『言語政策』第2号 2006年
3月英 語 論 の構 図
1)一 英 語 帝 国 主 義 論 と国 際 英 語 論 の包 括 的 理 解 の た め に一
A Conspectus ofArguments Relating to the Global Spread ofEnglish仲
潔
NAKA Kiyoshi
【キーワー ド】英語帝国主義、WE論 、EIL論 、寛容さ、言語観
Kcy words:English Linguistic lmperialism,WOrld Englishes,English as an lntemational Language,tolcrance,language values
Abstract
The present paper
is
written with the aimof
ordering various kindsof
arguments between proponents of English Linguistic Imperialism(ELI)
on the one hand, and proponents of World Englishes (WE) and English as an International Language(gIL)
on the other. For this purpose, I attempt to categorize these arguments into five groups, and show the similarities and differences in their underlying assumptions.The spread of English all over the world has led to two principal views relating the present situation of language diversity in the global context: one is ELI, the other comprises WE and EIL.
Over tlte past few decades, these views have been the subjects ofcontroversy. Although they have something
in
common, such as tolerance toward diversityof
languages, proponents of these views have criticized each other. To categorize these argumonts enables us to look beneath the surface ofthis mutual criticism and understand beffer the controversy regarding the global spread of English.は じめ に :2つ の英語論
英語 の世界 的普及 によ り、「英語帝国主義論」と「国際英語論」とい う
2つ
の英語論が議 論 され て きた。 これ ら2つ
の英語論は、各々の視点が対象 とす る現象の分析次元の違 いが 認識 されず に、相互批判が繰 り返 され て きたのではないだろ うか。前者 は、言語 の多様性 を、後者 は、英語 の多様性 を主た る研 究対象 としている。 このよ うに、2つ
の英語論 は、ともに 「多様性」へ の寛容 とい う点においては共通 している。 しか しなが ら、英語帝国主 義論者 の多 くは、国際英語論 を結局は英語帝国主義 に加担 し、多言語状況 を抑圧す る論で ある と批判す る。 これ に対 し、英語の多様性 を擁護す るものの中には、英語帝国主義 は思 い込み に過 ぎない と批判す る。
│
『 言語政策』第
2号 2006年
3月2つ
の英語論が互いに排他的 な批判 を繰 り返 して も、あま り生産的であるとは思 えない。今後、
2つ
の英語論 を建設的に展開 させ、英語の世界的普及 によ りもた らされた言語状況 を包括的 に理解す るた めには、論争が展開 され て きた異な る分析 次元 を認識 し、2つ
の英 語論の根底 にある共通点 と相違 点 を明 らかにす ることが重要であ ると考 える。その際 、統 合理論 の構 築 を試 み るよ りも、多元的 な各 々の英語論 を整理す る枠組 みの提示 に意義を見 出 した い。英語論 の構 図を示す ことで、相互批判が行 なわれ るこ との多 い2つ
の英語論で あつて も、実は、共通 した言語観 に支 え られ てい る場合が あるこ とや 、 あ るいは各 々の英 語論 にお いて、一見す ると同 じよ うに見 える場合 であつて も、様 々な違 いがあることが明らかにな るだ ろ う。
2.多
言 語 状 況 の 捉 え方2つ
の英語論 を考察す る際 には、「多言語状況 を どの よ うに捉 えるか」とい う視点 (言語 観)が
関わ つて くる。例 えば、「世界 には5,000の
言語があ る」とい つた言語観 は、多 くの 者に とって国1染み深 い もので あ るかも しれ ない。 実際、学校教育で用 い られ てい る英語教 科書 に も、 この様 な記述は見 られ る2)。 ここには多言語状況 に対す る2つ
の言語観 が存在 す る と考 える。第1に
、言語 は数 え られ る性 質 なのか否か、第2に
、言語 は何 らかの共同 体 と結 び付 くものなのか否か、で ある。2.1可
算 名詞的言語観/不
可算名詞的言語観多言語 状況の問題 を考察す る際、「世界 には
3,000か
ら6,000の
言語 が ある」とか「ケニ アには44の
言語 がある」とい う記述 を しば しば 日にす る。この場合 、言語 は数 え られ る名 詞 と して捉 え られ てい る。「言語 」を数 えるためには、何 らかの共同体 と結び付 けて捉えなけれ ばな らない。多 く の場合 、 この言語観 は
2.2で
述べ る「国民・ 民族文化 との同一性」 に基づいた言語観 と親 和的で あ る。す なわち、「XX」 とい う国民や 民族 とい う共 同体 を前提 と し、「XX語
」「XX英
語」 とい う言語共 同体の存在 を想像 した上で、多言語状況 とは、それ ら言語共同体が複数 並存 してい る状態 であ ると想 定す る立場 である。これ を本稿 では、「可算名詞的言語観」と 呼ぶ こ とにす る。 この言語観 において は、言語 は、明確 に他 と区別 しうる実体 と して存在 す る と捉 え られ てい る。『 言語政策』第
2号 2006年
