自己信託を利用した保険料保管専用 口座の実務
⎜⎜ コミングリングリスクの回避を目的とした自己信託の活用 ⎜⎜
田 爪 浩 信
■アブストラクト
最高裁平成15年2月21日判決は,保険料保管専用口座に係る預金債権は損 害保険代理店に帰属すると判示した。この結果,同預金債権は損害保険代理 店の責任財産を構成し,損害保険代理店が倒産した場合には,損害保険会社 は保険料全額を回収できないというコミングリングリスクが生じる。
一方,平成19年9月30日に施行された新しい信託法は, 委託者が自ら受 託者となる信託」すなわち自己信託を法認し,1年間の凍結期間を経ていよ いよ自己信託が解禁された。
自己信託にはそのビジネスニ−ズの一つとして,コミングリングリスク回 避のための活用が期待されている。
そこで,保険料保管専用口座に係る預金債権に自己信託を設定することに よって,損害保険会社に生じうるコミングリングリスクの回避可能性を模索 し,その実務上の有効性と課題を検討する。
■キ−ワ−ド
保険料保管専用口座,コミングリングリスク,自己信託
*平成20年9月27日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成20年9月29日原稿受領。
Ⅰ.本稿の目的
1.はじめに
最二小判平成15年2月21日民集57巻2号95頁は,損害保険代理店が損害保 険会社との約定に基づき,保険契約者から収受した保険料を損害保険会社に 送金するまでの一定期間,保険料を保管するためだけの目的で金融機関に開 設した保険料保管専用口座に係る預金債権は,損害保険代理店に帰属すると 判示した。本判決は,普通預金債権の帰属について相前後して示された最高 裁判決の一つであった 。
本判決について,調査官解説は 損害保険会社が預金者であるかどうかと いう請求原因レベルの認定判断が問題となっていた事案であり,金融機関に よる相殺の抗弁が認められるかどうかという別個の問題については,本判決 の触れるところではない。…預金債権は代理店に帰属するとしつつも,信託 等別個の法理により保険会社の利益を保護すべきであるとする説があるが,
その当否は,将来に残された問題である (下線は筆者)と指摘していた。
損害保険会社としては,保険料保管専用口座で保管された保険料を損害保 険代理店の倒産によって生ずるリスク(いわゆるコミングリングリスク )
1) 一連の判例については夥しい研究が公表されており,例えば金融実務の視点 から論ずるものとして 特集:預金の帰属と金融実務 金法1686号(2003)所 収の論稿を参照。
2) 尾島明・ジュリ1256号177頁(2003)。この指摘に関して参照すべき研究とし て,潮見佳男 損害保険代理店の保険料専用口座と預金債権帰属 金法 1683号39頁・同1685号43頁(2003)がある。
3) 債権者から委任を受けて債務者から金銭債権を回収したサービサー業者等が,
その回収金を委任者に引渡す前に倒産に陥った場合,回収金はサービサーの一 般財産に混和(Commingling)してしまう。この結果,委任者はサービサー に対して一般債権としての回収金引渡請求権を有するにとどまり,満足な資金 回収が図られないリスクが生ずる。これをコミングリングリスクいう。金融仲 介業における各業法上の分別管理義務とコミングリングリスクの研究として北 見良嗣 サービサーリスクと代理店等制度について−平成15年2月の最高裁判 決を受けて− 帝京法学25巻1号35頁(2007)がある。
から隔離し,損害保険代理店とその債権者等との間で発生しうる保険料保管 専用口座で保管された金員をめぐる法的紛争に巻き込まれることなく,損害 保険会社が保険料を確実に捕捉し得る対策を講じておく必要がある。
2.本稿の目的⎜コミングリングリスクの回避⎜
平成19年9月30日に施行された新しい信託法は, 委託者が自ら受託者と なる信託 すなわち自己信託を法認した(信託法(以下, 法 と略記する)
3条3号)。
もっとも,債権者詐害・執行免脱・不正な会計処理といった制度の濫用に 対する危惧感が示され,制度の趣旨や内容等の周知を図るため,自己信託に ついては新法施行日から1年間,施行が延期されていた(法附則2項)。新 法施行日から1年間が経過し,いよいよ自己信託が解禁され,実務界からも 大きな期待が寄せられている 。
