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一九六〇年代までの助動詞「めり」の意味解釈 : 「推量」と「婉曲」の歴史的経緯

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

一九六〇年代までの助動詞「めり」の意味解釈 :

「推量」と「婉曲」の歴史的経緯

山下, 和弘

九州産業大学 : 非常勤講師

https://doi.org/10.15017/4772296

出版情報:語文研究. 130/131, pp.17-34, 2021-06-02. 九州大学国語国文学会 バージョン:

権利関係:

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研究の意図 メリは〝推量の助動詞〟という枠に入れられる。そうして、意味は「推量」と「婉曲」だとされている。例えば『日本国語大辞典』の意味説明には、⑴目前の情況から判断・推量することを示す。…と見える。…と見うける。見たところ…と思われる。(用例略)⑵断定してもよいことを、直叙を避け、推量の形を借りて遠まわしに表現する場合に用いる。…ようだ。(用例略)このように二つの意味が立てられている (注。 筆者は助動詞メリの意味解釈が歴史的にどのように行われてきたかを知るべく、メリの研究史がまとめられたものを探し、塚原鉄雄(一九五八)にその直近

するものが多いが、意味解釈の歴史を調べてみると、明治維 実際、近年行われているメリの研究は意味以外の事柄に関 た。 世におけるメリの語源と意味の学説紹介を見出したのみであっ 研究史を見出すことは難しく、松尾捨治郎(一九三六)に近 に入れた概観を見出した。とはいえ、メリの意味解釈自体の に助動詞ナリとメリの対比に関して一九七〇年代までを視野 にメリの語源に関する適切な諸説紹介、中村幸弘(一九八七) て状況を整理してまとめられたもの、吉田金彦(一九六九) 語源、意味、歴史的展開、口頭語的性格等の広い範囲にわたっ 15年間のメリに関する

山 下 和 弘 ― 「推量」と「婉曲」の歴史的経緯 ― 一九六〇年代までの助動詞「めり」の意味解釈

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新で学術の状況が変化しながらも、明治の末には近世末と似た状況が再現されたことや、昭和前期頃までメリの意味解釈が揺れていた様子等、歴史的経緯に興味深さを強く感じた。と同時に、この歴史は放っておけば忘却し去られるばかりであることも感じた。そこで本稿では、メリの研究については門外漢だが、冒頭に示した「推量」と「婉曲」の二つの意味がどのように論じられてきたかについて、この二つの意味の並立で一応落ち付くこととなった一九六〇年代を到着点として歴史的経緯を辿っていくこととする。

1  近世におけるナリとメリの対比 助動詞メリは、早い時期から助動詞ナリと対比されてきた。例えば、栂井道敏『てには網引綱』に次の記述がある。め りはな りに少し疑の心をかねたるやうの事なりと不昧眞院殿御説也〽める〽めれは〽なる〽なれなとに同し但疑のこゝろあり緩急ある事は〽けり〽ける〽けれの例にて知へし(『国語学大系』八巻

和男氏、佐田智明氏の研究に引用された近世の各資料も共通 たものと解説している。この後紹介する松尾捨治郎氏、春日 これはメリの意味を、ナリに少しだけ「疑い」を兼ね合わせ 37ページ) かすべからざる者と信ずる。 像して)たるもの」といふ説に展開するに至つた者で動 居るのは、一歩進んで、三矢博士の「なりを少し和げ(想 但しあゆひ抄及び俳諧天爾波抄になりとの類似を説いて その中で、 『助字本義一覧』、東条義門『活語指南』を引用しているが、 富士谷御杖『俳諧天爾波抄』、堀秀成『助字音義考』、橘守部 概観し、本居宣長『古今集遠鏡』、富士谷成章『あゆひ抄』、 松尾捨治郎(一九三六)はメリについての近世の研究史を 関心を持っていた。 ものとしている。各氏はこのナリが連体ナリか終止ナリかに してメリはナリと同じか、あるいはナリの意味に極めて近い

いものではない。(春日(一九六八) 元来、ナリとメリとを比較対照する観察は、特に目新し ナリと対比されてきたことについて、 お、引用は春日(一九六八)によって行う)。春日氏はメリが を対比して論じたが、ここでは春日(一九六四)を見る(な 春日和男氏は春日(一九五七・一九六一)でもナリとメリ る。(本稿第四節参照) 尾(一九三六)の言うナリが連体ナリであることがはっきりす と述べている。ここで三矢重松氏の論を引用したことで、松 719ページ)

426ページ)

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このように述べた上で富士谷成章『あゆひ抄』、中島広足『橿園随想』『玉霰窓の小篠』、石川雅望『雅言集覧』の記述を引用し、これらの言及がメリと連体ナリ(終止ナリではない)を対比したものであることを指摘した。ナリとメリの対応は、ナリを断定辞、メリを推定(推量)辞とみるところにあつた。あるいは、ナリもメリも断定辞として対応でき、その上メリには、その用ゐ方に幅の広い面があつて、推定の意にとれるものもあると解釈されて来たやうである。(春日(一九六八)

