宣命の漢文助字について : 助詞相当の助字につい て
著者 池田 幸恵
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 8
ページ 1‑12
発行年 1997‑06‑29
URL http://hdl.handle.net/10076/6513
宣命 の漢文助字
卜助詞相当の助字に
つ い
て‑
一、はじめに
宣命は主として、日本語の語順に従い、自立語を大書し付属
語や用言の活用語尾を万葉仮名で小書きする、いわゆる宣命小
書体で記されている。従って、助詞の類は万葉仮名で小書きさ
れるはずのものである。しかし実際に「五国史」(注こに収
められた宣命の助詞を見てみると、漢文助字を用いる例や万葉
仮名も漢文助字も用いず助詞を読み添える例があり、必ずしも
全ての助詞が万葉仮名で小書きされているわけではない。
筆者はこれ.ぎで助詞の読添えに興味を持ち、同じ奈良時代の
資料である万葉集での読添えと比較しながら、「五国史」宣命
の助詞表示のあり方を考察してきた(注二)。しかし、万葉仮
名表記・読添えと並ぶ、もう一つの助詞表示の手段である漢文
助字表記については、これまでその一部を指摘するのみにとど
まり、詳しく取り上げることはなかった。
従って、小塙では日本語の助詞に相当する漢文助字を取り上
げ、「五国史」宣命での使用の奏態を明らかにしたいと考える。 池田
二、これまでの研究
宣命の漢文助字についてはこれまで考察されることが少な
く、管見の及ぶ範囲では、白藤穫幸氏と峰岸明氏の論考で、一
部ふれられているのみである(注三)。
白藤氏は、宣命の助詞の明示される割合を、倉野憲司氏編『続
日本紀宣命』(岩波文庫)について調査し、助詞の約七〇パー
セントが小暑きの万葉仮名によって示されていることを明ら
かにされた。そして、その中で、「さらに漢文の助辞ではある
が、「之」
「者」
「而」「典」「耳」「乍」「錐」「自」
「於」の諸字が国語の助詞とかなり対応しているので、これら
をも含めると七六パーセントが明示されていることになる」と、
続日本紀宣命(続紀宣命と略称)では、助詞を表示する優に漢
文助字を用いる場合があることにも言及された。
また、峰岸氏は舌代語の(倒置記法)という観点から、官高
や東大寺諷論文稿・打聞集などを取り上げ、動詞・形容詞の倒
置を初めとする様々な語の倒置の果たす役割を考察された。
その中で、宣命の助詞乃至助詞相当語の倒置記法の例として
は、「与・於・以・従・自・依・由・因・錐」の九字を指摘し、
宣命における倒置記法ほ、文意理解を的確に且つ容易に行うた
めの機能を有するものであると述べられた。つまり、宣命小事
体の場合「因玄天天地平」のように、万葉仮名(真仮名表記) の
「天」と漢字(正字表記)の「天」が続けて用いられ、文意
理解が困難になる場合がある。それを防ぐ役割を担っていると
いうのである。
しかし、これら二つの論考は、続紀宣命における漢文助字の
使用については言及されているものの、『日本後紀』以下の「四
国史」宣命についてはふれられておらず、また取り上げられた
助字も全てではない。
従って、小塙では、二つの論考で取り上げられた漢文助字
「之・者・而・与・耳・乍・錐・自・従・於」に「耶・干・莫」
を加えた〓ニ種の助字を考察対象とし、「王国史」宣命全体で
の助字使用の実態を明らかにしたいと考える。
漢文助字の中には、中国での用法に従って用いられ、日本語
の語順から見ると反転表記(峰岸氏の倒置記法)されているも
