−ー日英同盟1
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(2) 論 説︵大畑︶. 一〇六︵一〇六︶. 当時︵第三次︶日英同盟は有効期限が切迫し︑加えて国際連盟規約第二〇条第一︑二項は︑連盟規約の条項と両立. せざる連盟国相互間の義務または了解は当該国の関する限り廃棄さるべぎであり︑連盟国となる以前にかかる義務を. 負担していた場合は︑速かに当該義務の解除措置をとることとしている︒攻守同盟の基礎に立つていた日英同盟はこ. の点からも何等かの修正が必至であり︑一九二〇年七月八日︑日英両国は共同で︑同盟が連盟規約と矛盾しない形式. で引き続ぎ継続されることを︑国際連盟に通告した︒先にあげた内田外相の演説は︑この点に関連して︑日英同盟が. 国際連盟規約の条項に照応し︑且つ第三次同盟締結以後の重大な事態の変遷を顧慮して同盟改訂を検討している旨を 述べたのに続いて︑同盟の精神を引続ぎ維持したい旨を表明したものである︒. しかるにその後ワシントン会議の招請を受けてから︑同年︵大正一〇年と○月一四日ワシソトン会議全権に与えた 訓令中︑その一般方針において目英同盟に関連して次のように述べている︒. 七︑会議中適当ノ時機二於テ太平洋及極東二於ケル恒久平和ノ確立ヲ主眼トスル日英米三国協商案ヲ提唱スルニ便. ﹃⁝⁝. ナル形勢ヲ誘致スルニ努メラルヘシ. 八︑軍備制限問題二当り同盟当事国ノ軍備二対シテハ特別ノ考量ヲ加フルノ要アリトノ議起ルコトナキヲ得シ難キ. 処斯クノ如キ場合ニハ先ツ以テ英国側ト隔意ナキ協議ヲ遂ケ可成共同ノ態度二出ツル様措置セラレタク尤モ会議ノ. 情勢上必要アルニ於テハ軍備制限国間ニハ其何レヲモ目標トスル同盟関係ナキ次第ヲ認ムルコトニ賛同セラレ差支 ナシ.
(3) 九︑軍備制限協定叉ハ日英米三国協商ト関聯シテ日英同盟存廃ノ問題考量セラルルニ於テハ帝国ハ日英同盟ハ前記. 協定叉ハ協商二依リテ自ラ変更ヲ来スコトアルヘキモ猶存続セシ云ルモ妨ケナシ但シ英国ニシテ右協定又ハ協商ヲ 以テ同盟条約二代ヘムコトヲ欲スルニ於テハ之二同意セラレ差支ナシ. 又軍備制限協定商議ノ前提トシテ他国一致シテ日英同盟廃棄ヲ主張スルニ於テハ右同盟条約中該協定ノ障碍トナル ヘキ条項ハ協定各国二対シ適用ナキコトヲ宣言セラレ差支ナシ ⁝・⁝⁝﹄. ここでは新たに太平洋・極東問題に関する日英米三国協商が提唱されているとともに︑日英同盟存廃問題に関して. は明瞭を欠き︑日和見的な方針が打出されているに過ぎない︒それではこうした政策の転換︑修正はどのようにして. なされたか︑それがワシントン会議を迎えた外交の全局にどのような意義をもつているか︑以下にその点を考察する. こととしたい︒但し以下の考察では政府のーあるいは外務省のー方針を検討することとして︑当時行われていた. 民間︑および軍部の主張や諸動向はここでは中心の問題としないこととした︒それらの主張の錯綜については︑ワシ. ワシントン会議開催とイギリス. ントン会議の他の問題とあわせて︑別の機会に考察することとしたい︒. ニ. ワシントン会議の招請はアメリカからなされたが︑会議開催の提議にはイギリスが関与し︑特に太平洋・極東問題 ︵二︶. 一〇七︵一〇七︶. に関する国際会議の開催にはイギリスが3醒臣富したといわれるが︑イギリスがそれらの問題を国際会議にもちこ. ワシントン会議目本攻府訓令についての考察ー目英同盟−.
