明
治
仏
教
の
世
俗
化
論
ー
中
里
日
勝
の寺
族
形
成
ー
疋
田
精
俊
序
明治仏教の世俗化論 (疋田精俊) 明 治 仏教
で変
革 を き た し た 一 つ は宗
団 の 世 俗 化 現 象 で あ ろ う 。 幕 末 ま で の 仏 教 が 形式
的 と は い 工 戒 律 遵 守 であ
っ た と す れ ば 、 明 治 以降
の 仏教
は 世 俗化
の 傾 向 が 激 増 し て 、 い わ ゆ る 「 仏 教 の 戒律
」 を論
ず る と き 、 そ こ に 大 き な 差 異 を 生 じ た の で あ る 。 勿 論 か エ る 傾 向 は 瞬 時 に発
生 し た の で な く 、 日本
仏 教 の底
流 に 伝 来 当 初 か ら 少 な か ら ず そ の 兆候
の あ っ た こ と は 否 定 で き な い 。 幕 末 期 は そ の 集 積 状 態 に あ う た と い 玉 る の で あ る 。 そ れ だ け に 当 時 は 批 判論
や改
革
論
が 盛 ん に展
開 さ れ た 。 し か し 明 治 五年
四 月 二 五 日太
政 官 布告
= 二 一 二 号 は仏
教 宗 団 の 世俗
化
を 決 定的
に し た 最 大 要 因 で あ っ た と い っ て も 過 言 で な か っ た 。従
っ て 旧 仏 教 の復
興
が叫
ぼ れ た 反 面 、 時 流 の要
求 に 基 因 し た新
仏 教 が 登場
し 、 そ の ジ レ ン マ が 仏教
宗 団 全体
に内
在
し て い た 。 か よ う な 仏 教 宗 団 混乱
状 況 の 中 で 、 改革
派 に所
属
す る 中 里 目 勝 の 寺 族 形 成 論 に つ い て考
究 し て み た い と 思 う 。 一169
一智山学報三十二輯 一 註 1 先
ず
中
里 日 勝 の 経 歴 に つ い て 略述
し た い 。 何 故 な ら ば 中 里 が 仏 教 改革
に 思 い を 馳 せ て の行
動
の 一 端 を 示 し て い る か ら で あ る 。 安 政 六年
( 一 八 五 九 ) 九 月 一 七 日 一 橋 家直
参 の 家 の 次男
と し て 生 れ 、 明 治 四年
( 一 八 七 一 ) 四 月 八 日 一 三歳
の と き真
間 弘 法寺
高 松 日 棺 に つ い て 得 度 し 弘 立 と い う 。 同 一 七年
二 六歳
で 小 石 川蓮
華
寺
住職
と な り 、 同 一 九年
二 八 歳 で 日 蓮 宗 大 教 院 卒 業 す る 。 同 二 〇 年 三 月 録 司補
、 同 年 一〇
月
二 九 歳 の と き東
京 神 田 区 鈴木
町 成 立 学 校 で 英 語 学 を 学 び 、 同 二 二 年 一 月 三 一 歳 で英
人 ウ ィ リ ア ム ・ マ ン ソ ン に つ い て 英 会 話 を修
習 、 同年
赤
坂 円 通寺
へ転
住 職 し 、 同 二 四 年 四 月 中 村 敬宇
・ 長 三 洲 よ り 書 道 や 漢詩
を 学 ぶ 。 同 二 五年
一〇
月
三 四 歳 で第
一 区 大 檀 林 助 教授
、 同 二 七 年 に 赤 坂愛
敬 女 学 校 設 立 し て 校 長 就任
、 同 三 〇年
八 月 三 九 歳 で 円 通 寺 内 の小
檀 林 長 就任
し 、 同 四 〇年
一 一 月 四九
歳 の と き 福 田 会 育 子 院 常 務 、 同 四 四年
五 三歳
で 本 山 玉 沢妙
法 華寺
住 職 、 大 正九
年 聖 誕 七 百 年 奉賛
会顧
問 、勅
額奉
戴
奉 行 員 、 大 正 年 間 に は 北 京 に 東 洋 文 化 研 究 所 設 立 し更
に 玉 川 に 日 勝 庵 を建
立 、昭
和 六 年 一〇
月 円 通 寺 境内
に 図 書館
日 勝 文 庫 を 設 立 し て 仏 。 漢 書 等 約 一 万 四 千 冊 蔵 す る こ と に よ り 文 部省
及 び 宗 務院
か ら 表 彰 さ れ る 。 同 年 七 月 身 延奉
送 顧 問 や 赤 坂 仏 教 会 長就
任
、 同 一 〇 年 八 月 七 七歳
で 全 国 仏 教 大 会顧
問 、 同 一 八年
八 五歳
を 以 て 遷 化 す る 。 か よ う に 宗門
で は 重 鎮 的存
在 で あ り 、 ま た 教 育 や社
会 面 で も功
績 が あ り か な り 名声
を博
し た 。 し か し そ の 一 方 中 里 は 新 仏 教 徒 の 気 風 に温
れ 、 そ の 間 に寺
族 を 形 成 し た 。 即 ち 中村
は ま ( 安政
二ー
昭 和 四?
) と 知 り 合 い 、 明 治 三 〇 年 頃 赤 坂 円 通寺
の 境 外 地 (但
し 同 一 地籍
) に 別 宅 を構
え 同棲
し た 。 中 村 は ま は 中 里 よ り 四 歳 年 上 の 穏 や か で 理知
的 な 女 性 で あ っ た と い わ れ る が 、 子 供 は な か っ た 。彼
女 の 死 亡 で 、 中 里 は 昭 和 六 年 四月
七 三歳
で 吉 田 む め ( 明 治 二 二ー
昭 和 三 五 ) と 結 婚 し 円 通寺
内 で 生 活 し た 。 む め も ま た 貞 淑 且 つ 聡 明 な 女 性 で 住 職 の 補 佐役
を務
め た も の ム 、 や は り 子 供 に 恵 ま れ な か っ た 。 以 上 の 生 活態
度
が 示 す よ う に 、中
里 は 早 く か ら 在 家 生 活 を 提 唱 し 自 一170
一明治仏教の世俗化論 (疋田精俊)
実
践 す る行
動
家
で あ っ た 。交
友 関係
で は 、 同 じ 明治
三 〇年
頃 に 寺 族 を 持 ち な が ら後
年 宗門
の 最 高 指 導 者 的 地 位 と な っ た身
延
法 主 望 月 日謙
、池
上 本 門寺
酒井
日慎
、 中 山 法 華 寺 宇 都 宮 日 綱 等 が お り 、宗
門 外 に は 国 木 田 独歩
、 尾 崎 紅 葉 、中
村
不 折 、中
村 春 堂 、遠
山 満 、東
郷
平 八 郎 、 乃木
希
典 な ど 各分
野 に 亘 っ て の錚
々 た る 人 物 が 名 を 連 ね て い た 。 趣 味 の面
で は 漢詩
を 始 め 書 道 、 南 画 、 俳 句 、 和歌
と 多彩
であ
り 、 著書
に は 「 日 蓮 法華
綱 要 」 「 弊 帚詩
稿
」 「 飛錫
凌空
日 記 」 「 寿 命 保 全 法 」 「僧
風
革 新 論 」 な ど が あ る 。 以 上 の事
柄
が 示 す 如 く 、中
里 は 宗 門 の 内 外 を 問 わ ず 博 学 に し て 教養
あ る幅
広 い 人物
で あ っ た と い 玉 う る であ
ろ う 。従
っ て 仏教
宗
団 に 対 し て も 広 い 視 野 か ら 展 望 す る こ と に よ り 、時
代
の 要請
に 対 応 し て 旧 来 の弊
風
や小
乗 仏 教 的 な 在 り 方 を 改革
し 、 在家
仏 教 の生
き 方 を 推進
す る こ と こ そ 現時
仏 教 宗 団 の 課 題 で あ る と 認 識 し て 、 そ の考
え 方 の も と に行
動
し た も の と 推 測 さ れ る 。 特 に僧
侶 の 世 俗 生 活 に 関 し て は 、 前述
