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「 さればこそ一己然形」 と 「 さて こそ一 己然形」

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(1)

天草版 『 平家物語』 の

「 さればこそ一己然形」 と 「 さて こそ一 己然形」

‑ 「コソ一 己然形 」 採用 の一要因 ‑

徳 永 辰 通

1

は じめに

天草版 『 平家物語』 ( 以下、天草版 とする)のコソには、「コソ一己然形」 となるも の と 「コソー非巳然形」 となるもの とが混在 している

江口正弘 (

1990)

によると、

天草版のコソ 仝372 例の うち、約半数が 「コソ一己然形」であるとい う。後 に述べ る が、天草版の 「コソ一己然形」は待遇表現 と話 し手の身分に関わることが指摘 されて

るかというと、この限 りではない用例 も存する。例 えば 「さればこそ」がそれである

本稿ではこの 「さればこそ」 と、「さればこそ」の感動詞的用法 と同様の表現 をす ることもある 「さてこそ」の考察を通 し、天草版への 「コソ一己然形」採用の要因に は、これまで指摘 されてきたもの以外の要因があることを提示する

2 先行研究

天草版 に 「コソ一己然形」が取 り入れ られた要因についてまとめているものに安田 辛 (

1980)

がある。安田によると、「コソ一己然形」が天草版 に取 り入れ られるか ど うかには、まず地の文であるか会話文であるかが関わる。「 本書」の地の文に相当す る箇所に 「コソ一己然形」は見 られず、天草版 における 「コソ一己然形」のほとんど が会話文 に相当する箇所 に見 られるとい う ( 1 ) 。そ して、待遇表現 と話 し手の身分 と いう二点が 「コソ一己然形」であるか 「コソー非巳然形」であるかに関わるという。

待遇表現については 「 身分的年齢的に、従 って心理的に下位の者」に対する会話文 で 「コソー非己然形」 となるという。この指摘は上位への待遇を意識 した場合に 「コ ソー うずれ 」 が、そうではない場合に 「コソー らう 」 「コソー た ・よ」が見えること を指摘する宇都宮仁 (

1989)

と符合する。話 し手の身分については、「 道徳的、身分 的に下位の者に適 したことば遣い」である場合、「コソ一己然形」が崩れるとい う。

安田は天草版の 「コソ一己然形」の採用に以上の要因があることを指摘 し、その限 りではない ものせ して 「さればこそ」 を挙げている。安田は原拠本に 「さればこそ一 己然形」が見 られないにもかかわらず、天草版に 「さればこそ一己然形」が見 られる ことに疑問を持ち、この疑問に対する答えを安田章

(1992)

で次のように述べている

また、早 く拘束力が弱化 していたはずのサ レバ ゴソに対 して、「さればこそ怪

しかったれ とあって」のように巳然形終止 を採 った例が、天草本平家物語にあ

(2)

ったけれ ども、コソの係緒の殆 ど崩壊 していた時期での、知識 としてのコソの 使用 と見 るべ く、丁寧形サ ゴザ レバ コソは、同書で、

さござればこそそれが しは御恩 を以 って暫 しの命 ものびてござる を初め、巳然形終止 をもはや要求 しな くなっているのである。

「コソの領域」

安田は 「さればこそ一己然形」 を 「 知識 として」天草版 に採用 された もの としてい る。 この見解 に基づ くと、 、天草版の 「コソ一己然形」 には当時常用 されていない もの も含 まれていることになる。それに対 して安達隆一 ( 1 999)は、天草版の会話文や問 答体 に現れる 「コソ一己然形」を 「 当代の口語 にあ りふれた用法」であるとしている

本稿 は安達の立場 にたち、安田の挙げる採用の要因か らもれる用例 について改めて 考察 を くわえる必要があると考 える。 とい うの も、安田 ( 1 992)の ように 「さればこ そ」の 「コソ一己然形」が 「 知識 として」採用 された とするならば、丁寧形の 「さご ざれば こそ」 に も 「 知識 として」 の 「コソ一 己然形」が見 えて よい と思 われ るが、

「さござればこそ」 には見 えない。 また、「さござればこそ」は 「さればこそ」の丁寧 形であ り、待遇 を意識 した表現であるのに、その 「さござればこそ」 に 「コソ一己然 形」が見 られない。つ まり、 これまで指摘 されて きた天草版への 「コソ一 己然形」採 用の要因 と、天草版 に 「さればこそ一 己然形 」 が採用 された要因 とは無縁であること が窺 えるのである。 これまでの指摘 と無縁であるならば、これまでの指摘以外の要因 の存在 を考えるべ きであろう。

以下、「さればこそ」が 「コソ一 己然形」 となることと用法、表現の関係 を見てい くが、「さてこそ」 も合わせてみてい く。 とい うの も、「さればこそ」の感動詞的用法 と 「さてこそ」の感動詞的用法の表現が似 てお り、天草版の 「さればこそ一 己然形 」

と 「さてこそ一 己然形」の 「さればこそ 」 「さて こそ」 はどちらも感動詞的用法であ ると考 えられるか らである

3

「 さればこそ」 と 「 さてこそ」の用法 3. 1 「 さればこそ」の用法

「さればこそ」 について 『 時代別国語大辞典室町時代編』 ( 三省堂)では次のように 記 されている。

‑ ( 揺)「されば」‑① の順接の関係 を、より強固なもの としてい うのに用いる。

二 ( 感)①かねて予想 してし 1た とお りの事態 に当面 して、あ らためてその事 を 確認 してい う語

②応答の語 として、相手のことばを一応確認 してい う。

「さればこそ」 は大 きく接続詞 と感動詞 とに分類 される。そ して感動詞 は① 「 かね

(3)

