高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 一 八
高
野
山
に
於
け
る
畳
饅
聖
人
(下
)
大
山
公
淳
八 (1) 長 承 四 年、 四 月 改 元 さ れ 保 延 元 年 と 構 さ る。 聖 入 四 十 一 歳。 傳 法 院 座 主 補 任 次 第 に は 第 洲 座 主 畳 鍍 上 入 傳 に ﹁ 本 年 正 月 密 嚴 院 の 上 院 に 於 い て 縁 務 を 捨 て 無 言 の 籠 居 を 始 む。 そ の 胤 執 行 眞 巻 阿 閣 梨、 但 三 月 二 十 一 日 已 前 は 座 灘 の 縁 具 を 調 へ し む る の 間、 三 月 二 十 一 日 以 後 は 堅 固 不 通、 印 身 成 佛 の 密 行 を 修 す ﹂ と。 復 第 二 座 主 兼 金 剛 峰 寺 検 校 眞 響 阿 閣 梨 に 就 い て、 ﹁ 長 承 四 年 二 月 日 密 嚴 院 繹 室 よ り 誼 歌 を 迭 ら れ、 雨 院 座 主 槍 校 に 補 任 せ ら る。 生 年 六 十 七、 寺 務 三 年 正 月 十 五 日 入 滅 六 十 九 歳 ﹂、 と 記 す。 該 譲 歌 は 密 嚴 上 入 行 験 記 雀 中 に 出 さ る。 丈 に ﹁ 畳 鍵 偏 に 成 佛 利 生 の 心 に 住 し 深 く 弘 道 興 法 の 願 を 獲 す ﹂ と い ひ、 ﹁ 上 皇 の 丹 誠 を 凝 ら し 忽 に 大 師 の 素 懐 を 果 す。 傳 法 の 二 院 を 建 立 し 秘 教 の 二 一會 を 興 隆 す。 年 々 修 す る 所 は 百 ケ 日 の 大 會 に て 五 智 の 圓 満 を 窮 む。 日 女 勤 む る 所 は 十 八 座 の 勝 行 に 三 密 の 明 珠 を 練 る ﹂。 か く て ﹁ 高 野 の 灘 客 漸 く 蓉 跡 に 復 す ﹂ る こ と を 挽 び、 ﹁ 今 眞 轡 阿 閣 梨 は 小 僧 が 大 師 に て 成 佛 の 願 最 も 深 く 求 法 の 志 止 む 無 く、 因 つ て 畳 鍍 亦 秘 密 灌 頂 の 印 璽 を 授 け 屡 々 眞 言 實 教 の 宗 義 を 傳 ふ。 加 之 志 を 祀 師 の 弘 誓 に 同 ふ し 契 を 弟 子 が 大 願 に 一 に す ﹂ と て、 眞 轡 閣 梨 の 徳 を 歎 じ、 聖 入 と の 關 係 を 叙 し も つ て 雨 寺 を 譲 り、 聖 主 上 皇 の 護 持 と 三 寳 の 興 隆 馬 四 恩 の 奉 謝、 萬 民 (2) (3) の 撫 育 を 願 ふ。 こ の 文 は 本 願 聖 入 御 傳 に も 出 て を り、 韓 じ て 興 教 大 師 全 集 下 雀 に 座 主 歌 券 と し て 載 せ ら る。 更 に そ の (4) 追 伸 と 申 す べ き か、 年 次 は 明 で な い が 三 月 二 十 日 附 の 治 息 が あ る。 ﹁ 譲 歌 書 き 進 ぜ し め 候 思 ふ 所 千 萬 な れ ど 急 々 に し て隙 無 き に よ り 委 く 申 し 置 く こ と 能 は す ﹂ と て、 ﹁ 四 箇 所 の 御 庄 の こ と 所 念 給 仕 に 蓬 あ ら す。 耀 畳 房 へ 預 け 申 す べ き 由 同 く 計 ひ 申 さ れ 候 ﹂ と 記 す。 (5) 本 年 三 月 二 日 法 皇 一 雀 次 第 並 に 師 説 等 に 依 つ て 草 す と い ふ 舜 訴 曇 尋 司 潮 尼 毬 あ り、 胎 藏 次 第 で あ つ て 全 集 上 雀 に 牧 め ら る。 内 外 忽 々 の 中 に も 猫 著 述 に 絵 念 な か つ 六 上 入 の 行 蹟 は 讃 す る に 飴 る。 前 述 の 如 く 譲 状 を 根 本 と す れ ば 眞 碁 阿 閣 梨 は 本 年 二 月 か ら 座 主 に 補 せ ら れ た こ と に な る。 若 し 然 り と す れ ば 前 年 十 二 月 か ら 此 の 二 月 ま て の 山 務 は 信 恵 が 執 行 し て ゐ た。 こ れ に ょ つ て 執 行 信 恵 の 名 が 金 剛 峰 寺 の 方 に 現 れ、 傳 法 院 の 方 に は 忘 れ ら れ た の か も 知 れ ぬ。 か く て 聖 入 は 本 年 三 月 廿 一 日 已 後、 恒 に 密 嚴 院 の 道 場 に 坐 し、 專 ら 三 昧 に 佳 し て 堂 外 に 出 る こ と は 希 と な つ た。 聖 人 に 密 嚴 院 の 號 を 冠 す る は こ れ に 縁 由 す。 無 言 の 籠 居 は 保 延 五 年 四 月 ま て 績 い た。 そ の 間 の こ と を 記 し て 密 嚴 尊 者 年 譜 に は ﹁ 孔 隙 よ り 窺 へ ば 奪 者 の 磯 不 動 明 王 と な り 迦 縷 羅 談 の 申 に 佳 す ﹂ と 記 し、 叉 ﹁ 一 日 院 の 東 北 楓 樹 の 上 に 眞 然 僧 正 形 (6) を 現 じ 尊 者 と 曙 語 す ﹂ と 出 す。 こ の こ と は 難 瑞 縁 起 雀 下 に 傳 法 院 艮 垂 紅 葉 之 事 と 題 し 元 亨 繹 書 毬 五 畳 鍵 傳 等 に も 傳 ふ。 傳 法 院 と 密 嚴 院 と は 位 置 が 違 ふ の て 何 れ が 眞 か 決 定 し 難 い が、 或 は 年 譜 が 違 つ 六 の か も 知 れ ぬ。 傳 へ ら る、 所 の 読 話 に よ れ ば 傳 法 院 艮 隅 と さ れ て ゐ る。 何 れ に せ よ 有 名 な 話 に な つ て ゐ る。 犬 が 傳 法 院 の 殿 中 に 入 り 燈 油 を 汚 臓 す 急 い で 駆 れ と。 弟 子 奔 つ て 往 く に 果 し て 然 り で あ つ 六 と は、 同 じ く 漿 瑞 縁 起 雀 下 に 密 嚴 院 行 法 間 傳 法 院 見 徹 す 事 と し て 傳 へ、 元 亨 繹 書 審 五 ・ 密 嚴 年 譜 等 に も 傳 へ る 所 て あ る。 年 次 は 明 記 さ れ て ゐ な い け れ ど、 此 の 三 昧 行 中 に あ つ た こ と ゝ 考 へ ら れ る。 保 延 二 年 聖 人 四 十 二 歳、 金 剛 峰 寺 座 主 問 題 に 就 い て 三 月 十 日 東 寺 三 宗 の 僧 綱 十 四 ( 或 は 七 ) 入 ・ 有 職 八 十 三 人 ・ 高 野 高 野 山 に 於 け る 畳 鍍 聖 人 (下 ) 二 九
高 野 山 に 於 け る 箆 鍛 聖 入 (下 ) 三 〇 の 有 職 四 入 蓮 署 し、 皆 悉 く 香 櫨 を 持 ち 奏 歌 を 捧 げ 頻 り に 陳 参 上 訴 し た に よ つ て、 五 月 廿 七 日 長 者 櫃 僧 正 定 海 法 務 は 責 を 負 ふ て そ の 職 を 譜 し 六。 然 も 一 門 の 大 衆 そ の 非 を 訴 へ た の で 六 月 に 復 元 の 如 く 長 者 た る の 宣 下 を 賜 ふ。 そ れ と 共 に 金 剛 峰 寺 座 主 に 還 補 さ れ、 眞 轡 阿 閣 梨 は 輩 に 検 校 と な り、 前 年 そ の 職 を 追 却 さ れ 九 良 灘 等 に 本 山 へ 還 佳 す べ き 院 宣 (7) を 賜 ふ 六。 こ の こ と は 高 野 検 校 帳 雀 一 売 紀 伊 綾 風 土 記 第 四 輯 山 主 検 校 次 第 一、 綾 弘 法 大 師 年 譜 雀 五、 南 山 記 に 附 す る (8) (9) 金 剛 峰 寺 座 主 次 第、 東 寺 長 者 補 任 雀 二 等 に 傳 ふ る 所 て あ る。 六 月 に は 雨 寺 一 味 の 奏 歌 が 提 出 さ れ 六。 大 師 の 遺 告 井 に 中 院 僧 正 の 記 文、 奮 例 先 誼 と 當 時 の 院 宣 に 任 せ、 元 の 如 く 高 野 佳 山 の 座 主 を 設 け、 永 く 東 寺 の 横 暴 を 停 止 す べ き 官 符 を 請 ふ 六 の て あ る。 興 教 大 師 正 傳 著 者 は 今 の 奏 歌 に よ つ て 定 海 が 法 務 を 僻 し た 如 く に 論 ぜ ら れ 六 が、 定 海 が 法 務 を 辮 し 六 の は 上 記 の 如 く 五 月 二 十 七 日 て、 今 の 丈 は 六 月 日 と な つ て ゐ る。 彼 れ 此 れ 前 後 し 六 や う に 考 へ ら れ る。 然 し 今 の 奏 丈 の 結 果 は 入 れ ら れ な い ま ゝ に 止 ん だ や う て あ る。 そ れ は 次 々 の 槍 校 の 代 に も 座 主 は 京 都 よ り の 蕪 務 で あ つ た こ と に よ つ て 知 ら れ る。 高 野 春 秋 雀 六 に は ﹁ 保 延 二 年 三 月 二 十 日 鍵 柄 の 本 寺 座 主 職 を 創 止 し、 定 海 僧 正 を し て 金 剛 峰 寺の 座 主 に 還 補 す ﹂ と い ひ、 密 嚴 年 譜 を 尉 い て ﹁ 保 延 元 乙 卯 二 月、 鍵 師 雨 座 主 職 を 眞 轡 阿 閣 梨 に 譲 る 云 鼓 此 事 迂 誕 ﹂ と 評 す る け れ ど、 古 記 は 上 述 の 如 く に 考 へ ら れ る。 (10) 此 の 保 延 二 年 十 一 月 十 七 日 傳 法 院 の 徒 は 本 願 上 入 五 箇 條 の 注 文 を 作 つ て 奏 し た。 一 ・ 佛 法 と 王 法 と は 嚴 重 な る こ と 二 ・ 永 心 騒 動 暉 窟 を 復 護 す る こ と、 三 噂 雨 寺 の 佛 事 如 法 に 絶 え ざ る こ と、 四 ・ 高 組 の 誓 に 順 じ 大 師 の 願 を 果 す こ と、 五 ・ 信 智 深 固 寳 壽 長 遠 の こ と と な す。 第 二 條 に は ﹁ 當 山 は 大 師 入 定 の 難 窟 で あ り 聖 衆 修 暉 の 仙 洞 て あ る か ら、 大 衆 の 騒 動 宜 し 父 其 の 名 を 創 る べ く、 然 る に 兇 徒 は 顯 密 の 教 理 に 違 し、 官 符 院 宣 に 背 き 御 願 を 嫉 妬 し 佛 法 を 滅 さ ん と 擬 す ﹂ な ど 痛 烈 な 藷 を 列 魚、 第 三 條 に は ﹁ 兇 徒 濫 吹 の 輩 縦 櫃 に 猫 歩 す ﹂ な ど、 山 上 穏 な ら ぬ 風 雲 を 傳 へ て ゐ ゐ。
