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Vol.65 , No.1(2016)083中西 俊英「『十門和諍論』における会通の方法とその周辺」

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(1)

し,両者の矛盾を会通するものである.([1][2]および○は筆者挿入.) [1]○○○○,○○○有.此所許有,不異於空.故雖如前,而非増益. [2]仮許是有,実非堕有.此所許有,非不堕有.故雖如後,而非損減. 前説実是有者,是不異空之有.後説不堕有者,不堕異空之有.是故俱許而不相違.(KBZ1, 838a) 『和諍論』は,「空と異ならない有」という立場から両者の主張を認めようとする. 空と異ならない有というのは,先行研究が指摘するように6),吉蔵(549–623) 『二諦義』(T45, 105c)などに確認される.ただし,吉蔵では「非異空之有(空と異 なる有ではない)」という否定的表現であり,元暁のような肯定的表現ではない. 上記の箇所のすぐ後,『和諍論』は「然(肯定)」「非然(否定)」という概念を用 いて会通をすすめる. 由非不然,故得俱許.而亦非然,故俱不許.此之非然不異於然.喩如其有不異於空.是 故,雖俱不許,而亦不失本宗.是故,四句並立而離諸過失也.(KBZ1, 838a) 冒頭箇所では,二重否定を経た「然」によって両説を認め,「非然」によって両説 を認めないとある.このロジックはよく分からないが,これによって四句がすべ て過失を離れて成り立つという. 筆者が注目したのは,下線を付したように,有と空とが相違しないことと同様, 「然(肯定)」と「非然(否定)」も相違しないとする点である.いうなれば,「空と 異ならない有」を前提にした有と同様,「然と異ならない非然」「非然と異ならな い然」に裏付けられた「然」と「非然」である.四句すべてを認めるロジックに も空有相即の理論が前提とされている. ただし,より詳しくいえば,空・有の相依関係を然・非然の相依関係と関連さ せるのは,三論教学の横論顕発(因縁釈)・竪論顕発(理教釈)7)によると思われ る.この考えでは「真・俗」「空・有」などを「横」の相依関係,「真・不真」な どの否定による相依関係を「竪」の相依関係とし,「横」と「竪」は流動的であっ て固定的ではなく,すべてが相即する.『和諍論』でいえば,「空・有」が横の相 依関係であり,「然・非然」が竪の相依関係となろう.このような立体的かつ批判 的な吟味は三論教学の特徴であり,『和諍論』に影響をあたえている. なお,肯定(「然」)と否定(「非然」)を用いた会通方法は,元暁の他の著作でも しばしば確認される8).肯定と否定を縦横無尽に駆使するのは三論教学にもとづ 『十門和諍論』における会通の方法とその周辺(中 西) (21)

『十門和諍論』における会通の方法とその周辺

中 西 俊 英

1.はじめに

本論文の考察対象である『十門和諍論』(以下,『和諍論』)の完本は未発見であ り,高麗以降に散失した.法金剛院所蔵の『大乗経律論疏記目録』には「二巻五 十紙」と記録される1)が,現存写本は 1930 年代に韓国で発見された六紙分(一紙 十八行,一行二十字)で,翻刻が『韓国仏教全書』第 1 巻に収録される.内容につ いて,鎌田茂雄(1981, 4)は「後半三紙が仏性についての有無を論じ,前半三紙は 三性によって空有を論じ」ると指摘し,六紙分の書き下しをおこなっている.た だし,句読の打ち方などあらためるべき点もあり,注意が必要である.また,C. Muller(2011, 161–176)は,解題と『韓国仏教全書』所収テキストの英訳2)を収録 する.こちらの英訳も,経典の引用の誤り3)や未調査の箇所4)がある他,断簡部 分のみで十門の体裁に強引に整える点など,疑問に思う箇所が少なくない. なお,著者について,元暁(618–686)にかんする最古の史料であり,新羅の哀 荘王(在位 800–809)の時代に記された「誓幢和尚碑文」に『和諍論』の名が記さ れており5),早くから元暁と認められていたようである.また,日本においても, 智憬撰述の可能性が指摘される『大乗起信論同異略集』(KBZ3, 695a)や,聖詮『華 厳五教章深意』(T73, 3c)なども,元暁の著作として『和諍論』を引用する. 本論文では,『和諍論』の内容のうち,「有」「仏性」という 2 つの問題にかんす る議論を対象とし,関連する先行研究を紹介しつつ,『和諍論』における会通の方 法と影響について考察したい.

