論 説
ド イ ッ 会 計 原 則 の 体 系
馳 正 規 の 簿 記 の 諸 原 則 ﹂ へ の 解 釈 学 的 ア プ ロ ー チ
奥 山 茂
,1
VIVIVW皿1
目次
問題の所在
価正規の簿記の諸原則﹂と﹁正規の簿記の諸原則﹂規定
伝統的探求方法からの着想新たな探求方法の要件ーー
解釈学的方法の第︒次援川チ備的判断としての︑.つの目的観の発想
解釈学的方法の第..次援川商法規定からの﹁正規の簿記の諸原則﹂の抽斑
解釈学的方法による﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系化とその特徴
結びに代えて
1.問題の所在
39
我が国の企業会計制度およびこれを規制する会計基準・規則は︑八,まさに大きな転換期を迎えているといえる︒こ
のような時期において︑新しい会計基準そのものへの関心度が高いことは当然の成り行きであるといえよう︒そし
[商 糸釜=ntiHH叢 第35巻 第4と}4 40
て︑旧来の会計制度・基準・規則から新たな会計制度・基準・規則への転換という︑現八,の重要な節目の時期におい
ては︑我々会計学徒のなすべき課題は山積している︒その課題の︑つとして︑抽象的なレベルにおいては﹁法と会計
との関係﹂という問題を挙げてもあながち的外れではあるまい︒そして︑この問題は具体的には︑法規定.規制と会
計実務・慣行との関係として理解され得るものであるといえる︒
がヨへ右の問題に関連して︑以前︑幸運にも日本会計研究学会のスタディ・グループに参加する⁝機会を得て︑﹁制度会計
論の課題と方法﹂というテーマのドで制度会計論の研究課題と研究方法とについて検討.考察することができた︒そ
こでは︑制度会計論の研究課題が本来何であるべきなのか︑そしてその研究方法は如何にあるべきなのか︑という.▲
点が問題の中心であったことはいうまでもないが︑これに加えて当然のことながら証券取引法会計においては﹁︑般
に公正妥当と認められる企業会計の基準﹂が︑商法会計においては﹁公正なる会計慣行﹂が︑それぞれ何を意味して
いるのかということも承要な論点の.つとなっていた︒何故ならば︑スタディ・グループの本来の研究テーマが前述
の如きものであったとはいえ︑証券取引法会計および商法会計のそれぞれの研究方法についての︑つの考え方を示す
ためには︑これら︑.つの会計について個々に体系的な説明を試みる必要があった為に︑この問題を等閑視することが
できなかったからである︒そして︑このことが契機となってこの問題についての更なる研究の必要性を痛感するに
至ったのである︒
それ以来︑とりわけ商法会計における一公正なる会計慣行﹂を如何に考えるべきであるのかということが重要な関
心事となっていた︒我が国において︑これまでにこの﹁公正なる会計慣行﹂を﹁企業会計原則﹂それ自体と見なす見
鯉も見いだされるものの︑そしてそれが如何に声高に主張されているとしても︑両者の問に果たして本当にそのよう
な関係が成航しているのかという点について︑論証の不充分なること︑したがってその結論の妥当性︑つまり両者を
ドイツ 会計 原 則 の 体 系
41
ヨい同一視することの妥当性は未だ証明されていないといわざるを得ない︒そして︑ここにドイツ商法における﹁正規の
簿記の諸原則(02巳ω欝①霞曾§帥q︒・ヨ塁αq嘆ζu⊆筈凄げ2轟一〇︒ゆごと略称されることもあるこ規定と経営経済学によるその体
系化を想起するならば︑我が国の商法﹂の﹁公正なる会計慣行﹂それ自体についての体系化が会計学とりわけ制度会
バヰ 計論の課題となり得ることに思い至ることができる︒それ故ここに︑我が国商法Lの﹁公正なる会計慣行﹂の体系化
という︑つの重.要な問題の存在が明らかとなる︒
このような大きな問題に直面しても︑我々は幸いにその範をドイツ経営経済学に求めることができる︒何故なら
ば︑ドイツにおいては経営経済学によって商法ヒの﹁正規の簿記の諸原則﹂規定が意味していると思われる諸原則の
体系化が既に試みられてきているからである︒尤も︑ドイツ経営経済学においても︑この商法Lの﹁正規の簿記の諸
原則﹂の内容について未だ見解の︑致を見ているわけではない︒とはいえ︑とりわけ従来の研究の中で傑出している
ら ものとしてはレフゾンa5島冨勢︒巳の研究を挙げることができる︒彼は︑このテーマの重要性をいち早く察し︑
ハ ぬすでに一九六四年に︑その後第七版まで版を重ねることになる﹁正規の簿記の諸原則(Ooロロ)﹂という名の労作の初
版をh梓した︒その研究は彼のライフ・ワークともいうべきものであり︑また︑この研究分野での他の追随を許さな
い彼の研究成果は︑高弟にも多大な影響を与え︑ミュンスター学派の名のドに︑今なお脈々と受け継がれてきている
といえる︒とすれば︑ここに我々が手本とすべきは︑このミュンスタi学派の理論でなければならぬこととなる︒
従って︑ここでの我々の課題は︑我が国商法ヒの﹁公臣なる会計慣行﹂の体系化のための理論構築の手がかりをミュ
ンスター学派の理論に求め︑そこに見られる﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系化の方法を探ることでなければならな