リか連体ナリかについて、終止ナリである可能性は低く、お を引用し、その上で佐田氏はメリと対比されたナリが終止ナ 『てには網引綱』、『春樹顕秘抄』、賀茂真淵『帰命本願抄言釈』 重垣』、『一歩』、村上影面『古今集和歌助辞分類』、栂井道敏 木食上人『無言抄』、里村紹巴『匠材集』、有賀長伯『和歌八 中にナリとメリを対比した資料について論じた部分がある。 どのように把握されていたかについての研究であるが、その 佐田智明(一九七四)は中世と近世において、終止ナリが とメリが交替した例を多数指摘したことはよく知られている。 も、古今集や源氏物語に写本間の本文の異同として終止ナリ 止ナリであることを明快な根拠を以て論じている。その中で 春日氏は、この指摘に続いて、本来メリと対比されるべきは終 427ページ) い語であったナリが解説文に登場する可能性は少ない。 まして終止ナリは文章語、歌語であったのであり、耳遠 言えないわけである。 ……「めり」と対比されるナリが終止ナリであったとは 〇〇四)によって行う)。 そらくは連体ナリであることを述べている(引用は佐田(二

(佐田(二〇〇四)

か、指定のなりか、或は之を一括した者か不明であるが、 富士谷がめりに比較した此のなりは、終止形の下のなり その上で、 (『あゆひ抄』巻五・三、咩利身) ふに似たり.心えやすからぬ詞也. かねいふ心あり.里におもむきぢや様子ぢやなどい かによむ詞也.めりはそのおほむねをおしはかりてつ いさゝかたかふへし.なりはちかく見きくことをさた 何めり何は事の末脚等也.大かたなりとよむに似て 部分を引用し、 かどうか、自信がない旨を述べている。『あゆひ抄』から次の 成章に限って、メリと対比したのが連体ナリだと判断すべき た松尾(一九三六)の七年後、松尾(一九四三)で、富士谷 ところで時期が前後するが、松尾捨治郎氏は先ほど引用し 369ページ)

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とにかく尊重すべき説明であつて、中島廣足  三矢重松  等諸家の説は、之に基いて居るやうである。

(松尾(一九四三)

と述べている。 134ページ)

2  近世におけるメリの意味説明 このような状況で、富士谷成章『あゆひ抄』が、先ほど引用した言及を行った。その内容をどう捉えるかは慎重を要するところであるが、「めり はそのおほむねをおしはかりて 000000つかねいふ心あり(傍点山下)」から、成章はメリを「推量」の意味でとっていたと考えたい。また、本居宣長は特にメリの意味等について言及したわけではないが、『古今集遠鏡』でメリに「様子(ヂヤ)」という訳語をあてており(二八三・四五九・九四六・一〇一五)、これが『あゆひ抄』で提唱されたメリの訳語(「おもむきぢや」「様

子ぢや」の一つと一致している。ところで、現代にあってメリのもう一つの意味とされる「婉曲」であるが、これを最初に詳しく述べたのは、成章の子、富士谷御杖ではないかと思われる。松尾捨治郎(一九三六)が、メリと連体ナリの類似を説いたものとして紹介した文献、 『俳諧天爾波抄』巻六の「咩利身」から引用する。…….なに事にもあれ.定めてもいふべけれど.すこしさだめがたき事ある心を.めりとはいふ也.されば.なりとさだめていふべきが.すこし定められぬ所ある時の用也と心うべし.たとへば.古今の〽たつた川紅葉みだれてながるめりといふ哥は.ながる也ともいふべけれど.十に八九は紅葉に相違なけれどもすこし定められぬものとしてめりとはある也.これ錦といひなさんがため也.此故に下句〽わたらば錦中やたえなんとはよめる也.(『新編富士谷御杖全集』七巻

607 が自然だと筆者は思う。しかし、メリを連体ナリと対比した のがメリだとすれば、それは現代で言う「婉曲」だととるの 御杖の言うように連体ナリの断定の意味が緩やかになった じであろう。 を借りて遠まわしに表現する場合に用いる。…ようだ。」と同 目の意味「⑵断定してもよいことを、直叙を避け、推量の形 このような理解の仕方は、『日本国語大辞典』のメリの二番 断定しきれぬところがあるときに用いられると述べている。 りメリは、本来ナリを用いて断定して言うべきことが、少し む」は、連体ナリによって「断定する」ことであろう。つま ここで述べられた「なりとさだめていふべきが」等の「定 608ページ)

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この時代の他の人々も同じように考えたとは限らず、先ほど引用した春日和男氏の指摘を踏まえれば、メリを「推量」だと理解していた人がいたことも納得できる。また、御杖と似たような理解をした人がいた可能性も十分あるように思う。そう考えるとメリの意味はこの時期既に、富士谷成章が言う「推量」と、富士谷御杖が言う「婉曲」の二説が並立していたことになる。しかも、成章は「婉曲」に触れず、御杖も「推量」に触れていない。ところで近世におけるメリの意味解釈には、現代に影響を与えるものがもう一つある。堀秀成『助辞音義考』の該当部分を引用する。かくて見る意の自然見ゆる意にも轉り活きて「たつ田川もみぢみだれて流るめり」とあるは流ると見ゆるといふ意また「むつごともまだつきなくにあけぬめり」とあるは明ぬと見ゆるといふ意也こを様 ヤウといふことに譯 ウツしたるは謬也そは様 ヤウと譯しても稀には適へるもあれど「紅葉亂れて流るめり」などを流るる様 ヤウとしてはいみじきひがごととなれりそはいかにとならば龍田川に紅葉の亂れて流るゝ所を正 マサしく見そなはしての大御歌なるを様子とては物を隔て聞看したるか又は夜などあるは霞または霧の中などの鮮に見えぬを心あてにいへることゝなりて いかがなれば也(『音義全書』上

