• 検索結果がありません。

両大戦 間期 日本貿易構造分析 の再検討

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "両大戦 間期 日本貿易構造分析 の再検討"

Copied!
34
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

法経研究 35巻304号 1987

両大戦 間期 日本貿易構造分析 の再検討

一一「戦間期 日本経済構造の変化 と金解禁政策」研究の覚書一一

山 本 義 彦

は じ め に

1.起点一一両大戦間期認識の古典的方法

2.展開一一名和貿易三環節論

3。 その後の諸業績一一問題の再発見

4.若千の実証分析例の検討

5。 両大戦間期貿易構造分析の方法

は じ め に

「日本はもしも合衆国に生糸の販売が,またインド及びイギリス植民地に綿製品の販

売が,も う不可能 とな り,鉄,石,兵器を購入するための信用(CreditS)をえること ができな くなれば,2〜3週間にして崩壊することとなろう」(Freぬ Utley,ルゆ%'̀

F彦 0/C′y,Fabr and Fah Limited,1936,P,36)

1930年代 中葉一一 日中戦争前夜 の 日本資本主義 につ いて,イギ リス (人)の

立場か ら検討を加 えた フレダ・ ア トンーは,この よ うな文章 を しるしてい る。

生糸 と綿製 品を外貨 獲得資源 とし,重化学工業資 材を海外か ら調達す る構造 を もった 日本 の貿 易 と産業 の特徴 づけ は,この時以来今 日に至 るまで,戦前 日本 経済研究 の貴重 な遺産 とな って きた。

ところで,この時期 までの 日本経済 は,かな りの高成長 を遂げていた ことも よ く知 られてい る。

「 日本はドイツのように,1934〜36年には,妨害を一つも受けることなく膨 脹 を つづけた:賃金は安定的だったし,物価は世界物価の上昇率 と合致して い た の で あ

(2)

両大戦間期 日本貿易構造分析の再検討

る。しかしながらドイツとはことなって拡大にとっての多 くの刺激は円の切 り下げ CdNttati叩)の結果 として,国際的に得 られた利益によるものであった」 (軌舒leS・

P.Kindleberger,r滋 Ⅳ誡aD̀ク後扇銘 ゴρ2ク1%ク ,California University Press, 1973,p.242,石 崎昭彦・木村一朗訳『 大不況下の世界1929〜1939』 東京大学出版会,

1982年,213ページ)

日本 の1930年 代初頭 におけ る景気 回復 の要 因が,国内 と国外 の双方か ら与 え られた ことは多 くの論者 に よって確認 されて きた。 国内要 因 としての賃金 の低 位安定 は,財政膨張リフ レーシ ョン政策 の展開に もかかわ らず,実現 した の であ るが,それ は次 の よ うな事情 に よって も説 明されてい る。

「生糸生産 の減退は一般的な農業不況と合わさって,何十万 とい う若い婦人 を 労 働 市場に赴かせた。婦人の賃金は急落し,工業の拡張は賃金水準に何の上昇圧力も加え ずに行なわれた。 か くも大量の労働の移動が賃金上昇を伴なわずに生じるとい うこと ,きわめて異例のことであり労働組合運動の弱さだけがそれを可能にしたのであ った。 その純結果 として,国民所得に占める利潤の割合は大幅に増加し,多額の自発 的な企業貯蓄が政府の支出を相殺してインフレーションを防 ぐことになったのであ J OV.Atthr Lewis,E"物 滋εS%″η 」ρ」ρ〜おけρ,George Allen and Unwin Ltd.,19491 Harper and Row,1969,P。 120,石崎昭彦・森恒夫・馬場宏二共訳『世 界経済論』新評論,1969年 ,157ペ ージ)

国外要因 としていえば,先にみたキ ン ドルバ ーガーのい う「 円の切 り下げ」

に よる貿易拡大が きわめて大 きな役割をはた した であろ うことは,周知 の事実 に属す る。 この貿易拡大 の重要性 は,スウ ェーデ ン と並 び,国際的 に もめ ざま しい ものであ った。

「 国際的にみてスウェーデンがいかに恵まれた立場に置かれていたかは,日 本を別 と すれば,1932年か ら1936年にかけて 輸出が工業生産量 よりも大幅に増加した唯―の 国 が ス ウ ェ ーデ ンで あ った 事 実 か ら,明 白 で あ る」 (Ho Wo Alrndt,T滋 ユ卿卿蒻 ε Iso蓉 o/′ Nれグ′蒻 ‐r″成委,Frank Cass and Collllpal■ y Limited, 1944,

third in■pression 1972,p.215,小沢健二0長部重康・小林襄治・工藤章・鈴木直二・

石見徹訳『世界大不況の教訓』東洋経済新報社,1978年,278ペ ージ)。

以上,みられるように,1930年代前半 の 日本経済は,貿易活動の急進展 とあ いまって,世界恐慌にあえ ぐ他 の先進諸国 とは対照的な,経済拡大をなしとげ ていったのである。その貿易活動において,際立 った活躍を示 したのは,綿

(3)

