• 検索結果がありません。

「子どもが思い描いた戦争」と「子どもの目に映った戦争」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「子どもが思い描いた戦争」と「子どもの目に映った戦争」"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

1.はじめに. ハーバート・リード(Herbert Read)は、人間の「破壊を求 める本能」をコントロールできる唯一の本性が「秩序を求め る本能」であり、それは「芸術による教育」が基礎となっている という1)。論者は現在、新潟県十日町市の里山に保管されて いる大正・昭和の子どもの絵の調査・研究を行っているが、 作品の中には戦争を題材にしたものもあり、それらにリードの 言葉を重ねることができるのかどうか疑問を抱いていた。非 常時における国家総動員の機運の中で美術教育が力を発 揮したのは、「破壊を求める本能」に対する「秩序」としてでは なく「戦意高揚」だったからである。さらに、戦後70年以上経 た今でこそ我 は々当時の教育を批判的に捉えられるが、筆 者自身「もし自分が当時の美術教師だったら」と自問すると 正直自信が持てない。それどころか暗黙裡に「空気を読む」 ことや「忖度」が求められる風潮の中で、時代が犯してきた過 ちと同じことを繰り返しているかもしれないとさえ思えてくる。 そのような中、ポーランドの同時代の子どもが描いた戦争の 絵が、研究を進める上での道標となった。当時の日本はドイ ツと同盟を結んでおり、ポーランドとは戦況的に逆の立場に あったため、描かれている内容も全く異なっているのだが、二 国の絵を実際に並べて見ることによって、子どもの心情や美 術教育の課題までもが驚くほど鮮明に浮かび上がってきた のである。同時に、リードの言葉を読み解く手がかりも見えて きたように感じた。そのことを踏まえながら、今、改めて当時の 子どもたちの絵が発信するメッセージを多角的に読み解き、 美術教育の文化財的な資料として、これからの教育実践に 役立てていこうとするのが本論文の目的である。 尚、本論で取り上げる日本とポーランドの資料は、それぞ れの国の象徴的な事例ではあるが、全体像を示すものでは ない。日本の資料は戦時中に描かれたものであるのに対し て、ポーランドのものは戦後に描かれたものも含まれる。また 日本の資料は戦場から離れた山間部の地域のものであるの に対して、ポーランドの資料は全国から収集されたものの一 部である。それでも、この比較検証は社会と子どもの関係性 を浮き彫りにする意味で有効な視点と考えた。また、研究と 並行して推進してきた情報発信や、教育実践への援用につ いても紹介していきたい。. 2.資料の概要. 日本の資料は、新潟県十日町市松之山にある下川手集 落の子どもたちが、大正8年から昭和27年に描いた絵と書、 約3,000点である。これは、当時、尋常小学校一年から高等 小学校二年までの子どもたちで組織されていた「下川手少 年団」が、その活動の一つ『学術技倆報』としてまとめたもの である2)。(資料1参照). “War Imagined by Children” and “War Seen by Eyes of Children”. 新潟大学 教授. 柳沼 宏寿 YAGINUMA, Hirotoshi. [研究論文]. 「子どもが思い描い た戦争」と「子どもの目に 映った戦争」. 018. 少年団は、学力向上を目指して団員に絵や書の制作を呼 びかけていた。集めた作品は、束ねて学校の教師に見せ、朱 書きの評価(甲乙丙など)をもらった上で各家庭に回覧した。 活動は毎年続けられ、昭和19年に物資不足で途切れたが、 その後、昭和27年に一度だけ復活している。束ねてあった ことが功を奏し、膨大な資料が保管されていた。絵の題材 は「風景」「静物」「人物」「漫画」など様 で々ある。実際に観察 したものよりも教科書の『新定画帖』を手本とした「臨画」や、 メンコ・雑誌などの歴史画を写したものが目立つ。昭和期 には戦争画も見られるようになり、太平洋戦争開始の昭和16 年に最も多くなる。書画の他に生活綴り方的な作文や慰問 文も一緒に保管されている。 一方、ポーランドの子どもの絵は、画集『子どもの目に映っ た戦争』に掲載されたものである3)。(資料2参照)ポーランド は、第二次世界大戦時にドイツとソビエト連邦の双方から 侵略を受け甚大な被害を被った。特にナチス・ドイツは、ポ ーランド人に対し、文化的・人種的根絶を打ち出して強制 的に刑務所や捕虜収容所へ送り込み、強制労働や人体実 験、さらに大量虐殺を繰り返した。これらの作品は、戦後、ポ ーランドの教育省(現在の国民教育省)が戦争体験を記録 するために全国の小学校に呼びかけて収集されたものの一 部である。本画集の翻訳・発行人である青木進 は々、ポー ランドでこの原書と出会い、「ナチスの犯した戦争犯罪と残 虐性を追求するとき、日本人も犯した共通の過ちに対して、 根源的な反省を加えなければならない。それには、まず苦痛 の意識を持つことから始めたい。」4)と、子どもの目を通した惨 禍を語り継ごうとした。. 