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引 き 裂 か れ た ウ ク ラ イ ナ の 肖 像 と し て の
『 イ ェ レ ミ ー ヤ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 』
原 真 咲
《 要 旨 》
本 稿 で は 、 ウ ク ラ イ ナ の 作 家 イ ワ ー ン ・ ネ チ ュ ー イ = レ ヴ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ の 小 説 『 イ ェ レ ミ ー ヤ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 』 の 主 人 公 、 イ ェ レ ミ ー ヤ 公 が 祖 国 の 裏 切 り 者 と し て 非 難 さ れ る に 至 る 要 因 を 考 察 す る 。
イ ェ レ ミ ー ヤ は 、 古 よ り 続 く 偉 大 な 一 族 の 出 で あ る が 故 の 「 偉 大 で あ ら ね ば な ら ぬ 」 と い う 精 神 的 圧 迫 と 、 当 代 の 支 配 者 ポ ー ラ ン ド 人 か ら の 蔑 視 と の 間 で 育 つ 。 結 果 、 彼 の 中 に は 至 高 者 た ら ん と す る 高 慢 な 自 尊 心 と 、 自 民 族 へ の 憎 悪 が 育 ま れ る 。 コ サ ッ ク が 蜂 起 す る と 、 同 じ ウ ク ラ イ ナ 人 で あ る イ ェ レ ミ ー ヤ は 自 ら の 醜 い 相 似 形 で あ る 謀 反 人 ら を 誰 よ り 厳 し く 罰 す る 。祖 先 は 彼 を 嘲 笑 し 、 母 は 呪 う 。 ポ ー ラ ン ド 人 は 彼 で な く ラ イ バ ル を 陣 代 に 選 出 す る 。 イ ェ レ ミ ー ヤ は 、 己 を 承 認 し な か っ た 世 界 を 憎 悪 す る 。
芯 か ら の ウ ク ラ イ ナ 人 と し て 描 か れ る イ ェ レ ミ ー ヤ 公 は 、 ふ た つ の 調 和 し 難 い 対 立 軸 か ら 受 け る 圧 力 の 下 で 引 き 裂 か れ 、 苦 し む ウ ク ラ イ ナ の 、 あ る ひ と つ の 実 像 で あ る 。
《 キ ー ワ ー ド 》 ウ ク ラ イ ナ 、 ネ チ ュ ー イ = レ ヴ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ 、 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 、 ウ ク ラ イ ナ 文 学
汝 E
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Aさ き に AE心 中 E
こゝろのうち
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A の ご と く な る べ し と AE然 E
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A ど な ん ぢ は A
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よ み
A に お と さ れ AE坑 E
あ な
A の AE最 下 E
い や し た
A に い れ ら れ ん
『イザヤ書』
14:13–15
0F11 『 舊 新 約 聖 書 』 日 本 聖 書 協 会 、1 9 7 4 年 、11 9 0 頁 。 以 下 同 じ 。
『スラヴ文化研究』Vol.15 (2017) pp.56-81
1 .「 王 は 成 り 上 が り 、 公 は 生 ま れ な り 」2
「 民 衆 と い う も の は 頭 を 撫 で る か 、 消 し て し ま う か 、 そ の ど ち ら か に し な け れ ば な ら な い 」。3
さ ら ば 当 の 君 主 が そ の 民 か ら 出 で し 者 な ら ば 如
何 。 ル ー シ の 未 戴 冠 の、 、 、 、王、
た る クニャージ公 た ち は 、 ま さ に ル ー シ の 民 か ら 生 ま れ た 統 治 者 で あ っ た 。 公 の 権 威 が 何 よ り そ の 血 統 に 拠 っ て 立 つ も の で あ る 上 は 、そ の 出 自 は 彼 ら の 自 意 識 を 良 き に つ け 悪 し き に つ け 縛 り つ け た 。 自 然 、 彼 ら は 己 の 出 自 を 撫 で る か 、 自 己 嫌 悪コ ン プ レ ッ ク ス
に 陥 っ て 自 ら を 消 し て し ま う か 、 そ の ど ち ら か の 道 を 選 ば ね ば な か っ た の で あ る 。
ル ネ サ ン ス 華 々 し き 頃 、 ル ー シ と 呼 ば れ た ウ ク ラ イ ナ は い ま だ 公 た ち の 天 下 で あ っ た 。 な か で も 秀 で て 大 き な 力 を 誇 っ た 者 ら は 《 主 筋し ゅ う す じな る
公
き ん
達
だ ち
》( ク ニ ャ ジ ャ ー タ ・ ホ ロ ウ ニ ー
Княжат а голо вні
)4
と 呼 ば れ る 。 彼 ら は ウ ク ラ イ ナ の 土 地 と
民 を 外 敵 か ら 守 り 、 殖 産 興 業 に 励 み 、 学 問 を 奨 励 し 、 信 仰 と 文 化 を 守 り 育 て て 文 明 的 発 展 を 齎 し も し た が 、 や が て 「 我 こ そ は 法 な り 」 と 言 わ ん ば か り の 高 慢 な 振 る 舞 いス ワ ヴ ィ ー ッ リ ャ か ら 、 憎 し み を 込 め て 《 小 王 》コロレウヤータ と 綽 名 さ れ る よ う に な っ た 。 そ し て 、 遂 に は 彼 ら 自 身 が ル ー シ の 内 な る 敵 と な り 、 ヨ ー ロ ッ パ 文 明 へ の 憧 憬 の な か で 自 壊 し て い っ た の で あ る 。 だ が 、 上 位 権 力 を 認 め ぬ そ の 不 服 従 の 姿 勢 と 独 立 不 羈ふ き の 精 神 は コ サ ッ ク に 受 け 継 が れ 、「 コ サ ッ ク の 氏 族 」と 謳 う 今 日 の ウ ク ラ イ ナ 人 が ウ ク ラ イ ナ 人 た る 所 以 と な っ た 。
本 論 の 主 役 、「 ル ブ ネ ィ ー と 他 の ウ ク ラ イ ナ の 諸 市 村 の 公 方く ぼ う 」5 イ ェ
2 原 文 は« R e x f i t , d u x n a s c i t u r »。「 詩 人 は 生 ま れ る も の 、 弁 舌 家 は な る も の 」 の も じ り (Я ко в е нко Н . М. Ук р а їн сь ка ш ляхт а з к ін ц я X І V д о с ер ед и н и XV І І ст ол іт тя . В оли н ь і Ц ен т р а ль н а Укр а їн а . В и д а н н я д руге, п ер егля н ут е і ви п р а влен е. К и їв: К р и т и ка , 2 008 ( вп ер ш е ви д а н о 19 93 ) . С . 77)。1 6 – 1 7 世 紀 の ル ー シ 諸 公 に 纏 わ る 流 行 り 言 葉 で 、 ポ ー ラ ン ド の 選 挙 王 制 を 念 頭 に 、「 王 に な ど 誰 で も な れ よ う が 、公 は 生 ま れ か ら し て 別 格 な の だ 」と い う 意 味 に 解 釈 で き る 。 な お 、 本 論 の 翻 訳 は 特 記 な き 限 り 筆 者 に よ る 。
3 マ キ ア ヴ ェ リ ( 池 田 廉 訳 )『 君 主 論 』 中 央 公 論 新 社 、2 0 0 9 年 (2 0 0 1 年 初 版 )、
1 6 頁 。
4 Я ков е нко . Укр а їн сь ка ... С . 1 0 4を 見 よ 。
5 «д ер жа вц а жел уб ен ск ій и и н и хъ гор од овъ и с ел ъ Ук р а и н ск и хъ » (Вел и чко С . Л ѣтоп и сь соб ыт ій въ ю гоз ап а д н ой Р о с с іи въ XV I I- м ъ вѣк ѣ. К і евъ , 18 48 . Т. 1 . С . 9 4 ) . «Д ер жа вец ьデ ル ジ ャ ー ヴ ェ ツ ィ
»の 訳 は 、Ко ва л е нко О . С а м ур а й с ьк і х р он ік и . Од а Нобун а ґ а . К и їв: Д ух і Л іт ер а , 2 01 3 が 公 方 を«д ер жа вец ь »と 訳 す の を 参 照 。守 護(В оєвод а)、
将 軍 (Гет ь ма н) も 同 様 。 な お 、『 君 主 論 』 は ウ ク ラ イ ナ 語 で は«Д ер жа вец ь »と 言 う 。
レ ミ ー ヤ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 も 、 ま さ に そ う し た 《 小 王 》 の
1
人 で あ っ た 。 歴 代 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 の 御 膝 下 で あ っ た チ ェ ル カ ー セ ィ 地 方 出 身 の 作 家 イ ワ ー ン ・ ネ チ ュ ー イ = レ ヴ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ (Іван Неч уй-Левицький, 1838–1918
) が 小 説 『 イ ェ レ ミ ー ヤ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 』(«Князь Єремія Вишневецький», 1897
執 筆 、1 9 3 2
公 刊 )6で 描 き 出 し た の は 、 古 の キ エ フ 大 公 の 末 裔 に し て 、 コ サ ッ
ク の 梁 山 泊、 、 、
《 ザ ポ ロ ー ッ ジ ャ 城 柵シ ー チ》 の 開 祖 、 祖 国 と 民 、 そ し て 《 正 し き 信 仰 》 の 守 護 者 ― 様 々 に 褒 め 称 え ら れ て き た ル ー シ の 公 の 一 族 、 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 家 の 御 曹 司 が 、 こ の 世 の 覇 者 に な る こ と を 夢 見 な が ら 、如 何 に し て ウ ク ラ イ ナ 史 上 最 悪 の 裏 切 り 者 に な っ た か で あ る 。
だ が 、 我 々 は 物 語 に 入 る 前 に ま ず こ の 綺 羅 星 の 如 き 公 の 来 し 方 を 振 り 返 っ て お き た い 。
2 . 彼 岸 の 公 方
1 6
世 紀 末 、 ウ ク ラ イ ナ の 地 平 線 を 遥 か に 超 え る 《 公 国、 、》、 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ッ チ ナ (
Вишневеччина
) が 出 現 す る 。「 全 ウ ク ラ イ ナ の 真 に 頼 も し き 御 楯 」7と 讃 え ら れ た メ ィ ハ ー イ ロ ・ オ レ ク サ ー ン ド ロ ヴ ィ チ ・ ヴ
ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 (Ми ха йло Олекс андро вич Вишневецький,
1 5 2 9 – 1 5 8 4
) の チ ェ ル カ ー セ ィ 及 び カ ー ニ ウ 代 官 と し て の2 0
年 を 超 す 奉公 に 報 い て 王 が 特 例 的 に 認 め た 世 襲 領 で あ る 。 8 元 来 、 ウ ォ レ ィ ー ニ の 片 隅 の 町 ヴ ィ ー シ ュ ネ ヴ ェ ツ ィ(
Ви шневець
)9の 公 で あ っ た ヴ ィ シ ュ ネ
6 本 論 で は 原 書 は Н ечу й - Ле ви ц ький І . К н яз ь Є р ем ія В и ш н евец ь к и й : р ома н . Ха р к ів: Ф оліо , 2 015 を 用 い る 。引 用 に は 翻 訳 の み 記 載 し [ ] で 該 当 頁 数 を 示 す 。
7 後 述 す る 讃『 エ ピ ケ ー デ ィ ー オ ン 』の 詩 句 。原 文 は Ст ор оже нко А. В. Ст е фа н ъ Б атор ій и Д н ѣп р овск і е коз а к и: із сл ѣд ова н и я , п а мя т н и к и , д ок ум ен т ы и з а м ѣт к и.