法経研究35巻304号 1987 であ り,また一時 はげ しい落 ち込 みをみせた とはいえ無視 しえない地位を持諄 した絹業 であ った。

生糸 と綿紡製品の輸 出を基軸 とす る費易構造,高度な経済発展テンポをもつ 工業活動,この二重性を統合 した 日本経済像について考 えるな ら ばは た し ,経済 の高度発展が,貿易構造にいかなる変化をもた らしたか,とい う問題 が生 じるであろ う。生糸 と綿製品輸出の比重がいぜんとして高 く維持 された と しても,これを背景 としつつ,産業発展によって貿易構成が どのような変化を みせたか,とい うことを解明す ることである。そのためには,従来の,この時 期にかんす る貿易構造分析の方法が,いかなる意味において有効であるか,あ

るいはまたその限界は何かを検討 してお く必要があるであろ う。

本稿は捨 うした観点に立 って,別に準備 している「両大戦間期 日本貿易構造 分析」の実証作業のひとつの前提 として,まず両大戦間期の 日本資本主義にか んす る古典的な認識 と,ほぼ これに対応す る貿易構造についての理解をあきら かにし,ついで,戦4Cl余年にわた るこの時期 の貿易構造分析 の諸業績が上 の 両者を どのように継承 しつつ新たな問題視角を提起 してきたかをフ ォローし,

さらにそれ らの研究 との連繋において,実証方法を新に組み立ててみることと したい。 この作業はまた「戦間期 日本経済構造の変化 と金解禁政策」の究明の ための準備作業の一環 ともなる。

1.起 点 ―一 両 大 戦 間 期 認 識 の 古典 的 方 法

両大戦間期の 日本資本主義の展開過程を どのように把握すべ きか,をめ ぐっ

,いくつかの議論が交わざれてきた。そ うした議論の中で今 日,いぜん とし て古典的地位を占めているのは山田盛太郎『 日本資本主義分析』(1934年) の主張であると考えられる。山田の主張は,つぎの表現に明確にみ られる。

本書においては産業資未権立あ通達を撹走することに,ひとつの董妻なる力点が

おかれ てい る。 この過程 は,ほぼ明治三十年 ない し四十年 を3̲l期す る 所 のす な わ

(4)

両大戦間期 日本貿易構造分析の再検討

,工に 日清 日露両戦争の時期を貫串する所の過程であって,これに よって,日 資本主義の軍事的半農奴制的型制は 終局的に決定せ られる。特殊的,日本資本主義に おけるかかる過程が,同時に,帝国主義転化の過程でもあ りまた金融資本 としての 構成を とる過程 で もあることは,当該の特質の然 らしめる所である」(「序言」岩波文 庫版,傍点引用者, 7ページ)。

「産業資本確立過程において軌道づけ られてゆ く構成の 構造的(諸範疇,諸編成)把 握に よってのみ戦後の一般的危機における構造的 (諸範疇,諸編成)変化が合理的 に把握 され うる。 したがって,産業資本確立過程の把握に よって,その同時的規定た る帝国主義転化金融資本成立 (=確)の過程の把握が可能にされ るのみに止 まら ,ま,それに よってその先駿 としての原始的蓄積,産業革命,ならびに,そ 後続 としての一般的危機 (構造的変化)の把握が可能にせ られか くして,日本資本 主義の全生涯の把握が合理的な らしめ られる。 /まことに,本書においては,産 資本確立の過程を規定す ることに,鍵,見出している」(同上, 9〜10ページ)。

み られ る よ うに,その方 法 に よれ ば,産業 資 本 確 立 過 程 に よ って うち 出 され る 日本資 本主 義 の基 本 型=「型 制 」が一般 的 危機 の 日本 に お け る現 わ れ を解 明 し うるとい うの で あ る (こ こにいわ れ る二般 的 危機 の段階 は さ しあた りほぼ 両 大 戦 間期 に対 応 し よ う)。

この よ うな方 法 に も とづ く,両大 戦 間 期 の認 識 は,

「半農奴制的零細耕作か ら流れ出る厖大なる半隷奴的賃銀労働者群 を消磨的に用 い う るがために技術的進歩は阻止せ られ例えば,絹業三分化工程の主導者なる製糸業用 の労働手段は今 もなお手工的の ものたるに止 ま りまた綿業三分化工程の主導者たる 紡績業用の労働手段は今 もなおほ とん ど国内生産行われずに止 ま りその他に も適応 的な技術阻止があ り,ひいては一般の金属工業=機械器具工業 (工作機械=旋盤製 作 は本来はこれに包含せ られ る)の発達は阻碍せ られるに至るとい う,そ れ らのことを 基調 とする所の一般的な生産低位の事情に。依拠 しなければな らなかった。……以 上の如 くに して,工作機械=旋盤製作の劣位=低位が必然化せ られた。(165ページ)

とい う理 解 ともあい ま って,一般 的 危 機 の も とで要 請 され る合 理 化 につ い て つ ぎ の よ うな判 断 を与 え てい る。

「 いわゆる合理化 とは軍事的半農奴制的金融資本は,一般的危機の時期において,

その全機構的な規定的な危地か ら脱せんがために強行する所 の全機構的な規模での 労役強化のす方法であるか らこの場合に,第一に,それ の,半農奴制的零細耕作基 調 の諸 々の労役型を分解せ しめる積粁 としての意義 と第二に,それの,労働貴族層

