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現代マレーシアの
コミュナリズムに関する一考察
西 口 清 勝
内 容 1 分析視角
II 新経済政策と人種間の不均衡の是正 IIIコミュナリズムの果たす役割
1 分析視角
(1) (2>
なにごとも最初が肝心だというが,本稿のテーマであるマレーシアのコミュナリズムの 問題に接近する場合も例外ではない。われわれは問題への接近の仕方=分析視角にとりわ け注意を払う必要がある。
コミュナル
すでに萩原宜之氏の指摘があるように,現代マレーシア社会の矛盾は人種間の利害と階 (3) 峨
級間の利害の相互のからみあいとして現象している。従ってコミュナルな視角とともに階 級的視角が是非とも必要であるにもかかわらず後者の分析視角から接近するものは僅少で (4)
あり,そのことが現代マレーシア社会の科学的分析を阻げているようにみえる。イギリス 植民地支配下の時代から今日に至るまで 第2次大戦直後のマラヤ連合案(後述)を唯 一の例外として マラヤ(マレーシア)における政治的支配はコミュナリズム(人種別 割拠主義)を通じて 各人種を横断して勤労大衆が統一した政治的力を形成するのを阻 (5)
止するため人種に従って分断する うちたてられてきたということができる。
本稿は現代マレーシア社会を特徴づけているこのコミュナリズムの問題に階級的視角か ら接近する試みである。
ところで,コミュナルな視角は以下述べるようにマラヤ(マレーシア)社会の成立の経 緯と今日の現実に根ざしている。
現代のマレーシアは「土着」のブミプトラBumiptra(土地の子を意味する)と自称す るマレー人と移民ないしその後:喬である華人(中国人)およびインド人がほぼ5.5対3.5対 (6>1の割合で構成する典型的な「複合民族国家」(multi−racial nation)の一つであるが,
単に複数の人種によって構成されているばかりでなく各人種が社会的(産業別・職業別)
にも空間的(都市=農村間,州別間)にも一近年次第にそのパターンはくずれつつある とはいえ 画然と分離されている(communal segregation)という特徴をもっている。
改めて言うまでもなく以上のことはイギリスによる
第1表:マラヤの輸出に占める 植民地支配(1874−1957年)の所産である。イギリス
植民地支配下のマラヤはゴムとスズの典型的なモノカ ルチュア経済であり,アメリカのすぐれたマラヤ研究 者エマーソン(Rupert Emerson)をして「マラヤの 繁栄がゴムとスズに依存する程度は驚くべきものだ…
…世界市場に依存するゴムとスズが繁栄の基礎であり,
必需消費品の大部分を輸入にまつのだから実に危険だ。
アメリカの景気不景気は貿易に支配されると言うが,
マラヤでは景気どころか生死まで貿易に支配されるの
である(P)と言わしめるほどのものであった(第1表参照九
ところで,
ゴムとスズの割合
(%)
年 ゴ ム ス ズ 合 計
1906 3.8 29.7 33.5 1916 26.8 20.1 46.9 1929 46.7 19.5 66.2 1937 54.1 21.5 75.6 1947 59.1 8.2 67.3 1957 46.7 10.7 57.4 1960 54.5 10.7 65.2
このマラヤのゴムとスズのモノカルチュア経済に特徴的なことは,
による移民=労働政策による「人種別分業体制」と称すべきものを随伴していたことであ る(第2・3表)。インド人移民(印僑)の多くはゴム・エステートの労働に従事しチー部 が都市の専門的職業やサービス業にたずさわり,華僑はスズ鉱業や一部農業に従事するも のを除けば多くが都市に住み商業その他を生業とすることになった。他方マレー人は,イ ギリスのマレー人に対するパターナルな政策(就中,マレー人保留地法Malay Reserva・
tion Act,1913年)により伝統的な農村社会にとどめおかれ米作やゴム栽培に従事したの
(8)
であり,都市に住むマレー人は少数であり彼等は官吏や軍人・警官等になった。
第2表:マラヤのエステート労働力の人種別構成
(出所)Lim Chong・Yah, Eooηo〃沈 1)θ〃610ρ彿6鋭(ヅM∂4θγ%ル勉伽タα,
1967,p.325.
イギリス
(%)
年 労働力合計(単位1,000人) インド人 マレー人 中国人 その他
1921 279 77.8 4.9 16.4 0.9
1931 200 73.5 2.8 23.1 0.6
1947 326 50.1 20.9 28.7 0.3
1957 290 52.8 18.6 28.2 0.7
1965 283 48.5 22.6 28.7 0.2
(出所)Kernial S. Sandhu,1%伽ηs∫ηル下下α So〃z6・4砂θ6な(ゾη初γ乃%城9勉一 ガ。πθπ4S6〜けZε〃z6π 1786−1957,1969, p.257.
