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雑誌名 金沢大学中国語学中国文学教室紀要 = Bulletin of

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(1)

著者 黒田 譜美

雑誌名 金沢大学中国語学中国文学教室紀要 = Bulletin of

Department of Chinese Linguistics and Chinese Literature, Kanazawa University

号 14

ページ 77‑99

発行年 2015‑03‑30

URL http://hdl.handle.net/2297/42601

(2)

崑腔伝奇から代言体弾詞への変容

―『繍像一捧雪全伝』『繍像十五貫』『繍像風箏誤』を中心として―

黒田 譜美

[キーワード ] 代言体弾詞 、 崑腔伝奇、 講唱文芸、 蘇州

はじめに

清中期以 降に各地で 興隆した講 唱文芸が隣 接する小説 や戯曲等か ら 改編された 事例につい て夙に論じ られている が、蘇州や 杭州で盛ん に 刊行されて いた代言体 弾詞もまた 例外ではな い。代言体 弾詞と戯曲 と の形態的類 似について は申翁、鄭 振鐸、葉徳 均、李家瑞 等先学諸氏 に よって言及 され、また 代言体弾詞 の成熟期で あった嘉慶 年間には『 何 必西廂』や 『燕子箋弾 詞』といっ た作品が原 作の戯曲と の文体の違 い を意識して 創作されて いたことも 輪田直子氏 、盛志梅氏 等によって 指 摘される

( 1 )

本稿で取 り上げる弾 詞『繍像一 捧雪全伝』『繍像十五 貫』『繍像 風箏 誤』はすべて嘉慶年間に出版され

( 2 )

、端役が呉語を用いる典型的な代 言体弾詞の 体裁をとっ ており、初 版本の刊行 地域は不明 だが、代言 体 弾詞を最も 多く出版し ていた蘇州 か杭州、他 でも江浙地 域を出なか っ たと推定される。原作は明末清初に活躍した蘇州派劇作家李玉(約 1602

-1671 後、江蘇呉県人)の伝奇「一捧雪」、朱素臣(1620 前-1701 後、

江蘇呉県人 )の伝奇「 十五貫(双 熊夢)」、そ して杭州、 南京等で活 躍

し、朱素臣 とも交流が あった李漁 (1611-1680、浙江蘭 溪県人)の 伝

奇「風箏誤」である

( 3 )

。青木正 児『支那近世戯曲史』において清嘉慶

から清末ま でを「崑曲 の衰落時代 」と表した ように、嘉 慶以降の崑 腔

(3)

伝奇は全盛 期に比べる と創作され る作品数は 減少してい たが、三作 品 とも清代中期頃蘇州で初版された『綴白裘』 『納書楹曲譜』等戯曲撰本 に収録され ており、代 言体弾詞が 編まれた当 時も折子戯 でよく演じ ら れていたと考えられる

( 4 )

このように 弾詞と伝奇 の地域性に 着目すれば 、二つに直 接的な関係 が見出され ることが想 定されるが 、では具体 的にはどの ように継承 さ れ変容して いたのか。 本稿では、 従来あまり 行われなか った崑腔伝 奇 と弾詞を字 句レベルか ら比較する ことにより 、三作品に 共通する改 編 の手法やそ の方向性を 明らかにし 、清代中期 における代 言体弾詞隆 盛 の背景について考察をすすめたい。

あらすじ

まず各作品のあらすじを弾詞によって述べておく。

『繍像一捧雪全伝』

明代莫懐古 の家に代々 伝わる玉杯 一捧雪が侍 郎厳世藩に 狙われるが 、 莫懐古は偽 杯を贈る。 しかし湯勤 の裏切りに よって真相 が知れて追 手 がかかり、 莫懐古の家 僕である莫 誠は主人の 身代わりと なって処刑 さ れ、妾の雪 艶も湯勤を 刺殺して自 害する。莫 懐古の息子 莫昊は厳世 藩 を弾劾して父親の冤罪を晴らす。

『繍像十五貫』

熊有蘭、熊 有蕙兄弟の 壁隣りには 馮越洪、馮 小宝親子と 童養媳の侯

玉娥が住ん でいた。熊 有蕙は鼠が 落とした金 環を拾った がために、 そ

の直後に毒 死した馮小 宝を侯玉娥 と共謀して 殺害したと 訴えられる 。

兄の熊有蘭 は客商から 十五貫を貰 い、弟を助 けに向かう 。一方、無 錫

に住む尤葫 蘆は商売の 元金の十五 貫を娘の尤 含珍に示し 「この金は お

前を売った 金だ」と冗 談を言う。 真に受けた 尤含珍が家 出をし、そ の

間に婁阿鼠 が尤葫蘆を 殺害して十 五貫が盜ま れる。尤含 珍は熊有蘭 と

(4)

偶然同道し ていたとこ ろを捕まり 、二人は尤 葫蘆殺しの 嫌疑で訴え ら れる。二つ の事件は、 夢の啓示を 受けた蘇州 知府況鍾に よって冤罪 が 晴らされ、 熊兄弟は科 挙及第後に 侯玉娥、尤 含珍と結ば れ一門繁栄 す る。

『繍像風箏誤』

書生韓芳が 詩を書いた 凧を、戚浩 が詹府の敷 地へ飛ばし てしまい、

凧を拾った 才媛詹淑娟 は詩を書き 足す。その 詩に感動し た韓芳は再 度 凧を詹府へ 飛ばすが、 今度は醜女 の詹愛娟が 拾ってしま う。戚浩の 名 を騙る韓芳 は、淑娟の 名を騙る愛 娟と忍び逢 いを果たす が、その醜 悪 さを見て逃 げ帰る。後 に戚浩と愛 娟、韓芳と 淑娟は話が 咬み合わな い まま婚礼を 迎えてそれ ぞれ騒動を 起こすが、 誤解が解け て大団円と な る。

構成の比較

各作品の構 成を伝奇テ キストと弾 詞とで比較 すると、そ れぞれ継承 の度合いが多少異なることが分かる。

弾詞『繍像一捧雪全伝』は、嘉慶 24 年(1819)夢苑山人序に「是書 向有伝奇、 今乃易為弾 詞(是の書 は向に伝奇 が有り、今 に弾詞に易 え る)」と明示されており、三作品のなかで最も伝奇を意識した改編とな っている。 原作の伝奇 、そして戯 曲選本、曲 譜、上演抄 本等と併せ て 出名と比較すると(表Ⅰ)、原作の『一笠庵新編一捧雪伝奇』や『醉怡 情』で第八出「偽献」、第十四回「出塞」、第十八出「勘首」、第二十出

「誅奸」、 第二十一出 「哭瘞」と なる出名を 、『綴白裘 』以降の曲 譜や 上演抄本の 殆どが「送 杯」「換監」「審頭」「 刺湯」「祭 姫」とする が、

弾詞は「換監」以外すべて原作に倣う。テキストを比較対照しても『綴

白裘』を受 け継ぐ箇所 もあるが、 大半は原作 に拠ってい る。例えば 丑

役の湯勤の 科白は原作 では官話で あるのを『 綴白裘』で は呉語に改 め

るが、弾詞 では官話の ままとし、 衛兵など他 の端役が呉 語を用いて い

(5)

