鸚
水害馴牡
゛ノソゾ
(了冊の内 居
鴉 語
胆惟フニ我力皇祖皇宗國ヂ肇ムルュ上盗這二徳チ樹ツルュト深厚ナリ我カ臣
民克夕忠二克ク孝二億兆心ヂT一シテ世々朧ノ美ナ済セル︵此レ我力國頭ノ
精華ニシテ教育ノ淵源亦賓二此二存ス爾臣民父母︼一孝二兄弟二友二夫婦相和
シ朋友相信シ恭倹己レチ持シ博愛衆二及水シ學ナ修夕業チ習盲以テ智能ナ啓
賛シ徳器ナ成就シ進テ公盆チ廣夕世務夕闇キ常=國憲チ重シ國法二道二見
緩急アレ︵義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運チ扶翼スヘシ是ノ如キ︵狽り胆
力忠良ノ臣民夕やノーヽナーフス叉以テ爾祖先ノ遺風チ顧彰スと一足ラソ
斯ノ言百賓こ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二言守スヘキ所之チ古
今二通シテ謬・フス之ヂ中外こ施シテ悼ラス股爾臣民t倶二拳々服膚シテ咸其
徳チごこyXtチ庶幾フ
明治二十三年十月三十日御 名 御 璽
・谷示:……占ぷ'‑ンミこフ'];`̲
千づ万緑
皿修身教訓巻の四目次 作 怯 の
一
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‑ 一 轟
→÷
1轟4j六五四三
第一第二
第三 最敬流心得脱帽の心得物品の渡方心得財物の敷方心得物のはかり方心得書物掛物取扱心得
像
備
縫の
肱縫
總
説 本 文 の
交︵伊藤仁嗇︶︒
度︵孟子︶ 部第七第八第九第十第十︸第十二 部第四第五
第六 書粛観覧心得建具取扱心得附物の心得賓客廸迎心得廊接の心得紹介の心得
祓﹂徳︵中江藤樹︶
男女の別︵陽和院の誂︶ボ図眉 従 親 順︵佐冷木本ね女︶
疹
城
ぬ隨≒奮外
}IJ
/
第七第八
第九第十第十一
第十二 !恭
第十三第十四
第十五第十六第十七第十八第十九第二十第二十一第二十二
交責澄悌養奪
知倫愉忍忍謙誠寧順清
敬︵仁明天皇︶
老︵ちよ女︶
桓︵池田忠綾︶ J 儀︵ゑち女︶
善︷富永件意︸
誼︵酒井金三郎︶
倹
潔︵桐生屋七左衛門︶
序︵天草時貞︶
静︵池m光政︶
賓︵那波守之ブ
遜︵榊原政房︶
耐︵池田光政︶
耐︵徳川吉宗公︶
I 約︵徳川治貞卿︶
約︵松岡如庵︶
足︵寓言︶
作法第一
/ J X
時第二十三
修第二十四第二十五
第二十六
惜立敬 同
愛
情︵中村暢き
習
師︵徳川家宣公︶
志︵藤木敦直︶
陰︵登港法師﹀廣賃開務第二十七
第二十八
矯殖
産︵野中粂山︶
風︵竹垣直温︶
重憲従法第二十九
第三十 錨第三十一
第三十二
第三十三
§
忠感勇 納球
皇︷和気仲世︸
税︵長吉︶
結
敢︵楠正行︶
恩︵上毛野形名の妻︶
の解
測 心P13屈稽三目為う
作法第二
作法第三
G
口に
● § 一
*
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作法第凶作法第五
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作法 第︿七 j
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作法第十 yV.
作法爾十一
五才謳ぎ
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§ 十 劃泗一
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命脈
諺
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常逼■Jン硝煙嶮隨酒惚﹂な
作法第十二
皿修身歌胴巻の四
樹笥館 第一
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撰 吋に
今 が り
昔
十
一 一 ペ ー
*
十三 召廓と心Ma艮砿界囮畑
必 y鰍呂 〃 − i
大内 青憎 國府寺新作
閲
mffli■≪)cKsr≫約儀は︑人間の趨居動作をほど
ょくする法にして︑心の我鐙を
ふせぎ︑身の胤馥を正す屯の忿
に檀を内外にかくれば︑
い ︒lj 屈娃 萱n洵哨眉v︒吋に斧 十四 囃愉似聡西巨弑詐剔陶
外の趙とは︑衣澱みきそう︑朧のしこカし︑言葉
匙ひなどを云ひ︑内の嶮とは︑心の中にれいて︑
貴きと老いたるとを敬ふはもちろん︑順むき
と弱きとをもあ次どらず︑万れノ〜程よく人
を愛敬するを云ふ︒悟︑内の約は水にして︑外の
趙は岑なれば︑趙を仝λノせんに眸頑心に愛敬
の誠あるべし︒愛敬の誠次くして︑外の鐙を行
ふ︑之澄︑虚鯛といふ価叉︑外の贈にりきてあら
ましを言はんに︑衣服は︑常に畿珍繋をかくへり
み︑雷訟を考へ戈見にくからぬ々うにすべく︑
蒙は︑趨居動作︑正しく賤七からぬ夕うにすべ
く︑言章遺ひは︑明にしくれと逼ぐしがるべし︒
入々︑よく趙を以戈父母に事ふれば︑白石孝順
と鳶り︑長上に事ふれば︑自ら悌順と逼嘉ソ︑呪弟
の友愛も︑朋友み信義尤︑夫婦の和合奄︑皆自然
に行はるべし︒もし︑かこ句多めにI二回鳶きとき ‑1e s iJM‑<i‑眸君臣︑父子︑夫婦︑兄弟︑朋友の次第悉くくづれ
は七J︑人類のべ禽獣にすぐれた恥所察きに至
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常㈲U JE夕 誦哩 萱鴎池1一y 口紅
妊
十
六
こ こ こ こ S
i罰ご冶μぬ騨丿Ⅲ吽昧刷
るづ ご <
さらに︑叉︑︼身のために︑趙の徳をいはぴ︑人に
無趙せまヒと思ぶ心は︑qの品錐を高くし︑人
に駁かくまヒど思ふ心は︑己が悪念を舞へ痴
の事︑筋目立ち七行はれ々すく︑心定まりて気一
安し︒誠に卿は身を立らるの本鳶れ・は︑幼少の
時より︑書夜大切に幌み守るべきものにこ或乙
人︑趙あ︒るときは﹂喫く︑趙鳶4ここきは危し︒
︵臆記︶
鐙を知らざれば︑以て立りこと忿ぎなり︒
︵論語︶
第二 ヽ ゛
人は︑常に︑我住む土地の風儀に従はざるべか
らず・これ︑即ち趙の一つにして︑我身を﹁安全にL
係りの邁忿hソ︒ ︑
土地の風儀は︑愈岫にょりて多少め宗ひあ︒る・
もの忿れば︑泣く張兪をかへた云二町︑或は︑外國
に往1たる時逼をは︑必蚕づ其ま抱の鼎昔を
* 十七
が
兪
営Å1 が旋 ぶ煙言論淘惚バV 口酔
