「画家にして騎士、 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ・ダ・カドーレの生涯」 ⑶
【翻訳】カルロ・リドルフィ
訳 森田義之・細野喜代
一五四八年に、ティツィアーノは︵彼をどの画家よりも高く評価していた︶ファルネーゼ枢機卿によってローマに召喚され ︵1︶、再度、教皇
パウルス三世の肖像画を描いた。それは教皇が腰かけてオッタヴィオ公とファルネーゼ枢機卿と話をしている場面で、二つともティツィ
アーノのお気に入りの肖像であった ︵2︶。同じ教皇のために、彼はエッケ・ホモ︵この人を見よ︶の形式で膝丈までのキリストを描いたが、
その顔には苦しみの感情に満ちていながら神の許しの光が輝いていた ︵3︶。キリストは人間の浅ましさによってもたらされた苦痛を深い謙譲
の心で受け止めており、そのようすが我々の目に涙をもたらし心に同情を引き起こすのである。
この作品とは別に、彼は改悛の涙を浮かべているマグダラのマリアの像を描いた ︵4︶。彼女は罪深い人生を送っていたときに着ていた扇情的
な服を脱ぎ捨てて粗末な衣をまとい、天国について黙想している。
オッタヴィオ公のために、ティツィアーノはたいへん美しい等身大 のダナエ ︵5︶を描いたが、ミケランジェロはそれを見たあと、稀に見る逸品だと称賛し、これ以上うまく色を使いこなすのは不可能だと述べた。
これを聞いたヴァザーリは、ティツィアーノは素描力に難点があると強い調子で反論した ︵6︶。しかしティツィアーノはあらゆる識者から女性
の肉体を表現することにかけては常に比類のない存在であると見なされてきたし、それには解剖学の知識や力のこもった表現は必要ではな
く、ある種の柔らかさと品のよい調和さえあればいいし、女性的な柔らかさに対する審美眼をもっている人ならば、それ以上のことを要求
することはないはずである。もっとも、そうした彼の描きかたをどんなに真剣に模倣しようとしても、うまくいく画家はめったにいなかっ たはずであるが。 ティツィアーノはまた、ヴィーナスのもとを去ろうとしている等身大よりやや小さめのアドニス像を描いた ︵7︶。彼女は、柔らかな両腕で艶美な鎖をつくって彼を引き止めようとしている。一方、アドニスは自らの不運な出来事を予示している。というのもこの若者はヴィーナスの抱擁をふり払って今まさに出発しようと一歩を踏み出しているからである。この神話画は、その自然らしさゆえに見る者すべての心を動かし、こう言わしめることだろう。 ﹁
不幸なアドニスよ、どんな道を辿るつもりなのか。野生の猪の逆毛だった毛皮の下に隠れて、好戦的な神がお前を待ち受けているのが
わからないのか。恐ろしい野獣と出くわすよりも、生き生きと脈打つ象牙のように白い女神の胸に身を埋めるほうがずっと甘美であろう
に。哀れな若者よ、お前の向こう見ずな勇気はお前をどこに導こうというのか。迷い鹿を追いかける儚い行為がお前をどこに導こうとする
のか。どんな運命が、お前を寝床から棺へと、快楽から死へと案内するのか。ああ、真っ赤な血にまみれたお前の肢体をヴィーナスにさら
すことは、どんなにお前の女神を悲しませるだろうか! それなのに軽率な若者は、犬たちの吠え声に駆り立てられて狩りに出発する。女
神の艶めかしい吐息も、彼女の美の楽園も彼を引き止めることはできない。空はすでに暗雲で覆われ、美しいアドニスの死を予告してい
る﹂。同じようなやり方で、ティツィアーノは、虎さえ柔和にし、岩の心まで動かすような女神の美しさと魅力を表しながら、この出来事
を描き出した。
今日これらの絵はローマのファルネーゼ卿の宮殿にある。そして
ティツィアーノは、それらに対する報奨として、教皇からの褒美に加えて、息子のポンポニオのためにかなりの収入をもたらす聖職禄を 賜ったが ︵8︶、その一方で、息子にチェネダの司教職を与えるという教皇の申し出を辞退した。ティツィアーノはそれが息子にふさわしい役職
とは思わなかったからである。ほとんどの場合、卓越した父親というものは親の資質を分かちもつ息子を持つことがない。そこで、教皇は
