経営 と経済 第84巻 第3号 2004年12月
物象化の進展 と貨幣資本の運動
181
高 倉 拳 夫
Abstract
AFrenchRegulationistdefinesthecapitalistsystem after1980'sas thefinance‑ledaccumulationsystem andpointsoutthatsystem isbe‑ comingtheextensiveaccumulationsystem.Thissystemhasitsbasison theevolutionofreificationofproductionrelationstodaywithaccom‑
panyingtechnicalinnovationandcumulatedfinancialassets.
ByMichaelUseem,Capitalisteconomycanbedividedintothree stagesfromtheturnlngpointof20thcenturytocontemporaryera,that is,familycapitalism,managerialcapitalismandinvestorcapitalism.And theageoffamilycapitalism wasalsotheageoffinancecapital.This papertriestoelucidatecommoncharacteranddifferenceofbetween thestructureoffinancecapitalandthemotionofcontemporarymoney capital.
Keywords:theoryofcapitalistregulation,finance‑ledaccumulation system,reificationofproductionrelations,founder'sprofit,investor capitalism
はじめに
ボワイ工は 「金融主導型蓄積体制」 として,1980年代以降の蓄積体制 を規定 してい る1)。 これまで,生産諸関係の物象化の概念を利用 して この蓄積体制 の理論イヒをす るための基礎作業を行 って きた。本稿では,19世紀末か ら20世 紀初頭の金融資本成立の時期 と,20世紀末か ら21世紀初頭の資本制経済は と
もに,支配証券 としての株式の所有に依 りなが ら貨幣資本家がより多 くの収 益を求めて行動 している点で共通 している。 しかし,物象化の進展の相違 と
いう点か ら見る と,貨幣資本家が よって立つ基盤はそれぞれに異っている。
以下では 『資本論』か ら出発 して,その ことを明 らかにしてい く。
ところで前稿2)で述べたように,マルクスが 『資本論』第3部第5篇 (章) で利子生み資本の規定を与 えている とき,それは資本蓄積あるいは拡大再生 産に必要な貨幣資本の供給を行 う信用に即 していた。そのことからさらに論 を進めると,第3部での利子生み資本の規定では,資本蓄積に対応する長期 利子率の存在を前提にして,資本 一利子範式 という一つの生産関係の物象化 の成立 とその批判を行 っている。すなわち,商業信用や銀行信用での短期の 貨幣資本の需給 にかかわる短期の利子率で物象化批判を行おうとしていた と はいえない。第3部第5篇 (章)および第7篇 (章)での,資本一利子範式 批判は,流通資本の節約にかかわる短期の貨幣資本の需給での物象化批判な のではな くて,長期の資本蓄積での物象化批判なのであ り,それは資本一賃 労働関係全体がそれ自体 としてさらに物象化 してい くことまでを視野に収め た物象化論であった。
ところで,ヒルファーデ ィソグは 『金融資本論』で産業資本 と銀行資本の 融合 としての金融資本を規定 している。そ して,銀行による産業の支配 とし てそれを とらえている。そ して,銀行 による創業者利得の例は,産業資本の 運動それ 自体の計算 とは別の,証券市場からの銀行 による貨幣資本の収奪 と
して捉えられるものであった。
これに対 して,1980年代以降の事態は,利子生み資本 としての物象化がさ らに進展 して リスクと収益の関係の中で安定的な収益を 目指す新 しい刺子生 み資本 (GIG′)の運動が産業資本へ浸透 して きていると表現することが できる。そして,新 しい利子生み資本の運動その ものを基礎 としなが ら,新 しい貨幣資本の運動 (G ‑G′)が産業資本の運動 に浸透 していき,また産
物象化の進展 と貨幣資本の運動 183
