原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
──和漢混淆文への展開──
楊 瓊
1
は じ め に古典日本語では,「ユヱ(故)」という語は,文法ならびに文体において多様 なふるまいを見せている。
上代では,「ゆゑ」という語は元来の原因理由の意を表す実質名詞用法とし て用いられるほか,形式名詞として用いられる。後者は接続助詞のように用い られるが,必ず体言につき,用言につかない(1)。つまり,上代では「ゆゑ」の 上接語は体言に限られているという接続上の制約がある。平安時代になると,
漢文訓読文では,体言接続の用法は,「体言+ノユヱ」の形のみで現れるよう になる。また,平安初期には,新たに「活用語連体形+φユヱ」と,「活用語 連体形+ガユヱ」との用言接続の形が発生した。平安中期以降の漢文訓読文で は,複合辞「(活用語連体形)ガユヱニ」が固定化し,原因理由の接続表現と なった。
本稿では,このように,漢文訓読文において接続助詞的に用いるようになっ た「ユヱ(故)」を取りあげ,その用法の発生と和漢混淆文における定着を文 体的位相の観点から考察していきたい。
「ユヱ(故)」に用言接続の発生については,従来,春日(1969)は,上代歌 謡の例に「ゆゑ」の用言接続の例が稀であることから,体言を受けるのを日本 語本来の用法とし,活用語連体形を受けるようになったことは,漢文訓読文で
「故」字が用言に接続する場合が多いことに起因すると指摘している。筆者も
― 25 ―
基本的にこの立場に立つ。これに対し,後に,山口(1993)は,春日説を批判 し,上代歌謡のような情緒的な言語で用例が少ないことは,体言接続に対し,
抽象度の高い活用語を受ける用法が好まれなかったためであり,また,中古和 文における活用語連体形を直接受ける用法は,日本語として自然な表現であ り,漢文訓読の影響と見る必要はないと指摘している。しかし,上代から平安 時代にかけて,用言接続の例は和文には例外的なものしか見られないことは見 過ごしにできない事実である。
また,上接用言と「ゆゑ」の間の「が」の有無について,築島(1963)は,
「活用語連体形+ガユヱ」は漢文訓読の特有形式とし,「活用語連体形+φゆ ゑ」は和文では多く見られるが,訓点の例は少ないらしいと指摘している。す なわち,「活用語連体形+ガユヱ」と「活用語連体形+φユヱ」の形式に,漢 文訓読文と和文との文体的な対立を見出そうとする。築島の記述は『大慈恩寺 三蔵法師伝古点』と『源氏物語』とを対照した結果に拠っている。しかし,後 述するように,「活用語連体形+φゆゑ」は,もともと和文においてもその絶 対例数は多くないのに対し,平安初期の訓点を視野に入れると,「活用語連体 形+φユヱ」は『西大寺本金光明最勝王経』などに比較的多く見られ,この形 式はむしろ漢文に由来したものと見るべきのではないかと考えられる。
本稿では,このような接続助詞的に用いる「ユヱ(故)」を考察対象とし,
原因理由を表す接続用法が漢文訓読文の中での発生・定着したことを確認する とともに,「ユヱ(故)」が漢文訓読文から,和文や和漢混淆文へどのように展 開していくのかを詳しく検討していく。
2
漢文訓読文の用法まず,平安時代の漢文訓読文における「ユヱ」の用法を確認する。築島裕編
『訓点語彙集成』(2007〜2009,汲古書院)によると,訓点資料における「ユ ヱ」は主に「故」と「所以」の訓として用いられるが(2),「故」の用 例 数 は
― 26 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
「所以」の五倍以上となる。その中で,用言接続の場合では,「所以」は,基本 的に「活用語連体形+φユヱ(所以)」の形をとっているのに対して,「故」
は,平安初期点の『西大寺蔵金光明最勝王經』『高山寺蔵觀彌勒上生兜率天經 贊』に「活用語連体形+φユヱ(故)」の形が一部集中的に見られるが,それ 以降の訓点資料では「活用語連体形+ガユヱ(故)」の形が殆どである(3)。
次に,訓点資料によって得られた用例をもとに,「ユヱ」の用法を確認して おく。なお,管見の限りでは,訓点資料における「ユヱ」の体言接続のものは,
1 三宝を信経する聖戒力の故に,九十五の諸の外道の衆に勝(れ)たるこ と,多百千倍なり。(地蔵十輪経巻五)
2 佛の神力の故に,皆悉ク能(く)語いふ。(地蔵十輪経巻七)モノ
のように,すべて「体言+ノユヱ」の形を取っており,漢文訓読文に定着した 用法だと考えられる。したがって,以下では用言接続のものに絞って検討して いく。
2.1 「故」の用法
訓点資料では,接続助詞的に用いる「ユ ヱ」は,「VP1故,VP2」と「VP1, VP2故(也)」と二種類の文型に見られる(以下では,原因の部分を「VP1」で 表し,結果の部分を「VP2」で表すことにする)。「VP1故,VP2」はまず原因理 由を説明し,次に結果を述べるパターンであり,「VP2, VP1故(也)」は逆にま ず結果を述べ,次に原因理由を補足するバターンである。
表一は訓点資料(4)における「(ユヱ)故」を訓法によって分けて用例数を示 したものである。
表一から,言語量の多少にもかかわるが,句末に位置する「故」は漢籍に現 れにくく,仏典を中心に現れることと,「VP1故,VP2」のパターンが「VP2, VP1故(也)」より多いことがわかる。また,今回の調査範囲では『三藏法師 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 27 ―
伝』の存疑例を除き,「活用語連体形+φユヱニ」と「活用語連体形+φユヱ ナリ」は,平安初期の『西大寺本金光明最勝王經』のみにそれぞれ39例,6 例見られる。これに対して,平安中期以降の訓点資料では,「活用語連体形+
ガユヱニ」と「活用語連体形+ガユヱナリ」の訓法が固定化して見られる。こ のことから,「活用語連体形+φユヱ」の訓法は初期の漢文訓読文においては 用いられたが,次第に淘汰され,平安中期から「(活用語連体形)ガユヱ」が
「故」の定訓として用いられるようになったと考えられる。
①「VP1故,VP2」
3 無相の思惟と解脱と三昧とを遠クヨリ修行する故に,是の地清静にし て,障礙あ(る)こと無し。《無相思惟解脱三昧遠修行故,是地清淨無 有障礙。》(金光明最勝王經巻四)
