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著者 黄 瑞宜
雑誌名 明治学院大学法律科学研究所年報 = Annual Report
of Institute for Legal Research
巻 35
ページ 97‑107
発行年 2019‑07‑31
URL http://hdl.handle.net/10723/00003706
台湾における民間部門の贈収賄規制の 立法動向について
台湾・玄奘大学法律学系 副教授 黄 瑞 宜
Ⅰ.はじめに
本報告は、2018年 9 月国際取引法学会の中間報告において、「台湾における商業賄賂罪の立法 動向について」を題目として報告したものの続きである。
すでに、前回の報告にも触れたように、台湾で民間部門における贈収賄規制の策定を必要とし たのは、2015年に 5 月20日に国連腐敗防止条約の施行に関する法律を国内法として公布済みであ るため、同条約第21条の規定にしたがい、事業者または役職員に関する商業賄賂罪を立法化する 義務が課せられたからである。
しかし、むしろ民間部門における商業賄賂罪を策定し立法化させるのに拍車を掛けたのは、
2012年に 8 月に鴻海精密工業会社の中国にある子会社の富士康社の幹部らがサプライヤーから長 年に渡って、巨額な賄賂を受け取った事件が元従業員の告発により発覚したことである。2014年 5 月に台北地方裁判所は、当該事件に対して、約 1 年間に及ぶ捜査を経たのち、被告人らに対し て、刑法上の背任罪として10年半の懲役を科す判決を下した。
法務部調査局は当該収賄事件を受けて、同年 7 月16日に直ちに企業に向けた腐敗防止科(企業 肅貪科)を立ち上げた。
それに加え、立法委員や学者らも、民間企業の役職員に向けた腐敗防止規制を速やかに立法 化すべきであると呼び掛けた。そのため、「企業贈収賄防止法」草案や、「法人貪腐条例」草案が 起草されたが、いずれの草案も立法院の審議に付されたものの、立法化は見送られた。
これに対して、刑法の中に民間部門における商業賄賂罪を新規規定として策定すべきであると 提案がなされた。
その後、台湾は国連腐敗防止条約の国内施行法(以下、「施行法」をいう)が施行されてから、
2018年で 3 年目を迎えた。法務部は、既存法令の見直しおよび条約との整合性の確保を図る必要 があるため、施行法第 7 条の規定1にしたがって、いくつかの法令の修正追加を行おうとした。
そのなかで、とりわけ公的部門および民間部門における腐敗行為の制裁を体系的に整備する必要 が生じたため、賄賂罪の要件である「職務」という概念を見直すこととして、ドイツの立法例を 参照した。その上で、学者が中心となって起草した中華民国刑法条文一部改正草案(以下「改正 草案」という)が、立法院会議に提出された2。
この改正草案の前に、民間部門における贈収賄規制については、刑法第251条の 1 「商業賄賂罪」
として起草されたことがあったが、改正草案では「商業取引賄賂罪」として、刑法第255条の 1 が新規に規定されることとなった。2018年 9 月25日に立法院手続委員会の承認を経て立法院にお
いて審議されることになった3。
したがって、本報告は、まず、改正草案刑法第255条の 1 の商業取引賄賂罪の立法説明と条文 内容を紹介する。そして、民間部門における賄賂の授受はどのような保護法益が侵害するのかを 探る。最後に、企業間の取引は経済市場において、そもそも自由競争に委ねられるべきであるに もかかわらず、あえて刑罰制裁をもって、企業間の自由競争を牽制することは、果たして妥当で あるのかを検討する。
Ⅱ.改正草案刑法第255条の1民間部門における商業取引賄賂罪の立法説明 1.概要
改正草案の立法説明によれば、民間部門における賄賂罪を立法化すべきであるのは、市場 経済の自由競争を保障するため、市場活動の参加者に平等な機会を与えるとともに、国連腐 敗防止条約に加盟した各国に対して、条約第21条の規定4に従って、民間部門における贈収 賄規制を国内法として制定する義務を負うからである。