て予想 していた とお りの事態 に当面 して、あ らためてその事 を確認 してい う語」 と②

「 応答の語 として、相手の ことばを一応確認 してい う」 もの とに細分 されている。本 稿で は接続詞 とされる用法 を 「 接続詞的用法」 と呼ぶ

(2)

。 また、感動詞 とされる も のの うち、① を 「 感動詞的用法」 と呼 び ( 3 ) 、( 参を 「 応答詞的用法」 と呼ぶ。

3. 2 「 さて こそ」の用法

「さて こそ」 は 『 時代別国語大辞典室町時代語編』 を見る と次の ようにある。

‑ ( 揺)「さて」二( 参の強調形。

二 ( 感)驚嘆すべ き事態 に改めて気付 いた り、ある事 た思 いあたった りして、

発す る声。

『さて』二( 参 」は 「 前件 を承 けて、その当然の帰結 としての後件 を導 くのに用いる 。 」 とある。その 「 強調形」 とされる‑の 「さてこそ」 を 「 接続詞的用法」 とする。

二 の用 法 につ い てで あ るが 、土 井 忠 生訳 (1992) 『日本 大 文典 』 ( 三省 堂 ) の

「 cos o (こそ) ,Que c c u ( 結句) ,ca ye t t e ( 却 って) 」 について述べ てい る個所 の第五 の記述 に次 の ようにある。

○第五。我 々がEi sa l l i(ここにある) ,a s s iodi z i ae u ( 私が さう言 った) ,poi s pori s s o ( それだか ら) ,e i squ e ( それ見 よ) ,a u m pori s s o ( それだか ら) とい

・ふ時のや うな意味 を持 つ。例 えば,sa r e bac os o (され ばこそ) ,Fodonic os o ( 程 にこそ) ,sa t ec os o (さて こそ) ,Sor e niy ot t ec os o ( それによって こそ)。例, sa t ec os ova gaxhov o yu quy e t omoxi t t ea t t a r e .(さてこそわが主のお行方 とも知 ってあったれ。)Ri squ e , &C. ( それ見 よ,云 々) といふ に同 じ 。 「 平家」 ( Fe i q. )

r日本大文典j42 5‑ 2

ここで は例文 「さて こそわが主 のお行 方 とも知 ってあ っ, tれ。」 が 「 Ei sqve, &C.

( それ見 よ,云々) といふ に同 じ。 」 とされていることに注 目 したい。「さてこそ」が

「 それ見 よ」 と対応 し. ているのである 。 それ見 よ」 は言 った通 りであることを気づか せる表現であるが、 この 「さてこそ」 は

4.1

で述べ るように思 った通 りであること に気づ く表現であると考 え られる。つ ま り、

3. 1

で見た 「さればこそ」の感動詞的 用法 と似 た表現 なのである。本稿では、思 った通 りであることに気づ く表現の 「さて こそ」 を 「 感動詞的用法」 とす る。

上記記述 には他 にも見逃せ ない点がある。それは 「さてこそわが主のお行方 とも知 ってあったれ 。 」が 「さて こそ一 己然形」 となっている点である 。 「さてこそわが主の

お行方 とも知 ってあ ったれ。 」 は 「 『 平 家』 ( Fei q. )」 か らの引用である

つ ま り天草 版か らの引用である。 この記述か ら、天草版 に感動詞的用法の 「さてこそ」が布 し、

かつそれは 「さて こそ一 己然形」であることが確認で きるのである。

(4)

4 天草版 『 平家物語』の 「 さてこそ」

4. 1

天草版 『 平家物語』の 「 さてこそ‑一 己然形」 と 「 さてこそ」の用法 天草版 に 「さてこそ」 は3 例見 られる。 これ らはすべて原拠本か ら受け継いだ もの である

(4)0

「さてこそ一 己然形」」ま1 例見 られるが、この形式 も原拠本か ら受 け継い だ ものである ( 5 ) 。

1

都であまたの乞巧人を見たれ ども,こ, のや うな者 をばまだ見たことがない :ち し餓鬼道に尋ねて来たか と思ふほどに,かれ もこれ も次第に歩み近づ く. もし ヽ . / 〟 このや うな もわが主のおん行方 を知ることもやあ らうか ともの申さうと言へ ば :何事ぞ と答ゆるに :これは都か ら流 され られた俊寛 といふ人の行方 を知 っ たか と,間ふに :童 は見忘れたれ ども,俊寛はなぜ に忘れ うぞなれば, これこ そそよと言 ひもあへず,手 に持 った ものを投 げ捨てて,砂の上に倒れ伏 された.

さてこそわが主の行方 とも知 ってあったれ ;さな くんば,思 ひも寄 るまい.や がて消 え入 られたを膝の上 にか き伏せ奉 り,‑ 天草版

8615

l b 「 都 にて多 くの乞弓人見 しか共、かかる者 をばいまだ見ず。 ( 省略)われ飲鬼 道に迷来るか」 と思ふ程 に、かれ も是 も次第にあゆみちかづ く。 もしか様の も の も、わが主の御ゆ くゑ知たる事やあ らんと、「 物 まうさう 」 ど言へば、「 何 ご と」 とこたふ。「 是 に都 よ り流 され給 し法勝寺執行御坊 と申人の、御行 ゑや知 たる」 と間 に、童 は見忘れたれ共、僧都 は争忘 るべ きなれば、「 是 こそそ よ」

