戦後における生活指導の
変遷過程の一考察
1生活指導における仲間づくりの位置づけのためにー
池 田 親
一︑は じ め に ー問題の所在−
ここ数年来︑生活指導の分野において︑〃仲間づくり〃という言葉が多くの注目を集めている︒このことは︑例えば
日教組教育研究集会の報告書をたどってみれば明らかに認められることであって︑生活指導分科会の討議は〃仲間づく
り〃を焦点として展開されているといっても過言ではない︒﹁仲間意識とか仲間づくりという言葉が︑今日の日本の教
育の全体をつらぬき︑ぴとりひとりの子どもをたいせっに育てあげるとともに︑歴史を新しく進める認識と態度とを養
う︑端的なめあてとして受けとられ︑あらゆる教育の現場に伝えられた﹂︵﹁日本教育﹂第五集︶という表現はやや極端で
あるとしても︑さまざまな研究集会や実践記録などに現れた限りでは︑概して右のような高まりを示していることは事
実である︒﹁生活指導とは仲間意識を育てることだ﹂とρいう言い方も理解できぬことはない︒
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 一七
、
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 一八 の 一方︑﹁生活指導とは生きかたについての指導油﹂とも言われる︒この場合の生活指導は︑まさに人間形成の全体に
かかわるものであって︑より広い内容をもっていると考えられる︒たしかに︑生活指導という分野の中では︑特別教育
活動としての生徒会活動やクラブ活動が現に行われており︑昭和三三年告示による新指導要領においては〃道徳の時
間特設が示されている︒また︑心理テストなどを武器としたガイダソスの流れも存続しており︑教科による生活指導と
いう言い方も広く行われている︒試みに︑戦後における生活指導の変遷過程を︑その形態から概観してみると﹁生活課
程の中に埋没していた生活指導︑ガイダンスの技術の導入によるテストを利用する児童研究︑特別教育活動を通しての
民主的実践としての生活指導︑生活綴方による個々の子どもの生活現実の探求︑学級経営におけるなかまづくり︑集団 閉 指導﹂というように︑目まぐるしい変転をとげてきたことを知る︒そして︑現状においては︑それぞれの形態がそれぞ
れの発想とねらいをもつて︑互いに別個のもののように生活指導の分野に混在している観がある︒
そこで︑もし右のような背景をもった現在の事態の中で﹁生活指導とは仲間意識を育てることだ﹂という言い方が誤
りでないとすれば︑.仲間意識を育てるということは︑ 一体どんな意味をになっているのであろうか︒﹁生き方の指導﹂
という人間形成の全体の中で︑それはどんな位置をもっているのであろうか︒何故そんな言い方が許されるのであろう
か︒要するに︑生活指導における〃仲間づくりの位置を︑戦後における生活指導の変遷過程を考察する中で︑少しで
も明らかにしてみたいというのが︑小論のねらいである︒
ところで︑論に入る前に︑やや大まかではあるが︑次のように時期の区分をしておきたい︒
○ガイダンスの導入期︵昭和二三年頃から二六年頃まで︶
○特別教育活動の展開期︵昭和二六年頃から三〇年頃まで︶
○仲間づくりへの注目期︵昭和三〇年頃以降︶
このように三つの時期を区分した理由にっいては論中で述べるが︑もちろん︑明確に機械的に区分できるものではな
い︒厳密にみれば︑三者は全期間を通して重なり合っているわけであるが︑特に多くの人々によって問題にされたとい
う現象面をとらえれば︑一応︑右のような区分が可能であり︑それなりの必然性をも持っていると思われる︒
二︑ガイダンスの導入
ωその時期と背景
前にも示したように︑大よそ昭和二三年頃から二六年頃にかけての時期がこれにあたる︒
戦後における教育の空白状態は︑昭和二二年の学校教育法とそれに続く学習指導要領によって一応の形態を調えるこ
とになった︒しかし︑教科重視の学校教育の伝統のためか︑人々の関心は専らカリキュラム研究に集められ︑生活指導
ヘ へ は〃自由研究〃という教科の一分野として置かれたまま︑ほとんど問題にされることがなかった︒しかしながら︑この
間にあって︑一部の学者・研究者はC・1・E係官の指導の下にガイダンスの研究を進め︑その結果は昭和二三年四月
に︑教師養成研究会編﹁指導﹂となって公刊された︒続いて翌二四年になると文部省自身が﹁児童の理解と指導﹂ ︵三
月︶﹁中学校.高等学校の生徒指導﹂︵七月︶という二冊子を公刊し︑ガイダンスの理論と方法が学校現場の中に導入さ
れていくことになった︒なお︑これらと前後して︑数多くのガイダンス関係の著書・論文・翻訳書が発表されており︑ む 昭和二四年四月に早くも沢田慶輔氏が﹁ガイダンスの概念を整理﹂していることが︑この間の事情を物語っている︒
② ガイダンスの性格
このようにして急速に導入されていったガイダンスとは︑どんな性格をもったものであろうか︒人間形成の上で︑ど
んな役割を果そうとしたのであろうか︒教師養成研究会﹁指導﹂によって︑その性格を探ってみよう︒
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 一九
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二〇
ガイダンスは︑まず︑教育の根源を成長または発達とみる立場である︒すなわち︑﹁あらゆる人間の中には生長への ω 無限の可能性が存在する﹂とし︑教育はこの基盤の上に立って︑人間の生長への無限の可能性をひき出すために助力を