業資本 の運動 が新 しい貨幣資本の運動 (G‑G′)を通 じて表現 され る度合 いが一段 と進展 しているのである。 この事態は,20世紀への転換点で ヒルフ ァーデ ィソグが強調 した ような銀行 に よる産業 の支配 とは異 な る事態 であ り, この状況 を理論的に とらえてい くには物象化概念が有効であ り,さ らに 重層化 した物象化 とい う視点か ら 「金融主導型蓄積体制」 を分析す る ときそ の構造 の一面 が見 えて くる。
この ように,物象化 は現在 さ らに進んでお り,それを包含 した理論 が必要 である。
1)英語での表現は,finance‑ledaccumulationregimeまたは,finance‑drivengrowthre一 gimeである。たとえば,前者はGeoffreyM.Hodgson,MakotoltohandNobuharu Yokokawa(eds.),CapitalisminMotion :GlobalContentions‑ EastandWest,EdwardE1‑ gar,Cheltenham :UK,2001,p.117,を参照.また,後者は,RobertBoyer,TheFu‑
tu71eOfEconomicGrowth:AsNewBecomesOld,EdwardElgar,2004,pp.49‑50,を参照O ただ,物象化の進展を強調する本稿の立場からは 「金融浸透型番積体制 (finance‑
infiltratedaccumulationregime)」と規定する方がよりよいように思われる。
2)小稿 「利子生み資本と資本蓄積と物象化」『熊本学園大学経済論集』 9巻3 ・4号, 2003年6月,を参照。
1 物象化の視点から見た 『資本論』第3部での資本 一 利子範式と 『金融資本論』の重な りと相違
マル クスは第 3部第7篇 (章)の 「4)分配諸関係 と生産諸関係」で次の ように資本一 利潤範式 について述 べてい る2)0 「労賃 は賃労働 を前提 し,刺 潤 は資本を前提す る。つま り, これ らの特定の分配諸形態 は,生産諸条件の 特定の社会的性格 と生産当事者たちの特定の社会的諸関係 とを前提 す るので あ る。 だか ら,特定 の分配関係は,ただ歴史的に規定 された生産諸関係の表 現で しかないのであ る。」(KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.572],S.898‑99)0「しか し,規 制的な生産価格は,それ 自身 また,利潤率の均等化やそれに対応す るいろい
ろな社会的生産部面への資本の配分によって規制 されている ./だか ら,利潤 は,ここでは,生産物の分配の主要因 としてではな く,生産物の生産そのも のの主要因 として,資本および労働その もののいろいろな生産諸部面への配 分 として,現れるのである」 (KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.572],S.899)0
この利潤 と資本 との関係,すなわち利潤を生む資本か らは,不変資本にせ よ可変資本にせよ利潤を生む同一平面上の費用の要因 としてあ らわれる。 こ こでは,利潤を基準 として尺度 される,G‑G′としての資本の運動で表現 される生産諸関係の物象化,あるいは物象化 した一つの生産関係 としての産 業資本の運動の表現 としてのG・・・G′が述べ られている。
また,同じ第7篇 (章)の 「1)三位一体的範式」で資本一利子範式につ いて述べている。「この部分 に対立 して,次には利子が,労働者の賃労働に も資本家 自身の労働にもかかわ りな しに自分の固有な独立な源泉 としての資 本家 ら発生するように見 える。資本が最初は,流通の表面では,資本物神 と
して,価値を生む価値 として,現れた とすれば,それが今ではまた利子生み 資本 という姿でその最 も疎外 された最 も独特な形態 にあるもの として現れる のである」 (KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.537‑38],S.851)。あるいは,第 5篇 (章)で は次のように記 している。「われわれがG‑G′で もつりは,資本の無概念的 な形態であ り,最高の展相における,生産諸関係の転倒および物象化である」
(KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.312],S.462)0「利子生み資本において,資本関係はその最 も外面的で最 も物神的な形態 に到達する。 ここでは,われわれは,G‑G′, より多 くの貨幣を生む貨幣, 自己 自身を増殖する価値を,これ らの極を些全 旦旦過程なしにもつのである」 (KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.312],S.461)0「型壬生み資 本は,墜壁 としての資本にたいする塑互 としての資本である」 (KⅢ.[Ms.
