早稲田大学審査学位論文(博士)
特別養子縁組における
「父母の同意要件」を巡る法的考察
―葛藤事案における調和的解決を目指して―
早稲田大学大学院法学研究科
喜友名 菜織
1
目次
序章 ... 4
第1節 目的 ... 4
第2節 問題意識 ... 4
第1項 制度新設後の経過 ... 4
第2項 制度改革の近況 ... 6
第3項 再定位の必要性 ... 7
第3節 構成 ... 8
第1章 立法の意義と積み残した課題 ... 10
第1節 端緒 ... 11
第1項 特別養子構想の背景 ... 11
第2項 昭和34年法制審議会における議論 ... 14
第3項 養親の要望と子の利益 ... 19
第2節 転換 ... 20
第1項 特別養子議論の中興 ... 21
第2項 昭和57年法制審議会に至る経緯 ... 22
第3項 実親の要望と子の利益 ... 26
第3節 成立 ... 28
第1項 議論の変容 ... 28
第2項 「中間試案」の公表 ... 30
第3項 特別養子制度の新設 ... 32
第4節 特別養子議論の成果 ... 34
第1項 創設の意義と期待 ... 34
第2項 議論の終着点 ... 35
第3項 積み残した課題 ... 35
第2章 審判例の蓄積と従前の判断枠組み ... 39
第1節 実質的要件における問題の所在 ... 40
第2節 817条の6と同条の7の機能 ... 44
第1項 各条文の立法趣旨 ... 44
第2項 審判における方針 ... 49
第3項 理念と運用の乖離 ... 54
第3節 父母の同意要件と要保護要件の関係性 ... 56
2
第1項 審判例の蓄積 ... 56
第2項 公表例の選別 ... 59
第4節 これまでの判断の妥当性 ... 66
第1項 判断内容の大枠 ... 66
第2項 判断方法の推移 ... 68
第3項 従前の判断枠組み ... 73
第3章 葛藤事案における子の利益擁護の在り方 ... 76
第1節 実親の優位性に関する問題 ... 77
第1項 父母の同意要件の位置付け ... 77
第2項 裁判官の意識 ... 85
第2節 非公表例の紹介 ... 87
第1項 事案1 ... 87
第2項 事案2 ... 90
第3項 今後の展望 ... 93
第3節 実質的要件の再定位 ... 95
第1項 親としての責務と適格性 ... 95
第2項 子の利益の具体化 ... 99
第3項 監護養育の意思と能力 ... 100
第4節 子の利益に根差した判断枠組みの提示 ... 107
第1項 監護養育意思の位置付け ... 107
第2項 家庭局の見解 ... 109
第3項 判断枠組みの提示 ... 114
補足資料 ... 117
第4章 断絶型養子制度における調和的解決への模索 ... 121
第1節 改正議論を踏まえて ... 121
第2節 ドイツ未成年養子制度の進展 ... 122
第1項 完全養子制度導入の経緯 ... 122
第2項 未成年養子縁組の利用状況 ... 125
第3項 長期里親養育と養子縁組への接続 ... 126
第3節 養子縁組手続 ... 129
第1項 親の同意に関する規定 ... 129
第2項 同意補充事由 ... 133
第3項 その他の手続 ... 142
補足資料 ... 145
3
第4節 父母の同意要件を巡る問題 ... 148
第1項 同意の位置付けと問題の所在 ... 149
第2項 母の同意を巡る問題 ... 150
第3項 父の同意を巡る問題 ... 156
第5節 日本法への示唆 ... 165
第1項 養子制度の変容 ... 165
第2項 内密出産制度 ... 167
第5章 特別養子制度を巡る民法の一部改正の動き ... 173
第1節 利用促進のための見直し ... 173
第1項 見直しの背景と経緯 ... 173
第2項 法務省の研究会における議論 ... 174
第3項 「中間報告書」の概要 ... 175
第2節 法制審議会における審議 ... 188
第1項 法制審議会特別養子部会の設置 ... 188
第2項 審議の過程 ... 188
第3項 「中間試案」の内容 ... 192
第3節 「中間試案」に対する所見 ... 208
第1項 養子となる者の上限年齢の引上げ ... 208
第2項 成立審判手続の見直し ... 210
第3項 縁組の成立に係る規律の見直し ... 212
終章 ... 215
参考文献 ... 217
4
序章
本章では、本論文の目的(第1節)、問題意識(第2節)、および構成(第3節)について 述べる。
第1節 目的
本論文の問題意識は、民法 817条の2以下に定めのある特別養子縁組制度が、子の利益 や子の福祉を積極的に保護する制度としては理論と実践の両面においていまだ発展途上に ある、という点に在る。とりわけ、特別養子制度の社会的代替養育制度としての機能に着目 した場合にそれが顕著であるように思われる。
例えば、子の福祉の向上のために特別養子縁組を成立させるに相応しい事情があるにも かかわらず実親が縁組に反対の意思を表明しているような場合に、実親のもとに留めてお くことと養親となる者の特別養子になることのいずれが子の利益に適うのであろうか。子 の監護養育を巡り、縁組にかかわる当事者間(実親・子・養親となる者の間)に葛藤や対立 が生じている事案においては、如何なる判断のもと、子の利益のために縁組の成立または不 成立という結論が導かれるべきか。
本論文は、この問いかけに基づき、①特別養子縁組の成立または不成立に大きな影響を与 える「父母の同意要件」に焦点を当て、②「子のための養子法」であるという理念や期待に 反して実態が伴わない原因を解明し、③特別養子制度の機能に即した運用がなされるよう その位置付けを再定位すること、を試みるものである。
第2節 問題意識
特別養子制度の社会的代替養育制度としての機能に着目した場合に、何故、同制度はいま だ発展途上にあると考えるのか。本論文における問題意識を、制度新設後の経過および制度 改革の近況を整理した上で述べると、以下のようになる。
第1項 制度新設後の経過
特別養子制度の特色は、次の三点から見出せる。所定の要件をすべて満たした上で家庭裁 判所の審判によってのみ成立する(民法817条の2)。縁組成立の効果として、子と法律上 の親との間の法的親子関係が終了する(同条の 9)。離縁は原則として許されない(同条の
5
10)。この特色は、「親」に足る適切な養育者との養子縁組を通じて専ら子の福祉の格段の向 上を図ること、つまりは子の利益および子の福祉を積極的に保護する「子のための養子法」
を実現させるという理念を表したものとされる。
遡ること特別養子制度は、1959(昭和34)年の法制審議会における構想から1987(昭和
62)年の成立までに30年近くを要しており、その翌年の施行から2018(平成30)年現在
においては30年が経過した。構想時は、「わらの上からの養子」の防止策として、また、子 の法的地位の安定化を図るために、未認知の嫡出でない乳幼児の保護が念頭に置かれてい た。しかし、特別養子創設議論の変遷とともに、養育において子の心理的安定性を確保する ことの重要性についても次第に認識が高まっていき、成立時には、棄児や被虐待児等の救済 策としての役割も付与された。施行後は、もとより想定していた要保護児童や連れ子のケー スに留まらず、代理懐胎子をはじめとする生殖補助医療を利用したケースにも転用されて いる。実親子間の法的関係の終了、および養親の嫡出子として戸籍記載上も配慮されるとい う同制度特有の効果は、様々な場面で発揮され、自然的血縁に基づく結び付きに固執しない 多様な親子関係の構築に寄与してきた。
