、
岡
本
理
一
ご 一
三
四
五
経濟再..建と中小商業
巾・小商㎜業一問〜題の⁝進展
中小商業閏題の進展︵綾︶
山・小商㎜業再建の方策
申小商⁝業と協同組合
蜘 輕濟再建と申小商業 戸 . ・
今日︑日本銀製の再建にあたり︑生産塘強をはかる﹁産業﹂振興の煎要性については︑殊奥論ずる要なを自明のこ
.と玉せられるに絢はらす︑これが配給部門を措卜する﹁商業﹂再建の重要性にりいては︑未だ活魚なる論議の展開
︵註一︶ をみす︑たとへ説く者あるも︑それが果して從來のごとき地位ど職能を有し得るや否やにつき︑意見の一致をみざ
る早態である︒その理由とするところは種々あるが︑最も現身的には︑もともと物資の配給は生産の後鞘として顯
現し︑生産なきとヒろ配給事象は絶封に生じ得す︑したがって今日のごとき︑未だ戦時紅濟の暴食せる槻ある一般 の 生産馬事の停頓により︑厳格並に配給の統綱の泰然︑必要とせられ︑戦前の商業へ復蹄し得る時期は未だ到駕せざ
るにより︑とれが論議も亦︑術早な齢として差控へられてるるやうである︒まととに商業の位置する配給組織は輕
濟過程上︑生産と船下の中腰に位し︑その地位の重要性や形態の礎化は︑一方生︑産山織上の憂革により多.分に影響
・ 避三
評 階囁甲
︑ ノρ
舜五四︑
せられると同時に︑他方溝費者側の運動或は要望によっても影響せられ︑それ自費の要請によることは甚だ少いゆ
ゑ︑か瓦る理由のあげられるは縞馬のことに耀し︑すでにこれが例誰は︑かの﹁配給維面罵題しの勃興もた抑六の .起因が産業革命につ璽く髄剰生産の克服に存し蕩また今次⁝戦争申にみる配給組織の攣革いも軍需生産の増強と民需生
慶の抑制といふ生産統制政策に多く影響されてるるこ.とより︑明かに知られるととろである︒しかしながら眞の商
業再建に浮する根本的論議は︑か製る事象のみに捉はれず︑更に再建維濟の規模並に性絡に嘉事して爲されること
を要する︒換言すれば︑今後における商業の地位︑動向億專ら臼本経濟の規模並に性格によつて定めらるべく︑こ
れを無輸し呼て唯︑門前の自由主義的商業へ復麟せん之希求するごとき一部の願望的見地や︑或は中間利潤の排除に
急なる百計︑今後の商業存績を否歯せんと企圃慮るごとき一種の理念的見地に立てる論議は︑必ずしも正鵠を得た
ものとは蒼し難い︒例へぱその規模において︑將來我が國経濟が墓灘︑朝鮮︑千島︑滞蹴瞭のごとき奮疑心や蕎領
土といかなる關係を有し︑また廣く國際維濟の場裡にあっていかなる地位を輿へられるやは︑將來の我が濃業や商
業の地位.動向に影響するところ決して少くないのである︒またその性格において︑我が國給油が資本主義的なり
や﹂或は越美主義的なりやにより︑商業の経濟紐織上に占める意義は必ずしも一様ならす︑依然その職能を充分三
思し得るものあると同時に︑中には排除の運命をみて存緬の不能なるもの無きを保し難いのである︒かエる慧昧に
壽いて︑以下商業特に中小商業の範園を物資配給業に限定して之が再建を論蓮するにあたり︑一感︑基礎的論擦と
なる﹁下意再建﹂の問題をとりあげ︑その意義︑内容を究めつ玉︑商業の有する地位の重要性に論及してゆきたい
と思ふ︒ ︑ ︑ .
さて日本皇家の再建にあたり︑ ﹁経濟再建﹂は他の政治︑法律︑敏育︑文化等の再建と共に為きはめて重要なも
の瓦一︐に数へられるが︑中に就き︑それが國民の鮮血生活に最も密接なる二重を有するの故を以て︑特に重要覗せ
転
ゐ ノ られる︒蓋し維︑濟とは人が臼常生活の維持︑磯展︑に必要とする物質を獲得し︑これを使用するととろの事象を指す
ゐであるが︑すでにか蕊る物財の供給は戦時申より引績き著しく減少し︑今後もその堰加は當分の間︑生産上その
他に存する制約のため大なる期待はかけ難く︑これは常然︑闘民の生活水準を低下せしめ︑ひいて他の生活邦葡に
與へる影響も決して少くないからである︒この意味において綻濟再建は軍に國民の維濟生活を安定せしめる基盤と ・︐ 蓼・ してのみならす︑更に他の諸生活を向上せしめる動因として口本駅家の再建途上驚黒蝿の課題とせられ︑これが成
否はまさに同胞八千萬の死活を制するほどの重要性をもつものと稀して過言でない︒しかもこれが再建の道は決し
て亭主なものでなく︑そこには幾多の難關や課題が横たはり︑これらの克服や解決は必ずしも容易の業でないので
ある︒すなはち先ずその難關として︑内部的に食糧問題Yインフレ問題︑失業問題等のごとき諸制約が存し︑また
外部的には敗戦にともなふ當然の義務たる賠償支佛︑植民地喪失︑貿易管理等の制約條件が存し︑か詣る外部的諸 ︑
制約の全貌が當分の闇︑明かならざる結果は︑維濟再建の設計を著しく困難ならしめ︑専ら内部的諸開題の解決を
はかる政治力の強化と︑経濟施策の徹底とを要請する忙止る實駅である︒畝にその課題としてば︑當面︑緊急に共
封策樹立を必要とする食糧堰産︑インフレ抑制︑物偵︑安定︑失業救濟等の諸問題と︑これらの危機叢誌的課題を前
提とする恒久的な産業再建並にこれと關連を有す惹諸方策の實施といふごとき聞題も存し︑すでにごれが國家の樹
策は一部茄手されてるるのを見るのである︒例へば金融緊急措置︑軍需補償打切等に倒する一蓮の封策は前奢の営
面的課題の解決をはかるため必要とせられ︑同時に翰墨の産業再建といふ恒久的課題解決のためにも必要なものと
言ぴ得よう︒しかしながら現在のあらゆる當面的課題を解決し︑す混んで買本造濟を根本的に建て直すの道は︑先
卸す基礎産業たる石炭︑鐡鋼︑化學肥料等の鍍工業を擬興して生漆均弧をはかり︑次いでこれを他の重要盗業部門に .似及し︑原料晶︑厩用品を豊富に生産して︑一般産業界の獲達と國民生活の安定をはかるところにあるものと言は叙