2.有についての議論と会通

『和諍論』の前半部分(KBZ1, 838a–840a)では,有について議論がなされる.た だし,この箇所は,残存箇所からはじまるわけではなく,直前部分に欠落がある. 有についての議論とは,有について「実是有」「不堕有」という 2 つの主張を措定 (20) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 1 号 平成 28 年 12 月

(2)

し,両者の矛盾を会通するものである.([1][2]および○は筆者挿入.) [1]○○○○,○○○有.此所許有,不異於空.故雖如前,而非増益. [2]仮許是有,実非堕有.此所許有,非不堕有.故雖如後,而非損減. 前説実是有者,是不異空之有.後説不堕有者,不堕異空之有.是故俱許而不相違.(KBZ1, 838a) 『和諍論』は,「空と異ならない有」という立場から両者の主張を認めようとする. 空と異ならない有というのは,先行研究が指摘するように6),吉蔵(549–623) 『二諦義』(T45, 105c)などに確認される.ただし,吉蔵では「非異空之有(空と異 なる有ではない)」という否定的表現であり,元暁のような肯定的表現ではない. 上記の箇所のすぐ後,『和諍論』は「然(肯定)」「非然(否定)」という概念を用 いて会通をすすめる. 由非不然,故得俱許.而亦非然,故俱不許.此之非然不異於然.喩如其有不異於空.是 故,雖俱不許,而亦不失本宗.是故,四句並立而離諸過失也.(KBZ1, 838a) 冒頭箇所では,二重否定を経た「然」によって両説を認め,「非然」によって両説 を認めないとある.このロジックはよく分からないが,これによって四句がすべ て過失を離れて成り立つという. 筆者が注目したのは,下線を付したように,有と空とが相違しないことと同様, 「然(肯定)」と「非然(否定)」も相違しないとする点である.いうなれば,「空と 異ならない有」を前提にした有と同様,「然と異ならない非然」「非然と異ならな い然」に裏付けられた「然」と「非然」である.四句すべてを認めるロジックに も空有相即の理論が前提とされている. ただし,より詳しくいえば,空・有の相依関係を然・非然の相依関係と関連さ せるのは,三論教学の横論顕発(因縁釈)・竪論顕発(理教釈)7)によると思われ る.この考えでは「真・俗」「空・有」などを「横」の相依関係,「真・不真」な どの否定による相依関係を「竪」の相依関係とし,「横」と「竪」は流動的であっ て固定的ではなく,すべてが相即する.『和諍論』でいえば,「空・有」が横の相 依関係であり,「然・非然」が竪の相依関係となろう.このような立体的かつ批判 的な吟味は三論教学の特徴であり,『和諍論』に影響をあたえている. なお,肯定(「然」)と否定(「非然」)を用いた会通方法は,元暁の他の著作でも しばしば確認される8).肯定と否定を縦横無尽に駆使するのは三論教学にもとづ