ティツィアーノを自分の宮廷に留めておこうとして、フラ・セバスティアーノ ︵9︶の死後に空席になっていた印 ピオンボ璽官の役職を与えようと提案
した。しかし、ティツィアーノは、教皇に謝意を表したあとで、妬みや憎しみ、見栄の張り合い、迫害によって退廃したローマの宮廷から、
ともに親しく語り合い時を過ごしたピエトロ・アレティーノや彫刻家のヤコポ・サンソヴィーノ、フランチェスコ・ダル・モザイコ ︶10
︵などの
親しい友人たちとのこれまでと変わらない自由な交友を享受するために、故郷の都市に戻ることを望んだ。たとえ齢を重ねても、お世辞な
しで長所を認め合い、打ち解けられることは心穏やかな喜びだったのである。
同じ年の末に ︶11
︵、皇帝カール五世の要請を受けて、ティツィアーノは若い弟子や召使いから成る立派な従者団を従えて、皇帝の宮廷に赴い
た。このとき彼は皇帝陛下に、石板に描かれた死せるキリストの絵 ︶12
︵
と、まるで生きているように見えるヴィーナス像の逸品 ︶13
︵を携えて行っ
た。そしてそこで、ティツィアーノは、黄金の陰刻模様で飾られた光り輝く鎧を着込んだ老齢の皇帝の肖像画を描いた。皇帝の肖像を描い
たのはこれが三度目で、それらは多くの模写によって見ることができる ︶14
︵。このときのティツィアーノについては、次のようなことが言われ ている。肖像画を描いている最中に、彼は絵筆を落としてしまった。すると皇帝が腰をかがめてそれを拾ったので、ティツィアーノはとっ
さに﹁陛下、臣下のひとりである私には過ぎたる光栄です﹂と述べた。これにカール皇帝は﹁ティツィアーノこそ皇帝の奉仕を受けるに
値する﹂と答えた、という。
さらにティツィアーノが皇帝のためにある部屋をぐるりと飾るオー ストリア・ハプスブルク一族 ︶15
︵の一連の著名人像を描いていたとき、皇帝がそこにティツィアーノの自画像も付け加えるように望んだので、
画家は皇帝の命に従って最後の場所に自分自身の肖像を描いた。すると、ティツィアーノが皇帝のために描いた多くの作品にたいする報酬
として︵ティツィアーノが皇帝の肖像を描くたびに頂戴していた一千スクードといういつもの画料に加えて︶、寛大この上ない皇帝は、自
らの黄金の剣をその不屈の手に取り、ティツィアーノに宮廷伯の称号を授け、画家の子孫にも数々の特権とともに貴族の称号を与えること
にした。皇帝が画家の才能を高く評価していたことは、一五五三年 ︶16
︵にバルセロナでティツィアーノに与えた特権からも明らかである。これ
らの特権については画家の栄誉に関するものだけに留めておこう。そうするのは、記録を簡略化するためであり、また非難者たちの疑念を
払拭し、人々の好奇心を満たすためである。以下の引用を見れば、絵画の技量がほかのどんな高い名誉にも匹敵することがよくわかるだろ
う。
カール五世。神聖ローマ帝国皇帝、ドイツ王、スペインの二つの領国の王、両シチリア王国の王、エルサレム王、ハンガリー王、
インド王等々。
神聖ローマ帝国に忠実にして、最愛なる、著名なティツィアーノ・ヴェチェッリオに、黄金の騎士および聖なるラテラーノ宮殿
の伯爵、皇帝の宮廷と帝国会議の伯爵、皇帝の恩恵とあらゆる福利を与えん。
神のご加護により、余が皇帝位に就いて以来、余の慈悲心、愛顧、
恩恵をもって、貴殿のごとき方々、とりわけ稀に見る忠誠心と敬意を神聖ローマ帝国に抱き、創意にあふれる技量と並外れた才能
を賦与され、自由学芸と絵画の技能において著名で傑出している貴殿のごとき方々に名誉を授けることがわれわれの慣例となって
いる。それゆえ、余は、神聖ローマ帝国に対する貴殿の稀に見る忠誠心と敬意、加えて貴殿の並外れた天賦の才能、実物に忠実に
人物像を描く精妙な絵画芸術はまさしく今世紀のアペレスと呼ばれるに値すると考えている。確かに余は、わが祖たるアレクサン
ドロス大王やオクタヴィアヌス・アウグストゥス
︱
前者はもっぱらアペレスによって、後者は優れた画家によってのみ自分の肖像が描かれることを望んだ
︱
と同じというわけではないが、技量のない画家たちや下手でぶざまな絵画の技によって余の栄光が後世の人々のあいだで決して失われることがないように、貴殿に余の肖像画を描く仕事を一任した。余は、貴殿の業績と違わず、