なると思われる。 り」語源説(『活語指南』)とが合わさって、近世末の状況に る橘守部の説(『助字本義一覧』)、及び東条義門の「見えあ リがベラナリのベラと同語同意で、ベは「辺」でもあるとす これらに加えて、明治時代まで一定の影響力を持った、メ 子ぢや」)の批判を通して視覚性の意味を強く主張している。 は推量ともとれるが、引用文後半で『あゆひ抄』の訳語(「様 「流ると見ゆる」、「明ぬと見ゆる」の「と見ゆる」という訳語 象となる情景が自然と見えた、と解釈したと思われる。なお、 堀秀成は、メリの意味は「自然見ゆる意」であるとし、対 96ページ)

3  明治時代の意味説明 さて、明治時代に移行する。山田孝雄氏と三矢重松氏以前のものは、筆者の判断で選択して紹介する。●文部省『語彙別記』下巻(一八七一(明治4))〽花は咲くめりといふはサクトミエマスといふ意〽花ぞ咲くめるといふはサクトミエルワイといふ意〽花こそ咲くめれといふはサクトミエマスガマアといふ意なり(6オ)第三階・終止言(終止形)接続の助動詞ラム・ベシ・メリ・

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マジ・ナリ・ト・カシを一括りにして、それぞれの意味を説明した中のメリの部分。メリの意味は訳語「トミエル」から推量と見なしていると思われる。語源説には触れていない。●黒川真頼『日本小文典』(一八七二5))『黒川真頼全集』第六巻所収黒川氏は助詞・助動詞を一括して「助詞」と呼び、名詞につくか、動詞につくか、名詞と動詞の両方につくかで分類する。メリは「動詞の助詞」の節で取り上げられている。ニ  めり  と云ふ言は、「彼のものは我が眼にはしかじかと見ゆるなり」とおしはかる意なり、口さがなさにさま〴〵云ふめり龍田川紅葉亂れてながるめり

ノミ在リテ、他ノ時ニ干渉セザルヲ云フ」と説明され づけられている。なお「充分未来」とは「其ノ事全ク将来ニ で分析・整理している。その中のメリは「充分未来」に位置 シ・シム・…シ得ル)」に三分類し、「助動詞」は時制の概念 助動詞を「助動詞」「不成助動詞(否定辞)」「半助動詞(ベ ●中根淑『日本文典』下(一八七六(明治9)) 味にとっている。 の用い方に近いようにも思われるが、全体としては推量の意 黒川氏が説明に用いた「と見ゆる」が堀秀成の「と見ゆる」 202ページ) ●里見義『雅俗文法』前編下(一八七七(明治 ている。メリ個別の意味説明はない。

べしや。暫く邊有の文字を掲げおく。 バラカヽ なり。殆ど其意にならんとするの意なれば。邊有も恊ふ ホトンカナ なき事を想像して。いふ意なれば。見有にても。いかが ミエアリ 海とのみ圓居の中はなりぬめり。などいふ歌有り。實は マト 川は袖より流るれば。問ふにとはれぬ身ハ浮ぬめり。又。 ぬ詞なり。見有としても。見もせぬ事を。〽伊勢わたる ミエアリ 或は邊有の意なりといへり。要する処。押極めてはいは めりは。種々論有り。或は見有の約りたるなり。といひ。 ミエアリ 10) 条義門の説(『活語指南』)、「邊有」説は橘守部の説(『 語源説は意味説明と一体で論じられている。「見有」説は東 ミエアリ 43オ)

』)である。また「想像」という語を用いているが、現在で言う「推量」の意味とみなされる。●物集高見『初学日本文典』巻之下(一八七八(明治

動詞ムの派生語だという主張をする。 の部分では語源の「見えあり」説に批判をした後、メリは助 提示している。その後、メリとマジのみ補説があるが、メリ 定する。四つとも他者の動作を想像するという共通の意味を その分類の一つにラム、ラシ、マジ、メリの「想像辞」を設 物集氏は現在で言う助詞・助動詞を総称して「接辞」とし、 11

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「想像辞」共通の意味は説明されるが、メリ個別の意味説明はない。●佐藤誠実『語学指南』巻四(一八七九(明治

メリハ見有ノ意ニテ、見ユル様子ヲ云フ詞ナリ ミエテアリ メリについての言及は、 12

●大槻文彦『語法指南』(一八八九(明治 (訳語「様子ぢや」)を承けているかと思われる。 非常に短いが、視覚性を踏えた上で、富士谷成章『あゆひ抄』 26ウ)

「事物ヲ推量スル意アリ、コレヲ推量ノ助動詞トス」 ラム、メリ、マシ、ラシを「推量ノ助動詞」として括り、 巻頭) 22『言海』第一冊の

と、大槻氏が共通すると考えた意味を示した上で、 41ージ)