その上で台湾の国情に合わせて、刑法第 2 編第19章農工商を妨害する罪の下に商業取引賄 賂罪を配置5し、自由ないし公正な競争を保護法益とする刑法第255条の 1 を新規に規定すべ きであるというのである。
その概要は、次の通りである。
⑴ 自由競争をもって保護法益とすること
企業が商取引活動において、相互に自由に競争するのは、市場経済制度を保障するため にもなり、極めて重要である。しかし、商取引活動が行われる際に、任意に不当な利益を 対価として提供させる賄賂行為は、国民経済または社会福祉に重大な悪影響を及ぼし兼ね ない。
2015年のドイツ刑法改正で、競争相手に対する不当不正な行為態様を処罰する趣旨に加 えて、従業者および代理人の事業主に対する義務違反を処罰する趣旨を踏まえた規定形式 が採用された。この事業主モデルの構成要件につき、学説上、強い批判を浴びたため、改 正草案は、自由競争を保護法益とすることを明らかにし、2015年ドイツ刑法改正法の立法 例に倣わないこととした。
⑵ 処罰範囲の限定は民間部門における商業取引の賄賂行為
ここでの賄賂行為は、商業取引によって生じたものに限られると解されている。すなわ ち、収賄者が所属する事業者は、商品または労務にかかわる商取引に関係するということ である。商品とは、あらゆる商取引の対象となるものをいう。動産、不動産、無体財産、
各権利(例えば、使用権)、企業、株式が含まれる、また、権利でもないし、有体物でも ないものでも、例えば、利益を獲得する機会、ノウハウなど、商取引において売却、転売 できる目的物がすべて該当する。
また、労務とは、雇用または請負を指しているが、必ずしも民法上の契約として締結す
る必要がない。かつ職業としての労務提供に限定されない。これにはフリーターにより提 供される労務も含まれる。
また、台湾の国情に応じて、代表者、受託者および従業者が所属する企業は、「上場企業、
公益社団法人または財団法人」に限定され、公平取引法第2条所定の「事業」と比較すれば、
遥かに狭い概念である。
⑶ 行為主体の身分
改正草案において行為主体は、収賄者と贈賄者に大別されている。贈賄者は身分の制限 がない。収賄者は、刑法第31条第 1 項の規定にいう身分者に該当する。
収賄者の身分は不法要素であるため、純正身分犯(台湾刑法第31条第 1 項)である。こ れには特定事業の代表者、受託者または従業者が含まれる。
代表者とは、法人の取締役、他の法令所定の取締役と相当な地位(例えば、清算者、重 整「会社更生」者)または法人により授権された権限を有する代表者(例えば代表権を有 する職員)をいう。
従業者とは、賄賂行為を行う際に、事業者との間に労務関係を有し、事業者の指示にし たがって、その業務に従事すると同時に、業務に対する決定に影響を与えるもの(取引影 響力)をいう。
受託者とは、事業者、代表者または従業者を除き、企業において、当該企業のために取 引行為を行うことのできる資格および義務を有するものをいう。
⑷ 義務違反は不公正な優待の提供と対価関係を有すること
改正草案第255条の 1 の規定は、公的部門の職務賄賂加重罪に類似している。ただし、
職務行使に違反するという文言を使わない。というのは、条文のなかに、すでに「競争取 引にある商品の購入または労務の提供をもって、不公正な優待を対価としたこと」という 文言が使用されるため、代表者、従業者または受託者にとって、明らかな義務違反である ことが示されるからである。そして、贈賄者の提供した不正な利益と不公正な優待とが対 価関係を有することが構成要件となるのである。
草案条文のなかに、商品または労務の取引の提供に際して、他人に対して不公正な優待 を対価として提供することを明定したのは、個人的な領域または社会的相当性6を具有す る利益を要求し、申し込み、約束しまたは交付収受することを排除するためである。個人 間において生じた取引は、不公正な優待の利益と関係しないため、同改正草案の規制対象 とはならない。