のも存する。そのため、漢文助字を反転表記されているか否か、
という観点からA〜Cの三つに分類し、万葉仮名表記例との使
い分けの有無を見ていくこととする。
また、続紀宣命の中で、淳仁・称徳期の宣命は、他の時期の
宣命とは異なる万葉仮名の使用や仏典に基づく語彙の使用な ど、特殊な性格を持つことが従来から指摘されてきた(注四)。そのため、小塙でも続紀宣命を次の①〜③の三つの区分に分け、て考察する(注五)。
①第一詔〜第二六詔
②第二七詔〜第四七詔(淳仁・称徳期)
③第四八詔〜第六l妄叩
三、続紀宣命の漢文助字
続紀宣命には【付表】に挙げるように、日本語の助詞に相当
する助字が一三種用いられている。
A、基本的に反転表記されている助字‑自・従・与・錐・於・
干・莫
【自】【従】
自連天皇御世内乃兵止為而仕奉来(第一七詔)
別今往前者以明直心仕奉朝廷止詔(第二〇詔)
於母白峰人乃自門鼓慈賜比上場来流家槻(第二五寧
又勅久従今往前亡小過毛在人亡所率莞所闘技(第三五詔)「ゆり」ないし「より」に当たる(堅ハ)漢文助字には、「自」
字の例が九例、「従」字の例が一例存する。「自」字の例は、
「自遠天皇御世」「自今」など時間の起点を示す例が七例、「自
門」など暴所の起点を示す例が二例となっている。
皇朕高御座ホ坐初軸今年ホ至帥
(第七寧
新伎政者不有本舶行来蓮事t(第七軍是以天今糾後方仕奉根相耕飯亡進用賜大(第l一八撃
伊緑園専制白樺鹿乎献奉天在札方(第四六詔)然此乏賜位冠方常桝判異亡在(第三二軍
一方の万葉仮名表記例は、「ゆり」が二例、「より」が〓一
例存する.。「より」の万葉仮名表記例には、「今より」
「伊強
国より」など時間・場所の起点を示す例の他、「常より」など
比較の基準を示す例もあり、用法は漢文助字より広い。
なお、「ゆり」は「より」に比べ用例数が少なく、第七常に
用いられているのみであることを考慮に入れると、助字の「自」
「従」は「より」を表記したものである可能性が高い。
【与】
与天地共長与日月共遠不改常典(第三詔)此乃舞平始賜比造賜枇伎聞食旦与天地共ホ絶事無久(第九軍*天地与l共ホ長久遠久仕奉謎冠位上場比治賜布(第〓撃
「と」
の
「与」字五例は、全て「与天地共」「与日月共」と
いう表現で用いられている。また、*を付した例は、一例のみ
であるが、本来するはずの反転表記がなされていない例である。
一方の万葉仮名表記例は五八〇例に上り、用例数では圧倒的
に多い。しかし、漢文助字の用いられていた「〜と共に」とい
う表現に限ると、万葉仮名表記例は次の三例が存するのみであ
り、「与天地共」などの表現では漢文助字が専用されている。 体方灰止共ホ地亡埋判奴札止名妓畑止共ホ天水昇(第四五詔)諸臣等止共亡異奇久貰自任形乎雪見喜洗(第四六軍
【錐】
如比錐在慈賜止為而一等軽腸而姓名易而(第一九詔)
故是以御命坐勅久朕者拙劣軽在親王等平始而(第一四詔)
故是以大命坐勅久朕錐拙弱親王始而(第四八詔)
「ども」には「錐」字の例が五例存する。その中四例が「朕
錐拙弱」など即位宣命での謙遜の表現の例である。仏乃御袈裟平服実在現国家乃改乎不行詰不待(第二八詔)
官位平昇賜治賜蓼可久方鯛机仲麻呂毛和気毛(第三四詔)天高根聴卑物思和天皇我御命乎衆聞食止宣(第五九詔)
一方の万葉仮名表記例は二四例存する。用例数では万葉仮名
表記例の方が多いものの、先に見た即位宣命の「朕錐拙劣」と
いう表現の場合には、漢文助字が専用されており、万葉仮名表
記例はない。
また、仮定条件を表す「とも」には「錐」字の例はなく、万
葉仮名表記例のみが五例存する。