3.日本とポーランドの比較. 3-1.日本の作品 日本の作品でまず目立つのが兵隊の勇姿を描いたもので ある。(資料3参照)作品1に「忠勇」(忠誠に富んで勇敢なこ と)とあるように、ラッパを吹きながら突撃する様子や被弾し ながらも突進している姿などが凛 し々く描かれている。実際 に作品を描いた本人は「自分たちの代わりに戦場で戦って いる兵士への感謝と応援の気持ちで描いた」「少年時代は 日本の戦力を信奉し憧れの気持ちを抱いていた」と、当時の 少年としての素直な心情を振り返っている。「のらくろ」5)など のイラストもあるが、山村の子どもたちにとって少年雑誌は 重要な情報源かつ娯楽であったという。戦艦や戦闘機、戦 車なども多く描かれ、戦艦「陸奥」の絵に「日本の主力艦」と あるように、自国の戦力を誇りに思っていたことがわかる。「次 の時代を背負って立つ小国民」「一億一心」と書かれたイラ ストは、当時の国民に課せられた使命感を象徴的に表現し ている。資料には、書画の他に作文(慰問文)もあり、子どもた ちの純粋な思いが綴られている。. 「兵隊さん、心配はありません。銃後は僕等が増産戦 士として一生懸命働きます。」. 「日支事変に立っておられる兵隊さんのことを思って何 事もまじめにやり、先生の教えをよくきいて、大きくなっ たらぜひとも兵隊になりたいと思っております。」 . (下川手集落の資料一部抜粋). 3-2.ポーランドの作品 ポーランドの子どもたちが描いているのは戦争の過酷な 記憶である。(資料4参照)空襲で一変する街の景観。列 車や馬車を爆撃する戦闘機。逃げ惑う市民。強烈な恐怖 感が色彩の鮮やかさと相まって伝わってくる。また、自宅に 突然乱入して銃口を向けるドイツ兵。トラックや貨物列車 に詰め込まれ、強制収容所へ連行されていく様子。さらに、 友人や親戚が射殺されている場面。絞首刑。直視できない ほど悲惨な情景が描かれている。絵画とともに掲載されて いる作文もまた当時の緊張感を言い表している。. 「私は大変早く起こされました。部屋の中はまだ暗くて、 何が起こったのか聞くひまもないうちに、ドイツ憲兵が ベッドのわきに立っているのに気がつきました。すぐに、 きっと何かいやなことが起こったんだとわかりました。 お母さんは私に服を着るようにいいました。(中略)荷作 りする時間はありませんでした。ドイツ兵にせきたてら れ、そのまま家を出ました。お母さんはまだ1歳の小さな 弟を抱いて歩いて行きました。」ヤニナ・パチェーシュ ナ(6年)6). 「日曜の朝、私はまだ寝ていました。その時パーンという 音を聞きました。そっちを見ると、ドイツ兵が大勢近づ いてきています。みんなは畑や牧場を逃げまわってい ます。そして叔父さんが追いかけられているのが見えま した。叔父さんは逃げきれなくなって、私の家の屋根裏 へとびこんできました。(中略)別のドイツ兵が屋根裏で 叔父さんを見つけ、その場で撃ち殺しました。」ヘンリカ ・ホタイチャクーヴナ(3年)7). 「鉄条網の向こうでは、ドイツ兵が大型トラックでポー ランド人を運び、歩かせて収容していました。男、女、子 ども、老人がいました。ドイツへ送られた人たちもいま す。残された人たちの、だいたい若い男の人は取り調 べられ、それが終わるとふらふらになってよろめいていま した。またある人たちはひどいやり方で殺されました。 たくさんの子どもが鉄条網の中で次々死んでしまいま した。」エレオノラ・プシェヴゥオーツカ(5年)8) . (『子どもの目に映った戦争』一部抜粋). 018 [美術教育] No.304/2020. 019. 柳 沼. 宏 寿「. 子 ど. も が. 思 い. 描 い. た 戦. 争 」と「. 子 ど. も の. 目 に. 映 っ. た 戦. 争 」/. 研 究 論 文 :. 「色や形」の視点から指導することについては、現在の学 習指導要領にある「共通事項」と似ているが、その目的が大 きく異なっている。山形によれば、当時は国家権力が絶大で、 国民学校案に反対意見を持っている者も沈黙を守って表 面には現れず、多くは事態の進展に乗り遅れまいと躍起に なっていたという13)。1940年8月6日に開催された全日本図 画教育大会(教育美術振興会主催)の「総論」で発表され た基本理念にその空気が表れている。. 一 芸能科図画の基本理念 …、芸能科図画は前述の如く単なる技術教育に非らず して、『行』を通じて技術の修練と情操の醇化を行ひ、 持って皇国民としての人格の完成に資せしめんとする のであり、同時に国家の発展を図らんとするものであ る。14). (一部抜粋、下線筆者). さらに、教科書「ヱノホン」教師用書(1941年発行)の「総 説」には次のように記されている。. 芸能科指導の精神 芸能科は国民錬成のための教科である。故に抽象 的な個人の人格の完成とか、自我の実現のための教 育ではなく、具体的に忠良な皇国臣民を錬成するため の芸能教育であり、また国境を超えた単なる人間性の 教養ではなく、歴史的なる日本国民性の錬成のための 芸能教育であらねばならないのである。15). (一部抜粋、下線筆者). 