ぐわん しぷ尋ね反︑其慣習︑風
‑^ ≪N c ^ ≫>。
儀をれしはかり︑
︵ 七起居動作︑何事も︑
務めて人並に行
はんことを︑心掛
くぺし︒
世には︑とかく聊
の學識にて丸あ
*> &ん *S‑ft くる者は︑世間草々 * 十八 胞偵心引ごの口い縫百旧田
の風儀を賤みて︑かぺりみざるも多き中に︑昔︑
伊籐ぐ晋といひし學者は︑ょヽく世の風俗に従
ひ七︑寥如の夜忿どに眸羽織芦を貧咤︑弊をは
げまし︑循は内︑鬼は外とょびて︑豆をまきしと
いふ程鳶れば︑其他の事玉皆之に準して︑世に
害鳶き事は︑皆人並に取行ひ︑榊祗佛聞の前差
ど過ぐるときは︑必面趙して通こ昨︑すべて︑人に
交はるに︑物柔に︑愛想を致し︑少しも言行を飾
らざりLかば︑四方の人々︑慕ひ敬ひ︑後世まで︒
\mm/‑At 十九 = all. iii>i≪≪fXfi 4̲iB <i^XVt ^^ *
§
鯨?鶴缶こ雅則朋
名高き門人も多かりきと零︒ 三
境に入ては禁を間ひ︑郷に入ては︑郷に従ふ︒
︵童子敢︶
第三
九天趙は︑程よ・きを善しとす︒程を過ぐしべ榛
ぼ立ぢ過夕る時は︑人と人との間︑心にへだて
出来吸︑睦まじく鳶り難じ︒趙の用は︑久しく秘
ぎ睦ばんため忿︒れば︑必憂する心鳶かるべか
らず︒昔︑孟子︑まだ若かこりし
時︑俄に用事あ句て︑其
妻の`部屋に入りしに︑
折飾︑妻の租きくこ居け
るを見て︑霞悪しyと
イヽ︑叱りこら七たるを︑
其母聞き幌孟子を呼
びょせ︑趙に︑門に入り
﹃かくる時は︑まづ︑誰か
* ︷
/ 7
常脂肪 jン 岫危 詮n力1一覧 n艮︲* 一
一
〜‑ a
剖判会瀬西目.遥即自司
居る々︑と︑問ふぺきは︑敬を失はヒとて忿り︑堂
に上苓折に︑昼を揚げてこぞきばら・ひすべきは︑
人を戒めんとて忿り一戸に入りかく多時に︑目
先をひきくして︑足下の方を説るべきは︑人の
沿を見ざる々うに
せんとて鳶り︑さる
を︑今︑汝は趙をad
顧優して︑かへりて
妻に査むるは何の
心安︑と︑懇にさとし教へければ︑孟子毛︑腹く過
をわびて︑其妻を奄慰めれりしと?︒
賭事につけて︑人を難ずべからず︒︵aly人︶
乙 第四﹂
世の中には︑趙を知らぬ者屯多し︒縦ひ︑無一一の
人に侮らるにとありと奄︑我は︑よく惧み休
へ吸檀を守力︑決して人の非を咎めず︑深切三に
之を為しらふくべ︒し︒
昔︑江戸に︑聊祗組と唱ふる︑気荒き武士の仲間
* ︸
一入がいへふそう︑彼は︑近江聖人とて︑世に尊
まるyと聞けり︑早大は我等を如何にする々︑
試みんどで︑い多ぎ飛びなり︑これ皆々聖人︑汝
は︑何故に前匁をうりて人を欺く々︑と︑言ひり
り︑手をふり上げて拙肺らん﹂とするを︑籐樹は︑
少しも騒がず︑静に弟察まり︑我は︑名を中江輿
右衛門と申し︑近江の農家に成長し︑聊村内の
子供に物教ふるまでのことにて︑決して聖人
君子右ど︑言はるべき者にはあら﹃ず︑と︑云ふ︒其
參 二十
常
§ 一
容貌︑言語︑如何にもm和︑恭敬にして︑大に人を
眼動せしめければ︑さしもの聊祗組も︑これに
は無胆を加へかね︑我等大に心得違右りき︑無
胆の段咋した壇へ︑乞咤︑すご7Q︒二階ににげ
上りきと安︒胆徳の人を眼動せしむること︑概
此くの如し︒
萬饗に處するには︑一敬を主とす︒︵李s︶
第五
几気男女は︑別を正しくせざるべか√りず︒別を
・ r 4 ` 4
藍しくすぶここ︑は︑交際
を恨みで︑胤りがはし
き事忿き々・うにする
を云ふ○?︑ \
itt^ftn6 f\ s <!‑≪島津光久の室︑陽和院
は︑よく女孚の趙儀
之 を
曇
十七
.屈肥 J︒良 誦碩 昌laし司1一y..詐に§L
III
寺參参どに赴かんにも︑風流に飾り粧ふは︵皆 ・s )i.・ftma人に見られんとての業鳶れば︑甚︒女の操に多
むけり︑内裏作燦啖昔屯︑今屯︑桧扇を五六寸伺
きV面を人に見せざるを以て女の慣みと鳶
せり︑いかに隣のみ飾り粧ひイヽ始の美しきを
人に見せんと思ふと屯︑心正しき男鳶ゾ﹂・に︑か
へhぷ︑見騨さるyことあ♭ば︑い・かに口惜し
き事忿辰子々︑花見んとならば︑祢診差る廳の
花を見よ︑人立しげき所へは行かざるをこ多︑
女の恨みとLす﹁る女れ︑といへり︒この夫人︑百行
二止むく︑家士忿どちきはめふヽ一尊敬したりと今︒
1 % r r/ 勿女の別は︑國の大節察り︒︵國語︶ で △
︒ 第六二
子た︒︲る者︑父母の指揮訓海を承けれるくときは︑ *。J。VIS'>。< 恐れ恨みて其育の如く行ふべし︒事の是非を
論じ︑強ひぞ︑我の理一を言立て︑父母yの︑情を害声
﹁ことあるべからず︒叉︑我身にらきて︑父母︑悪言
を登したまふことありとも︑露は﹁かこり屯怒入り
* ︸
轟
莞£1r wj J俑 心巴明為1バV nMF
らみ戈顔色言語に
tsan一も顔さ>るぺし︒斯く
あるを︑よく父母に従
順カ←り︑と︑云ふフ:ノ出雲に︑佐々木よね苫
いふ娘あり︒早く母に\
わかれ︑慈母と父とに
事へて︑よく孝養︒をり
§
剥邪心一向艮貳頁旧川
ぐし︑いか鳶る事にても︑其教に背くこと゛忿か
りけり︒よね女︑或時︑他より↓株の寒猫活をも
らひ来砂て︑凭蔭に植ゑれくべき身︑と︑父拡問
ひしに︑父は︑何處忿りと奄心饉せに植ゑよ︑と︑
いびけれぱ︑程よき處を撰み叱︑植ゑこけるを︑後I i ! 〜 I りx⁚.j J I r︱Q − ︱`−
に父之を見吸︑植場所悪しy他へ移すべし︑と︑
いへりJ龍母は︑之を聞きて︑折角植附けたる右
のを︑叉楡作ふれぱ桔るJK事あるべし︑父は︑何
と言ふとも︑其獄に吸着七よ︑と︑いひしに︑よね
は︑父上が他へ移せ50仰瀦丁h云で物を︑柿る^
/ . !^ ̲.. ̲ ̲̲.* 111+1<x^n‑mif^'S≪̲1B(in。.?< St^^
倅む耽ぷy 准罹 眉目刀浅一v︒07E§ 一一
十
一 ・ ・ ‑ あ
劃罰lな1ご6肛L旨14江島
を憎み吸︑親の心に背くにこ思びず︑と︑言ひしか
ば︑龍母も︑大いに成ヒ入りて︑さらば兎に丸角
にもせよ︑と︑盲ひければ︑心嬉むげに︑父の心に
合ひし處に植替へたりと安︒ 六
父母の心を以て心とせば︑孝といふべ゛し︒
︵文中子︶
第七
父母に事ふるには︑よく挺順鳶るが上に︑恂鎧
儀を正・yしくし啖︑敬意を忘る^ことあるべか
らず︒よく父母・を尊敬
するときは︑仙石我口叫
位を建め︑之に反して︑
Aqi︱.l″.` 卜 II111 こII夕 i i s 4 !