(5)

法経研究 35巻3・4号 1987 の地盤を掘 り崩す要因としての意義 とを,看取すべ きである。」「労役型の分解 軍需 工業動員法を起点 とする軍事装備迫進を表徴する製鉄鋼の躍進は半農奴制的零細耕 作基調の諸型分解 と逆比例的に行われた。C212ページ)「労働貴族層の地盤壊須  本型合理化は組長な どのいわゆる役付職工を再編成 しこれに よる制規統轄 の至烈化 に基 くことをその本質 とする…。 その特質は,衛備統轄員 の厳選を基準 として安賃銀 の不熟練職工に よる高賃銀の熟練職工の代位を強行せ しなることの裡に存する。 ここ

に労働貴族層の狭随地盤壊碩,大衆左化 と上部右イヒとの二重行程を見 る」(212〜 213ペ ージ)。

とす れば,両大戦 間期 ■一般的危機 の段階 こ竹 は,産業革命 に よって確立 し た 日本資本主義 の分解=解体過程 として把 握 されね ばな らず,何よ りも 日本資 本主義 の高度化再 編そ の ものが,その基本型 に背馳 して展 開 され るべ きことか

,まさにそ のゆ えに,崩壊 を運命づけ る もの とみな され てい るのであ る。

「軍事的半農奴制そのものがそのものの故に破綻に向 うことこれである」(212ペ ,傍点引用者)。

以上のような重化学工業的再編の構造的不可能性とならんで,日 本「労役型」

を決定づけた諸型そのものの「型の分解」が準備されていたのである。すなわ ,

 「養蚕破綻 と農村解体の危機」(1920年及び29年恐慌による破綻 と,特約取 引の進展による養蚕農家の大製糸資本への従属=「ナポレオン的観念」基礎

の壊須表徴)

 「織物業破綻 と農村解体 の危機」(1920年を転機 とす る分散的 自宅的生産か ら協業的統一的工場生産への転化)

 「製糸業破綻 と農村解体 の危機」(糸価 の1920年 惨落,29年末決定的崩壊)

 綿糸紡績業 におけ る「 中国=イ ン ド市場 の展望を もつ ことの危機的性質 」 の四つ の障害が示 され る。

「一言にすれば日本資本主義の根帝たる所の一方養蚕,製,絹織の三分化

工程を串く絹業における所の危機的性質は,簿かに,米国資本主義の搾取条件に繋 り, また,棉,紡綿織の三分化工程を串 く押業における所の危機的性質は,ま,

植民地国の民族的抗争に繋がること。これが重点である」(以,①〜④を含めて78〜

86ページより写1用)。

(6)

両大戦間期日本貿易構造分析の再検討

かな り冗長 とも思われ る長い引用を行ってきたが,これ らの引用か ら,あ て要約す るまでもないほ どに,山田の把握は明解ではなかろ うか。すなわち, 産業資本確立期の姿が,一般的危機における日本資本主義の行 く方を示す こと, 重化学工業的再編のす じみちは,初=産業資本主義段階において封殺されて お り,にもかかわ らずそれが進行す るとすれば,日本資本主義の「型」に背馳 ,そのゆえに解体を運命づけること,それ らと並んで「 日本資本 主 義 の 根 帯」た る絹 0綿 二部門もまた一般的危機の進行に よる破局が準備され る。

ここでは,山田の認識方法の全般を問題にしようとす るものではな く,限 的に,一般的危機の段階=両大戦間期の 日本資本主義にあっては,重化学工業 的再編の不可能性,むしろ「型制Jに対す る反逆=否定作用 としてこの再編が 位置づけ られる,とい うことを確定 してお くことができると思われる。

2.展 開―一 名和 貿易三環 節論

山田の分析を基礎 としながら日本資本主義の対外依存関係を,貿易実態の 特質にそ くして展開をはかったのが,名和統一『 日本紡績業 と原稿問題研究』

(大同書院,1936年)であった。 とくにその補説第二章「 日本に於ける原料問題 と外国貿易一一 日本経済国際依存性の分析一一 」において,「第二 日本経済 再生産過程 と外国貿易」の項で,大,次のように叙述されている。

「資本主義国に とって世界市場への依存は常に不可避的であるのであるが更 に 其 の国が根本的に原料基礎を鋏如 し其の国の工業化に当って外国原料を輸入せねばな らず,労働力の輸出以外に本来原本的に輸出し得 る殆んど何等の自然恩恵に浴 して いない場合には,其国の世界市場への依存は更に決定的である。 後進国 日本に於ける かか る輸出依存率の大,貿易依存率の大は 国内市場 の極端な狭隣性 とともに正にか ヽ る事情に基因するものと云はなければならぬJ(452〜453ページ,傍点引用者)。

そればか りではなく,労働力・in 制においても,「半封建的零細農耕」を基盤 とする「非独立的・家計補充的子女労働の低労賃こそ正に日本工業の拠って立 つ労役基礎土壌なのであ り日本輸出貿易の槙粁をなすのである。/日本の国