筆者は,既に別稿において,保険料保管専用口座で保管された保険料を損 害保険代理店の倒産リスクから隔離し,損害保険会社が保険料を確実に捕捉 し得る法律構成として,自己信託の活用可能性を紹介した 。
本稿では,その後,信託業法等関係法令の詳細が明らかになったことも踏 まえて,より実務の視点から,自己信託を利用した保険料保管専用口座とこ れに関連する主要な論点の検討を目的とする。
Ⅱ.信託における倒産隔離機能
1.信託の機能
自己信託を利用することによって,保険料保管専用口座で保管された保険 料を損害保険代理店の倒産リスクから隔離し,損害保険会社が保険料を確実
4) 例えば,鈴木秀昭 自己信託の解禁に向けて 金法1828号1頁(2008),金 子敬明 自己信託 法教338号2頁(2008)。
5) 拙稿 自己信託と損害保険代理店保険料保管専用口座−新信託法の活用可能 性の視点から− 損保研究69巻1号93頁(2007)
に捕捉し得る法律効果が実現するのはなぜなのであろうか。
これは,信託にはその本質として 倒産隔離機能 が内在していることに 由来する 。本章では,信託の倒産隔離機能について概観する。
2.信託のモデル
信託とは,委託者が受託者に金銭や土地などの信託財産を移転し,受託者 は委託者が設定した信託目的に従い受益者のために信託財産の管理・処分を 行なう法律関係をいい,委託者と受託者との間で信託契約を締結する方法,
遺言による方法,自己信託による方法によって設定される(法3条)。
3.信託における倒産隔離機能
信託が設定される場合,原則として信託財産が委託者から受託者に移転す る。しかし,信託における法律関係では,信託財産の法律上の所有名義が受 託者であっても,信託財産は委託者にも受託者にも属さない独立性が法認さ れ,これこそが信託の信託たる特徴といえる。
信託財産の独立性から導かれるのが信託における倒産隔離機能であり,本 節ではこれを具現化する信託法の主要条項を概観する。
⑴信託財産に対する強制執行等の制限
受託者が信託財産によって履行する責任を負う債務(信託財産責任負担債 務)を除いて,信託財産に対しては,強制執行,仮差押え,仮処分若しくは 担保権の実行若しくは競売又は国税滞納処分をすることができない(法23条 1項)。これに反する強制執行等に対して,受託者又は受益者は異議を申し 立てることができる(法23条5項6項)。
⑵受託者破産からの信託財産の隔離
受託者が破産手続開始の決定を受けた場合も,信託財産は破産財団に属し
6) 能見善久 信託の現代的機能と信託 法 理 ジ ュ リ1164号12頁(1999),同 現代信託法 35,44頁(有斐閣・2004),新井誠 信託法(第3版) 103頁
(有斐閣・2008),鈴木秀昭 信託の倒産隔離 信託法研究28号99頁(2003)。
ない(法25条1項)。また,受託者が再生手続開始の決定を受けた場合も信 託財産は再生債務者財産には属しない(同条4項)。
信託財産が破産管財人によって破産財団に取り込まれた場合には,新受託 者は破産管財人に対して取戻権(破産法62条)を行使できる。また,新受託 者等が信託事務の処理をすることができるまでの間,破産管財人が信託財産 を処分しようとするときには,受益者は破産管財人に対し当該処分の差止め を請求することができる(法60条5項)。
⑶相殺の制限
受託者がその固有財産のみで履行する責任を負う債務に係る債権を有する 者は,当該債権をもって信託財産に属する債権に係る債務と相殺ができない
(法22条1項)。但し,債権者が,信託財産に属する債権が受託者の固有財産 ではないことを知らず,かつ,知らなかったことに過失がなかった場合は相 殺が可能である(法22条1項1号)。
一方,受託者の方から相殺を行うことは可能であるが(法22条2項),受 託者が相殺を行うこと自体,受益者との関係で利益相反に該当するおそれが ある。そこで,相殺を行うことが受託者と受益者との利益相反になることを 相殺の相手方が知っていたとき,またはこれを知らないことについて相手方 に重大な過失があったときは,受益者は相殺を取消すことができる(法31条 7項)。
4.小 括
以上のとおり,信託法はいくつかの条項によって,信託財産が委託者と受 託者の双方の倒産リスクから隔離される法律効果を実現している。
損害保険代理店を受託者,損害保険会社を受益者,そして保険料保管専用 口座に預けられた保険料(預金債権)を信託財産と位置づけ,その法律関係 を信託に基づいて再構成しようとする試みは,正に,保険料保管専用口座で 保管された保険料を,信託の受託者である損害保険代理店の倒産リスクから