芸能科の目的において「個人の人格」や「自我の実現」が 否定されているように、当時の教育界には全体主義的な気 運が充満しており、国策に反するような実践は極めて困難で あったろう。実際、生活綴り方教育に対する弾圧と連動して 生活図画の実践でも教員や学生が摘発されている16)。. 4-2.戦争を描いた画家たち さらに当時の美術界を俯瞰してみたい。「帝展改組」など の文化統制で画壇が混乱する一方で、軍部や報道機関と 共に「大日本陸軍従軍画家協会展」「聖戦美術展」「大日本 海洋美術展」等が開催されていた。1942年に開催された朝 日新聞社主催の「大東亜戦争美術展覧会」の趣旨には「皇 軍将兵の活躍と労苦を美術を通じて銃後に傳え、国家の精 神作興に資する」17)とある。〔作興(さっこう):ふるいおこすこ と。盛んにすること。(広辞苑 第五版)〕画家たちは絵画の献 納や従軍画家といった役割を求められ、展覧会へは学校の 団体も見学に訪れるなど、社会全体で戦意高揚の教育が 推進されていた。戦争画は当初「作戦記録画」と呼ばれてい. 3-3.日本とポーランドの違い ポーランドと日本を比較してみると、戦争に対するイメー ジが異なることに気づかされる。ポーランドの子どもたちは、 画集のタイトル『子どもの目に映った戦争』の通り、実際に見 た戦争の情景を描いている。それに対して日本の子どもたち は、戦争を実際には見ていない。彼らが描いたものは新聞や 雑誌などをもとにしたもので、間接的に知っている(概念とし ての)戦争なのである9)。そして、「銃後の思い」に象徴される ように、国民一人一人が軍隊とともに戦っている意識を植え つけられていた。それは、戦地へ赴いている兵士の無事を願 う極めて人間的な心情でもあった。その意味で、日本の作品 は「子どもが思い描いた戦争」ということができるだろう。 「子どもが思い描いた戦争」と「子どもの目に映った戦争」。 私たちはこの違いを通して何を学ぶことができるのだろう か。その手がかりを当時の日本の教育界や美術界の状況を 概観して探っていきたい。. 4.日本における戦時下の美術教育. 4-1.当時の教育観 当時の日本は、満州事変(1931)、盧講橋事件(1937)、第二 時世界大戦勃発(1939)、真珠湾攻撃(1941)と、戦争が拡大・ 長期化する中、文部省は教育制度を戦時体制に切り替える べく昭和16年に初等教育に関する「国民学校令」を公布し、 皇国民の錬成を最高目標とした10)。美術教育関連では以下 のように記されている。. 「国民学校令施行規則」第十六条 芸能科図画ハ形象ヲ看取シ表現シ且作品ヲ鑑賞ス ルノ能力ヲ養ヒ国民的情操ヲ醇化シ創造力ヲ涵養ス ルモノトス11). (一部抜粋、下線筆者). また、山形寛は著書『日本美術教育史』の中で当時の美術 教育界の議論として、前日本美術学校教授の岡登貞治の 発言を紹介している。. …即ち図画としての形の正確、光の関係、色の明暗、感 じの表出等に就いても注意し指導を行ったならば、平 等に予想し得なかった好成績を来たし、又非常時認 識、国家観念等を涵養することが出来て、国民精神総 動員にも図画科として十分に応召し得られる。それ故 に児童の自発的描写意欲を無軌道に放任し、徒に描く に任すようなことがあってはいけない。又図画科だけの 問題に跼蹐してしまってもいけない。ここに国家的体制 下の訓練教習に乗って進むべきである。12). (一部抜粋、下線筆者). 020. 主として記号的な認識」の二つに分け、前者こそが「行為に 重要な点で影響を与える」という。さらに、道徳的善の判断に 働く真の「知識」が、子どもたちの道徳的行為を保証し、その 性格形成に影響を及ぼすというのである20)。 戦時中の教育は大本営のプロパガンダとして機能し、敗 戦するやいなや、それまでの知識の真偽が根底から覆され てしまった。世の中と子どもをつなぐ立場の教育機関や教 師が、「記号的な認識」を上意下達として伝達する経路でし かなかった責任は大きい。そして、その指摘の矛先は、本論 文の冒頭で述べたように、現在へも差し向けなければならな い。果たして、私たちは現在の制度下において、上意下達的 な圧力に盲従することなく、子どもたちに真の「知識」をもたら すことができているだろうか。今後、益々多様化・情報化が 進む社会を生きるために必要な「知識」は、デューイが言うよ うに、やはり、五感で「直接的」に感じとり、社会的な交流を通 して「体験的に」認識されるべきであろう。美術教育におい てその局面の学びに重なってくるのは学習指導要領の「共 通事項」である。岡登の言説からわかるように、戦時中は形 や色の指導目的が国民精神総動員とされ、子どもの自発性 や美術教育の本質論は退けられていた。しかし、現在私た ちは、OECDが「Learning Compass 2030」において学びの道 筋を示しているように、他者との関わりや社会参画を通しな がら「Well Being(健やかさ・幸福度)」を目指すべき時代に 生きている。形や色を自らの感じ方で言い表し、他者と交流 し合いながら確かな判断力と豊かな感性を磨き上げていく ことは、美術教育の本質に迫る考え方として堅持していきた いものである。. 5-2.