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駒澤大學佛教學部研究紀要 74 005吉村 誠「『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上 : 原文・訓読・和訳」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

『 般 若 心 経 』 は 唐 の 玄 奘 ( 六 〇 二 ― 六 六 四 ) に よ っ て 貞 観 二 三 年 ( 六 四 九 ) に 漢 訳 さ れ た 。 玄 奘 は イ ン ド か ら 唯 識 思 想 の 体 系 を も た ら し た 人 物 で も あ り 、そ の弟 子 た ち は 唯識 の 立 場から 『 般 若 心 経 』に注 釈 を ほ ど こ し た。 特 に 高 弟の 基 ( 慈 恩 大 師 。 六 三 二 ― 六 八 二 ) が 著 し た 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 ( 以 下 、『 般 若 心 経 幽 賛 』 と 略 称 す る ) は 、 以 後 の さ ま ざ ま な 立 場 か ら の 注 釈 書 の 基 礎 と な る 重 要 な 著 作 で ある 。 と こ ろ が 、 今 日 で は 『 般 若 心 経 』 の 解 説 に お い て 『 般 若 心 経 幽 賛 』 が 用 い ら れ る こ とは 殆 ど な い 。 一 般 的 な 理 由 と し て は 、 『 般 若 心 経 』 そ の も の を 理 解 す る 上 で 、 唯 識 思 想 に よ る解釈が必 ず しも必要ないという こ とが考えられ る で あ ろ う。 し か し、『般若心 経幽賛』が『般若心 経 』の最古の注釈書の一つ で あるにもかかわらず 、 十分な研究がなされて い な い の は 問 題 で ある 。 こ れ ま で 『 般 若 心 経 幽 賛 』 が 等 閑 視 さ れ て き た こ と は 、 『 国 訳 一 切 経 』 等 に 国 訳 が 収 録 さ れ て い な い こ と に も 端 的 に 表 れ て いる 。 近 年 、 校 訂 本文 と 国訳 が 公 表 さ れ た こ とは 歓 迎 す べ き で ある が 、 全 体 的 に 誤 植 が 多 く 、 国訳 に も 検 討 の 余 地 が 少 な く な い ( 1 ) 。 そ こで 小稿 で は 、『大正新脩大蔵 経 』巻三三所収の 『般若心 経 幽賛』巻上の原文 を元に、訓読と和訳 を 試 み た。 不 明 の 部 分 も 残 し て い る が 、 そ れ ら の 解 明 は 今 後 の 課 題 と し た い 。 上巻の構成は以下のよう で ある 。 造論の趣旨… ………一七八頁 題号… ……… ………一八三頁 Ⅰ観自在………一八七頁 1観自在菩薩(初練磨 心)………一八七頁 2行 深 般 若波羅蜜多(第二練磨 心)………一九一頁 一七三 駒澤大學佛教學部研究紀要第七十四號   平成二十八年三月

(2)

行………一九一頁 種 姓・ 五 位………一九五頁 発心 ・発願………二〇〇頁 ⅰ略修行………二〇四頁 A境…三性………二〇四頁 B行…唯識観・ 五重唯識観・ 五 位の唯識観………二〇四・二〇九・二一五頁 C果………二一五頁 ⅱ広修行………二一九頁 A 処学処………二一九頁 B修学 法 ………二二二頁 勝解・求法 ・宣説・修行・教授・教誡・安三業………二二二頁 六波羅蜜………二二七頁 施波羅蜜………二二七頁 戒波羅蜜………二三四頁 忍辱波羅蜜………二四二頁 精進・静慮・慧波羅蜜………二四六頁 四摂事・供養三宝・親 近善友・四無量・慚愧・ 堅 力・四依・発願………二四九・二五二・二五七頁 四十位………二六一頁 十住・十行・十廻向………二六一頁 十地…十勝行・十重 障 ・十真如………二六四・二六八頁 C能修学(以下、下巻) 3 度 一 切 苦 厄 ( 第 三 練 磨 心 ) Ⅱ 舎 利 子 Ⅲ 菩 提 薩 埵 初 め に 、 造 論 の 趣 旨 が 述 べ ら れ る 。 こ こ で は 、 瑜 伽 行 派 の 三 転 法 輪 説 に 基 づ い て 有 空 中 道 の 立 場 が 主 張 さ れ て いる 。 こ れ は 『 般 若 心 経 』 の「 空 」 に 対 す る 、 本 書 の 基 本 的 立 場 を 表 明 す る もの で あ る ( 2 ) 。 次 に 、 題 号 が 解 説 さ れ る 。 「 般 若 」 の 五 釈 に 眷 属 ( 万 行 ) を あげ 、 「 波 羅 蜜 多 」 の 五 釈 に行 を あ げ る と こ ろ に 、 本 書 の行 を 重 視する姿勢との関連がうかがえる。 以 下 、 随 文 解 釈 に 入 る 。 随 文 解 釈 で は 、 勝 空 者 と 如 応 者 の 二 つ の 解 釈 が あ げ ら れ 、 後 者 が支 持 さ れ る 。 前 者 は 中 観 派 、 後 者 は 瑜 伽 行 派 の 解 釈 と みな す こ とが で き る 。 如 応 者 の 解 釈 に よ れ ば 『 般 若 心 経 』 の 全 体 は 、 Ⅰ 観 自 在 以 下 、 Ⅱ 舎 利子 以下、Ⅲ菩提薩 埵 以下に三 分され る 。 そ のう ち Ⅰ 観自在以下は 、「観自在菩薩」「行 深 般 若波羅蜜多」「度一切苦厄」 の 三 句 に お い て 三 練 磨 心 を 説 い て いる と い う 。 三 練 磨 心 と は 『 摂 大 乗 論 』 や 『 成 唯 識 論 』 に 見 ら れ る 修 行 過 程 で あ る が 、 そ の 内 容 は 同 一 で は な く 、 本 書 で は 両 者 を う け て 独 自 の 説 明 が ほ ど こ さ れ て い る ( 3 ) 。 1 「 観 自 在 菩 薩 」 で は 、 観 自 在 菩 薩 が 六 波 羅 密 を 含 む 三 練 磨 心 を 修 行 し た 者 で あ り 、 有 情 に 発 心 ・ 修 行 を 勧 め て い る こ とが 述 べ ら れ る 。 ま た 、 新 訳 の 「 観 自 在 」 に は 空 有 を 悟る 智 慧 と 自 在 な 救 済 力 を 持つ こ と が 含 意 さ れ て お り 、 旧 訳 の 「 観 〔 世 〕 音 」 で は そ の 意 味 が 含 ま れ ない と い う 。 2 「 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 」 で は 、 行 と は 「 行 ず る こ と が な い 」 の で は な く 、 「 行 じ て も 行 ず る こ と に と ら わ れ な い 」 と い う 意 味 で ある と 述 べ 、 行 の 実 修 が 強 調 さ れ る 。 次 い で 修 行 の 要 件 と し て 、大 乗 二 種 姓 ( 本 性 住 種 姓 と 習 所 成 種 姓 ) と 五 位 ( 資 糧 位 ・ 加 行 位 ・ 通 達 位 ・ 修 習 位 ・ 究 竟 位 ) 、 発 心 ( 十 勝 徳 ・ 三 妙 観 ) 、 発 願 が 概 説 さ れ る 。 特 に 大 乗 二 種 姓 の 説 明 は 有 情 に 大 菩 提 の 因 が あ る こ と を 力 説 す る もの で あ り、同じ基の文章 で も 五 姓 各別説 で 一分不成仏を証明するものとは論調 を 異 にする ( 4 ) 。 次 い で 修 行 に つ い て 、ⅰ 略 修 行 、 ⅱ 広 修 行 に 二 分 し て 説 明 さ れ る 。 ⅰ 略 修 行 は 、 A 境 、 B 行 、 C 果 に 三 分 さ れ る 。 A 境 で は 、 境 界 に つ い て 三 性 ( 遍 計 所 執 性 ・ 依 他 起 性 ・円 成 実 性 ) に よ っ て 説 明 さ れ る 。 B 行 で は 、 修 行につい て 仏 教 で は 唯識 観 を 第 一 と す る こ とが 説 か れ 、 五重 唯 識 観 と 五 位の 唯識 観 が 述 べ ら れ る 。 五 重 唯 識 観 は 、 空 ・ 有 、 境 ・ 識 、 用 ・ 体 、 心 所 ・ 心 王 、 事 ・ 理 の 五種 を 順 次 観 察 す る も の で 、そ の 中 に 仏 一七四 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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行………一九一頁 種 姓・ 五 位………一九五頁 発心 ・発願………二〇〇頁 ⅰ略修行………二〇四頁 A境…三性………二〇四頁 B行…唯識観・ 五重唯識観・ 五 位の唯識観………二〇四・二〇九・二一五頁 C果………二一五頁 ⅱ広修行………二一九頁 A 処学処………二一九頁 B修学 法 ………二二二頁 勝解・求法 ・宣説・修行・教授・教誡・安三業………二二二頁 六波羅蜜………二二七頁 施波羅蜜………二二七頁 戒波羅蜜………二三四頁 忍辱波羅蜜………二四二頁 精進・静慮・慧波羅蜜………二四六頁 四摂事・供養三宝・親 近善友・四無量・慚愧・ 堅 力・四依・発願………二四九・二五二・二五七頁 四十位………二六一頁 十住・十行・十廻向………二六一頁 十地…十勝行・十重 障 ・十真如………二六四・二六八頁 C能修学(以下、下巻) 3 度 一 切 苦 厄 ( 第 三 練 磨 心 ) Ⅱ 舎 利 子 Ⅲ 菩 提 薩 埵 初 め に 、 造 論 の 趣 旨 が 述 べ ら れ る 。 こ こ で は 、 瑜 伽 行 派 の 三 転 法 輪 説 に 基 づ い て 有 空 中 道 の 立 場 が 主 張 さ れ て いる 。 こ れ は 『 般 若 心 経 』 の「 空 」 に 対 す る 、 本 書 の 基 本 的 立 場 を 表 明 す る もの で あ る ( 2 ) 。 次 に 、 題 号 が 解 説 さ れ る 。 「 般 若 」 の 五 釈 に 眷 属 ( 万 行 ) を あげ 、 「 波 羅 蜜 多 」 の 五 釈 に行 を あ げ る と こ ろ に 、 本 書 の行 を 重 視する姿勢との関連がうかがえる。 以 下 、 随 文 解 釈 に 入 る 。 随 文 解 釈 で は 、 勝 空 者 と 如 応 者 の 二 つ の 解 釈 が あ げ ら れ 、 後 者 が支 持 さ れ る 。 