静岡大学教育学部研究報告 (人文・ 社会科学篇)第50号 (2000.3)201〜228
教師のライフコース研究
一一 その研究的特徴 一一
A Study on the Life― course of rreachers:
Its]PecuHar]Features
山 崎 準 二 Junii YAMAZAKI
(平成11年10月 4日受 理)
は じめに
「教師 (teacher)は 、教師 としての力量 (competency)を 、いかなる場で、いかなることを 契機 として、いかなる具体的内容の もの として、形成 してい くのであろうか?」、あるいはこれ を端的に「教師は、教育専門家 として どのように発達 (development)し てい くのであろうか?」
と言い換 えて もよい。いずれの表現 を用いたにして も、筆者の「教師のライフコース」研究 を 支 える問題意識 と最終的な目的 とは一貫 して この点 にある。
しか し、上掲の問いを掲 げるにあたっては、次の3点の断 り書 きが最低限必要で もある。
その第1は、 この発達過程 は、何か新 しい力量 を次々 と獲得 してい くような、いわば右肩上 りの単調増加式の過程であることを暗黙の前提 にしているわけではない、 という点である。む しろ、獲得 してい くことが困難であつた り、それに失敗 していつた りす る過程であつた り、あ るいは加齢や教職歴の経過 とともに摩滅 させ られていった り、失わされていった りす る過程で もある、 とい うことを前提 としている。
第2は、 この発達過程 は、何か教師 という職業 に就いている者すべてに当てはまるような普 遍的で共通な過程の存在 を暗黙の前提 にしているわけで もない、 とい う点である。むしろ、あ る特定の社会的歴史的舞台の上で、ある固有名詞 を持 った人間が、教職 に接近 し、教職 に就 き、
教職 を遂行 してい く過程であるのだ、 とい うことを前提 としている。 したがつて、 この点 に関 わっては、発達過程 における「歴史性」及び「多様性」が強 く意識 されている。
そして第3は、 この発達過程 という場合、「到達すべ き発達 (あるいは獲得すべ き力量)の段 階」が前提的に設定 されているわけではない、という点である。むしろ、「教師のライフコース」
研究 を通 して、「発達」の実相、「力量」の内実 を明 らかにしたい、そのために「発達」や「力 量」の概念内容 を敢ていつたん一端留保 した ままで、研究作業 を出発・ 進展 させてい くのだ、
ということこそを前提 としている。
以上のような3つの前提的確認 を踏 まえて、 これ までい くつかの研究報告 を行 ってきた (注
1)。
次 に 、 こ の 「 教 師 の ラ イ フ コ ー ス 」 研 究 を 支 え る 現 代 的 意 義 に つ い て も 若 干 言 及 し て お き た い 。
1980年 代か ら90年代 において諸外国で進められてきている教育改革の中で も、教師の問題、
とりわけ教師の専門性 (質)の向上 は重要な課題の一つ となってきている。「教授活動 において 専門的であるとい うことはどのようなことなのか、専門性の基準 を確定 した り、再定義 した り することは、教育改革の最前線」なのである。「専門的な発達 と訓練 とが徹底 的な変化の波 にさ・
らされている」のであるが、 さまざまな取 り組みにもかかわ らず、その効果 は上がっていない し、そ もそ も専門性 (prOfessionalism)の 内実その ものが一般的な合意 を得ているわけで も、
理解 されているわけで もないのが現状である。むしろ「専門性」の内実その ものが問い直 され、
転換の時期 にさしかかっているといって もよいのである (注 2)。
戦後 日本の教育史 を振 り返 ってみて も、「教育の問題」が論議 されるたびごとに、必ず「教師 の問題」 は取 りざたされてきた。具体的に教育活動のあ り方を変 え、一つ一つの授業 を改善 し てい くとい うレベル までお りて考 えるな らば、最終的には一人ひ とりの「教師の問題」、それ も
「教師 としての発達や力量形成の問題」を抜 きに考 えることは意味 を成 さな くなるか らである。
とくに1980年 代以降は、「教師の資質能力の向上」が叫ばれ、 しか もそれは大学 における養成 教育の問題だけではな く、採用 と研修 といった、教師の生涯 にわたる資質能力の育成 という観 点か らの政策的方針が提起 されて きている。従来の一般的概念であった「教師養成 (teacher training)」 という観点 にかわって、養成・採用・研修の連続性 を意識 した「教師教育 (teacher education)」 とい う観点が強調 され るようになってきたのである (注3)。
このような動向の中で、文部省及び教育行政諸機関 も、「生涯研修体系の整備」を目標 にして、
教師採用の制度・ 方法・ 内容 などの改善施策、初任者研修 をはじめ とする採用後の研修制度・
方法・ 内容の整備・ 充実施策 な どに力 を入れてきている。 またそれ らの諸施策の理論的基盤 を 提供する研究面 において も「教師教育」 という観点か らの作業が進められてきている。
「教師のライフコース」研究 は、以上の教師政策動向の評価 も含 めて、教職生活の生涯 にわ たる力量の形成 とそれを支 え促す諸方策 を考 えてい く上で も、極 めて有益な知見 を提供 しうる
ものであるといえる。
本論文では、 まず研究の直接的な対象 としての「教師のライフコース」 をめ ぐって基本的事 項の整理が行われている。そもそ も「ライフコ,―ス」 とは何か、「 ライフコース 0ア プローチ」
は関連する他のアプローチ と比較 して どのような特徴・ 特長があるものなのか、が関連する研 究の整理 も兼ねて論 じられる (注 4)。 次に、教師の発達・力量形成 に関係するこれ までの先行 諸研究の成果 と問題点 について論 じられている。
第1章 「ライフコース論」の意義 と特長
本章では、研究方法論 としての「 ライフコース」論 について、様々な学問領域 において用い られてきた近接するい くつかの研究方法論 と比較 しなが ら、その特長 を論 じてい く。そもそも