『十門和諍論』における会通の方法とその周辺

中 西 俊 英

1.はじめに

本論文の考察対象である『十門和諍論』(以下,『和諍論』)の完本は未発見であ り,高麗以降に散失した.法金剛院所蔵の『大乗経律論疏記目録』には「二巻五 十紙」と記録される1)が,現存写本は 1930 年代に韓国で発見された六紙分(一紙 十八行,一行二十字)で,翻刻が『韓国仏教全書』第 1 巻に収録される.内容につ いて,鎌田茂雄(1981, 4)は「後半三紙が仏性についての有無を論じ,前半三紙は 三性によって空有を論じ」ると指摘し,六紙分の書き下しをおこなっている.た だし,句読の打ち方などあらためるべき点もあり,注意が必要である.また,C. Muller(2011, 161–176)は,解題と『韓国仏教全書』所収テキストの英訳2)を収録 する.こちらの英訳も,経典の引用の誤り3)や未調査の箇所4)がある他,断簡部 分のみで十門の体裁に強引に整える点など,疑問に思う箇所が少なくない. なお,著者について,元暁(618–686)にかんする最古の史料であり,新羅の哀 荘王(在位 800–809)の時代に記された「誓幢和尚碑文」に『和諍論』の名が記さ れており5),早くから元暁と認められていたようである.また,日本においても, 智憬撰述の可能性が指摘される『大乗起信論同異略集』(KBZ3, 695a)や,聖詮『華 厳五教章深意』(T73, 3c)なども,元暁の著作として『和諍論』を引用する. 本論文では,『和諍論』の内容のうち,「有」「仏性」という 2 つの問題にかんす る議論を対象とし,関連する先行研究を紹介しつつ,『和諍論』における会通の方 法と影響について考察したい.

2.有についての議論と会通

『和諍論』の前半部分(KBZ1, 838a–840a)では,有について議論がなされる.た だし,この箇所は,残存箇所からはじまるわけではなく,直前部分に欠落がある. 有についての議論とは,有について「実是有」「不堕有」という 2 つの主張を措定

(3)

含めた問題とする.これによって『涅槃経』の経文は「悉有仏性」を説くのでは なく,一部の者の成仏を説く経文とも解釈され,無仏性の立場とこの経文は矛盾 しない.「又言」以降の『涅槃経』の引用とその解釈も同様である.『和諍論』は, 経文を読みかえることで,経文の偏った解釈を相対化し,両者から容認可能なも のとして会通する.また,反対主張の根拠となる経論に,自説への固執を解消す る役割を与える点も特徴的である. 続く【d】は【a】と反対の「皆有仏性」にたいする批判である.無性有情の存 在を述べる玄奘訳『顕揚聖教論』(T31, 581b)の経文を引用し,その後,「一切皆成 仏」への疑義を紹介する.なお,「一切皆成仏」への疑義は,法蔵(643–712)の 『五教章』との関連が指摘されている10) その後,【e】では以下のように『顕揚聖教論』を解釈する. 執皆有性論者,通曰,彼『新論』文正破執於先来無性而後転成有性義者.如彼文言,「謂 不応言於現在世雖非般涅槃法,於余生中可転為般涅槃法故」.今所立宗本来有性,非謂先 無而後転成.故不堕於彼『論』所破.又,彼教意立無性者,為欲廻転不求大乗之心.(KBZ, 839c–840a) 『和諍論』は,無仏性を説くとされる『顕揚聖教論』などの経文を,皆有仏性を批 判せず,無仏性が転じて有性となる説を批判するものと解釈する.また,無仏性 を立てる理由について,大乗へと迴心させる方便という解釈も示している.この 解釈では『顕揚聖教論』の経文は両者から容認可能となる. 以上,『和諍論』における仏性にかんする議論とその会通の仕方について考察し た.端的にいえば,『和諍論』は,相反する立場からでも容認しうるように,経文 の固定的解釈を相対化して会通するのである.

4.

