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運命への目覚め : ニーチェの amor fati に就いて の雑攷の一つ

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

運命への目覚め : ニーチェの amor fati に就いて の雑攷の一つ

國松, 孝二

https://doi.org/10.15017/2332990

出版情報:文學研究. 36, pp.123-149, 1948-03-30. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

(2)

d

苦悶のためにこきざみにゆれ動いてゐるのだ︒いや︑その世界洋紅みあげてゐる一つ一つの械木︑一つ一つの棟木さ 〆

|●

超人や椛力常隼︑獅回蹄11蝋災の匪砒塗にいたづらに蝋祁たろ沈痂の交響曲をひびかせたニーチゞの悲劇的決意 のび −チ

のだ︒./

付てリルケはこんなことと蓉つたことがある︒古き教御に心遊ひか飾るのは︑ の仙界をになってゐるとれらの大きな礎柱も︑へ︑ニーチェが手傷の雄蘂に人知れずわななき︑はげしい抗争の喘ぎを息づき︑辿りくる死の鳴濫濃ノ阜︑どしイーゐろ

凸辛

心二一 國松孝二

き一一−チニゞはどのやうにし↑て迩命の意識へⅡ兇めたのであらうか︒・との棚ひに姓Ⅷへることも︑・けつきよくは︑一

ェが生身をひき裂いたふかい痛手を︑あらはにすることになるのだらう︒さうして︑この痂手にからくも堪へし

︑必死になつ・て立ちなほらうとするニーチェの︑いたましい戦ひの風餓を︑くりひろげることになるのだらち︒

45︑︑

運命へ︑の目覺め〃︑ ︑︑

①■8

1︲−−チェの曽昌○局胃一に就いての雑孜の一つ︲I

l「

1

伽愁にゑぐら伽たニー乏の傷口の唯今かくに根を下ろして捕手の

一ノカづよい︑妙なる昔樂のひびき

~

﹁一

(3)

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.︵1︶詞︺房①↓鈩匡侶少急匡蔚ゑざユ$︾国巳目︶あ.き〒lい○隙.︑・

きりざし一一1チェが泄紀の深淑を前にのぞみながら︑あやふく断崖のふちに踏みとどまって築きあげた思念の殿堂も︑その

一つ一つの石が︑ニーチェの身に負うた深手の血に染み︑懸命になって血路を斬りひらかうとつとめる一一1チェの叫

んだ悲歌のひびきを吸ひこんでゐるのである︒殿堆を閉ざしてゐる︑さむざむとした鋪七の孤澗のなかに耳をすませ

ば︑芯設な設しい傷痕︑かなでる荒舞しい国︒男騨のメロデーーが聞える︒一︐1チェの哩想はこの意味におい鷺?リル

ヶの詩惣のやうに一つ一つが沈杼的決な︵の鳥扁昌昌の冒誘gの箆巨己sであったと云ってよいだらう︒もつとも︑デ

ーンが﹃リルケと一〒lチェ﹄において指抽してゐるやうに︑リルヶにあってはそれが帥依︵段呂①冒冒涌口︶︑恭順

eの日具︶︑鮪從令goR胃昌︶のうちに行はれ︑ニーチェにあっては弧雌的な命令︵己の胃2首のョ︶の弓ちに行はれ

︵ I

たといふ杣達はあるかも知れぬ︒しかし︑ともあれそこには︑敢然と・して自己の杢人Ⅲ杼在が僻しみなく脇けられて

ゐるのだ︒どの思想も︑思想家が胆想のはるか汁後に無堺速のいて︑延命保身の轡みをのどかにつづけてゐるや弓な

軍なる曜此や理論とは︑いささかの血縁症も持つてゐない︒恩想は常に腓祁の裸身の非業へぢかにつながり︑思想の 一二四

が︑いLぶん内にこもってゐるせゐでせう︒いや︑そのひびきがとうの昔︑一つ一つの洞のなかに滴みこんでゐろせ

ゐにちがひありません︒あの側柱の滴にしても︑あの側天井の石にしても︑きっと不可哩識な想ひを秘めてゐるとと

でせう︒いくどとなく︑Ⅱ暇ごとにくりかへされる合咄と耳朶を椰つパイプオルガンのしらべ︑襲ひかかり辿りくる

歌の笠︑腿風のやうな大祭Hのどよめき︑いく心かたくなな心なき布でも︑つひには切なくなってくるのです﹂さう

︵ 1

してリルヶは︑古き教禽の内部を火配してゐる夕凪に似たしじまに耳を傾けたと謡ってゐる︒

I

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(4)

億ひはかならず己れの同国自国に食ひいった傷痕の悲痛なる想ひにむすびつく︒ヒルデブラントが︑フーーチ垂に

︵ 2

とってば課題と悲劇とが不可分離にむすびついてゐる﹂と云ったのも︑このやうな秘密を指してゐるのだらう︒曾て

ニーチェは︑一目の胃呂胃胃ご肘ぃgの︑鼠電.のなかで︑モラールの問題に開し︑思想家の態度淀︑﹁同己の問題と

弓H恩昌目に對庇し︑それらの問題のなかに自己の迩命︑自己の苛悩︑さらにまた自己の最上の幸耐を有する﹂態度

と︑﹁︑己のⅢ題と芦号曾恩昌呂に對髄する﹂態度︑﹃即ちただ好奇心に充ちた冷たい思想の燗角遼もって︑たくみ

︵ 3

に問題にふれ問題をつかむ﹂態度とを限別したことがあるが︑ニー乏自身の態度こそ︑一賀してこの胃厨︒昌呂な

・播身のかなしさに包まれてゐるのだ︒リルヶの簡潔な言葉を雑りれぱ︑ニーチニの悲劇的仙界は︑ヱーチェが時代と

對決し側己自身と對決しつつ︑疵だらけとなって︑糀魂をつくした皆ご鼻でありの樹gomF烹旨である︒迩命意識

の把捉府︑①街︒口の切原冨己のひた塁るな在践として︑迩存的決意として︑若きニーチ雲の全存在がためらひなく賭け

られたものであり飛至酢なる若き魂の骨髄に途する深手の血をすすって生ひ出た双葉である︒ふたたびくりかへせ

ぱ︑−−チェの迩命意識がどのやうにして芽吹いたかの問ひに答へることは︑若き一一トチェが己れの杢冴溌楯とし︑

歯をくひしばって受けとめた鋭利な錐の刺慨を擬脱することになるだらう︒

︵1︶司凰厨ロのご口︾罰崖息匡pQz尉冒四○画①.p旨宮口冒値ロロ・く︒房黒員Pい﹃・閃Q・・の.い

︵2︶〆︐国一画①ウ吋四口鼻雪乏四曲己①Hロロロz篇厨mgpの.晴︒︒

︵3︶z苛冨︑号①の弓の鳥の︵沢3国①別シロ招農の︶.虫.国g︾切閏・

ニーチェは︽︽胃89旨︒︾︾のなかで異様なことを云ってゐる︒﹁供は問題にならぬやうな問題のことをつひぞ考へ

︑一二五

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一〆

8

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(5)

