救荒植物を利用した食教育・環境教育・防災教育の 可能性
著者 溝田 浩二
雑誌名 宮城教育大学環境教育研究紀要
巻 17
ページ 5‑11
発行年 2015‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1138/00000919/
救荒植物を利用した食教育・環境教育・防災教育の可能性
溝田浩二*
Food Education,
Environmental Education and Disaster Prevention Education utilizing Local Hardy Plants
Koji MIZOTA
要旨:東日本大震災を境にして,自然災害への備えは私たち一人一人の現実的な課題となりつ つある.本稿では,東北地方の災害(飢饉)の歴史を振り返りながら,そこに見られる非常時に 備えた食料確保の知恵を掘り起こし,自然災害を生き抜く知恵を学びうる「食教育・環境教育・
防災教育の教材」としての救荒植物の可能性を提示した.
キーワード:救荒植物,食教育,環境教育,防災教育,東日本大震災
*宮城教育大学附属環境教育実践研究センター
1. はじめに
2011年3月
11
日に発生した東日本大震災を機に,自然災害に備えることは私たち一人一人の現実的な課 題となった.あの日,多くの人々が食糧の“買い占め”
という行動に走り,首都圏のスーパーマーケットや コンビニエンスストアでは食料品の棚が空になったこ とは記憶に新しい.そのニュースを見聞した多くの諸 賢が,家庭での食料の備蓄の必要性を“他人事”では なく“自分事”として考えるようになったことだろう.
しかし,私たちは日常的にどのような食糧を蓄え,い ざというときにどう持ち出し,使いこなせばよいのだ ろうか.小泉(2011)は,「日頃から正しい食生活を 送ることによってのみ,いつでも持ち出せる食べもの を常備し,万一に備えることが可能になる」と指摘し ている.
非常時の食を考えるときに参考となるのが,江戸時 代に広まった「救荒植物」の利用に関する先人の知恵 である.救荒植物とは,「飢饉の際に食べることがで きて,飢えを凌ぐに足る野生植物」のことをいう(白
杉,
2003)
.救荒植物の概念は,15
世紀初頭に中国(明)で刊行された救荒書『救荒本草』によって確立され,
日本では江戸時代に飢饉対策として体系化されてきた.
江戸中期にはすでに
500
種以上の植物が(その利用法 なども含めて)古文書に記されている.日本では災害 が起きるたびに救荒植物が重視されてきたし,わずか 半世紀前まで救荒書はまだ実用書であった.東日本大 震災以降は,「自然災害を生き抜く知恵を学びうる教 材」として再認識され,新たな脚光を浴びつつある.「賢者は歴史から学び,愚者は体験してから学ぶ」
という言葉がある.東日本大震災という貴重な“体験”
から私たちが数多の教訓を得たことは疑う余地がない だろう.しかし,被災者の多くは「震災が起こる前に“歴 史”からもっとたくさんの教訓を学んでおけばよかっ た」と後悔したのではないだろうか.歴史を知ること は,私たちはどこから来て,どこへ向かうのかを見定 めるうえで,きわめて重要な意味を持っている.東日 本大震災を経験した今こそ,先人たちが生き抜いてき た歴史を見直し,私たちの暮らしの礎を組み直すこと が求められているように思われる.
本稿では,東北地方の災害(飢饉)の歴史を振り返 りながら,そこに見られる非常時に備えた食料確保の 知恵を掘り起こし,「自然災害を生き抜く知恵を学び うる教材」としての救荒植物の可能性を探りたい.