К іевъ, 1 90 4 . С . 17 6 に 収 録 さ れ て い る 。
8 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ッ チ ナ 、 代 々 の 公 の 活 動 に つ い て は 右 参 照 。Ви р с ький Д . В и ш н евеч ч и н а : п ер ш і п ер ем оги і п ер ш і сор ат н и к и ( 15 55– 15 95 рр .) / / Укр а їн а в Цен т р а ль н о- С х ід н ій Є вр оп і. 2 015 . В и п . 15 . С . 117 –12 4; Б р ег а В. В олод ін н я к ня з ів В и ш н ев ец ь к их у Л івоб ер ежн ій Ук р а їн і в XV I– XV I I ст ол іт тях / / Ніжи н сь ка ст а р ови н а . 2 012 . В и п . 1 4 . С . 39 –4 4; К рив е нко І . П . Тр ад и ц ії мец ен ат ст ва к н я з ів сь кого р од у В и ш н ев е ць к и х ХV І- п ер ш ої п олови н и ХV І І ст. //
Тех н іч н а е ст ет и ка і д и з а й н . К и їв: В и д а вн и ц тво К НУ БА , 20 13 . В и п . 12 . С . 9 0–
1 0 3 ; Гри с ьків В. Шля х и форм ува н н я з емл ев олод ін ь к н я з івсь кої р од и н и В и ш н евец ь к и х // Гур жі ївсь к і і стор и ч н і ч ит а н н я : З б ір н ик н аукови х п р а ц ь . 200 9 . В и п . 3 . С . 16 7– 173 .
9 時 代 に よ り 、 現 ウ ク ラ イ ナ 、 テ ル ノ ー ピ リ 州 、 ズ バ ー ラ ジ ュ 地 区 の ヴ ィ ー シ
ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 は 、や が て 東 部 の 開 拓 都 市 ル ブ ネ ィ ー(
Лубни
)1 0に 己 が 《 公 座 》 を 据 え て 権 勢 を 誇 っ た 。 同 時 に 、 ウ ク ラ イ ナ 中 東 北 部 は 彼 ら の 許 で 大 開 発 さ れ 、 実 に 今 日 そ こ に あ る 市 町 村 の 多 く が 蒙 古 襲 来 以 来 の 荒 廃 か ら 彼 ら の お 蔭 で 復 興 し た か 、 新 た に 創 建 さ れ る か し て 生 ま れ た の で あ る 。 そ し て 、 彼 ら の 築 い た ル ブ ネ ィ ー ・ ポ ル タ ー ワ 地 方 は や が て ウ ク ラ イ ナ 最 大 の 哲 人 ス コ ウ ォ ロ ダ ー を 生 み 、 ポ ル タ ー ワ 人 コ ト リ ャ レ ー ウ シ ケ ィ イ の 手 を し て 近 代 ウ ク ラ イ ナ 文 学 を 創 出 せ し め 、 同 地 方 の 方 言 は 現 代 ウ ク ラ イ ナ 語 の 規 範 に 定 め ら れ た 。 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ な く し て 今 日 の ウ ク ラ イ ナ な し と 言 っ て 、 果 た し て 過 言 で あ ろ う か 。 我 ら が 主 役 イ ェ レ ミ ー ヤ = メ ィ ハ ー イ ロ ・ コ レ ィ ブ ー ト ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公(Єремія-Михайло Корибут Вишневецький, 1612–51
)1 1 は 、 そ の メ ィ ハ ー イ ロ 公 の 孫 で あ り 、 ヴ ィ ー シ ュ ネ ヴ ェ ツ ィ 及 び ル ブ ネ ィ ー 公 に し て 、 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ッ チ ナ 第5
代 領 主 で あ っ た 。 今 日 で は ヤ レ ー マ (Ярема
) と 呼 ぶ の が 普 通 だ が 、 本 論 で は 小 説 に 合 わ せ て イ ェ レ ミ ー ヤ と 呼 ぼ う 。 官 職 に あ っ て は 、 ハ ー デ ャ チ 代 官 (1 6 3 4 – 5 1
)、 カ ー ニ ウ 代 官 (1 6 4 6 – 5 1
)、 ル ー シ 守 護 (1 6 4 6 – 5 1)を 歴 任 し 、 ド ニ プ ロ ー 川 彼 岸 に
自 ら の デ ル ジ ャ ー ワ《 国 》1 2 を 領 し た こ と か ら 《 ド ニ プ ロ ー 川 越 しザ ド ニ プ ロ ー ウ シ ケ ィ イ ・
の 公 方
デルジャーヴェツィ
》 と 呼 ば れ た 。 ド ニ プ ロ ー 川 の 彼 岸 と は ま っ た く の 化 外 の 地 で あ り 、 異 人 タ タ ー ル が 跋 扈 す る 無 人 の 荒 野 が 広 が り 、 ウ ク ラ イ ナ や ポ ー ラ ン ド の 冒 険 者 た ち が 驚 異 と 栄 光 を 求 め て 遥 々 出 掛 け て い く 、 そ ん な 危 険 な 境 界 地 帯 で あ る 。 イ ェ レ ミ ー ヤ 公 は 、 そ の 地 の 《 王 》 と な っ た の で あ る 。
だ が 、 彼 の 生 涯 は 安 寧 な も の で は な か っ た 。 1 3
1 6 1 6
年 、 正 教 会 聖 職 者 に よ っ て 父 メ ィ ハ ー イ ロ 公 が 毒 殺 さ れ た 上 に 、 母 子 は 王 命 に よ り 追 放 さ れ る 。 母 子 は 親 戚 に 庇 護 さ れ る が 、1 6 1 9
年 に は 母 を 失 う 。 長 じ て リ ヴュ ニ ヴ ェ ツ ィ 都 市 型 大 村 (В и ш н ів ец ь) 或 い は 隣 村 ス タ レ ィ ー イ ・ ヴ ィ ー シ ュ ニ ヴ ェ ツ ィ (Ст ар и й В и ш н івец ь) を 指 す 。
1 0 現 ウ ク ラ イ ナ 、 ポ ル タ ー ワ 州 の 地 区 中 心 市 。2 代 領 主 オ レ ク サ ー ン ド ル 公 が 城 を 普 請 し た 。
1 1 Во йт ови ч Л . В. К н я жа д об а : п орт р ет и е літ и . Б іла Ц ер к ва , 2 00 6 . С . 65 7 .
1 2 こ の 用 法 で は「 知 行 地 」と 訳 す の が 適 当 で あ ろ う(Лі тв і н Г.З н а р од у р усь кого . Шля хт а К и ївщ и н и , В оли н і т а Бр а ц ла вщ и н и ( 15 69 –1 648 ) / П ер . з п оль сь к . Л е сі Ли с ен ко. К и їв: Д ух і літ ер а , 2 01 6 . С . 3 99 –40 1 及 び 訳 註 С . 401 –4 11 参 照 ) が 、« д ер жа ваデ ル ジ ャ ー ワ
»の 語 義 か ら し て 広 義 の 《 国 》 と 解 釈 し て 間 違 い な か ろ う 。
1 3 イ ェ レ ミ ー ヤ 公 の 伝 記 は 、 主 と し て 右 を 参 照 し た 。Wi d a c k i J . Knia ź J a r e ma . K a t o w i c e : Wyda wn i ct wo „ Ś lą s k” , 1 98 4; Ру д ни ц ький Ю. В. Ієр е мія В и ш н ев ец ь к и й : С пр об а р е а б іл іт а ц ії. Л ь вів: Пір а мід а , 2 0 08 .