保 延 三 年 正 月 十 五 日 眞 轡 は 寂 し た。 依 つ て 正 月 十 八 日 良 輝 が 執 行 及 び 槍 校 に 再 補 せ ら る。 時 の 座 主 は 定 海 僧 正 て あ (11) つ た。 叉 綾 寳 簡 集 第 百 十 一 に 高 野 根 來 相 論 年 代 畳 あ り。 保 延 三 年 正 月 一 日 修 正 會 の 剋 雨 寺 衆 僧 相 論 出 來 と あ る も、 拳 の 経 緯 を 詳 に し な い。 難 瑞 縁 起 毬 下 に は 聖 人 ﹁ 保 延 三 ・ 四 ・ 五 ・ 六 年 は 偏 に 坐 暉 を 密 嚴 院 に 修 す る 間、 金 剛 峰 寺 の 僧 等 不 ・審 を 成 す。 何 に 況 (12) ん や 兇 徒 を や ﹂ と 叙 し、 眞 言 傳 雀 七 畳 鍵 傳 に は、 保 延 三 天 よ り こ の か た 偏 に 行 法 坐 灘 に 日 を う つ し て 食 に 及 ば す と 記 す。 本 願 聖 入 御 傳 に は ﹁ 長 承 三 ・ 四 年 の 比 よ 互 聖 人 密 嚴 院 に 籠 居 し て 偏 に 入 定 の 前 儀 を 修 作 し 玉 へ り ﹂ と て、 書 の 間 は 本 奪 不 動 明 王 に 封 し て 香 花 を 備 え 法 施 を 捧 け て 禮 葬 恭 敬 し、 夜 に 入 れ ば 聖 人 不 動 三 昧 地 に 入 つ で 安 坐 し 玉 ひ、 不 動 明 王 起 座 し て 聖 人 に 香 花 法 施 を 捧 げ 禮 拝 恭 敬 し 玉 ふ と て、 非 常 に 神 秘 的 な 読 話 を 出 し て ゐ る。 然 も そ の 間 聖 人 は 門 外 に 出 つ る こ と な く、 他 門 の 衆 は そ の 輝 堂 に 入 れ な か つ 六 の て、 金 剛 峰 寺 方 の 衆 は 偏 執 を 作 し、 群 議 し て、 當 山 は 弘 法 大 師 入 定 の 地、 天 下 無 讐 海 内 無 二 の 璽 場 て あ つ て、 畳 鍵 の 所 爲 は そ の 租 師 の 風 範 に 擬 す る も の、 從 つ て 密 嚴 院 に 齪 入 し (13) 聖 人 を 尉 き 出 し 入 定 を 妨 ぐ べ き で あ る と し て 山 内 の 喧 轟 を 傳 ふ ( 本 願 上 人 御 傳、 績 群 八 下 七 七 五 参 照 ) さ れ ど 聖 入 は 此 の 間 猫 大 遍 照 金 剛 御 作 書 目 録 を 残 さ れ た、 そ は 仁 和 寺 濟 逞 和 伺 並 に 他 師 の 読 に よ つ て、 本 年 八 月 の 撰 録 て あ る。 (14) 保 延 四 年、 三 昧 修 行 申 て は あ つ 六 が 講 傳 は な さ れ て ゐ 六 ら し い。 打 聞 集 の 中 に 十 住 心 論 第 一、 保 延 四 年 三 月 廿 一 日 (15) (16) 始 め、 同 第 二 秋 季 談 (八 月 廿 五 日 よ り ) あ り。 幽六 月 七 日 師 傳 を 記 し て 象 海 大 法 師 に 授 け ら れ た 最 極 究 尭 雨 部 諸 奪 大 秘 密 灌 (17) 頂 印 明 あ り、 十 二 月 廿 二 日 に 記 さ れ 六 も の に 八 千 枚 秘 繹 が あ る。 (18) 保 延 五 年、 高 野 根 來 相 論 年 代 畳 に 本 年 正 月 廿 四 日 雨 寺 騒 動 鎗 等 借 故 也 と あ る も、 そ の 内 容 を 詳 に し な い。 難 瑞 縁 起 雀 下 に は 三 年 の 條 に 記 し た 文 に 綾 け て、 ﹁ 既 に 入 定 鰍 の 由 頻 り に 嫉 妬 せ ら る。 人 魔 競 ひ 起 つ て 佛 閣 静 な ら す、 薙 に 因 つ 高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 (下 ) 三 一
高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 ( 下 ) 三 二 て 楡 に 傳 法 院 を 出 て 屡 女 根 來 寺 に 入 る ﹂ と い ひ、 眞 言 傳 も 亦 前 文 に 綾 い て ﹁ 已 に 現 身 成 佛 の 誼 を 得 る に 似 た り。 高 野 山 密 嚴 院 に 暉 居 し て た や す く 入 を 出 入 せ し め す。 六 ゝ 知 法 の 弟 子 少 々 相 俘 ふ。 嫉 妬 の や か ら 多 く し て 寺 申 静 な ら す。 世 澆 季 に 及 び て 人 の 心 穏 な ら す ﹂ と 傳 へ、 然 も 聖 入 は ﹁ 秋 夜 満 月 に 及 び て 忽 然 と し て 除 蓋 障 三 昧 を 得 た ﹂ と 傳 ふ。 山 内 騒 然 た る 中 に あ つ て、 如 何 に 聖 人 の 心 境 の 静 澄 て あ つ 六 か ゝ 察 せ ら る ゝ。 但 し 縁 起 に は ﹁ 根 來 寺 に 入 る ﹂ と い ひ、 密 嚴 院 に て 三 昧 に 入 ら れ 六 の に ﹁ 傳 法 院 を 出 で ﹂ と い ふ も、 そ の 傳 法 院 を 出 て 根 來 寺 へ 入 つ 六 の は 次 の 年 の こ と て あ る。 聖 人 の 行 蹟 尋 常 と 異 り、 殊 に 前 年 の 座 主 問 題 を め ぐ つ て 金 剛 峰 寺 方 と 意 見 一 致 せ す、 種 女 の 嫉 観 と 敵 封 感 惰 昂 ま り て、 山 内 穏 か な ら ぬ 室 氣 を 藤 成 す る に 至 つ 六 こ と は 歴 史 上 遺 憾 と し な け れ ば な ら ぬ。 聖 入 の 門 下 象 海 上 入 の 記 に 成 (19) る 鍍 上 入 の 事 に は ﹁ 保 延 五 年 春 凶 徒 怨 嫉 を 成 し て 上 入 既 に 逝 く、 而 も 弟 子 兼 海 等 妄 り に 在 生 の 由 を 構 ふ ﹂ と い ひ、 ﹁ 顔 を 見 ん が 爲 め と 號 し 殺 害 の 謀 を 廻 ら し 頻 り に 大 衆 を 獲 し て 灘 徒 を 齪 入 せ し め ん と 擬 す ﹂ な ど、 山 上 ま す く 騒 々 し き を (20) 傳 ふ。 そ の 間 に あ つ て 聖 人 は 四 月 二 日 無 言 の 行 を 結 願 し て 始 め て 法 晋 を 獲 し 眞 言 の 秘 奥 深 義 を 演 べ 給 ふ に 薙 衆 数 百 悉 (21) く 随 喜 の 涙 を 流 し 六 と の こ と て あ る。 そ の 時 の 談 義 は 十 住 心 論 第 七 て あ つ て 打 聞 集 に 載 せ ら れ て ゐ る。 伺 月 八 日 に は 第 十 翁 を 讃 み 始 め ら れ 六。 後(22) 本 年 秋 季 傳 法 會 談 義 に は 同 じ く 第 八 雀 を 談 ぜ ら れ、 十 一(23) 月 五 日 垂 入 當 山 へ 参 着 常 術 三 昧 を 行 じ て 無 言 口 に 教 化 す と。 そ の 丈 の 終 り に ﹁ 鎭 西 の 本 白 と い ふ 山 寺 あ り、 聖 入 は 百 日 入 寺 堅 固 不 通 に し て 入 入 ら す ﹂ と あ る 故、 此 の 頃 鎭 西 に 出 向 し 百 日 無 言 の 行 を 勤 修 さ れ た ら し い。 (24) 本 願 上 入 御 傳 に は ﹁ 保 延 五 年 四 月 二 日 傳 法 大 會 の 開 白 に 御 嘉 聞 の 爲 め 御 参 堂、 去 り 乍 ら 其 後 又 寵 居 し 玉 ふ ﹂ と あ る も そ の ま ゝ に ば 信 用 し 難 い。 漿 瑞 縁 起 雀 下 に 依 れ ば 保 延 五 年 六 月 十 日 六 條 廷 尉 源 爲 義 が 本 願 聖 人 に 師 資 の 勝 縁 を 結 ん だ こ と を 傳 ふ。 此 の 記 事 は
(25) (26) 本 願 聖 人 御 傳、 密 嚴 行 歌 雀 中 な ど に 出 て ゐ る。 高 野 春 秋 雀 六 に 馬 こ れ を 保 延 六 年 の 條 に 出 す は 萱 年 誤 つ て ゐ る と 思 は (27) れ る。 七 月 廿 八 日 に は 院 聴 よ り 金 剛 峰 寺 井 に 大 傳 法 院 所 司 等 に 八 箇 條 の 歌 文 を 下 さ る。 中 に は 永 く 大 傳 法 院 の 沙 汰 た る べ き 聖 入 陸 拾 口 の 事、 永 く 大 衆 の 騒 動 井 に 放 火 殺 害 し、 灘 徒 を 麟 鑑 し 損 亡 依 沽 の 種 浸 悪 行 を 停 止 す べ き こ と、 凶 徒 の 爲 め に 押 取 さ れ 六、 御 願 寺 の 輝 徒 井 に 山 下 の 依 枯 一 切 経 井 に 自 絵 の 佛 維 道 其 等、 領 所 の 家 地、 房 舎 屋 宅、 同 敷 地 田 畠 等、 種 々 の 資 財 雑 物 等 を 糺 し 返 さ し む べ き 事 な ど が 述 べ ら れ て ゐ る。 本 年 本 寺 末 院 の 鑑 闘 の あ つ た こ と が 察 せ ら れ る。 註(1) 績 群 四 下 ・ 五 四 六 上 (2) 同 八 下 ・ 七 六 七 下 (3) 興 教 大 師 全 集 下 ご 三 六 三 已 下 (4) 同 下 鳳 三 六 七 本 願 聖 人 御 傳 綾 群 八 下 七 六 九 行 欺 記 巻 申。 (5) 興 教 大 師 全 集 下 尼 三 六 九 (6) 佛 教 全 書 本 六 八 頁 上 (7) 紀 伊 綾 風 土 記 四 ・ 六 七 八 下 眞 言 宗 全 書 三 八 ・ 一 〇 三 頁 上 (8) 綾 々 群 書 類 從 二 ・ 五 四 二 上 (9) 興 教 大 師 正 傳 三 六 五 頁 (10) 同 全 集 下 一 三 七 一 (11) 大 日 本 古 丈 書 高 野 山 部 八 ・ 一 五 五 (12) 佛 教 全 書 本 一 六 二 貢 上 (13) 興 教 大 師 全 集 下 一 四 五 八 (14) 同 上 四 七 三 (15) 同 上 四 八 圃 (16) 同 下 八 六 二 (17) 同 上 七 五 九 (18) 大 日 本 古 文 書 高 野 山 部 八 ・ 一 五 五 (19) 興 教 大 師 正 傳 三 七 一 頁 (20) 同 三 七 二、 蕪 海 上 人 記 (21) 同 全 集 上 四 八 四 (22) 同 五 〇 七 (23) 同 五 三 三 高 野 山 に 於 け る 態 愚 鐡 聖 人 (下 ) 三 三