い︒このことは︑結果としてドイツ商法会計を支配している筈の会計原則の体系を解明することに他ならない︒
この﹁正規の簿記の諸原則﹂という概念が︑4八九七年のドイツ商法に初めて明文規定として登場したことによつ
匠翻凸糸}…li命叢 第35巻 第447Tj 42
て︑その内容の明確化という課題︑すなわち如何なる個別原則がその体系には含まれているのか︑更にその個別原則
を如何にして探求すべきか︑そして﹁正規の簿記の諸原則﹂とは一体何を意味しているのか︑というような諸問題が
経営経済学のみならず法学︑更には裁判所にも提起されたこととなり︑これらの問題を解明するための努力は︑今日
に至るまで続けられてきている︒したがって︑﹁正規の簿記の諸原則﹂をめぐる問題は︑占くから存在するものの︑
この概念の誕生から約一〇〇年を経た八ノ日においても未だ充分には解明されていない今尚取り紅まれるべき問題であ
ヘア るといえる︒この﹁正規の簿記の諸原則﹂を明確化・体系化しようとするこれまでの試みの中で︑特に注目すべき
は︑前述の如くレフゾンの研究である︒その理由は︑彼の提小した﹁正規の簿記の諸原則﹂の主要なものは一九八五
年のドイツ商法の改正の際に条文親定として明文化されたことにある︒もともと︑この改正は︑EC(欧州共同体)
お
1現EU蕨州連合)の会社法指令のドイツでの国内法化により発布された会計指令法(審ωじd一一碧豊島二巨①亭O︒︒︒︒{N)
を新商法典の第︑.︑編に収めるだけではなく︑更にはそこに旧株式法から株式会社関係の会計規定をも移し替えるとい
う極めて大きな改正であった︒しかし︑この改正によって﹁正規の簿記の諸原則﹂の全体像を明確にすることが従来
り に比べて容易になったとさえいわれている︒そしてまた︑バルヴィーザー(乏︒痔ゆ轟じσ毘三2①﹁)によれば︑﹁従来は
株式法kの規定であったもののうちから多数の規定を新商法典に受け入れたことによって︑個別規定にほとんど自由
ヤに正規の簿記の諸原則のレッテルを貼ることの危険が回避されることにもなった︒﹂
右の如く︑﹁正規の簿記の諸原則﹂に含まれる個別原則と︑般に見なされていた諸原則の︑部分が商法規定として
明文化されたことについてのレフゾンの貢献は特筆してなお余りあるほどに大きなものであった︒とはいえ︑当のレ
フゾンは︑・九八五年の法改正を踏まえて改訂した自著の最終版となる第七版においてもなお﹁商法は正規の簿記の
ヘロ 諸原則という概念の定義を含んでいないし︑正規の簿記の諸原則の内容を確定してもいない﹂と指摘している如く︑
ドィッ会 計 原 則 の体 系
43
﹁正規の簿記の諸原則﹂をめぐる様々な問題が↓九八五年の法改正によってすべて決着したわけではなかった︒この
ことを証明するかのように︑その後も﹁正規の簿記の諸原則﹂についての新たな見解もちろんレフゾンの研究成
果を踏まえたものであることはいうまでもないがが生まれてきている︒そこで︑ここではレフゾン以降の﹁正規
の簿記の諸原則﹂についての最新の有力な見解に着目して︑これを手がかりとして先ず第一に﹁正規の簿記の諸原
則﹂の体系化の方法を検討し︑次にその方法を用いて︑﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系が如何なるものであるのかを
明らかにすることが課題となる︒
(E・この課題に最適の見解は︑ベトゲ︿智薦じd餌簿ひ韓Φvの所論である︑何故ならば︑彼は︑レフゾンの見解の方法論的難
点に着目し︑この難点を克服すべく︑新たな独自の視点から﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系化を試みているからであ
る︒とすれば︑我々のここでの課題は︑具体的にはベトゲの見解を手がかりとして︑﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系
化の方法が如何なるものでなければならぬのかを解明し︑更にその方法に基づいて酬正規の簿記の諸原則﹂の体系を
明確にすることでなければならぬ︒彼の視点のドで用いられるその方法とは︑体如何なるものであろうか︑そしてま
たその体系は果たしてどのようなものとして構築されるのであろうか︒
注(1)︑九八九年に発足した当時のメンバーは占田威(観査﹀︑秋月信︑.︑大島美留︑岡村勝義︑倉地幹ー︑森藤︑男の各教授
であったが︑.九九〇年の11本会計研究学会全国大会(そこで.年Bの中間報告)後にk査の占田教授が急逝したため倉地
教授を貌査として研究を続行し︑その後筆者が追加メンバーとして加わった.本来..年間である研究期間は︑年の延長を認
められたため︑九九︑︑.九九..年の各全国大会にてそれぞれ中間報生∵最終報告をおこなった.なお︑各報告の概要とし
て︑堀江臣幸︑スタディ・グループ報告﹁制度会計論の課題と方法﹂(企業会計︑第四.︑巻第︑.ロゲ︑.九九〇年︑︑.︑︑四
商 経 論 叢 第35巻 第4号" 44
.・・︑五頁所収)︑および奥山茂︑スタディ・グループ中間報告要旨﹁制度会計論の課題と方法﹂(企業会計︑第四︑.巻第
二.ロヴ︑︑九九︑年︑八六八ヒ頁所収)︑スタディ・グループ報告要旨闘制度会計論の課題と方法﹂(企業会計︑第四四巻
第=︑匡ウ︑.九九︑年︑八六i八七頁所収)がある.