『和諍論』の会通方法の影響

上来確認した『和諍論』の会通の方法について,筆者は法蔵『五教章』に影響 を与えたと考える. 『五教章』義理分斉・三性同異義は,「有(似有)」「空(無性)」という依他起性 の二義を説明する中で,有と空の二つの意味を会通する.その際,法蔵は,どち らか片方に固執すれば断・常の過があるとし,『摂大乗論』は「空と異ならない 有」として依他起性の有を,『中論』は「有と異ならない空」として依他起性の空 を説いたとして経文を解釈する11).さらに,末代の機根は鈍く,「空と異ならな い有」という前提は理解できず,断常二過に陥り,これを解消するため清弁や護 『十門和諍論』における会通の方法とその周辺(中 西) (23) くが,元暁『起信論疏』はさらに「立破無礙」として『大乗起信論』の根本的主 張(宗体)とする9).筆者は,元暁の思想史的な独自性について,会通のみなら ず,三論教学の相即理論と『大乗起信論』とを関連づけた点にあると考えている.

3.仏性をめぐる二説とその会通

『和諍論』の後半部分(KBZ1, 839a–840a)では,仏性をめぐる二説がテーマであ る.ただし,前半部分同様,その前に欠落箇所がある.C. Muller(2011, 161–176) は,この箇所の科段を,“Nonduality and the Universality of Buddha Nature”・“Buddha Nature Is without Beginning and without End” の二段に区分する.しかし,筆者はこ の箇所の議論の流れを以下のように考える. 【a】「一分無仏性」にたいする批判(KBZ1, 839a l. 17 – l. 23) 【b】決定相違の過失(KBZ1, 839a l. 23 – 839b l. 5) 【c】『涅槃経』の再解釈による会通(KBZ1, 839b l. 5 – l. 22) 【d】「皆有仏性」にたいする批判(KBZ1, 839b l. 22 – 839c l. 18) 【e】『顕揚聖教論』の再解釈による会通(KBZ1, 839c l. 18 – 840a l. 2) 【a】の「一分無仏性」への批判では,曇無讖訳『涅槃経』の「衆生仏性,不一 不二.諸仏平等,猶如虚空,一切衆生,同共有之」(T12, 539a)などの経文を引用 し,「一分無仏性」の主張は,平等の法性や同体の大悲と相違すると批判する. 次の【b】では,「(宗1)定有無性・(因1)一切界差別可得故・(喩1)如火性中無 水性者」「(宗2)定皆有性・(因2)一味性可得故・(喩2)如諸麤色聚悉有大種性」 という因明の三支作法にもとづく二つの論理式を決定相違(相互に矛盾する主張を 正当に決定している)と指摘する. そして,【c】では,「一分無仏性」への批判の根拠となる『涅槃経』の経文を以 下のように解釈する. 執有無性論者,通曰,『経』言「衆生悉有心」者,汎挙一切有性・無性・未得・已得諸有 情也.凡其有心当得菩提者,於中簡取有性未得之有心也.設使一切有心皆当得者,已得 菩提者,亦応当得耶.故知,非謂一切有心皆当得也.又言,「猶如虚空一切同有」者,是 就理性,非説行性也.又説,「一因一果,乃至一切当得常・楽・我・浄」者,是約少分一 切,非説一切一切.如是諸文皆得善通.(KBZ1, 839b) ここでは,無仏性説に固執するものにたいして,『涅槃経』の解釈を提示してい る.下線を引いた箇所から端的に看取されるように,有性・無性のみならず,未 得・已得などの観点を含めることで,有仏性・無仏性のみならず成仏・不成仏を (22) 『十門和諍論』における会通の方法とその周辺(中 西)

(4)

