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建築における純粋性の問題 : カトルメール・ド・ カンシーの論考から

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建築における純粋性の問題 : カトルメール・ド・

カンシーの論考から

著者 白井 秀和

雑誌名 福井大学工学部研究報告

巻 38

号 1

ページ 23‑28

発行年 1990‑03

URL http://hdl.handle.net/10098/3799

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工 学 部 研 究 報 告 38巻 第1 19903月

建築における純粋性の問題

ーカトルメーノレ・ド・カγシ ー の 論 考 か ら ー

白 井 秀 和 *

1eNotion of Purity iロ七he "Dictionnaire hisoriqued'architecurell (18ラ2) of A.

c .

Qua七remerede Quincy 

Hidekazu SHlRAI

(Received Feb.  10

, 

1990) 

This paper 1s  the parセia1presentaionof the treatise of Quatremrede  Quincy(1755‑1849)

, 

who was  one  of the mosimportanttheorists  of the  C1assica1 Architecture in the 18th &l9th centuries  of France. 

The artic1e "Purityll  written by him is  characterized byhetypical  nature ofhe "Classicisme francais"

, 

which most1y means the  order

, 

the  sobriety andheregu1ariy of Archiecure.

As  1 atestediinheanother papers

, 

Quatremere de Quincy was the  only七heoristwho in early times considered the notion of lICreative Na七ure"

re1atedoheRomanticism. Bu inthis  art1c1e he conserved the position  of the so‑ca11ed Neo‑C1assic1st. 

By presenting this artic1e "Purityll

, 

1 tried to exp1ain briefly the  differences  or simi1arities between C1assicism and Romanticism

, 

which were  seen in the Quaremrede Quincy's thought. 

23 

本稿において紹介するアγトワーヌ=クリゾストーム・カトノレメール・ド・カγシ一(Antoine‑

Chrysostome Quatremere de Quincy 1755‑1849)の論考は,フラγス 大 革 命 の 前 年1788年から 1825年 に か け て3巻 本 で 刊 行 さ れ た 『 系 統 的 百 科 全 書 一 建 築

J

の3巻 自 に 初 め て 現 わ れ , そ の 後18 32年 に こ の 著 作 を 幾 分 か 縮 約 し て 再 刊 さ た 『 建 築 歴 史 辞 典 』 全2巻 の う ち 第2巻自に掲載されたも のである(註1)口 前 著 の 『 系 統 的 百 科 全 書 一 建 築 』 は あ の デ ィ ド ロ , ダ ラ ソ ベ ー ル が 刊 行 し た 『 百 科 全書~ (1751ー1772),更にはマルモ γ テルの手になる『百科全書補巻~ (1776‑1777)に続くものと して, 1782年から1832年にかけて,出版業者ノミンクックによって世に出たもので,全166巻 に も 及

*環境設計工学科

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び,広大な学問・芸術領域に亙って,部門別・項目別に多くの用語を分析・解説したものである。

この『系統的百科全書一建築』全3巻は,カトルメール・ド・カンシーの殆ど一人の手によって執 筆がなされ,第一巻は彼が33才の時に刊行された。項目によっては,他の専門家の手によって書か れたものもあるが,建築の実に多岐に亙る領野において,かなり高度の論考をものした彼の力量に は,ただただ驚嘆の念あるのみである。カトルメーノレは, この著作の刊行を軸として,建築のみな らず他の諸芸術の理論的支柱としての自らの地歩を確実に固め, 19世紀初期ほぼ30年近くに及ぶま で,とりわけ,エコール・デ・ポザールを牙城に,その理論的・政治的権威を揮った。ここに訳出,

紹介された論考は,その彼の力もやや衰えを見せ始め,時代の趨勢が,彼の信奉する頑迷な古典主 義からロマン主義へと移行してゆく時期に刊行され,言わばカトルメーノレ・ド・カンシーの「古典 主義」の巻き返しを狙うといった意味合いが読み取られるものであるO 筆者が既に指摘したように

