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神権体制下における生産国家的側面の復活(1)

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神権体制下における生産国家的側面の復活(1)

一イランの第一次5ヵ年計画(1989−1993年)

Resurgence of Production State under Theocracy in Iran 一The First Five Y6ar Plan(1989−1993)一

館 山   豊

はじめに      違って,独特の政治・経済構造が形成される。

イランでは8年にもおよぶイラクとの戦争   それは,巨額の石油収入が独占地代として国 終結後,第一次5力年計画が立案され,実施   庫に流入し,政府による財政を通じたその撒 に移された。1980年代のイラン経済は革命,  布が国民経済編成の中心となるからである。

戦争,油価暴落,人口急増などによって極度   ここでは国家は,国民から権力的に徴収した に疲弊し,何らかの対策が早急に必要とされ  税金を原資に活動する「租税国家」としてで ていたからである。しかし第一次5力年計画   はなく,外部から流入する莫大な富を国民に は,革命後初めての本格的な中期計画という  分配する「分配国家」という性格をもつことに だけでなく,次のような特徴をもっていた。   なる(1)。

第一は,「神権体制(テオクラシー)」下にお    サウジアラビアやクウェートのように,巨 ける経済開発政策であるという点である。第   額の石油収入を手にしながら,人口が少ない 二は,財政や経済が外部からの富の流入に大   国では,一人あたりの石油収入が多額に上る きく依存する「分配国家的側面」を強くもっ   ため,富の撒布によって国民が一挙に富裕化 た国での経済開発計画であるという点であ   する。そうした国ではもともと工業を中心と る。シャーによる西欧型工業化への批判のう   した生産基…盤が弱体であったが,1970年代の えに成立した神権体制は,いわゆる開発独裁   油価高騰以降,その傾向に一層拍車がかかる。

と異なり,工業化にそれほど積極的ではな  豊富な外貨を基礎に,ありとあらゆる物資を かった。また分配国家的側面が強い国ほど工   輸入に依存するようになる。また単純労働力 業化への志向は弱いものとなる。       はもちろんのこと基幹的労働力までも移民に

そうした体制のもとで経済開発はいかなる  頼るようになる。国民は生産労働や家事労働 形ですすめられていくのか。そこには普通の   から遊離する。国民は労せずして富裕化する 途上国の経済開発政策が直面する障害とは異   から,近代的なインフラストラクチャーの整 なった障害があるだろうか。本稿では,そう   備は行われるものの,政府,民間のいずれの した視点から第一次5ヵ年計画の背景,内容,  側からも工業化(二生産国家化)への志向は 性格を明らかにし,さらにそれがイラン経済   強くでてこない。筆者はそうした国を「純粋

に与えた影響を分析することを課題とする。   な分配国家」と名づけた。そのような国では,

工業化の前提となる原始的蓄積の過程が不要 第1章 第一次5力年計画の背景       となるため,伝統的な社会秩序やイデオロ

第1節 分配国家と生産国家,そして革命   ギーが解体されずに残り,それが聖俗未分離

発展途上石油輸出国では,他の途上国と   の伝統的政治体制を強力に支えていくことに

(2)

なる。       私企業の自由な活動を抑制するさまざまな国 しかしイランでは,サウジアラビアやクウ  家統制が導入された。こうした「反生産国家」

エートと比較して人口が多いため,一人あた  的志向をもつ革命勢力の動きによってポピュ りの石油収入もそれほど大きくはなく,富裕   リズム的側面あるいは社会主義的側面がイラ 社会を実現できない。国民生活の大半を輸入   ンの政治と経済に新たな要素としてつけ加え でまかなうことはできないし,基幹労働力は   られたのである。

もちろん単純労働力すらも移民に依存するこ   革命によってシャーが追放されると,生産 とはできない。国民に職を与え,また外貨を   国家的側面は政治的代弁者を失い,ポピュリ 獲得するためにも工業化は必要であり,それ   ズム的側面からの強い圧力を受けて政治的に への志向がたえずあらわれる。そうした国が   後退していった。さらにイラクとの戦争,石 サウジアラビアのように「純粋な分配国家」   油収入の激減によって生産的投資が縮小した にとどまることはできない。イランでは政治,  ため,経済的にも,また資本家階級および中 経済,社会のすべての面において石油収入の   産階級の縮小によって社会的にもその影響力 分配に依存するという「分配国家的側面」と,  を低下させていった。

工業化を推進し,生産国家化しようとする「生    他方,分配国家的側面は石油収入が国庫に 産国家的側面」とが常に存在し,両者がせめ   流入するかぎり経済的にはたえず存在しつづ

ぎあっている。両者はそれぞれ経済および社   ける。石油収入は,それが生産的投資に手厚 会の編成原理が異なり,めざす人間類型が異   く配分されるならば生産国家化を推進する方 なり,政治的方向性が異なる。イランを「不   向に作用するが,投資よりは消費に,あるい 十分な分配国家」と規定した所以である。    は同じ投資でも国内の生産的投資よりは海外 イラン革命は人民蜂起によってシャーの独   証券投資などに手厚く配分される場合には,

裁体制を瓦解させた革命であった。シャーは   海外からの利子や配当が増え,分配国家的側 1950年代半ば以降,独裁体制を築きあげるこ  面が強まる。またあまりにも潤沢な資金の供 とによって石油収入の配分機構を一手に掌握   給は工業化に必要な規律や効率性,合理性の し,それを急速な西欧型工業化と軍事大国化   追求などを弛緩させることになり,かえって の原資とした。当時はシャーが生産国家的側   生産国家化を切り崩す方向に作用する。

面を代表していた。イラン革命は,経済的,    革命後,分配国家的側面は,石油収入の減 社会的にはシャーによって進められた西欧型   少により,経済的には縮小したようにみえる。

工業化=生産国家化とそれにそって形成され   しかし厳しい為替管理と為替レートの過大評 ようとしていた西欧型社会にたいする拒絶で   価による輸入業者への隠れた補助金の支出,

もあった。      そしてインフレーションの昂進による生産か その動きを主導したのは「虐げられし大衆」  ら流通への資源のシフトなどをつうじて商業 の利益をスローガンに革命の高揚期に勢力を   部門が相対的に拡大し,生産よりは流通を,

拡大し,ホメイニの下に政治権力を掌握した   蓄積よりは消費を重んじる分配国家的側面は

たイスラーム急進派である。シャーの庇護の   むしろ拡大した。社会的にはバザール商人や

下に成長をとげた多くの企業が革命後手当た   伝統品生産に従事する職人達がその担い手と

り次第に国有化され,資本家や経営者,それ   なっていたが,その他に,財政資金や外貨の

に技術者や熟練労働者までもが追放され,あ   配分あるいは政府金融機関からの融資等にお

るいは国外脱出を余儀なくされた。利得活動   いて特権的な地位にある国有企業,宗教財団

が,特に工業におけるそれが悪者扱いされ,  傘下の企業の上層部などをそれにつけくわえ

(3)