ィ ー ウ の イ エ ズ ス 会 コ レ ギ ウ ム で 教 育 を 受 け る 。 し た が っ て 、 生 涯 の 敵 と な る コ サ ッ ク の 将 軍 ボ フ ダ ー ン ・ フ メ リ ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ と は 同 窓 生 で あ る 。続 い て オ ラ ン ダ 、イ タ リ ア 、ス ペ イ ン な ど 西 欧 諸 国 を 遊 学 し た 。
1 6 3 2
年 に 帰 国 す る や 、ギ リ シ ア 正 教 か ら ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク へ の 改 宗 を公 表 す る 。 そ の 一 方 で 、 母 方 の 従 叔 父 で あ る 府 主 教 ペ ト ロ ー ・ モ ヘ ィ ー ラ に よ る ル ー シ 正 教 会 再 編 の 時 代 、 イ ェ レ ミ ー ヤ は 教 会 の 改 革 と 自 立 を 目 指 す 従 叔 父 の 政 策 を 世 俗 面 、 つ ま り は 政 治 経 済 と 軍 事 面 か ら 支 え た 。
1 4
イ ェ レ ミ ー ヤ は 宮 廷 軍 を 自 ら 率 い 、 彼 の 祖 先 ら が し て き た よ う に 、 ウ ク ラ イ ナ 東 辺 と 南 辺 の 国 境 を 守 り 、 侵 略 者 や 破 壊 者 ― 特 に 、 ク リ ミ ア
汗
ハ ン
国 、モ ス ク ワ 国 家 、モ ス ク ワ が 煽 動 す る 東 南 部 の 叛 乱 コ サ ッ ク ― と 戦 っ た 。 1 5 そ の 一 方 で 近 隣 の 領 主 に 対 し て も 容 赦 な く 、 時 に は 力 尽 く で 、 父 の 没 後 に 横 領 さ れ た 領 地 を 取 り 戻 し た だ け で な く 、 さ ら に 新 た な 土 地 を 手 中 に 収 め 、 数 多 く の 都 市 や 村 を 興 し た 。 彼 の 代 で ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 は さ ら な る 大 大 名 に 成 り 上 が っ た 。 歴 史 家 フ ル シ ェ ー ウ シ ケ ィ イ は 彼 の ル ブ ネ ィ ー 領 を 「 ウ ク ラ イ ナ と ポ ー ラ ン ド は お ろ か 、 恐 ら く 全 ヨ ー ロ ッ パ に も 」 比 肩 す る も の な し と 書 く 。 1 6 領 内 で は 、 国 王 の 定 め た 法 律 よ り も 父 祖 伝 来 の 公 の 法 典 が 効 力 を 持 っ た 。 1 7 私 有 す る 兵 力 は 平 時 で
1
千 か ら1
千5
百 を 数 え 、 有 事 の 際 は8
千 か ら1
万2
千 を 動 員 で き る 体 制 を 取 っ て い た が 、 1 8 こ れ は 当 時 の 共 和 国 で は 桁 外 れ の 兵 力 で あ っ た 。 1 9だ が 、 彼 の 生 命 た る ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ッ チ ナ は フ メ リ ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ の 乱フ メ リ ネ ィ ー ッ チ ナ の 主 戦 場 と な っ た 。 イ ェ レ ミ ー ヤ は ル ブ ネ ィ ー の 宮 城 を 捨 て 、 西 部 へ 退 却 を 強 い ら れ る 。 共 和 国 軍 が 無 残 な 敗 戦
1 4 Ру д ниц ьки й . Ієр емія .. . С . 3 5– 43 を 見 よ 。
1 5 Та м с а мо .
1 6 Гру ш е вс ький М. С . І ст ор ія Укр а їн и - Р уси : в 11 т., 1 2 к н . / Ред кол.: П. С . С оха нь ( голо ва ) т а ін . К и їв : Науко ва д умка , 1 991 ( вп ер ш е ви д а н о: К и їв- Л ь вів, 190 7 ) . Т. 6 . С . 28 6 .
1 7 Я ков е нко . Укр а їн сь ка ... С . 1 2 4を 見 よ 。
1 8 Та м с а мо . С . 11 9 を 見 よ 。
1 9 数 え 方 が 資 料 に よ り 異 な る が 、共 和 国 最 大 の 大 名 ザ ス ラ ー ウ シ ケ ィ イ 公 が 常 備 し た の は 歩 兵 1 0 0、竜 騎 兵 5 0、タ タ ー ル 騎 兵 3 0、及 び 各 城 市 の 守 備 兵 が 百 数 十 ず つ で あ っ た (Гав ри л юк І . Ф ун к ц і о н ува н н я п р и ват н их ма гн ат сь к и х а рмій пр отя гом п ер ш их р ок ів Хм ель н и ч ч и н и (1 64 8–1 64 9 рр .) / / В існ и к К и їв сь кого н а ц іон а ль н о го ун ів ер с и т ет у і м ен і Та р а с а Шевч ен ка . І стор ія . К и їв, 2 013 . В и п . 3 . С . 14 参 照 )。
を 重 ね る な か 孤 軍 奮 闘 し 、 英 雄 と な る 一 方 、 乱 へ の 加 担 を 疑 っ た 領 民 に 対 す る 過 酷 な 刑 罰 が 大 い に 不 評 を 呼 び 、人 心 を 失 う 原 因 と な っ た 。2 0 フ メ リ ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ が 彼 と 王 冠 領 旗 持 官 2 1 と を 名 指 し て 書 い た 「 こ の 二 人 の 貴 人 こ そ 万よ ろ ず悪 の 根 源 な り て 、 そ の 胴 欲 と 癇 性 と に よ り 国 土 を
殆
ほ と
ど 無 に 帰 せ し め り 」2 2は イ ェ レ ミ ー ヤ 公 に つ い て 述 べ る と き に 必 ず 引 用 さ れ る フ レ ー ズ で 、 彼 が ウ ク ラ イ ナ の 不 倶 戴 天 の 敵 と な っ た こ と を 印 象 づ け る 。
1 6 5 1
年6
月 ベ レ ス テ ー チ ュ コ の 決 戦 で コ サ ッ ク 軍 を 撃 破 す る も 、同 年8
月2 0
日 パ ー ウ ォ ロ チ 2 3 で 客 死 。 遺 書 で 父 母 の 眠 る ヴ ィ ー シ ュ ネ ヴ ェ ツ ィ へ の 埋 葬 を 望 ん だ が 、 2 4 か の 町 も 叛 乱 軍 に よ る 占 領 と 略 奪 を 受 け て い た た め 遂 に 願 い は 叶 わ ず 、 ソ カ ー リ 2 5 で 仮 埋 葬 さ れ る が さ ら に 追 わ れ 、 結 局 ポ ー ラ ン ド の シ フ ィ ェ ン テ ィ ・ ク シ シ ュ聖 十 字 架 山の ベ ネ デ ィ ク ト 会 教 会 2 6 に 埋 葬 さ れ た 。 2 7
彼 が 改 め て 脚 光 を 浴 び た の は 、 シ ェ ン キ ェ ヴ ィ チ の ベ ス ト セ ラ ー 『 火 と 剣 も て 』(
„ O g n i e m i m i e c z e m ” , 1 8 8 4
) に よ っ て で あ っ た 。 カ ト リ ッ ク 教 国 ポ ー ラ ン ド の 熱 烈 な 愛 国 者 と し て 描 か れ 、 一 躍 ポ ー ラ ン ド 人 の 国 民 的 ヒ ー ロ ー に 祭 り 上 げ ら れ た の だ 。 さ ら に 、 ポ ー ラ ン ド 人 の 英 雄 願 望 は シ ェ ン キ ェ ヴ ィ チ 読 者 を し て イ ェ レ ミ ー ヤ 公 の 《 聖 遺 骸 》 を 発 見 せ し め た 。 崇 拝 者 ら の 主 張 に よ れ ば 、 ミ イ ラ 化 し た 公 の 遺 骸 は 聖 十 字 架 山 の 聖 三 位 一 体 小 聖 堂 に 安 置 さ れ て い た と い う 。 現 代 ポ ー ラ ン ド の 研 究 者 た ち2 0 К ри п’ я ке ви ч І . П . Б огд а н Хм ель н и ц ь к и й / В ід п . р ед . Ф . П. Шевч ен ко, І. Л . Бут и ч , Я . Д . Іс а єви ч , 2 - е ви д ., ви п р а вл ен е і д оп овн ен е. Л ь вів : С в іт, 19 90 . С . 8 5 . を 見 よ 。
2 1 ア レ ク サ ン デ ル ・ コ ニ ェ ツ ポ ル ス キ の こ と だ が 、書 状 で は 官 職 名 の み で 呼 ば れ て い る 。
2 2 L i s t o d C h m i e l n i c k i e g o d o R z e c z p t e y / / Па мя т н и к и , и зд а н н ые К і ев ско ю комми с сі ею д ля р аз б ор а др евн и хъ а кт овъ . Т. 1 . Изд а н іе, с ъ д оп олн ен ія ми . К і евъ, 189 8 . С . 30 9 .
2 3 現 ウ ク ラ イ ナ 、 ジ ト ー メ ィ ル 州 、 ポ ピ ー リ ニ ャ 地 区 の 村 。1 7 世 紀 当 時 は 都 市 。
2 4 Я ков е нко Н . М. “ По гр еб т і л у моє м у ви б и ра ю с п р ед к и мо єми ” : м ісц я п охо ва н ь воли н сь к и х к н я з ів у X V – с ер ед и н і X VI I ст ол іт ь // Д з ер ка ла ід ен т и ч н о ст і.
Д о сл ід жен н я з і ст ор ії уя вл ен ь т а ід ей в Укр а їн і XV I – лоч ат к y X V II I століт тя . К и їв: Lа f ur us , 2 01 2 . С . 10 9 , 1 21 .