額ホ方箭波立止毛背笈箭方不立止云⊥第四五詔)
【於】【干】
賀久詔者捷長文困此宮坐丘現神大八洲国所知(第七詔)
喜子為三島太子止定丘先奉昇於君位畢丘(第二五詔)
*又於天下政置而独知柄物不有(第七詔)
末位大舎人等至刊諸司仕丁棚三大御事物賜夫(第二二詔)
表施其門至刊終身田租免給(第四二雷)
「に」の漢文助字「於」「干」は右に挙げた五例が全てであ
る。*を付した例は「天下政においては」という表現であり、
本来「於」字のみで「〜において」の意味があるにも関わらず、
「天下政」の下に「置」という漢字が存する。日本語の助詞「に」
に「於」辛が相当するという意識が強いために、このような表
記になっていると考えられる。
また「干」字の例は二例ども、漢文的要素の強い宣命後半の
授位の記事で用いられている。
「に」の万葉仮名表記例は五四四例に上り、漢文助字の用い
られていた「〜に坐す」「〜に至る」という表現に限っても多
くの万葉仮名表記例が存する。
高御座ホ坐而此食国天下平撫賜比(第三詔)
国々宰等ホ至相星国法乎過犯事無久(第〓彗天皇御世平始天中今ホ至棚≡(第〓ニ軍
【莫】又云入場平知天方必改与能平待天方莫‑忘止伊布(第四五軍
終助詞「な」に「莫」字が用いられているのはこの一例のみ
である(注七)。
一方の万葉仮名表記例は五例存する。
我児我王過天罪無有者捨緋g蒜相負賜(第七詔)
此辞忘給象弄給讐最大命乎(第〓ニ詔) B、反転表記されていない助字‑而・者・之・耶・耳
次のBは反転表記されていない助字の例である。
【而】
故如此之状平聞食悟而(第一詔)
建内宿祢命乃仕奉和事止同事畑斬而l治賜慈賜利I(第二詔)然後廃帝四王之中本簡耐為君鵬謀耐(第l九撃早良親王立耐皇太子止定賜布(第六〇撃
まず「て」の「而」字は続紀宣命全体で〓t≡例に上り、A
の反転表記されている助詞に比べかなり用例数が多い。また用
例も「信て」「勅て」「立てて」など、万葉仮名表記例と共通
するものも多く、ほぼ「て」の万葉仮名と同様に用いられてい
る。両者の違いは、②区分では漢文助字の例が見られないとい
うことである。
女子乃継抽在餌欲令嗣止宣五此政行給畷(第二七詔)
衆諸如此乃状借主清直心癖毛此王手輔導天(第五九詔)
加久為ユ今帝上立王須麻比久流間ホ(第二七詔)
また「而」字の例の中には、一例のみではあるが、接続助詞
「どもしの例も存する。一
然不全謀庭亦不被告両線道祖王者応配達流罪(第二〇詔)
【者】
汝藤原朝臣乃仕奉状者今相乗不在(第二詔)
此乃天王日嗣之位音大命ホ坐せ大坐坐蘇治可賜(第三詔)
今年六月十五日諾和命者受賜止白掃賀(第三詔)
此之仰賜比授賜夫食国天下之政者(第二四詔)
「は」の「者」字には「位は」「政は」など万葉仮名表記例
と共通する例もあり、「而」字と同様に②区分に用例が見られ
難い他は、万葉仮名とほぼ同様に用いられていると言える。
大命坐詔久美麻志大臣乃仕奉来状ま不今耳(第五二詔)・此位方天地乃置賜用授賜帝位亡在(第三三詔)
天下乃政糞行拾物ホ伊麻世波(第四四詔)
また、「者」字の例の中には、接続助詞「ば」の例が〓例
存する。その中、仮定条件を示す例が五例、確定条件を示す例
が六例であり、「者」字は仮定条件と確定条件のいずれにも用
いられている。
被賜仕奉者拙久劣而無所知(第五詔)
今皇朕御世ホ当而坐青天地之心辛労弥(第四詔)
【之】
天皇御子之阿礼坐ヰ弥継経本(第一詔)
故如此之状平間食悟而(第一詔)
此食国天下之l業平日並所知皇太子之嫡子(第三詔)
右大臣之位授賜止勅布天皇我御命平諸聞食止宣(第四一詔)