教育の理念 美術教育の本質を堅持するために、学習指導要領の解 釈についても言及しておきたい。新学習指導要領では、グロ ーバル化が進む予測困難な時代の「生きる力」を育むため に、コンピテンシーベースの学力観としての「資質・能力」が 強調されている。この方針は、社会の変化や子どもの実態を 踏まえたものとして共感できるが、「資質・能力」という概念 が一人歩きしてしまわぬよう十分な配慮が必要であろう。例 えば、「学習指導要領改訂の考え方」の基本構造としての 「何を学ぶのか」「どのように学ぶのか」「何ができるようにな るのか」という議論には、「どこに向かって」というビジョンが 欠落しがちである。国家がどのような舵取りをする場合にで も適用可能な書きぶりになっていて、たとえ戦争という事態 が生じたとしても、「勝つために、何をどのように学び、何がで きるようになるのか」と読み替えることができてしまうので ある。 しかし、改めて教育基本法(平成18年公布)を参照する と、その第1条には「人格の完成を目指し,平和で民主的な国 家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに. たが、多くの画家は、見たままの情景を写すよりもスケッチや 写真を組み合わせて戦闘の迫力や日本の戦果を誇張し、銃 後の国民へ高揚感をもたらそうと奮闘していたことがわか る。藤田嗣治、宮本三郎、川端龍子、向井潤吉らをはじめ、 錚 た々る画家が「戦争画」を描いていた。 しかし、敗戦後に従軍画家たちは一転して戦犯扱いを受 けることになる。藤田嗣治などは中心的な画家の一人であっ たため「評価されたいという自己の欲を満たす為に戦争画を 次 と々描いた」と批判された。それらの批判に対し藤田は「日 本は我等の日本であって、吾等が守らなければならぬと思つ た」18)と語っている。 そもそも「戦争画」といっても、画家それぞれに異なった事 情と思いを抱いて戦争に向き合っており、その分類自体が現 実的ではない。後に創造美育協会の発起人ともなる北川民 次は、メキシコから帰国して間もなく、1939年の第一回聖戦 美術展に招待作家として『鉛の兵隊[銃後の少女]』を出品 した。(資料5参照)「戦争ごっこ」が展開される玩具を前に、 青い目の人形を背負った少女(長女の多美子)の表情は物 憂げで、視線は玩具のその先に向けられている。体制からの 圧力と自己の信念、さらに守るべき家族等 の々狭間で絞り出 した苦渋の表現であったことが推察される。また、戦没画学 生と言われる人たちも存在する。従軍画家として制作できた 画家は、特権的な立場の者に限られ、まだ無名で若い画家 の多くは召集令状を受け取り、筆を折ることを余儀なくされ た。そのような作家の作品が、長野県上田市にある戦没画 学生慰霊美術館「無言館」に収蔵されている。全国の遺族 のもとへ行脚して戦没画学生の作品を収集した館主の窪 島誠一郎は、著書の中で日高安典という一人の画学生が戦 地ルソン島から生家へ送り返したスケッチ帖の余白に「小 生は生きて帰らねばなりません 絵をかくために」19) と書か れていたことを紹介している。 絵を描くことに無償の価値を抱いていた人 が々国の非常 事態に翻弄されていた。生きるため、家族を守るため、国の ため、いずれも死と隣り合わせの中での選択を、私たちは安 易に批判することはできない。まずは、北川が描いた少女の 目には何が映っているのか、今こそ想像力を駆使してイメー ジするべきであろう。. 5.美術教育の目的再考. 5-1.デューイの知識論 「子どもが思い描いた戦争」と「子どもの目に映った戦争」。 この違いから私たちが学ぶべきこととして、デューイの道徳 に関する知識論を参照したい。デューイは、道徳を「いかに よりよく生きるかという善の追求」であり、その追求に資する 「知的主体」となることが重要だという。そして「知識」を「直 接的で生き生きした自分自身の体験的認識」と、「間接的で. 020 [美術教育] No.304/2020. 021. 柳 沼. 宏 寿「. 子 ど. も が. 思 い. 描 い. た 戦. 争 」と「. 子 ど. も の. 目 に. 映 っ. た 戦. 争 」/. 研 究 論 文 :. て悔しい気持ち」など、国の戦況や人 の々思いにも視線が向 けられてきた。さらに「日本は戦場を描いているが、ポーラン ドは住宅などの身近な場所を描いている」「日本は兵隊が絵 の中心だが、ポーランドは市民や子どもが中心に描かれて いる」など、主題や造形要素との関係からも分析する意見が 出てきた。また、ある班では「日本はイメージで描き、ポーラン ドは本当に見て描いている」という気づきとともに「日本の子 どもたちは、何をもとにして描いたのだろう」という疑問が起 こったため、参観していた集落の住民に当時の様子を直接 説明してもらう場面も見られた。(資料14参照)ここで生徒た ちは、日本の作品の多くが雑誌や新聞などに掲載されてい た写真やイラストを模写していることを確認することに なった。 後半、各班の読み取りを共有しながら全体で対話を進め た。「環境が違うと悲しい絵になったり良いイメージになった りする。」「実際に体験した絵は、その気持ちが強く伝わってく る。」