第3表:マラヤのスズ鉱業労働力の人種別構成 (%)
年 労働力合計(単位1,000人) 中国人 インド人 マレー人 その他
1901 159 97.0 O.3 2.6 0.1
1913 200 96.0 3.0 1.0 一
1914 172 95.4 3.4 1.0 0.2
1936 81 82.4 11.1 4.9 1.6
1957 34 67.7 15.0 15.6 1.7
(出所)Kernial S. Sandhu, oゑ6舐, P.280.
現代マレーシアのコミュナりズムに関する一考察 第4表:都市化における人種間の相違(1931−70年)
61
(%)
都市人口の割合 人種別都市人口の割合層
年
マレー人 華人 インド人 合 計 マレー人 華 人 インド人 その他
1931 P947 P957 P970
5.3 V.3 P1.2 P4.9
. 24.0
@31.1
@44.7
@47.4
17.5 Q5.8 R0.6 R4.7
15.1 P8.9 Q6.6 ス8.7
17.3 f19.0 Q1.0 Q7.6
54.0 U3.1 U2.6 T8.4
17.5 P4.7 P2.8 P2.7
11.2 R.2 R.6 R.1
(出.梶jDipak Mazumdar,7物{万∂研五αわoγ1吻娩6 侃4動60〃261)癖励纏。η ・4 S孟%のげ 1レZ諺勿s凌z,1981,p.16. ・
第1図 西マレーシアの人ロ分布(1970年)
繋ノ
6。
1000
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●
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POPULATION
● 10000
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300000
100。
102。
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102。
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104。
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JOHOR Kulai●BAHRU
、 6。
4。
も
ら
2。
S置NGAPORE
104。
(出所)J.C. Jackson and Martin Rudner(ed.), Issues in Malaysian Development,
1979,P. xiv.
その結果,都市化のすすんだ西部駿州(ペラ,セランゴール,ネグリ・センビラン,ペ ナン,マラッカ)には非マレー人(特に華人)が,北部や東部の農村肥州(プルリス,ケ ダー,ケランタン,トレンガヌ,パハン)にはマレー人が住むというパターンが形作られ ることになった(第4表,第1図)。
以上の社会的・空間的分離が各人種に固有の宗教,言語,風習あるいは習慣と結びつく とき「人種毎の分割(communal divisions)は『人種』の相違(racial differences)に コこユニアイ
よってのみ決まるものではない。各人種社会は各自の宗教,言語,風習および習慣をもっ ている。このことが自然に国民的統合への極めて深刻な障害を形成することになる。それ はある種の『文化的』諸問題(特に言語)が今日のマラヤの最もむずかしい政治的問題の (9)
いくつかを構成するに至る理由である」というラトナム(R.J. Ratnam)の主張が強い 説得力を有するように見えることになる。
マハティール(Mahatir bin Mohamad.現マレーシア首相)はこうした事情をもっと 直載にかつて次のように述べたことがある。
「マレーシアには三つの主な人種が存在するが,それらは実際何の共通点もない。それ ぞれの顔つき,言語,文化,宗教が異っている。……マレーシアの大多数のものにとって 人種間の対話はない。彼等の多くは互に隣人関係さえもない。彼等は異った世界に離れて カンポン
住んでいる。華人は都市に,マレー人は集落に,そしてインド人はエステートに住んでい る。人種を忘れさせるような要因はどこにもないのである。したがって『人種を忘れなさ (10)
い』と唱える人々は無知であり,かつ人を惑わす不心得ものである」。
こうしたコミュナリズム(人種別割拠主義)が人種間の不均衡(特に経済的格差)の自 覚と結びつくとき,マレーシアの社会をめぐるあらゆる問題は,主として農村に住む貧し いマレー人と都市に住む豊かな非マレー人(特に華人)との間の深刻な利害の対立から生 (11)
ずる,という見方が不可避的に生まれてくることになる。
しかも,注意すべきはマレーシア社会のあらゆる問題をもっぱらコミュナルな視角から 理解しようとするのは,マレーシア(マラヤ)政府の公式見解でもあるということである。
(12)
そのことはマラヤ独立の過程をみるとよく理解することができる。
第2次大戦後まもなくこの地に復帰したイギリスは,その伝統的な親マレー人政策=マ レー入優遇政策(マレー人の特権を承認するもの)を放黙し,々ラヤを祖国と考えるもの 全てに同等の市民権iを与えるという「マラヤ連合」(Malayan Union)案を提起した。こ れに対し,非マレー人に比して経済的にも社会的にも弱い存在であることを理由に反対し マレー人の特権を擁護するためにこれまでイギリス植民地支配に忠実に協力してきたマレ ー人「貴族・行政エリート」(aristocratic−administrative elite) の指導下に結成された のがUMNO(United Malay, National Organization,統一マレー人国民組織)であり,
