はじめに 拙稿「寺山修司・演劇への入口 下―詩劇グループ「鳥」の演目に見る詩精神―」 (1)では、寺山修司が演劇実験室「天井棧敷」を旗
揚げする以前の演劇活動に着目し、その詩劇グループのメンバーの一人でもあった詩人の嶋岡晨の創作した詩劇と、寺山修司の詩劇
とを比較しながら、二人の詩精神の違いを考察した。そこでは、寺山修司終生の問題意識である「私」性に対する寺山の思想を、短
詩型の文学から集団で行う演劇へと、寺山が活動の場を横断していく過程を基点として、より明確に記述することが目的であった。
幾度となく創作の場を横断していく寺山ではあるが、詩劇グループ「鳥」を基点とした研究は、研究史から見てもほとんどない。今
回もやはり、詩劇グループ「鳥」の考察へと向かうことになるが、三沢にある寺山修司記念館における新たな調査や、久慈きみ代 (2)に
よる寺山の中学・高校時代の創作活動の精緻な調査の恩恵などに預かりながら、寺山修司の「かくれんぼ」の影響関係について、一
つの見解を示すことにする。
第一章
『誰か故郷を想はざる』
寺山修司は高校時代から、全国高校生俳句コンクールを主宰したり、十代の俳句雑誌『牧羊神』を創刊したりして、精力的な創作
活動を行っている。その活動を通して、俳人の中村草田男や西東三鬼らの知遇を得、また、詩人の北園克衛の詩誌『VOU』へ参加
するなど、既に一般の高校生とは言えない立場であったと言えるかもしれない。しかし、メジャーなデビューは、一九五四年、十八
寺山修司の「かくれんぼ」再考
葉名尻 竜 一
(一三七)
歳のときに『短歌研究』第2回五十首詠で特選を受賞したことだろう。この賞は、のちに『短歌研究』新人賞とよばれ、寺山からの 影響を強く受けた岸上大作も受賞している。賞を企画したのは編集長の中井英夫。その中井英夫には「隠れんぼ」と題したエッセイ (3)が
ある。
寺山修司の死で、その短歌がひとわたり取沙汰され、私も、三、四編の文章を書いたせいか、三十年ほど前の歌壇が奇妙に懐
かしく、新星たちの登場が再び光を帯びて思い返されてきた。むろん一方ではまだ嫌い、疎み、憎んではいるものの、短歌はや
はり魅力ある形式なのかも知れない。
一九八三年の「潮」八月号に掲載されたこの文章は、同年の五月に逝去した寺山をきっかけに書き出されている。このあと、昭和
二十五年(一九五〇)の葛原妙子から始まり、塚本邦雄、相良宏、岡井隆、田谷鋭、中城ふみ子、石川不二子、そして寺山修司にふ
れ、続く春日井建、浜田到、村木道彦など、その前後の時期にデビューを果たした歌人たちと中井の気に入った短歌をできる限り一
首ずつ挙げながら、懐かしく回想していく。
当時の原稿や手紙を入れた箱を探してみて驚いた。肝心な中城と寺山の応募原稿が見当たらない。それに塚本からの夥しい手紙
の束も。かねてひとつ所に十年も住んでいると、物体は不思議な沈下現象を始め、なくなる筈のないものまでどこかに埋没して
しまうことはこれまでも経験ずみだが、探せば探すほど相手は上手に隠れんぼをして音も立てないので、しばらく放っておくこ
とにしよう。鬼が家へ帰ってしまったと知ったら、意地悪な悪童たちもやがて退屈して出てくるに違いないから。
中井は、中城ふみ子と寺山修司の応募原稿がどこかに紛れ込んでしまい見つからないことに触れている。しかし、これは単純に物
だけのことを述べているのではないだろう。「物体」は沈下し始め、「なくなる筈のないものまでどこかに埋没してしまう」が、当時
の記憶もまた、同様に隠れんぼをしていると読める。このあと、中井は、寺山がネフローゼを患って生死をさまよった入院先から中
井の元に届けられた一葉の葉書を見つける。それは当時の匿名時評で、中城ふみ子と寺山修司と中井英夫とを並べて罵倒した記事に (一三八)
ついて、若き寺山が、まだ見ていないが「だれにも負けない、たゞ、ほんとうに体が」と綴ったものである。中井は、寺山の早すぎ
る死を前にして、デビュー時の寺山の「だれにも負けない」という言葉を見つけることになるのだ。
さて、こうして思い返してみると、人間もまた時間という奇妙な樹木の陰で、巧みな隠れんぼをしている気がする。森閑と人
の気配のない原っぱのさびしさ。家へ帰れもせず、鬼をやめて子になることも出来ない、だってかれは死んだのではなく、辛抱
強く隠れて私が探しにくるのを待っているのだから。