(7)

法経研究35巻3,4号 1987 土 と日本人の労働 とを以て生粋 日本製品として世界市場に登場 し得 る殆んど唯 二 の商品たる生糸は,正に農家副業=養蚕労働の結晶であ り,国内に原料基礎 を持たず して,世界市場制覇を達成 し得た 日本繊維工業は,不熟練であって も 至廉な子女労働力 と最新の機械生産設備の組合せの威力を最 も発揮 し得たに因 るものであ り」,、 さらに為替インフレーシ ョンの 波にのって 輸出氾濫をみせた ものは,「機械を使用す るよ りは寧ろ無制限労働時間収取にその基礎を持 って スウェッテ ィング・ システムの凝結」としての中小零細雑貨工業であった,と す る (458ページ)。

こ うして,「 原料 のみな らず,技術 の点 よ り見 て も重工業 は未 だ 日本 では『 輸 入産業』た る域を脱 し得ない のであ る」(459ペ ージ)。 :  

ここに名和 の理解が山田の『 分析』を基盤 とし,それを貿易関係か ら照射 し た ものであ る ことを確認す ることがで きよ う。 この認識 を基礎 として,貿易三 環節論 を展 開す る。 いわ く,

第一環節(対),日本の国土か ら原本的に輸出し得る唯一の商品なるを以て「 日本 貿易機構の起点」 としての生糸輸出(奢移品)=「 最も大衆的な衣料用原料」綿花輸入。

「生糸の輸出がなければ棉花の輸入はなされ得ず棉 花 の輸入がなければ,綿製品の 世界市場輸出は有 り得ず,緊迫せる重工業用原料輸入をなし得ない……。 生糸輸出は 日本貿易の従て又 日本経済の『 アキレスの踵』である」( Unequal trade")(463〜467 ペ ージ)。

第二環 節 (主として 日・ 英 帝国間)綿=重工業用原料。人絹,雑,毛織物輸 出 もあ るが,原料 基礎 が何れ も欠如 してい る点 で綿製品 と同す 。 また販路は「 凡てが英 国の支配に属す るとは云へないが・…殊に新市場の著 しき部分が,英国の属領であ

,英国の支配に属す るところ」

「 日本の輸出商品が,土着工業保護を楯に,又英帝国経済充実の立前に則って容易に 其 の侵入を拒否 し,或は 操縦 されるが如き種類のものなるに反 して日本がそ こか ら求 む る商品の殆んど凡てが,重工業・ 軍需工業用原料であ り其 の今 日の拡充が一 日も 忽にすべか らざる不可欠資料である」C467〜470ページ)。

第二環節 (対満 0支)工業製品及び農戯泰 豊農産物食料品・鉱物。 満州への輸 出増 進 は中国本土での抗 日運動,日貨υF斥を誘致 し,市場不安を結果す る。そ こで翼東貿易 等を通ず る特殊貿易に よる対 中輸 出縮減へのカバーを図っている。 「 日本が,満州か

(8)

両大戦間期 日本貿易構造分析の再検討

ら進んで北支工作に成功し更に全支に亘って…自己のヘグモニーを確立するに至れ ,…莫大な購買力,豊富な原料泉源,鉄,石炭… 更に棉花を自由に支配し得るに至 れば日本は『 粘土の足』に代ふるに『鋼鉄の足』。・世界資本主義に於ける株儒は一 躍巨人 とな り得る」070〜472ページ)。

以上,みられ る よ うに,名和 は,原料基盤 の欠如 と,貿易 の起動点た るの地 位 を しめた生糸 の輸 出が原棉 との対米交換 におけ る unequal tndeとしての 弱 さ,重化学工業原材料 の対英 米依存性,しか るに帝国主義 国間闘争 に とって 不可欠の この原料基盤確保 のためには,対中国侵略 の不可避性が展望 され る こ とを明確 に した のであ る。 よ く知 られてい るよ うに,彼の この認識 の基礎 は前

,山田氏のそれに加えて,Freda Utley:ルψ協'sユ翡 げ αり,1936の とく

Chapter IIo Japan'S POVerty in Lw Materials鋭 Dependerlce on Foreign Tttdeの認識 (原料資源貧困論)に大いに依存す るものであ ぅた。 第一 お よび 第二環節 の「 被制約的,従属的地位 お よび機能 が,第二環節 におけ る 日本 の支 配性,荒掠性 を促迫 し,かつ支持す るもの」 とい う定式化 に よって,ア トレー

の考 えがここに貫 ぬかれたと名和 は戦後復刻版序言 (『日本紡績業 の史的 分析』潮流 社版,1949年一序言は48年4月)で述 べ てお り,さらに,

「 ただ 日本帝国主義の経済的脆弱性を強調すべき必要か らア トレイ女史 に 倣って 日本資本主義経済の国際依存性を日本における原料資源の貧困,自然的条件に余 りに 大きな力点をおき過ぎた嫌いがあった。 自然的条件ではなく,主として専ら社会的条 件が,生産関係が 日本における資源の開発を停滞せしめ外国貿易への強度依存に導 いたものであることは勿論である。従って日本経済の国際貿易への国際資本主義へ 的依存を自然運命的なものとして帰結 してはならないのである」(8ページ,傍 点引用者)