UMNOを中軸としそれと協力する華人およびインド人の上層階級の影響下に各々結成 されたMCA(Malayan Chinese Association,マラヤ華人協会,のちにマレーシア華人
現代マレーシアのコミュナリズムに関する一考察 63 協会と改称)とMIC(Malayan Indian Congress,.マラヤインド人会議 のちにマ,レー
シアインド人会議と改称)の3つのコミュナルな政党の連携からなる連盟党(Alliance)
が1957年に同国を独立に導いた。
従って,国家の最高法規としての憲法(1957年成立,施行) それはコミュナリズム
「丸出.し」の憲法といわれる にマレニ人に対するさまざまの「特権」の規定があるの はあやしむにたりない(「特権」の内容は,公務,奨学金,その他の教育・訓練の機会や 便宜,経済活動のためのライスセンスや許可証などにおける一定の割合をマレー人のため (13)
に確保するというものである)。
こうしたマレーシア(マラヤ)政府公認のコミュナリズムが一層明僚になるのは,マレ (14)
一シアにおける「一つの時代の終りと新しい政治的段階への突入」を意味すると言われる あの「人種暴動」以降のことである。それについては節を改めて述べることにしよう。
II 新経済政策と人種間の不均衡の是正
独立以来のマレーシアにおける最大の事件,それは言うまでもなく1969年5月10日の総 選挙につづく13日夜首都クアラルンプールでマレー人と華人およびインド人との間におこ
った衝突=「人種暴動」(comrhunal riot,いわゆる5月13日事件)である。
翌5月14日にマレーシア政府によって非常事態宣言が下せられ(1971年2月迄継続),
15日には非常事態宣言下での行政の全責任を負う「国家運営評議会」(NOC, National Operation Council)を設置,ラザク副首相がその議長に任命されラーマン首相に代って ㈲
実権を握った(1970年9月,ラーマン首相の引退に伴い首相に就任)。
ラーマンが各人種社会のバランスに一定の配慮を払ったのに対し,ラザクは憲法に明記 (1⑤
されているマレー人の特権;マレー人優先の立場を鮮明にしていった。
ラザクはまず①マレー人の特権,②国語としてのマレー語,③マレー人スルタンの地位,
④市民権の4つの事項は「徴妙な問題」(sensitive issues)であり入種的感情を刺激する という理由で公開討論を禁止する「非常事態(基本権i限)令」を公布(1970年7月),次 いで国家統合のイデオロギー=「ルクネガラ」(Rukunnegara, Prindples of the Nation)
(17)
を定め(1970年8月)マレー人優先を前提にした国家統合に非マレー人の協力を要請した。
こうしたイデオロギーを具体的な政策にしたもの,それが1970−90年の長期にわたる
「新経済政策」(NEP, New Economic Policy)であり,第2次マレーシア計画(1971−
75年)から実行され,第3次(1976−80年)を経て現在第4次(1981−85年)が進行中で
ある。
新経済政策の目的は,(1)貧困の根絶(eradication of poverty)と(2)雇用および株式保
有の人種別構成を変え人種間の不均衡(racial imbalance)を是正して社会の再建を行う こと,の二つである。
64
以下,「人種暴動」がおこった直後の1970年をとって新経済政策と同政策が構想された 時点でのマレーシア経済の実態をみてみることにしよう。
第5表はマレーシアにおける貧困の度合いを示すものである。マレーシア政府の推計に よれば,1970年における西マレーシアの全世帯の実に約半分(49.3%)が「貧困線」(pov一
(18)
erty line)以下=絶対的貧困の状態にあった。中でも農村の貧困世帯の割合は都市のそれ を優iに二倍はこえており,ゴム小農,米作小農その他農業をあわせると貧困世帯の60.2%
を占めていた。新経済政策の目的の一つは,1970年に49.3%もある貧困世帯を1990年には 16.7%に減少させることにある。
第5表:西マレーシアの貧困世帯 (単位:1000)
1970年 1990年(目標)
全世帯数 貧 困
「帯数
貧困世帯の割合
@(%)
貧困世帯の構成比
@(%)
全世帯数 貧 困
「帯数
貧困世帯の割合
@(%)
貧困世帯の構成比
@(%)
農 村 1,203.4 750.9 58.7 89.2 1,689.7 388.9 23.0 75.6
農 業 852.9 582.4 68.3 73.6 908.8 241.5 26.6 46.9
ゴム小農 350.0 226.4 64.7 28.6 417L.2 100.1 24.0 19.5
オイル・パ
[ム小農 6.6 2.0 30.3 0.3 22.8 0.7 3.0 0.1
ココナツ小農 32.0 16.9 53.8 2.1 28.4 7.7 27.1 1.5
米作小農 140.O 123.4 88.1 15.6 133.4 40.0 30.0 7.8
その他農業 285.9 185.6 64.9 23.5 266.2 77.! 29.0 15.0.