と言 ひもあへず、手に持てる物 をなげ捨 て、い さごの上にたふれ臥す。三三 三 そわが主の御行 ゑは しりてんげれ。僧都やがて消え入給ふ を、ひさごの上 にか

きのせ奉 り、‑ 高野本

1631

有王が喜界島に流 された主人の俊寛 を尋ねる場面である。この用例 は 『日本大文典』

での記述か ら感動詞的用法 と考 えてよいであろう

「さてこそ」 とそれに後続する結 び句 との関係 を見てみ よう。有王はい まだ見たこ ともない ような 「 乞弓人」 に 、「

I

」部の 「もしこのや うな者 もわが主のおん行方 を 知ることもやあ らうか」 と思い、尋ねてみた ところ、「 手 に持 った ものを投げ捨てて, 砂 の上 に倒れ伏」す様子 を見て、「さてこそわが主の行方 とも知 ってあったれ」 と思

っている。 この 「さてこそ」 は心 中文 と考えられることか ら、予想通 りであることを 気づかせ る表現ではな く、予想通 りであるこ とに気づ く表現 であろ う 0「 ヽ 一 〜 」部の

「もしこのや うな者 もわが主のおん行方 を知ることもやあ らうか」 は、「もしこのや う な者 もわが主のおん行方 を知ることもあろう」 という予想の真偽 を自問 しているもの である

(6)0

「さてこそわが主の行方 とも知 ってあったれ」 は、予想通 りであることに 気づ く表現である感動詞的用法の 「さてこそ」 と、それに後続する予想通 りであった 内容の 「わが主の行方 とも知 ってあったれ」 とが 「さてこそ一 己然形」で一体的に表

されている。

(5)

4. 2

天草版 『 平家物語』の接続詞的用法の 「 さてこそ

さて、天草版 に見える 「さてこそ」の残 りの2例であるが、次の ものである。

2 ‑.明 くる二十一 日の朝か ら

鼻j 配し 逆,

大臣殿 をも 右衛門の督 をも引 き分けて所々に置 さてこそ親子 の人すでに今 日であるよと,互 ひに思 ひ合はれ年,

2a 明ル廿一 日ノ朝 ヨリ大臣殿 ヲモ右衛督 ヲモ引分テ所々 子 ノ人ノ既今 日ニテ有ケルヨ ト互二軍合 レケリ。

3 ‑急いで切れ と仰せ らるれば たと申す.

3a 急 キ切 ルヘ シ

天草版3 63‑ 20

に並キ奉ル。サテコソ親 斯道本71 4‑ 5

六条河原で切 り奉った.さてこそ湯浅は安堵 し 天草版406‑ 2 4

ト宣ハ六条河原 テ遂 二切 り奉 ル。サテコソ湯浅ハ安堵 シケ レ

斯道本775‑ 7

用例2 と用例3 は前文の 「 」部の事態が理由 ・原因 とな り、「さてこそ」 に後続す ヽ 一

る 「 」 の事態が引 き起 こされてお り、接続詞的用法であると判断で きる。そ してど ちらの用例 も 「さてこそ‑終止形」 となっている。 ′

以上のことか ら、天草版の 「さてこそ一己然形」 は感動詞的用法、「さてこそ‑終 止形」は接続詞的用法 とい うように、形式 と用法 とが対応 していることを確認で きる

o

5

天草版 『 平家物語』の 「 さればこそ」 ,

5. 1

天草版 『 平家物語』の 「 さればこそ一 己然形 」と 「 さればこそ」の用法 天草版 に 「さればこそ」は、「さればこそ 」

1

0例、「さござればこそ

」 4

例の合わせ て1 4 例見え、そのすべては原拠本か ら受け継いだものである。天草版の1 4 例の うち、

「さればこそ一己然形」 となるのは次 に示す用例4 のみである。原拠本には 「さればこ そ一己然形」は見 られず、この 「さればこそ一己然形」は天草版独 自の形式である

0

4 ある女房大覚寺へ参 って申 したは :三位の中将殿 こそ当時は八島にござらぬ と,申せば :さればこそ怪 しかったれ とあって,急いで人を下 されたれ ども,

天草版322‑ 1 5

4a 或ル女房大覚寺へ来テ申ケルハ ・三位中将殿 コソ ・当時ハ ・屋嶋ニモ居サセ玉 ヒ候ハ ンナ レ ト申セハ ・サ レハ コソ ・世ハ怪 シカリ

サ レタレ トモ ‑・ ・

ツル物 ヲ トテ ・急キ人ヲ下

斯道本621 ‑ 8

(6)

4b

‑ 「 『 過候 し三月十五 日の暁、八島を御出候て、 ( 省略)、那知の奥 にて御 身を なげさせ給 ひて候』 とこそ、御共 申た りけるとね り武里はかた り申候つれ」 と 申ければ、北方、「さればこそ。あや しと思 ひつる物 を」 とて、引かづいてぞ 臥 し給ふ。 高野本 ( 『 平家物語下』)

2484

「さればこそ怪 しかったれ」の斯道本での対応箇所 を見 ると 「 サ レハ コソ ・世ハ怪 シカリツル物 ヲ」 となっている。 また、高野本の対応箇所 を見ると 「さればこそ。あ や しと思 ひつ る物 を」 とをっている

天草版 の 「されば こそ一 己然形」が原拠本の

「さればこそ‑ ものを」 と対応 している。

それでは、「さればこそ」 に 「 ‑ もの を」句が後続す る場合の表現 を考察 してみ よ う。中世資料 には、「さればこそ」 に 「 ‑ ものを」句が後続する用例が

2

例ある

(7)

0

5

・ ・ ・ 静如何 にもして隠 さばや と思ヘ ビも、女の心のはかなさは、わが身憂 目に達 はん事の恐 ろ しさに、泣 く泣 くあ りの億 にぞ語 りける。 さればこそ情けあ りけ る人にてあ りける物 をとて、執行の坊 に取入て、や うや うに労 り、その 日は‑