(4) 論. 説︵大畑︶. 一〇八︵一〇八︶. もうとしたのは︑日本の極東政策に関連Lてアメリカとの関係を顧慮したからであつた︒. 既に第三次日英同盟︵一九二︶の締結にあたつて︑イギリスはアメリカとの間に仲裁裁判条約を締結する一方︑右. 日英同盟第四条に︑締約国の一方が第三国と総括的仲裁裁判条約を締結した場合は︑その存続期問中その第三国と交. 戦する義務を当該締約国から免除することとした︒ただしアメリヵがその仲裁裁判条約を批准しなかつたので︑イギ. リスは一九一四年に︑あらたに英米紛争平和処理条約︵ブラィアン条約︶を結ぶとともに︑日本に対しては同条約を日 ︵三︶. 英同盟第四条に謂う仲裁裁判条約とみなす旨を通告した︒日本は当時この覚書を受諾する明確な意思表示を行わなか. つた︒しかし︑仲裁裁判条約と日英同盟の関係については前年︵一九一〇年︶よりイギリスから申し入れがあり︑日本. は﹃日英同盟締結ノ歴史ト英米両国ノ関係トニ鑑ミ米国二対シ同盟協約ヲ適用セソトスルモ英国二於テ極力米国トノ. 交戦二参加スルヲ避ケントシ該協約ハ事実上米国二対シ其実効ヲ生セサルコト必然ナルヘキヲ認メタルヲ以テ﹄英米. 仲裁裁判条約の締結に異議のない旨を回答した︵一九二年一月︶︒その後同条約の締結が具体化すると︑日本政府は﹃. 一面米国ノ同盟協約適用ノ範囲外ニアルヲ明ニスルト同時二一面同盟協約ノ期限ヲ延長シ益々同盟ノ基礎ヲ輩固ナラ. シム﹄るために第二次日英同盟の改訂交渉を行5こととしたが︑その場合新条約に第四条の規定を挿入することは日本. 側の方針に掲げられている︒同条項挿入の目的は﹃米国ヲ協約適用範囲外二置クノ主旨ナルコト勿論ナリト錐協約文. 中二於テ特二米国ヲ指定スルハ形式上稔ナラサルノミナラス同盟協約ノ改訂ハ或ハ英米仲裁裁判条約ノ成立ヲ予期シ ︵四︶. 其締結前二之ヲ行フコトトナルヤモ料リ難キヲ以テ行文上一般的ノ規定トナシ置クコトヲ得策トス﹄るものであった. ︵﹃日英同盟改締方針﹄︶︒したがつて英米仲裁裁判条約が批准されず︑ブライアン条約にかわつても︑日英同盟改訂の.
(5) 趣旨には些かも変更はなかつた︒一九一二年二月四日の議会答弁で内田外相は︑日英同盟に第四条を挿入した際︑同. 盟をアメリカに対して適用しないことに諒解が成立したというべきで︑同条に謂う仲裁裁判条約が批准されたか否か. は︑実際問題として重要でないと述べ︑七月四日には幣原駐米大使声明の形式をもつて︑日英両国は同盟をアメリカ. に不利なごとく適用する場合を予想したことはなく︑同盟第四条は英米問の戦争の機会を除去しようとした趣旨で挿 ︵五︶. 入されたもので︑この点につき日本の政策は︑英米仲裁裁判条約がアメリカの批准を得られなかつた事実により左右. されない︑旨を表明した︒日英同盟は︑第一次同盟が協商的な性格を著しくし︑第二次同盟から攻守同盟の性格を強 めたが︑ここにアメリカとの関係においては矛盾が認められるのである︒. かかる矛盾は一九二年以後一層増大した︒すなわちアメリカが日本に対して不承認通告を行つた対華一二ヵ条条. 約をはじめ︑シベリア出兵︑満蒙特殊権益間題︑ヤップ島問題︑日米移民間題︵アメリカは自国の国内問題と主張し ︵六︶. た︶および海軍競争問題︑などを通じて日米対立はヴェルサイユ条約締結後に至るまで増大し︑両国関係は緊張する のである︒. こうした日米対立の激化に伴い︑且つ日英同盟が連盟規約との関連からも修正が必至となつたとみられた状況にお ︵七︶ いて︑イギリス外務省内部からも同盟の廃棄または修正論がたかまるのであるが︑更新問題の結論はイギリス帝国会議. にもちこされるのである︒ただ一九二〇年六月︑同盟が翌年七月の満期以後も継続される場合には連盟規約に矛盾し. 一〇九︵一〇九︶. ない形式とすることを日英両国から国際連盟に通告し︵第一次国際連盟宛通告︶︑その際日本は同盟継続の意思を明示す ︵八︶ ることをもとめたが︑結局通告文ではこの旨明示されなかつた︒ ワシントン会議目本政府訓令についての考察ー日英同盟i.
(6) 論 説︵大畑︶. 一一〇︵一一〇︶︑. 帝国会議は当初の予定より遅れて︑一九一二年六月二〇日に漸く開会されたが︑アメリカとの平和維持や国際連盟. の理念から日英同盟更新に強く反対するカナダと︑同盟更新を支持するオーストリアの立場が対立して容易に結論を ︵九︶ 得なかつた︒オーストリアの更新論といえどもアメリカの満足するように修正する意見であつた︒アメリカは既に一九 ︵一〇︶ 二〇年より日英同盟修正方針を具体的に申し入れていたが︑こうした混乱の中に六月二三日にはゲデス︵ωぽ︾琴匡孚. &の&留の︶イギリス駐米大使がヒューズ︵O冨詩の国奉霧=轟げ8︶国務長官と会見して日英同盟問題を討議した. 際︑ヒューズ国務長官は︑非公式な意見としながらも︑アメリカが門戸開放政策や︑中国および現況においては・シ. アの領土保全をその政策としていること︑日英間の協定においてイギリスが日本の特殊利益を支持したならば︑日本. は軍国主義的な一派︵B養毘旨︒窟同¢︶にひきずられてアメリカの抗議を受けるような事態をひきおこし︑日米感. 情を悪化させるであろうということ︑および極東におけるイギリスの政策がアメリカの政策と同一であるならばアメ. リカはイギリスを支持し︑そのことは日本の利益にも世界平和の目的にもかなうであろう︑との意見を表明した︒こ. れは同盟更新に対するアメリカの不信を非公式に表明したものといえるが︑ゲデス大使はその最後の言葉に関心を示. し︑ヒューズ国務長官は︑アメリカは他国との同盟あるいは同盟と解されるような協定を結ぶことを承認しないが︑三 ︵二︶. 国の協力とは共通の政策を維持することであり︑政策について原則的に一致したならば協力の方法については困難な. 点はない︑と答えた︒ゲデス大使は︑イギリスは更新問題の最終決定を急がず︑もう一年引ぎ延ばされるであろうと. して︑その間にアメリカにとつて満足であるように修正される余地があると述べたが︑ヒュ!ズ国務長官はなお世論. も議会も圧倒的に更新に反対していると述べ︑同盟の即時廃棄を示唆し︑ゲデス大使は日英米三国協定締結が最善の.