漁 民 38.4 28.1 73.2 3.5 40.8 15.9 39.0 3.1
その他産業 350.5 123.5 35.2 15.6 780.9 147.4 18.9 28.7
都 市 402.6 85.9 21.3 10.8 1,381.1 125.0 9.1 24.4
鉱 業 5.4 1.8 33.3 0.2 5.5 1.0 18.2 0.2
製造業 84.0 19.7 23.5 2.5 406.2 31.0 層 7.6 6.0
建設業 19.5 5.9 30.2 0.7 56.7 7.1 12.5 1.4
輸送・公共事業 42.4 13.1 30.9 1.7 128.5 11.1 8.6 2.2
商業・サービス業 251.3 45.4 18.1 5.7 784.2 74.8 9.5 1.6
合 計 1,606.0 791.8 49.3 100.0 3,070.8 513.9 16.7 100.0
(出所)Kevin Young and others,ル勉勿吻 070 飾αη4 Eσ%∫ちノ伽α漁Z≠勿。刎So碗顔1980, PP.
61−62.
ところで,マレーシア においては単に貧困世帯が多いだけでなく,社会的不平等(ine−
quality)も大きい,いな両者は表裏の関係にあると言ってよいだろう。第6表が示すよ うに,上位5%で西マレーシアの全所得の28.3%,同じく20%で55.7%を占める反面,下 位20%の人々はわずか3.5%を手に入れるにすぎないのである。ジニ係数も0.513と相当に 高い数値を示している。
このようにマレーシアにおける貧困と社会的不平等二貧富の格差にはいずれも相当に深 刻なものがあるが,それらは決してマレーシアだけに固有なものではなく発展途上国に広
く一般的な現象であると言ってよい。
マレーシアにおいて特徴的なこと,あるいは貧困と不平等の問題を複雑にしているのは
現代マレーシアのコミュナリズムに関する一考察 第6表:西マレーシアの人種別所得分布(1970年)
65
平均月額所得 iマレーシア
@ ・ドル)・
平均世帯
l 数 ジニ係数
下位20%
ы〟i%)フ所得
下位40%
フ所得ы〟i%)
上位20%
フ所得ы〟i%)
上位5%フ所得
ы〟i%)
世 帯
平 均 }レー人 リ 人 Cンド人
サの他 、
264 P72 R94 R04 W13
5.34 T.07 T.82 T.42 S.42
0,513 O,466 O,466 O,472 O,667
3.5 S.3 S.8 T.0 O.5
11.5 P3.2 P3.8 P4.8 Q.2
55.7 T1.6 T2.6 T4.0 U8.2
28.3 Q4.0 Q5.5 Q8.2 Q6.0
個 人
平 均 }レー人 リ・ 人 Cンド人
サの他
50 R4 U8 T7 P85
==一 0,498 O,455 O,454 O,500 O,707
4.3 T.2 T.3 T.0 O.5
12.3 P4.8 P4.3 P3.7 Q.3
54.8 T2.2 T2.8 T6.7 V5.5
28.5 Q4.6 Q6.8 Q9.5 R1.0
(出所)Kevin Young and others, oゑ6鉱, PP。104−105.
人種間の所得格差がこれとからんでとりあげられることである。
前掲の第6表が示すように,華人世帯の平均月額所得394マレーシア・ドルに比べ,マ レー人のそれは半分以下の172マレーシア・ドルにすぎず,インド人のそれに比べても大 きく劣る(個人所得についてもほぼ同様のことが言える)。マレー人の約3分の2が貧困線 (19)
以下であるのに,華人の場合は26%,インド人は39%が各々貧困線以下にある。
ここから,貧困の問題を解決するためマレー人の所得を優先的に引きあげマレー人と非 マレー人との所得格差;人種間不均衡を是正するという新経済政策のもう一つの目的がで てくることになる。
ところで,すでにふれたようにマレーシアにおいては各人種は社会的(産業別・職業別)
にも空間的(都市二農村間,州別間)にも分離されているという特徴をもっていた。従っ て,都市化のすすんだ西部諸州と北部や東部の農村諸州との所得格差,あるいは伝統的な 産業・職業と近代的なそれとの格差は,マレー人と非マレー人との間の人種間所得格差と (20)
一義的に結びつけて理解される強い傾向がある。
新経済政策がマレー人の多い農村開発に力を入れるとともに,人種間の所得格差を是正 するために農村から都市への人口移動を促進し農村の貧困世帯を減少させる一方,同時に 近代部門の急速な成長をはかりその雇用増加を優先的にマレー人にふりむける(二人種別 (21)
雇用構造の変革)ことを企図している理由はここにある。
リム(Lim Lin Lean)の調査研究(1967年時点)によれば,①農業部門と非農業部門 の所得格差は約1対2から1対3,②最も所得の高い州と低い州との格差は約3.5対1,
③都市と農村との所得格差は約2.5対1,④マレー人と非マレー人との所得格差は約1対 2,であるという(ρこの調査結果をふまえてリムは,農業と非農業間,州別間,および都 市と農村間という種々のタイプの所得格差が人種間の経済的不均衡と一致していることこ そがマレーシアにおける所得格差の問題に特別に重要な意義を与え,強い政治的関心を惹
(23)
起するものであると結論づけている。
こうした人種間の不均衡に「強い政治的関心」を示したものとして,マパティールの
『マレージレンマ』(1970年)をあげることに大方の異存はないであろう。
マハティールは「1969年の選挙までに,あらゆる分野の人々は政府に対して持っていた 幻想をうちくだかれていた。マレー人は幻滅を味わった。というのは,政府は引き続き華 人に対して有利な政策を行い,不均衡な人種間の富と発展を是正することに失敗していた からである。マレー人は自分達の不満を現わしつつ,非マレー人に対する敵意をつのらせ ていった_…マレー人と非マレー人との間のみぞは依然として存在し,容赦なく深まった(24」)