る。また弾 詞には、莫 誠の妻で屋 敷を守る柳 婆の元へ科 挙に及第し た 莫昊から吉 報が届けら れる第二十 八回「逓書 」と、莫昊 と方毅庵の 娘 艶春が婚約 して一家団 欒を描く「 完姻」が終 回に加えら れている。 こ の 二 回 の 直 接 の 来 源 は 不 明 だ が 、 伝 奇 に は 続 編 の 「 後 一 捧 雪 」( 康 熙 59 年(1720)序抄本、『俗文学叢 刊』第〇八 五巻所収) が伝わり、 莫 誠の妻が莫 懐古一家に 迎えられ、 莫誠の息子 と方毅庵の 娘、そして 莫 昊と戚継光 の娘が結ば れる筋があ る。弾詞は この続編か ら何らかの 影 響を受けた か、或いは 大団円の描 写が付加さ れたテキス トが別に介 在 していたか もしれない 。いずれに せよ主君の ために殉死 した莫誠へ の 同情が集まったために加えられた内容と思われる。

一方、弾詞 『繍像十五 貫』は、そ の鴛湖逸史 序に「余戊 寅春、遊于 呉門、偶得真伝、并熊家族譜、細査原板古本、竟不符矣。因于己卯夏、

重為 删 改 另換関旨、再加修飾(嘉慶二十三年春に呉門へ行った際、偶 然に真伝と 熊家族譜を 得た。原版 の古本を詳 しく調べる と一致しな い ので、嘉慶二十四年夏に改め、内容を変えてさらに修飾を施した)」と あるが、他 の版本は伝 わらず、伝 奇とも人物 名や設定が 若干異なる 。 弾詞では、 表Ⅱに示し たように前 半の熊有蕙 と侯玉娥の 事件は原作 の 伝奇を簡略 化し、戯曲 撰本に度々 収録される ような佳境 部において は 内容をより 充実させる 傾向がある 。佳境部と は、況鍾が 再審を願い 出 る第十回「 見都」と、 言葉巧みに 尤葫蘆から 真相を聴き だし捉えて し まう第十二回「訪鼠」、第十三回「測字」で、これらは『綴白裘』第二 集所収の散 出と対応し ており、字 句レベルで 『綴白裘』 との近似性 が 確認できるが、これについては後で述べる。

弾詞『繡像 風箏誤』は 『繍像十五 貫』と同様 、物語の佳 境部を拡張

しており、 戚浩と愛娟 の結婚騒動 を描く伝奇 第二十一出 「婚閙」を 弾

詞では「前 親」と「婚 露」に、韓 芳と淑娟の 結婚騒動を 描く第二十 九

出「詫美」 は「後親」 と「負罪」 の二回に分 けてそれぞ れ内容も増 加

している(表Ⅲ)。しかし原作の字句をそのまま使用することはほとん

ど無く、さらに第五出「習戦」、第十出「請兵」、第十五出「堅壘」、第

(6)

二十三出「 敗象」等、 詹列侯(弾 詞では詹継 侯、淑娟等 の父)が西 川 で征戦する 場面がなく なり、代り に続編『繍 像一箭縁全 伝』に繋が る 人物の挿話 があるなど 、三作品中 では最も原 作と隔たり がある。挿 話 とは、遊び 好きの戚浩 に連れられ て妓楼へ行 った郁炳が 江彩玉と出 会 う第十二回「訪妓」、そして後に浙江按察使になった郁炳が彩玉一家を 陥れた犯人を裁く第二十九回「戮昌」、もう一つは淑娟と愛娟の父親詹 継侯の甥に あたる詹璵 が侍女の雲 芳を妾にす る過程を描 いた第十九 か ら二十一回 の「戯婢」「解忿」「 納寵」であ る。原作に あった忠臣 功名 の内容が、 いわゆる風 情遊賞の内 容にとって 換わられて おり、一層 娯 楽性が強くなっていると言えるだろう

( 5 )

。しかしこの排除された征戦 の内容は他 の曲譜や伝 奇抄本にも 収録されて おらず、弾 詞が編まれ る 以前に既に 崑曲でもほ とんど上演 されていな かった可能 性が高い。 ま た長篇の講 唱文芸に、 所謂はめ込 み型の挿話 が挟まれる ことは珍し く

ないが

( 6 )

、弾詞『繍像風箏誤』の場合、続編で郁炳や詹璵の息子が登

場するための伏線にもなっており、 「戮昌」や最終回の末尾にも続編「一 箭縁」の名 が逐一明示 される。つ まり、弾詞 『繍像風箏 誤』の作品 構 成が伝奇と 大幅に異な る要因の一 つに、続編 を前提にし て改編され た 経緯がある。

以上のよう に、三作品 の作品構成 を比較して いくと、伝 奇との関係 性はそれぞ れやや異な っている。 すなわち『 繍像一捧雪 全伝』は最 も 伝奇を直接的に継承しているが、 『繍像十五貫』は伝奇の構成に伸縮を 施しており、 『繍像風箏誤』は最も伝奇と隔たりがある。しかしながら、

テキストにおける表(語り手の敘述)、唱、白といった各要素を検証す

ると改編手法に幾つかの共通点がみられる。

(7)

傳奇『 選本 傳奇 記錄 選本 曲譜 彈詞 全本 全本 全本 曲譜 記錄 曲譜 選本 一

笠 庵 新 編 一 捧 雪 伝 奇』 『

醉 怡 情』

内 府 抄 本

穿 載 題 綱」 『

綴 白 裘』 『

納 書 楹 曲 譜』 『

繡 像 一 捧 雪 全 傳』

綏 中 呉 氏 藏 抄 本

張 鍾 來 家 藏 抄 本

蓉 鏡 盦 珍 藏 抄 本

六 也 曲 譜 初 集』 「

清 末 上 海 昆 劇 演 出 劇 目 志」 『

集 成 曲 譜』 『

崑 曲 大 全』

崇禎 崇禎 乾隆 乾隆25 年

乾隆 29-39

乾隆57- 59

嘉慶

24年 不詳 不詳 光緒 光緒

34年 清末 民國 13年

民國14 年

談概 談概 開宗 開宗

樂圃 賞梅 賞梅 樂圃 賞梅 賞梅

賣畫 賣畫 賣畫

囑順 囑順 囑順 囑調 囑師

燕遊 燕遊 餞別 燕遊 餞別 餞別 餞別

拜別 拜別

征遇 征遇 征遇 征遇 鎮遇 路遇 路遇

豪宴 豪宴 豪宴 豪宴 豪宴 豪宴 豪宴 豪宴 遨宴

婪賄 婪賄 婪賄 婪賄 票本 票本 票本

勢索 勢索 勢索 勢索 説盃 説盃 説盃

偽獻 偽戲 送杯 送杯 送杯 偽獻 偽獻 送盃 送盃 送杯 送盃

醉洩 醉洩 醉洩 醉洩 報陞 報升

譖贗 譖贗 譖訢 譖贗 露盃 露杯 露杯

報盃 報杯 報杯

搜邸 搜邸 搜杯 搜寓 搜邸 搜盃 搜杯 搜杯

遣邏 遣邏 遣邏 遣邏 遣盃 遣將 遣將

關攫 關攫 追獲 關攫 關攫 追盃 追杯

出塞 出塞 監換 監換 換監 換監 出塞 換監 換監 換監 換監 換監 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戮 代戳