「 ライフコース(life―course)」 とはどのような ものであ り、それを研究の方法論 として用いる にあたってはさらにどのような基本概念 を持ち込む ことが より有効 となるのか、 まずは、その 点か ら論 じていきたい。
(1)いくつかの基本概念
「ライフコース (life―course)」 「 日本語では人生行路 (あるいは人生航路)と訳す こと が多い」、 この「ライフコース (life―course)」 という概念 は、「1970年 頃か らアメ リカの研究者 たちの間で用い られるようにな り、学問的交流 を通 じてわが国に入 ってきたのは1980年 頃であ
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る」 と言われている (注 5)。 この新 しい概念 は、 ライフコース研究の先駆者であるエルダー (Elder,G.H。)の定義 に従 うな らば、「年齢 によって区分 された生涯期間 (life span)を 通 じ てのい くつかの軌跡 (pathways)、 すなわち人生上 の出来事 (events)に ついての時機調節
(timing)、 移行期間 (duration)、 間隔 (spacing)及び1贋序 (order)に見 られる社会的なパ ター ン」(注6)と い うことがで きる。
1962年 、エルダーは、ノースカロライナ大学の後期博士課程 を終了後、人間発達研究所 に社 会学の研究員 として就職す る。当時、同研究所 は、1931年 か ら「青年期の成長 に関す る調査研 究」 を縦断的に行 ってきてお り、お よそ30年 間にわたる追跡調査の膨大なデータが収集 されて いた。エルダーは、そのデータを利用 し、1929年 に始 まった大恐慌が当時子 どもであった者た ちのその後の人生 にどのような影響 を及ぼす ことになったのか とい う点 について、「ライフコー ス」 とい う新 しい観点か ら分析研究 を取 りまとめたのである (注7)。
「コーホー ト(cohort)」 エルダーの この研究 においては、大恐慌が子 どもたちの人生に 影響 を及ぼしてい く際に、大恐慌 を経験 した年齢段階 と家族の状況 (階層な ど)が大 きなフィ ルター として作用 し、その後の成長のあ り様 に多様性 を生み出 していった ことが指摘 されてい た。エルダーは、その成長のあ り様、変化のプロセスを描 き出 していったのであるが、そこに
「 コーホー ト」 とい う分析概念 を持ち込む ことによって、プロセスの多様性の中にい くつかの 特定のパ ター ンを析出す ることに成功 した。「 コーホー ト」とは、語源的には古代 ローマにおけ る一団の歩兵隊 を意味す るが、ライフコース研究上では一般 に「共通の出来事 を同時代 に経験 した人々の集団」であると定義 され、一般 には「出生 コーホー ト」「卒業 コーホー ト」「就職 コー ホー ト」な どが用い られ るのである (注8)。
「時間 (Ume)」 と「時機調節 (ゼming)」、「共時化 (synchrOnazaJon)」 「ライフコー
ス」論の中に「時間 (time)」 と「時機調節 (timing)」 とい う概念 を持 ち込み、その意義 を強 調 したのがハ レーブン (Hareven,T.K。 )である。 もともとアメ リカの家族史研究者であった彼 女 は、1971年 、マ ンチェスター市 において1838年 か らおよそ100年 にわたって繁栄 していたアモ スケグ織物会社 を訪れた際 に、会社が保管 していた7,000名 にも上 る従業員 ファイル を発見す る。当時家族史や労働史 を再構築 しようという計画 を構想 していたハ レーブンは、それ らのフア イルの利用 とかつての従業員へ面接調査 して得 られたデータ とを用い、労働生活 と家族生活 と の関係 を分析す る研究 を取 りまとめたのである (注9)。
その研究の中で、ハ レーブンは、 ライフコース内におけるい くつかの次元の異なる「時間」
(例えば、「個人時間」「家族時間」「産業時間」「歴史時間」な ど)と、それぞれの「時機調節」
のパ ター ンに着 目したのである。言い換 えるな らば、ライフコースを理解するためには、単 に 年齢的区分 によって捉 えようとするのではな く、 ライフコース内を貫 き、東ね られているい く つかの次元の時間 とそれ ら相互の「共時化」の様相が、一人ひ とりのライフコース とその時期 ごとの固有 な、そして共通な特徴 を生み出 していることに着 目しなければならない と主張 した のである。
「運命的仲間 (consodates)」 と「同行集団 (convoy)」 日本人の生 き方の特徴 を「長い 人間的かかわ りあい (long engagement)」 の中に求め、「運命的仲間」や「同行集団」 とい う 概念 によって、それぞれのライフコースに影響 を与 える存在、 またそれぞれのライフコースを 描 く際に不可欠な存在 を指摘 したのが、プラース (Plath,D.W.)で ある。
プラースは、一方で 日本の近代文学 を代表す る作品における中年の主人公 を取 り上 げ考察 し、
他方で現代 日本の実際の中年者たちに面接調査 を行 い、それぞれの生活史 を描 き出す ことに よって、 日本人の価値意識や「成熟 (maturity)」 というものの捉 え方、考 え方、あ り様 を分析 している。 そうした分析 を踏 まえて、欧米人 における「成熟」概念が、個人 を確立 し、独立的 に生 きてい くことであるのに対 して、 日本人のそれは、周囲 とかかわ りあい、対人関係の中で 相互的に生 きてい くことであ り、そこに特徴が見出され うると主張 しているのである (注10)。
その場合、 日常生活 において、一時的に関わ りあう人々が「一時的な仲間 (assOciates)」 で あるのに対 して、長期 にわたって繰 り返 し関わ りあってい く親密な間柄の人々 を「運命的仲間」