かく じm
きは︑家の格式を屯れ
な姑息に檀を失ふと
とす奄の忿hソ︒
仁即天皇︑御奉心甚加
く︑太皇太后の冷泉院
にれは七ける・を︑度々
餐 一︼
常応1 がー 誦蔵 萱回為1XV︒口びE
必
一二
四上が?碩ご靉L斑則川
御気色を飼はせら:るsに︑いつも御車には脅
さ訃でりれざり七かば︑或日︑太后は︑御車に召さ
せられたる御儀容をば︑見參らせんと思す奄
一 ♂ iy アー 昔 7
− なん £S≪M 6≫t.iH^のを︑と︑のたまひしに︑天皇は︑宿階の下に脆か
せたまひ七︑大臣源常︑および︑藤原良房を召さ
せられ︑太后の仰とは申すもの浅子と七て母
を定省せんに︑車に殯るに思びん々︑如何にす
べき砂︑と︵問はせたまひしに︑鳥居等は︑太后の
思召に饉せれまはんにこ多︑と︑申上げしかぽ︑
さ石は︑とて︑御車には召しれまひしかど︑猶階
下公傷は歩ませたまひけり︒されば︑之を邦鋭
する者︑轡或嘆しく︑孝は︑天子より庄人に建す︑
と︑いへ︒る訓盲をも思ひ
合は︒せ︑涙を流しく︑孝心
を趨さぬは鳶√痢りしと
万 父子は︑席を同yせず︒
︵暗記︶
外 三
五
夕 y
X |
常訟肪 が夕 誦砥 往時内雌/ぴ HE* 三十六 劃廓脂七ジ但騏回折脈几
第八 十
ひろく孝の邁をとくと﹂きは︑孝は︑只父母二人
&ia■'"Olt‑iのみに限ら守二門の老人に筝ふる坦七す︒就
中︑龍父母は︑我穏の穏にして︑光皿は︑我二家を
開きはヒめL親痙り︒故に︑光麟翻父母は盲ふ
に及ばず︑すぺ叱一門の老人に對L七奄︑父母
ゆ I ム ーを養ふにひとしく︑愛敬の誠を霞すべし︒
ひ flIff‑Jm41^a今より︑凡万百真十年前に︑肥後國雄北郷悍奈
水村に一孝女あり︑名をちよ︑と︑よべり︒六七歳
">cna≪≫ ‑s の頃︑父の次郎右衛門
は︑病のために︑農を菅
みえずして︑賓家に錨
り︑これにりぎて︑母屯
亦みまかりければ︑ち
≫>■ a ≫。 " よ眸慈父︑慈母の手に
育くられたり︒
ちメ汝一天性孝順にし
て︑八九歳より︑何呉と
* 三十七
秀
し____...
常鼎1 がJy 湖稽 萱nカ惚レぴ.け肛*三十八二面余だ頴砿節旧川
忿く題母を助け︑題父の田畠に行く時は︑局農
がり具を槍ぎて燈り︑叉︑其録ょな時刻にぱ︑必︒出で遡
≪ <e ssfiaへ︑何事も︑かひくぐしく立働きけれぱ︑村人も
皆咸ヒ合ひけり︒
¥tぐちょ女︑漸く長ずるに従ひ︑愈家業をはげみV
ヽ︱ *iBif≪$或は︑田畠をう﹁右耕し︑或は︑野に菜をつみ︑山に
*≪■M^'<V■SXS木の賓を拾ひ︑或は︑深出に入りで葛をほり︑蕨
を折り︑或は︑人の賃仕事鳶どしぞヽ︑よく龍父母
を養ひ︑心を安んせしめけり︒されば︑題父母も︑
深くちょをいれはり
.t `ず砂 ︒吸︑手助﹂ せんといふこ
とあり︑かへりイ︑仕︒事
のさまれげっになるの
み鳶るをも︑もよ女は︑
いさゝか之を厭ふ気
ヒ︑喜びて︑野山に行ぺ
にも︑田畠に行くにも︑
昔
常
p!