てもいいだろう。       席を獲得したばかりであった。批判の内容は,

分配国家的側面は革命前には自らの政治的   重要な社会的課題を無視しているとか,私的 代弁者をもたなかったが,革命後は伝統的イ   所有権の限界についての規定がないとか,文 スラームを標榜するイスラーム保守派に政治   化への関心が欠落しているといったもので 的代弁者をみいだした。彼らはイスラーム急   あった(2)。その後,三権の長と首相からの要 進派とともに革命後の勢力争いで主導権を握   請に応じて戦後復興の優先順位についてのホ るにいたり,1981年頃までに急進派の行き過   メイニの見解が示された。ハメネイ大統領は ぎを阻止する有力な政治勢力として台頭して   それに基づいて具体的な復興計画を盛り込ん くる。それ以後,急進派と保守派の対立はホ   だ「国家再建についての包括案に関する指示」

メイニを媒介として均衡状態に達した。イス   を政府に出し,その結果ムサビ首相によって ラーム急進派の影響力は革命直後に比べれば   作成され,議会に提出された5ヵ年計画がい 後退したものの,ホメイニのカリスマ性,対   わゆる「ムサビ案」である(3)。

イラク戦への国民のイデオロギー的動員に    保守派ハメネイ大統領の具体的指示に基づ よって維持されていた。       いて作成されたムサビ案についても急進派か このように革命後のイランでは分配国家的   らかなりの批判が浴びせられた。しかし審議 側面とポピュリズム的側面が拡大し,生産国   の途中で権力構造が変化した。すなわち89年 家的側面は後退していった。製造業の対GDP   6月のホメイニの死去後,ハメネイがその後 比は1988年にはわずか6.3%に縮小した。    継者に選ばれ,ラフサンジャニが大統領に選

しかし1988年に戦争が終結し,翌89年にホ   出されたことにより,イスラーム保守派・プ メイニが死去すると,急進派と保守派のバラ   ラグマティストが最高指導者と行政機構を掌 ンスが崩れ,テルミドールがはじまる。こう  握し,議会に拠点をおく急進派に対して優位 した状況のなかで第一次5ヵ年計画が立案さ   にたったのである。そして憲法修正によって れるのである。      大統領権限を強化されたラフサンジャニはム サビ案に代えてあらたに「ラフサンジャニ案」

第2節 第一次5力年計画の策定過程      を国会に提出した(4)。1989年8月のことであ 1988年7月のイラクとの戦争終結後,すぐ   る。

に戦後復興についての議論がはじまり,10月   急進派は国会での論戦において,ラフサン には国会に最初の戦後復興案が提出された。   ジャニ案は経済成長にあまりにも重点をおき しかし第一次5力年計画が最終的に国会で承   すぎていて,社会や文化にたいする国民の関 認されたのは1990年1月であり,それまでに   心を蝕んでいくとか,農業をもっと重視すべ 18ヶ月もの時間を要した。これはその間,ホ   きであるとか,あるいは貿易,投資,借款へ メイニの死去,後継最高指導者の指名および   の門戸開放は外国への従属を深め,西欧文化 大統領選挙,憲法修正国民投票などの大きな   の進入を許すとか,民間資本を無条件で支持 政治的変化があり,議論がなかなか進展しな   しているなどと批判した(5)。これれらの批判 かったことに加え,戦後復興の優先順位,復   は裏返せばラフサンジャニ案の特徴を示して 興方法などをめぐって急進派と保守派との対   いた。

立があり,議論が白熱したからである。     しかしこの計画案はわずかな修正だけで国

最初に国会に提出された復興案は,急進派   会を通過した。それは戦争の被害があまりに

から強い批判を受けた。彼らは88年4月の選   も大きく,それを前にして議会多数派の急進

挙でイラクとの戦争継続を主張して多数の議   派といえどもあくまでも反対を貫くことがで

(4)

きなかったからである。急進派が内部分裂し  復活を代表していたのである。戦争が終わり,

たこともそれを示している(6)。終戦後の急進   急進派の退潮がはじまるとともに,ようやく 派の退潮は明らかであった。         生産国家的側面はラフサンジャニに政治的代 イラクとの戦争にともなう経済的被害は,政   弁者を見出すことになった。あるいはイス 府発表によると1980−85年で3090億ドルであ   ラーム保守派の中から,戦争被害の甚大さと る(7)。戦争は88年まで続いたから費用はさら  人口増加に危機感を抱き,生産国家化の必要 に膨らむ。1974−88年のイランの石油輸出額   性を認識した政治勢力がラフサンジャニ大統 は約2450億ドルであるから,油価高騰の恩恵   領を中心に形成されてきたともいえよう。

を戦争で食いつぶしてしまったことになる。    しかし生産国家的側面の復活は,真空状態 1988年における実質GDPは1977年ピーク時   の中で行われたわけではない。それはポピュ の61%に下落した(それは1971年の水準より   リズム的側面,分配国家的側面の壁にぶつか 低かった)。また一人あたり実質GDPは1977  り,それらとの妥協も余儀なくされる。以下 年の40%まで下落し,1960年代の水準に逆戻   ではラフサンジャニの5力年計画がじかに生

りしてしまった。これ以上の大衆の窮乏化は  産国家的側面の復活を意図していたか,また 体制の存続を危うくする。さらに戦争にかわ   どのような点において自らの論理をつらぬけ

る国民統合の手段を戦後復興に見出す必要も  なかったかについてみていくことにする。

あった。

以上のような戦後復興計画をめぐる動きは   第2章 第一次5力年計画の内容と性格 通常,急進派,保守派,プラグマティストの   第1節 生産国家的側面の復活

三者の対立という構図で説明される。たとえ    (1)5力年計画の構成と全般的目標 ばAmirahmadiは,ラフサンジャニ案は国家    第一次5力年計画は正確には「イランイス が強力な役割を維持しつつ,民間資本にも重   ラム共和国第一次経済社会文化計画」(以後 要な役割を与えていくというものであり,そ   「計画」と略記)という。以下では計画・予算 れは左右の対立のなかで現実主義者のラフサ   庁発行の要約版をもとに分析をすすめる(9)。

ンジャニが計画と市場をミックスして作りあ    「計画」の構成は次のようである。まず「全 げたものであると指摘している(8)。しかしイ  般的な目標」が10項目掲げられている。つい スラーム急進派が国家社会主義的方向を志向   でその目標を実現するための81項目にわたる しているとしても,イスラーム保守派が西欧   具体的な「政策」が列挙され,そのあと「マ 型資本主義を志向しているわけではない。後   クロの見通し」が,1.人口,2.経済成長と 者は商業的利害にもとついて自由主義的経済   構造変化,3.財政,4.流動性とインフレー 政策を望んでいるだけである。むしろ民間資   ション,5.貿易,6.労働力と雇用の6項目 本を中心とした工業化を強く志向していたの   にわたって述べられ,次いでマクロ経済およ はラフサンジャニ本人であった。       び各産業についての「数値目標」が提示され,

先にイランのような「不十分な分配国家」   最後に「一般政策」について11項目にわたる では生産国家への志向が絶えず表れると指摘   説明がある。

しておいた。分配国家的側面だけでは国民の   「全般的な目標」は以下のとおりである。

生活を十分に維持できないからである。どう   ①防衛能力の再建と強化

しても工業化による雇用の創出や輸出の拡大    ②戦争被害を受けた生産設備,インフラス

が必要となる。実は,ラフサンジャニは,革     トラクチャーおよび地域の再建と近代化

命後後退を強いられてきた生産国家的側面の    ③若年層に配慮した文化,教育,職業訓練,

(5)