前 者 は 中 観 派 、 後 者 は 瑜 伽 行 派 の 解 釈 と みな す こ とが で き る 。 如 応 者 の 解 釈 に よ れ ば 『 般 若 心 経 』 の 全 体 は 、 Ⅰ 観 自 在 以 下 、 Ⅱ 舎 利子 以下、Ⅲ菩提薩 埵 以下に三 分され る 。 そ のう ち Ⅰ 観自在以下は 、「観自在菩薩」「行 深 般 若波羅蜜多」「度一切苦厄」 の 三 句 に お い て 三 練 磨 心 を 説 い て いる と い う 。 三 練 磨 心 と は 『 摂 大 乗 論 』 や 『 成 唯 識 論 』 に 見 ら れ る 修 行 過 程 で あ る が 、 そ の 内 容 は 同 一 で は な く 、 本 書 で は 両 者 を う け て 独 自 の 説 明 が ほ ど こ さ れ て い る ( 3 ) 。 1 「 観 自 在 菩 薩 」 で は 、 観 自 在 菩 薩 が 六 波 羅 密 を 含 む 三 練 磨 心 を 修 行 し た 者 で あ り 、 有 情 に 発 心 ・ 修 行 を 勧 め て い る こ とが 述 べ ら れ る 。 ま た 、 新 訳 の 「 観 自 在 」 に は 空 有 を 悟る 智 慧 と 自 在 な 救 済 力 を 持つ こ と が 含 意 さ れ て お り 、 旧 訳 の 「 観 〔 世 〕 音 」 で は そ の 意 味 が 含 ま れ ない と い う 。 2 「 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 」 で は 、 行 と は 「 行 ず る こ と が な い 」 の で は な く 、 「 行 じ て も 行 ず る こ と に と ら わ れ な い 」 と い う 意 味 で ある と 述 べ 、 行 の 実 修 が 強 調 さ れ る 。 次 い で 修 行 の 要 件 と し て 、大 乗 二 種 姓 ( 本 性 住 種 姓 と 習 所 成 種 姓 ) と 五 位 ( 資 糧 位 ・ 加 行 位 ・ 通 達 位 ・ 修 習 位 ・ 究 竟 位 ) 、 発 心 ( 十 勝 徳 ・ 三 妙 観 ) 、 発 願 が 概 説 さ れ る 。 特 に 大 乗 二 種 姓 の 説 明 は 有 情 に 大 菩 提 の 因 が あ る こ と を 力 説 す る もの で あ り、同じ基の文章 で も 五 姓 各別説 で 一分不成仏を証明するものとは論調 を 異 にする ( 4 ) 。 次 い で 修 行 に つ い て 、ⅰ 略 修 行 、 ⅱ 広 修 行 に 二 分 し て 説 明 さ れ る 。 ⅰ 略 修 行 は 、 A 境 、 B 行 、 C 果 に 三 分 さ れ る 。 A 境 で は 、 境 界 に つ い て 三 性 ( 遍 計 所 執 性 ・ 依 他 起 性 ・円 成 実 性 ) に よ っ て 説 明 さ れ る 。 B 行 で は 、 修 行につい て 仏 教 で は 唯識 観 を 第 一 と す る こ とが 説 か れ 、 五重 唯 識 観 と 五 位の 唯識 観 が 述 べ ら れ る 。 五 重 唯 識 観 は 、 空 ・ 有 、 境 ・ 識 、 用 ・ 体 、 心 所 ・ 心 王 、 事 ・ 理 の 五種 を 順 次 観 察 す る も の で 、そ の 中 に 仏 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村) 一七五

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教の観 法 を綜合する基独自の説 で ある ( 5 ) 。 C 果 で は 、 証 果 に つ い て 有 漏 ・ 無 漏 の 修 行 に よ っ て 世 間 ・ 出 世 間 の す べ て の 果 を 得る こ とが 説 か れ る 。 ⅱ 広 修 行 は 、 A 処 学 処 、 B 修 学 法 、 C 能 修 学 に 三 分 さ れ る 。 A 処 学 処 で は 、 修 行 内 容 に つ い て 五 種 ( 所 化 処 ・ 利 行 所 ・ 真 実 義 処・ 威 力 処 ・ 菩 提 処 ) に 分 類 し て 説 か れ る 。 B 修 学 法 で は 、 修 行 に つ い て 説 明 さ れ る 。 先 ず 七 種 ( 勝 解 ・ 求 法 ・ 宣 説 ・ 修 行 ・ 教 授 ・ 教 誡 ・ 安 三業 ) の 基 本 的 な 修 行 が 概 説 さ れ る 。 次 に 六 波 羅 蜜 ( 施 ・ 戒 ・ 忍 ・ 精 進 ・ 静 慮 ・ 慧 ) に つ い て 概 説 さ れ る 。 施 ・ 戒 ・ 忍 に関 す る 記 述 が 特 に 多 い 。 次 に 種 々 の 修 行 ( 四 摂 事 ・ 供 養 三 宝 ・ 親 近 善 友 ・ 四 無 量 ・ 慚 愧 ・ 堅 力 ・ 四 依 ・ 発 願 ) が 概 説 さ れ る 。 最 後 に 、 四 十 位 の 修 行 に つ い て 、 十 住 ・ 十 行 ・ 十廻 向 ・ 十 地 に わ た っ て 解 説 さ れ る 。 十 地 の 修 行 で あ る 十 勝 行 ( 十 波 羅 蜜 ) ・ 十 重 障 ・ 十 真 如 は 高 度 な 修 行 内 容 で あ る 。 C 能 修 学 で は 、 修 行 者 お よ び 如 来 に つ い て 十 二 住 に よ っ て 説 明 さ れ る 。 ⅰ略修行は 『 成唯識論』 の 教理に依拠し、 ⅱ広修行は 『瑜伽師地論』 巻三 五―四九の菩薩地の記述に依拠し て いるが ( 6 ) 、 そ れ ら の 内 容 は た ん に 要 約 さ れ て いる わ け で は な く 、 新 た な 観 点から 再 編 さ れ て いる 。 基 は 玄 奘 の 唯識 思 想 の 根 幹 を な す 両 書 の 内 容 を 基 盤 と し て 、 独 自 に 唯 識 の 修 行 論 を 構 築 し た と い え る だ ろ う 。 こ の よ う に 、 2 「 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 」 で は 唯 識 の 修 行 論 が 述 べ ら れ て お り 、 そ の 分 量は 『 般 若 心 経 幽 賛 』 の 半 分 以 上 を占め て いる。 こ の こ とから、基は『般若心 経 』 の「空」は行のあくな き実修によっ て 顕 示され る ものと考え て いた こ と が 窺 え る 。 註 (1)北堀一雄『般若波 羅 蜜 多 心経幽 賛 』(中山書房仏書林、 二 〇〇五年)参照。目次には昇道『般若波 羅 蜜 多 心 経幽 賛 聚 藻 記 』 と 守 千 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 添 改 科 』 の 科 文 が 掲 載 さ れ 、 註 記 に は 引 用 経 典 の 出 典 が 掲 載 さ れ て お り 有 益 で あ る 。 ( 2 ) 基 の 『 般 若 心 経 』 の 空 の 解 釈 に つ い て は 、 拙 稿 「 玄 奘 と般 若 心 経 」 ( 『 仏 教 史 学 研 究 』 五 六 ― 二 、 二 〇 一 四 年 ) 参 照 。 (3)『摂大乗論』巻中、大正三一、一四二b。『成唯 識論』 巻 九 、 大 正 三 一 、 四 九 a 。 『 般 若 心 経 幽 賛 』 の 三 練 磨 心 に つ い て は 、 葉 阿 月 「 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る 三 練 磨 心 に つ いて」(『印度学 仏教 学 研 究』三七―二 、一九八九年) 参照。 (4)基の五姓各別説については、拙著 『中国唯 識思想史研究―玄奘 と 唯 識 学派―』 (大蔵出版、 二〇一三年)三八一─三八 五 頁 参 照 。 ( 5 ) 基 の 五 重 唯 識 観 は 『大 乗 法 苑 義 林 章 』 巻 一 ( 大 正 四 五 、 二 五 八 b ― 二五 九 a ) に も 説 か れ る 。 (6)広修行と『瑜伽師地論』の対応 関 係については、前掲阿 論 文 、及 び 北 堀 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 三 〇 四― 三 〇 五頁 、 註 92参照。 一七六 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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教の観 法 を綜合する基独自の説 で ある ( 5 ) 。 C 果 で は 、 証 果 に つ い て 有 漏 ・ 無 漏 の 修 行 に よ っ て 世 間 ・ 出 世 間 の す べ て の 果 を 得る こ とが 説 か れ る 。 ⅱ 広 修 行 は 、 A 処 学 処 、 B 修 学 法 、 C 能 修 学 に 三 分 さ れ る 。 A 処 学 処 で は 、 修 行 内 容 に つ い て 五 種 ( 所 化 処 ・ 利 行 所 ・ 真 実 義 処・ 威 力 処 ・ 菩 提 処 ) に 分 類 し て 説 か れ る 。 B 修 学 法 で は 、 修 行 に つ い て 説 明 さ れ る 。 先 ず 七 種 ( 勝 解 ・ 求 法 ・ 宣 説 ・ 修 行 ・ 教 授 ・ 教 誡 ・ 安 三業 ) の 基 本 的 な 修 行 が 概 説 さ れ る 。 次 に 六 波 羅 蜜 ( 施 ・ 戒 ・ 忍 ・ 精 進 ・ 静 慮 ・ 慧 ) に つ い て 概 説 さ れ る 。 施 ・ 戒 ・ 忍 に関 す る 記 述 が 特 に 多 い 。 次 に 種 々 の 修 行 ( 四 摂 事 ・ 供 養 三 宝 ・ 親 近 善 友 ・ 四 無 量 ・ 慚 愧 ・ 堅 力 ・ 四 依 ・ 発 願 ) が 概 説 さ れ る 。 最 後 に 、 四 十 位 の 修 行 に つ い て 、 十 住 ・ 十 行 ・ 十廻 向 ・ 十 地 に わ た っ て 解 説 さ れ る 。 十 地 の 修 行 で あ る 十 勝 行 ( 十 波 羅 蜜 ) ・ 十 重 障 ・ 十 真 如 は 高 度 な 修 行 内 容 で あ る 。 C 能 修 学 で は 、 修 行 者 お よ び 如 来 に つ い て 十 二 住 に よ っ て 説 明 さ れ る 。 