*
l泗こ溺μ﹂a騨ー男弧茂
其心を慰めo . aひけり︒ 土
或時︑馥父︑飼馬を失ひて︑大に力を落七れりし
が︑貧しき中政れば︑再び購ふこと能はざりし
を︑ちょは︑いかにもして︑龍父の心を楽ましめ
んと戈紡績織縫政之ど︑様々に心を囃︑り︑五六年
の間︑心を苦しめ思を焦し︑逡に一匹゛の良馬を
求めて︑龍父に進ヒけり︒
一年︑田畠賓らず︑官より米を施されけるに︑ち
ょも︑其米を享けれれどもdは︑木の賓︑葛の根
忿ど喰ひCl≪をしのぎ︑米をぱ︑皆卿父母に政
みさー ^けり︒
さV賓家に録りたる父は︑病ますyx.窟昨こ呪
朝夕の煙奄たぶ︑かねた砂しを︑ちょは︑斯る貧
しき中より︑断えず物をみりぎて不自山彦か
bLめれり︒ ﹁
斯りければ︑誰いふと鳶く︑ちょが孝行の評制
高く︑熊本なる藩主に聞こえければ︑ちょが二
十歳の時ょIカ︑年々扶持を賜はりて︑七十七歳
* 四十
一V nに* 四 劃1こ溺hご昂隨Σ狙阿rl
の長壽を保ちれりきと果
孝は︑七世の父母にも及ぼすべし︒︵ws︶
第九 //︑
兄姉は︑父母に次ぎて尊び敬ふ
べし︑趨居︑出入︑衣服︑飲貧︑何に£
らず︑兄姉を光にして︑我身を後
にすべし︒兄弟姉妹の間︑趙を立
て洒ぐして︑遠々しくなり行く
は︑固より好ましからざれど奄︑
叉︑節りに馴々しくじイ︑︑長幼の序﹂ を胤すべき
にあらず︒宜しく愛煩敬意三り鳶がら書すべ
し︒
備前の國ご主︑池田輝敵の室︑中川氏眸利隆を生
み七世を﹁早く七けれ憾︑秀徳川氏をめとりて︑
ご耶等を生めごり︒忠轍孝悌に厚く︑利帚気亦膨
俘に事ふるとと︑賓母に事ふる如くし︑諸弟を
愛すやこと︑子を愛する如くなりし︒がは兄弟
の間︑至り咬睦まヒぐ︑利隆の︒病める時忿ゾ﹄一は︑
︲jll一7L″〜I・ *四十Ξt1.rl1βrItIl″︑
一 55 ≪^ ≪‑≫^ ‑mv imn.j﹁ノ1 どり nりy︒︲§ 四十四 ぷ劇﹂&1一同FXm男眼路J︒
忠朧は︑兄上の病の聯
を︑我に措ぐことの叶
ふこと愈√りぱ︑忿どい
ひて︑書夜懇に介抱し
けり︒
然るに︑母は心の邪悪
職等の録は簿かりしを怨みとし︑いかにかし
て利隆を尋郡して︑宣子を家作に立叉んとを
ぐたりけり︒忠職︑ひ万かに之を知り︑母に無燈
の行なかれかしと︑時々凰しいさめた吟しが︑
恂心を安んぜ戈利隆に盲へるそう︑兄上よ︑畿
に聊鴬匙ふ事のあれば︑今後︑母を見舞ひたま
ふ好に︑必我を作ひたまへ︑とて︑いつもノX︒つ
き万ひ・ゆきV母より食物などを出ださる^
事あれば︑忠輯必蚕づ容こぬ試みしかば︑母も延
*
容ム郭脚 ズイ 感化上月呼が41び01眸
*
迦鴉だ僣白図結界剔陶.
に悪意を果し得ぎりきと零︒
兄の歯には︑雁行す︒︵鸚記︶
第十
夫易の中︑みた17がはしくて︑稗儀忿砂れぱ︑貧
家治まらずし咤︑父子の間奄をりあ︒ひがたき
もの鳶り︒夫据の趙儀さへ︑正しく^ ^のへば︑
父子の間も和親み︑れがひに義理を思ひ︑艦儀
正しくなりで︑ょろづの事︑考︒すわかにとゝの
ふべし︒ゑも女は︑徳川幕府の
臣︑浅羽共常が娘にし・・
てゴ十一歳の時︑小出
大助に嫁せりずの﹂頃︑
大助ぱ︑歌は身分い々一
しき人歌り仁がノ葱ち一
寮ひたすらに火を敬
ひ尽靭夕出入の挨拶二
をはじめ︑物の受け渡
勢 四
営左官考謳低回呵一刀唱.びへM鮒缶 四十入 お甜丿九迦ぶ﹂心 J `廿聚り心口肘 1.︲1
し︑言葉づかひ右ど︑何事も簿容をあしらふ如
くにし︑叉︑よくしうと七うとめの心を慰め︑倹
約を守りて︑家事を治めければ︑夫大助屯︑家の
内には気がかり愈く︑勤向にのみ心をりぐし
て︑代官︑郡代痙どの霖より︑れひノX︒に出懺し
ぺ果は︑二の丸留守居役にまで逞みれりとい
ふ︒
夫櫛の這は︑古今の建則忿り︒︵:︶
∩
第十︼
ス ペ
一麟友は信を厚くし︑互
‑ 一 一 一 ・
に善をすゝめ︑悪を戒
む︒是︒朋友の道歌力︒も
し︑過悪を見歌がら︑誄
めざろは信宏きなり︒
朋友の這にあらず︒
元緑の肌︑細川侯゛に仕
へし醤者あり︒或日︑同
じ藩士の家に病人あ
外 四
ぶ︲︲心逼萌 ビ頂 誦受 才蒔力1 幻V︒01に* 五十 ▽剖貼.奈お翔屁祚・用
︑/ダりぺ急・に招かれ七に︑只今は食事中鳶れば︑急
には參りがたし︑と﹄叉︑い忿みしを︑折しも︑其友︑
富永件意坪に㈲りて︑之を聞咎め︑人に急病あ
り・で戈遡へられ右がら︑食事のために之を学
問にずるは︑第一︑病人に對して︑ぶ靉切となり︑
仕術の本意に背き︑職業の信用を失ふぺし︑且
又︑藩士の家とあれば︑主君に對しても︑信義か
くるにあらず々︑と︑いひて︑諌ぬ論しければ︑大
いに殷ぢく︑急ぎ病家に赴きれりきと安︒
善を責むるは︑朋友の道鳶り︒︵・子︶ ゛ I 第十二