科学,技術などの量的拡大と質的向上    理解できるだろう。また行政,司法改革は経

④生産性の上昇,生産的雇用の増大,経済   済成長を実現していくためにより効率的で統 的海外依存の軽減を目的とした経済成長   一された国家機構を整備していこうとするも の実現      のである。「経済成長に価値を置きすぎてい

⑤イスラーム的平等と社会正義の実現     る」という急進派の批判はまさに正鵠を射た

⑥国民の最低限の基本的必要の充足      ものであった。

⑦物質的,精神的発展の過程で,人間の尊    以下では経済政策に則して「計画」を分析 厳と自由を確保しながら,人間と社会の   していくことにする。

必要を満たす消費パターンの設定と是正    (2)マクロ経済の数値目標と人ロ・雇用

⑧行政,司法改革      第1表はマクロ経済の数値目標である。

⑨法の下での平等,個人と社会的自由の保   GDPは年率8.1%,粗固定資本投資は11.6%,

護など      個人消費は5.7%,政府消費は3.8%の伸びで

⑩人口と諸活動の地理的分散など      ある(いずれも実質)。革命後の実績からする しかしこの目標を実現するための81の「政   と目標経済成長率はかなり高いものである 策」を分類してみると,目標⑤⑥⑦⑨にかん   が,その実現のために消費の伸びをかなり抑 する政策が極端に少ないことがわかる(1°)。そ   制し,貯蓄を確保しようとしている。それを れらに関するものとしては,政策62〜66のわ  投資に振り向けることによって投資主導型の ずか5つに過ぎない。政策62は環境問題,政   経済成長を実現する。その結果,粗固定資本 策63,64は住宅建設,政策65はコンシューマリ  投資の対GDP比は1988年の14.5%から1993 ズムの是正,政策66は所得の平等に関するも   年には17.0%に上昇する。この数字は工業化 のであり,63,64を除くと一般的なことが述べ   を積極的に推し進めていくうえではかなり低

られているだけである。それらの目標はいず   い水準であるが,80年代には更新投資すらま

れもポピュリズム的側面を代表するものであ   まならなかったことを考えるならばかなりの      ,

るが,政策数の少なさはその側面がいかに軽   前進であるといえよう。

視されているかを示している。Amirahmadi

が・「革命後一貫して主要関心事であった社会       第1表 マクロ経済目標 正義は戦後復興の優先順位上位から慎重には        (第一次5ヵ年計画)

ずされた」と指摘していることも頷ける(11)。 (単位:%)

それに対して政策の圧倒的部分を占めるの 実質平均成長率 は④経済成長に関するものであり,その数は

個人消費 5.7

実に42項目(政策20〜61)におよび,政策全 政府消費 3.8 体の半分を占めている。次に政策数が多いの 粗固定資本投資 11.6 は③教育,職業訓練,研究の15項目(政策5 民間部門 12.2

〜19),⑧行政・司法改革の12項目(政策67 公的部門 10.6

〜78)である。 GDP 8.1

「計画」自体は表題からあきらかなように経 一人あたりGDP 4.9 済計画だけではないのだが,これをみても5 資料)Islamic Republic of Iran, Plan and

力年計画がいかに経済成長の実現に力点をお     Budget O「9anizatio恥ASμmmα「 9ed        脆rs 0η0μんe 17かsげ ue y乙αr EcO一

「ているかがわかる。教育,職業訓練,科学,    ηo加ら80c α4α認CπZ如rαZ DωeZop一

技術に関する政策が多いのもそれとの関連で     m餌.PZαη,1990, Table N・.1,2.

(6)

人口は1988年の5275.5万人から1993年の       第2表 固定資本投資 6128.8万人に増加するが,人口増加率自体は        (第一次5ヵ年計画)

年率3.2%から2.9%に低下する。イランはも

(単位:10億リアル,%)

ともと人口増加率の高い国であったが,それ 投資額 比 率 でもシャーの時代には人口抑制策がとられ, 一般サービス 722.6 2.5

少しずつ人口増加率は低下してきていた。革 社会サービス 14028.9 47.9

命後,人口抑制は帝国主義国の利害に合致し 一般教育 908.8 3.1

ているとのイスラーム急進派の議論におさ 文化・芸術 355.5 1.2 れ,シャーの人口政策が破棄された(12)。そし 保健・衛生・医療

ミ会保障・福祉

642.5 V23.6

2.2 Q.5

て早婚を奨励し,堕胎を禁止するイスラーム 体育・青少年問題 55.2 0.2

の教えもあって,人口増加率は世界でも最高 都市開発 985.9 3.4

の水準にたっした。 農村開発

Z宅

 74.5 X336.3

0.3 R1.8

しかし人口を抑制しないかぎり,経済成長 環境保護 2.0 0.0

の成果は人口増に食われてしまう。そこで 地域開発 25.3 0.1 1989年に人口政策の再転換がおこなわれた。 技術・職業教育

s刹ウ育

237.0 Q82.4

0.8 P.0

「計画」では,それを受けて長期的には(2011 研究 399.9 1.4

年まで),女子の進学率の引き上げ,女性の 経済サービス 13364.4 45.6 地位向上,家族計画の復活などをつうじて, 農業・潅概 2868.0 9.8 人口増加率を2.3%にまで引き下げることを 石油 1301.0 4.4

目標とするが,中期的には1993年に年率2.9% 鉱業 537.0 1.8

にまで引き下げることを目標としている(13)。 工業

?糟ケ

1932.2 P120.4

6.6 R.8

労働可能人口は人口増加率よりやや低い伸 電力 1571.6 5.4

びを示すが,それでも年率2.6%で拡大し, ガス 640.4 2.2 絶対数で188.4万人増加する(1361.1万人→ 商業

ケ路・運輸

335.3 P662.0

1.1 T.7

1549.5万人)。それにたいして経済成長による 郵便・通信 943.5 3.2

雇用の創出は196.9万人(1145.0万人→1341.9 観光 453.0 1.5

万人)である(14)。したがって雇用の拡大は新 そ の 他 1200.2 4.1

規参入労働力をかろうじて吸収できる程度の 合   計 29316.4 100.0 大きさである。失業率も15.9%から13.4%へ 資料)第1表に同じ。Table No.4.