含めた問題とする.これによって『涅槃経』の経文は「悉有仏性」を説くのでは なく,一部の者の成仏を説く経文とも解釈され,無仏性の立場とこの経文は矛盾 しない.「又言」以降の『涅槃経』の引用とその解釈も同様である.『和諍論』は, 経文を読みかえることで,経文の偏った解釈を相対化し,両者から容認可能なも のとして会通する.また,反対主張の根拠となる経論に,自説への固執を解消す る役割を与える点も特徴的である. 続く【d】は【a】と反対の「皆有仏性」にたいする批判である.無性有情の存 在を述べる玄奘訳『顕揚聖教論』(T31, 581b)の経文を引用し,その後,「一切皆成 仏」への疑義を紹介する.なお,「一切皆成仏」への疑義は,法蔵(643–712)の 『五教章』との関連が指摘されている10) その後,【e】では以下のように『顕揚聖教論』を解釈する. 執皆有性論者,通曰,彼『新論』文正破執於先来無性而後転成有性義者.如彼文言,「謂 不応言於現在世雖非般涅槃法,於余生中可転為般涅槃法故」.今所立宗本来有性,非謂先 無而後転成.故不堕於彼『論』所破.又,彼教意立無性者,為欲廻転不求大乗之心.(KBZ, 839c–840a) 『和諍論』は,無仏性を説くとされる『顕揚聖教論』などの経文を,皆有仏性を批 判せず,無仏性が転じて有性となる説を批判するものと解釈する.また,無仏性 を立てる理由について,大乗へと迴心させる方便という解釈も示している.この 解釈では『顕揚聖教論』の経文は両者から容認可能となる. 以上,『和諍論』における仏性にかんする議論とその会通の仕方について考察し た.端的にいえば,『和諍論』は,相反する立場からでも容認しうるように,経文 の固定的解釈を相対化して会通するのである.

4.

『和諍論』の会通方法の影響

上来確認した『和諍論』の会通の方法について,筆者は法蔵『五教章』に影響 を与えたと考える. 『五教章』義理分斉・三性同異義は,「有(似有)」「空(無性)」という依他起性 の二義を説明する中で,有と空の二つの意味を会通する.その際,法蔵は,どち らか片方に固執すれば断・常の過があるとし,『摂大乗論』は「空と異ならない 有」として依他起性の有を,『中論』は「有と異ならない空」として依他起性の空 を説いたとして経文を解釈する11).さらに,末代の機根は鈍く,「空と異ならな い有」という前提は理解できず,断常二過に陥り,これを解消するため清弁や護 くが,元暁『起信論疏』はさらに「立破無礙」として『大乗起信論』の根本的主 張(宗体)とする9).筆者は,元暁の思想史的な独自性について,会通のみなら ず,三論教学の相即理論と『大乗起信論』とを関連づけた点にあると考えている.

3.仏性をめぐる二説とその会通

『和諍論』の後半部分(KBZ1, 839a–840a)では,仏性をめぐる二説がテーマであ る.ただし,前半部分同様,その前に欠落箇所がある.C. Muller(2011, 161–176) は,この箇所の科段を,“Nonduality and the Universality of Buddha Nature”・“Buddha Nature Is without Beginning and without End” の二段に区分する.しかし,筆者はこ の箇所の議論の流れを以下のように考える. 【a】「一分無仏性」にたいする批判(KBZ1, 839a l. 17 – l. 23) 【b】決定相違の過失(KBZ1, 839a l. 23 – 839b l. 5) 【c】『涅槃経』の再解釈による会通(KBZ1, 839b l. 5 – l. 22) 【d】「皆有仏性」にたいする批判(KBZ1, 839b l. 22 – 839c l. 18) 【e】『顕揚聖教論』の再解釈による会通(KBZ1, 839c l. 18 – 840a l. 2) 【a】の「一分無仏性」への批判では,曇無讖訳『涅槃経』の「衆生仏性,不一 不二.諸仏平等,猶如虚空,一切衆生,同共有之」(T12, 539a)などの経文を引用 し,「一分無仏性」の主張は,平等の法性や同体の大悲と相違すると批判する. 次の【b】では,「(宗1)定有無性・(因1)一切界差別可得故・(喩1)如火性中無 水性者」「(宗2)定皆有性・(因2)一味性可得故・(喩2)如諸麤色聚悉有大種性」 という因明の三支作法にもとづく二つの論理式を決定相違(相互に矛盾する主張を 正当に決定している)と指摘する. そして,【c】では,「一分無仏性」への批判の根拠となる『涅槃経』の経文を以 下のように解釈する. 執有無性論者,通曰,『経』言「衆生悉有心」者,汎挙一切有性・無性・未得・已得諸有 情也.凡其有心当得菩提者,於中簡取有性未得之有心也.設使一切有心皆当得者,已得 菩提者,亦応当得耶.故知,非謂一切有心皆当得也.又言,「猶如虚空一切同有」者,是 就理性,非説行性也.又説,「一因一果,乃至一切当得常・楽・我・浄」者,是約少分一 切,非説一切一切.如是諸文皆得善通.(KBZ1, 839b) ここでは,無仏性説に固執するものにたいして,『涅槃経』の解釈を提示してい る.下線を引いた箇所から端的に看取されるように,有性・無性のみならず,未 得・已得などの観点を含めることで,有仏性・無仏性のみならず成仏・不成仏を