「の」の「之」字は「而」「者」に次いで多く用いられ、②
区分で用いられ難いことも丙助字と共通している。
格助詞「の」は主格でも連体格でも用いられるが、漢文助字
の場合は連体格の例が圧倒的に多く、主格の例は用例に挙げた
第一詔の例を含め、わずか五例に過ぎない。 四方食国天下乃政平弥高弥広ホ(第五詔)又天日嗣高御座乃業止坐事波(第〓ニ詔)本乃大臣乃位亡仕奉配賦事(第二八詔)
用例数では万葉仮名表記例の方が三六二例と圧倒的に多い。
また次の例は万葉仮名表記例と比較すると、格助詞「が」の
例であると考えられる。「之」辛が「が」を表しているのは、
続紀宣命ではこの連体格の一例のみである。
大瑞妓聖皇之御世ホ至徳ホ感天(第四二詔)
大津宮亡天下所知行之天皇̲御世ホ(第四〇詔)
【耶】
間来政乎者加久耶答賜加久耶答賜止白賜官ホ刑治賜止白賜倍
婆(第六詔)干都斯久母皇朕政乃所致物ホ在米刑(第六琶
「や」の「耶」字は四例存す㌃が、その四例全てが第六詔で
用いられている。
男純父名負王女疲伊婆軌物ホ阿礼枚(第〓二詔)
可絶共家門膿為鞘此般罪免給(第二〇詔)
自今日者大臣之奏之政者不聞看枚成幸(第五一詔)
一方の万葉仮名表記例は〓ハ例に上り、漢文助字のように用
いられる宣命に偏りはなく、①区分〜③区分の全ての区分で用
いられている。
【耳】
広厚慈而奏事此珂不在(第五〓詔)
美麻志大臣乃仕奉来状笈不今耳(第五二雷)
「のみ」の「耳」字の例は右の二例であり、t一例ともが「〜
のみにあらず」という文脈で用いられている。
汝藤原朝臣乃仕奉状者今和束不在(第二雷)此皇后位乎授賜然毛朕時和軸不有(第七草
此平念方唯己独乃大朝庭乃勢力乎待天(第二八詔)
一方の万葉仮名表記例は一八例存し、「〜のみにあらず」と
いう文脈以外でも用例が見られ、用法は漢文助字より広い。
このBの反転表記されていない漢文助字の中には「而」「者」
「之」など、かなり用例の多い助字も見られる。これらの助字
は中国でも反転表記されない助字であり、日本語の語順に従い、.日本語の助詞として用いることに違和感がなかったものと思
われる。C、その他‑乍
【乍】
「乍」字は、続紀宣命では反転表記されない助字であったの
が、「四国史」宣命では反転表記されるようになり(第四節参
照)、続紀宣命と「四国史」宣命では用法が異なるため、「そ
の他」に分類している。
続紀宣命では「乍」字は「つつ」を表していると考えられる。
此乃食国天下之政平行賜敷賜乍供奉腸閉ホ(第六詔)
頂伎恐集供奉可夜半暁時止休息事無久(第七詔) 厨真人厨女許ホ縞牲乍‑岐多奈久悪奴此奇相結呈(第四三軍「乍」字の例は右の三例が全てであるが、動作が平行して起
こるさまを表すこと自体が日本での用法であり、またいずれの
例も本来するはずの反転表記がなされておらず、万葉仮名のよ
うに小事きされる例があるなど(第七詔)、助字としての用法
には適っていない。
意中ホ昼毛夜毛倦怠此天久謹集札頒仕奉柵停刊(第四一詔)
又侍諸人等毛共見天佑儀喜用心在間亡(第四二詔)
又詔久如此時ホ当用人々不好謀乎懐芝(第五九詔)
一方の万葉仮名表記例は一一例存する。
このように、漢文助字が用いられる助詞は、万葉仮名でも表
記され得るものばかりであり、峰岸氏もすでに指摘されている
ように(注八)、仮名で表記し難いために漢文助字が用いられ
ているわけではない。また初期の宣命である①区分に最も多く
の例が存し、次いで③区分となっており、②区分の浮仁・称徳
期の宣命ではごく少数の例が存するのみである。
反転表記されず‥用例数も多い「而」「者←「之」.を除き、