隔離する法律効果を享受するためにほかならない 。
さて,信託財産に関して二点付言する。第一に,対抗要件である。ある財 産が信託財産であることを第三者に対抗するためには,登記又は登録をしな ければ権利の得喪及び変更を第三者に対抗することができない財産(例えば,
不動産や特許権など)は,信託の登記又は登録をしなければならない(法14 条)。一方,現金・通常の動産・金銭債権等の登記・登録制度のない財産につ いては,信託の公示なしに信託財産であることを善意の第三者にも対抗し得 ると解されている 。なお,公示不要の信託財産であっても,受託者は信託 財産を他の財産から分別管理する義務を負う(法34条1項)。
第二に,詐害信託に対する対抗である。上記のとおり,信託財産には強い 独立性とそこから導かれる倒産隔離機能が法認されていることから,委託者 がその債権者を欺く目的で信託を濫用し,本来であれば責任財産を構成すべ き財産を,信託に仮託して受託者に移転させ,債権者詐害・執行免脱を目論 むおそれがある。そこで,信託法は委託者の債権者に詐害信託の取消しを認 めている(法11条1項)。
Ⅲ.自己信託
1.自己信託の利用可能性
委託者が自ら受託者となる信託 すなわち自己信託については, 資産 の流動化にくわえ,サービサーや損害保険会社の代理店等が資金回収を行う 場合(民事信託の局面において,所有と占有が一致する金銭の性格上,金銭 を預かっている者の財産であるとせざるを得ないが,実質的には当該金銭を 最終的に受領することとなる者の所有に帰属すると構成した方が合理的であ ると考えられる場合などもこれに類似する。),…等様々な創意工夫の下多様 7) 旧信託法下,大多数の論者は保険料保管専用口座をめぐる法律関係に信託法 理を援用することについて否定的であったが,旧信託法下においても信託構成 を認める見解として,岸本雄次郎 信託制度と預り資産の倒産隔離 213頁
(日本評論社・2007)がある。
8) 佐藤哲治編著 Q&A信託法 100頁(ぎょうせい・2007)。
な利用可能性がある (下線は筆者)と指摘されていた。
2.自己信託の意義
新信託法は,信託契約や遺言による信託の設定にくわえて,①特定の者が 一定の目的に従い,②自己の有する一定の財産の管理又は処分及びその他の 当該目的の達成のために必要な行為を,③自らすべき旨の意思表示を,④公 正証書その他の書面又は電磁的記録で当該目的,当該財産の特定に必要な事 項を記載又は記録する方法によって信託を設定できるものとした(法3条3 号)。これを自己信託という。
3.自己信託の効力発生要件
自己信託は,以下の区分毎に効力発生要件が定められている(法4条3 項)。
⑴公正証書又は公証人の認証を受けた書面若しくは電磁的記録によって自己 信託を設定する場合,当該公正証書等の作成によって効力が生ずる。
⑵公正証書等以外の書面又は電磁的記録によって自己信託を設定する場合,
受益者となるべき者として指定された第三者(当該第三者が2人以上ある場 合にあっては,その1人)に対する確定日付ある証書で,当該信託がされた 旨及びその内容の通知を行うことによって効力が生ずる 。
9) 信託法改正要綱試案補足説明184頁。自己信託の今日的なビジネスニーズに ついては,佐藤編著・前掲注8)83頁,寺本昌広 逐条解説新しい信託法〔補訂 版〕 44頁(商事法務・2008),井上聡編著 新しい信託30講 186頁(弘文堂・
2007),村松秀樹ほか 概説新信託法 10頁(金融財政事情研究会・2008)。サ ービサー特有のニーズにつき金融法委員会 サービサー・リスクの回避策とし ての自己信託活用の可能性 金法1843号24頁(2008)。
10) 自己信託の内容を書面により客観的に明確にするとともに,信託設定日を事 後的に遡及させることで 自己信託の委託者 の債権者が害されることを防止 する趣旨から 確定日付のある証書 の作成が要件とされる。なお, 確定日 付のある証書 は,民法施行法5条により内容証明郵便等に限定されている
(佐藤編著・前掲注8)90頁)。
4.自己信託における弊害防止
自己信託は,前節の手続きを履践することによって,自分の財産を信託財 産として自らを受託者とする信託の設定を可能とするものであり,通常の信 託よりも一層債権者詐害・執行免脱といった濫用行為が懸念される。
