橋本和也『ディアスポラと先住民
─民主主義・多文化主義とナショナリズム─
』
京都:世界思想社、2005年、ⅶ+307頁、2500円+税、ISBN: 4-7907-1152-8脇村孝平
本書は、南太平洋に浮かぶ島国、フィジーにおける先住民(フィジー人) とインド系移民(以下、インド系と略称する)とのエスニックな関係を事 例にして、人口が少数であり、かつマイナーな位置づけしか受けていない 先住民社会が直面する問題に焦点を合わせて、「民主主義」や「多文化主義」 といった普遍的価値を有するとされる概念を、新たな照明の中で再考しよ うとする著作である。なぜ本誌『南アジア研究』において本書を取り上げ る必要があるのか、その理由から始めることにしたい。 本書は、南アジアを対象とする地域研究者にとっても、問題提起的な議 論を含むという意味で、一読に値する著作だと思われる。そのことを示す 意味で、とりあえず、本書の後半部分にある次のような一節の引用から始 めることにしよう。「インド人はずっとヨーロッパ人との平等の扱いを求 めてきた。先住民と同じ位置に自らを置いて先住民とともに共闘すること はほとんどなかった。それがインド人の限界であり、南アフリカで戦った ガンディーの限界であった。その遺産が現在のフィジーでもそのまま残っ ているのである。先住民を『蔑視』するインド人移民が満足するフィジー とは、どのようなものになるであろうか。・・・・・・インド人移民が満足す るフィジーとは、まさに英国が作り上げたような『植民地』を再現させる ことにしかならない」(269
頁)。おそらく、このような一節だけを読むな らば、多くの南アジアを対象とする地域研究者はこれを一面的な言説だと 見なすであろう。しかしながら、評者は、本書から学ぶべきものは少なく ないと考えている。そこで、以下では本書の構成と内容を概観したうえで、 評者の関心に引きつけたうえで、本書の議論から受け取るべきメッセージ を考えることにする。 第1
章「ディアスポラと先住民−民主主義とナショナリズム−」は、い わば理論篇とも呼べる部分で、先行の思考(E・ゲルナー、W
・キムリッ カ、E・トッドなど)に導かれつつ、「民主主義」や「多文化主義」といっ た概念の意味について考察している。著者は、これらは決して普遍的な概 書 評念などではなく、時代と場所に規定された相対的な概念でしかないと把握 する。「民主主義」という概念は、必ずしも国境や民族という垣根を超え る普遍的な概念ではなく、多くの場合に一定の単位の内部でしか妥当しな い相対的な概念に過ぎないとする。また、「多文化主義」も、その先導者 であるアメリカやオーストラリアを見れば明らかなように、実質的には「差 異主義」(トッドの概念)の延長にある概念でしかなく、アングロサクソ ンが優位にある場合にのみ、他の移民に対する寛容性として現われる概念 に過ぎない。より本質的には「多文化主義」をいうこれらの社会の根底に は、黒人(アメリカ)や先住民(オーストラリア)という差別と排除の対 象が存在しており、根本的な矛盾が存在するという。こうした指摘は、実 はフィジーについての事例研究の布石となっている。フィジーではインド 系が、先住民の「ナショナリズム」に対抗するために、「民主主義」や「多 文化主義」といった概念を持ち出して国際社会に訴えているけれども、著 者は、インド系のこのような主張に対して、概して否定的である。 第2章「世界のインド人ディアスポラ」では、先行研究に依拠しつつ、 主に英領期のインドからの移民が移民先の各地域(南アフリカ、東アフリ カ、カリブ海域)で如何なる状況に直面したのか、を概観している。ここ での著者の関心の中心は、インド系移民がそれぞれの地域における先住民 もしくはアフリカ人に対して如何なる関係を持ったのか、という点に向け られている。そのような概観の中で浮き彫りにされているのは、多くの場 合に先住民もしくはアフリカ人との混交・混血を望まないインド系移民が、 現地社会の中で孤立し排斥されている様相である。例えば、その最も典型 的な事例として、国外への退去を迫られた東アフリカ(ウガンダ)の事例 が挙げられている。 このような前提的な二つの章を踏まえて、第3章以下では、もっぱらフィ ジーの事例に光が当てられる。第3章「インド人ディアスポラと先住民− フィジー諸島共和国−」では、英領期以来の歴史的経過の中で、インド系 と先住民との関係が明らかにされているが、焦点は