もっとも、特別養子制度の導入に際しては、その理念が反映された運用の在り方として、
里親制度に代表される他児養育制度の一形態として明確に位置付けられ、利用されていく ことが強く望まれていた。しかし、そのような理念や期待に反して、統計資料によれば、要 保護児童約4万5 千人に対して、特別養子縁組を前提とした里親(以下、養子縁組里親と いう)への委託児童数は301人と(1)、要保護児童全体の0.7%にも満たず、また特別養子縁 組の新受件数661件・認容件数495件と(2)、その成立数は要保護児童全体の1.1%に過ぎな い。同制度の効用たる家庭環境下での養護および特定の人物との愛着関係・信頼関係の形成 を、最も必要とする要保護児童の救済策としては、低調かつ消極的な実施に留まっている。
このような理念と実態の乖離につき、利用不振の要因は、民法と児童福祉法の連携の不足 および民法上の要件の厳格さの二つに集約されるという指摘がこれまでなされてきた(3)。そ
(1) 厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課「社会的養育の推進に向けて」(2017年12月)11 頁。
(2) 司法統計年報「第3表 家事審判事件の受理、既済、未済手続別事件別件数―全家庭裁 判所」(2016年度)10-11頁。
(3) 岩崎美枝子「わが国における養子制度の実情―養子縁組斡旋の現場からよりよい特別養 子法の改正を願って―」家族<社会と法>25号(2009年)54-61頁、床谷文雄「提言(報 告のまとめをかねて)」同 108-114 頁、中川高男「現行養子法の若干の問題―雑感―特別 養子施行20年を契機として」同16-20頁、本山敦「特別養子制度20年:子どもの幸せを
6
して、これらの論点を巡り、特別養子制度は今まさに変革の渦中にある。
第2項 制度改革の近況
従前、要保護児童の処遇については、児童福祉法に則った公的責任に基づく対応(以下、
社会的養護という)として、乳児院や児童養護施設等への委託措置がなされるのが大半であ り(4)、このような施設養護への圧倒的な偏重が、わが国の社会的養護を特徴付けてきた。こ の常態に対しては、大規模型施設における成育の問題性(5)が指摘され続け、施設の満杯状況 という実情あるいは家庭養護が重要であるとする認識のもと、近年、施設の小規模化および 里親委託を推し進める働き掛け(6)が顕著である。この動きと併せて、従来、同様の他児養育 制度の括りにあるとはいえ、児童福祉法上の措置としての里親制度と民法上の特別養子制 度は、根拠条文の差異に加え、実親子の再統合が目指されるか否かその目的も異にしている ために、同列に扱うことは難しいとされてきたのに対して、近時、特別養子制度に関する議 論も目覚ましい進展を遂げている。その動向については、以下のように整理することができ る。
消極的利用という理解に留まっていた特別養子制度が脚光を浴び、活発な議論が促され ている背景には、児童虐待の増加・深刻化がある。児童相談所における児童虐待相談対応件
数は、2015(平成27)年度には10万件を超え、これまでとは一変して政府主導のもとで、
施設・里親委託から特別養子縁組への接続が積極的に検討されるようになった。2016(平成 28)年6月に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」、および2017(平成 29)年4
求めて」同40-42頁等。
(4) 厚生労働省・前掲注(1)11頁によると、要保護児童約4万5千人のうち、(里親の区 分に関係なく)里親委託児童数は5,190人であるのに対して、乳児院には2,801人、児童養 護施設には26,449人が入所している(2017年3月末現在)。
(5) 施設養護では、専門的な知識や技術のもとに日々の処遇が行われており、要保護児童の 養育や治療に際して、個人では対応しきれない部分を補い支える役割を担っているといえ るが、要保護児童に関するあらゆるケースを、施設養護を中心に据えて対処することについ ては問題があるとされてきた。ピーター・ヘイズ=土生としえ著・津崎哲雄監訳・土生とし え訳『日本の養子縁組 社会的養護施策の位置づけと展望』(明石書店、2011年)226-232 頁は、施設養護の不利な点として、親と親密な関係を発展させる機会が持てないこと、柔軟 性の欠けた日課に基づく養育・管理に重きが置かれるために、児童の自律性を育てる機会が 制限されること、施設では親や家庭のあり方を学習できないこと等を挙げる。
(6) 里親委託の推進については、厚生労働省・前掲注(1)19頁以下参照。施設の小規模化 の推進については、同36頁以下参照。
7
月に完全施行された改正児童福祉法の附則2条1項においては、特別養子制度の利用促進 の在り方について検討するよう明記された。さらに、厚生労働省は、より家庭に近い環境が 重要であるとする考えから、社会的養護においては、被虐待児の養育の受け皿として里親委 託や特別養子縁組を優先させるとする新たな方針を打ち出した(7)。2016(平成28)年12月 には、新たに「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法 律」が成立し、同法の施行により、児童相談所と民間あっせん団体の協働のもと、適正かつ 透明性の確保された養子縁組の紹介・仲介が行われることが期待されている。
これに対して、特別養子縁組の直截的な根拠規定となっている民法上の諸規定は、近年の 周縁の改革に十分に応えられ得る設計となっているのであろうか。厳格な要件の緩和・修正 を求める声は制度導入の当初から根強く存在し、例えば、年齢要件や父母の同意要件等の養 子縁組の成立にかかわる関門は、縁組当事者だけでなく、年間千件という成立目標を掲げた 政府にとっても(8)、障壁となることが予想される(9)。果たして、この点についても、特別養 子制度を社会的養護の一施策として前面に押し出した一連の態度決定に連なる形で、改正 に向けた本格的な検討が行われている。2016(平成28)年7月には厚生労働省にて「児童 虐待対応における司法関与及び特別養子縁組制度の利用促進の在り方に関する検討会」が、
2017(平成29)年7月には法務省にて「特別養子を中心とした養子制度の在り方に関する
研究会」がそれぞれ発足し、さらに、2018(平成30)年6月には、法制審議会特別養子部 会が設置されるに至っている。
第3項 再定位の必要性
以上の経緯から、次の二点について指摘できる。
第一に、実親による適切な監護養育に恵まれない子に新たに親と家庭を提供するという 特別養子制度の理念に即した運用がなされていないことは、統計で示されているように、要 保護児童を取り巻く環境からも容易に推察できるということが指摘できる。それゆえ、要保
(7) 朝日新聞2017年7月22日付。
(8) 未就学児の里親委託は7年以内に75%以上の委託率を、特別養子縁組は5年間で倍増 し年間千件の成立を目指すとする報告書案が示された。日本経済新聞2017年8月1日付。
(9) 例えば、児童養護施設や里親家庭にいる6歳以上の児童は2013(平成25)年時点で約 3万人いるとされ、児童相談所が2014(平成26)年度から2015(平成27)年度に特別養 子縁組を検討すべきと判断した 288 件のうち、養子となる者の年齢要件を理由に成立しな かったケースは46件あったとされる。朝日新聞2017年7月14日付。