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 三 四 (24) 績 群 書 類 從 八 下 ・ 七 七 五 下 (25) 同 七 七 二 上 (26) 佛 教 全 書 本 九 八 頁 上 (27) 興 教 大 師 正 傳 三 七 九 九 (1) 保 延 六 年 聖 人 四 十 六 歳、 四 月 十 七 日 齋 食 略 観 を 作 ら る。 此 の 月 の 七 日 談 義 あ の、 そ の 時 の 聖 鷹 長 嚴 房 の 記 が、 打 聞 (2) 集 に 出 て ゐ る。 秋 の 談 義 に は 十 佳 心 論 第 十 が 用 ひ ら れ た。 丈 の 中 に 根 來 寺 の 六 月 蓮 花 會 の 時 と い ふ 語 が 見 ら れ る の て (3) 六 月 頃 根 來 寺 へ 往 か れ た ら し い。 十 月 廿 六 日 源 爲 善 は 傳 法 院 佛 法 衛 護 の 誓 歌 を 進 じ た。 ( 高 野 脊 秋 巻 六、 十 一 月 に 作 る は 古 記 に 会 し な い ) 南 山 記 傳 法 院 建 立 の 條 に は 本 年 ﹁ 十 一 凋 八 日 太 帥 寺 ( 金 剛 峯 寺 ) の 大 衆 が 密 嚴 院 に 齪 入 し、 畳 鍍 を 追 ひ 機 ひ、 僧 坊 八 十 絵 宇 を 切 り、 僧 徒 三 百 絵 入 を 追 ひ 出 す ﹂ と い ひ、 高 野 槍 校 帳 執 行 槍 校 阿 閣 梨 琳 賢 の 條 に は、 ﹁ 十 二 月 七 日 大 衆 蜂 起 し て 密 嚴 院 に 鑑 れ 入 り、 聖 人 の 頭 頂 を 打 ち 破 り、 弟 子 等 を 皆 悉 く 追 却 し、 僧 徒 七 百 飴 入 を 追 出 し た。 時 に 三 尊 雨 界 の 金 容 懊 (4) 念 の 色 を 含 み、 八 角 の 中 圓 蓮 の 殿 愁 歎 の 塵 に 交 る ﹂ と。 又 綾 寳 簡 集 第 九 十 四 雀 及 び 第 九 十 五 省 の 高 野 検 校 帳 に は 此 時 ﹁ 傳 法 院 佳 僧 坊 舎 七 十 飴 坊 切 彿 ひ、 僧 徒 七 百 飴 人 追 出 了 る ﹂ と 記 す。 金 剛 峰 寺 方 と 大 傳 法 院 方 と の 確 執 の 既 に 深 刻 な も (5) の ゝ あ る を 知 る。 高 野 根 來 相 論 年 代 覧 に は 十 二 月 八 日 と 記 す。 前 の 南 山 記 に 謂 ふ 十 一 月 は 十 二 月 の 誤 り て、 七 日 よ り 八 日 に 及 ぶ 騒 餓 て あ つ た。 (6) (7) 上 入 縁 起 や 本 願 上 入 御 傳 に は ﹁ 其 比 傳 法 院 と 金 剛 峰 寺 と 相 賀の 境 の 論 事 が 出 來 旗。 こ れ は 御 手 印 縁 起 を 改 め て 相 賀 の 境 を 掠 め 六 こ と に 獲 端 す。 こ れ に 事 寄 せ て 保 延 六 年 十 二 月 七 日 金 剛 峰 寺 の 衆 徒 蜂 起 を 企 て、 政 所 の 所 司 等 を 召 し 上 け、 同 八 日 早 朝 に 密 嚴 院 へ 打 ち 入 り 上 人 を 追 出 さ う と し、 内 陣 に 入 り 堂 内 を 見 廻 す に 上 入 更 に 見 え す。 壇 上 に 同 髄 の 不 動 尊 二 一禮 相 並 び 圃 座 し て 御 す。 鑑 入 の 悪 僧 等 共 に 謎 惑 し、 何 れ を 本 奪 と も 上 人 と も 知 り 難 い。 袋 に 或 悪 僧 云 本 奪 の
不 動 は 木 像、 上 人 は 肉 身 て あ る。 膝 を 刺 し て 血 の 出 た 方 を 上 入 と 知 る と て、 矢 の 根 を 抜 い て 二 腱 の 不 動 の 御 膝 を 揉 み 奉 る に、 二 盟 共 に 血 を 出 し た。 既 に 悪 僧 等 力 及 ば す し て 退 出 し 六 の て 上 入 は 我 こ そ 憂 き 目 に 遇 は す め、 御 過 も な い 本 奪 を 憂 き 目 に 合 せ 申 す 哉 と 悲 し み 給 ひ、 出 定 し て 本 身 に 復 し、 密 嚴 院 を 出 て ゝ 涙 を 流 し 根 來 寺 に 入 り 給 ふ ﹂ と 傳 ふ。 こ の こ と は 他 の 古 傳 に は 見 な い 所 て あ る が、 然 も 古 來 有 名 の 話 と し て 諸 傳 に 傳 へ ら れ、 更 に 修 飾 さ れ、 錐 鑛 不 動 と し (8) て の 信 仰 も 廣 く 行 は れ る や う に な つ 六。 そ の 不 動 尊 に 就 い て 本 願 上 入 御 傳 に は ﹁ も と 弘 法 大 師 の 御 作 と し て 東 寺 西 院 の 御 本 尊 で あ つ た。 然 る に 上 人 東 寺 御 在 佳 の 時、 信 仰 の 鯨 り そ の 本 尊 の 寄 進 者 六 る 美 編 門 院 裳 申 し て 同 腱 の 像 を 上 入 自 ら 御 作 あ り、 そ れ を 美 幅 門 院 御 拝 見 の 後 非 常 に 殊 勝 に 存 ぜ ら れ、 上 入 の 御 作 像 を 西 院 に 安 置 し、 元 の 大 師 の 箪 像 を 上 入 に 與 へ ら れ た。 そ こ て 上 人 は こ れ を 護 持 し て 脇 山、 密 嚴 院 へ 安 置、 後 根 來 寺 へ 安 置 さ る ゝ こ と ゝ な つ た ﹂ (取 意 ) の て あ る と。 猫 同 書 に は 綾 い て、 其 後 悪 行 の も の ど も 傳 法 院 の 坊 含 一 百 絵 宇 ( 上 人 縁 起 は 二 百 蝕 宇 ) を 切 り 伏 せ、 資 財 難 具 を 蓮 び 取 り 佛 具 本 尊 を も 奪 取 す る こ と 限 り な く、 僧 衆 七 百 鹸 人 悉 く 追 放、 言 語 道 断 の 次 第 な り。 後 そ の 趣 を 傳 法 院 よ り 貫 首 へ 注 甦、 貫 首 よ り 院 奏、 張 本 の 徒 宗 賢 ・ 玄 信 ・ 畳 賢 等 十 二 人 遠 流、 其 後 又 は 昔 四 人 遠 流、 象 賢 阿 閣 梨 大 光 房 等 二 十 人 各 々 起 請 怠 歌 を 以 て 歎 じ 申 す (9) (14) と 記 す。 こ の こ と は 上 入 縁 起 の 記 述 も 同 じ い。 太 雫 記 雀 十 八 高 野 と 根 來 と 不 和 の 事 及 び 高 野 春 秋 毬 六 に は 猫 種 々 に 誇 張 し 六 記 事 を 出 す も、 今 は 繁 を 僻 け て 略 す。 蓋 し 聖 入 を 中 心 と す る 傳 法 院 玉 派 は、 こ れ ぢ の 記 事 に よ つ て も 知 ら れ る 如 く、 創 立 以 來 藪 年 な ら す し て そ の 勢 力 日 々 に 壌 大 し、 含 む 所 は 革 薪 的 見 解 て あ り。 行 ふ 所 は 專 ら 傳 法 の よ り 大 な る 興 隆 の 道 て あ り、 そ れ だ け 奮 慣 を 保 持 し よ 高 野 山 に 於 け る 畳 鐙 聖 人 (下 ) 三 五
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 入 (下 ) 三 六 う と し、 現 歌 維 持 を 欲 す る 金 剛 峰 寺 方 の 徒 に は 満 足 し き れ な い も の が あ り、 前 年 來 事 毎 に 相 反 目 し 來 つ た の が 庄 園 問 題 を 獲 端 と し て 途 に か ゝ る 結 果 に ま て 到 達 し た こ と は 悲 し む に 飴 る。 密 嚴 年 譜 に 大 象 去 れ ば 象 の 子 も 随 ふ 如 く、 歎 千 の 清 衆 黙 し て 尊 者 と 共 に 根 來 に 從 ふ と い ふ は 當 然 の こ と に 考 へ ら れ る。 永 治 元 年 聖 入 四 十 七 歳 の 三 月 に、 昨 年 金 剛 峰 寺 の 徒 の 行 悪 の 企 に 關 し、 彼 の 張 本 の 徒 或 は 遠 流 に 庭 し 或 は 悉 く 怠 歌 (11) 起 講 の 文 を 難 げ て 深 く 歎 き 申 す。 此 の 上 は 聖 入 急 々 に 蹄 山 し て 御 願 等 悉 く 元 の 如 く 勤 仕 あ る べ き 由 の 院 宣 を 賜 ふ 六。 (12) け れ ど 聖 人 は 蹄 山 さ れ な か つ た。 上 入 縁 起 や 本 願 聖 人 御 傳 に は そ の 時 の 聖 人 の 意 中 を 傳 へ て 上 人 の 御 素 志 は 金 剛 峰 寺 の 僻 執の 族、 一 味 の 佛 法 に 於 い て 各 別 の 執 を 起 す。 金 剛 峰 寺 と 大 傳 法 院 と 勝 劣 懸 隔 の 堅 執 を 獲 し て 迷 見 を 致 す。 麟 佳 す と 難 能 く 持 つ も の な か ら ん ( 中 略 ) 迷 へ る も の は 屈 見 を 致 す。 迷 の 前 の 是 非 は 是 非 共 に 非 な り、 夢 中 の 有 無 は 有 無 共 に 無 な り ⋮⋮元 よ り 佛 法 の 弘 通 は 法 界 に 周 遍 す る を 本 と な す。 高 野 一 山 に 雨 寺 共 佳 す れ ば 利 釜 尚 狡 少 て あ る。 當 院 の 佛 法 を ば 高 野 山 寺 の 外 に 弘 め な ば 利 釜 猫 廣 大 て あ ら う。 と 記 す。 聖 人 の 達 悟 は 唯 國 家 と 大 法 と の み あ り て、 尼 山 一 寺 に な か つ た こ と を 知 り、 そ の 片 言 の 中 に も 猫 現 代 人 の 心 肝 を 打 つ も の が 感 じ ら れ る。 密 嚴 年 譜 は 此 の 事 を 保 延 元 年 の 條 に 記 す も そ れ は 誤 り と 思 は れ る。 難 瑞 縁 起 下 雀 に は 傳 法 院 を 出 で 根 來 寺 に 入 り、 傳 法 院 の 寺 役 等 を 皆 根 來 寺 へ 移 し て 修 行 し た こ と を 傳 ふ。 (13) (14) 本 年 八 月 廿 五 日 豊 輻 寺 に 傳 法 會 を 執 行 せ ら れ 六 こ と は 打 聞 集 の 記 事 に よ つ て 知 ら れ る。 復 十 一 月 廿 二 日 傳 法 會 に 十 佳 心 論 を 談 ぜ ら る。 か く て 聖 入 は 途 に 蹄 山 し た ま は す、 專 ら 根 來 一 山 の 経 螢 に 當 り、 鎭 守 神 宮 寺 の 大 明 神 寳 肚 を 根 來 寺 に 建 立 し、 十 二 月 に 醜 當 し て 十 一 百 の 鎭 守 寿 會 を も 勤 修 せ ら る。 前 記 上 入 縁 起 や、 本 願 聖 人 御 傳 の 丈 に は 績 い て