と低下するにすぎない。人口圧力の大きさを

考えるならば年率8%程度の経済成長がどう   れは投資不足にくわえて,人口急増と都市化 しても必要となるのだろう。         により住宅事情が極度に悪化していることを

(3)固定資本投資      反映したものである。

経済成長を主導する固定資本投資の部門別    住宅建設以外の投資項目では額の多い順 内訳は第2表に示されている。大きく分ける   に,都市開発が全投資額の3.4%,教育3.1%,

と,投資総額の47.9%が社会サービスに,  社会保障2.5%となっている。

45.6%が経済サービスに向けられ,両者がほ   加納弘勝氏は第一次5力年計画の特徴とし ぼ拮抗している。       て,革命前の開発計画(1973/74〜1977/78

社会サービスの最大項目は住宅建設であ   年)および革命直後の開発計画(1983年発表,

り,総投資額の実に31.8%を占めている。こ   ただし実施されず)に比較して社会サービス

(7)

の比率が高くなっている点を指摘し,「長期的   つながらないという事情によるものである。

に生産を向上させるインフラ部門を重視する   シャーの時代の急速な開発投資が結局インフ よりも,教育や社会福祉など短期的な効果の   ラ不足の隆路にぶつかり,激しいインフレー 上がる民衆生活支持型の開発支出を増大させ   ションを引き起こしたことは記憶に新しい(16)。

た。ここにも戦争災害からの復興にまず対処   インフラストラクチャーへの投資が多いのも せざるを得ない,イラン政府の直面する問題   そのためである。

が示される」と分析している(15)。この点につ    (4)産業構造の変化

いては後にもう一度立ち返るとして,数字の    上のような固定資本投資の配分によって産 上ではたしかに氏の指摘どおり,生産向上よ   業構造が変化する。第3表によって産業別実

りは社会サービス優先型の資金配分となって   質付加価値額の成長率をみると,拡大の早い いる。       部門は鉱業(年率19.5%),工業(14.2%),

生産力にかかわる投資は経済サービス分野   建設(14.5%),石油(9.5%),水資源・電 である。この分野で大きな比重を占めている   力・ガス(9.1%)であり,成長の遅い部門 のは,水資源,電力,道路・運輸,郵便・通   は農業(6.1%)やサービス(6.7%)となっ 信などのインフラストラクチャー部門であ   ている。先にもみたように鉱工業や石油への

り,総投資額の18.1%を占めている。     固定資本投資はそれほど大きなものではない 次いで大きな比重を占めるのは農業であ   が,付加価値の成長率ではかなり大きなもの り,そのシェアは9.8%である。以下,鉱工   になっている。

業の8.4%,石油・ガスの6.6%と続いている。   これは第一に,革命前に建設に着手してい 革命政権は食料自給等をめざして農業重視策   たビッグプロジェクトの多くが工事途中で未 をとったから,シャーの時代に比べて国民経   完成のまま放置されていたからである。それ 済における農業の地位は上昇した。しかし   らは比較的わずかな投資ですぐに生産力化す 1988年の実質GDPに占める農業の比率は   る。もちろん建物や機械は老朽化し,また陳 23.2%であるから(後掲第3表),それと比   腐化しているが,とりあえずそれらを完成さ 較すると農業への投資比率9.8%はかならず   せ,稼動させることがもっとも手っ取り早い しも大きなものではない。それにたいして鉱   経済再建の方法となる。公的部門固定資本投 工業部門は革命後縮小し,1988年の鉱工業(製   資のうち新規プロジェクトに向けられるのは 造業・鉱業)の対GDP比は実質値でわずか   52.1%にすぎず,未完成プロジェクトに 6.3%にすぎなかったから,鉱工業に総投資   42.1%,完成済みプロジェクトに5.8%の資金 額の8.4%が配分されたことは,政策のなか   が配分される。経済サービス分野にかぎって で鉱工業の地位が上昇してきたことを示して   みれば新規プロジェクトへの投資は42.1%に いる。       すぎない(17)。

とはいえ鉱工業部門への投資額はそれほど    第二の要因は手厚い外貨配分にある。期間 大きなものではない。それは後述するように   中の外貨予算は1207.3億ドルであるが,その 建設途中の未完成プロジェクトを多く抱えて   うち製造業には最大の337.2億ドル(全体の いたことにくわえ,イランではインフラスト  27.9%)もの外貨が配分される(18)。シャーの

ラクチャーの整備が大幅に遅れており,発電   時代に計画されたビッグプロジェクトは資本

能力の不足や港湾取扱能力の不足など各所で   財,中間財とも輸入に依存するものがほとん

工業生産の拡大を妨げる隆路が存在している   どであり,革命政権はそれらを継承した。先

ため,鉱工業投資のみを拡大しても生産増に   にみた1980年代の製造業の縮小は単に投資が

(8)

第3表 産業別付加価値額と雇用労働者数(第一次5ヵ年計画)

(単位:10億リアル,1988/89年価格,千人)

《付加価値額》 1988/89年 比率(%) 1993/94年 比率(%) 増 分 年増加率(%)

農業 5211.0 23.2 7000.6 21.0 1789.6

6.1

石油 2059.0

9.1

3250.0 9.8 1191.1 9.5

工業 1414.0 6.3 2750.0 8.3 1336.0 14.2

鉱業 209.6 0.9 512.0 1.5 302.4 19.5

水・電力・ガス 461.0 2.0 913.9 2.7 452.9

9.1

建設 1234.8 5.5 2428.9 7.3 1194.1 14.5

サービス 12140.2

53.9

16793.7 50.4 4653.5 6.7

輸送 898.4 4.0 1151.8 3.5 253.4 5.0

その他 11341.8 50.4 15641.9 47.0 4300.1 6.8

GDP 22503.3 100.0 33314.6 100.0 10811.3

8.1

《雇用労働者数》

農業 3253 28.4 3411 25.4 158.0

1.0

石油 na na

工業 1480 12.9 1822 13.6 342.0 4.3

鉱業

水・電力・ガス 97 0.8 140 1.0 43.0 7.7

建設 1220 10.7 1941 14.5 721.0 9.7

サービス 5400 47.2 6105 45.5 705.0 2.5

輸送・通信 671 5.9 781 5.8 110.0

3.1

商業ほか 891 7.8 1077 8.0 186.0 3.9

金融・保険不動産 103 0.9 142

1.1

39.0 6.3

公共,社会,民間サービス 3135 32.6 4105 30.6 370.0 1.9

合 計 11450 100.0 13419 100.0 1969.0 3.2

注)原表では1988/89年の農業雇用者数が間違っているので,訂正した。

資料)第1表に同じ。Table No.1, No.10.

減少しただけでなく,外貨不足から資本財,  化をたどる。農業,サービス業の比率がやや 中間財の輸入が思うにまかせず,その結果稼   低下し,鉱工業,水・電力・ガス,建設業の 働率が低下したことにも起因していた。した  比率がやや上昇する。しかし増加数でみると,

がって外貨が潤沢に配分されるならば,資本   かなり特徴的なことがあらわれてくる。すな 財,中間財の輸入増によって設備稼働率が上   わち建設業の雇用増が72.1万人に達し,それ 昇する。       だけで全雇用増(196.9万人)の36.6%を占

産業間の不均等発展によって付加価値から   めるという点である。建設業は,労働生産性 みた産業構造は農業が23.2%から21.1%へ,  は低いが,多数の単純労働力を吸収するので,

サービス業が53.9%から50.4%へと縮小し,  雇用者数は付加価値額よりも急速に拡大す 石油,鉱工業,水・電力・ガス,建設業の比   る。総固定資本投資の31.8%を占める建設業 率が22.9%から28.6%へと上昇する。生産国   は,雇用増においても戦略的に重要な役割を 家化の中核をなす工業の比率は6.3%から  果たすのである。