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炎とはどんなものであるかをきめる確在浬規準も僕は持ちあはせてゐ芯い︒⁝動:⁝﹃洲﹄︑﹃蕊魂の不域﹄︑﹃救濟﹄︐

いな ﹃彼岸﹄︑これらはいづれもみ准供がいささかの注意をも︑いささかの昨側遂もつひやさながった概念である︒子供 たことがないl自分を浪搬し一たことがない

︵11﹂・﹃

愚謄賂さへさぅだ長l恐らく催はそ腱ど子供らしくなか晃堤らぅ?︲砺年の二︲乏にこの言莱を

︵2︶︵3︶

聞くのが異様だと云ふのではない︒晩に肌くから﹁川は全く無川である﹂と老へ︑一︐演祁群どもの合唱﹂の指揮秤で

り知らざるところだ︒自分がどの粍皮罪ふかいかなどといふことは︑全然通にとめたことがない︒M様に︑良心の川

あった一一−チェにとって︑韮将教が問題にならぬやうな問題であり︑韮将教の凹蓋をささへてゐる盤魂の不滅や救済

が︑腰寺の礎惨ほどの典味をもひかなかったと云っても︑さして催しむに足りないだらう︒ましてや︑わが身の罪陣

のふかさなどは川角七もみなかった﹄て不忠謎はないのである︒異様であると云ふのは︑﹁人があ為ととろのものに

●D

︑︽胃nの冒曽c・︾の辨粁は少年期から背年期にかけても︑挺輝いくつかの自傅を書き残してゐる︒一八五八年︑

ウムプルクの本山附脇ギュムナージウムの脇三級生であった十艸才の二丁チェは︑皿ひがけすそ↑の年の十″︑ あわけ﹂つ富ゞのョ鱒口昌己︾ぎぃぃ冒目曽︶淀︑みづから狂ほしい狩りをもつてゑがいて見せた﹈ヘヘ胃︒のぎ言︒雪.?にお

−■

て︑この言葉か語られてゐるといふ戦でああ︒

︵1︶君.

︵2︶望.

︵3︶君.

〆屍炭

2 、』 .』

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田口卓閃邑︒

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ふc戸い︒℃︒ /一一一一ハ.

︲たとへぱ︑ぼんたうの宗教的難問といふやうなものは僕のあづか

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﹃ノ亀町J一力L

11

(6)

.︒ヂ﹄︵11︶とぞ︑ただかしこのみぞ︑わがあらんとするは!﹂と詩にうたってあこがれてゐたシヱールプブ︐ルタの生徒となるこ

●︵勾至︶.Q︾

とを豫感し一てゐたかのやうに︑﹃n分の生涯の第二期の経りに立つとととを意識して︑八川十八日から九月一日に

かけて︑疲伽を知らず﹃わが生涯より﹄︵吟捗員ぃョの旨のgF9g﹄J汗神きつづった︒さうし夷︲かなり詳細に︑己弧1坪︵Qユ︶︲の一知性と心附とが次策に育成さ伽てきた跡とかへりみ︑併せて川の全能な﹄︵↓指導とながめ﹂た︒乙肌が一一−チェの

雌初の自傳である︒︑この自傳の紬びをなす﹃回顧﹄︵↑↑冒烏go諒瞳︶において︑−−チェは次のやうなことを云ってゐ

る︒話うして催はこれまで︑鰭しいことや悲しいこと︽Ⅲ向いこたや灘赤乙と︑随分いろいろなqとを經雛した︒Pbヂしかし︑常に祁さまは父親がひよわいわが子を導くやあに︐朧としっかと導いてくださった︒辛いことも肺さまはた

くさん僕に課しはしたけ帥ども︑をのすべてにおいて伐は︑幽耶註みごとに虐世される川さまの栄高な御力を識っ

一寺

て︑畏敬の念に充される︒僕は永久に身をささげて榊さまに姫仕へ1よう聖︑胸中かたく決心した︒主よ︑との意圃

を果すべき力と弧さとを供にお典へください︒そじて︑人小六行僻において僕をお守りください︒僕は子供ら荘く榊

さまのお悪みに信頼する︒刺さまは供たち全部のもの遼休挫咄て︑かなしい帆のふりかからぬやうにrてくださるこ

とだらう︒しかし︑聖なる御心のま篭になしたまへ!川さまが卯へてくださる一切と幸祁も不幸為︑貧しさも富

一〆●

も︑僕はよろこんで受けい肌よう︒さうして︑死さへも男收に朧乢叩よう︒死はやがて催たち全部のもの淀一緒にし

て︑永速の悦びと淨禰とへ導いてく飾るだらう︒主よ今汝が而輸を永述に僕たちの弧上にかがやかせたまへ!アー

︵48︶〆

〃 ン 1

.︵1︶国誘号の号司貫閂①Hlz篇曾の︒弓の当己①境旨ご胸①z篇冒︑nげ①.︑魁

一二七

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︵2︶z回の目印○ずの︑ヨ①島①︵国の︒嚴鈩匡渦号①︶︾民.国号m︐望.︒

︑F

.︵ミノ↑︶啓ヴロ︾の.﹄.