2. 江戸時代の飢饉と救荒書
飽食の時代といわれる今,私たちは年間をとおして 世界各地の食材を手に入れることができる.一見する と豊かな食生活を謳歌しているかのようであるが,毎 日の食素材の種類がさほど豊かなわけでもなく,季 節を問わず供給される野菜がもはや食卓から季節感を 奪っている印象すらある.日本の食料生産量は必要量
(カロリーベース)の
40
%を下回る不安定な状態にあ り,人口の過半数が集中する東京圏や関西圏におけ る食料自給率は10
%以下(大阪は2%,東京は1%)である(堀田,
2010
).もし食料輸入が途絶するよう な事態が起きたとしたら,多くの餓死者が出る可能性 さえある.鎖国政策をとっていた江戸時代の日本でも,食料の 確保は重要な問題であった.江戸時代には“小氷期”
と呼ばれる寒冷な時期が周期的に訪れ(前島,
1984),
寛永の飢饉(
1640-1643
),元禄の飢饉(1695-1696
), 享保の飢饉(1732-1733),宝暦の飢饉(1755-1756), 天 明 の 飢 饉(1783-1784
), 天 保 の 飢 饉(1833-1839
) といった大飢饉に断続的に襲われた(表1).寒冷地 である東北地方はとりわけ大きな被害を受け,天明の 飢饉では東北地方だけで30
万人以上の死者を出した という(渡辺,2009
).表1.江戸時代の気候変動と飢饉(前島,1984を改変)
小氷期 飢饉
第1小氷期(
1610-1650
) 寛永の飢饉(1640-1643
) 第2小氷期 (1690-1740) 元禄の飢饉(1695-1696
) 享保の飢饉 (1732-1733)第3小氷期(
1780-1880
) 天明の飢饉(1783-1784
) 天保の飢饉(1833-1839
)こうした飢饉や凶作を幾度となく経験してきた先 人たちは,「救荒植物」の重要性を強く認識しながら,
その利用の知恵を蓄積してきた.今でも自宅の玄関先 や軒下,屋敷のまわりなどに日常的に副食となる山菜 や薬草などを半栽培し,その間に生える野草までも食 料資源として利用しているのは,その証左である.私 が暮らしている山形県では,スベリヒユ,フキ,イタ ドリ,シロザ,スギナ,ヨモギなどの野草が日常的に 食卓にのぼる.これらの植物は,葉物野菜が途切れる
早春にはその代用となり,食糧難のときの救荒食とし て主食や副食の代用になったのである.
そのライフスタイルの源泉となっているのが,江戸 時代に盛んに刊行された救荒書である(表2).救荒 書とは,「およそ凶歳・飢饉の状況を記録し,飢饉に 備える心構えや荒政を述べ,飢えを凌ぐための草木の 採集・食べ方に関する知識を伝えようとする書の総称」
である(白杉,
2003
).江戸期に刊行された救荒書は60
点ちかくにのぼるが,救荒書が書かれ刊行された 期間はきわめて短い(川島,2007
).表2に代表的な 救荒書が示されているが,天明および天保の飢饉の前 後に集中して刊行されていることがみてとれる.日本初の「救荒植物」に関する出版物は,ちょう ど
300
年前に発刊された松岡悠庵の『救荒本草(1716
年)』である.1755
年には宝暦の飢饉が奥羽地方を襲 い,一関藩(仙台藩支藩)の藩医・建部清庵が地域社 会における飢饉体験や救荒食の伝承をすくいあげ,『民表2.飢餓年譜と出版された救荒書
西暦(和暦) 出版された主な救荒書 [著者]
【寛永の飢饉(
1640-1643
)】【元禄の飢饉(
1695-1696
)】1716
年 (享保元年) 救荒本草 [松岡悠庵]【享保の飢饉(
1732-1733
)】1736
年(元文元年) 長門周防両国本一名両国本草名【宝暦の飢饉(1755-1756)
】 1771
年(明和8年) 民間備荒録[建部清庵]【天明の飢饉(
1783-1784
)】1799
年 (寛政11
年) 救荒本草記聞 [小野蘭山]1801
年 (享保元年) 救荒本草便覧附救荒野譜便覧 [坂本慎]1802
年(享保2年) かて物書[上杉治憲]1824
年(文政7年) 衷葛録[大蔵永常]1828
年 (文政11
年) 救荒本草抜粋[加賀小松藩社倉編]〃 製葛録刻[大蔵永常]
1832
年(天保3年) 荒年充糧志[舘柳湾]【天保の飢饉(1833-1839)】
1833
年(天保4年) 備荒草木図(建部清庵)〃 忘飢草(半井宋)
〃 粗食教草(高井蘭山)
〃 救荒野譜啓蒙(小野職考)
1834