与えるはたらきであると考える︒ところで﹁人間は一人々々が他をもってかけがえのできない本質的なものをもってい
ピむ
る﹂が故に︑民主的教育は﹁すべての個人の能力と可能性に直結﹂されなければならないとする︒伝統的教育は﹁個人 m 的であるよりも︑より非個人的であり︑また具体化されるよりも︑より標準化されたものであった﹂が故に批判判れる
ことになった︒ところで︑個人は﹁単に知的なはたらきをもつだけでなく︑より多く身体的︑情緒的な存在であって︑ 働 しかもこれ等が別々に存在するのでなく︑一体として一つの人格性を形づくって﹂いる︒そこで︑教育を個人に直結さ ⑨ せるということは﹁このような個人の全機構を一体として扱い︑これに変化を与え︑これを助長する﹂ということにな
る︒さて︑以上のように新しい教育を個人と直結するためには︑どうしてもガイダンスの機能が必要となってくる︒ガ ⑩ イダンスの機能とは﹁児童の先天的な可能性を共同的に助ける﹂というはたらきである︒ここまで考えてくると︑教育
とガイダンスの関係が不明確に思われてくるのであるが︑ここでは︑はっきりと﹁指導を必要としない教育の領域も存 oo する﹂と言っているわけで︑それはデューイの言う〃コントロールや〃ディレクション〃を指しているようである︒ ⑫ ところで︑指導は﹁個人に選択の自由が与えられ︑しかも助力が必要とされる場合にのみ存在し得る﹂とされる︒その ㈹ ような場合とは﹁環境との力動的な関係における障害的事態﹂であり︑この危機における決断のために︑適切な他人の
助力をどうしても必要とし︑そこにガイダンスの役割が存在するということである︒そして︑このように助力を必要と oo することは﹁人間の成長にとって本来的なものであり︑普遍的なものである﹂と考えられている︒
以上の文脈から明らかなように︑当時導入されたガイダンスの性格は︑あくまでも個別指導を原則としたものであっ
た︒すなわち︑児童ひとりひとりの実態︵生活・傾向・必要・興味など︶を理解することであり︑そうしてとらえられた
実態にそって児童の持っている興味や能力を更に育成したり︑問題を解決したりするために助力を加えることである︒
だが︑一体︑助力を加えるとはどんなことなのであろうか︒この冊子の後半は指導の実際となっており︑実態調査の方
法・記録のとり方と資料の解釈・適応指導の方法についての解説がなされている︒ここで一つの問題に気付くのである
が︑それは︑資料の収集や記録のつけ方に対して指導の方法についての叙述がきわめて手薄であるという点である︒す
なわち︑指導方法については僅か八頁︑具体的な方法としては教師の助言が一っだけ示されているにすぎない︒このこ
とは︑ガイダンスが︑教師対児童という関係を主にして︑人間形成のはたらきをみていたことを端的に示しているとい
える︒
以上は︑教師養成研究会﹁指導﹂によって考察した結果であったが︑これは︑文部省﹁児童の理解と指導﹂にも共通
した性格であって︑そこでもやはり集団指導にはほとんどふれられていない︒しかしながら︑文部省﹁中学校高等学校
の生徒指導﹂においては︑やや違った面が現れている︒すなわちそこでは︑指導の技術としては個別指導と集団指導の ⑱ 二者をあげ﹁この二つの型は相互に補足しあうものである﹂としている︒個別指導の中でひとりひとりの生徒の問題を
集めていくと︑集団全体に多少とも﹁共通な問題﹂に気づき︑それを﹁集団によって解決する﹂ことができるようにな
る︒一方︑﹁集団と一緒だけでは解決されない個人的問題﹂があるわけで︑集団指導の中で生れてきたそうした問題は
個別指導によらなければならないことになる︒だが︑﹁共通の問題﹂を﹁集団によって解決する﹂とは︑具体的にどん ︑ なことを意味しているのだろうか︒それは﹁生徒の生活適応の問題に基いて作られた充分に融合されたヵリキュラムは
集団指導の最もすぐれた型の一つに数えられる﹂︵二五頁︶とか﹁学校図書室と研究室もまた多数の学生の指導のために
よい教育の機会を与えるものである﹂︵二八頁︶とか﹁学校における健康指導の計画がうまく行われるならば︑殊にそれ
が個々の科目中に織り込まれると同時に︑全校計画の中に統合されるならば︑これも又︑集団指導の望ましい一手段と
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 一=
/ ︑
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戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二二
なる﹂︵三三頁︶などにみられるように︑いわば一斉指導の意味であった︒従ってそこには︑引用のように︑カリキュラ
ヘ ヘ ヘ ヘ
ムそのものまで含まれてしまうことになる︒その他この部分には︑効果的教授法︑特別教育活動︑生徒集会︑職業指
導︑ホームルーム︵特別指導室︶︑更には現職教育までが挙げられているのであるが︑それらが集団指導として持ってい
る意味が全く明らかにされておらず︑ただ雑然と並べられているに過ぎないようである︒こうしてみると︑やはり︑こ
こにおける集団指導の意味は︑前述のように単なる一斉指導の意味でしかなく︑あくまでも教師対生徒の関係で︑人間
形成のはたらきをみていたといわなければならない︒