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭 修司
中井は、寺山の「かくれんぼの―」一首を引いてこのエッセイを結ぶ。まだ無名だった若者を、結社に囚われない新人発掘の企画
で発見したように、今また、中井は記憶のなかから寺山修司を発見し直そうとしている。「かくれんぼ」を使って書かれた中井のエ
ッセイは、寺山にとって「かくれんぼ」が重要な問題だったことを示唆していよう。
『短歌研究』の編集長を中井から引き継いだのは、杉山正樹である。杉山は二十歳そこそこの若さながら、中井がなお歌壇に遠慮
して出来なかった改革を次々とやり遂げる。「塚本邦雄と岡井隆を両雄において、はっきりと前衛短歌路線を打ち出し、三十一年
(昭和―筆者注)には塚本と大岡信との、三十二年には岡井と吉本隆明との論争を掲げ、江藤淳や大江健三郎などの新鮮な執筆人を
用意して」 (4)多彩な編集ぶりを発揮した。杉山は、当時活躍していた詩人や思想家など、歌壇の枠組みを超えた人選をして、歌人との
短歌論争を仕掛け、前衛短歌を近代短歌史に刻む。寺山修司もこの企画の流れで、詩人と前衛短歌論争をした歌人の一人である。
杉山正樹には寺山修司についてのまとまった書き物があり、その『寺山修司・遊戯の人』 (5)から「かくれんぼ」に関したところを引
用する。
かれが終始くりかえした〈かくれんぼ〉という主題。本質的な孤独感は、人間が自我のめざめとともに味わったことがある、あ
の感覚に共通している。今ココニイル自分ハイッタイ何者ナノカ? コノ今トイウ瞬間ハ、何ナノカ? もしかしたらこの現象
は夢ではないかと、誰でも子どものころに感じたあの名状しがたい不安。大人になるにつれて、世俗の時間のなかに馴致させて
(一三九)
ゆくあの感覚を、寺山はどうやら終生持ちつづけたらしい。子どものときに抱いた疑問を、そのときの感覚のままで忘れること
なく、くりかえし問いつづけた。その典型的な例が〈かくれんぼ〉の情景です。かくれんぼの鬼にされて目をつむり、もういち
ど目をあけると誰もいない。そのあいだに異時間が流れて、外界はすっかり変わってしまい、自分だけ昔のままの子供なのに、
遊び仲間の子どもたちはとっくに大人になっている。この奇妙な、未来の時間のほうが逆に過去として感じられるような郷愁風
景をかれは偏愛したのでした。
幼い頃に父が戦病死し、母もまたアメリカ軍基地へと労働に出かけて不在だったため、その寂しさから、仲間をどうにかして遊び
へと引き込むために、寺山はごっこ遊びを考案するようになる。ごっこ遊びの一つに「かくれんぼ」があった。杉山はこの「かく
れんぼ」が寺山の終生の主題になったと位置づける。子どもの頃に誰もが感じた「あの名状しがたい不安」や「本質的な孤独感」は、
人間の「自我のめざめ」と大いに関係すると書く。
鬼にされて目をつむり、数を数えてから目をあけると、周りには誰もいない。「そのあいだに異時間が流れて、外界はすっかり変
わってしまい、自分だけ昔のままの子供なのに、遊び仲間の子どもたちはとっくに大人になっている」との杉山の解説は、先に中井
英夫が引いた短歌の鑑賞としても読解できるところがあろう。
ごっこ遊びから解放されず、未だ鬼役を続けているのは自分ばかり。確かに老いてはいるが、自分一人だけが子ども時代を生きて
おり、遊び仲間はすっかり大人の時代へと移っている。取り残されたのか、あっという間に時間が流れたのか、自分と仲間との間に
は異時間が横たわっている。以上が短歌に詠まれた世界である。杉山の指摘する「自我のめざめ」が、成長への不安とともに詠まれ
た世界だと表現してもいい。
この「かくれんぼの―」一首は、一九六五年、第三歌集『田園に死す』「子守歌」のなか「捨子海峡」の連作十首の二番目に置か
れた。ここで、この短歌の鑑賞をいくつか確認しておきたい。歌人の梅内美華子は次のように解説する。
この歌の前に「呼ぶたびにひろがる雲をおそれゐき人生以前の日の屋根裏に」が置かれている。「人生以前」、人生の苦を知る (一四〇)
前の幼少期、少年期の回想を含んでうたわれている。
子供たちの遊びの定番「かくれんぼ」で鬼になって以来、その役から解放されないまま、年を重ねた。故郷の村祭りに帰って、