ⅰ略修行は 『 成唯識論』 の 教理に依拠し、 ⅱ広修行は 『瑜伽師地論』 巻三 五―四九の菩薩地の記述に依拠し て いるが ( 6 ) 、 そ れ ら の 内 容 は た ん に 要 約 さ れ て いる わ け で は な く 、 新 た な 観 点から 再 編 さ れ て いる 。 基 は 玄 奘 の 唯識 思 想 の 根 幹 を な す 両 書 の 内 容 を 基 盤 と し て 、 独 自 に 唯 識 の 修 行 論 を 構 築 し た と い え る だ ろ う 。 こ の よ う に 、 2 「 行 深 般 若 波 羅 蜜 多 」 で は 唯 識 の 修 行 論 が 述 べ ら れ て お り 、 そ の 分 量は 『 般 若 心 経 幽 賛 』 の 半 分 以 上 を占め て いる。 こ の こ とから、基は『般若心 経 』 の「空」は行のあくな き実修によっ て 顕 示され る ものと考え て いた こ と が 窺 え る 。 註 (1)北堀一雄『般若波 羅 蜜 多 心経幽 賛 』(中山書房仏書林、 二 〇〇五年)参照。目次には昇道『般若波 羅 蜜 多 心 経幽 賛 聚 藻 記 』 と 守 千 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 添 改 科 』 の 科 文 が 掲 載 さ れ 、 註 記 に は 引 用 経 典 の 出 典 が 掲 載 さ れ て お り 有 益 で あ る 。 ( 2 ) 基 の 『 般 若 心 経 』 の 空 の 解 釈 に つ い て は 、 拙 稿 「 玄 奘 と般 若 心 経 」 ( 『 仏 教 史 学 研 究 』 五 六 ― 二 、 二 〇 一 四 年 ) 参 照 。 (3)『摂大乗論』巻中、大正三一、一四二b。『成唯 識論』 巻 九 、 大 正 三 一 、 四 九 a 。 『 般 若 心 経 幽 賛 』 の 三 練 磨 心 に つ い て は 、 葉 阿 月 「 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 に お け る 三 練 磨 心 に つ いて」(『印度学 仏教 学 研 究』三七―二 、一九八九年) 参照。 (4)基の五姓各別説については、拙著 『中国唯 識思想史研究―玄奘 と 唯 識 学派―』 (大蔵出版、 二〇一三年)三八一─三八 五 頁 参 照 。 ( 5 ) 基 の 五 重 唯 識 観 は 『大 乗 法 苑 義 林 章 』 巻 一 ( 大 正 四 五 、 二 五 八 b ― 二五 九 a ) に も 説 か れ る 。 (6)広修行と『瑜伽師地論』の対応 関 係については、前掲阿 論 文 、及 び 北 堀 『 般 若 波 羅 蜜 多 心 経 幽 賛 』 三 〇 四― 三 〇 五頁 、 註 92参照。 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村) 一七七

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般 若 波 羅 蜜 多 心 經 幽 賛 卷 上 ( 大 正 三三 No.1710 ) 大 乘 基 撰 造論 の趣旨 賛 曰 。 今 爲 有 情 結 所蔽、敬受邪教誹毀大乘 。 於空有經如言 計 著 、 隨 印 所 解 互 生 厭 希 。 設 希 出 親 依 善 友 、 由 各 迷 方 邪亂授學 。懼 廣文海初不 趣 求、雖樂 略 經 而不 能了。於 眞俗諦競説有 無、心境法中遞生取 。 令正 法 義 眞 謬 具 分 、 信 學 有 情皆獲利樂 、 依先所授略賛中道。 如『解 深 密經』中、佛依遍計所執、説一切法皆無自性、無 生 無 滅 本 來 涅 槃 、 相 生 勝 義 三 無 性 已 。 時 勝 義 生 菩 薩 、 白 佛 言 。 「 世 尊 。 佛 初 唯 爲 趣 聲 聞 者 、 轉 四 諦 輪 。 雖 甚 希 奇 然 未 了 義 、是諸諍論安足處所。 次復唯爲趣大乘 者 、轉隱密輪、説 一切法皆無自性、 無生無滅本來涅槃 。 雖 更希奇 未 了 義 、 亦 諸 諍 論 安 足 處 所 。 今 爲 發 趣 一 切 乘 者 、 轉 顯 了 輪 。 無 上 無 容 、 是 勝 義 中 眞 了 義 教 、 非 諸 諍 論 安 足 處 所 」 。 『 金 光 明 經 』 説 此 三 法 名 轉 照 持 。 輪 摧 破 名 。 具 遮 表故 。 由諸有 迷法實相、起造惑業 淪 生死海、大聖 法王證法自 性 、善巧方便 應 彼機宜、離 言 法中以言顯 説 、欲令隨 獲 中 道 實 相 。 故 有 頌 言 。 「 諸 佛 或 説 我 、 或 時 説 無 我 。 諸 法 實 相 中 、 無 我 無 非 我 」 。 餘 經 復 説 。 「 佛 以 一 音 演 無 邊 義 、 衆 生 隨 類 各 得 解 等 」 。 天鼓應念發聲、亦類末 尼如求雨寶。應物雖設種種法門 、 智見 純和未生乖競。 佛 涅 槃 後 、 因 彼 大 天 、人 法糺 紛 初 封 著 有 。 如 有 頌 曰 。 「 應 審 觀 佛 敎 、 聖 諦 説 爲 依 、 如 採 沙 中 金 、 擇 取 其 眞 實 」 。 聖 龍 猛 等 、 爲 除 有 執 、 採 集 眞 敎 、 究暢 空 宗 。 如 別 頌 曰。 「 眞 性 有 爲 空 。 如 幻 。 生 故 。 無 爲 無 有 實 。 不 起 。 似 空 華 」 。 彼 言 。 世俗可説法有、依勝義諦一切皆空 。雖此 眞 空 性 非 空 有 、 寄 詮 勝 義 理 皆 性 空 。 有 由是次生 空見。 無 著 菩 薩 、 復 慈 尊 、 説 中 道 敎 雙 除 二 執 。 而 説 頌 言 。 「 妄 分 別 有 。 於 此 二 都 無 。 此 中 唯 有 空 。 於 彼 亦 有 此 。 故 説 一 切 法 、 非 空 非 不 空 。 有 無 及 有 故 。 是 則 契 中 道 」 。 彼 言 。 世 俗 説 我法有、依勝義諦唯此二空。雖佛爲破執空執有、總相 宣 説 諸 法 有 空 、 或 説諸 法非 空 非 有 、 名 字 性 離 空 有 雙 非 、 勝 義 寄 詮 有 空 有 有 。 故 慈 尊 説 。 「 有 爲 無 爲 、 名 之 爲 有 。 我 及 我 所 、 稱 之 爲 無 」 。 非 説 有 空 法 皆 空 有 。 觀 斯 聖意、空有無乖。 法 離 智詮、何空、何有。對機遣病、 假 説 有 空 。 後 諸 學 徒 、 隨 文 起 執 。 己 之 所 解 謂 契 中 宗 、 他 之 所 知 將 爲 謬 説 。 今 賛 經 義 、 申 其 兩 端 。 妙 理 是 非 、 智 者 當 了 。 ( T3 3,5 23 b-5 24 a ) 賛じ て 曰 く。 今有情は結習に蔽はるるが為に、 邪 教を敬受 し て 大乗を誹 ひ 毀 す 。 空 ・ 有 の 経 に 於 て 言 の 如 く 計 著 し 、 随 ひ て 解 す る 所 を 印し て 互 ひ に 厭 ・ 希 を 生 ず 。 設 ひ 出 要 を 希 ねが ひ て 親 し く 善 友 に 依 る も 、 各 お の 方 に 迷 ふ に 由 り て 邪 乱 し て 授 学 す 。 広 文 の 海 を 懼 お そ れ て は 初 め よ り 趣 求 せ ず 、 略 経 を 楽 ねが ふと雖も而も了 ず る こ と能はず。真 ・ 俗 の 諦 に 於 て 競 ひ て 有 ・ 無 を 説 き 、 心 ・ 境 の 法 の 中 に 遞 た が ひ に 取 ・ 捨 を 生 ず。 正 法 の 義 を し て 真 ・ 謬 を 具 さ に 分 け し め 、 信 学 の 有 情 を し て 皆 な 利 ・ 楽 を 得 し め ん が た めに 、 先 の 授 く る 所 に 依 り て 略 し て 中 道 を 賛 す 。 『 解 深 密 経 』 の 中 の 如 し 。 仏 は 遍 計 所 執 に 依 り て 、 一 切 法 は皆な無自性、無生無滅にし て 本来涅槃、相・ 生 ・勝義の 三 無 性 な り と 説 き 已 る 。 時 に 勝 義 生 菩 薩 、 仏 に 白 し て 言 く 。 「 世尊よ 。 仏は初めに唯だ声聞に 趣く者の為に、四諦の輪 を転ず。甚だ希奇なりと雖も然も未了義な れば 、是 れ諸もろ の 諍 論 の 安 足 す る 処 所 な り 。 次 に 復 た 唯 だ 大 乗 に 趣 く 者 の 為 に 、 隠 お ん 密 みつ の 輪 を 転 じ て 、 一 切 法 は 皆 な 無 自 性 、 無 生 無 滅 に し て 本 来 涅 槃 な り と 説 く。 更 に 希 奇 な り と 雖 も 猶 ほ 未 了 義 にし て 、 亦た諸も ろの諍論の安足する 処 所なり。今一切乗に発 ほ っ 趣 し ゅ する 者の為に、顕了の輪 を転 ず。無上無容にし て 、是 れ 勝 義 の 中 の 真 の 了 義 の 教 な れ ば 、 諸 も ろ の諍 論 の 安 足 す る 処 所 に 非 ず 」 と 。 『金 光 明 經 』 は 此 の 三 法を 説 き て 転 ・ 照 ・ 持 と 名 づ く 。 輪 は 摧 破 の 名 に し て 、 遮 ・ 表 を 具 す る が 故 に 。 諸もろ の 有情は法の実相に迷い、惑 ・ 業 を 起 造 し て 生 死の 海 に 淪 し ず む に 由 り て 、大 聖 法王 は 法 の 自 性 を 証 し 、 善 ぜ ん 巧 ぎ ょ う 方 便 も て 彼 の 機 宜 に 応 じ 、 離 言 の 法 の 中 に 言 を 以 て 顕 説 し 、 随 ひ て 中 道 の 実 相 を 獲 し め ん と 欲 す 。 故 に 有 る 頌 に 言 く 。 「 諸 仏 は 或 は 我 と 説 き 、 或 る 時 に は 無 我 と 説 く 。 諸 法 実 相 の 中 に は 、 我 も 無 く 非 我 も 無 し 」 と 。 余 経 に 復 た 説 く 。 「 仏 は 一 音 を 以 て 無 辺 の 義 を 演 ず る も 、 衆 生 は 類 に 随 ひ て 各 お の 解 を 獲 」 等 と 。 既 に 猶 ほ 天 鼓 の 念 に 応 じ て 声 を 発 す る が 如 く 、 亦 た 末 尼 の 求 め の 如 く 宝 を 雨 ふ ら す に 類 す 。 物 に 応 じ て 種 種 の 法 門 を 設く と 雖 も 、 智 見 純 和 し て 未 だ 乖 競 を 生 ぜ ず 。 ① 仏 涅 槃 の 後 、 彼 の 大 天 に 因 り 、 人 ・ 法 糺 紛 し て 初め て 有 に 封 著 す 。 