の 中村
は ま と 同棲
し た 直後
の 明 治 三 二 年 二月
に 「僧
風革
新 論 」 を 著 し 、 刷 新的
立 場 か ら 蓄妻
成 仏 論 を 世 に 問 う た の で あ る 。 し か る に 同 書 は 忽 ち に 売 り 切 れ た と 云 わ れ 、 か 玉 る 問 題 に 対 し て当
時 の 仏 教 徒 達 及 び 世 人 が 如 何 に 関 心 を 持 っ て い た か 父 充分
理 解 でき
る で あ ろ う 。 註 1 昭 和 五 二 年 一 一 月 一 日 港 区 赤 坂 円 通 寺 を 訪 問 し 、 住 職 中 里 日 顕 氏 よ り 師 即 養 父 中 里 日 勝 の 経 歴 ・ 交 友 関 係 ・ 趣 味 ・ 著 書 ・ 寺 院 生 活 態 度 な ど に つ い て 拝 聴 し た 。 殊 に 師 目 勝 が 生 前 中 に 語 ら れ た と い う 寺 族 形 成 に つ い て 興 味 深 い も の が あ っ た 。 そ れ に よ る と 日 勝 は 青 年 時 代 か ら 在 家 仏 數 を 主 張 し た 人 で 、 著 書 「 僧 風 革 新 論 ー 一 名 畜 妻 成 仏 義1
」 ( 明 治 三 二 ・ 二 ・ 二 三 ) は 情 熱 を も っ て 世 に 問 い 、 仏 教 界 で 一 大 脚 光 を 浴 び た と い う 。 河 村 孝 照 監 修 「 日 蓮 門 下 仏 家 人 名 辞 典 」 三 四 一 頁 参 照 。見
識 あ る妻
帯
僧
の 多 く が そ う で あ っ た よ う に 、中
里 も ま た寺
族 形 成 の肯
定 理 論 を 大 乗 教 理 に依
拠 し 、 大 い な る 確 一171
一智山学報三十二 輯 信 を 得 よ う と し た 。 即 ち 日 蓮 宗 徒 と し て の 中 里 は 、 そ の 思
考
方 法 を 宗門
設 立 の 所依
経
典 で あ る法
華 経 に求
め 展 開 し た の で あ る 。 そ れ ら は 著 書 「 僧 風 革 新 論 」 の 全 体 に 示 さ れ て い る が 、特
に 「 第 一章
経 釈 上 ヨ リ ノ 妻 帯 ノ 可 否 ヲ 論 ズ 」 に は 、法
華 経 の真
髄 に ふ れ 且 つ 聖 俗 に 対 す る 僧侶
の 心構
え が 如 何 な る も の で あ る か が 明 記 さ れ て い る 。 今 要 約す
れ ぽ 大 凡 次 の 如 く で あ る 。 第 一 は 仏 教 に お け る 戒嬬
の 存在
理 由 であ
る 。 仏 説 の 戒 搖 は そ の 目 的 が修
行 の 妨げ
を 防 止 す る た め に あ る の で あ っ 註 1 て 、 女 子 を 徒 ら に 不浄
悪 魔 と し て 遠 ざ け る所
以 は 小 乗 四 諦 の 教 え に 起 因 す る 。 即 ち 四 諦 修 道 の 目的
は 三界
の 生 死 を 註 2 出 離 し て 湟 槃 に 帰 着 す る に あ り 、 そ の た め に は 三 十 七 道 品 の 広 博 な る も要
は 生 死 た る 煩 悩 を 断 ず る こ と で 、 そ の 最 強 は 搖 欲 で あ る 。道
品 の 修 行 に は 五 停 心 観 を さ き と し 、 五停
心 中 不浄
観
を 修 し て 女 色 を 遠 の け貪
欲 を 断ず
る を 先 と す る 。 禁搖
の 戒 は こ 玉 に 原 因 し 、引
い て は諸
大
乗
経 に 散 説 し て い る だ け の こ と で あ る 。 第 二 は法
華 経 の 主 旨 は 煩 悩 即 菩提
に あ る 。仏
意
よ り 右 の 論 を 観 れ ば 、 生 滅 は 不変
真如
の 縁 に随
っ て変
動
を 生ず
る も の で 、 そ の 関 係 は隔
離 で き る も の で な い 。従
っ て 釈 尊 は 法 華経
に お い て 小 乗 羅 漢 の 妄 見 を 貶 し 、未
だ無
上道
を 得 な い か ら滅
度
し な い と い う 。 大 乗諸
経 論 中 に し ばく
出離
生 死 の 語 があ
る が 、 生 死 の 中 に あ る か ら 煩 悩 が あ る の で あ っ て 、 そ れ を な く す こ と は で き な い の で あ る 。 し か る に頑
陋 の 輩 は 権 乗 随 他 の方
便
に 惑 わ さ れ て 女 人 を擯
斥
す る こ と で 、仏
意
に 適 っ た と 思 っ て い る と こ ろ に 誤 り が あ る 。 そ の 理由
は 、 一 宗 成 立 す る に は 所 依 経典
に起
因す
る 故 に 、 経典
の 明 文 を 絶 対 に履
行
し な け れ ば な ら な い とす
る か ら で あ る ・ 例 え ば 法華
経 の 中 の安
楽行
・瞿
は ・ 「 五 種 不 男 の 人 に 近ぎ
て ・ 以 て親
厚
を 為 さ籍
」 と か ・ 「諸
の婬
女等
シ γ ゴ ン ヒ ト リ ビ ヨ ウ シ ヨ 註 4 に 尽 く 親 近 す る こ と勿
れ 。 独屏
処 に し て女 の
為
に 法 を 説 く こ と 莫 れ 。 」 とあ
る 。 し か し安
楽 品 は 元来
迹 化 の 初 心 に 対 し て 主 一無
適 の 行 法 を 示 し た も の で 、我
々本
化 の 宗徒
は こ れ を取
捨 し斟
酌
す べ き で あ る 。 こ れ に対
し 法 師 品 註 5 に は 「 仏 の 滅後
に 一 人 の 為 に 法 華 経 の 乃 至 一 句 を 説 け ば 、 こ の 人 は 如来
の 使 者 であ
る 。 」 と 、 一 人 の 為 に す ら 斯 の 一172
一明治仏教の世俗化論 (疋 田精俊) モ シ タ ジ コ ニ ヨ ケ ユ 如 し で 、 何 ぞ 老 若 男 女 屏 処 戸 隠 を 択 ば ず で あ る 。 次 に 安 楽 行 品 に 「 若 佗 の
家
に 入 ら ん に は 、 小 女 . 処 女 .寡
女等
と 共 に 語 ら ざ譱
」 と あ る の に対
し 、普
賢
品 で は 「 若 経 文 書 写 せ ば 、 是 の 人命
終
し て 、 当 に仞
利 天 上 に 生 ず べ し 。是
の 註 7 時 に 八 万 四千
の 天 女来
り て之
を 迎 え ん 。 其 の 人 、 采 女 の 中 に 於 て 娯 楽 快楽
せ ん 。 」 と 説 い て い る 。 か よ う に 法華
経
の 中 で 、 一方
は女
人 を 遠 ざ け 片 方 は こ れ を 近 づ け て い る わ け で 、 こ れ で は仏
も 亦 両舌
の咎
あ る と い わ ざ る を え な い 。 註 8更
に 安楽
行
品 に は 「 世 俗 の 文筆
讃
詠
の 外書
を 造 る 者 に 親近
せ ざ れ 」 と い N な が ら 、華
厳 経 に は 雅 思 淵 才 文 中 王歌
舞
談
説 衆 の欣
ぶ 所 一 切 世 間 の 衆 の技
術 の 現 わ れ な い こ と は な い と か 、 涅槃
経
に も 其威
儀
礼
節 を 知 り能
く 一 切 の文
章
技
芸 を 解 せ よ 、 と い う の で あ る 。 思 う に 今 や 僧侶
の 多 く は無
