政権の一方的決定によって遂行されたのである(加賀美充洋「チ りのインフレーションと経済安定化政策」西島章次編前掲書所収,第3表)。他方,コロン ビアにおいてはそのように集中的に改革が実施された時期が特定できない。そのことはコ Vンビアが民営化や貿易自由化などの市場経済化政策をとっていないということではない。 その過程が,2大政党閲のコンセンサス形成をへて,社会的混乱を引き起こすことを避け る形で行われているのである。貿易自由化についてみても,表のように92年末の平均関税 率は12%と他の諸国と比べても遜色ない水準にまで自由化されているが,その過程は漸進 的なものであり,チリで自由化後見られたような急激な輸入拡大を経験してはいない。そ の輸入額は82年に54億ドルであったものが,92年に56億ドルになったにすぎない。民営化 についても,電話会社の民営化計画が発表後労働者のストライキによって修正されたよう に,チリと異なり,民営化そのものが政府の最:優先の目標となっているのではない(Latin American Special Reports, August 1993, p. 4) .
ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 189 ま推移しており,92年目も年率27%の水準にある。このことはその政策転換の 漸進性のゆえに,依然改革の余地が残っていることを示している。 以上のような速度面の差は,80年代末から90年にかけての改革のラッシュ期 にもみることができる。アルゼンチンのメナム政権の改革政策は,のちにもみ るように,現段階ではもっとも政策適用に留保が少ない急進的なものとなって いる。その改革は議会からの権限委譲法により,大統領の裁量で実施されてお り,市場経済化をどこまで進めるかという国民的議論なしに行われている。そ れに対しコロル政権が開始したブラジルの改革は議会の抵抗を受け,またコロ ルの汚職疑惑によって,市場経済化に積極的でないとみられたフランコ副大統 15) 領が昇格したことにより進展の速度が鈍っている。このような改革実行をめぐ る国内政治環境は,両国の改革直前の経済成長率の差を反映しているものと考 えられる。両者ともかなり高水準のインフレーションを経験するにいたってい るが,ブラジルは依然プラスの成長率を維持しており,アルゼンチンのような いきづまり状態にはなかったのである。 さらにボリビア,ペルーの例では,その直前のインフレーションの激しさを 16) 反映してかなりドラスティックな改革が行われた。この2国に対して,ヴェネ 15)1994年に入って,ブラジルはカルドーソ・プランないしはレアル・プランとよばれる安 定化政策を実施した。これは,アルゼンチンにおいて行われたカバージョ・プランと同様, 通貨の対ドル1:1の固定相場を維持することで通貨価値を安定させようとするものであ る。94年7月からその最終段階が実施された結果,インフレは一応押さえられた(9月: 0.82%,10月:3.17%)。 16)85年のボリビアでは安定化政策の役割も担いながら,外貨取引の自由化,商業銀行の金 利規制の撤廃,物価統制の廃止,そして輸入数量規制の廃止が緊急経済対策として実施さ れた。さらに86年からは,構造調整政策として関税率の20%の統一関税率への引き下げも 実施されるとともに,COMIBOL(国営鉱山公社)の分割,合理化など政府部門縮小が試 みられた(浜口伸明「ボリビアのハイパー・インフレーションと経済安定政策」西島章次 編前掲書所収)。90年のペルーの場合は,周知のようにフジモリ大統領のクーデターによる 権力掌握,新議会からの権限委譲のもとで,強権的とも言える形で市場志向型政策への転 換が進められた。クーデター前には彼の与党は議会で少数をしめるに過ぎず,改革への議 会からの支持を得ることは不可能な状態にあった。しかし,既存政治家の腐敗を排除する 目的で実施されたクーデターと権力掌握下での急進的改革は,経済の相対的安定化をもた らし(92年のインフレは73%),国民の支持を獲得しえたのである。貿易自由化について/