高 野 山 は 八 葉 の 漿 洞 弘 法 大 師 入 定 の 勝 地、 根 來 山 は 一 乗 の 仙 蠣、 役 優 婆 塞 経 行 の 古 瑚 な り。 爾 ら ば 難 地 に 勝 劣 な く 能 佳 に 淺 深 な し。 旨 此 の 山 に 御 願 を 移 し 上 皇 今 上 の 實 詐 を 所 り 奉 る。 と 出 し て ゐ る。 密 嚴 年 譜 に は ﹁ 此 に 圓 明 寺 を 創 め て 終 焉 の 地 と な す ﹂ と い ひ、 ﹁ 山 を 一 乗 と 號 す。 是 れ 根 來 圓 明 寺 勃 興 の 由 漸 な り ﹂ と 論 じ て ゐ る。 然 も 年 譜 は こ れ ら の 記 事 を 保 延 六 年 の 條 に 出 す も 正 し く は 本 年 と す べ き て あ る。 猫 年 譜 に は 本 年 聖 人 根 山 求 聞 持 堂 で 求 聞 持 法 を 修 行 さ れ た と 出 す も 論 櫨 を 明 に し な い。 ぜ 既 に 聖 入 は 高 野 山 を 離 れ 六 の て 本 論 を 終 と す る 筈 て あ る が、 参 考 の 爲 め 聖 入 の 晩 年 と そ の 後 の 高 野 山 傳 法 院 密 嚴 院 並 に 金 剛 峰 寺 と の 關 係 を 考 へ て 見 六 い。 詫(1) 興 教 大 師 全 集 上 ・ 五 三 七 (2) 同 五 五 叫 (3) 璽 瑞 縁 起 下 ・ 行 欺 記 巻 申 (4) 大 目 本 古 丈 書 高 野 山 部 七 ・ 四 二 〇 及 び 四 七 五 頁 (5) 同 書 八 ・ 一 五 五 (6) 興 教 大 師 正 傳 三 九 〇 (7) 綾 群 書 類 從 八 下 七 七 五 下 (8) 同 七 七 六 上 (9) 興 教 大 師 正 傳 三 九 六 頁 已 下 (10) 佛 教 全 書 本 九 八 頁 上 (11) 行 妖 記 春 下 並 に 本 願 婁 人 御 傳 綾 群 書 類 從 八 下 ・ 七 七 七 下 (12) 興 教 大 師 正 傳 四 〇 八 頁、 本 願 聖 人 御 傳 同 上 (13) 興 教 大 師 全 集 上 ・ 五 五 三 (14) 同 五 六 三 十 (1) 康 治 元 年、 聖 人 四 十 八 歳、 高 野 春 秋 雀 六 に 依 れ ば 本 年 秋 七 月 根 來 寺 の 學 頭 象 海、 大 傳 法 院 座 主 神 畳 等 麟 伏 頻 り に し て、 和 亭 を 本 寺 に 乞 ふ も 許 容 せ す、 後 攣 を 慮 る と あ る。 け れ ど も 密 嚴 年 譜 尿 延 六 年 の 條 に は 一 度 び 根 來 山 に 移 つ た ﹁ 浮 侶 も 皆 高 野 山 傳 法 の 蕾 院 に 還 り 佳 し 大 會 を 啓 行 す る こ と 故 の 如 く、 合 山 の 諸 規 一 に 奮 慣 に 勿 る。 尊 者 の 在 世 よ り 高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 (下 ) 三 七
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 三 八 滅 後 に 至 る ま て 毎 歳 蓉 に 依 つ て 傳 法 大 會 を 高 野 簿 法 院 に 勤 む る こ と 一 百 四 十 鯨 年 ﹂ と 記 す。 そ の 保 延 六 年 に 皆 還 り 住 じ 六 と は 考 へ ら れ ぬ が、 或 は 若 干 の 墨 徒 浄 侶 が 聖 入 の 蓉 跡 を 慕 ふ て 既 に 高 野 仙 に 還 り 佳 し 六 か も 知 れ ぬ。 (2) 八 月 廿 九 日 帥 身 成 佛 義 の 談 論 が あ つ た こ と は 打 聞 集 に よ つ て 知 ら れ る。 勿 論 根 來 山 寺 に 於 い て ゝ あ ら う。 本 年 九 月 頃 紀 伊 國 下 向 官 使 や 國 肇 が、 官 符 晩 毫 の 馨 に 背 い て 傳 法 院 の 庄 薗 地 や 御 願 の 末 護 濫 行 を し た こ と は 興(3) 教 大 師 正 傳 に 詫 さ る ゝ 所 で あ る。 (4) 康 治 二 年 根 來 山 寺 の 這 螢 も 漸 く 成 り、 本 年 閏 二 月 八 日 に は 豊 幅 寺 内 紳 宮 寺 圓 明 寺 の 供 養 願 丈 目 録 が 淺 さ れ て ゐ る。 (5) 四 月 一 日 よ り 件 宇 義 を 始 め ら れ、 秋 の 談 義 に 聲 字 義 が 用 ひ ら れ た こ と は 打 聞 集 の 記 す る 所 て あ る。 漿 瑞 縁 起 下 巷 に 依 る に ﹁ 本 年 七 月 廿 八 日 聖 入 御 風 氣、 八 月 一 百 よ り 三 箇 日 間 奪 勝 陀 羅 尼 を 念 じ、 復 翅 日 間 延 尉 す。 八 ・ 九 月 の 閣 猫 御 風 氣 あ り 昏 三 七 日 奪 勝 陀 羅 尼 を 論 す。 十 二 月 十 二 日 巳 時 圓 明 寺 の 西 の 庇 に 端 座 し、 密 嚴 土 の 中 方 に 向 ひ、 藤 密 印 明 に 住 し 如 法 に 往 生 を 途 け 給 ふ た。 春 秋 四 十 九。 そ の 行 徳 百 干 萬、 菩 提 院 を 黙 じ て 茶 毘 所 と ゐ 十 三 日 酉 の 時 葬 敏、 そ の 身 腱 猫 暖 か に 善 人 至 極 の 定 柑 て あ つ 六 ﹂ と ・ そ の 大 要 は 上(6) 入 縁 起・ 本(7) 願 聖 入 御 傳 等 に も 録 し て あ る が ・ 御 入 滅 已 後 の 記 事 が 相 違 し て ゐ る。 前 に ﹁ 端 坐 ﹂ と あ る が ﹁ 結 蹴 跣 座 ﹂ と な り、 ﹁ 如 法 往 生 ﹂ が ﹁ 北 方 に 向 ひ 座 灘 の 如 く 入 滅 ﹂ と な り、 次 に ﹁ 御 付 法 の 象 海 澤 法 房 院 主 鎌 倉 に 下 向 す。 よ つ て 御 上 り を 待 ち 御 茶 毘 十 二 月 廿 一 日 酉 の 時 ﹂ と し、 ﹁ 身 罷 猫 暖 ﹂ が ﹁ 其 の 身 も 温 に し て 御 頭 も 一 二 分 生 給 ひ け り と 申 し 待 り ﹂ と し て、 根 山 の 奥 院 へ 逡 り 四 十 九 日 間 の 勤 め を 記 し て ゐ る。 猫 聖 人 の 葬 事 の 時 に 就 い て、 一 本 鰻 瑞 縁 起 文 明 七 年 三 月 十 二 日 高 野 山 多 聞 院 重 義 泉 慶 房 七 十 一 歳 の 時 の 傳 聞 が 出 ざ れ て ゐ る。 文 に 私 云 傳 聞 葬 時 の 経 は 上 入 自 ら 籠 の 困 よ の 御 始 有 り と 承 嫉 る。
か ゝ る 読 が あ つ 六 が 爲 め か、 密 嚴 年 譜 康 治 二 年 の 條 に、 是 の 時 五 智 房 融 源 先 よ り 野 山 に 在 り、 偶 々 熊 野 に 赴 く 道 に 尊 者 の 順 世 を 嘉 き、 錫 を 返 し て 喪 に 趨 き、 閣 維 (茶 毘 ) せ ん と す る 頃 菩 提 院 に 到 り、 棺 に 樹 し て 般 若 理 趣 維 を 諦 す、 第 二 謎 に 至 つ て 忽 に 棺 の 中 よ り 聲 あ り 維 の 首 の 句 を 唱 へ 給 ふ。 源 公 そ れ に 和 し て こ れ を 諦 す。 段 々 皆 か く の 如 く 一 衆 感 伏 す。 こ れ よ り 遺 像 に 樹 し て 此 の 維 を 請 す る に 必 す 時 薄 伽 梵 の 玉 句 を 略 す。 今 に 式 と な す と 記 す。 高 野 山 に も 此 の 風 あ り。 一 の 脅 ひ と し て 傳 ふ。 こ の 一 事 を も つ て も 聖 入 の 感 化 の 強 大 が 知 ら れ る、 聖 人 御 入 寂 後 の 大 傳 法 院 と 金 剛 峰 寺 と の 關 係 に 就 て は 稿 を 改 め て 論 じ 六 い と 思 ふ。 誰 本 項 の 註 記 は 次 項 終 む に 合 併 し て 記 す。 四 十 六 頁 参 照 の こ と。 十 一 康 治 二 年 十 二 月 畳 鍵 聖 入 は 四 十 九 歳 の 生 壽 を も つ て 根 來 山 圓 明 寺 に 入 寂 さ る。 そ れ 以 後 聖 人 の 大 傳 法 院 と 金 剛 峰 寺 と は 如 何 な 關 係 の も と に 進 み 來 つ 六 か。 南 山 記 に 依 れ ば 此 の 年 閏 七 月 の 頃 傳 法 院 の 僧 侶 和 雫 交 衆 せ し む べ き の 由 奏 歌 を も つ て 訴 へ 六 け れ ど 太 帥 寺 は こ れ を 許 さ す。 同 十 二 月 十 二 日 根 來 寺 に 於 い て 鎭 聖 人 遽 化、 門 弟 灘 畳 ・ 兼 海 等 鋒 佳 の こ と、 院 宣 五 箇 度 に 及 ぶ と 記 す。 思 ふ (8) に 聖 入 の 蓄 跡 地 六 る 高 野 山 院 を 復 興 し よ う と す る こ と は そ の 門 下 の 願 望 て あ つ 六 に 違 ひ な い。 即 高 野 春 秋 雀 六 に ょ れ ば、 康 治 二 年 よ り 三 年 の 後、 久 安 三 年 六 月 廿 四 日 大 傳 法 院 座 主 神 畳、 別 所 の 院 主 兼 海 等 の 蹄 山 還 佳 の 個 請 を 入 れ 六。 こ れ 院 宣 井 に 紳 畳 ・ 兼 海 等 の 盟 書 に 依 る と。 南 出 記 傳 法 院 建 立 の 條 に 依 れ ば 久 安 三 年 六 月 廿 四 日 第 五 度 の 院 宣 あ り、 (9) 象 海 等 起 講 を 召 し 且 し、 猫、 太 印 寺 に 違 背 せ ば 重 ね て 按 出 す べ き 由 仰 せ 下 さ れ て 後 還 佳 せ し む と 傳 ふ。 こ の こ と は 高 野 根 來 相 論 年 代 畳 に も 出 て ゐ る。 且 つ 此 の 相 論 年 代 畳 に は 翌 四 年 傳 法 院 修 正 會 を 後 七 日 に 修 し、 本 寺 の 諸 衆 は 一 行 に 高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 ( 下 ) 三 九
高 野 山 に 於 け る 斑 鍛 聖 人 (下 ) 四 〇 西 座 に 上 薦 許 り 列 る と 傳 ふ。 此 虚 て は 金 剛 峰 寺 方 と 傳 法 院 方 と 相 共 に 傳 法 院 の 法 會 を 勤 修 し た こ と に な つ て ゐ る。 そ の 後 十 五 年 を 経 て 長 寛 二 年 七 月 七 日 の 日 附 が 右 の 相 論 年 代 豊 に 出 て ゐ る の で あ る が、 如 何 な 事 件 が あ つ た の か 分 明 し な い。 こ れ よ り 三 年 置 い て 仁 安 三 年 に 及 び 正 月 十 一 日 裳 切 合 職 と い ふ 事 件 が 勃 獲 し た。 當 時 高 野 山 に は 何 程 の 寺 院 と (10) 佳 侶 と あ つ た か。 永 暦 元 年 六 月 廿 五 日 附 金 剛 峰 寺 衆 徒 言 上 案 に 依 れ ば、 松 門 三 千 に 及 び 草 庵 八 百 に 剰 る と も 傳 へ ら る。 (11) 高 野 春 秋 雀 七 に は そ の 前 年 に ﹁ 鍵 上 入 大 師 號 奏 請 の 傳 読 あ れ ど そ の 實 な し ﹂ と い ひ、 翌 仁 安 三 年 の 正 月 廿 日 の 條 に は ﹁ 寺 院 棄 観 の 始 終 井 に 日 暉。 隆 海 等 の 驕 恣 非 法 濫 行、 特 に 畳 鍵 大 師 號 奏 講 の 趣 き を 相 語 つ て、 官 下 に 懇 へ 高 判 再 三 に 及 ぶ ﹂ と い ひ 渦 同 年 五 月 三 日 本 寺 末 院 裳 切 騒 動 の 官 裁 あ り、 ﹁ 已 後 畳 鍵 大 師 號 の 上 奏 を 致 す べ か ら す ﹂ と 記 す。 け れ ど こ れ ら の 説 は 何 に 依 つ た も の か そ の 典 擦 を 掲 け て ゐ な い ゐ 聖 人 が 大 師 號 を 賜 ふ た の は 智 積 院 僧 正 信 盛・ 妙 晋 院 僧 正 卓 玄 の 表 に よ り、 元 緑 三 年 十 月 興 教 大 師 と 贈 號 せ ら れ た の て あ つ て、 聖 人 入 寂 後 五 百 四 十 八 年 に 當 る。 然 し そ の 門 下 達 に よ つ て 大 師 號 を 賜 は ら う と し た こ と は 古 く か ら あ つ た こ と ゝ 思 は れ る。 (12) さ て 仁 安 三 年 の 裳 切 合 職 に 就 い て 弘 法 大 師 綾 年 譜 記 者 は 寳 簡 集 を 尉 い て ﹁ 本 寺 を 蔑 如 し 一 宗 に 違 背 し 長 者 の 知 行 を 停 め 満 山 の 勢 務 を 奪 ふ。 宗 の 憤 葱 寺 の 訴 訟 そ れ こ れ に あ り、 何 事 か こ れ に 過 喜 ん ﹂ と し て 本 寺 方 の 不 満 を 叙 し、 高 野 山 眞 言 教 相 興 起 傳 來 に は そ の 合 職 の 由 來 を 読 明 し て、 凡 そ 傳 法 院 と の 合 職 の 起 り は 傳 法 院 畳 鍵、 鳥 朋 院 の 護 持 僧 と し て 崇 敬 瞬 依 の 籐 り に 彼 の 院 家 に 八 ケ 庄 を 寄 進 さ る。 ( マ 、 ) 循 て 傳 法 院 の 寺 櫓 等 花 族 身 に 飴 り 、 本 寺 の 寺 櫓 を 重 ん ぜ す 、 叉 一 切 の 勤 行 寺 役 等 本 寺 を 省 い て 自 院 に 專 に す。 怯 つ て 此 の 如 き 合 職 が 出 來 し 乖 。 治 承 の 頃 よ り 弘 安 の 頃 に 至 る か 。