年(天保5年) 農家心得草(大蔵永常)1836
年 (天保7年) 救荒便覧前後両集(遠藤義学齋)間備荒録(1771年)』や『備荒草木図(1833年)』を 著した.後者は
104
種の食べられる野生植物を視覚 的に判別できるよう,精密な写生図が掲載された画期 的な救荒書で,「救荒植物」の知識を広く普及させる ことに貢献した.さらに,寛政12
年(1802年)には 米沢藩主・上杉鷹山(治憲)の命によって救荒食の手 引書『かて物書』が刊行された.この書は凶荒の際に 配布されただけではなく,その後も家中に継承されて いった.明治維新後の1890
年に米沢から60
人の旧藩 士が北海道開拓の屯田兵募集に応じて釧路に移住した 際にも本書が携行され,厳寒の気候に妨げられ思うよ うな開拓の進捗が得られなかった時にも,かろうじて 糊口をしのぐのに役立ったという(川島,2007
).こ のように江戸期を通じて,飢饉のたびに救荒書が発刊 され,少しずつ市民の間に救荒植物の利用が浸透して いったのである.3. 救荒植物の現代的意義
路傍の植物を食べる習慣のない人にとっては,救荒 植物はゲテモノ扱いされがちである.しかし,伝統的 な食文化として,各地で当たり前に食されてきた食材 でもある.これはローカルな自然環境と伝統的な食文 化が相まって形づくられてきた環境利用の好例でもあ る.日本各地の多様で繊細な自然環境に育まれた巧み な利用形態として,また,生物やその生息環境の理解 のしかたとして,私たちが救荒植物の利用から学ぶと ころは大きい.
歴史を振り返ってみると,私たち日本人は古の時代 より,季節の移ろいを楽しむ文化として「菜摘み」に 親しんできた.古今集にも,君がため 春の野に出で て 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ(あなたに 差し上げるため,春の野原に出かけて若菜を摘んでい る私の着物の袖に,雪がしきりに降りかかってくるこ とよ)と「菜摘み」の情景が詠まれ,万葉集には,ヨ メナ,クログワイ,ヒシ,コナギ,フユアオイ,オカ ノリ,オケラ,カタクリ,マコモ,セリ,タデ,ジュ ンサイ,ハス,ニラ,ヨモギ,ヤブカンゾウ,ワラ ビなどを食していたことが詠み込まれている(青葉,
1989
).それから1000
年以上の時を経た現在も,春の 七草(セリ,ナズナ,ゴギョウ,ハコベラ,ホトケノザ,スズナ,スズシロ)を味わう伝統行事が健在であ る.野草を楽しむ文化は私たちの暮らしに完全に溶け 込み,路傍の食べられる野草を持続的に利用してきた 生きるための知恵も確かに息づいている.
ところで,ちょうど
20
年前の1995
年1月に阪神 大震災が発生した.このとき,「菜摘み」の文化に培 われた救荒植物利用の知恵は少しでも役立てられたの であろうか.阪神大震災の後に発行された調査論文で は,「避難所生活が長引くにつれて被災者の栄養バラ ンスが崩れ,とくに野菜や果物からとるべきビタミン 類が不足した」と報告されている(たとえば,金沢,1995;
森下・久保,1997
).同時に,「被災地周辺には食用可能な雑草が少なくとも
49
種自生していたにも 関わらず,食用となる雑草の利用は全く認められな かった」とも報告されている(梅本,1996
).現代の 飢饉ともいえる大規模地震などの自然災害が起こった 時でさえも,救荒植物はまったく利用されることがな かったのである.梅本(
1996
)はその理由として,食用になる救荒植 物に関する有効な知識および実地経験が世代間で断絶 していること,救荒植物を利用する知識が欠如してい ること,消費専門という硬直化した集団が出現してい ること,生産現場と消費現場とが著しく乖離している こと,食用となる植物のマクロ分類が硬直化している こと,等を挙げている.さらに,その背景には,①家 庭内で伝統知識が十分に後代に伝えられていない,② 地域に非常用の植物生産区画地がなく,日頃から十分 な対策が練られていない,③義務教育課程で救荒植物 の学習が行われていない,といった問題があると指摘 している.これらの阪神大震災における救荒植物利用 に関する調査結果は,大規模地震などの自然災害を「生 き抜くための力」を獲得するためには,身近な救荒植 物の利用という観点から,あらゆる世代が,日常的に,食教育・環境教育・防災教育に取り組むことの必要性 があることを明示しているように思われる.