という概念で提起 したのである。 また、人生 を生 き、ライフコースを創 り上 げてい く際に、そ の人の近 くに在 って、支 えてい く一群の存在 を、語源的には護衛隊 とい う意味 を持つ「同行集 団」とい う概念で提起 したのである。二人ひ とりのライフコースを描 く際に、それ らの存在 は、
彼 ら無 くしてはライフコースその ものが描 けないほどの意味 を有 した存在 として登場 して くる のである。
以上のようなアメ リカの研究 に代表 され る一連のライフコース研究 を受 け止め、 日本 にもそ の理論 と発想 を導入 し、実際の調査研究 を推進 していったのが「かねてライフサイクルの視点 か ら家族研究 を行 っていた 日本の社会学者たちであった」(注 11)と いう。その中心 となった森 岡清美は、 ライフコース・アプローチの意義 に関連 させて、研究方法論上の特長 ともいえる「発 想の萌芽」 を次のように4点にわたって指摘 している (注12)。
(a)個人 を中心 に据 えていること/(b)人間の発達 に注 目していること/(C)個 人 を「 コーホー ト (cohort)」 で まとめて観察 していること/(d)歴 史的事件のインパ ク トを重視 していること
次に、 この森岡の指摘 を援用することによって、従来、各学問領域で用い られてきた研究方 法論 とも比較考察 しなが ら、「 ライフコース 0ア プローチ」の特長 を描いてい くことにしたい。
(2)Ra涸人 を中心 に据 えていること」 と「ライフサイクル (life―cyde)」 論
これ までの心理学研究・発達研究 において、「 ライフサイクル (life―cycle)」 とい う概念が用 い られてきている。「使用する人 によって、その意味は非常に相違 している」といわれるが、一 般 には「 ライフサイクル論 とは、人間の誕生か ら死 に至 る生涯 をい くつかに区分 して考察する 方法論である」 として、 これ までにも代表的な発達段階論が提起 されてきている (注13)。
フロイ ト(Freud,S.)が成人の神経症治療 を通 じて導 きだ した性感帯の推移 を指標 とする発 達段階論 (口唇期―肛門期―男根期一潜伏期―性器期)に始 まり、それを発展的に拡張 したエ リクソン (E五kson,E.H。)のライフサイクル図式 (乳児期―幼児期初期―遊戯期一学童期一青 年期一前成人期一成人期―老年期)が有名である。 とりわけエ リクソンの段階論 は、 フロイ ト の段階論が青年期 に人間の自我が確立するまでの段階で終わっているのに対 して、 自我の確立
とい う観点 に社会的観点 を加 え、成人期か ら老年期 に至 るまで一生涯の段階論 を提起 した点で、
フロイ トの発達段階に「後の少 しをつけ加 えただけの ものではな く、極端 に言 えば、価値観の 変化 をそこに含ん」でいるものであるという。すなわち「強い ことは、 よい ことだ式の考 えで はな く、強い ことも弱い ことも、善 も悪 もそこに含み こんだ全体的な世界観 を人生の軌跡全体 にわたって もとうと」 したか らなのである (注14)。
それ までの発達心理学が青年期で終わっていたのに対 して、「成人の発達心理学(adult devel‐
opment psychology)」 が出現 して きたのである。 この出現 をさらに推 し進 め、新たな展開をも た らしていったのが レビンソン(Levinson,D.J。 )である。「成人期の生活 に現われ る生物学的、
教師のライフコース研究
心理学的、社会学的な多様 な変化 を包含で きる発達の概念 を生み出したい と考 えた」 レビンソ ンは、青年期以降の成人の発達段階論の中に、「生活構造(life structure)」 と「過度期(mid―life transition)」 とい う概念 を導入 した。 レビンソン自らが「私たちの仕事全体の中枢 をなす概念」
と呼んだ「生活構造」概念 とは、「ある時期 におけるその人の生活の基本的パ ターンない し設計 の ことである」。そして青年期以降のライフサイクルは、 この「生活構造 を築 き、その中で生活 を向上 させ ることが主な発達課題 となる」「安定期」と、「 その ときの生活構造 に終止符 を打ち、
(自己 と外界 における)可能性 を獲得 して、その中か ら新 しい選択 をし、新 しい生活構造の基 盤 となる最初の選択 をしなければな らない」「過度期」とが、交互 に続 くとしたのである。 レビ
ンソンの発達段階図式 には、青年期 と成人前期 との間に「成人への過度期」が、成人前期 と中 年期 との間に「人生半 ばの過度期」が、そして中年期 と老年期 との間に「老年への過度期」が、
それぞれ重要な意味 を込 められて位置づけられているのである。
レビンソンが成人の発達研究に導入 した もう一つの点は、研究方法論上 における個人史への 注 目とい うことである。「生活構造 の発展 を調べ るときは、最 も基本的な意味で個人史の形 を とっている」 と述べるレビンソンは、調査対象者 に対する詳細 な面接 (レビンソン「面接調査 は私たちの調査方法の核心 をなしている」)と 同時に、その対象者 に関係する様々な情報源 (例 えば妻へのインタビューであ り、時 には会社・ 大学な どの組織 についての分析であった り、あ るいは対象者が小説家であった りする場合 はその作品な ど)を用いて、対象者の個人史 を把握 しようとするのである (注15)。
以上のような一連のライフサイクル論 は、生活構造の展開の様相 を描 き、それぞれの段階で の特徴 を示 しているとい う点で多 くの知見 を提供 して くれている。 しか し、 ともするとそのサ イクルの確定 を急 ぐあまり、個人 ごとの多様 なケースを捨象 し、斉一的なモデルの固定化 に陥 りがちである。「中央値 もしくは平均値 によって合成 されたライフサイクルの諸段階では処理 し えない、家族の生涯の多様性 と多岐性 に接近す る道々」 としてのライフコース研究が求められ ているのであ り、「 ライフコースの視点が前提する生涯の主体 は、集団でな く個人であるという
こと」の確認か らの出発が必要なのである (注16)。
(3)「(b)人間の発達 に注 目していること」 と「ライフスバ ン (!百 e―span)」 論