学 無 識 で あ る か ら 世 上 の 恥辱
を 受 け て い る 故 、 安楽
行 品 に 符 合 す る か も 知 れ な い が 実 に悲
し い こ と だ 。更
に ま た 安楽
行 品 に 沙弥
や 年 少 の 徒弟
を 蓄 え る こ と を禁
じ て い る鰭
涌 出 。瞿
は反
対雫
方
空 中 夙 に 諸 弟 子 を 教導
せ よ と 説 い て矯
・ し か る に 宗 家 の現
状 で は ・有
態
る 人楚
欠 乏 し て も斗
答 の輩
が多
く 宗門
の 崇 位 を 漬 冒 し つ 瓦 あ る 故 、法
運 寺 門 興 隆 の た め に 秀 れ た 子 弟 を 教 養 し な け れ ば な ら な い 。 以 上 の こ と か ら 徒 ら に 経 文 の 半 面 に 盲 従 す る 担 板 漢 で あ っ て は な ら な い と 強 誦 し た 。 第 三 は 日蓮
宗徒
の 易 行 に対
す る 心構
え で あ る 。 宗 祖 日 蓮 は 寿 量 一品
と涌
出
分
別 の 前後
両 半 を 除 く外
は 、 小来
教 邪 註 11 見 教未
得 道教
覆
蔵 教 と 斥 け ら れ た 。 し か し 一 旦豁
然 と し て活
眼 を開
き 法華
経
を 読 誦 す れ ば 、 た と い 阿 含 小 来 教 も 法華
経
と 同 一 で あ る こ と が判
明 す る 。 そ れ 故 経 に 曰 く 声 聞 の法
を 結 了 す る に 是 れ諸
経 の 王 な り とあ
り 、自
在 無 礙 な れ ば之
を 法華
経
独得
開会
の法
門
と い う 。 蓋 し 寿 量品
こ そ は 仏陀
甚 深 の 般若
を直
説 す る も の で あ り 八 万 法蔵
の 精神
で あ 註 12 る 。 既 に 論 じ た如
く で あ る か ら 況 ん や 爾 前 四 十余
年 四 味 三教
の 権 説 を 斥 け る は 当 然 で あ る 。 か よ う な観
点 か ら 日 蓮 宗徒
に は瑣
尾
な禁
搖 の 一 戒 な ど ど う で も よ い の で あ っ て 、自
分
に と っ て 本門
の妙
戒 こ そ は安
宅 で あ る 。 之 に 坐 臥 行 住 し て こ そ自
由
快
楽 の 妙味
が あ る 。 源 空 は 無 用 の 戒律
を 説 か な い 三 部経
を 用 い 他 の経
論 一 切 を捨
閉
閣 抛 せ よ と 論 じ 註 13 た如
く 、或
は 権実
を 判 別 す る の 明 を 欠 く と 雖 も 易 行 一 門 を開
い て 末 法 の 下機
に臨
み た る は敏
活 霊智
な 人 であ
っ た 。 一173
一智山学 報三十二輯 そ の 門 流 に 親 鸞 の よ う な 傑 僧 を 出 し 易 行 の 一 門 隆 盛 し た の は 偶 然 で な く 、 日 蓮 宗
徒
は 之 を鑑
み る べ ぎ で あ ろ う 。 以 上 よ り 中 里 は 宗 祖 日 蓮 の 宗 教 的真
髄 に 接 し て 、 法 華 信 仰 者 に と っ て焙
戒 な ど 些 細 な こ と で あ り 、 法華
経 の 教 え を 実 践 す る 者 で あ れ ば 、 寺 族 形成
し な が ら も 煩 悩 即菩
提 の境
地 を 体 得 で き る こ と に 、何
等 異議
を 唱 え る も の で な い と し た の で あ る 。 と か く 付 和 雷 同 的 時 期 の中
で 、 中 里 は 新 時 代 に 即応
し た 仏 教改
革
の 一 課 題 に寺
族 形 成 を 提 示 し 、所
依 経 典 中 か ら 世 俗肯
定 の 理 論体
系 を 見 い 出 し て 、 法 華 信者
と し て確
固
た る 信念
の 基 に 自 ら 寺 族 形 成 を実
践 し 窮 行 し た と こ ろ に 、 指 導 老 的 存 在 意義
が あ っ た と い え る 。 註1
中 里 日 勝 著 「 僧 風 革 新 論 」 八 頁 註 2 宇 井 伯 寿 監 修 「 仏 教 辞 典 」 三 六 〇 頁 に 「 三 十 七 道 品 」 と は 、 涅 槃 に 到 る 道 路 の 資 糧 た る 三 十 七 種 を い う と あ る 。 註3
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 二 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 法 華 経 新 講 」 二 〇 〇 頁 、 二 〇 一 頁 に は 更 に 「 禦 紫 処 紫 及 び も讃
の 不 男 に 皆 ご ん 親 近 し て 以 て 親 厚 を 為 す こ と 勿 れ 」 と あ る 。 註 註 註 註 註 註 註 註 註 註 13121110987654 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 二 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 二 〇 二 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 二 頁 。 里 見 岸 雄 著 「 法 華 経 の 研 究 」 二 四 六 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 一 五 六 頁 。 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 = 一 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 二 〇 〇 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 三 頁 。 里 見 岸 雄 著 「 前 掲 書 」 五 四 一 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 三 七 八 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 = 二 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 二 〇 〇 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 四 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 二 〇 一 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 四 頁 。 久 保 田 正 文 著 「 前 掲 書 」 二 二 一 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 五 頁 。 里 見 岸 雄 著 「 前 掲 書 」 五 四 頁 里 見 岸 雄 著 「 前 掲 書 」 五 五 − 五 六 頁 中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 一 七 頁 一174
一明治仏教の世俗 化論 (疋田精 俊) 寺 族 形
成
に お い て 最 も 関 心 の 的 と な る の は 、 戒律