有 る 頌 に 曰 ふ が 如 し 。 「 応 に 審 ら か に 仏 の 教 を 観 じ 、 聖 諦 の 説 を 依 と 為 し て 、 沙 中 の 金 を 採 る が 如 く 、 其 の 真 実 を 択 び 取 る べ し 」 と 。 ② 聖 龍 猛 等 、 有 執 を 除 か ん が 為 に 、 真 教 を 採 集 し て 、 空 宗を 究め 暢 ぶ 。 別 の 頌 に 曰 ふ が 如 し 。 「 真 性 に は 有 為 は 空 な り 。 幻 の 如 し 。 縁 生 な る が 故 に 。 無 為 は実有る こ と無 し 。 不 起 な れば なり。空華 に 似 る 」と。 彼 言ふ。世俗には 法 有と説くべき も 、 勝義諦に依らば 一 切皆空 な り 。 此 の 真 空 は性 と し て 空 ・ 有に非 ず と雖も、 寄せ て 勝 義を 詮するに理とし て 皆な性空 なり。 有 情 是 れ に 由り て 次 に空 見 を 生 ず。 一七八 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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般 若 波 羅 蜜 多 心 經 幽 賛 卷 上 ( 大 正 三三 No.1710 ) 大 乘 基 撰 造論 の趣旨 賛 曰 。 今 爲 有 情 結 所蔽、敬受邪教誹毀大乘 。 於空有經如言 計 著 、 隨 印 所 解 互 生 厭 希 。 設 希 出 親 依 善 友 、 由 各 迷 方 邪亂授學 。懼 廣文海初不 趣 求、雖樂 略 經 而不 能了。於 眞俗諦競説有 無、心境法中遞生取 。 令正 法 義 眞 謬 具 分 、 信 學 有 情皆獲利樂 、 依先所授略賛中道。 如『解 深 密經』中、佛依遍計所執、説一切法皆無自性、無 生 無 滅 本 來 涅 槃 、 相 生 勝 義 三 無 性 已 。 時 勝 義 生 菩 薩 、 白 佛 言 。 「 世 尊 。 佛 初 唯 爲 趣 聲 聞 者 、 轉 四 諦 輪 。 雖 甚 希 奇 然 未 了 義 、是諸諍論安足處所。 次復唯爲趣大乘 者 、轉隱密輪、説 一切法皆無自性、 無生無滅本來涅槃 。 雖 更希奇 未 了 義 、 亦 諸 諍 論 安 足 處 所 。 今 爲 發 趣 一 切 乘 者 、 轉 顯 了 輪 。 無 上 無 容 、 是 勝 義 中 眞 了 義 教 、 非 諸 諍 論 安 足 處 所 」 。 『 金 光 明 經 』 説 此 三 法 名 轉 照 持 。 輪 摧 破 名 。 具 遮 表故 。 由諸有 迷法實相、起造惑業 淪 生死海、大聖 法王證法自 性 、善巧方便 應 彼機宜、離 言 法中以言顯 説 、欲令隨 獲 中 道 實 相 。 故 有 頌 言 。 「 諸 佛 或 説 我 、 或 時 説 無 我 。 諸 法 實 相 中 、 無 我 無 非 我 」 。 餘 經 復 説 。 「 佛 以 一 音 演 無 邊 義 、 衆 生 隨 類 各 得 解 等 」 。 天鼓應念發聲、亦類末 尼如求雨寶。應物雖設種種法門 、 智見 純和未生乖競。 佛 涅 槃 後 、 因 彼 大 天 、人 法糺 紛 初 封 著 有 。 如 有 頌 曰 。 「 應 審 觀 佛 敎 、 聖 諦 説 爲 依 、 如 採 沙 中 金 、 擇 取 其 眞 實 」 。 聖 龍 猛 等 、 爲 除 有 執 、 採 集 眞 敎 、 究暢 空 宗 。 如 別 頌 曰。 「 眞 性 有 爲 空 。 如 幻 。 生 故 。 無 爲 無 有 實 。 不 起 。 似 空 華 」 。 彼 言 。 世俗可説法有、依勝義諦一切皆空 。雖此 眞 空 性 非 空 有 、 寄 詮 勝 義 理 皆 性 空 。 有 由是次生 空見。 無 著 菩 薩 、 復 慈 尊 、 説 中 道 敎 雙 除 二 執 。 而 説 頌 言 。 「 妄 分 別 有 。 於 此 二 都 無 。 此 中 唯 有 空 。 於 彼 亦 有 此 。 故 説 一 切 法 、 非 空 非 不 空 。 有 無 及 有 故 。 是 則 契 中 道 」 。 彼 言 。 世 俗 説 我法有、依勝義諦唯此二空。雖佛爲破執空執有、總相 宣 説 諸 法 有 空 、 或 説諸 法非 空 非 有 、 名 字 性 離 空 有 雙 非 、 勝 義 寄 詮 有 空 有 有 。 故 慈 尊 説 。 「 有 爲 無 爲 、 名 之 爲 有 。 我 及 我 所 、 稱 之 爲 無 」 。 非 説 有 空 法 皆 空 有 。 觀 斯 聖意、空有無乖。 法 離 智詮、何空、何有。對機遣病、 假 説 有 空 。 後 諸 學 徒 、 隨 文 起 執 。 己 之 所 解 謂 契 中 宗 、 他 之 所 知 將 爲 謬 説 。 今 賛 經 義 、 申 其 兩 端 。 妙 理 是 非 、 智 者 當 了 。 ( T3 3,5 23 b-5 24 a ) 賛じ て 曰 く。 今有情は結習に蔽はるるが為に、 邪 教を敬受 し て 大乗を誹 ひ 毀 す 。 空 ・ 有 の 経 に 於 て 言 の 如 く 計 著 し 、 随 ひ て 解 す る 所 を 印し て 互 ひ に 厭 ・ 希 を 生 ず 。 設 ひ 出 要 を 希 ねが ひ て 親 し く 善 友 に 依 る も 、 各 お の 方 に 迷 ふ に 由 り て 邪 乱 し て 授 学 す 。 広 文 の 海 を 懼 お そ れ て は 初 め よ り 趣 求 せ ず 、 略 経 を 楽 ねが ふと雖も而も了 ず る こ と能はず。真 ・ 俗 の 諦 に 於 て 競 ひ て 有 ・ 無 を 説 き 、 心 ・ 境 の 法 の 中 に 遞 た が ひ に 取 ・ 捨 を 生 ず。 正 法 の 義 を し て 真 ・ 謬 を 具 さ に 分 け し め 、 信 学 の 有 情 を し て 皆 な 利 ・ 楽 を 得 し め ん が た めに 、 先 の 授 く る 所 に 依 り て 略 し て 中 道 を 賛 す 。 『 解 深 密 経 』 の 中 の 如 し 。 仏 は 遍 計 所 執 に 依 り て 、 一 切 法 は皆な無自性、無生無滅にし て 本来涅槃、相・ 生 ・勝義の 三 無 性 な り と 説 き 已 る 。 時 に 勝 義 生 菩 薩 、 仏 に 白 し て 言 く 。 「 世尊よ 。 仏は初めに唯だ声聞に 趣く者の為に、四諦の輪 を転ず。甚だ希奇なりと雖も然も未了義な れば 、是 れ諸もろ の 諍 論 の 安 足 す る 処 所 な り 。 次 に 復 た 唯 だ 大 乗 に 趣 く 者 の 為 に 、 隠 お ん 密 みつ の 輪 を 転 じ て 、 一 切 法 は 皆 な 無 自 性 、 無 生 無 滅 に し て 本 来 涅 槃 な り と 説 く。 更 に 希 奇 な り と 雖 も 猶 ほ 未 了 義 にし て 、 亦た諸も ろの諍論の安足する 処 所なり。今一切乗に発 ほ っ 趣 し ゅ する 者の為に、顕了の輪 を転 ず。無上無容にし て 、是 れ 勝 義 の 中 の 真 の 了 義 の 教 な れ ば 、 諸 も ろ の諍 論 の 安 足 す る 処 所 に 非 ず 」 と 。 『金 光 明 經 』 は 此 の 三 法を 説 き て 転 ・ 照 ・ 持 と 名 づ く 。 輪 は 摧 破 の 名 に し て 、 遮 ・ 表 を 具 す る が 故 に 。 諸もろ の 有情は法の実相に迷い、惑 ・ 業 を 起 造 し て 生 死の 海 に 淪 し ず む に 由 り て 、大 聖 法王 は 法 の 自 性 を 証 し 、 善 ぜ ん 巧 ぎ ょ う 方 便 も て 彼 の 機 宜 に 応 じ 、 離 言 の 法 の 中 に 言 を 以 て 顕 説 し 、 随 ひ て 中 道 の 実 相 を 獲 し め ん と 欲 す 。 故 に 有 る 頌 に 言 く 。 「 諸 仏 は 或 は 我 と 説 き 、 或 る 時 に は 無 我 と 説 く 。 諸 法 実 相 の 中 に は 、 我 も 無 く 非 我 も 無 し 」 と 。 余 経 に 復 た 説 く 。 「 仏 は 一 音 を 以 て 無 辺 の 義 を 演 ず る も 、 衆 生 は 類 に 随 ひ て 各 お の 解 を 獲 」 等 と 。 既 に 猶 ほ 天 鼓 の 念 に 応 じ て 声 を 発 す る が 如 く 、 亦 た 末 尼 の 求 め の 如 く 宝 を 雨 ふ ら す に 類 す 。 物 に 応 じ て 種 種 の 法 門 を 設く と 雖 も 、 智 見 純 和 し て 未 だ 乖 競 を 生 ぜ ず 。 ① 仏 涅 槃 の 後 、 彼 の 大 天 に 因 り 、 人 ・ 法 糺 紛 し て 初め て 有 に 封 著 す 。 有 る 頌 に 曰 ふ が 如 し 。 「 応 に 審 ら か に 仏 の 教 を 観 じ 、 聖 諦 の 説 を 依 と 為 し て 、 沙 中 の 金 を 採 る が 如 く 、 其 の 真 実 を 択 び 取 る べ し 」 と 。 ② 聖 龍 猛 等 、 有 執 を 除 か ん が 為 に 、 真 教 を 採 集 し て 、 空 宗を 究め 暢 ぶ 。 別 の 頌 に 曰 ふ が 如 し 。 「 真 性 に は 有 為 は 空 な り 。 幻 の 如 し 。 縁 生 な る が 故 に 。 無 為 は実有る こ と無 し 。 不 起 な れば なり。空華 に 似 る 」と。 彼 言ふ。世俗には 法 有と説くべき も 、 勝義諦に依らば 一 切皆空 な り 。 此 の 真 空 は性 と し て 空 ・ 有に非 ず と雖も、 寄せ て 勝 義を 詮するに理とし て 皆な性空 なり。 有 情 是 れ に 由り て 次 に空 見 を 生 ず。 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村) 一七九