8
護児童を対象とした特別養子縁組事例を素材に、これまでの運用の在り方から「子のための 養子法」と捉えられてきた従前の位置付けを再考することは、現行特別養子制度の中核的な 機能を抽出することに通じると考える。特別養子制度の特性とその法的救済の限界を詳ら かにすることが求められ、それは同時に、同制度の今後の発展可能性を見極める基盤になる と考える。
今後の発展可能性という点に関連して、特別養子制度は、社会的代替養育制度のなかで被 虐待児や長期委託児の救済策としてその有用性が再認識され、民法の改正を通じ児童福祉 法との連携を促進させることによって活用を高めるという兆しにある。このことを踏まえ ると、第二に、このような潮流の根底には、特別養子制度が児童虐待の善後策たり得るとす る認識があるということが指摘できる。しかし、このような期待とそれに基づく制度の修 正・変更への着手に際しては、とりわけ被虐待児や年長児を対象とした葛藤事案を想定した 場合に、親子関係の断絶を特色とする同制度の利用が子の最善の利益に適うものとなるの か、縁組当事者間に禍根なく調和的解決をもたらす選択肢となり得るのか、換言すれば、非 調和的解決策の利用は子の将来までを見据えた場合に真に子の福祉に適うものといえるの か、という疑問を常に念頭に置いておく必要があると考える。したがって、同制度による救 済対象の拡大を目指す昨今の制度改革議論は、特別養子制度の今後の位置付けを問う一つ の足掛かりとなるものであり、それは同時に、同制度の本質を明らかにすることを通じて、
「子のための養子法」としての将来における展望を見極めることが不可欠であることを再 認識させるものとなり得る。
以上のような問題意識を踏まえ、血縁者による適切な監護養育に恵まれない未成年子を 非血縁者に託すという児童福祉制度としての機能に着目し、特別養子制度の理念と機能に 即した運用の在り方について、調和的解決に至るか否かを決定付けている「父母の同意要件」
の観点から考察していく。
第3節 構成
本論文では、以下の手順で考察を行うことにする。
理念と実態の乖離という問題につき、何故これまで理念に即した運用がなされてこなか ったのかという問いのもと、第1章では、運用の基盤となっている特別養子制度の設計それ 自体がもとより「子のための養子法」として構想されたものであったのか検証することにし たい。特別養子制度の創設に関する議論は、「わらの上からの養子」を端緒とし、次第に養 親子の法的・心理的な安定化を図る方向へと収斂していったが、実親子の利益保護を訴えて
9
いた「実子特例法」の提唱が特別養子議論や現行制度の成立に如何なる影響を与えたのか、
また実親という存在は当時どのように捉えられていたのかを考察し、それを通じて、特別養 子制度の利用によって子の福祉の積極的保護と縁組当事者間の調和的解決をもたらす理想 的な場合としてどのようなケースが想定されていたのか明らかにする。
第2章では、実際の運用の場面に視点を移し、第1章に引き続き、何故これまで理念に即 した運用がなされてこなかったのかということにつき検証を重ねる。その際、特別養子縁組 の成立審判において裁判官の裁量を以って実質的な検討が行われる817条の6但書と817 条の 7 前段、つまりは実親子の利益調整について規定している要件に主眼を置き、立法解 説、家庭局の指針、公表審判例および学説をもとに、実親が縁組への同意を拒否している葛 藤事案においてこれまでどのような判断規準が構築されてきたのか、縁組に対する実親の 同意の有無が縁組成立の判断にどのような影響を与えてきたのか解明する。
第3章では、第2章に引き続き、葛藤事案における実親の同意の位置付けつまりは縁組同 意権の法的性質について検討し、審判実務における実親の優位性および審判の予測困難性 という問題を明らかにする。その上で、子の福祉の消極的保護に留まり得ることが懸念され る現在の運用を是正すべく、養親子の関係について規定している817条の7後段の要件の 位置付けを踏まえ、「親としての責務」「親としての適格性」「監護養育意思」「監護養育能力」
の観点から実質的要件の再定位を行い、葛藤事案に対処し得る子の利益に根差した一定の 判断枠組みを提示する。
続いて、審判における理念と実態の乖離を現行法制度のなかで是正し得た場合であって も残される課題として、機能と期待の齟齬という問題に着目したい。そこで、第4章では、
特別養子制度に付与された養育という目的と断絶という効果が融和し、縁組当事者に調和 的解決をもたらす場合とはどのようなときであるのか考察する。その考察の素材として、ド イツの未成年養子制度を取り上げ、実務における厳格かつ具体化された運用の指針、および 非葛藤事案においてさえ生じ得る断絶効に起因する親の同意を巡る議論を紹介するととも に、断絶型の養子制度の特性として、実親側の手続参与は不可避であること、および要保護 児童を救済しようとする企図に応えられない現実があることを指摘したい。
第5章では、近時の法制審議会における特別養子縁組の改正議論を取り上げ、審議の成果 が「中間試案」として取りまとめられるまでの検討過程を整理・概観するとともに、喫緊の 改正が必要とされている年齢要件、父母の同意の撤回制限、縁組の成立手続の三つの論点に つき、「中間試案」に対する所見を述べることにする。
10
第1章 立法の意義と積み残した課題
社会的養護の対象となる要保護児童のうち、実親が自己の子を引き取り養育する意向を 示さないために、長期にわたり施設や里親に委託される可能性が高い子(10)に対しては、心 身の健全な発達・成長の観点から、できるだけ速やかにかつ円滑に、新しい養育者と家庭環 境を与える必要がある。特別養子制度は、現在、そのような需要に応えられる児童福祉制度 として注目されているが、それ以前は、望まない妊娠への対策として「有用」(11)と認識され ているに過ぎなかった。
特別養子制度は、確かに法的な親と安定的な家庭環境を確保する手段として有用である が、何故これまで広く普及せずにきたのか考える必要がある。たとえ特別養子制度を、理念 上より一層積極的かつ強固に、社会的養護の一手段として位置付けることができたとして も、実親の同意の撤回に関する制限規定がない等、現行制度の設計それ自体が利用不振の要 因となっている場合には、結局のところ、期待されている機能を発揮することも活用もなさ れないままとなる。実際、子の利益および子の福祉の積極的保護という制度理念と、家庭裁 判所における審判や児童相談所による斡旋等から浮かび上がる消極的な実務運用との乖離 は、適切な養育者と安定的な家庭環境を必要としている児童数に対して、利用低調という形 で長らく供給が行き渡っていないことからも指摘できる。この常態を改善すべく、特別養子 縁組の成立に関する手続や要件の見直しが往年のかつ喫緊の課題とされ、現在、法制審議会 においても、子の年齢や実親の同意に関して集中的な審議がなされている。
(10) 厚生労働省・前掲注(1)14頁によると、要保護児童4万5千人のうち、26,449人が
児童養護施設に入所している。この中で、在籍期間が4年未満の児童は14,842人と多数を 占めるが、これ以外にも8年以上(4,733人)や12年以上(2,105人)在籍している児童も いる。また、「虐待(放任・怠惰、虐待・酷使、棄児、養育拒否)」によって施設措置が決定 された児童は11,377人に上る。措置理由として親による虐待・ネグレクトの占める割合が 高いことや、在籍期間が 8 年以上を超える児童の存在があることから、児童に対する親の 行動態様に改善が見られないために家庭復帰への見通しが立たず、長期にわたり施設養護 下に置かれる児童が一定数存在していると推察する。