8.3%へと上昇するが,その水準は依然として    (5)工業化戦略と外貨の獲得

低い。      生産国家化にとってなによりも重要なのは

雇用者数からみた産業構造も同じような変   工業(製造業)であるが,その地位は依然と

(9)

して低い。しかしそれでもその拡大は構造転   取り120億ドル,その他の外貨受け取り24億ド 換をともなうものであった。すなわち「計画」  ルとなっている(21)。経済的従属を強めると批 では資本財,中間財産業における輸入代替工   判のあった外国からの借款100億ドルが「政策 業化の促進と輸出指向型工業化の同時追及と   29のもとでの外貨受け取り」に入っている いう工業化戦略が描かれていたのである。    (22)。石油輸出額が全体の68.8%と依然として 前者については,鉱工業投資の配分比率を   大きな比率を示しているが,1982−88年平均 みれば明らかである。消費財には全工鉱業投   の93.5%からすれば大幅な低下であり(23),

資のわずか10%しか投下されないのに対し   外貨の面で石油輸出依存型分配国家からの脱 て,中間財(鉄鋼,非鉄金属,製紙,人造繊   却が進行する(24)。

維,化学,肥料)には70%,資本財(農業機    (6)資金調達

械,輸送機器,電気機械,発電設備)には    次に開発政策の資金的裏づけをみることに 20%の資金が投下されることになっている。   しよう。第5表によれば期間中の投資総額 また外貨割り当てについても鉱工業全体の   29.3兆リアルのうち公的部門は,一般財政(開 45.4%が中間財産業に,31.9%が資本財産業   発予算)が8.2兆リアル(27.9%),公企業が に割り当てられていた(19)。さらに海外からの   5.7兆リアル(19.3%)であり,両者合計で 技術移転の促進(政策46),資本財・中間財   全体の47.2%を占める。それに対して民間部

にたいする関税等の免除の撤廃(一般政策8  門は,民間貯蓄が8.1兆リアル(27.5%),銀 一7)等が謳われている。その結果,製造業   行融資が7.4兆リアル(25.2%)であり,合計 付加価値額に占める資本財産業の比率は1988  で52.8%を占める。石油収入の急増によって 年の5.6%から8.5%へ,中間財産業の比率は   公的部門投資が優位を占めた1973/74〜1977

49.4%から63%へと上昇し,消費財産業の比   /78年に比べると,民間資本への依存度が高 率は45%から28.5%へと大幅に低下し,低い

製造業比率のもとでの重化学工業化が進行す    第4表 外貨収入(第一次5ヵ年計画)

る(20)。

他方,輸出促進策としては輸出手続の簡素 項  目 億ドル 化,輸出用リボルビングファンドの設置,自 原油・ガス・石油製品輸出 831.0 由貿易地域の創設などが実施される。非石油 非石油輸出 177.3 輸出予定額は175億ドルであり,1984−88年 農産物 30.2 の39.4億ドルの4.4倍もの高い水準が想定さ 工業製品 90.0 れている。輸出内訳も,それまで圧倒的比重 カーペット 44.0

伝統製品 13.0

を占めていたカーペットとピスタチオなどの サービス輸出 28.0

農産物輸出が後退し,かわって近代的製造業 観光 4.5

品が非石油輸出の51.4%を占めるにいたる。 その他 23.5

非石油輸出の拡大は国内生産基盤の強化と 投資収益 26.0 同時に,石油輸出に偏重している外貨収入源 政策29のもとでの外貨受け取り 120.0 の分散化を促進する。第4表によると,計画 その他の外貨受け取り 24.0 期間中の外貨収入は1207億ドルであり,その 合計 1207.3

うち石油・ガスの輸出831億ドル,非石油輸 注)原表の間違いにより個別項目の合計と 出177.2億ドル,サービス輸出28億ドル,投    総計との間には1億ドルの差がある・

      資料)第1表に同じ。Table No.9.資収益26億ドル,政策29のもとでの外貨受け

(10)

くなっていることが特徴である(25)。先にもみ  分野は額の多い順に,教育(政府投資比率 たように5ヵ年計画では社会サービス部門へ   88.0%),保健・衛生・医療(同71.0%),研 の投資の比重が高いことも特徴のひとつで   究(同99.8%),高等教育(同75.7%),技術・

あったが,同部門の資金調達の内訳をみると,  職業訓練(同88.7%)であり,以上の項目合 民間資金の調達比率が79.1%ときわめて高い  計で社会サービス向け政府開発予算の83.3%

ことがわかる。最大の項目をなす住宅建設で   を占めている。

は実に投資の94.0%が民間投資であり,公的    したがって社会サービス投資の多いことが 部門はわずか6.0%にすぎない。住宅建設だけ   当該計画の特徴といっても,そのほとんどを で民間投資の56.8%を占めている。それ以外   占める住宅や都市開発それに社会保障の充実 にも都市開発の89.8%,社会保障の96.8%は   は民間まかせであり,公的住宅の供給や公的 民間投資に依存することになっている。     社会保険制度の充実などに政府は積極的に関

他方,社会サービスで政府投資比率が高い   与しないのである。むしろこの分野での国家

第5表 固定資本投資資金の調達(第一次5ヵ年計画)

(単位:10億リアル)

開発予算 公 企 業 民間貯蓄 銀行融資 合   計

一般サービス 519.6 152.0 51.0 722.6

社会サービス 2466.4 468.4 6244.6 4849.5 14028.9

教育 800.0 21.7 87.1 908.8

文化・芸術 37.5 174.0 144.0 355.5

保健・衛生 456.0 158.5 28.0 642.5

社会保障・福祉 23.1 700.5 723.6

体育・青少年問題 50.0 一 一 5.2 55.2

都市開発 100.9 885.0 985.9

農村開発 58.0 『 16.5 一 74.5

住宅 115.6 443.7 4282.9 4494.1 9336.3

環境保護 2.0 2.0

地域開発 25.3 一 一 一 25.3

技術・職業教育 200.0 10.1 5.5 21.4 237.0

高等教育 213.7 68.7 282.4

研究 384.3 14.6 一

1.0

399.9

経済サービス 4002.8 5198.4 1670.7 2492.5 13364.4 農業・潅慨 787.2 128.8 726.3 1225.7 2868.0

水資源 787.2 27.8 122.0 183.4 1120.4

電力 171.2 1390.4 10.0 一 1571.6

工業 673.6 491.9 320.1 446.6 1932.2

石油 1301.0 一 一 1301.0

ガス 640.4 640.4

鉱業 289.6 121.7 50.0 75.7 537.0

商業 25.7 14.6 88.5 206.5 335.3

道路・運輸 1197.3 189.8 4.0 270.9 1662.0

郵便・通信 51.5 892.0 943.5

観光 19.5 一 349.8 83.7 453.0

その他 1200.2 一 一 1200.2

合 計 8189.0 5666.8 8067.3 7393.0 29316.4

資料)第1表に同じ。Table No.4.