(13) と 述 べ て ゐ る。 高 野 春 秋 雀 七 に そ の 時 の 有 様 を 出 し て、 正 月 十 一 日 本 末 僧 侶 相 交 は り 傳 法 院 の 修 正 會 を 勤 修 し た。 慣 例 て は 十 日 迄 は 本 寺 方 の 修 正 會 に て 末 院 方 三 分 一 相 交 は り、 十 一 日 よ り は 末 院 の 修 正 會 て 本 寺 の 僧 牛 分 相 交 は る の で あ つ た。 然 る に 本 書 に 出 す 傳 法 院 別 記 の 読 に 依 れ ば、 本 年 は 末 院 座 主 日 (實 力 ) 暉 は 薪 に 紫 衣 を 着 し、 始 め て 手 輿 に 駕 ス ス シ ノ モ し、 鈍 色 の 從 僧 四 人 ・ 大 中 童 子 歎 輩 を 随 從 し、 叉 行 道 衆 七 十 口 に は 生 絹 子 裳 の 袈 裟 を 着 け し め、 叉 所 司 威 儀 は 威 儀 を 張 り、 仕 丁 は 赤 衣 を 着 け て 出 仕 し た。 依 つ て 寺 僧 と 院 曾 と の 間 に 非 例 な る の 諄 論 惣 起 し 會 場 は 騒 々 し く な つ 虎。 そ の 中 に 院 僧 籔 十 の 悪 黛 刀 杖 を 提 け 出 て 寺 僧 方 の 承 仕 静 辮 ・ 千 幅 と い ふ 二 人 を 殺 害 し、 五 六 輩 を 匁 傷 す る に 至 つ た。 循 て 本 寺 方 の 坊 人 等 翁 然 と 相 集 ま り 西 押 し て 行 道 衆 中 の 裳 を 裁 り 捨 て 六。 隆 海 ・ 日 輝 等 は 罪 を 謝 す る に 地 な ぐ て 出 奔 す。 そ こ て 寺 僧 等 衆 誼 し て 畳 鍵 追 機 の 例 に 任 せ、 且 つ 本 寺 に 違 背 せ ば 損 出 す る と い ふ 前 の 起 請 を 守 つ て、 院 僧 七 百 饒 輩 を 追 機 し 院 宇 二 百 鯨 坊 を 破 却 し て 後、 二 箇 條 の 訴 書 を 上 奏 し た。 六 ま く 當 時 天 皇 御 退 位 な ど の こ と あ つ て 三 ・ 四 月 の 間 官 裁 は 逞 滞 し た が、 五 月 三 日 に 及 び、 寺 院 今 般 の 騒 餓 は 日 灘 ・ 隆 海 等 の 驕 恣 非 法 よ り 起 る。 而 も 本 寺 の 承 仕 僧 を 傷 殺 し た こ と は 重 罪 て あ る。 故 に 永 く 瞬 住 し て は な ら ぬ。 直 接 殺 害 の 入 は 禁 獄 せ し め、 且 つ 已 後 覧 鍵 の 大 師 號 を 上 奏 し て は な ら ぬ。 猫 本 寺 方 の 訴 奏 は 事 已 に 前 後 し、 私 意 を 先 と し 公 裁 を 後 に し た。 依 つ て 時 の 槍 校 宗 賢 の 職 掌 を 創 り て 薩 州 (14) に 配 流、 及 び 上 綱 玄 信 は 壷 岐 へ、 房 光 は 封 馬 ( 或 は 玄 信 を 封 馬 へ、 房 光 は 萱 岐 と も い ふ。 ) へ 疑 せ ら れ、 自 鯨 を 誠 し む と い ふ 官 裁 が あ つ た。 誠 に 言 語 道 噺 の 大 騒 齪 を 惹 起 し 六 も の て あ る。 此 の 時 の 記 録 を 信 す る 限 り 傳 法 院 方 の 徒 の 行 爲 は、 一 山 の 自 主 猫 立 と 傳 法 會 を 中 心 と す る 教 學 の 興 隆 を 期 せ ら る ゝ 畳 鍵 聖 人 の 意 圖 を 躁 躍 し た も の て、 時 の 官 裁 は 最 も 適 切 て あ つ た と 云 は な け れ ば な ら ぬ。 為 そ の 後 六 十 六 年 間 は 表 面 不 穏 て あ つ て 大 き な 問 題 も 起 ら な か つ た や う て あ る が、 貞 永 元 年 に 後 堀 河 天 皇 の 論 旨 が 出 高 野 山 に 於 け る 覧 鍵 聖 人 (下 ) 四 一
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 四 二 (15) さ れ 六 。 又 綾 寳 簡 集 第 百 十 一 に 輯 む 。 そ の 丈 に 依 れ ば ﹁ 高 野 山 本 寺 検 校 と 傳 法 院 座 主 と の 座 次 の こ と 、 僧 綱 と 凡 僧 と い か て か 差 別 あ ら ん 。 本 寺 と い ひ 傳 法 院 と い ふ 、 本 末 限 り が あ り 互 に 意 趣 が あ つ て は な ら ぬ 。 本 寺 検 校 は 僧 綱 で あ る か ら 座 主 の 上 に 着 せ よ 。 か た ぐ 背 い て は な ら ぬ 儀 か 。 凡 そ 座 主 に 長 老 を 付 せ ら る ゝ は 近 年 山 上 に 喧 嘩 落 居 し な い 故 院 家 陵 塵 し 房 舎 破 壌 す 。 伍 て そ の 興 隆 の 爲 め 且 つ は 安 堵 の 爲 め に か く 補 せ ら れ て ゐ る 。 さ れ ば 院 家 の 佳 侶 本 寺 の 衆 徒 は 聖 断 に 任 せ 穏 便 の 儀 を 存 す べ く 、 猫 違 背 の 輩 は 定 め て 後 悔 あ る か 。 此 の 由 仁 和 寺 宮 ( 道 深 ) に 申 さ れ 了 る ﹂ と 。 そ の 逐 申 の 文 に ﹁ 近 年 本 寺 の 衆 徒 等 や ゝ も す れ ば 濫 訴 を 企 て 、 剰 へ 蜂 起 に 及 ぶ 、 此 の 條 已 に 大 師 の 記 文 に 背 き 山 上 静 て な い 。 こ れ 冥 顯 を 揮 ら 准 い 恐 あ る に よ つ て 、 自 今 以 後 一 向 此 の 儀 を 停 止 せ よ と 重 ね て 仰 せ 下 さ る ﹂ と み り 、 表 面 は 穏 て も 山 内 雨 門 の 衆 徒 間 に は 不 断 に 席 次 問 題 を め ぐ つ て 相 反 月 す る 氣 分 の あ つ 乳 こ と が 察 せ ら れ る 。 そ れ は 途 に 十 年 の 後 仁 治 三 年 の 騒 動 と な つ て 現 れ た 。 高(16) 野 春 秋 雀 八 に 依 る に 、 そ の 前 年 帥 仁 治 二 年 七 丹 に 傳 法 院 の 不 断 経 摩 に 課 論 が あ つ 六 。 そ は 維 中 に 院 僧 が 本 寺 方 警 固 の 人 を 打 郷 し 、 實 藏 坊 の も の が 提 ぴ 來 る 手 鉾 を 奪 ひ 取 つ た と い ふ 事 件 て あ つ て 、 そ れ が 翌 三 年 に 及 び 三 月 に 右 の 打 郷 し 六 末 院 の 悪 僧 を 召 し 捕 ら れ ん こ と を 個 奏 し た ゆ そ の 訴 歌 に は ﹁ 若 し 彼 の 院 の 悪 僧 を 重 科 に 腱 せ ら れ な け れ ば 衆 徒 等 藤 儀 に 任 せ 自 由 に 柄 誠 を 加 へ る ﹂ と い ふ 意 昧 を 書 き 現 し 六 。 け れ ど 猛 満 足 し 得 ら れ る や ラ な 結 果 を 得 す 、 本 寺 末 院 の 確 執 は 漸 々 に 念 盛 、 七 月 三 十 日 合 職 を 開 く に 到 つ 六 。 百 錬 抄 毬 十 五 に は 次 の や う な 記 事 を 出 し て ゐ る。 (17) 仁 治 三 年 七 月 十 三 日 今 日 申 刻 、 高 野 傳 法 院 井 に 僧 房 等 奥 院 の 悪 徒 の 爲 め 道 場 を 破 損 さ れ 、 件 の 下 手 三 入 、 或 は 配 所 に 遣 ら れ 、 或 は 獄 舎 に 禁 ぜ ら る 。 去 る 正 月 奥 院 へ 軍 兵 を 遣 り 大 塔 に 鼠 入 、 供 僧 百 四 十 口 内 傳 法 院 衆 廿 口 自 由 に 名 張 を 除 か し め 了 る 。 此 の 事 に 依 り 雨 方 城 酪 を 構 へ 宮 使 を 遣 の 制 止 せ ら る と 錐 、 還 つ て 此 の 災 に 及 ぶ 。 法 滅 の 期 か 、 こ