(2)例えば︑黒澤教授は︑企業会計原則が公正な会計慣行を体系的に表現したものに他ならない(黒澤清︑企業会計原則総
論(産業経理︑第..︑四巻第.○号︑...頁所収﹀︑.頁).更に︑中村教授は︑■公正なる会計慣行とはだいたいにおいて
企業会計原則を指すと考えてよい﹂(中村忠︑公正なる会計慣行(黒澤清編︑会計学辞典︑東洋経済新報社.九八︑︑年︑.一︑
・.亙頁所収)︑1良)という︒また︑酒巻教授は︑㎜公卍な会計慣行の甑要なものが企業会計原則であることに異論はな
い﹂(酒巻俊雄︑公正なる会計慣行(森川哲彌︑岡本清︑中村忠編︑会計学大辞典第四版︑中央経済社︑九九八年︑..︑κ
三1︑︑︑κ四頁所収)︑..︑κ四.貝)という︑
(3)前記のスタディ・グループにおける研究成果の最終報告において︑■公正ナル会計慣行﹂と﹁企業会計原則﹂との関係に
ついての従来の益張が︑果たしてト分な証拠に基づくものであるのか否かを検討した結果として︑日公正ナル会計慣行﹄と﹃企業会計原則﹄とはその内容に関しても︑更にはその性格に関しても同.とはぼい難く︑﹃公甫ナル会計慣行﹄は商法の要
求に適う︑商法の凱場からする判断商法独自の判断‑を経た会計慣行を意味していると考えるべきであろう(日本会計研
究学会スタディ・グループ︑制度会計論の課題と方法最終報告⁝.九九.︑年九月︑︑11‑11本会計研究学会第κ︑回令国
大会︹札幌学院大学︺四ヒ︑貞)﹂との帰結を得た︑
(4)﹁企業会計原則﹂を商法ヒの﹁公正なる会計慣行﹂の詑要なものとみなすという見解(例えば︑森川八洲男︑企業会計
原則と商法(会計人コース九︑︑年︑月.ヒ﹂.κ頁所収)︑.︑四頁)は︑比較的多く見いだされるものの︑我が国商法に
酬公正なる会計慣行﹂規定が明文化された時期(昭和四九年)と﹁企業会計原則﹂の設定時期(昭和.︑四年)とを勘案すれ
ば︑後者が前者を意識して体系化されたわけではないことは自明である︒したがって︑﹁企業会計原則﹂という.つの原則体
系は︑元来は川公正なる会計慣行﹂の体系化を意図したものではなく︑その前文に明記されている如く﹁企業会計の実務の
中に慣習として発達したものの中から︑,般に公正妥当と認められたところを要約﹂することを意図していたに過ぎない︒
この前文に着目することによって︑そして専らそのことを根拠として一公臣なる会計慣行﹂と﹂企業会計原則﹂とを結びつ
けているとすれば︑それはあまりにも短絡的といわざるを得ない︒当然のことながら︑商法Lの﹁公正なる会計慣行﹂の指
示対象の明確化︑つまり明文化されていない会計原則(基準)の体系化の試みは︑おざなりにされてはならない︒
ドイ ツ会 計原 則 の 体 系 45
(5)例えば︑ケーネンベルク(﹀血o開O・Oo①口窪げ黛αq)は︑レフゾンのOo¢σ体系が最も広く認められているという80窪①甲
ぴ角ぴq・誇O・こ夢﹁Φω帥げ︒︒6三一﹂函=巳﹄魯﹁窃偉︒げのo芝ロね"コ巴誘Φ第︑六版︑ζコαωげΦ彊.九九七年︑一二五頁)︒
(6)滞験o戸C;O写O≡コα鐡欝Φo乙きコぴq︒︒ヨ農齢①﹁¢U=9露7⊇口伽q.∪器︒︒①冠o臥︑九六四年︒その後第..版(.九ヒ○年)︑第.︑.版(.九ヒ︑.年)︑第四版(.九し六年)︑第κ版(.九七九年)︑第六版(.九八.年)と版を重ね︑.九八.在年の会計指
令法にもとつく改訂版ハ最終版)となる第ヒ版が.九八ヒ年に出版されている︒
(ヱ占くは︑九..︑O年代に協会の研究叢潜として.直規の簿記の諸原則の具体化が試みられている︒その内容は︑以ドの如き
ものであった..
貯周瓢器戸O議ロ自怨欝①oaき瓢職ωヨ農侭①﹁じロぎロN器遷コαq露﹁﹀巳潜αqo鵬①晦Φ霧繊巳p第.︑版︑常号N蒔.九一.一.五年︑﹀ヨo乙
琴餌ロ︒︒POコ注自ω似欝Φo﹃αコ露コぴ自︒・ヨ農蒔嘆じロ蕾ロN一Φコ﹄α脅隷噌﹁Φコω剛o霧<o二邑凶o冥§ひ脅①PピΦ督N齢︑九....亙年︑国ユ6げQり需Φ署Oコ旨阜
ω鐵NΦO鴨鳥譜¢昌﹃噂Oり鶯似函剛σq①憎Oσ臨負2瓢N凶①コ﹂鵠αQ露﹁菊訟∩犀臼り酔Φ嵩偉コ働qOPピ⇔督N一αq.九︑論.六年︑M(ロ陰芝Φ犀帥口α噂O﹁綴鵠飢ω似酔NΦO憎匹口雀譜α穀Q陸ヨ餌凍戯①﹃
¢口臨偉Ωコ賦①毎ロケq塗﹁≦Φ6ゴ00ユゆQり6ゴΦ︹昇白わ償口二﹀器①冒叶Φ(Φ剛Oω6げ一邑く巴¢冠=)・竃一もN剛ゆ自︑九︑.︑しハ年︑7翻匠O冨ロωH)一Φ冒㊦戸○・コ﹄コユロ自似9ΦO﹁篇‑
妻頴鴫︒︒ヨ農齢〇二W凶㌶コ臥①コ白伽q鈴﹃︒ね{鵠写閑①ω①﹁︿Φ口﹂冨君N碍一九三ヒ年︑国9ρ拐‑閑巴くΦ自ゆ韓段戸O毎巳路臼ΦOa讃自昌ゆq︒ゆ臼鑑漏ケq①﹁じd圃‑
冨欝貯謹目帥q宮﹁︒・oゴ≦ΦげΦ昌ユΦΩ霧∩げ興ρ常号N貫︑九︑.︑八年︒そのねらいはシュマーレンバッハ(団瓢伽q窪野ぽヨ鮎①菩節6ゴ)によ
れば︑何が﹁.正規の簿記の諸原則﹂とみなされるべきかを確定することにあった︒ωo﹃ヨ鉱Φコげ碧貫凶け̀Oヨ巳組轡NΦoaコロ湿αq甲
霞農貫角函一磐N貯凄ロ伽q(N①駐07ユ陣盆懸﹃p︒巳鉱ω≦δ︒自①霧6ゴ蝕浮び①閃o﹁の07ロ=αq第︑.七巻第五口.与.九.︑....年︑...:圧一:︑︑三頁所
収)︑・:・︑三頁︒また︑.九ヒ0年代にも同じくシュマーレンバッハ協会の研究叢書として一正硯の簿記の諸原則﹂の具体化
が再度試みられている.その内容は︑以ドの如きものであった︒
国践甲鵠①ぎN==︒︒Φヨ磐PO凄コα︒︒似窟①o﹁曾§ゆq︒︒ヨ農齢臼口σ騨騨コ魁Φ凄昌ひqヨ憎ぎ︼ロ伽qの字q①伽q①昌︒自部コ血PO儲器①冠o翫一九七〇年︑強巳