と「人種暴動」の背景を説明し「もし,マレーシア経済に占める絶対的な華人の支配の前 に何ら障害物も置かれないとすれば,国はまちがいなく繁栄するだろう。マレー人のジレ ンマは,マレー人が裕福な国の貧しい市民であることに甘んじて自助努力をストップして しまうか,もしくは,たとえそれによってマレーシアの経済的未来図が若干不透明になる にせよ,この国の裕福な人達の域に達するよう努力するかのどちらかを選択するかにある。
マレー人にとっては,ただの経済的ジレンマがあるのではなくてマレー人自身のジレンマ があるように思われる(25v)
ニマレー人に対しもっぱらコミュナルな視角からその未来図を示 したのである。こうしたコミュナルな見解の信奉者が現在のマレーシアの政権を担当して いるのである。
III コミュナリズムの果たす役割
前節においてわれわれはもっぱらマレー人と非マレー人との人種間の格差是正というコ ミュナルな視角からマレーシアにおける貧困と社会的不平等の問題をとらえようとする新 経済政策およびその他の諸見解をみてきた。
なるほど新経済政策の実施に伴って,絶対的貧困世帯は1970年の49.3%から43.9%
第7表:西マレーシアにおける所得分布の ジニ係数(1957−70年)
1957−58年 1967−68年 1970年
マレー人 0,342 0,400 0,466
華 人 0,374 O,391 0,455
インド人 O,347 0,403 O,463
全 体 0,412 0,444 0,502
都 市 0,429 0,447 0,494
農 村 0,374 0,399 O,463
(出所)D.R. Snodgrass,璽Trends and Patterns in Malaysian Income Distribution 1957−1970 , in David Lim(ed.)、配召認初gs oη漁勿吻η E60一 ηo〃zづ01)θz/6102り耀鋸ち1975,p.255. p.258, p.261.
(1975年)さらに29.2%(1980年)へ と減少しその成果をあげていることは ㈱
事実である。
しかし,その一方で社会的不平等=
貧富の格差は是正されないばかゆか一 層拡大している。スノッドグラス(D.
R.Snodgrass)は,都市内部や農村内 部に加え「これまでめったに議論され たことがなかった各人種内部における
(27)
所得分配の問題」についても調査を行 った。その調査結果(第7表)は,.独
現代マレーシアのコミュナリズムに関する一考察 67 立以来1970年までの間にセレーシア全体のそれのみならず,マレー人,華人およびインド 人のいずれの人種内においても所得分配の不平等化が進行する傾向にあることを示してい
た。
この傾向は新経済政策の実施にもかかわらず というより実施に伴ってと言うべきで あろうが 一向に改善されることなく継続している(ただしインド人のみは例外,第8
表参照)。
新経済政策が採用している人種間の不均衡を是正するという方策をもって,なぜ社会的 不平等の問題を解決することができなかったのか。次にその理由を考えてみよう。
第9表は,西マレーシアの州別,都市=農村別および人種別の所得分布が所得の不平等 に対してどれだけ寄与したか(どの程度その原因として確定できるか)を調査したもので ある。この調査結果は,もっぱらコミュナルな視角からマレーシアにおける貧困や社会的 不平等の問題に接近しようとする見解を根底からくつがえすものである。
なるほどこれまで指摘されてきたように,州別間,都市;農村間および人種間の所得格 差はいずれも大きいけれど,①マレーシアにおける所得の不平等に対する州別間の格差の 寄与度はわずかに9こ口②同じく都市=農村間の寄与度も14%にすぎず,③人種間の格差 のそれはこれまたわずかに13%にすぎないのである。
第8表:西マレーシアの平均および中位の世帯当り所得
(1970年の不変価格:マレーシア・ドル)
1970年 1973年 1976年 1979年
年間上昇率(%)1971−79年
マ 平 均 所 得 172 209 237 309 6.フ
レー
中 間 値 120 141 160 200 5.8 人 割 合 1.43 1.48 1.48 1.55 1.16
華 平 均 所 得 394 461 540 659 5.9
中 間 値 268 298 .329 383 4.1 人 割 合 1.47 1.55 1.64 1.72 1.44 イ 平 均 所 得 364 352 369 467 4.9
ンド 中 間 値 194 239 247 314 5.5 人 割 合 1.57 1.47 1.49 1.49 0.89 そ 平 均 所 得 813 1,121 870 1,132 3.8 の 中 間 値 250 306 270 331 3.2 他 割 合 3.25 3.66 3.22 3.42 1.19
農 平 均 所 得 200 233 269 355 6.6
中 間 値 139 159 180 230 5.8 村 割 ・ 合 1.44 1.47 1.49 1.54 1.14 都 平 均 所 得 428 492 569 675 5.2
中 間 値 265 297 340 368 3.7 市 割 合 1.62 1.66 1.67 1.83 1.41
(出所)Mohamad Ariff,更The Fourth Malaysia Plan:Evolution and Evaluation, United Nations, E60πo〃zあ、8%1鰯勿プ∂γ、4∫劾α%4魏θ、翫。哲6, Vo1. XXXIII, No.1, June 1982.