さて︑右のような規定づけにもかかわらず︑なお集団指導の価値の一つに﹁集団によっての性格教育のためにすぐれ
た機会を備える︒集団によって表明され作られた理想と意見とは︑生徒を集団の認めた倫理的標準に従わせる助けとな
る︒生徒は自発的にこれに従うようになる︒⁝⁝集団の責任ある一員としてその標準及び理想に従う能力を開発するた
めの第一歩である﹂︵四二頁︶などを挙げていることは︑先の引用部分とは矛盾なく結びつかぬ感があるが︑次の時期に
おける特別教育活動の理論的伏線として考えることができよう︒
要するにガイダンスは︑教育を具体的な子どもひとりひとりに直結させた点︑また︑個人の全機構を一体として取扱
おうとした点などに貴重な役割を果しながらも︑その人間形成のはたらきの中での一面しか持ち得なかった限界が︑後
述のような衰退の一因となっていくわけである︒
③導入の要因
さて︑このようなガイダンスの急速な導入の背景には︑どんな要因がはたらいていたのであろうか︒
その一つには︑当時の社会状況と︑その中での教師の正しい指導の在り方に対する探求とをあげねばならない︒ ﹁あ
たかも糸を切られた空中の凧のように︑彼等は依るべき基準を失って︑新事態に即して何を口にし︑如何に行動すれぽ
よいかを知る由もない︒世界の誰れから見ても恐らく容認さるべくもないようなことでも平気で行ってその是非を知ら ㈹ ない︒一片の師情は︑手をこまぬいてこれを傍観することを許さない﹂といった表現の中に︑その間の事情を推察する
ことができる︒要するに︑戦後の改革の中で指導の基準を失った学校現場が︑解放工︑\れた子どもたちの言動や問題を前
に︑新しい指導のあり方を求めていたことである︒
そんな時に現れたガイダンスが︑心理学や精神医学を基礎にした科学的技術を持っていたことも︑一つの要因となっ
た︒もちろん︑ガイダソスは一つの価値観の上に立つものであった︒それは︑昭和二一年に出された米国教育使節団報
告書の持っている価値観であり︑﹁個人が生涯を通じて自己の最高の自我を不断に磨き上げ﹂︵第三章︶︑﹁生徒の個人差
を認め︑個人のもつ潜在勢力の開発に力点を置き﹂︵第四章︶などに示されているような︑民主主義︑人間尊重の立場で
あった︒しかし︑ガイダンスがただそのような価値観だけを内容としたものであったとすれば︑過去の体系と余りにも
違っているだけに︑現場では具体的に何から手をつけるべきかに戸惑い︑実践的な役割を果し得なかったに違いない︒
・ やはり︑ガイダンスが科学的な技術・方法を持っていたことが︑一っの要因であった︒
− もう一つの要因は︑カリキュラム研究そのものの中に見出すことができる︒当時のヵリキュラム研究の傾向は一口に
いうと︑生活化もしくは経験化ということであった︒海後勝雄氏はそれを﹁学習において実践を重視するということで
ある︒学習者の実践を土台にして︑それから出発して︑これを発展させ高度化することを原則として採るわけである︒
それは生活経験︑もしくは生活学習の立場であると三口ってもよい︒⁝⁝生活的な実践のうえで当面する必要性から出発 ㎝ させ︑習得された基本が常に実践の場において活用されるような形で学習させる﹂と言っている︒このようにカリキュ
ラムの生活化︑経験化がすすめばすすむほど︑教科や教室の枠外の生活が問題とならざるを得ず︑従ってそこでのガイ
ダンス計画を考えざるを得ないことは必然であった︒文部省も︑ これとはやや違った意味ではあるが︑﹁両者は別々に
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二三
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二四ψ ㈹ は考えられず︑指導のない教授は考えられない﹂と言っている︒
ω 問題と批判
以上のようにして︑ガイダンスは学校現場に導入されていったのであったが︑間もなく︑昭和二五年頃に道徳教育の
振興が問題となり︑二六年に文部省から﹁道徳教育のための手引書要綱﹂が配布される頃になると︑問題の表面から一
歩退いた形になってしまった︒そしてその後は︑ガイダンスは問題児の指導への傾斜を強め︑少数ではあるが地道な研
究や実践が継続されることになった︒文部省では︑その後︑昭和二七年に﹁問題青少年の理解と指導﹂︑昭和二八年に
は﹁問題児指導の実際﹂を刊行している︒
では︑何故このような経過を辿ることになったのであろうか︒ガイダンスにはどんな問題があり︑どんな批判を受け
たのであろうか︒前述のガイダンスの性格を思い起しながら考察を進めてみよう︒
先ず︑ガイダンスのねらう人間像が極めて抽象的であり︑不明確であったことを挙げることができよう︒前にガイダ
ンスの性格として︑個人の可能性の発展のための助力であるという言い方がされていたが︑それは︑どんな方向への助
力なのだろうか︒興味や能力をどう伸ばそうというのだろうか︒あれだけひとりひとりの実態にそうことを強調しなが
ら︑そのために綿密なテストや観察記録を要求しながら︑具体的な人間像が浮んでこないのである︒学校現場では︑毎
日︑現実の社会に生き︑具体的な問題を持った子どもたちに接しているのであり︑そこでは︑方向のない問題解決や方
向のない生き方指導は全く無意味なのであった︒もちろん︑前にガイダンスは価値観を持っているといった︒しかし︑
それが単に人間尊重とか民主主義などといわ礼るだげであっては︑実践を指導する役割は果し得ない︒春田正治氏はこ 09 の点を﹁ごく一般的にいえば︑社会科学の考え方を身につけた人々による心理学主義に対する批判﹂といっている︒
