nāmarūpassa avakkanti-
について
名 和 隆 乾
0. 初期仏典における縁起説の研究には厚い蓄積がある.それを回顧した近年の 研究も見られ,将来への視座を与えている1).一方,縁起支に関する纏まった研 究が現れたのはこの30年程の間である2).今後,過去の研究を反省しつつ更に縁 起支研究が蓄積されれば,今なお定説のない縁起説について客観的な解説が可能 となる筈である.ところで,縁起支研究によって主要例が整理され,縁起支自体 の役割は明らかにされつつある.しかし縁起支を伴う個々の表現について,充分 な検討を経ぬままのものは少なくない.今回その1例として,パーリ聖典におけ るnāmarūpassa avakkanti-を取り上げる. 1. まずnāmarūpa-は3),文字通りには「名称と形態」という程を意味する.だが 初期仏典中に既に前者を精神的要素,後者を物質的要素とする解釈があり,その 内容にもヴァリエーションがある.故に各例がnāmarūpa-の定義を伴わぬ限り, 内容特定には困難を伴う.ただいずれにせよ,nāmarūpa-は「個体存在を構成す る要素の集まり」を表す.一方でこの語は「個体存在」そのものをも表し得る. この用法では「人」を実体的,固定的に捉えず「諸要素の集合として見る見方が前提」(『パーリ仏教辞典』s.v. 1nāma, -rūpa)にあると考えられる.またnāmarūpa-が個
体存在外部の諸要素を指す場合もあり,更には「経験世界」をも表し得る.
2. 次にavakkanti-(or o-˚. 以後avakkanti-)は,「入る,降下する」という程を意味
する動詞ava- (/ o-)√kram(以後ava-√kram)からの派生名詞である.パーリ聖典
におけるその全用法4)から,本稿に関わる情報を以下に示す.2.1. まず,
ava-√kramが文字通りの意味で用いられる1例として,Vin IV p. 166が挙げられる:
gāmaṃ paviseyyā ti ... aparikkhittassa gāmassa upacāraṃ okkamantassa āpatti
pācittiyassa(「gāmaṃ paviseyyaとは 囲われていない村落の近辺に入る者にはpācittiyaなる
陥りがある」).この様に,Vinでは領域への進入の有無が罪を左右する場面で
は,次に見る菩 の入胎の例を除けば,移動前後の位置関係が示されない為,特
定困難である.2.2. 移動先が母胎の場合,入胎を表す:yadā bodhisatto tusitā
kāyā cavitvā mātukucchiṃ okkamati ...(DN II p. 12「菩 が兜率天の集まりから死去し,
母の腹に降りてくる時 」).入胎先を表す語は,実体詞形で かにgabbha-(「母胎」)
が出る5)のを除けば,常に(mātu)kucchi-が用いられる6).実体詞形okkanti-は縁
起支jāti-(「誕生」)を説明する語の1つでもある(3.3.1., ①に挙例).入胎を表すのに
ava-√kramが用いられる背景には,「地上より上の世界にいる輪 の主体が母胎
に降りてくるという観念」(後藤 1996: p. (98))があると考えられる.仏教に影響
を与えたことで知られるBr̥hadāraṇyakopaniṣad第4章中のYājñavalkyaの輪 説で
は,輪 主体の地上への降下を表すのにanu-ava-√kramが用いられる7).2.3.
また,(ヒトgen.) モノnom. 動詞形ava-√kramの構文で,モノにtaṇhā-(「渇望」)
やniddā-(「睡眠」)等を取り,ヒトの状態変化を表す用法がある(「ヒトのものとし
て(gen.),モノが(nom.),入る / 降りてくる」).このava-√kramは,次の様に「生
じる」という程の動詞で屡々 釈される:taṇhā c' assa okkamī ti tattha c assa taṇhā
uppajji (Sv III p. 866 ad DN 27 (III p. 27).「taṇhā c assa okkamiとは,またその際,この者に渇
望が生起した」).
3. 上記2語を組み合わせた表現nāmarūpassa avakkanti-について,まず,このgen.