2.商業取引賄賂罪に関する改正草案条文
改正草案第255条の 1 第 1 項は、収賄罪に関する規定である。「上場企業、公益社団法人ま たは財団法人の代表者、受託者または従業者として、商取引活動において、自己または第三 者の便宜を図るために、商品の購入または労務の提供に際して、不公正な優待および不正な
利益を対価として要求し、約束させまたは収受した者は、 5 年以下の懲役、拘禁若しくは ニュー台湾ドル 2 千 5 百万以下の罰金に処し、またはこれを併科することができる。」とし ている。
改正草案第255条の 1 第 2 項は、贈賄罪に関する規定である。「上場企業、公益社団法人ま たは財団社団法人の代表者、受託者または従業者に対して、商取引活動において、自己また は第三者の便宜を図るために、商品の購入または労務の提供に際して、不公平な優待または 不正な利益を対価として、申し込み、約束し、または交付する場合も同様である。」として いる。
改正草案第255条の 1 第 3 項は、同条第 1 項における収賄者が犯行後に自首または捜査中 に自白した場合における刑の軽減または免除に関する規定である。「第 1 項の罪を犯した者 が、犯行後において自首し、かつその犯行により得たすべての不法な利益を任意に引き渡し た場合には、その刑を軽減し、または免除する;これにより、その他の正犯あるいは共犯者 が発見された場合には、その刑を軽減し、または免除する。捜査中において自白し、かつそ の犯行により得たすべて不法な利益を任意的に引き渡した場合には、その刑を軽減する。こ れにより、その他の正犯あるいは共犯者が発見された場合には、その刑を軽減し、または免 除する。」としている。
改正草案第255条の 1 第 4 項は、同条第 2 項における贈賄者が犯行後に自首または捜査あ るいは審判中に自白した場合における刑の軽減または免除に関する規定である。「自首者は、
その刑を免除する;捜査あるいは審判中において自白した場合は、その刑を軽減し、または 免除する。これにより、利益(賄賂)を要求し、約束させまたは収受した上場企業、公益社 団法人または財団法人の代表者、受託者または従業者が発見された場合には、その刑を免除 する。」としている。
3.ドイツ刑法第299条の概要および批判 ⑴ 概要
ドイツ刑法第299条取引における贈収賄の規定は、ドイツ不正競争第12条旧規定に由来 し、1997年 8 月19日に公布され、翌日に施行された「汚職対策法 」によって、刑法典の 改正が行われ、刑法典第26章の競争に対する犯罪行為の下に配置された。
2015年に国連腐敗防止条約を契機として、現行規定に改正された。2015年改正前のドイ ツ刑法第299条の旧規定は、不正競争防止法第12条の旧規定とほぼ同じく、従業者および 代理人の事業主に対する義務違反を処罰する趣旨で立法化された。しかし、実務において は、競争相手に対する不正な行為態様を処罰する趣旨の罪として運用されてきた。2015年 のドイツ刑法改正で、競争相手に対する不正な行為態様を処罰する趣旨に加えて、従業者 および代理人の事業主に対する義務違反を処罰する趣旨を踏まえた規定形式が採用された。
2015年改正によって明示されることとなった事業主モデルは、民間部門における贈収賄 規制を賄賂の授受が事業主に財産的な損害を与える点に着目して背任罪に類似する罪と捉 える立場である。これによると、民間部門における贈収賄を侵害犯と捉えることが可能と
なり、実行行為、すなわち、処罰対象となる贈収賄の範囲が明確化する。
⑵批判
しかし、この事業主モデルの構成要件は、学説上、強い批判を受けたため、改正草案は 2015年ドイツ刑法改正法の立法例に倣わないことにした。
すなわち、事業主モデルは、最終手段であるはずの刑罰を直ちに民事紛争に適用して解 決を図ることに帰し、適切でない。つまり、民法上の債権債務関係における義務侵害に由 来する紛争は、まず、第一次的に民法の一般原則に従い、解決するべきものである。雇用 関係または委託関係でも原則的には同様である7と批判された。