(11) 2011(平成23)年に出された厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長・家庭福祉課
長・母子保健課長通知「妊娠期からの妊娠・出産・子育て等に係る相談体制等の整備につい て」(雇児総発0727第1号、雇児福発0727第1号、雇児母発0727第1号)等で、「望ま ない妊娠による出産で養育できない、養育しないという保護者の意向が明確な場合には、妊 娠中からの相談や出産直後の相談に応じ、「『特別養子縁組を前提とした新生児の里親委託』
の方法が有用」という認識が示された。
11
改正議論に触れる前に、何故、現行特別養子制度が付与された理念通りに運用がなされず にきたのか紐解く必要がある。その作業の一助として、本章では、特別養子制度がそもそも 子の利益を積極的に保護することを目的として設計されたものであったのか、また当時の 議論のなかで葛藤事案の中心に置かれる実親の存在はどのように捉えられていたのか、と いう問いを設定し、構想から成立までの道程を辿ることを通じて、理念と実態が乖離してい る原因を突き止めることにする。まずは、制度成立に至るまでの社会的背景および法制審議 会における議論をもとに立法経緯を整理し(第1節~第3節)、続いて、創設の意義と制度 設計上の不備を起因とする残された課題を提示する(第4節)。
第1節 端緒
わが国の養子制度は里親制度と同様に古い歴史をもつが、「子の利益」を謳う養子制度が 法定されたのは、1987(昭和62)年のことであった。何故、既に存在していた普通養子縁 組とは別に、新たに特別養子縁組を設ける必要があったのか。以下では、現行制度の原案と なった「特別養子」が構想された経緯を辿ることにする。
第1項 特別養子構想の背景 1.「わらの上からの養子」の慣行
特別養子制度創設の要請は、「わらの上からの養子」の慣習に端を発しているとされる。
「わらの上からの養子」とは、育ての親を生みの親と思い込むような幼少の子を貰い受け、
あたかも自己の嫡出子として届け出ることをいい、わが国の慣行となっていた。幕末から明 治初年の慣行を集めた『民事慣例類集』や『全国民事慣例類集』では、私通や密通から生ま れた子は他人の実子として籍に入れたという報告が散見される(12)。この背景には戸籍への 根強い執着があり、戸籍が汚れることを理由に、「私生子」を戸籍簿につけることは忌避さ れた(13)。
「わらの上からの養子」は、如何にして行われたのか。嫡出でない子を出産することは、
一方では、一家一門の不名誉と考えられ、「家」をあげて出産事実を秘匿することに奔走し
(12) 司法省『民事慣例類集』(司法省、1877 年)第1篇第1章、風早八十二『全国民事慣
例類集』(日本評論社、1944年)18頁以下参照。
(13) 我妻栄「養親子関係の成立(1)―他人の籍を借りた縁組―」ジュリスト33号(1953
年)20頁参照。
12
たといわれる。その一方で、このような子を託される夫婦が存在し、実子として育てたい、
養子であることを養子本人にも世間にも知られたくないという思いから、自分たちの生ん だ子としていきなり出生届を出していた(14)。
実方・養方という二つの家の利害の合致により慣習化されていった「わらの上からの養子」
は、社会生活上、嫡出子と扱われることが子の利益に役立つ一面もあり、「適切」(15)と捉え られた。判例も、明治31年民法施行前に行われた「わらの上からの養子」については、「其 慣行ハ、当時ノ法制上適法ノモノナリ」とし、「純然タル養子縁組ニ非サルモ、養子制度ニ 準拠スル」として、養子縁組の効力を認めていた(16)。
2.子の法的地位を巡る問題
「わらの上からの養子」を貰うことは、虚偽の嫡出子出生届出を行うことを意味する。公 文書偽造罪に触れるという法的問題と併せて、明治31年民法の施行により、養子縁組の成 立に届出主義が採用されて以来、大審院はもとより最高裁も、「わらの上からの養子」を無 効とする立場を貫いた(17)。縁組が戸籍上届出の必要な要式行為であることや、親族法が強 行法規であることが重視され、仮に事実上の親子生活が十数年にもわたり継続されていた としても、そこには実親子関係も養親子関係も生じず、そのような縁組は、養子からは勿論 のこと養親やその親族からも無効を主張できると判断された(18)。
「わらの上からの養子」という無効な養子縁組の慣行において不利益を被るのは、ほかで もない養子本人であった。養親側は、確かに実親による子の取戻しを危惧してはいたが、養 子を実子として養育するつもりで届出を行った後に実子が生まれ、実子に相続させたいあ るいは「なさぬ仲の子」を排斥したいとする都合から、養子縁組の無効を主張する場合が多 くあった(19)。これは、秘密裏の縁組に自らは参与していないにもかかわらず、実親からも 養親からも追い出されることになる養子にとって甚だ不都合なことであり、それゆえ、上記 判例の見解に対しては批判も多くあった。
(14) 我妻栄「藁の上から」ジュリスト133号(1957年)17頁参照。
(15) 我妻・前掲注(14)17頁。
(16) 大判大正8年2月8日(民録25輯4号189頁)等。
(17) 大判昭和11年11月4日(民集15巻22号1946頁)は、傍論的に述べられているも
のの、この問題にはじめて触れた大審院判決とされる。
(18) 最判昭和25年12月28日(民集4巻13号701頁)。
(19) 我妻・前掲注(13)20頁、我妻栄「養親子関係の成立(3)―藁の上から貰うには―」
ジュリスト35号(1953年)20頁参照。
13
生みの親と育ての親の事情から常に不安定な身分関係にさらされる養子を救済しようと、
学説は、いわゆる無効行為の転換理論を用いてこの問題を解決する可能性と必要性を提示 した。虚偽の嫡出子出生届出は、違法な行為ではあるが、このような無効な届出であっても、
親子となる意思が表示され、事実上も親子の生活が営まれている場合には、養親子としての 届出の作用は果たされており、有効な縁組届として取り扱うべきとする説が有力に主張さ れた(20)。
その後、1952(昭和27)年になって、最高裁は、民法総則の無権代理の追認に関する規 定(民法116条)および取り消しうべき縁組の追認に関する規定(民法122条)を類推し、
無効な養子縁組であっても、養子が満15歳に達すれば明示・黙示を問わず追認によって有 効になり得るものと判示した(21)。しかし、これは、他人の子を嫡出子として届け出た者の 代諾による養子縁組、つまりは戸籍に縁組の記載はあるが代諾権のない者が代諾した養子 縁組につき、それを本人の追認で補うことができるというものに過ぎなかった。それゆえ、
この最高裁の見解を踏まえてもなお、縁組の記載がない場合には、他人の子を自己の嫡出子 として届出をした者との間に親子関係は生じないと見なければならなかった(22)。
3.合法化の要請
「わらの上からの養子」の慣行は、養親の意向次第では、嫡出子としての子の地位を不安 定にさせるものであった。もとより「わらの上からの養子」は、虚偽の届出という違法行為 に該当し、法制度上看過できない問題であった。養子の法的地位を安定させるためにも、虚 偽の嫡出子出生届出の風習に対処するためにも、「合法的な途を開く」(23)ことが求められて いた。それには何よりも、他者の子を実子として養育することを望み、そのような思いから 違法な届出行為に走る養親の要望に応える必要があった。このような経緯から、昭和30年 代に入り、法制審議会における養子法改正の審議と併せて、「特別養子」という制度が新た に構想されるに至った。