次に︑﹁助力の必要のないところには指導はあり得ない﹂という言い方が︑教師の積極的な指導を抑制したことであ
る︒教師は自ら進んで子どもの生き方の中に入っていくことを止め︑むしろ受身的な立場で︑子どもに問題的な事態が
生れ助力の必要が発生するのを待つという態度にならざるを得なかったのである︒
次には︑ガイダンスの方法上の限界が考えられる︒ガイダソスは︑まず︑個々の子どもの実態をとらえることから出
/ 発した︒そのために︑資料収集や記録のとり方については非常に詳しい解説がなされている︒しかし︑それを現場で展
開していくことには非常な無理があった︒白井慎氏は︑﹁わが国におい匠は︑進んだ方法技術によるガイダンスの対象 ら ロ は時間・労力の点から問題児に集中される傾向を生じ︑普通児は放置され﹂と述べている︒ところで︑かりに資料は綿
密に調えられたとしても︑それはどのように生かされていったのであろうか︒すでに指摘した通り︑ガイダンスの中心
は個別指導にあったが︑そこでの指導方法は教師の助言であり︑それ以外にはほとんど資料を生かすべき道が示されて
いなかったのである︒また︑集団指導がとりあげられていながらも︑それは一斉指導の意味でしかなく︑共通の問題が
一般的な形でとりあげられたにすぎず︑心理テストなどによってとらえられたひとりひとりの独自な実態は︑別の問題
として扱われて︑集団指導の中で生かされることはなかった︒こうして遂には﹁職員室に下げられてあった行動観察記 ⑳ 録の用紙がキセルの掃除用に活用された﹂という事態を招くに至った︒
以上のように︑ガイダンスは個別指導を中心とし︑集団指導をとりあげながらも︑そこにおける人間形成は個別指導
と同じように︑教師対生徒という関係でしか考えられていなかったために︑次の時期において︑集団場面における生徒
対生徒の人間形成の形態としての特別教育活動に注目が集められていくことになったのである︒原俊之氏は﹁アメリカ
のガイダンスの方法や技術を︑それを育てたアメリカの社会的文脈から切り離して〃技術〃自体を受け入れようとした ② 所に︑ガイダンス運動の不振の根本原因があったのである﹂といっている︒
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二五
、
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二六
三︑特別教育活動の展開
ω その時期と背景
この時期は︑大よそ昭和二六年頃から三〇年頃にかけてである︒
戦後の解放された雰囲気の中で︑自由放任などと非難されながら︑文字通り白発的な形で行われていた自治活動やク
ラブ活動が︑教科課程の上に位置づけられたのは︑昭和二二年の学習指導要領においてであった・そこでは・〃自由研
ヘ へ 究という教科の一部として︑いわば選択学習と並んで︑クラブ活動と学級活動とがはめこまれた︒しかしながら・新し
い中学校にはクラブ活動の伝統もなく︑先にもみてきたように学校現場はヵリキュラム計画とガイダンス研究とに追わ
/ @ れ︑自由研究を充分に指導する余裕を持たなかった︒ところが︑ヵリキュラムが一応の形態を調え︑ガイダンスが限界
を示しはじめると︑次第に︑クラブ活動や学級活動に注意が向けられることになった︒
昭和二六年に︑文部省は新しい学習指導要領を示し︑小学校では教科以外の活動︑中学校では特別教育活動として︑
教育課程の上にはっきりとこれを位置づけた︒もっとも︑中学校においては昭和二四年五月の﹁教科と時間数の改正﹂
において︑すでに特別教育活動と呼ばれている︒これを契機として︑学校現場においても︑特別教育活動の実践と研究
が展開されるようになり︑次第に生活指導の主流の観を呈するに至った︒続いて︑文部省では﹁教科以外の活動の計画
と指導﹂︵昭和二七年︶を出している︒
︑ ② 特別教育活動の性格
先ず︑昭和二六年の学習指導要領一般編によって︑その性格をおさえてみよう︒﹁教育の一般目標の完全な実現は︑
教科の学習だけでは足りないのであってそれ以外に重要な活動がいくっもある︒教科の活動ではないが︑一般目標の到
達に寄与するこれらの活動をさして特別教育活動と呼ぶのである︒したがって︑これは単なる課外ではなくて︑教科を み
ぼ中心として組織された学習活動でエ.点いいっさいの三規の学校活動なのである﹂これに続いて︑教師の指導は最少限にと
どめ︑生徒たち自身の手で計画され︑組織され︑実行され︑かっ評価されるべきことが述べられている︒そして﹁この
ような種類の活動によって︑生徒はみずから民主的生活の方法を学ぶことができ︑公民としての資質を高めることがで ⑳ きるのである﹂としている︒その後には︑特別教育活動の主要な領域を︑ホームルーム・生徒会・クラブ活動︒生徒集
会の四者に分け︑それぞれについての実施上の注意や目標などが三頁にわたって述べられている︒次に︑宮坂哲文氏
は︑特別教育活動の特質として﹁自由な集団活動たること︑教師と生徒との直接的な人間結恰を中核とすること︑共同 偽 生活建設の実践活動たること︑および活動内容において社会的要求に応じた弾力性をもつこと﹂の四点を挙げている︒
更に︑ ﹁集団の生活を通して︑生徒たちは安定感と自信とをかくとくし︑さらには情緒的成熟をとげることが出来る︒
このような個人的発達とともに︑本来集団活動たることを生命とする生徒活動は︑社会化のための諸経験を豊富にあた ㈱ えている﹂と述べている︒