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③ 無 著 菩 薩 、 復 た 慈 尊 に 、 中 道 の 教 を 説 き て 双 つ な が ら 二 執 を 除 か ん こ と を 請 ふ 。 而 し て 頌 を 説 き て 言 く 。 「 虚 妄 分 別 有 り 。 此 に 於 て 二 は 都 て 無 し 。 此 の 中 に は 唯 だ 空 の み 有 り 。 彼 に 於 て も 亦 た 此 れ 有り 。 故 に 一 切 の 法 は 、 空 に も 非 ず 不空にも非 ず と説く。有と無と及び有との故に 。 是 れ 則 ち 中道 に契ふ」と。彼言く。世俗には我 ・ 法有りと説くも、勝 義諦に依り て は唯だ此の二は空なり。仏は執空と執有とを破せ んが為に、総相も て 諸 法は有なり空なりと宣説し、 或 は 諸 法 は 非 空 非 有 な り と 説 く と 雖 も 、 名 字 は 性 と し て 空 ・ 有 ・ 双 非 を 離る れば 、勝義は詮に寄せ て 空 有り有有るなり。故 に慈 尊の説く。 「 有為と無為と、 之 れを名づけ て 有と為す。 我 と及び 我 所と、 之 れを称し て 無と為す」 と。 有 ・ 空 と 説 く も 法 は 皆 な 空 ・ 有 な る に は 非 ず 。 斯 の 聖 意 を 観ず るに 、 空 ・ 有 に 乖 く こ と無 し 。 法 は 智 詮 を 離 る れ ば 、 何 れ が 空 、 何 れ が 有 な ら ん 。 機 に 対 し て 病 を 遣 る に、 仮に有 ・ 空を説く。 後 の諸も ろ の学徒は、 文に随 ひて 執を起 こ し 、 己 の 解 す る 所 を 中 宗 に 契 ふ と 謂 ひ 、 他 の 知 る 所 を 将に謬説と為さんとす。今経の義を賛ずるに、其の 両端 を申ぶ。妙理の是非、智者は当に了ずべ し。 賛 じ て 言 う 。今 〔 諸 々 の 〕 有 情 は 煩 悩 に 蔽 わ れ 、 邪 教 を 敬 い 大 乗 を 謗 っ て いる 。 空 ・ 有 の 経 を 文 字 ど お り の も の と し て 執 着 し 、 〔各 々 の 機根 に〕 従 っ て 理 解 し た もの を 記 憶 し て 、 互いに 好 ・ 悪 を 争 っ て いる 。た と え 出 世 間 の要 義 を 求 め て 善友 に 親 し ん だ と し て も 、 そ れ ぞ れ が 〔 空 ・ 有 の 〕 一 方 に 迷 っ て いる た め、 〔 空 ・ 有 の 意 味 を 〕 間 違 っ て 授 け ら れ て し ま う 。 〔 有 情 は 〕 海 の よ う に 広 い 経 文 を 懼 れ て 初め か ら 求 め ず 、 短 い 経 典 を 願 う も の の そ れ さえ も 理 解 す る こ とが で き な い 。 そ れ は 真 ・ 俗 の 二 諦 を た て て 有 ・ 無 を 説 い た り 、 心 ・ 境 の 二 法 に お い て 取 ・ 捨 を 生 じ た り す る か ら で あ る 。 〔 そ こで 〕正法の教えにおい て 具さに真・偽を 分 かち 、〔仏法 を 〕 信じ て 学 ぶ有情が利益・安楽を獲られ る よう、先達が授 け た 教 え に も と づ い て 、 略 し て 中 道 を 賛 ず る こ と に し た い 。 『 解 深 密 経 』 ( 巻 二 T16,69 4a-697b ) は 次 の よ う に 説 く 。 「 仏 は 遍 計 所 執 〔 を 除 く た め に 〕 、 一 切 法 は み な 無 自 性 で あり、 無 生無滅にし て 本来涅槃 で あ り、 相 ・ 生 ・ 勝義の 三 無性 で ある と説かれた。 そ の時、 勝 義生 菩薩は仏に言 われた。 『 世 尊 よ 。 仏は 初 め た だ 声 聞 乗 に 趣 こ う と す る 者 の た め に 、 四 諦 の 法 輪 を 転 ぜ ら れ ま し た 。 こ れ は 甚 だ 希 有 な も の で し た が ま だ 完 全 な 教 え で は な か っ た た め 、 さ ま ざ ま な 論 争 の も と と な る も の で し た。 次 に た だ 大 乗 に 趣 こ う と す る 者 の た め に 、 隠 密 の 法 輪を 転ぜ ら れ 、 一 切 法 は み な 無 自 性 で あ り 、 無 生 無 滅 に し て 本 来 涅 槃 で あると 説か れ ま し た。 こ れ は さ らに稀有なもの で し た がまだ完全な教え で は なく、さまざまな論争のもととなるもの で し た。 そ こで 今 、一切乗に趣 こ うとする者のた めに、顕了の法輪が転ぜられ まし た。 これ は こ の上のなく余地のないもの で 、 勝義諦 を示 すものの中 で 真 に 完 成 さ れ た 教 え で あ り 、 さ ま ざ ま な 論 争 も とと な る もの で は あ り ま せ ん 」 と 。 『 金 光 明 経 』 ( 巻 二 T16,368b ) は 、 こ の三 つ の 法 輪 を 転 ・ 照 ・ 持 と 名 づ け て いる 。 「 輪 」 は 摧 き 破 るという意味 で 、 遮る こ とと表す こ と〔の両方の意味〕 を 具 え て い る 。 諸 々 の 有 情 は 法 の 実 相に 迷 い 、 惑 い を 起 こ し 業 を 造 り 、 生 死 の 海 に 淪 ん で いる 。 大 聖 法 王 は 法 の 自 性 を さ と り 、巧 み な 方 便 で 彼 ら の 機 根 に応 じ 、 言 葉 を 離 れ た 教 え を 言 葉 に よ っ て 説 き 明 か し 、 〔 有 情 の 機 根 に 〕 し た が っ て 中 道 と い う 実 相 を さ と ら せ よ う と し た の で あ る 。 故 にあ る 頌 ( 『 中 論 』 巻 三 T 30 ,24 a )は 次の よう に 言 う。 「諸 仏 は あ る とき は 我 と 説 き 、 ある と き は 無 我 と 説 く 。 諸 法 の 実 相 に お い て は 、 我 も 無 く ま た 非我 も 無 い 」 と 。 他 の 経 ( 『 維 摩 詰 経 』 巻 上 T14,5 38a . 『 説 無 垢 称 経 』 巻 一 T14,558 c ) も 次 の よう に 説 く 。 「 仏 は 一 つ の 音 声 で 無 限の 教 え を 説 き 、 衆 生 は 〔 機根の 〕 種 類 に し た が っ て そ れ ぞ れ 理 解 を 得る 」 と 。 そ れ は あ た か も 天 鼓 が 〔 聞く 者 の 〕 念 いに応 じ て 〔 自 在に〕 音 を 発 し 、 末 尼宝 珠 が 〔願う者の〕求めに応じ て 〔自在に〕 宝 を雨ふらすようなもの で ある。〔 こ のように仏は〕有情に応じ て 種 々の法 門 を 設けるが、〔有情の〕さとりは純一 で 調 和し て お り乖離を 生じる こ とはない。 ① 仏 が 涅 槃 に 入 ら れ た 後 、 か の 大 天 に よ り 人 ・ 法 が 乱 れ 、 初 め て 有 に 執 着 す る よ う に な っ た 。 あ る 頌 ( 『 異 部 宗 輪 論 』 T49,15 a ) に 言 う と お り で ある 。 「 仏 教 を つ ま び ら か に 観 察 し 、 四 聖 諦 の 説 を よ り ど こ ろ と し 、沙 中 の 金 を 採 る よ うに、 そ の 真 実 を 択 び 取 る べ き で ある 」 と 。② 〔 次 に〕 聖 龍 猛 等 が 、 有執 を 除 こ う と し て 、 真 実 の 教 え を 採 集 し 、 空 宗 を 究め て 伸 ば し た。 別の頌 ( 『大乗掌珍論』 巻 上 T30,268b ) に 言 う と お り で あ る 。 「 真 実 の あ り か た と し て 有 為 法 は 空 で ある 。 あ た か も 幻 の よ う で ある 。 縁 に よ り 生 じ る か ら で あ る 。 無為 法 は 実 在 す る わ け で は ない 。 〔 縁 に よ っ て 〕 起 こ る も の で はないから で ある。あたかも空華のよう で ある」と。彼は言 う 。 世 俗 諦 と し て は 法 が 有 る と 言 う こ とが で き る 。 〔 し か し 〕 勝 義 諦 に よ れ ば 一 切 は み な 空 で あ る 。 こ の 空 の 真 の あ り か た は 本 性と し て 空 で も 有 で も な い の で ある が 、 勝 義 を 言 葉 に よ っ て 表 現 す る と き に は 道 理 と し て み な 本 性 と し て 空 で ある と い う 。 有 情 は こ れ に よ り 次 に 空 見 を 生 じ て し ま っ た 。 ③ 〔 次 に〕 無 著 菩 薩 が 、 慈 尊 ( 弥 勒 ) に 、 中 道 の 教 え を 説 い て 〔 空 ・ 有 の 〕 二 執 を と も に 除 い て ほ し い と 請 う た 。 頌 ( 『 弁 中 辺 論 』 巻 上 T31,46 4b ) に 言 う と お り で あ る 。 「 虚 妄 分 別 に は 〔 所 取 ・ 能 取 が 〕 有 る 。 そ こ に 〔 所 取 ・ 能 取 の 〕 一八〇 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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③ 無 著 菩 薩 、 復 た 慈 尊 に 、 中 道 の 教 を 説 き て 双 つ な が ら 二 執 を 除 か ん こ と を 請 ふ 。 而 し て 頌 を 説 き て 言 く 。 「 虚 妄 分 別 有 り 。 此 に 於 て 二 は 都 て 無 し 。 此 の 中 に は 唯 だ 空 の み 有 り 。 彼 に 於 て も 亦 た 此 れ 有り 。 故 に 一 切 の 法 は 、 空 に も 非 ず 不空にも非 ず と説く。有と無と及び有との故に 。 是 れ 則 ち 中道 に契ふ」と。彼言く。世俗には我 ・ 法有りと説くも、勝 義諦に依り て は唯だ此の二は空なり。仏は執空と執有とを破せ んが為に、総相も て 諸 法は有なり空なりと宣説し、 或 は 諸 法 は 非 空 非 有 な り と 説 く と 雖 も 、 名 字 は 性 と し て 空 ・ 有 ・ 双 非 を 離る れば 、勝義は詮に寄せ て 空 有り有有るなり。故 に慈 尊の説く。 「 有為と無為と、 之 れを名づけ て 有と為す。 我 と及び 我 所と、 之 れを称し て 無と為す」 と。 有 ・ 空 と 説 く も 法 は 皆 な 空 ・ 有 な る に は 非 ず 。 斯 の 聖 意 を 観ず るに 、 空 ・ 有 に 乖 く こ と無 し 。 法 は 智 詮 を 離 る れ ば 、 何 れ が 空 、 何 れ が 有 な ら ん 。 機 に 対 し て 病 を 遣 る に、 仮に有 ・ 空を説く。 