︵4︶﹄ずQ︑己の︒④凶一●

ここに示された藷きニーチェの粘川瓜欽は︑後年アンチクリスト・ニーチェが火と鐡槌と注もつてゑがき川したファ

ン︒ゴーグの眞批の風光とは似もつかぬものである︒老乙には︑わが子をいつくしみ誘ふ父としての洲に對する︑素

朴ですなほな︑いささかも疑心の蛸をもとどめぬ師依の存光が︑うららかに充ちあふれてゐる︒悪みぶかい正しい刺の

御手を信蚊するがゆえに︑祁辛にも帆にも︑死にさへも︑たじろぐことなくしづかに向って行かうとする︑無沈なる

壷心のひたすらなる微塵の微風が︑唯くしっとりと流れてゐる︒若きニーチェの︑祁へのこのひたむきな懸依挫恭虞

.Lとの姿勢をしも︑ニーチェのマスクと兄倣すべきであるか︒N胃脚昏巨⑳胃騨にニーチェのマスクを想っても︑十W才の

少年が人生︑鏡○なかに﹁己れの姿逓認誠すること﹂を節一の目的として︑﹁詩化と丈學的潤色とを抜きにして︑徹

︵1︶弧徹尾眞疫に即して研つた﹂と云ふ﹃わが生涯より﹄の文章に︑たのやうな心理分析の消息子を刺しいれる必要はあ

︵2︶

ろまい・アンドレのいはゆる二−チェ・の﹃腫理○エロイスム﹄︵﹄ず野︒瞬い日のロの旨・く身鼠︶は︑未だマスクをもって

よるはなけれぱならないほど︑現駈との戦ひの熾烈さに直面してはゐない︒また︑それほど戦術の奥談に聯︑塒はやく

も通じてゐた符もない︒妙くとも︑少年ニーチェが書き残した詩歌や文末のなかには︑十川才のニーチェのあの怖紳

態庇が恥なるマスクや擬態でわり︑ポーズや脈勢℃あったと推測させるやうな手がかりを求めることはできないやぅ

■g●

だ︒一ろちがひの兄ニーチェの執兼した一切のものと玩堅ハ才のころから蒐集しはじめてゐた﹂妹エリーザベット

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一二八

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(8)

h の﹃変物肱﹂︵い︑盲目百日目閂︶は︑・ニーチェがとき荘り錨み出しては焼却したものが相當あったといふことである

︵之ゾ︶︑

が︑それでもなほ︑欧雑旦芋年の文化の潮流が逆巻いて飛沫をあげたニーチヱの糒祁史の上代に︑ほの白い光症投げこむに足る炎亜なる蛮布を︑かなりゆたかに包澱してゐる︒さうして︑それらのものはみな︑﹃わが生涯より﹄のエピローグがあざやかに映し出した若きニーチェの︑榊に脈命する微塵なる面影牡裏切るものではない︒&

たとへぱ︑かういふ詩がある︒

︵ 1

︵2︶

︵3︶

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づ篇日出︾○冒身巨騨当日四m胃的①ぃ自己⑦粍庁丘①口︶ 句ごHg儲のロ門口甑の旨.儲片面○隅︑声臼禺ぐg﹈︒H○ずのP シ自陣・ず○画⑦境司耗図己のご甘口群n画ロ①巨什︾①国ぐ脚○ヶ弄望

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二川二Hといふのはニーチ垂の腓闘︒風ぃ雷の誕生のHである︒夙く父にわかれた若きニーチェは︑ゞ毎年社の誕生

日には︑自作の小さな詩難を愛する緋に鮒呈し︑併せて緋の誕生日をことほぐ一筋の詩逓献するといふ可憐な美しい

︵ 2

押横と持ってゐたuこのことはニーチェみづから﹃形が生洲より﹂のなかにおいても語ってゐろが︑一︲お腓さん︑あ

なたは欲しいと仰しやった︑僕の︒つくった小さな詩の全部を︒さあ︑これです︒・まづ斗詩ですが︑僕がまだ子供で︑

詩の初心群だといふごと駐忘れず︑まづ雌・初の詩からお誠みください︒それはたった今供が読んでお間かせしたもの ごロ口尹︑のロロロロロ胃冨蔚い舌胃号ロ弓P晩くcpzg︾ロの昌号黒︼

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です︒誕生日のお脱ひにさしあげたのです﹂︑といふ︑十二才のときのほぼゑ議しい詩が卒直に博へてゐ造︒.後年の

︵︽NP曾冒い胃騨電・や︑︑目︒匂い︒い︲ロ岸ごHヨヴgこの詩人の少年期にふさはしい︑なにか商蛍なこのかぐはしい仕来りに從

って︑十四才のときにもニーチェは冊の誕生日に︑ささやかな一聯の自作の詩集と心をこめた一つの費誇のⅢとと膝

下に呈した︒この帆慶の詩が↓耐屋日鷲①口呵①胃巨胃儲認豐︲である︒︒幼きニーチニは湫びに胸を淀どらせて目をさま

し︑感謝の眼差しを天に向けて︑今日のよき日逓贈ってくださった榊とたたへる︒それから︑なほこれからも長い年

月のあひだ︑わが雌のすこやかにあらんことを主に乞ひ︑.幸多き生涯を緋のために願ふ︒さらに︑來年また誕生日が

めぐり來たときには︑過ぐろ一年が母にと呵一て愛ひにかげ﹄︒ことなく︑職びをもって恕ひかへされるやうに︑常にわ

が母をお守りくださらんことを切に祇ろ︒︑岐後に︑この楽しいお脱ひのⅡの自分の願ひ駐川さまはきっと雛いてくだ

さるだらう︑自分もいよいよ力のかぎり緋を愛し敬ふやうに努めようと︑自分の兜悟を語る︒ここに母への淌純なる

愛附の水底に影逓群してゐ込一−1.チェの.映像は︑悪みぶかい全能なる洲へのつつましい感謝と信頼との剛光によって

やはらかく包まれてなり︑﹃わが生派より﹄がそのフィナーレにおいて鮮明に淀ぴあがらせた薪きニーチ灌の糖紳風

最に︑微塵の狂ひも歪みもなく鴬てはまるものである︒

赤ロh︵1︶弓.国.︾﹈・恩・︾切さぃ︵1︶

字 昌

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前年︑一八五七年の誕生︑の献詞も︑これに同じ映像淀亜娘てゐろだけである︒ ︵ワ﹄︶︵︽︒︶ ︼ごロ︾.の︒︼ずg︺・の︒ 函﹃︒

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(12)

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この詩は少年二︲1チェが十許︑詩艸の勝となって以来︑幼き附熱と側趾めゆく天稟との衝撃にかられて︑恩もあら