の 解 釈 を め ぐ っ て ど の よ う に対
処 し た ら よ い か と い う こ と で あ ろ う 。 こ れ に つ い て 中 里 の考
え 方 を大
凡 次 の 三 点 か ら 究 明 し て み た い 。 そ の 一 は 最 澄 の 説 示 し た末
法 無 戒論
と い う考
え方
を 倣傚
し た こ と で あ る 。 即 ち最
澄 が 小乗
戒 を批
判 し 棄 捨 し て 大 乗 戒 を 創 唱 し た と き に 論 じ た と い わ れ る 「 持 戒 を も っ て 市 の 虎 」 の 思惟
を 日 蓮 が 全幅
継 承 し た如
く 、 中 里 も ま た か ム る 思 惟方
法 を 、 革 新 時 代 に 合 せ て 一 層 強 く 同 調 し た 。 中 里 に よ れ ば 、 正像
末 三時
史
説 に従
っ て 明 治 激動
期 も ま さ に 末 法 時 の 延 長 に あ る か ら 、 破 戒 無 戒 の 状 態 で あ っ て も 決 し て 不 自 然 で な い 。 実 大乗
の迹
門
と 雖 も隠
没 す る と き で ユあ
る か ら 、 況 ん や 小 乗 と か権
大 乗 の如
き 浅 近 の 仏 法 が 正 し く実
行 さ れ る 道 理 が な い と い う の で あ る 。 し か も こ の よ ニ う な無
戒 名 字 の 比 丘 で あ っ て も 、僧
侶 に 代 り が な い と す る 「 末法
灯 明記
」 に 深 く 心 を 傾 け た 。 そ れ ど こ ろ か 「末
法
唯胤
二 名箆
黒
此名
篶
二費
多
更 無一福
壁
」 で ・ 末 法 時 に は無
戒 名 字 の 比 丘 で あ ・ ても
衆
生 の 灯 明 と な り 救済
で き る と し た と こ ろ に 、 大 い に関
心 を 示 し た の で あ る 。 た し か に外
形 上 持 戒 者 を 装 っ て も そ の裏
面 で 破戒
無戒
者 で あ る な ら ば 、 む し ろ 小 乗 的 戒 律 主 義 の 形骸
に 囚 わ れ ず 、 末 法 時 な る が 故 に 妻帯
し て も な お真
実
追
求 の 仏 教 者 と し て真
剣
に 生 き た方
が 救 わ れ る と し た 。従
っ て か よ う な 無 戒僧
に対
し て 何 か と 罵 倒 及 び 誹謗
し た な ら ば 、 必 ず 悪 報 を得
る こ と に な る か ら厳
に慎
し ま な け れ ば な ら な い と 、 中 里 は 祖判
や 諸 経典
を 例 証 し て 次 の 如 く 論 じ て い る 。 「 蓮祖
ノ 垂 示 二 日 ク 末 法 ニ ハ 無 戒 ノ者
ヲ供
養
セ ン コ ト 仏 ノ 如 ク ス ベ シ ト 大 集 経 二 云 ク若
シ後
ノ 末 世 二 我 法 ノ 中 二 於 テ 鬚髪
ヲ剃
除
シ身
二 袈 裟 ヲ着
タ ル 名字
ノ 比 丘 若 シ 檀 越有
テ 信 施供
養 セ パ無
量 阿僧
祗 ノ福
ヲ 得 ル ト 又賢
愚 経 二 云 ク 若 タ ト マ シ 檀 越 有 テ将
来 ノ 末 世 二 法 尽 キ ナ ン ト 欲 ス ル ニ 垂 ン ト セ バ 正 使 ヒ 妻 ヲ 蓄 へ 子 ヲ挾
ム ト モ 四 人 以 上 ノ名
字 ノ 僧 衆 二 応 サ当
二敬
視 セ ン コ ト 舎 利 弗 大 目 蓮 等 ノ如
ク ス ベ シ ト 又 云 ク 若 シ破
戒
無 戒 ノ 身 二 袈 裟 ヲ着
タ ル ヲ 打 罵 セ パ 罪 万 億 仏 ノ身
血 ヲ出
ス ニ 同 ジ ト 又 法 華 経 二 云 ク 若 シ 復是
ノ 経典
ヲ 受 持 ス ル者
ヲ 見 テ 其 ノ 過 悪 ヲ 出 サ ン 若 ク ハ実
ニ モ ア レ 若 ク ハ 不 一175
一智山学報三十二輯
実
ニ モ ア レ 此 ノ 人 現 世 二 白 癩 ノ 病 ヲ得
ソ若
シ 之 レ ヲ 軽 笑 ス ル者
有 レ バ 当 二 牙 令 疎 欠 シ 諸 々 ノ 悪 重 病 ア ル ベ シ 是 ノ 故註 3 二 普
賢
若 シ 是 ノ経
ヲ 受 持 セ ン 者 ヲ 見 テ ハ 当 二 起 テ 遠 ク 迎 フ ベ キ コ ト 当 二 仏 ノ如
ク ス ベ シ ト L末 法 無 戒 論 は 堕 落
僧
を擁
護
す る た め の も の で な く 、 宗 教 老 と し て の 自 覚 を喚
起 す る に あ っ た と い N る 。 そ れ 故 に 中 里 は 無 戒 者 で も 正 法 時 の 持 戒 者 と 同様
に 、 世 間 か ら 尊 敬 さ れ る に 値 す る と い う論
旨 に 惹 か れ た も の と 推 測 さ れ る 。従
っ て 徒 ら に無
戒 名 字 の 比 丘 を 非 難 す る の で な く 、 現 時 が 末 法 期 で あ る こ と を 思 い ば 、 無 戒 に こ そ 真 の 宗 教 的 意 味 が 秘 め ら れ て い る の で あ っ て 、 ま さ に新
時代
に ふ さ わ し い 在 家 仏 教 の 到 来 を 考 え た の で あ ろ う 。二 は 大 乗
菩
薩
戒 に 基 因 し た 在 家 的僧
団 形 成 を 目 指 す も の で あ っ た 。 い う ま で も な く 大 乗 菩薩
戒 は 小 乗 仏 教 の戒
律 形 式 主 義 に 反 対 し て 生 起 し た も の で 、 戒 の根
本 を外
見 的 律 法 に お か ず 、 実 質 的 な自
己 の 信 念 や 態 度 に お い て 生 活 す る こ と にあ
っ た 。 こ の よ う な 見 解 に た っ て 中 里 は菩
薩 戒 を 次 の 如 く 述 べ て い る 。 「 然 ル ニ律
僧
一 輩 ノ徒
去 暦 無 用 ノ 戒律
ヲ 呶 々 シ 以 テ 自 讃 毀 他 ヲ 逞 ウ ス 是 レ 内 二 盗 跖 ノ 心 ヲ 懐 ヒ テ外
二 伯夷
ノ 風 ヲ 装 フ者
真
二律
国 賊 ト 課 フ ヘ キ ナ リ古
人持
戒 ノ相
ヲ 論 ジ テ 日 ク 名利
ノ為
二 戒 ヲ 持 シ 果報
ノ 為 二 戒 ヲ 持 シ 有 為 ノ 心 ヲ 以 テ註 4 戒 ヲ 持 ス
皆
是
レ 世 間 不浄
戒 名 ヅ ケ テ浄
戒 ト 為 サ ズ真
ノ 清 浄 戒 ハ 無戒
無持
是 菩薩
ノ浄
戒 ナ リ ト 」 菩薩
思 想 は妻
帯 成 仏 を肯
定 す る 。 中 里 は こ の 理 論体
制 を 擁護
す る た め に 、 更 に 「末
法 灯 明 記 」 の 一 節 を引
用 し て 「 大 悲 経 二 云 ク 仏 阿 難 二 告 ク 後 ノ 末 世 二於
テ 法滅
セ ン ト 欲 ス ル 時 当 二 比 丘 ・ 比 丘尼
我 法 ノ 中 二 於 テ 出 家 ヲ得
巳 テ 手 二 児 臂 ヲ牽
キ テ 共 二 遊 行 シ 酒 家 ヨ リ 酒 家 二 至 リ 我法
ノ 中 二於
テ 非梵
行 ヲ作
ス ル コ ト 有 ル ベ シ 彼 等 酒 色 ノ 因 縁 ヲ 為 ス ト 雖 ト モ此
ノ 賢劫
ノ 中 二 於 テ 一 切皆
当 二 般 涅槃
ヲ得
ベ シ ト 又 大 集 経 二 云 ク 若 シ 衆 生有
リ テ 我 法 ノ 為 ノ 故 二鬚
髪
ヲ剃
註 5
除
シ 袈 裟 ヲ 被 服 ス ル 設 ヒ 戒 ヲ 持 タ サ ル モ 彼等
悉