(20) 我妻栄「無効な縁組届出の追認と転換」法学協会雑誌71巻1号(1953年)1頁以下
等。判例の見解とこれに対する学説の立場をまとめたものとして、泉久雄「実子として届け 出た縁組と養親子関係の成否」ジュリスト591号(1975年)95頁以下、中川淳「判批」法 律時報47巻13号(1975年)128頁以下等参照。
(21) 最判昭和27年10月3日(民集6巻9号753頁)。
(22) 我妻・前掲注(14)17頁参照。
(23) 我妻・前掲注(14)17頁。
14 第2項 昭和34年法制審議会における議論 1.「特別養子」構想の経緯
わが国には、元々「家」や「親」のために多目的に利用されてきた普通養子縁組があった が(24)、「子」に着眼した養子制度は、1959(昭和34)年の法制審議会民法部会の身分法小 委員会による「仮決定及び留保事項(その2)」における項目の第二十七として、はじめて 登場する。これが、現行特別養子制度の雛型であり、以後その新設の是非が長きにわたり議 論されることになる。1959(昭和34)年の議論に至るまでの経緯を詳述すると、以下のよ うになる。
第二次世界大戦後、わが国の養子法は、現行憲法の制定に伴い、1947(昭和 22)年に、
民法の親族編・相続編の全面改正を受け再編されることになり、未成年養子については、子 の福祉の観点から、家庭裁判所による許可制度(民法798条)を新設した。しかし、この改 正は、個人の尊厳と両性の本質的平等(憲法24条)を民法に反映させるために、短期間に 行われたもので、基本的には、家の「承継ないし家督相続」と結び付きのあるものだけを排 除することが目指され、養子制度の改革については不徹底であった。未成年養子のための家 庭裁判所の許可制度は、一応は「子のため」の理念に立っていたが、子の不利益の防止とい う消極的な保護に留まるものであった(25)。
その後、1952(昭和27)年7月に、法務大臣の諮問により、法制審議会において、民法 改正について調査審議するための民法部会が設置された。民法部会では、まず親族編の調査 審議を行うことになり、そのために小委員会を構成し、小委員会の審議経過は、適当な時期 を選び民法部会に報告することとされた。小委員会は、親族編の検討作業を開始し、1955
(昭和30)年7月に開かれた民法部会第2回会議において、親族編のうち第1章総則と第 2章婚姻のうち、離婚を除いた部分の検討結果を「仮決定及び留保事項(その1)」として 報告した。この会議において民法のうち財産法関係についても新たに財産法小委員会が設
(24) 普通養子制度は、多目的な利用が許容されていたために、時に濫用的に利用されるこ
ともあった。戦前の大審院の判例では、兵役義務を免れることを目的とする兵隊養子(大判 明治39年11月27日刑録12輯1288頁)、芸娼妓業に従事させるための芸娼妓養子(大判 大正11年9月2日民集1巻448頁)、嫁入りの際に実家の家格を引き上げるための仮親養 子(大判昭和15年12月6日民集19巻2182頁)につき、縁組意思がないとして、無効と 判断されている。
(25) 中川淳「現代家族法の諸問題」法学セミナー210号(1973年)71-72頁。
15
置されたため、親族法を検討してきた従来の小委員会を「身分法小委員会」と称した。
身分法小委員会は、引き続き、親族編の各規定について逐条的に審議をし、養子制度に関
しては 1957(昭和 32)年から検討が開始された。「特別養子」につき具体的な立法の要請
はなかったとされるが(26)、小委員会では、それを設けることの可否やそれを設けた場合に 普通養子と並存させることの可否等が検討された(27)。それら検討結果を逐次取りまとめる 方向で試案が要約され各試案が検討された後、同年 9 月に開かれた身分法小委員会では、
縁組の効力について、本案(一本化案)と別案(二本立案)の両説併記で構想が提示された。
前者は、養子はすべての関係において養親の嫡出子と同一の身分を取得し、養親と養方血族 との間の権利義務関係は、実方との間の権利義務関係に優先するとするもので、後者は、養 子制度として普通養子と特別養子の二種類を設けるとするものであった。
その後の検討を経た結果、最終的に「特別養子」は、1959(昭和34)年6月に二日にわ たり開催された民法部会第3回会議において報告された「仮決定及び留保事項(その2)」
の項目の第二十七として、構想が公表されるに至った。
2.「特別養子」の骨子
「仮決定及び留保事項(その2)」は、次の通り整理して、新しい養子制度として「特別 養子」を設けることの可否を今後の検討事項とした(28)。
(イ)特別養子となるべき者は一定の年齢に達しない幼児に限る。
(ロ)特別養子はすべての関係において養親の実子として取り扱うものとし、戸籍上も実 子として記載する。
(ハ)養親の側からの離縁を認めない。
二種類の養子制度を設けそのうちの一つを「特別養子」と名付けた趣旨は、「養子のうち
(26) 我妻栄ほか「<座談会第2回> 親族法の改正」法律時報31巻11号(1959年)67頁
(唄孝一発言)。
(27) 1957(昭和32)年当時の身分法小委員会における養子制度に関する検討状況およびそ
の問題点については、平賀健太「親族法改正の問題点」戸籍誌百号記念『身分法の現在及び 将来』(テイハン、1958年)313頁以下参照。
(28) 公表された「仮決定・留保事項(その2)」については、法務省民事局「民法親族編の
改正について」ジュリスト185号(1959年)49頁以下、法律のひろば12巻9号(1959年)
10頁以下等参照。
16
に全く自分の生んだ子と同一の関係をつくる特別のもの、いわゆる特別養子というものを、
一つ、はっきりと認める。そしてそれ以外にはどんな養子関係を作ろうとある程度まで当事 者の自由にまかせる」(29)という発言に表わされている。
わが国の普通養子制度は、純粋に子を養うことを目的に親子関係を形成しようとする他 にも、家名や財産の承継を目的に時には濫用的に利用されてきたため、決して問題がないわ けではなかった(30)。しかし、普通養子縁組において成年養子が8割を占めているという現 実を無視し得ず、そのため、契約的な養子制度の他に専ら親子関係の形成を目的とした新し い養子制度が考案され、既存の養子制度の適否とは別に制度創設の可否が議論されること になった。
上記(イ)(ロ)(ハ)の骨子は、「実親との法的関係を断絶させ、養親の嫡出子としての 身分を取得させるとともに、離縁を認めず、戸籍上も養親の実子として記載させる」という もので、虚偽届出の慣行への対策を行うという意図、および「親の希望を満たすと同時に、
他方では子の保護にもなり得る」(31)という意図が反映されている。
3.「特別養子」の創設を巡る議論
実子に準じて取り扱う「特別養子」の創設は、一方で、社会的要請に応えられ得る制度と して積極的に受け止められたが、他方で、慎重に検討を要する点が多いとする論調が多数で あった(32)。
(1)制度の位置付けに関する問題
「特別養子」の問題点として、まず、目的の不明確さが指摘された。養子制度について検
(29) 市川四郎ほか「研究会 親族法改正の問題点(下)」ジュリスト186号(1959年)2-