(11)

の負担をなるべく減らすことに腐心してい   いということを意味していた。

る。もちろん住宅建設の場合には政府系金融    (7)財政とインフレーション

機関による低利融資などの多少の刺激策がと   政府の歳入は,第6表から明らかなように られるものの(26),政府資金の直接投入に比べ   1988年の3.15兆リアルから6.44兆リアルへと て目標達成における確実度が低下することは   2.0倍に拡大する。そのうち石油収入は0.9兆 否めない。こうしたことは社会主義的側面の   リアルから1.34兆リアルへと1.5倍に拡大す 充実というよりは,むしろ自由主義的原理の   る。しかしそれ以上に伸びが顕著なのは租税 拡大である。政府の社会サービス投資はむし   収入である。徴税組織の強化や法律の改正に ろ労働力の質の向上,労働力の保全,研究開   よって,1.15兆リアルから3.18兆リアルへと 発などに向けられている。いずれも国民の生   2.8倍に拡大する(29)。その他収入も公共料金 活基盤の充実をめざしたものというより,生   の値上げなどによって1.1兆リアルから1.92 産力の向上をめざした政策である。ただし社   兆リアルへと1.7倍に拡大する。その結果,歳 会サービスへの支出は資本支出より経常支出   入に占める石油収入の比率は1988年の28.6%

の方が多いので,そちらの方もみなければ確   から20.9%へと低下し,租税収入比率は たることはいえない。      36.5%から49.4%へ大幅に上昇する。

他方,経済サービスへの投資については公    これはルチアー二が設定した「歳入の40%

的部門の比率が68.8%とかなり高い。石油,   以上を海外からの収入に依存し,歳出がGDP ガス,郵便,通信,電力などは政府の独占で   のかなりの割合を占める」という分配国家の あるから,政府投資が100%を占めるのは当   大まかな基準を(3°),少なくとも前者について 然として,それ以外にも道路・運輸83.3%,   は満たしていないことになる。1988年当時で 水資源72.7%と政府投資比率が高く,工業に   も石油収入比率は歳入の4割を切っているの おいても60.3%となっている。これは工業に   だが,計画期間中の石油収入比率の低下は著 おいても国有企業が支配的部分を占めている   しく,歳入における脱石油化が決定的となる。

からである(27)。      財政を国民からの徴税でまかなうかそれとも 経済サービス分野で民間資金比率が高いの   海外から流入する富でまかなうかは生産国家 は観光(民間比率95.4%),商業(同87.9%),  か分配国家かを区別する最も重要な指標であ 農業(同58.1%)であり,いずれも小規模な   る。政策当局は,この計画において「租税国 民間資本や自作農が多数を占めている分野で   家化」を目指すことによって,石油収入の配

ある。その中でも最大の投資規模を占めるの   分に依存した分配国家的側面を薄め,生産国 は農業であり,それだけで経済サービス分野   家化を推し進める姿勢を明確に示したといっ の民間投資の46.9%を占めている(28)。     ていい。もっともドル建て石油輸出額は過大

このように固定資本投資については,国家   評価された公定レートでリアルに換算されて 資金および公企業投資のほとんどは生産力の   いることは留意しておくべきであるが。

向上に向けられ,固定資本投資の3割を占め,   歳出については1989−93年に1.5倍にしか

かつ雇用拡大の中核となる住宅建設は民間ま   拡大せず,歳入の伸びよりもかなり抑制され

かせとなっている。したがって数字の上では   ている。これは財政赤字を削減するためであ

社会サービス投資が多いとはいえ,そのほと   る。歳出の内訳をみると,資本支出は1.8倍に

んどを国家資金に比べて確実度の劣る民間資   拡大するのにたいして,経常支出は1.4倍にし

本に依存するということは,実際には生産力   か拡大しない。投資主導型の経済成長を実現

投資に比べ社会サービス部門の優先順位が低   するためにはどうしても資本支出の速い伸び

(12)

第6表 国家財政(第一次5ヵ年計画)

(単位:10億リアル)

1989/90年 1990/91年 1991/92年 1992/93年 1993/94年 計画合計 1993/89年 歳入 3150.0 4008.8 4721.7 5595.4 6442.1 23918.0 2.0倍

石油 900.0 1011.3 1142.3 1345.4 1344.0 5743.0 1.5倍

税金 1150.0 1688.0 2097.0 2592.0 3180.0 10707.0 2.8倍 その他 1100.0 1309.5 1482.4 1658.0 1918.1 7468.0 1.7倍

歳出 4448.0 5580.8 6065.6 6336.5 6534.6 28965.5 1.5倍 経常支出 3430.0 3923.5 4236.7 4482.1 4704.2 20776.5 1.4倍 資本支出 1018.0 1657.3 1828.9 1854.4 1830.4 8189.0 1.8倍 財政赤字 1298.0 1572.0 1343.9 741.1 92.5 5047.5

(%)

歳入 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0

石油 28.6 25.2 24.2 24.0 20.9 24.0

税金 36.5 42.1 44.4 46.3 49.4 44.8

その他 34.9 32.7 31.4 29.6 29.8 31.2

歳出 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0 100.0

経常支出 77.1 70.3 69.8 70.7 72.0 71.7

資本支出 22.9 29.7 30.2 29.3 28.0 28.3

財政赤字 29.2 28.2 22.2 11.7

1.4

17.4

注)財政赤字,赤字補填,繰り越しの%は対歳出比。

資料)第1表に同じ。Table No.5.

を確保しなければならない。そのしわ寄せが   質の向上,労働力保全におかれているといえ 経常支出にきている。      よう。しかも教育や医療の一部に民間資金を

経常支出の中で伸びが鈍いかマイナスなの   導入し,自由主義的原理の拡大を図ったり(一 は国防(1.07倍),国防関連(0.9倍)であり,  般政策3),社会保障費の伸びを1.29倍に抑制 他方,経済サービス(1.72倍),社会サービス   していることは,社会主義的側面の後退につ

(1.65倍),一般サービス(1.64倍)は伸びが   ながっていく。

速い。そのなかでも伸びが早いのは,社会    いずれにせよこうした措置により政府の財 サービスでは教育(1.65倍),保健・医療(1.72  政赤字はわずか5年間でGDPの一9.6%から 倍),経済サービスでは商業(4.85倍),一般   一〇.3%へと一気に縮小する。

サービスでは治安(1.56倍),などである(31)。   それにしてもGDPの10%近くに達した財 終戦にともなう軍事費負担の軽減がそれら  政赤字をわずか5年で解消することは容易で サービスへの支出増を可能としている。    はない。「計画」がそこまで財政赤字の縮小を

しかし絶対額でみると,国防・国防関連,   急ぐ理由は,1980年代後半の大幅な財政赤字 国内治安維持が経常支出の32.2%,教育支出   のほとんどを中央銀行引き受けによって補填

(職業教育,研究も含む)が30.5%,保健・  したことの弊害を政策当局が強く認識してい

衛生・医療が9.5%と,三者計で72.2%を占め   たからである。たとえば1988年に流動性は

ていることは,ここでも固定資本投資の場合   21.0%の伸びを示し,財・サービス価格は

と同じように社会サービスの重点は労働力の   28.5%もの激しい上昇を記録していた。今回

(13)

はその轍を踏まぬよう,租税収入の拡大,経   一部導入,新たな人間類型の創出など多くの 常支出の伸びの抑制などで財政赤字を縮小さ  面にわたって脱石油化を目指すことによって せると同時に,固定資本投資に対する民間貯   分配国家的側面を薄め,生産国家化を強力に 蓄の動員を企図していた。それが実現すれば,  推し進めようとする政策で満ち満ちている。

