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寺山修司の「かくれんぼ」再考

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Academic year: 2021

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(1)

はじめに 拙稿「寺山修司・演劇への入口  下―詩劇グループ「鳥」の演目に見る詩精神― では、寺山修司が演劇実験室「天井棧敷」を旗

揚げする以前の演劇活動に着目し、その詩劇グループのメンバーの一人でもあった詩人の嶋岡晨の創作した詩劇と、寺山修司の詩劇

とを比較しながら、二人の詩精神の違いを考察した。そこでは、寺山修司終生の問題意識である「私」性に対する寺山の思想を、短

と、て、た。

幾度となく創作の場を横断していく寺山ではあるが、詩劇グループ「鳥」を基点とした研究は、研究史から見てもほとんどない。今

回もやはり、詩劇グループ「鳥」の考察へと向かうことになるが、三沢にある寺山修司記念館における新たな調査や、久慈きみ

よる寺山の中学・高校時代の創作活動の精緻な調査の恩恵などに預かりながら、寺山修司の「かくれんぼ」の影響関係について、一

つの見解を示すことにする。

第一章

  『誰か故郷を想はざる』

寺山修司は高校時代から、全国高校生俳句コンクールを主宰したり、十代の俳句雑誌『牧羊神』を創刊したりして、精力的な創作

活動を行っている。その活動を通して、俳人の中村草田男や西東三鬼らの知遇を得、また、詩人の北園克衛の詩誌『VOU』へ参加

するなど、既に一般の高校生とは言えない立場であったと言えるかもしれない。しかし、メジャーなデビューは、一九五四年、十八

寺山修司の「かくれんぼ」再考

葉名尻  竜  一

) 

(2)

歳のときに『短歌研究』第2回五十首詠で特選を受賞したことだろう。この賞は、のちに『短歌研究』新人賞とよばれ、寺山からの

ある。

で、れ、も、三、か、

かしく、新星たちの登場が再び光を帯びて思い返されてきた。むろん一方ではまだ嫌い、疎み、憎んではいるものの、短歌はや

はり魅力ある形式なのかも知れない。

一九八三年の「潮」八月号に掲載されたこの文章は、同年の五月に逝去した寺山をきっかけに書き出されている。このあと、昭和

二十五年(一九五〇)の葛原妙子から始まり、塚本邦雄、相良宏、岡井隆、田谷鋭、中城ふみ子、石川不二子、そして寺山修司にふ

れ、続く春日井建、浜田到、村木道彦など、その前後の時期にデビューを果たした歌人たちと中井の気に入った短歌をできる限り一

首ずつ挙げながら、懐かしく回想していく。

当時の原稿や手紙を入れた箱を探してみて驚いた。肝心な中城と寺山の応募原稿が見当たらない。それに塚本からの夥しい手紙

の束も。かねてひとつ所に十年も住んでいると、物体は不思議な沈下現象を始め、なくなる筈のないものまでどこかに埋没して

しまうことはこれまでも経験ずみだが、探せば探すほど相手は上手に隠れんぼをして音も立てないので、しばらく放っておくこ

とにしよう。鬼が家へ帰ってしまったと知ったら、意地悪な悪童たちもやがて退屈して出てくるに違いないから。

中井は、中城ふみ子と寺山修司の応募原稿がどこかに紛れ込んでしまい見つからないことに触れている。しかし、これは単純に物

だけのことを述べているのではないだろう。「物体」は沈下し始め、「なくなる筈のないものまでどこかに埋没してしまう」が、当時

の記憶もまた、同様に隠れんぼをしていると読める。このあと、中井は、寺山がネフローゼを患って生死をさまよった入院先から中

井の元に届けられた一葉の葉書を見つける。それは当時の匿名時評で、中城ふみ子と寺山修司と中井英夫とを並べて罵倒した記事に ) 

(3)