漢文助字は用例数がかなり少なく、特定の官有や特定の表現に
偏る候向がある。また、中には「与」字のように本来するはず
の反転表記がなされていない例や、「乍」字のように小書きさ
れる例なども見られた。
これらの漢文助字が、続紀宣命より時代の下った「四国史」
宣命ではどのように用いられているのかを、次に見ていくこと
とする。
四、「四国史」宣命の漢文助字
A、基本的に反転表記されている助字‑自・従・与・錐・於・
千
【自】【従】
因玄薬子看官位解丘自宮中退賜(後紀・第七〓詔)
自今以後如此久辞申事不得止宣戦(続後・第八五詔)
自此之外掛物依亦多(続後・第九二詔)
*朕窮劣弱王洪業ホ不耐釈止本別思畏利腸蛸暫毛不息
(後紀・第六九詔)
昔延暦年中渡海求法三密教門徒此敬挿諸宗之中功無臭二
(文徳・第一四一詔)
続紀宣命では「ゆり」の万葉仮名表記例も見られた(注九) が、「四国史」宣命では「より」のみであり、助字「自」「従」
は
「より」を表したものであると考えられる。
「自」字は「四国史」宣命に至っても多用される漢文助字で
あり、用例には「今より」「去年より」と時間の起点を示す例
が多い∵*を付した例は、「自」字が反転表記されていない「四
国史」宣命唯一の例である。
「より」の漢文助字表記例と万葉仮名表記例を比較してみる と、「今より」「此より」など起点となる暗が、漢字一字ない
し二字で表される場合は漢文助字が用いられる割合が高く、逆
に「久き世時より」「幼少に御坐時より」など音節数が多くな
ると万葉仮名が用いられる傾向がある。このような万葉仮名と
の使い分けが存するために、「より」
の
「自」字は「四国史」
宣命でも多用されたのであると考えられる。
「従し字の例は用例に挙げた一例のみである。この文徳実
録・第一四一帯は、其済大法師の上表文に基づいて作成されて
おり、全体的に漢文的な色調が強く、多くの反転表記や漢文助
字の見られる特殊な宣命である。
【与】・又凄日本紀所載乃崇道天皇輿贈太政大臣藤原朝臣不好之
事皆悉破却賜難(後紀・第七一語)
石兵璧品中細綱月日与l彼南海戦闘正長符契栂
(続後・第九〇語)
天皇朝廷†与日月共ホ常磐堅磐ホ夜守日守ホ護幸奉給
(三代・第一五九詔)
「与」字は人物や事柄の並列を表す例の他は、いずれも「与
日月共」「与天地共」という表現の例である。続紀宣命では反
転表記されていない例が一例存したが、「四国史」宣命では全
て反転表記されている。
【錐】
多入鹿等申久雄言不納餌諌争此憩至(後紀・第七二詔)
所願技以僧正号将諌千先師者錐‑知師資其志既切而在於朕
情未有許容(文徳・第一四一詔)
故是以大命坐富久朕錐拙幼親王等平始氏(続後・第七九詔)
「錐」字は「四国史」宣命に七例存するが、万葉仮名「止毛」
と共に用いられている日本後紀・第七二詔と漢文的な色調の強
い文徳実録・第一四一詔の例を除き、いずれも続紀宣命に見ら
れた即位宣命の「朕錐拙劣」という表現での例であり、用法は
限られている。また、仮定条件の「とも」の例はない。
【於】【干】
所願妓以僧正号絡許刊先師者錐知師資其志既切而在於朕
情未有許容(文徳・第一四l詔)
賢臣乃保佐ホ頼天得至於今日利(三代・第l一〇四詔)
自去年至干今月天野地{火不止(三代・第一五五詔)
「に」の「於」「干」は合わせて五例存し、その中三例が「〜
に至る」という表現の例である。
また、次に挙げる二例は、万葉仮名表記例と比較してみると、
「までに」の例であると考えられる(注一〇)。皇太子乃成人平待賜蛸島琴刊今経数年飯.