「辛い経験は思い出したくなかっただろうが、二度と戦争 を起こしてほしくないと願って描いたのだと思う」など、当時 の子どもたちが置かれた環境や心情へ思いを馳せた意見 が出され、それらを踏まえながら、「自分たちの学ぶ環境を守 らなければならない」「自分の思いを表現して伝えると同時 に、相手の思いも受け止めるべき」というように、今の自分たち の問題としてとらえる発想も生まれてきた。授業の最後には、 「この絵を残して戦争の悲惨さを忘れないようにすることが 大切」「このような過去があって今がある。忘れることがない ように伝えていきたい」と、地域の先人が残した文化遺産を 価値づけ、平和への意思を表明する発言で締めくくられた。 (ややもすれば、戦争に対する批判的な見方を資料へも重ね てしまうおそれもあった中での卓見であった。また、本授業の 目標としては、資料を鑑賞しての多様な気づきを引き出すこ とに止めていたため、これらの決意に至る意見が出たことは、 まつのやま学園の日頃の平和学習の成果とも考えられる。) この授業を通して、講師として関わった学生は、地域の史 的資料を使ったことが興味関心を高め、深い読み取りにつ ながったことを実感したという。また、後日、まつのやま学園の 先生方から生徒たちの変容について伺うことができた。彼ら は、その後、戦争に関わる資料に興味を示すようになり、当時 の様子を想像したり、疑問を抱いたりするようになった。また、 さまざまな場面で比較するスキルを用いたり広い視野で考 えたりする機会も増えた。さらに、プロパガンダの存在を認 識したことでメディアの情報を鵜呑みにせず、自分で考える ことの重要性に気づいてきたという。これらの反応からは、地 域の資料を活用したこと、そして氾濫する情報に対する主 体性を培えたという二点において期待以上の成果を確認 することができた。しかしながら、未だまつのやま学園のみで の実践に過ぎないため、今後、汎用化を目指して実践と検証 を継続していくことが必要であろう。. 健康な国民の育成」(下線筆者、一部抜粋)とあり、どこに向 かっての資質・能力なのかが明示されている。これは憲法 第9条に支えられた日本国民としての基本精神であると同 時に教育の理念が示されたものでもある。そして、そのビジョ ンはリードがいう「平和のための教育」と重なっている。リー ドが『芸術による教育』を執筆したのは第二次世界大戦中 であり、甚大な戦禍を目の当たりにしながら「秩序を求める本 能」の覚醒を目指していた。それに比して、現在の日本は現 実的に戦争に巻き込まれているわけではないが、国際化社 会には常に「破壊を求める本能」が潜在していることを自覚 すべきであろう。とりわけ、近年のポピュリズムの台頭に表れ ているように、それは一般大衆、つまり我 自々身の中にある問 題であることが困難さを増している。まさに教育が担うべき 喫緊の課題と言えよう。. 6.資料の発信と活用. 6-1.文化的価値の発信 下川手集落の資料は、子どもたちが主体となって親や学 校を巻き込んだ教育活動の証であり、これからの教育に大 きな示唆を与えうる文化的遺産と言える。 論者は、2008年から現在まで下川手集落の資料調査を 十日町市と連携しながら大学の教育活動として取り組んで きた。当時作品を描いた方への聞き取り調査、アーカイブ作 成、展覧会、シンポジウム、地元小中学校での出前授業、写 真集出版 21)など、本資料の価値を多角的に追求し、また、発 信してきた。さらに2017年から戦争をテーマに据えた「戦争 と子どもの表現」展を企画し、巡回展として日本とポーランド の比較展示を継続している22)。(資料6~11参照). 6-2.鑑賞の授業での活用 下川手集落の資料を地域で活用するために、十日町市立 まつのやま学園(小中一貫校)で出前授業を始め、第一回は 4年生を対象に書写の授業を、第二回目は8年生を対象に 鑑賞(日本とポーランドの比較)の授業を行った。ここでは鑑 賞の様子を紹介したい。 大学の講義で学生が指導案を構想し、講師は学生が務 めた。資料の教育的活用には、集落の住民や行政が期待を 寄せており、学校側にも次年度に予定されている修学旅行 (広島での平和学習)への意識づくりとして位置づけていた だいた。 授業では5~6人の班に分かれ、子どもが描いた戦争の 絵を、日本、ポーランドの順に見せていった。第一印象とし て、日本の絵には「かっこいい」「勇ましい」、ポーランドの絵に は「怖い」「悲しい」などのつぶやきが出されたが、班で感想を 出し合いながら比較していくうちに話題が当時の二国の立 場に及び、「攻めている方と攻められている方」「憧れに対し. 022. ながら考察を深め、これからの時代に必要とされる美術教 育を構築していきたい24)。. 註. 1)ハーバート・リード,内藤史朗訳,『芸術教育による人間回復』,明治図書出版, 1972,P.193. 2) 少年団の活動内容は「相撲大会、運動会、学術技倆報発行、茶話会、楽隊、提灯 行列、スキー大会、慰問文・慰問品発送、奉仕活動、冬の集団登校、毎月二回神社 参拝」などであった。. 