ついて、若き寺山が、まだ見ていないが「だれにも負けない、たゞ、ほんとうに体が」と綴ったものである。中井は、寺山の早すぎ

る死を前にして、デビュー時の寺山の「だれにも負けない」という言葉を見つけることになるのだ。

さて、こうして思い返してみると、人間もまた時間という奇妙な樹木の陰で、巧みな隠れんぼをしている気がする。森閑と人

の気配のない原っぱのさびしさ。家へ帰れもせず、鬼をやめて子になることも出来ない、だってかれは死んだのではなく、辛抱

強く隠れて私が探しにくるのを待っているのだから。

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭       修司

中井は、寺山の「かくれんぼの―」一首を引いてこのエッセイを結ぶ。まだ無名だった若者を、結社に囚われない新人発掘の企画

に、た、る。使

ッセイは、寺山にとって「かくれんぼ」が重要な問題だったことを示唆していよう。

は、る。ら、

る。て、し、

の、げ、

用意して 多彩な編集ぶりを発揮した。杉山は、当時活躍していた詩人や思想家など、歌壇の枠組みを超えた人選をして、歌人との

短歌論争を仕掛け、前衛短歌を近代短歌史に刻む。寺山修司もこの企画の流れで、詩人と前衛短歌論争をした歌人の一人である。

杉山正樹には寺山修司についてのまとまった書き物があり、その『寺山修司・遊戯の人 から「かくれんぼ」に関したところを引

用する。

かれが終始くりかえした〈かくれんぼ〉という主題。本質的な孤独感は、人間が自我のめざめとともに味わったことがある、あ

の感覚に共通している。今ココニイル自分ハイッタイ何者ナノカ?  コノ今トイウ瞬間ハ、何ナノカ?  もしかしたらこの現象

は夢ではないかと、誰でも子どものころに感じたあの名状しがたい不安。大人になるにつれて、世俗の時間のなかに馴致させて

) 

(4)

ゆくあの感覚を、寺山はどうやら終生持ちつづけたらしい。子どものときに抱いた疑問を、そのときの感覚のままで忘れること

なく、くりかえし問いつづけた。その典型的な例が〈かくれんぼ〉の情景です。かくれんぼの鬼にされて目をつむり、もういち

い。て、い、に、

遊び仲間の子どもたちはとっくに大人になっている。この奇妙な、未来の時間のほうが逆に過去として感じられるような郷愁風

景をかれは偏愛したのでした。

幼い頃に父が戦病死し、母もまたアメリカ軍基地へと労働に出かけて不在だったため、その寂しさから、仲間をどうにかして遊び

に、る。に「た。の「

れんぼ」が寺山の終生の主題になったと位置づける。子どもの頃に誰もが感じた「あの名状しがたい不安」や「本質的な孤独感」は、

人間の「自我のめざめ」と大いに関係すると書く。

り、と、い。て、

わってしまい、自分だけ昔のままの子供なのに、遊び仲間の子どもたちはとっくに大人になっている」との杉山の解説は、先に中井

英夫が引いた短歌の鑑賞としても読解できるところがあろう。

ごっこ遊びから解放されず、未だ鬼役を続けているのは自分ばかり。確かに老いてはいるが、自分一人だけが子ども時代を生きて

おり、遊び仲間はすっかり大人の時代へと移っている。取り残されたのか、あっという間に時間が流れたのか、自分と仲間との間に

は異時間が横たわっている。以上が短歌に詠まれた世界である。杉山の指摘する「自我のめざめ」が、成長への不安とともに詠まれ

た世界だと表現してもいい。

の「―」は、年、集『』「か「

れた。ここで、この短歌の鑑賞をいくつか確認しておきたい。歌人の梅内美華子は次のように解説する。

この歌の前に「呼ぶたびにひろがる雲をおそれゐき人生以前の日の屋根裏に」が置かれている。「人生以前」、人生の苦を知る ) 

(5)

前の幼少期、少年期の回想を含んでうたわれている。

子供たちの遊びの定番「かくれんぼ」で鬼になって以来、その役から解放されないまま、年を重ねた。故郷の村祭りに帰って、

かくれんぼの続きのように歩くが、それは誰を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である。

「かくれんぼ」「鬼」「誰」「村祭」と、農村と子供の風景を伝える言葉がかさなりあってできている。そしてこれは特定の故郷

や村ではない、虚構のなかの故郷である。鬼の役を解かれない少年から大人になった者の、自分探しの物語。時間の経過の喩と

る「」。り。を「

暗示している。また鬼は生贄、人身御供のことでもある。一見平明な歌に見えながら、物語と比喩を抱え込んだ多層性のある歌

である

の「」「の「句「を、き、が「

期、る。ず、が、

を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である」といった点は、一つの読解である。例えば、こちらの大学での講義