あらしく雄ぱやに歩みつづけた若きニーチェの詩作の進の叩ほどに︑その位世を占めてゐる︒︽︽N匡目・障2吋︒胃匡肖

︵2︶儲閉冒が﹁鋪一期と箪薊と筵むすぴあはせた︑云ひかへれば属の呂呂閻云と辱騨律とを統一し﹂︑ぎごちない醇

朴さと力ある表現のはなやかさとを融合した節三期の同孤に立つ記念すべき里程標であるのに對して︑一塊腿なる言

︵ 3

葉をもって語らうと試みた﹂節一画に脇する︒土一矛のニー乏は.傭ぶかい緋逓持つ子のみが見出す年凌の喜び

を︑今Hもまた典へてくださった父なる川逓たたへ︑蛎物と脱僻とにうづもれて誕生日逓帆ふ母の姿に︑己が胸を嬉

しさにふくらませる︒さうして︑それにつけても︑ここだくの悪みと祁昔と注わが緋のために願ふ想ひは︑芥の日の

雲雀のやうに高く高く川のみもとに雛ひあがり︑わが緋がすこやかに又新しい年に足を婚み入れたことを感謝する︒

それから雌後に︑一月二日の聖燭節のやうに明るい生涯が雌にめぐまれんこととどふ切なる剛ひを刺に訴へてゐろ︒

意氣どんだ措餅の氾濫のさなかにも︑巾恥わ帥はここに一年牛後の自体における一一−チェのうやうやしい鯆循の姿

を読みとることに⑮困難症感じはしないだらう︒

︵1︶ニミ.国.↓﹄.国旦↓印い咲肖.・↓

︵の鼻︶ゴワg︼の︒函﹃.

.︵句ン︶一ずg︾の.目印11−9︑ク

|だが︑乙伽ら誕生日の慶帆の詩がきざみあげてゐる若きニーチェの敬塵なる立恢も︑茄疑の罐をもってこれをゑぐ

り裂くことを許さぬものでないかも知れぬ︒ニーチェの緋国鯉口風ぃ言は牧師の娘であり︑牧師と父としてみづからも 国.↓﹄.国旦↓mい咲肖

の︒函剴

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(13)

一三門︑・

亦牧師であったルードウ細ゾヒ・二・1チ墨の妻でり︑信仰心のいい韮杵教徒であった︒新約の文献學的分析や韮将教ゞ山

︑U

批判的研究に波弧してゐたボン大學の恥生ニー乏が︑雄初の復活祭の休暇に蹄符中︑家のひとびとと一緒に聖餐を

受けにゆくこと牡拒んだとき︑涙を流してわが子逓たしなめ︑か子とあらがったのもこの緋であった︒ボン大騏に

入皐したとき︑二壌期目には既に諏騏部だけの畢生となったのにも拘らず︑ニーチェはこの母への気がねから︑最初

一︵11︶グの一學期間は祁嘩部と祈學部との雨方に耕逓おいてゐた︒エリーザベットはさう云ってゐる︒これらの事麓筵足がか

りとすれば︑あどけない然し一途な偏仰の芳香を打川にただ翼はせてぬる加茂の詩に︑疑心の征矢を射込むこともあ

ながち盃川能ではないかのごとく兄える︒|母の誕生日なればこそ︑意識的に︑でないまでも仙萱識的に︑信心ぶかい

母の噂と迎へるため︑つよい宗歌的姿勢がとら恥たのであるといふ解繩が︑・無理筵すれば成り立ちさうにも老へられ

る︒しかし︑かうした邪推の弓をひく前に︑﹁僕たちは嘘逓つかない一・そんなことは僕たちz冒異︾︑伯僻家のもの

︵ 2

に似つかはし.くないからだ︒・他の人はいくらでも嘘をつくがいい︒僕たち二人には誠湾こそふさはしい応だ﹂といふ

誇りある信念を︑幼き胸にかたく抱いてゐたニー乏であったことが︑惣ひ川され姫ばならまい︒エリーザベヅトの

言をそのまま恥純に受けとって︑ニーチェ・が洲學部に鱗をおいたことを↑︽冨貝目閏関ご旨︒HN晨呂の︾ゞとのみ恩ひこ

むことも︑反椅されねばなるまい︒それに︑ニーチェが懐雄と批判との刺を知ら噂早存の萌えのやうに浦潔な幼き

信粁の自識像を礎したのはや母の誕生日のための献詩だけではないのである︒

︵1︶同一肘画す①厚﹈蜀

︵の︶回す具︾の.︑や℃

○肝扇魂山︽蔚冨の昌扇当oP.o詩一の.玉興・﹄︑今

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(14)

これは少年ニーチェの詩作が節三期にはひつた年︑一八五八年の五村川Ⅱ︽・ザーレ洲かきよく流れ術補山がまぢか

に見えるナウムプルク郊外の春の自然に椰た伽七︑ニーチ輻の幼き心の弦が鴫り出したひびきと仲へてゐろ︒毛の鮎︑ ︑○①宮帥回い岡愚尉︾庁目扁・弄臼旨.2︾

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(15)

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勘くとも︑賀禰の識にかけら郡たやうな疑怒の眼差し症避けることはできるだらう︒野に川でて自然のこの美しさに

接するがよい︒自然といふうるはしい出物を談むものは幸ひだ︒主のゐますところ︑乙の自然には︑悩みも嘆きも消

え失せてしまふ︒主のほまれのために肌へ︒わが祁りよ天にのぽ耶︒洩象はその商らかなる合唱を主の聖堂のうちに

ひびかぜるのだ︒ここにおいては︑ニー毒は純眞なる亜心をもって自然のなかに︑造物主たる川の慈悲の息吹き症

感じてゐる︒自然の一政一木と融けあって︑父なる川への感謝の斬りを唄ひあげてゐる︒かうして︑すなほな少年の

虚心の感兇をもって︑自然のうちに川の慈悲と力とを槻る箔きニーチヱの塑像は︑なほいくつかの詩のなかにそのシ

ルェヅト逓淡く投じてゐる︒たとへば︑やはり一八五八年の作である︑﹁五月は來りぬ︑春は目麩めね﹂︵ロ閂冨且

一壱

三呉胃習目8︶胃痢儒日騨閂一くいoご︶ではじまるもう一つの五月の詩のなかで︑ニーチェは︑長いあひだ待ちかね

工ゐた五月がきて︑野にはいっせいに花が咲き︑森には小烏が啼き︑空には雲雀がさへづりはじめた︑さあ外に川て

︑一抑の美しい自慾So篇いい︒g固のz旦胃︶淀ながめようと吸った後で︑かう結んでゐる︒

二国①屋異QいいP巨偶○.鳶いの彦︒︒

−どの旬ロ騨芯Qいい陣目﹄︑n宮口①①巳︼Q

二言日①○愚︑の同名目のmg

三曼篇Q儲国卿︑彦の律詩いの目

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岸昌巨のHロ①戸の一くQpp① 曾巨騨○彦計6国厨的の旦脚の迂庁や