べ し コ トラ ヒト
4 諸の〔應被〕殺セラル〔らる〕ベキヒト〔及〕囚メ繋ハルル者は,光明 に照(ら)サル(る)ガ故に,皆解脱することを得ツ。《諸應被殺及囚 繋者,光明照故,皆得解脱。》(大乗大集地蔵十輪序經品第一)
5 五陰(と)いふは,是(れ)苦集の體なるが故に,亦は是(れ)道諦
(なる)が故に,論(の)如(く)解る可(し)。《五陰是苦集體故,亦 是道諦故,如論可解。》(法華經玄賛巻第三)
表一 漢文訓読文における「故」の用法
計 40 451 6 63 559 表注:『三藏法師伝』では「活用語連体形+φユヱニ」の存疑例が1例ある(5)。
白氏 0 0 0 0 0 史記
0 0 0 0 0 論語
0 0 0 0 0 不空
0 17 0 0 17 義疏
0 136 0 8 144 玄賛
0 197 0 42 239 三藏
1 7 0 1 9 無量
0 5 0 7 12 地蔵
0 35 0 0 35 金光明
39 54 6 5 104 故
活用語連体形
+φユヱニ 活用語連体形
+ガユヱニ 活用語連体形
+φユヱナリ 活用語連体形
+ガユヱナリ 計
文型
VP1故,VP2
VP2, VP1故
(也)
― 28 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
上記の三例は,原因理由を表す叙述内容が先行し,「故」は文中に位置する 用例である。例3は「活用語連体形+φユヱニ」と訓じた例であり,例4と5 は「活用語連体形+ガユヱニ」と訓じた例である。
②「VP2,VP1故(也)」
6 所以者何とならば,此の甚深の法を聞(く)こと得ルに由ル故になり。
《所以者何,由得聞此甚深法故。》(金光明最勝王經巻二)
7 四に(は)依止深(と)いへり。法界(と)法性(と)は,諸佛の本
(なる)が故になり。《四依止深。法界法性,諸佛本故。》(法華經玄賛巻 第三)
8 昔,涅槃(の)法を説(く)ことを明(す)こと者,佛慧に入(る)こは
と得令シムといふこと(を)「明」(す)ガ故なり〔也〕。《明昔説涅槃法 者,意令得入佛慧故也。》(法華義疏方便品末)
この三例は原因理由を叙述する内容が後置される場合である。例6は「活用 語連体形+φユヱナリ」と訓じた例であり,例7と8は「活用語連体形+ガユ ヱナリ」と訓じた例である。
以上,接続助詞的に用いる「故」は,「活用語連体形+φユヱ」と「活用語 連体形+ガユヱ」と両様の訓法が存在したが,平安中期以降,前者は使われな くなり,後者の訓法が定着していったことを述べた。この「ユヱ(故)」の文 法機能はいずれも原因理由をうけて,接続助詞「から」「ので」の意味を表す ものであり,後述するように和文に見られる「活用語連体形+φゆゑ」に影響 を与えていると考えられる。
2.2 「所以」の用法
前節で説明した「故」と異なり,「所以」には,「活用語連体形+φユヱ(所 以)」の形が見られるが,いわゆる接続助詞的なものではない。「所以」は主と 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 29 ―
して「所以VP2(者),VP1(也)」と「VP1,所以VP2(也)」の文型に用いら れる。前者の「所以VP2(者)」は主語であるため,考察対象としない(6)。後 者の「所以」は他の語句の上に冠して,「VP2ユヱナリ」と返読する場合であ り,形式上は後述する和文に見られる「活用語連体形+φゆゑ」と同様である が,用法上は実質名詞である。
表二は訓点資料における「VP1,所以VP2(也)」の用例をまとめたものであ る。
表二から,訓点資料では,「VP1,所以VP2(也)」の文型は「故」とは逆に 漢籍を中心に現れることがわかる。不安定の2例(『三藏法師伝』と『法華経 玄賛』の例)を除くと,いずれも「活用語連体形+φユヱ(所以)ナリ」と訓 じている。
9 己ヲ責ムルコト厚ウシテ人ヲ責ムルコト薄キときは怨咎ニ遠ル所以ナユ ヱ
リ。《責已厚責人薄,所以遠怨咎。》(論語)
シテヲコナ ( ユ ヱ )
10 斯民也,三代ノ〔之〕直道ト而 行フ所以なり。《斯民也,所以三代之直 道而行也。》(論語)
11 美ナルカナ[哉]君子。正言ヲ重(ムスル) カ 所以ナリ[也]。(!点ユ ヘ
では「カ」を抹消)《美哉君子,所以重正言也。》(大慈恩寺三蔵法師傳)
表二 漢文訓読文における「所以」の用法
計
(主語であるため,対象外とする)
17 2 19 表注:「活用語連体形+ガユヱナリ」の2例は不安定の例である。その中,『三蔵』の例
は例11に掲げ,『玄賛』の例は訓み間違えた例と考えられる(7)。
白氏
0 0 0 史記
1 0 1 論語
12 0 12 不空
0 0 0 義疏
0 0 0 玄賛
0 1 1 三藏
4 1 5 無量
0 0 0 地蔵
0 0 0 金光明
0 0 0 所以
活用語連体形
+φユヱハ 活用語連体形
+φユヱナリ 活用語連体形
+ガユヱナリ 計
文型 所以VP(者),2
VP1(也)
VP1,所以VP2
(也)
― 30 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
上記の例はいずれも「VP1,所以VP2(也)」の文型をとっており,「活用語 連体形+φユヱ(所以)ナリ」と訓じた例である。用法は前述した接続助詞的 なものと異なり,「ユヱ(所以)」は結果をうけて,「(VP1は)VP2(という結 果)の原因なり」という意味を表している。即ち,この場合の意味は実質名詞 の「原因・理由」と見てよい。
注意すべきところは例11である。この例について,築島(1965)は,この 例では!点(筆者注:承徳三年〈1099〉)の「カ」を"点(筆者注:永久四年
〈1116〉)で抹消しているのであって,明に「ガ」の有無両様の訓法の存したこ とが知られると述べているが,これは「活用語連体形+φユヱ(所以)ナリ」
と「活用語連体形+ガユヱ(故)ナリ」の用法の相違に基づき,"点の加点者 が「所以」は原因を受ける接続助詞的用法ではなく,結果を受ける実質名詞用 法であると気づいて修正したのではないかと考えられる。これは「ガユヱ」が 原因理由を受ける接続助詞的用法の「故」の定訓として用いるようになったこ との傍証になると考えられる。