ユ筈霞母§§ゆ〇三巴︒・欝Φ︒畦曾§伽q︒・鼠葺費じo廟藪N帥Φ毎渥幹くqげぎ象︒莫Φ障①pu誘︒・匿g.九七〇年︑芝︒罵曽ゴ箒5
0コ白αq吻似訂①o﹃曾§α㊤︒︒ヨ農薦銭じ⇔凶訂鵠N一①毎箒α自凄憎閃oaΦコ茜ゆ弓φPU自白自q︒①置o翫.九ヒ.年︑工帥詳ヨ風閏﹁冨象o戸Oコ白ユ怨欝①o戦阜
嶺§αqωヨ農齢①﹃国貯コ臨①遷コひ自ヨ﹁ω6げ芝Φぴo乙ΦO窃6ゴ疑PO薗︒︒︒︒Φ乙o瓜.九七五年︑O口三φ﹁団鰯霞.O遷巳路訂①o﹃αコ⊆コ瞬ωヨ農齢Φ触
じロ臨四鵠N剛Φコ﹂瓢αq凄﹁幻口∩評ω紳Φ鵠自コα自①戸閣)忌qゆqゆΦ乙O筑.九七六か牛︑哨﹁冨ユ7ユヨ閃厳認諏αq.Oゴ﹂譜鳥0自邸訂①O︻血謬¢篇頓ωヨ財譲創qΦ﹁じ目臨助自N一Φコ﹂冨ひ韓欝﹁
<Oコ蛙榊ρ剛)帥の00Φ置O風.九﹂しhハ・年︑団げ①﹁ゴ国憎甑≦ΦげΦぴOヨロα自D騨N①O門匹コ¢コα身ωヨ似ゆ凶αqΦ﹁じd臨騨コ民2dコ儲⇔凄﹁ロロΦけ①闘離㎝q¢ロαq①戸︼)⇔ωq白①}‑
αo臥.九八〇年︒そのねらいはハックス(諮ユ頴輿)によれば︑会計実務担当者︑会計トおよび会計学音の間で従来おこ
商 経 論 叢 第35巻 第4号 46
なわれてきている︑正規の決算書作成諸原則についての議論を体系的に促進させることを通じて︑如何なる記帳.決算手続
が如何にして正規の決算書作成諸原則となるのかということのより.般的な同意を得ることにあった︒(=斐纏閑.一<oヨo二(=自︒︒①ヨ覇ゆ昌員客=̀O凄ロユ路臼ΦO﹁ユロ信ロαqωヨ農戯臼じロ蕾自圃Φ歪コ㊥qヨ﹁﹀巳騨伊9①α喬Φゆq①ロ︒︒臼ロ畠ρ∪ロωωΦ置O既︑九七〇年︑五ー﹂ハ頁所
収)︑Lパ吋只)︒
(8)貸借対照表指令(法)︑財務諸表指令法などとも呼ばれている︒因みに︑前者の表現が︑戸田教授の訳井(戸田秀雄訳︑
ヨーロッパ共同体貸借対照表指令中部日本教育文化会︑九八四年)の書名において︑また後者の表現が︑例えば黒田教
授の編書(黒田全紀編著︑解説西ドイツ新会計制度規制と実務︑同文舘︑九八し年︑二..︑頁)に見い出され得る︒
(9)野藷ρ﹄.る毎巳︒・冒①︒喜二軽鼠謬qしu¢︒藝﹃言α・(釜甚凶﹄ヨ壽げΦさρ勺・(=﹁・・伽・・)・国琶耳□Φ夷Φ含ニコ・qω,
竃陰コ帥q"訳oヨヨΦ昌臼﹁N貫導σ圃冨ロN冨≡コ頓巨恥℃&詮雷ゆq噌Qっε算ぬ鋤二.九八六年︑.ヒヒー一.〇四頁︑所収).七八頁︑およびロu冒pNΦコ
第四版︑OロωωΦ一ユo蹴︑九九六年︑八.二頁︒
(10)口d簿嵩毛冨oね05♂<二〇⊇昌αω似肝N①oaロ=ロぴqonヨ算厨貫qじσ二〇ゴ密げゴ﹄コ㈹蝿コαコΦ¢㊦ω"①6夏£σ霧戸国・二ロユ閃o﹁ω宕び零=・(=笏αq・)・¢⇔Φ凶,
㌶似αq①N=臼ロσ団冨コ畔汀げ二一三①亭O①のΦ罠09ωコ2①菊Φ6冥ぎ目げ①oユΦ二昌ユ軍霞ゲ芝δ︒︒げ巴①コ.九八七年︹これは︑NΦ淳ω︹ゴ搬弾ヨ憎
じロ露ユΦげω惹冨ωoゴ葺噸国お似口Nロコαqωげ①搾八ヒ鴇.でもある︑︺.︑.一︑四頁所収)四.貝︒
(11)汀験o戸¢二〇毎a絵蔚Φ自爵§⑳qωヨ農戯⑦﹁一W二6ゴ旨げヨロ閃第し版(前掲)︑九頁︒
(12)■正規の簿記の諸原則﹂についてのベトゲ理論の検討は︑ここではkに以下の文献を手掛かりとしてなされている︑
O毎巳路窟①o乙口§ゆqωヨ似譲頓Φ﹁切ロoげヨげ旨ロケq(=雪創げ二〇げ匹①﹁菊①6ぎ毒αq匹①げqニコσ自(前掲初版)および同書第一︑論版Qっ巳偉σq9陰.九九
〇年︑﹂九一・.ー・:∴二頁所収︑および同書第四版(=mpω山霞αq①コ匹﹁︒︒∩ゴとの共同稿)︑第.巻a︑ω巳癖ゆq︒︒訴︑九九症年︑..︑.︑五
ー一七三頁所収)︑O≡註路宙Φoaコ§鋤q︒︒ヨ叫2ゆ自2切=筈盈げ毎躍(O臼じロ①践①ρじ¢亀超①2﹁b①\︒︒①N¢=①沖Z﹁・含くo∋刈Zo<①ヨσ臼
一九八六年︑.一五頁所収)︑じ口Φユ①¢εコαq二乙国§巨§窟q島o﹁○ヨ昌ユ︒・似臼①oaコ琶㈹ωヨ似凍蒔嘆じdロoげ密ゴ毎轟つく差o鮮一層凶・ぐ・
̀コ匹Q∩6ゴ巳N①‑Oω冨﹁δ貫一.闇国碧師σ⊆6ゴ色窃﹄餌ゴ﹁①ω曽げ︒︒6げ冨ωωΦωヨ図冒N①乙巽ω9碁昌ゆ自Φ口第.︑版第.部閑α貯︑九九︑.年︑.一﹁
五四頁所収︑切①ヨO書①犀との共同稿)︑じ⇔ぎ自ΦPu口器㊦匹o瓜一九九一年︑切蕾目Φコ第.一︑版︑O富ω①50眺一九九四年︑
し口ぎ嵩①ロ第四版(前掲)︒この他にも︑これらの文献の概要を紹介しているものもあるのでこれらがすべてというわけではな
いが︑少なくとも州正規の簿記の諸原則﹂についてのベトゲの思考を辿り︑考察するにはこれらを以てすれば充分と考えら
れる︒なお︑管見によれば︑わが国においては︑ベトゲ理論は以ドの文献において紹介・検討されている︒鈴木義夫︑現代
ドイ ッ会 計 原則 の体 系
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ドイツ会計学︑森山書店一九九四年︑高木靖史︑ドイツ会計基準論︑中央経済社︑九九κ年︑倉田幸路︑会計フレー
ムワークとドイッ会計基準(安藤英義︑会計フレームワークと会計基準︑中央経済社︑九九六年︑..○瓦ー....○頁所
収)︑佐藤誠︑.︑ドイツ会計基準の探求︑森山酵店.九九八年︒もちろん︑ここではこれら先人の成果を踏まえたLで︑前
述の問題意識を持ってベトゲ理論に沈潜し︑これを分析・検討することが課題となっていることは贅言を要しない︒
∬.