(三代・第二〇四詔)
宮内亡相仰天穣事依有天干今延怠割(三代・第一六〇詔)両大臣乃憩ホ加志許粕辞譲申亡依天今琴延束恥
(三代・第二二〇詔)
Aに含まれるこれらの助字は続紀宣命でもごく少数しか用 いられなかったものであるが、「自」字を除き、「四国史」宣命でも漢文的な色調の強い宣命や特定の表現でのみ用いられており、用法も続紀宣命とあまり変化は見られない。B、反転表記されていない助字‑而・者・之【而】
中務卿薄手立耐皇太弟止定賜布(後紀・第七三詔)
道康親王乎立而皇太子止定賜布(続後・第一〇〓詔)
大御座盛事掃潔侍両天之日嗣平戴荷如(三代・第二〇五詔)
「而」字は「四国史」宣命では用例が激減しており、助詞「て」
は、ほぼ万葉仮名で表記されるようになっている。その中で
「而」字が用いられるのは、続紀宣命でも見られた、立太子宣
命での「立てて」などに限られている。
その一方で、続紀宣命では見られなかった、「而巳」と熟し
て「のみ」を表す例が一例用いられている(注〓)。
朕而巳‡此手書軸卿如百官人鋸(続後・第九五詔)
朕窮肋轟此手嘉ヰ親王等藷王等緒臣等百官人揖
(三代・第一四九詔)
【者】
薬子看官解丘自宮中退賜比仲成者佐渡国権守退止宣
(後紀・第七〇詔)
厚慈手套萩城天之日嗣改割(読後・第七八詔)
天之日嗣乃政利平久天地日月止共ホ(文徳・第〓三詔)
「者」字も「而」字と同様、「四国史」宣命では用例が激減
しており、助詞「は」も、ばば万葉仮名で表記されるようにな
っている。また、一例のみであるが続日本後紀・第七八詔では「者」を万葉仮名のように小書きした例が見られる(注士一)。
また、「者」字が接続助詞「ば」を表している例は「四国史」
宣命では三例存する。これらはいずれも仮定条件の例であり、
確定条件の例はない。有犯死罪巳下着順罪丘行餌之節刀給助詔(続後・第八一畢
【之】
又中納言藤原朝臣葛野麻呂ま悪行之首藤原薬子加地頼朝中誓重罪有軸(後紀・第七二軍
鹿棟兵庫等上ホ依有大鳥之催天卜求ホ隣国乃兵事之事可在止
卜申利(三代・第一七七詔)
良佐乃巽戴ま皇太子乃大成蛇何遠剥有紳根念行事
(三代・第二〇四帯)*而更依人言氏破却之事如本記成此毛亦究礼剖事軸
(後紀・第七一詔)
「之」字は「而J「者」とは異なり「四国史」宣命でも多く
の用例が存する。「之」字の用例数が「四国史」宣命、中でも
三代実録宣命で多いのは、事件の記録的な要素の強い、応天門
の変についての宣命や新羅海賊についての一連の宣命で、「大
鳥之依」「兵事之事」など多用されているためである。また、
*を付した日本後紀・第七〓詔のように「やぶりすつること」 「ゐやなきこと」など、不読の例に「之」が用いられていることも、他の助字に比べ「之」が用いられやすかったことを示し
ていると言えよう。なお、「之」字の例のほとんどが連体格の
例であり、主格の例廷二代実録・第二〇四詔に一例存するのみ
である。
また「之」字が「が」を表している例は、「四国史」宣命で
は三例存する。これらはいずれも連体格の例である。
藤原基経朝雪朕封誉晶
(三代・第二二〇詔)唯此太子一人乃筈朕‡子鼓在(続紀・第四五雷)C、その他1乍
【乍】乍驚間求机辛皮之災及兵事可有止卜申(読後・第九一軍
御陵内ホ析樹曾事在鞘此千句間食恐畏瑠御陵司紳法随ホ勘
賜比(続後・第一〓一詔)
*乍神毛間食天平久安久譲吉助給(lニ代・〓ハ○詔)
*去十八日不慮之外ホ野火進引天御陵辛味損晰間食▲I加資性健長蛇無限量盲(三代・〓ハ九撃