と論 じて,資源 貧 困論 との袂別 を示唆 してい る。そ こで,同じ く48年 3月 付 された序 言を もつ『 日本資本主義 と貿易問題』 (黄 土社版,1948年)におい

てセ,

「 日本資本主義経済の強度の世界市場依存率 と日本商品の世界市場における破 壊 的 競争の根因,全問題の核心は日本における人民の低い生活水準勤労者階級の一般的 な低収入,従って国内市場の狭溢性にこそ 見出されるべきものであった」(17ページ,

(9)

法経研究35巻304号 1987 傍点引用者)

として,ついに,日本貿易 の対外依存性 の基礎 を,国内市場狭随論 に も とめ る ことに よって,原料資源貧困論か らの離脱 を試みた のであ る。そ して,こ 狭随性の根拠に,高率小作料,零細規模経営があるとしたか ら,これは,山 の『 分析』に依存 した としてよいであろ う。 むろん戦前の著作でもその452〜

453ページで資源貧困論 とともに国内市場狭随論にふれてはいるが,冶れは あ くまで二義的のこと,であった。

三環節論にかんしては,まず対先進国貿易を「unhvOuttbbな半植民地的貿 易」,対アジアを「荒掠的帝国主義」と特徴づけて,第二環節=「混成的中間型」

とし,第三環節=「対植民地貿易型」で,対「満」・ 中国に加えて台湾,朝鮮を 明示 した。 こうして図式化された貿易は,輸出額 の76.3%,輸入額の77.8%

(1936年時点)をカバーす る(22〜 23ページ)。

ここに名和 の方法を示せば,ア トレーと山田を起点 として,と くにア トレー の資源貧困論を要め石 として貿易三環節論を構築 したが,戦後に至 って,こ 宿命論的傾向を もつ資源貧困論にかえて,国内市場狭随論に よってその立論基 礎を位置づけた。 この′点はなお検討の余地があるとはいえ,帝国主義間闘争に とって重要なテーマたる資源問題の深刻化 (レーニン『 帝国主義論』を想起せ ),したが ってまたその背後にひそむ工業の展開(重化学工業再編)を示唆す るもの となる。 もっとも名和はつぎのように述べることに よって,国内の再編 については否定 したのであ り,その視角は山田に一致 している。

「労働者および農民の低労賃,低収入は工業生産にとっていう迄もなく極度に狭随 な国内市場をなすが,日本資本主 義 は 国 内市場発展阻害の要因を除去 しようとはせ ,内奥全の発展を回避して外延的発展に向って強進 した…」(前出『 日本資本主義

と貿易問題』20ページ,傍点引用者)。

また先 の三環節論 の歴史的意義 は今 日において もいぜ ん として有益 な もので あろ う。 それ は決 して資源 貧 困説 の視角か ら,とい うことではな く,当時 の帝 国主義世界 の枠 組 みにおいて,先進 帝国主義 が資源略奪をすす め,かつそ の勢

(10)

両大戦間期 日本貿易構造分析の再検討

力範 囲を確 固た るもの としつつあ った状況 のもとで,日本 の帝 国主義 が竹れ に 伍 し,抗争 に参入せ ん とす る とき,第一環節での危機激化 (生糸輸 出に よる外 貨獲得能 力 の喪失)を前提 とす る限 り,第二環節へ の進撃,資源確 保 と な ら ,第二 環節 での 自足的植民圏 の維持拡張 につ とめ るのは不可避 とな る,と

う構造展 開が予測 され る とい う視角か らみて有益 とい うことであ る。

さ らにまた名和 の手法 で注 目す べ き今一つ のものは,上に述 べて きた,物 の流れ のみではな く,その結果 とな り原 因 ともなる国際収支構造上 の特質 をつ かみ 出 した ことであろ う。「 植民地 を合 して 日本全上 の貿易収支バ ランスは毎 年 入超 を続 けてゐる」 ことを見抜 いて,さ らに,

「貿易勘定に於ける入7‐

Eは , 貿易外勘定に於ける受取超過を以て決済し得るならば,

勿論何等問題 とするに足 りぬであらう。 ・日本は…寧ろ過去の債務の累積せる国であ ,労務提供 (移民出稼及び海運関係収入)を以て支払超過の喰ひ止めに 努めねばな らず,而もそれを以てしてのみでは足 りないで外国信用に依存せねばならぬ国柄な のである」(前出『 日本紡績業 と原棉問題研究』460〜 461ページ,傍点引用者)

として,日本資本主義 の も う一つ の対外依存性 として外国信用依存 を快 り出 した のであ った。

この よ うに名和三環節論 は,貿易連 関を中軸 にす えつつ,しか しそれ のみに とどまる こ とな く,その結果 であ りかつ前提 で もあ る国際収支構造 にまで至 る,

日本資本主義 の対外依存性 の総体 に追 る分析視角 を もつ ものであ ったとみて よい であろ う。そ の意味では,山田の『 分析』をベ ースに してはい るが,し しこれを貿易 の側面 でのみ補完 した とみ ることに限定 してはな ら ず,む し ろ