﹁ 正 規 の 簿 記 の 諸 原 則 ﹂ と ﹁ 正 規 の 簿 記 の 諸 原 則 ﹂ 規 定
﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系を明確化するために︑そしてここでの論究紺象および論点を明確にするためには︑
まず﹁正規の簿記の諸原則﹂という概念およびその法源について考察しておくことが必要であろう︒周知の如く︑ド
ヘセノイツ制度会計論では不確定の法概念(§σΦ︒︒酔ぎ蒙2勾①︹冥ωげ︒ゆq﹃聲§σΦも・威ヨヨ叶震響筈塗︒号﹁OΦ︒︒Φ訂窃冨伽qユきなる語がしば
ハワこしば登場するのであるが︑﹁正規の簿記の諸原則﹂という概念もまたこの不確定の法概念の︑つとみなされている︒
ドイツ商法第一︑.一︑八条第↓項によれば︑﹁すべての商人は︑正規の簿記の諸原則に従って帳簿をつけ︑そこに自己の
商取引および財産状態を明瞭に記録する義務を負う﹂ことが要求されている︒この規定をはじめ︑同商法第二四三条
第一項(すべての商人に対する年次決算詐作成義務)及び第︑.四六条第︑一項第.文(資本会社に対する年次決算爵作成義
務)︑更にはドイッ所得税法第亙条第.項︑ドイッ法人税法第七条第四項︑ドイッ有限会社法第四一条︑ドイツ国税
通則法第一四.条第一項の規定等において︑この﹁正規の簿記の諸原則﹂という文言が見出され得る︒ここでは︑こ
の文言を含むこれらの法規定を﹁正規の簿記の諸原則﹂規定と呼ぶことにする︒
ベトゲによれば︑これらの規定における﹁正規の簿記の諸原則﹂の遵守の要請によって︑すべての商人が等しく
﹁正規の簿記の諸原則﹂を守らねばならないということ︑そして個人会社︑有限会社︑株式会社などの企業の法形態
の違いに由来する特殊な﹁正規の簿記の諸原則﹂など存在しないという︑一つのことが前提となり︑従来と同様に.九
商 経 論 叢 第35巻 第4号 48
八五年の新商法においてもすべての法形態の企業に対する統.的﹁正規の簿記の諸原則﹂体系が基礎に置かれている
ので葛・ベトゲにあっては・法の枠内においては︑商法はいうに及ばず他の諸法を含めても︑﹁正規の簿記の諸原
ヘユ
則﹂と呼ばれるものは唯一つしか存在しないと考えられているのである︒この﹁正規の簿記の諸原則﹂は︑厳密には
商法hの﹁正規の簿記の諸原則﹂と呼ばれるものである︒したがって︑法の枠内にはこの商法Lの㎜正規の簿記の諸
原則﹂のみが存在すると考えられ得る︒
右のことは︑例えば︑ドイツ所得税法第五条第.項によれば︑自営業者は商法ヒの﹁正規の簿記の諸原則﹂に従っ
て自らの経営資産を税法の貸借対照表において明らかにしなければならないことが規定されていることからも明らか
な如く︑個々の会計関連法規がそれぞれに固有・独自の﹁臣規の簿記の諸原則﹂を想定しているのではなく︑唯.商
法ヒの﹁正規の簿記の諸原則﹂のみを念頭においていることを意味している︒税務裁判所および財務行政機関が可能
らニ な限り商法ヒの州正規の簿記の諸原則﹂を拠り所としているといわれる所以である︒したがって︑ここでの論究の対
象は︑この商法ヒの﹁正規の簿記の諸原則﹂概念に他ならないこととなる(以ドにおいては︑ここに検討すべきこの商法
ヒの︹正規の簿記の諸原則﹂を簡略に﹁正規の簿記の諸原則﹂と呼ぶこととし︑これ以外の﹁正規の簿記の諸原則﹂について言及
する必要がある場合にはその都度適切な形容詞をこれに冠することによって︑商法ヒのものと区別することにする)︒
右の如く︑﹁正規の簿記の諸原則﹂が本来商法上の概念であることが明らかになったとすれば︑次なる問題は商法
規定における﹁正規の簿記の諸原則﹂規定の意味である︒その際に着意すべきは︑﹁正規の簿記の諸原則﹂という概
念の持つもう.つの側面である︒すなわち︑既述の如く﹁正規の簿記の諸原則﹂は.方では不確定の法概念として理
解されているのであるが︑他方この概念は.般規定との関わりにおいても理解されねばならないということである︒
モクスター(≧島ζ︒×榊①﹁)はこの点について︑﹁法は帳簿記入についての個別規定と並んで﹃正規の簿記の諸原則﹄
ドイ ツ会 計 原則 の体 系 49
が顧慮されねばならないという艘規定(箒︒Φコ器一く曇きを含んでい︹μとい︑つ・つまり・商法第三尺条第
項などの﹁正規の簿記の諸原則﹂規定は︑﹁正規の簿記の諸原則﹂と呼ばれているものそれが何であるのかはと
もかくとしてーを指示する一般規定として理解されねばならないのである︒なぜならば︑この﹁正規の簿記の諸原
則﹂規定は︑﹁正規の簿記の諸原則﹂の遵守を唱っているだけであって︑何ら具体的なことを定めているわけではな
いからである︒要するに︑ブッフナー勇︒げ露¢q琴ぎΦこの指摘している如く︑﹁商法は正規の簿記の諸原則という概
アこ念の意義を示していないし︑その内容も確定させてはいない﹂のである︒
そのような.般規定に含まれる﹁正規の簿記の諸原則﹂という文ハ︑口の指示対象が﹁﹃正規の簿記﹄を充足するよう
な原則群﹂であることは︑いうまでもない︒しかし︑商法はもちろん税法等の他の法律においても﹁正規の簿記の諸
原則﹂が一体如何なるものであるのか︑あるいは﹁正規の簿記﹂とは何か︑ということについては︑どこにも明文を
以て規定されていないのである︒尤も﹁正規の簿記の諸原則﹂が商法Lのものであるとすれば︑その定義は何よりも