訐發 奸唆 訐發 訐發 驗頭 驗頭 驗頭

株逮 株逮 株逮 召勘 株逮 株逮

勘首 勘首 審頭 勘首 勘首 審頭 審頭 審頭 審頭

醜醋 醜醋 醜醋 醜醋 軸賦 軸賦 軸賦

誅奸 刺湯 刺湯 刺湯 誅奸 誅奸 刺湯 刺湯 刺湯 刺湯 刺湯 哭瘞 祭姫 祭姫 祭姫 祭姫 哭墓 哭瘞 祭姫 祭姫 祭姫 祭姫 祭姫

誼潛 報信 報信 誼潛 寄蹟 開拿

邊憤 貨訴 邊信 邊憤 邊憤 戌遍 邊信 邊信

徙置 起解 慘鮮 徙置 悉冤 悉冤

泣讀 泣讀 泣讀 奏朝 戌邊

回轍 拒參 回轍 邊信 奏朝

劾惡 劾惡 劾惡 郊遇 墳遇

逓書

塚遇 塚遇 塚敘 塚遇 墳遇

入塞 塞會 入塞 入塞 入寨 入塞

杯圓 杯圓 杯圓 杯圓 杯圓 盃圓 盃圓 杯圓 杯圓

完姻

表Ⅰ 「一捧雪」出名対照表

(8)

抄本『 記錄 選集 曲譜 彈詞 曲譜 抄本 記錄 傳奇 全本 全本 全本 全本 曲譜 曲譜 古

本 戯 曲 叢 刊』 所 収 抄

本 「

穿 載 題 綱」 『

綴 白 裘』 『

納 書 楹 曲 譜』 『

繍 像 十 五 貫』 『

六 也 曲 譜 初 集』

胡 世 安 鈔 本

清 末 上 海 昆 劇 演 出 劇 目 志」 古

呉 蓮 勺 廬 鈔 存 本

許 之 衡 訂 本

張 鍾 來 家 藏 抄 本

十 五 貫 全 本」 抄 本

長 澤 規 矩 也 旧 蔵 本

集 成 曲 譜』 『

崑 曲 大 全』

順治7 年?

乾隆25 年

乾隆 29-39

乾隆 57-59

嘉慶24 年

光緒 34年

清 後期

清 後期

清末 民初

民国

12年 不詳 不詳 不詳 民国 13年

民国 14年

開場 義全 開場 開場 第1齣 第1齣

泣別 借貸 別弟 計傭 泣別 出熊 第2齣 第2齣

鼠竊 鄰疑 付環 鼠竊 付鈔 第3齣 第3齣

得環 得環 買藥 得環 見環 第4齣 第4齣

催花 催花 姑援 催花 逼女 第5齣 第5齣

餌毒 誤毒 餅毒 當環 餌毒 露環 第6齣 第6齣

陷辟 陷姦 陷辟 屈招 陷辟 陷辟 第7齣 第7齣

商助 商贈 贈貫 贈貫 商助 第8齣 第8齣

歸家

竊貫 殺尤 盗殺 竊貫 殺尤 第9齣 第9齣

誤拘 皋橋 遭捉 誤拘 樂橋 第10齣 第10齣

如詳 審問 負冤 如詳 過審 第11齣 第11齣

朝審 軍牢 朝審

軍牢 第12齣 第12齣 監会 第13齣 第13齣

夢警 降兆 宿山 宿廟 夢警 宿廟 第14齣 第14齣

阱涙 監会 女監 女監 阱涙 第15齣 缺下卷 女監

夜訊 批斬 判斬 判斬 判斬 判斬 批斬 批斬 夜訊 判斬 第16齣 判斬 判斬 乞命 見都 見都 見都 見都 見都 見都 見都 見都 乞命 見都 第17齣 見都 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏勘 踏看 第18齣

測字 訪鼠 訪鼠 訪鼠 訪鼠

測字 測字 測字

擒奸 義訴 辨冤 擒奸 義訴 第20齣

恩判 釈放 釈放 審豁 審豁 審豁 審豁 第21齣 審豁

請罪 考試

認女 認女

謁師 謁師 謁師 謁師 謁師 第22齣 謁師

刺繍 刺繍 議婚 議婚 刺繍 第23齣

拝香 拝香 拝香 拝香 拝香 拝香 拝香 第24齣

訂婚 談親 説親 合配 第25齣 第26齣 考試

雙圓 團圓 團圓 雙圓 團圓 雙圓

廉訪 訪鼠測 第19齣

字 測字 測字 廉訪

測字

測字

雙圓

表Ⅱ 「十五貫」出名対照表

失環

竊屠 誤捉

獄晤 男監 監会 男監 男監

(9)

傳奇『 記錄 選集 曲譜 彈詞 曲譜 記錄 単齣 全本 曲譜 選集 笠

翁 傳 奇 十 種』 「

穿 載 題 綱」 『

綴 白 裘』 『

納 書 楹 曲 譜』 『

繡 像 風 箏 誤』 『

六 也 曲 譜 初 集』 「

清 末 上 海 昆 劇 演 出 劇 目 志」 昇

平 署 抄 本

張 鍾 來 家 藏 抄 本

集 成 曲 譜』 『

崑 曲 大 全』

康熙 乾隆25 年

乾隆 29-39

乾隆 57-59

嘉慶15 年

光緒34

年 清後期 清後期 不詳 民國13 年

民國14 年 巅末

賀歳 思親

社鬧

閨鬨 欽詔

郊錢 柳亭

習戰 糊鷂

題鷂 題鷂

和鷂 和詩

囑鷂 索鳶

請兵

閨思

鷂誤 鳶誤 鷂誤

冒美 相約 冒美 冒美

驚醜 驚醜 驚醜 樓會 驚醜 驚醜 驚醜 驚醜 驚醜 訪妓

遺試 別友

堅壘

夢駭 夢駭 夢驗

媒爭 艱配

議婚 説親

蠻征

前親 婚露 運籌

敗象

導淫 賺妹 導淫 導淫

凱宴

拒姦 拒姦 拒姦 拒姦

戲婢 解忿 納寵 驚夢 激表 計擊

聞捷 託柯

逼婚 逼婚 逼婚 卻婚 逼婚 逼婚 逼婚

後親 負罪 戮昌

釋疑 茶圓 茶圓 茶圓 茶圓 茶圓

覆命

後親 後親 詫美 詫美 詫美 後親 詫美 後親 後親

表Ⅲ「風箏誤」出名対照表

失鳶

婚閙 前親 前親 婚閙 前親 前親 前親 前親

(10)

3.表の機能

戯 曲 と 講 唱 文 芸 の 相 違 点 に 、 講 唱 文 芸 は 第 三 人 称 の 語 り 口 で あ る

「表」を多 用する点が 挙げられる 。表の機能 は状況説明 、心理描写 、 語り手の解 釈など多岐 にわたるが 、ここでは 主に場面転 換の機能に 着 目して伝奇との相異を検証する。