後 の諸も ろ の学徒は、 文に随 ひて 執を起 こ し 、 己 の 解 す る 所 を 中 宗 に 契 ふ と 謂 ひ 、 他 の 知 る 所 を 将に謬説と為さんとす。今経の義を賛ずるに、其の 両端 を申ぶ。妙理の是非、智者は当に了ずべ し。 賛 じ て 言 う 。今 〔 諸 々 の 〕 有 情 は 煩 悩 に 蔽 わ れ 、 邪 教 を 敬 い 大 乗 を 謗 っ て いる 。 空 ・ 有 の 経 を 文 字 ど お り の も の と し て 執 着 し 、 〔各 々 の 機根 に〕 従 っ て 理 解 し た もの を 記 憶 し て 、 互いに 好 ・ 悪 を 争 っ て いる 。た と え 出 世 間 の要 義 を 求 め て 善友 に 親 し ん だ と し て も 、 そ れ ぞ れ が 〔 空 ・ 有 の 〕 一 方 に 迷 っ て いる た め、 〔 空 ・ 有 の 意 味 を 〕 間 違 っ て 授 け ら れ て し ま う 。 〔 有 情 は 〕 海 の よ う に 広 い 経 文 を 懼 れ て 初め か ら 求 め ず 、 短 い 経 典 を 願 う も の の そ れ さえ も 理 解 す る こ とが で き な い 。 そ れ は 真 ・ 俗 の 二 諦 を た て て 有 ・ 無 を 説 い た り 、 心 ・ 境 の 二 法 に お い て 取 ・ 捨 を 生 じ た り す る か ら で あ る 。 〔 そ こで 〕正法の教えにおい て 具さに真・偽を 分 かち 、〔仏法 を 〕 信じ て 学 ぶ有情が利益・安楽を獲られ る よう、先達が授 け た 教 え に も と づ い て 、 略 し て 中 道 を 賛 ず る こ と に し た い 。 『 解 深 密 経 』 ( 巻 二 T16,69 4a-697b ) は 次 の よ う に 説 く 。 「 仏 は 遍 計 所 執 〔 を 除 く た め に 〕 、 一 切 法 は み な 無 自 性 で あり、 無 生無滅にし て 本来涅槃 で あ り、 相 ・ 生 ・ 勝義の 三 無性 で ある と説かれた。 そ の時、 勝 義生 菩薩は仏に言 われた。 『 世 尊 よ 。 仏は 初 め た だ 声 聞 乗 に 趣 こ う と す る 者 の た め に 、 四 諦 の 法 輪 を 転 ぜ ら れ ま し た 。 こ れ は 甚 だ 希 有 な も の で し た が ま だ 完 全 な 教 え で は な か っ た た め 、 さ ま ざ ま な 論 争 の も と と な る も の で し た。 次 に た だ 大 乗 に 趣 こ う と す る 者 の た め に 、 隠 密 の 法 輪を 転ぜ ら れ 、 一 切 法 は み な 無 自 性 で あ り 、 無 生 無 滅 に し て 本 来 涅 槃 で あると 説か れ ま し た。 こ れ は さ らに稀有なもの で し た がまだ完全な教え で は なく、さまざまな論争のもととなるもの で し た。 そ こで 今 、一切乗に趣 こ うとする者のた めに、顕了の法輪が転ぜられ まし た。 これ は こ の上のなく余地のないもの で 、 勝義諦 を示 すものの中 で 真 に 完 成 さ れ た 教 え で あ り 、 さ ま ざ ま な 論 争 も とと な る もの で は あ り ま せ ん 」 と 。 『 金 光 明 経 』 ( 巻 二 T16,368b ) は 、 こ の三 つ の 法 輪 を 転 ・ 照 ・ 持 と 名 づ け て いる 。 「 輪 」 は 摧 き 破 るという意味 で 、 遮る こ とと表す こ と〔の両方の意味〕 を 具 え て い る 。 諸 々 の 有 情 は 法 の 実 相に 迷 い 、 惑 い を 起 こ し 業 を 造 り 、 生 死 の 海 に 淪 ん で いる 。 大 聖 法 王 は 法 の 自 性 を さ と り 、巧 み な 方 便 で 彼 ら の 機 根 に応 じ 、 言 葉 を 離 れ た 教 え を 言 葉 に よ っ て 説 き 明 か し 、 〔 有 情 の 機 根 に 〕 し た が っ て 中 道 と い う 実 相 を さ と ら せ よ う と し た の で あ る 。 故 にあ る 頌 ( 『 中 論 』 巻 三 T 30 ,24 a )は 次の よう に 言 う。 「諸 仏 は あ る とき は 我 と 説 き 、 ある と き は 無 我 と 説 く 。 諸 法 の 実 相 に お い て は 、 我 も 無 く ま た 非我 も 無 い 」 と 。 他 の 経 ( 『 維 摩 詰 経 』 巻 上 T14,5 38a . 『 説 無 垢 称 経 』 巻 一 T14,558 c ) も 次 の よう に 説 く 。 「 仏 は 一 つ の 音 声 で 無 限の 教 え を 説 き 、 衆 生 は 〔 機根の 〕 種 類 に し た が っ て そ れ ぞ れ 理 解 を 得る 」 と 。 そ れ は あ た か も 天 鼓 が 〔 聞く 者 の 〕 念 いに応 じ て 〔 自 在に〕 音 を 発 し 、 末 尼宝 珠 が 〔願う者の〕求めに応じ て 〔自在に〕 宝 を雨ふらすようなもの で ある。〔 こ のように仏は〕有情に応じ て 種 々の法 門 を 設けるが、〔有情の〕さとりは純一 で 調 和し て お り乖離を 生じる こ とはない。 ① 仏 が 涅 槃 に 入 ら れ た 後 、 か の 大 天 に よ り 人 ・ 法 が 乱 れ 、 初 め て 有 に 執 着 す る よ う に な っ た 。 あ る 頌 ( 『 異 部 宗 輪 論 』 T49,15 a ) に 言 う と お り で ある 。 「 仏 教 を つ ま び ら か に 観 察 し 、 四 聖 諦 の 説 を よ り ど こ ろ と し 、沙 中 の 金 を 採 る よ うに、 そ の 真 実 を 択 び 取 る べ き で ある 」 と 。② 〔 次 に〕 聖 龍 猛 等 が 、 有執 を 除 こ う と し て 、 真 実 の 教 え を 採 集 し 、 空 宗 を 究め て 伸 ば し た。 別の頌 ( 『大乗掌珍論』 巻 上 T30,268b ) に 言 う と お り で あ る 。 「 真 実 の あ り か た と し て 有 為 法 は 空 で ある 。 あ た か も 幻 の よ う で ある 。 縁 に よ り 生 じ る か ら で あ る 。 無為 法 は 実 在 す る わ け で は ない 。 〔 縁 に よ っ て 〕 起 こ る も の で はないから で ある。あたかも空華のよう で ある」と。彼は言 う 。 世 俗 諦 と し て は 法 が 有 る と 言 う こ とが で き る 。 〔 し か し 〕 勝 義 諦 に よ れ ば 一 切 は み な 空 で あ る 。 こ の 空 の 真 の あ り か た は 本 性と し て 空 で も 有 で も な い の で ある が 、 勝 義 を 言 葉 に よ っ て 表 現 す る と き に は 道 理 と し て み な 本 性 と し て 空 で ある と い う 。 有 情 は こ れ に よ り 次 に 空 見 を 生 じ て し ま っ た 。 ③ 〔 次 に〕 無 著 菩 薩 が 、 慈 尊 ( 弥 勒 ) に 、 中 道 の 教 え を 説 い て 〔 空 ・ 有 の 〕 二 執 を と も に 除 い て ほ し い と 請 う た 。 頌 ( 『 弁 中 辺 論 』 巻 上 T31,46 4b ) に 言 う と お り で あ る 。 「 虚 妄 分 別 に は 〔 所 取 ・ 能 取 が 〕 有 る 。 そ こ に 〔 所 取 ・ 能 取 の 〕 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村) 一八一

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二 つ は 無 い 。 こ の 中 に は た だ 空 性 の み が あ る 。 そ の 〔 二 つ の 空 性 の 〕 中 に も ま た こ れ ( 虚 妄 分 別 ) が 有 る 。 故 に 一 切 法 は 、 空 で も な く 不 空 で も ない 。 〔 空 性と虚 妄 分 別 の 〕 有と 〔 所 取と 能 取 の 〕 無と 〔 虚 妄 分 別 の 中 の 空 性と 、 空 性 の 中 の 虚 妄 分 別と の 〕 有 の 故 に 。 こ れ ( 一 向 に 空 で も な く 一 向 に 不 空 で も な い こ と ) は 中 道に か な う 」 と 。 彼 は 言 う 。 世 俗 諦 で は 我 ・ 法 が 有 る と 説 く が 、 勝 義 諦 に よ れ ば こ の二 つ は 空 で ある 。 仏 は 空 執 と 有 執 と を 破 る た め に 、 総 相 を も っ て 諸 法 は 有 や 空 で ある と 説 き 、 あ る い は 諸 法 は 空 で も 有 で も ない ( 非 空 非 有 ) と 説 い て いる が 、 言 葉 は 本 性 と し て 空・ 有 ・ 非 空 非 有 の い ず れ を も離 れ て いる た め、 勝 義 を 言 葉 で 表 現 す るな らば空で も あ り有 で も ある(有空有有)という こ とにな る 。 故 に 慈 尊 は 次 の よ う に 説 い て いる ( 『 瑜 伽 師 地 論 』 巻 四 五 T30,543c ) 。 「 有為 と無為 と 、 こ れ を 名 づ け て 有と いう 。 我 と 我 所 と 、 こ れ を 称 し て 無 と い う 」 と 。 〔 故 に 仏 が 〕 有 ・ 空 を 説 く か ら と い っ て 法 の がす べ て が 〔 文字 ど お り 〕 空 ・ 有 で ある と いう わ け で は ない 。 こ の 聖 意 を 観 るに、 空・ 有 は乖 離 し て いる わ け で は ない 。 法 は 言 葉 を 離 れ るな ら ば 、何 が 空 で あ り 、何 が 有 で あ ろ う か 。 〔 仏 は 有 情 の 〕 機 根 に応 じ て 病 を 除 く た め 、 仮 に 有 ・ 空 を 説 か れ た の で あ る 。 〔 と こ ろ が 〕 後 の 学 徒 は 、 そ の 文字 に 執 着 を 起 こ し 、 自 ら の 解 釈 を 中 道 に か な う と い い 、 他 の 解 釈 を 誤 り と み な そ う と し て いる 。 