私的所有制度 と労働関係の史的沿革及びその法理 日
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私 的 所 有 制 度 と 労 働 関 係 の
目次 史的沿革及びその法理
序説
‑労働関係の史的沿革をめぐる方法論についてi
第一部私的所有制度と労働関係の史的沿革
第一章前資本主義社会の私的所有と労働関係
第一節私的所有の成立と共同所有及び共同労働関係の解体
第二節私的所有化と奴隷労働関係
第三節私的所有の封建的支配と身分的労働関係
第二章資本主義社会の私的所有と労働関係
第一節資本主義の前期的段階における私的所有と労働関係
第二節資本制私的所有の確立と自由労働関係
第三節資本制私的所有の独占化と階級的労働関係
結語にかえて(以上第二巻第一号)
第二部私的所有制度と労働関係の法理 高
C=.)
橋保
第一章所有権制度及び労働関係における二大法思潮
第一節古代ローマ法における個人主義的所有権制度と賃貸借(ドoo舞δooロ自ロo鉱o)
第二節中世ゲルマン法における団体主義的所有権制度と主従契約(↓戦oロ&oロ曾くo答鑓αQ)(以上第二巻第二号)
第二章﹁自由の原理﹂基盤における私的所有権制度と雇傭契約
第一節﹁自由の原理﹂の生成基盤と市民法の原理的構造
第二節﹁自由の原理﹂基盤における私的所有権制度
一︑市民法における私的所有権制度
二︑私的所有権制度の資本的展開(以上本稿)
第三節﹁自由の原理﹂基盤における雇傭契約(以下次稿)
第二章﹁自由の原理﹂基盤における私的所有権制度と雇傭契約
第}節﹁自由の原理﹂の生成基盤と市民法の原理的構造
一︑今日︑私的所有権制度はもとより︑その派生的形態ともいうべき労働関係も︑市民法(一般民法︑以下市民法と
称する︒)を基礎及至は前提としていることについては異論がない︒しかし︑他面において︑市民法の必然的所産とも
いうべき労働立法の制定により︑私的所有権制度の改変はもとより︑労働関係についても︑市民法・労働法が相剋し︑
それがため︑両者の位置づけが論争の的となっている︒例えば︑労働契約の概念規定をめぐる論争は︑これを如実に
物語るものであろう︒片岡教授は︑市民法と労働法の本質的原理差異を直視され︑市民法のコ雇傭契約﹂を﹁自由の
原理﹂に︑労働法の﹁労働契約﹂を﹁生存の原理﹂に位置づけられ︑その法概念的な差異を明確にされている︒因に︑
同教授は︑この意味での﹁自由の原理﹂を﹁一切の社会関係を︑個人対個人の契約関係に解体すること﹂とされてい
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(1)る︒労働関係なかんずくその法類型が︑市民法と労働法の両面に亘って規定されている場合には︑その位置づけが問
題となるのは当然であろう︒同時に︑労働関係についての法類型が︑市民法において類型化されている限り︑一応︑
それに対する市民法構成が成り立つし︑またその法理も展開することが可能である︒問題は︑市民法と労働法が錯綜
している当該問題を︑どう解釈し︑位置づけるかにある︒
従来から︑この解釈︑位置づけをめぐって︑当該問題に対する市民法の実効性乃至は脆弱性が指摘されてきた︒も
とより︑そのこと自体については︑なんの異論もない︒それのみか︑この種の実定法解釈は︑問題点を明確にし︑且
つ説得性があり︑それなりの利点さえ窺知することができる︒しかし︑市民法の実効性脆弱性を主張するが余り︑市
民法の基礎原理を軽視した無用の議論が展開されている向きがあることも否定できない︒
本章の立場は︑市民法の私的所有権制度と雇傭契約を考察するに当り︑まず︑それを市民法の基礎原理から堀り起
し︑しかる後に︑市民法体系内で︑両者がいかなる関連を有するかを解明し︑さらに両者の変遷過程を跡づけること
にある︒とりわけここでは︑市民法と労働法の本質的差異について指摘された片岡教授のお力をお借りして︑未熟な
がら︑市民法の原理的基礎である﹁自由の原理﹂の生成基盤を問い︑それが近代市民法の原理的構造として︑いかに
導入され︑開花しているかを考察する︒
二︑﹁自由の原理﹂は︑近代市民法の原理的基礎である︒市民法は︑この原理を基礎とした法体系である︒その点に
おいて︑﹁生存の原理﹂を基礎とする労働法と原理的に相剋しているのである︒市民法が基礎としている他の原理は︑
﹁平等の原理﹂である︒ここでは︑﹁平等の原理﹂を他目の課題とし︑﹁自由の原理﹂のみを取り扱う︒市民法は︑した
がって近代市民社会は︑﹁自由の原理﹂を基礎として展開され︑そのことによって︑旧来の伝統的権力的桓楷の前近
代社会に対して︑より近代性を標樗しているのである︒しかし︑そのことにより︑近代市民社会成立前の社会におい