五五
窃 〆
霧
蓋 五六
ぼならぬ︒それゆゑ経濟再建方策はすべてこれらの諸黙を目標とゼて樹立︑實施されることを要し︑本小稿に論述 ︒せんとする.﹁中小商業の再建﹂亦かNる智慮方策の一︑環として︑隔それが産業振興と民生安定に寄州すべぎ目的を有
︐するの故を以て︑その軍要性が確認せられるのである︒然らば謂はゆる﹁維濟再建﹂はいかなる構想によって成就
され︑また商業はその中にあっていかなる地位を占めるものであるか︒
思ふに経濟鋳鋼が生産増強を目指す﹁置薬再建﹂を中核として行はれることは悔抑々維濟過程の潤獲が生産に始
まるといふ自明の原則よりみて當然のことであるが︑事蜜にみいても︑戦時申に噴ける軍需産業への︑偏重と重職後 み にみ乃同般生産の停滞とは︑基本的生活物外の供給を著しく低減せるめた爲︑と0事は特に強ぐ要請せられるので
ある︒而してこれが達成の道は︑要するに一面︑群民の積極的なる建設意歓峰よる生産再開への宿主的里心と︑他面
生産増張を阻む鍋倉的諸原因の排除︐克服による生漆活動の量的︑質的向上にある臨のと言ひ得よう︒すでに今日︑
・我が藤業のうち︑農業た届と鑛工業たるとを開はす曳本格的なる生膣再開乃至増強をはか乃ため︑或は國家σ施策
により︑或は企業者偵身の手をもつて種汝の樹策の講ぜちれてるるのを見るが︑金面︑ごれが障害となれる維濟的
励因ともては︑先ず原料︑資材の不足があげられ国之れへめ解決的努がが試みられてみるやうである︒しかしとれ
は元來︑國土狭小にして且資源的に恵まれること少き我が國にと夢︑或程度︑己をを得ざる隆路であって︑恰も無 より有を生するととの不可能なるに似て鞠その根本的解決を我が國のみではかるは︑もとより至難のとと玉言はね ≠ 毒 ばならぬ︒而してかNる當面の生産再開を阻む隆路として︑罵り原鼠捕資材の不足のみならす︑更に廣く商業組織
︵機構︶︑の不備なるため︑例へぱ費買︑蓮逡︑保管︑金融等の諸紅織が整備せられざるため︑物資流通の不図滑を
きたせるこどみるは注目するを要し・たとへ必要なる原料︑資材が存在するとも︑これを能率的に使用し得すして
生産減退の原因となってみるピと少くないのである︒このととは抑π今口の維濟就會における物資の生産が︑圓滑
航︐
あ なる原料︑資材の供給と︑製品の販萱との爾者を前提︑後起としてのみ可能とせられる原則よりみて明かであらう︒ ごNにおいて當面の中盤として速に配給紐織を再編成し︑以て生産の再開と蝉吟生活の安定を目途せる機構を整へ も るごとが要素せられ︑﹁商業再建﹂が﹁産業再建﹂と相並んで距要とせられる所以がみられるのである︒さは言へ︑ . 眞に我が國民経濟上︑商業に劃し確固たる地位を輿へ︑その職能の重要牲をもたしめるものは︑か瓦る當面的課題︑ の解決に手輿するといふ事由のみに魅せす︑更に根本的には今後の思健維濟の性格や産業の構域によって決せらる べきものである︒よってその然る所以を順次述べてゆくこと玉する︒ 第二に︑再建さるべき戦後維濟の性格が資本・王義経濟であることは︑ 7商業Lをしで依然︑從來通りの職能たる
タ生産と留浦費との聞に存する入的︑場所的及び時⁝間的懸隔を竪結⁝するといふ計 倉的任務をもたしめ︑その重要性に格⁝ 別の墾化を輿へる・ものでない︒た璽今口は︑戦後経笹下の諸機構が一時的混観心は攣乗せるにより︑商業の地位が \ やΣもすれば輕観される傾向あるに鑑み︑その然らざる所以を︑維濟轟建といふ緊要問題に照聴せしめて強調する までのことである︒・勿論︑今後の維濟紐織が資本主義戦濟以外のものによる場合︑例へば就會主義手傷である場合
お
には︑或は今日の煙塵商業のごとき︑すべてその姿を浸し︑他の形態例へば嘗ての革命直後のソ蓮にみたる國螢商 ダ 店や浩費組合のごときものが設けられるかもしれない︒しかし今後の羅本維濟が蜥次︑枇會化される傾向にあると
は言へ︑それはすべての産業や商業を國有國螢化する就留主義経濟の實現を意味するものでないごとば︑決して全
面的なる商業排除の事態を惹起せしめるものでない︒何故か︒周知の通り今日︑再建さるべき洋語維濟の性格にり ノ いては︑耳環の間に必ずしも意見の一致をみす︑或は自由主義的資本主義経濟への復麟を篤き︑或は統制資本主嚢ゾ
輕濟の岡垣を語り︑或は就會主義計書淫濟への移行を主張する等︑種々の論議が行はれてるるが︑このうち何れに
よるべきやは︑要するに從來の我が國昆昏々に内在せし特質︑即ちその焚展の欣態や與件たる人口︑技術︑資源︑ ︐ ﹁ 卍五七 ハ
齢
五八 誰
資本等の諸事情をよく参按して定めらるべく︑徒らに希望的観測や理念的構想に堕して論議することは金けねばな
らぬ︒然らばその特質は如何︒顧るに我が資本主義維濟の生成︑獲展は明治以來のととに鵬するが︑隊米先進國に
比し著しく立番れてるた爲︑これをきはめて短期間に大なる獲達をなさしめんと所期された結果は︑前記敵米諸國 婁る特殊の震を示し︑明南新暴︑約八+考奮︑外櫻ともあれ︑その蒸気いては尿管霧回
報輕濟にみる生薩力の霧笛なる翁島や企業者の緑樹的活動は比較的少く︑むしろその翻心の及ぶところ︑今次戦爾
に際し生産撰充阻害といふ事態をもりて表面化したほどであった︒か製る歓陥を一言で平せば資本主義維濟に内在
する封建的性格と短し得︑それは一面︑低位生産を行ふ零細な農民輝濟や中小企業の存在によって特徴づけられる
と同時に︑他面︑かエる中小企業の不合理和姦螢の故に︑その存立條件を與へられ︑專ら商入的なる中隔利潤の獲 ん 得につとめたところの大企業繰が至濁占企業誌濟の存在によって代表されてきたものである︒すでにこれが例誰は︑.