以上のことを要するに,漢文訓読文では「故」「所以」両者は「ユヱ」とい う訓み方を共有するが,用法は異なっている。「故」は原因を受けるが,「所 以」は結果を受ける。これに対応して,平安中期以降では,「故」を「活用語 連体形+ガユヱ」,「所以」を「活用語連体形+φユヱ」と訓じる意識があった と考えられる。
3
和文の用法次に,和文における「ゆゑ」の接続表現を確認する(8)。前述したように,上 代では,形式名詞として用いる「ゆゑ」の上接語は,体言に限られているとい う接続上の制約がある。平安時代に入ると,和文では,体言接続のものと用言 接続のものと両方見られるようになる。なお,ここでは,活用語連体形に付く ものの中で,
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 31 ―
12 「これも御覧ずべきゆゑはありけり。」(源氏・藤袴)
のように,「理由・事情」などの意味を表す実質名詞の例は考察対象としない。
3.1 体言接続
上代に遡ると,『万葉集』では,体言接続のものには,「体言+φゆゑ」(児 ゆゑ,雪ゆゑ),「体言+のゆゑ」(何のゆゑ,人のゆゑ),「体言+がゆゑ」(我 がゆゑ,誰がゆゑ)の例が見られる。その中で,「体言+φゆゑ」は53例と多 く見られ,「体言+がゆゑ」も13例で,この二形式はいずれも和歌に定着して おり,用法上では,人物に接する点で特徴が見られる。それらに対して,「体 言+のゆゑ」は2例のみで,歌には例外的な表現と考えられる。
中古和文では,上代の「ゆゑ」と同様に,「体言+φゆゑ」「体言+のゆゑ」
「体言+がゆゑ」の三形が見られる。それらの例を上接形式によって分類した ものは次の表三(9)である。
表三に示したように,和文では体言接続の「ゆゑ」には,「体言+φゆゑ」
29例,「体 言+の ゆ ゑ」8例,「体 言+が ゆ ゑ」2例 が 見 ら れ た。そ の 中 で,
「体言+φゆゑ」の例が最も多く,平安初期から,和文作品に広く見られる。
表三 中古和文における体言接続の用法
計 29 8 2 39 和泉
1 0 0 1 宇治
0 2 0 2 堤
0 0 0 0 大鏡
0 0 0 0 落窪
2 0 0 2 栄花
2 2 0 4 宇津保
3 1 2 6 狭衣
3 1 0 4 蜻蛉
2 0 0 2 夜 5 0 0 5 平中
1 0 0 1 讃岐
0 0 0 0 伊勢
1 0 0 1 浜松
3 1 0 4 大和
0 0 0 0 更級
0 0 0 0 土佐
0 0 0 0 紫 0 0 0 0 竹取
1 0 0 1 源氏
5 1 0 6 体言+φゆゑ 体言+のゆゑ 体言+がゆゑ
計
体言+φゆゑ 体言+のゆゑ 体言+がゆゑ
計
― 32 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
また,「体言+のゆゑ」の形は中古では,漢文訓読文には定着したものの,和 文では例外的で,『栄花』(10)と『宇治』(11)のように,漢文訓読の影響や和漢混淆 の現象が見られる作品に集中して見られる。また,「体言+がゆゑ」は『宇津 保』に2例見られるが,後述のように,これは歌言葉の影響をうけたと考えら れる。次に,それぞれの例を掲げて見る。
①「体言+φゆゑ」
13 我故にかゝる事を見給ふ事と,限りなく歎く。(落窪・巻一)
14 うらゆゑに ながるゝことも たえねども いかなるつみか(蜻蛉・上 巻)
15 さまあしき御もてなしゆゑこそ,すげなうそねみたまひしか,人柄のあ はれになさけありし御心を,上の女房なども恋ひしのびあへり。(源氏
・桐壺)
和文では,「体言+φゆゑ」の形が29例あり,体言接続のものの多数を占め ている。平安初期から,和文に多用されており,その中でも,例14のように,
歌に用いるものが10例見られる。「体言+φゆゑ」の形は上代から引き継がれ た用法であり,和歌的な色彩を含むと考えられる。
②「体言+のゆゑ」
16 「……そのときに,日本の衆生,三年つゝしみて,かの仙人に菜摘み,
水汲みせし功徳の故に,輪廻生死の罪ヲ亡ぼして,人の身を得たるな り。……」(宇津保・俊蔭)
17 「ただこの人のゆゑにて,あまたさるまじき人の恨みを負ひしはてはて は,……」(源氏・桐壺)
18 「みづからのゆへに,親も世にはしたなめられ,ありわびて,深き山に 篭り侍にけり。」(浜松・巻第一)
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 33 ―
19 ひめ宮も見たてまつらせ給に,「憂き身一つの故に,かくならせ給ひぬ る」と,思すに,……(狭衣・巻三)
20 ちやうもんのゆへにのこりなくつどひたまへり。(栄花・巻第一五)
21 僧のいはく,「我心はこれ佛也。我心をはなれては佛なしと。然ば我心 の故に,佛はいますなり」といへば,……(宇治・第一五四話)
「体言+のゆゑ」の例は『宇津保』の一例を除き,いずれも『源氏』以降の 作品に見られる。それらの多くは仏教関係の内容に集中して見られる。『宇津 保』の例16を見ると,仏が現じて因果の理を示し予言する会話文であり,『宇 津保』の俊蔭巻の前半は全体的に漢文訓読調が交じる部分であることを併せて 考えると,漢文訓読文によく使われる「体言+のゆゑ」の出現はあり得ると考 えられる。例20のように,『栄花』の2例は,いずれも供養に関する仏教行事 の記事に見られ,漢文訓読調が混入しやすい部分と考えられる。例21の『宇 治』の例は僧が仏教的な思想を語る会話文である。それらに対し,例17,18,19 は仏教と関わらない内容であり,漢文訓読の影響とは直ちに言い難い。例17 の『源氏』の例は命婦が代わって帝の話を伝える部分であり,例18『浜松』
と例19『狭衣』の例はそれぞれ后の会話文と二の宮の心内文に現れ,女性の
使用にも忌避されているようには見えず,和文にもある程度定着した表現と推 測される(12)。ただし,用例自体の少なさ,用例が『源氏』以降の作品を中心に 現れること,および該当二作品に漢文訓読語が散見することなどから(13),「体 言+のゆゑ」の使用は漢文訓読の影響に起因するのではないかと考えられる。
③「体言+がゆゑ」
22 「かゝるあさましき所にだに,いときなき身ひとつを頼みて入リ給フに,
今は,また出で給はん事も,オのれがゆヱとおぼせ。」(宇津保・俊蔭)