また、民間部門における贈収賄を「義務違反」として定義することに反対する学者8が いる。それは、民間部門の腐敗行為と背任行為は個人の委託義務に違反するからである9 と解されている。
そもそも、ドイツ刑法によると、企業が自らの商品を販売してもらいたいがために、商 売を営んでいる民間人に賄賂を与えた場合、贈賄者は処罰される。従来、取引におけるこ のような不公正な行為や競争を阻害する行為は不正競争防止法によって捕捉されてきた。
自由経済市場においては、すべての者が等しく経済的機会をもっているという考えが根底 にあるからである10。しかし、企業間で自由競争が行われなければ、企業は安価で高品質 の製品を製造しなくなり、それはやがて消費者の不利益につながる。そのため、競争の保 護は国家の重要な任務であるという考えから、1997年の刑法改正に際して、刑法第26章「競 争に対する罪」が新たに追加された。それとともに、立法者は国民の意識の強化を図るこ とを目指した11というのである。
そのため、現在のドイツ刑法第299条は、旧不正競争防止法12条の内容を引き継いだま まで、保護法益も以前と同じく自由競争とみなされているため、旧不正競争防止法での議 論もそのまま現在の刑法解釈に妥当している12というのである。
Ⅲ.民間部門における贈収賄罪の定義
加盟各国は国内法として、国連腐敗防止条約第21条の規定に即し、民間部門における贈収賄罪 に関する処罰規定を策定する義務を負う。しかし、加盟国によって民間部門における贈収賄規制 に関する定義がまちまちであって、統一されていない。
たとえば、台湾の公正取引法には、商業取引賄賂に類似する定義規定が置かれている。直接に
「贈収賄」という字句を使わずに、「企業は、競争上の優位な地位の機会を獲得するため、不適切 な贈り物や賞品を提供してはいけない(同法第23条 1 項)」と定義されている。そして、当該「贈 答品または賞品の範囲、不適切な提供の量およびその他の関連事項に関する規則(同法同条第 2 項)」は、所管官庁(公平取引委員会)が、制定するものと規定されている。
また、同法の立法趣旨については、「本法制定の目的は、取引の秩序を維持し、消費者の利益 を保護し、自由で公正な競争を確保するため、経済の安定と繁栄を促進することである(同法第
1 条)。」と規定されている。
したがって、Ⅴで述べるように、台湾における公正取引法には、すでに商業取引賄賂規制の内
容が反映されているので、改正草案は、公平取引法とどのような点で異なる規制を実施しようと するのかが、極めて重要であるといえよう。
ドイツ刑法でも、民間人に賄賂を与えた場合に、処罰の対象となる。商業取引においては、本 来ならば不公正な行為や競争を防止するために不正競争防止法が規定を設けている13が、1997年 の刑法改正に際して刑法第26章「競争に対する罪」が新たに追加規定された。
その結果、ドイツ刑法第299条は、商取引に関係する贈収賄を処罰する法的な根拠となった。
すなわち、2015年改正前は、「企業の使用人または代理人として、取引において、競争を目的と する商品の購入または営業的給付に際して、不当に第三者に便宜を図ることの反対給付としてこ の者または第三者に利益を要求し、約束させまたは収受した者は、 3 年以下の自由刑または罰金 に処する14(ドイツ刑法第229条第 1 項)」としていた。
同法同条第 2 項は「競争を目的とした商取引において、企業の使用人または代理人に対して、
この者が行為者または第三者に商品の購入または営業的給付に際して不当に便宜を図ることの反 対給付として、この者または第三者に対する利益を申し込み、約束し、または供与した者も同様 である15」としている。
また、ドイツ刑法第299条の規定は、企業の使用人または代理人を規制する対象としている。
公的部門における贈収賄規制対象である公務員と峻別するため、「民間の経済活動関与者16」と 定義した者17もいる。