3月一方 で 、 ここには 「地域語の連続 体」 とい う発想が欠 けている。 これ は、言語 とは本来 的 に境界 が不分明で、少 しずつ異な る言語が鎖 の よ うに繋 がつてい る状態が普通 であるこ とを指す概 念 である。例 えば、ス ウェーデ ン語 とノル ウェー語な どの よ うに、明確 な言語 的差異 が見 られ ない場合 で あつて も、 それ らが 「異な る言語」 と して扱 われ るの は、それ ぞれ が異 な る国民国家や 民族 の 「国家 語」や 「民族語」 と して創 造 されたか らで あつて、
それ以前 に明確 に区分 され ていたわ けで はない。
この様 な観 点か ら、言語 を有機的 な実体 として捉 えることそのもの を問い直す言語観 が ある。 これ は何 も、従来 「
XX語
」「XX英
語」 と呼ばれて きた ものの内部 にお ける雑種性、複数性 を想 定 し、主張す る とい うわ けではない。雑種性 に しろ、複数性 に しろ、そ ういつ た表現 その ものが、対 立概念 として 「純粋性」 を論理的 に内包 してい る点で、可算名詞的 言語観 と本質的 な違い はない
(cf.小
坂井2002:ii)。この言語観 の もとでは、言語は閉 じた体系性 を作るこ とはない。言語 に一定の形状また は限界 を想 定せず、したが って「数」の概念 を適用 しない ことか ら言語 を考察す る立場 を、
本稿 で は 「不 可算名詞的言 語観」 と呼 ぶ ことにす る。
2.2国
民・ 民族文化 との同一性/異
種 混交性言語 を有機 的 な実体 と見 なす可算名 詞的言語観 の場合、言語 は共同体 の形象 に重ね合わ せ られ て捉 え られ る。この場合の多言語状況の配置は、「異 なった言語 と言語共同体の外圧 的な並存 」(酒井
1996a1142)と
して理 解 され てい る。言語 と重ね合 わせ られ る共 同体は、多 くの場合 、「国」や 「民族 」である。本稿ではこれ を「国民 。民族文化 との同一性」 と呼 ぶ ことにす る。
なお 、「民族 」 とい う概 念 も 「国 (民)」 とい う概念 と同様 、実体 を持 つ もので はない。
小坂井
(2002)に
よる と、複 数 の国民や民族 が いるた め に国境や 民族境界線 ができるのではない。 その逆に 人 々 を対 立的に差異化 させ る運動 が境界 を成立 させ、その後 に、境界内に閉 じ込め られ た雑 多 な人 々が
1つ
の国民 あ るいは民族 として表象 され、政治や経済の領域に お け る活動 に共同参加 す ることを通 して、次第に文化 的同一性 が進行す るのである。(ibid.:14)
『 言語政策』第
2号 2006年
3月つま り、「民族」 とい う単位 も「国家」 とい う単位 と同様 に、「政治。経済な ど外的条件 の 下に人 々が分断 され境 界が設 け られ る」
(ibid.)こ
とによつて成 立 してい るのだ。 したが って、例 えば 「英語 の本質は民族語」 と捉 える言語観 は論理が逆 立 ち してい ると言 え るだ ろ う。なぜ な ら、民族 とい う境界線 が引 かれ る以前か ら「英語」は存在 していたはず だ し、その「英語 」 も「民族 」 とい う虚構 に基づいて線 引きを され たか らで ある。
一方、言語には、はつきりと した輪郭 はな く、
1つ
の言語 共同体 に同一化す るこ とが出 来ない と考 える言語観 がある3)。 本稿 で対象 としてい る英語 の場合 にも同様 に、国民や 民 族 と言語 とが互いに対応 していない異種混交性 の媒体 とい う現 実 もある (酒井 1997)。 こ れ を本稿 で は、「異種混交性」と呼ぶ ことにす る。外部の観察者 か らすれ ば、異なった言語 的特徴 を有す る状況で あつて も、 当の集 団構成員 は言語境界線 を見出 さず、1つ
の言語 として認識 す る場合 もあ るのであ る
(cf.小
坂井2002:12)。ただ し、筆者は前者 の よ うな、国民・ 民族文化 との同一性 を前提 とした言語観 を排 除す るつ も りはない。確 か に、言語 は、本 来的 に国民や 民族 とい つた枠組み とは無縁 なのか も しれない が、実際 に流 通 してい る前者 の よ うな言語観 を単な る虚 構だ と言 つて排除 して し ま うこ とは、かな り危険 であ るよ うに思 える。国民・民族文化 との同一性 とい う言語観 に問 題があ る と しても、それ が現実的 に受 け入れ られ 、また、現実 を構成す るよ う機能 してい
るか らで あ る。
3.社
会 性 の在 処多言 語 状況を考察す る際 に も う
1つ
考慮すべ き問題 は、権力や イデオ ロギー といつた社 会性 と言語 との関係 を どの よ うに捉 え るのか、 とい う視点で あ る。1つ
は、言語 の社会性 は抽象 的 な言語の体系 には含 まれず、そ して、言語の使用 にお ける社会性 は社会的現実の 反映で あ る と捉 え る立場であ る。 も う1つ
は、言語その もの も社会性 を内包 してい る と捉 える視 点 で ある。これ ら2つ
は、二律背反す る とい うよ りは、「英語論 の構 図」を示す 上で の方法的分類であ り、後者は前者 に欠 けている視点を追加す る性格である。ソシ ュール を祖 とす る構造主義言語学 は、言語 の次元 (ラ ング
)と
社 会 の次元 (パロー ル)と
に分 けた。 そ うす るこ とで、言語 のイデオ ロギー的要素 はパ ロールの領域 に押 しや られ、言語 そのもので あるラングは、イデオ ロギーや権力 とは無 関係 な 「道具」であると い う認 識 が成立す る (糟谷2000:287)。『 言語政策』第
2号 2006年
3月言語 と社会の問題 を明 らかに しよ うと した社 会言語学 は、多 くの場合、言語 と社会 を分 けた上 で、それ らが単純 に「反映す る」 とい う相互作用 の観点か ら言語現象 を考察 してき た。この言語観 にお いては、社会的現実は静的 な もの と して扱われ る。すなわち、「アイデ ンテ ィテ ィ」や 「階級」「民族」とい つた社会学的な概念 は、自明のもの と して用 い られ る (Cameron 1990:81)。 この様 に、一方 に言語 、他方に社会性 とに分 け、それ らの相関性か ら
2つ
の英語論 を考察す る立場 を、本稿では 「相互作用 の言語観」 と呼ぶ ことにす る。糟 谷(2000)に
よる と、 この立場で は 「抽象的構 造であ る『 体系』 には、社会的な次元での イデオ ロギーは介入 しない。 しか も、言語の『 使用』 にお けるイデオ ロギー的要素は、あ くまで も社会的現 実の反映である。 したがって、『 言語』そ の ものにはイデオ ロギー も権力 の問題 も存在 しない」(ibid.:287‑288)と
い う見解 になる。他方 で、言語 の次元 にも権力や イデオ ロギー が内在 していると見なす言語観 がある。本 稿では これ を「社 会性 内在の言語観 」 と呼ぶ こ とにす る。 ブルデ ュー
(1990)は