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一言一︽︿

(16)

さらに︑Ⅲじ年の非この詩よりも少し前に書かれた次の断片の詩は︑燕ほいっそう直赦に手荒くあらはに︑ザwク

センの邪の山野からニーチェの川じ宗教的シルラトを裁りとってゐる︒ ︵1︶ご戸国.︒﹄.国g望いふいや︵ワ吟︶寓す□・むめ骨令稗︑◇ 己関屋ョ旨壺廿昌瞬き庁ppm⑦Hロく具①﹃旦興二局ロ﹃Pごうゴ間①庁鈩﹄ず口︺・屋国αい崔︺騨巨巳︺N①庁甑ご日・屋国口笛旨 診巨の口言日嗣呉扁目一目胃噌﹈︶四ゴヨゴ胃いゐ詐匡且い惇○ず①ロ

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一三冊一▲完○J

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(17)

自然は刺の書物であって︑風のそよぎのなかにも肺は己れを牒示する︒花の嘆きうつるひゆくうちに岬は多くのこ

とを教へ︑電光によって罪人逓おびやかし︑概鴫は帥のほまれといや高める!第二節の卵一吋と雄三句とにおいて

はたたがふ・

は︑雷逃の閃光と怒號とのなかにニーチェは罪人に向って忠告と投げかける脚の威力淀ながめて︑柵への素朴な長

︽敬の念ともって幼い胸を一粁にしてゐる︒かうした心の傾斜は︑︽︽同旨?昌胃埼言︾︵局認︶といふ詩にも︑迩辿した雰

園氣のなかに定落してゐる︒蕊雨の荒れ狂ふなかのすさまじい落宙の布様︑宙火に焼かれて家から家へとも︑えひろが

る火災の光景症ゑがき︑妓後に一〒︲チェは↑︽○国旨ョ巴ゞ彦農①旨︶ごpいい︑胃︒︒冒呂目い巴員同号肖gの昌胃冨司gの昌一︾

︵2︶と叫んでゐろ︒

︵1︶

︵2︶ 胃ロ園固曾の①巨弾旨ヨ四︺のHCいいロCppの貝昌庁目儲日d9く︒鳴厨田口叩・・⁝︵こ

の 門

号旦の.きⅧ1台︒︑なほ︸−1秀ェは﹃がが生涯より﹄のなかにおいても︑自分は子候のころから孤濁をもとめ︑

雛に必妨げ︑れずに一人でゐ︑いれると餐一︑﹃自由な自然の寺院﹄食①H陣四①弓①昌冨−8Hz昌日︶のなかにゐると

きが一恭心地よかったと述熔へた後でかう云ってゐる︒﹁いつも僕には宙雨がもっとも美しい印象差與へた︒遠く

までとどろきわたる雷鴫とぎらぎ︑り閃光淀放つ稻妻とは︑脚に封する僕の畏敬の念をいよいよ昂めた﹂︵君.国.

一.国g幸の︶↑

ニ三国.︺﹄.国目︾やい﹄

1

Q①目︑唇冒Q①門︑︑盲員の︑汚の庁

儲日①ロ詞匡豈日.く閂冒巴貝曾

一三八

(18)

悔いあらためることのない怒しき罪人︵:詫曾冒烏風z鱒︑胃︶の魂は︑死後あの仙において悪しき報いを享ける︒

祁に蹄依する蕃き人︵骨ぃ冒昌目:園回ら§の魂は︑死後天國にのぼって幸び逓享ける︒かうした發想の根底に

は︑あきらかに︑蝿魂の不滅駐信じて舵はい純反な韮棉教的心怖が湛へられてゐるのであって︑.との地下水がほとぱ

一三九

.しかし若きニーチェは︑かうした自然を唄った識や緋の誕生日を帆つた詩にだけ︑川の前に信愛と畏敬の念と淀も

ってぬかづく謙虚な通子像を彫りつけて残したのではない︒十三才のニーチ雲には次のやうな詩がある︒

いぢ堂︼︼ゴぐ①尉頭○岸ロロ碗︑囚いす

bOo彦国屋.包囲国昼目昌巴い累冒Q・

目昌#︑局昌濤・司尉①匡口goいず唇︑丙

ゴ︒ご口9画号異旨薗巨口の目届の麓胴の昌

己荷いの巴①Qp冒画N胃国家︲︵﹈︶

﹈いい⑮ご︺︑斤園匡旨﹈︺の○ゴロQ①碗

弓﹇臂回口彦①薄く○崖①︒︾﹃﹄旬冒のロ の粋の牙目算色目Q⑦印F①丘のごい勺恥OHQの﹃口︑⑮ご︺︑斤園戸冒冒︺の︒ゴロQ①汽彫︽釦︑写蒔 ︹﹈pい︽の皇︺罫︑琶一︽の肖試

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(19)

分がどの程度罪ふかいかなどといふととは︑全然意にとめたことがない﹂し︑良心の呵黄などは關知しないところだ やさなかった概念であり︑子供の醜においてさへさうだった﹂のであるのに︑皮肉にも︑エリーザベットの﹃寅物脈﹄の

刺 し

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救川

片隅からは︑その雛魂の不滅を詩迦にした幼き一一−チ雲○詩が發見されてゐるのである︒そればかりでは鼓い︒﹁自

けでは と云ひきってゐるにも拘らず︑

一 、

一川○

た︑おまで行かないにし℃も︑詩の釣瓶をもって汲みあげられたのであると見てよいだらう︒・喋魂の不滅も︑・

満や彼岸と同じやうに︑︽局︑Gの胃ョ︒ご@−1チェにとっては﹃いささかの注意をも︑いささかの昨洲をもつひ

ない︒

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雪国ロ月彦ご甘口一己のQのHい︻篤い①冨四g算画

己四曽坑ご︺崖片彦旦片壷ぢず①貝

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(20)