日止めて、明けけれぼ馬に乗せて人 を附け、北 白川へぞ送 りける。 これは衆徒

の情 とぞ申 しける

『 義経記』20 0ー 6

6 ‑、「こち来 よ」と、呼びよせて打 なでつ 、、「なに Lに出家 をさせけん」とて、

泣かれければ、小院 も、「さればこそ、 ‑い ま しば しと申候 ひ しものを」 といひ て、装束ぬがせて、障子の内へ具 して入 られにけ り。 『 宇治拾遺物語』 1 90‑ 6

用例5 、用例6 以外で 「さればこそ」 に 「 一形式名詞+終助詞」形式の句が後続する ものは、中古資料 に次の

2

例がある。

7 ・ ‑、権守胸打騒 ぎ、「 斯かる事 こそ候 はね。実 に御正体 にてわた らせ給 ひける を」 とて 、 「 是受 け取 り給へ」 と申 しければ、弁慶、「さればこそ さしも言 ひっ る事 を。笈 ひ源が ざらむには、左右な く受取 り給ふかな、御坊達」 と云ひけれ ば、左右 な く人受取 らず。 『 義経記

』3468

8

・ ・ ・ 、矢 ノー ヲモ不射、朝倉敦賀 ヲ引ケ レバ、相伴兵三百徐騎、馬物具 ヲ取捨テ、

越前 ノ府へゾ逃 タリケル。

カバ‑

サ レバ コソ思 ツル事 ヨ ト、人毎二云弄 ブ ト沙汰セシ

『 太平記

』36782

以上が中世資料の 「さればこそ」 に 「 ‑ 形式名詞+終助詞」形式の句が後続する用 例のすべてである。用例4a、用例5を除 き 「 一形式名詞 +終助詞」句内に 「申す 」

ふ」の発話動詞、「 思ふ」の認識動詞が見える。用例

4b

、用例

6

には言 った内容、思っ

た内容が 「 一形式名詞+終助詞」句内の引用部に見える。用例7、用例8は言 った内容、

(7)

思 った内容 は示 されていない。発話動詞、認識動詞が見 える用例4b 、用例6 、用例7 、 用例

8

の 「さればこそ一形式名詞 +終助詞」 は予想通 りであることに気づ く表現であ ると判断で きる。

次 に発話動詞、認識動詞が現れない用例が問題 となる。用例4a を見てみ よう。用例 4a は、用例4b の 「さればこそ。あや しと思 ひつ る物 を」の認識動詞が明示 されず に、

思 った内容 に 「ものを」が直接 している もの と判断で きる。そのため、用例4a も予想 通 りであることに気づ く表現であると考 えられる。 この ように見てみると、残 された 用例5において も発話動詞、認識動詞が明示 されず に、思 った内容 に 「ものを」が直 接 しているもの と考えられそ うである。

以上、中世資料 に見 える 「さればこそ一形式名詞 +終助詞」形式 は予想通 りである ことに気づ く表現であると考 えられる。原拠本の予想通 りであることに気づ く表現の 用例4a に対応 していることか ら、天草版の用例4 も予想通 りであることに気づ く表現 であると考 えられる。

それでは用例4 の 「さればこそ怪 しかったれ」の 「さればこそ」の用法 は接続詞的 用法であろうか、それ とも感動詞的用法であろうか。「さればこそ」 に後続す る 「 怪 しかったれ」 は、思 った通 りだった内容であった

。4.1

で見たが、「さてこそ一 己 然形」の 「さてこそ」 に後続す る 「 一 己然形」句 も思 った通 りだった内容であった

そうす ると、「さればこそ怪 しかったれ」 も 「さて こそわが主の行方 とも知 ってあっ たれ」 と同様 に、予想通 りであることに気づ く表現である感動詞的用法の 「さればこ そ」 に思 った通 りだった内容が後続 しているもの と考 えられるのではないだろうか。

感動詞的用法の 「さればこそ」 と、それに後続す る予想通 りであった内容の 「 怪 しか ったれ」 とが 「さればこそ一己然形」で一体的に表 されていると考えられる。

5. 2

天草版 『 平家物語』 に見える 「 さればこそ

5.1

において天草版の 「さればこそ一己然形」は 「さてこそ一己然形」と同様 に、

予想通 りである感動の表出 と、予想通 りだった内容 とを一体的に表 していると考 えら れた。そ して 「さてこそ一己然形」 は感動詞的用法、「さてこそ一終止形」 は接続詞 的用法 とい うように、用法 と形式の対応が認め られた。「さればこそ」 にも 「さてこ そ」 と同様 に用法 と形式の対応が見 られるのであろうか。

天草版 には1 4 例の 「さればこそ」が見える。 これ らの うち 「さればこそ」 に引用の

「と」が直接するものは

3

例見 える。 また 「さればこそ」 に 「 : 」が付 され、後続する 文 と切れている と考 えられる ものが1 例見える。 これ ら 4 例 は後続す る文がないため、

「コソ一己然形J との対応 を考察することがで きない。本節では、これ ら 4 例 を除いた

「さればこそ」 を考察対象 とし、「さればこそ」の用法 と 「コソ一己然形」 との対応 に ついて考察 してい く

5. 2. 1

「 さござればこそ」

天草版 に 「さればこそ」の丁寧形 「さござればこそ」 は 4 例見えるが、「さござれば

(8)

こそ一 己然形」 となる用例 はない。 これ ら 4 例 は原拠本 において 「さ候へ ば こそ」 と なってお り、原拠本 において も 「さ侯へ ばこそ一 己然形」 である用例 はない。