、言語研 究 にお ける相互作用 主義 に疑間を投 げかけ、「社会的関係 は相互作用 には還元で きません」(ibid.:179)と
批判 し、20世
紀 中頃 にあ りふれ ていた 「言語は手段 で ある」 とい う次元 に「言 語 が一集団の生活様式の一部分 としてみな され るべ きであるとい う次元」(スヌー ク1993:243)を
付 け加 えた。 これ は、言 語 には意思 を伝達す るとい う機能があるとい う側面 を否定 してい るのではな く、「言語 は中立的 である」 とい う言語観 を否定す る立場である。この社 会性 内在の言語観 においては、相互作用 の言語観 とは異な り、社会的現実 を動的な もの と して分析す る点 も特徴である。言語その ものは、別 に実在 している何かを意味付 け た り、正 当化す るだけではな く、また、その様 な社会的実在 に条件付 け られて相互行為を 媒介す る手段 とな るわ けではない。言語その ものが、 自ら何かを創造 し、実在 させ るもの であ る とい う観点であ る (盛山2000)。
4.多
言 語 状 況 へ の 視 点 を巡 つて本節 で は、
2つ
の英語論において、多言語状況への視点が どの様 に現われてい るのかを 考察す る。4.1国
際英語論の場合日本語 で 「国際英語論」 と呼ばれ るものには、主 として
wE(World Englishes)論
とEIL『言語政策』第 2号 2006年
3月(English as an lnternatiohal Language)論
とが あ る。 英語 帝 国主義 論 にお い て 、 国際 英語論 を批 判 す る場合 、 このWE論
とEIL論
の概念 が 混 同 され て い る よ うで あ る。 例 えば、英語帝 国 主 義 論 の代表 的 論 者 で あ る大石 (1997a)と 津 田
(1990)は
、次 の よ うに言 及 して い る。「国 際 英 語論 」 の 立場 で は、英語 が 国際 コ ミュニ ケー シ ョンの重要 な役 割 を担 つて い るか ら と、それ を不動 の事 実 と して 固 定化 して しまい …
(大石
1997a:69
傍 点 は原 著 、 下線=筆
者)(国際 英 語論 で は
)英
語 は英語 民族 の私 有物 で は な く、広 く世界全 体 の言 語 で あ るか ら、 英 語 民族 の英 語 のみ が正 しいモ デ ル で あ る とい う考 え を捨 て 、非 英 語 民族 の使 う 英語 を それ ぞれ 正 当な型 と認 め国際 共 通語 と して使 用 す る…。(津田
1990:66
注釈 、 下線=筆
者)後述す る よ うに、
EIL論
で は英語 が国際 コ ミュニ ケー シ ョンの重 要 な役 割 を果 た して い る ことは認 識 していて も、そ の こ とを 「不動 の事 実 と して固定化 」す る よ うな態 度 は な い。また、
WE論
で あれ 、EIL論
で あれ 、非英 語 民族 の英 語 を尊重す る点 は共 通 して い るが 、EIL 論 にお い て 、それ を「正 当な型」 と評価 し、「国際 共 通話 」にす るよ うな態 度 はな い。それ ゆえに、EIL論
を支持 す る こ とが英語帝 国 主義 に加 担 す る こ とに はな らない よ うに思 え る。EIL論
で は英語 だ け を特別 視 す るわ けで はない。EILは English as a″ International
Language"
の略 称 で あ り、この an"
か ら示 唆 され る よ うに、数 あ る「国際 語 」の 中の
1つ
で あ る と認識 して い る。 さらに、 国際語 とい う概 念 も 「国際的」 とい う動 的 な場 で用 い られ る言 語 の こ とを意 味 してお り、あ らゆ る言語 が「国際語 」とな り得 る と捉 えて い る。したが って 、
EIL論
を支持 す るか らとい って、そ の こ とが英 語 以外 の他 言 語 を蔑 視 す る と い うこ とを意 味す る こ とに は な らない。EIL論
を支 持 す る こ とと英語 帝 国 主義 に加 担 す る ことは別 次 元 にあ るの で あ る。それ で は、
WE論
とEIL論
の違 い につ いて 、多言語 状 況へ の2つ
の視 点 を用 い て考 察 す る。4.1.l WE論
の場合WE論
は 、英 国 旧植 民 地 にお け る国 内 コ ミュニ ケ ー シ ョン研 究 に端 を発 して い る (日野 1999)。 代 表 的 な論者 と して は、WE論
の創 始者 で あ るKachru(1976)や
、D'souza(2001)
『 言語政策』第
2号 2006年
3月 な どがあげ られ る。多言語状況へ の
2つ
の視 点 に関す る言及 を拾い上げると、例 えば、D'souzaは
、「一般 人 の 声 を聞 く こ とで 、 イ ン ドに お い て 英 語 が ど の 様 な 役 割 を果 た して い る の か 」(ibid.:145)を
調査す るこ とを宣言 してい る。ここか ら、不可算名詞的言語観 に基づいて い ることが確認 できる。最初か ら「XX英
語」な る言語 共同体 を想 定 して調査 に取 り組 むの ではな く、 あ くまでも個人 の英語の特徴 に焦点 を当ててい るのである。また、彼 は 「イ ン ド英語 と呼 ばれ る実体の標準化の基礎お よび明確 な輪郭を与 えて くれ る、英語 の使用状況をよ り明 らかにす る必要が ある」
(ibid.:158)と
も述べてい るこ とか ら、言語 を実体化 し、国民・ 民族文化 との同一性 を前提 とす る言語観 に基づいていること が分か る。従 つて、繋が りと しては、「不可算名詞的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性」で ある。
WE論
では、個人 の英語 の特徴 を調査 し、英語 の上着化 を実証的データによって裏 づ け し、それ を国家 と結 び付 けて 「
XX英
語」 とい う輪郭 を規定す る傾向がある4)。 実証的裏づ けを 伴 った経験科学 の立場か ら、XXと い う国家 にお ける英語 の特徴 を調査 し、その上で、対象 の正 当性・ 妥 当性 を問題 にす る規範科 学の立場か ら研究がな されてい る。 もちろん、筆者 は規範科学 を否 定す るつ も りは毛頭 ない。盛 山(1995)も
述べ るよ うに、 自然科 学 との対 比 において、社会科学は現象 の中に見 出 され る秩序 を明 らかにす るだ けではな く、あるベ き姿 と しての秩序 も構想 してい るか らで ある。む しろ、 ここで問題 に しなければな らない のは、あるXXと
い う国家 にお ける英語 の特徴 を、なぜ国民・民族文化 との同一性 に結び付 けて論 じるのか、 とい う点 で あろ う。 この点 に関 して、 日野(1999)は