Ⅰ,S.306],S.450)0
なお,第 5篇 (章)の 「1)」では,利子生み資本 について次の ように述 べている。「自分の貨幣を利子生み資本 として増殖 しようとする貨幣所持者 は,それを第三者 に譲渡 し,それを資本 としての商品にする。それは,それ
物象化の進展 と貨幣資本の運動 185
を譲渡する彼 に とっての資本 としてだけではな く,資本 として,剰余価値, 利潤 を創造するとい う使用価値 をもつ唾唾 として,第三者 に引 き渡 されるq) である」 (KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.289],S.416)0
『資本論』では, この資本の商品化の延長上 に,架空資本の一部 として擬 制資本が論 じられる。「5)信用。架空資本」の 「Ⅱ.」で 「擬制資本の形成 は資本還元 と呼ばれる。すべての規則的な収入が,平均利子率 に従 って,質 本が この利子率で貸 し出されたな らば もた らすであろう重量 として計算 され
る。」 (KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.336],S.522)と述べている。
同 じ 「Ⅱ.」で株式 について次の ように記 している。「先ほ ど見た ように, 信用制度は結合資本を生み出す。 この資本にたいする所有権 を表す証券であ る昼垂 ・・.。 しか しこの資本は二重に存在するのではない.すなわち,一度は 所有権原の,墜茎の資本価値 として存在 し, もう一度は これ らの企業で現実 に投下 されているかまたは投下 されるべ き資本 として存在するのではない。
それはただ後者の形態で存在するだけであって,株式は, この資本 によって 実現 され るべ き剰余価値 にたいす る所有権原で しかないのであ る」 (KⅢ.
[Ms.Ⅰ,S.337],S.523)0
ここでは貨幣資本家が,利回 りの比較の中で株式 をその投資対象にする と ころまでが書かれている。そ して,利子生み資本では長期の利子率が前提 さ れている と考 えると,資本の商品化あるいは貨幣の商品化の延長線上 に利子 生み資本 とな った株式が置かれている といえる。そ してそれは利潤分配証券 としての株式 までが とらえられている。そ して,支配証券 としての株式 まで は言及 されていない3)0
また,擬制資本概念の導入で,株式会社は,擬制資本価値の集合 として と らえ られ うるようにな る点,お よび同時に企業 自体が商品化 され うるように なる点 までは,時代の制約 もあ り言及 されていない。
なお,利子生み資本 としての貨幣あるいは資本の商品化では,その貸借関 係において貸 し手 と借 り手あるいは債権者 と債務者のみが存在す る。すなわ
ち,「所有は譲 り渡 されは しない」(KⅢ.[Ms.Ⅰ,S.290],S.420)0
次に,『金融資本論』での株式の水増 しによる創業者利得の例4)を見 ると, 擬制資本の総額 として実物資本か ら乗離 した企業価値が社会的に表現されて
いる。そこでの株式には 『資本論』の世界である債権者 と債務者の関係の延 長線上の利潤証券 としての株式に,新 しく支配証券 としての株式の側面が付 け加わっている。ヒルフ ァーデ ィソグの例では,支配株主は擬制資本の総額 と実物資本の総額 との差額を創業者利得 として取得するのであるが,そこで は擬制資本あるいは証券市場での株式価格の形成に見 られる利子生み資本の 運動 (G‑G′)は,G‑G′として表現される実物資本の側での価値計算 と 別個に存在 していた。両者の接触は,利潤そして配当が擬制資本総額に対 し て利子 として表現され るところまでであった。すなわち,資本 一利潤 として 表現 される物象化の世界と,資本 一利子 として表現 される物象化の世界 とは 相互に浸透することな く存在 していた。