生産増とあわせてインフレーションの昂進を   ラフサンジャニが生産国家的側面を政治的に おさえることができる。「計画」では流動性の   体現していることは明らかである。

伸びは最終年にはわずか3.5%の伸びにとど    しかし第1次5ヵ年計画は諸政治勢力間の まり,5ヵ年平均でも8.2%の低い伸びであ  妥協の産物であり,ラフサンジャニの考え方 る。それに対応してインフレ率は1993年には   が全面的に計画に取り入れられたわけではな 9%に低下する。インフレ率の引き下げは流   かった。ポピュリズム的側面や分配国家的側 通部門に流れていた投資を生産部門へ引き戻   面も依然としてそれなりの影響力を「計画」

す効果をもつ。つまり生産国家化を促進する。  のなかに保持していた。急進派の政治的影響 このようにみてくると,経済成長と並んで   力が低下したとはいえ,当該計画を審議した 財政赤字の解消がきわめて重要な政策目標で   第3議会においては急進派が多数派を形成し あることがわかる。一見矛盾する両者の同時   ていたのである。ラフサンジャニの「計画」

追及を可能とするものが,一方では租税収入   もはじめからそれを考慮したものにならざる を中心とした歳入増であり,他方では国家資   をえなかった。

金の不足を補う民間資金の大量動員である。

「計画」の成否は課税強化と民間資金の大量   第2節 残存するポピュリズム的側面,分配 動員にかかっていたといってもいい。         国家的側面

(8)生産国家的人間類型の強調        (1)国有企業

そして「計画」では生産国家的価値観が強    国有企業の詳細についてはその数も含めて 調される。そもそも「計画」の経済目標自体   不明である。筆者は以前,広義の公企業数を が「生産性の向上」をともなう経済成長を謳っ   1000社程度と推計したが,Baktiariによれば,

ている。さらに政策6では「法律,規律,協   国会の計画予算委員会の調査結果として,

力,チームワークを尊重する姿勢をうえつけ,  2221社という数字があげられている(32)。そち 生産労働や生産活動の神聖さや価値を認めさ   らの方が正しいだろう。その他に宗教財団所 せ・・」とある。生産性,規律,チームワーク,  有の準公企業とでもいうべきものが少なく見 生産労働の神聖視などは,まさに生産国家に   積もっても450社ほどあるので,それも含める 適合的な人間類型の創出を提示したものであ   と2700社以上に達する。イランの国有企業は

るといえる。それは生産性や労働規律などに   生産財部門だけでなく,国民生活に直接かか 無頓着な分配国家に適合的なバザール経済的   わる消費財部門にまで広く分布していること 人間類型と対極をなすものであり,生産国家   が他の途上国との比較で特徴となっている(33)。

化を推し進めるうえで,実は最も重要な課題   そして近代的大企業のほとんどが国有企業で であるといえる。       あるが,2221社という数の多さからして中小

規模の国有企業もかなり存在していると推測

以上みてきたようにラフサンジャニの「計   できる。国有企業数がこれほど多いのは,イ

画」は投資の拡大,人口抑制,生産性の向上,  ラン革命がシャー体制を打破したとき,それ

産業構造および貿易構造の変革,財政規律の   と密接に結びつきながら発展をとげた産業資

導入,租税国家化の促進,自由主義的原理の   本家が標的にされ,主要な産業企業は大から

(14)

小にいたるまで革命勢力によりほとんど接収    (2)為替管理

されてしまったからである。国有企業はイス   分配国家の特徴として,政府がほとんどの ラーム急進派のひとつの拠点となっていた。   外貨の直接的受けとり手となっているため,

大半の国有企業が非効率的な経営や生産を   外国為替市場において政府は外貨の一一方的売 おこなっており,経常赤字の補填や投資資金   り手として現れるという点がある。そのため の供給などで政府の財政負担にはかなり大き   政府は長期にわたって為替相場をかなり意図 なものがあるといわれている。その国有企業   的に操作することができる。

をどうするかは単に財政上の問題だけではな    イランでは革命後,厳格な為替管理が導入 く,効率的な企業をいかに育成していくかと   された。資本流出の防止と石油収入激減によ いう生産国家化との関連においても重要な問   る外貨不足に対処するためである。国際的孤 題である。イスラーム勢力の経済的支柱と   立状態のもとでは外国資金の流入も望めな なっている宗教財団傘下の企業については   かったが,何よりも革命政府の方が外国への まったく不明である。      依存を嫌っていた。そして政府は経済のファ

「計画」では,民間資金の生産投資への動   ンダメンタルの悪化にもかかわらず,公定為 員が強調され,国有企業の一部民営化にも言   替レートをシャーの時代とあまり変わらない 及されている。しかし鉱工業投資額の64%が   水準に据えおいたから,リアルの過大評価が 公的部門によって供給されることからわかる   進行した(35)。

ように,生産力投資の中心は政府,国有企業    しかしイランにとってそれはかならずしも であり,民間資本はその補完的役割を果たす   都合の悪いものではなかった。というのは石 にすぎない。また国有企業の民営化について   油の輸出価格は世界市場においてドル建てで も,株式の民間への売却を促進するとは述べ   決定されるから,産油国の為替レートを高め られているものの,大企業,基幹的企業は除   に固定しても石油輸出が阻害されるわけでは 外すると規定されている(政策47)。国営企   なかった。さらにその方が消費財および生産 業が生産力の基幹部分を掌握している以上,  財を安価に輸入できるから,インフレーショ 早急にそれを民営化することは現実的ではな   ンの昂進を防ぎ,実質賃金を高めに維持する いし,革命の大義とも衝突する。そこで「計   ことができる。生産基盤の弱い分配国家に 画」では国有企業の所有形態にはあまり手を   とっては,為替相場を切り下げても非石油輸 つけず,むしろその経営面での改革を提案し   出は増大せず,かえって国内のインフレー ている。       ションを昂進させるだけである。そのような

政策29では赤字国有企業の経営的自立を促   理由からイランでは世界でも最悪といわれる し,財政を通じた補填などを廃止したいとし   ほどのリアルの過大評価が維持されることに ているし,一般政策6でも生産活動をおこ  なった。1990年頃,自由市場でのプレミアム なっている国有企業の状況を改善し,利潤を   は公定レートの2000%近くに達していた(36)。

生むようにすることが強調されている。つま    リアルの過大評価は,輸入業者に隠れた補

り財政負担の軽減と同時に,経営や生産の合   助金を支出し,非石油輸出業者には隠れた税

理化,効率化を意図している(34)。       金を課すことを意味する。それは一・方で輸入

しかし総じて国有企業への言及は少なく,   をはじめとした流通部門での利潤を拡大する

宗教財団参加の企業も含めて国有企業はラフ   が,他方で貿易財生産部門での利潤を圧縮す

サンジャニといえどもそう簡単に手をつけら   る。補助金を撒布しながら,他方で国内の生

れない聖域であることを示している。     産基盤を弱体化させる為替の大幅な過大評価

(15)