れ を 如 何 と す る。 (18) と、 叉 綾 寳 簡 集 第 九 十 四 高 野 山 検 校 帳 に は 此 の 時 の 合 職 に 依 り ﹁ 傳 法 院 嶢 く ﹂ と も 記 し て ゐ る。 印 本 寺 の 絵 勢 は 院 僧 を 呑 み 絡 に 傅 法 院 を 嶢 却 し た の て あ る。 そ こ で 翼 寛 元 乖 年 正 月 廿 五 日、 去 年 傳 院 焼 却 の 怨 離 に 酬 ひ ん 爲 め、 院 僧 は 本 寺 と 大 職 を 開 い 六 が 敗 れ た の て、 朝 廷 及 び 六 波 羅 に 上 訴 し 六。 そ の 結 果 本 寺 の 僧 綱 二 十 六 入 諸 州 に 配 流 さ れ た。 時 の 槍 校 明 賢 は 筑 前 の 國 に 窟 せ ら れ、 執 行 代 道 範 は 讃 岐 善 通 寺 へ、 法 性 は 雲 州 に 移 さ る。 そ の 他 當 時 の 碩 匠 多 く は 山 外 に 憂 き 日 を 過 す こ と ゝ な つ 六。 中 に も 法 性 畳 圓 房 は 寛 元 三 年 十 月 廿 一 日 彼 の 地 に 入 寂 し た。 そ の 寛 元 元 年 よ り 五 年 の 後、 寳 治 二 年 十 二 月 に も 亦 本 寺 と 末 院 と 合 職 し、 國 司 登 山 し て 讐 方 を 折 中 し 和 亭 に 蹄 せ し め ら れ 六。 (19) 寳 治 元 年 十二 月 一 日 に 當 時 の 東 寺 長 者 行 遍 僧 正 に 就 い て、 高 野 山 年 預 源 巻 よ り の 申 歌 案 が 叉 綾 費 簡 集 第 百 十 一 に 出 て ゐ る、 そ は 行 遍 僧 正 を 大 櫓 正 に 補 し 寺 務 た ら し め ん と す る 風 聞 あ り、 こ れ を 排 斥 し た も の て、 そ の 理 由 は 本 寺 末 院 闘 齪 の 時、 彼 の 僧 正 院 務 を 司 り、 本 寺 に 違 背 し て 大 塔 や 御 影 堂 を 焼 い 六。 誠 に 世 汝 生 々 大 師 の 怨 敵 て あ る と い ふ に あ, る。 爲 め に 行 遍 は 寺 務 職 を 止 め ら れ た。 こ れ に よ つ て 當 時 本 寺 方 は 大 塔 御 影 堂 を 焼 か れ た こ と を 知 る が、 そ れ に 樹 し (20) 末 院 方 は 如 何 な 裁 断 を 受 け た か、 或 は 受 け な か つ た か、 今 そ の 記 録 を 明 に し 得 ら れ ぬ こ と を 遺 憾 に 思 ふ。 高 野 春 秋 毬 九 に 依 れ ば 寳 治 二 年 よ り 十 八 年 を 経 て 丈 永 五 年 五 月 の 頃 名 手 庄 官 丹 生 野 寂 念 等 寺 領 の 際 界 を 諄 論 し 大 衆 蜂 起 し て 岡 (21) 評 に 及 び、 六 波 羅 よ り 制 止 さ れ た。 叉 金 剛 峰 寺 衆 徒 置 丈 爲 あ り。 建 治 三 年 十 二 月 の 日 附 に て ﹁ 定 置 金 剛 峰 寺 ﹂ と も て 出 さ れ て ゐ る が、 中 に ﹁ 近 代 し ば ぐ 寺 務 の 競 望 に 依 り、 頃 年 山 門 の 牢 籠 に 及 び ﹂ と か、 ﹁ 忽 合 職 の 刻 に 及 び 或 は 殺 害 或 は 双 傷 し、 菅 に 一 世 の 悪 名 を 流 す の み に 非 す 多 生 の 苦 因 を 結 ぶ ﹂ と 述 べ て 山 徒 を 誠 め 山 上 の 秩 序 と 卒 和 巴 を 保 持 す べ き こ と が 示 さ れ て る る。 高 野 山 に 於 け る 豊 鍵 聖 人 (下 ) 四 三
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 四 四 丈 永 九 年 三 月 傳 法 院 及 び そ の 僧 坊 再 興 落 成、 忠 俊 僧 都 醍 醐 木 幡 等 よ り 蹄 つ て 移 佳、 根 來 中 性 院 頼 鍮 法 印 を 呼 ん て 傳 法 會 の 談 議 を 勤 働 し た。 仁 治 三 年 以 後 此 の 時 ま て 傳 法 院 の 再 興 な き 時 は 丈 六 堂 に 出 仕 し て 傳 法 會 を 勤 酵 て ゐ た と の こ と て あ る。 然 し そ れ も 傳 法 院 落 成 後 十 三 年 を 過 ぎ て 弘 安 九 年 七 月 廿 四 日 に 及 ぶ と 復、 傳 法 院 の 僧 侶 喧 嘩 の 謀 策 俄 に 獲 畳 し、 本 寺 方 一 時 に 蜂 起 互 に 相 挑 み、 雨 陣 大 職、 夜 陰 に 至 り 院 僧 の 陣 潰 る。 こ は 傳 法 院 大 湯 屋 立 不 の 諄 論 に 依 る と 記 ざ る。 時 の 槍 校 砧 信 は 爲 め に 改 易 さ れ 六。 叉 綾 寳 簡 集 第 九 十 四 及 び 九 十 五 内 高 野 山 槍 校 帳 第 七 十 二 代 検 校 執 行 櫃 律 (22) 師 法 橋 上 入 位 蕨 信 の 條 に ﹁ 傳 法 院 大 湯 屋 の こ と に 依 り 本 寺 と 傳 法 院 と 喧 嘩 の 企、 現 形 せ し に よ つ て、 寺 家 静 諦 治 し 難 く 山 務 を 上 表 せ し む。 途 に 七 月 廿 四 日 申 時 合 職 に 及 び 夜 に 入 つ て 院 僧 皆 落 ち 了 る ﹂ と 傳 ふ。 南 山 記 傳 法 院 建 立 の 條 に は、 後 宇 多 院 弘 安 七 年 傳 法 院 大 湯 屋 の 事 に 依 り 七 月 廿 四 日 本 寺 と 傳 法 院 と 合 職、 夜 に 入 り 院 僧 自 ら 落 つ。 此 後 は 根 來 寺 に 佳 し 永 く 縣 ら す。 (今 弘 安 七 年 と い ふ も、 こ れ は 九 年 に 作 る べ き で あ ら う ) と あ る が、 傳 法 院 が 根 來 山 へ 移 轄 さ れ 六 の 倣、 そ れ よ り 三 年 を 経 過 し 六 正 磨 元 年 の こ と て あ る。 密 嚴 尊 者 年 譜 保 延 六 年 の 條 の 終 り に ﹁ 正 鷹 元 年 傳 法 密 嚴 及 び 諸 宇 の 基 趾 を 一 乗 山 に 移 韓 す。 諸 の 浮 侶 も 此 に 遷 り 去 る、 四 月 肇 め て 傳 法 大 會 を 根 山 圓 明 寺 に 啓 き、 頼 鍮 和 術 高 野 よ り 來 つ て 根 山 神 宮 寺の 僧 坊 に 寓 し、 精 義 の 位 に 居 し 佳 心 論 愚 草 を 筆 録 す ﹂ と (23) 述 べ 昏 復 高 野 春 秋 巷 九 正 鷹 元 年 三 月 の 條 に、 ﹁ 傳 法 ・ 密 嚴 二 院 を 根 來 一 乗 山 に 尉 き 移 す。 是 れ 專 ら 忠 俊 阿 閣 梨 の 良 計 に 依 る こ ゝ に 畳 鍵 師 の 門 葉 永 く 跡 を 本 山 よ り 創 る。 忠 俊 は そ の 後 根 嶺 に 佳 し 大 會 を 圓 明 院 に 張 つ た ﹂ と 云 ひ、 本 末 諄 論 聞 書 を 尉 い て ﹁ 蓋 し 宮 武 の 公 評 雨 虎 相 並 べ し む べ か ら ざ る の 内 議 有 り し に よ る ﹂ と 論 じ た。 一 本 難 瑞 縁 起 の 奥 識 に は、 康 治 二 年 畳 鍍 入 滅 の 年 よ り 正 慮 五 年 に 至 る 一 百 五 十 年 ( 正 徳 元 年 は 百 四 十 六 年 目 と な る、 正, 旛 王 母 は 難 瑞 魑 起 著 作 の 妊 在 を 矛 す ) 畳 鍍 入 滅 の 後 汁 六 年 仁 安 三
年 傳 法 院 湊 落 す、 仁 安 三 年 は 裳 切 の 論 あ り。 叉 仁 治 三 年 七 月 十 五 日 に 落 つ。 仁 治 三 年 は 聖 入 入 滅 後 百 年、 高 野 山 の 道 範 等 流 罪 の 年。 叉 弘 安 九 年 落 つ。 其 後 根 來 寺 に 住 し て 高 野 山 に 登 ら す。 と 記 し て ゐ る こ と は、 聖 入 二 十 歳 に し て 成 佛 せ ん と 欲 し て 登 山、 そ の 後 傳 法 密 嚴 雨 院 を 創 し、 時 の 院 の 臨 幸 を 仰 い て 盛 大 な 落 慶 供 養 を い と な ま れ た 往 時 を 追 想 し、 感 慨 殊 に 深 き も の が あ る。 然 も 高 野 と 根 來 山 と の 確 執 は そ の 後 に も 糧 綾 し 六 ら し い。 太 雫 記 雀 十 八 高 野 與 根 來 不 和 事 の 條 を 見 れ ば、 先 帝 花 山 院 を 忍 び 出 て さ せ 給 ひ て、 吉 野 に 潜 行 成 り し か ば、 近 國 の 軍 勢 は 申 す に 及 ば す、 諸 寺 諸 肚 の 衆 徒 紳 官 に 至 る 慧 で 皆 王 化 に 随 つ て、 或 は 軍 用 を 支 へ、 或 は 御 疇 を 致 し け る に、 根 來 の 大 衆 は 一 入 も 吉 野 へ 参 ら す。 是 は 必 す し も 武 家 を 贔 負 し て 公 家 に 背 き 申 す に は 非 す。 此 君 高 野 山 を 御 崇 敬 あ つ て 方 々 の 所 領 を 寄 せ ら れ、 様 々 の 御 立 願 有 る と 聞 き、 偏 執 の 心 を 挿 み け る 故 な り。 と い ひ て、 保 延 六 年 金 剛 峰 寺 の 一 黛 が 密 嚴 院 へ 齪 入 し た 時 の 話 を 記 し、 終 り に、 是 よ り 畳 銀 上 人 の 門 徒 五 百 坊 心 憂 き 事 に 思 ひ て、 傳 法 院 の 御 廟 を 根 來 へ 移 し て、 眞 言 秘 密 の 道 場 を 建 立 す。 其 の 時 の 宿 意 相 残 つ て、 高 野 根 來 の 雨 寺 動 も す れ ば 確 執 の 心 を 挿 め り。 (24) と 結 ん て ゐ る。 そ れ て は 太 挙 記 ば 誰 入 の 作 か と い ふ こ と に な る が、 比 叡 山 の 僧 玄 慧 の 草 本 か も 知 れ な い。 本 書 は 丈 保 二 年 よ り 正 卒 二 十 こ 年 ま て の 職 斜 剛記 と さ れ、 そ の 成 立 は 正 卒 二 十 三 年 よ り 文 中 元 年 ま て の 五 年 間 と 考 へ ら れ て ゐ る か ら 正 鷹 元 年 か ら 算 す れ ば 約 八 十 年 の 後 に 出 來 た こ と に な る。 そ の 太 干 記 の 中 に 上 記 の 如 く 読 か れ て ゐ る の で、 高 野 晦 と 根 來 山 と の 確 執 は 猫 解 け て ゐ な か つ 九 と が 想 像 出 來 る。 高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 四 五
高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 (下 ) 四 六 × × × × × 根 來 山 は そ の 後 豊 臣 秀 吉 の 軍 鳳 入 ま て 、 帥 天 正 十 三 年 三 月 ま て 榮 へ た の で あ る が 、 そ の 兵 臨 の 後 は 雨 び 古 に 復 す る こ と は 出 來 な か つ た 。 結 網 集 下 雀 智 積 院 中 興 第 一 世 玄 宥 僧 正 傳 に 日 、 (25) 天 正 十 三 年 乙 酉 春 根 嶺 、 賊 の 爲 め に 嶢 か る ゝ 所 と な り 、 闊 山 次 儘 と な り 浮 侶 四 散 す 。 師 は 遁 れ て 高 野 山 清 浮 心 院 に 寄 寓 す 帳 を 負 ひ て 追 随 す る も の 多 け れ ど 、 院 癌 狭 隆 に し て 容 る べ き 鹸 地 な く 、 去 つ て 醍 醐 寺 に 移 り 、 韓 じ て 高 雄 山 に 入 り 、 後 北 野 に 佳 し て 大 い に 法 橦 を 樹 て た 。 と い ひ 、 豊 轟 傳 通 記 翁 中 豊 山 中 興 第 一 世 專 響 僧 正 傳 に は 、 (26) 天 正 十 三 年 三 月 七 日 關 白 豊 臣 秀 吉 侵 彊 を 征 た ん と 欲 し て 根 嶺 に 乗 駕 ( 中 略 ) 満 山 の 浮 侶 密 に 騒 動 を 避 け て 二 十 二 日 深 更 各 女 四 散 、 二 十 九 日 兵 璽 紛 起 し て 悉 く 僧 坊 を 嶢 く 。 夏 四 月 師 は 南 山 に 登 り 浮 智 院 に 寓 し 、 追 随 の 龍 象 も 亦 多 し 。 同 十 四 年 春 一 二月 醍 醐 に 登 り 密 藏 の 秘 決 を 傳 ふ 。 同 十 五 年 和 州 太 守 亜 相 豊 臣 秀 長 に 迎 へ ら れ て 豊 山 長 谷 寺 に 入 る 。 ど 傳 ふ 。 玄 宥 ・ 專 巻 雨 師 共 に 高 野 山 に 留 る こ と 暫 時 に し で 醍 醐 山 に 入 り 智 積 院 並 に 豊 山 を 中 興 さ る ゝ こ と に な つ た 。 け れ ど も 根 來 山 は 昔 日 の 盛 観 を 再 興 す る に 到 ら な か つ た こ と は 寂 し い 。 註(1) 佛 教 全 書 本 九 九 頁 下 (2) 興 教 大 師 全 集 上 ・ 五 七 一 頁 (3) 同 正 傳 四 二 二 頁 已 下 (4) 同 四 三 九 頁 (5) 同 全 集 上 ・ 五 八 三 、 五 八 五 頁 (6) 同 正 傳 四 五 七 頁 (7) 績 群 書 類 從 八 下 ・ 七 八 〇 頁 (8) 佛 教 全 書 本 剛 〇 一 頁 下 又 綾 簡 集 九 四 ・ 九 五 高 野 山 検 校 帳 塾 大 日 本 十 人 堂 皇 局 野 山 隠部 七 ・ 四 七 六 頁 、 同 四 一 〇 頁 (9) 大 目 本 古 丈 書 高 野 山 部 八 ・ 一 五 五 頁 (10) 又 績 寳 簡 集 一 一 一