4. 救荒植物を利用した環境教育, 防災教育,
食教育の可能性
梅本(
1996
)が指摘したように,現在の地域社会や 学校教育現場には,伝統知識の継承,非常時への備え,救荒植物の学習,等は非常に困難な状況である.しか し,その解決に向けて,私たちにできることも少なか らずあるはずである.
宮城教育大学では,
2007
年度に大きな教育カリキュ ラムの改革を行い,環境教育やESD
の学部カリキュ ラムへの浸透を図ってきた.この時に基礎教育科目「環境教育概論(1年生対象)」を必修化したが,これ は日本学術会議環境学委員会環境思想・環境教育分 科会(
2008
)による「すべての教員養成課程受講者 に対して環境教育を義務付けるべきである」との提言 に先立つ画期的なものであった(溝田,2013
).さら に,東日本大震災を経験した2012
年度からは,防災 教育を組み入れた環境教育の充実をはかる必要性から,講義名を「環境・防災教育」と改めた.「生きる力」
を育もうとしてきた環境教育は,「生き抜く力」を獲 得するための防災教育と向きあおうとしている(関,
2013
)のである.環境教育,防災教育,さらに食教育の融合に向け,
筆者は
2014
年度から「伊達政宗が奨励した“食べら れる庭”をモデルとした学校ビオトープの構築」とい う研究テーマに取り組んでいる.仙台は「杜の都」と 称されるほど緑の多い街であるが,その由来は仙台藩 の武将・伊達政宗(1567-1636
)が武家屋敷に多くの 樹木を植えることを奨励したため,屋敷林が杜のよう につながって見えたことにある(菊池,2008
).天災 や飢饉に備えて,屋敷内にウメ,モモ,カキ,クリな どの植樹や屋敷菜園を奨励し,自給自足を可能とする「食べられる庭」づくりを進めた.また,屋敷まわり にはケヤキ,スギ,マツなど,用材や燃料材となる樹 木を育て,自給自足の地域づくりを推進した.そこは
“一木一草,無駄なものなし”といわれる程に屋敷内 が自給的な空間であり,暮らしに必要なものとすべて 結びついていた(結城,
2001
).そうした屋敷の連な りが「杜の都」を作り上げたのであった.仙台の街づ くりの歴史から学ぶべきことは多く,筆者はそこに環 境教育,防災教育,食教育の融合に向けた活路を見出 そうとしている.そして,梅本(1996
)が指摘した問 題点について,以下のような対応を構想している.①伝統知識の継承に関する問題の解決に向けて 東北地方で利用されている救荒植物をリストアッ
プし,それぞれの採集時期・方法,調理・利用法な どの情報を整理した「救荒植物データベース」を構 築する予定である.まずは,佐合(2012)に掲載さ れている救荒植物
263
種(表3)に関する情報の整 理から始めており,このうち30
種あまりを既に試 食している.このデータベースを活用することによ り,学校現場で環境教育・防災教育・食教育に活用 しやすくなり,救荒植物利用に関する知恵が世代間 で受け渡すことも可能となると考えている.②非常時への備えに関する問題の解決に向けて 「救荒植物データベース」でリストアップした救 荒植物を栽培・展示した「救荒植物園」を整備する 予定である.これを教員を志望する学生や現職教員 への研修で活用することにより,体験を通して環 境教育・防災教育・食教育を効果的に学んでもらい,
非常用の植物生産区画地を学校現場や家庭に広げて いきたい.