先述のよう に折子戯で 演じられる ような佳境 部では伝奇 の影響を受 け、かつ弾 詞独自の描 写を加える 場合がある が、それ以 外は逆に伝 奇 の内容を簡 略化する傾 向がみられ る。簡略化 には、煩雑 な話そのも の を削ったり、表を用いて物語の粗筋を簡単に敘述する方法が採られる。

例えば『繍 像十五貫』 は、伝奇で は侯玉娥が 金環を失く す場面(第 三出「鼠竊」)と、隣家の熊有蕙が金環を発見する場面(第四出「得環」)

を二出に分 けるが、弾 詞第二回「 失環」では 表を用いる ことで侯玉 娥 の部屋から 熊有蕙の部 屋へ、熊有 蕙の部屋か ら侯玉娥の 部屋へと壁 を 挟んで隣り 合う二人の 場面を素早 く転換して 、伝奇二出 分の内容を 一 回にまとめ ている。こ れと同様に 、伝奇では 個別の幕と して分かれ て いた①熊有 蕙と侯玉娥 の拷問場面 (第七出「 陷闢」)、② 熊友蘭が陶 復 朱から十五 貫を受け取 る場面(第 八出「商助 」)、③遊葫 蘆が蘇戍娟 と 喧嘩をする場面(第九出「竊貫」)という異なる三場面を、第五回「竊 屠」でやや強引に次々と展開させて、伝奇三出分を一回に収めている。

場面転換の箇所では、①―②では「(唱)…人人各把新聞説、盡説因姦 謀命情。傳言四處謠言広、再言熊有蘭聞眾人云。 (表白)且説那熊有籣、

與熊有蕙分 手一来、在 於寧波地方 、海船上面 、做了舵師 …(人々は こ

の話題をと りあげて、 陰謀で殺し たと言うば かり。噂は 噂を呼んで 広

がり、そして熊有蘭にも人々の噂が耳に入ります。 (表白)熊有蘭とい

いますと、 熊有蕙と別 れて以来、 寧波で船に 乗って船頭 をつとめて お

ります)」、②―③では「(唱)…有籣謝別挑錢走、星夜而歸還道遲。住

表有蘭来趕 路、書中另 敘一醉癡。(小凈引) … (白) 我是尤二。 在這

無錫県東関 、開張肉舗 …(有蘭は 礼を述べて お金を担ぎ 、夜を徹し て

帰るが道は 遠い。有蘭 が道を急ぐ ところで話 をとめて、 物語はある 酔

(11)

っ払いへとうつります。 (小浄引)…(白)わしは尤二。無錫県東関で、

肉屋を営む )」、③―④ では「(丟 下含珍来 躲 避、書中另 唱一奸雄。(丑 引)…(白 )是我婁阿 鼠。一生好 賭…(含珍 が逃げてい る話は放っ て おいて、物語はある奸雄の話へとうつりましょう。 (丑引)…(白)俺 は婁阿鼠。大の博奕好き)」という具合に表が用いられている。このよ うに登場人 物が異なる 三場面を次 々と展開さ せる構成は 、舞台での 上 演を前提として一出一場面を基本とする伝奇の構成と大きく異なる。

また『繍像 十五貫』や 『繍像風箏 誤』が続編 の存在を巻 末に記すこ と は先述した が、この続 きの展開に 期待させる 手法は、各 回の終り方 に もよく現れており、これは他の講唱文芸と同様と思われる。 『繍像十五 貫』第五回 「竊屠」の 終盤は、婁 阿鼠(丑) が登場した 直後、即ち 婁 阿鼠が尤葫蘆の家に侵入し、偶然目にした屠刀を盗むところで終わる。

これは次回 の「誤捉」 にて婁阿鼠 がその刀で 尤葫蘆を切 り殺して十 五 貫を盗む伏 線となって おり、次回 に期待させ る効果をも たせたので あ ろう。同様 の手法が『 繍像一捧雪 全伝』にも みられる。 伝奇と弾詞 に はいずれも 「征遇」と 「豪宴」の 二出がある が、テキス トを比較す る と、弾詞「 征遇」には 伝奇「豪宴 」の前半部 分が織り込 まれている 。 その接続部分には表が用いられて、 「此事丟開不細標。剪下京都懷古話、

書中別敘一 奸豪(この 事はさてお いて細かく お話ししま せん。京都 の 懐古の話は打ち切って、物語はある奸豪の話にうつりましょう)」とい うように、 伝奇では次 回に登場す る厳世蕃や 湯勤を先に 紹介するの で ある。次回 の中心人物 を登場させ たところで 回を打ち切 って期待を も たせるとい うこの手法 は「代戮」 と「訐發」 の間でもみ られ、これ ら は弾詞編者が意図的に操作したものと考えられる。

4.唱の改編

伝奇と弾詞 は、前者が 楽曲系、後 者が詩讃系 に属し、基 本的に唱の

形態を異に するが、葉 徳均が『宋 元明講唱文 学』(1957)で「「講 唱文

学にも少な からず詩讃 と楽曲の二 種類の韻文 を用いるも のがある。 例

(12)

えば多数の 明清宝巻と 一部の清代 呉語系弾詞 である」と 指摘するよ う に、弾詞の 唱に南北曲 や時調が使 用されるこ とが稀にあ る。本稿の 三 作品におい ても、原作 の曲辞を襲 用する場合 もあれば、 曲牌名を刪 去 したり、斉言体に編み直すなど多様な継承方法がある。

原作の曲辞 を一字も改 めずに引用 する例は『 繍像一捧雪 全伝』で見 られる。な かでも人物 が登場する 際に唱える 登場詩「引 子」に伝奇 の 曲辞を用いる傾向がある。原作の曲牌名で例を示すと、 「一捧雪」では 第五出「豪宴」 【天下樂】、第九出「醉洩」 【六么令】、第十一出「偽献」

【朱奴兒】、第二十三 出「邊憤」【金雞叫】 等で、これ らは弾詞で も曲 牌名を残す。 「十五貫」では第十七出「乞命」 【縷縷金】、第十八出「廉 訪」 【歩歩入園林】、 「風箏誤」では第二十九出「詫美」 【玉交枝】等で、

これらは弾 詞では曲牌 名を削って いる。弾詞 や鼓詞の開 首詞に独創 性 がないことについては、嘉慶 4 年(1799) 澹園氏編『燕子箋弾詞』巻 首に「本作 の開首題や 『西江月』 讃語等はみ な独創で、 他の唱本が 無 暗に他を借用するのとは異なる」と殊更に述べるほどであるから

( 7 )

、 当時より認識されていたことのようである。

しかし弾詞 の唱詞が伝 奇と完全に 一致するこ とはむしろ 少ない方で 、 伝奇の曲辞 を踏襲する 場合は通常 、七言の斉 言体に編み 直す手法が 用 いられてい る。『繍像 一捧雪全伝 』では弾詞 が独自に追 加した「逓 書」