啼い夜は火つ︶し僕はⅡ蝿めた︒去りゆく夜のやうに︑洲ょ︑罪の力をして去らしめたまへ︒天上より天使をくだし

て︑供がよこしまな逆へそれゐどきには︑唯しき道にもどれるやうにお守りください︒さう願ふとの詩は︑かならず

しも︑許き一一−チェのしなやかないたいけ江胸にささった罪の刺のうづきだけ遊︑護想するものではないかも知れぬ︒

しかし︑さうかといつヱノウグステーーンのやうに︾一明瞭な一・罪の意赦から發したも︑ではなく︑習得した老へや

︵ 3

慨れそんだ剋念をあらはしてゐる﹂と︑無造作に云ひ放つこともできないのではないか︒なるほど︑臘吟の一一−チ垂

はたしかに罪の意識駐知識として知ってゐた︒一八五七年の韮将降誕祭に十三才のニーチェが雌に鮒つたゞ︽固のごm

弓の旨ご鯉︑言い彊胃曽吋﹃三の旨⑦胃一︺の冨屋耳のHごといふ文章の前半は︑これ筵聖書きしてゐると云へるだらう︒罪といふ

とりこ夜間は︑それが仙の中に川現して以来愈速に勢力をまし︑これの鵬となって身逓ほろぼす人の數は次縮にふえてくる

Gロfのに︑他方帥をあがめて罪の夜間とさける人の数はだんだん減少してきた︒これと愛へた刺は︑人の心から罪の夜側

を駆逐しようとして︑加の光に充ちた使村と地上につかはした︒しかし︑これらの識言群たちはいづれも瑚笑され辿

拝され殺致されてしまひ︑人川はいよいよ破滅の深淵に剛って邪悪の逝逓まつしぐらに進むだけだった︒そこで雌後

に︑偉大なる太陽が姿逓あらはし︑貧しいものにも術めるものにも︑循荷にも淡艸群にも︑一様に光を投げかけた︒

この太陽がイェズ・キリストであり︑この日の出のときをクリスマスと名づける︒さう︸一・1チェは飛将降誕祭の意義.

︵ 4

を誠明してゐろ︒ここには罪についての課緑した知織か締ってゐろ︒しかし︑知識だけで縦が動いてゐるとは︑この く

字白肖︑︸︼騨匡mQの﹈︺Hon豈骨①︒端屋︸胄尉の一︵い︶

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(21)

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・宙︑ 巳一

文章についてさへ述断しえ芯いだらう︒ニー乏は己が魂のやは肌にふかく受けた瓶手を︑をして痛手から恩衆する

︑紺崇であったやうに︑詩人としても︑自分の全存在を略してさうした手慨巽をしてさうした手傷から詩作する詩︾

4人であったoをれ嶋エリーザベヅ・トは幼いニーチェについてかういふ逸話筵つたへてゐる︒あるときの傳道にふか

﹃■

い感銘墜父けた一一1ヶ塁兄妹はめ異教徒にクリスマスの斯物をしようと志して︑その仙話役としてゐた近所のヘルン

フート派の尼さんのところへ.︑−1チェば一冊の納本と一紺の玩典の兵隊︑エリーザベグトは一一つの人形と自分で繩

︑己んだ一処の靴下上を持って行った︒︑照物の包みを︑わたしてしまってから︑さすがにエリーザベヅfは名残り惜しさに

もう一度人形註見せてもらって接吻した︒これを兄て尼さんは︑ニーチュ兄妹が一番大事な玩典逓持参したのだらぅ.

と︑ぴこみ︑あなた方は自分の一希大切な一稀大好きなものをかうして向分から犠牲にした︑紳さまは御猟延でせ

う︑刺さ・まはむづかしい犠牲一忽一恭およろこびになるのです︑中途半端なことはおきらひですと云って︑二人を覚め

乏やした︒一稀大班な玩典は家にしまってわったので︑二人はすっかり恥かしぐなってしまった︒部歴淀川るルー︑咄

い階段のところでニーチェは悲しさうに︑ヨリーズベヅト︑僕は騎兵症や肌ばよかった鰺至と毒つた︒たれは〒1チ筆

の一稀好きな一稀きれいな鉛の兵隊だった︒ヲリッッ︑ぼんたうに祁さ寵はわたしたちの一恭いい沈典を出怯段仰

しやるのかしら︒﹂と︑妹が一澪ひかへすと︑ニーチゞは蕊を4もらせて・かぅ蛙剛へた︒﹁そ鋤愛やっぱり︑リースベγ

よ兄妹二人は自分たちの犯した罪に莚ののいて︑手をとりあひかたく抱きあって通りに出た︒とのやうなニーチェ

であった︒そのやはらかな鈍敏繊細な心の皮府は︑ただかりそめの事件にふれても︑どのやうにふかく罪の刺に漢つり︑︑.ミいたか測りがたい︒さうして︑その灰のゆゑに︑どのやうにはげしく痛みに苦しみ︑どのやうに切なく刺に救ひと

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(22)

ニーチェがこのやうにして自傳や詩や獣簡のなかにゑがき体へた自拙像のデッサンは︑さらに妹エリ・−ザベヅトに

よって淡い水繪の彩色がほどこされてゐる︒父ルードウィッヒと弟ヨーゼフとが逝去した年の翌年︑一八五○年︑春︑︑七︸−1毛は肌緋と二人の仙雌︑緋と妹とともに︑なつかしいレヅケン莚去ってナウムブルクに卿住した︒新Lい町の

新しい化居のなかに︑かなしみに閉ざされた一一−チ雲家の生活がまだ藩ちつきを見出さぬうちに︑當昨六才にもなら

なかったニーチェは︑町の小駆校に迩學することになった︒八九才のころ・義ではいろいろな身分の子供たちを一緒に■ク

教汀した方がよい︑さうした方が︑身分のよい家の子供たちは︑身分の低い人たちの物の寿へ方をよく理解できるや

うになる︑さういふⅧ緋の意地にみなが從つ九のだった︒喝かし︑﹁既に小さいときにあまり多くの悲しい目や辛い

一︵91︶目に遭ったために︑糾通の干供とちがってさう元筑派溌ではなかった﹂ニーチェ︑上舳で行砿がよく生眞面目で考へ

/独とみがちな一一1チェは︑いくらか飢鵠で肌野なところのある雛校の飛風に親しめず︑他の生徒たちにもなじむことが

一剛三

■一ウー いかったかも知りがたい︒︽↑ン冒冨CR2望﹀一つの迭花であるとは云ひきれまい︒

︵1︶

︵2︶︵3︶

︵5︶ ︵4︶

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シ口西宮豊PZ篇冨胃﹈吊唾H堅狩ざ印①国昌弓旨室目属望切函