ズエラにおいては89年に就任したペレス大統領の市場志向型政策への転換は, その当初の意図にもかかわらず停滞を余儀なくされた。その経済成長面での成 果(91年目成長率9.7%)にもかかわらず政策の支持は強くなく,国内物価統制 の撤廃などが89年導入された当初に暴動が発生したのみではなく,その自由化 政策などが軍部の民族主義的勢力の反発を招き,92年中に2度もクーデターの 試みが発覚するなど,政権の不安定化要因となっている。そもそもペレス大統 領による政策転換は,その出身政党(民主行動党)を含めて,政治を支配して いる2大政党の合意をへて実施されたものではなく,議会の抵抗を受ける運命 にあった。たとえば,石油産業への民間資本の部分参加計画も法案制定の過程 で遅延させられた。このように国内には政策転換へのコンセンサスが十分存在 していない状況にある。これはヴェネズエラが直面していた経済停滞の深刻さ によるものと考えられる。その豊富な石油収入のゆえに,80年代後半石油価格 が低迷し国際収支が悪化するまで,IMFのコンディショナリティつき融資を 受けていなかったことに示されているように,その経済は相対的に安定してい た。政策転換直前の成長率,インフレはそれぞれ1.9%,84.3%で,その危機の 深刻さは他の諸国と比べて明らかに軽微であった。 市場志向型政策への転換の徹底度の差についても同様のことが言える。民営 化についてみれば,現在最:も例外を残さずに実施しようとしているのはアルゼ ンチンである。堀坂による表4のように,そこではすべての産業分野について 民営化が実施され,または計画されており,他のラテンアメリカ諸国では民営 化計画のない鉄道,水道事業の公益産業や,石油生産というナショナリズムが 最も現れやすい資源産業においてすら民営化が志向され,外資の参入が受け入 れられるにいたっている。このような包括的な民営化が実施されようとしてい るのは,長期にわたる経済停滞の結果,国家は国営企業に投資をする能力を失 い,投資不足のため劣化するそれら企業の設備改善をはたすことが不可能にな \は,短期間の間に平均関税率は66%から12%へと引き下げられ,関税率ラインも2種類に 簡素化された。民営化についても,航空会社,鉄鉱石会社,電話会社が売却され,しかも 外資に委ねられている。
ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 191 表4 主要5亜目における産業別の民営化状況 1992年末時点 公 益 産 業 資源産業 基幹産業 金融 電力電気航空鉄道ガス水道港湾海運 石油 銅 鉄鋼石油自動造船 商業 通信 化学車 銀行 アルゼンチン ○ ○ ○ △ ◆ ◆ ◆ ◆ △ × ○ ◆ ☆ ◆ ☆ ブラジル ● ● ☆ ● ● ● ◆ △ ● × △ △ ☆ ☆ △ チリ ○ ○ ○ ● ● ● ● △ ● ● ○ ○ ○ × ○ メキシコ ● ○ ○ ● △ ● △ ○ ● ○ ○ △ ○ ○ ○ ヴェネズエラ △ ○ △ ● △ ◆ ◆ △ ● × △ △ ☆ ● △ 出所:掘坂浩太郎「ラテンアメリカ民営化の時代一政府主導の産業発展から民間活力の利用へ」(遅野 井茂雄編『冷戦後ラテンアメりカの再編成』アジア経済研究所1993年),71ページ ただし原表は岸本憲明・山田真矢・磯部貢一「ラテンアメリカの産業民営化一主要5ケ国の動 向」,(『海外投資研究所報』Vol.17 No.31991年3月),7ページの表を修正したもの ☆:従来より民器セクターが主体 ○:民営化をへて,現在では民間セクターが主体 △’ 痩cだが民間へのコンセッションや民間との合弁が存在,あるいは国営と民営が共存している ◆:国営だが民営化(コンセッションを含む)の具体的計画が進行中,あるいは存在する ●:基本的に国営 ×:当該産業が存在しないか,存在しても無視しえる規模 つたことによる。経済の機能を維持するためには,民営化によって投資能力を 17) もつ資本に経営を委ねざるを得なかったのである。他の諸国では鉄鋼等基幹産 業は民営化しても,資源産業や基本的な公益産業(国家にとっての戦略的産業) については国営のまま維持することが選択されているが,アルゼンチンはそれ すら維持する力をうしなっていたと見ることができる。アルゼンチンの場合, 前政権(急進党,アルフォンシン政権)下でそれよりも限定的な民営化が計画 されていたが,現政権党=ペロン党の反対により,ほとんど進まなかったので あるから,この間の国内政治環境の急変が伺い知れる。 他方,ブラジルにおいてはコロル政権の民営化計画は,他の諸国では実施さ れている電力や電気通信分野も含めて公益事業での計画がなく,基幹産業の民 営化は計画されているが,それぞれの分野で国営企業が存在しなくなるわけで はない。例えば,鉄鋼部門では国営の持ち株会社SIDERBRASが保有する企業 9社のうち,USIMINASなど3社が売却されるが,残りの企業の売却は計画さ れていても労働組合の反対が強く実施のメドがついていなかったり,計画が具 17)岸本・山田・磯部,前掲論文,6ページ。
表5 主要8ケ国の貿易自由化 自由化 最:高関税率 関税率の種類数 平均関税率 計画開 始年 当初1992年末当初1992年末当初1992年末 非関税障壁の削減 アルゼンチンa 1989 65 30 ボリビア 1985 150 10 ブラジル コロンビアa チリ1e チリ2 メキシコ ペノレー 1990 105 35 29 1990 100 20 14 1973 220 10 57