「完姻」以外の全篇において、 『繍像十五貫』では先述のごとく佳境部

の「見都」「訪鼠」「 測字」にお いて、『繍 像風箏誤』 では「婚露 」「後

親」 「負罪」において、伝奇の曲辞に用いられる字句を弾詞の唱に織り

込む手法が 見られる。 代言体弾詞 は平仄に厳 密でなく、 字句の取り 入

れ方にも際 立った法則 性は見られ ない。原作 の襯字や科 白を弾詞の 唱

に編み込む ことも多い 。以下はそ の一例で、 唱詞は太字 、伝奇と弾 詞

に共通する字句は下線で示す。

(13)

伝奇「一捧雪」第十四出「出塞」:

【下山虎】恁 般催 促、勉 強俄 延。待把你縲 絏陳 情辨 、怕帝 聰隔 懸;況 悍卒如狼、怎容消遣。

弾詞『繍像一捧雪全伝』第十四回「換監」:

(唱)欲 思覆 旨来 催促、 那時 片刻稍 俄延 。小弟是欲把你冤 遭縲絏 陳情 奏、慮的是帝闕迢遙路隔懸。況兼悍卒如狼虎、怎容耽待略從寛。

伝奇「十五貫」第十八出「廉訪」:

【江兒犯】姦 殺 奇 聞事、 鄉 閭 到 處揚 。 (末)甚麼姦殺事?(丑)就是 那游葫蘆死入糊塗帳。

弾詞『繡像十五貫』第十二回「訪鼠」:

(唱)姦 殺奇 聞 事一 桩 、 鄊 関 到處広 傳 揚。 (末白)什麼姦殺事?(丑 唱)就是那尤二遭人殺、但是殺死糊塗事渺茫。

伝奇「風箏誤」第二十一出「婚鬧」:

【紅繡鞋】(合)矇 朧且 暫成交 、成 交、休 教辜 負良宵 、良 宵。看 月影 上花梢、譙鼓歇、鳥聲嘈、急乘鸞、休待明朝、明朝。

弾詞『繍像風箏誤』第十六回「婚露」:

(唱)已 往之 非休 記念、 可見当窗月 影上 花精、 雖然呢小女 不堪 把箕掃 奉、但新婚莫負這好良宵。或短或長君自主、快乘鸞鳳且待来朝。

これらは特 に類似して いる例であ るが、申翁 「南詞、弾 詞、鼓詞沿 襲伝奇説」 (1935)で「崑曲は既に婦女子供みな知っていたため、南詞

(代言体弾詞)編者も原文を全て変えることができなかったのだろう」

と指摘する ように、人 口に膾炙し た名場面で は、原作の 雅趣を損な わ ぬよう配慮されたのかもしれない。嘉慶年間には陳遇乾(生没年不詳)

のように崑劇役者から弾詞芸人へ転向する者もいたから

( 8 )

、崑曲に通

暁する者が 弾詞への改 編に攜わっ たとも十分 考えられる 。しかしな が

ら「風箏誤 」の例では 、原作の歌 謡的な重畳 表現がわざ わざ取り除 か

(14)

れており、 弾詞が伝奇 の唱詞の字 句を単純に 模倣しない のは音曲そ の ものの模倣が難しいこととも関係していると思われる。

原作の科白のみを踏襲して、唱詞のみ弾詞独自に改編する例も多い。

次の表Ⅳは 、『繍像十 五貫』「見 都」で、況 鐘が冤罪を 確信して事 件の 再調査を都 御史周洸に 請願する場 面である。 前後の白は ほぼ原作を 襲 用するが(下線部及び○箇所)、唱自体は原作の字句を引かずに、蕭豪 韻で押韻す る七言句に 改めている 。さらに伝 奇で「碧玉 恣滂沱、士 女 双双無罪蒙禍(碧血滂沱として流れ、士女双双、罪無くして禍を蒙る)」、

「肺石無霊気、懨懨 空自吁(肺石の訴え虚しく、息絶え絶えたり)」と

文言的な抒 情表現であ るところを 、弾詞では 「卑府奉命 不辞労。西 郊

頃刻把犯人 梟。就把四 人来吊出、 一齊把着斬 條標。四人 男女称冤枉 、

因此綁赴西 郊還未斬梟 (卑官は命 を奉り労を も辞しませ ぬ。西郊で 罪

人が梟首さ れようとし ており、四 人は吊し上 げられ、一 斉に斬られ る

でしょう。 しかし男女 四人は冤罪 を訴えるの で、西郊へ 押送される も

未だ梟首されていませぬ)」ともっぱら物事の経緯を語る平易な叙事表

現になって いる(波線 部)。「把」「因此」「 還」といっ た襯字が多 用さ

れるだけで なく、この わずか六句 中に「西郊 」「四人」「 斬」が二度 使

用され、か つ「梟」で 二度押韻し ており、一 見すると弾 詞の唱は文 学

的に拙い印 象を受ける 。しかし、 どこで誰が 何をする、 すなわち「 西

郊で四人が 斬られ梟し 首になる」 という内容 は、伝奇よ りもむしろ 伝

わりやすい

( 9 )

。上田望「人はなぜ三国志の物語を「唱う」のか―詩讃

体購唱文芸 に見える三 国故事作品 の生成と流 通について 」(『金沢大 学

文学部論集。 言語・文学篇』23、2003)では、北京の大鼓や広東の潮

州歌等にも、短い段に重複する通俗的な表現が多く、記憶に適した「声

の文化」の 特徴がある ことが指摘 されるが、 語り手が覚 えやすいだ け

でなく、聴 き手にも伝 わりやすい という詩讃 系の特色が 、伝奇を意 識

しながら編まれた代言体弾詞においてもよく現れているといえる。

(15)

表Ⅳ

5.卑俗白の踏襲

伝奇から代 言体弾詞へ の改編過程 で、歌詞だ けでなく科 白において

も伝奇の語 句が踏襲さ れ、特に端 役や道化役 が諧謔白を 弄する場面 は

さらに潤色 を加えると いう傾向が 見られる。 清代以降の 戯曲に方言 や

卑俗白の混 入される現 象について は、すでに 詳細な研究 成果がある 。

岩城秀夫「南戯における呉語の機能」 (『中国戯曲演劇研究』、1972、原

載『日本中 国学会報』 5、1953) では、「明 の萬暦年間 には、一般 に呉

の地方の民 謡といった ものに興味 の中心がお かれていた が、その後 次

第に純粋な 会話形式の 方に関心が 移降し、清 の乾隆頃に なると、す で

に述べたよ うに、相声 と相通ずる ような形態 のものに変 貌してきた 」

と述べ、乾 隆年間に至 って明以来 の戯曲の会 話が呉語に 書きかえら れ

(16)

た戯曲選集『酔怡情』 『綴白裘』や、最初から呉語を多量に用いた沈起 鳳『沈 薲 漁 四種曲』を 例に挙げる 。田仲一成 「十五・六 世紀を中心 と する江南地方劇の変質について(五)」 (『東洋文化研究所紀要』72、1977)