そこで,自己信託においては,信託財産に対する強制執行等を禁止する信 託法の原則(法23条1項)を修正し,自己信託の委託者に対して債権を有す る者は, 詐害信託取消しの手続(筆者注:法11条1項)を経ることなく,
信託財産に対して強制執行,仮差押え若しくは仮処分をし,又はこれを競売 することができるものとする(筆者注:但し,自己信託が設定されたときか ら2年間に限る(法23条4項))。これに対し,受益者等による異議の申立が あったときは,債権者は,(筆者注:自己信託の委託者が)当該信託の設定 が債権者を害することを知っていたことを証明しなければならないものとす る。 (法23条2項,5項)として,その弊害防止の措置を講じている。
Ⅳ.自己信託を利用した保険料保管専用口座の実務
1.当事者
自己信託を利用した保険料保管専用口座に係る当事者関係は以下のとおり である。
⑴委託者兼受託者 損害保険代理店
⑵受益者 損害保険会社
⑶信託財産 保険料保管専用口座にかかわる預金債権
2.自己信託の設定(法3条3号,4条3項)
保険料保管専用口座に自己信託を設定する場合を,法3条・4条に即して 述べると以下のとおりとなる。
⑴損害保険代理店(自己信託をなす者:委託者兼受託者)が,
11) 信託法改正要綱案1頁
⑵損害保険会社との約定または指示に基づく一定の目的に従い,
⑶損害保険会社(受益者)のために,保険料保管専用口座に保管された保 険料(預金債権)の管理または処分など,⑵において定められた目的の 達成に必要な行為を,
⑷損害保険代理店自らが行う旨の意思表示を,
⑸公正証書その他の書面又は電磁的記録に,信託法施行規則で定める事項 を記載し又は記録することによって,自己信託が設定される。
3.信託設定の実務
⑴書面記載事項(信託法施行規則3条)
保険料保管専用口座に係る預金債権に自己信託を設定する場合,公正証書 等の書面に記載すべき事項を例示してみよう。
①信託の目的
本件信託は,損害保険代理店Xが,Y損害保険会社と締結した損害保険 代理店委託契約そのほかYの指示に基づいて,Yの代理人として保険契約者 等から収受した保険料を適切に保管・管理するため,下記に指定する保険料 保管専用口座に係る預金債権を信託財産として,受託者Xが受益者Yのため に当該預金債権の管理・処分を行うことを目的とする。
②信託をする財産を特定するために必要な事項
下記に指定する預金口座に係る預金債権を信託財産とする。
○△銀行◇▽支店・普通預金口座番号××××××
預金口座名義人 Y損害保険株式会社 代理店 X
③自己信託をする者の氏名又は名称及び住所 氏名又は名称 X
住所 ………
④受益者の定め(受益者を定める方法の定めを含む。)
Y損害保険株式会社
⑤信託財産に属する財産の管理又は処分の方法
1.XがY損害保険会社代理店として収受した保険料は,遅滞無く保険料 保管専用口座に預け入れる。
2.Xは保険料保管専用口座に保険料以外の預入をせず,自己の財産と明 確に区分し保管する。
3.Xは,次に定める場合にのみ,保険料専用口座に保管された保険料の 払い戻しを行うことができる。
ア.XがYに保険料を送金する場合
イ.Xが損害保険代理店報酬を自己の所得とする場合 ウ.Xが保険契約者に対し保険料を返還する場合
エ.Xが保険料専用口座に生じた預金利息を自己の所得とする場合 オ.その他Yが指示する場合
4.Xは,Yとの約定そのほかYの指示に基づいて,毎月一定期日までに,
上記②で指定した保険料保管専用口座に保管された保険料の全部また は一部の払戻しを受け,払戻しを受けた金員から代理店報酬を控除し た残額をYに送金する。
⑥信託行為に条件又は期限を付すときは,条件又は期限に関する定め 本件信託は,XとYとの間で締結された損害保険代理店委託契約が存続 する間有効に存続する。
⑦法第163条第9号の事由(当該事由を定めない場合にあっては,その旨)
本件信託においては,法第163条第9号の事由は定めない。
⑧前各号に掲げるもののほか,信託の条項
Xは,保険料保管専用口座を開設する場合,Yの指示に従う。また,保 険料保管専用口座を変更した場合には,遅滞無くYに通知する。
Xは,保険料保管専用口座に生じた預金利息について,自己の所得とし て取得することができる。
⑵効力の発生
自己信託の設定を効力あらしめるためには,法4条3項各号の定めに従った