本来商法においてなされていなければならぬ筈である︒しかし︑実際には商法において︑その定義は示されていない
のである︒そのため︑その定義のみならずその具体的内容(個々の原則)についての識別・明確化は︑専ら経営経済
学に委ねられてきている︒ここに︑経営経済学がこの概念規定およびこれに関連する法規定の解釈に取り組む理由が
あるといえる︒
そして︑そこでの第.の問題は﹁正規の簿記﹂を充足するような原則・処理とは何か︑ということである︒この点
については︑従来二つの捉え方が指摘されている︒一方は︑﹁正規の簿記﹂を秩序的な記録を提供し得る簿記(単式
簿記か複式簿記かは不問)と捉え︑﹁正規の簿記の諸原則﹂を秩序的簿記の原則と解するもので蟻・他方は・﹁正規の
簿記﹂をより広く捉え︑秩序的な記録とこれに基づく決算と見なすことによって︑鴨正規の簿記の諸原則﹂を﹁記録
商 経 論 叢 第35巻 第1号 50
り
のみならず・計箏奈︑したがって年次決算の全体に関するもの﹂と解する捉︑秀である︒この︑積の捉秀は︑
﹁窺の簿記の諸原則﹂が﹁磁の籠の北目後にある原則の蜘を意味しているという点では致しているもの
の・﹃規の簿記﹂を秩序的な記録のみと解するのか︑それだけではなく更に秩序的な記録に基づく決算までもそこ
に含めるのか︑という点では違いが見られる︒
右の問題はこれまでにも様々な観点から論争が繰り広げられてきているが︑通説的見解によれば︑﹃規の簿記の
諸原則Lは・纂事象の継続的な記録(狭義の籠)のみならず棚卸し.年次決管貸借対照表.損益計算..)をも規制
していると考えられてい剤ベトゲにあっても︑泥規の簿記の諸原則﹂の導とい・つ規定Lの指︑小が︑前述の如く
記帳義務についての規定(第‑・八条)のみならず︑年次決算藍・の作成規定(第.四.︒︑条第︑項および第..四秦第︑項第
.文)にも見出され得ることを根拠として﹁正規の簿記の諸原則﹂にはすべての簿記原則と決算皇口原則とが含まれる
と考えられて疑・したがって︑ベトゲのいう如く︑﹃規の簿記の詣原則Lは簿記のみなりず決算豊日の作成にも関
わっているとい︑匙・それゆえ︑ここでは﹁正規の癒記﹂は︑狭義の簿記とこれに基づく年次決算とを含むものとし
て考察されねばならぬこととなる.かくして︑ここに我々が究明すべき﹁正規の簿記の諸原則﹂は︑﹁正規の簿記﹂
を充足する原則群としての簿記原則と決篁・原則早︑これらをまとめ〆﹂会計原則群とい・つ)に他な︑bないといえる︒
右の如く・﹁正規の簿記の諸原則﹂が泥規の簿記Lを充足するための会計原則群をその具体的内容とするもので
あるとすれば・﹁正規の簿記の諸原則﹂規定のねらいもラ﹂れらの会計原則群の顧慮.導にあるといえる︒元来︑法
において具体的個別規定ではなく﹁正規の簿記の諸原則﹂規定の如き.般規定を置く理由は規定適用の順応性.弾力
性の保持にある筈である・かつて︑このことに関連してドイツ旧商法の卍規の簿記の諸原則L規定について︑我が
国のある高名な商法学者は次のように指摘した︒すなわち︑﹁﹃正規の簿記の諸原則﹄なるものが果たして何を立.醸す
ド イ ツ 会 計//」¥則の 体 系 JI
るやは基だ明瞭を欠くのであるが︑要するに︑肱法者は企業間に於て︑般的に慣行せられている実務ヒの原則なるもの
が存在して居り︑法は個々の重要点に関し自ら規定を設ける場合を除いて単に白紙規定を設け︑細目を実肇の慣行
ロ に委任しているものと認めなければならない︒﹂
更に彼はそこには︑次のような駄賦法技術ヒの判断があるという︒いわく﹁法は仮令自己の目的よりして可及的に詳
細に規整を欲するにしても︑其の規模︑其の種類よりして無限の段階及び差等が存在する各個の企業に対し・・々適
当なる規整を為すことは蓋し不可能事であるからである.此の故に法は正規の会計技術を包括的に自己の中に取り人
軌︑細目の決定は之れを慣行と企響の個々の場八・の蕪的判断に︑任するを廟覇なる方策と考えたのであ
る︒﹂たとえ時は流れ商法典に新旧の違いはあるにせよ︑このことから我々は︑一般規定としての﹁正規の簿記の諸
原則﹂規定の意味︑特にこの規定と﹁正規の簿記の諸原則﹂との関係を充分に推察し得る︒そこでは・﹁正規の簿記
の諸原則﹂規定は︑商法などによる法規制に順応性と弾力性とを持たせると同時に︑﹁正規の簿記の諸原則﹂と見な
される会計原則群の顧慮.遵守を指示することにより︑これらの会計原則群つまり﹁正規の簿記の諸原則﹂それ自体
と法とを繋ぐいわば連結器の役割をも担っているといい得る︒
このような﹁﹃規の簿記の諸原則﹂規定における﹁︑正規の簿記の諸原則﹂の遵守という指示は︑ベトゲによれば・
﹁商人が帳簿.年次決算書の作成に際して顧慮しなければならないすべての法律卜・法律外の規範及び認識源泉への
ハ け立法者による計画的な指︑小である︒﹂﹁立法者は︑この(歪規の簿記の諸原慰規定を介して複雑かつ多様な規範体系
ザの顧慮を指︑小することによって会計についての法的義務をより詳しく規定して匪即﹂のである・それ故に・﹁正規の
簿記の諸原則﹂という不確定の法概念は︑法解釈の過程においてこれらの法律ヒ・法律外の規範及び認識源泉の顧慮
へ のドで充填されねばならないとベトゲはいう︒このことから﹁正規の簿記の諸原則﹂規定の持つ.般規定としての性
商 経 論 叢 第35巻 第4号 52