次のよ うに言及 し てい る。英 国の植 民地 の独 立そ して 自立の過 程において、旧植 民地宗主国か らの脱皮 と多民族 の国家的統合 とい う、二方向か らの要請 を ともに満 たす ためのひ とつの解答 が、イギ リス英語 とは異なる独 自の英語 を、民族 を越 えた国内共通語 と して認知す る とい う考 え方であったのである。
(ibid.:197)
した が って 、
wE論
にお け る 国 民・ 民族 文 化 との 同 一性 との 結 び 付 き は 、 い わ ば 、「 (押 し付 け られ た)正
しい 英 語=英
国 の 言 語 」 とい う言 説 へ の対 抗 言 説 と して 、「英 国 の英 語 ≠独 自『 言語政策』第
2号 2006年
3月の英語」 とい う構図の構築であると言 える。 ここでは、それぞれ の英語 の独 自性 を強調す るだけで はな く、正 当な英語 ない しは標 準形 と して認 めよ うとす る思想 も見受 け られ る(日 野2003:17)。
この様 に、不可算名詞的言語観 か ら始ま り、それ を国民・ 民族文化 との同一性 とい う言 語観に結 び 付 けるのには、一定の前提 が隠 され てい る。それ は、「イ ン ド英語 」や 「フィ リ
ピン英語」 な どの よ うに 、「
XX英
語」 とい う言語観 では、XXと
い う国家 において、共通 し た言語す なわち英語 を用い るこ とが、そのまま意志 の疎通や 共感 な どが保証 され る、 とい った思 い込 みによって支 え られ てい る点であ る(cf.酒
井1997)。 そのため、XXと
い う国 家にお け る個人 の英語 の特徴 を調査 していたはず が、XXと い う国家にお いて独 自の、かつ 共通 した特徴 を「発見」す ることで、XXと
い う国家 における英語 の特徴 としてま とめあげ られ る。 確 かに、情緒的には、同 じ地域 にお け る人 々 とは 「共通 した」言語的特徴 を有す といつた 考 え方 は妥 当であるかの よ うに思える。 しか し、実際に同 じ地域で あつて も、完 全な意 味 で 「共通 した」言語的特徴 を見出す ことは困難である。 ま してや地域 よ りも大 き な国家 と結 び付 け るとい うのであ る。 国民 。民族文化 との同一性 だけでは、英語論の全体 像を捉 え る ことは困難である と言 える5)。4.1.2 EIL論
の場合EIL論
は、国際 コ ミュニケー シ ョン研 究 に端 を発 してい る (日野 1999)。 そ の効力 と して は、例 えば 「国際語」 とい う概念 の明確化が挙げ られ る。 日野(2001)が
概 念化 を試 み る「国際語」 とは、単に国際的なコ ミュニケーシ ョンの場面で使用 され る言語であるに過 ぎ ない。従 って、「理論的 には どのよ うな言語で も国際 コミュニケーシ ョンの媒体 と して使 う ことが可能 であるか ら、『 国際
XX語
』の『XX』 には どんな言語 で も入 りうる。た とえば『 国 際モ ン ゴル語』や『 国際ベ トナ ム語』 な どの概念 ももちろん成立す る」(ibid.:263)こ
と になる。 す なわち、国際語 とは 「国際的」 とい う動的な状況に対 して用 い られ る1つ
の手 段であ る とい う言語観 であ り、英語だ けを特別視す るよ うな概念 ではない (日野2001;仲
2003a、
2003b;宇
尾野1979)。EIL論
で は、英 語一極集 中状況に対す る評価 とい う点において、論者 の態度が分かれ る。日野は、
EILの
概念 を英語教育の枠内で のみ機能す るものであると限定 し (1997)、 その上 で英語 一極集 中状況に対す る評価 を肯定・否定のいずれの視点か らも行 わない としている (2001:264)。 英語 教育の側面か らEIL論
を構 築す る 日野による と、英語一極集 中状況 に関『 言語政策』第
2号 2006年
3月す る議論 を扱 うことは、「英語教育 を英語帝国主義 の落 と し穴に追い込むか、あ るいは逆に 国際英語 の教 育はすなわ ち英語支配 の強化のた めの営みである とい う批判 を受 けることに つながる」
(ibid.:264)た
めに、「それ 自体 はマ クロ社会言語的 には重要で あ る としても、『 国際英語』教育研究 にお いては考察 の対象外 と見 なす ことが妥 当である」(ibd.:265)と してい る。従 って、 日野 に よる一連 の
EIL論
研 究 は、本稿 で考察 す る様 な、英語 と社会的 特性 とい った文脈 とは異 な る次元 にあ る と考 え るのが妥当である。一方、筆者 は英語教育の枠内において も、積極的に英語一極集 中状況や英語帝国主義 と い つた問題 に取 り組むべ きであることを強調 してきた。それは、以下の点に よるか らであ る。第
1に
、英語一極集 中状況や多言 語状況 の問題 が、今や教育 も含 めた広 く社会的 。文 化的文脈 の中で捉 える必要 がある と感 じるか らで ある。筆者は、多文化共生教育 を視野に 入れ てい るが6)、 他者 との間に相互理 解 を構 築す る努力を放棄せず に共生す ることはいか に して可能 か、 とい う視点 が英語帝国 主義論 の本質であると考 えている7)。 第2に
、仮に 言語 をコ ミュニケーシ ヨンの 「道具」 と して提 えるとして も、そ のことが言語 には社会性 が内在 され ない とい うこ とにはな らない と考 えるか らである。例 えば、「包丁」は、料理を す る上 で便利 な「道具」で あ るが、同時 にその鋭利 な刃は、危険な性質をも持つ。これは、「道具は 目的 によって使 い方が異な る」 と言いたいのではない。 そ うではな く、たとえ料 理 の道具 と して使用す る場合であって も、危険 な性質 を、その道 具か ら切 り離す ことはで きない、 とい うことを意 味す る。同様 に、英語 を 「道具」 として捉 えるので あれ ば、英語 か ら社会性 を切 り離 して考 えるべきで はない。つ ま り、言語はコ ミュニケー シ ョンの道具 である と同時 に、支配 と従属 の手段 ともな り得 るのである。そ して、あ らゆる「道具」に
「取扱説明書」が付随 していて、そ こには必ず 「使用上の注意」が記 されてい るように、
英語 を扱 う英語教育にお い て も、「英語 の使用上の注意」として、英語の持つ社 会的特性を 扱 う責務が あ る と考える。
さて、 この場合の「繋 が り」であるが、第
1の
視点に関 しては、不可算名詞 的言語観 を 支持す る。EIL論
では、言 語 と国家 との繋が りは、前提 とされていない。第2の