大 日 本 古 文 書 高 野 山 部 八 ・ 一 五 六 頁 (11) 佛 教 全 書 本 一 一 二 頁 上 (12) 眞 言 宗 全 書 三 八 ・ 一 〇 三 頁 上 (13) 佛 教 全 書 本 一 一 二 頁 上 (14) 又 綾 實 簡 集 九 四 大 目 本 古 丈 書 高 野 山 部 七 ・ 四 一 五 頁 同 四 七 九 頁 (15) 大 目 本 古 丈 書 高 野 霜 部 八 ・ 一 五 八 (16) 佛 教 全 書 本 一 五 三 頁 巳 下 (17) 國 史 大 系、 一 四 ・ 二 五 七 頁 (18) 大 目 本 古 丈 書 高 野 山 部 七 ・ 四 二 二 頁 (19) 同 八 ・ 一 六 〇 頁 (20) 佛 教 全 書 本 一 七 〇 頁 (21) 又 綾 蜜 簡 集 一 二 七 大 目 本 古 丈 書 高 野 山 部 八 ・ 三 七 七 頁 (22) 同 高 野 山 部 七 ・ 四 二 八、 四 九。 頁 (23) 佛 教 全 書 本 一 八 一 頁 下 (24) 國 史 大 僻 典 並 に 日 本 丈 學 大 辮 典 参 照 (25) 佛 全 本 三 九 九 頁 (26) 同 三 〇 九 頁 十 二 小 傳 法 院 螢 構 の こ と は 大 治 五 年 (前 號 一 七 頁 ) の 條 に 記 し た 通 り て あ る。 依 つ で 今 は 略 す る が、 但 彼 れ に 學 修 廿 六 人 と い ふ を 大 傳 法 院 本 願 聖 入 縁 起 に は 計 六 人 に 作 る。 大 傳 法 院 建 立 は 本 論 天 承 元 年 已 下 の 條 (前 號 二 〇 貰 ) に 論 述 し た の て あ る が、 漿 瑞 縁 起 雀 上 に は、 傳 法 院 本 堂 内 中 尊 金 剛 界 大 日 如 來 御 身 一 丈 七 尺 左 脇 金 剛 薩 睡 丈 六 待 賢 門 院 御 願 右 脇 尊 勝 佛 頂 丈 六、 柱 檜 三 十 七 尊 字 印 形 後 壁 中 方 五 佛 佛 帥 上 座 定 智 筆 東 方 五 菩 薩 西 方 五 大 尊 高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 四 七
高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 塞 人 (下 ) 四 八 雨 部 曼 茶 羅 各 九 幅 大 曼 茶 羅 奪 形、 ニ ニ ケ リ 東 曼 茶 羅 後 壁 南 天 鐵 塔。 龍 猛 菩 薩 開 ダ 之、 加 ニ 持 白 芥 子 七 粒 三投 入 之 庭 其 扉 欄 於 ダ 袋 夜 叉 紳 二 入 立 塞 不 ア 可 ノ入 二 龍 猛 一 ノ ニ ニ ハ ニ ハ リ ル 之 由 問 答 之 氣 色 圖 総、 塔 高 四 尺 絵 鰍、 自 二 塔 内 二 放 二 大 光 明 一有 二 壁 北 端 一也。 南 端 瀧 水 落 ア北 有 二 虎 二 匹 噛 一 立 還 見 形、 ハ ヲ ニ パ ノ ノ ハ ニ テ ノ ニ ノ ニ ニ ハ 一 頭 低 ノ 地 聞 ノ 物 形 也、 松 春 ワ カ バ、 南 樹 木 夏 木 立 皆 緑 也、 水 濫 下 水 流、 倒 (イ 臥 ) 柳 上 鷺 立 也。 西 曼 茶 羅 後 壁 繹 尊 菩 ノ リ ノ ノ ヲ 提 樹 下 成 道 瑚 菩 提 花 散 布、 有 二 南 端 一也。 繹 尊 因 位 形 也。 着 事 緑 色 交 二赤 色 一衣 服 上 振 二畢 此 土 竹 笠 檬 物 一禮 二遍 室 諸 佛 一也。 遍 室 の 諸 佛 は 五 六 重 許 り も 立 ち 重 な げ 給 へ り。 上 の 方 は 次 第 に 小 さ く。 下 の 方 は 佛 の 印 像 鮮 な る 程 に 大 に 見 え 給 へ り。 樹 下 は 秋 景 の 氣 色。 北 端 に は 迦 耶 城 朱 縷 紫 殿 三 四 重、 門 外 に 橋 有 り。 騎 馬 の 客 一 人 從 者 三 人 迦 耶 城 へ 参 す る 氣 色。 鹿 二 疋 見 え た り。 東 西 後 壁 の 縮 師 は 帥 の 上 座 定 智 筆 な り。 圖 花 春 を 駐 む る 申 丹 の 興。 書 く 樹 に 雪 を 残 す 後 素 の 情 と そ 見 ゆ。 今 度 の 後 壁 の 絡 は 最 下 品 な り。 誰 人 の 筆 か 記 す る に も 及 ば ざ る 作 法、 か へ す が へ す も 見 苦 敷 き 緯 師 な り 寺 家 衰 微 の 随 一 鰍 十 六 租 師 眞 影 西 壁 龍 猛 菩 薩 南 天 竺 出 現 佛 滅 後 八 百 年、 佳 壽 三 百 歳、 十 月 十 八 日 遽 化 龍 智 菩 藤 南 天 竺 蕎 羅 林 容 顔 三 十 許、 齢 七 百 歳、 七 月 一 日 遽 化 金 剛 智 三 藏 南 天 竺、 七 十 三 遽 化 八 月 十 五 日 不 室 三 藏 大 唐、 七 十 歳 六 月 十 五 日 遜 化 恵 果 和 術 大 唐、 六 十 歳 十 二 月 十 五 日 遷 化 照 鷹 馬 氏 弘 法 大 師 日 本、 六 十 二 歳 三 月 廿 一 日 入 定
眞 雅 僧 正 大 師 舎 弟、 被 夕許 ニ 牛 車 一鼠 師 也、 貞 観 曾 正、 元 慶 (元、 傳 法 院 本 験 聖 人 御 傳 読 ) 三 年 正 月 三 日 入 滅 七 十 九 源 仁 僧 都 成 願 寺、 法 相 宗 建 立 南 院、 護 命 僧 正 弟 子、 入 眞 言 後 眞 雅 弟 子、 又 宗 叡 弟 子、 二 長 者、 寛 不 二 年 七 十 二 歳 入 滅 ( 傳 法 院 本 願 聖 人 御 傳 は 仁 和 三 年 十 一 月 廿 二 日 入 滅 七 十 八 ) 東 壁 善 無 畏 三 藏 中 天 竺 摩 詞 陀 國 大 王、 捨 二 王 位 一入 二 法 林ー、 十 一 月 七 日 遽 化 九 十 九 一 行 輝 師 大 唐 朧 西 季 氏、 十 月 八 日 遽 化 四 十 八 歳 實 恵 僧 都 檜 尾 法 繹 寺、 承 和 十 四 年 ( 傳 法 院 本 願 聖 人 纏 傳 は 十 月 十 三 目 臨 ) 六 十 二 歳 入 滅、 誼 州、 俗 姓 佐 伯、 大 安 寺 泰 基 法 師 弟 子 學 ニ 唯 識 二 訳 云 眞 濟 僧 都 俗 姓 紀 朝 臣 左 京 人 也、 高 尾 紳 護 寺、 貞 観 二 年 (十、 傅 法 法 院 本 願 聖 入 御 傳 読 ) 二 月 廿 五 日 入 滅 六 十 一 歳、 出 一画 皮 一 宗 叡 僧 正 號 二 暉 林 寺 僧 正 一叉 號 二圓 畳 寺 噛 後 入 唐、 法 全 付 法、 眞 紹 僧 都 弟 子 也 傳 蔽 院 本 願 聖 人 御 傳 倣 元 慶 汎 年 一 月 廿 六 目 ス 瀕、 七 十 六 蕨 眞 然 僧 正 號 二後 僧 正 一叉 云 二 中 院 僧 正 弘 法 大 師 入 室、 眞 雅 灌 頂 弟 子、 依 二大 師 遺 訓 一金 剛 峰 寺 知 行 五 十 籐 年、 讃 州 佐 伯 氏、 寛 卒 三 年 九 月 十 一 日、 八 十 八 ( 同 上、 八 十 に 作 る、
瀕
入
滅
釜 信 僧 正 圓 城 寺、 備 後 國 人、 本 宗 叡 入 室 法 想 黍 學、 延 喜 六 年 三 月 吉 入 滅 七 士 糞 同 上、 ) 八 十 歳 ) 聖 實 僧 正 白 壁 天 皇 末 葉 也、 三 十 八 勤 二 仕 維 摩 竪 義 一也、 南 池 院 僧 正 源 仁 灌 頂 弟 子 也 伺 止、 力 鰻 醐 根 本 僧 正 二 三 論 宗 延 喜 九 年 七 月 六 日 入 滅、 七 十 八 佛 ニ ノ ノ 心 互 満 五 明 組 神 力 穿 多 三 國 師 ト ソ 聞 也 堂 内 有 偶 頚 三 尊 爾 界 十 五 尊 顯 露 秘 密 一 切 教 高 野 山 に 於 け る 畳 鍵 聖 人 (下 ) 四 九高 野 山 に 於 け る 畳 鐸 聖 人 (下 ) 五。 三 十 七 尊 字 印 形 十 六 祀 師 二 十 天 ス 雲 楯 霞 軒 二 階 五 間、 七 十 二 日 造 畢。 鳥 羽 上 皇 御 堂 造 螢 麓 晶 之 由 勅 言 口 云 云 殆 番 匠 可 ノ庭 二 罪 科 一 之 由 云 云 但 寳 形 者 事 相 有 導 子 細 一之 曲 上 人 被 ノ陳 二 申 之 二 そ の 境 域 の 地 形 に 就 い て 地 形 四 神 具 足 前 朱 雀 丈 六 堂 山 有 三 三 辮 寳 珠 之 粧 繭上 人 被 二 自 愛 ラ 之、 左 青 龍 二 河 落 混 衆 流 一 合 東 流 故 是 叉 自 愛 也、 右 白 虎 最 初 錐 ノ 有 三 其 粧 一 勝 蓮 花 院 造 螢 之 聞 被 ノ 黙 三 件 小 岡 一了、 後 玄 武 御 枇 山 茂 其 相 尤 叶 鰍、 左 右 角 有 二 鐘 縷 二 二 宇 共 ハ 無 二 鐘 響 噛 當 時 鐘 櫻 有 二 鐘 響 一 伍 今 被 ノ 用 ノ 之、 本 の 二 宇 内 に は 莚 道 の 薦 髄 雑 物 納 ノ 之、 錐 ノ 然 名 三 経 藏 三也、 左 思 二恵 巣 一 青 龍 號 右 厭 二 季 軍 一 白 虎 形 と そ 見 え け る。 と 記 す。 次 に 御 杜 本 願 聖 人 勘 請 せ ら る 混 時 高 野 大 明 神 白 色 漂 衣 立 烏 帽 子 に て 入 御 云 云 殊 に 子 紬 有 り。 能 く 能 く 尋 ね べ き な り 一 肚 に 三 棟 あ り。 三 部 各 別 の 標 幟 な り。 中 央 佛 部 天 照 ・ 八 幡 ・ 春日 等 な 互。 左 方 東 蓮 華 部 丹 生 大 明 紳、 右 方 西 金 剛 部 高 野 大 明 榊 な り。 高 租 大 師 鋤 請 結 界 表 白 文 と 相 違 無 し。 此 の 寺 の 鎭 守 に は 絵 肚 相 交 は る の 由 誘 難 一寄 云 短 長 の 素 雪 は 冥 衆 の 袖、 左 右 の 白 雲 は 神 道 の 杉 と そ 思 は れ け む。 拝 殿 九 間 彩 幡 花 髭 晴 の 儀 計 の に 懸 く る か。 往 昔 の 御 肚 は 御 肚 山 の 頂 に あ り、 當 時 も 所 雨 の 時 は 其 虚 に 経 を 韓 す。 聖 難 堂 眞 然 僧檜 正 の 廟 院 な り 中 院 曾 正 と 號 し 又 後 僧 正 と 號 す。 高 野 付 驕 大 師 の 御 弟 子 な 勢 葬 殿 三 間 聖 璽 堂 當 蒔 は 多 智 盆塔 な り。 講 難 の 輩 少 女 こ れ 有 る か。 其 故 は 叡 山 横 川 僧 正 の 廟、 當 仙 奥 院、 此 外 に 所