1985 35 11 1
1985 100 20 10 1990 108 25 56 ヴェネズエラ 1989 135 20 4182
7 411
3 2 4 39b 15b 12C 7c 32d 21ti 44c 12e 94d 10d 35d 11d 24b 12b 66ci 18d 35C 10c 89−91の間に非関税障壁廃止 輸入禁止・許可制品目ほとんど 残らず 中間・資本財へのローカルコン テンツ要求残存 90年末,ほぼすべての事前許可 制廃止 70年代中に数量制限廃止 アンチダンピング規制の強化あり 輸入許可必要品目の範囲が85年 の92%から90年には18%に 90年9月,輸入許可・規制・禁 止,数量制限をすべて廃止 制限品目数が88年2200から92年 200へ削減 出所:Manuel R. Agosin and Richard Ffrench−Davis,“Trade Liberalization in Latin America”, CEPAL REVIEW NO. 50, August 1993, p 44 a:割増税を含む関税率 b:国内生産額での加重平均 c:輸入額での加重平均 d:単純平均 e チ)Jの第一期の自由化は1979年に完遂され,10%の単一関税率は1982年まで適用された。チリ1の 行の数字はこの期間のものである。チリ2の行は,1984年に単一関税率が35%に引き上げられてのちの 再自由化の数字。チり2の期間,85年に20,88年に15,そして91年に11%に引き下げられた。 18) 体化していない。 貿易自由化の進展について見ても,表5のように92年末段階で,ブラジルの それは最高税率35%,平均税率21%と最も高い水準にある。また,輸入許可制 ・輸入禁止品目は廃止されたものの,依然中間・資本財へのローカル・コンテ ンツ要求は継続されている。それに対し他の諸国では,単一関税率制を実施し, 数量制限を廃止したチリを最も進んだ例として,平均関税率は10%代に低下さ せられ,輸入制限品目の削減が進んでいる。この両者の差は,国家の国内産業 に対する保護育成政策への態度の違いを反映しているものである。これまでブ ラジルは国家主導の産業育成政策のもとで,単に輸入代替を進めてきたのみで はなく,製造業品輸出の拡大にも成功してきており,多様化した産業構造を確 立している。輸出は経済規模との比較では,アジアNIESに比べて低水準で 18)同上,39ページ。ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 193 しかないが,政府による製造業品輸出政策の成功という点では他のラテンアメ リカとは異なっている。この点で政府の経済介入への信頼度が高く,また既存 の産業を危機にさらすような政策転換への支持は強くはないのである。 II ラテンアメリカにおける市場志向型政策の性格 ラテンアメリカにおける市場志向型政策は,政府の市場への介入は経済にゆ がみ・非効率性をもたらすと考える自由主義的経済理論に基づくものだが,過 去の途上国の経済開発の経験上でその有効性が確認されたものではない。アジ アNIESの輸出志向型政策の成功は,世界市場の変動に的確に対応し,為替 レートのゆがみも小さかったという点で,市場志向的な面を持つ。しかし,そ の経験と現在遂行されているラテンアメリカのそれは,以下のように異なって いるものである。 第一に,国内市場保護政策の削減過程の環境が異なっている。台湾や韓国も 保護水準の削減を進めてきており,その水準は先進諸国のものに近づいてきて いる。しかし,それは輸出拡大を進めるにしたがって徐々に進められてきたも のである。それに対し,現在のラテンアメリカでは,輸入自由化が経済を効率 化し輸出を拡大する効果を持つものとは期待されてはいるが,直接的には国際 収支への配慮抜きに,輸出拡大や多様化のパフォーマンスとは無関係に行われ ている。つまりアジアでは最初に輸出拡大があって,輸入自由化が実施されて いたのに対し,ラテンアメリカでは輸入自由化が一方的に実施されている。 第二に,その導入の期間が異なる。アジアの場合,輸入自由化は1960年代半 ばから漸進的に進められてきたのに対し,ラテンアメリカの多くの場合長くと も数年間,急激な場合には一時に引き下げられている。この点は両者の改革実 施政権の性格の差,つまりアジアの政権がその時期国内の圧力集団のレソト・ シーキングの影響を排除しやすい独裁型のものであったことが漸進的改革を可 能としたのに対し,民政下のラテンアメリカではその影響を排除するために急 進的でなければならなかったことによるとも考えられる。しかし,漸進的政策 が国内産業の市場条件への調整・適合を推進していく機能を有するのに対し,