で、げ、に「と、

ら「」「」「ど、る。

は、い。る。

たと思うか」といった問いかけ方が、無理にでも対象を描かせてしまっているところもあるが、それを差し引いても、鬼のあてどな

は、げ、る。は「」「ど、

する指摘もあって、村落共同体の闇から目を逸らさない。その上で、鑑賞の中核は「自分探しの物語」とするところである。

それでは、歌人の本林勝夫はどうか。「〈評釈〉寺山修司の短歌

20首」のなかで次のように鑑賞している。

かくれんぼの鬼になった子はいつまでも探しつづけるが、あの子もこの子もみんなそれぞれの家に帰ってしまった。それから

の長い年月、鬼の呪縛から解き放たれないままに年老いた男は、村祭に帰ってきたが、彼は一体誰を探しに来たのか。

) 

(6)

郷愁をそそる一首だが、人生の「鬼」にとりつかれた男はふるさとの祭の賑いに何かを求めている。それは魂の母郷への思慕 か、おのれの人生の欠落を埋めようと課せられた鬼の仮面をとり外しに来たのか

に、て、

いかけをした。本林自身は、この問いかけに具体的に答えていないが、村祭りに鬼が求めているものは「魂の母郷への思慕」や「人

生の欠落」であるとしている。梅内が「故郷」と言い、本林が「母郷」と表現するイメージは、直接には短歌にある「村祭」の語か

ら生まれたのであろうが、本林も鑑賞の後半で言及することになる寺山の『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく の「かくれん

ぼ」の影響がこの一首の鑑賞には大きいはずだ。歌集『田園に死す』とは別の著作になるけれど、寺山の「かくれんぼ」に対する考

えを確認するために、少し長めに引用する。

れ、ら、か「

という遊びが好きになった。

帰りの遅い母を待つあいだの退屈さ、「鬼畜米英」のベースキャンプへ就職して、(しかもメイドというきわめて低い階級の労

口、て、い。は、

の死後しばらくは呆然として、精薄のように見えたが、思い切ってベースキャンプの求人広告「戦争未亡人優遇す」に応募して

からは、髪を染めたり、豊頬手術をしたりして若返った。

そして、取り残された私はわけもなく「かくれずには、いられない」心境に達し十四歳にもなって「かくれんぼ」遊びに熱中

するようになったのである。

一体、私にとって「かくれんぼ」とは何だったのだろうか?

り、と、

いつのまにかうとうとと眠ってしまい、目をさますと戸口の外に雪が降っている。かくれたときは、たしか春だったような気が

するがと、呆んやりしていると、見つけたぞ、見つけたぞと言いながら入ってくる鬼の正ちゃんがいつのまにか大人になってい ) 

(7)

て、て、る。の「ぞ、う、て、

かくれんぼのあいだに十年以上の月日が流れてしまったという幻想に取憑かれている。

べつの日私は鬼であった。

子供たちはみな、かくれてしまって私がいくら「もういいかい、もういいかい」と呼んでみても、答えてくれない。夕焼けが

しだいに醒めてゆき、紙芝居屋も豆腐屋ももう帰ってしまっている。誰もいない故郷の道を、草の穂をかみしめながら逃げかく

れた子供をさがしてゆくと、家々の窓に灯がともる。

その一つを覗いた私は思わず、はっとして立ちすくむ。

灯の下に、煮える鍋をかこんでいる一家の主人は、かくれんぼをして私から「かくれていった」老いたる子供なのである。か

くれている子供の方だけ、時代はとっぷりと暮れて、鬼の私だけが取残されている幻想は、何と空しいことだろう。

私には、かくれた子供たちの幸福が見えるが、かくれた子供たちからは、鬼の私が見えない。

私は、一生かくれんぼの鬼である、という幻想から、何歳になったらまぬがれることが出来るのであろうか?