今 、 経 の 教 え を 賛 ず るに あ た り 、 そ の 〔 解 釈 の 〕 両 端 を 述 べ た 。 す ぐ れ た 道 理 の 是 非 を 、 智者 は ま さ に 了 知 す べ き で ある 。 題号 般 若 波 羅 蜜 多 者 『 大 經 』 之 通 名 。 心 經 者 此 經之 別 稱 。 般 若 之 心 經 也 。 三 磨 娑 釋 依 士 爲 名 、 蘇 漫 多 聲 屬 主 爲 目 。 雖 此心 經亦名般若、彼總此別。故但名心 。 般 若 慧 義 。 古 釋 有 三 。 一 實 相 。 謂 眞 理 。 二 觀 照 。 謂 眞 。 三 文字 。 謂 眞 敎 。 今 釋 有 五 。 第 四 眷 屬 。 謂 萬行 。 第 五 境 界 。 謂 諸 法 。 智 倶 修 、 有 空 齊 照 、 詮 會 旨 、 究 理 解 生 。 性 資、 皆名般若 。 能除障 、 證 法 眞 理 。 衆 德 之 首 、 萬行 之 導 。 雖 獨 名 、 攝 一 切 法 。 波 羅 者 彼 岸 義 。 古説 有 二 。 謂 菩 提 涅 槃 。 今 釋 有 五 。 一 所 知 。 二敎 。 三 理 。 四 行 。 五 果 。 蜜 多 者 離 義 、 到 義 。 由 行 般 若 、 離 諸 障 染 。 境 盡 有 無 、 解 窮 六 藏 、 義 洞 眞 俗 、 業 備 二 因 、 覺 滿 寂 圓 、 斯 昇 彼 岸 。 體 用 兼 擧 。 故 立 此 名 。 / 然 所 修 行 具 七 最 勝 、 方 可得 名 波 羅 蜜 多 。 一 住 菩 薩 種 姓 。 二 依 大 菩 提 心 。 三 悲 愍 有 。 四 具 行 事 業 。 五 無 相 智 所 攝 。 六 迴 向 菩 提 。 七 不 爲 二 障 間 雜 。 若 行 等 一 切 善 業 、 隨 闕 此 一 非 到 彼 岸 。 / 此 在 初 劫 、 名 波 羅 蜜 多 。 在 第 二 劫、 名 近 波 羅 蜜 多 。 在 第 三 劫 、 名 大波羅蜜多。佛果位中、 更 無異稱。今包因果 。故擧通名。 心 者 堅 實 妙 最 之 稱 。 『大 經 』 隨機 、 義 文 倶 廣 、 受 持 傳 、 或 生 怯退 。 傳 法 聖 者 、 其 堅 實 妙 最 、 別 出 此 經 。 三 分 二 序 、 故皆遺闕 、甄綜精微、纂 提 綱蹟。事雖萬 、統 色而爲空、道縱千門、貫無智 而兼 得 。 探廣文 之 祕旨、標貞心以爲稱。 經 者 津 妙 理 之 格 言 。 掖 迷 生 之 恒 範 。 欲 令 隨 證 、 或 依 、 或 説 、 般 若 貞 實 、 而 説 此 經 。 故 以 心 目 。 如 『 瑜 伽 論 』 、 水 陸 華 等 、 『 十 地 』 等 經 。 ( T33,5 24a-b ) 「般若波羅蜜多」 と は 『 大 経 』 の 通 名 な り 。 「心経」 と は 此 の 経 の 別 称 な り 。 「 般 若 」 の 「 心 経 」 な り 。 三 娑 し ゃ 釈 し ゃ く に は 依 を 名 と 為 し 、 蘇 漫 ま ん 多 声 し ょ う には属主を目と為す。 此の 「 心 経」 も 亦 た 「 般若」 と 名づくと雖も、 彼 れ は 総にし て 此 れ は別なり。故に但だ「心」とのみ名づく。 「 般 若 」 と は 慧 の 義 な り 。 古 の 釈 に 三 有 り 。 一 に は 実 相 。 謂 く 真 理 な り 。 二 に は 観 照 。 謂 く 真 慧 な り 。 三 に は 文 字 。 謂 く 真 教 な り 。 今 の 釈 に 五 有 り 。 第 四 に は 眷 属 。 謂 く 万 行 な り 。 第 五 に は 境 界 。 謂 く 諸 法 な り 。 福 ・ 智 を 倶 と も に 修 し 、 有 ・ 空 を 斉 ひ と し く 照 ら し 、 詮 を 尋 ね て 旨 に 会 し 、 理 を 究め て 解 生 ず。 慧 性と 慧資 と を 皆 な 「 般 若 」 と 名 づ く 。 能 く 障 習 を 除 き 、 法 の 真 理 を 証 す 。 衆 徳 の 首 に し て 、 万 行 の 導 き な り 。 独 り 「 慧 」 と の み 名 づ く と 雖 も 、 一 切 法 を 摂 す 。 一八二 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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二 つ は 無 い 。 こ の 中 に は た だ 空 性 の み が あ る 。 そ の 〔 二 つ の 空 性 の 〕 中 に も ま た こ れ ( 虚 妄 分 別 ) が 有 る 。 故 に 一 切 法 は 、 空 で も な く 不 空 で も ない 。 〔 空 性と虚 妄 分 別 の 〕 有と 〔 所 取と 能 取 の 〕 無と 〔 虚 妄 分 別 の 中 の 空 性と 、 空 性 の 中 の 虚 妄 分 別と の 〕 有 の 故 に 。 こ れ ( 一 向 に 空 で も な く 一 向 に 不 空 で も な い こ と ) は 中 道に か な う 」 と 。 彼 は 言 う 。 世 俗 諦 で は 我 ・ 法 が 有 る と 説 く が 、 勝 義 諦 に よ れ ば こ の二 つ は 空 で ある 。 仏 は 空 執 と 有 執 と を 破 る た め に 、 総 相 を も っ て 諸 法 は 有 や 空 で ある と 説 き 、 あ る い は 諸 法 は 空 で も 有 で も ない ( 非 空 非 有 ) と 説 い て いる が 、 言 葉 は 本 性 と し て 空・ 有 ・ 非 空 非 有 の い ず れ を も離 れ て いる た め、 勝 義 を 言 葉 で 表 現 す るな らば空で も あ り有 で も ある(有空有有)という こ とにな る 。 故 に 慈 尊 は 次 の よ う に 説 い て いる ( 『 瑜 伽 師 地 論 』 巻 四 五 T30,543c ) 。 「 有為 と無為 と 、 こ れ を 名 づ け て 有と いう 。 我 と 我 所 と 、 こ れ を 称 し て 無 と い う 」 と 。 〔 故 に 仏 が 〕 有 ・ 空 を 説 く か ら と い っ て 法 の がす べ て が 〔 文字 ど お り 〕 空 ・ 有 で ある と いう わ け で は ない 。 こ の 聖 意 を 観 るに、 空・ 有 は乖 離 し て いる わ け で は ない 。 法 は 言 葉 を 離 れ るな ら ば 、何 が 空 で あ り 、何 が 有 で あ ろ う か 。 〔 仏 は 有 情 の 〕 機 根 に応 じ て 病 を 除 く た め 、 仮 に 有 ・ 空 を 説 か れ た の で あ る 。 〔 と こ ろ が 〕 後 の 学 徒 は 、 そ の 文字 に 執 着 を 起 こ し 、 自 ら の 解 釈 を 中 道 に か な う と い い 、 他 の 解 釈 を 誤 り と み な そ う と し て いる 。 今 、 経 の 教 え を 賛 ず るに あ た り 、 そ の 〔 解 釈 の 〕 両 端 を 述 べ た 。 す ぐ れ た 道 理 の 是 非 を 、 智者 は ま さ に 了 知 す べ き で ある 。 題号 般 若 波 羅 蜜 多 者 『 大 經 』 之 通 名 。 心 經 者 此 經之 別 稱 。 般 若 之 心 經 也 。 三 磨 娑 釋 依 士 爲 名 、 蘇 漫 多 聲 屬 主 爲 目 。 雖 此心 經亦名般若、彼總此別。故但名心 。 般 若 慧 義 。 古 釋 有 三 。 一 實 相 。 謂 眞 理 。 二 觀 照 。 謂 眞 。 三 文字 。 謂 眞 敎 。 今 釋 有 五 。 第 四 眷 屬 。 謂 萬行 。 第 五 境 界 。 謂 諸 法 。 智 倶 修 、 有 空 齊 照 、 詮 會 旨 、 究 理 解 生 。 性 資、 皆名般若 。 能除障 、 證 法 眞 理 。 衆 德 之 首 、 萬行 之 導 。 雖 獨 名 、 攝 一 切 法 。 波 羅 者 彼 岸 義 。 古説 有 二 。 謂 菩 提 涅 槃 。 今 釋 有 五 。 一 所 知 。 二敎 。 三 理 。 四 行 。 五 果 。 蜜 多 者 離 義 、 到 義 。 由 行 般 若 、 離 諸 障 染 。 境 盡 有 無 、 解 窮 六 藏 、 義 洞 眞 俗 、 業 備 二 因 、 覺 滿 寂 圓 、 斯 昇 彼 岸 。 體 用 兼 擧 。 故 立 此 名 。 / 然 所 修 行 具 七 最 勝 、 方 可得 名 波 羅 蜜 多 。 一 住 菩 薩 種 姓 。 二 依 大 菩 提 心 。 三 悲 愍 有 。 四 具 行 事 業 。 五 無 相 智 所 攝 。 六 迴 向 菩 提 。 七 不 爲 二 障 間 雜 。 若 行 等 一 切 善 業 、 隨 闕 此 一 非 到 彼 岸 。 / 此 在 初 劫 、 名 波 羅 蜜 多 。 在 第 二 劫、 名 近 波 羅 蜜 多 。 在 第 三 劫 、 名 大波羅蜜多。佛果位中、 更 無異稱。今包因果 。故擧通名。 心 者 堅 實 妙 最 之 稱 。 『大 經 』 隨機 、 義 文 倶 廣 、 受 持 傳 、 或 生 怯退 。 傳 法 聖 者 、 其 堅 實 妙 最 、 別 出 此 經 。 三 分 二 序 、 故皆遺闕 、甄綜精微、纂 提 綱蹟。事雖萬 、統 色而爲空、道縱千門、貫無智 而兼 得 。 探廣文 之 祕旨、標貞心以爲稱。 經 者 津 妙 理 之 格 言 。 掖 迷 生 之 恒 範 。 欲 令 隨 證 、 或 依 、 或 説 、 般 若 貞 實 、 而 説 此 經 。 故 以 心 目 。 如 『 瑜 伽 論 』 、 水 陸 華 等 、 『 十 地 』 等 經 。 ( T33,5 24a-b ) 「般若波羅蜜多」 と は 『 大 経 』 の 通 名 な り 。 「心経」 と は 此 の 経 の 別 称 な り 。 「 般 若 」 の 「 心 経 」 な り 。 三 娑 し ゃ 釈 し ゃ く に は 依 を 名 と 為 し 、 蘇 漫 ま ん 多 声 し ょ う には属主を目と為す。 此の 「 心 経」 も 亦 た 「 般若」 と 名づくと雖も、 彼 れ は 総にし て 此 れ は別なり。故に但だ「心」とのみ名づく。 「 般 若 」 と は 慧 の 義 な り 。 古 の 釈 に 三 有 り 。 一 に は 実 相 。 謂 く 真 理 な り 。 二 に は 観 照 。 謂 く 真 慧 な り 。 三 に は 文 字 。 謂 く 真 教 な り 。 今 の 釈 に 五 有 り 。 第 四 に は 眷 属 。 謂 く 万 行 な り 。 第 五 に は 境 界 。 謂 く 諸 法 な り 。 福 ・ 智 を 倶 と も に 修 し 、 有 ・ 空 を 斉 ひ と し く 照 ら し 、 詮 を 尋 ね て 旨 に 会 し 、 理 を 究め て 解 生 ず。 慧 性と 慧資 と を 皆 な 「 般 若 」 と 名 づ く 。 能 く 障 習 を 除 き 、 法 の 真 理 を 証 す 。 衆 徳 の 首 に し て 、 万 行 の 導 き な り 。 独 り 「 慧 」 と の み 名 づ く と 雖 も 、 一 切 法 を 摂 す 。 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村) 一八三