視点につ いては、筆者 も先述の国際語 の定義 に従 う。すなわち、国際的な場面での使用言語のこと を国際語 と考 える (仲 2003a、 2003b)。 その際、 コ ミュニケー シ ョンに従事す る者が 自ら の用い る言語 を「Xx英
語」であると、英語 を実体 と して意識 してい るわけではない と考え る。従 って、これ は異種混交性の言語観 を支持す ることになる。以上 より、「不可算名詞的 言語観 ―異種混 交性」 とい うことにな る。『 言語政策』第
2号 2006年
3月また、筆 者 は上述 した よ うに (→2.2)、 国民・ 民族 文化 との同一性 に基づいた英語論 を 否定す るつ も りはない。 よつて、 この場合の繋が りは 「不可算名 詞 的言語観 一国民・ 民族 文化 との 同一性」 とい うことにな る。
4.2英
語 帝 国主義論 の場合英語帝 国 主義研究の発 端 は、英語一極集 中状況 に よ る情報の不均衡や、 コ ミュニケー シ ョンの不 平等などの問題意識 にあ る。 そ の効力 として は、例 えば、言語がモ ノ化す ること への危惧 (大石
1997a)や
、言語 の生態 系への異議 申 し立てな どが あ る。さて、 この英語帝 国 主義論 において は、多言語状 況へ の視点 に関 して、
3つ
の立場 に分 類でき る。まず
1つ
目の立場 の代表的論者 は、Phillipson(1992)や
津 田(1996)な
どがあげ られ る。そ の 中で、まず津 田の文言 を追 ってみ よ う。津 田が 、英語帝国主義 へ の抵抗策 と して提言 してい るのは、「美 しい 日本語」ない しは「大 人の 日本 語」(ibid.:195)の 創 出であ る。津 田の言 う「美 しい 日本語」「大人の 日本語」は、
その対極 に彼が位 置付 け る「若者 ことば」(ibid。
)を
排除 し、均 質化 を してい くこ とによ つて成 立す るもので あ る。 この 「排除」 と「均質化」 によつて線 引きを行 うことは、言語 を数 え られ る統一体 とす る姿勢 の現われ である。 した がつて、可算名詞的言語観 に基づい てい る と言 える。また津 田は、「日本人 な ら日本人 と しての誇 りを持 つて、日本で は どこの国の人 に対 して も日本 語 を話す ことが望 ま しい」
(1996:159)と
も提 言 してい る。 その際、「これ は『 日本語帝国主義』でもなんでもなく、コミュニケーションにおける平等を追求する『 言語相対 主義』である」(ibid.:160)と 断つている。 しかし、これは日本語を押 し付けるとい う意 味での 「日本語帝国主義」を回避 しているに過ぎない。多言語状況への観点については、
「 日本 人 と 日本語」、「英 米人 と英語 」 の よ うに、言 語 と国民・ 民族文化 との同一性 を前提 と して い る。以上 よ り、津 田の英 語 帝 国 主義論 は、「可算名 詞 的 言 語観 一国 民
̀民
族 文 化 と の同一 性 」 とい う繋 が りを持 つ と言 え る。Phinipsonは
、 英 語 帝 国 主 義 へ の 抵 抗 策 と して 、 言 語 権 の 尊 重 や 言 語 エ コ ロ ジ ー(language eco10gy)を
提唱 して い る。 この言語 エ コ ロジー とは 、英 語 一極 集 中状 況 を生 み 出す 要 因 である 「英 語 普及 パ ラダイ ム (Diffusion of English Paradigm)」 へ の代 案で あ る。 そ の 中で 、 彼 は 「言 語 の 洗 練 と維 持(the cultivatiOn and preservation of
『 言語政策』第
2号 2006年
3月languages)」 の重要性 を主張 して い る
(PhinipSOn&Skutnabb―
Kangas 1996)。 この こと か ら分 か るよ うに、言語の単一的 な実体 を想 定 し、かつ 「純粋性」 を前提 と した立場 を と つてい る。以上か ら、「可算名詞 一国民・民族文化 との同一性」とい う繋が りが見て取れ る。確 かに、 この様 な 「英語 vs.母 語 」 とい つた構造 は、その分か りやす さのた めに説得力 を持つ よ うに思 え る。
しか し、「
XX語
」 あ るいは 「XX英
語」は絶 えず 自 らを脱構築 してい る。多言語状 況 とい うものは、「複 数 の民族語 の並存ではな く、言語 の同一性 そのものが多 数性 の抑圧 を通 じて しか表象 され えない」(酒井1996b:39)点
を看過す るわけにはいかな い。 この様 な多言語状況への認識 だけで あっては、言語 の単一的な実体 と均質性 が前提 に され て お り、 そ の 意 味 にお い て 単 一 言 語 主義 の延 長 線 上 に あ る と言 え るだ ろ う (姜 1997:139)。2つ
目の立場 で あるが、酒井 (1996a、 1996b、1997)を
取 り上げ る。酒 井 は、「言語 を可 算名詞 と して考 え、数 え られ る統 一体 と して捉 えた言語 が複数並存す る状態 を想定す るこ とか ら多言 語主義 の考察 を始めて はな らない」(1997:228)と 述べてい る。言 うまで もな く、不可算名詞 的言語観 か ら出発 して い る。
第
2の
視 点 につ いてであるが、彼 は 「国語 主義や民族語主義に横領 され、結局国民主義 に回収 され て しま うよ うなことのない仕方 で英語帝国主義 を批判す る」(ibid.:231)こ
と を 目標 と してい る。そ して、異種混交性 の媒体 としての英語の機能 を見逃すべきではない と してい る。また、彼 は「多言語性 は、異なった言語 と言語共同体 の外在的な並存 (多元 主義的配 置)
と してだ け理解 され るべ きではない。 …・。 む しろ多言語性 は、ひ とりの人間が異なった言 語 と文化領域 を動 き回 るマルテ ィ リングァ リズム、あるいは複綜言語主義 と して も発想 さ れ な けれ ばな らない」
(1996a:142下
線 は筆 者)と
述べてい る。さらに、「(国民 。民族言語と国民・ 民族文化 との同一性 とい う
)特
殊 主義 は英語が世界 中で使用 され てい る とい う事 態 の一つの側 面、す なわち、国民 と言語 とが互いに対応 していない異種混交性 の媒体 と し て英語 があ る、とい う面 を無視 してい る」(酒井 1997:230‑231)と も述べてい る。つま り、酒井 は、本稿 で言 うところの国民・ 民族文化 との同一性お よび、異種混交性 の両方 を視野 に入れ てい るこ とが分かる。 この様 に、酒井 は、言語の 「多元主義的配置」 を看過 してい るわ けではない点 に注意 したい。以上 よ り、繋が りは「不可算名詞的言語観 一異種混交性」
お よび 「不 可算名詞的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性」である。