23 我が故となげきし道に渡れかし君が導にならむとぞおもふ(宇津保・国 譲中)
― 34 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
「体言+がゆゑ」は和文には2例のみであり,いずれも『宇津保』に見られ る。もっとも上代の例はもっぱら『万葉集』の歌に見出され,中古になって も,散文には見られず,和歌のみに見られるため(14),例23の「わがゆゑ」は,
和歌の慣用句として歌言葉的な表現になっていると考えられる。類似表現とし て和歌には「おのれゆゑ」も見られる(15)。例22の「おのれがゆゑ」は会話文 に現れるが,和歌的表現との関わりが考えられる。
以上をまとめると,中古和文では,体言接続のものは,「体言+φゆゑ」が 一般的に用いられ,また,歌言葉の影響と考えられる「体言+がゆゑ」の形も 僅かながら用いられているのに対して,「体言+のゆゑ」は漢文訓読の影響や 和漢混淆の現象が見られる作品に用いられることがわかる。
3.2 用言接続
中古和文では,用言接続のものに「活用語連体形+φゆゑ」と「活用語連体 形+がゆゑ」の形が見られる。それらの用例数を作品別に示すと,表四(16)の通 りである。
表四に示したように,和文では「活用語連体形+φゆゑ」18例,「活用語連 表四 中古和文における用言接続の用法
計 18 4 22 和泉
0 0 0 宇治
2 0 2 堤
0 0 0 大鏡
1 1 2 落窪
0 0 0 栄花
2 3 5 宇津保
2 0 2 狭衣
1 0 1 蜻蛉
0 0 0 夜 0 0 0 平中
0 0 0 讃岐
0 0 0 伊勢
0 0 0 浜松
2 0 2 大和
0 0 0 更級
0 0 0 土佐
0 0 0 紫 0 0 0 竹取
0 0 0 源氏
8 0 8 活用語連体形
+φゆゑ 活用語連体形
+がゆゑ 計
活用語連体形
+φゆゑ 活用語連体形
+がゆゑ 計
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 35 ―
体形+がゆゑ」4例,合計22であるが,これは体言接続の39例より少なく,
用言接続の用法は発達していないようである。しかも,「活用語連体形+φゆ ゑ」の例は平安初期の作品に見られず,すべて『源氏』以降の作品に現れてい る。この形の例は用言接続の例の大半を占めており,和文における用言接続の 一般的な形であり,和文にもある程度浸透したといえる。それに対し,漢文訓 読調の強い「活用語連体形+がゆゑ」は,『栄花』(3例)と『大鏡』(17)(1例)
において,次の②で示すように仏教教理や歴史記述の内容に限って現れてお り,例外的なものと考えられる。
①「活用語連体形+φゆゑ」
24 「……尊勝陀羅尼を念じ奉る人を供養したる故也。……」(宇津保・俊 蔭)〈仏の会話文〉
25 「……つらつき,まみなどは,いとよう似たりしゆゑ,通ひて見えたま ふも,似げなからずなむ。……」(源氏・桐壺)〈帝の会話文〉
26 ただ,この御かたのことを思ふゆゑにぞ,おのれも人々しくならまほし くおぼえける。(源氏・東屋)〈中将の君の心内語〉
27 もののけなど払ひ捨てける律師,山籠りして里にいでじと誓ひたるを,
麓近くて,請じおろしたまふゆゑなりけり。(源氏・夕霧)〈地の文〉
28 この世の人に縁を結びて,深き心をしめさせて,物思ひの切なるゆへ に,あつかはせんとはうべんし給へるに,(浜松・巻第三)〈地の文〉
29 この大臣の日本の人に馴れ,母宮もかの世の人なりけるゆへに,この后 の御あたりの人は,かゝるなんめり。(浜松・巻第一)〈地の文〉
30 一切の所に遍じ給へる故に,その佛の住所を,常寂光と名付く。(栄花
・巻第十八)〈仏教の教え〉
31 「塔のもとを常にすぐるに,地藏をみやり申て,時々おがみ奉りし故な り」とこたふ。(宇治・第八二話)〈僧の会話文〉
― 36 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
上記の例は,いずれも「ゆゑ」の直前に活用語連体形が接する例であり,
「ゆゑ」は接続助詞「から」「ので」の意味に近い。このような用例は『源氏』
に最も多く見られる。築島(1963)は『源氏』では儒者や僧都などの学識者の 会話文や荘重厳粛な場面に漢文訓読語の使用があることを指摘しているが,
『源氏』では「活用語連体形+φゆゑ」は通常の地の文(5例/8例)にも現れ ている。しかし,紫式部の漢文素養を基にし,意志的・無意志的に混用される ことは充分考えられる。
『源氏』以外の例を見ると,例24は仏が仏教の教えを説く会話文であり,例 28は尼君の仏道修行の話に現れる地の文であり,例30は『普賢経』に原典を もつが,かなりの異同が見られるものであり,例31は僧の会話文である。例 29のような例外もあるが,物語作品において「活用語連体形+φゆゑ」は仏 教と関係ある箇所に偏って用いられる傾向が見られる。
形態上では,和文には例12のような実質名詞「活用語連体形+φゆゑ」の 主語や目的語の用法が存在している。これと同様の形をもつ形式名詞「活用語 連体形+φゆゑ」の形式は,和文に馴染みやすい表現として,接続表現に用い られたのではないかと考えられる。
②「活用語連体形+がゆゑ」
32 色即是空なるが故に,これを眞如實相といふ。(栄花・巻第一八)〈経 文〉
33 「善根の人は地水まづ去るが故に,緩慢して苦しみなし。」(栄花・巻第 三〇)〈僧の会話文〉
34 公卿にて十三年陽成院の御時に御祖父におはするかゆへに元慶元年正月 に贈左大臣正一位次贈太政大臣。(大鏡・天)〈地の文〉
和文において,「活用語連体形+がゆゑ」は4例程度であり,「活用語連体形
+φゆゑ」に比べれば極めて少ない。例32は経文の引用であり,例33は僧侶 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 37 ―
の言葉であり,例34は漢文風の歴史書の叙述にかかわる内容である。訓読調 がより強い表現として,院政期に入ってから,歴史物語において仏教教理や歴 史記述の内容に限って用いられている。
以上①と②で見たごとく,平安時代の和文でも,「ゆゑ」に用言接続のもの が現れるようになった。とりわけ,「活用語連体形+φゆゑ」は『源氏』以降 の作品にしばしば見られるようになった。ただし,この形は前節で述べた「活 用語連体形+φユヱ(所以)」と一致しているが,用法では「活用語連体形+