(12)

「波羅」とは彼岸の義なり。古の説に二有り。謂く菩提と 涅 槃 と な り 。 今 の 釈 に 五 有 り 。 一 に は 所 知 。 二 に は 教 。 三 には理。四には行。 五 には果なり。「蜜多」とは離の義、到の 義 な り 。 般 若 を 行 ず る に 由 り て 、 諸 も ろ の 障 染 を 離 る 。 境 は 有 ・ 無 を 尽 し 、 解 は 六 蔵 を 窮 め 、 義 は 真 俗 を 洞 あき らかにし、 業 は二因を 備 へ 、 覚満 ち 寂円にし て 、 斯 ここ に 彼 岸 に 昇 る 。 体 ・ 用を兼ね挙ぐ。故に此 の名を 立 つ 。 /然も所修の行に七最勝を 具 し て 、 方 に 「 波 羅 蜜 多 」 と 名 づ く る を 得 べ し 。 一 に は 菩 薩 種 姓 に 住 す 。 二 に は 大 菩 提 心 に 依 る 。 三 に は 有 情 を 悲 愍 す 。四には具さに事業を 行ず。 五 には無相智の摂する所と な る 。 六 に は 菩 提 に 迴 向 す 。 七 には 二障 の 為 に 間 け ん 雑 ざ つ さ れ ず 。 若 し 慧 等 の 一 切 善 業 を 行 ず る に 、 随 ひ て 此 の 一 を 闕 かば 「彼 岸 に 到 る 」 に は 非 ず 。 / 此 の 初劫 に 在 る を 、 「 波 羅 蜜 多 」 と 名 づ く 。 第 二 劫に 在 る を 、 「 近 波 羅 蜜 多 」 と 名 づ く 。 第 三 劫 に 在 る を 、 「 大 波 羅 蜜 多 」 と 名 づ く 。 仏 果 の 位 の 中 に は 、 更 に 異 称 無 し 。 今 因 ・ 果 を 包 む 。故に通名を挙ぐ。 「 心 」 とは 堅 実 妙 最 の 称 な り 。 『 大 経 』 は 機 に 随 ひ て 、 義 ・ 文倶に広く、 受持し伝習するに、 或 は怯退を 生 ず。 伝 法の 聖者 、 其 の 堅 実妙最を録し て 、 此の経を別出す。 三 分 二序は、 故 こ と さ ら に 皆 な 遺 闕 し 、 精 せ い 微 を 甄 綜 け ん そう し 、 綱 蹟 こ う せ き を 纂 提 さ ん て い す 。 事 は 万 像 な り と 雖 も 、 「 色 に 即 し て 空 と 為 す 」 に 統 べ 、 道 は 縦 た と ひ 千門 なる も 、 「 智 と 兼 ね て 得 も 無 し 」 に 貫 く 。 広 文 の 秘旨 を 探 り 、 貞 心 を 標 し て 以 て 称 と 為 す 。 「 経 」 と は 妙 理 を 津 う る ほ す 格 言 、 迷 生 を 掖 み ち び く 恒 範 な り 。 般 若 の 貞 実 を 、 随 ひ て 証 し 、 或 は 依 り 、 或 は 説 か し め ん と 欲 し て 、 此 の 経 を 説 く 。 故 に 「 心 」 を 以 て 目 づ く 。 『 瑜 伽 論 』 、 水 陸 華等 、 『 十 地 』 等 の 経 の 如 し 。 「般若波羅蜜多」とは『大〔般若波羅蜜多 〕 経 』 の 通 名 で ある。「 心経」とは こ の経の別称 で ある。「般若〔波羅蜜 多 〕 」 の「 心 経 」 で ある 。 殺 さ つ 三 娑 し ゃ 釈 し ゃ く ( ṣa ṭ-sa m āsa 六 合 釈 り くが っし ゃ く 。 複 合 語 の 解 釈 方 法 ) で は 依 釈 し ゃ く ( tat-puru ṣa 依 主 釈 、 属 主釈。 格限定複合語) で あり、 蘇 漫 ま ん 多 声 し ょ う ( subanta 八 転 声 は っ て ん じ ょ う 。 語 尾 の 格 変 化 ) で は 属 格 ( 所 属 声 。 ~ の ) で ある 。 こ の 「 心 経 」 も「 般 若 〔 波 羅 蜜 多 〕 」 と いう が 、 か れ ( 『大 経 』) は 総 で あ り こ れ は別 な の で 、 た だ 「 心 」 と いう の で ある 。 「 般 若 」 ( prajñ ā ) とは 慧 と い う 意 味 で あ る 。 古 い 解 釈 に 三 つ あ る 。 一 つ に は 実 相 。 真 理 の こ と で あ る 。 二 つ に は 観 照 。 真 慧 の こ と で ある 。 三 つに は 文字 。 真 教 の こ と で ある 。今 の 解 釈 に 五 つあ る 。 〔 上 記 の 三 つ に 加 え て 〕 四 つ に は 眷 属 。 万 行 の こ と で あ る 。 五 つ に は 境 界 。 諸 法 の こ と で あ る 。 福 徳 ・ 智 慧 を と も に 修 め 、 有 ・ 空 を 斉 し く 照 ら し 、 言 葉 を 求 め て 宗 旨 に 合 致 さ せ 、 真 理 を 究 め て 了 解 を 生 じ る 。 慧 の 本 性 と 慧 の 資 糧 と を 、 す べ て 「 般 若 」 と い う 。 妨 げ と な る 煩 悩 を 除 き 、 法 の 真 理 を 悟る から で ある 。 諸 徳 の な か の 第 一 で あ り 、 万 行 の 導 き 手 で ある 。た だ 〔 一 言 で 〕 「 慧 」 と いう が 、 一 切 法 を 包 摂 し て い る 。 「 波 羅 」( pā ram . p āra 「彼方 」 の対格)と は彼岸という 意 味 で ある。 古 い解釈に二 つある。すなわち菩提と涅 槃 と で ある。 今 の解釈に五つある。 一 つには所知、 二つには教 、 三つには理、 四つには行、 五つには果 で ある。 「 蜜多」 ( ita . i 「 行 く 」 の 過 去 分 詞 女 性 形 ) とは 離 れ る、 到 る と い う 意 味 で ある 。 般 若 を 行 ず る こ と で 、 諸 々 の 煩 悩 の 汚 れ を 離 れ る の で ある 。 境 ( 所 知) が 有 ・ 無 の す べ て を 尽 く し 、 解 ( 教 ) が 六 蔵 ( 声 聞 ・ 菩 薩 そ れ ぞ れ の 経 ・ 律 ・ 論 の三 蔵 ) を 窮め、 義 ( 理 ) が真 ・ 俗 を 明 らか に し 、 業 ( 行) が 〔福 徳 ・ 智 慧 の 〕 二因 を 備 え 、 覚 と 寂静 ( 菩 提 と 涅 槃 。 果 ) が 円 満 と な り 、 ここ に彼岸に登る。体・用を兼ね て 挙げる。故に こ の 〔波羅蜜 多の〕名を 立 て る の で ある。/またその修行が七つの最 も勝れたこ と (特性) を具え て 、はじめ て 「 波羅蜜多」( pā ramit ā 彼 岸 。 完 成 。 後 者 は pa ram a 「最高の」「完全な 」 の女性形 p āram ī 接 尾 辞 tā を 付 加し た抽 象名詞 とい う解釈による)という こ とが でき る 。 一つには菩薩種 姓 に住し、 二 つ に は 大 菩 提 心 に 依 拠し 、 三 に は 有 情 を 悲 し み 愍 れ み 、 四 つ に は 具 さ に 成 すべ き 事 を 行い 、 五 つ には 無 相 智 に 所 属し 、 六 に は 菩 提 に 廻 向 し 、 七 つ に は 二 障 に 妨 げ ら れ な い 。 も し 慧 等 の 一 切 の 善 業 を 行 ず る と き 、 こ の う ち の 一 つ を 欠 い て も 「 彼 岸 に 到 る 」 と は い わ ない 。 / 初 劫 ( 第 一 阿 僧 祗 劫 。 十 住 ・ 十 行 ・ 十 廻 向 ) に あ る と き は 「 波 羅 蜜 多 」 と い い 、 第 二 劫(第二阿僧祗劫。四善根・ 初 地~第七地)にあるとき は 「近 波羅蜜多」といい、第三劫(第三阿僧祗劫 。 第八地~十 地)にあると き は 「大波羅蜜」といい、仏果の位にあると き は こ と さ ら 異 称 は ない 。 今 は 因 ( 三 劫) ・ 果 ( 仏 果 ) を 包 摂 す る 。 故 に 通 名 を あ げ る の で あ る 。 「 心 」 ( hṛdaya 心 臓 ) と は 中 核 で 最 も 優 れ て いる と い う 意 味 で ある 。 『大 経 』 は〔あら ゆる〕機根に対応し 、義 (意 味 内 容 ) ・ 文 ( 文 章 表 現 ) が い ず れ も 広 大 で あ り 、 〔 弟 子 が 〕 記 憶 し て 学 習 す る さ い 、 怯 え て 退 こ う と す る 。 〔 故 に 〕 伝 法 の聖者は、その中核 で 最も優 れ て いる宗旨をまとめ、 こ の 経を別出したの で ある。三 分 (序 分 ・ 正 宗分・流 通分) や二序( 通 序 ・別序)はあえ て 省略し、〔『大 経 』の〕精緻 を 見 分 け て 、綱要をまとめ た もの で ある。事は万象に わ た る が 、 「 色 は 即 ち 空 で ある 」 で 統 べら れ て お り 、 道 は 千門 に 通 じ る が 、 「 智 も 無 く ま た 得 も 無 い 」 で 貫 か れ て いる 。 広 文に秘せられた宗旨を探り、その心髄(核心) を あげ て 名 称とするの で ある。 「 経 」 ( sū tra 糸 ) と は 優 れ た 真 理 を う る お す 格 言 で あ り 、 迷 え る 衆 生 を 導 く 規 範 で あ る 。 般 若 の 心 髄 を さ と ら せ 、 そ 一八四 『般若波羅蜜多心経幽賛』巻上(吉村)

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