次に交はしゐにの邁︑趙を第一とす︒只心安くくり
みぎ合ひて︑稜目忿きを好む時は︑互に狸れ過
ぎて︑果は︑喧嘩口論と北ご?事あり︒故に長くと
どこほり痙く和ぎむりばんには︑附台ふn一日
の久じきに従ひて︑ますと︑趙儀を正しくす
べし︒昨欝の諺に︑ヤ皆の原︑原の診牽ゼ七︑下として
*
十一
億姦1 JJJ 岨薙 縫回 ︸Pカ1 6w・ hHr
*
︷ 劃1ぷ習ごapJ槨阿弧几
上に勝つ者の督どせ
り︒其次第は︑原といふ
者は︑千葉の縦老にし
ぺ千葉よりは倍々の
りやう ゐ せψ地を領し︑威勢はるか
に盛ん歌りしか︑狗其
家士の酒井は︑原より
奄︑更に炭大歌心領地
を持ちて︑損勢尤も盛
ん産りし拡一 よれり祚小田原のt條氏ほろび
し後は︑徳川家康岳︑闘東八州を領せられて︑原
が子の吉丸も︑酒井が子の金三郎をも︑共に近
習に召出だされけり︒或日︑公︑俄に庭に出でら
れしに︑吉丸は︑公の刀を持ちて︑草膜はく暇も
痙く東天に︑銑の撮にて︑敷石の上に睨りける
を︑金三郎走り行きて︑草履をはかせ士か﹂ぽ︑之
を見る人々は︑不思議歌るに振舞か察如何肴る
入魂の間鳶りとも︑権勢を張り合ふ今の世に︑
︑ ;Ii一丿; ︱ II ″五利即コづ10川丿U川丿いい卜い引川当︒
常悳1 が捗 誦壁 豆蒔力1一覧 詐に
必 五 十 匹
饌君公澗白図屈伸旧旧
a Ci sf sHo ≫の みつか衆人の目前にて︑傍輩の履物を徴ふ社寺ある︑
鳶どざゝやき合ひし事の表立も叉遼に役人
よ力訴へ出でければ︑公は︑金三郎を曙び尽心
底を・問はれ七に︑只今こ万︑二人共召されス傍
輩となり軟へ︑以繭を申せば︑吉兆は巍・が主筋
右回り︑若年の吉丸東天に親にて出でれるを︑見
るに思びず︑草履をはかせたるまでに侯︑と︑答
へければ︑公は︑金三郎寄乖鳶れど知よく武士
の本意を辨有識ずるに諦あり︑曾匹大に賞讃
せられたりきとす︒っ
久う・しイヽ之を敬す︒︵論s︶ 上
第十三
几万︑人は︑身盟︑衣服︑家屋より飲食物に至るま
で︑萬事を清潔にすべ七︒清潔とは︑花々かに飾
るに似あらず︑心持のよき考うに︑奇麗にする
ことなり・清潔の徳ある人ご映帥ら養生の邁に
も合ひ︑叉︑容儀も自然に万鳶はりて︑品位高く
見ゆるものなり︒ ︒︒
§ 五
習盾I Jy 岫低回時二F乙タソ憎つく01に≒−−・−−√−五十礼︒十二 zJ 旨孫睨鯛 ︱
借︑海螢︑衣服につきていはば︑湯水を擲ふ毎に︑
頭髪を初め︑耳︑目︑鼻下︑口中︑爪光までも︑丁寧に
掃除すべく︑衣服の鴛つき︑汚れた藻亘︑時々洗
羅すべきなり︒家屋につき燦いはぱ︑朝夕ょく
気を附けて︑内外にちらぱれる物を取片付け︑
求か泌一ぎ︑屡をはらひて︑いさぎょくすべし︒飲﹂
公物・眸まづ用水ょり叱ふ√し七︑料理を壹梅よ
くし溺にても汚れたる物︑叉は︑囃るの恐れあい
る物嶼決して之を用ふべからず︒
正徳の頃︑江戸浅草寺
唸y・W きり ぷ 々の澄に桐生屋七左衛
門とイヽ︑絲物を商ふ者
ありけhソー︒一家こ零り
て常に清潔を好み︑毎
日家の内外を掃除七︑
髪をあげ︑湯に入りボt
足少しく汚るれば︑直
に水に・て洗︒ひ︑衣服少
*
■ ㎜ ■ ■ ■ ㎜ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
常嘉1 jン 誦飛 岨肺が哺がV︒団円* 五十 羽價心頷︵詞丿麗自想
しく垢つけぱ︑局洗濯︿しけhy︒されば︑近隣の人
々︑桐生屋とは云はずして︑奔麗屋とのこみ呼び
忿しけり然るに︑正徳六年には︑熱病江戸市中
には々りて︑病人忿き家とては︑鳶き有様と鳶
り︑一箇月間に死する者︑八萬人に及びしかど︑
桐生屋のみは︑たえて﹄人奄傅染したる者あ
らざりき官命︒
其清を秦みて︑其壽を保つ︒︵二︶ 上
第十四 △
几万︑何事を薦さんに奄︑時間
と位地と︑a︒のに力量など︑よ叉万
tく考へ灘りて︑一旦手を下
したる上は︑ちんまりと乱れ
ず︑は々く見事に︑出来上がる々う心掛くべし︒
斯く鳶るを順序の榴忿い︒ふ︒此徳ある人は︑何
事も︑私郭通りて鄙甘正しきもの忿力︒
昔元加咋欝とて︑八歳忿る小鬼あり︒其性怜俐こ
にして︑書に巧右りければ或人︑之を徳川義直
ヽヽl i零 ; ︱ ︲I 外 五十九 一 li&>〜n4≪≫4‑e。≪≫<■<3b^4≪qs#
常溜肪 婬夕* 六十 肩價一郭一同一郭一削
にすゝめたWぐしかぱ︑
義直︑近く之を招きて︑
大字を書かしめしに︑
末に至りて︑紙の診臼
不足しければ︑時貞は︒
こざかしくも︑却て勢
示さんとて︑筆を走﹂ら
せて︑働の上にまで引
きしかば︑其時︑見る人︑
其繋﹂匍を或賞せしに︑猫義直﹂は︑此小鬼幼少
しぞヽ︑貴人を侮るの心見ゆ︑長ずれば賤賊と八