かくれんぼの続きのように歩くが、それは誰を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である。
「かくれんぼ」「鬼」「誰」「村祭」と、農村と子供の風景を伝える言葉がかさなりあってできている。そしてこれは特定の故郷
や村ではない、虚構のなかの故郷である。鬼の役を解かれない少年から大人になった者の、自分探しの物語。時間の経過の喩と
なる「老い」。帰るべき故郷の喩となる村祭り。また鬼にさせられた子供の性質や子供同士のいじめなどを「鬼とかれざる」が
暗示している。また鬼は生贄、人身御供のことでもある。一見平明な歌に見えながら、物語と比喩を抱え込んだ多層性のある歌
である。 (6)
章題の「子守歌」「捨子海峡」の「子」と関連性の高い詩句「人生以前」を、一つ前に置かれた短歌から引き、この一首が「幼少
期、少年期の回想」を抱えていることを指摘する。鬼役から解放されず、村祭りに帰郷するといった内容は短歌そのままだが、「誰
を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である」といった点は、一つの読解である。例えば、こちらの大学での講義
で、この一首を取り上げ、受講している学生さんたちに「誰を探しに来たと思うか」と尋ねると、「かつてかくれんぼを一緒にして
いた友達」から「復讐したい相手」「お母さん」「息子」など、それは自由に様々な答えが返ってくる。「誰を探すというものでもな
い」といった答えは、学生さんたちからは出てくることはあまりない。大概が対象を具体的に想像して答えてくる。「誰を探しに来
たと思うか」といった問いかけ方が、無理にでも対象を描かせてしまっているところもあるが、それを差し引いても、鬼のあてどな
い彷徨といった読みは、短歌の終わりの世界に鬼の残像を立ち上げ、新鮮でもある。梅内には「生贄」「人身御供」など、どきりと
する指摘もあって、村落共同体の闇から目を逸らさない。その上で、鑑賞の中核は「自分探しの物語」とするところである。
それでは、歌人の本林勝夫はどうか。「〈評釈〉寺山修司の短歌
20首」のなかで次のように鑑賞している。
かくれんぼの鬼になった子はいつまでも探しつづけるが、あの子もこの子もみんなそれぞれの家に帰ってしまった。それから
の長い年月、鬼の呪縛から解き放たれないままに年老いた男は、村祭に帰ってきたが、彼は一体誰を探しに来たのか。
(一四一)
郷愁をそそる一首だが、人生の「鬼」にとりつかれた男はふるさとの祭の賑いに何かを求めている。それは魂の母郷への思慕 か、おのれの人生の欠落を埋めようと課せられた鬼の仮面をとり外しに来たのか。 (7)
「彼は一体誰を探しに来たのか」といった本林の疑問をヒントに、学生さんたちの鑑賞のきっかけとして、講義では先のような問
いかけをした。本林自身は、この問いかけに具体的に答えていないが、村祭りに鬼が求めているものは「魂の母郷への思慕」や「人
生の欠落」であるとしている。梅内が「故郷」と言い、本林が「母郷」と表現するイメージは、直接には短歌にある「村祭」の語か
ら生まれたのであろうが、本林も鑑賞の後半で言及することになる寺山の『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』 (8)の「かくれん
ぼ」の影響がこの一首の鑑賞には大きいはずだ。歌集『田園に死す』とは別の著作になるけれど、寺山の「かくれんぼ」に対する考
えを確認するために、少し長めに引用する。
故郷がアメリカ人たちに押収され、母がベースキャンプに働きに出るようになってから、私はどういうものか「かくれんぼ」
という遊びが好きになった。
帰りの遅い母を待つあいだの退屈さ、「鬼畜米英」のベースキャンプへ就職して、(しかもメイドというきわめて低い階級の労
働に甘んじている母への)近所の人たちの陰口、悪い噂などに抗しかねて、「かくれたい」と思ったのかも知れない。母は、父
の死後しばらくは呆然として、精薄のように見えたが、思い切ってベースキャンプの求人広告「戦争未亡人優遇す」に応募して
からは、髪を染めたり、豊頬手術をしたりして若返った。
そして、取り残された私はわけもなく「かくれずには、いられない」心境に達し十四歳にもなって「かくれんぼ」遊びに熱中
するようになったのである。
一体、私にとって「かくれんぼ」とは何だったのだろうか?