しかし,1980年代以降では, リスク処理にかかわる金融技術の発展にも支 えられて発展 してきた資本 ‑刺子 (ここでは リスクに対応する収益 という意 味を含む)範式に見 ることがで きる物象化の世界は,資本 一利潤 という物象 化がG‑・G′としての表現 される実物資本の運動の世界に直接影響を与える ようになってきている。それは,た とえば原価主義から時価主義への会計の 転換の ような企業内部の会計への,金融市場での金融資産の価格変化の影響 だけではな く,G‑G'として表 される産業資本の運動その ものへ,金融市 場でのG ‑G′として表現 される貨幣資本の運動が直接に影響 を与 えるよう になっている。 このような直接的な影響を及ぼすことができる根拠は支配証 券 としての株式の側面 にある。 ここでは,金融市場での金融資産の価格に即 して見 ることので きるG‑G'という貨幣資本の運動の,産業資本の運動で あるG‑G′の会計への浸透 とい う面 ,すなわち金融市場 で見 ることがで きる物象化 が実物資本 の運動 の計算 としての会計 へ与 える直接的な影響 の上に,支配証券 としての株式の側面を基盤にして より多 くの収益を求める
物 象化 の進 展 と貨幣資本 の運動 187
G‑G′が,G‑G′としての資本運動 を維持 してい く企業経営 に直接の影響 を与 えるようになった。その現れがキ ャッシ ュ ・フロー重視の企業経営の思 考である. この面は,先に述べた リスク とリターンの処理 に係わる新 しい物 象化 に基盤をお く,G‑G′のG・・・G'への直接的影響 としての物象化の進展
といえよう。
この支配証券 としての株式の側面 にもとづ くG‑G′の直接的なG・‑G'へ の影響 にみることがで きる物象化の進展は,同時 に企業価値 が金融市場でた えず金融商品 として,あるいはそれを通 じて見直 されている,また評価 し直 されていることと対応 している。
なお,金融技術の発展によ り, リスク と収益 との関連 を処理 して よ り安定 的な収益の実現を図る現代のG‑G′を,1970年代 までのG‑G′と形式が同 じだか らといってその内容までを同一視することはで きない。その内容の変 化が新 しい物象化が実物の世界へ と浸透 してい くことと関連 している5)0
また,G‑G′においてその行動 が表現 され る貨幣資本家 も,結果 として は蓄蔵貨幣 と投資 との媒介者 として機能 しうるに して も,その出発点では能 動的な資本 として行動 していることに留意する必要がある。それは現荏では
G‑G′のG‑G'への浸透の上 に立 ってその行動 は成立 している。
2)『資本論』第3部 か らの引用では,MEGA,Ⅱ/4.2所収の,『資本論』第3部第 1稿の 草稿ページお よびMEGA版のページを記 している。訳文 は,第5篇 (章)では大谷禎之 介の研究によ り,また第7篇 (章)では岡崎次郎訳 (国民文庫版)を利用 している。
また,「三位一体的範式」の もつ意義 に関連 して,高須賀義博 「経済的 「三位一体範式」
の解剖」『経済研究』 (一楠大),38巻1号,1987年 1月, も参照。
3)利潤証券あ るいは支配証券 については,川合一郎 ・‑泉知永 『証券論入門 〔改訂版〕』
有斐閣,1972年,第3章 〔川合一郎〕,79ページ,を参照0
4)RudolfHilferding,DasFinanzkapital:EineStudietiberdiejiingsteEntwicklungdes Kapitalismus,Frankfurt:Europ畠isheVerlagsanstalt,1968, Ⅱ・Abschnitt,Die Mobilisiemng des Xapitals,岡崎次郎訳 『金融資本論』(上),岩波書店 [文庫],1982年,
「第二篇 資本の可動化 擬制資本」,を参照。
5) リスクに対する金融技術の発展を含んだ上で,すなわちそれに対す る リターン (収益) に即 して,その新 しい内容を明確 に した上で,利子生易資本 とい う概念 を現段階で も使 用す ることもで きよう。