上述 してきた ようなフロイ ト、エ リクソン、そしてレビンソンと連 なる発達研究の展開は、
人間の「発達」 とい うものの捉 え方に大 きな転換 をもた らし、新たな発達研究の必要性 を要請 するもの となった。すなわち、「発達」というものを生涯 にわたって捉 えること、「生涯発達(life
―span development)」 とい う概念の要請であった。
しか しこの ことは、たんに「発達」 とい うものを捉 える期間 を長 くしただけではな く、研究 課題や方法論上の「パ ラダイム転換」があるとい う。すなわち、「『生涯発達的』 とは、たんに 研究対象 として年齢の幅 を広 げることではな く、何 よりも観点の革命」であるとし、発達の変 化の方向を一方向的に見 る従来の発達観か ら「併行的・ 多方向的な認知発達があ りうるとい う 見方」へ と変化 してきた こと、かつ「文化 0歴史・ 状況的文脈の違いが観点 に含 まれ」 るよう
になってきた ことが指摘 されている。
その ことは同時に、「発達」を、従来の「大人 に向かってよ くなっている過程、完成 された も のになっている過程」ではな く、「衰退 も含 めての発達 とい う概念」で捉 えることの要請で もあっ た。「生涯発達 という考 えは、成長 により実現するものは何か という問い とともに、成長 により
失 うものは何か とい う問いをも用意す る。成長 は一方で、固定化 を生み出す ようだ。 この世の 中で適応す るためのルーティンの獲得が成長だか らである。」という発想が求め られ ることも指 摘 されている (注17)。
このような「生涯発達」概念 をめ ぐる捉 え方の転換 は、「生涯発達心理学 を今 日の隆盛 に導い た立役者のひ とり」 といわれるバルテス (Baltes,P.B。)の諸論 に基づいている。バルテスは、
生涯発達心理学 を特徴づける理論的諸視点 として、い くつかの主要な概念 を提起 しているが、
それは、おおよそ次のような概念 とその内容である (注18)。
「生涯発達」:個 体の発達 は生涯 にわたる過程である。そして発達の全過程 を通 じて、連続的 (蓄積 的 cumulat市e)な過程 と不連続 (革新 的 imOvative)な過程 の両方が機能 してい る。/「多方向性(multidirectionary)」 :変化の方向は行動のカテゴリーによってさまざまであ る。 さらに同 じ発達的変化の期間において、ある行動 システムでは機能のレベルが向上す る一 方で、別の行動 システムでは低下する。/「獲得 と喪失 としての (as gain/10ss)発 達」:発達の 過程 は、量的増大 としての成長 といった、高い有効性の実現へ と単純 に向か う過程ではない。
むしろ発達 は、全生涯 を通 じて常 に獲得 (成長)と喪失 (衰退)とが結びついてお こる過程で ある。/「可塑性 (plasticity)」 :個人内での大 きな可塑性 (可変性)が′い理学的発達 において見 いだされている。従 って個人の生活条件 と経験 とによって、その個人の発達の道筋 はさまざま な形態 をとり得 る。/「発達が歴史 に埋 め込 まれていること(historical embeddedness)」 :個 体 の発達 は、歴史的文化的な条件 によって極 めて多様であ りうる。/「パ ラダイム としての文脈主
義(contextualism)」 :個 々の発達の どの特定の道筋 も、発達的要因の3つのシステムの間の相
互作用 (弁証法)の結果 として理解することができる。3つの要因 とは、年齢 に ともなうもの、
歴史 に ともなうもの、そしてそのような規準のない もの(norlnollllat市e)である。/「学際的研 究 としての発達研究 (field of developmental as multidisciplinary)」 :心理学的発達 は、人間 の発達 に関係す る他の学問領域 (た とえば人類学、生物学、社会学)に よって もた らされる学 際的文脈の中で理解 される必要がある。
このようなバルテスの諸概念の提起 には、「生涯 にわたる過程」としての「発達」には「連続 と非連続」「向上 と低下」「獲得 と喪失」 とい う2つの相反するものが織 り成 しあって存在す る こと、そしてそれは「個人の生活条件や経験」「歴史的文化的な条件」「発達的要因」などに規 定 されなが ら、一人ひ とり極 めて多様 な展開を示 してい くこと、それゆえにその研究 はもはや 従来の心理学 という一つの学問枠のみで解明 されるものではな く、極 めて学際的な研究対象 と
してあること、 とい う主張が端的に表明されている。
「生涯発達研究 は、人間の発達が歴史 に埋 め込 まれているという主張 に加 えて、歴史 とは別 の種類 の文脈的影響 にも人間が埋 め込 まれているとい う側面 を指摘 した。¨・むしろ『重要な意 味 をもつ』人生の出来事 ( significant"1市e events)一 一個 々の生起や順序がかな り異なった パ ターンをもっている―一が、青年期 における変化の性質 を左右す る重要な もの として同定 (identified)された。」とバルテスが語 るとき、人間の発達 に注 目し、その発達 を捉 えるために、
加齢 と歴史 に加 えて、「人生上の出来事 についての時機、移行期間、間隔及びに見 られ る社会的 なパター ン」(前掲、エルダー定義)への着 目とい う特長 をもつ「 ライフコース」論が要請 され て くることになるのである。
教師のライフコース研究
14)「(C涸人を Fコーホー ト(cohort)』 でまとめて観察 していること」と「ライアヒス トリー
(life―history)」 論
徹底 して「個人 を中心に据 え」、その「人間の発達に注目」しつつ、その人間の生 きてきた背 景にある文化や歴史を逆照射 しようとする研究に、文化人類学や歴史学の領域において用いら れてきた「ライフヒス トリー」論がある。
「ライフヒス トリー」論の手法は、個々人に対する徹底 した聴 き取 りと、その個人に関する 各種記録・ 資料 (例えば、伝記・ 手紙・ 日記 0作 品など)の収集 と、それ らをすべて利用した 個人史及びその背景にある社会や文化の歴史の再構成である。 このような手法は人類学におい てすでに19世紀からアメリカインディアン研究に利用されていたが、「生活史 〔ライフヒス ト