『 分析』 の内実 において大 き く欠落 していた (国 際的)資金循環視角が即 自的 に 一一「 即 自的 に」 とい う意 味は,名和 に よって 自覚的 にそ の よ うな位置づけを 行われた ことは,その後 の『 日本資本主義 と貿易問題』等で もみ られなか った とい うこと一一包含 されていた とい う点で,新しい水準を切 り拓 いた とす るに ふ さわ しい のであ る。

 むろん│これまたよく知 られるように名 和 は,『日本紡績業 と原棉問題研究』

序篇第一章「原料問題の基本理論」四「世界恐慌 と原料独占」において次のよう

(11)

法経研究35巻3・4号 1987 な注 目すべき指摘を行 っている。一一「恐慌 の結果,製 品輸出の激減に加ふ るに,本

位貨恐慌に よる世界金融機構統一の破壊の結果,外 国支払手段の調達は困難 とな り,

か ヽる事情は各国をして為替統制―貿易制限を余儀な くを しめ等 々相倹 って安ん じて原料 の輸入を外国か ら仰いでおる訳にはいかないい くらか高価につ くとして も自国内部及びその植民地若 くは 自国のブロック的支配の及ぶ地域で原料を購入す る様に導 く,ここに も原料確保のための新植民地領有欲を新たにす るJ(11ペ ージ)。

私は,この視角が先進帝国主義諸国の場合における運動の性格 として とどめるこ とな く,「特殊的」 日本帝国主義 の運動の場合に も追求 される 姿勢が とられるなら ,日本資本主義の発展的立場か らの検討が可能 となるのではないか と考 える。 た とえば野呂栄太郎「金解禁 と円本位制の確立」『 財政経済時報』(1928年11月)は

世界金融機構 の全局にまで筆が及んではいない もの 円ブロック化を示唆す る日本帝 国主義 の運動方 向を発展的立場か ら,考察 した,きわめて早い時期の興味深い,

作品 とい って よいのではなかろ うか。 野呂のこの小品についての簡略な説明は山本 義彦「野昌の資本主義分析・ 帝国主義論 と現代」『 科学 と思想』第52号 (198″解月) 14〜20ページを参照のこと。

3.そ の後の諸業績一一問題の再発見

日本貿易構造をめ ぐる諸論点 は,戦,40有余年 にお よぶ期間において,い

くつか登場 した。 ここで は,山田―一(ア トレー)一一 名和 の流れにそ くして,

か いつ まんで とらえ,われわれ の問題 の再発見 につ とめ ることとしよ う。

まず,吉村工晴『 日本貿易論』 (東 洋経済新報社,1948年)で は,貿易三環節 を基本 として,よ りくわ し く物資 の流れを析 出 した 中で,

「資本主義の発展につれて,日本資本主義はその植民地,半植民地の原料資 源 の 窮 屈な壁 と激 しく衝突するや うになる。 植民地の独占と搾歌が極度に強化されるが,そ れだけでは原料資源の狭い限界を突 きやぶることは到底不可能であ り,重要原料のま す ます増大する部分を先進資本主義国の支配する原料資源に依存せざる を え な くな る」(143ページ)

と指摘す る。つ ま り,日本資本主義 を発展 の見地か らとらえ よ うとす る立場 が明確 であ り,しか も日本貿易 の特質 としての分断性 への関心が極めて強か っ た。後年 の彼 の発言に よってそれをみ ると,

(12)

両大戦間期 日本貿易構造分析 の再検討

「 日本の資本主義には,輸入のための輸 出とい う思考輸 出至上主義,外貨獲得主

義なるものを生む経済的体質が実在するがそれは何か と問 うことである。/その第 一は,輸出産業 と輸入 (重要原料)産業 との分裂。 これを最 も象徴的に示す ものは, 輸 出産業 としての 養蚕・ 生糸(雑品類 も同様)と輸入産業 としての軍事・重工業 との関

係である。1980年代の恐慌期にいた るまで半世紀間にわた って 日本の貿易の王座を独 占した生糸の輸 出はその生産者たる農民 ,製糸マニュファクチュアの立場か らすれ ,正しく死活の問題であったがこの国の支配的資本の日か ら見れば,養蚕 0生 糸 業者の存亡な どは どうで もよい些細事であって輸出に よる外貨獲得 のみが唯一 の関 心事であったも 方,軍事・重工業の方は安定 した国内市場 の保証がある限 り輸出 すなわち国外市場 は問題でな く,1原料の輸入=確保 のみを問題 とす る」(吉村正晴「 日 本資本主義 と原料問題(上)」 九州大学『 産業労働研究所報』第48号,1969年 3月,80