がsubjectiveなのか(「nāmarūpa-がava-√kramする」),或いはobjectiveなのか(「 nāma-rūpa-に∼」)を検討する必要がある.3.1. パーリ聖典中,nāmarūpa-が動詞形また
は名詞形ava-√kramと共に用いられるのが,そもそもnāmarūpassa avakkanti-とい
う表現が出る次の3例のみである:SN 12.39 (II p. 66);12.58 (II p. 90);12.64 (II p. 101).以下,紙幅の都合でSN 12.58 (II p. 90)のみ示す:saṃyojaniyesu bhikkhave dhammesu assādānupassino viharato nāmarūpassa avakkanti hoti. nāmarūpapaccayā
saḷāyatanaṃ ...(「托鉢修行者たちよ,繋累となる諸事物に対して味をしめて過ごす者に,
nāmarūpassa avakkantiが生じる.nāmarūpa-という機縁から6つの拠り所が〔生じる〕 」).
3.2. 太字部表現は上記3例中,SN 12.39; 58では縁起説の定型的記述の中で,SN
12.64では変則的だが縁起説を想起させる記述の中に出る.3例に対する 釈,複
に当該表現への説明はない.Olalde 2014: pp. 83–88は,SN 12.58に関しては,
直後のSN 12.59が,当該表現に代えてviññāṇassa avakkanti-とある他は同内容で,
viññāṇassaが明確にsubjectiveであることから,SN 12.58のnāmarūpassaもsubjective
とする.そして残る2例についてはsubjectiveとobjectiveの両方の可能性を残す.
nāmarūpassa avakkanti-がある位置では通常「nāmarūpa-が生じる」ことが述べられ
る.しかし,このgen.がobjectiveの場合,同位置で予めnāmarūpa-が存在するこ
とが前提となってしまう.次に,パーリ聖典中のava-√kramの全用法に基づく
限り,ava-√kramは目的語にnāmarūpa-を取らない.DN 15 (II pp. 62f.)では,入胎
(ava-√kram)したviññāṇa-がnāmarūpa-と結合し,人間が成長する様子が描かれ
る.この時でさえviññāṇa-の入胎先はkucchi-であり,nāmarūpa-でない.次に,
ava-√kramの実体詞形にはavakkanti-の他,okkamana-がある8).3.3.1. このうち
まず,avakkanti-の全用例は次の通り: ① sattānaṃ ... okkanti(DN 22 (II p. 305); MN 9 (I p. 50);MN 141 (III p. 249);SN 12.2 (II p. 3).「存在者たちが ... 降りてくること」);
② gabbhassa avakkanti(MN 38 (I pp. 265f.);MN 93 (II pp. 156f.);AN 3.61 (I p. 176).「胎 児が降りてくること9)」); ③gabbhe okkanti(MNidd I p. 17, 46; II p. 407, 465; CNidd (Be) p. 28, 67, 221. 「母胎に降りてくること」.Cf. Th v. 790 gabbhe vokkantito (v. r. gabbhavokkantito));
④gabbhāvakkanti(DN 28 (III p. 103);DN 33 (III p. 231).「胎児がor母胎に降りてくるこ と10)」); ⑤viññāṇassa avakkanti(SN 12.59 (II p. 91).「認識が降りてくること」); ⑥ nāmarūpassa avakkanti(上掲3例); ⑦pañcannaṃ indriyānaṃ avakkanti(SN 22.47
(III p. 47).「5機 能 がorに 降 り て く る こ と11)」); ⑧okkanti nāmarūpaṃ(Paṭis I p. 52.