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 8)石井公成(1996, 214, n. 20)の指摘による.  9)元暁『起信論疏』:是以,開合自在,立破無礙.開而不繁,合而不狭,立而無得,破 而無失.是為馬鳴之妙術,『起信』之宗体也.(T44, 202b) 10)くわしくは鎌田茂雄(1981, 8–11)を参照されたい. 11) 紙幅の都合上,「空と異ならない有」を前提に『摂大乗論』は依他起性の有を説くと する解釈のみ示す. 法蔵『五教章』義理分斉・三性同異義:問.若説依他性是有義,便有失者,何故『摂 論』等中説依他性以為有耶? 答.聖説依他以為有者,此即不異空之有.何以故?  以従衆縁無体性故.一一縁中無作者.無作者故,由縁無作,方得縁起.是故即非有之 有,名依他有.是則聖者不動真際建立諸法.(Wu, 215) 12)紙幅の都合上,有の主張にともなう常過を解消するために,清弁の主張があるとす る解釈のみ示す. 法蔵『五教章』義理分斉・三性同異義:何者,為末代有情根機漸鈍,聞説依他是其有 義,不達彼是不異空之有故,即執以為如謂之有.是故,清弁等破依他有令至於無.至 畢竟無,方乃得彼依他之有.若不至此徹底性空,即不得成依他之有.是故為成有故破 於有也.(Wu, 216) 13)円測における空有の会通については,吉津宜英(1991, 306)を参照. 〈一次文献(含略号)〉 DBZ 大日本仏教全書. KBZ 韓国仏教全書. Wu 仏典講座 28『華厳五教章』(鎌田茂雄訳註,大蔵出版,1979). 〈二次文献〉

Muller, Charles. 2011. Wonhyo’s Philosophy of Mind. Honolulu: Univ. of Hawai’i Press. 石井公成 1983「元暁と中国思想」『印仏研』31 (2): 164–167. ――― 1996『華厳思想の研究』春秋社. 鎌田茂雄 1981「『十門和諍論』の思想史的意義」『仏教学』11: 1–21. 孫知慧 2013「韓国近代における元暁の 「和諍」 論」『文化交渉 東アジア文化研究科院生 論集』1: 233–253. 平井俊榮 1976「中国般若思想史研究――吉蔵と三論学派――」春秋社. 牧田諦亮・落合俊典 1998『七寺古逸経典叢書第 6 巻 中国・日本経典章疏目録』大東出版 社. 吉津宜英 1991『華厳一乗思想の研究』大東出版社. 〈キーワード〉 元暁,法蔵,会通,仏性 (東大寺華厳学研究所研究員,博士(文学)) 『十門和諍論』における会通の方法とその周辺(中 西) (25) 法はそれぞれ空と有を説いたと解釈する12).空と有という対立する主張の措定, それにともなう執著や過失,両者の立場から容認可能な経文の再解釈,片方がも う一方の執著を解消するという会通の仕方,これらのロジックは『和諍論』と同 様である.智儼(602–668)の著作には空有の会通は確認されず,同時代の円測(613– 696)の著作に確認されるもの13)とも異なる.元暁の根本的立場と法蔵の立場が 異なる点には注意が必要だが,この会通の方法に限定し,『和諍論』が『五教章』 の空有の会通に影響を与えたと筆者は考える.