從來の我が中小企業が資本主蔑的生産を行ふに必要なる資力︑技術︑設備等の黙においていかに貧弱であり︑近代 ゆ 葡なる合理的維螢をなし得すしで︑とれ練り生する維嵩上の歓陥を專ら低廉なる勢力に依寒して補ひきたれるとど
によりて窺ひ得︑ま売資本的には大企業や問屋に隷薦しで︑製品の販萱その他においてレいかに不利なる地位に置 セ ︒かれてみたかを見るごとによっても容易に知られるところである︒更に大企業にあっても︑もともと中小企業と異
り︑資力︑技術︑設備の寡黙において相當憾まれながら︑これを寄寓的に活用する資本主襲的生経方法をとらす︑
したがつ.て経醤の合理化も足らす︑びたすら多数の零細経螢の上に鱈漉して︑倉入的なる中間科潤の獲得に努める
め お か が もの製多かったのも︑同じく封建的性格を示す一例と言ひ得よう︒しかもかくのごとき封建的性格が從來の我郭紅
濟紐織において︑軍なる一個の︑附加物のごとき存在でなく︑一つの制度として︑謂は強構造的存在としてみられた
ととは︑その梯拭に大なる困難を絆はしめるものと言口はねばならぬ︒こσ意味において今後の輕濟鴇建にあ売り︑
緯
何よりの急務は︑かΣる封建的性格を根本的に除去し︑各企業に肥し自主的にして合理的・なる維螢を行はしめるこ
とでありて︑このため一癒︑本來の資本主義経濟に復讐することが要望せられるのである︒蓋し今日︑人々をして
ゑ へ 寒点な穎建設意欲をもつて生産活動に難事せしめ︑また混忽せる生活扶態を安定せしめる6道は︑︼磨立ちおくれ
た資本主義経濟を復興し︑それに好適なる地盤を與へることが最も必要とせられるかちであって︑一部に唱へられ るごとき一実に黒鳥主義計叢黙思へ移4訂することは︑現下の急務たる生産再開の能無性よりみて︑決して是認せら
るところでない︒これを事實に徴するも元來︑我が國の全面的計苓口主義化については︑先ずソ蓮の援助を必要とす
るに絢はらす︑現下の國際惰勢はこれが實現を容易に許さす︑また國内資源の貧溺性と敗戦にもとつく生産設備の
破壊︑減少等は我が軍猫の枇會主義化を困難ならしめるものと言はねばならぬ︒.もとよの一穂︑本影の資本主義維︑ む 濟へ復蹄するとは言へ︑それが從來の資本主義経濟と異ゆ︑多分に統測され︑また就會化され七肴ぐべきは︑上蓮 .のごとき封建性除去の要請よりみて當然のことに蝕し︑すでに絡戦後にみる財閥の解艘︑農地制度の改革︑勢働紐
合法の制定等のごとき謂はゆる経廻民主化への施策をもつて機會均等の實現が所期せられてるることは︑これらへ
に ほ の前進を物語るもαと言ぴ得よう︒とまれ再建経濟の性格が本來の資本主義経濟であることは︑嘗てのその四達が ・ ぽ ︑商業に負ふところ甚だ多かったのと同様︑今後も依然︑商業の職能を有用ならしめ︑その地位を重要ならしめるこ
とに攣軌なく馬た穿戦時中︑商業の多くが企業整理や輕慶業により粗玉の攣革をみてみた爲︑その再編成を必要と
するにすぎないのである︒
第二に︑再建さるべき産業の構成が中小企業を根幹として行はれることば﹁中小商業﹂をして依然︑從來通りの
地位と職能をもたしめるものである︒すでに述べたるところによって明かなるごとく︑再建維濟の性格が資本主義
ア チ 経濟である結果は︑商業の重要性に何の攣りもみないのであるがYた讐問題は中小規模のものが︑今後も從來通り
五九 ジ
ノ 譲 六〇
存綾し得るや否やといふことである蓋し今後も依然︑愚母商業が存綾するとすれば﹀これが再建薄鍋の樹立上︑ 春 再 ﹁ ︵ 從來の我が申小商業に存した封建的諸事係を一︑切除去すると同歯に︑その長所を一層よく獲製せしめることが肝要︑
ア や な となるからである︒との意味において今後の我が國産業の構成を熟覗もて︽その根幹が農業なりや工業なザや︑ま
たてれらの何れかによるとして︑その規模が大なりや小なりやを究めるととは︑自ち商業の規模を規定する上に大.
なる影響を與へるものとして︑甚だ大切なこと玉言はねばならぬ︒然らば今後の.我が産業構成は如何コ周知の通り
我が漆業の進路につVては議論が多W︒敗戦直後︑一博﹁農業庭藤﹂といふごとが唱へられ︑農本主義に傾いたこ
ともあっだが︑これは戦時屯︑蓮合鴎側より﹁扇本をして農業國家たらしめる﹂といふ方針の傳へられたことによ・
るものであって︑もとより我が國の實情に通合せる進路と稻し難い.勿論︑今後の我が國が現在よ力多かれ少なか
畠れ︑農業國としての性格を張くすることは否定し得す.ま距農業による食糧増薩は界面の緊急聞事であるから︑.こ
の瓢︑農業の軍要性は車田されねばならぬが︵しかしこれを文宇通りに解しで農業一本で進むことは︑徒らに我が
國をして﹁貧農の國﹂に堕せしめるものと言ひ得よう︒︑その理由は我.が國現下の實惰に鑑みるとき︑膨大なる人口
乏狭少なる國土並に貧弱なる資深を前提とする愚民纏濟の維持獲展は㌃農業のみに依存し得す︑画然︑海外の原料
たよる輸出工業を振興してζれに過剰勢力を吸牧せしめ函また製晶を喩幽して撫工賃を牧得するぽか︑その道を見㍉
出し得ないからである︒加之︑今後農業の獲達をみて農業人影が増加するとも︑それ自愛の力のみによって獲展し
得るものでないことは特に留意を要する︒驚よそ農村並に農業の獲展は︑都市並に商工業の嚢展に負ふところ甚だ
多く︑すなはち蒋はその生霧の販路を多く都市に求め︑或餐毒して︑或は原料とし三面市民主業に露
嬰せられ﹂伺時にその農業生産に必要なる農機呉︑子肥料︑或はβ常生活に必要なる必需晶を主として都市の工業に
抑ぐを要し︑之の聞︑商業は爾者の配給部門を捲越して物資流通の迅速乏圓滑を期する等㌦これら三者は右軸依存
鳴
の關係に置かれてみるのである︒このことは從來︑我が集約農業の維螢が多量の肥料によって支持せられ︑この面
を通じて工業並に貿易に依願︐してみた一例一戦前︑燐酸の原料たる燐千石は一一+二銘を南洋︑熱球より︑七十八%を米國︑.