要式を具備する必要がある。一般的には, 受益者となるべき者として指定 された第三者に対する確定日付のある証書により当該信託がされた旨及びそ の内容の通知 を内容証明郵便で送付する方法で行うことになろう。
上記設例でいえば,損害保険代理店Xから,自己信託の受益者たるY損害 保険会社に対して,信託法施行規則で定められた事項を記載した書面を内容 証明郵便で送付することにより自己信託が有効に設定される。
自己信託が有効に設定される結果,保険料保管専用口座に保管された保険 料(預金債権)は,損害保険代理店の債権者による強制執行や相殺,損害保 険代理店の破産に伴う破産財団への組入れ等から隔離され,受益者たる損害 保険会社が確実に保険料を捕捉することが実現できる 。
4.小 括⎜自己信託設定の効果⎜
かつて,保険料保管専用口座をめぐる法律関係について,以下の4点が議 論されてきた 。そこで,自己信託を利用した保険料保管専用口座が設定さ れる結果,それらの各論点に与える影響を確認しよう。
⑴損害保険会社は金融機関に対して通帳・印鑑無しに保険料保管専用口座に 保管された金員を払出し請求できるか。
信託法上,受益者である損害保険会社は受託者たる損害保険代理店に対し て,自己信託の業務に関して強い監督権を有している。もっとも,こうした 監督権は,損害保険会社が 金融機関に対して通帳・印鑑無しに保険料保管 専用口座に保管された金員の払出しを行う ことまで許容するものではない。
ところで,損害保険会社の損害保険代理店に対する取扱保険料引渡請求権 は,損害保険代理店委託契約上の債権であるとともに,自己信託の受益者た る地位に基づく受益債権でもある(法2条7項)。
12) 同様の利害状況は,団体契約・団体扱契約における保険料集金者と保険会社 との関係にも認められ,この場面においても自己信託の活用可能性がある。
13) 鴻常夫監修 保険募集の取締に関する法律コンメンタール 174頁(松村寛 治執筆・安田火災記念財団・1993)
受益債権に係る債務は信託財産責任負担債務とされているから(法21条1 項1号),受益者である損害保険会社は保険料保管専用口座に係る預金債権
(信託財産)について強制執行等を行うことが可能と解される。
このように間接的な方法ではあるが,損害保険会社は自ら損害保険代理店 の保険料保管専用口座に係る預金債権を捕捉できる途は残されている。
⑵損害保険代理店の債権者は保険料保管専用口座に係る預金債権を差押えで きるか。
損害保険代理店の債権者は,法23条2項に基づいて保険料保管専用口座に 係る預金債権を差押えできる。
これに対して受益者(損害保険会社)等から異議の申立(法23条5項)が あったとき,債権者において,自己信託の委託者(損害保険代理店)は当該 信託の設定が債権者を害することを知っていたことを立証しなければ預金債 権の差押えはできない。
自己信託が債権者詐害・執行免脱の目的をもって濫用的に利用される場合 を除き,保険料保管専用口座がその目的で利用されている限り,同口座に係 る預金債権に自己信託を設定したとしても,一般論として,それが損害保険 代理店の債権者を害することにはならない。
かくして,真に保険料保管専用口座がその目的で利用されている限り,結 果的に損害保険代理店の債権者が保険料保管専用口座に係る預金債権を差押 えることは認められない。
⑶損害保険代理店が破産した場合,保険料保管専用口座に保管された金員は 破産財団に帰属するか,また損害保険会社の取戻権が認められるか。
信託財産は破産財団には属しない(法25条1項)。また,信託財産が破産 管財人によって破産財団に取り込まれた場合,新受託者は破産管財人に対し て取戻権を行使できる。さらに,新受託者等が信託事務の処理をするまでの 間,破産管財人が信託財産を処分しようとするときには,受益者たる損害保 険会社は破産管財人に対し当該処分の差止めを請求できる(法60条5項)。
⑷金融機関は自らの貸付債権等と保険料保管専用口座に係る預金払戻し債務
とを相殺できるか。
受託者がその固有財産のみをもって履行する責任を負う債務の債権者は,
当該債権をもって信託財産に属する債務と相殺をすることはできない(法22 条1項)。したがって,原則として,金融機関側が行う貸付債権等と保険料 保管専用口座に係る預金払戻し債務との相殺は認められない。
Ⅴ.実務に際しての課題
1.保険料帰属条項
⑴損害保険代理店委託契約の見直しの要否