P.66.
第9表:西マレーシアの州別・都市=農村別・人種別所得分布(1970年)
州 お よ び
s市と農村 マレー人 華 人 インド人 その他 1全人種ス 均
所得の不平等に対す 髏l種間の寄与度
@ %)
ペ ル リ ス 26 40 16 10 26 一
平 ケ ラ ン タ ン 25 86 88 24 28 一
均月額 ト レ ン ガヌ 29 95 59 294 32 一
ケ ダ 一 28 54 38 36 35 一
所 ジ ョ ホ 一 ル 33 55 51 210 44 一
得 ペ ラ 32 62 41 299 47 一
多 マ ラ ッ カ 35 64 51 77 49 一
レーシ ヌグリセンビラン 33 80 59 854 53 一
ノぐ ハ ン 40 77 74 50 53 }
ア ペ ナ ン 37 59 59 341 54 一
●
ド セランゴール 57 89 73 369 78 一
を 西マレーシア平均 34 68 57 185 50 一
大 都 市 77 92 92 328 92 一
都 市 50 70 56 122 62 一
農 村 地 域 30 55 44 124 38 一
ペ ル リ ス 0.38 0.26 0.07 0.45 0.39 8
ケ ラ ン.タ ン 0.43 0.47 0.50 0.63 0.47 14
ト レ ン ガヌ .0.42 0.51 0.56 0.66 0.46 16
ジ ケ ダ 一 0.40 0.43 0.43 O.50 0.44 12
ジ ョ ホ 一 ル 0.43 0.39 0.41 0.60 0.44 13
ペ ラ 0.44 0.43 0.42 0.52 0.47 13
二 マ ラ ッ カ 0.44 0.44 0.48 0.38 0.47 9
ヌグリセンビラン 0.43 0.43 0.46 0.49 26
ノぐ ハ ン 0.44 0.38 0.45 0.42 0.46 14
ペ ナ ン 0.40 0.47 0.48 0.52 0.48 15
係 セランゴール 0.49 0.48 0.56 0.53 0.52 9
西マレーシア平均 0.46 0.45 O.50 0.71 O.50 13 大 都 市 0.45 0.49 0.56 0.53 0.51 6
数 都 市 0.44 0.44 0.49 0.68 0.46 5 農 村 地 域 0.43 0.40 0.41 0.79 0.45 11 所得の不平等に対する
各州間の寄与度(%) 8 5 6 48 9 一
所得の不平等に対する
都市=農村間の寄与度(%) 12 6 11 13 14 一
(注)大都市は7万5千人以上,都市は1万人以上7万5千人未満,農村地域は1万人未満の各々人口 を有する。
(出所)Kevin Young and others, oか6鉱, pp.106−107.
言い換えれば,①州別間,②都市=農村間および③人種間のいずれの格差も,マレーシ アにおける所得の不平等の原因の一小部分を成すにすぎないのであって,その主原因は各 人種に共通して高い数値をあらわすジニ係数に示されるように,各人種内部の所得の不平 等にあるということになる。華人とマレー人との所得格差は約2対1だが,高いジニ係数 が示すように最も富裕な華人上位20%の所得は最も貧困な華人下位20%のそれの10倍をは
現代マレーシアのコミュナリズムに関する一考察
第10表:西マレーシアの職業別・産業部門別所得分布(ユ970年)
69
平均月額所得(マレーシア・ ドル) ジ ニ 係 数 所得の不平等に
マレ
[人 華人
イン
h人
そのシ 全人種ス均 マレ[人 華人
イン
h人
そのシ 全人種ス均
対する人種間の 与度 (%)
西マレーシア平均 118 209 180 574 163 0.48 ,0.49 0.47 0.70 0.51 9 都市 大 都 市 243 256 285 928 267 O.46 0.52 0.52 0.59 0.53 5 都 市 170 214 204 419 201 0.48 0.49 0.45 0.58 0.49 2
農村
農村地域 104 177 137 394 128 0.45 0.45 0.39 0.78 0.47 9
就 雇 用 者 422 769 720 1772 739 0.68 0.49 、O.56 0.33 0.52 3
被雇用者 143 179 168 843 167 0.48 0.45 0.44 0.63 O.48 7
業 自営業者 89 235 225 88 134 0.40 0.43 0.51 0.54 0.48 24
別 そ の 他 83 150 160 361 118 0.51 0.50 0.52 0.62 O.54 11 専門・技術職 319 459 567 1026 424 0.34 0.38 0.49 0.51 0.42 13 職 行政・管理職 574 740 411 2659 669 O.52 0.48 0.50 0.31 0.53 17
事 務 職 238 292 289 266 272 0.37 0.36 0.39 0.36 0.37 2 販 売 職 118 269 206 316 220 0.47 0.51 0.52 0.72 0.53 8
業 サービス職 172 167 149 665 169 0.40 0.49 0.43 0.52 0.46 4 農 民 84 214 160 55 101 0.37 0.43 0.48 0.36 O.42 22 別 農業労働者 74 108 99 35 87 0.37 0.31 O.22 0.34 0.33 8 製造業労働者 132 171 180 464 160 0.40 0.40 0.30 0.62 0.40 4 農 業 82 163 124 50 95 0.39 0.45 0.44 0.38 O.43 13