「乍」字は続紀官命では反転表記せず「つつ」として用いら
れていたが、ここでは*を付した例から「ながら」を表してい
ると見られる。続紀宣命では反転表記されていなかった「乍」
字が、「四国史」宣命では七例が全てが反転表記されているの
も、表している助詞が、続紀宣命では「つつ」、「四国史」宣
命では「ながら」と異なるためであると考えられる。なお、「な
がら」が動詞の下に付ぐ例は、続紀宣命にも見られ、「乍」字
を「ながら」を表記したものであると考えることに間麿はない
と思われる。
詔命者受賜止白暮嚢‑比重位ホ継坐事(第三詔)
障事無久奈佐牟止勅賜蝕‡成抽札(第一五詔)
このように、「四国史」宣命では、用いられる助字が一〇種
類に減少したのであるが、それらは全て続紀宣命でも用いられ
ていた助字であり、「四国史」宣命で新たに用いられるように
なった助字の例はない(注〓ニ)。また、漢文助字の例は「之」
「自」を除き、ほぼ用いられなくなってきており、中には「自」
字のように本来するはずの反転表記がなされていない例や、
「者」字のように小書きされる例もみられた。全体としては、
「四国史」宣命では、助詞の類は万葉仮名で表記するという傾
向が、続紀宣命より強くなっていると言える。
五、まとめ
これまで述べてきたことをまとめると、
「漢文助字表記例は「四国史」宣命に比べ続紀宣命に多く存
し、初期の宣命ほど助字の用いられる割合が高い。しかし、
その続紀宣命の中でも②区分の淳仁・称徳期の宣命では助字 表記例は極端に少ない。二、漢文助字の中でも「而」「者」「之」などもともと反転表
記されない助字は、用例数もかなり多く、用法の面でも万葉
仮名とほぼ同様に用いられている。一方「錐」「与」などの
反転表記される助字は用例数も少なく、ある特定の宣命や特
定の表現に限って用いられる傾向がある。
三、「四国史」宣命では、新たに用いられるようになる助字の
例はなく、「而」「者」を初め多くの漢文助字が用例数を減
少させており、ほぼ助詞の類は万葉仮名で表記されるように
なる。その中で連体の関係を示す「之」字と、万葉仮名との
使い分けの見られる「自」字のみが用例数を増加させている。
主上して日本語の語順に従い、付属語の類は小書きされる宣
命小書体においても、初期の宣命では漢文助字の使用も多く見
られた。それが「四国史」宣命に至り万葉仮名で表記される助
詞の割合が増加するのに伴い、用例数を減少させるという点で
は、漢文助字も助詞の読添え例と同様の変遷をたどっていると
言えよう。
注
一六国史の中から『日本書紀』を除いた『縁日本紀』以下の五つ
の国史を「五国史」と称し、さらに『続日本紀』を除いた『日
本後紀』以下の四つの国史をr四国史」と称することがあり、
小塙でもそれぞれの国史の総称として用いることとする。
二
拙稿「宣命の「を」格表示」(『待兼山論叢』夢ニ○号、文学
編、平八・〓一)、拙稿「宣命の助詞表示」(大阪大学『語文』
第六八輯、平九・五)
三
白藤穏幸氏r古代の文法I」(『誅座国語史第四巻文法史』
第二章、昭五七、大修館書店)、峰岸明氏「古代日本語文章表
記における倒置記法の諸相」(『国語論究二』、平二、明治書
院) 四
長尾勇氏「『統紀宣命』についての研究‑かなの用字法を中心
として‑」(『日本大学文学部研究年報』一、昭二六)、小谷
博泰氏『木簡と宣命の国語学的研究』(昭五二、和泉書院)な