るとみえる、」「ないとみえる」ナドノ意) 物ノ状態、然見ユ、ト推量シテイフ語ナリ。(口語ニ、「あ(21)  めり語原ハ、「見え、あり」ノ約マレルナルベク、事

四冊、一八九一(明治 門『活語指南』を承けている)。なお、『言海』本編のメリ(第 このように語源も含むが、個別の説明を行う(語源は東条義 42ページ)

と、『語法指南』同様の意味説明を行っている。 イフ意ノ助動詞。(用例略) [見エアリ、ノ約ト云フ]事物ノ状態、然見ユト推量シテ 24)も、 ●大和田建樹『和文典』中巻(一八九一(明治

  めりまどひいづるもあんめり。(枕草子) 24)   斧の柄もくちぬべきなんめり。(同)これハ輕き推量に用ふるがもとなれど。轉じてたヾ句調のために添ふるもあり。

●高津鍬三郎『日本中文典』(一八九一(明治 これは複数の意味をメリに認めたものである。 14オ)

するに用ふ。 これらの補助詞は孰も未来に起るべき動作を、推測想像 リ・ナラム・ラシを一括りとした。 一つを「(四)未来をあらはす補助詞」と名づけてラム・メ 高津氏は現在で言う助動詞を「補助詞」とし、その分類の 24

●関根正直『国語学』(一八九一(明治 リ個別の意味説明はない。 この「未来をあらはす補助詞」共通の意味のみ記述され、メ 161ページ)

辞と、過去の事物を推量るとの別あり。 量」共通の事として「是れには、現在の事物に就きて推量る リ、ラム、ラシ、ケム、ケラシ、ヌラム、ツラムがある。「推 否定、対比、希望の五つに分類、そのうち「推量」には、メ 関根氏は「助働詞」(「助動詞」ではなく)を指定、推量、 24) 後、 100ページ)」と述べた

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めり  こは、「見エアリ」の約と云ふ。事物の状態を推量り云ふ辞なり。

●大槻文彦『広日本文典』(一八九七(明治 には、大槻文彦『語法指南』の影響が見受けられる。 意味の説明の「見エアリの約」及び「事物の状態を推量り」 ることを語源を利用して述べているように思われる。なお、 と説明する。共通の意味である「推量」に加え、視覚性があ 100ページ)

スル意アリ、コレヲ推量ノ助動詞トス」 リ、マシ、ラシを「推量ノ助動詞」として括り、「事物ヲ推量 『語法指南』(一八八九)がもとになった。やはりラム、メ 30) 144ページ)として、

ノ「みえる」ナリ。 此語ヲ、口語ニ写セバ「あると見える」無いと見える」 事物ノ状態、然見ユ、ト推量スル意ヲイフ語ナリ。……(19)めり。語原ハ、「見え」ト「あり」トノ約マレルニテ、

●中邨秋香『皇国文法釈義』(一八九八(明治 と述べている。 145ページ)

とはみえの約めにて、あは省かれたるなり、 又はト見ユルなどいふ程の意あり、……見えあり、の約 かしていふ助動詞にて、俗にアンバイヂヤ、ヤウヂヤ、 めりは、見えあり、の約といへり、しかある様をおぼめ 31) 235 236

ジ) 語源は東条義門、訳語は富士谷成章と堀秀成の影響がある。●金沢庄三郎『日本文法論』(一九〇三(明治

36) 立田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなん 意輕く、後者は疑少くして意重し。 然りと定めて推量する意あり、されば前者は疑を挟みて に未来の推量なるを、めりは「見えあり」の約なれば、 多少輕重の差あり、らむは「有らむ」の約にして、単純(二)  めり其接續法全くらむと同じ、唯其意義の上に於て

166

にはしかじかと見ゆるなり」とおしはかる意」、里見義『雅 彙別記』、黒川真頼『日本小文典』→「「彼のものは我が眼 ①国学の伝統的な意味説明の方法をとったもの(文部省『語 に整理した。 たものでだいたいの傾向がつかめると思う。筆者は次の三つ メリの意味がどのように説明されてきたかは、ここにあげ である。 ている。だとすれば、これは金沢氏の言っていることと同じ 現をするものであり、推量の度合いが浅いという意味で捉え き推量」について、メリはその目で見たことをもとにした表 て意重し」とあるが、吉田金彦(一九六九)は大和田氏の「輕 大和田建樹『和文典』の「輕き推量」と対象的に「疑少くし 167ページ)

(10)

俗文法』→語源を「邊 」とする説に従うことによる説明、佐藤誠実『語学指南』→「見ユル様子ヲ云フ詞」、中邨秋香『皇国文法釈義』→「アンバイヂヤ・ヤウヂヤ・ト見ユル」)各助動詞は動詞との承接で分類される。②設定した文法的枠組の意味を以てメリの意味説明とし、メリ個別の説明がないもの(中根淑『日本文典』→「充分未来」、物集高見『初学日本文典』→「他ノ作業ヲ想像」、高津鍬三郎『日本中文典』→「未来に起るべき動作を、推測想像する」)③文法的枠組で各助動詞を括るのは②と同じだが、メリの個別の説明も行うもの(大槻文彦『語法指南・広日本文典』→「事物ノ状態、然見ユ、ト推量スル意」、大和田建樹『和文典』→「輕き推量」、関根正直『国語学』→「事物の状態を推量り云ふ辞」、金沢庄三郎『日本文法論』→「然りと定めて推量する意」)