質こそが﹁正規の簿記の諸原則﹂を不確定の法概念たらしめる所以に他ならぬことがわかる︒
かくして・これまでの検討から︑歪規の簿記の諸原則Lが.不確定の法概念であるものの少なくともここでの論究
対象としての﹁正規の簿記の諸原則﹂概念は︑商法上の﹁正規の簿記の諸原則﹂とい・つ概念であること︑また雇規
定としての﹁正規の簿記の諸原則﹂規定の意味は︑〒規の簿起を充足させるための簿記.決墓.諸原則︑すなわ
ちここでいう会計原則群を法と関連づけることおよびその原則群の顧慮.遵守に順応性.弾力性を与えることにある
ことが明らかとなった・それでは︑﹁正規の簿記﹂を充足する会計原則群とは具体的には如何なる原則あるいは手続
を意味しているのであろうか︒この問題の検討に際して︑⊃幾の簿記Lの概念規定が先か諸︑原則の措定が先かとい
う問題・つまり歪規の簿記から諸.原則が導き出されるものか︑若しくは諸原則か・り.止規の簿記が帰結せ︑bれると見
るのが芒いのかという論理の籔Lの問題も方法論あ墨な問題として顧慮されねばならない︒
ここに至って・﹁正規の簿記の諸原則﹂と﹁正規の簿記の諸原則﹂規定との関係︑更には電ヨ該規定の此日心味が右の如
きものであるとすれば・我々の課題はより︑層明確になったといえる︒つまり︑﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系化の
方法を問題とするならば︑それは︑商法上の﹁正規の簿記の諸原則﹂の体系化の方法に他な︑bないとい︑つことであ
る︒したがって︑ここに体系化されるべき﹁正規の簿記の諸原則﹂もまた︑商法ヒのそれ以外のものではあり得ない
こととなる︒
なT)この概念に含まれる項目を解説した文献として︑次のものがある︒霞会霞ω︒pg遷琴匹①b①﹁コげ帥﹃:﹃︒ね窪(工﹁︒︒㎝q・)昏巳&養げ套二・σΦω冒昆集隻ω落鴨匿ヨしdぎ彗乙Φ罠︒︒︒‑盃コ.九八六年︑
(2)匿駐oP¢;O甚コ自︒励葺No霞αコ琶ひq︒自ヨ農貫臼じd二〇ゴヨげ⊇コひq第ヒ版(前掲)︑..二頁︒
53 ドイツ会 計 原 則 の 体系
(3)︒︒鋤Φ薦Φトo雲鳥讐①︒§壽・・日農饗し︒¢6藝ぎ眞閑農昌ゆ・麹§ユ蒙葺∩"(琴︒・mq.)ヒ麟鵠量︒竃①夷①︒ぎ韓‑寄陰コぴq(前掲))︑一七七ー.ヒ八頁︒
(4)﹁正規の簿記の諸原則﹂が法の枠内においては唯.つしか存在しないという見解に対する異論として︑例えば.遠藤教授はシユピターラi斧ヨごQ自且琶臼)の見解を商法ヒの﹁正規の簿記の諸原則﹂と税法Lの﹁正規の簿記の詣原則﹂とを・区別す
る見解として紹介している︒遠藤.久︑.直規の簿記の諸原則︑森山番店.九八四年︑七七頁・
(5)¢︒餌①お①トo塁穀隠︒§凝・・ヨ似葺奪穿藝ぎ漏(苔二・堕客罠蒙更p勺劇(=﹁︒・伽')'蜀量︒まΦ夷①§︒躍ψ一①胆梶(前掲))︑.ヒ七頁︒
(6)竃o×零き}唱ζロ剛冨嵩巴①プ﹁φじ口磐篇一閏ぎ旨ゴ遷昌㈹貯伽器ロ①=①じ口蕾嵩N誘6霧第︑..版︑≦げωげ鋤αΦロ︑九八六年︑ヒ.貞︑
(7)切¢6げロ①さ男;︼W霞6げ旨げ凄コぴ曵億=山}餌び門Φω帥げのo﹃一ロ豹第︑五版︑一≦⇔p670コ︑九九あハ年︑..九頁︒
(8)吉田威︑正規の簿記(黒澤清編︑会計学辞典(前掲)︑五︑∴四頁所収)︑.11・︑.四︑頁︒
(9)吉田威︑正規の簿記重.⁝澤清編︑会計学辞典(前掲)︑五.二四頁所収)︑充.一.四.貞︒
(10)吉田威︑正規の簿記(黒澤清編︑会計学辞典(前掲)︑.真.一四頁所収)︑︑涯一︑.四頁︒
(11)﹄§三ヨ巨・q・雪巳・・欝①︒a垂ひ⁝鼠膚Φ﹁じ︒=6暮ゴヨ轟一よφαq昼︒︒昏駐轟幻Φ受器巨コ(¢琴げ常験8wu薯﹁
菊ロ6匹ρロロ①∋げ輿αO﹁o凍融箆(=笏頓シ=磐"≦αユ①﹁げ¢oげ⊆鵠げ窃ニヨ昆嘆菊Φ6び房び①αqユ時巨ζロ蕾口N﹁①o匿匹窃=O¢d(前掲).∵.︑1・.四六頁所収)一.︑一︑一頁︒
(12)・︒麟①薦ρ旨・曾誤§︒喜§α・ω鼠葺①邑鑑︒藝ぎ轟(蔭↓凝客邑葦更○即(=﹁︒・窃・シ=罠げ¢︒=Φ勇①量環鋤ケ・ω‑
竃ぴq巨働q(前掲))︑︑七七頁︒
(13)・︒国①榊α自︒・}身巴・・飲霜︒乙き昌α⁝鼠葺臼じ︒鋸︒藝ぎ躍(ス麟凝・閑﹄巳壽げΦ﹁.○"(=﹁︒・α・し﹄罠σg=Φ島Φ6げ︒藷︒・‑
冨要臨αq(前掲))︑一七七頁︒
(14)田中耕太郎︑⁝貸借対昭表法の論理︑有斐閣.九四四年一︑一六頁︒
(15)田中耕太郎︑貸借対昭表法の論理(前掲)︑..鴫ヒ頁︒
(16)じ︒m巾茜εら馨量幕︒乙§αqω暴葺Φ﹁︒︒・︒暮ぎ躍(器酔葺閑﹄巳壽寅○"(国﹃︒・α・シ=罠g6:Φ昆Φ︒ぎ韓聾
竃讐鵠伽q(前掲))︑.七八.輿︒
(17)雪αqし二〇遷量§︒§¢='・︒・鼠葺㊤¢︒尋貯ぎ轟甲‑‑・⇔£最じウΦ§量ぴq比①9件︒・屋耳﹂(最魯訂陳の︒PO薯門
商 経 論 叢 第35巻 第4号 54
寄匿ρじd①B冨﹁ユOδ零一良琴確)ヒ窪量α箒3馨ゴ琶幕巴ヨ巨巽響些榊︒・げΦケq農Φぎじdぎ自﹃霧葺号ω国O匹前掲))︑...︑︑.頁︒
(18)ロd9・Φお①こ・噌O≡巳ω似§︒a2轟㎝ヨ農響﹃じd9ゴ蜜﹃毎握(霞ユ冨ゆ自曽客二巳芝Φσ①さ○"(国﹃ω瞬y国p昌象ロ筈ユ①﹃幻Φ9コ=口ぴ自︒︒︑
竃伊自¢コぴq(前掲ご︑.ヒ八︑貝︒
(19)伊藤正.︑正規簿記の諸原則の.面(産業経理︑第︑四巻第.号︑.︑︑・11貞所収)︑...頁︒
皿.