糟谷
(2000)の
英語論 も「不可算名詞的言語観 一国民 。民族文化 との同一性」お よび「不『 言語政策』第
2号 2006年
3月可算名詞的言語観 一異種混交性」 に分類で き る。彼 は、 グ ラムシの 「
<こ
とば>は
本質的 に集合名詞 であ り、時間 において も空間において も<単
一>の
ものを想定 しない。…・<こ
とば
>と
い う事実は、実際 には、多かれ少なかれ有機的 に凝集 し秩序だつた諸事実の多様 態であ る」(Gramsci 1975:1330糟
谷2000:280に
引用)と
い う言葉 を引き、それ を支持 し てい る。 この ことか ら、不可算名詞的言語観 に出発点 を置 いてい ることが分 か る。その上 で、「『 英語』は均質的な全 体 をつ くつてはいない。… しか し、それ だか らとい つて『 英語 』とい う存在 がまぼ ろ しで あるわ けではない」
(ibid.:290)と
述べ てお り、異種混交性 の媒 体 と しての英語 を念頭 に置 く一方 で、国民・ 民族言語 と国 民・ 民族文化 との同一性 とい う 言語観 も看過 していない。3つ
目の立場 の代表的論者は、大石 (1997a、1997b)で
ある。彼 は、英語帝国主義へ の 抵抗策 を論 じる中で、「言語的雑種主義 を学び、同時 に、言語的純粋主義等 の陥穿に注意 し つつ も」(1997bi35)と 断 つてはい るものの、とりあえず不可算名詞的言語観 か ら考察 を始 めてい る。ただ し、「<複
数性><ハ
イブ リデ ィテ ィ><越
境><脱
国籍><ク
レオール 主 義>等
々 と、言語的雑種主義 。混清主義、その文化的対応 物た る文化多元主義、文化相対 主義 とい う美 しい錯覚」(ibid.:37)と
、批判 的に捉 えてい る。 そ して、「かの言語(=英
語
)を
実体化 して全体 主義的恐怖 を生み出す対象 としてい る、 とい うのか !と、か りに 自 問 してみ よ う。 あえて認 め よ う一―私がそ うしてい るこ とを。 なぜな らば、かの言語 はそ れ ほ どに強大 な言語で あるか らなのである」(1997a:38
注 は筆者)と
述べ てい る。言語 を 実体化 して捉 える言語観 を問題視 しなが らも、敢 えて 「英語」 を実体化 してい ることが分 か る。彼 が実体化 の際 に想 定 してい る輪郭 は、国民や 民族 といつた共同体で ある。それ は 次の点か ら読み取れ る。「超普遍化 した怪物(=英
語)に
は、世界 の各言語 か らの特殊 主義 的ナ シ ョナ リズムに よつての総反撃 しかない」(1997a:413
注 は筆者)。 以上か ら、大石 の 英語論 にお ける多言語状況へ の視点は、「不可算名詞的言語観 一国民・民族文化 との同一性」である。先述 の よ うに (→2.1)、 国民。民族文化 との同一性 は、可算名詞的言語観 を前提 と す ることが多い。 しか しなが ら、大石の よ うに、不可算名詞的言語観 を出発 点 と しなが ら も、英語一極集 中状況へ の抵抗策 として、戦略的 に国民 。民族 と言語 とを結び付 けて捉 え る論者 もい る。
5,社
会 性 の 在 処 を巡 つて本節では、権力や イデ オ ロギー とい った社会的変異が、言語 に内在す るか否 かに関す る
『 言語政策』 第
2号 2006年
3月視 点 の対 立 か ら
2つ
の英 語 論 を考 察 す る。5.1国
際英 語 論 の 場合51.l WE論
の場 合WE論
で は、イ デ オ ロギー ゃ権 力 は 、英 語 に は 内在 され ず 、英語 を 「中立的な道 具」 と捉 え る傾 向が あ る よ うで あ る。英 語 に は 、態 度 の 面 にお い て も言語 の面 にお い て も有利 な点 が あ る。 土着 の言 語 や 方 言 、 ス タイル で あれ ば時 に は 望 ま しくな い言 外 の意 味 を帯び て しま う様 な言 語 的 文 脈 にお い て 、英 語 は 中 立性 を獲 得 した の で あ る。 土着 の言語 が カー ス トや 宗教 、 地 域 な ど と結 び 付 くの に対 し、英 語 は少 な くとも非母 語話者 の文脈 にお い て は、 そ の様 な結 び付 き を持 た ない の で あ る。 英語 は、そ の起源 にお い て は外 国 の支配者 の 言 語 で は あ った が 、 英 語 の使 用 者 た ち に よって 、 欠 点 が薄 め られ たので あ る。確 か に英 語 は少 数 のエ リー ト集 団 と結 び付 いて はい る。
しか し、言 語 の 中立性 が生 き て くるの は、 英語 の使 用 者 の役 割 にお い て な の で あ る。
(Kachru 1986:9
強調 は原 文)Kachruは
、「植 民地時 代 の英 語 の遺 産 が現在 の英語 の地域 変種 と して残 る」(ibid.:1)と
述 べ 、 さ らに「かつ て の英 語普 及 の原 因がた とえ どの様 な ものであれ 、
20世
紀 とい う文脈 にお いて は、それ を前 向 きな発 展 で あ る と考 え るべ きで あ る」(ibid.:51)と も述 べ て い る。 これ らよ り、彼 が英 語 を 「中立的 な」言語 で ある と捉 えてい るこ とが窺 える。
また 、英 語 の権 力性 や イ デ ォ ロギー は、植 民地 主義 政策 の結果 であ る と見 な してい るこ とも読 み 取れ るだ ろ う。 つ ま り、権力 やイデオ ロギー は、言語 に内在 され て い る と考 え る ので は な く、 あ くまで も植 民地主義 とい う社 会 の次元 の反 映 であ るとのみ捉 えてい る。 だ か らこそ 、「言 語 は 中立 的 で ある」とい う言語観 が生 じるので あ る。 したがって、これ は相 互 作用 の言 語観 に基 づ いて い る と言 え る。 この考 え方 にお いては、言語 のモ ノ化思考が促 進 され る危 険性 をみ ん で い る点 に注意 しなけれ ばな らない。
以 上 よ り、
4.1.1で
論 じた多言 語 状 況 へ の2つ
の視点 とあ わせ て考 え る と、WE論
は、「不 可算名 詞 言 語観 一国民 。民 族 文化 との 同一性 ―相 互作用 の言語観 」 とい う繋が りを持つ と 言 うこ とが で き る。5.1.2 EIL論
の場 合『言語政策』第 2号 2006年
3月4.1.2で
述べた よ うに、日野 (1997、 1999、 2001、 2003)、Hino(2001)に
よる一連 の EIL 研究 は 、本稿で扱 うEIL論
とは異 な る次元 にあ る。従 つて ここで言 うEIL論
とは、筆者 な りのそれ の ことで あ る。筆者 は仲(2002)に