4  山田孝雄氏と三矢重松氏

明治

注目すべきものが一九〇八(明治 こで時期的な一区切りとしたのは、メリの意味説明において 30年代までの状況を概略、右のようにまとめたが、こ

41)年に二つ指摘できるか この肯定的に現實を推量する四も亦各意義の差あり。( ラムについて、 あらはす複語尾」の節を立て、その中でベシ、メリ、ラシ、 山田(一九〇八)は「動詞の複語尾」の四番目に「推量を 三矢重松(一九〇八)である。 らである。一つは山田孝雄(一九〇八)であり、もう一つは

447

ページ)として、「推量」の意味を共有する四つの違いを論じる。

意向     方面                

山田(一九〇八)

447

るなり。 るなり。その映ずる状態をばかゝる事實ならむと推定す 似たり。即事物の状態がとにかくに、自己の胸中に映ず   「めり」事實の推量を傍觀的に叙述する點は「らし」に これを踏まえてのメリの説明は、 448ページ

ム、ベシとの意味の違いを「疑惑・推定」と「傍觀的・直寫 を画すのは、方法として、同じく推量の意味を持つラシ、ラ である。この意味説明が明治時代における以前のものと一線 450ページ)

(11)

的」という共通の基準で体系的に論じ、それを前提とした説明であるということにある。もう一つの三矢(一九〇八)は近世以来のナリとメリの対比をもとにした富士谷御杖の説を再評価したものである。六  めり第三變化につく(ラ變は第四)此の助動詞はなりを少し和げ(想像して)たるものにして、べしのべのラ變に活きたるに近し。(或はむありの約かとも思はる。舊説に見えありなりとあるは非なり)口語には或はだと斷定するを得べくおもむき様子氣などゝも當つべし。立田川紅葉亂れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ(古)同じ想像ながらんべしまし等とかはり「流るなり」と斷定してもあるべきを少し和げたるなり。べしにても其の意聞ゆべけれど、それよりは稍輕し。彼の古今時代に多く用ゐられたるべらなりといふ語はべしと全く同じ意にて、めりのめはべと互に通ふ音なり。

208

似性も取り込んでいるが、意味説明の基本は〝「断定」を和ら を主として、橘守部の説(『助辞本義一覧』をもとにベシとの近 三矢氏はナリとメリの対比から導かれる「断定」との近似性 209ページ) じである。 た状況は、橘守部の説が含まれることを補えば、近世末と同 からである。「推量」「婉曲」「視覚性」の三種の意味が鼎立し 性も含む)」、及び堀秀成の「視覚性」による鼎立状況が続く 九〇八)の影響下にある「婉曲(橘守部によるベシとの近似 山田孝雄(一九〇八)の影響下にある「推量」と、三矢(一 にある。この後、メリの意味解釈は、大槻文彦(一八八九)、 れが「婉曲」の意味として後の時代に強い影響を与えたこと 三矢氏の説がそれまでの時期のものと一線を画すのは、こ のは第一節で述べた通りである。 たからであろう。これに対して松尾捨治郎氏が疑問を呈した 抄』がメリと断定ナリを対比していると三矢氏が認識してい なお、『あゆひ抄』にあるメリの訳語を示すのは、『あゆひ こととなる。 と同じである。三矢氏の意味解釈が後に「婉曲」と呼ばれる げた〟ということにある。これはもちろん、富士谷御杖の説

5  三種の意味

これらの意味をどのように扱うかについて、例えば吉岡郷甫(一九一二)は、

(12)

…現在の動作・有様を輕く推量する「べし」の一つの用法に似て、而も一層輕く推量し、動作・有様を確説するのを稍〻憚るが如き樣に云ふのであります。…(略)…「そこもとはおちたる所に侍るめり。」とある。目の前に見て云ふのですから「侍るなり」と確説して差支ない所であります。

234 立田川紅葉亂れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ。 ものをも殊更控へ目にいふ時この助動詞を用ゐる。 …(略)…また明らかに事實にして毫も想像の餘地なき 語の「と見える」に同じ。 めりは大方然らむと信じたるを控へて言ふものなり。口 て、鴻巣盛広(一九二〇)は、 時代が下るが塚原鉄雄(一九五八)も似た考えである。続い (注 量」と「婉曲」とを別の意味とは見なさないように思える。 と、「輕く推量」し、「確説するのを稍〻憚る」と述べ、「推 235ページ)

(古今集)これ實景に臨みて歌へるものにして毫も推量の意なきなり。

田川」の歌を堀秀成の「視覚性」で捉え、「推量」「婉曲」「視 も想像の餘地なきものをも殊更控へ目にいふ」は「婉曲」、「立 ここで言う「と見える」は「推量」、「明らかに事實にして毫 191ページ) にこの例が多い。 ることが多い。…(略)…鎌倉時代以後の擬古文には特 るところを、婉曲にいひあらはしたやうな趣につかはれ る。…(略)…これから轉じて「である」「だ」と斷定す ことばである。かういふのは「と見える」といつてあた なさらぬと見える」といつて大進生昌をひやかした趣の 清少納言が「この御道すなはち学問にかけても賢くあり この御道もかしこからざめり(枕) 「さう見える」と推量するのが原義。 に述べる。 覚性」の三種とする。また小林好日(一九二七)は次のよう