の『琵琶記 』や『西廂 記』の研究 では、明代 郷村演劇の 古本で呉語 が 若干含まれていたのが、 『綴白裘』や清代の上演本に至ると再び呉語が 多量に挿入 され、内容 的にも卑俗 の程度を増 しているこ とから、こ れ を市場地演劇用脚本と位置づけている。この乾隆 29 年から 39 年に銭 徳蒼によっ て編まれた 『綴白裘』 全十二編は 、折子約五 百出を収め 、 崑曲以外に 梆子腔、高 腔、乱弾腔 といった地 方劇も輯録 しているこ と などから、 当時既に全 本戯に代わ って折子戯 が発達して いたこと、 当 時演劇界で は雅部(楽 曲系)から 花部(詩讃 系)へ移行 する過渡的 段 階にあった ことなどが 従来指摘さ れている。 本稿で扱う 代言体弾詞 の 三作品につ いても、折 子戯の影響 を受けた作 品構成や、 楽曲体から 詩 讃体への改 編等、清中 期の戯曲の 動向に対応 した現象が みられ、呉 語 や卑俗白の 増加に関し ても、もと より喜劇性 を帯びる『 繍像十五貫 』 と『繍像風箏誤』に顕著である。

弾詞『繍像 十五貫』で は、況鐘が 婁阿鼠を捉 えるまでを 描く伝奇第 十九出「廉 訪」の内容 を「訪鼠」 と「測字」 の二回に拡 張して、婁 阿 鼠(丑)の科白を増やしている。例えば、文字占い師に扮した況鍾(外)

が言葉巧み に婁阿鼠か ら真相を聴 きだす場面 では、婁阿 鼠が事件の 再 調査を始めた況鐘のことを眼の前に居るのが本人だと知らずに「瘟官」

「入娘賊」「狗賊」と 続けざまに 口汚く罵し る科白が加 えられてい る。

また表Ⅴは 況鍾が婁阿 鼠を自分の 船に乗せて しまう場面 で、況鐘は 船 頭に扮した 家来(小旦 )へ向かっ て、自分の ことを「師 父」と呼ぶ よ う密かに言 いつける。 そこへ来た 婁阿鼠が家 来を見て「 好個標緻小 官

(なんて綺麗な若衆だろう)」と冷かす。罠にかかったとも知らず冗談

を言う婁阿鼠が滑稽にうつる場面である。当時における門子、小官、

(17)

表Ⅴ

伶旦などはしばしば性的娯楽の対象である男児を指すから、『綴白裘』

のように「倒像某某班裏個小旦(どこかの劇団の女形みたいだ)」と言 えば舞台上 の役者もか らかえる仕 組みで、こ こが観客の 笑いをとる 場 面であった ことがわか る(波線部 )。弾詞で は、呉語で 同音[dəu]であ る「徒(弟 子)」と「 駝(背負う )」をかけ て「日夜介 駝、只怕駝 勿起 㖸(昼も夜も背負っていたら、体が持たなくなるよ)」とさらに諧謔白 を弄する(二重線部)

( 1 0 )

『繍像風 箏誤』でも 同様の手法 で佳境部を 拡張してい る。表Ⅵは 第 二十八回「 負罪」で、 男主人公韓 芳(小生) が婚礼の夜 、新妻の淑 娟

(小旦)が 以前に逢っ た醜婦の愛 娟とは別人 で、美貌の 女性だと判 明 して、驚き喜ぶ場面である。 『綴白裘』では、韓芳が新房から侍女(付)

を追い払うという原作に無い描写が付加されており、 「到帶累我淘介場

(18)

表Ⅵ

溫気(私までとばっちりを受けるところだったわ)」と拗ねる侍女がな かなか部屋を出て行かず、 「方才沒做腔、個歇餓癆鶯能来 厾 哉。我若弗 去、急殺 㕶㖿( さっき までお高く とまってい たのに、急 にがっつい ち ゃって。私が出て行かなかったら、どんなに焦るかしら)」と韓芳をか らかう科白が挿まれている(波線部)。この場面も笑いをとる箇所とし て定著して いたと考え られ、他の 清末崑曲上 演本(張鍾 来家蔵抄本 ) でも「阿呀 、半日沒困 来、故歇眼 鮮必報拉裏 哉(まあ、 さっきまで 眠 そうだったのに、今時分に眼がパッチリしちゃって)」等と言葉を変え て踏襲されている。弾詞でも「用你不著走出去(いいから出てお行き)」

という韓芳に侍女が「我偏勿去(行くもんですか)」と口答えをしたり、

慌てる韓芳に「 唬 野 唬 殺子俚哉(そんなに驚くなんて)」とからかう呉

語の科白が挿まれる(二重線部)。さらに「靑衣作 耍 言相謔、一個著急

的韓郎信手 推(侍女は 戯れんとす るも、かた や焦る韓郎 は手で押し 出

す)」、「洋 匕得意剪燈 煤(意気揚 々と燈煤を 取り払う)」と唱詞を 付し

(19)

ており(点線部)、侍女との応酬を通して韓芳までもが軽薄な形象とな っている。

以上のよう に、『繍像 十五貫』と 『繍像風箏 誤』では、『綴白裘』 で 施された卑 俗白や呉語 を踏襲しな がら更に潤 色を施して いる。弾詞 編 者が『綴白 裘』を直接 参照したと までは断定 できないま でも、当時 実 際に折子戯 などで度々 上演され、 観客から笑 いをとるよ うな場面を 弾 詞が好んで積極的に取り込んだことは間違いないであろう。

但し卑俗化 とは言え、 弾詞でも露 骨な描写は むしろ避け る傾向があ り、倉田淳 之助「弾詞 攷」(『東方 学報』21、 1952)にも 「恋愛がテ ー マとはなっ ているが、 当時の道学 者先生の眼 からはとも かく、刻本 に 関する限り 、淫猥とみ られる部分 はない。稀 に弾詞中の 「金瓶梅」 と いわれる「果報録」に褻辞があり、 「詩髪縁」の開篇に淫辞がある程度 である」と 指摘する通 りである。 例えば『繍 像風箏誤』 の挿話の第 十 九回「戯婢 」は、詹璵 が侍女の雲 芳を口説い て手籠にし ようとする が 肩に咬みつかれるという他愛ない情話で、第二十回「解忿」、第二十一 回「納寵」 では詹璵が 正妻や実母 を巻き込ん で雲芳を説 得し、つい に は妾に納め る過程を長 々と描いて いる。しか し閨事に及 ぶと「俗套 之 言休細説(お決まり文句を語るのはやめまして)」と表で述べて終えて しまう。ま た第十二回 「訪妓」は 、妓樓の仮 母や妓女と の会話を含 む 廓話が描か れる。宴席 で酒令が始 まり、呉語 を利用した 隠語がたび た び出現する が、唱詞で はなく、も っぱら科白 に現れる。 これら言語 遊 戯は、物語 の本筋とは 無関係であ るが、端役 が交わす呉 語の軽妙な 科 白回しをむ しろ主眼と しており、 娯楽性を追 求した弾詞 の都市話芸 と しての性格を如実に反映しているといえる。