(ガ)ユヱ(故)」と共通している。即ち,和文の「活用語連体形+φゆゑ」は
「所以」の訓法によるものではなく,『西大寺本金光明最勝王經』など平安初期 の訓点に見られた「活用語連体形+φユヱ(故)」の用法を受け継ぐものであ ると見られる。また,より訓読調が強い「活用語連体形+がゆゑ」は,和文で は歴史物語の『栄花』と『大鏡』にのみ用いられている。
また,『源氏』をはじめ,『宇津保』『浜松』『狭衣』『栄花』『宇治』『大鏡』
では,漢文訓読に源をもつ「体言+のゆゑ」や「活用語連体形+φゆゑ」が同 時に見られることは(ただし,『大鏡』では「体言+のゆゑ」の用例なし),平 安中後期になると漢文訓読語が和文にまで浸透する時代の趨勢を反映したもの と考えられる。
4
和漢混淆文への展開−『今昔物語集』を中心に−前節までに,漢文訓読文と和文とのそれぞれにおける「ユヱ(故)」の接続 表現を確認してきた。接続助詞的に用いる「活用語連体形+ガユヱ(故)」は 漢文訓読的表現として定着しつつ,「活用語連体形+φユヱ(故)」は漢文訓読 文では消滅したが,和らげた表現として平安中期以降の和文に用いられている と考えられた。ここでは,いわゆる和漢混淆文の『今昔物語集』(18)における実 態を整理するとともに,『今昔』の用例の文体的解釈を考える。
以下,『今昔』に見られる「ユヱ(故)」の原因理由接続表現を①から⑥まで
― 38 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
の形式に分けて挙げておく。
①「体言+ノ故ニ」
35 其ノ罪ノ故ニ此ノ苦ヲ受ク。(巻二ノ三七)
36 嫉妬ノ故ニ遠助不思懸ズ,非分ニ命ヲナム失ヒテケリ。(巻二七ノ二一)
②「体言+ノ故也」
37 阿闍梨ノ云ク,「我レ,君ノ病ヲ祈テ試ム。此レ偏ニ,利益衆生ノ故也」
ト。(巻一六ノ二二)
38 ……名ヲ頼時ト改ム。亦且ハ守ノ同名ナル禁忌ノ故也。(巻二五ノ一三)
③「活用語連体形+φ故ニ」
39 今,我ニ會ヘル故ニ阿那含果ヲ得タル也ト。(巻二ノ三〇)
40 其ノ女,遂ニ心直ナル故ニ,神仙此ヲ哀テ,神仙ニ仕フ。(巻二〇ノ四 二)
④「活用語連体形+φ故也」
41 其ノ後偏ニ,持経者,「此レ,法花経ノ霊験ノ至セル所,金峰ノ蔵王ノ 守リ給フ故也」ト知テ,(巻一二ノ三九)
42 但シ,高市麿田ノミニ雨降テ,余ノ人田ニ不降ズ。此レ偏ニ,実ノ心ヲ 至セレバ,天此レヲ感テ,守加フル故也。(巻四〇ノ四一)
⑤「活用語連体形+ガ故ニ」
43 三寶ヲ嫌ムガ故ニ,寺塔ノ邊ニ不近付ズ,若シ道ヲ行ク時ニ僧ニ値ヌレ バ,目ヲ塞テ還ヌ。(巻七ノ三)
44 汝ヂ,今,懃ニ懺悔スルガ故ニ,我レ,力ヲ加ヘテ,可令讀シ。(巻一 四ノ一三)
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 39 ―
⑥「活用語連体形+ガ故也」
45 「……而ルニ,今日ノ杖ヲ負ニ,杖ノ當ル所,不強ズシテ,年来ニ不似 ズ。此レ,母ノ年老テ力ノ衰ヘテ弱ク成レルガ故也ト思ガ悲キニ依テ泣 ク也」ト。(巻九ノ一一)
46 此レヲ思フニ,海ニ入テ日来漂フト云ヘドモ,遂ニ命ヲ生キ身ヲ存スル 事ハ,此レ偏ニ,釋迦如来ヲ念ジ奉レル廣大ノ恩徳也,亦,此ノ二ノ 人,信ヲ深ク至セルガ故也。(巻一二ノ一四)
上記の六形式の巻ごとの用例数を表五に示した。
表五から,「故」を含む表現形式は,天竺震旦部と本朝仏法部とを中心に分 布していることがわかる。用言接続の用例数(229=③57+④44+⑤113+⑥ 15)は体言接続の用例数(17=①10+②7)を遥かに超えており,用言接続の 用法が定着していることが窺える。
個々の分布を見ると,体言接続の①と②は,漢文訓読調が強い天竺震旦部と 本朝仏法部に偏っている。体言接続の例は『今昔』では多くないが,「体言+
φ故」の形ではなく,必ず「ノ」を挟む形をとっている。これは漢文訓読文で は「体言+ノユヱ」の形のみを使うことに影響されたと考えられる。
③から⑥までは用言接続のものであり,『今昔』では「活用語連体形+φ故」
と「活用語連体形+ガ故」と両方の形が見られる。その中で,③と④の「活用 語連体形+φ故」のように,「故」が形式名詞として,原因理由を示す接続助 詞のように使われる点では,和文の用法と共通しているが,分布の上では,訓 読調の強い巻二十以前を中心に用いられていることが注目される。
⑤と⑥の「活用語連体形+ガ故」も漢文訓読文に定着した表現であり,『今 昔』では天竺震旦部と本朝仏法部を中心に用いられている。ただし,「活用語 連体形+φ故」は③と④の文型による偏りはあまり見られない一方,「活用語 連体形+ガ故」は⑤の「活用語連体形+ガ故ニ」に偏っている点に相違が見ら れる。これは漢文訓読文には「活用語連体形+ガユヱニ」の例が圧倒的に多い
― 40 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
表五 『今昔』における使用状況 用言接続
⑥ 活用語連体形
+ガ故也 2 0 0 1 0 1 0 3 2 9 0 1 0 1 1 2 1 0 0 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 15
⑤ 活用語連体形
+ガ故ニ 10
7 6 1 3 10 12 6 4 59 5 8 5 4 4 5 3 3 12 49 0 1 1 1 0 0 0 1 0 1 5 113
④ 活用語連体形
+φ故也 2 2 2 3 3 1 0 3 6 22 1 3 1 3 2 3 3 2 2 20 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 2 44
③ 活用語連体形
+φ故ニ 5 7 8 1 0 5 2 2 1 31 0 1 4 3 3 4 5 0 3 23 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 3 57 体言接続
② 体言+
ノ故也 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 0 0 0 0 1 1 0 0 4 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 7