465 も用ひられる。 「めり」は確實的な推量である。斷定を婉曲に下す場合に 用した最も早い例である。それから吉沢義則(一九三四)は、 る。なお、管見ではメリの意味解釈に「婉曲」という語を使 「推量」から歴史的変化を経て「婉曲」の意味が生じたとす ここで言う「と見える」も「推量」の意味で使われている。 467ページ)

意味とは見なさず、鴻巣氏は「推量」「婉曲」「視覚性」の鼎 各氏の意味の扱いは、吉岡氏が「推量」と「婉曲」を別の 言っている。 吉沢氏の説明はとても短いが、「推量」と「婉曲」の並立を 124ページ)

(13)

立、小林氏は「推量から婉曲へ」の歴史的変化の示唆、吉沢氏は「推量」と「婉曲」の並立と多様な状況で、揺れていると言っても良いであろう。

6  松尾捨治郎氏の研究

この時期にあって、松尾(一九三六)はメリに関してはその意味・活用・接続・語源に関して近世の研究史から得られるところを解説することを主眼とした。意味だけ三矢氏の説を支持する旨短く書いたのは、先に引用した通りである。しかし、松尾(一九四三)では三矢氏の「婉曲」説支持を改めて「推量」説に転向したにとどまらず、メリの研究自体が画期的なものとなった。語源から歴史的展開、主語との対応関係等を、実証的に検討しているが、最も注目されるのは意味と用法に関する事柄である。これには二種あり、一つは、メリが下接した動詞の動作を推量する用法(甲)とメリが下接しない事柄を推量する用法(乙)に分かれることである。(甲の例)我朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になりたまふべき人なめり(竹取物語)これはメリが直上の「人な(ン)」を推量する例で、その点で問題は全くない。しかし、 (乙の例)あすからは若菜摘まむと片岡のあしたの原は今日ぞ焼くめる(拾遺

らしと同様のこともある。 様のこともあるが、又時によつては、不明の度が淺く、 めりの意は、時によつては、不明の度が深く、らむと同 もう一つは、メリの意味の「不明の度」である。松尾氏は、 接していない。 (注 みをするからだろうと推量する。推量の対象にメリが直接下 いま目の前で野焼きをしている。その理由は明日から若菜摘 18

かったな」と口語訳される集『 いるようだが、そうはいってもやはりそなたを見過しはしな 過ぐさざりけるは」は、「堅すぎて困ると皆がいつも心配して つけ、笑ったところである。この用例の「すき心なしと、…… 源典侍が逃げる源氏を捕まえて迫っているのを桐壺帝が見 さざりけるは」とて笑はせたまへば…(源氏物語・紅葉賀) 「すき心なしと、常にもて悩むめるを、さはいえど、過ぐ ちの一つを紹介する。 と述べた上で、まず「深い」方の用例を七例示すが、そのう 130ページ)

(一)

と言ったわけだが、帝はもちろん冗談を言っており、メリの との恋愛をしない困った堅物として皆が心配しているようだ、 338ページ口語訳文)。桐壺帝が源氏のことを生真面目で女性

(14)

対象たる「すき心なしと、常にもて悩む」は架空の事柄を冗談で推量したものと言える。こういった例を松尾氏は「不明の度が深い」と言っている。対して「不明の度が浅い」の例としてあげられたうちから、こちらも一例紹介する。…(用例

も、直接自身の目で見た現實の事を表はして居る。 とある。故に此の消えぬめりは、推量、想像といふより 消えけるを見て、よみ侍りける。治部卿伊房 大原野の祭の上卿にて、参り侍りけるに、雪の所々 が多い。特に最後の後拾遺の歌の如きは、詞書に、 文、句を根據として、他の疑惑的叙述に進展して居る者 根據を擧げる必要もない程であり、むしろめりの附いた 等又は其以上に、確定的、現實的である。同時に想像の 此等は何れも、不明、疑惑の意が極めて淺く、らしと同 とくらむ(後拾遺)      榊葉に降る白雪は消えぬめり神の心も今や 15例略)…

133

(注 7  松尾聰氏、時枝誠記氏、小松登美氏

松尾聰(一九五二)は受験参考書であるが、当時の研究水準を的確に反映したものである。松尾聰氏は、この書のメリの項の冒頭で「推量」の意味を示した後、項の末尾近くに松尾捨治郎(一九四三)で「不明の度の浅い」メリの用例とされ、本稿でも先ほど右にあげた後拾遺集一一七一番歌「榊葉に  降る白雪は  消えぬめり  神の心も  今やとくらむ」を詞書と共に用例としてあげ、次のように述べた。これは、確定的なこと、現実的なことを、客観的な事実として述べると、相手には、やや押しつけがましくあまり強く響きすぎるおそれが感ぜられるような場合に、それを自分の主観による認識として述べようとする用法である。…(略)…したがって、これを従来「婉曲な断定」などと言っていたのと究極においては一致するわけである。