リー〕や個人的記録へ大 きな関心が寄せ られる」ようになったのは トーマス とズナニエツキ (Thomas,w.I.and Znaniecki,F.)に よる『ヨーロッパ とアメリカにおけるポーランド農民』
(1918‑20、 注19)の刊行である。その後、生活史の資料の入手方法の不明確さや研究上の概念
や分析枠組みの不足等の問題点が指摘されるようになったが、1960年代中頃から再び関心が持 たれるようになってきた といわれる (注20)。
日本 におけるライフヒス トリー研究の画期 をなしたのが、中野 卓編著『口述の生活史』
(1977)で あるが、明治に生 まれた一人の女性の生涯が語 られ、私たちはその語 られた一人の 女性の生涯を通 して近代 日本の歩んできた道 もまた逆照射することができるのである (注21)。
この中野の基本姿勢を継承 し、戦前戦後を生 きた10名の女性たちに対 して聴 き取 りを行い、彼 女 らの語る生活史を描いたものとして奥村和子・桜井 厚編著『女たちのライフス トー リー』
(1991、 注22)がある。同書は、「一人ひとりの個人生活史の側からこの社会のあり方を見つめ
たいという、社会の把握に関わる方法論の観点」を打ち出し、「口述生活史を素材に、彼女たち の個性や独自性 を尊重 しつつ歴史や女性や暮 らしに通 じる普遍性をい くらかでもあきらかにし たい。」 という自覚化がなされている。
このような「ライフヒス トリー」論について、人間的現象を把握するための方法論 としての 特長 を、プラマー (Plummer,K.)は 、次のように整理 している (注23)。
①個人の主観的な現実 :生活史研究は、何 よりもまず、人が現実にたどった経験が果たす役 割に関心をもつこと、人々が自らの生活や自らを取 り巻 く世界を解釈する仕方に関心をもつこ
とを主張する、/②過程、多義牲、変化 :殆 どの社会科学は、一般化を目指すことで、対象 とな る経験や社会的世界に秩序や合理性 を押 しつけてきた。けれ ども現実には、そうした経験や社 会的世界はもっと多義的で、もっと複雑で、混 とんとしているものなのだ。/③全体 を見渡す視 座 (パースペクティブ):生活史研究の視座 (または観点)は、ある人の人生の経験の全体性の なかに求められる。 この全体性 とは、生物学的な身体的欲求、身近な社会集団 とのかかわ り、
状況についての個人的規定、そして自分自身の生活 とそれを取 り巻 く外部的世界の双方におけ る歴史変化などの、それぞれの部分を織 り合わせ、結び合わせているものである、/④歴史を捉 える用具 として :生活史研究は、「歴史」という言葉を含んだその名称が示すように、他の様々 な方法には欠けているや り方によって、歴史的変化に対 し適切な焦点を当てることに成功 して いる。 ここでいう焦点 とは、変化する個人の伝記的歴史 とその個人の生涯にわたる社会史 との 間を移動 し、交差 しあうような複合的な焦点である。一つの生活史は、常に歴史的な変化 との 関係なしには語 りえないし、また変化には中心的な焦点を当てることこそが生活史研究の大 き な意義の一つ となると考えるべきである。
このようなプラマーの整理 に見 られ る、いわば「主観的現実構成の仕方」「多義性」「全体性」、
そして「歴史性」への着 目は、「ライフヒス トリー」論 を単 なる具体的事例の提示 という次元か ら大 き く引 き上 げるもの として機能 しているのである。
また 日本近代史研究者の色川 は、「民衆史」研究 に取 り組 んで きた立場か ら、「 自分史」を提 唱 してきている。彼 は、その ことの意義 を、次のように自間 自答 している(注24)。「個人 にとっ て真 に歴史 をふ りかえるとは何 を意味するのか。その人 にとっての もっ とも劇的だった生 を、
全体の中に自覚することではないのか。そこに自分の存在証明 (レーゾンデー トル)を見出 し、
自分 をその大 きな ものの一要素 として認識することではないのか? と。」また、それに続 けて、
「 自分史の核心 は歴史 と切 りむすぶその主体性 にある、 と。 自分 と歴史 との接点 を書 くことに ある。だか ら『自分 ×史』なのである。」 とも述べている。つ まり、「 自分史」 を書 くというの は「自己認識の記録」を綴 るとい うことなのである。そこには、「ライフヒス トリー」論が、歴 史研究 という営みの域 を越 えて、その営み自体が再 び自己へ と回帰 してきて、「自己認識」の営 み ともなることが示唆 されているのである。
以上、見て くることによって、「生活史 (ライフヒス トリー)」 ない し「口述史料 (オーラル ヒス トリー)」が、個別的で特殊的な事例の域 を越 えて、歴史の全体史・大状況へ と結びつかせ、
かつその結びつけの作業 を経た延長線上 にある「 自己認識」へ と進展 させてい こうとする時、
「 コーホー トで まとめて観察 していること」の意味 もまた導かれるのである。つ まり、同時代 に生 まれた者、あるいは同経験 を経た者たちが、それぞれの歩みの中で、 どのような意識・ 判 断・態度 を共通 に (あるいは差異 をもって)形成 してきたのか、それをもた らした要因は何か、
な どを、 より明確 にすることの可能性が開けて くるか らなのである (注25)。
15)「(d)歴史的事件のインパク トを重視 していること」 と「ライフコース」論
上で見てきた ように、「 ライフサイクル」論、「ライフスパ ン」論、「 ライフヒス トリー」論の いずれ も皆、 もはや「歴史性」を抜 きに語れないことを強調 している。
このような歴史的視点の導入、 とりわけ「歴史的事件のインパ ク トを重視」は、「 ライフコー ス」論の最大の特長 といって もよいだろう。上述 したエルダーの主著 『大恐慌の子 どもたち』
は、子 ども時代 に大恐慌の波 を被 ることとなった者たちのその後の人生 を、子 どもたちの年齢 や家庭 な どの諸状況の違いを分析視点 に据 え、描いた ものであった。その際に、共通性 と差異 性 を把握す る有効 な分析概念の一つ として、「 コーホー ト」概念が用い られたのである。