① 体言+
ノ故ニ 0 2 1 1 0 0 0 0 1 5 0 0 0 0 1 0 1 1 1 4 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 10 巻数
一 二 三 四 五 六 七 九 一〇 天竺震旦部
一一 一二 一三 一四 一五 一六 一七 一九 二〇 本朝仏法部
二二 二三 二四 二五 二六 二七 二八 二九 三〇 三一 本朝世俗部
合計
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 41 ―
こととかかわりがあると考えられる。それに対して,「活用語連体形+φ故」
は「活用語連体形+ガ故」の傾向と異なり,④の「活用語連体形+φ故也」が 多く見られ,より自由に用いられている。
表五によると,「活用語連体形+φ故」と「活用語連体形+ガ故」は,総数
(それぞれ101, 128)と巻ごとの分布において近い傾向が見られる。ここでは,
和文に用いられる「活用語連体形+φ故」の形が『今昔』においては,いわゆ る漢文調の強い部分に偏っている点を問題にしたい。
『今昔』においては,原因理由の接続表現の中で,「体言+ノ故」「活用語連 体形+ガ故」のような漢文訓読文の用法を継承しているものと,「活用語連体 形+φ故」のような和文にも見られたものが,いずれも漢文調の強い部分を中 心に混在していることになる。これは,一見して従来いわれてきた『今昔』の 文体は巻二十を境に前半は漢文訓読文体,後半は和文体に傾くという説と矛盾 するように見えるが,三節までに明らかにしたように,「活用語連体形+φ故」
と「活用語連体形+ガ故」とは和と漢の対立関係をもつもの(19)ではないと考え られる。接続助詞のように使われる「活用語連体形+φ故」の形は和文の一般 的類型というよりは,訓読文脈から作られた翻訳的な表現として,『今昔』の ような和漢混淆文に取り入れられたと考えられるのではなかろうか。すなわ ち,「活用語連体形+φ故」の形は,漢文に多く見られた「動詞+故」の構造 に基づいて成立したものの,平安中期以降になると,漢文訓読文ではその訓法 が「活用語連体形+ガ故」に統一されたことによって淘汰されたが,より自然 な日本語表現として,僧侶の実用文体である和漢混淆文には用いられ続けたと 考えられるのである。
それに関わる事実として,院政鎌倉期の和漢混淆文である説話や軍記物語(20)
において,用例が増加する傾向が見られることが挙げられる。それらの作品を 時代順に並べ,表六に用例数を示した。
表六に示したように,和漢混淆文的な特徴をもつ説話と軍記物語において は,「活用語連体形+φ故」と「活用語連体形+ガ故」と両方見られ,とりわ
― 42 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
け,『沙石集』や『延慶本平家物語』など鎌倉期の漢字片仮名交じり文作品に おいては,「活用語連体形+φ故」が優勢となっている。
前節で取り上げた和文では,漢文訓読的用語を選択する際には,生硬な語感 をもつ「活用語連体形+がゆゑ」を忌避して,比較的和文に馴染みやすい「活 用語連体形+φゆゑ」を用いる意識があったと考えられた。これに対し,院政 期の漢字片仮名交じり文『三宝絵』から『三教』までは,用言に接続する
「故」の用例がまだ少なく,そのうち,「活用語連体形+ガ故」の形で多く用い られている。このような事象は,院政期は本格的な和漢混淆文に至る萌芽期と しての性質をもつ時期であり,より訓読調的表現が優位な時期だと考えられ る。鎌倉期になると,説話や軍記物語において,漢文訓読の影響を受けた和文 にも用いられた「活用語連体形+φ故」が物語の叙述や会話文や論説部分など に幅広く用いられ,用例数が多く見られるようになり,和漢混淆文の用語とし て定着していったと考えられよう。この点は,体言接続の場合も同様で,和文 的な形式である「体言+φ故」とともに,漢文訓読文に源をもつ「体言+ノ 故」は院政期では少ないものの,鎌倉期の説話と軍記物語において定着してい く様が窺える。
これらの点から,院政期の『今昔』で,漢文訓読調の「活用語連体形+ガ 故」は巻二十以前に用いるが,それの性質とは異なる「活用語連体形+φ故」
も巻二十以前に多く用いており,本朝世俗部には用例が少ないことは,「活用 語連体形+φ故」が未だ漢文訓読的語感をもつ表現として,自由に用いる段階
表六 和漢混淆文における使用状況
計 35 47 261 82 425 高野本
15 7 15 7 44 延慶本
8 8 71 34 121 十訓
2 1 25 5 33 沙石
8 27 136 7 178 三教
0 1 9 16 26 佛教
2 1 2 6 11 百座
0 2 1 2 5 三宝絵
0 0 2 5 7 体言+φ故
体言+ノ故 活用語連体形+φ故 活用語連体形+ガ故
計
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 43 ―
には至っていないことを示していると考えられる。しかし,後の鎌倉期の作品 には,両方が同時に見られるとともに,「活用語連体形+φ故」が優勢となっ てくる。鎌倉期の「活用語連体形+φ故」はもはや漢文訓読文の影響というよ り,いわゆる和漢混淆文の用語として定着していると評価できるものであ る(21)。
5
ま と め以上,接続助詞的に用いる「ユヱ(故)」の各文体における使用実態を見る ことを通して,漢文訓読文から和文,和漢混淆文への展開を検討してきた。要 点は次のようである。
平安時代の漢文訓読文において,体言接続では「体言+ノユヱ」の形が定着 した。用言接続では,初期の訓点において,「活用語連体形+φユヱ(故)」が
「活用語連体形+ガユヱ(故)」とともに自由に用いられていた。平安中期にな ると,「活用語連体形+φユヱ(故)」の訓法は次第に姿を消したが,「活用語 連体形+ガユヱ(故)」の訓法が定着し,複合辞「(活用語連体形)ガユヱニ」
が固定化した原因理由の接続表現となった。このような表現の固定化は,平安 初期から平安中期を過渡期として平安後期以降に漢文訓読語が定型化するとい う傾向を反映したものとして捉えられる。