5.おわりに

最後に,本論文の考察結果をまとめておきたい. ① 有にかんする議論でみたように,四句すべてが矛盾無く成立するという『和 諍論』の立場において,空有相即理論はもちろんのこと,三論教学の多様な 相即理論が必要不可欠である.『和諍論』の会通の方法には三論教学の影響が 強いが,元暁『起信論疏』は独自に『大乗起信論』とも結びつける. ② 仏性をめぐる二説では,『和諍論』の会通のロジックとして,主張の根拠とな る経文を対立する側からも容認しうるように再解釈する.同時に,それによっ て自説にたいする固執も相対化される. ③ 『和諍論』における会通方法と法蔵『五教章』における空有の会通と共通する 点を指摘し,会通におけるロジックに限定して,『和諍論』は『五教章』に影 響を与えたと推定した.  1)牧田諦亮・落合俊典(1998, 363).

 2)解題については Charles Muller が,英訳については Cuong T. Ngyuyen が担当.  3)たとえば,「如『経』言,即此法界流転道説名衆生」(KBZ1, 840b)について,C. Muller(2011, 334, n. 35)は,「経」ではなく,提雲般若訳『大乗法界無差別論』(T31, 892a–894b)との関連を指摘するが,提雲般若訳『大乗法界無差別論』は元暁死後の 691 年に訳出された文献である.ここは,端的に一致する菩提流支訳『不増不減経』の 「舎利弗.即此法身過於恒沙.無辺煩悩所纒従無始世来随順世間,波浪漂流往来生死, 名為衆生.」(T16, 467b)を指摘すべきであろう.  4)たとえば,「通曰,『経』言,衆生悉有心者」について,C. Muller(2011, 172)には 指摘がない.曇無讖訳『涅槃経』の「衆生亦爾.悉皆有心.凡有心者,定当得成阿耨 多羅三藐三菩提.以是義故.我常宣説一切衆生悉有仏性」(T12, 524c)の取意であろう.  5)「誓幢和尚碑文」における『和諍論』への言及については,孫知慧(2013, 242)を参照.  6)鎌田茂雄(1981, 5–6)が簡単に言及している.  7)横論顕発・竪論顕発については,平井俊榮(1976, 433–436)を参照. (24) 『十門和諍論』における会通の方法とその周辺(中 西)

(6)

 8)石井公成(1996, 214, n. 20)の指摘による.  9)元暁『起信論疏』:是以,開合自在,立破無礙.開而不繁,合而不狭,立而無得,破 而無失.是為馬鳴之妙術,『起信』之宗体也.(T44, 202b) 10)くわしくは鎌田茂雄(1981, 8–11)を参照されたい. 11) 紙幅の都合上,「空と異ならない有」を前提に『摂大乗論』は依他起性の有を説くと する解釈のみ示す. 法蔵『五教章』義理分斉・三性同異義:問.若説依他性是有義,便有失者,何故『摂 論』等中説依他性以為有耶? 答.聖説依他以為有者,此即不異空之有.何以故?  以従衆縁無体性故.一一縁中無作者.無作者故,由縁無作,方得縁起.是故即非有之 有,名依他有.是則聖者不動真際建立諸法.(Wu, 215) 12)紙幅の都合上,有の主張にともなう常過を解消するために,清弁の主張があるとす る解釈のみ示す. 法蔵『五教章』義理分斉・三性同異義:何者,為末代有情根機漸鈍,聞説依他是其有 義,不達彼是不異空之有故,即執以為如謂之有.是故,清弁等破依他有令至於無.至 畢竟無,方乃得彼依他之有.若不至此徹底性空,即不得成依他之有.是故為成有故破 於有也.(Wu, 216) 13)円測における空有の会通については,吉津宜英(1991, 306)を参照. 〈一次文献(含略号)〉 DBZ 大日本仏教全書. KBZ 韓国仏教全書. Wu 仏典講座 28『華厳五教章』(鎌田茂雄訳註,大蔵出版,1979). 〈二次文献〉