「ある状況についての幻想を捨てたいという願いは、幻想を必要とする状況を捨てたいという願いでなければならない」(カー

ル・マルクス)

この創作的な要素も加味された自叙伝の物語に、寺山の「かくれんぼ」を読み解くほぼすべてが詰まっているのではないか。父と

母の不在からくる寂しさと、ベースキャンプで働く母への羞恥心とがない交ぜになった孤独感。かくれたときは春だったのに、目を

る。は、

れている間に「異時間が流れて、外界はすっかり変わって しまったと指摘したところである。自叙伝らしくない自叙伝の創作物語 は、梅内美華子や本林勝夫がイメージした故郷を求めながら、「人間の自我のめざめ (1

とともに紡がれる。

この『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』に言及しながら、俳人の坪内稔典は「かくれんぼ」から始まる寺山の俳句を鑑賞

している。寺山には「かくれんぼ」の俳句もある。坪内は「〈評釈〉俳句

20首」のなかで、次のように記している。

) 

(8)

かくれんぼ三つかぞえて冬となる

」「て「評・」(

55表。に「

」(』)イ『』(

43

れている。隠れたまま眠ってしまい、目をさますと外に雪が降っている、かくれている間に十年もたったのだ、という幻想に取

りつかれたという。

「鑑賞」この句は右に引いた幻想にもとづくが、目を閉じたり隠れたりするかくれんぼの行為が、「三つかぞえて冬となる」とい

う唐突さや不安をもたらすとみてもよい ((

 

「目を閉じたり隠れたりするかくれんぼの行為」、そのほんのわずかな数をかぞえただけで季節が移り変わってしまう「唐突さや不

安」は、先の杉山正樹の指摘と同様であり、『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』で寺山自身が解説したままであろう。

坪内は「解説」のところで、この一句の出典として昭和五十五年(一九八〇)の『別冊新評  寺山修司の世界』に収められた「わ

が高校時代の犯罪」を挙げる。

る。に、を、

本の句集や歌集に再掲載することがある。一つの作品が、二つ以上の句集や歌集に跨がって掲載されたりするので、その作品が、ど

い。が、い。常、

品の発表の仕方で、このようなことはあまりしないのではないかと思う。それ故、寺山の句集や歌集を研究する場合、その一句一首

る。ば、に「

る。ば、は、る。 (1

と、誌『は、に、

れ、た。は、誌『

る。は、後、誌『』( ) 

(9)

に再掲載される。そして、第一作品集『われに五月を』(作品社、一九五七一)に収められ、さらに句集『わが金枝篇』(湯川書房、

一九七三七)と句集『花粉航海』(深夜叢書社、一九七五一)にも掲載されるのだ。

は、か。集『る。が「

は「が、は、で「

る。集『年、ら、句「―」

と違って、この一句は、高校生の寺山が創った句ではないことがわかる。

一方、短歌「かくれんぼの―」の初出は歌集『田園に死す』であるから一九六五年、寺山が二十九歳のときだ。久慈も、寺山が中

誌『ら、「『は、

神の持ち主が可視化できない世界を鋭い精神状態(危険な)にあった寺山が可視化した歌といえるのではないだろうか」とした上で、

集『彿 (1

は、

集『ら、で、

れんぼの―」一首は、後年の寺山によって生み出されたものであるといった認識に変わりはない。

これら「かくれんぼ」の俳句と短歌を鑑賞するときに参照された『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』は一九七八年の刊行

で、は、

ろう。「かくれんぼ」に関して言えば、『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』の「かくれんぼ」は、短歌や俳句をもとに創作さ

れた歌物語・句物語の様相があると言えるのではないか。短歌上、俳句上の「私」と、作家の寺山修司は原理的に違っているはずだ

が、以上の全てが「寺山修司」物語としても読めるように、寺山修司によって、関連性を持たせて仕組まれた虚構であると考えてお

けばいい。

第二章  精神史的考察

「かくれんぼ」を精神史の側面から考察した著聞なものに藤田省三「或る喪失の経験―隠れん坊の精神史― (1

がある。

) 