詑アフリカ及び太卒洋諸周から移輸入してみた−︑に徴しても明かである︒かくて我が國が自省臨足的なる農業君家とな・
り簿外國と何の綻濟關係も持たすに進むことは︑言ふべくして實現至難とせられ︑是非とも海外嚢展的なる工業國
家に韓廻して諸外國と密接なる経濟關係を持ちつ蕊進むことが要請せられ︑このため輸出工業の振興が何よりの急
務となるのであるもさてかく輸出工業を中核として産業の再建をはかるとして︑それは大工業によるべきや︑或は
中小工業で進むべきやと言ふに︑これは一概に定め難いが︑一面における財閥解艦にともなふ猫占企業の禁止
︵﹁濁占麟心止法﹂の翻脳定︶︶や鍵による大企業の減少ハ他面に存皇尊・資鷲設備能力等の制約よりきたる事態︐
に鑑み︑大規模工業の囲始︑経欝は望み難きゆゑ︑それは一慮︑中小工業によるものが多いやうに思はれる︒但し︑
さは言へ︑すべての工業生産が申小企業形態をもつて永久に行はれるものとは限ら室︑例へば肥料製造︑嚢電︑瓦
い セ へ
﹁斯工業等にみるごとく當初より大企業形態をとるものも存し︑また蒋建されたる中小工業のうち.にあっても︑將來 大工業に成長するものあるは當然のことにして︑しかも一般に大企業は中小企業に比し生産能率高きを常とし︑こ
れを禁巫するよりもむしろ嚢達せしめる方が望ましきゆゑ︑直ちに上記のこ乏き現象をもりて大工業がすべて鴻滅
するものと即断してはならぬ︒た為事來の産業構成において︑既述のごとき我が費本主義綻濟の封建性にもとつぐ
特殊現象として︑中小工業が甚だ多く︑しかも今後も上記のごとき諸理由にもとづき︑大工業出現の可能性の少き
黙よりみて然かく言ひ得るのである︒かくて職後維濟下︑諸塵藻が一鷹︑申小企業の線まで後退して再建への第一 あ で へ わ 歩をふみ出すことは︑商業の分野においても中小商業存績の塊由を與へるむのである︒蓋し多数に分散せる中小工
業者の生産物を蒐集し︑或は分散するには必然︑多藪の配給業者を必要とし︑これに中小商業がよく適帯してみる︑
六一 ︵
ノ 六二 からである︒勿論︑今後中小工業者側に誇ける協阿組合化が促進され︑その共阿施設として原料レ.資材の共同購入
や︑製品の共同欝欝等の實施をみる場合には︑﹁確かにとの部面における商業者排除の傾向を誘致せしむるに相違な
いが︑しかしそれが全面化するとは思はれす︑特に製口印の配般浩費者への販費のごときは︑元來ハ中小商業者の配
給業務に侯つを最も適當とするゆゑ︑その嘉言の理由は充分認められるのである︒ 壽
さて然らば︑︑今後に器ける庫小滴業の存綾理由に些の疑問なきやと言ふに︑無いとは言ぴ得渉︑それ怯弐膿次の を 毒舌に存するやうである︒その一意︑過去の我が中小商業は零細性のゆゑに著しき不合理経螢に陥ってゐ距から︑
ごれをまた復活するは徒らに過去の問題を再燃せしめるのみにて欝欝ならすといふ見解であり︑その二は︑臼資本主
誰嚢経管.紐織のもとにおける企業の規模は漸次横大するを通常とするゆゑ︑たとへ中小企業形態をとるとも︑やがて な ザ 大企業の塵迫により溝滅し︑或は南牧せられ︑或はまた資本集中による自己櫃大等の現象をみて︑それがいつまで
蒸するやは儒誉と畜見蟹あ禽窪とに婆の俄が中小商業謂はゆる生業的或は箋的存奮して維 ︑螢されてきたことに鑑みるとき︑か玉る疑問は一懸尤もなことX思はれる②しかしながらか均る言忌は既述せし我
が資本主義維濟の進路並に中小商業の維螢的特質に鑑みるとき︑容易に氷解せられ︑またそれによって中小商業の
有用性が知られるのである︒何故に然るか︒ 馳 ︒ ︑ 囁・ ︑ 仲︐
玉 第ヂに︑過去の我が資本主義経濟が封建的性格を有し︑これを地盤とする中小企業がすべて零細維螢であったこ
とは既述せし通りであるが︑來るべき糎建徳濟がかムる封建的諸關係を一掃し︑したがって一般の企業も零細性に
代るに適隈性︑傳統的蓮華に代るに科群議評語︑他力.的依存主義に代るに進取的自主主義をとるととに思ぴ至ると
き︑商業亦この例に洩れす︑たとへその規模は中小形態であっても経螢は著しく近代化されハ﹁翻心のごとき零細性
のゆゑに不合理的維螢に陥ること獄よく避ぴ得るからである②上記の輸出工業のごときも︑との意味において從來
呼 ど同じく海外市場に依存するとは言ひながら︑それは依然︑贈爵生活低下といふ犠牲を以てする封建的零細維螢に
よることは許されす︑遅筆生活向上といふ敷釜を以てする近代的適限維慰に・よるものたるととを要し︑この限り中
小規模の企業であってト向︑差支へないのである︒由來︑我が豊里商工業が中小の企業形態をとり︑敢て大企業形
態に改められなかった所以のものは︑ 一両︑過剰にして安偵︑なる勢力の供給されるととに基因.するととろ甚だ大き
いとは言ひながら︑他面︑中小企業による方が生崖並に醗給職能の単行上︑能率的にして且敷果的であったととに
も藁因が存したものと言はねばならぬ︒とのととは商業において特に顯著にみられ︑その大規模化が必ずしも維費 ︑ 多 の節減をはかり私償O低下をきたす理由となら壷︑たとへ規模ぱ中小形態であっても︑後述のごとき商業者の協同
組合化によ墾︑去勢條件による公正な競争と配給能率の蜘口進をはかり得る狂態を思ふとき︑むしろ中小商業の存在
こそ望ましいのである︒
第二に︑今後の再建経堂が資本主義維濟であるととも︑やがて資本の集中︑更に大企業の出現をみて中小商業存
る ま 績の理山を薄溺ならしめるものと言ひ得よう︒まととに過去の資本主義綻濟の芝繋にともなふ企業の集中化顛向や
経螢の大規模化傾向を眺めるとき隔か翼る疑問は一蹴慨然のことNせられ︑今後︑申小企業より大企業へ麟⁝陣する
ものを生じて︑か肖る大企環と中小盗業との勤立ハ競争を生起するは避け難きことN思はれる︒またか玉る大企業
への移行にして能率的なる限りこれを禁号し︑また競争にして公正なる限りこれを阻止すべき理由は見出されない
のである︒蓋し鞘堂すべきものは猫占債格を以て猫占利潤の獲得をはからんため︑生塵制限や配給統制︵愛馬買占︑
萱悔み︶ を行ふ猫占企業にして︑木來︑合理的経螢を行ふに適杯川なる大企業を禁古し︑また公正な競争を阻止すべ
き理由は見出し難いからであるつかくてたとへ出獲黙は申小企業であっても︑やがて大企業の方向に進むは一つの
傾向として何人も認めねばならぬが︑しかし直ちにこれを公式化して商業維螢にも適用し︑中小商業存絞の否定的
.・ 六三
籏磐
︑ ・ 六四 ド 根嫁となすととは一考を要するやうに思はれる︒その理由は上にも一鷺憐れたるごどく︑商業経螢は工業のそれと 異り︑必ずしも大資本による大規模組織を以てするを有利之せす︑たとへ有利とするもそのためには豊富なる資本ゐ 勢力︑廣大蔵る漏路︑有能なる維螢者等の存在を黒め必要とするに拘はらす﹂か瓦る要素は必ずしも整備されてる るとは限らす︑更に種々羅多な溝費者需要に懸する小費経螢のごときは︑経螢合理化の見地より︑また淘費者に興卜脚 へる利便の親黙より︑中小規模によるものが最も適切とせちれるからである力この之とは我が圃民の佳宅様式が多 ゆ く散居的にbて駄米研國にみるごとき立野的且集母君にあらざるため︑多数の配給業者の散在を必要とするととよ り考へて紬縞然と言ぴ得る﹃加之︑國家の経濟政策的立場よりみるも︑今後値おける一般企業の目的は本來のそれ に徹して國民生活の安定に存し︑企業者自身の利潤追及のみを目指すは愚妻ならぎるゆゑ︑敢へてその規模を大に する必要億認め砂れないのである︒かくて今後庵合理的経螢を行ひ得る申小商業の存在理由は充分に認めもれ得︑ これは決して資本主義詩話護展の方向や︑その統制化乃至就愈化の方向に相反するものに鎖す︑し悔がつてたぼ無 反省に資本主義維審尋の企業集中傾向.を過信して︑謂はf反射的に商業もすべて大企業化されるものとみゐζとは 正當でないのである︒ 要之︑今後の経濟再建にあたり商業特に申小商業の地位と職能乏は從來と攣りなくき億めて重要と言ひ得る鱒そ れは産業の根幹をなす中小工業をはじめその他の諸産業との有機的關連において︑経由再建の一大要素となるもの .であって︑これる主要目的とする生産の再開︑増強や民生の安定︑向上に多大の辻堂をなし得るものである︒しか ・ しそれは嘗ての商業界にみたごとき過剰人口の蕪蜂層となり農業︑工業より生する失業者を乗懸する融會政策的翼 ︑要性の故であってはならす︑あくまで経濟再建の目的達成をはかる維濟政策的重要性をもつと同時に︑その配給維