農家の納屋の入口で年下の子六人とじゃんけんをしてぱっと散り、納屋の暗闇の藁の中にかくれてじっと息をつめていると、
いつのまにかうとうとと眠ってしまい、目をさますと戸口の外に雪が降っている。かくれたときは、たしか春だったような気が
するがと、呆んやりしていると、見つけたぞ、見つけたぞと言いながら入ってくる鬼の正ちゃんがいつのまにか大人になってい (一四二)
て、背広を着て、小脇に赤児を抱いている。その「見つけたぞ、見つけたぞ」という声ももう、立派なバリトンになっていて、
かくれんぼのあいだに十年以上の月日が流れてしまったという幻想に取憑かれている。
べつの日私は鬼であった。
子供たちはみな、かくれてしまって私がいくら「もういいかい、もういいかい」と呼んでみても、答えてくれない。夕焼けが
しだいに醒めてゆき、紙芝居屋も豆腐屋ももう帰ってしまっている。誰もいない故郷の道を、草の穂をかみしめながら逃げかく
れた子供をさがしてゆくと、家々の窓に灯がともる。
その一つを覗いた私は思わず、はっとして立ちすくむ。
灯の下に、煮える鍋をかこんでいる一家の主人は、かくれんぼをして私から「かくれていった」老いたる子供なのである。か
くれている子供の方だけ、時代はとっぷりと暮れて、鬼の私だけが取残されている幻想は、何と空しいことだろう。
私には、かくれた子供たちの幸福が見えるが、かくれた子供たちからは、鬼の私が見えない。
私は、一生かくれんぼの鬼である、という幻想から、何歳になったらまぬがれることが出来るのであろうか?
「ある状況についての幻想を捨てたいという願いは、幻想を必要とする状況を捨てたいという願いでなければならない」(カー
ル・マルクス)
この創作的な要素も加味された自叙伝の物語に、寺山の「かくれんぼ」を読み解くほぼすべてが詰まっているのではないか。父と
母の不在からくる寂しさと、ベースキャンプで働く母への羞恥心とがない交ぜになった孤独感。かくれたときは春だったのに、目を
開けると戸外には雪がちらついている。「かくれんぼのあいだに十年以上の月日が流れてしまったという幻想」は、杉山正樹がかく
れている間に「異時間が流れて、外界はすっかり変わって」 (9)しまったと指摘したところである。自叙伝らしくない自叙伝の創作物語 は、梅内美華子や本林勝夫がイメージした故郷を求めながら、「人間の自我のめざめ」 )(1
(とともに紡がれる。
この『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』に言及しながら、俳人の坪内稔典は「かくれんぼ」から始まる寺山の俳句を鑑賞
している。寺山には「かくれんぼ」の俳句もある。坪内は「〈評釈〉俳句
20首」のなかで、次のように記している。
(一四三)
かくれんぼ三つかぞえて冬となる
「解説」「わが高校時代の犯罪」と題して「別冊新評・寺山修司の世界」(昭和
55年4月)に発表。類想の句に「目かくしの背後
を冬の斧通る」(『花粉航海』)。伝記風エッセイ『誰か故郷を想はざる』(昭和
43年)に少年時代にかくれんぼに熱中したと書か
れている。隠れたまま眠ってしまい、目をさますと外に雪が降っている、かくれている間に十年もたったのだ、という幻想に取
りつかれたという。
「鑑賞」この句は右に引いた幻想にもとづくが、目を閉じたり隠れたりするかくれんぼの行為が、「三つかぞえて冬となる」とい
う唐突さや不安をもたらすとみてもよい。 )((
(
「目を閉じたり隠れたりするかくれんぼの行為」、そのほんのわずかな数をかぞえただけで季節が移り変わってしまう「唐突さや不
安」は、先の杉山正樹の指摘と同様であり、『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』で寺山自身が解説したままであろう。
坪内は「解説」のところで、この一句の出典として昭和五十五年(一九八〇)の『別冊新評 寺山修司の世界』に収められた「わ
が高校時代の犯罪」を挙げる。
ここで注意しなければならないことがある。寺山は作品を発表するときに、既に単行本の句集や歌集に収めた作品を、別の単行
本の句集や歌集に再掲載することがある。一つの作品が、二つ以上の句集や歌集に跨がって掲載されたりするので、その作品が、ど