9 少将 は待 ち受け奉 って, さて何 とござるぞ と,申されたれば :清盛あ ま りに腹 を立てて,宰相 には終 に対面 もせ られず,かなふ ま じい と, しきりに申された れ ども,出家入道 まで申 したれば,それゆゑにか しば ら く,宿所 に置 き奉 れ と, 言 はれたれ ども,始終 しかるべか らうとも見 えぬ.少将 さござればこそそれが

Lは御恩 をもって しば しの命 も延びて ござる :‑・ 天草版40‑ 2 0

9b

少将 まちうけ奉 て、「さていか ゞ候つ る」 と申されければ、「 入道あ ま りに腹 を 立てて、敦盛 には終 に対面 もし給 はず。かなふ ま じき由頻 にの給 ひつれ共、出 家入道 まで申たればにや らん、 しば らく宿所 にをき奉 れ との給 ひつれ共、始終 よかるべ Lともおぼえず 。 」少将、「さ候へ ばこそ、成経 は御恩 をもッて、 しぼ しの命 ものび候 はんず るにこそ。・ ・ ・ 」 高野本

92‑8

用例9 の 「さござれば こそ」 に後続す る 「それが しは御恩 をもって しば しの命 も延 びてござる」 は、宰相の 「 清盛 あ ま りに腹 を立てて, 〜 」の 「 ヽ 一 〜 」部の内容 を前件 と する後件 にあたる と考 え られる。ゆえに用例9 の 「さござれば こそ」 は接続詞的用法

と考 えられ よう

1 0 樋 口 を召せ と言 うて,呼ばれたれば,樋 口は参 って実盛が首 をただ一 目見 て, やがて涙 に咽ぶ をいかにいかにと尋ね らるれば,あ ら無噺 や,実盛で こそござ れ と申す に :安寿の黒 いは何 ごとぞ と間はれたれば :樋 口涙 を押 し拭 うて申 し たは :さござあればこそそのや うを申さうとすれば,不覚の涙が先立 って申 し

えまらせぬ. 天草版 1 7ト21

1 0a 樋 口召セ トテ ・召 レケ リ ・樋 口次郎 ・マ イリ ・真盛 力首 ヲ ・只一回見テ ・ヤ カ テ ・涙ニ ソ咽 ケル ・イカニイカニ ト宣ハ、 . ・アナ無暫ヤ ・真盛ニテ候 ケ リ ト申ス

・髪登 ノ黒ハ イカニ ト宣ハ ・樋 口次郎涙 ヲ推 シ拭 テ ・申ケルハ ・サ侯へハ コソ 其 ノ様 ヲ申ン トス レハ ・不覚 ノ涙 九 ・先 ・立 ツテ ・申シ得ス候

斯道本435‑ 6

11 文覚大波羅へ行 ってこの由を尋ね られたれば,北条 さござればこそ平家 は一門 広 かったれば,子孫多か らうず : 天草版38 7‑ 8

1 1 a 北条 ・サ候へハ コソ ・平家ハ ・一門贋 カリシカハ ・子孫多 カラン ・

斯道本753‑ 5

(9)

用例1 0、用例11 は 、「 」部の 「 間はれた 」 「 尋ね られた」 とあることか ら判断する と、質問に対 しての応答詞的用法であると解せ よう

1 2 さて文覚 も来た られ,六代御前乞 ひ受け申 した とて,気色 まことにゆゆ しげで 父三位の中将殿 は数度の軍の大将なれば,いかに申す ともかなふ まじい と頼朝 仰せ られたを聖が奉公のよしみ をさまざまに申 しととのゆるほどに,遅かった 隻 と言はるれば :北条 さござればこそ二十. 日と仰せ られた日数 も既 に延びまら するに,思へば,賢 うこそ今 まで遁 しまらしたれ とて,・ ・ ・ 天草版

39212

1 2a サテ文覚来 ラレタリ ・六代御前乞請 タリ トテ ・気色真二ユユ シゲ也 ・父三位 中 ′ ■ ヽ 一 ■ ヽ 、 . ′ ヽ ̲ ‑ ′ ヽ J 〜

将殿ハ ・数度 ノ軍 ノ大将ナ レハ ・イカニ申 トモ叶マ シキ ・鎌倉殿 ノ宣 シヲ ・聖 カ奉公 ノ好 ヲ ・様 々申調ホ トニ遅 カリツルヨ トソ宣ケル ・北条サ候へハ コソ 廿 日 卜宣 フ ・日数モ既こ延候二 ・恩へハ賢 フコソ ・今及遁 シマイラセテ候へ ト

・ T ‑・ ・ 斯道本758‑ 1 0

用例

12

は 「 父三位の中将 殿 は 〜 」以下の し」 部の内容 と 「 二十 日と′ 仰せ られた 日 数 も既 に延びまらするに,思へば,賢 うこそ今 まで遁 しまらしたれ」 とが前件 と後件

・ の関係 にあるとも考 えられる し、文覚の 「 」部の発話 を受 けて北条が 「 ヽ .