和文において,体言接続では,「体言+φゆゑ」が中心に用いられ,平安中 期以降の作品に,漢文訓読の影響によって,「体言+のゆゑ」も見られた。用 言接続では,漢文訓読的な表現として「活用語連体形+φゆゑ」が,原因理由 の接続表現として取り入れられた。用例が平安中後期の作品に集中しているこ とは,これらの作品に平安初期の和文からやや変質した性格が見られることを 反映していると考えられる。すなわち,これらの作品では,語彙・語法・表現 などの面では,和文体を基本にしながら,漢文が出典となる部分や,漢文に馴 染んでいた人物の会話文や,様々な地の文(仏教行事・重大場面など)の中
― 44 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
に,漢文訓読の要素が見られ,和漢混淆の現象が現れ始めたと考えられる。
院政期になると,用言接続では,「活用語連体形+ガ故」と「活用語連体形
+φ故」の両形を同時に用いる傾向が,『今昔』のような和漢混淆文で顕著に 見られた。『今昔』などにおける「活用語連体形+φ故」は,漢文訓読的用法 をそのまま踏襲したというよりも,和漢混淆文の中で勢力を延ばし,定着した 用語と位置付けられる。あるいは,平安初期の訓読文のように,「活用語連体 形+ガ故」とともに,「活用語連体形+φ故」を自由に用いる環境が僧侶の文 筆の中で残されていたとも推測されよう(22)。ともあれ,鎌倉期に入ると,一層 この二つの表現は増加し定着するが,生硬な訓読調の「活用語連体形+ガ故」
より,自然な日本語に近い「活用語連体形+φ故」が好まれたようである。こ れらの「故」を用いる表現は,用例の頻度の高さから,中世の和漢混淆文を特 徴づける表現の一つと言うこともできよう。
な お,「ユ ヱ(故)」の 類 似 表 現 と し て,原 因 理 由 を 表 わ す「ノ タ メ ニ
(為)」「ヲモチテ(以)」「ニヨリテ(依)」などが挙げられる。本稿で取り上げ た『今昔』の本朝世俗部に「故」が用いられないことの理由もこれらの表現の 使用に関わると予測できるが,紙数が尽きた。まだ多くの疑問が残っている が,すべて後考を俟つ。
注
⑴ このことは橘(1928)によって指摘されている。橘(1928)が『万葉集』にお ける用言接続の二例(「植ゑてし故に」「聞きし故に」)を不安定の例とし,「か ら」と訓んで除外すべきと指摘して以来,菊澤(1938),春日(1969)も同じ 観点を採っている。また,『古事記』には「にくろき由恵」の例(孤例)があ るが,上接語は用言といっても形容詞であるから,接続助詞的に用いるもので はないと菊澤(1938)が指摘している。
⑵ 僅かではあるが,「以」「之」「所」「因」の訓に用いることもある。また,「故」
と「所以」は実際に付訓されるものが少ないため,注釈者の補読した例も含 む。
⑶ 漢文訓読文では,接続助詞のように用いる「ユヱ」が文中に現れる場合,「ニ」
が付くのが一般的である。文末に現れる場合では,春日(1969)は,「ユヱニ 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 45 ―
ナリ」という形が平安初期の古点に見えることに基づき,後世の「ユヱンナ リ」は「ユヱニナリ」の 音 便 で あ る と 説 い て い る。ま た,築 島(1963)は,
「ユヱニナリ」という形は平安後期以降には少なくとも一般には存せず,「ユヱ ナリ」の形が普通になっていたと述べている。実際に訓法を明示した例が殆ど ないため,読み方は明らかでないが,本稿では基本的に「ユヱナリ」にする。
⑷ 訓点資料の調査には以下の資料を利用した。
春日政治(1969)『西大寺本金光明最勝王経古点の国語学的研究』勉誠社,築 島裕(1965)『興福寺本大慈恩寺三蔵法師傳古點の国語学的研究』東京大学出 版会,中田祝夫(1954)『古點本の國語學的研究』講談社(地蔵十輪経元慶七 年点,法華経玄賛淳?古点,法華経義疏長保四年点),中田祝夫(1980)『地蔵 十 輪 経(巻 五・七)元 慶 点:正 倉 院 本』勉 誠 社,兜 木 正 亨・ 中 田 祝 夫
(1979)『無量義経古点』勉誠社,太田次男・小林芳規(1982)『神田本白氏文 集の研究』勉誠社,『高山寺古訓点資料第一』東京大學出版會(論語・史記),
小林芳規(1958)「西大寺本 不空羂索神呪心経寛徳点の研究──釈文と索引
──」『国語学』33
⑸ ・惟ミレハ正法藏,慶(ヨロコヒ)ヲ曩晨ニ植(ウ)ヘテ,功ヲ長劫ニ樹(立 也)((《)ツ(す る))(》),故 ニ 沖 和 ノ[之]茂 質 ヲ 挺(ヌ キ)テ,懿(イ)
傑ノ[之]ヲ標スルコト得タリ。《惟正法藏。植慶曩晨。樹功長劫。故得挺沖 和之茂質。標懿傑之宏才。》(大慈恩寺三藏法師伝巻七)『大正新脩大藏經』で は上記のような区切りを示している。対句の構造をしていることから,「故ニ」
は接続詞としたほうが落ち着いているようにと思われるが,存疑例として保留 する。
⑹ ・所以(に),大小乘經の不同なる者(ユ)(ヘ)ハ,小乘經は力劣ナキヲ以
(て)ノ故に重罪を微薄して,猶,輕き地獄に墮(ち)たり。《所以大小乘經不 同者。以小乘經力劣故重罪微薄猶墮輕地獄。》(法華義疏序品初)のように,
「所以」は「活用語連体形+ユヱハ」の形で返読して,実質名詞「原因・理由」
の意であり,「所以VP2〔者〕」の部分は結果を表し,「所以」によって「VP2」 を名詞化し,文全体の主語となる。
⑺ ・因(と)いふは〔者〕,道理の義なるが所以なり。《因者所以・道理義故。》
(法華經玄賛巻三)原漢文から,「因といふは,所以・道理の義なるが故なり」
となるべきではないか と考えられる。
⑻ 和文の調査には以下の資料を利用した。
竹取 物 語(『竹 取 物 語 総 索 引』),土 佐 日 記(『土 佐 日 記 総 索 引』),大 和 物 語
(『大和物語語彙索引』),伊勢物語(『伊勢物語総索引』),平中物語(『平中物語 本文と索引』),蜻蛉日記(『かげろふ日記総索引:索引篇・本文篇』),宇津保 物語(『宇津保物語:本文と索引』),落窪物語(『落窪物語総索引』),堤中納言
― 46 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