2 5 現 ウ ク ラ イ ナ 、 リ ヴ ィ ー ウ 州 の 地 区 中 心 市 。
2 6 現 ポ ー ラ ン ド 共 和 国 、 シ フ ィ ェ ン テ ィ ・ ク シ シ ュ 県 、 ノ ヴ ァ ・ ス ウ ピ ャ 村 の 聖 三 位 一 体 小 聖 堂 。
2 7 Ro ma ńs ki R. Ks ią ż ę J er e mi Wiś n io wi e ck i. Wa r s z a wa : B el lo na , 2 00 9 . S . 34 3 .
は 偽 物 で あ る と 指 摘 し て い る の だ が 、 2 8 今 日 で も 修 道 院 で は 件 の ミ イ ラ は 《 ポ ー ラ ン ド 救 国 の 志 士 の 遺 骸 》 と し て 祀、
っ て、 、 い る、 、
。
ウ ク ラ イ ナ で は 、 改 宗 や コ サ ッ ク と の 対 立 か ら 稀 代 の 裏 切 り 者 と し て 今 日 ま で 語 り 継 が れ て い る 。 ル ブ ネ ィ ー で さ え 、 町 の 発 展 に 最 大 の 功 績 の あ っ た ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 を 記 念 す る 碑 が 建 て ら れ た の は よ う や く
2 0 1 6
年9
月 の こ と で あ っ た 。ソ 連 以 来 の 記 念 碑 文 化 の 根 強 い ウ ク ラ イ ナ に し て は 極 め て 遅 い 顕 彰 だ が 、 そ れ で も 再 評 価 の 一 端 で あ る 。 一 般 に 、 ポ ー ラ ン ド の 研 究 者 、 作 家 ・ 詩 人 の 多 く が 英 雄 化 ・ 理 想 化 す る 一 方 、 ウ ク ラ イ ナ の 側 で は 「 裏 切 り 者 、 自 民 族 に 対 す る 処 刑 人 」 と 酷 評 す る 。 人 柄 に つ い て は 毀 誉 褒 貶 が 激 し い そ の 一 方 で 、 軍 事 的 才 能 に つ い て は 両 国 の 研 究 者 の ほ と ん ど が 高 く 評 価 し て い る 。 2 93 . あ し た の 子こ みやうじやう明 星 よ い か に し て 天て ん よ り 隕お ち し や 3 0
ネ チ ュ ー イ = レ ヴ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ は 、 正 教 か ら カ ト リ ッ ク に 改 宗 し た ウ ク ラ イ ナ の 民 を 《 変 化へ ん げ》3 1(
Перевертень
ペ レ ー ヴ ェ ル テ ニ) と 呼 ぶ 。 こ れ は 「 魔 術 に よ っ て 動 物 や 物 に 変 身 す る 人 。 誰 か ま た は 何 か の 姿 に 化 け た 悪 霊 」 を 意 味 し 、《 人 狼 》 と 同 様 の 存 在 で あ る 。 3 2 政 治 的 文 脈 で は 、 ロ シ ア の 帝 国
2 8 Wi d a c k i . Kn ia ź ... S . 2 5 2 .
2 9 公 の 評 価 は 右 を 参 照 。Зим ниц ька С. У ч а ст ь Єр е мії В и ш н ев ец ь кого у п од ія х На ц іон а ль н о- ви з воль н ої вій н и ук р а їн сь кого н а р од у к р ізь п р и зм у п оль сь кої т а ук р а їн сь кої і стор іо гр а фій ( с ер ед и н а X V I I I – с ер ед и н а XX ст.) / / Наукові з ап и ск и Тер н оп іль сь кого Н ПУ ім. В . Гн ат ю ка . С ер ія : І стор ія / З а з а г. р ед . п р оф. І. С . З уля ка . Тер н оп і ль , 201 4 . В и п . 2 . Ч. 1 . С . 174 –1 80; Зи м ни ц ька С . Пр облема з мін и вір и п р ед ст а вн и ка ми р од у к н я з ів В и ш н ев ец ь к их у віт ч и з н я н ій т а з а р уб іжн ій іст ор іогр а фі ї д р угої п ол ови н и XI X – п ер ш ої п олови н и XX ст. / / Науков і з ап и ск и На ц іон а ль н ого ун ів ер си т ет у «О ст р оз ь ка а ка д е мія ». І стор и ч н і н аук и . О ст р ог, 201 3 . В и п . 20 . С . 1 57 –16 2 .
3 0 『 イ ザ ヤ 書 』1 4 : 1 2。「 も ろ も ろ の 國く にを た ふ し ゝ 者も のよ い か に し て 斫き られ て 地ち に た ふ れ し や 」 と 続 く 。
3 1 変 化 は 「 へ ん か 」 と 紛 ら わ し い の で 、「 へ ん げ 」 の 場 合 は 以 下 《 変 化 》、 引 用 中 で は 変 化
、 、
と 書 く 。
3 2 伊 東 一 郎「 ス ラ ヴ 人 に お け る 人 狼 信 仰 」『 国 立 民 族 学 博 物 館 研 究 報 告 』6 ( 4 )、
1 9 8 2 年 は「 狼 以 外 に も ,犬 や 猫 な ど の 動 物 ,茂 み や 切 株 な ど に も 変 身 す る こ と
が で き об ор от ен ь [ ob or ot en’ ](「 変 身 で き る 者 」 と い う ほ ど の 意 味 ) と も 呼 ば れ る 」 と す る (7 6 8 頁 )。 こ の«об ор от ен ь »と は«п ер ев ерт ен ь »の こ と 。 人 狼 と 吸 血 鬼 の 自 在 な 変 身 能 力 に つ い て は 、 種 村 季 弘 『 吸 血 鬼 幻 想 』 河 出 書 房 新 社 、1 9 8 3
年 、1 0 2 頁 も 見 よ 。 彼 ら は 、 犬 猫 蝙 蝠 や 様 々 な 動 物 、 干 し 草 の 山 な ど に も 化 け
る こ と が で き る 。
主 義 に 迎 合 す る こ と で 私 利 を 得 た 、 要 は ロ シ ア 人 に 化 け て、 、 、
出 世 し た ウ ク ラ イ ナ 人 に 対 し て 使 わ れ た 。シ ェ ウ チ ェ ー ン コ は『 暴 か れ た 墓 』(
«Розрит а
могила», 1843
)3 3で 、《 母 た る ウ ク ラ イ ナ 》 の 「 処 刑 を 手 伝 う 」《 変 化 》を 描 く 。 3 4
《 変 化 》 と 呼 ば れ る イ ェ レ ミ ー ヤ 公 は 、 血 に 飢 え た 狼 人 の よ う に 人 々 を 襲 っ て 流 血 を 招 く 。 特 に 嬉 々 と し て 励 む の が 串 刺 し の 刑 で あ る が 、 物 語 の 描 写 は 史 料 に 基 づ い て い る 。 例 え ば 、 コ サ ッ ク の 連 隊 長 マ ク セ ィ ー ム ・ ク レ ィ ウ ォ ニ ー ス (
Максим Кривон іс, 1600
頃– 4 8
) は ザ ス ラ ー ウ シ ケ ィ イ 公 に 宛 て た 書 簡 に 「 た だ 我 ら に 対 し イ ェ レ ミ 〔 イ ェ レ ミ ー ヤ : 引 用 者 〕 公 、 執 念し ゅ う ねし く い ま す れ ば 、 民 を 虐せ こ ぎ 、 首 を 刎 ね 、 串 刺 し に な し 給 え り 。 四 方よ も 、 町 々 の 広 場 に 絞 首 台 が 立 ち 、 今 や 無 実 の 者 ら 串 刺 し に さ れ お り 。 我 ら が 僧 ど も 、 眼 を 彫え ら れ て は べ り 」3 5と 記 し 、 フ メ リ
ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ の 書 簡 に も 「 だ が 今 で も 、 無 思 慮 か つ 迂 闊 に も 我 ら に 飛 び 掛 か り 、 キ リ ス ト 教 徒 の 道 か ら も 騎 士 道 か ら も 外 れ し 作 法 に て 、 我 ら が キ リ ス ト 教 徒 の 民 に 、 罪 な き 領 民 に 酷 た ら し き 暴 虐 と 没 義 道 を 働 き し ヴ ィ シ ュ ニ ョ ヴ ェ ツ キ 公 殿 下 が 元 で 、 罪 な き キ リ ス ト 教 徒 の み か 、 我 ら が 聖 職 者 を 串 刺 し に す べ く 仰 せ 給 え り 。 も し 是 、 我 軍 の ク シ ヴ ォ ノ ス〔 ク レ ィ ウ ォ ニ ー ス 〕 が 如 き 田 夫 が 行 い な ら ば 怪け し か る ま じ 。 と ま れ こ の 者 如 何 な 闘 諍 も 許 さ れ て お ら ず 、都 市 破 壊 の 許 も 得 さ さ ざ り し 上 は 、 左 様 な る こ と 仕 る べ く も あ ら じ 」3 6
と あ る 。 後 世 の 評 価 も 、 コ サ ッ ク の
三 大 年 代 記 の う ち2
つ 、 ヴ ェ レ ィ ー チ ュ コ の 年 代 記 3 7 と フ ラ ブ ヤ ー ン カ の3 3 Ш е в че нко Т. Г. Розр ит а мо ги ла / / Повн е з ібр а н н я т вор ів : У 12 т. Т. 1 : По е з і я 1 8 3 7 – 1 8 4 7 / Р ед кол. : Є . П. К и р и лю к ( гол ова ) т а ін . К и їв : Науко ва д умка , 1 98 9 . С . 1 6 9 – 1 7 0 .