二十 日と仰 せ られた 日数 も既 に延びまらするに,・ ・ ・ 」 と続けているとも考えられる。 また 、 LJ

部の内容が言 った通 り、または思 った通 りの内容であっ∵ たことか ら 「さござればこそ」

が発せ られたとすると感動詞的用法と も考 えられる。 この箇所は高野本で次の ように なっている

1 2b さる程 に文覚房 もつ と出 きた り。若公 こひうけた りとて、 きそ く誠 にゆ 、しげ な り 。「 旺ヒ 若公の父三位 中将殿 は、初度の戦の大将也。誰 申とも叶 まじJ との たまひつれば、『 文 覚が心 をやぶっては、争か冥加 もおはすべ き』 なん ど悪口 申つれ共、猶

r 叶 まじ』 とて、那須野の狩 に下 り給 ひ し間、剰文覚 も狩場の 供 して、や うや うに申てこひ請た り。いかに遅ふおぼ しつ ら

」 と申されけれ ば、北条、「 廿 日と仰 られ候 し、御約束の 日かず も過候ぬ。‑・ 」

高野本 ( F 平家物語下

J)3697

高野本 には天草版の 「さござればこそ」、斯道本の 「 サ候へハ コソ」 に該当す る も のが見 あた らないのであるが、し 」部の文覚の発話が . 「いか に遅ふおぼ しつ らん 」

と質問形式 となっている。天草版、斯道本 には 「 いかに遅ふおぼ しつ らん」 とい う質 問形式は現れないのだが、高野本 を考慮すると用例

12

は文覚の発話 を受けて、北条が

「 二十 日と仰せ られた 日数 も既 に延 びまらするに,‑」 と続 けている と考 えられそ う で、応答詞的用法 と言 えるのではないだろうか。

以上が天草版 に見える 「さござればこそ」のすべてであるo天草版 において 「コソ

(10)

一 己然形」が待遇表現 と関わる とい う指摘があるが、待遇 を意識 した丁寧形 「さござ れば こそ」 には 「さご ざれ ば こそ一 己然形」が見 えず、「されば こそ」 はその指摘 の 限 りではない こ とが確認で きる。

5. 2. 2

その他の 「 されば こそ」

これ までの考察の対象 に もれた天草版 の用例 を取 り上 げる

1 3 資成急いで御所へ馳せ参 って この由 を奏 聞せ られたれば,法皇 は早 これ らが内 々謀 んだことが漏れた よと思 し召 されて驚かせ られ, これは何事 ぞ とばか り仰 せ られて,分明 におん返事 もなか った.資成急いで馳せ帰 って清盛 にこの由 を 申 したれば,さればこそ行綱 はまこ とを言 うた :この こ とを行綱が知 らせず は, 清盛安穏 にあ らうか と言 うて,‑ ̲天草版23‑ 1 5

1 3b 賛成急 ぎ御所へ はせ参 り、大膳 の大夫信成呼 び出いて、此 由申に色 をうしなふ。

御前へ参 ッて此 由奏 聞 しければ 、法皇 、「あ は、 これ らが内 々はか りし事 の洩 れにける よ」 とおぼ しめす にあ さま し。 「さるにて も、 こは何事 ぞ」 とばか り 仰 られて、分明の御返事 もなか りけ り。資成急 ぎ馳帰 ッて、入道相国に此 由申 せ ば、「されば こそ、行綱 は まこ とを言 ひけ り。 この事行綱 しらせず は、常 港

安穏 にあるべ Lや」 とて、‑ 高野本77‑ 7

周例 1 3 の 「されば こそ」 は、資成 に聞いた

」部 にあ る法皇の様子 を理 由 と し、

ヽ一

「 行綱 は まこ とを言 うた」 とい う帰結が導かれた とす る と接続詞的用法である。 また、

資成 に聞いた法皇の様子か ら予想通 りであることに気づ いた とす る と感動詞的用法で ある ともとれる。感動詞 的用法である とす る と、「 行綱 はまこ とを言 うた」 は予想通 りであ った内容 、または予想通 りであ った ことか ら得 られた帰結 とい うことになるが、

区別 はつかない。

1 4 少将 この こ とを心得 て,近習の女房 たちを呼 び出いて, ( 省略)成親卿 は夜 き り切 られ うとの沙汰 ぢゃ :それが し少将 も同罪で ござろ うと,存ず る.今一度 御前へ参 って君 を も見奉 りた うは存ずれ ども,既 にかかる身 に罷 り成 って ござ れば,慣 り存ず る と申 された ところで,女房 たち御前へ参 って, この由を奏せ られたれば :法皇大 きに驚かせ られて, さればこそ今朝清盛が便 ひはこの こと であった よ :まづ これへ と御気色 あったに よって,・ ・ ・ 天草版36‑ 6

1 4b 少将此事心得 て、近習の女房達呼 び出 し奉 り 、「( 省略)大納言 よさ りきらるべ

う候 なれば、成経 も同罪 にて こそ候 はんず らめ。今一度御前へ参 ッて、君 をも

見 まい らせ た う候へ共、既 にか 、る身に罷 りな ッて候‑ ば、惇存候」 とぞ 申さ

れける。女房達御前‑参 ッて此 由奏せ られければ、法皇大 きにお どろかせ給 ひ

(11)

て、「さればこそ。け さの入道相 国が使 い に、はや御心得 あ り。あは、 これ ら が内々はか りし事の洩れにけるよとおほ しめす にあ さま し

高野本88‑ 1 3

用例1 4 であるが、女房が奏 した 「この由」 を理 由 として 「 今朝清盛が使 ひはこのこ とであった よ」 とい う帰結が導かれた とす る と接続詞的用法である。新 日本古典文学 大系 『 平家物語上』では、「 やは りそ うだったか

」 と注が付 されてお り、感動詞的用 法 と している

これに従 うと、「さればこそ」 に後続す る 「 今朝清盛が使 ひはこの こ とであった よ」 とい う判断は、用例 1 3 と同様 に予想通 りであった内容、 または予想通 りであったことか ら得 られた帰結 とい うことになるが、 この用例 において も区別はつ かない。

1 5 普天の下王土 にあ らず といふ ことはござない :さればこそ唐土 に,かの穎川の 水 に耳 を洗 ひ,首陽山に蕨 を折 って露の命 を継いだる賢人 も勅命背 きがた き礼 儀 をば存 じた とこそ承 ってござれ :いかに況や,‑ 天草版45‑ 2 2