そして、贈収賄罪の成立には、当該者がある利益が供与、約束されること、ないしは当該者自 身がある利益を収受または要求する必要があり、また、この利益は、競争において、他者に対す る将来の不正な便宜のための反対給付を意味しなければならない18。
これに対して、イギリスは、ドイツ刑法と異なって、2010年に民間部門における贈収賄に関す る刑罰規定を含む賄賂防止法を策定した。同法の規制対象は、民間部門の贈収賄のほかに、外国 公務員に対する贈賄、営利組織の贈賄防止措置の懈怠の罪にもおよび、会社取締役の資格剥奪も あり得るなど、広範囲にわたる規定を設けている。
同法は、民間贈収賄罪を第 1 条から第 5 条において、一般贈収賄罪として規定するところ、贈 収賄は次の通りに定義されている。
第 1 条は、贈賄罪に関する規定である。すなわち、「関係する職務や活動を不適切に行わせる 代わりに、他人に金銭その他の利益を提案、供与または約束する行為」と規定されている。
第 2 条は、収賄罪についての規定である。すなわち、「関係する職務や活動を不適切に行わせ る代わりに、金銭その他の利益を要求、受領または受領することに同意すること」と定義される。
また、「金銭その他の利益」は、この法律では定義されていないが、「契約や非金銭的な贈り物、
雇用の約束のようなものも含まれる可能性がある19」としている。
しかし、イギリス賄賂防止法は、最高で10年の拘禁刑または無制限の罰金が科されることにな り得ることから、もっとも過酷な賄賂防止法であると批判されている。
また、国営企業がほぼ大半を占める中国全土においては、不正競争防止法に民間部門における 商業賄賂に関する規定が設けられている(2017年11月 4 日に改正され、2018年 1 月 1 日に施行さ れた)。同法における商業賄賂罪とは、「事業者は、取引の機会または競争上の優位な地位の獲得
を図るために、組織または個人に対し、財物またはその他の手段を用いて、賄賂行為を行う20」(中 国・不正競争防止法第 7 条)ことであると定義されている。同法規制の対象は取引相手方の役職 員(同法同条第 1 号)、取引相手方の委託を受けて関連業務を行う組織または個人(同法同条第 2 号)、職権または影響力を利用して取引に影響を及ぼす組織または個人(同法同条第 3 号)で ある。
また、同法は、「事業者の役職員の賄賂行為を事業者の行為とみなす。ただし、事業者において、
当該役職員の行為が事業者の取引機会または競争優位の獲得のためではないことを証明する証拠 がある場合は、この限りではない」(同法同条第 3 項)。と規定している。
しかし、社会経済の変遷にともない、国営企業が組織再編を行うために、民営化された事例が 少なくない。公務員が民営化後の企業に配属されたとすれば、依然として公務員に該当するか否 かが問題になっている21。
したがって、中国の国営企業または民営化された企業において、商業賄賂行為を行った実行者 に対して、今後どのように取締りが行われるのかが注目に値する。
日本においても、民間企業に対する贈収賄罪に関する規定がある。それは、会社法第967条の 取締役等の贈収賄罪に関する規定である。「不正の請託」という文言からすれば、取締役の贈収 賄行為がややもすれば義務違反とされることが多いため、会社法第960条の特別背任罪に問われ る事例がほとんどである。
Ⅳ.民間部門における賄賂の授受と保護法益侵害の認定
そもそも贈収賄の規制は、本来なら、公務員または公務員の地位に準じる者が、刑法または特 別法の規定により処罰を受けるという形態をとるはずである。それは、「公的部門における贈収 賄罪規制に関する保護法益は、国家機能の担当者の純粋性と不可買収性、国家行為の客観性に対 する公衆の信頼と解されている。この信頼は、職務遂行の買収性という悪しき外観だけで揺るが されるものである22」と解されているからである。
しかし、民間部門における賄賂規制で保護すべき法益は存在するのか?その保護すべき内容は、
いったい何であろう?また、民間部門における賄賂の授受と保護法益侵害との関係はどのような 基準によって判断されるべきなのか?