森 岡 は、「太平洋戦争 の激戦場 に徴兵制度 によって動員 され」、「特 に戦没者 が多 かった」
1920,23年生 コーホー トを、「任務遂行のために命 を賭することの主体的な構 え」と、障ヒ較的短 い月 日の間に必ず死 に直面するであろうとの自己の死期 についての認知」 とを持つ個人が多発 した世代であるとし、 これを「決死の世代」 と呼び、彼 らの中で も戦没 した者たち (特攻隊員 や戦犯受刑者 も含む)の残 した遺書・ 手記類 を基本的資料 として、その生 と死 を考察 している
(注26)。
青春期 に迎 えることとなった戦争 とその中での自らの死、それに直面 した同世代の者たちの
「構 え」 と「認知」のあ り様 を分析・ 整理 している。そこには、戦争 という大 きな歴史的事件 に翻弄 されなが らも、その中で自らの対応の仕方 を主体的に選択・ 決断 していったあ り様が描 かれている。「ライフコース」論 における「歴史的事件のインパ ク トを重視 していること」とは、
歴史的事件の一方的な影響のあ り様 を描 くことばか りではな く、その歴史的事件 を受 けとめ対
教師のライフコース研究
応 し、 自らの進む道 を選択 し判断 していった人間=主体のあ り様、 その人間=主体の選択 と判 断を規定 していった諸条件 を描 くことなので もある。
ウェルズ とス トライカー (Wells,L.H.&Stryker,S.)は、 自己 と生涯発達 との相互関係 に ついて、「人間行動が、基本的に意図的で状況依存的である」とし、次のように説明 している(注 27)。「行動が『意図的である』 ということは、行動 は、意識で きるものであ り (人、事物、及 び出来事が相互 に関連 しあう状況下 にあって、 これ らの要因 を対象 として積極的に認識するこ
とを含む)、 説明で きるものであ り(たんに、機械的に応答す るのではな く、それ らが意味する ことを考 えて、相互作用の要因に応答 してい くことを含む)、 そして目的的である(期待、日標、
及び選択 を含む)と い うことである。」
人間の行動 は、常 に「状況依存的 (situated)」 であ りなが らも、その中で主体的に選択 0判 断 されていった もの として捉 えられねばならない ものであ り、その過程 において「 自己(self)」
が形成 され、その「 自己」の「安定性 と変化 (stability and changes)」 の連続がライフコース を形成 してい くのである。そしてその過程 において「 自己」が内に含んでいる「反省的な経験 をする台旨力 (the capacity for reflexive experience)」 、あるいは「再帰′性 (reflexivity)」 と い う性質が機能 しているのである。「自己」は、 自らの置かれている状況の様々な要因・条件 に 規定 されなが らも、その状況下で他者 と自らのあ り様 をモニター し、主体的な選択・ 判断を行 い、新たな「 自己」へ と変容・ 形成 してい くのである。その一人ひ とりの主体的な選択・ 判断 の積み重ね と「 自己」の変容・ 形成が、今度 は逆 に新 しい社会秩序や現象を生み出し、多 くの 人々のライフコース自体のあ り様 にも変化 をもた らしてい く要因 となってい くのである。
以上、各学問領域で用い られてきている研究方法論 と比較 しなが ら「 ライフコース」論の特 長 を浮かび上が らそうとして きたわけであるが、細部 にわたっての厳密な概念定義な どは、い まだ未確定 な研究段階にあるように思われる。 しか し、近接する他の研究方法論上の特長 を取 り入れ、い くつかの新 しい概念 を導入 し、あるいは既存の概念 と併用することによって不十分 さを克服 しようとしている点 は十分 にうかが うことがで きよう。「個人 を中心に据 え」、性急な 斉一化 を戒 めなが ら事例的考察 を丁寧 に行 うことによってライフコースの多様性 をも把握 しよ うとすること、「生涯発達」 とい う観点か ら「人間の発達 に注 目し」、ライフコース上 における
「連続 と非連続」「向上 と低下」「獲得 と喪失」 による質的な違いを持 った発達段階の展開過程 を把握 しようとすること、「 コーホー ト」という新 しい概念 を持 ち込み事例的考察 と併用するこ とによって、個々のライフコースを個別的で特殊的な事例の域か ら同 じ歴史的舞台上で共通性 を帯びた (あるいは様々な下位要因 0条件 によって差異性 を含んだ)もの として把握 しようと す ること、 さらには「歴史的事件のインパ ク トを重視」す ることによって、 ライフコースにお ける歴史性 を浮かび上が らせ るとともに、歴史 を生 きる主体のあ り様 をも把握 しようとするこ と、な どが明確 になってきた といえよう (注28)。
第2章 先行諸研究の系譜 とその検討
本章では、「教師のライフコース」研究 に連 なる先行諸研究の系譜 を概観 し、検討 してい くこ とを目的 としている。 これ まで教職、ないしは教師 を対象 として取 り組 まれた研究 はかな りの 量 に上 るが (注29)、 以下では、本研究 に直接的に関わ るもののみ、すなわち教職・教師 を対象 とした職業的社会化研究、キャリア発達0職能成長研究、そして近年のライフ・ ヒス トリー研 究 におけるい くつかの代表的な ものを取 り上 げ、検討 してい くことにしたい。
(1)職業的社会化 (occupattOna:sodalレ at:on)研究 ・
1970年 代、「教師のライフコース」研究 に連 なる先行研究 としては、「職業的社会化」研究 と い う枠組みの下で、分析のための視点 と概念が整理 されていった ものがみられる。
「職業的社会化」 は、一般 に「職業への社会化」 と「職業 による社会化」 とに分 けて整理・
説明 され うる。 これは、入職 を区切 りとして、それ以前の乳幼児期か ら青年期 までの時期 と、