3頁(我妻栄発言)。
(30) 山畠正男「養子法の諸問題」法律時報31巻10号(1959年)70頁以下は、当時の養
子制度の基本的特色として、当事者適格の緩やかさ、縁組方式の簡易さ、縁組効果の広汎さ、
養子制度の目的の不明確さ、の四つを挙げる。
(31) 市川ほか・前掲注(29)3頁(加藤一朗発言)。
(32) 潮見俊隆「未成年養子の許可」中川善之助教授還暦記念『家族法体系Ⅳ』(有斐閣、1960
年)189頁以下、山畠・前掲注(30)70頁以下等。また、太田武男「養子法改正の構想」法 律時報31巻10号(1959年)73頁以下は、虚偽の出生届出が合法化されることの期待はき わめて大きいとしつつも、「諸外国において、この制度を育成して来た社会的・現実的基礎 をもたないわが国において、どの程度まで浸透しうるかは疑問なきをえない」と述べている。
17
討する場合、本来ならば、「養子制度の本質ないし在り方についての基本的な論議もしくは 基本線の設定」を経た上でそれぞれの制度の適否が審議されるべきであるにもかかわらず、
それを経ずに審議された形跡があり、その結果、養子制度全体を俯瞰したときに、養子制度 が何を目的になされるものなのか、「未成熟子の保護養育」のためにのみ役立つことを目的 とするのか、それとも成人間の養子縁組等、子の福祉以外の目的のためにも広く役立つこと を目的とするのか、必ずしも判然としないとされた(33)。
このことは、「特別養子」の名称にも関わる問題であった。養子制度の目的の据え方によ っては、何が「普通」で何が「特別」か異なり、目的如何では「普通」と「特別」の意味内 容が逆転するという指摘があった。養子制度の目的を子の福祉に絞った場合には、「特別養 子」こそが「普通の養子」となる。それゆえ、「特別養子」の議論は、「近代養子法の次元で 統一された体系中においてはじめてその座が与えられるべきか否かの論議がなされるべき 性格」のものであり、かかる議論は、「普通の養子」の位置付けをどうするかという改正案 と十分関連付けて提起すべきとされた(34)。
さらに、親のない子に親を与えるという近代養子法の性格がわが国になじむものである のか疑問が呈された。「特別養子」の骨子は、すでに欧米諸国の養子法で見られた断絶型の 養子制度や身分登録の取扱いを参考にして構想されたが(35)、戦災孤児や浮浪児の救済を目 的として養子制度を発展させていった欧米諸国と、未成年養子においては親族養子が圧倒 的に多い状況のなか「わらの上からの養子」の問題に対処するために議論が持ち出されたわ
(33) 太田・前掲注(32)73頁。目的の不明確さについては、沼正也「養子法の改正方向―
特別養子制度を発端として―」法律のひろば12巻9号(1959年)6頁以下も参照。沼は、
「子のための養子法」という近代養子法の在り方と成年養子に代表される「非近代的なもの への需要との妥協を、なお養子制度の次元で整序」しようとすることに対する問題を指摘す る。
(34) 沼・前掲注(33)6頁。
(35) 欧米を中心とした国々では、第一次世界大戦後、戦災孤児、捨て子および婚外子の保
護を目的とする養子縁組の制定が模索された。その内容は、私的取引による縁組ではなく国 家の判決や決定によって縁組を成立させるというもので、縁組の成立によって法的親子関 係が断絶されるという法的効果を付与するとともに、養親子を実親子と表示する身分公証 のあり方等が検討されていた。当時の欧米の養子法の動向を紹介したものとして、石村善助
「養子法の現代的課題」法律時報37巻12号(1965年)28頁以下、深谷松男「現代養子法 の動向―国連の二つの調査報告書を中心として―」法学22巻2号(1958年)96頁以下参 照。
18
が国とでは、「子のための養子法」の制定動機および子の福祉の認識にズレがあり(36)、わが 国において児童福祉型の制度として「特別養子」が普及するのか懸念された(37)。子の保護 という観点に立つなら、里親制度を強化しそれを家族法に導入し活用させるほうがより望 ましく、「特別養子」よりも里親制度のほうがわが国で育ち易いものになるのではないかと いう意見も出された(38)(39)。
(2)戸籍記載に関する問題
制度の新設それ自体には賛成の立場であっても、戸籍への実子記載に関しては、戸籍の真 実性・信頼性、近親婚の可能性および子への真実告知の点から問題があるとして、相当の批 判があった。
とりわけ、戸籍への虚偽記載を公然と認めることは、できる限り真実の身分関係を公証し ようとする戸籍制度の大方針を崩すことになり、戸籍全般の信用を落とす恐れがあるとし
(36) 阿川清道「親族法改正の問題点について(5)」戸籍137号(1960年)1頁以下は、
「特別養子」の新設については「賢明な措置」としつつも、わが国における養子縁組のその 実態は、成年養子が圧倒的であり、戦災孤児や浮浪児等を養子とした事例がほとんどないと いう実情を指して、「この実情を無視して、欧米における養子制度にヒントを得た観念的な 養子制度進化論の公式を押しつけることはできない」と指摘する。
(37) 沼・前掲注(33)6頁、阿川・前掲注(36)2頁参照。潮見・前掲注(32)213-214
頁は、「特別養子」の考え方は、「諸外国の立法の方向にそった一見進歩的なものにみえなが らも、けっきょくはあまりに日本的な現実に妥協したものにほかならない」とし、制度新設 に反対の姿勢を示していた。また、改正の方向は、「特別養子」の創設ではなく、未成年養 子において実親との血族関係や扶養義務を断絶することに向けられるべきとする。
(38) 沼・前掲注(33)8 頁。「手続面倒となるであろうこの特別養子も、行きつくところ、
めつたにないしは余り行われない制度として民法典のなかにいま一つ新たな残骸を晒すだ けのものとなるという危険性さえはらむものではなかろうか」とも述べる。
(39) このような見解に対して、特別養子議論以前の指摘ではあるが、山本正憲「養子と里
子―民法と児童福祉法との交錯―」神戸法学雑誌2巻1号(1952年)52頁以下参照。山本
は特に67-70頁で、戦後の民法改正により未成年養子縁組に家庭裁判所の許可を要すると
規定されたこと、1948(昭和23)年の「里親等家庭養育の運営に関して」(厚生省発児第50 号厚生事務次官通知)で、児童相談所長による養子縁組希望者の家庭調査や養子となる者に 対する調査、縁組斡旋に関する規定が設けられたことにより、未成年養子制度の児童福祉制 度としての公的な性格は一段と明確化され、養親縁組は里親委託の延長として、里親制度は 養子縁組の準備段階として運用されるべきであると説いていた。
19
てかなり危惧された(40)。諸外国では実親を知らせない手段として出生証明書への実子記載 が認められていたのに対して、わが国における戸籍への実子記載は、養子であることを隠し 養親を実親と思い込ませるために制度のなかに盛り込もうとするもので、真実を隠そうと する気持ちに順応する制度を創設することとなり、「害多くて益少なし」(41)とされた。
このことは、子への真実告知の観点からも批判された。養親子であることを隠蔽した結果、
養子本人が進学や就職を機に戸籍謄抄本を取り寄せたところ、自分が養子であることが判 明し精神的な衝撃を受けるという事例が取り上げられ、虚偽の事実を教え実子と思い込ま せる方法は妥当せず、「事実上ショックを受けないような教育をしていく」(42)方向で、つま りは非血縁関係という事実を認め真実告知を行うことを前提とした上で、養親子間の親子 関係が形成されていくことが望ましいとされた(43)。