おわりに

以上、本 稿では代言 体弾詞三作 品が、原作 の崑腔伝奇 をどのよう に

継承して変 容したかを 作品構成、 字句レベル で比較対照 し、そこに 共

通して見られる改編手法や方向性について検討を行った。 『繍像一捧雪

(20)

全伝』は作 品構成から 登場人物の 唱白の語句 に至るまで 、三作品の な かでは最も忠実に原作を踏襲している。 『繍像十五貫』は佳境部「見都」

「訪鼠」 「測字」において『繍像一捧雪全伝』で行われているような字 句レベルで の継承関係 がみられる が、その他 の部分では 簡略化して い る。 『繍像風箏誤』は『繍像十五貫』よりも更に内容の大幅な増刪を行 っており、 原作の字句 を使用する 頻度も低く 、三作品中 では最も原 作 と異なる。 このように 継承の程度 はそれぞれ 異なるが、 表、唱、白 の 各要素を検 証すると、 次のような 共通点がみ られる。① 表の働きに よ って伝奇と 構成が大き く異なる。 特に佳境部 以外の箇所 で内容を省 略 したり、次 回を期待さ せるような 回の区切り 方が見られ る。②唱は 伝 奇の曲辞の 一部を使い ながら平易 な叙事的表 現になって いる。特に 佳 境部では原 作の曲辞を 踏襲するが 、全ての字 句を襲用す るのは主に 形 式化した引子であり、通常は字句の一部用いて斉言句へ編み直される。

③白は唱と 同等に踏襲 され、端役 による呉語 や卑俗白が 増える傾向 が ある。

本稿で扱ったのは三作品のみであり、その継承度合いの違いからも、

伝奇から弾 詞への改編 方法がパタ ーン化され ていたとま では断定で き

ないが、ここに見られる楽曲体から詩讃体への改編手法や、 『繍像十五

貫』 『繍像風箏誤』に著しい折子戯の影響を受けた作品構成や卑俗白の

増加といっ た傾向が、 清中期の戯 曲界の動向 と密接に関 連している こ

とは明らか であり、他 の代言体弾 詞作品にも 同様に現れ ていた可能 性

は高い。代 言体弾詞は 、伝奇や崑 曲といった 完成度の高 い作品を素 地

にしつつも 、佳境部を 更に充実さ せ、難解な 曲辞は分か りやすい叙 事

的な斉言句 に改め、卑 俗白を増や し、娯楽性 を向上させ たことで庶 民

に幅広く歓 迎されたと 考えられる 。また呉語 を用いる代 言体弾詞の 隆

盛の背景に 、蘇州や杭 州が当時通 俗文芸の出 版中心地で あったこと が

挙げられる のは言うま でもなく、 代言体弾詞 の出版が最 も盛んであ っ

たのは乾隆 後期から江 南で禁書活 動や動乱が 起る道光前 期頃までで あ

った。講唱 芸能である 弾詞が伝奇 や崑曲を吸 収し得たこ とは、伝奇 や

(21)

崑曲から言 えば至近距 離で行われ た土腔化で あろうし、 弾詞から言 え ば都市化、 文芸化の過 程であろう 。楽曲体と 詩讃体、或 いは表、唱 、 白の長所や 機能を持ち 併せたこと で、競合す る他の講唱 芸能ないし 演 劇の追随を 許さず、そ の後弾詞が 江南地域の 都市部で不 動の支持を 得 ていく礎となったと考えられる。

[図Ⅰ ―Ⅲ 参照 資料 ]

『 醉怡 情』: 王秋 桂主 編『 善本 戲曲叢 刊』第五十 四輯(臺灣 學生 書局、1987)、

内 府抄 本:李修 生『 古本戲 曲劇 目提要 』 ( 文化 藝術 出版 社、1997)、 「穿 載題 綱」:

朱 家溍 「清代 的戲 曲服飾 史料 」(『故 宮博 物院院 刊』 1979)、 綏中 呉氏藏 抄本 : 呉 書蔭 主編『綏 中呉 氏藏 抄本 稿本戲 曲叢 刊』第 九冊( 学苑 出版 社、2004)、張 鍾 来家 藏抄本 :中 国崑 曲博 物館 本書編 輯委 員会編 『崑 劇手抄 曲本 一百冊 』( 広 陵 書社、2009)、蓉鏡 盦珍 藏抄 本:蘇州 市戲 曲研究 室編 印『一 捧雪 』 ( 1984)線 装 、「清末 上海 崑劇 演出劇 目志 」:陸萼 庭『 崑曲演 出史 稿』(上 海教 育出版 社、

2006、 原版上 海文 芸出版 社、 1980)、『納 書楹 曲譜 』:『 善本戯 曲叢 刊』第 六輯

( 臺灣 學生書 局、 1984)、『集 成曲 譜』:王 季烈 、劉 富樑 『集成 曲譜 』( 進学 書 局 、1969)、『 六也 曲譜初 集』:『六也 曲譜 』( 臺灣 中華 書局、 中華 民国 66 年)、

『 崑曲 大全』:太田 辰夫「 呉 語文学に つい て」 (『 神戸 外大 論叢 』2(2)1951)、

胡 世安 鈔本: 『 菊潭 書屋唱 本一 巻』 (東 洋文 化研究 所蔵 本)、古 呉蓮 勺廬鈔 存本:

殷 夢霞 選『鄭 振鐸 藏古呉 蓮勺 廬抄本 戲曲 百種 』( 図書 館出版 社、 2010)、 許之

衡 訂本:路工 、傅惜 華編『十五 貫戯 曲資 料匯編 』 ( 作家出版 社、1957)、 「十 五

貫 全本 」抄本 :『 俗文 学叢 刊』 第一輯 第八 十四冊 (新 文豊出 版、 2001)、 長澤

規 矩也 旧蔵本: 『日 本所藏 稀見 中国戲 曲文 献叢刊 』第一輯( 広 西師範大 学出 版

社 、2006)、昇 平署 抄本: 故宮 博物院 編『 崑腔単 出戯 』( 海南 出版 社、 2001)

(22)

[注 ]

( 1)申 翁「南 詞、弾 詞、鼓 詞沿 襲伝奇 説」 (『 劇学 月刊』第四 巻第 六期、1935、

譚 正壁 、譚尋『 評弾通考 』、中 国曲芸 出版 社、1985、408 頁収 録 )に「一 捧雪 」

「 十五 貫」 「倭 袍伝 」等 の弾 詞作 品が崑 曲の 影響を 受け ている こと を指摘 する 。 ま た鄭 振鐸『 中国 俗文学 史』 第十二 章( 商務印 書館 、1938)に 「土 音の 弾詞 で は呉 音のも のが 最も流 行し ており 、 『三笑 姻縁 』、 『 玉蜻蜓 』、 『 珍珠塔 』等 が あ る。 これら はお そらく 南戯 を模し たの であろ う。 語り手 と生 旦の説 唱部 分 は 国語 を用い るが 、丑役 の説 唱部分 はみ な呉語 を用 いる」 と南 戯との 共通 性 を 指摘 する。 また 代言体 弾詞 の呼称 は李 家瑞(「説 弾詞 」『 歴史 語言研 究所 集 刊 』第 六本、 1936、蘇州 市文 化局『 評弾 研究資 料』第 1 輯 、1957 年に 転載 ) に 拠る 。輪田 直子「弾詞『 何必西廂( 梅花夢 )』考 ―雅俗の 狭間 で― 」 (『 文化 』 65、2001)で は嘉 慶期に 製作 された 『何 必西廂 』が 思想、 モチ ーフと いっ た 面 で戯 曲『西 廂記 』の強 い影 響を受 けて いるこ とを 論じて いる 。盛志 梅は『清 代 弾詞 研究 』 ( 斉魯 書社 、2008)で 嘉慶年 間を 代言体 弾詞 の成熟 期と した上 で、