の作品集のものなのかを一概に断定できない。一つの作品が、句集や歌集を渡り歩いていると想像するとわかりやすい。通常、作
品の発表の仕方で、このようなことはあまりしないのではないかと思う。それ故、寺山の句集や歌集を研究する場合、その一句一首
の遍歴史というようなものを実証的に確認していく作業が必要となる。例えば、寺山の代表的な句に「目つむりていても吾を統ぶ
五月の鷹」がある。久慈きみ代によれば、この句の初出は、「青年俳句」一九五四年三月である。久慈の著作 )(1
(を参照しながら続けて
確認していくと、俳句同人誌『青年俳句』は、青森県八戸市で一九五四年三月に、上村忠郎や谷藤剛郎を中心に二十代の俳句雑誌
として創刊され、一九五七年七月まで続けられた。この活動は、同年の二月に寺山たちが創刊した十代の俳句雑誌『牧羊神』と連
動していることもわかる。この一句は、その後、寺山が青森高校時代に参加していた青森青年俳句の機関誌『暖鳥』(一九五四・六) (一四四)
に再掲載される。そして、第一作品集『われに五月を』(作品社、一九五七・一)に収められ、さらに句集『わが金枝篇』(湯川書房、
一九七三・七)と句集『花粉航海』(深夜叢書社、一九七五・一)にも掲載されるのだ。
では、「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」はどうか。久慈は句集『花粉航海』が初出であるとしている。坪内稔典が「解説」の
出典のところで挙げた著作の章題は「わが高校時代の犯罪」であるが、発刊された一九八〇年は、寺山が四十四歳なので「高校時
代」は回想となる。初出の句集『花粉航海』も一九七五年、寺山が三十九歳のときの刊行であるから、先の代表句「目つむりて―」
と違って、この一句は、高校生の寺山が創った句ではないことがわかる。
一方、短歌「かくれんぼの―」の初出は歌集『田園に死す』であるから一九六五年、寺山が二十九歳のときだ。久慈も、寺山が中
学三年生の夏休みに発刊した文芸誌『白鳥』に掲載された短歌を読み解きながら、「『白鳥』にみるこれらの異様な歌は、普通の精
神の持ち主が可視化できない世界を鋭い精神状態(危険な)にあった寺山が可視化した歌といえるのではないだろうか」とした上で、
「第三歌集『田園に死す』の短歌を彷彿とさせる世界である」とまとめている。 )(1
(これは、中学三年生の寺山が描いた短歌の世界と歌
集『田園に死す』を比較しながら、すでに後年の歌集の世界の兆しが中学生のときの短歌に見られると指摘しているわけで、「かく
れんぼの―」一首は、後年の寺山によって生み出されたものであるといった認識に変わりはない。
これら「かくれんぼ」の俳句と短歌を鑑賞するときに参照された『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』は一九七八年の刊行
なので、「かくれんぼ」にまつわるエッセイ集と俳句と短歌とのなかでもっとも古い創作は、短歌の一九六五年と見ておいてよいだ
ろう。「かくれんぼ」に関して言えば、『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』の「かくれんぼ」は、短歌や俳句をもとに創作さ
れた歌物語・句物語の様相があると言えるのではないか。短歌上、俳句上の「私」と、作家の寺山修司は原理的に違っているはずだ
が、以上の全てが「寺山修司」物語としても読めるように、寺山修司によって、関連性を持たせて仕組まれた虚構であると考えてお
けばいい。
第二章 精神史的考察
「かくれんぼ」を精神史の側面から考察した著聞なものに藤田省三「或る喪失の経験―隠れん坊の精神史―」 )(1
(がある。
(一四五)
隠れん坊とは、急激な孤独の訪れ・一種の沙漠経験・社会の突然異変と凝縮された急転的時間の衝撃、といった、一連の深刻な
経験を、はしゃぎ廻っている陽気な活動の底でぼんやりとしかし確実に感じ取るように出来ている遊戯なのである。
「孤独」「沙漠経験」「突然異変」「急転的時間」といった用語による「かくれんぼ」の精神史的考察は、杉山正樹のものと合わせて
読むと、「かくれんぼ」への理解がより深まるだろう。藤田省三は次のように続ける。
すなわち隠れん坊の主題は何であるのか。窪田富男氏が訳業をとられた、G・ロダーリの指摘に従って端的に言うならば、この