2 宇野弘蔵の 「貨幣の商品化」と 「資本の商品化」の区別の意 義 と,支配証券 としての株式とかかわる貨幣資本の運動の重要 性について
上 に述べた ような 『資本論』の物象化規定 と現在の新 しい物象化 とを関連 づけるとき,宇野弘蔵の試みは示唆的な面 をもつ。
先に述べた ように,利子 うみ資本は長期の利子率 に対応 して規定 されてい るとする と,『資本論』第 3部第5篇 (章)の 「5)信用。架空資本。」 も資 本蓄積 と信用そ して長期利子率を基軸 とした構成になっていると考 えられる が,当時のイギ リス経済での金融市場の内容にも即 した形で商業信用 とその 代位 としての銀行信用の範囲内で信用の内容が理解 されて きた。 この短期の 利子率そ して信用 に即 した資本 一利子での物象化批判 を理解することと,長 期利子率の成立を背景に した資本 一利子範式での物象化批判 とは次元が違 っ ていることについて,宇野弘蔵は 「貨幣の商品化」 と 「資本の商品化」を区 別すべ きだ と主張 した。
宇野は株式 に即 して 「資本の商品化」を規定 している6)。 しか し, この こ とと,『資本論』第 3部 での資本 一利子範式での物象化の定式 に対する批判 とは必ず しも同 じではない.それだけを取 り出していえば,資本 ‑利子範式 の中に,株式に即 した 「資本の商品化」が含まれている。
しか し,宇野が長期利子率 と短期利子率の違いを強調 し,そ して株式に即 して 「資本の商品化」を理解すべ きことを主張 した とき,それは金融市場で の株式の流通において物象化の完成をいうだけではな くて,結果 としてその 主張は,企業それ 自体が株式 において商品化 されてい くことまでを視野に入 れた物象化論あるいは物神性論 になっていると考 え られる。
この企業それ 自身が株式を通 じて商品化 されてい くとする とき,この企業 はそれ 自身の資本 一賃労働関係を包含 しなが ら商品化 されている。 この意味 で,株式 に即 して資本の商品化 をいうときには,資本 ‑利子関係を背後 にお
物象化の進展 と貨幣資本の運動 189
きなが ら,企業それ 自体のすなわちその企業内部の資本 一賃労働関係 も含ん で,そ して支配証券 としての側面 をもちなが ら商品化 されていることになる。
その意味で重層的な物象化構造 にな りうることを 「資本の商品化」の規定は 示 している。
ただ,宇野は原理論の中では株式での 「資本の商品化」 まで しか取 り扱 え ない とした ときには,貨幣の商品化 と資本の商品化の区別 によって,物神性 あるいは物象化論の理解 にあてたであろう理論的な可能性を限定 して しまっ た。すなわち,原理論の中で株式 については利潤証券の側面を とらえるに と どまることにな り,物神性論の理解 もそ こに とどまることとな った。他方, 段階論では 『金融資本論』を踏襲 しなが ら銀行資本の産業資本 に対する支配 そ して創業者利得の発生において支配証券 としての株式を とらえている。 し かし,原理論 での 「資本の商品化」によって とらえ られた資本の物神性は, それがさらに どの ように発展 させ られ うるのか とい うことについては,段階 論での一般理論への禁欲 によって発展 させ られ得なかった。
ここで,資本の商品化 として とらえ られた資本の物神性 と段階論での支配 証券 としての株式は どの ように関連するのであろうか。そ こでは,創業者利 得7)に見 られ るようにG‑G′とG・‑G'の交錯あ るいは利潤証券 と利子生み 資本の交錯の結果を,支配証券 としての株式の所有者 (支配株主)が手中に 収めること自体が,資本の物象化が重な りあってい くことにな ることの理論 的意味には触れ られない。 ここでは,G‑G′がG・・・G′での会計 に直接 に影 響を与 えるとい うこ とではないが,株式擬制資本価格の総額が実物資本の総 額を上回 りまた諦離 しているとい うことで,G‑G′のG‑G′との交錯 を見 ることになる。株式会社はその ような諦離が生 じていることか ら水抜 きを行 わざるをえない ことになる。他方,支配株主はそれに対応す る創業者利得を 手 にしている。 この点で,支配株主は単なる貨幣資本家ではな く,あるいは 単 に商品 としての資本に対する利子を求める利子生み資本の所有者ではない ことか ら,G‑G′として この資本家が行 ってい る運動が表 され るにして も,