貴殿の卑しからぬ人品が帝国の諸称号を受けるにふさわしいかどうかを検分してきたが、それは貴殿に対する余の寛容さを世に示 すとともに後世の人々に貴殿の才徳を証言するためであった。
余の自由な意思、確固たる識見、思慮深く、健全な精神により、また諸侯会議、伯爵、公爵、貴族、その他の余と神聖ローマ帝国
から寵愛を受けている人々の同意をもって、また満々たるわが皇帝の権威をもって、汝、上記のティツィアーノの地位を高めるた
めに、聖なるラテラーノ宮殿の伯爵、余の宮廷である帝国会議の伯爵の称号を授け、また、寛大にも貴殿を宮中伯の称号によって
顕彰するものとする。現在の身分にふさわしく余は貴殿を昇進させ、新たな役職に任命し、権限を拡大し、顕彰する。余は喜んで
宮中伯の一員として貴殿の名を書き加えよう。帝国の勅令が決議され確定されれば、今後貴殿は、慣例や法律によって他のラテラー
ノ伯爵に認められているあらゆる特権と寵愛、法的権利、得点、栄誉、免税、報酬を利用し享受することができ、またそうすべき
である ︶17
︵。
この勅令には、さらに公証人の選任、裁判官の任命、非嫡出子の認
知、その他特別な引き立てなどの宮中伯に与えられた通常の権限が続くが、それについては省略し、ここではティツィアーノの権益に関す
る部分だけを記すこととする。
貴殿に対する余の十分なる慈悲心と好意を示すべく、貴殿を通じて、すべての貴殿の子孫たちに余の関心がおよぶこと、また彼ら
は貴殿の例に倣い、余の寛大さに導かれて容易に品行方正なる美徳を身につけるだろうこと、また彼らが貴殿を見習うべき模範と
するだけでなく、代々彼らが真に永続的な栄光と高貴さの源から発していることを明らかにすべく、余は上記の意志と認識、諮問、
精神、権威、そして権限をもって、以下のように定める。
貴殿こと、上記のティツィアーノ、および貴殿の現在の男女の子供と将来生まれる子供たち、彼らの相続人と子孫たち末代までに
およんで、その地位を確固たるものと定める。また余の決定に従い、余が貴殿に授けた貴族の氏名、称号、位階、権威、任務を彼
らにも与える。そして、高貴な人物の常として、余は、貴殿の父方、母方の祖先すべてを四代前まで遡って高貴な一族、家系、貴
族の親戚であることを明言する。また余は貴殿たちの地位と階級が権威あるものとして見なされ、命名されることを希望する。こ
の帝国勅令とともに、今後、上記のティツィアーノと上記の貴殿の子供たち、相続人、子孫たちが、未来永劫あらゆる国と地域で、
法律的、宗教的、世俗的な事柄において、彼らが聖職者であれ俗人であれ、特別な言及がなされるように配慮されねばならない。
そして、父方、母方ともに四代前から貴族であった家系に生まれた神聖ローマ帝国の宮廷の他の貴族たちが、慣例や法律や権力に
よって利用、行使、享受してきたあらゆる、あるいは各々の職務、判決、公使権、特権、名誉、役職、法律、選挙権、勲章、特典、
寵愛、寛容を、貴殿たちは行使し、享受することができる。貴殿ティツィアーノ・ヴェチェッリオが、余の好意を得て、帝国の勅
令と皇帝の権威によって、黄金拍車の騎士に任命されたのと同様に、余は貴殿たちを黄金拍車の騎士に昇進、制定、任命し、その 地位を追認する。そして寛大な心をもって貴殿たちに黄金拍車の騎士の称号を与える。今後は獲得した地位にふさわしく、貴殿たちは剣、頚飾、拍車、甲冑、金のメダルを身に着け、軍事行為と職務を遂行しなければならない。また、余が任命した他の黄金拍車の騎士たちと同様に、慣例や法律によって定められた特権、権力、特典、名誉、習慣、選挙権、自由、勲章、恩恵、寛大な処遇を享受することになろう。
そして皇帝はティツィアーノに授けたこの称号をさらにいっそう燦然と輝かせるために、ミラノの国庫から毎年二百スクーディを彼に与
えることとし、息子のポンポニオにはミラノ大聖堂の聖職禄を、もう一人の息子オラツィオにはスペインの市民権と五百スクーディの年金
を与えた。ティツィアーノは皇帝陛下とたいへん親しい関係になったので、皇帝の許可を得てその部屋に出入りするようになり、また皇帝
が大使たちと旅するときにはどこへでも付き従うようになった。こうしたことからも、この卓越した画家が到達した高い栄誉を理解するこ