特定の行為態様が刑法により保護される法益を侵害する場合に、当該行為は処罰相当性を具有 し、刑罰制裁を加えられるべきである。
現に、現行法の刑罰規定は民間部門における贈収賄行為を防止しきれないため、商業取引賄賂 罪を立案したわけである。
民間部門における賄賂行為がすでに社会共同生活のなかで必要とされる利益を侵害するため、
処罰すべき必要がでてきた。処罰の必要性を正当化するためには、まず民間部門における賄賂の 授受と保護法益の侵害との関係に着目しなければならない。
前述したように、改正草案は2015年改正前のドイツ刑法第299条の立法例を参考し、商取引に 際しての自由競争を保護法益として策定された。
改正草案は、上場企業、公益社団法人または財団法人の代表者、受託者または従業者が行った
賄賂行為を処罰する対象とした。
かねてから、台湾では、商取引を円滑するために、企業によって、商取引活動にともなう賄賂 行為が、企業文化または商慣習の一種として取り扱われてきた一面があった。
しかし、このような商業賄賂行為とは果たして犯罪行為に当たるといえるであろうか。いまま で、実務では、このような民間部門における賄賂行為の刑事責任を問うのは、刑法上の横領罪や 概括的な規定である背任罪第342条、または銀行法あるいは証券取引法第171条第 1 項第 3 号若し くは第 2 項、公正取引法第23条、先物取引法第113条といった特別刑法の規定によってきた。
台湾における商業賄賂罪の立法化に拍車をかけたのは、2012年 8 月に鴻海社の中国にある子会 社である富士康社の元役職員が複数のサプライヤーから長年にわたって、巨額の賄賂を受け取っ た事件が元の従業員により摘発されたことであった。
台湾では、民間部門における賄賂行為を処罰する法的根拠が欠如するため、本件につき、彼ら に対して刑法上の概括規定である背任罪を適用して10年6ケ月の懲役を科す判決を下した。
台湾における刑法上の背任罪の成立要件を充たすには、まず、上記鴻海社事例の幹部のような 収賄行為が、必ず他人の事務を処理するためであること。そして、自己または第三者の不法な利 益を意図すること。また、あるいは本人の利益を害する目的で、任務に反する行為によって、本 人の財産あるいはその他の利益に損害を与えたことが必要である。背任罪が成立すると、 5 年以 下の懲役、拘留あるいは50万ニュー台湾ドル(日本円で約150万円に相当)の罰金が科される。
したがって、台湾刑法の背任罪の規定によれば、鴻海社の役職員が巨額の賄賂を受け取った行 為について、会社の財産に損害を与えたか否か、会社はそれについて立証責任を負わなければな らない。
問題は、当該収賄行為が、たとえ会社の財産に対して、何ら損害を与えなかったとしても、
直ちに刑法上の背任罪が成立するといえるのかということである。また、刑法上の背任罪の保 護利益は、主に個人財産であって、廉潔な受注行為、ひいては公平的な競争市場秩序の維持で はない23。
しかし、たとえ会社の財産に損害を与えなかったとしても、民間部門における賄賂行為自体が 企業のイメージをダウンさせたり、信用を失墜させたりすることによって、企業間における公平 的な競争秩序が害されてしまうのである。
このことも、台湾において民間企業の事業者および役職員により行われた賄賂行為を処罰する 法的根拠とするため、急遽、商業取引賄賂罪が策定された理由の一つでもある。このほか、企業 腐敗防止法を制定すべきであると呼びかけている学者24もいる。
なお、台湾の学者は民間部門における腐敗行為が侵害する法益は財産ではなく、自由競争であ ると解している。これによって、民間部門の腐敗行為と背任罪が区別できる。競争協議行為の制 限、商業取引贈賄行為および影響力取引行為により侵害される法益は、公的部門における腐敗行 為により侵害される法益と同じである25。
Ⅴ.結びにかえて
すでに述べたように、台湾は2015年改正前ドイツ刑法第299条の立法例に倣って、刑法第 2 編