ど。
五
この淳仁・称徳期の宣命の範囲については、孝謙天皇の時期の
ものまでを含めて考える説もあるが、小塙においては、沖森卓
也氏が「続日本紀宣命の表記と文体‑称徳期についてー」
(松
村明教授還暦記念『国語学と国語史』昭五二、明治書院)
で示
された区分に依ることとする。
六
時開・場所の起点を示す助詞の万葉仮名表記例には、「ゆりL
「より」の他「ゆ」の例も三例存する。しかし、「ゆjの例は
全て「高天原島天降坐悪天皇御世平始而(第四詔)」という表現で
の例であり、「自」「従」の例の中には助詞「ゆ」を表記した
ものはないと思われる。
七
「莫」字には、副詞の「な」や形容詞「なし」の例も、一例ず
つ存する。 今後前然美為上宣(第一八詔)人事伊佐奈比錯隼矧(第三〓聖
八
峰岸氏注三論文。
九
注六参照。
一〇
「干」字は「まで」を表記したものである可能性も存する。
rまで」と「までに」は、奈良時代には「までに」の方が多用
されていたが、平安時代に入ると、和文ではその勢力が逆転し
「まで」がほぼ専用されるようになる(桜井定夫氏r「まで」
rまでに」考」、『文学論轟』第六号、昭三二・二)。しかし、
平安初期の訓点資料では未だrまでに」の方が優勢となってい
、る(小林芳規氏r古代の文法Ⅱ」『許座国語史第四巻
第三章、昭五七、大修館書店)。
「四国史」宣命の場合、万葉仮名表記例は、「まで」九例に対
し「までに」は一二例であり、r干」字がどちらを表記したも
のであるかを判断す各のは難しいが、rまで」の例は全て「〜
に至るまで」という表現の例であるため、、「干今」の「干し字
は「までに」を表記したものであると思われる。
〓
これらの他、「錐1而」という用例が一例存するが、この場合
は「而」字は不読であるため用例故に入れていない。
錐知師資其志既切而在於朕情未有許容(文徳・第一四一詔)
一二
r者」字を万葉仮名のように小書きする例は、この例の他『朝
野群載』の宣命例文や、公卿日記の中に収められた宣命などに
も見られる。
〓ニ
「四国史」宣命で新たに用いられるようになる助字にはr臭J
辛がある。しかし「朝夕煩憶念u炸久封J産後・第七六詔)と
「美」字は不読であるため用例には含んでいない。
二アキストには、続日本紀宣命は北川和秀氏編『続日本紀宣命
校
本・総索引』(昭五七、吉川弘文館)を用い、訓読は北川氏の訓読文
を参考にしつつ私に行った。「四国史J宣命は『購相国史大系』を用
い、私に訓読を行った。なお、「四国史J宣命の詔書号は、馬場治氏
r五国史所載宣命の国語史的研究」
(
「言‑○巴一一号、平五・二)
によっている。 【付表】
8 而 者 之 耶 耳
l:B 朋 ㊥ 4 2
2 6 6 0 0
4 4 劫 0 0
ロ 2 10 0 0
4 2 131 0 0
1朝 102 刀6 4 2
133 88 ∞ 4 2
114 61 32 4
0 l 7 0 0
19 26 0 2
A
自従 与 娃 於 干 美
鱒 9 ロ 5 5 3 2 ロ
後紀 4 0 ロ ロ 0 0 0
絞後 10 0 5 ロ ○ 0 0
文徳 0 ロ 口 2 ロ ロ 0
三代 26 0 5 3 ロ 4 0
合計 49 ■2 17 12 5 7 ロ
綬妃 9 ロ 5 5 3 2 ロ
①区分 4 5 3 3 ロ
②区分 2 巴 0 l l
③区分 3 0 2 0
〔大阪大学大学院生・一九九三年三月卒業〕