農業生産物 81 139 114 997 103 0.36 0.38 0.30 0.67 0.38 17 産 鉱 業 220 221 183 1640 223 0.36 0.41 0.28 O.29 0.40 7 業 製 造 業 104 190 178 762 165 0.49 0.51 0.40 0.57 0.52 8
部 建 設 業 200 212 181 194 205 0.41 0.41 0.25 0.14 0.39 0
門 公共事業 194 302 243 787 232 0.23 0.24 0.36 0.27 O.34 10
別 商 業 129 290 231 637 238 0.47 0.52 0.53 0.68 0.54 9 運 、 輸 185 225 230 512 211 0.34 0.30 0.32 0.55 0.33 6
、 サービス業 242 266 278 951 268 0.43 0.50 0.55 0.59 0.39 7 所得の不平等に対
度
する各州間の寄与
@ (%) 一 一 一 } 一 9 3 5 n。a. 8 一 所得の不平等に対
する都市=農村間
フ寄与度 (%) 一 一 } 一 一
9 3 11 9, 10 一
所得の不平等に対 度
する就業別の寄与
@ (%) 一 一 一 一 一 8 18 7 28 12 一 所得の不平等に対
度
する職業別の寄与
@ (%) 一 一 一 一 一 37 25 35 60 32 一 所得の不平等に対
する産業部門別の
与度 (%) 一 一 一 } 一 27 7 14 32 16 一
(出所)Kevin Young and others, oP. cit., PP.108−109.
るかにこえており,マレー人の場合にもほぼ同じことがいえるのである(前出第6表参照)。
従って,もし新経済政策のめざす人種間の所得の不平等が仮に是正されたとしても,各 人種子での,またマレーシア社会全体での所得の不平等の問題は依然として残るというこ
70
(28)
とになる。
第9表が個人当り(per capita)所得(世帯所得÷世帯人数)を表わしているのに対し,
第10表は,職業別および産業部門別の所得分布を調査する目的のため,稼得者当り(per earner)所得を表わしている。
稼得者当りの所得が所得の不平等に対する寄与度は個人当りの場合よりもさらに小さく,
①州別間では8%,②都市=農村間で10%,③人種間で9%を各々成すにすぎない。
次に, ④就業別(雇用者・被雇用者・自営業者の別)の所得格差の人種間の所得格差に 対する寄与度をみても12%と小さく,⑤産業部門別の寄与度も同様に16%とわずかなもの である。⑥職業別の寄与度が相対的に高い値(32%)を示しているが一般に考えられてい るほど大きなものではない。
これまでふれることがなかった人種間の不均衡を是正するために株式所有の人種別構成 を変えるという新経済政策のもう一つの方策についてここでみてみよう。
それは,1970年にはマレー人2.4%,非マレー人34.3%,外国人63.3%というマレーシ アにおける株式所有の比率を1990年にはマレー人30%,非マレー人40%,外国人30%に変 えようとする野心的な試みである(第11表参照)。しかし,新経済政策が謳っている目的,
つまりこうした人種別株式所有の比率の変化がマレーシアにおける人種間の経済的不平等 ㈱
に寄与する割合は,実際にはわずか1%にも達しない0.16%との推計があるとおり殆んど 全く無意味なのである。それはリム(Lim Mah Hui)の調査研究(1974−76年時)がす でに明らかにしているように,所得分布の場合のジニ係数よりも株式保有の場合のジニ係 ⑳
数が0.847という極端に高い数値を示していることからも十分首肯しうることである。
以上これまでの検討結果から明らかになったことは,コミュナルな視角から社会的不平 等の問題を解決しようとする新経済政策の方策は失敗せざるをえないということである。
そして,現代マレーシアにおける主要な利害の対立は,新経済政策に体現されているより な人種間のそれではなくて,各人平内での従ってマレーシア社会全体での階級間のそれと いうことになる。現代マレーシアにおけるコミュナリズムはこの階級間の対立を隠蔽し,
人種間のそれに目をそらせる役割を果していると結論せざるをえない。しかし,こうした
第11表:西マレーシアにおける株式資本の所有 (単位:100万マレーシア・ドル)
1970年(実績) 1980年(推計) 1990年(目標)
金 額 % 金 額 % 金 額 % マレー人
@ 個人
@ 法人 マレー人
O国人
125.6
@84.4
@41.2
P,826.5 R,377.1
2.4 P.6
O.8 R4.3 U3.3
3,273.7 P,128.9 Q,144.8 P0,544.1 P2,505.2
12.4 S.3 W.1 S0.1 S7.5
24,009.7 T,914.2 P8,095.5 R2,012.9 Q4,009.7
30.0 V.4 Q2.6 S0.0 R0.0
20.9 Q3.5 R9.0 P8.8 P3.3 5,329.2 100.0 26,323.0 100.0 80,032.3 100.0 16.7
(出所)Hua Wu Yin, oρ6鉱, P.173およびKervin Young and others,⑫碗, P.69.