ては︑﹁自由の原理﹂が︑存在しなかったと解すべきではない︒蓋し︑既に前章において考察してきたように︑古代
ヘヘヘヘヘヘヘヘローマにおいては︑変則的ではあるが︑﹁自由の原理﹂の派生的形態というべき︑﹁自由なる所有権﹂が存在していた
(2)からである︒しかし︑近代市民社会成立前の﹁自由の原理﹂は︑単なる支配的権力的な事実関係の上にのみ存在して
いたにすぎなく︑近代市民社会の如く︑法原理として提起され︑且つ︑すべての者に妥当しうる普遍的原理として存
ヘヘへ在していなかった︒例えば︑古代ローマにおける﹁自由の原理﹂は︑事実上の私的所有権を有する︑国王︑バトリキ
(貴族)︑その他の自由人のみが享受し︑物(﹃︒ω)たる奴隷には︑全く無関係の原理であった︒また︑中世ゲルマンに
おいても土地総有制の中に参加した自由人相互の関係においては︑封建的身分的拘束が支配し︑そのため近代市民社
(3)会の﹁自由の原理﹂のようなものは存在し得なかった︒しかしながら︑古代ローマの奴隷や︑中世ゲルマンの被支配
者は︑拘束や圧制に対して︑自からの人間的自由を放棄していたのではなく︑長い歴史の発展過程で︑常に﹁自由の
原理﹂への憧憬と希求を持ち続けてきたのである︒しかるに︑近代市民社会︑したがって市民法は︑過去永代の歴史
的要請であり︑テーゼであった﹁自由の原理﹂を︑人類の普遍的な法原理として︑定立せしめたのである︒ここに︑
﹁自由の原理﹂は︑単なる抽象的観念的構築物ではなく︑歴史的発展段階の所産として︑最も根源的な地位を築き上
げたのである︒また︑そこに︑﹁自由の原理﹂の歴史的役割を発見しなければならない︒
ところで︑かような歴史的発展段階の所産である﹁自由の原理﹂とは︑いかなる概念であるか︒形式的に把握する
ならば︑一般民法としての市民法が︑原理的基礎としている﹁自由の原理﹂は︑市民法としての固有の意味に限定し
て把握しなければならない︒その意味においては︑﹁市民的自由﹂と解すべきであろう︒しかし︑それは所詮︑形式
的に把握したにすぎなく︑もっと︑何故︑市民法が︑﹁自由の原理﹂を基礎としているのか︑その原理的目的乃至は役
割は何か︑を実質的に把握されなければならない︒この点は︑後述する﹁自由の原理﹂の生成基盤︑つまり︑﹁自由
の原理﹂を法原理として定立せしめた近代市民社会︑なかんずくその経済的秩序及び法思想的背景と深く関連してい
るのである︒しかるに︑近代市民社会は︑一方において︑近代資本主義経済組織の確立︑他方において︑個人主義的
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法思想の台頭の諸条件の上に成立した︒したがって︑近代市民社会の経済的社会関係の形成︑維持︑解体は︑その単
位である独立した個人から出発している︒つまり︑すべての社会関係の形成︑維持︑解体は︑個人対個人の自由意思
を介してのみ行なわれるべきであるとされるのである︒市民法は︑この近代市民社会における経済的社会関係の内部
的要請を︑法的に反映させたものである︒換言すれば︑近代市民社会における市民法体系は︑﹁すべての社会関係の
形成︑維持︑解体の根拠を︑個人対個人の自由意思関係に求めること﹂の原理的基礎の上に立却しなければならな
い︒この原理的基礎が︑﹁自由の原理﹂に他ならない︒これは︑﹁私的自治の原理﹂ともいえる︒再論すれば︑﹁自由
の原理﹂とは︑﹁すべての社会関係の形成︑維持︑解体の根拠を︑個人対個人の自由意思関係に求めること﹂である︒
市民法は︑この﹁自由の原理﹂を原理的基礎とする法体系である︒片岡教授が︑﹁自由の原理﹂をして︑二切の社会
関係を︑個人対個人の契約関係に解体すること﹂と把握されたのも︑市民法の具体的な規範構成からいわれたもので
あり︑筆者のいう意味と実質的には同意義である︒
因に︑既に述べてきたように︑﹁自由の原理﹂は︑過去永代の歴史的発展段階の所産である︒この点からは︑市民
法の﹁自由の原理﹂は︑個人主義的法思想に立却して︑旧来の封建的身分的拘束を排除せんとする︑無産者階級の憧
憬と希求を︑法原理として反映させたものである︒また︑市民法の﹁自由の原理﹂は︑資本主義経済組織の確立を基
礎として定立されたものであり︑この観点からは︑資本主義的経済的秩序の根本原理として︑機能し︑作用すること
は自明である︒
三︑次に︑市民法の原理的基礎である﹁自由の原理﹂が︑いかなる基盤において生成してきたかについて考察したい︒
﹁自由の原理﹂の生成基盤は︑旧来の封建的身分的体制を崩壊せしめ︑且つ近代市民社会成立の原動力となった︑
経済的及び法思想的基盤の両面から考究されなければならない︒まず︑前者においては︑近代資本主義経済組織が要
請する経済的秩序︑後者においては︑近代の啓蒙期自然法思想の要請する個人主義的法思想に求めることができる︒