ク 巳 二 涅槃
印 ノ 印 ス ル所
ト 為 ル ナ リ 」 と 記 し て 、 大 乗 仏 教 思 想 の 根 本 的 精 神 で あ る自
在 無 礙 性 を 強 調 し た 。大 乗 菩
薩
戒 で は 一戒
を 守 れ ば 一 戒 の僧
と さ れ 、 一分
の 破 戒 を 行 っ た か ら と て 必ず
し も 僧 侶 の資
格 を 失 う も の で な 一176
一明治仏教の世俗 化論 (疋田精俊) 註 6 い と す る 。
菩
薩
は自
利 々 他 円満
を 理 想 と す る 。 従 っ て 小 乗 仏 教 の 如 く 自 利 だ け に 目 的 を お か ず 、戒
律
の 解 釈 を拡
大
す
る こ と に よ り 、幅
広 く衆
生 に接
し て 活動
し善
行 を な し て 自 利 々 他 の 行 を達
成 し よ う と す る の であ
る 。 そ れ 故 に僧
侶
が僧
侶
と し て の本
分
を 一 心 を も っ て 全 う す る な ら ば 、 小 乗戒
の よ う な 狭少
に縛
ら れ ず 、適
宜 に世
俗
的 行 為 を な し て も 求 道 に 何 等 妨 げ と な ら な い と す る の が菩
薩
戒 の精
神
な の で あ る 。 か よ う な 思 想 を も っ て 在 俗 生活
を 行 な い な が 註 7 ら 、 仏教
伝来
の祖
師
と か 高 僧 と讃
仰 さ れ た 人達
も こ れ ま で に 可成
り い た 。 中 里 に よ れ ば 、竜
樹
菩薩
は宮
女 を 懐 胎 さ せ ても
八宗
の始
祖
と し て 後 世 に仰
が れ 、 羅什
三蔵
は妻
妾
を も っ て も高
僧
伝 に 名 を 連 ね 、親
鸞
は 瞰肉
妻
帯
し て も大
師
号
を勅
許 せ ら れ 、 日蓮
は緑
酒 を酎
で 林 泉 に諷
詠
し て も大
菩 薩 号 を 勅 贈 さ れ た の は 、 い ず れ も僧
侶 と し て の 本分
を 尽 力 し た か ら であ
る 。 反 対 に 修学
布
教 な ど そ の 本分
を 忘 れ 、 酒池
肉 林 に あ っ て 歓 娯 徴 逐 し 施財
の 浪費
な ど す る を 堕 落 と いう
。従
っ て堕
落 と妻
帯 と は 同 鳳 で な い と い う の で あ る 。 以 上 よ り 中 里 は仏
教 の真
意
・ 釈 尊 の 大法
を 理解
し得
た な ら ば 、持
戒
犯戒
と 呶 々 す る は末
稍
的 議論
に す ぎ ず 、 そ れ よ り む し ろ 菩薩
思 想 及 び そ の戒
律
を 正 当 に解
釈 す る こ と に よ り 、 寺 族 形 成 は 可 能 で あ る と強
調 し た か っ た の で あ ろ う 〇 三 は 時 処 位 に応
じ て 戒律
や僧
団 形 成 に変
化 が み ら れ る の は 当 然 で あ る と し た 。 中 里 は僧
侶 の 規律
や 在 り 方 に つ い て往
時
と 現 時点
を 対比
し な が ら 、 「 三 衣 一 鉢 樹 下 石 上禁
搖
断肉
ニ シ テ 木食
澗 飲 ス ル者
ノ外
僧
侶 二非
ズ ト 思 惟 ス ル 者 註 8 ハ社
会
変
遷 ノ 理 ヲ 知 ラ ザ ル愚
盲 ノ ミ 」 と述
べ 、更
に 続 け て 例 え ば鎌
倉 時代
に実
施 し た式
目 を 以 て 明 治今
世 の国
民 を 治 め る こ と は到
底
不 可 能 な相
談
で あ る が如
き と い う 。 即 ち我
国 の歴
史
過 程 に お い て さ い 政 治社
会 な ど の 諸 形 態 が変
容
し た に も 拘ら
ず 、僧
侶社
会
だ け が往
時 の 儘 で はあ
り 得 な い こ と で 、 ま し て や 仏 教伝
来
の 経路
で あ る イ ン ド ・中
国 ・ 日 本 で は 、 自 然界
の相
違
や 時代
の 変遷
、 国 状 に よ る 人情
風俗
慣
習 な ど を そ れ み 丶異
に し て い る の で あ る か ら 、 釈尊
時 代 の規
律
や僧
団 形 成 を そ の儘
現 時 に実
施 存続
さ せ る こ と は事
実 上 囲難
な こ と で あ ろ う 。 例 え ば 三 衣 の 制 は 釈 一177
一智山学報三十二輯
尊
が 毘 舎離
で 寒 気 を防
ぐ た め に 、 一 衣 ・ 二 衣 ・ 三衣
と 随 時 加 え た こ と に よ る と い わ れ る が 、 も し 釈 尊 が 熱 帯寒
帯 の 錘 9 各 地 方 に お ら れ た ら着
衣数
も そ の 都 度変
え ら れ た で あ ろ う 。 ま た 僧 残 法第
二 条 の摩
触 女 人 戒 で は婦
女 子 の 衣 服 に も触
れ て な ら ぬ と さ れ る が 、現
時 の雑
踏 の 中 で は 到底
守 り 得 ぬ も の で あ る 。 か う な よ 観 点 か ら 中 里 は 、 慣習
化 し た 僧侶
の 形 式 的 規律
に 封 す る 認 識 を 早 急 に改
め る よ う 提 唱 し た も の と 推 測 さ れ る 。勿
論 戒 律 は 釈尊
の 教 義 を 信奉
す る 各 人 が 仏 道精
進 を 目 指 し て 修 行 す る た め の 規制
事 項 で あ り 、 且 つ 教 団内
部 の 秩 序 を維
持 す る た め に 制 定 さ れ た も の で あ る こ と は い う ま で も な い 。 し か し 戒律
の 多 く は 前 述 の如
く 、 釈 尊時
代
か ら そ の時
処 位 に 応 じ て制
定 さ れ た も の で あ る か ら 、 場 合 に よ っ て は 相 反す
る も の や 矛盾
す る も の さ い あ る 。 か ム る 事情
に つ い て 舎利
弗
問 経 に は 、 舎 利 弗 が 釈 尊 に 向 っ て何
故 戒 律 を説
き な が ら時
に 禁 じ ま た時
に 許 し給
う の か と質
問 し た の に 対 し 、釈
尊
は お も む ろ に 「 我 が 言 は こ れ随
時
と 名 つ く 。 此 の 時 中 にあ
っ て は こ の 語 を 行ず
べ し 。 彼 の時
中 に あ っ て は 彼 の 語 を 行 ず べ し 。 利 註 13 行 を も っ て の 故 に皆
奉
持 す べ し 。 」 と 述 べ ら れ た と い う 。 つ ま り 戒 律 は 修 道 生 活 の 大 刧 な規
劉 で あ っ て も 幾 多 の 事 例 よ り 、 そ れ が 絶 対 的 圏定
的 な も の で な か っ た こ と が 判明
す る 。 こ の よ う な戒
律
の解
釈 は 明 治 以降
、 既 成 事実
と な っ て き た 世 俗 化 僧団
体 欄 と 仏 教 学 の 近 代 化 に よ り急
足 に発
展 し た 。 近 代社
会
へ の 動向
と こ れ に 対 す る 僧 団 の適
応 に鋭
敏
な 感 覚 を も っ た 中 里 も ま た 、 五 分律
よ り 「 是 レ我
力語
ナ リ ト 註 11 雖 ト モ 余方
二 於 テ清
浄
ナ ラ ザ ル 老 ハ 行 ゼ ザ ル モ過
ガ ナ シ 」 を 引 用 し 、 結 局 は戒
律
の精
神
を考
え 、 時 処 に応