以上の文脈のなかから︑特別教育活動のもっている性格をガイダンスの性格と比較しながら考えてみよう︒先ず︑ガ
イダンスが個別指導を原則としたのに対して︑ここでは集団指導をむしろ特質としている︒いずれにおいても︑教師が
助言者であることは変りないが︑どちらかと言えぼ︑特別教育活動の方が︑教師の立場を弱め︑生徒自身の活動を重視
している︒そこで︑教師の立たされている本来弱い助言者の立場を更に弱めてしまった場合︑生徒の人間形成はどのよ
うにしてなされるのであろうかが疑問となる︒これにっいては︑ガイダソスが︑指導の方法を教師対生徒の関係におけ
る助言に頼っていたのに対し︑子どもたち同志の集団活動の経験そのものが︑子どもたちひとりひとりに影響を与え指
導を加えていくという面を認めているわけである︒ここに︑ガイダンスが人間形成の上でもっていた意味や役割と違っ
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二七
/
∀
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二八
たものを︑特別教育活動がもっていることが示されているといえる︒すなわち︑生徒対生徒の関係における人間形成で
ある︒こうした意味で︑特別教育活動が人間形成の上で貴重な役割を果しながらも︑集団指導だけでしかなかったとい
う一面性のために︑やはりガイダンスと同様な経過を辿っていくことになった︒
③展開の要因
そのような性格を持った特別教育活動は︑どんな要因によって︑生活指導の主流として展開することになったのであ
ろうか︒先に︑特別教育活動がガイダンスのゆきづまりから生れてきたことにふれておいたが︑そのことに第一の要因
が求められるであろう︒
すなわち︑特別教育活動のもっている集団指導としての性格である︒前節で述べたように︑ガイダンスはその中心を
個別指導におき︑複雑な資料収集のための方法を要求したために︑時間・労力の点から普通児が放置されるようになっ
た︒また︑集団指導がとりあげられていたとは言っても︑それは概して︑教師対生徒の関係でしか考えられておらず︑
集団場面における独自な人間形成のはたらきを含むことはできなかった︒しかし︑一方ではヵリキュラムの生活化によ
る論理的必然として︑教科以外の場における指導の組織化が望まれ︑また︑現実社会の中で動揺している普通児の指導
が要請されていた︒それは昭和二五年頃に強くなった道徳教育振興をめぐつての論議である︒こうした事態を解決する
方向として︑特別教育活動のもっていた集団指導の性格が注日されたことは自然であった︒このように言っても︑特別
教育活動の性格が︑にわかに新しく生れてきたわけではもちろんない︒前にもふれておいたように︑昭和二四年の﹁中
学校︒高等学校の生徒指導﹂の中に︑すでに理論的伏線を見ることができるのである︒
ところで︑昭和二六年に叉部省から出された﹁道徳孜育の手引要綱−﹁においては﹁社会科をはじめとする各教科の学
習や特別教育活動が︑それぞれどのような意味で︑まだどのような面で道徳教育に寄与することができるかを明らかに
することが大切である︒学校教育の種々の部面の指導がたがいによく連絡をとりながら︑それぞれの特性を十分に発揮
して・各自の目的を達成することにより︑はじめて児童生碇の円満な人格を育成することができると考えられるが︑そ のような人格を形成することが︑実は道徳教育の目的である﹂として︑社会科と並んで特別教育活動が道徳教育のにな
い手として選ばれている︒このことが︑特別教育活動に対する注目を集めることになった一つの要因と考えられよう︒
④ 問題と批判
特別教育活動はその後どんなあゆみを示したのであろうか︒石崎庸氏は﹁第﹂期啓蒙時代︵昭和二六い七年ごろ︶︑第ニ ロ 期管理運営専念期︵昭和二七年から二九年ξ︶︑第三期反省実態即応期︵昭和二九年から三〇年ξにかけて︶﹂とまとめて
いる︒こうした区分をどうみるにしても︑とにかく︑次第に衰退をみせてくることは事実である︒この間の実態に目を
向けてみよう︒
先ず・昭和二六︑七年度に実施された国立教育研究所の実態調査によると︑次のようにまとめられている︒三︑児
童生徒の自律的な実践活動よりも︑単なる申し合わせや反省的な活動になり︑実践性︑現実性を欠いている傾向が強
い・二︑特別教育活動は︑どのような生活態度あるいは生活の仕方を育てようとしているのかについてのい具体的な考 ロ え方をもっていない︒三︑教科の学習における指導方式をそのまま特別教育活動に持ちこもうとしている︒﹂では昭和
二九年頃の実態はどうであろうか︒教育雑誌にみられる具体的実例を二︑三引用してみよう︒﹁昔の級長任命式とかわ
らない児童の自治生活組織の任命式︑よい言葉を使いましようと決議し︑その罰則を設ければよくなると簡単に考えて
いる児童会︑子ども銀行の貯金を百万円にするために貯金高を決議してみんなに強制しようという修養A︑ム的児童会︑全
校一斉の学級児童会の時に担任のいない教室が三分の一︑教室にいても事務机に座って仕事をしている先生が残りの大 部分という学校︑結局︑先生が子どもを端的に訓育する方が効果があると語る教師︒﹂
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二九
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三〇