物語(『堤中納言物語:校本及び総索引』),和泉式部日記(『平安日記文学総合 語彙索引』),源氏物語(『CD-ROM角川古典大観源氏物語』),紫式部日記(『平 安日記文学総合語彙索引』),更級日記(上に同じ),浜松中納言物語(『濱松中 納言物語総索引』),讃岐典侍日記(『讃岐典侍日記:本文と索引』),夜の寝覚
(『夜の寝覚総索引』),狭衣物語(『狭衣物語語彙索引』),栄花物語(『栄花物 語:本文と索引』),大鏡(『大鏡の研究』),宇治拾遺物語(『宇治拾遺物語総索 引』)
⑼ 体言接続の「ゆゑ」は,文中に現れるものが35例あり,文末に現れるものが4 例ある。「ゆゑ」の後続形式として,「体言+φゆゑ」には,「体言+ゆゑ」9 例,「体 言+ゆ ゑ に」15例,「体 言+ゆ ゑ こ そ」3例,「体 言+ゆ ゑ ぞ」1例,
「体言+ゆゑは」1例ある。「体言+のゆゑ」の後続形式は,「この人のゆゑに て」(源氏)の一例を除き,何れも「体言+のゆゑに」の形を取っている。「体 言+がゆゑ」は何れも「体言+がゆゑφ」の形を取っている。
⑽ 『栄花』において,漢籍仏典を典拠にもつ部分に漢文訓読語の混入が見られる ことは築島(1963)によって指摘されている。また,武藤(1963)では,『栄 花』は元来,漢文で書かれていた歴史書を始めて仮名物語化した作品であるた め,完全に漢文の表現から脱皮はし切れず,漢文的語句が多く使用されている ことが指摘されている。
⑾ 『宇治』の文体に関して,全体的には和文体に近い傾向を見せるが,出典文献
『古事談』との関係で,漢文訓読語・漢語使用と和漢混淆現象も一定の量で見 られる作品であることは,桜井(1990),藤井(2001)などの論考によって明 らかにされている。
⑿ 『万葉集』には,「ゆゑ」の用例に,人物と接続する例が多い。ただし,「体言
+のゆゑ」の形は,「人のゆゑにか」「何のゆゑそと」の2例のみである。ま た,この3例における「ゆゑ」の上接語はいずれも人物を指しており,後続内 容は悪い結果につながる点で,相互の関わりが窺える。さらに考えたい。
⒀ 筆者は漢文訓読語の全体を調査したわけではないが,典型的な漢文訓読語「べ からず」(2例)「ごとし」(1例)などは『浜松』に散見することが指摘でき る。また,半田(1984)の調査によって,『狭衣』では漢文訓読 系 の 接 続 詞
「もしは」(2例)「すなはち」(2例)「ただし」(1例)などの混入が見られるこ とが指摘されている。
⒁ 『新編国歌大観DVD-ROM』(角川学芸出版,2012)で「わがゆゑ」を検索した 結果,『万葉集』に11例を含め,20例見出される。
⒂ 『新編国歌大観DVD-ROM』では「おのれがゆゑ」の用例は見られず,「おのれ ゆゑ」が4例見出される。
⒃ 接続助詞的に使われる「ゆゑ」は,文中に現れるものが15例あり,原因と結 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 47 ―
果を倒置し,文末に現れるものが7例ある。「ゆゑ」の後続形式として,「活用 語連体形+がゆゑ」は何れも「活用語連体形+がゆゑに」の形を取っている。
一方,「活用語連体形+ゆゑ」は「…ゆゑに」のほか,「…ゆゑφ」「…ゆゑこ そ」などの形も見られる。
⒄ 『大鏡』の文章は,漢文訓読語と記録語の例が散見するが,和文が優勢な和漢 混淆文とされている(『日本語学研究事典』による)。また,小久保(1985)で は,「かくやうなり」「いとはなはだしく」のような和文語と漢文訓読語の雑糅 した形態が見られることを『大鏡』の文章の一特色としている。
⒅ 本稿の調査に使用したテキストは山田孝雄校注『日本古典文学大系本22-26 今昔物語集』である。用例の統計には馬淵和夫編『今昔物語集文節索引』を適 宜参照する。
⒆ 典型的な和文的対立をもつものとして,和文語「いと」と訓読語「甚ダ」,和 文語「ようなり」と字訓読語「如シ」などが挙げられる。
⒇ 説話と軍記物の調査には以下の資料を利用した。
三宝絵詞(『三宝絵詞自立語索引』),佛教説話集(『佛教説話集の研究:金澤文 庫本』),法華百座聞書抄(『法華百座聞書抄総索引』),沙石集(日本古典文学 大系本),古今著聞集(『古今著聞集総索引』),十訓抄(『十訓抄:本文 と 索 引』),三教指帰注(『中山法華経寺蔵本三教指帰注総索引及び研究』),延慶本 平家物語(『延慶本平家物語 本文篇と索引篇』),高野本平家物語(『平家物語
「高野本」語彙用例総索引』)
! 和 漢 混 淆 文 の 用 語 の 性 質 を 言 及 し た 先 行 研 究 と し て,青 木(2006),藤 井
(1990),山本(1987)(2005)などが挙げられる。
" 筆者は,漢文訓読文で「ユヱ」の用言接続が生じたと考える立場から論じてき
たが,これは勿論,日本語内部に用言接続の用法が自然発生の可能性があるこ とを否定しているわけではない。上代に既にある「ゆゑ」は,漢文訓読を介し て,用言接続の用法が拡張され,和文や和漢混淆文に取り入れられたという見 方がより自然なのではないかと考えられる。
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― 48 ― 原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について
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14
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山口佳紀(1993)『古代日本文体史論考』有精堂,pp 154-158
山本真吾(1987)「今昔物語集に於ける『速ニ』の用法について」『鎌倉時代語研 究』11, pp 159-184
山本真吾(2006)「平安時代に於ける『しきり(頻)』の意味用法について−その文 体的意義特徴,漢文訓読を要因とするニ型情態副詞の形容詞化の問題など−」
『国語語彙史の研究』25, pp 69-86
山本真吾(2007)「平安時代の和漢混淆現象と和漢混淆文」『国語語彙史の研究』26, pp 43-56
吉沢義則(1973)『増補源語釈泉』臨川書店,pp 241-243
原因理由の接続表現「ユヱ(故)」について ― 49 ―