螢が眞に商業者並に浩費者を利する底のものでなければならぬ︒然らばか祠る重要性を有する中小商業の再建はい 年 ・職 ・
㎡
かなる方策によって達成せられるか︒このためには一驚︑我が・﹁中小商業問題﹂を概観し︑以て再建の課題を知る
ことが肝要と思はれるゆゑ︑ζれらを次章以下において論述することXしよう︒
︵註一︶ 今日︑若者の偶目した丈献は・次のごときものにすぎない︒一瀟田敬太郎博士︑盲信日本と商業獲展︵難誌﹁申小企業偏
第一巻第二號︶昭和二十一年八月︒同寸士︑山面再建と中小商業︵難誌﹁エコノミスト﹂第ご十四年第二.十四號︶昭和二十一年
十二月︒小膿 榮一氏薯胴﹁巾・小商⁝業再建の方途﹂昭和二十二年二⁝月︒
︵輝輝︶ ﹁私的濁占の禁止及び公正取引の確保に饗する法律﹂ ︵猫−︐欝禁止法︶昭和二十二年四月十二日公布法律第五十四號︶
第二章﹁私的猫占及び不當な坂引制限﹂中の各條丈参照︒
︑ 二 中小商業問題の進展
, キでに述べたるところ起よつて朋かなるごとく︑我が中小商業の専意が︑定心轟建をはかる主要な一環として不
可飲の要件である以上︑これが封策の樹立は今更︑.多言の要なき緊政事となるのであるが︑しがしその編成乃至實
現はもとより容易の業にあらす︑時に幾多の難關が存在してこの解決なき限り︑それが成就は全く望み得ないので
ある︒この意味において過去より現在にわたる我が中小商業問題の進展を概下して︑中小商業獲達の要件や衰退の
原因を銃明する︑ことは︑︐その長所の焚揮による今後の獲達と︑短所わ除去による過去の失敗防止をはかり︑以て適
切なる再建方策の樹立︑編成をなす上において︑きはめて肝要なこと瓦言なねばならぬ︒よって以下︑中小商業の
意義を一感︑世聞通行の標準に從ひ︑商品の販壷を行ふ個人商業を中心に︑その進展を華時︑戦時に分ってみてゆ
くとと曳する︒ ︑
一般に我が國において﹁申小商業問題﹂が本格的に露頭したのは︑かの大正十二年九月の關東大震災後︑罹災せ
る中小商業者の救濟が要請せられ︑このため同年十月︑政府が日本銀行をして預金部資金一千萬園を限度に貸出を
六五
六六 ︑
行はしめたことに始まるやうであるゆもとよりそれ以前︑︐例べば大正三年の恐慌︵商況萎縮︑銀行破綻︶や︑これに・
つ貸く世界大戦中並に戦後の好況の反動として起つた大正九年の恐慌.︵株償暴落隔銀行會斌倒産︶︑またその後や蕊 ヤ 長きにわたって績いた不況時に際し︑我が商業者中には輕螢困難を告げる界面なからす︑したがってこれが保護︑
救濟の唱へられたこともあったが︑未だ政策学め重要課題として探りあげられる程ではなかった︒然るに前記のご
とき震災といふ不可抗力的原因により︑︐欝該地方の中小商業者が甚大なる打撃を受けるや︑これが復興は軍に業者 .自筆のためのみならす︑︑更に枇會的にも重要であったので︑その救濟は政府施策に倹つ問題として表面化したので
あった︒しか竜その後の我が経論界における︑時に恐慌を混へた不況期の連績は︑一般購資力の減退ととれが獲縄 を目指ザ中小商業者の販費競争を惹起をしめ︑こ製に申小商業者の不振欺態は慢性化してその助成乃至振興は穿く
・世人の注目するととろとなσたのであるゆ要之︑我が﹁申小商業間顯︹は︑〜方における経濟界O不況や國民生活
様式の愛化といふごとき一般的原因と︑他方に戯ける商業腹除傾向にもとつく外部的原因︑或は雄志合理化の不足 ノ や金融難等にもとつく内部的原因との交錯裡に登場し︑臼これが封策も漸く論議されるに至ったが︑何分問題生起の
諸原因が認りにも複雑多岐にわたってみた爲︑その根本的解決はほとんど不可能と思はれたのである︒
然らばか玉.為中小商業不振0原因が交錯せる當時の我が維濟界はいかなる状況を呈し︑またこれに封ずる一般の
商業者のとれる封策はいかなるものであったか︒周知の通り︑大正四年に勃獲せみ錦一次世界大戦は大正七年まで
糠議したものでみるが︑この間我が産業は未曾有の零梅をなし︑資本主義潮齢亦飛躍的 諸芸をとげたのであみ︒そ
し︑て繋辞には全額の正貨流入し︑通貨膨脹︑︐物量騰貴の諸現象は必然的に戦時並に馬繋 ︵同八年︶の好景氣をもた; 竃轡 ・らし︑一般の中小商業亦きはめて翠穏且好調裡に過したのであっだ︒しか七聖職後一年︑すなはち大正九年に至る
や︑反動的に盤景せる恐慌はぞ聾以前︑隆盛に赴ける我が産業界をして一塁︑整理に入らしめ株債暴落︑銀行會敏
轡ゴ
の倒産は相次いで現はれ︑爾後不況は勲績して容易に回復の曙光を認めしめす︑ヒ玉に我が申小商業ぼ苦難の道を
たどる第一歩を印したのである︒而してか謬る不況時にあたり直接︑中小商業に打撃を與へたものは.大都市にお ロ ける百貨店の勃興と農村地方における産業組合の進出でありた︒先ず百貨店は︑その起源を多く奥服店に獲してみ
るため︑長らくの間奥服︑洋品等のごとき高級品の販賛を串心としてきたものであるが︑關東大震災後︑大津換を
行ひ一般大衆の購買機關として普通品の取扱に主力を注ぎ︑中には日用品市場髪設けるものすら出で︑都市民の.購
買力を吸牧し︑ま光支店︑分店の鑛張や地方出張販萱の強化により︑地方佳民の購買力を獲得して︑厳器中小業者
に劃し多大の打撃を輿へたσである︒次に産業組合は古く明治三十三年の同法制定以來︑政府の保護の下︑最初は
信用事業を︑次いで販費・購買事業を中心に焚達したが︑やがて第一次世界大戦勃獲後︑我が農産物が直接︑世界
市場に關蓮をもつに至るや︑これら爾事業は組合事業の中枢となり︑更に昭和農業恐慌時代︑産F業組合が我が濃業
政策の捲當者となるにともなひ︑これら誓事︑購買の難業は顯著なる砂壁をとげ︑闇汝︑中小商業者を排除するこ ミ まう と少なからず︑その波及するところ途に商業者をして後年の︑﹁反俸運動﹂を起さしめるほどでありた︒而してこれ
ら百貨店と言ひ︑或は濠業組合と言ひ︑共に半時の不況打開による自己存績をはからんため︑儲は葭衛手段宅 ホ て上記のごとき諸方策を講じたのであるが︑.その職能の獲麟するところ︑或は都市民衆の購買機關として︑或は農
村入の配給機關として︑必要なる肚愈的存在となったことは︑一陣中小商業者の地位を不利ならしめたのである︒
換言すれば百貨店等が中小商業者に輿へた打撃の背後には︑経磁界における景氣墾動並にこれらの原因︑結果と︐な
れる構図的︑政治的︑愈會的の諸事象が存在し︵とれが直接︑悶接︑影響を輿へてるた◎である︒例へば昭和二年
の﹁金融恐慌﹂はその春︑議愈においで震災手形の塾理案を審議中︑偶々一思銀行の不良内情が暴露され︑ごれが
誘因となって以前の好況時に不當貸出をなせる諸銀行の倒旋績出をみたものであるが︑爾後︑銀行界は萎縮し︑中
六七
畢
.六八
小銀行は多く腹滅した爲︑もともと薄霞の唾壷商業は金融側面より暦の脅威を受け.悪事忙と劇を契機に晶段と.