3)イヴァニツカ・カタジナ,ドバス・マレク編,青木進々訳,『子どもの目に映った 戦争』,グリーンピース出版会,1985. 4)青木進々発行,グリーンピース出版会・KAW訳,『戦争と子ども』,グリーンピー ス出版会,1988,p.190. 5)漫画「のらくろ」は、大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて 1931年(昭和6年)から連載され、1941年に内務省からのクレームで打ち切りにな るまで長期連載となった。. 6)前掲,『子どもの目に映った戦争』,P.23. 7)同上,p.40. 8)同上,p.61. 9)大本営の情報操作による事実誤認も見られる。作品3-9には「漢口大空襲」と 書かれ、日本軍の戦闘機が攻撃している描写だが、実際は立場が逆である。当時、 漢口は日本の勢力下で、敵国の航空隊から攻撃を受け大損害を被ったが、日本政 府はこれを公表せず、終戦後に初めて明らかになっている。. 10)山形寛『日本美術教育史』参照,黎明書房,1967,p.643. 11)同上,p.645. 12)同上,pp.681-68. 13)同上,p.681参照. 14)同上,p.693. 15)同上,pp.699-700. 16) 生活図画教育事件。1941年に北海道旭川師範学校と旭川中学校で、教員や学 生が治安維持法違反で検挙された。. 17) 「大東亜戦争美術展覧会」目録,朝日新聞東京本社,1942. 18)夏堀全弘,『藤田嗣治芸術試論』,三好企画,2006年,p.301. 19) 窪島誠一郎,『無言館 戦没画学生たちの青春』,河出書房新社,2018,p.16. 20)ジョン・デューイ,松野安男訳,『民主主義と教育』,晃洋書房,2007,pp.238-239. 21)『十日町市松之山 下川手集落の<軌跡>』,柳沼宏寿編,下川手集落の<軌跡 >展実行委員会,2018. 22)「子どもの描いた戦争展」を新潟大学旭町学術資料展示室、福島県白河市のア ウシュヴィッツ平和博物館、新潟県新発田市の「平和のつどい」などで開催した。. 23)リード,前掲書,P.194. 24)実践家に関する研究は第41回美術科教育学会北海道大会(2019.3)において、 題目「戦時中に子どもが絵を描くことに関する一考察~フリードル・ディッカーと 佐藤哲三の実践を通して~」として発表している。また、本論は第68回日本美術 教育学会学術研究大会東京大会において、題目「子どもが描いた戦争から学ぶ~ 日本とポーランドの比較を通して~」として発表した内容に基づいている。. 7.おわりに. 「子どもが思い描いた戦争」と「子どもの目に映った戦争」。 いずれも、その時代を生きた子どもたちの真実であって、私た ちはそのどちらも否定することはできない。しかし、全体主義 の影響が感じられる作品に対し、私たちは正面から向き合う ことができずにいたのではないだろうか。最後に二枚の絵を 見ていただきたい。(資料15,16参照) 久保田タツ(国民学校高等科2年)の作品は、昭和17年、 太平洋戦争へ突入し、日本がマレー半島やタイ、フィリピン など東南アジアへ侵攻している時期に描かれたものである。 日本軍の侵攻の様子を描くとともに「敵も必死だ 頑張れ」 と応援メッセージを添えている。何らかの原本を写したと思 われるが、それでも繊細な色彩感覚と軽快な筆致は見事で、 戦争の描写でありながら女性的な優しさと温かさに包まれ ている。 R.バナーシャック(3年)の作品は、強制収容所の記憶で ある。有刺鉄線の向こうにいる捕虜と監視するドイツ兵が 描かれ、張り詰めた緊張感が伝わってくる。自然の緑と土の 対比が美しくも痛 し々い。特に雑草や木 の々表現がベタ塗 りに近いシンプルな技法にもかかわらず、「描き方」を超えて 作品のリアリティを支えている。 いずれの絵にも子どもらしい感性が満ち溢れており、「も し、この子たちが戦争ではない題材を描いていたなら」という 思いが込み上げる。まつのやま学園の生徒も、学習カードの まとめに「このような絵を描く人がいないよう絶対に戦争を起 こしてはいけない」と記していた。描く題材を提示する図画 工作科・美術科の教師として深く心に刻みたい読み取りで ある。 冒頭のリードの言葉を補足すると、彼は「モラルな感受性 の中で形をなした」ものこそ「秩序を求める本能」としての「芸 術」だと述べた。このことはまつのやま学園の授業における 学びの過程に重ねることができるのではないだろうか。彼ら が鑑賞を通して発した言葉は、まぎれもなく彼ら自身の感性 から導き出されたものであり、戦争という「破壊を求める本 能」に対して平和への意志を形成していた。それを踏まえな がら改めてリードの言葉を読み解くならば、かつて子どもた ちが描いた戦争の絵は、審美や是非の問題を超えて、その 存在を未来へ繋いでいく営みとして芸術となり得るのだろ う。その意味で、リードは「芸術による教育」を「平和のための 教育」といったのだと解釈できる23)。 本論で比較考察してきた日本とポーランドの資料は、先 述したように当時の子どもの思いを象徴的に示す限定的な ものであり、これらの他にも様 な々状況下における子どもの 表現や教育実践が存在する。