1 5b 「 ・ ・ ・ 普天の した、王地 にあ らず と云事 な し。互生 上 室準頴川の水 に耳 を洗 ひ、首 陽山に蕨 をお ッし賢人 も、勅命そむ きがた き礼儀 をば存知す とこそ承はれ。何

況我、‑」 高野本

973

用例 1 5 の 「さればこそ」 は原拠本 を見 る と 「されば」 となっている。 また、前文の

「 普天の下 ‑ 」 も 「されば こそ」 に後続す る 「 唐土 に,かの穎川の ‑ 」 も重盛の会話 文である

これ らのことか ら、用例 1 5 の 「さればこそ」 は接続詞的用法であると判断 で きる

1 6 六波羅か ら頼盛 を便 ひに して, この御所 に高倉の宮の若君,姫君たちの ござる と聞いた.姫君 をば申す に及ばぬ,若君 をば出 しまゐ らせ られい と,申された れば : ( 省略)女院のお返事 には, され ばこそこのことの聞 こえた暁お乳母な どが心幼 うて具 し奉 って出たか, この御所 にはござらぬ と,仰せ られたれば,

天草版 1 37‑ 1 8

1 6a 六波羅 ヨリ ・太政入道 ・池中納言頼盛 ヲ以テ ・此 ノ御所二 ・高倉宮 ノ若君 ・姫 君 ・りタラセ玉 フナル ・姫君 ヲハ ・申こ及ハス ・若君 ヲハ ・出 シ進サセ玉へ ト

・申セハ ・\ . , ( 省略) ・女院 ノ御返事こハ ・サ レハ コソ ・カ 、ル聞ア リシ暁 ・御 乳母 ナ ン ト ・心椎 モ ・具 シ奉 テ出ニケルヤ ラ ン ・此御所 ニハ ワタラセ玉ハ ス ト・御返事 ア リケ レハ ‑‑ 斯道本2 90‑ 6

用例 1 6 は 「 若君 をば出 しまゐ らせ られい」 とい う頼盛の注文 に対す る 「 女院のお琴

事」であることか ら、「さればこそ」 は応答詞的軍法である と考 えられる。

(12)

1 7 さうするほどに武者が後ろに続いた :誰そ と間へば,平山 と言ふ.平山殿か ? 熊谷 ぢゃ :なう熊谷殿か ?いつか らぞ と間へば,熊谷 は宵か らと答へた :その 時平山 うち寄せて申 したは :さればこそそれが しも疾 う寄せ うず るを成田に嫌

されて,今 まで遅 々 した : 天草版263‑ 6

1 7a サルホ ト二 ・武者 コソ後 口ニ積 ヒタレ ・誰 卜問へハ ・季重 卜名乗ル ・平山殿 カ

・直美是こアリ ・如何二熊谷殿 カ ・イツヨリザ ウ ト間へハ ・直実ハ ・宵 ヨリ ト ソ ・答へケル ・其時平山 ・打 ヨセテ申ケルハ ・サ レハ コソ ・季重モ ・疾寄スヘ カリッルカ ・成田五郎二嫌 レテ ・今マテ遅々〆サ ウゾ ・ 斯道本

5247 17b

さる程 に、又 うしろに武者 こそ一騎つ ゞひたれ。「たそ」 ととへば、「 季重」 と

こたふ。「とふは、たそ」。「 直美ぞか し

。 「 いか に熊谷殿 はいつ よ りぞ

。 「 直 実は宵 より」 とぞ こたへ ける。「 季重 もやがてつ ヾひてよすべか りつるを、成 田五郎 にたばか られて、いままで遅々 したる也。‑」

高野本 ( F 平家物語』下)

15514

用例

17

、用例

17b

の 「さればこそ」 は高野本 には見 えない。高野本では熊谷 と平 山 とが互いに質問を し、互いに質問に答えている。 この ような質問 と返答が繰 り返 され ている場面であることを考慮すると、用例 1 7 は応答詞的用法であると考 えられる。

5. 3

天草版 『 平家物語』の 「 さればこそ一 己然形」

用例

1

3と用例

14

は感動詞的用法である可能性があった。 もし用例

1

3、用例

14

が接続 詞的用法であるとすると、「さればこそ」の接続詞的用法は 「さればこそ‑非巳然形」、

感動詞的用法は 「さればこそ一 己然形」 とい うように、用法 と形式 とが対応する。そ うす ると、「さてこそ」 と同様 に 「さればこそ」 も用法 と形式 とが対応することにな る。用例

1

3と用例

14

の判別は不可能であるため、これ以上の議論 は避けるが、いずれ にせ よ、天草版独 自の形式である用例4 の 「さればこそ一 己然形」 は、予想通 りであ ることの感動の表出 と、予想通 りであった内容 とを一体的に表す型であると考 えられ ● る。

6 ・まとめ

「さてこそ一己然形」 は、予想通 りであることに気づ く表現 と、予想通 りであった 内容 とを一体的に表す型であることを明 らかに した。「さてこそ」の感動詞的用法 と

「さればこそ」の感動詞的用法 は同様 の表現 である と考 えられることか ら、用例4 の

「さればこそ怪 しかったれ」 も 「さてこそ一 己然形」 と同様 に、予想通 りであること

に気づ く表現の感動詞的用法の 「さればこそ」 と、予想通 りであった内容の 「 怪 しか

ったれ」 とが 「さればこそ一己然形」で一体的に表 されているもの と考 えられる.