19) 急進的な政策は保護下で形成された産業基盤を破壊する可能性が大きい。しか もこれらの政策は産業・企業の調整余力が小さくなっている深刻な経済危機の なかで実施されたのである。 第三に,政府による輸出振興政策がとられたアジアの経験とは異なり,ラテ ンアメリカの場合,既存の輸出振興政策も同時に廃止される方向にある。すな わち目下の政策では,非伝統的品目輸出の拡大は,より自由な市場の機能が確 立された結果,経済主体が市場の示す利益獲得機会のシグナルに反応して生産 を行うという経路をへて自ずと生じるべきものであり,政府が有望産業をピッ ク・アップし,特別のインセンティブを設ける必要はないと考えられている。 第四に,今日のラテンアメリカ諸国の経験では,国内金融市場,資本取引の 自由化も同時的に遂行されている。アジア諸国では,それらは輸出での国際的 地位を確立した後の80年代において開始されたが,その進展はラテンアメリカ 諸国よりも遅れている。また現在は,国際金融市場の自由化が進んだ環境にあ り,そのことも市場志向型政策への転換後の経済の展開に影響を与えている。 このような環境下での急激な対外開放政策の採用は,産業の競争力水準から見 れば過大評価された為替レート水準をもたらす可能性が高い。海外資本は,民 営化政策などの政策転換に期待し,自由化された金融市場に投機的利益を目指 して流入してくる。国内の金融市場の自由化自体は経済実態と金利,為替レー トなどの金融指標の関連性を強化するために行われるのであるが,今日の国際 金融市場のもとでは,経済実態からはなれた投資判断によって為替レートが形 成される可能性をもたらすのである。事実,73年からのチリでは過大評価が発 生し,輸入を大幅に拡大する一方,輸出拡大を妨げたし,その後外資が流出す る過程で経済混乱をもたらした。現在でもメキ・シコ,アルゼンチンがそのよう 20) な状態にある。この事態は,政府が注意深く,輸出の障害とならない為替レー トの水準を維持してきたアジアの経験とは相違している。 19) Agosin and Ffrench−Davis, op. cit., p. 58. 20)メキシコは1994年,チアパス州での反乱直後,株式市場の暴落等,その種の危機を経験 している。
ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 195 以上のように,ラテンアメリカの市場志向型政策は,輸出拡大や競争力のあ る産業の形成に対しては,短期的にマイナスに働く側面をもっている。特に資 本流入による為替の過大評価化は,市場志向型政策がすべての方面で同時期に おこなわれることに固有の問題点である。これらの諸国にとって必要なのは金 融的所得による消費拡大ではなく,効率的な生産能力の構築なのである。その ためには市場の働きを重視しつつも,その働きを選択的に制限することも必要 なのではないか。チリの84年以降の第2段階の改革においては,資本流入を制 限する措置が合わせてとられ,このことが適正な為替レートの維持に寄与し, 21) 輸出拡大の要因となった。 従来構造学派の強い影響化にあった国連ラテンアメリカ・カリブ海地域経済 委員会(ECLAC)の政策提案も,全面的な市場志向型政策の採用に批判的で, 構造改革への政府の選択的・制限的役割を重視する方向で行われている。その 主張で,国際経済関係が発展している今日の状況において経済の国際化を推進 することの必要性,国家の過度の介入が経済への悪影響をもたらすことを認め ながら,過去の諸国の経済発展の例からして,戦略的な輸出産業育成などの面 22) で,政府が選択的・制限的な役割は積極的に果たすべきであるとしている。 III ラテンアメリカの開発戦略としての市場志向型政策の評価 市場志向型政策は,「失われた10年」を経験したラテンアメリカに,新たな経 済成長の可能性をもたらすものであろうか。この問題に対して,「失われた10年」 の責任がIMFや世界銀行の調整政策,構造改革政策,しいてはその根拠とな った自由主義的経済論にあり,市場志向型政策が今後の開発政策では有り得な いとする主張が存在する。80年代IMFや世界銀行の主導の下に数々の改革政 策が実施されたにもかかわらず,途上国の経済パフォーマンスが最悪のもので あったことにその論拠がある。しかし,80年代の経済停滞の原因は市場志向型 21) Agosin and Ffrench−Davis, op. cit., pp.48一一49. 22) J. Ramos, “Growth, Crisises and Strategic Turnarounds,” CEPAL Review No. 50, August, 1993. p. 75.