伝 統 的 探 求 方 法 か ら の 着 想 i ー 新 た な 探 求 方 法 の 要 件 〜 ー
既に明らかな如く︑ここでの我々の課題は︑商法ヒの﹁配規の簿記の諸原則﹂の体系化の方法を探求することとそ
の方法によってその体系を解明することである︒その際︑この樫正規の簿記の諸原則﹂を獲得するための方法として
文献において議論されているものの中では︑特に帰納による方法(以ドにおいてはこれを帰納方法と呼ぶ)と演繹による
ホユナ
方法(以ドにおいてはこれを演繹方法と呼ぶ)とが喰要である︒これらの帰納・演繹という概念について︑ベトゲは︑バ
イセ邑Φ累凶魯じむ霧ωΦ・)とシュナイダー(O蛋9Q︒会器こ①﹁)とを引用して︑ここにいう帰納(ぎ含ぎごP冒匹鼠Φ器コ巴.演
繹e巴爵まPuΦ含N蒼9ω)という︑.つの概念が数学・論理学ヒの概念と同.視されてはならないという︒ベトゲよ
︹2浮れば︑これらの概念は﹁正規の簿記の諸原則﹂の探求方法を特徴づけるために用いられているに過ぎないのである,
比較的古い文献において採用されている帰納方法の場合には︑尊敬に値する正規の商人の見解を出発点として︑こ
ハヨしこから﹁正規の簿記の諸原則﹂が推論されるのである︒ベトゲは︑この方法についての議論の端緒がシュマーレン
ヰ バッハの一九⁝一臼の論文であるという︒しかしこの方法には︑これまでに既に決定的ないくつかの批判がなされて
いる︒ベトゲに従ってその批判を要約すれば︑この方法の持つ欠点としては︑商人が中立的な立場にはないこと︑
﹁正規の簿記の諸原則﹂の全体が随意性を持つことになること︑秩序性の喪失︑尊敬に値する正規の商人の見解につ
ハきいいての客観的基準が欠けていることが指摘されてきている︒総じて︑この帰納方法において最も重要な意味を持ち︑
ドイツ 会 計原 則 の 体 系 1)
﹁正規の簿記の諸原則﹂獲得の出発点となる(尊敬に値する・正規の∀商人の見解それ自体の獲得に最大の難点が存在
しているといえる︒
そこで︑これに代わる方法として最近の文献において取りhげられてきている方法が︑演繹方法である︒その代表
的提唱者がレフゾンとデレーラiδ8薦O呂興①﹁)である︒この方法は︑﹁規範への法律上の参照指示が(そのことに
ぢマよって)派生する法規効果を有する法源を生み出す﹂というイエリネークδ3彊一Φ瞬ぎ節)のテーゼを拠り所としてい
るといわれる︒この方法の基本的な考え方は︑︑般に認められた年次決算11的あるいはこの目的によって浮かび出る
ア 法律hの大前提から﹁正規の簿記の諸原則﹂を導き出すことにある︒ベトゲによれば︑文献においてはこの方法は出
へお 発点を異にする..つのタイプに分けられている︒︑方は︑経営経済的演繹方法と呼ばれ︑他方は︑商法的演繹方法と
サね呼ばれている︒いずれの場合にも︑﹁正規の簿記の諸原則﹂は年次決算のH的から﹁導き出す﹂か﹁演繹する﹂こと
︹m・が試みられるという点においては共通しており︑その為に共に演繹方法と呼称されているのである︒しかし︑経営経
済的演繹方法にあっては︑その出発点は経営経済的年次決算目的であり︑しかもその獲得の対象は商法上のm正規の
ハねい簿記の諸原則﹂ではなく︑まさに経営経済的﹁正規の簿記の諸原則﹂である筈である︒このことは︑もう一方の商法
的演繹方法がその出発点を商法的年次決算11的とし︑更にその獲得の対象を文字通り商法Lの﹁正規の簿記の諸原
則﹂としていることとは決定的な相違点となっている︒そこでは︑同じく﹁正規の簿記の諸原則﹂の獲得とはいうも
のの︑対象となる畑配規の簿記の諸原則﹂が全く別のものであることが看過されてはならない︒
ベトゲによれば︑経営経済的演繹方法は.義的かつ矛盾がなくしかも︑般に認められた︑簿記・年次決算の目的体
系を前提としているが︑そのような目的体系は︑.般に認められた︑︑義的かつ矛盾のない目的要素が演繹の出発点
ロに組み込まれれば︑存在し得るものに過ぎない︑しかも現実には右の如き.義的かつ矛盾のない︑しかも︑般に認め