第3項 養親の要望と子の利益
昭和34年法制審議会における議論は、「親子」という主題を取り扱うにあたり、既存の普 通養子制度や里親制度のなかで、特別養子制度を如何なる目的を有した制度として位置付 けるのかという制度の本質を問うものであり、当時の慎重派・反対派の見解は、今日におい ても示唆に富む。
「特別養子」を「子のための養子法」として専ら子の福祉を保護することを目的とした制 度として位置付ける場合には、何よりも、「子の利益」の内容を具体化する必要があったと いえる(44)。子の法的地位は、確かに、実親との断絶および養親からの離縁の制限という骨 子により確保され、養子の利益と福祉に適うものになったと考えられるが、議論の関心は、
むしろ戸籍の問題に集中し、これが「特別養子」の立法化を躊躇させる関門となった(45)。
(40) 我妻栄「養子二題」ジュリスト185号(1959年)23頁参照。
(41) 我妻・前掲注(40)23頁。
(42) 市川ほか・前掲注(29)4-5頁(我妻栄発言)。
(43) 潮見・前掲注(32)214頁も、我妻・前掲注(41)の意見に賛同し、「真実告知をし、
それを基礎として、親子の愛情を築いていくことが問題の解決の方向であり、決して養子で あることを隠すことにあるのではない」ことを強調している。
(44) 中川・前掲注(25)72-75頁は、子の福祉を具体化した上で、当時衰微の傾向にあっ
た里親制度に優先する理想的な他児養育制度として、位置付けるべきであるという見解を 示していた。
(45) 阿川・前掲注(36)4 頁は、専ら子の養育を目的とする場合には、戸籍上も、実親と
の関係の断絶に重点が置かれるべきであり、養子であることを知られたくないという点に
20
子の立場に鑑みると真実告知の実施が当然視されていたのに対して(46)、「特別養子」にお いて戸籍への実子記載の適否に対して様々な反応が見られたのは、養親の要望に添う必要 性があったことを示唆している。養親の要望に重きが置かれていたことは、構想それ自体が
「特別養子」の対象児を物心つかない幼児に限定していることからも窺える。子の養育とい う目的は、確かに議論の進展のなかで次第に強く認識されていったが、まずは虚偽の届出の 慣行を合法化するか廃絶するか、それが立法における専らの関心事であったといえる。それ が特別養子議論の出発点であったとともに(47)、後述するように終着点であったと解する。
第2節 転換
1959(昭和34)年に公表された「特別養子」創設については、概してあまり好意的な意
見は出なかったとされる(48)。その後、養子制度全体の問題と絡み賛否両論が展開され、特
に1962(昭和37)年から1964(昭和39)年にかけて、養子制度全般について集中的な審
議が行われた(49)。戸籍実務に携わる関係者にとっても、違法な届出の防止策としてだけで なく、養親子間に精神上の幸福をもたらすものとして、「特別養子」の立法化の要望は切実 と捉えられた(50)。しかし、度重なる検討にもかかわらず成案は得られず、1966(昭和 41)
年6月の民法部会で、身分法小委員会における審議の一時中断が決定された。
ついては「やや後退させる」ことが妥当であるとし、戸籍記載の具体的な取扱いおよび方法 を提案している。
(46) 養子に対して行う真実告知の適否については、石村善助「養子に真実を告げるべきか
(1)(2)」ケース研究101号(1967年)1頁以下、102号(1967年)1頁以下参照。
(47) 当時は、戸籍に虚偽の事実を記載したいとする養親の要望に一定の合理性があれば、
そのような虚偽記載を合法化し、正しい筋道を与えることで、適正な手続によらしめようと する考えがあった。基本的には養親の要望に応えることが子の利益保護にも繋がるという 考えのもと、実親との断絶・離縁の制限により、形式的にも実質的にも実親子のタイトルを 与えようとする意図があった。我妻ほか・前掲注(26)67頁(我妻栄発言)、中川高男ほか
「座談会 実子特例法について」法の支配26号(1976年)27頁(中川高男発言)参照。
(48) 猪瀬慎一郎ほか「座談会 日本の親子法を考える」ジュリスト607号(1976年)20頁
(唄孝一発言)参照。
(49) この間の養子制度に関する議論は、身分法の準備会でまとめて取り上げられ、1964(昭
和39)年9月には、身分法小委員会でその検討結果が報告された。
(50) 「第15回全国戸籍住民登録事務協議会総会」戸籍178号(1963年)52頁、「第19回
大阪府戸籍住民登録事務協議会議案 訓令・通達・回答」戸籍182号(1963年)58頁。
21
ところが、望まない妊娠を巡る医師による虚偽の出生証明書の作成という慣行を受けて、
一度休眠状態に置かれた特別養子議論は、再燃することになり、これを契機に、実親(とり わけ実母)の存在に目が向けられることになった。その経緯については、以下の通りである。
第1項 特別養子議論の中興 1.菊田医師事件の発覚
第二次世界大戦後、わが国は、正確な統計を得たいという連合国総司令部の要請を受け、
1947(昭和23)年施行の戸籍法により、出生届には、出産に立ち合った医師・助産婦等に
よる出生証明書の添付を要することを義務付けた。それにより虚偽の届出も防止しようと したが(51)、功を奏することはなかった。
出産に立ち合った医師が、生みの親や育ての親の懇願によりやむにやまれず虚偽の出生 証明書を作成することは、決して珍しいことではなかったとされる(52)。ところが、1973(昭
和 48)年に、医師の側が積極的に、虚偽の出生証明書を作成し生まれた子を他者へ斡旋す
るという事件が発覚した(53)。いわゆる「菊田医師事件」である。同医師は、窮迫した母親に よる無理な中絶や子捨て・子殺しの危険性から子の生命を救うためには、安全に出産させた 上で子を欲する者の実子として斡旋すればよいと考え、それを百例ほど実行していたとさ れる。
この事件は、当時、駅のコインロッカーに乳児の遺体が放置される事件の続発と相まって 世論を大いに沸騰させ、それと同時に、法制審議会において審議未了のまま放置されていた 特別養子議論の火付け役を担った。
2.望まない妊娠を巡る問題
菊田医師事件の報道には、かなりの反響と、多くの批判があった。
菊田医師が子の斡旋を行った背景には、望まない妊娠によって中絶を求めた女性たちと、
(51) 違法な届出行為に関して、法務省は 1961(昭和 36)年に、出産能力がないにもかか
わらず、高齢の母の出生した子として虚偽の出生届がなされる傾向があったことを踏まえ、
「今後母が50歳に達した後に出生した子として届け出られた出生届については、市町村長 はその受否につき、監督法務局・地方法務局又はその支局の長の指示を求めた上処理する」
よう通達した(昭和36年9月5日付民事甲第2008号)。
(52) 我妻・前掲注(13)22頁。
(53) 毎日新聞1973年4月20日付。
22
中絶期間を過ぎて生まれたことによって命を奪われる嬰児らの存在があった。これに対し て、妊娠後期になって中絶を希望する妊婦への救済は、既存の法制度(例えば、養子縁組、
施設収容、父親の認知の斡旋等)を以って対応すべきであり、医師の側が出産後の違法な実 子斡旋を条件に妊娠の継続を説得すべきではないと批判された(54)。
果たして、当時の法制度で、このような母子を救済することは可能であったのか。事件発 覚の前年にあたる1972(昭和47)年に、検察庁で扱った嬰児殺の統計によれば、96人の嬰 児殺群につき、そのほとんどが未婚の母によって実行されていた(55)。菊田医師によると、