3 4 「 お お 、 ボ フ ダ ー ン*よ ! / 愚 か な 息 子 よ ! / 今 こ そ 母 を 御 覧 な さ い 、 / そ な た の ウ ク ラ イ ナ を 〔 … 〕 / 私 の 大 事 な お 墓* *も / モ ス ク ワ 兵 が 暴 こ う と す る ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。〔 … 〕/ 同 時 に 変 化、 、 た ち は / 成 長 し て / モ ス ク ワ 兵 た ち を 手 伝 え ば よ い
/ 主 人 に な る の を 、/ そ し て 母 か ら 手 織 り の / シ ャ ツ を 奪 い 取 る の を / 手 助 け な さ い 、 人 で な し た ち よ 、 / 母 の 処 刑 を 」(*ロ シ ア に よ る ウ ク ラ イ ナ 併 合 の 原 因 を 作 っ た ボ フ ダ ー ン ・ フ メ リ ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ 。* *自 我 の 依 拠 す る 祖 先 の 記 憶 、 歴 史 、 共 同 体 の 象 徴 。)
3 5 L i s t o d K r z y w o n o s a d o x c i a i m c i p . w o i e w o d y S a n d o m i r s k i e g o , d i e 2 5 j u l i j 1 6 4 8 / / Па мя т н и к и ... С . 2 52 .
3 6 L i s t C h m i e l n i c k i e g o d o p p . k o m m i s s a r z o w, z o b o z u s w e g o , d i e 1 9 a u g . 1 6 4 8 / / Та м же, с . 2 77 .
3 7 Вел и чко . Л ѣтоп и сь ... С . 9 5–9 6 を 見 よ 。
年 代 記 3 8が ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 の 悪 行 を 描 写 す る 。 ポ ー ラ ン ド 人 に し て も 、 同 時 代 人 の な か に は 敵 対 者 も 多 か っ た 。 な か ん ず く 、 王 冠 領 大 法 官 3 9イ ェ ジ ・ オ ッ ソ リ ン ス キ (
Jerz y O sso lińsk i, 1595–1650
) は イ ェ レ ミ ー ヤ 公 を 指 し て 「 暴 漢 に 将 軍ヘ ト マ ン職 を 授 く る は 、 狂 人 に 抜 き 身 の 剣 を 授 く る に 同 じ 」4 0と 述 べ た と い う 。ネ チ ュ ー イ = レ ヴ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ の 作 品 執 筆 の 動 機 に は 、 こ の よ う な 人 物 を 美 し い 英 雄 と し て 描 い て 人 気 を 博 し た シ ェ ン キ ェ ヴ ィ チ 作 品 へ の 反 発 も あ っ た で あ ろ う 。
だ が 、 イ ェ レ ミ ー ヤ は 本 来 、 ル ー シ の 民 の 信 望 厚 く 、 栄 光 に 輝 く 一 族 の 期 待 を 一 身 に 背 負 っ た 星 だ っ た の で あ る 。 4 1 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ッ チ ナ は そ の 規 模 と 役 割 に お い て ま さ に ウ ク ラ イ ナ そ の も の で あ り 、 そ の 主 ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 は ウ ク ラ イ ナ の 民 か ら 出 た 彼 ら の 《 王 》 で あ っ た 。な ぜ 、光 を 齎 す 明 け の 明 星 は 地 に 堕 ち ね ば な ら な か っ た の か 。 作 家 は 公 の 凋 落 を 個 人 的 悲 劇 と 民 族 的 国 家 的 悲 劇 と の コンプレックス複 合 と し て 見 、 彼 の 精 神 の 苦 悩 に 踏 み 込 む こ と に よ り そ の 後 の ウ ク ラ イ ナ の 運 命 を 悪 い 方 へ 決 定 づ け た 事 件 の 深 奥 を 覗 こ う と し て い る 。 よ っ て 我 々 は 、 暫 し こ の 覇 王 の コ ン プ レ ッ ク ス に 付 き 合 わ ね ば な ら な い 。
4 . 忘 れ ら れ ぬ 祖 先 た ち の 影
イ ェ レ ミ ー ヤ の コ ン プ レ ッ ク ス の 源 は 、
3
つ に 大 別 で き る 。 第 一 に 偉 大 な 祖 先 へ の 対 抗 意 識 と 劣 等 感 、 第 二 に ポ ー ラ ン ド 人 支 配 者 へ の 迎 合 と 内 心 に お け る 反 発 や 憎 悪 、 第 三 に 不 毛 な 女 性 関 係 で あ る 。3
つ に 通 底 す る の は 、 周 囲 か ら の 強 い プ レ ッ シ ャ ー と 絶 え 間 な い 緊 張 関 係 ( 対 等 な 人 間 関 係 構 築 の 不 可 能 性 )、 そ れ を 撥 ね つ け よ う と す る 強 い 自 負 心 で あ る 。第 一 の 点 は 、 偉 大 な 祖 先 で あ る コ サ ッ ク 将 軍 バ ー イ ダ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ に 対 し て イ ェ レ ミ ー ヤ の 抱 く 憧 れ 、 自 ら も 斯 く の 如 く な
3 8 Гр абя нка Г. Л ѣтоп и сь га д я ч ска го п олко вн и ка Гр и гор ія Гр а бя н к и . К і евъ , 1 85 3 . С . 52 を 見 よ 。
3 9 ポ ー ラ ン ド 王 国 の 大 宰 相 。
4 0 S z a j n o ch a K . Dwa lata dz iejó w nasz ych. (Dokończenie) // Dzieła Karola Szajnochy.
T. 1 0 . Wa r s z a wa , 1 8 7 8 . S . 8 .
4 1 ル ー シ の 民 か ら の 信 望 は 、 Я ков е нко Н . Кого т оп ч ут ь кон і з ви тя жн о го Кор и бут а : д о з а га д к и к и єво- м оги ля н сь кого п а н егір и ка 1 64 8 р ок у «M a i or es Wis z ni e wi e c ci or u m » / / Д з ер ка ла ... С . 3 15 –34 0 を 見 よ 。
ら ん と す る 野 心 に 始 ま り 、 道 を 外 れ て 人 生 に 失 敗 し た イ ェ レ ミ ー ヤ に 対 す る バ ー イ ダ の 嘲 笑 に 終 わ る 。
そ し て 、彼〔 少 年 イ ェ レ ミ ー ヤ 〕 の 思 い は 遠 く 飛 び 立 っ た 。小 鳥 と な っ て 飛 び 立 ち 、 ど こ か 際 限 の な い ス テ ッ プ広 原 を 翔 け 、 海 を 越 え 、 そ の 海 の 向 こ う を 、ず っ と 遠 く へ 、ど こ か 別 の 豊 か な 国 へ 、古 の 公 に し て コ サ ッ ク の バ ー イ ダ・ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ が 駆 け 巡 っ た か の 国 へ と 飛 び 立 っ た の だ っ た ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
若 き 公 に は 今 や こ う 思 わ れ た の だ 、自 分 が 親 許 を 離 れ た の は 、あ た か も 舫 い を 解 い て 無 限 に 広 が る 蒼 き 海 原 へ 漕 ぎ 出 し た 如 く で あ り 、そ う し て 幸 運 と 偉 大 な る 栄 光 、あ ら ゆ る 公 た ち 、将 軍 た ち 、そ し て 王 た ち の 栄 光 を 霞 ま せ 、全 世 界 の 目 を 眩 ま せ る よ う な 栄 光 を 見 つ け る の だ と ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 そ し て 、 彼 の 名 と 栄 光 に 纏 わ る 評 判 は 津 々 浦 々 ま で 伝 わ り 、 歌 に 謡 わ れ る の だ と 。そ ん な 評 判 が 、栄 光 の 騎 士 ヤ レ ー マ ・ バ ー イ ダ
= ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ の コ サ ッ ク の 栄 光 あ る 活 躍 の 歌 と な っ て 歌 わ れ た よ う に 。 [ 6 ]
成 人 し 、 故 郷 に 戻 っ た イ ェ レ ミ ー ヤ は ウ ク ラ イ ナ 東 部 に 新 し い 居 場 所 を 見 つ け た と 思 う 。
「 よ し 自 由 の ス テ ッ プ広 原 に 聳 え る こ の 山 の 上 に 住 ま い を 定 め よ う 。 ウ ォ レ ィ ー ニ の 本 領 は 自 分 に は 窮 屈 だ 。あ の サ ン グ ー シ ュ コ だ の 、ザ ス ラ ー ウ シ ケ ィ イ だ の 、オ ス ト ロ ー ジ ュ シ ケ ィ イ だ の 、ズ バ ー ラ ジ ュ シ ケ ィ イ だ の 、ほ か の 大 名 ど も に 囲 ま れ 暮 ら す の は 。こ こ に 大 名 は い な い 。王 権 だ っ て 及 ば な い 。こ こ こ そ 我 が 王 国 と 知 行 国 だ 。こ の 自 由 の 地 に 我 が 唯 一 の 自 由 が 生 ま れ る の だ 。こ の 広 原 で 分 領 公 の 如 く な っ て や る 。コ ス テ ャ ン テ ィ ー ン ・ オ ス ト ロ ー ジ ュ シ ケ ィ イ 公 の 如 き 。こ の ド ニ プ ロ ー 川 彼 岸 の 際 限 な き 領 地 の 王 と な る の だ 。 何 人な ん ぴ とも 我 が 道 を 遮 り は し な い 。こ こ に 宮 殿 を 築 こ う 。最 良 の 、王 宮 の 如 き 。大 軍 を 率 い て 広 原 の タ タ ー ル を 襲 い 、栄 光 を 勝 ち 取 り 、或 い は タ タ ー ル の 広 原 を 切 り 取 り 、ク リ ミ ア も 征 服 し よ う 。そ れ か ら ワ ル シ ャ ワ へ 行 き 、我 が 兵 を 引 き 連 れ 、我 が 旗 を ワ ル シ ャ ワ の 諸 々 の 通 り に 掲 げ 、大 名 ど も の 目 を こ の 己 の 力 で 、栄 光 で 眩 ま せ 、全 ポ ー ラ ン ド で 、全 ウ ク ラ イ ナ
で 第 一 の 人 物 と な ろ う 。そ の と き こ そ 古 の ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 の 一 族 は 再 び 輝 き を 取 り 戻 す の だ 。そ の 後 は ・ ・ ・ ・ ・ ・ 或 い は 王 冠 が 待 っ て い る か も 知 れ ぬ 。 ポ ー ラ ン ド で な ら あ り 得 る こ と よ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。」