「nāmarūpa-は降下〔の如し〕」.後述); ⑨suññatāvakkanti(MN 121 (III pp. 105ff.).「空性
がorへの降下12)」).上記9表現中,格語尾の出ない④⑨は措く.残る7表現中,解
釈の分かれる⑥⑦以外のgen.は全てsubjectiveである.n. 10)–12)も考慮すれば
9表現でsubjectiveが優勢となる.「∼にava-√kramする」を表す場合は③の様に
loc.が 出 る. 次 に, ⑧ は 次 の 様 に 釈 さ れ る:okkanti nāmarūpan ti yā gabbhe
rūpārūpadhammānaṃ okkanti āgantvā pavisanaṃ viya(Paṭis-a I p. 241. 「okkanti nāmarūpaṃと
は,母胎へと物質的,非物質的諸事物(五蘊つまりnāmarūpa-)の降下が来て入るが如くで
ある」).この 釈はnāmarūpa-をava-√kramの動作主とする.3.3.2. 残る実体詞
形okkamana-について,avakkanti-とは名詞接尾辞が異なる点は注意を要する.こ
の 実 体 詞 形 の 用 例 に はokkamanāya nibbānassa (AN 7.63 (IV p. 112);8.30 (IV pp. 230f)),及びsuriy uggamane nidhi, atho okkamane (v.r. ogg˚) nidhi(Ja VI p. 37, v. 131. 「太
陽の昇る所にある財産,次いで,〔太陽の〕沈む所にある財産」)がある.Jaの例は今は無関
係ゆえ措く.前者の例に対し 釈はokkamanāya nibbānassā ti amataṃ nibbānaṃ otaraṇa- tthāya.
(Mp IV p. 121 ad AN 8.30 (IV p. 230).「okkamanāya nibbānassaとは,不死なる涅槃への降下の
為に〔との意味〕」)と説明する.ここでのgen.はobjectiveが自然だが,subjective
い.既に触れた様に,ava-√kramが「生じる」に類する意味で用いられる構文が
存在する(2.3.).またnibbāna-は,通常これをacc.として動詞形√gam, √labh等
と共に用いられる.一方で 少ながら,santike hoti nibbānaṃ (Th v. 392)との表現
も 見 ら れ る.3.4. 以 上 を 総 合 す る と, こ れ ら の 諸 事 実 は,3例 全 て の
nāmarūpassa avakkanti-におけるgen.がsubjectiveである可能性を強く支持する.
ただ,objectiveの可能性が排除される訳ではない.
4. 以上を踏まえ,このgen.をsubjectiveとした場合(「個体存在/∼の構成要素の集
まりが降りてくること」)の意味内容を検討する.次の2つの可能性が考えられる.
第1に,最も可能性が高いのは当該表現が菩 のava-√kram同様,個体存在の入
胎を表す場合である.これは縁起説中のnāmarūpa-の位置的にも可能である.更
に,okkanti-が縁起支jāti-(「誕生」)の説明に用いられる点や,ava-/ o-kkantiを伴
う上掲9表現中,明らかに入胎と無関係な⑨と,解釈の分かれる⑤∼⑦(後述)
を 除 き, 他 は 全 て 入 胎 を 表 す 点 も こ の 可 能 性 を 支 持 す る. こ の 場 合,
nāmarūpassa avakkanti-の現れる3例は三世に亘る教説となる13).第2の可能性は
nāmarūpassa avakkanti-が入胎を表さない場合(「個体存在の構成要素の集まりが降りて
くること」)である.というのも,⑦の蔵漢パラレルに「諸根増長」(SĀc 45 (T vol. 2,
p. 11bf.)),dbang po rnams pho(AKUp P Thu 12a8; D Ju 269a4. 「諸機能が勢力を増す」.Cf.
本庄 2014: p. 657)とある.蔵漢翻訳者の参照したインド語原典に仮に⑦に丁度対 応するインド語が存在したとすれば,翻訳者らはそれを「諸機能が勢力を増すこ
と」という程に解したことになる.パーリ聖典には縁起説中のsaḷāyatanaṃ hoti
に相当する箇所で,人間の成長に伴い諸機能が成熟すること(indriyānaṃ paripāka-)
を述べる経も存在する(MN 38 (I pp. 265–267)).これを考慮すると,⑤について,
viññāṇa-がava-√kramと結びつくのは⑤以外ではviññāṇa-の入胎を述べるDN 15
(II pp. 62f.)のみ乍ら,⑤には入胎以外の理解(「〔生存中の個体存在に〕viññāṇa-が降り
てくること」)の可能性が出てくる.viññāṇa-は,例えば四食説では既に生じてい
る個体存在(bhūta- satta-)の存続(ṭhiti-)に必要なāhāra-(「摂取」)とされる(SN 12.11 (II p. 11),etc.).また四識住説14)ではviññāṇa-が増大に陥る(vuddhiṃ ... āpajjati.