(7) 策であり︑日本が反対してもすべての問題をそこで解決するようにしたいと述べ︑ヒューズ国務長官は個人的に同意 ︵一二︶ し︑この協定は同盟ではなく︑アメリカの伝統的な外交政策にLたがうべきものである︑と答えた︒イギリスは六月二. 八日︑一旦は︑国際連盟規約に調和せしめ︑太平洋間題について協定に達するのを条件に︑日英同盟更新方針をぎめ. たが︑カーゾソ︵﹃巳OξN2︶外相はゲデス大使の報告を帝国会議に紹介し︑カナダのメーゲン︵訪同聾霞竃①お﹃窪︶. 首相はかねて︵二月︶英米華三国を招請して太平洋会議を開くよう提案しており︑ヵーゾソ外相の報告に対して三国. 乃至四国会議の開催をもとめ︑オーストラリアのヒューズ︵≦薫9︒目琴国轟ぽの︶首相も同様提案していたので︑こ ︵一三︶. こに太平洋問題での国際会議開催をもとめる空気が決定的となり︑七月一日にカーゾソ外相は四国会議開催計画のあ ることを発表したQ. 第三次日英同盟締結の際にみられた日英同盟と対米関係との矛盾はその後増大し︑ここに至つてアメリカと協議す. ることなしに同盟更新問題に決定をくだすことは不可能となつた︒というよりもさきのゲデス大使とヒューズ国務長. 官の会談が示すように︑アメリカは実際上この問題について拒否権をもち︑日英同盟処理の鍵を握つていたのはイギ ︵一四︶. リスではなくアメリカであつたといえよう︒決定をくだすのはアメリヵであり︑イギリスはアメリカに影響を与える. ことはできても︑アメリカのくだした決定に従わねばならなかつた︑というのはまさに当時の政治的状況であつたの. であろう︒イギリスがアメリカに国際会議の開催を非公式に提案した際︑アメリカ大統領がこれを招請するようにも. 一一一︵一一一︶. とめ︑その後イギリスが太平洋・極東問題での予備会議案︑ついで三国非公式会議案を提唱し︑いずれもアメリヵが ︵一五︶ 反対すると︑会議招請のイニシァチヴをまつたくアメリカに譲つていることも︑こうした英米関係の現実を反映して ワシントン会議目本攻府訓令についての考察−日英同盟ー.
(8) 論 いるといえよう︒. 説︵大畑︶. 三 日本政府の動揺と訓令の決定. 一一二︵一一二︶. アメリカより非公式にワシントン会議開催の提議を受けてから︑日英同盟更新間題を目前に控えている日本は︑こ. の会議と日英同盟との関連について細心の注意をはらつたが︑そのことは日本政府側の動揺と︑目英同盟が廃棄され. るのではないかとの危惧を示したものである︒もとより日本政府はアメリカとの関係の整調が今や重要な課題である. こと︑イギリス帝国会議における日英同盟審議の中心問題が同様に対米関係の調整にあつたことをよく承知してい. た︒しかし実際にアメリカから会議招請を受けると前述の不安と動揺が︑日英同盟問題に関しても︑政府をゆすぶつ たのである︒. そうした懸念は既に日英同盟に関する第二次国際連盟宛通告においてもみられる︒一九二一年七月ニニ日の満期を. 控えてイギリス側は取りあえず同盟の三ヵ月延長を提案するとともに︑日英両国は共同して﹃⁝⁝両国政府ハ今後更. 二何等ノ措置ヲ執ルニ至ル迄本協約ノ効力存続中若シ本協約条項二規定セラレタル手続ト国際聯盟規約二規定セラレ. タル手続ト相抵触スル事態発生シタルトキハ聯盟規約所定ノ手続ヲ採用スヘク協約所定ノ手続二拠ラサルコトニ同意. 成立シタル旨﹂国際連盟に通告した︒その際︑日本側は日英同盟が七月一三目または一〇月コニ日に一旦失効するよ. うな解釈に極力反対し︑通告直前にイギリスが解釈を変更し︑日英同盟第六条による廃棄通告がいずれかの当事国か ︵一六︶ らなされなければ︑同盟は引き続き効力を有する︑との見解をとつて共同通告がなされた︒この経過は︑すくなくも.