[ 1 6 – 1 7 ]
こ こ で は 、 民 謡 の 主 人 公 バ ー イ ダ 4 2 が 表 す よ う な 現 世 忌 避 と 自 由 の 渇 望 が 示 さ れ て い る 。 イ ェ レ ミ ー ヤ は 、 ル ー シ の 公 の 秩 序 や ポ ー ラ ン ド の 王 権 、 す な わ ち 《 こ の 世 界 》 を 嫌 う 。 だ が 、 実 際 に は 彼 の 道 を モ ス ク ワ が 遮 り 、 ポ ー ラ ン ド 人 入 植 者 が 遮 り 、 民 を 煽 る 正 教 会 が 、 逃 散 す る 頑 迷 な 農 民 が 、 粗 野 な コ サ ッ ク の 叛 乱 者 が 遮 っ た の で あ る 。 物 語 は 、 イ ェ レ ミ ー ヤ の 挫 折 を 記 す 。 コ サ ッ ク 将 軍 に な る と い う 幼 き 夢 は 、 か く し て 現 実 に 打 ち 砕 か れ る 。 彼 の 憎 し み と 攻 撃 欲 動 は か つ て 己 が 夢 見 、 今 や 己 を 強 く 失 望 さ せ た も の 、 ウ ク ラ イ ナ = ル ー シ へ と 向 か う 。 だ が 彼 は 、 不 撓 不 屈 の ル ー シ の 公 で あ る 。い く ら 自 意 識アイデンティティーを ウ ク ラ イ ナ か ら 引 き 剥 が し 、 リ ト ア ニ ア 大 公 の 血 族 に 結 び つ け よ う と し て も 、 倦 む こ と を 知 ら ず 何 度 で も 立 ち 上 が る そ の 姿 が 、 何 度 討 た れ て も 立 ち 上 が る コ サ ッ ク の 姿 の 相 似 形 と な る 。
「 え え い ! 〔 正 教 会 の 〕坊 主 ど も に は 骨 の 折 れ る こ と よ ! こ こ ル ブ ネ ィ ー の 地 に 根 を 張 っ て 末 代 ま で の 居 と し 、無 人 の 広 原 を 人 で 満 た し 、産 業 を 興 し て 財 を 成 さ ね ば な ら ぬ と い う に ! こ れ ぞ 我 が 力 な の だ ! こ の 広 原 か ら は 金 銀 が 川 と な っ て 我 が 長 持 に 流 れ 込 も う 。そ の と き こ そ 分 領 公 と し て 兵 を 率 い 、
2
万 、3
万 か ら な る 兵 を 率 い て あ ら ゆ る 大 名 の な か で 最 も 強 く 、至 高 な る 位 に 就 き 、貴 人 、大 名 、王 に 号 令 し よ う と い う も の を 。〔 … 〕 我 が 祖 父 バ ー イ ダ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ の な っ た が 如 き コ サ ッ ク の 将 軍 に な ど な り た く も な い 。 コ サ ッ ク の 会 議 じ ゃ フ レ ィ ツ ィ コ ー だ か パ ウ リ ュ ー ク だ か が こ う 叫 び や が る の だ 。『 戦 棍ブ ラ ワ ー 4 3を 奉 還 せ よ ! 』 尻 尾 振 りク ル テ ィ フ ヴ ィ ー ス トだ か 、 ド ヤ 顔ザデレ ィモールダ だ か 知 ら ん が お 前 を 将 軍 の 座 か ら 引 き 摺 り 下 ろ し 、戦 棍 を 手 か ら 奪 い
4 2 ウ ク ラ イ ナ 民 謡『 バ ー イ ダ の 歌 』に つ い て は 、原 真 咲「 コ サ ッ ク の バ ー イ ダ 、 ま た は ド メ ィ ト ロ ー ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 の マ ニ エ リ ス ト 的 転 回 」
『 文 化 の 汽 水 域 ~ 東 ス ラ ヴ 世 界 の 文 化 的 諸 相 を め ぐ っ て ~ 報 告 集 』東 京 外 国 語 大 学 、2 0 1 7 年 、2 7 – 5 3 頁 で 述 べ る 。
4 3 ポ ー ラ ン ド 、 リ ト ア ニ ア 、 ウ ク ラ イ ナ に お い て 、 全 軍 を 統 べ る 将 軍 ( 元 帥 ) の 権 標 。
取 る の だ 。〔 … 〕 コ サ ッ ク ど も も 、 奴 ら の 将 軍 ど も も 、 ウ ク ラ イ ナ は 撃 滅 し て 死 ぬ ま で ぶ っ 叩 い て や ら ね ば な ら ぬ … … 。だ が 、そ の た め に は 領 地 の 力 が 必 要 だ ! 財 の 力 が ! 兵 の 力 が ! ル ブ ネ ィ ー の 地 か ら 全 員 、ポ ー ラ ン ド の 大 名 小 名 す ら も 追 い 出 し て 、奴 ら の 土 地 を 力 尽 く で も 奪 い 取 り 、兵 を 揃 え て ド ニ プ ロ ー 川 に し っ か と 陣 を 構 え 、そ の 後 は さ ら に ワ ル シ ャ ワ に 陣 を 構 え て 我 が 軍 旗 を 、ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 の 、オ ー リ ヘ ル ド〔 リ ト ア ニ ア 大 公 ア ル ギ ル ダ ス 〕が 一 門 の 旗 を 掲 げ る の だ ! 〔 … 〕」 [ 2 7 ]
だ が 、 郎 党 に 裏 切 ら れ た 彼 は ル ブ ネ ィ ー 落 ち を 余 儀 な く さ れ る 。 そ の 別 れ の 場 面 で あ る 。
御 者 た ち は は や 、馬 を 引 き 出 し 、 撥 条 付 四 輪 箱 馬 車カ レ ー タ に つ け よ う と し て い た 。イ ェ レ ミ ー ヤ は 昼 食 を 慌 て て 掻 き 込 む と 、留 守 居 の 家 人 ら を 呼 び つ け 鍵 を 預 け た 。イ ェ レ ミ ー ヤ は 、部 屋 を 見 回 し た 。上 階 へ 行 き 、最 後 に ホ ー ル を 通 り 抜 け 、机 を 見 、必 要 な 物 や 高 価 な 物 が 卓 上 や 引 き 出 し に 忘 れ ら れ て い な い か 見 、 そ し て 最 後 に ホ ー ル を 見 渡 し た 。 壁 に 掛 か る 金 の 額 縁 か ら は 、古 の 祖 先 た ち 、歴 代 の ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 が 彼 を 見 下 ろ し て い た 。楽 し げ な 黒 い 眼 で 見 下 ろ す の は 、 剃 り 上 げ た 頭 に 豊 か な 髪 の 一 房 を 乗 せ 、 右 手 に え び ら箙 を 携 え た コ サ ッ ク 将 軍 バ ー イ ダ・ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ で あ っ た が 、何 や ら イ ェ レ ミ ー ヤ を 、そ の 夜 逃 げ じ み た 大 慌 て の 出 立 を 笑 っ て い る か の よ う で あ り 、父 君 メ ィ ハ ー イ ロ は 厳 し い 眼 差 し を 送 っ て い て 、祖 父 も 、叔 父 ユ ー リ イ も 、皆 イ ェ レ ミ ー ヤ を 怒 り の 眼 差 し で 見 送 っ て い る よ う で あ っ た が 、な ん と な れ ば 、こ の 憎 む べ き 子 孫 は 浅 は か に も 誉 れ 高 き 己 が 一 族 と そ の 功 績 か ら 永 久 に 退 行 し 、 祖 先 た ち を 神 の み こ こ ろ意 志 に 向 か っ て 、 ま い て は 恥 辱 の 上 に 投 げ 捨 て た か ら で あ っ た 。
[ 1 5 2 ]
バ ー イ ダ・ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ と は 、歴 史 上 の ド メ ィ ト ロ ー ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 (
Дмит ро Івано вич Вишневецький, 1517
頃
– 1 5 6 3
ま た は6 4
) を 指 し 、 4 4 図 像 は1 6 0 3
年 に 描 か れ た コ サ ッ ク 風 の4 4 ド メ ィ ト ロ ー ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 に つ い て は 、原「 コ サ ッ ク の バ ー イ ダ 」 を 見 よ 。
肖 像 画 4 5 が 念 頭 に あ る と 思 わ れ る が 、 本 当 は こ れ は イ ェ レ ミ ー ヤ 公 の 祖 父 で は な く 、 従 大 伯 叔 父 、 つ ま り 祖 父 の 従 兄 弟 に 当 た る 。 歴 史 上 の 祖 父 メ ィ ハ ー イ ロ 公 も コ サ ッ ク の 将 軍 と し て 知 ら れ 、 現 代 の 百 科 事 典 に は
「 ウ ク ライ ナ・コ サッ ク と 共 和 国 のな か で 最 も 有能 な 将 帥 の
1
人 と 目さ れ た 」4 6と 記さ れ る 。生 涯 を 通 じ て ク リ ミ ア や モ ス ク ワ と 戦 い 、 4 7 死 後 そ の 栄 誉 が 追 悼 歌 『 エ ピ ケ ー デ ィ ー オ ン 』(« E p i c e d io n » , 1 5 8 5) に 謡 わ れ た 。
4 8 彼 は ウ ク ラ イ ナ の 特 に 登 録 コ サ ッ ク の 発 展 に 寄 与 し 、 4 9 ド ン ・ コ サ ッ ク 軍 も 組 織 し た 。 5 0 物 語 で は 経 歴 の 似 た2
人 の 祖 先 が 習 合 さ れ て い る と 見 て よ か ろ う 。5 . 嗤 う バ ー イ ダ
父 祖 た ち の 怒 り の 眼 差 は 当 然 と し て 、 バ ー イ ダ の 嘲 笑 は 何 を 意 味 す る の か 。 象 徴 的 に 若 死 に し た バ ー イ ダ は 、 自 由 を 愛 す る 永 遠 の 《 放 蕩 者 の コ サ ッ ク 》 と し て あ り 続 け る 。 肖 像 画 の バ ー イ ダ が 浮 か べ る 笑 み は 、 こ の 憂 さ 知 ら ず の 気 儘 な 自 由 人 の 笑 み で あ る 。 イ ェ レ ミ ー ヤ の 夢 は 最 初 、 そ ん な 自 由 人 に な る と こ ろ か ら 始 ま っ た 。 少 年 時 代 の 彼 が 夢 見 た の は 、
「 ど こ か 別 の 豊 か な 国 」で コ サ ッ ク の 将 軍 、す な わ ち 自 由 の 王 に な る こ と で あ り 、 そ の 豊 饒 の 国 を 馬 で 自 由 に 駆 け 回 る こ と で あ っ た 。 そ の 国 は 場 所 も 曖 昧 で た だ 海 の 向 こ う の 土 地 で あ る と し か 説 明 さ れ な い が 、 豊 饒 性
4 5 肖 像 画 に つ い て は Ви нар . К н я з ь ... С . 11 を 見 よ 。 図 版 は 原 「 コ サ ッ ク の バ ー イ ダ 」 に 掲 載 し て い る 。
4 6 Су ш и нс ький Б . І . В с е св іт н я коз а ц ь ка е н ц и к лоп ед ія . Од е с а : В и д а вн и ч и й д і м Я ВФ », 2 00 7 . С . 59 .