お いて、英語教育の内部 か ら英語帝国主義 の 問題 を対処 してい くにあたって、EIL論
の理念 を用い るこ とを提言 してい る。そ の様 な文 脈 の中で 、言語 を中立的な道具 と見なす 「言語道具観」に対 して、「あま りにも規範 主義的 な理論 」 と言及 してい る (ibid.:259‑260)。 英語 の世界的普及 は、英米 の植 民地主義 と不 可分 な 関係 にある と認識 してい るが、その こ とか ら「言語 は中立的で あ る」 とい う見解 に は繋 が らない と考 える。「包丁」を例 に挙げて述べた よ うに (→ 4.1.2)、 筆者 は、言語 を道 具 と して捉 えた と して も、社 会性 か ら中立的 な存在 とな るのではな く、社 会性 を内包す る もので あ ると考 えてい る。つ ま り、社会性 内在 の言語観 の立場 を とつてい る。上述 の多言 語状況 へ の視点 と合 わせ ると、「不可算名詞 的言語観 ―異種混交性 ―社会性 内在 の言語観」お よび 「不可算名 詞 的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性 ―社会性 内在 の言 語観 」 とい う 繋 が りを持つ ことにな る。
5.2英
語帝国主義 論の場合Phillipsonは
、 英語帝国 主 義 を 「言 語 差別 (linguicism)」 の一形 態 と して位 置 付 けて い る。 彼 は、この言 語 差男1の定義 をSkutnabb―Kangas(1988)に
従 い 、「言 語 を元 に した グ ル ー プ 間 にお け る権 力 と有形 的・ 非有形 的 資 源 の不 当な分割 を正 当化 し、 引 き起 こ し、再 生 産 す るイデオ ロ ギー 、構 造 お よび 実践 の こ と」(Phillipson1992:47)と
してい る。 そ し て 、英 語 帝 国主義 を 「英語 と他 の言語 との間 に あ る構 造的・ 文化 的不 平等 を打 ち た て 、 か つ絶 え 間 な く再生 産す るこ とに よって強化・ 維 持 され る英語 の支配 の こ と」(ibid。)と
定 義 して い る。前 者 の言語 差別 の 定義 に従 う と、「イデ オ ロギー 、構 造 、お よび実践 」が言 語差 別 を支 え て い る の で あ るか ら、 これ らは言 語外 の要 素 にのみ重 点 をお いてい る とい うこ とにな る。
言 い換 え る と、言 語 には社会 的 変 異 は内在 され て いない こ とを意 味す る。実 際 、
PhinipSOn
自 らも構 造的権 力 に重点 をお く こ とを強 調 してお り(ibid.:72)、 さ らに は「言語 帝 国 主義 は、そ の 言語 が悪 い ので はな く、使 われ 方 が悪 い」とい った言 及 も行 つて い る(ibid.:318)。
ま た 、
Pennycook(1995:50)が
指 摘す る よ うに 、Phillipsonは
、英語 の世 界 的普 及 を経 済 的・ 軍 事的 帝国 主 義 の反映 で あ る とのみ理 解 してい る。 以 上 か ら、相 互 作 用 の言 語観 に基 づ い た 論 を展 開 して い る と考 え る。従 って、繋 が りは 「可算名詞 的言語観 一国民・ 民族文『 言語政策』第
2号 2006年
3月化 との同一性 一相互作用 の言語観 」 で ある。
次 に 、津 田 に よる英 語 帝 国 主義 論 で あ る。 彼 は、「言 語 は支 配 と差別 の装 置 で あ る」
(1990:16)と
述べてい る。そ して、ソシュール の ラングとパ ロール の概念 を用 い てはいる ものの、言語 のイデオ ロギー的要素 をパ ロール の領域 に追 い出す ので はな く、「権力 と支配 の手段 と して使われ るのは、この『 ラング』の方である」(ibid.:18)と
、言語 に社会性が 内在す るこ とをはっき りと言及 してい る。 また、津 田は英語支配 批判 の一連 の研 究 におい て、ラ ング外 の社会構造 について も繰 り返 し批判 の 目を向 けてい る。 したがつて、「可算名 詞的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性 ―社会性 内在 の言語観 」 とい う英語論 で あ る。酒井 の言語 と社会的変異 との関係 についての視 点は、次の見解 に端的 に現われ ているよ うに思 われ る。
言説 は言語 を、言語 学や文学研 究 のまな ざ しのなかで対象化 す るのではな く、知識
の生産、反復、流通、変更、継承に関わるさまざまな制度的条件の複合体と同時に
立 ち現 われ る実定性 と して把握す ることを可能に して くれ る。 それは個別言語だけ でな く言語一般 を歴 史化す る試 み に繋が る。結論か らいえば、言語の歴史化 をな し 得 るの は、言語 は言説│ヒおじヽそそ あ るか らで ある。言説 が言 語 において あ るのでは な い。(1996b:51‑52
傍 点 は原著)酒 井 は 、言 語 を実体化 して捉 え る言 語 観 の解 体 を試 み てお り、そ の意 味 で 「言 説 が言 語 に お い て あ るの で はない」とい う見解 は 、
4.2で
言 及 した彼 の見解 と矛 盾 す るもので はない。しか しな が ら、大石 が指摘 す るよ うに、「そ の よ うな言説 の姿 を とった言語
=英
語 それ 自体 のヘ ゲ モ ニー性 (歴史性 。暴 力性)を
看 過 す べ きで はない」(1997b:37)。 つ ま り、酒 井 の 英 語論 は、 言 語 そ の ものが持 つ歴 史 性 や 暴力性 を無化 とまで はい か な いまで も、少 な くと も弱化 す る思 考 とい う側 面 を持つ (ibid.:38)。 また 、酒 井 は、「 ヨー ロ ッパ 語 の普 及 は植 民地 主 義 の宗 主国 の言語 が広 まった もので あ る」(1996:239‑240)と も述 べてい る。つ ま り、言 語 の伝 播 を言 語 とは別 に存 在す る と想 定 され た植 民地主義 の普 及 にのみ換言 して い る、
とい うこ とに な る。従 つて 、 これ は相 互作用 の言語観 に基 づいて い る と言 えるだ ろ う。上 述 した 、多言 語 状 況へ の
2つ
の視 点 と合 わせ る と、酒 井の英 語論 は、「不可算名詞 言 語観 ― 異種混交性 ―相互作用 の言語観」お よび 「不可算名詞的言語観 一国民 。民族文化 との同一 性 一相 互 作用 の言語観」 とい う繋が りを見せ ることが分か る。次 に大石 で あ るが、彼 は酒井の英語論 に対 し、「西欧起源 の言語雑種 主義・混清 主義的思
『 言語政策』第
2号 2006年