じ て そ の 用 捨 を充
分知
る こ と だ と い う の で あ る 。 即 ち 仏陀
時 代 に お い て す ら か 玉 る 状態
で あ っ た か ら 、 時処
位 の相
違 す る 我 国 現 時 の 如 く 急 速 に変
化 し た 社 会 状態
に お い て は 、 戒 律 の解
釈 や 僧 団 形 成 も変
容
し ざ る を 得 な い と し た 。 そ の 結 果 寺 族 形成
に よ っ て 仏教
興隆
さ れ る な ら ば 、禁
嬉
制 を解
く のも
止 む を 得 な い し む し ろ 得 策 で あ る こ と を 強 調 し た の で 一 178 一一あ る 。 註
1
中 里 目 勝 著 「 僧 風 革 新 論 」 五 二 頁 。 宇 井 伯 寿 監 修 「 仏 教 辞 典 」 三 二 九 − 三 三 〇 頁 、 四 六 八 頁 参 照 。 例 え ば 「 大 乗 の 申 に 権 実 の 二 つ を わ け 、 一 切 皆 成 仏 を 立 て る 宗 を 実 大 乗、 そ う で な い 宗 を 権 大 乗 と す る 」 と あ る 。 註 2 松 原 祐 喜 著 「 末 法 灯 明 記 の 研 究 」 二 〇 頁 、 三 八 頁 、 一 六 〇 頁 、 一 八 一 頁 註3
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 五 四 頁 。 松 原 祐 善 著 「 前 掲 書 」 一 八 九 − 一 九 〇 頁 参 照 註4
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 五 二 頁 註5
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 二 〇 頁 。 松 原 祐 善 「 前 掲 書 」 一 九 〇 頁 参 照 註6
上 田 天 瑞 著 「 戒 律 の 思 想 と 歴 史 」 二 六 四 頁 参 照 註7
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 六 八 頁 註8
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 七 一 頁 註9
上 田 天 瑞 著 「 前 掲 書 」 二 五 四 頁 、 四 二 頁 。 手 島 文 倉 著 「 戒 律 聖 典 」 上 参 照 註10
上 田 天 瑞 著 「 前 掲 書 」 二 五 五 頁 、 四 五 頁 参 照 註11
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 七 二 頁 一179
一 明治仏教の世俗 化論 (疋田精俊) 四 日 本 仏 教 の 歴 史 を 通観
す る と表
面
上 に お い て は 、如
何 に も 戒律
遵 守 の 方向
を 示 し て き た か の よ う であ
り 、 従 っ て 仏 教 宗 団 の 伝統
的 権威
や 慣 習 的秩
序
は 、 一様
な り と も 平穏
を 保 っ てき
た よ う に 認識
す る の が こ れ ま で の 一般
的 見 解 で あ ろ う 。 し か し 実 際 的 に は こ の 考 え 方 が 必 ず し も妥
当 と は い エ難
い 面 も 多 く あ り 、 殊 に僧
侶 の 世 俗的
行 為 に 関 し て は む し ろ 長 い 歴史
の 中 で 、 宗 団 内 部 に深
く 侵蝕
し暗
黙 裡 に 行 わ れ て い た 形跡
が 見 ら れ る の で あ っ て 、 か エ る傾
向 は 明 治初
期
に 一挙
に噴
出 し 僧 侶間
で か な り の 範 囲 に布
衍 し て い た の で あ っ た 。 か つ て 僧侶
の 世俗
的行
為
は、 宗 団 を 堕 落 と か智山学報三十二 輯
腐
敗 を 譲 成 し 仏 教 を 衰 頽 さ せ る 根 源 の如
く 思 わ れ 、 か な り厳
し く 取 り 締 っ た に も 拘 ら ず 、 そ れ が 反 対 に 大 勢 を 占有
し 且 つ 優 位 な 立 場 と な る に 及 ぶ や 、 菩 薩 思 想 を 土 台 に 在 家 仏 教 を肯
定 す る 理 論 面 を 展 開 し 、 し か も僧
侶 自 身 が実
践 を 通 し て 逆 に 新 時代
に 生 き る 仏 教 の 在 り 方 と か 、 或 は新
教 化 活 動 に 適 応 し 得 る 機能
が あ り大
い に社
会 に寄
与 す る な ど N 言 及 す る よ う に な っ た 。 こ 乂 に 至 り 戒 律 遵 守 を 基 因 と し た 伝統
的 秩序
は 、 時 代 の 推 移 と共
に 旧態
依存
の 単 な る陋
習 に すぎ
ぬ と 思惟
し 、 そ の 理 解度
は 低 下 を 示 す よ う に な り 、 反対
に新
し い 規 律 の も と で仏
教 宗 団 の 発 展 を 促進
し よ う と す る気
運 が 大 い に 漲 っ て き た 。 か よ う に新
時 代 の要
請 と は い 玉仏
教 宗 団 の 変 革 、 つ ま り 旧 秩 序体
制 が 崩壊
の 一 途 を 辿 り 、 そ れ に 替 っ て新
様 式 に 基 因 す る 秩序
体 制 が 確 立 す る に 従 っ て 、 新体
制 に 対 す る疑
問点
も多
く 現 わ れ る よ う に な り 、 そ れ へ の得
失 或 は 功 罪 が 当 然 の如
く 間 わ れ た の で あ る 。 こ の よ う な 状 況 の 中 で 、 新 仏 教徒
的 立 場 にあ
る 中 里 は 仏教
宗
団 に 寺 族 形 成 を 要 望 す る に際
し 、 か エ る 世 俗 的 行 為 に よ る 宗 団 へ の得
失 ・ 功罪
が 如何
な る も の で あ る か を考
え 、数
項 目 に 亘 っ て 論 じ た 。今
そ れ ら に つ い て 要約
且 つ 引 用 し な が ら 中 里 の 真 意 を 探 っ て み ょ う 。 註 ユ 一布 教 上 よ り の
得
失 論 布 教 伝 道 の 手 段 は時
機 に 応 じ て 剛柔
寛 厳 の 別 は あ っ て も 、 そ の 目的
は 人 心 の粗
暴
を平
穏 に し 信仰
心 を 高 揚 す る に あ る か ら 、 概 ね 温顔
柔
容 に し て和
気藹
然 た る態
度
で な け れ ば な ら な い 。 し か る に禅
宗 の棒
喝 や 日蓮
宗 の 折 伏 の 如 き 過 激 な 手 段 で は 、 人 々 へ の 教 化 に無
理 が あ り 、 ま し て や 三衣
一 鉢 ・ 樹 下 石 上 孤 錫 瓢然
と し た布
教態
度
で は 、 一 対 一 の 或 は 求 法 者 に対
し て は 往 昔 に 通 用 し た であ
ろ う が 、 現 時 の 如 き 社 会状
況 の変
化 し た 大 衆 化 伝 道 に は 困難
が あ り 、 そ れ 程 の 効 果 が あ る と は 思 え な い 。 そ の 点 、女
性 は 天 性 柔 和 に し て情
愛
に 豊 む か ら 、 檀 信 徒 は 畏 憚 な く 親 近 し 易 く 、信
心 へ の 誘 引 化 導 す る に 効 果 が 註 2 あ る 。 諸経