(9) ︵一七︶. 日本政府当局が同盟継続を望んでいたことを示している︒政府はイギリスの態度によつては同盟の自然消滅も止むを ︵一八︶. 得ないと考えたようであるが︑その後イギリスが日本の主張に同調したので︵原敬ど山県有朋は︶﹃共に安心を表せ り﹄と記されている︒. 七月四日︑カーゾソ外相は林駐英大使に︑同盟締結当時の事情が変化し︑アメリカ︑中国には同盟更新に疑間を抱 ︵一九︶. くものがすくなくないので︑同盟を継続するとともに︵この点が重要であるが︶日英米華により国際会議を開くことを. 非公式に提議した︒その後アメリカより軍備制限会議︑ついで太平洋・極東会議の非公式提案があるのであるが︑既 ︵二〇︶. に大勢が国際会議の傾向にあることを予知していた外務省では︑七月七日︑欧米局長より﹃太平洋会議二関シ帝国政. 府ノ執ルヘキ方策﹄を起草︑提出されていた︒それによれば﹃帝国今日ノ急務ハ極東及太平洋ノ和平ノ確立二在リ換. 言スレハ日英米三国間ノ戦争予防二在リ⁝⁝即チ米国ノ憂慮スル所ハ極東二於ケル帝国ノ侵略政策卜太平洋二於ケル. 日英結合ノ脅威トニアリ而シテ英国及其自治領ノ顧念スル所ハ日英ノ了解ト英米ノ協調トニ外ナラサルナリ﹄として. 日英米の基本的了解が会議の主要目的であり︵したがつて各国間の懸案事項の解決は後景におしやられる︶︑その目的のた. めには会議の参加国も目英米三国とすることが望ましく︑極東・太平洋における平和の達成は日英米三国の平和協商. ︵政治的協商と軍事協定から構成される︶をその中枢とする︑というものである︒林駐英大使も︑この機会に政策を転 ︵一二︶ 換し︑日米関係を改善し︑中国に対する過誤をあらためるために日英米華四国条約の締結を本省に具申している︒し. かし政府はただちにそれらの意見を採用しなかつた︒七月一二日の外交調査会および閣議決定では日英同盟の将来に. 一一三︵一二二︶. 触れることなく︑太平洋・極東会議の議題の種類および範囲については日英米三国で協議することとし︑幣原駐米大 ワシントン会議日本政府訓令についての考察ー日英同盟−.
(10) 論 ︵≡一︶. 説︵大畑︶. 一一四︵一一四︶. 使にもこの旨の回答を指示している︒但し内田外相としては日英米関係の何等かの調整︑さらに進んでは日英同盟廃. 棄の可能性についても考慮していたようである︒右の幣原大使宛訓令︵;百︶は︵一二日の決定どおり︶軍備制限会. 議には参加を指示しながら︑﹃是等諸国︵注 英米︶ノ輿論又大体二於テ軍備制限二関スル国際協定殊二日英米三国間. ノ海軍協定ヲ急務ナリトスル一二致セル形勢ナルヲ以テ帝国政府二於テ若シ同問題審議二関系ル米国ノ提議二応セサ ︵二三︶ ルニ於テハ国際平和確保ノ計画ヲ妨クルノ責ヲ免ルヘカラサルニ至ル﹄ことを認めている︒さらに翌一四日の林駐英. 大使宛電報では内田外相は﹃⁝⁝然ラハ太平洋会議ノ推移及其成果如何ハ帝国ノ地位特二目英同盟ノ将来二取リ極メ ︵二四︶. テ重大ナル関係ヲ生スヘク即チ或ハ同盟ハ事実上其ノ存立ノ価値ヲ喪失スルニ至ルノ︑・・ナラス名義上二於テモ全然ノ. 廃棄二至ルヤモ計リ難シ﹄と述べている︒外相が日英同盟破棄の事態を予期していることは相当重要であるが︑しか. しこの時期にはまだそれに対する対策は確立されておらず︑なおイギリスの出方を注目する段階であつた︒すなわち. 日英同盟と目英米三国間調整との関係について政府はなおイギリスの見解をさぐつているのである︒. 七月二〇日︵本省着︶林駐英大使は本省に報告を寄せ︑その中で日英同盟について︑イギリスは日英同盟存続を支. 持するが︑イギリス首相の演説その他によれば同時に対米関係の顧慮から︑まず英米関係を調整し︑且つ﹃日英多年 ︵二五︶. ノ関係﹄をも存続させたい意図で︑現況においては結局同盟の将来は太平洋会議にかかつており﹃要之先決前提ハ太. 平洋会議ノ結果如何二在リト云ヒ妨ゲナカルベシ﹄と述べている︒これより先イギリスは太平洋問題についての予備. 会議を・ンドンで開くことを提案し︑アメリカおよび七月二二日には日本も反対を決定していたが︑二六日の林大使. の報告ではイギリス提案の意図は﹃日英同盟ト併行シ太平洋二重要ナル地位ヲ占ムル国間二将来平和ノ維持ヲ保障ス.