は分配国家をゆがんだ形で支える経済政策で   り意味をもたなかった。

あるといえる。したがって為替相場を統一し,   外貨配分に加えて,1980年半ばに商務省内 その水準を自由市場の水準近くまで切り下げ   に設立されたCPDI(輸入品調達配給セン ようとする試みは,分配国家的側面を後退さ  ター)が貿易統制のもうひとつの手段となっ せ,生産国家的側面を復活させようとする動   ていた(4°)。CPDIは金属,繊維,パルプ,紙,

きなのである。それはさらに輸入物価の上昇   機械,部品,電化製品,食品,プラスティッ をとおして低所得層の生活水準を切り下げる   ク製品,化学,電子機器の輸入を独占すると から,政府による何らかの救済措置がとられ   ともに,すべての輸入品はhCを開設するため なければ,ポピュリズム的側面の後退をも意   にCPDIをとおさなければならないうえに,

味している。       輸入品の少なくとも30%はCPDIをとおして イランでは過大評価を多少緩和するため  販売しなければならなかった(41)。このような に,基準となる公定レートを固定したまま,  規制は,為替レートの過大評価により輸入業 次々とより切り下げられた為替レートを導入   者の手元に流入する「隠れた補助金」を除去

していった。その結果,戦時中に7つもの為   しようとするものであり,貿易を舞台とした 替相場が存在することになった。それでも貿   民間資本の利得活動を押さえ込もうとするポ 易加重平均レートは1ドル=394.2リアルに   ピュリズム的側面に起因するものである。

すぎず,自由市場レートとの乖離は280%程   「計画」では貿易については,一一般政策8で,

度に達していた(37)。      「重要な消費物資や戦略的な物資については

「計画」では為替相場に言及されている個所   今までどおり国家独占とする」と述べられて はほとんどない。せいぜい一般政策1で,「通   いる。したがって上のような国家管理体制を 貨を強くする」と指摘されている程度である。  基本的には維持しようとしている。

また外貨配分に関連して政策50に為替レート   しかしその他の分野では規制をやや緩めて が取り上げられているが,そこでは複数為替   いる。たとえば生産工場は自家消費用の原材 相場制の維持が当然の前提とされている。こ   料等を政府の監視のもとに直接輸入できるよ うしたことは公定レートの水準や複数為替相   うになったほか,協同組合や民間資本による 場制の変更について大統領周辺で意見が統一   輸入は,非石油輸出によってファイナンスさ できなかったか,あるいはAmirahmadiの指   れることを前提に,奨励さるべきであるとさ 摘するように,そのような意図がなかったこ   れた。もっとも非石油輸出額は「計画」では とを示している(38)。      全外貨収入の14.7%を占めるにすぎないか

(3)貿易統制と価格規制         ら,それほど大きな額ではないが。

厳格な為替管理は貿易統制と同義である。    次に価格規制についてみよう。戦時中は砂

政府は輸出によって獲得した外貨の範囲内に   糖,植物油,衣類などの重要消費物資につい

輸入を圧縮し,経常黒字を確保するため,毎   ては直接価格規制が行われていた。それ以外

年外貨予算を作成し,為替レートごとに外貨   にも為替管理との関連で輸入品の価格に多く

の配分額や優先順位を決めていた(39)。基本的  の規制がかけられていた。たとえばCPDIが

には外貨配分を受けなければ物資の輸入は不   直接輸入した物資あるいはそれによって輸入

可能であったから,輸入についてはかなり厳   が認められた物資の価格は,インボイス価格

格な数量規制が課せられていたことになる。   に5%の利益を上乗せした水準に規制されて

関税は,過大評価された為替レートが計算基   いた(42)。そうした価格規制品目は1989年時点

準とされたため,貿易制限措置としてはあま   で296にも達していた(43)。

(16)

さらに小麦粉のように多額の補助金が支出   は次の3つに整理された。

されていたり,エネルギーのように国際市場    ①公定レート:1ドル=約70リアル よりはるかに低い価格で国有企業から供給さ   ②競争レート:1ドル=600リアル れるものもあった。それらは戦時下で国民に   ③フローティングレート:1ドル=1350〜

最低限の生活を保障し,社会的安定を維持す     1400リアル(45)

るために不可欠の政策であった。もっとも政    従来に比べて相場数は減少したものの,公 府の規制は万全ではなく,イラン経済は常に  定レートとフローティング・レートとの間に 供給不足状態にあったから,さまざまな物資   は依然2000%近くの乖離があった。公定レー についてブラックマーケットや二重価格が常   トで輸入できる対象は重要物資に限られ,そ 態となっていた。      れ以外については残り二つのレートか適用さ

「計画」では価格規制のある程度の緩和が提   れる(46)。外貨割り当ては公定レートおよび競 示されているが、力点はむしろ補助金の削減   争レートが適用される物資に対して行われ

にあった。たとえば公共料金について値上げ   た。そして全輸入額に占める公定レート輸入 の方向が打ちだされている。また「規制が必   の割合を1990年の69.1%から1992年の50%に 要と思われる農産物,畜産品,工業製品,サー   まで減らしていったから,為替レートは実質

ビスの価格については,平均コストに慣習的   上切り下げられ(47),貿易加重平均は1990年の な利潤率を上乗せした水準に決定さるべきで   1ドル=394.2リアルから1992年の1ドル=

ある」と述べられている(一般政策5−2)。  655.1リアルへと低下した(48)。

これは,価格規制は維持するが,補助金を削    為替相場の整理以降,1993年2月まで,自 減するという方向を示したものであろう。   由市場レートは平均で5.7%の下落にとどま

1990/91年の補助金はGDPの4.3%にも達し   り,比較的落ち着いた動きをみせていた。フ ていた(44)。補助金の削除はポピュリズム的側   ローティングレートも同期間に4.6%の下落 面の後退を意味する。      にとどまり,自由市場レートと連動して動い

このように生産国家的側面の復活を目指し   ていた(49)。

たラフサンジャニの「計画」も,基本的には    そして1993年3月に公定為替レートがフ 国有企業体制と厳格な為替管理には手をつけ   ローティング・レートー本に統一された。そ ることはできなかった。貿易と価格について   れは中央銀行が,自由市場レートの動向を考 は規制緩和措置が講じられ,市場メカニズム  慮しながら,日々公定レートを決定していく を導入したり民間企業の活動余地を拡大しよ   という管理フロートであった。しばらくのあ うとしてはいるが,それらはあくまでも周辺   いだ,相場は1ドル=1600リアル前後で推移 部分での変化にとどまり,基本的な政策は自   し,自由市場レートとの乖離はわずかであっ 由化からは程遠いものであった。       た。外貨割り当ては廃止され,ひとり一回5000 ところが「計画」の実施段階で,当初予定   ドルまでの外貨を商業銀行から購入できるよ していなかった「自由主義的な政策」が次々   うになった(5°)。これには回数制限がなかった と展開され,「計画」は変質していった。    から,国民は実質上自由に外貨が購入できる

ことになった。

第3章 実施段階における自由化の

急速な進展      第2節 貿易の自由化と価格規制の縮小 第1節 為替相場の整理と切り下げそして統一    複数為替相場の整理そして為替管理の自由

1991年1月末,今まで7つあった為替相場   化にともない貿易面での自由化も進展した。

参照

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