81ページ)と

始 うした視点か ら整理すれば,第すの環節 (村植民地)で輸 出入の「 一応の 均衡」,第二 の環節(対先進資本主義国支配地域)で,棉・ 羊毛一木綿製品の 連関での「均衡」 と雑品―軍需・重工業原料の連関での「質 の開き」,第二の環 (対先進資本主義国くとくにアメ リカ〉)では生糸(奢)・ 玩具一重工業原料 の「 不均衡」甚大,とい うふ うに説明される。 この方法は,資本主義発展の不 均等性か ら貿易を とらえることに よって,日本の外国貿易依存度の高さの要因 ,自然資源の貧困と国内市場狭随の論理に よる説明か らの脱却を図る意図を 秘めている。

これに対 して行沢健三『 国際経済学序説』 (ミ ネル ヴ ァ書 房, 1957年)

,吉村の方法をおおむね了承 しつつ,しか し,なにゆえに独 占段階に至 るも,

日本の輸出が繊維・雑品中心であ りつブけたかはこれでャま説明できず,「始の諸 Flの不均等発展は,先進資本主義国の不均等発展に相関的Jに考えるべ きで あ り,また先進国の不均等に発展 した生産手段部門の日本及び近隣地域への進 出が,日本に とっての市場制約 となった と指摘す る(231〜 232ページ)。 さらに 日本貿易の特徴 とされる「消費資料」輸出とい っても対米=生糸 と対後進=綿 製品 とでは「 国内での生産の発展の不均等に占め る位置 も異な り,他面で,相

手国にたい して相対的な発展のお くれを示す もの と発展の進 んだ面を示す も

(13)

法経研究35巻304号 1987 との相異があ る」(234ペ ージ)こ とへ の認識が含 まれ るべ きだ,としてい る。

松井 清「 方法論 と段階区分 」『 近代 日本貿易史』第1巻 (有斐 閣,1959年)

もまた 国内市場 狭随論を否定 し,農業半封建性が資本主義 固有 の工業 と農業 の 不均等発展を先鋭化 し,竹の結果 として外国市場が問題 となるべ きことを指摘 ,何よ りも,大正年代 の国内市場 の拡大 の進行がみ られ なが らも昭和年代 に 入 る と国内市場 それ 自体 の狭随化が不可避 とな り,昭6年以降 の輸 出 ドライ ブを もた らした との評価 こそが重要 な ことを述 べ,山田『 分析』以来 の方法が

「 そ の中心 は 日本資本主義発展 の軽視 とい う点 にあ った といえ よ う」(7,10ペ ー・,傍点 引用者)と述べた。

この よ うに して,名和統一 の貿易構造論 は,1960年代 の初頭 までに,若干 の ブ ァリユ ーシ ョンを含み なが ら,その三環節論が継承 されつつ,これを導 出す る論理 としての国内市場狭随論・ 資源貧困論が否定 され不均等発展法則 の展 開 に よって再検討 され ることとな った のであ る。 これ らの批判的継承 の立場 に対 して,否定的 な若 干 の説 が登場 してい る。 以下,概略的 に これを紹 介 し,か

検討 を加 えてお くこととしよ う。

清水 貞後「 日本 の近代化過程 におけ る貿易構造 の変化 」『 立命館ll■済学』第16 巻第 5・ 6号 (1968年2月)で,

「三環節論ではヨーロッパとの関係が考慮に入れ られていない。 ただ第二環節 に お いて対東南アジア貿易の背後に 宗主国たるイギ リスがひかえているとい う形でのみヨ ーロッパ諸国がでてくるにすぎない」G7ページ)

とい う表現 に端的 に示 され る よ うに,三環節論 に主張 された各環節を代表す る国 もし くは地域 を,固定的 な もの と批判す る。 しか も これ に力点をおかれ る には,次の よ うな根拠があ る とされ る。      

「 日本の近代化過程における工業化は一方において極東,東南アジアにおけ る輸 出 市場 (特に綿工業の)を前提 としているが,イギ リスドイツか らの機械,化 製品の輸入によって機械化,設備の近代化が行なわれその輸入資金をアメリカの生 糸輸出で稼いだのである。 このような対欧米貿易における輸出市場 と輸入市場の分裂 は産業化過程における日本貿易の一つの基本的な関係としておさえる必要がある。 

(14)

両大戦間期 日本貿易構造分析の再検討

の関係が日本経済を対イギ リス対アメリカとの関係で決定的に従属させず,独自の 帝国主義国家 として飛躍させたのである」(47ページ,傍点引用者)

清水 は,さらに,イギ リス と ドイ ツ とを対比 し,イギ リスに補完的 な工業発 展 の道 を とった ドイ ツ,ま,イギ リス と類似的な工業を発展 させた 日本,と

い う三 カ国 の相互連関を,日本 の発展 につれ て,イギ リス との軍易関係のウェ イ トの低下 とドイ ツとの貿易関係 の上昇 とを指摘す る (58ぺTジ)な,興

味深 い主張 を展 開 してい るが,上の見解 については疑 間がないわけではない。

まず,名和三環節論が,その後 の人 々に よって固定的 な地域 (国)把握 に陥い らせ られが ちであ つた ことはあ る として も,創始者 自身 はむ しろ用心深 く,と

くに第二環節 で く対英帝国〉をあげ るにさい して,それを この環節 の代表格 と す るにふ さわ しい との認識 を もって行われた ことは,「其 の販路 は後進 国,植