(11) ︵二六︶. ル趣旨ノ協定ヲ結ハントスルニアリ﹄と観察し︑この問題に対するアメリカの対応や議題問題の経過から︑英米の歩 調が一体でない旨を述べている︒. イギリスの予備会議案が実現されなくなつて後︑七月二七日にカーゾン外相は︑正式の会議に先立つて︑ワシント. ン以外のアメリカの一地に太平洋会議の予備的な性格をもっ目英米三国非公式会議を開くことを提案した︒林大使は. この提案に関して︑カーゾン外相との会談の結果から︑会議進捗の目的のほかに﹃英国政府トシテハ日英同盟存続ヲ. ︵二七︶. 標的トシ何等力米国トノ諒解点ヲ発見セントカムルモノ﹄であり︑至急イギリス案を受諾すべきであると報告してい. る︒日本政府はこの提案に同調し︑むしろ積極的に促進しようとさえしたが︑同時にイギリスの真意については日本. としてはなお慎重な観察を怠らなかつた︒七月二八日内田外相は幣原駐米大使宛の電報で︑会議の進行や︑本会議に. おいて三国特に日本の立場を他の参加国︑就中甲国等︑をして尊重せしめる効果があるので︑イギリス提案の機に乗じ. ︵二八︶. てこの種非公式会合の成立を助長することが得策であるとして︑これに対するアメリカの意向を打診するよう指示し. た︒外相は林大使にも︑イギリス提案に同意回答を指示するとともに︑日英間の密接な提携を実現したいので︑まず ︵二九︶ 議題についてできるだけ隔意なき意見交換を行うよう指示している︒. 七月末︵二八目︶に外務省アジア局で起草された﹃支那問題ヲ中心トシテ見タル太平洋会議方針﹄では﹃日英同盟. ノ前途未タ遽カニ楽観ヲ容ルシ難ク加フルニ所謂太平洋会議ノ提唱ハ其ノ推移如何二依リ影響スル所頗ル重大ナルモ. ノアリ即チ帝国ハ今ヤ極メテ重要ノ時機二際会セリ実二会議ノ推移ト其ノ問二処スル帝国ノ挙措如何ハ帝国国運隆替. 一一五︵一一五︶. ノ懸ル所タリ﹄として︑目本が主導的態度に出ることを旨とし︑中国を中心とした原則的および具体的諸問題に対す ワシントン会議日本政府訓令についての考察−日英同盟i.
(12) 論. 説︵大畑︶. 一一六︵一一六︶. る方針を述べているが︑その﹃結論﹄において日英同盟と日英米関係について次のように述べている︒すなわち﹃⁝:. 日英同盟更新ノ成否如何二拘ラス米国トノ間ニモ無用ノ葛藤ヲ避ケ努メテ友好親善ノ関係ヲ確保スルノ得策ナルハ勿. カラス果シテ然ラハ将来目英同盟ノ更新ヲ見ルト否トニ拘ラス或ハ. 論﹄で日本の対米友好政策は一貫して変らず︑﹃進ムテ該協約ノ真精神ヲ発揮シ東洋延テハ世界ノ平和二貢献セムト スルニ当テハ米国トノ諒解協調二倹ッヘキモノ. 今次ノ太平洋会議ノ好機ヲ捉ヘテ差当リ日米戦争ノ憂慮ヲ除斥シ更二出来得ヘクムハ軍費殊二海軍費節約ノ緒二就カ. シメ進メテハ日英ノ聯契ト併行シテ米国トノ間ニモ真摯ナル国際協カニ依テ東洋ノ平和ヲ確得スルノ了解ヲ樹立スル. カ若クハ如上了解二達スル前途ヲ平担ナラシムルコト得策ナリ﹄として日英連携関係の強化とともに︑日米協調の樹. 立をはかるのが﹁国家百年ノ長計﹂なのである︒この文書は日米了解を拡充する絆は高平・ルート協定や石井・ラン. シング協定であり︑日英米三国の了解を樹立する絆は日英同盟であると述べている︒高平・ルート協定や石井・ラン. シング協定に対する日米両国の理解や政治的立場の相違︑したがつて実際にワシソトン会議が開かれてからのこれに. 対する討議の内容︑等は本稿の範囲を越えるので省略するが︑これらの二協定および第一次日英同盟締結の際アメリ. カの内諾をもとめた事情から﹃日英盟約ト既存日米了解トハ其ノ根本義二於テ互二秤格スル所無キノミナラス﹄﹃相. 併行シテ東亜二於ケル平和ノ保障タルト同時二之ヲ大ニシテ其真使命ハ国際協力ヲ促進シ各国間ノ平和安寧ヲ完成セ. ムトスル国際聯盟ノ大義二適応シ聯盟ノ本旨ヲシテ東亜方面ノ事態二適応シテ更二一層適切且有効ナラシムルモノト. 謂フヘシ﹄と述べている︒日英同盟と日米了解とは矛盾しないのみならず︑国際連盟の精神にもかない︑ただ地域的. 特殊事情に一層適切有効に適応したものである︑というのである︒したがつてこの方針は︑三国の了解の拡充のため.