自己信託は,自己の有する一定の財産の管理又は処分等信託目的を達成す るために必要な行為を自ら行うものである。そこで,保険料保管専用口座に 保管された保険料(信託財産=同口座に係る預金債権)は,自己信託の委託 者兼受託者である損害保険代理店が有する財産であることが前提となる。仮 に,保険料保管専用口座に保管された保険料が損害保険代理店以外の者の財 産である場合には,自己信託の法律構成が成立しない。
一方,現在使用されている損害保険代理店委託契約においては, 代理店 が領収した保険料および保険料専用口座は会社の所有物であり,会社に帰属 する。 という保険料帰属条項が挿入されている場合が多い。
かかる保険料帰属条項を維持する場合,自己信託の法律構成自体が成立し えないため,まずはその見直しの要否を検討する必要がある。
⑵保険料帰属条項の有効性
ところで,保険料帰属条項の有効性について以下の指摘がある。 金銭に おける占有者=所有者 のドグマを維持するときには,たとえ損害保険代理 店と保険会社との合意により収受保険料を保険会社の所有とすると定めたと しても,それは,金銭の占有者でない者のもとでの合意による金銭所有権の 創設を行うものであり,無効である。右のドグマは所有権の帰属秩序に関す
14) 大塚英明=東京代協法制委員会 損害保険代理店委託契約書コンメンタール 37頁(保険教育出版社・2001)
る強行法としてのルールに属するものだから,たとえ,これと異なる合意を したところで,保険会社が保険料の所有権を取得することにはならない 。
自己信託を利用するしないに係らず,上記指摘を踏まえて保険料帰属条項 の有効性について再検討の余地があるが,本稿ではこの問題提起に止める。
⑶監督指針との整合性
保険会社向けの総合的な監督指針 Ⅱ−3−3−5⑵は,
③所属代理店に対して,収受した保険料を自己の財産と明確に区分し,保 険料等の収支を明らかにする書類等を備え置かせているか。
⑤所属代理店に対して,受領した保険料等を受領後遅滞なく所属保険会社 に送金するか,又は,別途専用の預貯金口座に保管し,遅くとも保険会 社における保険契約の計上月の翌月までに精算するよう指導,管理して いるか。
として,収受保険料の専用口座における分別管理・保管を指示している。
もっとも,監督指針は,保険料保管専用口座または当該預金債権の所有権 の確定までは言及しておらず,自己信託を利用した保険料保管専用口座によ る保険料保管の方法は,監督指針には抵触しないと考えられる 。
2.信託業法の適用
信託業法は,自己信託の受益権を50人以上の者が取得できる場合に,内閣 総理大臣の登録を受けなければならないとしている(信託業法50条の2,信 託業法施行令15条の2)。ただし,受益者の保護のため支障を生ずることが ないと認められる場合はこの限りでないとし,信託業法施行令15条の3は,
①委任契約や請負契約における受任者等が管理する金銭等を自己信託する場 合(同5号・6号),②他人に代わって金銭の収受を行う者が当該金銭等を自
15) 潮見・前掲注2)金法1685号52頁
16) 仮に,損害保険会社が損害保険代理店に保険契約者に対する保険料債権を信 託譲渡する場合には保険業法上の問題に発展しかねないが,本稿で論ずるのは 保険料保管専用口座に係る預金債権に関する自己信託の設定であって,保険料 債権の信託譲渡を想定するものではない。
己信託する場合(同7号)等を内閣総理大臣の登録を要しないものとしてい る。
保険料保管専用口座に関する自己信託については, 弁護士又は弁護士法 人がその行う弁護士業務に付随して管理する金銭等その他の委任契約におけ る受任者がその行う委任事務に付随して管理する金銭等を信託財産として信 託法第3条第3号に掲げる方法によって信託をする場合 (信託業法施行令 15条の3第5号),または 他の者に代わり金銭の収受を行う者が当該金銭 の収受に付随して管理する金銭等を信託財産として信託法第3条第3号に掲 げる方法によって信託をする場合(前3号に掲げる場合を除く。) (同15条 の3第7号)のいずれかに該当すると考えられ,当該自己信託の内閣総理大 臣への登録は不要と解される。
3.自己信託の設定と金融機関実務
自己信託を利用した保険料保管専用口座の開設を金融機関が認めるかどう かは最も重要な問題である。
金融機関にとっては 相手方に自己信託が設定された場合には,相殺期待 が侵される場合があるので,実務上は自己の債務の帰趨につき常に把握して おくか,契約上,自己信託設定を含んだ処分禁止特約を設定しておくのが望 ましい 。 預金約款では,通常,譲渡質入れの禁止が規定されているが,