(2) 彼の論考には,その古典主義的立場にもかかわらず, ロマン主義的思考がしばしば垣間見ら れるのではあるが,やはり,その考察の大部分には,ギリシア建築を最高度に完成したものと信じ て疑わぬ,竪固な古典崇拝に基づく,言わば狭義の古典主義が基底として,動かし難く座している ことは否定できなし、。とりわけ,本稿における項目「純粋」においても,この念は強く,超越的な 規範を核とし,原理・秩序・節度・正しき比例関係・理想美等を主張する立場に沿った論考が展開

される。

「純粋性pureteJとは,古代ギリシア建築において確立された,原型type,或いは完全性 perfection等を意味する,言わば古典主義的概念の重要な用語と目されるものの,他の古典主義 理論家のどの著作を探ってみても,カトノレメール程に詳細に論じられたことはなL、。確かに,後に 見るように,カトルメール自身においてさえも, この概念の分析は詳細を極めるといった類のもの ではないにしても,彼が他の論考で繰り返し説くところのギリシア的範型論の展開が,建物の平面・

立面・制作に亙って行なわれている点は興味深い。更には,所謂装飾物ornementsの濫用を繰り 返し戒めている点においても,われわれは,彼の首尾一貫した主張を確認することになるo

従って, この「純粋」なる項目の味読によって,われわれは,やや縮約した形であるにしても,

カトルメーノレ・ド・カンシーの理論の一端を理解することができるように思うのであるO

*  *  *  * 

純粋な pur若しくは純粋性pureteという語によって建築において指し示される特質は,あら ゆる芸術に,また,精神が生み出すすべての作品そしてデッサγの作品のすべてに共通の特質であ るO

建築において, この特質を定義付けようとする際には, ごく自然に 2つの仕方でこの観念を展 開することができるO

ひとつは,確定的若しくは技術的な仕方であり,多かれ少なかれ芸術家の力量に属する諸々の手 段の分析に基づくものであり,芸術家はその力量によって,古代の範型の中から諸規則を抽き出し,

更に,他の諸芸術の作品との類比の中から諸々の根拠を拍き出すのであるO

2つ自の仕方は, これと反対の観点から生ずるO この観念は,一般的な原因の影響によってしか 最早理解できないものであり,その結果が幾年にも幾世紀にも亙る時代の流れによって,模倣の生 み出したあらゆるものの中で,発展してゆくことになる観念であるo

この観念自体に基づいて,言葉によって,建築の作品における純粋性という語に結び付けられた

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精神的な観念を理解させようと望むのであれば,まず最初に,例えば,精神の生み出す作品の中や 或いは書く術において,更には,そこで文体と呼ばれるものの中で,この観念を生み出しまた認識 させるものを理解しながら,最大級の正確さをもって,との観念を説明することができるように思 われるO

従って,言葉によってこれらの観念を巧く表現し,ひとつの主題の持つ関係のすべてを正当に発 展させ,最も自然に, この主題の中の部分部分を言い表わし,更には,最も適切な形や表現で,そ れらを提示する才能とは即ち,構成の純粋性を生み出すものに正しく他ならないことのようにわれ われには思えるのであるD ところで,この純粋性は,それを表現する言語の純粋性に結び付いてい て,われわれがこの純粋性から受け取る快楽の原理自体を言語の中で認めることを強いるのであるD

そして,この快楽とは即ち,その大部分が,われわれが作品を前にして,その全体と部分とを捉え ることの容易さから生ずるのであるD

構成し,デッサンし,彩色を施す術において,純粋性と呼ばれる特質は,画家の側から言えば,

上述の場合と同じ手段と類似した結果とを提示するようにわれわれには思えるO めいめいの画家の 天分,趣味,そして様式に応じて,その作品が構成の明析さ,形態の正当さ,彩色の自然さを手に 入れることを知らない者などいるであろうか。そして,これらのものによって,精神と眼とが主題 を巧みに構想し主題の諸関係を捉え,更に主題の細部を評価せざるをえないようになる訳であるO