DN 33 (III p. 228))とある.以上より,nāmarūpassa avakkanti-に関しても,入胎でな
く,生存中の個体存在が外部のnāmarūpa-を取り込むことを表す可能性も残され
る. 或 い は3.の 諸 事 実 に は 反 す る が,nāmarūpassa avakkanti-に お け るgen.を
objectiveとすれば,「〔明示なき何かが〕nāmarūpa-に降りてくること」という程の
る.
5. 最後に,nāmarūpassa avakkanti-を含むパーリ3経に対する梵蔵漢パラレルを確
認する:SN 12.39に対し,『雑阿含経』(以下,SĀc) 360 (T vol. 2, p. 100b4–5):「入於名 色」.SN 12.58に対し,NidSa15) 2.3: vijñānaṃ bhavat(i nāmarūpe) (cf. NidSa 2.10);SĀc
284 (T vol. 2, p. 79b25):「追逐名色」.SN 12.64に対し,SHT16) V 1089: [n]āmarūpasy=
āvakrā ++ ///; SĀc 374 (T vol. 2, p. 103a4):「入 於 名 色」;AKUp17)(P Tu 122b2; D Ju
107a2):ming dang gzugs byung bar gyur.以 上 の 様 に, パ ー リ3経 が 一 致 し て
nāmarūpassa avakkanti-を伝承する一方,梵蔵漢の伝承は様々である.これら梵蔵 漢の諸伝承は,パーリ伝承nāmarūpassa avakkanti-についてパーリ聖典の諸事実が 最も支持する語義とは必ずしも一致しないが,当該パーリ伝承の内包する種々の 語義の可能性の範囲とはよく対応する様に見える.なお,個々の経典の編纂史が 不明な為,パーリ含めいずれが原伝承かは不明である. 6. 以下,2点を以て小結とする.①nāmarūpassa avakkanti-の語義検討に際し, ava-√kramの用法調査は一定の有効性を持つ.経典というジャンルの性格上,一 義的理解への収束は困難だが,より蓋然性の高い理解を客観的に示す事は出来
る.②ava-√kramは縁起支jāti-(「誕生」)の説明にも用いられる重要語であり,
その調査は結局,様々な重要例の検討にも有用となる.ava-√kramに限らず縁起
支と共に用いられる語も,縁起支と並んで研究が蓄積されねばならない.
* 略号はA Critical Pāli DictionaryのEpilegomenaに従う.パーリ文献の底本はSNのみBe,
他はEeとし,適宜,両版及びSeを参照した. 1)楠本 2007: 24ff., 榎本 2008 (esp.
7f.),末木 2011(esp. 322–325),宮下 2014等.Cf. also馬場 2010: 93. 2)主な例とし て,saṅkhāra-(「形成作用」)を扱った村上氏(–1990, 計4論考),viññāṇa-(「認識」)を扱っ たLanger 2001, nāmarūpa-(「名称と形態」)を扱ったOlalde 2014. 3)本節の記述は
『パーリ仏教辞典』(s.v. 1nāma, -rūpa)に多くを負う. 4)学会当日配布した
ava-√kram用例一覧は紙幅の都合で割愛.別に提示予定. 5)確実な例はMNidd, CNidd
のみ(3.3.1., ③). 6)菩 の入胎:DN 14 (II pp. 12ff.);DN 16 (II p. 108≈AN 8.70 (IV pp. 312f.));AN 4.127 (II pp. 130f.); 非菩 の入胎:DN 28 (III p. 103≈DN 33 (III p. 231));
Thī vv. 436, 438; viññāṇa-の入胎:DN 15 (II pp. 62f.). 7)Cf. 後藤 2012及びそのp. 43
記載の後藤 2009. Cf. also Windisch 1908 (esp. 31); 後藤 1996: (101),n. 12; Sakamoto-Gotō 1987–1988: 357f.; 室寺 1996. 8)他,次の行為者名詞あり.MN 36 (I p. 249):sato sampajāno niddaṃ okkamitā. 9)gabbhassaが「胎児」と確定される根拠は以下:mātā ...