(13) に︑一︑極東・太平洋における静密安固を確保し︑世界平和の確立に貢献せんとする目的に関しては三国の意見は一. 致し︑二︑日英の共通目的がアメリカの宣明してぎた根本主義に合致し︑三︑三国は上記の共通目的に対し友好的支. 持を与え︑以て全局の平和を確立することをのぞむ︑旨の︵三国︶共同宣言または交換公文を発表することとしてい. るが︑ただ日英同盟がなお攻守同盟の域を脱し得ずとするならば︑三国は相互間の事端の防止に努力すべしとの一条を. 加えても良い︑と述べている︒日英同盟と対米関係についてのこのような楽観的な見解から︑太平洋会議方針について. もカーゾン外相の言明から︵前記林大使報告︶イギリスの意図は﹃必スシモ太平洋会議ノ帰結二依テ目英同盟ヲ消滅セ. シムルカ若クハ クトモ之ヲ生魂無キ残骸タラシメムトスルモノニ非サルカ如シ﹄であつて︑太平洋会議によつて日. 英同盟の存在価値を失うことにはならず︑逆に太平洋会議を利用し三国間の了解を確立し︑または三国提携の機運を促. 進し得るならば日英同盟反対の源泉を一新し﹃一ハ米支ノ盲目的接近ヲ防止﹄し得て︑極東平和のもつども有効な保. ﹃. 障たり得る︑としている︒そのような関係を樹立するためには太平洋会議において︑第三国が特定の他の一国の領土. 保全または政治的独立の尊重を約することは妥当でない旨の論議があるならば︑現行協約中の﹃支那及其ノ土地﹄. 支那ノ独立及領土保全﹄ ﹃特殊利益﹄の字旬を削除することに異議なく︑さらに戦争を前提とする条約の存続を不可. とする意見があれば︑第二条の協同戦闘に関する条項の処置は軍備制限会議の討議の如何によることとしている︒第. 三次日英同盟からこれらの字句を削除すれば同盟の性格に重要な変更を加えることとなるが︑日英米三国の了解を確. 立するためにはあえてこれらの修正を施して日英同盟を存続させようとするのである︒そうしてこれら三国間の了解. 一一七︵一一七︶. を確立するためにはイギリスの三国非公式会談の提案は﹃正二乗スヘキ好機﹄であり︑進んでこの種提議の機会をと ワシントン会議日本攻府訓令についての考察−日英同盟−.
(14) 論. 説︵大畑︶. 一↓八︵一一八︶. ︵三〇︶ らえて本会議の円滑な進行と三国協調に資する︑というのがこの方針に述べられていた政策であつた︒この文書はそ. の後実際の訓令にその内容が多く取りいれられており︑訓令の起草に多くの影響を及ぼしたと思われるものである︒. しかし日英同盟に関しては︑この文書にあげられている理解や方針に対して否定的な要因となる事態が生じた︒そ. の一つはイギリスの提案した三国非公式会議が実現しなかつたことである︒そしてその際三国がそれぞれ他国の思惑. を疑がつて結局不成立に終つたことは興味深い︒即ち日本は﹃英国側二於テハ議題乃至太平洋協定二関シ既二何等力 ︵三一︶. 具体的腹案ヲ抱キ同首相等二於テ華府政府主要部ト親シク協議ノ上右腹案二付一通リノ了解ヲ取付ケ置カムトノ底意. アルニ非スヤトモ推測﹄し︑アメリカは﹃日英両国共同シテ米国二当﹄るのではないかと疑い︑カーゾン外相は日米 ︵三二︶ 両国が議題につぎ既に日米間に交渉が進められているのではないかと疑つた︒結局八月二臼イギリス提案は放棄され. たが︑こうした三国問の疑心暗鬼は︑当時日本側が期待していた三国間の了解が容易に成立する基盤を全く欠いてい たことを示しているものと思われる︒. 八月六目イギリスは帝国会議の経過を発表し︑これには太平洋会議に関する件も含まれているが︑この公表のなか. ︒Φ. に﹃日英同盟ヲ更ニョリ大ナル右関係三大国︵日︑英︑米︶間ノ取極二代ヘムコトヲ希望スルト共二﹄帝国会議が予. ︵三三︶ 備会議案を検討したことが述べられていた︵原文は⁝警①冒窟岳一9氏震窪8震︒鋤昌嵐霊貧富江興9①㌧轟一ε巷き①︒. Dぎ已卑げのぎ類ω菩ω江葺け包のo旨①富茜角霞声褥①目o旨びΦ箸①窪岳お①瞬o緯bo巧①お8糞Φ讐09鍔筥Φ貯 ︾伊q局8ヨ①募夢霞ゆ︒. 爵︒ご旨区即簿β冒冨昌きαOお魯野冨寧−⁝︶︒幣原大使もこの発表に触れて﹃右二依レバ英国政府ガ太平洋会議ヲ. 開カントスル主要目的ハ日英同盟ト平行スル協定ヲ結.ハントスルニアラズシテ日英二代ルベキ更二広キ協定ヲ日英米.