新信託法立法前に制定された規定でもあり,当然自己信託設定禁止といった 文言は明記されていない。…本規定が相殺期待を保護するものであることに 鑑みると,合理的解釈によって,自己信託設定についても禁止していると解 すべきと思料する。 と指摘されている。
一方,日々刻々に変化する普通預金債権を信託財産とすることが可能かと
17) 浅田隆 自己信託・事業信託から考えられる企業の対応 ひろば60巻5号38 頁42頁(2007)
18) 浅田・前掲注17)46頁。同旨として 座談会 銀行から見た新たな信託法 制−想定され得る設例を契機に− 金法1810号10頁(2007)42頁(浅田発言)
いう根本的な議論がある。この点, 回収金のみを入金するための専用の銀 行口座が開設される場合において,当該専用口座(全体)に係る預金債権を 自己信託することが可能であることについては,特段異論はないものと思わ れる と評価されており,いずれにせよ自己信託解禁後の金融機関実務の 動向を注視する必要がある 。
4.未預入金の手持ち保険料の取扱い
損害保険代理店が保険契約者から収受した保険料であって,かつ,保険料 保管専用口座に預け入れる前の保険料(いわゆる 未預入金の手持ち保険 料 )はいかなる取扱いが望まれるのであろうか。
未預入金の手持ち保険料も自己信託における信託財産に含めることが可能 であれば,損害保険代理店の倒産リスクから隔離することができる。
しかし,領収した保険料=金銭そのものを信託財産とする自己信託を設定 する場合,保険料領収の都度,自己信託に求められる要式を具備する必要が あり,事務手続やコスト負担の面から現実的でないと考えられること,保険 料を領収してから自己信託を設定するまでの間にコミングリングリスクが顕 在化する可能性があること等の理由から,日々,動く金銭そのものを自己信 託の信託財産とする方法は採用し難いと指摘されている 。
5.第三者の悪意・重過失等を推定させるプランニング
これまでに見たとおり,自己信託は,保険料保管専用口座で保管された保 険料を損害保険代理店の倒産リスクから隔離し,損害保険会社が保険料を確 実に捕捉し得る法律構成として極めて有効なツールである。
19) 普通預金の法的性質や担保化と相俟った議論があり,金融法委員会・前掲注 9)27頁が詳細に論じる。この点に関しては,道垣内ほか パネルディスカッシ ョン 新しい信託法と実務 ジュリ1322号30頁以下(2006),井上編著・前掲 注9)197頁を参照。
20) 浅田 自己信託解禁と銀行実務 金法1845号1頁(2008)を参照。
21) 金融法委員会・前掲注9)26頁
しかしこれも万能ではない。なぜならば,既述のとおり,相殺の場面や受 託者と受益者との利益相反が発生する局面においては,相殺を行おうとする 側や利益相反取引の相手方の主観的事情によっては,相殺や当該利益相反取 引が認められてしまう可能性が残されているからである(法22条1項,法31 条1項4号後段・同7項)。
このような結果を招来せしめないために,預金債権が信託財産であること を,関係当事者が明確に覚知しうる状況を作出しておく必要がある。
この点, 預金の場合,信託口であることが明示されるとか,通知されて いるとか,そういうプラスアルファが要求される といった指摘を参照し て,今後,実務上の工夫が求められる。
なお,自己信託の委託者兼受託者である損害保険代理店が,その信託財産 たる保険料保管専用口座に係る預金債権を勝手に第三者に譲渡した場合の法 律関係が問題となる。これは,信託財産に関する受託者の権限違反行為とし て,当該預金債権を譲り受けた第三者に悪意又は重過失があった場合のみ当 該譲渡を取消すことができ(法27条1項),この限りでしか受益者である損 害保険会社は保護されないことから,上記と同様,一層実務上のプランニン グが重要となる。
Ⅵ.損害保険会社の対応
1.多様なアプロ−チ
保険料保管専用口座で保管された保険料を損害保険代理店の倒産リスク から隔離し,損害保険会社が保険料を確実に捕捉し得る法律構成 は,第一 に,本稿で述べてきた自己信託を設定する方法がある。
第二に,自己信託のアプローチと同様,保険料保管専用口座に係る預金債 権が損害保険代理店に帰属することを前提に,損害保険会社が同預金債権に 質権等の担保権を設定して保全を図る方法がありうる。