114 治郎氏の説だとは言っていない。だが松尾聰氏は、松尾捨治 九四三)の他の説の解説で挟んでいるが、この部分を松尾捨 語句は使っておらず、またこの部分の前後を松尾捨治郎(一 但し、松尾聰氏はここに「不明の度の浅い・深い」という 115ページ)

(15)

郎(一九四三)の「不明の度が浅い」用例の説明にある「…又は其以上に、確定的、現實的である。(太字は山下による)」と同じ語を用いて「これは、確定的なこと、現実的なことを、客観的な事実として…(太る)」と説明している。この「確定的」「現実的」という語の使い方で、松尾聰氏が松尾捨治郎氏の説を前提としていた可能性は極めて高いと言える (注。松尾聰氏が述べた「したがって、これを従来「婉曲な断定」などと言っていたのと究極においては一致するわけである。」という記述と、松尾捨治郎(一九四三)で言う「不明の度の浅い」ものとが結びつけば、大正から昭和前期にかけて、揺れていたメリの意味の扱いに根拠を提供することになる。「不明の度の深い」メリが「推量」で、「不明の度の浅い」メリが「婉曲」になると思われたのではないか。昭和前期と同じく他の説もあったが、この時期以降は「推量」「婉曲」並立説で固定していく。その大きな要因として考えたい。この二年後、時枝誠記(一九五四)はメリについて「推量」と「婉曲」を並立させる記述を行った。三  用法推量された事柄の判斷に用ゐられることは他の推量助動詞と同じで、過去、現在に通じて用ゐられる。あやしう短かゝりける人の御契にひかされて、我も 世にえあるまじきなめり(源氏、夕顔)「あるまじき」は、連體形で、下に「こと」が省略されたと見ることが出来る。「なめり」は、指定の助動詞「なり」に「めり」が接續したもので、全體が推量的陳述となる。たつた川紅葉乱れて流るめりわたらば錦中や絶えなむ(古今集、秋下)右は、想像された事実の陳述に用ゐられたものでなく、現に經験した事實に用ゐられてゐる。これは、「流る」といふ斷定的な云ひ方を、柔げて婉曲に云つたものとみることが出来る。かれ見給へ。かゝる見えぬものあめるを子、

進生昌が家に)大進生昌が清少納言たちの局に現れたことは、現に經験された事實であるが、これを、「見えぬものあるを」と云へば、斷定的に云ふことになるので、それを婉曲に云ふために、「める」が用ゐられたものであらう。

191 192ペー ジ)「推量」と「婉曲」の並立は、吉沢(一九三四)に限らず、これが初めてではない (注が、その定着にあたっては、時枝(一九五四)は影響力が大きかったであろう。そして時枝氏が「推

(16)

量」と「婉曲」の並立を採用した背景に松尾聰氏の論があったのではないだろうか。しかし、松尾聰(一九五二)が時枝(一九五四)等に影響を与えたという推測の根拠について、明確な物証はあげられない。但し傍証として、松尾聰(一九五二)が終止ナリの伝聞推定説を「絶対的に正しい」と記したことを、遠藤嘉基(一九五五)に引用されていわゆる「ナリ論争」の始まりとなったこともあり、刊行後早い時期から多くの研究者に読まれていた可能性がある。傍証とするにも弱いかもしれないが、松尾聰(一九五二)は強い影響力を持っていたと筆者は考えたい。ところで、時枝(一九五四)に対して小松登美(一九五五)が強い反論を行っている。…たとへば、c(「

なむ」の歌、山下注)について〈右は想像された事実の陳述に用ゐられたものでなく、現に経験した事実に用ゐられてゐる。これは流るといふ断定的な言ひ方を柔げて、婉曲に言つたものと見ることができる〉との説明もある。(『日本文法  文語篇』時枝誠記博士、一九五四年、岩波書店)が、この説明は少なくとも用例c及び九世紀中の同様な「めり」に関する限り、私としては納得できない。小松氏は「婉曲」とされた用例を、そう取るべきではないと して、「視覚法の「めり」」と呼ぶように提唱した。これは筆者の理解では堀秀成の「視覚性」に近いように思う。小松氏はメリの意味として「視覚法」と「推量」の並立を提唱している。なお、吉田金彦(一九六九)は「立田川紅葉乱れて」の歌をどう解釈するかについて、…小松登美のごとく実景視覚法によってのみ解くか、時枝誠記その他のように婉曲法に解するか論のあるところだが、これを「同じ帝立田川の紅葉いとおもしろきを御覧じける日」の歌と認めるならば語、、鴻巣盛広もいうように実景に臨んでの歌となり視覚法となる。同じ推定判断でも、終止形接続「なり」が聴覚により「めり」が視覚によっていることは明らかである。(『古典語現代語助詞助動詞詳説』

か。(右同書 は浅いものであり、ちょうど「まし」程度以内であろう ぎるように思えるのであって、「めり」の不明度、疑問度 といったが、どの程度のものをさすのかわたしには多す しかし松尾が不明度深いものが源氏九巻で七四例もある 九四三)の「不明の度の浅い・深い」について、 と述べて、小松氏を支持している。それから松尾捨治郎(一 186ページ)

と批判している。また、吉田氏は他にもメリの意味を柔軟に 186ページ)

(17)