女 あ り ひ 多 分 は 奥 ノ 院 の 如 く、 叉 此 の 廟 塔 も 往 昔 は 奥 の 院 の 如 く、 何 ぞ 當 時 に 及 び て 然 る べ け ん。 眞 然 僧 正 の 邊 告 に 町、 我 に 甘 雨 普 潤 誓 願 あ り、 高 岳 に 墓 所 を 黙 す べ し 云 云 依 夕之 當 時 の 聖 漿 堂 は 彼 の 誓 願 に 相 叶 ふ か。 昔 は 甘 雨 を 思 ふ 駈 龍 の 寺、 久 し く 臥 雲 を 仰 い だ り 護 雁 の 山 と そ 誓 は れ け ん。 畳 皇 院 本 堂 東 方、 近 衛 院 御 願 兼 海 上 入 建 立、 浮 法 房 院 主 た り。 八 角 こ 階 五 間 四 面、 内 陣 四 本 柱 一 本 別 に 玉 樒 ( イ カ ヘ リ 橿 ) 九 複、 花 皆 銅 也。 各 千 石、 都 合 用 途 四 千 貫 (イ、 石 )。 一 本 三 面 に 月 輪 あ り 皆 銅 輪 な り。 三 十 七 尊 を 其 輪 内 に 圖 総 せ り。 総 師 詫 間 爲 遠 法 名 勝 賀 法、 印 と い ふ 未 申 の 柱 の 絡 は 三 度 洗 ひ 落 さ る。 兼 海 上 人 造 作 と い ひ 抜 群 の 仁 な り。 兼 海 云、 縮 粉 の 具 の 用 途 は 兼 海 の 沙 汰、 手 間 は 強 い て 惜 む べ か ら ざ る 由 切 勘 せ ら る 故、 縮 師 殆 ん ど 落 涙 の 氣 あ り 一訳 云 扉 高 欄 等 如 法 の 朱 漆 水 金 皆 上 に 浮 び 出 で 見 え け り 一三 誠 王 城 よ り 南 に は 比 類 な き 由 花 夷 謳 謁 爆 し む 云 云 珠 玉 堂 を 螢 く 唯 佛 界、 金 銀 縷 閣 人 間 を 嘆 と そ 見 え た り。 番 匠 縮 師 等 各 申 し て 云、 此 の 御 堂 螢 作 の 間 其 道 の 骨 法 一 膝 罷 り 上 る 圭 慨 云 伊 豫 國 高 田 荘 は 當 院 寺 領 な り の 然 の と 錐 眞 光 院 座 主 の 時 沽 却 せ ら る。 寳 藏 一 宇 本 堂 艮 に 垂 る。 本 は 是 れ 大 安 寺 の 維 藏 に し て 正 し く 高 頑 大 師 の 御 作 な り。 大 師 云、 大 安 寺 は 是 れ 我 組 師 道 薙 律 師 地 を 賞 し て 造 立 せ ら る。 是 れ 印 舐 澄 精 含 の 業 な り 云 云 是 の 故 に 大 師 自 ら 斧 を 取 り 造 立 せ し め 給 ふ。 然 る (3) に 彼 の 寺 の 執 行 傳 法 院 本 願 上 人 に 沽 却 し 畢 ん ぬ。 ﹁ 循 て 大 安 寺 の 執 行 流 罪 六 る べ き 由 南 都 よ り 公 家 へ 訴 へ 申 す の 庭、 聖 断 に 倫 く。 彼 の 維 藏 は 本 是 れ 弘 法 大 師 の 作 曇 勾 時 縁 然 ら し め て 本 入 に 還 着 せ り。 力 に 及 ば ざ る 子 細 な り 云 芸 伍 て 流 刑 を 遁 れ 畢 ん ぬ。 ﹂ 十 二 丹 晦 日 一 山 の 老 若 皆 此 の 寳 藏 に 詣 て、 正 く 是 の 板 敷 を 頂 戴 す る 等 の 例 な り。 之 を 頂 戴 す る 輩 は 明 年 温 病 を 麺 る ゝ の 数 験 必 定 こ れ あ り ど。 郭 内 の 寳 物 な り。 但 金 剛 峰 寺 の 人 々 は 夜 陰 に 頂 戴 す 云 云 比 興 々 汝、 魯 般 手 を 換 く 組 師 の 藝、 工 匠 力 を 勉 つ 高 租 の 材 と そ 聞 ふ る。 高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 (下 ) 五一
高 野 山 に 於 け る 畳 鍛 聖 人 (下 ) 五 二 不 動 堂 一 宇 本 堂 茜 角 丈 六 不 動 明 王、 東 西 の 角 に 殊 勝 の 二 天 像 を 安 置 せ り。 當 山 一 番 の 像 な り。 若 し 傳 法 院 に 中 門 を 立 て ば 其 の 時 安 す べ き の 料 な り。 護 摩 堂 一 宇 不 動 堂 の 南 大 傳 法 院 郭 内 一 十 三 宇 の 内 是 れ 等 な り。 密 嚴 院 男 享 上 院 八 角 下 院 同 前 上 院 は 秘 塵 な り 荒 涼 の 人 参 ず べ か ら ず 僧 て 此 院 の 寺 役 等 之 を 勤 む べ き 儀 な り 下 院 御 就 拝 殿 三 間 嘗 時 は 護 摩 堂 東 方 に 造 作 し て 唯 一 堂 の 如 く な る か 下 院 の 神 明 は 上 入 勘 請 の 時 童 形 に 示 現 し て 入 り 給 漏 云 云 総 角 の 形、 世 上 に は 襲 髪 結 び と 託 る。 誼 法 の 紅 顔 花 色 久 し く、 同 塵 の 瑠 墓 露 光 新 な り と そ 聞 く。 小 塔 宇 上 入 の 眞 影 を 安 置 す。 佛 壇 の 下 に 代 々 貫 首 の 芳 骨 皆 之 を 納 む 云 鼓 密 嚴 院 地 形 一 向 月 輪 圓 壇 上 人 製 作 有 十 徳 頒、 周 紙 被 載 之 天 涯 松 聾 え て 常 に 日 を 障 ふ。 地 輪 月 圓 に し て 秋 を 待 た す。 墜 瑞 縁 起 雀 下 密 嚴 院 行 法 間 傳 法 院 見 徹 事 の 條 に、 そ の ﹁ 路 程 十 二 町 許 鰍 ﹂ と 云 ひ、 別 本 に は ﹁ 山 を 隔 て ゝ 其 路 十 二 町 許 歎 ﹂ と 書 す。 本 條 の 話 は 聖 入 が 密 嚴 院 籠 居 の 時、 行 法 の 間 に 傳 法 院 後 戸 に 犬 が 走 り 入 つ て 燈 油 を 食 べ た こ と を 見 徹 さ れ 六 こ と を 書 い て ゐ る。 次 に 衆 僧 化 度 と 題 し て、 大 傳 法 院 に は、 座 主 原 洛 高 僧 三 綱 出 痙 ﹂ 毒 主 林 都 維 那 師 寺 僧 申 器 量 の 人 を 以 て 擢 し 來 る の 林例 な り 院 主 左 右 あ り 已 上 寺 家 の 重 職 官 符 學 衆 百 八 人 非 學 衆 藪 百 人 十 五 口 聖 入 院 主 を 大 日 に 擬 す。 密 嚴 院 本 尊、 昔 は 金 剛 薩 錘、 當 時 は 智 奉 印 に 造 る。 次 に 金 剛 王 菩 藤 よ り 金 剛 拳 に 至 る ま て の 十 五 大 菩 藤 あ り。 十 五 大 菩 薩 を も つ て 十 五 口 の 聖 人 に 擬 す。 大 日 金 剛 藤 睡 は 十 六 大 菩 薩 位。 是 れ 則 七 百 飴 僧、 七 箇 荘 園 の 所 疇 の 師、 公 私 の 寺 役 所 緑 は 発 除 せ ら る べ き 奮 例 で あ る。 三 五 の 維 徒 菩 薩 位 に、 農 昏 の 樹 法 (イ、 白 池 ) 憾 掲 焉 の 師 と そ 崇 む ゐ。
別 庭 分 の 衆 京 洛 隠 遁 の 仁、 若 し は 寺 僧 中 病 患 に 沈 み、 交 衆 出 仕 す る 能 は ざ る の 仁 な り。 是 れ 上 人 の 慈 悲 廣 大 の 至 り に よ る。 無 縁 供 六 入、 堅 固 無 縁 の 輩 を 之 に 充 て 置 か る。 都 合 七 百 絵 入 鰍 僧 院 八 箇 所 丈 六 堂 ・ 中 別 虚 小 田 原 ・ 灘 定 院 ・ 五 ノ 室 ・ 千 手 院 ・ 東 別 虚 ・ 往 生 院、 都 合 五 百 鹸 房 丈 六 堂 の 内 西 光 院 西 河 院 高 野 御 幸 に 御 肋 レ縁 を 賜 ふ て 建 立 す 云 云 京 逞 上 人 南 築 紫 上 人 と 號 す 建 立。 丈 殊 供 養 の 伽 藍 て あ る。 小 田 原 の 内 浮 土 院 に は 教 懐 上 人 の 影 萬 歳 小 院 筆 あ り。 五 ノ 室 の 内 最 灘 院 は 明 寂 上 入 の 坊 舎、 千 手 院 は 北 築 柴 聖 人、 實 名 記 さ ず 建 立、 難 験 殊 勝、 古 今 名 春 の 堂 て あ る。 門 々 の 秋 月 は 明 珠 を 諄 ひ、 院 々 の 春 の 花 は 淺 深 を 校 る と そ 思 ひ 出 さ る。 菩 提 心 院 は 美 輻 門 院 の 御 願、 隆 海 法 印 の 建 立 て あ る。 密 嚴 院 先 徳 が 若 し 女 院 よ り 堂 舎 御 建 立 の 由 仰 せ 合 さ れ ば 此 の 地 に 造 螢 す べ き 由 亭 日 申 し 置 か る ゝ に ょ る。 美 幅 門 院 手 自 ら 裁 縫 し 給 ふ 彩 幡 一 流、 籔 流 の 中 に あ り 云 云 古 老 の 人 は 昔 見 知 る 所 歎。 北 廊 の 内 に 三 尺 の 阿 彌 陀 を 安 置 す。 皆 金 色 な り。 八 條 女 院 の 御 菩 提 に 是 を 訪 ひ 奉 る。 女 院 の 御 本 尊 云 云 本 堂 南 方 の 角 に 阿 彌 陀 三 奪 を 安 置 す 供 僧 有 り 美 幅 門 院 御 乳 母 丹 後 の 局 菩 提 の 料 て あ る。 本 堂 は 正 堂 と 號 す。 金 剛 界 大 日 等 身 の 像、 鳥 羽 上 皇 の 仙 髪 を 大 日 烏 懇 の 中 に 納 め 奉 る。 美 幅 門 院 の 金 骨 を 同 じ く 佛 壇 に 納 め 奉 る。 荘 園 は 遠 江 國 初 倉 の 荘 干 百 二 十 石 李 治 年 中 よ む 高 野 へ 蓮 び 上 る 美 幅 門 院 御 所 薦、 薬 海 上 人 三 七 目 金 輪 秘 法 を 勤 修 す。 悉 地 成 就 の 時 結 願 す べ き 由、 女 院 よ り 仰 せ 下 さ る。 本 堂 一 二壇 の 護 摩 の 内、 阿 彌 陀 護 摩 は 殊 に 子 細 あ り。 兼 海 上 人 猫 り 之 を 勤 高 野 山 に 於 け る 翠 鍵 聖 人 (下 ) 五 三