③ 救荒植物の学習に関する問題の解決に向けて 「救荒植物データベース」と「救荒植物園」を活 用して,環境教育・防災教育・食教育のエッセンス を含んだ学習プログラムを開発する予定である.被 災地を中心とした教育現場で活用してもらうことに より,救荒植物の学習の機会を提供しながら,新し い発想による復興教育学の形を提案したい.
これらの取り組みにより,学校に自給自足できる 環境を整え,サバイバル技術を習得する機会を提供 することになる.植物をただ眺めているだけではな く,それに触れ,食べて味わうという行為に至るこ とは,植物と人間との深い絆を我がものとする体験 でもある.救荒植物には,その可能性が十分に秘め られている.
あとがき
東日本大震災から早4年が過ぎようとしているが,
今なお被災地では復興への歩みが進められている.そ こは防災教育を含め,もっとも環境教育が必要である はずの教育現場であるが,環境教育に積極的に取り 組むだけの余裕がないという現実もある.だからこそ,
被災地の教育現場が過剰に疲弊することのないように,
人的支援を含めた対応のもとで,防災教育を組み入れ
た環境教育の充実を図る必要がある(関,
2013).折
しも,2015
年3月14
日~18
日にかけて,仙台市で 第3回国連防災世界会議が開催される.東日本大震災 の経験や教訓,防災や減災,復興に向けた取り組みを 世界に発信しつつ,世界的な防災戦略が議論される重 要な会議である.東日本大震災という困難を乗り越え,新しい社会を創りあげること.それはかつて先人たち が通った道であり,また未来の子孫たちのために,私 たちに課せられた使命でもある.これからの未来を生 き抜いていくために,歴史から学ぶべきことはまだま だたくさんあるように思われる.
本研究は
JSPS
科研費(No.26560078
)の助成を受 けて実施された.引用文献
青葉高
1989.
『野菜の博物学―知って食べればもっとオイシイ!?』.講談社ブルーバックス,258pp.
堀田満
2010.
飢饉と救荒植物―ヒトの命をつないできた植物
.
総合地球環境学研究所編『地球環境学事 典』,弘文堂,pp.460-461.
金沢和樹 1995.緊急時の食糧
.
神戸大学震災研究会 編『阪神大震災研究1大震災100
日の軌跡』,神戸 新聞総合出版センター,pp.99-102.川島昭夫
2007.
飢餓と救荒植物―インド,日本,ヨー ロッパ.人環フォーラム,21 : 42-47.菊池慶子
2008.
『「杜の都・仙台」の原風景』.南北社,72pp.
小泉武夫 2011. 『賢者の非常食』,IDP出版,193pp.
前島郁雄
1984.
歴史時代の気候復元―特に小氷期の 気候について―.地学雑誌,93(7): 413-419.
溝田浩二
2013.
持続発展教育と環境教育(上)[連載 宮城教育大学持続発展教育(ESD)と大学教育⑥].文部科学教育通信,
326 : 26-27.
森下敏子・久保加織
1997
.阪神大震災後の避難所に おける支給食の実態および補食の効果―神戸市東灘 区の場合―.日本調理科学会誌,30
(4): 347-354.
日本学術会議環境学委員会環境思想・環境教育分科
会
2008.
提言「学校教育を中心とした環境教育の充実に向けて」,
103pp.
佐合隆一
2012.
『救荒雑草―飢えを救った雑草たち』, 全国農村教育協会,192pp.
関礼子
2013.
「生きる力」と「こころの堤防」―東日本大震災後の環境教育と防災・減災教育―.学術の 動向,
18
(12
): 46-51.
白杉悦雄 2003. 「民間備荒録」の世界―救荒植物の発 見
.
東北学,8:154-165.
梅本信也 1996. 阪神大震災で救荒植物は役立ったか.
近畿作育研究,
41:51-53.
渡辺尚志 2009. 『百姓たちの江戸時代(ちくまプリ マー新書
110
)』,筑摩書房,176pp.
結城登美雄 2001. 伊達政宗の「食べられる地域づ くり」政策―
400
年前のミティゲーション.
ビオシ ティ,21 : 33-36.■シダ植物
◯コバノイシカグマ科
1.
ワラビ◯ゼンマイ科 2.ゼンマイ
◯トクサ科 3.スギナ
◯ハナヤスリ科 4.ナツノハナワラビ
5.