4 7 経 歴 は 右 参 照 。Вир с ький . В ишн евечч ин а ...; Грис ьків В. В. Кня з і Ви шн евецьк і – виз н ачн і пр ед ст а вн ик и на ц іон а льн ої е літи // Наукові запи ск и В інн ицького д ержавн ого п еда гогічн ого ун івер сит ету і мен і М и ха й ла Коц ю б и н сь кого. В и п . Х І V.
С ер ія : І ст ор ія : З б ір н и к н аукови х п р а ц ь / З а з а г. р ед . п р оф . П. С . Гр и горч ука . В ін н и ц я , 20 08 . С . 1 2 ; Миц и к Ю. А . В и ш н е вец ь к і / / Ен ц и к лоп ед ія і ст ор ії Ук р а їн и : Т. 1 : А– В / Р ед кол. : В . А . С м олій ( голо ва ) т а ін . Н АН Ук р а їн и . Ін ст и т ут і стор і ї Укр а їн и . К и їв : Науко ва д умка , 2 0 03 . С . 5 19 .
4 8 原 文 は 、 前 掲 の С то роже нко . Ст е фа н ъ. .. С . 1 59 –25 5 に 収 録 さ れ て い る 。
4 9 Ст ор оже нко . Ст е фа н ъ... С . 71 , 1 24 を 見 よ 。
5 0 ド ン 地 方 で の 活 動 に 関 し て は 右 を 見 よ 。Та ти щ е въ В. Н . Л екси ко н ъ р о с сій ской и ст ор и ч е ской , гео гр а фи ч е ской , п оли т и ч е ской и гр а жд а н ской . С а н кт - Пет ер бур гъ , 17 93 . Ч. 2 . Г – Ж. С . 16 9; Б р ех у не нко В. Сто сун к и ук р а їн сь кого коз а ц т ва з Д он ом у XV I – с ер ед и н і XV I I ст. К и їв- З ап ор іжжя : РА
«Та н д е м- У», 1 9 98 . С . 3 6 , 7 4; Гр и ські в . К н яз і... С . 1 2 .
に よ っ て の み 特 徴 づ け ら れ る 彼 岸 の 国 と は 、 理 想 郷ア ル カ デ ィ ア
で あ り 、 祖 先 の 国 す な わ ち 冥 府 を 想 起 さ せ る 。5 1 主 人 公 の 旅 と は 、母 へ 向 か う 旅 で あ る 。
5 2 だ が 、 イ ェ レ ミ ー ヤ は 終 始 、 父 系 に よ っ て の み 継 承 さ れ る 公 と い う 身 分 に 囚 わ れ る 。 彼 が 各 地 に 築 い た の も 理 想 郷 で は な く 、 幾 何 学 的
理 想 都 市ユ ー ト ピ ア た る ル ネ サ ン ス 式 城 郭 で あ っ た 。
バ ー イ ダ の 住 ま う 夢 の 国 へ の 遁 走 を 失 敗 し た イ ェ レ ミ ー ヤ が 飛 び 込 ん で し ま っ た の は 、 イ エ ズ ス 会 の バ ロ ッ ク 的 誇 張 法 の 世 界 で あ る 。 彼 の 行 動 原 理 は マ ニ エ リ ス ト た る バ ー イ ダ の 無 際 限 の 遊 戯 か ら 「 バ ロ ッ ク の 壮 大 な 動 き の 独 特 の 威 厳 の 身 振 り 、 そ の 光 輝 燦 然 た る 外 向 性 、 そ の 説 得 す、 、 、 る、
雄 弁 性 と 代 表 者 た ら ん と す る 意 志 」5 3
に よ っ て 形 作 ら れ る 硬 直 の 世 界
原 理 へ 乖 離 し た 。イ ェ レ ミ ー ヤ は 言 う 。「 だ が 我 ら は 奴 ら に 対 し 証 を 立 て よ う で は な い か 、 見 せ つ け 証 そ う で は な い か 、 我 ら が 奴 ら の 手 本 で あ っ て 、奴 ら が 我 々 が た め の 手 本 で は な い と い う こ と を 」[ 1 5 5 ]
。彼 を 取 り 巻 く ポ ー ラ ン ド の 貴 人 ら は 、 酒 宴 を 張 っ て は 大 言 壮 語 し 、 喚 い て 暴 れ る 。 彼 ら が 思 わ せ る の は 、 大 仰 な 身 振 り で 硬 直 し た バ ロ ッ ク の 彫 像 で あ る 。 そ の 世 界 で 目 指 さ れ る の は 、「 な に よ り も ま ず 改 宗 さ せ る こ と で あ る、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、」。5 4 カ ト リ ッ ク へ の 改 宗 、 ポ ー ラ ン ド 化 は 、 し た が っ て バ ロ ッ ク 人 に な る こ と を 意 味 す る 。 旧 秩 序 か ら の 脱 却 を 試 み る マ ニ エ リ ス ム の 反 ‐ 古 典 主 義 的 世 界 に 対 し 、 新 秩 序 と い う ネ オ ‐ 古 典 主 義 的 世 界 の 構 築 を 目 指 す バ ロ ッ ク は 、 マ ニ エ リ ス ム の 亜 種 的 手 法 を 用 い つ つ も 、 人 々 を 誘 う の は 制 外 者 の 自 由 へ で は な く 、 新 た な 堅 気 の 道、 、 、 、
へ で あ る 。 バ ー イ ダ の 如 く 現 世 秩 序 を 拒 絶 し た イ ェ レ ミ ー ヤ が 行 っ た の は し か し 、 己 が 「 王 国 と 知 行 国 」 を 作 る こ と 、 す な わ ち 、 新 た な 秩 序 体 系 の 構 築 で あ っ た 。 矮 小 化 し て 言 え ば 、 彼 の 生 涯 と は 汗 水 垂 ら し て 荒 野 を 拓 き 、 家 を 建 て 人 を 集 め て 住 ま わ せ 、 法 を 定 め 税 を 取 り 決 め 、 経 営 に 勤 し ん だ 模 範 的 な 勤 め 人 、 律 儀 で
5 1 ウ ラ ジ ー ミ ル ・ プ ロ ッ プ( 齋 藤 公 子 訳 )『 魔 法 昔 話 の 起 源 』せ り か 書 房 、1 9 8 3 年 、9 6 – 9 8 頁 を 見 よ 。
5 2 プ ロ ッ プ に よ れ ば 、「 こ の 旅 は 、 花 婿 が 妻 の 氏 族 に は い る こ と 、 母 方 居 住 婚 を 反 映 し て い る 」( 齋 藤 公 子 訳『 魔 法 昔 話 の 研 究 口 承 文 芸 学 と は 何 か 』講 談 社 、
2 0 0 9 年 、2 2 0 頁 )。 ま た 、「 妻 の 王 国 に や っ て 来 た 男 に は 氏 族 が な 」 く 、「 新 し
い 名 前 」 を も ら う の で あ る が 、 こ れ も ド メ ィ ト ロ ー 公 が そ の 名 と 氏 素 性 を 失 い コ サ ッ ク の 通 り 名 「 バ ー イ ダ 」 で 呼 ば れ る こ と に 通 じ る 。
5 3 グ ス タ フ ・ ル ネ ・ ホ ッ ケ ( 種 村 季 弘 訳 )『 文 学 に お け る マ ニ エ リ ス ム 言 語 錬 金 術 な ら び に 秘 教 的 組 み 合 わ せ 術 』 平 凡 社 、2 0 1 2 年 ( 原 著 1 9 5 9 年 )、2 5 2 頁 。 傍 点 は 引 用 元 の 通 り 。
5 4 同 上 、2 5 2 – 2 5 3 頁 。 傍 点 は 引 用 元 の 通 り 。
実 に 凡 庸 な 小 市 民 的 経 営 者 の そ れ で は な か っ た か 。 コ サ ッ ク の 襲 撃 を 前 に 彼 の 抱 く 「 ま さ か 、 神 よ 、 我 が 事 業 は 、 我 が 黄 金 の 希 望 は 駄 目 に な っ て し ま う の か ? ま さ か 我 が ル ブ ネ ィ ー の 地 は 失 わ れ て し ま う の か ! 」