1980
年代以降に起こっ た二つのクーデターである。そもそもこの島にインド系が生活することに なった経緯として、英領期の歴史が説明される。インド人契約労働者−い わゆる年季契約移民を指している−の導入と定着の過程、そして英領期に おけるインド系移民の政治史が簡単にふれられる。ここで注目しておきた いのは、両大戦間期および第二次世界大戦期におけるインド系の政治参加への意識の高まりについて論及されているが、次のように特徴づけられて いる点である。インド系のコミュニティは、適格な指導者の欠如、内部に おける紛争といった問題のために、効果的な政治運動を導くことができな かったという。この指摘に注目する理由は、後に示すつもりである。 第3章の後半は、
1970
年のフィジーの独立以降の政治史が俎上に載せ られるが、焦点は1987
年と2000
年のクーデターをめぐる経緯である。こ の部分では、二つのクーデターに至る経緯とその後の展開が詳細に辿られ、 フィジー研究者としての著者の本領が発揮されている。それらの事件の経 過を詳しく辿る余裕はないので、二つのクーデターに帰結するフィジー政 治の基本的構図だけを示すと次のようになる。要するに、英国の統治下で は実はほとんど向き合うことのなかった先住民(フィジー人)とインド系 は、独立後には直接的に対面することになった。1987
年まではフィジー 人が政権を握っていたので、対立が顕在化することがなかったが、インド 系が政権を握った1987
年と2000
年には、軍隊を掌握しているフィジー人 がクーデターを起こして、インド系の政権が転覆させられることになった、 というのが二つのクーデターに共通する筋書きである。さらに、こうした 政治的構図の背景として経済に関わって二つの事実を認識しておく必要が ある。第一は、フィジー経済を実質的に担っているのはインド系移民であ り、彼らの存在抜きではフィジー経済は立ち行かないという点である。第 二は、それにもかかわらず、サトウキビ生産を含む経済活動にとって必須 の土地所有・土地利用という点で、インド系は法的に極めて不利な立場に 置かれているという点である。これらは、まさにインド系にとってジレン マと呼ぶべき状況であり、フィジー政治の発火点はここにある。 さて、第4章「幻の国民統合−フィジーにおける国民和解と国家再建−」 では、フィジーにおける知識人・政治家−インド系およびフィジー人の両 者を含む−がかかる事態をどのように見ているのかを検討することによっ て、問題解決の糸口が探られている。著者の見解が最もはっきりと示され ている章である。著者の基本的な主張はこうである。ブリッジ・ラルのよ うな著名なインド系知識人が、「民主主義」や「多文化主義」という現代 世界では普遍的な価値を持つとされるスローガンを用いて、フィジーの政 治過程を批判的に論じることは欺瞞であると断ずる。なぜならば、世界レ ベルで言えば本当にマイナーな存在でしかない文化を持つフィジー人に とって、「多文化主義」を認めることは、自らの文化の衰退を許容することに他ならないからである。例えば、
1997
年憲法にある、フィジー語・ 英語・ヒンディー語の3
語を公用語にするという決定は、使用者が40
万 人に過ぎないフィジー語の衰退を導く可能性があるということになる。 ジョン・デイヴィスの議論に拠りながら、グローバル化の中で大きな力を 持ちつつある英語文化やヒンディー語文化と、フィジー語文化を同等に扱 うべきではないとする。むしろ、フィジー語をあらゆる学校で必修にする ことによって、インド系が先住民の文化を学ぶことが必要であるとされる。 著者は、この章の後半で、フィジーの未来のためには民族相互の交流が 必要であるとし、その方途として「社会的交換」について考察する。第一 は「政治と経済」の側面であり、第二は「婚姻」の側面である。前者の側 面では、インド系が「経済」覇権のみならず「政治」権力の獲得を画策す るために、「社会的交換」が成立しないと指摘されている。また、後者の 側面では、インド系は女性の婚出を断固として認めないために、ここでも 「社会的交換」が成立しないという。このように、二つの側面において社 会的交換を阻んでいるのが、インド系の側であると論じられる。このよう な状況の中で、著者が最終的に希望を繋ぐのは、インド系が「フィジー文 化」=「フィジアンネス」の創造に積極的に加わることである。「インド 人が先住民に対して抱く優越感・差別意識を拭い去り、先住民族の言語と 文化を尊重する態度を示せば事態は変化しよう。フィジー人に経済的余裕 があれば、インド人に寛大になれるかも知れぬ。インド人がフィジーの『国 民統合』に積極的参加する意志を持てば、事情は変わるかも知れぬ。そし て先に述べたようなインド人のなかに変化を求める議論が出現したことは、21