それ以後の現実の職業経験 を積んでい く時期 とに分 けての整理・ 説明であるが、職業的社会化 論では、それぞれ「予期的社会化 (anticipatory socialization)」 と「組織的社会化、ないしは 再社会化 (organizational socialization,or re― socialization)」 という概念 を対応 させ、 研究 の枠組みが作 られてきている。 この枠組 みは社会学的な視点 に立 った ものであるが、同様の枠 組 みを教育学的な視点 に立 って捉 えようとした場合、「養成、ない しは準備教育 (pre―service education,or preparation for the profession)」 と 「現職教育 (in―service education)」 とい
う概念が対応す ることになる。社会学的視点に立 った場合 はインフォーマルな面が、教育学的 な視点 にたった場合 はフォーマルな面が、それぞれ強調 される傾向が強 くなるが、いずれにし て も一定の職業人 としての形成過程 を入職前 と入職後の両方 を一貫 して捉 えること、あるいは 統合 して捉 えることの必要性が認識 されねばならないのである。
さらに職業的社会化研究では、分析のための視点 を、一般 におよそ次のような4点にわたって 提起 している。すなわち、①社会化 を担 うエイジェン ト (家族・集団・学校・制度 な ど)、 ②社 会化 される内容、③社会化 を推 し進 めてい くメカニズム、④移行 の段階、である。しか し、「社 会化」とい うと個人 は一方的に「社会化 される客体」のようなイメージが強 くなるが、「個人 は 文化lこよって制約 され るだけの存在ではな く、周囲の人々にはた らきかけ、その ことによって 文化の創造 に参加 してい く存在 として も考 えられている」 とす るならば、個人 は「社会化 され る客体」 としてだけではな く、 ここに分析のための もう一つの視点 として⑤「社会化 を果た し てい く主体」の問題、社会化過程 における主体の判断0選択の問題 も視野 に入れ られねばなら な くなるだろう (注30)。
社会学的な視点か ら初等・ 中等学校教師 をめ ぐる様々な問題 を論 じたローティ (Lortie,D。
C。)は、教授活動 における社会化問題 を扱 つた箇所で、教職 も含 めたすべての職業の導入期 に 共通 な基本的構成要素 として、① フォーマルな教育、② 中間的参入(mediated entry)、 ③仕事 に従事 しなが らの学習 (learrling―while一doing)、 の3つの段階 (stage)が あることを指摘 して いる。 この枠組みの下で、教職 とその他の職業 とを比較 しなが ら論 じているのであるが、「① フォーマルな教育」には 「一般教育 (general schooHng)」 と 「専Fl教育 (special schooling)」
とがあ り、他 に比べて教職の場合 は、比較的長い期間の「一般教育」を要求 されること、「②中 間的参入」の一形態である「教育実習 (practice teaching)」 も短期間で上ヒ較的おざな りであ り、
そこで共通 に何が学習 されるべ きか という課題があいまいのままに、その効果 は指導教師個人 に負 うところが多い ことを特徴づけている。 また、それにもかかわ らず入職 を境 に一転 して完 全な責任 を引 き受 け、経験豊かな同僚教師たち と本質的に同 じ仕事 をこなさな くてはならな く なることや、「仕事 に従事 しなが らの学習」に関 して も、それが重要であると考 えられているに もかかわ らず、訓練のための条件や組織が他の職業 に比べてあまり考慮 されていない ことをも 特徴づけている。
このような特徴 ゆえに、教師たちは専 ら「 自己形成 (self―made)」 していくのであって、共 通知識 を習得 して も活動の限 られた部分で しか役立たない ことや、教職 という集団全体 として
教師 の ライ フコース研究 211
の水準 を向上 させ るための戦略 を開発 し、技術的文化の有効性 を増大 させる計画 をもつ ことも 困難であることを指摘 している。 このような教職 における「社会化の個人主義 (the individual‐
ism of teacher socialization)」 という性格が、教職全体の職業 としての地位 自体 を脅かす こと にもなっているというのである (注31)。
ここでのローティの議論 は、職業的社会化研究 によって露呈 された教職の もつ専門性の曖昧 さと専門性の内実 を構成すべ きはずの教育学諸原理の曖昧 さの両側面 を突いてお り、 したがっ て専門性 を具体的な知識や技術のレベルで確定 し、それを学び高めることによって教職全体の 地位向上 を図るという戦略方向を示唆 している点で興味深い。 しか し、教師一人ひ とりの「 自 己形成」のあ り方、そこに働 くメカニズムのあ り様 を探 ることによって、一人 ひ とりの成長 を 促 し援助 してい くとい うもう一つの戦略方向での議論がさらに必要であるように思われ る。
今津 は、予期的社会化 に限って、そこでの職業的社会化過程 を論 じている(注32)。 職業的社 会化 とは、「職業的自我の形成過程 にほかならない」とし、その職業的自我形成 を教職志向の程 度 を中心 とする態度 レベル、その志向変動の背後 にある役割系列 レベル、そして一連の役割系 列 を通 じて生起する役割同一化 というアイデンティティ・ レベルで考察 している。
とりわけ「役割系列 (rOle sequence)モ デル」の提示は、予期的社会化研究の分析視点 を与 えて くれている。すなわち、教育学部の学生 には、「教師にな りたい」という「個人的欲求」だ けではな く、「教育学部 に入学 したのだか ら」「教育学部の学生だか ら」 といった形 をとって周 囲か らの「役割期待」が課 され、教職 に関する「役割吟味」がなされてい く。 この「役割吟味」
では、主に大学の講義な どを通 して「役割モデル」が明 らかにされた り、それの「役割取得」