このような事態はどうして生れてきたのであろうか︒この点については︑すでにいろいろの立場から数多くの批判が
なされているので︑先ずそれらを整理してみよう︒
D第一に︑自治の立日心味が﹁きめられたわくのなかで自分たち一人一人の身辺の始末だけして他人に迷惑をかけないこ に と﹂と解されてきた日本社会の歴史的伝統︒ み 第二に︑﹁自治活動吃学校の中で力強く展開することを喜ばないよう々﹂当時の社会情勢︒ 第三に︑﹁干渉しすぎ﹂たり﹁教科中心主義﹂を拭い去れない教師の意識︒
第四に︑進学.就職の準備︑教師の負担︑児童数と施設などの︑日本の教育のおかれていた条件︒
右のように整理されたものの外に︑ここでどうしても考えておかねばならないことは︑特別教育活動の性格それ自体
のもっている問題である︒前に︑特別教育活動の性格が基本的に集団指導であることを述べた︒そして︑それが︑個別
指導としてのガイダンスが覆い得なかった場面における指導性をもって︑表面化してきたことも述べた︒しかし︑集団
活動それ自体が自主性や社会性を育てていくという︑生徒対生徒の人間形成の意味を︑もう少し考えてみなければなら ︑ ない︒特別教育活動のもっていた集団指導は︑ガイダンスのもっていた個別指導とは別のものとして︑個別指導では得
られない︑例えば社会性といった人間形成を期待していたわけである︒ここに︑やはり集団指導が一面的であった性格
が示されているのであって︑このような集団指導は同時に個別指導をその外側に持たねばならなかったし︑また︑外側
にしか持ち得なかったのである︒一般の傾向では︑もちろんガイダンスのもっていた個別指導は下火になっていたので
あるが︑かりにそれが並行して行われていたとしても︑そこでとらえられた子どもの実態は︑特別教育活動の集団の場
に持ち込まれ得なかったであろう︒
このようにして子どもの生きた姿を見失った特別教育活動は︑組織や手続きの問題に追われて形式主義化し︑学校の
仕事を負わされて下請化していくことになった︒
四︑仲間づくりへの注目
ω その時期と背景
この時期を︑大よそ昭和三〇年以後とみることができる︒
ところで︑如何なる時であろうとも︑学級というものが存在する以上︑そこで何らかの学級経営が行われていること
は︑言うまでもない︒戦後において︑そのねらいが民主的な人間関係を育てるという点にあったことも当然である︒さ
て︑前節でみたように︑特別教育活動が形式化し︑子どもの現実から離れるようになると︑子どもの生きた姿を求める
多くの教師の目は︑学級という場に注がれることとなった︒事実として︑学級は教師と子どもが最も深くふれ合える場
であることに︑今更のように気づいていったのである︒こうした傾向に一つの契機を作ったのは︑昭和二六年に出版さ
れた無着成恭氏の〃山びこ学校であった︒たしかにこの学級における人間形成のあり方は︑単に教育界のみならず︑
広く世間一般の注目を集めたのであった︒こうした流れは︑昭和二九年から三〇年にかけての︑数多くの実践記録とな
って現れてきた︒例えば︑相川日出雄氏の﹁新しい地歴教育﹂︵昭和二九年︶︑土田茂範氏の﹁村の一年生﹂︵昭和三〇年︶︑
小西健次郎氏の﹁学級革命﹂︵昭和三〇年︶などがそれである︒
一方︑昭和二八年頃から紹介され始めた︑ソ連や中国の集団主義教育の影響を受けて︑その実践.研究が進められ︑
昭和三〇年にエヒメ集団教育研究会は﹁集団主義教育への道﹂を公刊した︒
このような動きは日教組の教研集会に集約され︑昭和三〇年の第四次以後︑生活指導分科会は仲間づくりをその焦点
としてすすめられることになったのである︒
︑ 戦後における生活指導の変遷過程の一考察 二二
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三二
② 仲間づくりの性格
さて︑仲間づくりとはどんな性格を持つものであろうか︒人間形成のはたらきのなかでどんな役割を果しているので
あろうか︒
はじめに生活綴方の流れに立つ仲間づくりの性格を︑小川太郎・国分一太郎編﹁生活綴方的教育方法﹂を中心として
探ってみよう︒
先ず戸生活綴方の教育は﹁書くことを通して子どもに自己の生活の中の問題を自由に語らせることから︑教育の出発 65 をしよう﹂と考える︒だが︑書くという仕事は︑子どもの上にどんな人間形成を及ぼすのであろうか︒その一っは﹁子 ㈱ どもを自由にする﹂ということである︒この場合の自由とは︑教室を動きまわったり︑おしゃべりをすることではもち 馴 うんなく︑﹁人に向って自己の問題を語る自由﹂である︒なぜ書くことが必要なのかといえば︑﹁戦争が終って民主主義 30 の社会になったとは言いながら︑自己の中にも︑自己の身辺にも︑ものを言わせない力が強く残っている﹂からであ 69 る︒第二には﹁子どもの認識をリァルにする﹂ということである︒すなわち﹁書こうとして鉛筆をとる子どもは︑書く
尼いう表現活動がもっている抵抗にであって︑書かない時よりは一段と強く事実を見っめ︑事態に迫る努力を要求され
る﹂のである︒もちろん︑この過程の中では﹂﹁既成の固定観念からの解放︵概念くだ㍉︶﹂や﹁感情によるゆがみからの る
ぼ カ0
カ ペノ
解放︵§く㍉︶﹂のための指導が加えられ・更に扇係と変㎞Lを正しくとらえるための指導現象的塞実の中か ゆ ら本質﹂をとらえるための指導が加えられていくわけであるが︑ここでは︑その具体的な過程を追うだけのゆとりはな