現代マレーシアのコミュナリズムに関する一考察 71 コミュナリズムの克服は,プサチュアリー(J.J. puthucheary)も言うとおり決して容 易なζとではないけれども。
「政治家たちは貧困の問題をあたかもコミュナルな問題として取り扱う。そのため経済.
学者は明白なこと,即ち貧困はコミュナルな問題ではないということを強調する必要があ る。政治家のス白一ガンは統計が入手できる場合には所得統計によって誤りであることを 証明することができる。しかし感情的および雌治的な立場は統計によってめったにくつが
⑬1)
えされることがないものだ」。
〈注〉
(1)本稿では西マレーシア(半島マレーシア)を中心に分析する。
(2)Communalismを研究社『新英和大辞典』(第5版,1980年)は「地方自治主義」と訳しているが,こ の場合適訳とは言えない。故須山卓教授が採用された「偏狭な」という形容詞を冠した「人種別割拠 主義」という訳語にわれわれも従いたいと思う。須山卓「マレーシアのブミプトラ政策とコミュナリ ズム」,『経営と経済』第55巻第4号,227−228ページ。
(3)萩原宜之・高橋章著『東南アジアの価値体系4一マレーシア・フィリピン』昭和47年,13−14ページ。
(4)マレーシアのコミュナリズムに関する代表的な研究として,K. J. Ratnam, Co〃z〃z%紹薦彿伽4伽 Po〃伽1ル066ss∫ηル勉ム卿,1965およびW. R. Roff,7物0㎏循(ゾル勉旧く励加αZs珈,1967,が ある。また研究状況をサーヴェイしたものとしては,John A. Lent(ed.)1三三s勉%S %4装θ∫ Pz召s6%
Kηoω 6晦6侃61〜6s6α名6ぬ7物π礁1979.所収のCharles Hirsc㎞anの論文がすぐれている。わが 国における研究業績としては次の諸労作をあげるヒとができる。萩原宜之「マラヤのコミュナリズムと 国民的統合」,『国際政治』第36号,中野秀一郎「現代マレイシアにおけるいわゆるコミュナリズムと 国家統合について」,『外務省調査月報』第17巻第3号,同「現代マレーシアにおける政治的リーダー シップの史的特性分析」,『東南アジア研究』第15巻第2号,戸谷修「東南アジア近代化論とその課題」,
『社会学評論』第24巻第2号,長井信一『現代マレーシア政治研究』昭和53年。
また階級的視角から接近するものとして以下の研究を参照した。J. J. Puthucheary,0ω鰐鴬吻 α%400勿zo1丁丁6漁乙のα%Eooηo勉第 1960, chp. D(, S, Husin Ali,.ル刎の1㍗αsα窺So6渉のαη4 五θα4θ納玖1974,B. N. Cham,℃lass ahd Communal Conflict in Malaysia, ノ∂躍ηα1(ゾCo漉〃z一 ρo勉η遵吻,Vol.5No.4, M. Stenson,く℃1ass and Race in West Malaysia, B〃1励η(ゾCoη一 .o翻64五s加So乃。勉㎎Vol.8, No.2. Hua Wu Yin, C伽s伽4 Co吻膨㎜1醜勿ル勉彪夕吻,1983.
なお,藤根栄美子「複合民族社今マレーシアを現地にみる」,『月刊アジア・アフリ々研究』第23巻第 8号,は好リポートであり大変参考になったことをつけ加えておきたい。
(5)Hua Wu Yin, oゑ。鉱, P.2.
(6)西マレーシアの人口構成である。1979年の西マレーシアの人口1,105万人の内訳は,マレー人54%(596 万人),華人35%(385万人),インド人10%(114万人)であった。J. M. Gullick,.ル勉丁子」Eooηo雛 ゴ6助αηsガ。ηαη42》zあ。躍z1 島形z∫ちる 1980, P.257.
(7)Rupert Emerson,漁勿吻」4 S 幼 勿D加6 αη41η4吻6 R嘘,1937, P.186,深沢正策訳『南方 諸国の統治』昭和17年,97ページ。
(8)イギリスの対マレー農民政策については,Lim Teck Ghee,琵αs侃 αη4魏6〃・497」6π伽雇 E60ηo一