鳶&ぺL︑近づくIベか√りず︑と七︑逡=に之
ざ・りき官命︒ ﹂ ノ
言行は︑常に畝念の︷後にあ︸恥べし︒j扉1
第十五︒ 心は静忿ゐべし︒騒がしかるべからず︒静
ば明なり︒騒がし︒ければ︑心幣﹂くし幌物の
さとりがたyし︒
§ 六
筋レ………
; 万万万万jiiな\
j=
j l
迢れ・
゛ 莞名1﹂ Jy ︸咽稽 Jョ同 ︸PjJり イ.pt
l池田光敵︑備前より江
戸に上る時︑海上暴風
に遭ひて︑船殆んど覆
ちんと√しけれぼ︑船中
の人々は︑皆色街ざめ
てふ
﹂ るひれの︒心音︑船
頭初めあはくたりし
かぱ︑一船助かる︒べく
とも受えぎhソしに︑猫 怖 六十二 一 劃1ぷぶぬnF感晦国司
光政は齢都営こして︑恐る>?気色−fc<く︑言葉督に
船頭に︒論し七︑斯る時は︑死する七助か&奄巡
に任すの外政七︑只よく気を乎かにじ七︑船一の
覆らざるそう︑諸共に力を轟くすべきのみ︑と
く︑戒め麟ましたりしが︑兎角せくし内に︑船ぱ︑隻<
難に兵庫換に安着きにける︒
事を處するには︑熟思ひ︑緩︒かに鵠すべしし︒
第十六︲
* 六 十
︵卵瓊︶
= ‑ = ‑ = I 〃
常㈲肪 g沸 誦優 座時刈鴻−力町詐艮
* 六 十 四
−羽贋−必澗−`腿?謎部制川
心の中ほ︑すふ奇かに
して︑青天白日の如く
明白なるべし︒心戸中
に︑悪
﹂ しき工を鴻せば︑
■v"。*a。E> 雁F・雲霧に戻れほひくら
ますに同じ︒
OUoS'SiSO^^£^‑JM那波守之は一活
こ 所の子
にて︑頗る文學︵に達し︑
幼少の時より︑紀伊侠︑
皆但芦゛
徳川俗客に仕へけり︒或日︑頼宣は︑守之に郵ひ︑
今年の月見犬に賦せし詩あ石は︑我に見せよ︑と︑
命じたりしかば︑守え答へく︑其夜たまノk︑犬他−
事に畑げわれ︑混に詩をば賦せざりし︑と︑言ひ
ければ︑頼宣︑更に︑何とて一肩を惜みて見せざ
る穴と︑いふ︒守之齢を正して答へけるは︑今年
の中秋には︑鸞に一詩をも賦せざりし鳶り︑然
るに今節に作りて乏を獣ぜば︑弥・に瀦を欺く
一のみ忿らず叉印ら欺くの理愈り︒父活所︑かつ
§ 六
常Å瀞配 「j ぷ碩 且問酒1 バv 口に
§
凛かb波ぶi応召F︸暗孫回万一
二次死に臨み履を戒めて︑汝もし君に事へば︑君
の二心を迎へて媚び扇ぶこと勿れ︑叉︑文學のみ
を以叉︑我家を績がんと思ふこと勿れ︑愈ごy﹂一遺
言せり0 0篆常に此遺言を守れる故に︑君を欺1︑
且削ら散くことを鵠さず︑と︑云へり︒頼宣之を
聞きて︑那波父子は︑鸞に直臣忿り︑とぺ大いに
成歎じたりきとす︒ \
土仰い燦天に駄彩ず︑俯Uて人に駁ぢず︒︵:︶
犬第十七 ︑`゛ こ
趙は王下の品を別ちくずれどヽヽ・の儀式ある
に︑或は︑下とし吸上を犯し︑或啖上として下を
像るは︑節をこえ︑度に彬るゝ奄の忿れば︑戒め
禁ずべし︒叉ぃ親しく陸路﹂過ぎて︑気借忿る言葉
を吐き︑高ぶり九石−振舞を鳶しい叉は︑心安立に
作れ過ぐるなど︑皆これ趙に叶はず︒宜しく︑戒
め禁ずべきなり︒ヽ
蝉廊忿廊は︑毎月俳「には︑必一服を貧て︑恭し︒
く家臣の賀趙を受けゝり︒然るに︑其子廊肱ま
︲ ・・III 一 NL ︱ l・・ 蒼 六十七 =︲IIlar゛^`IL^!゛
///゛
/ 愕嘉1 .rj 誦耀 萱μ力1.一y 旺艮
§
測釘た澗魚目.禰節一則旧一
一が幼くして︑之をいぶヽ
かり︑或日父に對ひ︑家
臣の趙を受くるには︑
荷のみに︒tjヱ兄分差
恥ず々︑と︑いひければ︑
忠次大いに怒り︑汝︑年
幼少にして︑既に斯く
高慢忿らんには︑成長
の後︑いかにし七我家
を績ぎ︑多くの家臣を撫育し得べき︑我︑常に家
臣を見︒る毎に︑局髪ををさむるも︑趙を大切に
思へば竃力︑もL︑病ありイこ簑こををさめ得ざる
時︑訪ひ来れ私考あれば︑まづ其測向を尋ねさ
せ︑よく考へて後に對面するを︑例となせるこ
と︑汝元よく知れる・右らんず奄︑我家はわけて
國恩を蒙るこ岑慄ければ二且緩急あらは︑必
光鋒の命を受くべーし︑さるに汝が如き高慢攻
←e考をヽし啖︑我家を績がしむゐは︑誠にぶ忠の
|一・W/ノ;︱l 六十九=︱嵐り
1 . . & ひ ・ . ・ 噸
個ツ引P.j jl佳明池1︒xv nF11︲141つ.ぬ艮≒禧戮自田
至り・鳶れば︑我は︑此由を幕府にりげて︑別に相
績人を養はん︑と︑云へり︒人々︑軟房をありく論
しイヽ︑詫言せしめければ︑ヤう奇くにし吸︑忠次
の怒解けたりきとす︒
優れたるを嫉み︑劣⑩れるを軽んずべから
第十八
思ぶとは︑心に堪へが数く思ふ事Xf一一一︑休ふるを
云ふ︒思ぶに二りあり︒一りは︑我心に嫌ひ鳶る
事を休へて︑怒らざるそう・にし︑一りは︑我心に
舒むぢのを休へて︑貪らざる奇らイにすべき鳶
﹄ I Ihツ.