第19章農工商を妨害する罪の下に自由ないし公正な競争を保護法益する商業取引賄賂罪を配置 し、刑法第255条の 1 を新規に規定することを立案した。
改正草案は、上場企業と公益社団法人および財団法人の代表者、委託者または従業者を商業取 引賄賂罪の処罰対象とするが、愚見によれば、職権または影響力を利用し、取引に影響を与える 組織または個人という文言を盛り込むほうが望ましい。というのは、鴻海社の元幹部らのごとく、
彼らは自らが会社の管理職にある地位および権力を濫用し、長年にわたって複数サプライヤーに 対してリベートを強要したからである。
しかし、これは、決して改正草案の立案に対して賛成することを意味しない。まず、改正草案 に盛り込まれた商業取引賄賂罪の規定と対応する関連法の改正の動きは見当たらない。そして、
提案者らは、これまで、ドイツへ留学した学者がほとんどであることもあって、ドイツ刑法の立 法例を参考とするのを推奨してきたのである。改正草案はただ一途に企業間の取引に対して、自 由競争を保護法益として民間の商業取引賄賂が犯罪であることを正当化し、刑法の処罰対象とし ようとしているだけである。
そもそも、あえて刑罰制裁をもって、企業間の自由競争を牽制することは、決して妥当とは思 えない。商業賄賂にせよ、企業賄賂にせよ、こうした民間部門における贈収賄規制はすべて、会 社法(企業統治におけるコンプライアンスの構築のあり方)あるいは不正競争防止法の原点に戻っ て、策定されるべきである26。
ドイツの学者も企業間の自由競争を侵害する行為に処罰相当性はないと批判した27。このこと は、市場経済の自由競争は社会経済の変遷にともない、変化するもので、民間部門の賄賂行為が、
社会の内部関係に対して脅威あるいは損害を与えたわけではないため、企業間の自由競争を保護 法益とする犯罪として処罰されるべきではないことを意味する。
最後に、民間企業において腐敗行為を生じるのは、通常企業内部統制システムのどこかに問題 が生じたからともいえよう。企業にとっては、いかに有効な内部統制を維持するための制度を構 築するかが重要になってきた。
民間部門における贈収賄規制に関し、企業は、社内規則において贈収賄防止のためのガイドラ インを制定し、会社法に基づき、とりわけ、上場企業の場合は企業統治を重視し、コンプライア ンス体制および内部統制システムの構築を強化すべきである。
また、改正草案は内部通報者に関する保護のあり方に触れていない。ここでいう内部通報者は、
会社の管理職にある社員あるいは退社した元社員、または企業の下請け業者あるいは委託者がほ とんどである。社内規則の中で、不正な利益を得たり、他人に損害を与えたりする目的を持たな い内部通報者について、事業者(法人または団体あるいは個人を指す)、代理人または委託者に 通報すべき贈収賄事由が生じた場合、内部通報者の解雇を無効とし、彼らの身の安全を保護する ため、内部通報者が匿名で第三者通報窓口(たとえば、企業が外部の弁護士事務所との契約ある いは専門業者との契約)を通じて通報(相談)できるような施設を設けて、贈収賄防止対策を講 じるべきである。
1 施行法第 7 条の規定は「政府機関は、条約に基づいて、法律、規則、指示及び行政措置を採り、そ
の機能の範囲内で見直すべきである。条約との矛盾がある場合は、この法律の施行の日から 3 年以 内に、それに関する法令の追加、削除や行政措置の改善により修正すべきである」としている。
2 立法院議案関係文書、院総第246号、委員提案第22240号、立法院第 9 回第 6 会期第 1 次会議議案関 係文書(2018年 9 月19日、13頁以下)
3 立法院公報第107巻第79期、立法院第 9 屆第 6 會期第 1 次會議紀錄、中華民国107(2018)年10月 9 日、 2 頁
4 国連腐敗防止条約第21条の規定は「民間部門における贈収賄締約国は、経済上、金融上又は商業上 の活動において故意に行われる次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとることを 考慮する。