考察している。小松氏と吉田氏の論は、昭和前期と同じくメリの意味解釈がこの時期も多様であったことを示す目的もあって引用したが、特に小松氏は、従来鼎立していた意味のうち、視覚性を示す意味が時枝(一九五四)等で軽視されたことを批判したのであろうか。また、この時期は春日和男氏が、春日(一九五七・一九六一・一九六四)でメリの視覚表現と終止ナリの聴覚表現を対比した論を示してもいた。但し、小松氏の論を筆者が理解したところでは、メリにおいて視覚性の意味は「推量」とは共存可能だが、「婉曲」とは共存できないことになる。「婉曲」を認めない小松氏の説は『日本国語大辞典』に反映されなかった。以上、助動詞メリの意味解釈の歴史、それも『日本国語大辞典』のメリの意味、⑴推量、⑵婉曲、に辿り着くまでに限定した歴史を述べてきた。

注1は、版とで変更はない。なお、

で、 いが、第一版では「補注」の五番、第二版では「語誌」の六番(2)の意味説明に「婉曲」の文字はな

注2塚原鉄雄氏は「推量」「婉曲」の関係を「推量の助動詞が婉 る。(2)の意味を「婉曲」と明示してあり、確実に「婉曲」であ (婉曲的叙法)。…(略) …(略)… の「る。   「らむ」が視線圏外にあるものについての推量であるに反し、 法である。 これが原義的の用 5【めり】(現在推量の助動詞) も、 注6氏『』( 定」が用いられた例はなかった。 注5管見では松尾捨治郎(一九四三)以前にメリの意味説明で「確 ているように思われる。 を表はして居る」は、堀秀成『助字音義考』に近いことを言っ 注4この「推量、想像といふよりも、直接自身の目で見た現實の事 が、る。 注3松尾捨治郎(一九四三)はこれをラム、ラシ、メリの三語に共 た。吉岡郷甫(一九一二)とも通じる考えである。 る。」(原()) い。

310 図書館デジタルコレクションで閲覧) に「と「る。 311ページ)

【文献一覧】*印は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧したもの。〈近世〉

(18)

  栂井道敏(明和七年)『てには網引綱』(『国語学大系』八巻所収)

  富士谷成章(安永七年)『あゆひ抄』(人間文化研究機構国立国語研究所所蔵資料の写真データをインターネットで閲覧した。   本居宣長(寛政九年)『古今集遠鏡』(東洋文庫、今西祐一郎氏校注)

  富士谷御杖(文化三年)『俳諧天爾波抄』(『新編富士谷御杖全集』巻、三宅清氏編纂)部()『』(二、橘純一氏編集)門(年、)『』(指南』上、里見義氏校訂)*堀秀成(安政二年、嘉永三年とも)『助辞音義考』(『音義全書』上、藤岡好古氏校訂)〈近代〉

  遠藤嘉基(一九五五)「新講和泉式部物語(七)」(『国語国文』二四巻二号)*大槻文彦(一八八九)『語法指南』(『言海』第一冊の巻頭)

  大槻文彦(一八九七)『広日本文典』(一九八〇復刻版)*大和田建樹(一八九一)『和文典』中巻  春日和男(一九六八)『存在詞に関する研究』(以下の春日和男氏の論を収録)

  男()「現(

り」と「めり」との関係について

」(『文学研究』第五六輯)

  男()「現(

り」と「めり」の消長について

」(『文学研究』第六〇輯)

  男()「

詞「と「り」の世界

」(『国語と国文学』四一巻一〇号)*金沢庄三郎(一九〇三)『日本文法論』 頼()『』(巻、川真道氏編集)*鴻巣盛広(一九二〇)『新撰国語法』*小林好日(一九二七)『国語国文法要義』

  美()「」(要』二号、引用は『論集日本語研究7助動詞』から)

  佐田智明(二〇〇四)『国語意識史研究』(以下の佐田智明氏の論を収録)

  (一四)「終承接

における把握

」(『語文研究』三七号)*佐藤誠実(一八七九)『語学指南』巻四*里見義(一八七七)『雅俗文法』前編*関根正直(一八九一)『国語学』*高津鍬三郎(一八九一)『日本中文典』

  塚原鉄雄(一九五八)「いわゆる推量の助動詞  四、『めり』の研究」(『国文学  解釈と教材の研究』四巻二号)

  時枝誠記(一九五四)『日本文法  文語篇』*中根淑(一八七六)『日本文典』下*中邨秋香(一八九八)『皇国文法釈義』

 中村幸弘(一九八七)「終止形につく「なり」「めり」」(『国文法講座』第二巻)

  松尾聰(一九五二)『古文解釈のための国文法入門』(初版)

  松尾捨治郎(一九三六)『国語法論攷』

  松尾捨治郎(一九四三)『助動詞の研究』*三矢重松(一九〇八)『高等日本文法』*物集高見(一八七八)『初学日本文典』巻之下*文部省(一八七一)『語彙別記』下巻

(19)

  山田孝雄(一九〇八)『日本文法論』*吉岡郷甫(一九一二)『文語口語対照語法』*吉沢義則(一九三四)『高等国文法』

  (一九)「め

〈古語〉」(『古  詞助動詞詳説』

(やました  かずひろ・九州産業大学非常勤講師)

参照

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