池田光敵の許に︑山旧道悦とて︑新參の士あり
けhy︒或日︑道愧光錬の繭にて物﹂草しける時︑殿
には鄙を召上︿がらずと屈はれり︑如何な藻故
に候か︑と︑問ひしに︑光敵は︑させる事に咤も右
し︑とご のみ答へしを︑道悦れしかへ七犬何か仔
細の侠ヤうに承はれば︑くはLく聞かせたま
̲ ̲ m堰V ...'^‑sf・ 七十J = il^15幽Ill ぁ41﹂MあIr・
常脂萌盛今岫憚往吟△内雌刈り 旺に
*
剖倒偏澗コ碩目語脛白川
や︑と︑問ひLかば︑光敏︑
ざ√りば﹂語らん︑畿が光
﹂
■j−i‑t^ sjs‑≪*S ^y龍勝入公が長轍にV
1‑.!≫■<as 凛討死ありしは︑麟畠右
りと聞及ぴかり︑づら
りら思ふに︑龍戦はf 義
戦にあらぎりしを︑嘆
かはしく存ずる故にっ
きなり︑と︑答へけり︒這悦う・も笑ひてずれは1
れほ殿の大幸にこ万あれ︑先` 公もし田の中に
V鄙拓しれまひれ芦んには︑殿は匍を食した
まはずLて餓死にしれまはんに︑と︑あざけりし
かばぃ光疎は心をひろくして︑話を幹事にうり
し︑少しもぶこ平の色を欝せざりき七砂︒他人の
言行︑我心に部はざる事ありとも︑よく休ふる
こと︑誰ヽも斯くこ1ありれきものなれ︒
思べたふ 人の人なる 這のくの
・−・一 ご; ︱ II *七十三一111541−4ぼI︒E︑
ノ
一 常嘉1一 a鳶 一躍 億μ凶1﹃一Von弧
外 七 十 四
l價会澗心肺禰洲.割川
思ぷの奥の 逍あらめ呻もよノノ
第十九
将軍徳川吉宗公︑成瀬正太が家に名画ありと
聞き︑近臣を逍はVしイ︑︑其粛を借り来らしめし
に︑賞翫の諦り︑其画を手本と﹂して︑自ら幾度毛
寫し試み︑程へて︑之を返さし吻﹄しに︑正太は︑公
ft ‑≪の心に深く叶ひしを︑大いに喜びて︑其畠を厭
あしたきmを巾卜こに︑吉宗︒公之を聞き︑其志
は我奄満足なり︑されど奄︑几1名器は・其家に
1
rlItII 長く傅ふるこ万
・ 善・ け
れ︑我まれ見ん50思は
ば︑叉々借蜘来れば︑我
物に異らず︑よぐ保護
しイヽ子孫に傅へよ︑と︑
いはれきとら91.すべて︑
好き望める物事を貪
らざる心得は︑斯くあ
らまほしくこ万︒
*七十五 I*2≫︱ 1fS14≪≪‑≪>■ iJMjr 4aa^
常し脂肪 .Jy 一低 遠謀刈1ムぴ︒nK
瘤
劃泗・&1二a巨≒忌辰咄咄一
人慾あれば︑剛気・カフし︒︵近思組︶ 第二十︑ 像約とは︑取炭げずして約かにすること右り︒
是にも亦二りあり︒身の行を約かにして︑恣に
せざる事︑其一り潭り︒財を川ふるに約かにし
て︑身の養ひを長ごり・飾らず︑無益に金銭物品
を費やさy私事︑其二つなり︒ 昔︑紀伊侯の家にては︑世々冬毎に︑煌を数多設
けて︑室房︑臥具を媛め︑寒気を禦ぐ習ひやりし
4
C
母 e ⑩ノ
に︑治貞蜘に至りイ︑は︑
我身分高しとて︑格別
に媛を貪り︑我儀
︷ を行
ふーべきにあらず︑とて︑
卿の手許には︑只二煌
のみをのこ七︑他は︑之
を悉く侍臣鳶どの部
厘に︑分ち輿へけり︒人
々斯くの如く︑行をし
■ * ^4‑A3II
an.。︱︒^e≪̲≪<5a.J?1 ≪B.^
まりて︑栄耀すまヒと心掛け右は︑過自ら少︲く
してょく其身を僅つを得べし︒ 犬
用を飾し啖︑人を憂す︒︵論語︶
第三十二 ヽ︑ 十 ■ ♂ j an≪ん松岡恕庵は︑醤を業としぺ家奄富めりしかば︑
大忿る庫︿二つを造り︑▽りには︑國書を鶴へ︑一
つには︑疹籍を蔽めれりけ豚y︒されど︑財を匍ふ
るには︑常に倹約を旨とょし︑華麗なる物を厭ひ
て︑其子などに尤︑釦の類を服せしめず︑麻の袴
鳶どのみ着けさせけ
り︒或時︑門人よ︒り其子
に朔の誇を贈句れhソ
しに︑恕庵いへるそう︒
我︑昔伊藤仁朧光生の
門に在りし頃︑東涯鳶
どはまだ稚か力しが
常に臼き綿入をのみ
着せら・れけり︒舞るに
び / 0
為
○
Cヲり
*
yfD
習気朋p Xt5 り嘔帽 ゴニいズツコ yV Hに* 八 右馴ぶ応ぷD心匠司御影圧
今我子に色ょく染めたる衣を着せしむるさ
へ︑東一涯に比ぶれば奢鳶るに︑まして斯る華︒麗
の荷右どは︑勤に用ふべきにあらず︑とて︑逡﹂に
着せしめざりきと零︒人々︑財を濫に期ひぎる
こと︑斯くの如く忿れば︑よく其家を保つを得
べし︒ 十 ド
節轍に超ふは︑素撲を狗ぶに在りノ:︶
第二十二 \
我身の足る事を知りて︑分に安んずる人稿鳶
り︒其分外を願ふにより叱︑帑を失一ヘリ︒知足の
理をよ︑く思ひV常に忘るべからず︒足る事を
知れば︑貧賤にしても聖む︒足る事を知らざれ
ば︑冨貴を極むれども︑恂飽き足らずし啖楽む
ところ愈ぐし︒之を守銭奴といふ︒此くの如き者
は︑貧賤なる人の足れる事を知れるには︑廻に
劣れりづ烏あり︒或日︑齢に近づきて︑鶴殿よ︑いかに御身
は善き果報鳶る者こか逼一︑水の上に身を俘めて
* 八十一
1 1
X
常農1 ぜ池 誦堰一 百鴎酒1バV HF
遊びき一がら︑何の危作奄
なく︑腹の下なる魚を捕
へ︑うまノぐxこう貨ひたま
ふ︒我等は終日飛び廻は
れどヽも︑一向背に指逢は
ず︑辿乾魚菓物カここ︑見付
ぐる事あり咤心︑皆万れ
今れ芯ある品にて︑番人
ぎびしければ︑盗むこと
*
‑J〜゛ヽ‑、。44・‑‑ヽ‥‥‥ ‥
;)s
こここ二つ?゛゛〜
?‑ヽヽ
蚕硝y愉澗西日て逞脚脚注J
べ こ J ご " べ '
。 ク Ξ Ξ Ξ 5 二 ご 之 二 … … 心 ぶ 戸 ジ y s 。 − ‑ 一 一
刄宅発
四谷こ
‑ φ /
T ‑‑・"t,3N. ̲... ̄.,...ミ・ミ Tでレ.`≒5_.・
こダトJ5ΞΞ£ぷごI
之焉ここ77゛¨'咆i!m……一.‑、ごΞホラ よ失ジハ叫昌プヽ⊇二≦ΞΞ
〃 ‑、../
もた£yず︑食常に足らざる故に︑空をかくれば
羽りかれ︑木にとまれば脚さへれもぃし︒果は︑御
身に雀わひ︑水に入り啖魚を捕へんとすれば︑
忽ち・に溺るMのみ︒あ鳶うおふこ予し︑鶴殿ごよ︑飽
き痛心れまへる鸞を︑少し此方﹁にも龍したま
!j l l ︱ −へ︑と︑云ひければ︑鶴は答へて︑烏殿さカニ恐︱ひ教
まひす︑水の中に啖は︑絶間右く脚を働かさて
は︑身を浮めがたレし︑叉魚とふヽも生あるもの゛゛.