とができるだろう。それは幸運の女神の報いを得ただけの人たちには決して達することのできない立場である。事実、幸運の女神に見放さ
れた優れた才能の持ち主はいるが、彼らに美徳がそなわっていることはめったにない。反対に、美徳は、それを助ける人たちからないがし
ろにされるだけでなく、格言にもあるように、困難な状況に陥った人たちから虐げられさえするのである。
この寛大な皇帝がティツィアーノに与えた並外れた栄誉は他の人々や他の諸侯たちの心に妬みを生みだした。彼らは、皇帝が一人の画家
とばかり親しくなり過ぎていると言って、皇帝の人間性を非難した。その結果、多くの画家たちは宮廷に雇ってもらうために多大な苦労を
要することになったのである。皇帝はそのことを知ると、諸侯は見つけようと思えばいくらでもいるが、ティツィアーノはたった一人しか
いないのだ、と述べた。一方、ティツィアーノは、賢明にも自分に与えられた好意をいかに用い、いかにうわべを繕って競合者たちに愛想
よく振舞うかを心得ていたが、これは宮廷で最も必要とされる能力なのである。同じころ、ティツィアーノはスペインのフェリペ皇太子の
肖像を描いたが ︶18
︵、それについてピエトロ・アレティーノが次のような詩を詠んでいる。
あの気高く真摯な決意が 神聖な雰囲気につつまれた偉大なるフェリペから輝き出で、
彼の胸中には勇気が 帝国の栄光の輝きとともに燃え立っている。
皇帝を造り出した自然だけが あの名状しがたい赫々たる自尊心を知悉している。
その視線は、世界が彼の意のうちにあることを 誰もが分かるように告げているのだ。
ティツィアーノは、まさに肉そのもののような生ける色彩で 彼を表現した、そこでは像主たる人物が
王者の威厳に満ちた堂々たる身振りで生動している。 まるで天が新たな驚異とともに
あらゆる人間の力を彼に与えているようだ、
あたかも皇帝やユピテルの誕生のときのように。
このあとで論じるように、ティツィアーノは、フェリペのために他
にも多くの作品を制作し、彼からさまざまな褒美と年金を受け取った。ああ、絵画が偉人たちや寛大な人たちの手によって、かくもふんだん
に褒賞が与えられた幸福な時代よ、幸運な世紀よ! 古代においてはこうしたことがアレクサドロス大王とアペレスのあいだに起こった。
その後、ティツィアーノはインスブルックに行き、神聖ローマ王のフェルディナント ︶19
︵とその妃マリア女王 ︶20
︵の肖像そしてこの女王の娘たち
である七人の高貴な女性たち全員を一枚のカンヴァスに表したが ︶21
︵、彼はそれをまるで地上の女神たちが集う楽園のように描き出した。伝え
られるところでは、王女たちは肖像のモデルをつとめるためにやって来るたびに、画家が王から受け取る褒美に加えてティツィアーノへの
贈り物として宝石を持参した。王はみずからがヴェネツィアで所有していたティロル地方の木材伐採権をティツィアーノの兄フランチェス
コに譲渡した。ティツィアーノはまた、他の諸侯たちの肖像や、王の兄弟であるマクシミリアン ︶22
︵の肖像も描いた。
次いで、イタリアに戻る途中、ティツィアーノに肖像画を描いてもらうことを望んでいたトレント枢機卿のもとを訪れ、そこで何枚かの 絵を描いた ︶23
︵。そして五年間ドイツに滞在した後、ティツィアーノは一万一千スクーディ相当の報奨金を持ってヴェネツィアに帰国した。
その結果、まさにティツィアーノは画家の職にある者のなかで最も裕福で、また当代きっての幸運な画家であると言われたが、このことは
他の画家たちの人生が困難だったことを示してもいるのだった。
帰国すると、ティツィアーノはコッレージョの広間に出向き、統領
フランチェスコ・ヴェニエールと元老院議員たちに、忠実な臣下として皇帝とフェルディナント王のために完成した作品について説明し
た。そして彼が大評議会広間に未完成の状態で残されていた三つの大きな物語画 ︶24
︵を描くことを申し出ると、統領はティツィアーノの申し出
をたいへん喜び、彼に讃辞を呈した。
その後まもなくして、ティツィアーノは皇帝の命で、聖セバスティ アヌスの像 ︶25
︵と大きな天国のカンヴァス画 ︶26