⒜ 民間部門の主体を運営し、又はこれに勤務する者(資格のいかんを問わない。)に対し、その者が 自己の任務に反して行動し、又は行動を差し控えることを目的として、その者自身又は他の者の ために不当な利益を直接又は間接に約束し、申し出、又は供与すること。
⒝ 民間部門の主体を運営し、又はこれに勤務する者(資格のいかんを問わない。)が、自己の任務に 反して行動し、又は行動を差し控えることを目的として、その者自身又は他の者のために不当な 利益を直接又は間接に要求し、又は受領すること」としている。
5 民間部門における商業取引賄賂罪は、刑法第 2 編第19章農工商を妨害する罪の下に配置するとして 自由ないし公正な競争を保護法益とすべきであるとの主張として、王玉全「私部門貪腐行為與其侵 害之法益」月旦刑事法評論、第 4 期、2017年、66頁を参照。
6 社会的に相当な利益供与は、公衆の信頼という法益を害さないため、構成要件不該当と解されてい る(樋口 亮介・東京大学法科大学院ローレビュー第11巻・2016年・316頁)。
7 龍谷338頁。
8 前掲注5・62頁。
9 同前。
10 松宮孝明・浅田和茂(共編)クラウス・ティーデマン記念論文集の紹介⑵(立命館法学第 2 号)
2014年・203頁。
11 同前。
12 同前。
13 立命館法学203頁:前掲注8・王玉全65頁。
14 只木 誠・ドイツにおける「汚職対策(政治腐敗防止)法」について(一)獨協法学第46号・1998年・
306頁。
15 同前。
16 マリア・カーガー(Dr. Maria Karger, LL. B)佐川友佳子/金 尚均翻訳・民間部門の腐敗―ドイツ 及び日本の規定の批判的比較、国際的統一化の可能性に向けた展望(龍谷法学43- 1 ・2010年)331頁。
17 同前。
18 同前・332頁。
19 https://ja.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E8%B4%88%E5%8F%8E%E8%B3%84%E6%B3%9 5#cite_note-anw125-5;Anwar, Aisha; Gavin Deeprose(2010). “The Bribery Act 2010”. Scots Law Times(Sweet & Maxwell) 2010㉓. ISSN 036-908X
20 金日華・孫海萍「中国の不正競争防止法における商業賄賂規制の改正」国際商事法務第46巻 6 号761 頁(2018)。
21 樋口 亮介・ドイツ刑法各論講義ノート:国家的法益に対する罪(東京大学法科大学院ローレビュー 第11号、2016年)309頁以下。
22 同前・311頁。
23 王玉全「私部門貪腐行為與其侵害之法益」月旦刑事法評論、第 4 期、61頁以下(2017)
24 at https://tw.appledaily.com/new/realtime/20150731/658804/(as of Feb 11, 2019)
25 前掲注8・69頁。
26 台湾刑法は法人の犯罪能力を否定している。そのため、法人の処罰は、特別法の規定に任せている。
それには、たとえば、銀行法、証券取引法、先物取引法などが挙げられる。
また、改正草案は、民間部門における贈収賄の規制対象である代表者は、会社法第 8 条の会社責任 者でもある。責任者として会社に損害を与えた場合には、忠実義務および善管注意義務違反となる。
したがって、会社に損害を与えたとき、損害賠償責任を負う。上場企業の場合は、企業統治におけ るコンプライアンス体制および内部統制システムを構築すべきである。
27 Achenbach,Strafrechtlicher Schuzdes Wettbewerbs: Ein Nachweis normativer Fehlregulierung des Marktes, KritV 2009, S. 297;前掲注8・70頁。