不況打開に努力せる百貨店等の墜迫や同業者間の激甚なる競争をみるやうになったのである︒またこの金融恐慌後
へ ら ド ノ に行始れた軍備縮少や官吏減俸等は財政緊縮O口的を達したとは言へ︑同時に國民の購買力を減退せしめるこど甚
だしく﹂とれ亦申小商業者に封し悪影響を輿へた亀のであった︒更に昭和四年にはじまる我が門.農業恐慌﹂は農家
纏湾維持︑稜展に最大案とな養霧籍♀落となって現はれ︑詫に同四年に駐て同着饗し三謝以
上の下落をみたのであるが︑時恰も同年秋の米國株式取研所の量器働落に基因する腎世界恐慌しが我が國にも波及
してきた爲︑風って生する蘭債の暴落と依然たる貿易不振は我が農業に封レて好影響せす︑加へて同年恵愛有の豊
作による米町の暴落と︑翌汽年の稀有の凶作とは我が農業を.7穴恐慌の渦中に投じたのであっ悔︒而しし當時︑國
民の孕ばを占める農民の購買力が減退せることは︑一贋綻三界を萎縮せしめ︑同時にこれを契機とする全心的な産
業組合蓮動の躍進をみて︑中小商業の受けた打撃は甚だ大きかったのである︒更にまた昭和五年一月より實施をみ
た﹁金輸出解禁﹂は︑すでに大正六年以來︑禁止されてみた金の海外輸出を解除し︑金本位制度に復縁したので診
るが︑とれによ鎗我が経濟界の受けた好影響は甚だ少く︑︑反って揺いだ不況は豫嵩置しの深刻さを示し︑しか回折
悪くし世界不況の最悪期に謄.せんとしてみた爲︑我が貿易歌態は依然︑不振轟め︑養の流出も甚だしく︑爾
に國内通貨は非常に牧笛した反面︑物償低落と失業者激増を現出して︑一︑般の産業も商業も甚だしき不振に陥った
のである︒旧藩また昭和六年九月の〜﹁満⁝洲事墾この勃嚢は酒我が財政上︑綻費の膨脹をみ︑ふ部工業の活況を呈せし
めたけれども︑p委感謝不況は覆芋︑.疲の経熱帯同様の状態を書けてみた爲︑我が中小商業はかき ︑不況のもと生死の境を彷帯するのやむなぎ欺況であった︒その後金輸出め蒋禁止にざり︑正貨の海外流出は止り︑
我が爲替粗場は李便に多し約四割以上の低落を示した爲︑國内事償水準は高熱的水準よレ低位直なクハたと論罪入 曳︐.
誇
寮
\.
原料の騰貴あるも︑これは低賃銀を以て.よく補び得︑再出工業に活況を見得るに至ったの︐であるが︑未だ中小商業
に封し好影響を與へるほどではなかったのである︒
、
ネ上のごとくにして昭和五・六年の頃に至り︑我が中小商業の︐困窮駄馬はその極に達し︑いつ圓復するやは容易 ノ に望み得ざる歌態であった︒然らばか塩る困窮の原因はいったい何虞にあるか︒患ふに我が申継商業の困窮原因た が るや甚だ多く︑もともとそれが物学流言の圓滑化をはがる就會的任務をもつて照覧蜂起構成の一要素をなし︑諸般
の維濟的︑頸縄的︑自然的事象にもとつぐ影響を受けるため︑各方︑面に存在して︑しかも相五に作用し合ってきた
のである︒これらのうち︑先ず一般的原因とみられる既述の第一次澱界大戦後の永績的不況や世界恐慌.更に金解 声 なぐ ま ・論題にも乏つく我︑が経濟界の不況︑沈滞︵物積下落︑蹴産減少︑失業奢層加︑購貿力改血︶等は︑ひとり中小商業に限ら
す︑百貨店のごとき大商業や他の諸産業にも悪影響を及ぼしたのであった︒更に國民生活檬式の墾化や交通機關の
.藁菰のごときも⁝般的原因としてあげ得︑前者による中小商業の断ハ亡盛衰と︑後家にもとつく都市人口の集申並に
大規模商業の蒲生とは︑ 一般の綻濟不況と共に︑中小商業窮迫の︸大原因をなしたのであった︒而してか曇る原因
の排除は︑もとより商業紅螢上の一論題として申小商業者自身の力のみを以てよく良し得るところに非す︑それは
廣く経濟政策上の課題として︑また廣く政治上︑就学政策上の側面からも︑その事前的解決が要請された○であっ
た︒. 次に中小商業困窮の特殊原因として︑その外部よりきたるものと︑その内部に存在するものとの業者がみられる︒
前.者の外部的原因とは︑換言して︑今世紀の初頭︑かの配給輕濟問題の勃興以來︑徐々に進行しきれる﹁商業慶除
傾向﹂を以て代表せしめ得︑とれは一方の生産覧た.る製造工業倉説の落蓋経論や産業紅合の配給経憐により︑また 辱︑ 他方の消費者の組織する潰費組合や各種購買組合等の購買経帯により︑更にまた商業それ自膿に存在する贋除傾
疹 六九 ・. ︑ / ︷
ノ
七〇い ︐向︑.例︵ば雇店のごと莫規摸商業の欝による申小商業野鼠の豪を以て從來みられ空ころである︒而
してζれちの三方面より生起する慶除傾向は本譜︑資本主義維虚説展の一般傾向たる企業集中の一現象とせられ︑p
む り な くヤ また生産経螢や総轄経濟の合理化傾向にと竜なふ當然の事態とせちれ︑それぞれ有用なる細給職能の獲揮せられる