︵を描いた。これらは皇帝が彼に貴族の称号を与えるという温情溢れる手紙によって注文したもので
ある。彼はこの天国の絵の上方に、大勢のケルビム、セラフィム、小天使、そのそばで祈りを捧げる聖母マリアと聖ヨハネによって取り囲
まれた三位一体を描いた。一方、皇帝と皇妃は彼らの冠を足元に置き、白いリネンの服をまとい手を合わせて祈っている。その下の方に
ティツィアーノは自画像を描き込み、この気高い画面の残る部分には旧約聖書と新約聖書の聖人たちが描かれた。そこには箱舟を持つノア
や、額から輝かしい光線を放ち十戒の書かれた石板を持つモーセがいる。ダヴィデはプサルテリウムを抱えて天国の調べを奏でている。そ
れぞれの福音書を手に持つ福音書記者たちは堂々とした裸体像で描かれているが、それらは古代のトルソや彫像の頭部を手本にして改良を
加えたものである。またこの絵の下の方にティツィアーノは心地よい地平線のある自然の風景を描き込んだ。この作品はスペインの聖ヒエ ロニムス修道会の僧院にいた皇帝に送られた。それはサン・ジュスト︵ユステ︶修道院という名で、エストレマドゥーラ州のピアチェンツァ
から七マイルのところにあり、皇帝はそこで生涯を閉じた。その後、この作品は息子のフェリペ二世によってエスコリアルへ運ばれ、その
壮麗な建築物にさらに神々しい威厳を与えることになったのである。
それからティツィアーノは、石板に救世主の受難について瞑想して いる悲しみの聖母マリア像 ︶27
︵を描いたが、それは寛大な皇帝の心に哀れみの情を引き起こした。ティツィアーノは、その絵が皇帝のもとに届
いたことを知ると、皇帝に宛てて次のような手紙をしたためた。
無敵なる皇帝陛下、
神のご加護により、私が石板に描きました悲しみの聖母マリアの
絵が、私の望みどおり陛下のお手元に届いたようです。もしご満足いただけましたら、私のあらゆる望みは叶えられたことになり
ますが、もしそうでないとしたら、どうかその旨をお知らせ下さるようお願い致します。そうすればご満足いただけるように努め
る所存です。︵後略︶
最後に、ティツィアーノは皇帝の栄光を讃えるため、異教徒に迫害されるカトリック信仰を寓意する絵を大きなカンヴァスに描いたが、 これはフォンターナによる版画 ︶28
︵に見ることができる。その下には次のような詩句が記されている。
無敵の皇帝は、敬虔な信仰の寓意像で表され、
蛇の髪の毛をもつ異教徒は、それに脅威を与える残忍な敵であり、
︵見てのとおり︶あらゆる所に偽りを広めている、
自らをキリストの一族だと語り、
美徳と平和を説いている ︶29
︵。
その後もティツィアーノは宮廷画家としてカトリック王に仕え続け た。そして王のためにオリーヴ園のキリスト ︶30
︵、嘆き悲しむ聖母マリアの膝のうえに十字架から降ろされたキリスト ︶31
︵、その他の宗教画 ︶32
︵と何点
かの神話画 ︶33
︵を描いたが、それらは国王の署名入りの手紙によってティツィアーノに委嘱されたものである。各作品については後で述べるこ
とにして、ここではスペイン語による手紙に触れておこう。
神の恩寵により、スペイン、両シチリア王国、エルサレムの王であるドン・フェリペより、
拝復、余は先月十九日付けの貴殿の手紙を受け取ったが、泉のそ
ばにいるディアナとカリストの二枚の神話画が完成したことを知り、嬉しく思う。キリストの絵に起きた不都合を避けるために、
余はこれらの絵をまずジェノヴァに送らせ、そこからスペインに送ってもらうことにした。それについてはガルシア・フェルナン
デスへの手紙を書いているとおりである。彼に手渡すとき、絵がきちんと箱に収められ、道中で破損を被ることがないように配慮
してほしい。絵が無事に届くよう、こうした事柄を熟知している貴殿自身の手で梱包をしてもらいたい。というのも届いたときに 破損していたら多大な損失になるからである。余はまた、貴殿が描き始めたと述べている、オリーヴ園のキリストと別の二枚の神話画を早急に完成させてくれるよう望んでいる。また同様に、失われてしまった作品と同じ墓の中の死せるキリストをもう一枚私のために描いてくれるとたいへん嬉しいのだが。失われた傑作なしで済ますことは、どうしてもできないからだ。余は、これらの作品を制作するのに貴殿が払った努力を大いに評価しており、それらが貴殿自身の手で描かれたことをよく承知している。しかし貴殿がミラノとジェノヴァでそれらの支払いを受け取れるようにした余の命令がまだ実行されていないことは遺憾に思っている。