しかし純粋性ということの一般的な観念はそれでもやはり,建築の諸作品においても感じ取ら れるものであるD そして, この特質の持つ効果は,やはりわれわれがとの芸術から受け取るはずの 印象に必然的に関わるものなのである。

そこには 3つの際立った関係の下にある純粋性が認められうるo即ち,平面の構成秩序に対す る構想作用の純粋性,立国の全体に対する配置の純粋性,そして諸々の部分や細部の選択と表現に 対する制作の純粋性であるO

ある平面に対する構成秩序の,若しくは構想作用の純粋性は,動かし難いある用途が持つ必要や 無理な要求に調和させられるもののやはり 1個の独立した芸術のもたらす自由な結果と思われるよ うな,大きいとか小さいとか,或いは必然的とか便利とかまた快いとかいった,ある場所の様々に 異なる部分の,如何に簡単に見えようとも創意に富んだ組み合わせの中にあるのであるO との特質 は,平面を容易に構想することの中に認められるであろうし更には,誰もが同程度のことを直ち に成し遂げると思える位に,誰の眼にも殆ど目立った労力を使わなかったと見えるように配列を巧 みに行ない,個々の用例がそれに相応しい場所を適切に見い出すような遺り方で,それぞれの部分 を作り上げるところの,あの知性の中に認められるであろうO

(既に使われた比較に立ち戻ってみるならば)このように,良質の作家たちは,彼らの発想の手 順や繋がりに対して,違った風な取り組み方が他にないと得心させてしまう程の,単純で明確な何 らかの事物を与えている訳であるO しかしながら,この構成の明瞭さ,この様式の純粋さは,書く という術においては最も稀なものであるO 建築においても同様に,平面におけるこの導入の単純さ と,使用される手段の持つこの純粋さ程稀なるものはなし、。これらのものは,普通言われる以上に,

立面の良い効果や真の性格に必然的なものであって,また,想像以上に立面に依存している特質な のであるO

趣味の純粋性は,建築家の側から見れば,ひとつの建物の外面全体に対して配置が持つ関係にお

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いて,もっと容易に感知され理解されるO 純粋なるものに属する立面は,様々に異なったオーダー の賢明で規則正しい配分や,それぞれのオーダーの全体の性格への正当な適用,そして,充満した 部分と空虚な部分との聞や平滑な部分と飾られた部分の間の正しい調和,更にはそれぞれの場所の 様々な要求に応じて良く段階的になされた,装飾術の豊かさの連らなりの中にある。趣味の純粋性 は,側面を描く術と呼ばれるものによって,諸々の立面の中でとりわけ評価されるO 即ち,詩法に おける韻律法のような役割を言わば建築において担う部分たる,引形輪郭と呼ばれるものを構成す る肢体の数々の,あの正当な配分のことが今問題なのである。

われわれはまた,建築に対して,制作に関わる純粋性があることを述べた。この純粋性は,細部 や装飾物を選択した後で,それらの制作に取りかかり,その結果を明確で調和がとれ,建物の様式 に良く適合したものにする流儀の中にあるO ここで話している制作の純粋性とは,それが,多かれ 少なかれ機械的で,建築家とは独立した仕事から一部生ずるはずのものであるにしても,それにも かかわらず,建築家の趣味や指示の結果なのであるO 制作が生まれることになるのは,まずもって,