(13)

「さてこそ一 己然形 」 「さればこそ一己然形」の表現 についてであるが、用例 1も用 例4 もどち らも結 び句 は予想 した内容 に過去の助動詞 「た」がついている。結 び句 は 予想 した内容が予想通 りだった とい うことを確認 している もの と考 えられ よう 。 「さ てこそ一己然形 」 「さればこそ一己然形」の 「さてこそ 」 「さればこそ」で予想通 りだ ったことに対する感動 を表出 し、予想 した内容が予想通 りだった とい うことを確認 し てい る表現である と考 え られ る

そ して天草版成立当時、「さて こそ一 己然形」 も

「さればこそ一己然形」 もこの ような表現 をす るための形式 と化 していた と考 えられ る

「さてこそ一 己然形」 と 「さてこそ一終止形」の 「さて こそ」 は、それぞれ感動詞 的用法 と接続詞的用法 とい うように形式 と用法 とが対応 していた。用例

3a

でわかるよ うに、原拠本ではこの ような対応関係 にはない。原拠本の用例

3a

において 「さてこそ 一己然形」であった ものが、天草版の用例3 では 「さてこそ一終止形」 となっている。

これは天草版成立当時に 「さてこそ一己然形」が先 に示 した表現 をするための形式 と 化 していたため、混同を避けて 「さてこそ一終止形」 として天草版 に採用 されたので はないだろうか。そ して 「さればこそ一己然形」 も先 に示 した表現 をする形式であっ たため、天草版 に取 り入れ られたと考えられる.天草版への 「コソ一己然形」の採用 には待遇表現や話 し手の身分の関わ りの他 に、天草版成立当時特定の表現 を担 う形式 と化 していたことも関わっているのである。

【 注】

( 1 )江口

(1990)

にも同様の指摘がある。

(2)

「 『されば』‑①」 には 「 順接の確定条件 を示す」 とある

(3)

徳永辰通

(2007)

では 「 伝 えた通 りであることを気づかせ る」表現の 「 省略型

と 「 思 った通 りであることに気づ く」表現の 「 感動用法」 とを区別 した。 この区 別は、「さればこそ」が 「 感動用法」 を獲得 してい く過程 を述べ るのに必要であ った。 しか し、「 省略型」 と 「 感動用法」の区別は困難である。そのため、本稿 では 「 省略型」 と 「 感動用法」 とを合わせて 「 感動詞的用法」 と呼ぶ。

(4)

近藤政美

(1999)

に倣い高野本巻第‑‑巻第三、斯道本巻第四〜巻第七、巻第九

〜巻第十二 を 「 原拠本」 とする。欠本である巻第八 に国会図書館本 を用いた研究 もあるが、本稿は用いない。なお、本稿で扱 ったテキス トは次の通 りである

天草版 『 平家物語』 :近藤政美 ・池村奈代美 ・演地代いづみ共編

(1999)

『 天草 版平家物語語桑用例総索引

(1)

』勉誠出版〟高野本 :新 日本古典文学大系 『 平家 物語』岩波書店〟斯道本 :斯道文庫編 『 百二十句本平家物語』汲古書院

(5)

引用 は文意 を明 らかにす るため表記 を改めた ところ もある。 また、一部省略 し た ところ もある。用例番号の 「 a 」 は斯道本 、「 b 」 は高野本であることを示す。

一部高野本で 『 平家物語下』か らの引用 もある。その場合は F 平家物語下jか ら の引用であることをその都度示す。

(6)

益岡隆志 ・田窪行則共著 (

1992)

に従 うと、「もしこのや うな者 もわが主のおん

(14)

行方 を知 るこ ともやあ らうか」 は真偽疑 問文 の 自問型 と解せ よう

0

(7)

中世資料 は次 の通 りであ る。

日本古典 文学大系 ・岩波書店 ‑ ・ 『 平 治物 語 』 保 元物 語 宇 治拾遺物 語 徒 然

草 』 『 義経記 』 『 御 伽草子 』 〟新 日本古典文学大系 ・岩波書店 ‑ 『 平 家物語 』 〟 山 内洋一郎 編 ( 1 969)『 古本 説話 集総索 引』風 間書房〟 西端幸雄 ・志 甫 由紀 恵 共編 ( 1 997) 『 土井本太平記本文及 び語桑索 引』勉 誠社

【 参考文献】

安 達隆一 ( 1 999)「 不 干ハ ビア ンと 『 天草版平 家物語

』:

r コソ』 の行 方 」 『ことば と文 学 と書』双文社 出版

宇都宮仁 ( 1 98 9)「 天草版平家物語 にお け る係 り結 び 『こそ』 の用法 について 」 『国文 駒沢』第26 号

江口正弘 ( 1 990)「 天草版平 家物語 の 『こそ』 につ いて一 係 り結 び崩壊 ゐ視 点 か ら ‑」

『 国語学 致 』 1 28 号 ( 広 島大学 国語 国文学 会)

近藤政美 ( 1 999)「 天草版 『 平 家物語』 の翻字 に関す る諸 問題 」 天草版平 家物語語嚢

用例総索 引 ( 1 ) 』勉誠 出版

土井忠生訳 ( 1 992)『日本大文典』 三省堂 ( 原著者

J

.ロ ドリゲス)

徳永辰通 ( 2 0 07) 「 『されば こそ』の二種 の用法一 主体 の感動 を表 出す る用法 の成立 ‑」

『こ とばの論文集一 安達 隆一先生古稀記念論文集‑ 』 お うふ う 益 岡隆志 ・田窪行則 共著 ( 1 992)『 基礎 日本語文法』 くろ しお 出版 安 田章 ( 1 98 0)「コソの拘 束力 」 『国語 国文』 第49 巻 第1 号 安 田章 ( 1 992)「コソの領域 」 『 国語 国文』 第61 巻 第 1 号

( 中部大学 国際 人間学研 究科言語文化専攻)

参照

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