遊戯的経験の芯に写っているものは「迷い子の経験」なのであり、自分一人だけが隔離された孤独の経験なのであり、社会から
追放された流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨の経験なのであり、人の住む社会の境を超えた所に
拡がっている荒涼たる「森」や「海」を目当ても方角も分からぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである。 )(1
(
「迷い子の経験」「彷徨の経験」といった指摘は、まさに「かくれんぼの―」一首の鑑賞文でもある。本林勝夫が「鬼の呪縛から解
き放たれないままに年老いた男は、村祭に帰ってきたが、彼は一体誰を探しに来たのか」 )(1
(と問い、梅内美華子が「故郷の村祭りに帰
って、かくれんぼの続きのように歩くが、それは誰を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である」 )(1
(と鑑賞したもの
と同じである。梅内はこの「あてどない彷徨」に「自分探しの物語」をみた。
さらに藤田は、通過儀礼の「成年式」を「比喩的な死」と見做すことで、「かくれんぼ」もまた「世界の転換」のための遠い祖型
であると説明する。
その誕生は赤子の誕生とは違って無からの産出ではない。それは、繰り返しになるが、社会的形姿における生まれ変りに他な
らない。生まれ変りは当然それ以前の姿の死を経過しなければならない。その死は、一つの社会的存在形式の死である限り、既
に言ったように比喩的な死なのであり、それが比喩である以上様々な形をとって表現されうるものであった。 )(1
( (一四六)
「それ以前の姿の死を経過」することで、梅内の言う「自分探しの物語」は、杉山正樹の言う「自我のめざめ」へと結実する。「自
我のめざめ」は「比喩的な死」とともにある。通過儀礼の観点を入れれば、まさに「世界の転換」と「自我のめざめ」は表裏であろ
う。ここでの「自我のめざめ」は、共同体を維持する構成員として、あるいは社会への参加を許される者としての成人を意味してい
る。喜多昭夫もまた、「とことはの「鬼」―かくれんぼ考」 )(1
(で、寺山の『長編叙事詩・地獄篇』 )11
(の「第九歌」と『はだしの恋唄』の
「家へ帰るのがこわい」 )1(
(を引きながら、次のように共通点をまとめている。
この二つの話で共通するのは、「ぼく」が隠れている間に、「鬼」は成人になっている(そして、「ぼく」は年をとらない)とい
うことである。これは、いったい何を意味しているのであろうか。
このように述べながら、やはり藤田省三の先の同書へと論を進めていく。
喜多は、こちらが言及していない寺山の作品二つに触れているので、その出版年月だけをここで確認しておきたい。
『長編叙事詩・地獄篇』は、まずは限定版として五百部が一九七〇年七月に思潮社から出版される。その後、同社から普及版が
一九八三年七月に出る。では、『はだしの恋唄』はどうか。これは、一九五七年一月に、第一作品集『われに五月を』(作品社)を出
版した後、同年の七月に的場書房から出版した散文詩集である。目次をみると「はだしの恋唄」「墜ちた天使」「他人の空」「泥棒の
歌」「火について」そして「僕のノート」となっている。喜多は「『はだしの恋唄』(「家へ帰るのがこわい」昭
32、的場書房)の「ぼ く」も・・・ 」と記しているが、「かくれんぼ」の物語である「家へ帰るのがこわい」は、初出が一九六五年五月の詩文集『ひとりぼっ
ちのあなたに』(新書館)に収められた章段「古いレコードを聴きながら書いた詩物語」のうちの一つである。詩文集『ひとりぼっ
ちのあなたに』は、新書館の「フォア・レディース・シリーズ」の一冊で、『はだしの恋唄』もシリーズの詩文集として再版される。
その後、『寺山修司青春作品集2 はだしの恋唄』で再編され、章段「はだしの恋唄」「古いレコードを聴きながら書いた詩物語」そ の他を一冊にして、荒俣宏の解説付きで一九八三年十一月に出版される。一九九四年五月には『寺山修司メルヘン全集2 はだしの
恋唄』として、やはり章段「はだしの恋唄」「古いレコードを聴きながら書いた詩物語」その他が編み直され、橋本治の解説付きで
(一四七)