彼のデッサンに基づき彼が与えることになる諸々のモデルによるのである。それぞれの細部に対し,

それぞれが持つ真の価値を与えなければならない, この掛け値のない仕事,即ちこの正確に出来上 がった仕上げを,自らが用いる凡庸な道具を使ってでも果たさなければならないのは,従って,建 築家自信に要求されることなのであるO しかしながら,稜から,ある種の堅固さを持った輪郭を奪っ たり,また,装飾物の輪郭から,それらの精巧さや格好そのものが持つ的確さを失わせるには,不 毛な素材,即ち余りに柔かいとか或いは余りに耐性を帯びた石などを使うだけで充分な場合が多々 あるであろうo装飾物の形態や性格を制作の際に歪めたり,視点の距離のために場所的な効果を装 飾物から奪ったり,また,単なる素材上の考慮の言わば機械的結果として,この純粋性に対する感 覚を破壊するような見かけ上の粗野さを装飾物に残したままにしておくことになってしまうような 多くの原因が考えられるo誰もが賛同せざるをえないような本能の判断に頼った場合でさえも,石 にせよ,単純な塗料にせよ,一般的に素材の洗練さの効果が,制作の純粋性の印象を増幅させるの に与することに異議をさしはさむことは,結局のととろできないであろうo

この項目の始めにわれわれは,純粋性と呼ばれる特質の価値を,それとは反対のもの,即ち周知 のように,全く特別な観念を包含する,不純という語に表わされる否定辞を敢えて用いずとも,否 定的なものと呼ばれることになるものが持つ諸々の観念によって定義付け評価せしめる別の仕方を 指し示した。

どんな時代でも,建築において今定義付けたばかりの観念と対置するものとして,あらゆる芸術 に共通で, しかも建てる術において最も容易に判断できる欠陥があったと言えるO ギリシアにおけ る起源に最も近く,最も恒常的な伝統に属したこの芸術は,有用なるものが持つ理と快いものが持 つ趣味を共通の紳の下に, 自らに結び付けることのできた法則や適合性の最も簡潔な表現の中に,

建築術に関わる純粋性の真の性格の数々である,原型の正確さ,プロポーショシの規則正しさ,そ して装飾の節度を,長い間保持してきたのである口

この理論によって課せられる意味から,との語は,例えば,源泉から取られた水或いは源泉の間 近から取られた水について語られるように,物質的に表現されるものを,殆ど精神的に有効に意味 付けることになるO こうして,芸術がその起源から遠ざかれば遠ざかる程,増々芸術は,原理即ち あらゆるジャンルの発明に存在と形態を与えた第一原因の忘却へと誘う,あらゆる種類の無理な要

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求或いは新しい必要の混滑によって堕落してしまうととになる訳であるD

個々人と同じく社会は,時の経つにつれて,古いものに対してはどんなものについても一種の倦 怠感を感じてしまうoそこから,精神の病いである,この革新に対する偏執が生まれてしまうO 存 在していたものが,ゆるやかに連続する創造の産物であったことが忘れられ,不意に起こった創造 物によって置き換えられることができると信じられてしまうO しかし持続という特権は,時の流 れの長い練磨を欠いたものすべてに対して,一切何も与えなかった。ひとつの新しさが, もうひと つの新しさにほどなく場を譲り,諸芸術の趣味は,それらの作品と同じく,互いに破壊し合う様々 な様態の急激な連らなりしか与えはLないのであるo

しかしながら, 自らの多様さによって眼を楽しませるために瞬時に取りまとめられ,新しい混精 を絶え間なく呼び起こすところの不統ーな要素の数々を,休みなく絶えず新しい遺り方によって混 ぜ合わせることの容易さによってしかこの所謂豊鏡な革新の数々は生じはしなL。、

幾つかの場合を除いて,多くの世紀に亙り,多くの人々の内に伝播していったギリシア建築の運 命とは,このようなものであった。恐らくは,芸術の純粋性を堕落させるこの混精がもたらす効果 は,連続したものでなく,また必ずしも漸進していったものでもなく,更には,多かれ少なかれ自 らの第一級の美徳を発見しうるような原理へと全く立ち還らないなどということもなかったであろ うO

この漸進の歴史やその変遷の歴史を辿ることは,辞典の一項目ではその見取図を指し示すことさ えできないようなひとつの課題の題材となるであろうO この辞典の目的は,単に,建築からその原 初的な純粋性を失わせた悪徳の主要な源泉を知らしむることであったし,また,これらの悪徳が,