gabbhaṃ kucchinā pariharati(MN 38 (I p. 266).「母親は胎児を腹で運び回る」).「胎児が降
りてくる」は結果先取り(e.g. 「湯を沸かす」(not「水を∼」))表現の1種(西村 2010: (86),
n. 42; 名和 2015: (204),n. 8). 10)以下の点は「胎児が∼」である可能性を支持:
ava-√kram全用例中,gabbha-「胎児」がkucchi-にava-√kramするとの表現あり(cf. 前 );gabbhāvakkantiの出る2例でも入胎先はkucchi-; 入胎先をgabbha-とするのは例外的
(2.2.). 11)SN 22.47 (III p. 46):pañcannaṃ indriyānaṃ avakkanti hoti, cakkhu- ndriyassa sot -indriyassa ghān -indriyassa jivh -indriyassa kāy -indriyassa; Spk II p. 269: pañcannaṃ indriyānaṃ nibbatti hoti. 12)Ps IV p. 152: suññatāvakkantī ti suññatānibbatti. 13)AN 3.61(I pp. 176f.)は十二支縁起説が三世に亘る明確な例(名和 2015a: (202)). 14)パーリ聖典 中の識住説用例一覧: 名和 2015: p. 11, n. 1. 15)Ch. Tripāṭhī (Ed.),Fünfundzwanzig Sūtras des Nidāna–saṃyukta, Berlin: Akademie Verlag, 1962. 16)Ernst Waldschmidt et al., Sanskrithandschriften aus den Turfan-Funden, 11 vols., Wiesbaden (/Stuttgart): Franz Steiner, 1973ff. 17)Abhidharmakoṣopāyikā nāma Ṭīkā, Otani no. 5595; Tohoku no. 4094.
〈参考文献〉
Langer, Rita. 2001. Das Bewusstsein als Träger des Lebens. Wien: Arbeitskreis für Tibetische und Buddhistische Studien Universität Wien. Olalde, Liudmila. 2014. Zum Begriff nāmarūpa. Lumbini: Lumbini International Research Institute. Sakamoto-Gotō, Junko. 1987–1988. ū vor dem Wurzelanlaut h im Pāli. Indologica Taurinensia 16: 353–382. Windisch, Ernst. 1908.
Buddha's Geburt und die Lehre von der Seelenwanderung. Leipzig: B. G. Teubner. 榎本文
雄 2008「輪 思想と初期仏教」『インド世界への憧れ』なら・シルクロード博記念国際交 流 財 団,5–13. 楠 本 信 道 2007『 倶 舎 論 に お け る 世 親 の 縁 起 観』 平 楽 寺 書 店. 後藤敏文 1996「Yājñavalkyaのアートマンの形容語とBuddhaの四苦」『印仏研』 44(2): (94)–(102). 後藤敏文 2012「 業と輪 を る―ヴェーダから仏教ヘ―」 『叡山学院研究紀要』34: 43–62. 末木文美士 2011「仏教研究方法論と研究史」『近代国 家と仏教』新アジア仏教史14 日本 IV,春秋社,306–352. 名和隆乾 2015a「パー リ聖典における輪 と識についての一考察」『印仏研』63(2): (200)–(204). 名和隆 乾 2015b「Saṃyuttanikāya 12.64に関する一考察」『待兼山論叢』(哲学 )49: 1–16. 西 村直子 2010「ヴェーダ文献における胎児の発生と輪 説」『論集』36: (69)–(93). 馬 場紀寿 2010「初期仏典と実践」『仏典からみた仏教世界』新アジア仏教史3 インド III, 春秋社,67–103. 本庄良文 2014『倶舎論 ウパーイカーの研究 訳 上・下』 大蔵出版. 村上真完 1990「諸行考IV 原始仏教の身心観」『仏教研究』19: 67– 119. 村上真完・及川真介 2009『パーリ仏教辞典』春秋社. 室寺義仁 1996「誕 生(再生)の定型表現を巡る仏教徒の諸伝承」『高野山大学論文集』高野山大学,181–196. (平成28–29年度科学研究費補助金スタート支援(16H06919)による研究成果の1部)
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