ところ︑何れも必要なる耐會的存在として︑その地位を確保したものであった︒それゆゑ︑ごれが極端に中小商業
排除せんとする出動である場合には抑制されねばならぬが︑然らざる限りや原則として︑中小商業を特に保護
せんあまり︑その進有を禁思するととは許されないのである︒寧ろこの場合︑業者側の繁劇るべき謝策は︑か製る必
然的傾向め進行をよぐ認知して︑絶へすこれに順解しり混封等條件を具備して防衛に薫るごと黛あると言ひ得るの
であるつ更に後者O内部的原因とは中小商業の経螢内部に存在するものを言ひ︑業者の努が如何によっては鼠輩鹿 除去され得るものである︒而してこれは今後の再建維墜下においても獲生する可能性を認む︑再び接点不振の一因︐
じ ぎビ にならぬとも保し難きゆゑ︑三時の諸原因をあげると左の通りである︒
第一に︑維螢合理化の不足があげられるゆ從來︑・我が中小商業の多くは謂はゆる生業或は家業をその特質として
遭たことによって轟説懐を︑その醤方法たる藩來の霧的拶.︸・︒窪.喜に野薄︑近代的なる科 墨的方法を探ること甚だ少なかったゆその︑一例は從來︑我が小費業者中︑取扱商品につき充分なる智識を有するも
の少く︑また商品の仕入︑販費等に上する研究も足らす︑更に簿記︑會尊意上の智識に至っては︑ごれを有するも 亀 の實に嬉々たる歌態であったことにより示されてみる通りである︒而してかで経螢合理化の足らざる結果は︑時勢
の進展にともなふ薪事態に封麗し得や幽百貨店︑蓮鎖店︑浩費組合等のごとき大規模業者め進出に薩面して何等有
効なる封策を施し得なかったのである︒・ . ﹁ ・ ・
第二に︑資本力の弱少なることがあげられる︑從來︑我が中小商業の多く絃その資本において恵まれるとと甚π
毒 ㍉
〜
少・\たとへ可なりの資本を有するとも︑それは家産として保持せられ︑資本本塁の用途にあて黙れること稀であ ︑ 爾婦 つた︒その一例は嘗て我が大都市の商業調盗に際し︑商業奢泥障のうち︑資本金⁝千圓未満の零細業者が約牛数を ノ 占めてみたごとによりて容易に知られるとこるである︵竹林庄太郎氏︑﹁臼水申小商業の構塗﹂一穴阪商科大學鰹濟研究所 調査彙報第+七輯一昭和+七難十一月︑第三章第三節参照︶︒而して﹁かく賛意力が溺少なる結果は︑大資本を有する商業に へ 封抗し得す︑取引先たる生塵奢︑卸費業者に草して常に不利なる立場にあり︑・また墨守の景氣挙動に直面して持久 力なく︑倒産するもの少くなかったのである︒ 第三に︑金融難があげられる︒從來︑我が中小商業の多くは資本力聖経にして捲保物件も乏しく︑自ら信川能力は
劣ってみた爲︑・本望の金融機關たる普通銀行は︑経費多き割合に利釜少き中小商業への小鍔金融をすxんで行ふこ
とは飴り多くなかった︒加之︑近來・は銀行合併によりか玉る小口金融を行ふ中小銀行の数は一.厨減少した爲︑他面︑
大銀行︑信託轡型等のごとき近代的金融機關の完備をみながら︑金融の利便をほとんど與へられす︑経螢上︑不利
を招くこと少くなかったのである︒そのヅ例は嘗ての﹁東京市商業調査﹂にみる小聖業資金借入﹁先の比率におい
て︑問屋︒卸費商二五・二%︑金貸業一七・六%なるに解し︑愚行は僅か九・一%であったことにより容易に知ら
れるところである︒而してかく金融難に陥れる結果は︑一面商機を逸すること少なからず︑他面不合理なる高利の
個入金貸業者等に依存して維螢の持績を一暦︑困難なちしめたのである︒ ξ ﹁ ざ
第四に︑同業者の過剰があげられる︒從來︑我が中小商業者の多くはその種類の如何を問はす年率塘加の一路をた ダ どP︑浩費者数との封比において過剰の観を呈してきた︒その塘加の一般的頼向は︑屡々引用せられるごとき︑か
の大正九年と昭和五年の國勢調査統計において︑総人ロの塘加劉合は=%なるに濡し︑商業人口の塘加割合は三
四%の山隠きにのぼり︑しかもその後も山千き塘.加率にあることによって示されてみる通りである︒然⁝らば何故かく過
七一 ︐ ノ・
齢
︸ 播 七二
剰の響︑手るか︒霰に宗粟の残響占める小萱業は次資本を要享︑過優霧婁竜な竿︑しかも維
螢︹にあた℃特殊の技術の習得を必要とせざるにより︑その開業はきはめて容易であった爲︑失業者にしてこれを螢
む者あ猷︑pまた給料生活者にしてこれを翻業的に螢む者を生じて︑その籔を増加するに至ったのである︒また當時
の農村は永年の不況.により勢望力の過剰早きたし︑その捌けロを商業方面に求むるに至った爲︑これ亦商業入口の
増煎と︑中小商業者の過剰を呈せしむるに至0たのである︒その一例は︑昭和八年における醤東京市内の一店舖當.