利子生み資本の運動 とは区別 してG‑G'と表す方が20世紀末から21世紀初 頭に起 こっている事態をより明確に とらえるためには必要である。
この ような,支配株主によるG‑G′として表現 される貨幣資本の運動 か ら得 られる創業者利得の獲得は,その後の経営者資本制 (主義)の時代には 株式会社 に帰属 してい くことになった。そして,1980年代以降は,貸借対照 表上の資本項 目の境界が一層ぼやけてい くとともにG‑G′として表 され る 貨幣資本の運動あるいは支配証券 としての株式に立脚する貨幣資本家の発言 力は再び強化 されている8)9)。 この点に19世紀末か ら20世紀初頭の金融資本 の時代 と現代 との相違 を見ることがで きる。同時にそこでは,新 しい物象化 の拡延 とともにG‑G′が優越するもとでの物象化の重層性が見 られるよう になった。
6)以下の宇野弘蔵 と関根友彦 との対話を参照。
宇野 それは資本がそれ 自身に生む もの としての利子 とい って よいで しょう。 これは貨 幣市場の利子を反映 しなければな らないので,それ 自身で利子率を決定するわけに はいかない。
関根 貨幣に対す る利子 が,いいかえれば貨幣市場での利子が,あ らか じめきまってい ては じめていえることなのですね。
宇野 そ うです。それを反映 しているわけです。 これは株券の相場の例を とればはっき りす る。株券その他の有価証券は この利子を基準に して相場を もつ,それで資本が 商品化す ることになる。そ うすると貨幣市場 と資本市場 との違 いが明白になって く
るわけです。貨幣市場のほうは貨幣を一定期間売買す るもの としてその利息がで き るわけです。資本市場ではその利息を反映 して,それを基準 にして,一定の収益 が 資本還元される。そ して資本な り (資本 といってもここでは有価証券なんかだが), あるいは土地 な りが,売買 される。 これは もう貨幣市場の利息その ものではないわ けです。反映 している とい うことになる。まさにそこに資本の物神性が形成され, 出現する。それがそれ自身に利子を生むもの としての資本です0
関根 それを資本の物神性 とよんでいるわけですか。
宇野 そ うです。マルクスもそれをやっているのだけれ ども,初めの出発点が悪いもの ですから,「梨の木に梨がなるように」 という変な比倫で貨幣の貸借を説いている。
・・・」 (宇野弘蔵 『経済学の効用』東京大学出版会,1972年,133‑34ページ。なお, 姓以外の太字は原文では傍点)0
なお,宇野はその原理論の体系性の保持のために,資本市場での長期の貨幣資本の需 給関係を捨象 して,短期の貨幣市場で成立する利子率によって株式な どの有価証券の‑
物 象 化 の進 展 と貨 幣資 本 の運動 191
定の収益 が資本還元 され るこ とを 「資本の商品化」 として考 えてい る。本稿 では,資本 市場 での長期 の貨幣資本の需給関係 か ら出て くる利子率 を基軸 に資本の商品化 を とらえ ている。 そ して,その こ とに よって資本制経済 での物神性 あ るいは生産諸 関係の物 象化 を よ りよ くとらえうるこ とになる。
7)創業者利得 については,馬場克三 『株式会社金融論 〔改訂増補版〕』森 山書店,1978年 ,
「第3章 株式会社の機構」,を参照。 また,20世紀初頭 のア メ リカ合州 国での株式の水 増 しと水抜 きについては,佐合紘一 『企業財務 と証券市場 ‑ア メ リカ株式会社金融 の成 立 ‑』 同文館,1986年 ,を参照。 そ して,当時の水増 しの実例 については,E.S.Meade, T7uStFinance,NewYork:D.Appleton,1903, も参照O