(10)

隠れん坊とは、急激な孤独の訪れ・一種の沙漠経験・社会の突然異変と凝縮された急転的時間の衝撃、といった、一連の深刻な

経験を、はしゃぎ廻っている陽気な活動の底でぼんやりとしかし確実に感じ取るように出来ている遊戯なのである。

「孤独」「沙漠経験」「突然異変」「急転的時間」といった用語による「かくれんぼ」の精神史的考察は、杉山正樹のものと合わせて

読むと、「かくれんぼ」への理解がより深まるだろう。藤田省三は次のように続ける。

すなわち隠れん坊の主題は何であるのか。窪田富男氏が訳業をとられた、G・ロダーリの指摘に従って端的に言うならば、この

遊戯的経験の芯に写っているものは「迷い子の経験」なのであり、自分一人だけが隔離された孤独の経験なのであり、社会から

追放された流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨の経験なのであり、人の住む社会の境を超えた所に

拡がっている荒涼たる「森」や「海」を目当ても方角も分からぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである (1

「迷い子の経験」「彷徨の経験」といった指摘は、まさに「かくれんぼの―」一首の鑑賞文でもある。本林勝夫が「鬼の呪縛から解

き放たれないままに年老いた男は、村祭に帰ってきたが、彼は一体誰を探しに来たのか (1

と問い、梅内美華子が「故郷の村祭りに帰

って、かくれんぼの続きのように歩くが、それは誰を探すというものでもない、あてどなく茫洋とした彷徨である (1

と鑑賞したもの

と同じである。梅内はこの「あてどない彷徨」に「自分探しの物語」をみた。

は、の「を「で、た「

であると説明する。

その誕生は赤子の誕生とは違って無からの産出ではない。それは、繰り返しになるが、社会的形姿における生まれ変りに他な

らない。生まれ変りは当然それ以前の姿の死を経過しなければならない。その死は、一つの社会的存在形式の死である限り、既

に言ったように比喩的な死なのであり、それが比喩である以上様々な形をとって表現されうるものであった (1

) 

(11)

「それ以前の姿の死を経過」することで、梅内の言う「自分探しの物語」は、杉山正樹の言う「自我のめざめ」へと結実する。「自

我のめざめ」は「比喩的な死」とともにある。通過儀礼の観点を入れれば、まさに「世界の転換」と「自我のめざめ」は表裏であろ

う。ここでの「自我のめざめ」は、共同体を維持する構成員として、あるいは社会への参加を許される者としての成人を意味してい

る。た、の「 (1

で、の『詩・ 11

の「と『

「家へ帰るのがこわい 1(

を引きながら、次のように共通点をまとめている。

は、に、る(て、

うことである。これは、いったい何を意味しているのであろうか。

このように述べながら、やはり藤田省三の先の同書へと論を進めていく。

喜多は、こちらが言及していない寺山の作品二つに触れているので、その出版年月だけをここで確認しておきたい。

詩・は、る。後、

一九八三年七月に出る。では、『はだしの恋唄』はどうか。これは、一九五七年一月に、第一作品集『われに五月を』(作品社)を出

後、る。と「」「使」「」「

歌」「火について」そして「僕のノート」となっている。喜多は「『はだしの恋唄』(「家へ帰るのがこわい」昭

32、的場書房)の「ぼ く」も・・・ 」と記しているが、「かくれんぼ」の物語である「家へ帰るのがこわい」は、初出が一九六五年五月の詩文集『ひとりぼっ

』(段「る。集『

ちのあなたに』は、新書館の「フォア・レディース・シリーズ」の一冊で、『はだしの恋唄』もシリーズの詩文集として再版される。

その後、『寺山修司青春作品集2  はだしの恋唄』で再編され、章段「はだしの恋唄」「古いレコードを聴きながら書いた詩物語」そ の他を一冊にして、荒俣宏の解説付きで一九八三年十一月に出版される。一九九四年五月には『寺山修司メルヘン全集2  はだしの

て、段「」「れ、

) 

参照

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