フユノハナワラビ◯イワデンダ科
6.
クサソテツ■単子葉植物
◯ガマ科
7.
ガマ、コガマ◯ヒルムシロ科
8.
ヒルムシロ◯オモダカ科 9.オモダカ 10.クワイ 11.サジオモダカ
◯イネ科 12.アワ
13.
エノコログサ14.
カヤ(チガヤ)
15.
カラスムギ16.
シバ(ノシバ)
17.
スズメノテッポウ18.
スズメノヒエ19.
ハトムギ20.
ヒエ21.
マコモ 22.ムツオレグサ 23.ヨシ◯カヤツリグサ科 24.クログワイ 25.ウキヤガラ 26.フトイ
◯ツユクサ科
27.
ツユクサ◯サトイモ科
28.
ショウブ◯ユリ科
29.
ノビル
30.
ギョウジャニンニク 31.キジカクシ32.カタクリ 33.キスゲ
34.ニッコウキスゲ 35.ワスレグサ
(カンゾウ、ヤブカンゾウ)
36.
ギボウシ37.
イワギボウシ38.
オニユリ39.
コオニユリ40.
タケシマユリ41.
アマドコロ42.
ツルボ43.
シオデ44.
タチシオデ 45.ヤマガシュウ 46.アマナ47.キバナノアマナ 48.クサスギカズラ 49.シライトソウ 50.シロバナノエンレイソウ
51.
ナルコユリ
52.
ヤブラン◯ヒガンバナ科
53.
ヒガンバナ◯ヤマノイモ科
54.
トコロ(オニドコロ)
◯ラン科
55.
オニノヤガラ■双子葉植物
◯クワ科 56.カナムグラ 57.クワクサ
◯イラクサ科
58.
アカソ59.
イラクサ60.
カラムシ61.
ウワバミソウ
62.
ムカゴイラクサ◯タデ科
63.
ミゾソバ 64.ミチヤナギ(ニワヤナギ)
65.スイバ 66.ギシギシ 67.イタドリ 68.イヌタデ
69.
オオイタドリ70.
ヒメスイバ71.
ヤナギタデ◯アカザ科
72.
シロザ(シロアカザ)
73.
ホウキギ74.
マツナ75.
ハマアカザ◯ヒユ科 76.イノコズチ 77.イヌビユ 78.アオビユ 79.ノゲイトウ 80.ヒユ
◯ヤマゴボウ科
81.
ヤマゴボウ◯ツルナ科
82.
ツルナ◯スベリヒユ科
83.
スベリヒユ◯ナデシコ科
84.
ミミナグサ85.
ウシハコベ86.
ハコベ 87.ナデシコ(カワラナデシコ)
◯スイレン科 88.ジュンサイ 89.オニバス
◯キンポウゲ科
90.
センニンソウ91.
キツネノボタン92.
ニリンソウ93.
オダマキ◯メギ科
94.
イカリソウ◯ケシ科 95.クサノオウ 96.エンゴサク類
◯アブラナ科 97.ハタザオ 98.ナズナ 99.タネツケバナ
100.
コンロンソウ101.
イヌナズナ102.
グンバイナズナ103.
スカシタゴボウ104.
イヌガラシ105.
クジラグサ106.
ナタネナ107.
ミズタガラシ◯ベンケイソウ科 108.キリンソウ 109.ホソバノキリンソウ 110.ベンケイソウ
◯ユキノシタ科 111.ダイモンジソウ 112.ユキノシタ
◯バラ科
113.
キンミズヒキ114.
ヘビイチゴ115.
カワラサイコ116.
ツチグリ117.
ワレモコウ118.
シロバナヘビイチゴ119.
ダイコンソウ◯マメ科
120.カワラケツメイ 121.イタチササゲ 122.クズ
123.クサフジ 124.ナンテンハギ 125.インゲンマメ
126.
ウマゴヤシ127.
クサネム128.
シナガワハギ129.
シロツメクサ 表3.佐合(2012)に掲載されている救荒植物一覧130.スズメノエンドウ
131.