い︒要するに生活綴方を通して︑ひとりひとりの子どもは自己の問題をリァルに見っめ︑考えるようになり︑それを自
由に人に向って︵はじめは少なくとも教師に向って︶語れるようになる︒けれども︑自由に語り︑リァルに見ることによ
って︑子どもは何に向って生きるのであろうか︒実は︑自由にリァルに書かれた綴方の中には︑必然的に﹁人間的に幸
の
ロ ロ福に生きよ56﹂というひとりひとりの子どもの願いがこもっているはずである︒従って︑その﹁人間的な願い﹂を育て
ることが目標でなければならないのである︒
以上は︑生活綴方を個人のものとして考えてきた︒﹁綴方による指導は︑けっきよくは一人ひとりの子どもの指導を
別にして考えるわけにはいかない︒しかし︑綴方を一人の子どもと一人の教師の問のことに終らせてしまうことは︑生 活綴方の本質にかなうものではない︒﹂そこで﹁生活綴方が︑とくに今日の日本の教育の方法としてもっている独自の
意味は︑子どもの作文が学級集団の前にもち出され︑それを中心としての集団の話し合いが行なわれるところにあらわ ロ れ面﹂といわれる︒もともと書く自由から出発した生活綴方ではあったが︑それは教師に向って語る自由に発展し︑更 ㈲ に﹁生活綴方の集団化はこの自由を︑さらにクラスの前で口で言う自由にまで発展させる﹂つまり︑集団の話し合いの
中に投げこまれてこそ子どもの自由は強められ育てられる︒そして同時にコ人の子どもの自由が守り励まされたとい
ハ も ぽ こうとは︑集団にそれができた﹂ことを意味し︑それだけ﹁集団が成長した﹂ことでもある︒また︑集団の中での批判
一 62 を通じて︑リァリズムはより深められるし︑同時に︑批判者である﹁他の子どもたちの認識をもリァルに﹂していく︒
だが︑生活綴方の集団化のもっとも重要な役割は﹁子どもたちが︑たがいに異なった生活とその問題についての認識を 63 獲得する﹂ことにある︒なぜなら﹁個人の事柄が集団のものとなり︑個人の問題が集団の問題として話し合われるとこ
ろに︑個人はほんとうの意味で集団の一員となるのであり︑集団がほんとうの意味で一人一人の個人の集団となるので ヘ ヘ ヘ ヘ へ あって︑個人は集団のために︑集団は個人のためにという新しい集団主義がそこに成立し︑その集団の中で個人はほん 64 とうの個人にまで成長する﹂からである︒
以上は︑生活綴方の流れに立つ仲間づくりについて考察したわけであるが︑他にも仲間づくりを基本的なねらいとし
た立場がある︒例えばエヒメ集団教育研究会がそれである︒﹁ひとりびとりの子どもを大切にし︑しあわせにしてやり
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三三
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三四
たいというのが私たち教師の願いです︒そのひとりを正しく教育するのに集団が必要なのです︒集団こそ個人を教育す る力をもっています︒われわれ教師は︑その集団のよい組織者にならねばなりません﹂にみられるように︑初期の﹁個 お 々の子供の向上よりも集団としての学級の発展をはかる﹂といった︑やや一面的な言い方が修正され︑集団と個人が有
機的な深まりをもってとらえられている︒個人的な場で得られぬものを集団的な場に求めるということではなく︑個人
が確立していくためにこそ集団が必要なのだというとらえ方である︒生活綴方による仲間づくりに基本的につながる性
格を見出すのである︒
また︑日教組第五次教研集会においては︑仲間づくりの過程が次のように整理されている︒﹁1︑学級のなかに︑何
でもいえる情緒的許容の雰囲気をつくること︒2︑生活を綴る営みをとおして一人一人の子どもの真実を発現させるこ ⑰ と︒3︑一人の問題を皆の問題にすることによる仲間意識の確立という集団づくりの三段階﹂である︒
さて︑右にみてきたような仲間づくりの性格を︑すでに検討してきたガイダンスや特別教育活動の性格と比較してみ
よう︒結論的に言えば︑仲間づくりは︑ガイダンスのもっていた個別指導ー教師対生徒の関係における人間形成と︑
特別教育活動のもっていた集団指導 生徒対生徒の関係における人間形成とのいずれをも内に含め︑それらを有機的
に統一しているものと考えられる︒仲間づくりの出発点は︑子どもたちひとりひとりの問題を自由にリァルに語らせる
ことにあった︒それによって︑教師は子どもの問題を理解し︑その問題をより開確に見つめさせ︑認識をよりリァルな
ものに高めていくために指導を加える︒ここには確かに︑ガイダンスの持っていた個別指導の性格と共通した性格をみ
ることができる︒だが︑仲間づくりは以上では終らない︒むしろ︑そこを出発点として︑その個人の問題を集団の中に
投げ込むわけである︒そして︑集団疋おける話合いの中から生れてくる自由とリアリズムの深まりは︑集団の横のつな
がりにおいて持っている人間形成のはたらきであり︑明らかに︑特別教育活動のもっていた集団指導の性格と共通した
︑
ものを見出すことができる︒しかも︑それぞれが互いに別個のものとして存在するのではなく︑また︑単に補足し合う
というものでもなく︑ひとりひとりの自由やリァリズムや人間的な願いは集団の中でこそ山口回められ︑そのような集団
は︑また更に深い自由やリァリズムや人間的な願いを育てることができると考えられているのである︒
③ 注目の要因
それでは︑このような仲間づくりが︑どうして生活指導における主流として多くの注目を集めるようになったのであ