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句胃駕①甲z房厨の昌扇︾oロo旨﹈めい団四科 ﹄.国鼻︺・妙い︑℃

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の詩が︑教へとま如稗ひ兇えた韮将教的概念の花瓶にさされた根もない

〃〃

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(23)

できなかった︒他の生徒たちの方でもニーチェ症敬述して近づかず︑ときなりからかふぐらゐがせいぜいであった

が︑↓てれも敬泄と好怠のこもったもので︑輕選山莱持はすこしも含んでゐなかった︑生徒たちはいつもニーチェ駐

﹃小牧抑﹄︵匡①冒関胃い︷︒﹃︶と呼ん動でゐた︒さうして︑ゞ伺分の家の人たちに︑﹁ニーチェ潜はⅧいてゐるものが泣

き出し・たくなるほど上手に︑聖普の丈州や讃美歌をぞらで云ったり唄ったりすることができるよ﹂と話してき︑かせ

た︒かういふこと莚述●へた後﹃﹂エリーザベットは︑﹁たしかにニーチェの識し募りには︑幼年期全催を通じて︑牧師

oひ︵︑〃﹄︶ひ

めいたところが脱けなかった﹂と云ってゐる︒

︵し︶言.国一宇国号ゆぃQ字

︵2︶圃房ロウの警句目の9吋︲z席厨印o画の.◎で.︒︺行割の.い︑

この小単校でニーチェは︑︽七の後幼年期少年期から肯年期にかけて彼の生禍にふかい﹄父沙を持つこととなった

茸巨の冒国︒:周との言い国営﹈自侭の二人と知合った︒在校一年ばかりにして小躍校淀去り︑尋go割といふ人の

塾にはひるときもと四一人と一緒だった●・ウェーベルの塾に三年ほどかよってから︑一八五四年ナゥムプルクの本山

附脇ギュムナージウムに︑鮒五級生として入恥するときも亦二人と一緒だった︒さうして︑︽〆庇か︑ら四年のあひだ︑

一八.五ハ年十川ニーチェがシュールプフルタに博校するまで︑何じ胤舎に同級生として机をならべて勉弧した︒プ

フルタ陣校後も︑−1チェはこの一Xと北︿Mして︑文學や率剛樂を研究する↑︽○日ョ自画.︑といふ御をつくって祝交をつ

づけ贈二人のうち︑ウ︲ルヘルム・ビンデルはナウムブルクの控訴院願州の息呼で毎文単蕊術にひろい知識と砿し

い鑑蛍眼と形そなへてゐた父からの世体と悠化とによったのだらう︑非常な文馳好きだった︒熟畔代もギュムナージ

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1

(24)

︵1︶弓.国・︼﹄・園g︺ゅ軍l扇.

︵の垂︶めい旦舎︾の︒﹄令.︑心︒

︵3︶両房囚丘①号両日閂①H︲z話冨moゴ①︾︒p○戸︾のざ.・

少年ニーチェはピンデル以外の級友たちにも一極特有の印象と影郷とを與へた︒乙伽については︑ニーチェが本山

附脇ギュムナージウムの五級生か川級生だった禰昨一級生であった人︑あまり宗教心のない懐雄家だった毛の人が.

一門五・

︵ 3

術をしてゐた〃一 ウム時代も︑﹁僕たちは詩人や作家︑液んだ作品について︑文恥方面の新刊書について︑相万に意見と交換しあひ︑

一緒に計拙をたて︑たがひに詩をつくり合った︒さうして胸の底まで吐螺しつくさないではやまなかった﹂と︑ニー

︵ 1

乏は﹃わが生涯より﹄のなかで話ってゐる︒病身であったピンデルは柔和で謙遜で︑︑控へⅡでおとなしい少年だっ

た︒その軸でもニーチェは自分に身近なものを感じてゐたらしい︒しかし叉ピンデルは﹁常に愼蓮に決心をし︑しかり︵勺竺︶︒る後一旦贈み州した通をしづかに歩みつづけ︑目的を達するまではやめなかった﹂とのピンデルが十岡歳のとき︑や

グc

はり︸−−チェと同じやうに自分の自傅を排き残してゐる︒さうして︑そのなかで若き日の親友ニーチ雲の面鑿しを次

のやうに拙いてゐると︑エリーザベヅトは体へてゐる︒亘・1チェの性格の韮本的特徴は一種のメランコリーで︑そ

P句肌がニーチェの態度全悩のなかにあらは伽てゐた︒︑ミーチェはごく小さいときから孤棡を愛し︑ひとり円分の想ひに

ふける厩だった︒とかく人との交際を避け︑梁高な自然美にめぐま凧た地域をもとめ歩いた︒−1チェは礎に敬度な

鯆凌な心怖の持主だった︒・・・⁝既に幼いころから︑將来は牧師の職につかうと志してゐて︑その地位に向って心の準

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(25)

司法官汰袖時代にエリーザくりトに語った斫が︑よくその叶僻を惇へてゐろ︒その人は一級生として自修時側に下級

生彩職僻する役川と持ってゐたので︑下級生と按燗する機称が多かった︒−1乏の大きな瞑想的な眼にはいちはや

く椛愈とひが細てゐたが︑學友たちが一一1チェの前では粗器な言葉を吐いたり無作法なことを云ったりするのを速胆

してゐろ症知司︾て︑−−チェの感化力に驚嘆してしまった︒あるときのこと︑下級生の一人が﹁駄Hだ︑そんなこと

4.ニーチ星の前では云へやしない!﹂と怒叫るので︑﹁どうしてだい?﹂とたづねろと︑フーーチェにじっと見つめら

れると.青葉が咽につかへちまふ﹂といふ答へだつた︒話の雌後に刑法宵試杣は︑﹃その少年にはいつも一一1重は︑

寺院のなかの十二才のイエスのやうに兄えたんですよ﹂と︐エリーザベットに向って云つだと媚起︒一

ギュムナージウム畔代のニーチェは︑いつもクラスのなかの雌優秀生で︑模範的な生徒だった︒一八五七年の芥︑

脱曜禰が来て試問したときも︑ニーチ垂の雁答ぶりがみごとであったので︑いくどもニーチェの名前駐たづね︑つひ

にその詔と書きとどめて行った︒女聡枝の方に来た税學官も︑エリーザベット|の答へに感心してその名前逓訊きただ

した︒仲フランチスカは子供たちからこの話逓聞いて弊を高くしたが︑ニーチェはじっと老へこんでゐた︒さうして︑

︒冴妹と二人きりになると︑﹁僕たち二人がこんなに學校がよくできて︑ほかの子供たちの知らないことをたくさん知っ

てゐるの鍵だと恩はないかい﹂.と︑エリーザペイにたづねた︒それから一一−チ雲は雛を低くしてかう云ったq﹁僕は

いつもかう恩ふんだよ︒天にいらっしゃるお父さんのおかげぢやないか︑お父さんが僕たちにいい老へを授けてくだ

さるんぢやないか︽ぜ−↓

一八五八年の復活祭に一一Iチ鞭はギュムナージウムの三級生になった︒さうしてその年の奥休に︑ゞ自傳﹃わが生涯

︲lllllllllllllllllIlbIIIllLllllllblllllllIトー11トー11トーlllDIlIIIIIIIIIIIIIllIlIIIIII卜pIlhl 一四鱗