I事なれば︑中々寛捺くは捕へ得べからずずれ
*
︼ 営熹ー XJy 循苛 回呻淘嘱Jy nr
* 八 十 四
徊辱心頷&目拡仰岫崖
のみか︑大海唐フしといふと屯︑蒜日魚に逢はず
して︑食逼ござ事もしは/︑lあり︑波風珍しき折
には︑数日の間︑岩穴に龍りイ︑︑ひだるう・暮らす
事もあり︑兎角此世は︑自瑚に登か痙る可の忙
はあらず︑と﹁語りければ︑烏は︑あI/きと鳴冶
啖︑飛び去りれりぎとす︒ 一⁝⁝
分を知り︑然る後に︑足ることを知か︒︵:録︶″
⁝⁝y﹂゛第二十三
他人の喜びを見ては︑aも之を喜び︑他人の哀
を聞きては︑己t之を
哀み︑人の渠は︑塙にも
聚み︑人の憂はqにも︑
憂ふる︒之を同情とい
ふ︒即ち人の上をれも
びやる心立にし・て︑博
愛の本忿り︒
中村暢晋は︑行に篤き
人右りき︒或時︑程近き
* 八
五
常遊1 .J″ 誦竃 詮μ力浅一隻 腿F§ 入十六 胴漸丿会石凸艮礁再圃陶
處に失火ありけるに︑暢晋が家は風下次りしI
かばヽ親戚門弟の人身咳驚きてはせつけしにヽ︒ 忽ち蕎師かはりて︑鮪弗ぞなりければ︑人々√も
は々焼くる憂なし︑とて喜び合へりしに︑暢晋 のみは︑摺く憂ひたる鴬ざなりLかば︑人々あ
々しみて︑其故を問ひしに︑暢晋は︑こちらこー︑
風向かはりて幸次︲れ︑あちらにては︑今まそ風 上にイ︑安心しぞヽありし次らんに︑如何ばかり
か・驚きあはりること岑6ん︑まことに憐れ次
り︑と︑答べければ︑人々も︑成ヒ入りて︑急ぎ風下
の防を助けたりきと安︒
鴎を愛する心を以七︑人を愛すれば︑仁を書
第二十四
學を修め︑業を習ふには︑教師を敬ひく︑侮る心
あるべから氷︒教師の除を受け長るときは︑其
言葉の緞ゐくを待ちく︑之肥答よべし︒物を習声
時︑及び︑不審を問ひ返す時忿どは従犯行儀奪
§ 八
常
jy 謐屋 帽砂
マ Fこ三二二
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刀痛一気即吟* 八十八 羽借心翁必腿拡抑m坦
改めて︑之を承はhソ︑何
事も親に事ふ←Qが如
く︑其命に従ふべし︒一
将軍徳川家宣公は︑常
ゐら ゐ 耽く fauci !oに新井白﹈石の講義を
聞かれたりしが︑平生
は︑臣僕の身佐りとも︑
邁を聞く時は︑師とし
事へざるべからず︑と
く︑聴講の堪にては︑深く敬纏をりぐし︑寒気は
げレしき時忿どにも︑決して︑火鉢さへ手近く寄
せ鮒れた﹂今こと︿右くく︑手足の冷ゆるを奄思
び︑秀代︑降﹂とょしぐ︑急用の生じたるこ£あり
も︑頒正坐しく︑講義の蓼るを待ちたりぎと零︒
我臣僕九る人に對しくだに斯くあらざるべ
からず︒況しぺ初︒より師とし仰ぐ人に於イ︑れ
々︒ 師は︑人の模範忿り︒︵楊︒竺摩
常㈲北Jy誦碩上一位一洵1一v︒μ艮* 九十 11ぶ1aRj恨7狐昂
第二十五 丿
人の天性には︑怜俐と︑
ち ≪Jん rtjTiiQ痴鈍との相違あれど
も︑怜俐右りとて油断
すべからず︒痴鈍なり
とて吻ら棄りべ知ら
ず︒れとひ︑痴鈍鳶︿りと
も︑一れび志を立イヽ犬
勉強怠るごと忿くば︑
何事にて奄局成就すゐ烏の鳶り︒ j\
昔︑京都に︑十九歳忿るII少年ありけ﹂り︒或日︑三
條の大橋を通りけるに︑折しも︑通りか4りし
馬子に呼び止められて︑この遂り耽を讃み聞
かせ綸へ︑−こ︑講はれしかば︑少年︑其書付を手に
取りしが︑た←其首を左右に傾くるのみにて︑
逡に︼字竃こ價み得ざりき︒少年深く駐ぢて︑こ
れより志を立淳専ら芦字を勉強せしかば︑果
は︑弘法大師の書法に遂して︑一時に忿ごりぶ人
曇 九
常嘉1 ぜ5 一躍 百賜力雌 一v nF* 九十二 尉似会澗︒一同−禰那田川
人鳶き書家と忿り︑廣く世に知られたり︒これ
夕︑籐本敦直とて︑慶長の凱の人忿昧ける︒゛
\立志の功︑服を︑知るを以て要と轟す︒︵言声轍︶
第二十六 <
今の昔に如かIず︑後の
今に如かざる事を知
りVかねてより噺な
かちんことを思ひ︑時
日をを七み︑一日まy矩
* 九十三
X
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に過ぐすべからず︒今日暮れて︑明日奄ありと
て儒む゛ぺからず︒今日の日の内を︑日々にをし
むべし︒ 十
昔︑息急ま除といへ&兪んあり︒部剛の日三三
の朋友と︑共に他家に集まりし時︑登蓮は︑ます
ほの右といへること如何に砂︑と︑一座の人々
に問ひた・るに︑其中のI老人答へて︑世に傅ふ
る所三拝あhy︑ますほ︑ま万こば︑ますうの区別よ
く辨へたる人おりとも聞かず︑只価津の渡鐙
笥ム部蔀 ずフ 鴇嘆 回吟刀嘱一気 旺弧
の僣映ょく之を知れ
り倣の噂ありゼ︑いふ
を聞きて︑登薄喜び言
はん方歌くぶヽがイ︑︑其
齢の主人に對ひ七︑霧
恋を貸したまへ︑今よ
り直に渡澄に行きて︑
芒︲の事を問はんと思
ふ︑と︑いふ︒人々れし止 曇 九
四
慰鴉蛮澗自艮﹈扮即Ⅲ畑
めで︑斯く烈しき雨の中を行かずと・気晴れて
後に行きたまへ︑と︑いへば︑登蓮眸否とよ︑人の
命は爾の曜降をぢ待りぢのか眸晴を待つ間
に︑我屍せずと奄︑彼屁せずと奄はかり難し︑と
芳勇ま七く衣をかIげ︑篠つく如き雨奇いと
はず︑急ぎて渡澄に行きれりきと零づ
鸚日ありと 思ふ心の あが摺
よるは嵐の 吹かぬものかは︵古 歌︶ 心 第二十七