22) 道垣内ほか パネルディスカッション ・前掲注19)32頁以下(沖野眞巳発 言)
第三に,保険料保管専用口座に係る預金債権自体を損害保険会社に帰属せ しめる方法,すなわち預金債権帰属アプロ−チが考えられる 。同アプロー チを実現するためには,最二小判平成15年2月21日の判示事項を参照して,
預金契約を締結する方法等を具体的に工夫する必要がある 。
もっとも, 金銭における占有者=所有者 の観念が維持される限り,同 判決が示した預金者認定に係る法理は揺るがし難い。この点, どうしても 預金債権の帰属を受任者(筆者注:損害保険代理店)帰属にせざるを得ない 場合で,かつ委任者(筆者注:損害保険会社)を保護したい場合には,預金 債権帰属アプローチではどうしようもなく信託アプローチをとるしかな く,
保険料事件では,今後は明示的な自己信託の方式をとることが期待され る と,預金債権帰属アプローチの限界が指摘されている。
2.アプロ−チの選択
いずれのアプローチを選択する場合も,損害保険会社はそれに要する有形 無形のコストを負担し,その他の実務上の支障を解消する必要がある 。損 害保険会社は,かかるコストや実務上の支障の解消に要する各種負担と,損
23) 新井・前掲注6)142頁は コミングリングリスクは,預金者の帰属の問題で ある。…回収金を…専用別口預金口座で保管していたなら,それは,信託でな くても倒産隔離機能が認められる余地はある とし, サービサーのコミング リングリスクは,預金債権の帰属の問題であり,信託宣言で解決できるもので はない と指摘している。
24) 御囲隆裕 損害保険会社からみた最高裁平成15年2月21日判決に関する実務 対応 銀法622号10頁(2003),拙稿 オピニオン 金法1683号1頁(2003),
同 損害保険代理店保険料保管専用口座の預金債権の帰属−最高裁平成15年2 月21日判決の論点と対応策− 保険学雑誌583号128頁(2003)。
25) 伊室亜希子 預かり金の信託的管理 米倉明編著 信託法の新展開 39,61,
74頁(商事法務・2007)
26) 例えば,自己信託の方法を採る場合には,自己信託の設定に要する費用負担 や,前述した損害保険代理店委託契約の保険料帰属条項改定に係る費用が想定 される。一方,預金債権帰属アプローチを採る場合には,保険料保管専用口座 の新規開設や定期的な残高把握等の管理に要するコストが考えられる。
害保険代理店の倒産等によって顕在化するであろうリスク量(損害保険代理 店の倒産等によって損害保険会社が捕捉不能となる可能性がある保険料相当 額)との比較衡量が求められる。
かくして,損害保険会社は,そうした比較衡量を踏まえた総合的な判断に 基づいて,保険料保管専用口座に係る法律関係にいかなるアプローチを採用 すべきか決する必要がある。
こうした損害保険会社のアプローチとは無関係に,今後は損害保険代理店 自身が,そのリスク管理や損害保険代理店委託契約上の保証人に生じうるリ スクを遮断するため,自己信託の設定を行うことが考えられる。
最二小判平成15年2月21日の判示事項を踏まえると,保険料保管専用口座 に係る預金債権は,結果的に損害保険代理店の責任財産に組み込まれる。か かる結果は,実質的には,損害保険会社が損害保険代理店の信用リスクを引 き受けるに等しく,こうした結果は極めて大きな影響がある。
損害保険会社には,保険料保管専用口座をめぐるさまざまなリスクを考察 しつつ各種の法律上のアプローチを比較衡量し,それらの結果を踏まえた総 合的な判断が求められるゆえんである。
Ⅶ.むすびに代えて
本稿では,保険料保管専用口座で保管された保険料を損害保険代理店の倒 産リスクから隔離し,損害保険会社が保険料を確実に捕捉し得る法律構成と して,自己信託の設定が極めて有効なツールであることを論じた。
もっとも,自己信託は解禁されたばかりであり,ビジネスにおける利用可 能性や,自己信託をめぐる精緻な法律論は今後の展開が待たれる。
一方,最二小判平成15年2月21日を踏まえて,保険料保管専用口座に関す るリスク管理という点からも議論の一層の深化が求められている。
自己信託に関する議論と実務の行方を引き続き注視していく必要性を強調 しておくとともに,本稿がそうした議論の一助となれば幸いである。
(筆者は株式会社損害保険ジャパン勤務)