政策にはなく,それ以前の政府主導・輸入代替工業重視型政策のゆきづまりに あったことは明らかである。アルゼンチンの1976年の試みのように改革政策の 導入が,その後の一層の経済・社会混乱を招いた場合があることは事実である。 しかし,それは改革政策が既存の利益集団の抵抗を受け,完遂され得なかった ことによる。そして1990年代,ラテンアメリカ諸国の経済成長を左右している のは,かなり徹底した市場志向型政策導入が成されたか否かなのである。 また,市場志向型政策の導入は,社会保障支出の削減など低所得層を犠牲に し,対外開放政策などは自国資本,特に中小企業に打撃を与える側面を持つこ とも事実である。それに対し,ラテンアメリカの既存の開発政策は,先進国の 支配から脱出し,自律的国民経済を形成するという理想を体現していたのかも しれない。しかし,それは国内においては限られた特権層に利益を与え,それ がいきづまるにしたがって,所得分配の不平等など幅広い国民の生活に犠牲を 強いる性格をもっていた。ラテンアメリカ主要国で最悪の所得分配構造を持つ のは,政府主導型の政策がもっとも機能してきたブラジルなのである。市場志 向型政策の導入は,いきづまる輸入代替型政策にしがみつくレソト・シーカー の抵抗を打ち破り,新たな成長の道を見いだすための選択なのである。もちろ ん,そのことは外国資本やそれと提携する自国企業など,新たな利益集団を形 成するだけで,国民一般の生活水準の向上をもたらさない可能性がある。ただ 少なくとも閉塞状況からの脱却を果たすという点では意味のある選択である。 他方,先に述べたように,市場志向型政策は経済の構造転換(製造下品での 輸出競争力の獲得など)を急速に達成できるものではなく,また包括的な自由 化はそれに対してマイナスに機能する側面をも有している。この転換にともな う問題についてはニュアンスの差はあるが,かつて市場経済化を推奨してきた 世界銀行も,輸入代替工業化を主唱したECLACも,一単なるマクロ経済管理に 23) 留まらない政府の市場補完的・選択的介入を支持する見解で一致はしている。 市場志向型政策(政府に補完されたものでも)の評価上,残る問題は,それが 23)世界銀行の提案については,World Bank, World Development RCport,1991.を, ECLACのものについてはそれに属するRamosの,前掲論文を参照。
ラテンアメリカの市場志向型政策への転換とその性格 197 定着したとして,かつてアジア諸国が達成し得たような“政府の適切な誘導・ 経済管理”による輸出拡大を,東西冷戦が消失し,またアメリカの相対的地位 が低下し自由貿易へのコミットメントが減少していくという今日の世界経済の 環境下で,ラテンアメリカ諸国政府が達成しうる条件があるのか,ということ である。ラテンアメリカ諸国が成長のためには資本・技術を先進国から導入せ ねばならない経済であるということ前提した場合,市場志向型政策は,その成 長を先進国資本による人気投票の結果に委ねるということを意味しかねない。 メキシコによるNAFTA形成の決定や,他の諸国のアメIJカとの自由投資協定 の締結はこの投票に勝利するための行動と考えられる。 しかし,この投票による経済成長は,アジアの経験が示しているとおり,一 部の条件の良い国に集中する傾向があり,その他の成長はそこからの“成長の 玉突き現象”として時問差をもって実現する(実際メキシコやチリはAPECへ の加入によってそのアジアの成長の連鎖に組み込まれることを目指しているの だが)ものでしかない。このような成長への道は,市場経済の機能からすれば 当然の結論ともいえる。しかし,他の価値基準に立てば,たとえば多くの貧困 層の生活水準の改善をいずれ解決されればヨシとするのではなく,緊急の課題 と考えた場合,不十分さを持つものとならざるを得ない。ただし我々は,代わ りうる戦略の提示がないという今日の開発経済学の状況で,またそれが国民の 一定の支持を得て持続しえていることを考慮にいれれば,そのことによって安 易に市場志向型政策に否定的評価のみを下してよいものではないだろう。