(15) ︵三四︶. 三国間二設ケントスルニアリタルモノノ如ク解セラル﹄と報告している︒これは七月コ日のロイド・ジョージ首相. の演説と矛盾するが︑イギリスの意図を日英同盟と併行する日英米関係の調整︑と理解し︑かかる調整の成立を期待し. ている日本政府︑および日英同盟に関する第二次国際連盟宛通告の経緯から︑日英同盟が同年一〇月に廃棄されるこ. となく︑いずれか一方の廃棄通告があるまでは引ぎ続き効力を有し︑且廃棄通告後も一ヵ年は有効であると了解して ︵三五︶. いる日本政府に衝撃を与えるものであつた︒八月一二日の内田電は﹃カーゾン卿の態度転モスレバ誠実ヲ欠クノ嫌無. キニ非ズ﹄と憤満の色をもらしている︒この目エリオット︵ω罵O冨幕の2曾8p国凝o信旨匡Φ毘一9︶イギリス駐日大 ︵三六︶. 使の﹃日英同盟ハ勿論之ヲ継続シタキ希望﹄﹃英国トシテハ日英同盟ノ誼二由リ終始日本ト意思ヲ疏通シ共同一致シ. タキ精神ナリ﹄との説明に外相は一応納得した︒しかしこの会談でもエリオット大使は﹃今ヤ英国ハ本件二付一切干. 渉セス米国政府二於テ発案者トナリ会議ヲ開ク以上英国ハ責任ヲ負ハス其ノ成功スルト否トハ英国ノ関係スヘキ限二 ︵三七︶. 在ラスト難勿論充分協力スル精神ナリ﹄と述べており︑事実イギリスは非公式会議案の挫折以後会議招請のイニシア. チヴを全くアメリカに譲つた︒アメリカは八月一三日附で会議の正式招請状を日本に発したが︑こうした情勢では日. 本ではイギリスに多くの期待をかける余地はなくなり︑当面アメリカと交渉せざるを得なかつた︒政府はイギリスと. 密接な接触を続けることを指示しているが︑それ以上積極的な対英!対英米政策を打出すことがでぎなかつた︒しか. も八月一八日には・イド・ジ︒ージ首相は下院演説で日英同盟は廃棄通告後一ヵ年有効であることを認めながら︑イ. ギリスにとつてはアメリカとの協調が一義的であり︑日英同盟が太平洋全般に関する日英米︵華︶の一層大きな了解に. 一一九︵一一九︶. 融合︵3R鴨ぎ︶し得れば大成功であるとし︑一九日ヒューズ米国務長官は︑アメリカは一切の﹃同盟﹄に参加しない旨 ワシントン会議目本政府訓令についての考察i日英同盟i.
(16) 論 ︵三八︶. 説︵大畑︶. 二一〇︵一二〇︶. を表明した︒こうした状況は日英同盟の継続に全く不利で︑九月一日の﹃華府会議対策﹄︵臨時︑平和条約事務局第一 ︵三九︶. 部国際連盟係意見書︶の﹃我ヨリ進ムテ英米両国間ノ海軍協定二付キ尽力ノ労ヲ執﹄る︑とか︑九月二四日に外務省. ︵海軍兵力. 側に伝えられた﹃海軍軍備制限ト日英同盟トノ関係﹄に関する海軍の意見にいう︑将来とも日英同盟の継続を希望す. る︑としている点が具体性を欠いた一種の願望にとどまつたのに対して︑海軍意見が指摘しているような ︵四〇︶. の立揚から考察しているが︶同盟に対するアメリカの危惧の念こそが︑三国関係の現実に近かつたのである︒. 一〇月四日に非公式に閣議に提出された訓令案の一般方針第九項には︑日英同盟存廃問題が生ずれば﹃帝国ハ日英. 同盟条約ハ前記協定叉ハ協商二依リテ自ラ制限セラルルコトアルヘキモ依然存続セシメタキ意饗ナリ﹄とあり︑この. 字句は同日の閣議では維持された模様であるが︑それ以上積極的な対策を打出すことができず︑二百の外交調査会で. 決定された訓令案では﹃猶存続セシムルモ妨ナシ﹄と後退し︑続いて︵一〇月四目閣議修正に基いて︶﹃但シ英国ニシテ ︵四一︶. 右協定又ハ協商ヲ以テ同盟条約二代ヘムコトヲ欲スルニ於テハ之二同意セラレ差支ナシ﹄と同盟継続を自ら半ば放棄. 第四十四回帝国議会衆議院議事速記録第三号一一頁︵なお目英同盟は﹁同盟協約﹂が正しいが以下一般的な用語にした渉う︶. した如くに修正し︑これが一四日ワシントン会議全権に与えられたのである︒ ︵一︶. 大正一〇年七月一二日︵本省着︑以下同じ︶林駐英大使より内田外相宛電報︵外務省文書﹃華盛頓会議. 会議開催ノ提議. ︵二︶. 拙稿﹃第三次日英同盟ーワシントン会議開催提議に関連して﹄︵早稲田法学第三五巻第一・二冊︶二七六頁︒. 及開会二至ルマデノ経過一般﹄松本記録ー以下﹃松本記録﹄と略称︶︒ ︵三︶. ︵四︶ ﹃日本外交年表並主要文書﹄上巻︵昭和三〇年︶三四五ー四六頁︒.
(17) ︵七︶. ︵六︶. ︵五︶. 拙稿﹃第三次日英同盟更新問題﹄二八Oi八五頁︑なおイギリス下院の討議は︾﹃閏U窪巳2↓冨︾昌範o・冒℃きo器. 拙稿﹃ワシントン会議開催と目米関係﹄︵目本国際政治学会編﹃目米関係の展開﹄昭和三六年 所収︶九一ー九七頁︒. 拙稿﹃第三次日英同盟更新問題﹄二九〇頁︒. ≧一一きoρω①蒔9①ざ一〇Noo. ︵八︶ 前掲拙稿二八七ー八八頁︒. 同上二九二ー四頁︑田村幸策﹃大東亜外交史研究﹄︵昭和一七年︶一九三ー二〇五頁︒. 閃o誘蒔⇒肉色簿δ霧9些①¢巳8α難簿8︵以下男園●と略す︶一8ρ<o一 戸もP①Qo−o Q P. ︵九︶ ︵一〇︶. o崔占① 男刃 ℃ 一 8 ど く o 一 ﹂ 矯 づ P Q. 田村前掲書二〇六ー一一頁Q. ︵一一︶. <〇一︒図図<. 乞o●一︶や呂︒. ワシントン会議日本攻府訓令についての考察−目英同盟i. 一二一︵ニコ︶. ︵二一︶旨●9巴≦霧自版︑↓ぎU量庄轟鉱警Φぎ翠ぎ霜Rり窪な︒コ訂譲器圧罐8旨9罠⑦残窪8..︵↓ぼ冒霞轟一9 ︼≦o留醤=一ω8曙. 拙稿﹃第三次目英同盟更新問題﹄二九四頁・. 松本記録所収. 前掲拙稿二九五頁o. 同上書三六二頁Q. ﹃原敬目記﹄第九巻︵昭和二五年︶三五一ー玄二頁︒. 詳細は前掲拙稿二九三−九四頁︒. 拙稿﹃第三次日英同盟更新問題﹄二九五頁︒. 0昌傷魯OO巳9魁ω帥緯oの︸Uo昌αoP一〇㎝斜や お9 =●O●︾一一〇⇒旧Oお暮閃ユ$ぎ9. 〇九八七六五四三 ) ) ) )) ) ) ). ( ((( ( ( ( (.