タンキリマメ132.
ヌスビトハギ133.
メドハギ134.
ヤハズソウ135.
ヤブマメ136.
レンリソウ137.
アズキ◯カタバミ科
138.
タチカタバミ139.
カタバミ◯フウロウソウ科 140.ゲンノショウコ
◯ハマビシ科 141.ハマビシ
◯ヒメハギ科
142.
ヒメハギ◯トウダイグサ科
143.
エノキグサ144.
ニシキソウ◯ツリフネソウ科
145.
ホウセンカ◯ブドウ科
146.
ノブドウ(ヤマブドウ)
◯アオイ科 147.ゼニアオイ 148.フユアオイ
◯スミレ科 149.スミレ
◯ミソハギ科
150.
ミソハギ◯ヒシ科
151.
ヒシ152.
ヒメビシ◯アカバナ科
153.
アカバナ◯ウコギ科
154.
ウド◯セリ科 155.ノダケ 156.ハナウド 157.セリ 158.ヤブジラミ
159.シャク
160.
ハマゼリ161.
ミシマサイコ162.
ヤブニンジン◯サクラソウ科
163.
ヌマトラノオ◯イソマツ科
164.
ハマサジ◯ミツガシワ科
165.
アサザ166.
ミツガシワ◯リンドウ科 167.リンドウ
◯ガガイモ科 168.ガガイモ 169.スズサイコ
170.
ロクオンソウ(ヒゴビャクゼン)
◯アカネ科
171.
ヤエムグラ172.
キバナノカワラマツバ173.
アカネ
174.
ハシカグサ◯ヒルガオ科
175.
ヒルガオ◯シソ科 176.シロネ 177.ウツボグサ 178.クルマバナ 179.エゴマ 180.オドリコソウ
181.
シソ
182.
ナギナタコウジュ183.
メハジキ
184.
カキドオシ185.
コガネバナ(コガネヤナギ)
◯ナス科
186.
ホオズキ187.
イヌホオズキ 188.ヒヨドリジョウゴ◯ゴマノハグサ科 189.クガイソウ
(トラノオ)
190.イヌノフグリ
191.
カワジシャ◯ゴマ科
192.
ゴマ◯キツネノマゴ科
193.
キツネノマゴ◯オオバコ科
194.
オオバコ195.
エゾオオバコ196.
トウオオバコ197.
ヘラオオバコ◯オミナエシ科 198.オミナエシ
◯マツムシソウ科 199.マツムシソウ
◯ウリ科
200.
アマチャヅル201.
カラスウリ202.
キカラスウリ203.
ヘチマ◯キキョウ科
204.
ツリガネニンジン205.
ニオイシャジン206.
ソバナ
207.
ツルニンジン208.
ヒメツルニンジン 209.シデシャジン 210.キキョウ 211.サワギキョウ 212.ホタルブクロ◯キク科
213.
タビラコ214.
オニタビラコ215.
ノコギリソウ216.
ノブキ217.
モミジハグマ218.
ヨモギ219.
オオヨモギ(ヤマヨモギ)
220.
カワラヨモギ 221.ノコンギク 222.ヨメナ 223.オケラ 224.センダングサ225.ヨブスマソウ
226.
コウモリソウ227.
ヤブレガサ228.
アブラギク(シマカンギク)
229.
チョウセンアザミ(アーティチョーク)
230.
センボンヤリ231.
ハハコグサ232.
アキノハハコグサ233.
チチコグサ 234.キツネノアザミ 235.ヤクシソウ 236.ニガナ 237.ジシバリ 238.タカサゴソウ239.
アキノノゲシ240.
コウゾリナ241.
シラネアザミ242.
キクアザミ243.
ミヤコアザミ244.
ハチジョウナ245.
アキノキリンソウ246.
ヤマボクチ247.
タンポポ類248.
ガンクビソウ 249.キク250.キクイモ 251.キンセンカ 252.ゴボウ 253.シュンギク
254.
タカサブロウ255.
ツワブキ256.
ハンゴンソウ257.
ヒゴタイ258.
ヒヨドリバナ259.
フキ