なお, 片山伍‑の設例は,創業者利得 が株式会社 に帰属す る過程 を示 している (「配 当 と創業者利得」『経済学研究』 [九州大],37巻1‑ 6号,1972年3月,お よび 「ヒル フ ァ デ ィソ グ 「創 業者利得」 の定式 について‑ 配 当 と創業者利得 (二 )‑」 同誌,38巻 1‑
6号,1973年 3月)0
8)マ イケル ・ユ シームは,20世紀のア メ リカ合州 国での資本制経済 を三 つの段階 に分 け ている。すなわち,一族資本制 (familycapitalism),経 営者資本制 (managerialcapital‑ ism),投資家資本制 (investorcapitalism)である.MichaelUseem,InvestorCapitalism:
HowMoneyManagersAyleChangingtheFaceofCorpwateAmerica,New York:Basic Books,1996,p.7,を参照。
なお,経営者資本制 に関連 して,AdolfA.BerleandGardinerC.Means,TheModem CorpwationandPrivateProperty,revisededition,NewYork:Harcourt,Brace&World, 1968,お よび,初版 (1932年) と同 じ1950年版 の邦訳 として,北 島忠男訳 『近代株式会 社 と私有財産 』文雅堂銀行研究社,1958年 ,を参照。 ただ し,1968年版 での本文 の変更
は少い。
また, ヨア ヒム ・ビシ ョフは,第三 の資本制 を株 主価 値 資本制 (DerShare‑holder valueKapitalismus)と規定 している (Joachim Bishoff,EntfesselterKaPitalismus,Tyms‑ formationdesewopdishenSozialmodells,VSA‑Verlag,2003,S.30‑53)0
9)貨幣資本家 の資金 は 自己資金 だけで はな く,年 金基 金 な ども大 きい。 ドラ ッカー は 1976年 に 「年 金基金社会主義」 について注 目してい る (ピー ター ・F・ドラ ッカー[佐 々 木実智男 ・上 田淳生訳]『見 えざる革命一乗た るべ き高齢化社会の衝撃一 』 ダイヤモン ド 社,1976年)0
また, ミシ ェル ・アグ リエ ッタ も 「資産所持 の蓄積体制」 として この事態 に も注 目し ている(MichelAglietta,"DerKapitalismusYonmorgen'',inEinneuesAkkumulation‑
sregime:DieRegulationtheorieaufdemPrdfstand,Hamburg:VSA‑Verlag,2000)0
3
物象化の重層性 とG‑G'
のG‑G'
への浸透前10)に も述べた ように,G‑G'のG‑G′への浸透 は,新 しい時価会計の 浮上 に見 ることがで きた。 また,キ ャッシ ュフロー計算書の財務諸表 への付 加 もその現れであ る。
また,G‑G′のG‑G′への浸透 の上 に立 って,G‑G′はG‑G′へ, すなわち機関投資家の ような貨幣資本家は経営者あ るいは産業資本家 に対 し て よ り多 くの収益 とそ して株価の上昇 を図るように圧力を加 える。この とき, 同時 にG‑G′のG‑G′へq)浸透は,企業の商品化 が一層進む もとで,すな わちG‑G'の基準の もとでG‑G′としての産業資本の運動の評価が行われ る。そ して,同時 にその評価がG‑G′による評価 と重な っているもとでは, 企業は常 に分解可能な存在 として表現 されているの と同時に,その浸透 は労 働力の担 い手であ る労働者の個別化 をさ らに進めてい くことになる。
19世紀末 か ら20世紀初めに金融資本 が登場 して きた時代では,創業者利得 に見 るこ とがで きるような形 で 「資本 ‑利潤」とい う物象化 と 「資本 一利子」