3月想」と結 び付いてい るが ゆえに、「言語 とい う存在 のつ くりなす 支配・被支配 といつた ̀ド ロ ドロ した
'権
力の ダイナ ミズム を見 えな くして」(1997b:38)い
ると批判 してい る。大石 にとって酒 井のよ うな英語論 は、「もの化 した英語 の脅威 を追いだ して しま うことがで きな い」(1997a:413)も
の である。社 会性 内在の言語観 であるとい え よ う。大石の英語論 は、「不可算名詞的言語観 一国民・民族文化 との同一性 ―社会性内在 の言語観」 とい うことに なるが、上述 した よ うに、大石 は可算名詞的言語観 お よび異種混 交性 の媒体 としての英語 をも踏 ま えた上で、 この様な英語 論 に至 ってい る。
「言語 は中立的な道 具である」 と見 なす言語道具観 を批判 し、英語論 を展開す るのが、
糟谷
(2000)で
あ る。 彼 は、言語 道具観 を「言語 か らイデオ ロギー と権力の問題 を追放す るための もつとも洗練 された手 口」(ibid.:288)で
あ ると批判 してい る。そ して、「言語 に 内在す る社 会的権力 の問題 を とらえ」ることで、「言 語帝国主義 の問題 の核心によ うや く到 達でき る」(ibid.:290)と
してい る。 したがつて、4.2に
お け る考察 と合わせ ると、「不可 算名詞 的言語観―異種 混交性 ―社 会性 内在の言語観 」お よび「不 可算名詞的言語観 一国民・民族文化 との同一性 ―社会性 内在 の言語観」 とい う
2つ
の立場 の英語論 を展開 してい るこ とが分 か る。6.お
わ りに:英
語 論 の構 図以上 の よ うに、国際英語論 と英語帝 国主義論 とい う
2つ
の英語論 を考察 してきた。論理 的には、3対
の変数 の元に2× 2× 2=8通 りの繋 が りがあるはず だが、実際 には以 下の
6通
りの英語論が見受 け られた。<多
言語状況への視点> <社
会的変異の在処>
相 互 作 用 の 言 語 可算 名 詞 的言 語 国民・ 民族文化 との同一性
社 会 性 内 在 の 言 語
国民・ 民族文化 との同一性 相 互 作 用 の 言 語 不 可算名詞的言語
社 会 性 内 在 の 言 語
『 言語政策』第
2号 2006年
3月① 可算名詞的言語観 一国民 。民族文化 との同一性 ―相互作用の言語観 (例
)Phillipson(1992)の
英語 帝国主義論② 可算名詞的言語観 一国民 。民族文化 との同一性 ―社会性内在の言語観 (例
)津
田 (1990、1996)の
英語帝国主義論③ 不可算名詞 的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性 ―相互作用の言語観
(例
)D'sOuza(2001)、 Kachru(1976)な
どWE論
、酒井 (1996、1997)の
英語帝国 主義論④ 不可算名詞的言語観 一国民・ 民族文化 との同一性 ―社会性 内在の言語観 (例
)大
石 (1997a、 1997b)、 糟谷(2000)な
ど英語 帝国主義論 、筆者 のEIL論
⑤ 不可算名詞 的言語観 ―異種混 交性 一相互作用 の言語観 (例
)酒
井 (1996、1997)な
ど英語帝 国主義論⑥ 不可算名詞 的言語観 ―異種混 交性 ―社 会性 内在 の言語観 (例
)糟
谷(2000)な
ど英語帝国主義論 、筆者のEIL論
第
1図 :2つの英語論の構 図
なぜ
2通
りの型 が存在 しないので あろ うか。現実 の こ とばは、各個人が時間的・ 空間的 。社会的 。様式的な どの様 々な要因 によって 影響 を受 けなが ら、社会化 の中で獲得 され るものである。「言語」を数 えられ る名詞 と して 提 える とい うこ とは、 これ らの諸要因 を包括す る全体 としての「言語」が存在す ると意識 され るか らこそ生 じるものである。つ ま り、可算名詞的に言語 を捉 える際に、暗黙の うち に、同 じ共同体であれ ば、その言語的特徴 も同 じであるとい う信念が働 くために、フィー ル ドワー クな どによ り記録 された言語的特徴 の うち、共通 した点に着 目す ることになる。
その際 に最 もよ く用い られ る共同体が、国民や 民族である。 したがって、可算名詞的言語 観 が異種混交性 と結び付 くことはない。よって、「可算名詞的言語観 ―異種混交性 ―相互作 用 の言 語観 」お よび 「可算名詞的言語観 ―異種混交性 ―社会性内在の言語観」 とい う繋が
りは存在 しない こ とにな る。
以上 、論 じて きた よ うに、
2つ
の英語論か ら見た多言語状況や、言語 とイデオ ロギーの 関係性 は多様 で ある。 また、2つ
の英 語論 には共通 した言語観に支え られてい るもの もあ る。本稿で は、 これ らの うち、いずれ かが 「虚構」であ り、いずれかが 「真実」であると 言いたいのではない。 いずれかの言語観 に拠 って、他の言語観 を排他的に批判す るのであ注 D め
『言語政策』第
2号 2006年
3月れ ば、英語 の世界的普 及 によ りもた らされた言語状況 に対 して、包括的 な理解 がで きな く なって しま うと考 える。各 々の言語観 に問題 があ る と して も、そ うした言語観 は現実的 に 機能 してい るだけで は な くてま さにその言語観 のおか げで現実が機能 してい るとい う側 面 も見逃すべ きではない だ ろ う。 この よ うな英語論 の包括的把握 は、言語政策 (特に英 語 に 関連す るもの
)を
具体 的 に考察す る上で貢献 し得 る と考 える。本稿 は 、 日本言 語 政 策学会 第
3回
大会 (於 慶 應 義 塾 大学)に
お け る筆 者 の 口頭 発 表 し た もの 、お よび仲(2005)に
お け る議 論 の一 部 を大幅 に修 正 し書 き改 めた もので あ る。仲
(2003a,2005)を
参 照。小 田亮 の
Webペ
ー ジ [http:〃 www2.ttcn.ne.jp/〜 oda.makoto/mokuji.12.10ed.htm]を 参 照。4)こ
の様 な点において、WE論
の見解は 「国家語」の構築 と同 じであると言 えよ う。5)た
だ し、 日野(1999:198‑199)が
紹介 してい るBhatia(1997)は
、ジャンル分析 の方 法 を国際英語研究 に応用 し、国家 とい う枠組 み に捉 われ ない英語論 を模 索 してい る。こ の様 に、国際英語研究において、必ず しも国家 を単位 とした分析 に終始 してい るわけで はない ことを書 き加 えてお く。6)誤
解 のない よ うに断 つてお きたいが、日野氏 も多文化共生教育 を強 く視野 に入れ てい る 点 を強調 してお きたい。7)酒
井(1997)を
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