が行われてい く。 そして教育実習 という一時的ではあるが実際的な「役割遂行」を経て、「役割 モデル」の修正な どを含む再度の「役割吟味」が行われてい くのである。 もちろん今津 自身 も 述べているように、役割期待 を拒否 した り、役割モデル構築 に失敗・ 放棄 した りするケースも 起 こりうるのであるが、 こうした一連の役割系列 によって教職への「職業的アイデンティティ」
形成が始 まってい くというのである。
このような一連の「役割系列」 を経て、学生が教師 となってい く変化のあ り様 を、事例的考 察 によって描 いた もの としてレイシー (Lacey,C.)の研究がある (注33)。 彼 は、学生の役割 か ら教師の役割への変化が職業生活上最 も急でス トレスの多い移行の一つであるとの基本認識 に立 って、大学や実習校での学生の活動 に参加することを通 して学生たちが教師 となってい く プロセスを年代記風に描いている。それによるならば、大 きく①蜜月期 (the honeymoon
period)、 ②授業の教材や方法の研究 (the search for material and ways of teaching)、 ③危 機 (the crisis)、 そして④克服の仕方を学ぶ (leaming to get by)、 というプロセスが描 ける と提起 している。①蜜月期は、幸福感 と絶頂感の意識にある時期で、高校・ 大学を通 じてのア カデ ミックで退屈な勉強 (the academic grind)か ら子 どもたちとの交流を含んだ実践的な課 程へ という大 きな変化が多 くの幸福感 をもたらす時期である。②授業の教材や方法の研究の時 期は、それが次第に関心事の中心 となってきて、教室内において状況に応 じて対応する能力の 不足を事前の入念な準備によって補いたいとする時期である。③危機は、学生たちが、状況を コントロールできないとか、生徒たちに理解 してもらえなかった り、教えられなかった りとか を、感 じ始めることから生 まれて くる。そしてその危機的状況からの④克服の仕方を学んでい
くのである。
教師の職業的社会化研究、 とりわけその予期的社会化研究は、1970年代か ら80年代初頭に、
日本の国立大学教育学部 において自らの学生たちを対象者 として盛 んに実態調査研究が行われ てきたが (注34)、 それは小0中学校教師の需要増大期 とそれに伴 う教育学部の規模拡大期 を背 景 として、教師の養成 ないし準備教育の在 り方の模索 とそのための実態把握が共通の関心事・
問題意識 に上がってきていたか らであった。
け)キャリア発達 (career devdopment)・ 職能発達 (prOfessional devdopment)研究 20世 紀初頭のアメ リカに端 を発する「職業指導 (vocational guidance)」 研究 は、1950年 頃 までの「特性因子論」、すなわち職業選択 をする個人の特性 (適性・能力・興味な ど)と選択 さ れ る職業の特徴 とが最 もよ く合致す る場合が最適 な選択であるという考 え方か ら、次第 に「 キャ リア0ガイダンス (career guidance)」、そして「キャリア発達」 という考 え方へ と発展 してき ていた (注35)。
この ような考 え方の発展 は、個人の特性 を固定的なもの として捉 えるのではな く、就職後 も 変化・ 発達するもの として捉 え、職業指導を一定の職業 に就 くまでの ものだけではな く、生涯
にわたって発達 を援助するもの として捉 えようとする研究姿勢の変化・ 発展 を意味 していると もいえよう。
「職業指導」研究 におけるこうした研究動向の中で、生涯 にわたるキャリア発達 を視野 にお き、先駆的な提起 を行 なったのがスーパー (Super,D.E.)の職業生活の発達段階 (life―stage) 論である。彼の提起 した段階は、①成長 (grOwth)段階 :0‑14歳、②探索 (exploratOry)段 階 :15‑24歳、③確立 (establittment)段 階:25‑44歳、④維持 (maintenance)段階:45‑
64歳 、そして⑤下降 (decline)段 階 :65歳 一、の5つであるが、 この一連の過程 は「単 に職業 面だけでな く、人生や人の生 き方のすべての面 を含む」し、「男子の生涯 にも女子の生涯 にも作 用 している」 ものであるとされている (注36)。
5つの段階にわたる一連の過程が「単 に職業面だけでな く、人生や人の生 き方のすべての面 を含む」 ものであるという彼の考 えが さらに明瞭 にうかが えるもの として、有名な「 ライフ・
キャリア 0レ インボー:生活空間における9つの人生の役割」図式がある。人 は一生涯 におい て、「家庭」「地域社会」「学校」「職場」 という4つの主要な舞台 (もちろん これ ら以外の「教 会」「組合」「クラブ」な どとい う舞台 もあるが)において、「子 ども」「生徒・ 学生」「余暇人
(Leisurite)」「市民」「労働者、(下降段階か らは)年金受給者」「配偶者」「家庭人」「親」とい う9つの役割 を演 じることになる。そして この9つの役割 は、乳幼児期 においては「子 ども」
という役割のみであるが、壮年期 においては「配偶者」であ り「親」であ り「家庭人」であ り
「労働者」で もあるとい′うように複数の役割 を演 じることにな り、人生の後半 になるとともに (下降段階においては)、 再びその役割の数 は減 ってい くことになる、 と考 えるものである(注
37)。
このようなスーパーの図式 は、人生の各段階において多様 な役割が同時に担われてい くこと、
それゆえ「職業人 (労働者)」 としての生活のあ り様が他の役割人 としての生活のあ り様 とも密 接 に相互関連 していることを示唆 している点で興味深い。スーパーは、「キャリア とは、人生行 路 において、人 によつて演 じられる役割の組み合わせ と系列 (combination and sequence of roles)で ある」と定義 しているが、それをやや敷延化 して述べるな らば、職業人 としてのライ
フコースは、それ と同時に担っている他の役割人 としてのライフコースとの組み合わせ と系列 を視野に入れて、すなわち相互作用の下にあるものとして考察せねばならないことになるので