余はこの件に関して、今度こそ、手落ちがないように再度書き送るよう命じておいた。
ヘント、一五五八年七月十三日 王である余より︵G.ペレス ︶34
︵︶
前記の作品が届くとすぐに、王は次のような特別な手紙をミラノ総
督に送り、亡き皇帝の命令に基づく合意に従って、ティツィアーノが彼に支払われるべき年金を国庫からすみやかに受け取れるようにせ
よ、と指示した。
神の恩寵によりスペイン、両シチリア王国、エルサレムの王ドン・フェリペより ミラノ国の統治者にして総司令官である公爵殿。︵栄光ある︶皇
帝によって貴公の国からヴェネツィアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオに一五四一年と一五四八年に支払われることに
なっていた二回の年金について、画家が四苦八苦して何度も懇請しているにもかかわらず、一銭も受け取っていないことを聞き及
んだ。皇帝陛下からティツィアーノに与えられた報奨が有益であることはきわめて明白である。なぜなら彼はこれまで余に非常に
よく仕えてきたし、今も仕え続けてくれているからであり、これは余の彼に対する善意だからである。そこで、これ以上遅滞なく
彼に便宜が図られるよう、この手紙を受け取ったらすぐに、皇帝の特権によって前記のティツィアーノに下賜された二回の年金を
審査し、彼が過去に受け取るはずであった総額を正確に確認した上で、相互の美徳において彼または彼の法的代理人に全額を支払
うことで彼を満足させるように命ずる。この任務をできるだけ早急に遂行するために、いかなる国庫の費用を用いても、また他の
どんな方策を講じても構わない。同時に、今後も手違いや遅滞がないように、また、当方からの再度の命令や諮問がなくても済む
ように、決められた時期に毎回確実に前記のティツィアーノに前記の年金を支払うように命じる。なぜならヴォルムスや貴国の既
存の規則には反するかもしれないが、これが余の意思だからである。グリュネンダール修道院、一五五八年十二月二十五日。
次いで王は、自筆でこの手紙に次のように書き加えた。
余が、この件が無事に処理されたと聞けば喜ぶことを貴公もよく 承知しているはずである。なぜなら事はティツィアーノに関わることだからだ。したがって、再度余に伺いを立てたり、余に命令を出させたりすることがないように、直ちに彼に支払いをせよ。
王である余より︵G.ペレス︶
前述のような労作に加えて、ティツィアーノは王のために聖ラウレ
ンティウスの殉教を描いた。この聖人は聖なる教会の守護聖人に列せられた人で、貧者、弱者、悲嘆にくれた寡婦、未婚の処女、恥ずべき
行いによって牢獄に入れられた悪人たちにキリストの教えを広めた人物である。彼は暴君デキウスの前に引き出されながらも、恐れること
なく自分が神の使いであることを告げた。そして彼の死によって、信仰心の篤い者たちに天国の扉が開かれ、彼に従った者たちには苦難の
道が和らげられた。そして最後に焼き網の上に横たえられて灼熱の炎で焼かれるときも、聖人は恐れることなく信仰なき者たちが考案した
残忍な責め苦を受けた。こうしてこの寛大な殉教者は、実際には苦痛で瀕死の状態であるにもかかわらず、邪悪な皇帝に自分の焼けた体を
供物として捧げているのである。その傍らでは、残虐な皇帝の家臣たちが彼を取り囲み、ある者は火の勢いを強くし、ある者は長い鉄の棒
で殉教の聖人に苦痛を与えている。物語の画面はもうもうたる煙のなかで輝く一本の松明によって照らし出されている ︶35
︵。
さらにまた、ティツィアーノは国王のために別の宗教画も制作した。その中には、ユダヤ人が硬貨の刻銘を見せて皇帝に貢の銭を払う かどうかキリストを試している絵 ︶36
︵、救世主のもとを訪れる賢者たち ︶37
︵、アリマタヤのヨセフとニコデモによって埋葬されるキリストの絵 ︶38
︵が含