ろうか︒先に︑仲間づくりの流れに二つの立場があったことをみてきたが︑そのそれぞれが注目の要因を持っていたと
考えられる︒
特別教育活動が形式化︑下請化し︑子どもの生きた姿が見失われてくるにつれて︑生活綴方の伝統の上に立って︑地
道に子どもの問題と取組んでいる実践活動に注目が集められたのは自然であった︒綴方教育の方法に対する注目と同時
に︑学級という場が重視されるようになったのである︒もともと︑新教育の基本原理の中には︑子どもひとりひとりを
尊重するという考え方があったことは前に述べた通りであり︑ガイダソスがはじめの道すじを作り上げたことにもふれ
た︒しかし︑ガイダンスはその方法の一面性と限界の故に︑日本の教育の中に定着することはできなかった︒続いて展
開された特別教育活動も︑限界をもっていたのであって︑ここに︑新教育の原理をになった新しい形態としての仲間づ
くりが注目されるに至ったことは︑ある意味で︑必然でもあったのである︒もちろん︑特別教育活動のゆきづまりの中
から仲間づくりが生れてきたのではない︒それは︑それとして別の発想とねらいとを持って生れてきたのであったが︑
現象としてみる時に︑そこに必然性を見出すことができるのである︒
次に︑新教育は︑その一三年の歩みの中で︑絶えずいろいろな立場から批判を受け続けてきたのであるが︑特に︑規
律と道徳の混乱に対してははげしかった︒それは必ずしも保守的な立場からだけではなく︑進歩的な立場からも行われ
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三五
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三六
た︒このきっかけを作ったのはソ連と中国の教育の紹介である︒すなわち︑昭和二八年には︑マカレンコの﹁愛と規律
の家庭教育﹂をはじめとする著作集が刊行され︑また︑中国から帰国した児童の作文集﹁帰ってきた子供たち﹂も出さ
れ︑多くの人々を驚かした︒それらの中に如実に示されている規律と助け合いの教育に刺激を受けた人達は真剣に戦後
の新教育を反省し︑新しい規律の教育を探求していった︒こうしたグループの一つが︑先のエヒメ集団教育研究会であ
る︒
五︑お わ り に ーまとめと展望1
この小論のねらいは︑生活指導における仲間づくりの位置づけを︑戦後の生活指導の変遷過程の中から少しでも明ら
かにしてみようとする点にあった︒
戦後の生活指導のあゆみを特色づける︑ガイダンス・特別教育活動・仲間づくりの三者は︑それぞれ独自な発想とね
らいとを持った形態であり方法であったが︑その現象面における変遷過程を辿ってみるときに︑全く別個なものとは考
えられず︑何らかの必然的な関連を考えざるを得ないわけである︒そのことについては︑すでに論中でふれてきたので
あったが︑要するに︑仲間づくりの中に︑ガイダンスの個別指導としての性格と特別教育活動の集団指導としての性格
との有機的な統一を見出すことが出来た︒
生活指導の形態は多様である︒特別教育活動・学校行事・教科指導・学級経営・特設﹁道徳﹂・ガイダンスなど︑さ
まざまの形態で行われている︒生活指導を﹁生き方の指導﹂と考えれば︑そうしたはたらきはどの形態の中でも行われ
得るからである︒しかし︑現在の時点で︑現在の問題意識に立って考えるならば︑学級における仲間づくりこそが最も
基本的な形態であり︑その意味では︑﹁生活指導とは仲間意識を育てることだ﹂という言い方も許されるであろう︒何
故なら︑その形態の中にこそ︑個別と集団との有機的統一︑人間形成の全体にかかわるはたらきを見ることができるか .
らである︒
だが︑問題は残されている︒今まで仲間づくりを問題にしてきたのは︑常に学級という場においてであった︒それが
最も基本的であることには違いないとしても︑学級以上の拡がりを持った学年︒学校︒校外あるいは特別教育活動など
の場とはどのように関係するのであろうか︒更に︑学校教育の中で育てられた仲間意識は社会の場の中でどのようには
たらいていくものであろうか︒それはまた︑仲間づくりを破壊していこうとする現実の条件の中で︑どれだけの役割を
果し得るのだろうか︒更に厳密に考えれば︑仲間づくりだけでは解決し得ない問題もあるはずであり︑そんな場合の武
器となるべき客観的知識の獲得などとどんな関係にあるのだろうか︒発達段階による仲間意識の質のちがいも明らかに
されねばならないであろう︒これらは︑この小論の後に︑更に研究が進められねばならない問題である︒
︵一九五四・一・三一稿︶
註
ω 明治図書講座﹁学校教育﹂11巻︑生活指導︑明治図書︑昭和三一年︑一七頁
ω 宮坂・沢田編﹁生活指導のあゆみ﹂︑小学館︑昭和三二年︑一四頁
③ 雑誌﹁教育﹂昭和二四年四月号︑世界評論社︑三一頁
ω〜00 教師養成研究会﹁指導﹂︑師範学校教科書︵株︶︑昭和二三年︑一〜三四頁
⑮ 文部省初中局編﹁中学校・高等学校の生徒指導﹂︑昭和二四年︑日本教育振興会︑三頁
⑯ 工則掲﹁指道寸﹂︑ 二〇五〜二〇山ハ頁
. ⑰ 雑誌﹁カリキュラム﹂昭和二六年一〇月号︑誠文堂新光社︑二三〜二四頁
︑ 戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三七
戦後における生活指導の変遷過程の一考察 三八
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