主要な原型の混乱や,装飾物の過剰,装飾物の持つ固有性の無視,そして装飾物の無分別な混靖の 中にあることを認識させることであった。

従って, この建築が持つ体系において,純粋性なる語が,建築の形態・プロポーショ γ・装飾物 の本源的な性格の遵守をどのように表現しているかが分り,ひとつの建物の平面・立面・装飾物か ら,気紛れで不規則で冗漫なもののすべてを,結局如何なる理にも基づかないもののすべてを追い 払おうとする趣味のことを純粋と呼ぶことになる訳である。

従って,純粋性のない平面とは,不必要に直線と曲線とが入り交った輪郭や,多様さや困難さの 楽しみだけのために破断したり波打ったりする線で構成されるようなものであろうD

従って,純粋性のない立面とは,マッスが相互に何の関連も持たず,諸々の部分が見かけ上の必 要もないのに変化して,如何なる体系にも必要に基づいた如何なる法則にも属していないように見

えるようなものであるD

従って,純粋性のない装飾術とは,建築の自然的な肢体や構成的な原型,そして互いに混精し偶 然結び付き起源や意味に関わらずに恋意的に置き換えられた装飾物が,気紛れの遊びの結果としか 見えないようなものである。

2つの対立するものとして, との理論の両極端に置かれた2つの例によって,建築における純粋 性なるものとその対置物とを良く理解させるためには,周柱式のギリシア・ドリス式神殿とボッロ

ミーニ或いはその一派の教会堂とを思い描くだけで充分である〈位九

*  *  *  * 

以上の論考から,われわれは,ギリシアを範とする正統的な建築原理と,それに対置されるイタ

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28 

リア・バロックの,カトルメールの眼から見た無秩序な混乱とが,純粋性を核なる点として論じら れるのを理解しえた。結局のところ,カトルメールの論考に度々現われる,表層的な革新,即ち装 飾物のない濫用への批判が,建築における純粋性の最も中心的な論点であったと言うことができょ うo この論考が初めて刊行された1825年,更には再刊された1832年という年代を考える時,われわ れは,相貌的な個性的特徴を前面に押し出してゆくロマン主義(それはロマソ主義の一面的な解釈 にすぎないかも知れないが)に対する古典主義の理論的権威の側からの言わば巻き返しの意図を強

〈感ずるのである。しかし,時代は普遍的な原理の遵守から個的な多様性の標梼へと次第に移りゆ きつつあった。それでもなお,カトルメールの論考の数々は,今世紀の中期に到るまでヨーロッパ の芸術理論の正統的な要として存在し続けたポザール理論の礎となり,時代の変遷を受けつつも重 要な規範的原理として,底流に流れ続けたフラγス古典主義の,常に参照・還帰すべき範型として 生き続けたと言えるo

本稿はそのカトルメール理論のほんの一端を提示したにすぎないものの,繰り返し主張される,

ギリシアの範への回帰,理・根拠のない装飾物の多用の戒め等は,所謂超越的な規範,根源的な原 理が如何に重要であるかといった,時代を超えて存在し続ける真理の表徴であるといっても過言で

はなL

。 、

純粋性は,それが原理的完全性をも意味するというより高い観点に立つならば,単に古典主義の みならずロマソ主義においても通底するとも言える動態的な核的原理即ち根源的自然の概念にも繋 がる,と主張することもできるであろうoそこまで深く読み込まないにしても,いずれにしろカト ルメールが説く純粋性の問題が,建築における起源乃至は原理の問題へと方向付けられていること は否定できないであろうO

註1: A. ‑Ch.  Quatremere de Quincy:  Encyclopedie methodique, Architecture, 2 vol.  Paris  1788‑1825.  Dictionnaire historique d' architecture, 2 vol.  Paris  1832.  註2 白井秀和,

I

カトルメール・ド・カンシーにおける小屋の概念ー自然の創造的模倣へ向け

‑J

W日本建築学会計画系論文報告集』第365号(1986.7.)所収

註3 Quatremere de Quincy:  Dictionnaire historique d' architecture, tome II, art.  PUR, PURETE, pp.328‑330 

参照

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