とい う物象化 との交錯 を見 ることがで きた。 しか しそ こでは,証券発行市場 でその ような交錯 が生 じて も,G‑G′がG‑G′での会計制度 にまで浸透 し てい くこ とはな く,二 つの物象化は交錯 しなが らも相互 に並存 したままであ った11)0
これに対 して現在の資本制経済では,同 じ交錯 が資本 一収益 (刺子) とい う物象化 が,資本 一利潤 とい う物象化 に対 して優越 しているような物象化の 重層構造 として現 れている。そ してそ こでは,株式 は資本の動員の手段 ある いは資本蓄積の手段 としての役割を希薄化 させ12),支配証券 としての機能を よ り強め るこ と (G‑G′)で,重層化 してい る物象化 が企業経営へ浸透す ることを促進 し完成 させてい く。そ して,その影響 は貨幣および産業資本家 の意識だけでな く,労働者の意識 に も影響 してい くこととなる13)0
物 象化 の進展 と貨幣資 本 の運動 lt13
10)小稿 「新 しい物象化 と貨幣資本の運動」『経営 と経済』 (長崎大),81巻3号,2001年12 月,を参照。
ll)この点については,津守常弘 『会計基準形成の論理』森 山書店,2002年,394‑395ペー ジ,を参照。
12) 1980年代か らのアメ リカ合州国では,新株発行 よ りも市場 か らの 自社株の買戻 しのほ うが大 きかった点については,William LazonickandMaryO'Sullivan, "Maximizing ShareholderValue:A New IdeologyofCorporateGovenance'',EconomyandSociety, vol.29,no.1,Feb.2000,p.23,を参照。なお,同論文の第1表 (p.27)によると, 1980‑98年では株価上昇益 (stockpriceyield)が配当益の4‑ 5倍 になっている。
13)ボワイ工は,北欧の事例 を参照 しなが ら,情報通信技術 (ICT)の発展 がアメ リカ合 州国の ように個別化傾 向をもた らす とはいえない としている (Boyer,ibid.pp.66‑67, な ど)0
む す び
新 しい物象化の もとでの蓄積体制は安定的 とはいえない構造 をしている と ともにまだ展開途中で もある。 しか し,G‑G′の優越,あるいはG‑G′の G‑G′への浸透 に見 られ る貨幣資本の運動の優位 は,現在の資本制経済の 進行 にたいしてある方 向づけを行 うようにも見える。その点か ら見 る と,物 象化あるいは疎外の視点か ら 「金融主導型蓄積体制」あるいは 「金融浸透型 蓄積体制」を見 る ときに見 えて くる構造 をさ らに確定 してい くことが必要 と なる14)15)0
14)この点で,山之内靖 のシステム社会論 あるいは総力戦体制論 は興味深 い問題提起 を行 っている (『システム社会の現代的位相』岩波書店,1996年 ,あるいは,『日本の社会科 学 とヴ ェ‑バー体験』 ミネルヴ ァ書房,1999年,を参照)0
15)なお,ウル リヒ ・ペ ックは次の ように述べている。「産業資本主義モデルにおいて政治 的な ものの陰 に存在す る広告 ,管理,消費,科学,私的な こ とといった決定領域 が,皮 省的な リスク近代 においては政治的な対立の嵐 に巻 き込 まれ るのです。 なぜそ うなのか とい うことを理解 したい人は,つ くり出された危険の文化的,政治的背景を考 えな くて はいけません。/ 危険 もまた主体性 と歴史が外化 され,束 になった ものです。 ・・・誰 か が機械 の廃止のための機械 をつ くろうとした場合,その人は生態系の 自己危険化 とい う
ものを用いな くてはいけないで しょう。 自己危険化は,その止揚を求めて叫ぶ物象化で す。 この ことが,正直に認める と世界 リスク社会におけるサブ政治のわずかなチ ャンス なのです」 (島村賢一訳 『世界 リスク社会 ‑テロ,戦争,自然破壊 ‑』平凡社,2003年, 131‑132ページ)。