本研究を端緒として、現在、 日本とポーランドのそれぞれの戦時下における美術教育の 実践家について調査しており、今回の研究成果と照応させ. 022 [美術教育] No.304/2020. 023. 柳 沼. 宏 寿「. 子 ど. も が. 思 い. 描 い. た 戦. 争 」と「. 子 ど. も の. 目 に. 映 っ. た 戦. 争 」/. 研 究 論 文 :. 024. 資料3 日本の子どもが描いた戦争. 3-1 志賀松廣 (尋常小学校6年) . 3-5 志賀時司 (高等小学校1年). 3-9 保坂音吉 (尋常小学校6年). 3-2 吉川剛尚 (国民学校初等科5年). 3-6 保坂英三郎 (高等小学校1年). 3-10 田辺幸二郎 (高等小学校2年). 3-3 保坂調司 (高等小学校1年). 3-7 志賀ヒサ (初等三年). 3-11 高波シゲ子 (高等小学校2年). 3-4 田辺誠二 (尋常小学校3年). 3-8 久保田忠雄 (尋常小学校3年). 3-12 作者不明. 資料1 『下川手少年団学術技倆報』(1923). 資料2 『第二次世界大戦ポーランド 子どもの目に映った 戦争』(グリーンピース出版会、1988). 024 [美術教育] No.304/2020. 025. 柳 沼. 宏 寿「. 子 ど. も が. 思 い. 描 い. た 戦. 争 」と「. 子 ど. も の. 目 に. 映 っ. た 戦. 争 」/. 研 究 論 文 :. 資料4 ポーランドの子どもが描いた戦争. 4-1 「空襲」 ホジェンカ・ソホゥーヴナ(3年). 4-9 「ぼくの戦争の体験」 アレクサンデル・レーシュチュ(6年). 4-2 「ドイツ憲兵がきた」 J.ドマンスキ(2年). 4-10 「子どもたちの強制労働」 マリアン・トラヴィーンスキ(学年不明). 4-3 「避難」 スウォヴィク(6年). 4-11 「ユダヤ人の絞首刑」 S.ストシェルチクーヴナ (7年). 4-4 「強制退去」 ヘンリク・ミハールスキ(4年) . 4-12 「記憶の絵」 M.ドロンブローフスカ(5年). 4-8 「ワルシャワ・ピウス通りで死刑の執行」 クシストフ・エジェープキ(5年). 4-5 「ポーランド人の手入れ」 クリスティナ・サローモン(4年). 4-6 「水をください」 アレクサンドル・フォーヴィ(3年). 4-7 「1944年ワルシャワ蜂起」 ヤドヴィガ・イージコーフスカ(4年). 資料5 北川民次「鉛の兵隊<銃後の少女>」1939、油彩、54.7×70.0cm、個人蔵. 資料7 「下川手集落の<軌跡>展」会場の様子。. 資料6 築100年の古民家『屋敷』での展覧会「下川手集落の<軌跡>展」. 資料8 「第1回フォーラム下川手集落の教育文化」でのシンポジウム。. 026. 資料11 井上堯之氏の講演・ライブ。命を慈しむ視点で資料を価値づける内容であった。 資料12 まつのやま学園(4年生)での「書」の出前授業「巻紙でかこう」。. 資料9 写真集『下川手集落の<軌跡>』を出版した。. 資料10 「第3回下川手集落の<軌跡>展」では特別展示「戦争を描いた子どもたち」の部屋を設置した。. 日 時 企 画 内 容 場 所. 2010.11.3 第1回「下川手の教育文化」展 作品展示 下川手集会所. 2011.11.3 第2回「下川手の教育文化」展 作品展示 諏訪神社. 2012.8.1~8.20 第1回「下川手の<軌跡>」展 作品展示 古民家『屋敷』. 2014.3.15 第1回フォーラム「下川手の教育文化~大正・昭和の子どもたちが描いた絵画と書~」 基調報告、調査報告、ドキュメンタリー映画 上映、シンポジウム、作品展示 十日町松之山休養村センター. 2014.8.13 第2回フォーラム「井上堯之講演・ライブ~下川手の文化を語り奏でる~」 基調報告、講演・ライブ 講師:井上堯之(ギタリスト・作曲家) 古民家『屋敷』. 2015.3.15 第3回フォーラム「下川手の教育文化~大正・昭和の子どもたちが描いた絵画と書~」 調査報告、ドキュメンタリー映画上映、シン ポジウム、作品展示 十日町情報館. 2015.8.1~8.20 第2回「下川手の<軌跡>」展 作品展示 古民家『屋敷』. 2017.8.25~9.17 「戦争と子どもの表現」展 作品展示(ポーランドとの比較展示) 新潟大学旭町学術資料展示室. 2017.101~11.10 「戦争と子どもの表現」展(巡回展) 作品展示(ポーランドとの比較展示) 新潟大学教育学部附属新潟中学校. 2017.12.11 まつのやま学園出前授業 書のワークショップ「巻紙にかこう」講師:清水文博(新潟大学) 十日町市立まつのやま学園(4年生). 2018.3.31 写真集『十日町松之山下川手集落の<軌跡>』出版 作品約400点の写真、調査と実践の記録 下川手集落の<軌跡>展実行委員会編集 2018.4.28~7.30 「戦争と子どもの表現」展(巡回展) 作品展示(ポーランドとの比較展示) アウシュヴィッツ平和博物館. 2018.6.15~7.22 「戦争と子どもの表現」展Ⅱ 作品展示(ポーランドとの比較展示) 新潟大学旭町学術資料展示室. 