Muller, Charles. 2011. Wonhyo’s Philosophy of Mind. Honolulu: Univ. of Hawai’i Press. 石井公成 1983「元暁と中国思想」『印仏研』31 (2): 164–167. ――― 1996『華厳思想の研究』春秋社. 鎌田茂雄 1981「『十門和諍論』の思想史的意義」『仏教学』11: 1–21. 孫知慧 2013「韓国近代における元暁の 「和諍」 論」『文化交渉 東アジア文化研究科院生 論集』1: 233–253. 平井俊榮 1976「中国般若思想史研究――吉蔵と三論学派――」春秋社. 牧田諦亮・落合俊典 1998『七寺古逸経典叢書第 6 巻 中国・日本経典章疏目録』大東出版 社. 吉津宜英 1991『華厳一乗思想の研究』大東出版社. 〈キーワード〉 元暁,法蔵,会通,仏性 (東大寺華厳学研究所研究員,博士(文学)) 法はそれぞれ空と有を説いたと解釈する12).空と有という対立する主張の措定, それにともなう執著や過失,両者の立場から容認可能な経文の再解釈,片方がも う一方の執著を解消するという会通の仕方,これらのロジックは『和諍論』と同 様である.智儼(602–668)の著作には空有の会通は確認されず,同時代の円測(613– 696)の著作に確認されるもの13)とも異なる.元暁の根本的立場と法蔵の立場が 異なる点には注意が必要だが,この会通の方法に限定し,『和諍論』が『五教章』 の空有の会通に影響を与えたと筆者は考える.

5.おわりに

最後に,本論文の考察結果をまとめておきたい. ① 有にかんする議論でみたように,四句すべてが矛盾無く成立するという『和 諍論』の立場において,空有相即理論はもちろんのこと,三論教学の多様な 相即理論が必要不可欠である.『和諍論』の会通の方法には三論教学の影響が 強いが,元暁『起信論疏』は独自に『大乗起信論』とも結びつける. ② 仏性をめぐる二説では,『和諍論』の会通のロジックとして,主張の根拠とな る経文を対立する側からも容認しうるように再解釈する.同時に,それによっ て自説にたいする固執も相対化される. ③ 『和諍論』における会通方法と法蔵『五教章』における空有の会通と共通する 点を指摘し,会通におけるロジックに限定して,『和諍論』は『五教章』に影 響を与えたと推定した.  1)牧田諦亮・落合俊典(1998, 363).

 2)解題については Charles Muller が,英訳については Cuong T. Ngyuyen が担当.  3)たとえば,「如『経』言,即此法界流転道説名衆生」(KBZ1, 840b)について,C. Muller(2011, 334, n. 35)は,「経」ではなく,提雲般若訳『大乗法界無差別論』(T31, 892a–894b)との関連を指摘するが,提雲般若訳『大乗法界無差別論』は元暁死後の 691 年に訳出された文献である.ここは,端的に一致する菩提流支訳『不増不減経』の 「舎利弗.即此法身過於恒沙.無辺煩悩所纒従無始世来随順世間,波浪漂流往来生死, 名為衆生.」(T16, 467b)を指摘すべきであろう.  4)たとえば,「通曰,『経』言,衆生悉有心者」について,C. Muller(2011, 172)には 指摘がない.曇無讖訳『涅槃経』の「衆生亦爾.悉皆有心.凡有心者,定当得成阿耨 多羅三藐三菩提.以是義故.我常宣説一切衆生悉有仏性」(T12, 524c)の取意であろう.  5)「誓幢和尚碑文」における『和諍論』への言及については,孫知慧(2013, 242)を参照.  6)鎌田茂雄(1981, 5–6)が簡単に言及している.  7)横論顕発・竪論顕発については,平井俊榮(1976, 433–436)を参照.

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