典
の 中 に は 、 女 人 は 地 獄 の使
者 に 等 し く 仏 道 の障
礙 云 々 とあ
る が 、 そ の 反 面 、 天女
は 極 楽 の使
者
で 仏 の 一180
一明治 仏教の世俗化論 (疋田精 俊) 種 子 を
播
す と も 云 わ れ る 。 こ の 故 に 僧 侶 は 、優
雅 に し て 品性
あ る婦
女 を 娶 り 、 寺庭
婦 人 に教
義
を 伝 授 し て 布 教 伝道
に 活用
す れ ば 、 住職
と 合 せ 倍 加 の勢
力 を 得 る こ と に な ろ う 。 耶蘇
教 伝 道 師 は教
線
拡 張 の た め に 遠 く 東 洋 の 未 開 僻 地 に ま で 蹈破
し 、 た と え 蛮 民 の 兇 刃 に 倒 れ よ う と も 尽瘁
し て い る 。 そ の 理 由 は夫
婦 で 伝 道 し て い る か ら で 、 家 族 と 移 動す
れ ば如
何
な る 処 も 故 郷 と な り厭
う こ と が な い の であ
る 。 こ れ に 対 し て 僧侶
は概
ね 無 教 育 且 つ賤
婢 な る婦
女 を梵
妻 に 迎 え て い る 故 に 、 寺庭
婦 人 と し て 相携
い 海外
宣 教 に 派 出 す る が如
き行
為 は全
く 空 想 に 近 い し 、 た と い宗
命 を帯
び て海
外 布 教 伝 道 に 出 張 し て も 、忍
耐
心 な く常
に 帰 心 の 切 な る も の が 多 い の で あ る 。 か よ う な態
度 で は布
教
上 と は い 工寺
族 を も つ も 決 し て得
策 で は な い 。 し か し こ れ に は個
人 差 が あ る か ら 、 結 局 一寺
住 職 以 上 で寺
族 を 持 つ に ふ さ わ し い 実 力 が あ り 、 有能
な る 者 に 限 っ て 公許
す る こ と にす
れ ば 大 い に得
策
と な る と い う の であ
る 。 註 3 二 慈善
事
業 上 よ り の得
失 論宗
教 家 は寺
院内
に あ っ て 獅 座梵
音 読 誦 説法
な ど 抹 香臭
い 静 的 行 為 に 明 け暮
れ す る だ け で な く 、 山内
を 出 て 世 俗 社 会 に接
触 す べ く慈
善
事 業 方 面 に も 率 先 し活
躍 し な け れ ば な ら な い 。 殊 に 幼 児 小学
校 の 教育
を 始 め 療 病 院 . 施 薬 院 .悲
田院
・感
化 院 ・ 育 児院
な ど の業
務
に携
わ る の は 宗 教 家 の使
命 で あ る 。 し か し か よ う な作
業
に は 精 細 巧 緻 な 注意
力 と柔
和
篤
実
の 手腕
が要
求 さ れ る 。 し か る に柔
和
巧 緻 は 婦 女 の 特 性 で あ る か ら 、 こ x に 唯 に憚
る こ と か く 寺庭
婦 人 を 養 成 し 、後
日 教 師 を 始 め 幼 稚園
保
母 ・ 裁 縫師
・ 音 楽師
・ 看護
婦 ・薬
剤
師 、更
に 礼 法 ・ 茶 道 ・ 華 道 な ど を 通 じ て 国 家 や 社会
の た め に 尽瘁
す
る な ら ば 、仏
教 宗 団 の面
目 を 一新
し勢
力 拡 大 す る は 必 定 で あ る 。殊
に 現 時 小 学 校 教 員 だ け で も 約 三万
人
欠 乏 し て い る こ と を 聞 け ぽ 、 寺庭
婦
人 を 教 育事
業
に 従事
さ せ る こ と に よ っ て世
間 の寺
庭 婦 人 に 対 す る 悪 評 は薄
れ 面 目 を 施 す こ と に な る で あ ろ う 。 註 4 三寺
門
維持
上 よ り の 得 失 論 一181
一智山学報三十二 輯 往 時 の 僧
侶
は 迦 葉等
の 如 く 頭 陀 乞食
行 を な し 、 糞 掃 の 三 衣 の 外 は余
物
を 畜 え な か っ た 。 し か る に 歴 史 の変
転 と 共 に 仏 教 宗 団 は 大 き く変
容 し た 。 寺 院 は 説 教 礼拝
法 会 等 の 宗 教儀
式 全般
を 執 行 す る 道 場 で あ る と共
に 、 僧 侶 及 び 住 職 の 住 家 で も あ る 。 住 家 で あ れ ば大
小 広狭
に応
じ て こ れ を経
理 す る 人員
を 必 要 と す る し 、 ま た適
当
な 斉家
の 良 法 を と ら ね ば な ら な い 。 か よ う に 考 え れ ば 、寺
院 内 に 一 家 団欒
の 家 族 制 度 を と る こ と こ そ 最善
であ
る 。 例 え ば 多 数 の 青 年僧
侶 に 家 政 上 を ま か せ れ ば 、 米菜
薪 炭 等 の 不経
済
、 食 物 調 理 等 の 不潔
、 酒 掃 応 対等
の 粗 野 、炭
火 の 不 始末
な ど 不 備 な る 点 多 々あ
る 。 思 う に 名 山 巨 刹 の烏
有 に帰
す る こ と し ばく
あ る は決
し て 偶 然 で は な い 。 こ れ に 対 し て 寺 族 形 成 し 寺 院 内 に 住 居 し な が ら 全 員 一致
協 力 し て事
に 当 れ ば 、右
記
の 不 備諸
点
を 払 拭 し ま さ に 斉家
の 良 法 と な り 、 加 え て檀
信 徒 教 化 の 良 き 手 本 と な り う る 。 し か る に 現 時 の 如 く 宗 制 上 妻帯
不 公許
な れ ぽ 、往
々 に し て 肉 山 寺 院 の僧
侶 は寺
外 に 妻 子 を 別 居 生 活 さ せ て い る 故 に 、 そ の費
用 倍 加 必要
と し 、 世 間 に醜
聞 を 晒 す の を 恐 れ て 僧 侶 で な い と譌
飾 し た り 、 声 明 念 仏 を 唱 え ず 、遂
に は 一 闡 提 の輩
と な る 。 ま し て 住 職 一朝
遷 化 す る や 寺有
財 産 を妻
子 の 所 有 に帰
し 、 寺 外 に散
ず る 者 さ え い る 。 こ れ に 反 し 公 許 し て妻
子 を 寺 院 に 住 居 さ せ れ ば 、 右 の如
き 不 都 合 は解
消 す る 。 こ れ ら を 思 う と き 寺 族 形成
は絶
対 必要
で あ る 。 註 5 四師 弟 の 関 係 上 よ り の 得 失
論
凡 そ 法 灯 相 続 は 師弟
の 心 一 に よ り 成 り 立 つ も の で あ る 。 中 国 古 代 の聖
王禹
や堯
舜 の 如 く 君 民 の 心 一 に な ら な け れ ば 、 国 家 社 会 を無
窮 に維
持 で き な い 。親
子 の 心 一 で な け れ ば 家 門 を 永 世 に 維 持 で き な い 。 同 様 に 師弟
も 心 一 で な け れ ば 法 灯 を 億 却 に 維 持 で き な い 。往
昔 釈尊
が 外 道 を 排 し 法 幢 を 五 天 に 輝 か し た の も 、 須 菩 提 舎 利 弗 等 諸 大弟
子 が 師 釈 尊 の 心 一 に し た か ら で あ る 。 日 蓮 宗 も ま た 宗祖
日 蓮 の 教 義 を 信 ず る 高 足 等 が 師 と 心 一 に し た か ら で あ る 。 し か る に 法 運 日 毎 に衰
頽 し て ゆ く 原 因 は何
か 。 そ れ は 師弟