望まない妊娠をした女性たちは当時の法制度による救済を求めず、後期中絶や嬰児殺のほ うを選んだとされる。婚外の母は世間体を恥じ、戸籍に出生事実を載せることを避け、望ま ない子を「生まないことにする」ことを求めていたが、当時の法制度による救済はすべて彼 女らが最も怖れる「生んだことにする」ことを決定付けるものであった(56)。そのため、中絶 時期を逸したとき、女性は、子捨て、子殺し、または、子を入籍させずに他者に引き渡す「実 子縁組」、のいずれかを選択したという。このうち、生まれた子のその後を確実に守ること ができるのは実子縁組のみであったが、それを行う医師を探すことは困難で、実母は子捨て か子殺しのいずれかを選択するしかなかったとされる(57)。
第2項 昭和57年法制審議会に至る経緯 1.審議再開の背景
時系列が前後するが、1966(昭和41)年に、身分法小委員会における養子制度全般に関 する審議が一時中断された理由として、緊急の改正の要望がなくなったこと、残された問題 は意見の対立が深く一致点を見出すのが困難であったこと、財産法の領域での緊急問題が 多くそれに精力を投入したかったこと等が挙げられている(58)。
(54) 中谷瑾子「第5章 子殺しの法的側面」佐々木保行編『日本の子殺しの研究』(高文堂、
1980年)126頁。
(55) 朝日新聞1974年9月9日付。嬰児殺を行った動機としては、「世間体を恥じて」37.5%、
「貧困」21.9%、その他に「浮気」「母・子の病気」「家庭不和」等があり、未婚者において はその8割が「未婚の母となることを恥じて」という理由で、また、既婚者においては4割 が「貧しさ」ゆえと回答していた。
(56) 菊田昇「実子特例法の提唱と嬰児殺の防止―中谷教授の論文に反論する」ジュリスト
678号(1978年)131頁。
(57) 菊田・前掲注(56)130頁参照。
(58) 加藤一郎「養子制度の改正問題と外国法」ジュリスト782号(1983年)14頁参照。
23
その後、1970(昭和45)年12月に身分法小委員会が再開されたときには、相続編の検討 が開始されることになり、そこでも養子制度の改正は見送られた。次なる新しい審議項目と して再び取り上げられたのは、1980(昭和55)年の相続法改正を経てのことであった。こ れは、表向きには、親族・相続法のなかでまとめて検討するとすれば養子制度が適当と考え られたからとされている。しかし、実際には、すでに昭和30年代の前半と後半とで二度検 討されながら結論が出ずに残された問題であったこと、諸外国では1960年代後半から養子 法の大改正が行われ今後の基本的な方向が示されていたこと(59)、1973(昭和48)年に発覚 した菊田医師事件との関連で「特別養子」が問題にされたこと等を背景に、養子制度の再検 討を行う必要性が認識されたことから、法制審議会で養子制度が取り上げられるようにな ったと考えられている(60) (61)。
法務省の立場からは、現行制度新設の動機につき、前出の菊田医師事件は飽くまで間接的 な関与に留まるものとされている(62)。しかし、菊田医師事件が、その賛否は別にして、特別 養子議論に「再考の一材料を提供した」(63)ことは否定できない。その後展開された「実子特
(59) 第二次世界大戦以降、欧米諸国では、子の福祉にさらに重点を置いた法制度の改正作
業が行われていった。ヨーロッパにおいては、1967(昭和42)年に、養子縁組の原則、手 続および効果の差異から生じる困難の除去と、子の福祉の促進を目的に、ヨーロッパ養子協 定がつくられた。この協定は西欧主要諸国によって署名・批准され、それにより「完全養子」
の名称が定着することになった。1971(昭和46)年にスウェーデン、1973(昭和48)年に スイス、1976(昭和51)年には西ドイツが完全養子を採用するに至っている。
(60) 加藤・前掲注(58)14頁参照。中川淳「家族法の解釈と立法課題―養子法の基本的課
題」法律時報56巻4号(1984年)8頁以下は、「わらの上からの養子」の慣習が「特別養 子」の基盤となり得ること、欧米諸国における完全養子の立法化の動向が養子法の近代的理 念の前進に沿うものと評価されていること等が、わが国の立法論に刺激をもたらしたとす る。
(61) 1982(昭和57)年に法制審議会が再開されるまでの従前の検討の経過や、欧米におけ
る養子制度の変遷について整理したものとして、大森政輔「法制審議会民法部会身分法小委 員会における養子制度の検討について」民事月報38巻5号(1983年)3頁以下参照。
(62) 特別養子制度の立法化は、1959(昭和34)年以来の留保事項を引き継ぐものであり、
法務省の主導のもとに進展してきたとされる。細川清「特別養子制度の背景と制度のあらま し」米倉明=細川清編『民法等の改正と特別養子制度』(日本加除出版、1988年)72-76頁 参照。
(63) 小林正二「特別養子制度―その意義と問題点を中心として―」立法と調査86号(1978
年)7頁。
24
例法」の提唱運動も当時の社会的要請を反映したもので、一時は下火となっていた「特別養 子」は、このような経緯から、本格的な立法への着手を余儀なくされたと考える。
2.「実子特例法」の提唱とその骨子
菊田医師事件がセンセーショナルな事件として大きく取り上げられたことにより(64)、問 題の重要性や「特別養子」の有用性が次第に認識されていき、市民運動も盛り上がりを見せ るようになっていった。事件発覚の翌年の1974(昭和49)年には、横浜に「実子特例法の 立法化を推進する会」が発足し、それに際して、中川高男は全13条からなる「特別養子の 私案」を学界で提示している。これは昭和34年法制審議会の「仮決定・留保事項(その2)」
や諸外国の養子法とその経験、わが国の養子法と国民感情ないし法意識を参照しながら、素 描を試みたものであった(65)。菊田医師自らが提唱していたいわゆる「実子特例法」は、①実 母の戸籍の特別措置(二重戸籍制のもとで表向きの戸籍に出産事実を記載しない)を認める、
②実親子関係の断絶を認める、③養子を戸籍上、実子扱いにする、という三つの柱からなる ものであった(66)。
従前の「特別養子」から着想を得ていた「実子特例法」は、戸籍記載に特例を設け養子を 養親の嫡出子として扱うという点で、両者は基本的内容を共にしていたが、その趣旨におい ては全く異なっていた。前者が専ら養親子の利益保護に焦点を当てていたのに対して、後者 は、実親子の利益保護の観点から法律の制定を要望していた。望まない妊娠をした結果、出 生の事実を隠蔽したいと望む実母の願望を叶えるとともに、中絶や嬰児殺の阻止によって 母子を救済することを出発点としていたためである。「実子特例法」の立法化は、母子の救 済策として、親子心中や児童虐待殺の防止も可能にすると主張された(67)。
(64) 菊田医師が自ら実子斡旋活動を行ったことを公表した背景には、「日本から嬰児殺を
なくすためには、実親子間を断絶して(養子を戸籍上、実子と認めて)縁組できる養子法、
すなわち実子特例法(特別養子制度ともいう)を制定」する必要があるとの考えがあり、そ れを世に訴えるという意図があったという。菊田昇「日本の子殺し―その原因と対策」ジュ リスト847号(1985年)39頁参照。
(65) 中川高男「特別養子法(実子特例法)私案」時の法令846号(1974年)13頁以下参
照。
(66) 菊田・前掲注(56)130頁。
(67) 菊田・前掲注(64)39頁参照。