[ 1 3 9 ]
と い う 心 の 叫 び は 、 無 為 の 遊 び 人 バ ー イ ダ か ら は 出 よ う の な い 言葉 で あ る 。 そ こ に は 、 ト ル コ か ら モ ス ク ワ ま で 、 帝 国 を 股 に 掛 け 陸 に 海 に 無 秩 序 に 暴 れ ま わ る バ ー イ ダ の 豪 快 さ も 、「 死 を 前 に し た 泰 然 」 5 5
も
微 塵 も な い で は な い か 。 イ ェ レ ミ ー ヤ は 必 死 に な っ て 自 由 を 獲 得 し よ う と し た が 、 結 局 そ れ は イ エ ズ ス 会 士 の 敷 い た レ ー ル の 上 を 転 げ て バ ロ ッ ク 的 ア レ ゴ リ ー の ポ ー ズ を 取 っ て い た に 過 ぎ な か っ た 。 そ れ ゆ え 、 マ ニ エ リ ス ト の バ ー イ ダ は 笑 う の で あ る 。 そ れ は ま た 、 コ サ ッ ク 将 軍 を 夢 見 た 若 き 日 の イ ェ レ ミ ー ヤ 自 身 か ら の 、 ド ッ ペ ル ゲ ン ガ ー か ら の 嘲 笑 で あ る 。 物 語 の 終 盤 、 イ ェ レ ミ ー ヤ の 遣 る 方 な い 憤 懣 は 、 バ ー イ ダ 譲 り の 現 世 嫌 悪 と 絡 ま り 合 っ て 、 こ の バ ロ ッ ク 世 界 の 支 配 者 た る ポ ー ラ ン ド へ の 憎 悪 と し て 爆 発 し 、 や が て は 自 己 へ 内 向 す る 。な お そ の 一 方 で 注 意 し な け れ ば な ら な い の は 、 彼 が 対 峙 す る コ サ ッ ク た ち も バ ー イ ダ で は な い 、 と い う こ と で あ る 。 彼 ら も ま た バ ロ ッ ク の 囚 わ れ 人 で あ り 、激 し い 誇 張 法 に よ っ て イ ェ レ ミ ー ヤ に 張 り 合 う 、彼 の《 合 わ せ 鏡 》で あ る 。イ ェ レ ミ ー ヤ の 血 筋 は 繰 り 返 し 強 調 さ れ る 。「 イ ェ レ ミ ー ヤ 公 は 、 こ と わ ざ に 言 う 『 ル ー シ 人 の よ う に 頑 固 』 だ っ た が 、 と い う の も 実 際 ル ー シ 人 だ っ た の で あ る 」 [ 2 2 3 ]。彼 の 持 つ 魅 力 、豊 か さ 、身 体 的 力 と そ の 延 長 線 上 に あ る 軍 事 力 は す べ て ウ ク ラ イ ナ に 由 来 す る も の と 解 説 さ れ て お り 、 彼 の 持 つ 野 蛮 さ 、 暴 力 性 も ま た 、 ウ ク ラ イ ナ に 由 来 す る も の と 見 做 さ ね ば な ら な い 。
物 語 の ク ラ イ マ ッ ク ス と な る ペ ィ ー リ ャ ウ ツ ィ の 合 戦 の 場 面 で は 、 彼 が 如 何 に コ サ ッ ク 的 で あ る か の 描 写 が 一 挙 に 増 す 。 彼 は 先 祖 返 り し 、 コ サ ッ ク 将 軍 バ ー イ ダ ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ の 皮 肉 な パ ロ デ ィ ー と な る の で あ る 。
〔 … 〕 翌 日 、 早 い 正 餐 の 時 刻 に 〔 貴 人 た ち の 〕 輝 け る 一 隊 は ス タ レ ィ ー イ・コ ス テ ャ ン テ ィ ー ニ ウ か ら 程 近 い ペ ィ リ ャ ー ウ カ 川 の 岸 辺 に 置 か れ た イ ェ レ ミ ー ヤ の 陣 営 を 目 に し た 。陣 は 、ペ ィ リ ャ ー ウ カ 川 ま で
5 5 Гру ш е вс ький М. С. Б а й д а - В иш н ев ец ь к и й в по е з і ї т а іст ор ії / / З ап и с к и ук р а їн сь кого н ауково го т ова р и ст ва у К и є ві. К и ї в, 1 90 9 . Т. 3 . С . 112 .
続 く 広 い 谷 間 の 古 い 楢 林 の 傍 に 置 か れ て い た が 、そ れ は 貴 人 た ち が 思 わ ず 馬 を 止 め 、 ざ わ つ い た ほ ど 質 素 な 様 相 を 呈 し て い た 。
「 お や 、一 体 我 々 は ど こ へ 乗 り 入 れ て し ま っ た の か な ! 」ザ ス ラ ー ウ シ ケ ィ イ 公 が 箱 馬 車 か ら 大 声 を 上 げ た 。「 ど う も 我 々 は 間 違 っ て イ ェ レ ミ ー ヤ の 陣 に 着 か な か っ た の か な 。も し や 、コ サ ッ ク の 部 隊 へ 迷 い 込 ん で し ま っ た の で は あ る ま い な ? 」
[ 2 1 8 ]
イ ェ レ ミ ー ヤ は 、 百 姓 の ス ヴ ィ ー タ長 上 着 と 見 紛 う ば か り の 質 素 な 臙 脂 の 織 物 か ら 縫 わ れ た 長 上 着ジ ュ パ ー ン を 着 、 黄 色 の 古 び た 、 す で に 黒 ず ん で 汚 れ た サ プ ヤ ン ツ ィ ー革 長 靴
を 履 い て い た 。 豪 奢 な 大 名 連 の 前 で は 、 ま る で 平ひ ら の ザ ポ ロ ー ッ ジ ャ 衆 か ボ フ ダ ー ン〔 ・ フ メ リ ネ ィ ー ツ ィ ケ ィ イ 〕軍 の コ サ ッ ク の よ う に 見 え た 。 [ 2 1 9 ]
共 に 《 成 り 上 が り 者 》 で あ る イ ェ レ ミ ー ヤ と コ サ ッ ク た ち は 、 蠟 燭 の 焔 が ま っ す ぐ 上 を 目 指 す よ う に 、 同 じ 《 自 由 》 の 頂 点 を 目 指 す 。 両 者 の 争 い は 、 ふ た つ の 《 自 由 》 の 衝 突 で あ る 。 こ れ は 、 自 由 と 暴 力 の 闘 争 の 顕 現 で あ る 。 5 6 だ が 、 競 い 合 っ て 激 し く 燃 え 上 が る ふ た つ の 焔 は 互 い を 炙 り 、 や が て は 双 方 の 蠟 燭 と も 燃 や し 尽 く し て 焔 自 体 、 消 え て し ま う だ ろ う 。
6 . こ の 世 の 支 配 者 、 ポ ー ラ ン ド 人
イ ェ レ ミ ー ヤ の 強 迫 観 念 に 繰 り 返 し 現 れ る 《 力 》 と 《 至 高 者 と な る 》 と い う 発 想 は 、 彼 の 受 け た 虐 待 へ の 反 作 用 で あ る 。 そ れ は 、 第 一 に は ポ ー ラ ン ド 人 支 配 者 に よ る ル ー シ 人 、《 分 裂シ ス マ 派 》 に 対 す る 社 会 的 圧 迫 、 第 二 に は 幼 年 期 か ら の 母 親 に よ る 強 権 的 支 配 で あ る 。
第 一 の 虐 待 の 精 神 的 側 面 は 、 少 年 イ ェ レ ミ ー ヤ を 養 父 コ ス テ ャ ン テ ィ ー ン ・ ヴ ィ シ ュ ネ ヴ ェ ー ツ ィ ケ ィ イ 公 が リ ヴ ィ ー ウ の イ エ ズ ス 会 コ レ ギ ウ ム に 連 れ て き た 場 面 に 現 れ る 。
5 6 フ ロ イ ト は 「 権 利レ ヒ ト」 を こ う 説 明 す る 。「 と こ ろ で わ た し は 「 権 力マ ハ ト」 と い う 語 で は な く 、 も っ と む き だ し の 強 い 言 葉 、「 暴 力ゲ ヴ ァ ル ト」 と い う 言 葉 を 使 い た い と 思 い ま す 。 現 代 の わ た し た ち は 、 暴 力 と 権 利 は 対 立 す る 概 念 だ と 考 え て い ま す 。 し か し 実 際 に は こ の ふ た つ は た が い に そ れ ぞ れ が 結 び つ い て 発 達 し て き た の で す 」( 中 山 元 訳 『 人 は な ぜ 戦 争 を す る の か エ ロ ス と タ ナ ト ス 』 光 文 社 、2 0 0 8 年 、1 2 頁 )。