の 心 一 に な っ て い な い か ら で あ る 。 昔 日 の 師 は 学 徳 秀 れ 今 尚 尊仰
さ れ て い る し 、 弟 子 も志
淳
朴 に し て 仏 道 を 求 め て 止 ま な か っ た 。 し か る に 昨 今 の 師 は概
ね学
徳 な く尊
崇 一182
一明治仏教の世 俗化論 (疋田精俊) さ れ ず 、
弟
子 も 軽 薄 の 心 を も っ て 接 し た の で は如
何
と も し が た い 。 師弟
間 の 不 信感
が離
弟
や還
俗
に 及 び 相 互 に罵
詈 に終
る 輩す
ら少
な く な い 。或
は 篤 志 の 師 が 有 用 な 人 物 と 思 い 弟 子 と し 学 問 さ せ て も 、 誘 惑 に引
か れ 中 途 で 帰俗
す る者
も い る 。弟
子 の 中 に は 世 上 に 雄 飛 す る を 欲 し 、僧
侶 社会
に身
切 り を つ け て 多 年 の 恩義
を 忘 れ遁
走 す る 者 も い る 。 さ り と て 残留
の 徒 は 概 ね卑
屈
や 無 気 力 者 が 多 い 。 こ れ で は 師 弟 間 に 心 一 に を 望 ん で も 仕 方 が な い 。 そ れ 故法
灯
相 続 す る に寺
族
制 度 を 実 行 し 親 子 関係
即 師弟
関 係 に す れ ば 、 百 般 の 困 事 も 相 互 に隠
忍 し 教養
を得
て 仏道
精
進 が でき
よ う 。 註 6 五僧
侶
の道
徳維
持 上 よ り の得
失 論 信 は 荘厳
よ り 起 る と い う が 、 一身
の 品 位 を 保 つ こ と が僧
侶 の第
一 と す る 荘 厳 で あ る 。 し か る に 現 時 の 一 般 僧侶
は 下品
極 ま り な い 。 そ の 原 因 と し て は 無 学 無 識 ば か り で な く 、配
偶 者 と の 不 倫 関 係 にあ
る 。 そ れ と い う の も真
実 の発
心 求 道 者 で な い 凡 僧 達 は 、 中年
に 至 れ ば 情 欲 盛 ん と な り 抑制
し難
い 。 従 っ て 一 旦 機会
を得
れ ば品
位 の 高 下倫
理 の 適 不 適 を 択 ぶ に限
り が な い の で あ る 。梵
妻 は俗
に 日 陰 者 的存
在 に あ る か ら 、 大 般 は余
程 の 事 情 の な い 限 り 僧 侶 と 結婚
す る 道 理 が な い 。 そ れ故
梵
妻 の 概 ね は 車 夫馬
丁 の如
き賤
民 の 女 子 か 芸 娼 妓 の 老 残者
ば か り で 、無
教 育 で あ り 婦 女 と し て の 道 徳 心 な ど 理 解 で き な い の で あ る 。彼
女
達 は貪
欲 ・ 愚痴
・ 嫉 妬 等 で 波 乱 を 生 じ 、 忍 耐 し難
い の で あ る 。 従 っ て名
分 を 明 か し 良 家 婦 女 と 正式
に婚
姻 の 挙式
を し た な ら ば 、 か よ う な 不 道 徳 に 陥 る こ と は な い 。 宗 制 上 公 許 に す れ ば 名 分 を 正 す こ と に よ り 、 一 寺 住職
た る 以 上 そ の 生 活状
況 は 下 級官
吏 車 夫 等 の 類 で な い か ら 、相
当 の 良 家 婦 女 と 結婚
し て 自 と 品 位 も 向 上 す る し 、 肉 山 巨 刹 で は華
族高
貴家
の 婦 女 を 娶 る こ と も で き る 。 し か も 人 間 唯 し も 安 楽 に 衣 食 住 で き る 地 位 の 者 な ら ば 、 結 婚 の 対 象 と す る で あ ろ う 。 こ 玉 に 始 め て真
正 の 道 徳 が 確 立 し篤
信 も 得 ら れ る 。 今 や 各 宗 寺 院 僧 侶 は 旧弊
を 破 り 、持
戒 を な す 識 見 も な く 、妻
帯 可 否 問 題 を 解 決 せず
曖
昧 の 間 に 梵妻
を娶
る 行 為 は 、 一183
一智 山学報三十二輯 自 ら 法 を 破 り 道 を 信 ぜ ざ る の 実 を 表 明 し た も の で 、 こ れ で は 他 人 を
信
仰
に導
く こ と は難
し い こ と で あ る 。 故 に 早 急 に 公 許 し 、僧
侶 の名
分
を 明 か し 正 婚 を 以 て 精進
す
べ き で あ る 。 こ れ ら を 総括
す れ ぽ 仏 教 寺 院 を 発 展 運 営 さ せ る に 際 し 、 時 代 の 推 移 と は い 玉 世 俗 化 傾 向 に あ っ た 仏 教 宗 団 を考
え る と 、 従 来 の 清 僧 生活
を そ の蠱
継 続 す る こ と に 比 較 し て 寺 族 形 成 の 方針
を と っ た 方 が 、 そ れ に よ っ て 受 け る 消 失 面 よ り む し ろ利
得
面 の 方 が遙
か に 大 き い と い う よ う に 判 断 し た の で あ っ た 。 こ う し た 考 え 方 は 、 他 の 肯 定 論 支 持者
に よ っ て も し ば し ば 提 唱 さ れ た よ う で あ っ た 。 し か し中
里 の 場 合 は 公 然 と 寺域
内
に 居 を 構 え て体
験 し そ の 実 情 を把
握 し て の 得 失 論 で あ っ た が 故 に 、 現 実 性 に 即 し た 面 が あ り 実 施 者側
か ら み て 同 調 す べ き 内 容 を 多分
に含
ん で い た と 推 測 さ れ る 。 従 っ て か よ う な 得 失 論 は 、 そ の後
の 寺 族 形 成 を 推進
さ せ る に 役 立 っ た と み る こ と が で き よ う 。 註1
中 里 日 勝 著 「 僧 風 革 新 論 」 二 ニ ー 二 六 頁 註 2 笠 原 一 男 著 「 女 人 往 生 思 想 の 系 譜 」 五 − 一 〇 頁 。 殊 に 八 頁 の 「 唯 識 論 」 に 「 女 人 地 獄 使 、 永 断 二 仏 種 子 → 外 面 似 二 菩 薩 → 内 ’5
如 二 夜 叉 ご と あ る 。 註3
中 里 日 勝 著 「 前 掲 壷 口 」 二 六 − 二 七 頁 註4
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 三 五 − 三 九 頁 註5
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 四 〇 − 四 四 頁 註6
中 里 日 勝 著 「 前 掲 書 」 四 四i
五 一 頁 一 184 一 五 明 治 期 は 一方
で護
法 論 者 が 堕 落 と 衰 退 し た 仏教
を 是 正 し て 従 来 の 伝 統 的 仏 教 へ 復 興維
持 し よ う と努
力 し た の に 対 し 、 他 方 の 革新
的
仏
教 論 者 は そ れ を 乗 り 越 え て 近 代社
会
に 適 合 し た 新 仏 教 を 形 成 す べ く 懸 命 に 運 動 し た と き で あ っ た 。 結 局 時 世 は後
者
に 加 担 し 在 家 仏 教 の 方 向 へ急
足 に 色 濃 く し て い っ た の で あ る 。 即 ち僧
侶 の在
俗 生活
は 日増
し に明治仏教の 世俗 化論 (疋 田精 俊) 公 然 化 へ と 移