(18) 説︵大姻︶. ︵二八︶. ︵二七︶. 七月二九目林大使より内田外相宛電報︵第八九六号︶︒. 七月二八目内田外相より幣原大使宛発電︵欠番︶︒. 七月二八日林大使より内田外相宛電報︵第八九三号︶・. 拙稿﹃日本のワシントン会議参加﹄三八頁︒. 九二〇号︶松本記録︑以下同じ︒. 一二二︵一二二︶. 冒昌ρ冒マ睾伍︾瓢讐撃一〇田堕ω自ヨヨ蝉蔓9零08aぎ暢帥呂U8q跨窪貫ワ9八月八日林大使より内田外相宛電報︑︵第. ︵三三︶9畦巽窪80訟︶嘗ま累一艮ω3おき血寄鷹①ω①馨呂奉9跨︒d三8α困夷虹oβ些oU・邑三〇霧﹄且ぎ血貫ザ︒鑓旨. ︵三二︶. ︵三一︶ 七月二九日内田外相より林大使宛発電︵第四六四号︶Q. 方針﹄︵大正一〇年七月末稿︶とを見る︒後者が定稿と思われるものである︒. 定稿︵大正一〇年七月二八日稿了︶と︑松本記録︵第三巻︶に外務省アジア局の﹃支那問題ヲ中心トシテ見タル太平洋会議. ︵三〇︶この文書は外務省文書﹃華盛頓会議一件準備﹄第一巻に﹃亜細亜局関係問題を中心として見たる太平洋会議方針﹄未. ︵二九︶. ントン会議参加﹄三六ー三七頁︒. 七月二六目林大使より内田外相宛電報︵第八八四号︶︑目本がこれを受諾しなかつたことについては拙稿﹃目本のワシ. 七月二〇日林大使より内田外相宛電報︵第八六四号︶・. 松本記録︒. 七月一三日内田外相より幣原駐米大使宛発電︵第二八四号︶Q. 決定文書は松本記録︑なお拙稿﹃日本のワシントン会議参加﹄︵﹃早稲田法学会誌﹄第一〇巻法律編︶三四ー三五頁︒. 七月一〇日林大使より内田外相宛電報︵松本記録︑以下同じ︶︒. (((((( 六五四三二一 ))))))論.
(19) ︵三五︶. ︵三四︶. 八月一二日内田外相より石井駐仏大使宛電報︵第七四五号︶︒. 八月八目幣原大使より内田外相宛電報︵第四八三号︶︒. 一露ど<〇一■ど質一㌣8. 帝国会議に関. 拙稿﹃目本のワシントン会議参加﹄三九頁︑これより先︑アメリカ大使は︑目英同盟のような特殊協定は︑検討中の協. ︵三六︶ 八月一二日内田外相より石井駐仏大使宛電報︵第七四八号︶︒. ︵三七︶. 定が成立すれば必然的に消滅する︑とのカーゾン外相の言明を伝えている︒劉閃. するイギリス側の発表とあわせて︑イギリスがあらかじめ目英同盟代替協定を考慮していて日本を欺いた︵イギリスは本文. に述ぺたよ5に︑その後も同盟解消の意がないことを言明している︶ようにもみえるが︑なおそのことを認めるには資料が. 充分でない︒むしろイギリスは当時の国際関係においては単独では目英同盟更新に関する決定をなし得ず︑その矛盾がこれ. ︵三八︶ いずれも﹃華盛頓会議一件. 八月二二目林大使より内田外相宛電報︵第九六〇号︶︑同目幣原大優より内田外相宛電報︵第五四七号︶︒. らの字句に表現されているものであろうo. ︵三九︶ 松本記録所収︒. 準備﹄第一巻︒. ︵四〇︶. 日英同盟はワシントン会議において締結された四国協定により廃棄され︑したがつて事前の経過も︑日英同盟更新問題. 一二三︵一二三︶. は四国協定問題と結びつけられ︵田村前掲書第三章︑<置8P8る霊︶むしろそれが通説であるが︑幣原大使は日英同盟を. ︵四一︶. 九国条約の構想と結びつけている︵幣原平和財団編刊﹁幣原喜重郎﹂昭和三〇年︑二〇二頁︶︒. ワシントン会議目本攻府訓令についての考察−目英同盟1.
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