(26)

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より﹄を普きつづった︒書き注へてから蛾日すると︑シュールプフ訓ルタの校長から︑ニーチェ逓給我生として學院に

●一Jロも

入畢逓許可するといふ普翰が母宛てにとどいた︒母はしばらく迷ったが.たうとうわが子遼手放す決心葛がためた︒

十月からいよいよニーチェの生涯のプフォルタ時代がはじまるこ・とになった︒エリーザベッ・トは兄ニーチェの傳記の

ナウムプルク時代を閉するにあたって︑妓後に営時の一一1チェ○風貌性格莚簡単に書きとどめてゐる︒﹁兄は普通の

意味での可愛い少年ではながったけれども︑老へ夢かげな脹韮し︑思応と純潔と無娠とを堪へた表浦によって人をひ

きつけた︒兄はふかい信仰心逓有し︑含凰制の蒔冒︶一種の眞華と弧度の控へ目とは︑自分の本性に疎通であり.ふさ

︵3︶はしくない一切のものから兄を遮蔽した﹂

︵1︶国の号①号團璽閏︲葛⑦厨の島①︸g︾2・︾切当I翁.一ゞ

︵ワ︽︶.再びR︾の︒いい〃毎

︵旬ジ︶︺ず具︺の︒ヨョ︑

若き一一1チェの自披像のデフサンを染めたエリーザベワトのこれらの水総の刷毛の跡に︑固い一︺の呂冒冒関とし

てではなく局扁昌の昏冒§ぃ︒胃としての彼女のかなしい想ひがひそんでゐることを麺孫定しようとは思はない︒た

しかにそとには︑後年のアンチクリスト・︸−−チェのとげとげしいどぎつい相貌猛︑せめて少年期のニーチェのつつ

しみ藤かい敬榊の章子像症はっきりと際立た・せるこ控によって︑幾分なりともやはらげようとする衝妹のやさしい願

ひが秘めら伽てゐるだらう︒あの傷ましいトリノのカタストローフ雲を招きよせたニーチェの狂疾についてのエリーザ

・ヘットの記述の芯かには︑同じやうな悲しいやさしい︑然しはかない必死の努力が︑かなり僻什に見ら如ろ︒しかし︑

コチ一関七. F1

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(27)

熱の寧軽兄はわが身に例きかけた一切の粘紳的道徳的影郷逓岻収するとともに︑自己の周州の嬬仰心逓も撒取したの

9−

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柵のせせらぎのやうに鴫りひびかせた迩蹄価念のモチーフは︑どのやうなヴサリアチオーンの秘術によって︑砿野の がってくるニーチゞの堆子敬紳の納姿が︑若き一一−チg叫従.なる姿であるとすれば︑モの繪姿はどのやうな秘表によ 一凹八

︑L

そめ塒合とちがって︑史料上の捷茄が存在してゐない︒彩色の錐が︑−1チェ自身の残したデッサンのタッチを故意に

ゆがめたり訂正したりし秀デヅサンとは別仙の行像飛逓仕上げるやうなことはしてゐない︒水繪の眞蹴性は信川さ

れ七よいだらう︒︑

それならば︑︑屋胃89目︒どの一一1チ悪の言葉に鼬える異様の念は︑どのやうにして唯世しえられるのであるかタ

グLとのやうにしに拙きあげられた薪き一一−チェの一J十二才にして川をその光輝のうちに見た﹂竹像は︑ますますこの異

様の念紅雌めるだけではないか︒くりかへして云へぱ︑︷洞︒8冒冒︒雪︑ぱニーチ雲が﹃十字架の人﹄a2oの胃・員侭g

の誇り浄盈川定どもって︐不邦味に冴えた感蝿の利刃をふるって︑己れ向斯の葛芦の冒目畠巳︾二国醜目P冒営を刻み礎

かけ渡すべき︑どのやうな橋があるのであるか︒このやうな橘として︑芯きニーチ冤をはぐくんだ環境の示教的影郷と /︽︐辰且1L鍬jJ︑︑人

である いふもの逓考へて って︑︽胃︵︺の冒旨︒雪︾のニーチェ像に鼠a§しえたのであるか︒ニーチ茎が全生涯の交郷曲の鋪︐一樂末において︑林

﹂|J少年時代の一一−チェの循仰心は全くその川剛の偏仰心の一環筵なすものであつ産︐ニーチェの稜心的希 似たアンチクリストのモチーフへと誤﹃のaの︒しえたのであるか︒あまりにもかけ離れた二つの断雌のあひだに /作である.︒藷きニーチ露自邸の︑仲や識︑妹エリ︲−ザベットの仲記が放つ光芒淀集約して︑その雌馴に淀ぴあ

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求とはならす︑ニーチ迄の急いい冒騨ロ勝一にふれるところがなかった︒蒲きニーチェは少年期のはげしい文壌熱にかられ

て︑環塊の與へた家教的衆材と詩化し︑ふるびた家教的川諦逓詩のなかに持ちこんだのであって︑少年ニーチニの大部

︵1︶分の詩の正催はこれである・アウグスティーンのこのやうな僻繩がもし許され︾っとすれば︑それはたやすく一く︒aの邑の

逆を照らす光明となりうるやろに見えスー︒︵未完︶.・舎

︵1︶国討号の讐司貸牌閂︲z苛罵め︒ゴの.︒po詳望酌獣.

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征記︒幼き一一−チェの詩には︑文法的誤謬や︒評ぎわやまりと恩は巾るもむが多少あるが︑それらはすゞ︑二﹂も.といま・玄にして鞭

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