代 言体 弾詞の 創作 、改編 に明 らかな 文体 意識が 芽生 えた例 とし て『燕 子箋 弾 詞 』を 挙げる 。

( 2)弾 詞の 使用 テキス トは、嘉慶 24 年( 1819)夢苑 山人 序『繍 像一 捧雪 全 伝 』八 巻三十 二回 澄碧軒 刻本 、『 繍像 十五 貫』嘉 慶 24 年 (1819) 鴛湖逸 史序

『 繍像 十五貫 』八 集十六 回刻 本(路 工、 傅惜華 編『 十五貫 戯曲 資料匯 編』 作 家 出版 社、 1957)、 また同 治 11 年 (1872) 刻本を 参照 。『 繡像 風箏 誤』嘉 慶 15 年( 1810) 竹齋 主人序 『繡 像風箏 誤』 八巻三 十四 回、漱 芳閣 刻本。『繍 像 一 箭縁 全伝』嘉慶 23 年( 1818)環秀 閣蔵 板刻本。刻 本は全 て蘇 州図書 館蔵 本 を 使用 した。

( 3) 伝奇の 使用 テキス トは 、「 一捧 雪」「十 五貫 」は 『古本 戲曲 叢刊』 第三 集 (商 務印書 館、 1957)、「風 箏誤 」は 湛偉 恩注『 風筝 誤』(上 海古 籍出版 社、

1985) を参照 した 。原作 の素 材に関 して 、「 一捧 雪」 は所説 があ るが 、『 清明 上 河 図 』 の 贋 物 を 厳 世 藩 に 贈 っ た が た め に 起 こ っ た 殺 害 事 件 が 万 暦 11 年

( 1583)徐学 謨『世 廟識 余録』巻十 八や、万暦 19 年( 1591)以前 に著 され た

詹 景鳳 『詹氏 玄覧 編』巻 一に 載る( 楊素 月「李 玉『 一捧雪 』研 究」国 立中 山

(23)

大 学中 国文学 系 2004 年修 士論 文第三 節参 照)。伝 奇「 十五貫 」の 素材は 、前 半 は『 無聲戲 』第 二回 「 美男 子避惑 反生 疑」、後 半は 『醒世 恆言 』巻三 十三

「 十五 貫戲言 成巧 禍」に とる (阿部 泰記 「朱素 臣に よる李 漁の 小説の ドラ マ 化 」(『 山口大 学文 学会志 』38、1987)等 を参 照。 伝奇 「風箏 誤」 に関し ては 荘 一拂 『古典 戯曲 存目彙 考』(上 海古 籍出 版社 、 1982)で『 春燈 謎』や 『燕 子 箋』 との共 通性 を指摘 する 。

( 4) 『綴 白裘 』は 乾隆 42 年武林 鴻文 堂刊 校訂重 鐫本(『 善本 戯曲 叢刊』第五 輯 )を 使用し た。 清代中 期以 降の戯 曲撰 本の変 遷に ついて 、根 ヶ山徹 「清 代 に おけ る梨園 故本 の纂輯 ―『 綴白裘 』か ら『遏 雲閣 曲譜』 へ― 」(『広 島女 子 大 学国 際文化 学部 紀要』1、1996)、 根 ケ山徹「 乾隆三 十六 年版『 綴白 裘』七 編 、八 編の上 梓と その改 訂」(『東方 学』 98、 1999) から 啓発 を受 けた。

( 5) 田仲一 成「 農村祭 祀を 都市芸 能に 押し上 げる メカニ ズム 」( 田仲 一成 、 小 南一 郎、斯 波義 信編『 中国 近世文 芸論 』東方 書店 、2009)で は評 弾を 都市 性 ・鑑 賞性の 高い 都市文 芸に 位置づ ける 。明代 伝奇 作品中 に描 かれる 詞話 に 近 い叙 事体弾 詞や 乾隆年 間の 初期代 言体 弾詞作 品の 一部が 主に 宋元の 古い 南 戯 を題 材して いる のに対 し、 嘉慶年 間の 代言体 弾詞 の多く が才 子佳人 を採 用 し てい るのも 弾詞 が都市 芸能 化した 一表 象と考 えら れる。

( 6) 角田美 和「 清蒙古 車王 府曲本 鼓詞 『封神 演義 』につ いて ―封神 故事 の 演 変に 関する 一考 察」 (『 九州 中国 学会 報』36、1998)、後 藤裕 也「車 王府 本鼓 詞 『三 国誌』 の挿 入説話 につ いて 」(『関 西大 学中 国文 学会紀 要』 28、 2007)

に 鼓詞『封神 演義 』 『三国 誌 』にはめ 込み 型の挿 入話 がある こと を指摘 して い る 。講 唱芸能 の編 纂過程 につ いては 、氷 上正「「 十五 貫」故事 の性 格―戯 曲『 双 熊 夢』を 中心 に― 」 (『法 政大 学教養 部紀 要』73、1990)、阿 部泰 記「鼓 詞「 竜 図 公案」にお ける 石玉崑 の原 本の改 作」 (『 東方 学』83、1992)、岡 崎由 美「清 代 小説 『繍戈 袍全 伝』成 書考 ―木魚 書『 繍戈袍 全本 』およ び弾 詞『倭 袍伝 』 と の比 較から 」 (『 早稲田 大学 大学院 文学 研究科 紀要 』第二 分冊 55、2009)等 を 参照 した。

( 7)注(1)盛志 梅前 掲書、阿英『 小説 閒談 』 (良 友出版 公司、1936、上海

古 籍出 版社 、 1985)参照 。

(24)

( 8)『評 弾文 化詞 典』(漢 語大 詞典出 版社 、1996) 147 頁 参照 。陳 遇乾は 先 に 崑劇 団の洪 福班 、集秀 班に 属して おり 、後に 崑曲 の影響 が色 濃い弾 詞三 大 流 派の 一つ「 陳調 」を創 出し た。

( 9) 根ヶ山 徹「 子弟書 にお ける『 牡丹 亭還魂 記』 故事の 変容 」(『明 清戯 曲 演 劇史 論序説 』第 九章、 創文 社、 2001) では 、北 京の 子弟書 が原 作の伝 奇か ら 改編 される 過程 で、抒 情的 表現か ら叙 事的表 現に 変わる 傾向 がある と指 摘 さ れて いる。

( 10)呉語 の翻 訳は、石 汝傑、宮 田一 郎主編『 明清 呉語 詞典 』 (上海 辞書 出

版 社、 2005) を参 照した 。

参照

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