世紀に向けた新たな動きとなろう」(255
頁)という一節で、本章を結 んでいる。 第5章「まとめ−民主主義とナショナリズム−」の要約を省略して、以 下では本書によって喚起された論点を挙げることにしたい。以上の簡単な 紹介からもお分かりのように、著者は「民主主義」とか「多文化主義」と いった概念をフィジーという現地のコンテキストの中に置き、そのうえで 判断するというスタンスを崩さない。これ自身が考慮に値する視角である が、それ以上に興味深いのは、著者がフィジー人によるクーデターの不条 理そのものよりも、インド系移民の有り様そのものにかなり厳しい目を向 けている点である。この点は、私たち南アジア地域研究者の認識にも反照 作用をともなってくる。換言すれば、著者のインド系移民像は、私たちに思考を促しているように思われる。あくまでも評者の問題関心に引きつけ る形ではあるが、以下考えたことを書きとめておこう。 第一は、インド系移民における「多様性」と「排他性」という問題であ る。一般的に言えば、多くの南アジア地域研究者にとって、インド社会と は「多様性」の世界であろう。同様のことは海外に居住するインド系移民 の場合に当てはまるのではないか。例えば、評者が扱ったことのあるモー リシャスの事例では、インド系移民の相貌はフィジーとはかなり異なって いる。モーリシャスでは人口の
7
割弱をインド系が占めるけれども、クレ オール(主にアフリカ系によって占められる)という一定規模のエスニッ ク集団も存在する。そうした状況ではあるが、エスニックな対立はほとん ど見られず、政治も非常に安定した状態が続いている。なぜならば、イン ド系移民社会の中に出身地域・言語・カースト・宗教・階層といった「多 様性」を抱え込むがゆえに、全体としては圧倒的な多数を占めるのにもか かわらず、インド系が他のエスニック集団を必ずしも政治的に封じ込める ような帰結となっていない1。事実、既にふれたように、フィジーでもイ ンド系移民社会の内部における様々な分裂が指摘されていたが、これは広 く見られる現象であろう。他方、本書でより強調されているのは、フィジー において、インド系が先住民=フィジー人を差別し彼らとは婚姻関係を一 切持たないという「排他性」の側面である。この側面は、本書の中で著者 によって繰り返し指摘されている。しかし、よくよく考えてみれば、イン ド社会はカースト・システムに示されているように、「多様性」とある種 の「排他性」が共存する社会である。そのことからしても、モーリシャス とフィジーでそれぞれ「多様性」と「排他性」という全く相反する姿が示 されたとしても不思議ではないかもしれない。また、これとは別に、イン ド社会の内部においていわゆる「指定部族」(=先住民)が受けている社 会的処遇を想起するならば、インド系移民のフィジー人(先住民)に対す る態度も不思議ではない。インド社会が持つ深刻な問題がここに現われて いるとも言える。いずれにしても、海外に展開する様々なインド系移民の 社会的特徴を、「多様性」と「排他性」という両側面から比較検討するこ とは十分に意味のあることだと言えよう。 第二は、今日のグローバル化した状況の中で、世界の各地域でインド系 ディアスポラが示す「プレゼンス」の問題である。今日の世界において、 インド系ディアスポラが、様々な意味において力と優位性を示すようになっているという事実が存在する。例えば、商人的・企業家的な人的資本 として、また高学歴の人材として、インド系ディアスポラが世界各地で活 躍する現実がある。言うまでもなく、英領期に遡るならば、年季契約移民 の場合に典型的に現われるように、インド系移民は植民地主義の下で強い られて英領植民地の各地に移住したことは確かである。しかしながら、こ のような場合においてすら、インド系移民の歴史を「弱者」の歴史として のみ描く傾向はそろそろ改めたほうが良いように思われる。モーリシャス の事例では、インド系の年季契約移民は