垂 躍
り世帯激が僅か七戸といふ少数でありたことによ夢容易に知られるところである︒而してかく業者の過剰をみる結
果は︑商品廻鱒率を悪くし︑螢業利潤を多く見積るため薄利墨堤を不可能ならしめ︑経螢は一暦困難をりげたので
ある︒ ・ ヨ内 ・ . ﹁ 冒
第五に︑租税公課の過重があげられる︒玉響︑我が中小商業の多く は︑早業所得の聖なるものほど租税公課の負
捲が反って大であった︒その一例は嘗て京都市内の商店街調査において︑小樽牧戸一千圓未浦の者の牧盆に封ずる
租税百分率が七・三五%なるに濃し︑ 門亀岡以上三千圓未満の者は四︒七四六%︑三千圓以上の者は二㎏七六八%
でありたこと.により容易に知られるところであち︵紳戸正雄博士﹁小費螢業の課聯問題︑小画商問題研究叢書﹂︑昭和ナ三年
卦月︑九頁参照︶.而し一︑かく租税公課の負播が過剰なゐ結果は︑少なからず螢業利潤を減殺して︑維螢を不利凝ら
しめたのである︒ p .. ﹁︒ .・
昭和初期を申心とする我が串小商業困窮の原因と再呈とは大凶上述のごときものであったが︑これらが相錯綜し
て作用してみた爲︑これが原因除去による中小商業瀞の心墨乃至箆生はきはめて困難なる問題であっ亮︒しかし︑こ れが解決縞畠小腰者の生業持のみならす︑更に國民事愈の誕をはかり︑帯鋸馨譲階級璽・減
のたあにも職封に看過し得ざる重要問題であったので︑從來とかく他産業に比し著しく施策逓延の親あった中小商
亀
慧
業にも漸く政府當局の關心が向けられ︑商工省はじめ諸鎌脚においてその封策樹立を試みたのである︒かくて昭
和四年︑政府は商工審議禽をして小盲制度の改善につき︑その根本方針や兵膿的方策を樹立せしめ肖また同九年以
來︑商工省に小糠商改善調査委員會を設置してその後に生起せる諸町題の解決をも含めて︑同様の窮策に關し研究
を行はしめたのである︒他方︑民聞耳においても︑例へば日本商工會議所は昭和四年︑同五年︑同六年等の数回に
わたり中小商工業の金融改善につき︑また同七年には中小商工業緊急封策につき︑それぞれ陳情を行ったのである︒
而してとの間︑政府諸施策のうち其事化した主要なものは左の三者でありた︒
その一.は﹁中小商業金融﹂につき特別の勤策を講じ︑絶へす金融難に嫡む申小商業滑を助成することであった︒
すなはち中小商業金融の特殊性に鑑み︑これが封策として︑或は低利資金の融通を行ひ︑或は特殊金融機關を設置
し︑或は金融助成施設をりくって︑普通銀行にとり利釜少き小口金融を行ふことトしたのである︒先ず低利資金の
融通についてみるに︑とれは大襲撃預金部の資金を特定金融界關を通じ貸出をなすものにして︑例へば大正車二年
に震災地商工業者に幽し救濟及び復蕎資金を提供せるを最初とし︑昭和三年金融恐慌後の中小商業奢慮急資金の貸
付︑昭和五年金輸出解禁後の不況時に庭する巾小商工農業奢への資金貸付︑昭和七年︑同九年等の中小商工業者崖
業資金の貸付︑昭和九︐十年Q罹災地中小商工業者等長資金の融通︑昭和六年より同十一年までの高利債借換資金
の融通等があった︒次に特殊金融機關の設置についてみるに︑例へば昭和十一年︑商工組合中央金庫法にもとつく
非議利金融機關たる﹁商工組合中央金庫﹂ ︵資本金一千萬園︶を設け︑所馬商業紅合を通じて中小商業奢に事業資
金の貸付を行ったことがある︒更に金融助成施設としては︑例へば損失補償制度の設定による融通資金の回牧にと
もなふ危瞼め除去︑信用保讃制度の設定になる保誰入選定難の排除︑商工相談所の設置による金融相談等がみられ
るのである︒ . . r ち
七三
ノ
り
韓
メ .\ ︑ −︑七四 擁
その二な﹁商業組合良し︵昭和七年九耳六界公布法律第二十五號︶の制定によ狂︑中小商業者をして共伺助力的に更生 の せしめるこ乏であっ%︒すなはち商業組合の結域により︑從來ともすれば排他的競爾をつ舷け極度の不振に陥れる
﹁申小商業者を團結せしめ︑百貨店︑産業組合等のこ延き大規模業者へφ封抗と︑自己の維欝合理化をはからしめた のである︒その事業には種々あるが最も中心をなしたのは商品の共同仕入と螢業の統制どの二種にして︑他に貸付
及ドび貯金︑保借︑蓮搬.指導﹁研究︑調査等があげられる︒またこれの結成さ・れた螢業種別では米穀摘量も多く滴
織物商︑酒その他食料品商.藥聾唖染無∵化粧品齎等これに次ぎみその範團は次第に鑛張されたのであった︒もと
より商品の萱買は個人的色彩潜く︑その共同化は困.難なるごと少くなかった爲浅これが利用は必ずしも充分なちす︑
時に休眠組合のごとき窓見られ︑その後の戦時経左下︑配給並に債格の統制機闘となるまでは豫期め獲麟を・とげた
とは言ひ難いのであるが︑しか︒し上述のごとき申小商業困窮の内部的原因を除去するためには原則上︑有数︑適切
・なる施策であったと言はねばならぬ︒
その三は﹁百貨店の抑制﹂により中小商業に輿へる打撃を減少することであ◇た︒すなはち無制限なる百貨店の
業務援張は薄煙小規模の中小商業分存在を脅かすこと少なからぎるゆゑ︑これが抑制を何等かの法規によりて行は
ん乏したのである︒既蓮のごとく百貨店の獲達にともなび.中小商業の多くは漸次︑その費上高を減少し︑7特に昭
和五・エハ年頃︑綻濟界の不況に際しては百貨店側の活動一贋盛どな紅︑それより受ける墜迫は甚だ大なるもの泌つ
た爲︵途に百貨店の進患を抑制すお必要が唱へられるに至った︒かくて東京市の呉服商を中心ぎする﹁反百貨店運.
動﹂起るや︑政府は葺貨乱流猫立小鷺店のみならず︑百貨店湘互聞の蒸立黒影をも綾和せしめるため昭和七年七月︑
﹁石貨店法案﹂の伶成︑審議をは鵡めたのである︒これに亡し百貨店協會は︑か叢る法律に代るに業界内部の自制
∵協定を竜ってぜんと意随し︑餐翌八年八月︑︐百貨店商業組合を設立して統制唾壷をつくり︑重事︑短小商業者に甚大
、
なる打撃を與へた出張販費︑支店・分店の新設︑過當サービス等を翻心すること㌧したのである︒然るにこの規定
は謂はf紳士協定にして︑組合員中︑違反者を生すること少なからず︑また非富合員の百貨店は依然︑履修通りの
螢業をなし︑業界の改革は鹸りみられなかった爲︑樽びこれが統制上︑百貨店法制定の必要甑じ︑塾︑該法案の
議會へ提出せられること︑第六十三議會︵昭和七年Yをはじめとして六回に及ぶも毎回︑審議未了に募り︑漸く第七
十一特別議會︵昭和+二年八月︶を通過して同年十月一日よわ施行されたのである︒かくて﹁百貨店法﹂︵昭鵜+二年
八月十三日公布法律第七+八號︶の制定︑或はそれに先立つ中小商業者や商工會議所側の抑制蓮動により︑大中都市に
解ける中小商業不振の歌態は粗漉打開せられるやうに思はれたのであるが︑しかしそれは百貨店乏同種の買廻品を
取扱ふ小窯業者に封し若干︑好影響を與へたに止り︑最寄品や專門品を取扱ふ業者に干しては︑顯著な敷果を及す ・
ととはなかったのである︒況して短期品を取扱ふ業者と難もその困窮原因が百貨店の進出のみに因るものでなかっ
たことは︑本法の制定を以て︑中小商業金策としての慣値を上り認めしめなかったのである︒
要之︑我が國における當初の﹁中小商業問題﹂は大膿︑叙上のごとき経距をたどって進展し來つたのであるが︑
その導燈樹立の目標は常に中小商業の綻螢合理化をはかって︑その更生振興を策するととろに置かれてみた︒これ・
を今日の﹁商業再建﹂途上より眺めるとき︑そこには幾多の蓼考となる問題が存在し︑或は困窮原因の探求に︑或
は振興封策の樹立に︑示唆されるところ甚だ多く︑これが経過はまことに注同に値するものがあったのであるが︑
やがて職時下に入りて問題の性質は一筋するに至った爲︑その結果は充分に見届けられすに育つたのである︒
三 中小商業問題の⁝進展︵績︶ ︑
駿時における﹁中小商業問題﹂は︑それが等しく中小商業を暦象とするとは言ひながら馬出における問題に比す
七五 〆 ︑
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