民地 であ る」(名和『 日本紡績業 と原棉 問題研究』467ペ ージ,傍点引用者)と

指摘 され てい る ことに よって も うかがわれ る。 また第一環節 では,なるほ どヨ ー ロッパ は出て こない。それ は,名和 が強調 しよ うとした,生糸輸 出が「 日本 の国土か ら原本的 に輸 出 し得 る唯一 」の もの,「日本貿易機構 の起点をな した」

(同 上,463〜464ペ ージ)とい う視角に よるものだ った といえ よ う。 さらに ま た名和が,ア トレーの次 の よ うな見地をひ きついだ ことか らも当然 といえるで あろ う。

「 日本の絹の85%がアメリカ市場に向うが,アメリカの棉花生産の18%だけ が 日本 に向 うにすぎない。アメリカに対する日本の従属的地位一―ほとんど植 民 地 的 地 位 一一 こそ,まさにこの unequal ttadeを 明確に示 しうる唯一のものであろう」(Freぬ Utley,Jα夕脇'SF ′θ′R明,Fabtt and FalЮ=Ltd,,1986,p.51)

これを水沼知― はかつて「外 国貿易の発展 と資本 の輸 出」 揖 西光速編『 日本経済

史大系』6近(下)(東京大学出版会,1965年)で「不等価交換」と訳しており,

その後,「昭和恐慌(1)」 隅谷二喜男編『昭和恐慌』(有斐閣,192年)では りF対 等的貿易関係」(194ページ)と改められた。

しか し,ま,名和は,ア トレ‐の次の発言をも知 っていた上 でこ の 第

一環節を構想 したはずであるか ら,この環節に清水の述べた ヨーロッパ との関 係を含み うると考えて もけっして牽強付会の始 しりを うけるもので は あ る ま

(15)

法経研究35巻3・4号 1987 い。

ア トンーはつ ぎのように述べている。一―「 日本はその輸入品 目で西欧お よび 合衆 国に致命的に依存 している。/そのもっとも必須の輸入品 日は鉄,鋼及 び 機 械,石

,鉄合金,燐,小,砂,ゴ,羊,棉,米,木材パルプ材木及び獣皮 である。/日本の鉄及び鋼 のほ とん ど全量は 合衆国,イギ リスドイツよ り,それぞ 36.2%,20.5%,25.5%ずつの輸入を行 っている。 ドイツ及び他のコ ー ロ ッパ 諸 ,と くにベルギーか らより多 くの分量がえ られ ることができたのは真実である」(58 ペ ージ,傍点引用者)。1934年の機械類輸入の全量中でアメ リカが31%, ドイツが28

%に達 している」C58ページ),等々。       ...。 ...

名和は回想 している一=「私 の 日 本 貿易三環節論 …… 最初の二つの環節はア ト

レイに藉うたのでありアトレイの図式にも一つ,私が第二環節と名付けたものを

つけ加えたのが味噌である」(名和「 自画像」(6)『世界経済評論』 第12巻 11号, 1968年,55ページ,傍点引用者)。

清水 の理解 で,今 ,一つ疑 間を感 じるのは,日本 帝国主義が ア メ リカか らの 生糸 に よる獲得外貨 を もって,英・ 独 の機械,鉄,化学製 品を購 入 しえた とい う意味で輸 出入市場 の分裂的性格に よる英米への「 決定的従属 」を もた なか っ ,とす る点である。清水が問題 としてい るのは,先進帝国主義 の あ る特 定 国 と日本資本主義 との相互関係の視点か らすれば,日 本 の 対 米,対 (独 0 )の貿易依存のあ り方が,いわば分断状況にあるか ら,特定国への従属を決 定的な ものとしなか ったとい うことであろ う。 しか し,この理解ではア トレ ーニ名和の生糸輸出の特殊な意義 (それが純国内生産であるとの質的意義 とな らび,輸出総額に占める比重の大 きさとい う量的意義)の指摘を欠落 させてし まったばか りではな く,名和の指摘 した国際信用への依存の不可避 とい う事実 (貿易収支の赤字の恒常性)一一 より発展させてい うならば,この国際信用で の補填相手国が,アメリカであった とい う事実をも欠落させた,とい う二重の 意味で,対外依存を過小評価した とい うべきであろう。それだけではない。先 進帝国主義陣営が後発の日本に対 して共同的に対抗することも想定するならば

(ワシン トン体制を参考例 とすることができよう。 この点,拙稿「戦間期 日本 資本主義の構造的特質」『 歴史学研究』527号, 1984年 5月参照),  上の事実が

参照

関連したドキュメント

本研究の目的と課題

 富の生産という側面から人間の経済活動を考えると,農業,漁業ばかりでは

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

日中の経済・貿易関係の今後については、日本人では今後も「増加する」との楽観的な見

 良渚文化の経済的基盤は、稲作を主体とする農耕生

青年団は,日露戦後国家経営の一環として国家指導を受け始め,大正期にかけて国家を支える社会

経済学研究科は、経済学の高等教育機関として研究者を

明治 20 年代後半頃から日本商人と諸外国との直貿易が増え始め、大正期に入ると、そ れが商館貿易を上回るようになった (注