2018.7.29 講演「子どもの“目に映った戦争”と“思い描いた戦争”~ポーランドと日本の比較を通して」 アウシュヴィッツ平和博物館「平和の夏まつ り」での講演。講師:柳沼宏寿 原発災害情報センター. 2018.8.11~8.16 「戦争と子どもの表現」展(巡回展) 作品展示(ポーランドとの比較展示) 新発田市役所. 2018.8.11 講演「戦争と子どもの表現~国際比較によって見えてくる平和への道標~」 新発田市主催「しばた平和のつどい」での講 演。講師:柳沼宏寿 新発田市役所. 2018.8.1~8.26 第3回「下川手の<軌跡>」展 作品展示 古民家『屋敷』. 2018.12.17 まつのやま学園出前授業 鑑賞「子どもの描いた戦争~日本とポーランドの比較を通して~」 十日町市立まつのやま学園(8年生). 資料13 情報発信の軌跡. “War Imagined by Children” and “War Seen by Eyes of Children” Niigata University YAGINUMA, Hirotoshi. This paper considers what kind of art education is needed through an international comparison of pictures of war drawn by children of their experiences during a war. In the Shimokawate hamlet of Matsunoyama in Tokamachi city, Niigata prefecture, approximately 3,000 works of photography and calligraphy drawn by children from the Taisho to the Showa period have been stored. They include those drawn of war, reflecting social background and educational philosophy of the time. In particular, comparing pictures of war drawn by children in Poland with those in Japan in the same period, a clear difference is observed between the two countries. The difference was interpreted from perspectives of “War Imagined by Children” and “War Seen by Eyes of Children” in the paper. It was also considered in reference to trends in art educational circles and the art world of the time as well as the theory of knowledge of J. Dewey. In the conclusion of the paper, I have suggested the following three points. The first is the importance of “direct experience” in childrenʼs expression. �e second point is the importance of vision for peace in art education. The third point is the effectiveness of educational utilization of regional historical materials. Finally, I have mentioned the meaning of how Herbert Read rephrased “Education through Art” as “Education for Peace.”. 026 [美術教育] No.304/2020. 027. 柳 沼. 宏 寿「. 子 ど. も が. 思 い. 描 い. た 戦. 争 」と「. 子 ど. も の. 目 に. 映 っ. た 戦. 争 」/. 研 究 論 文 :. 資料15 久保田タツ(国民学校高等科2年). 資料16 「記憶から:ジャビコーヴォ(ボズナン近郊)の強制収容所」 R.バナーシャック(3年). 資料14 まつのやま学園での出前授業。地域住民から当時の様子を聴きながら 作品を鑑賞した。

参照

関連したドキュメント

1  ミャンマー(ビルマ)  570  2  スリランカ  233  3  トルコ(クルド)  94  4  パキスタン  91 . 5 

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

close look at the vicissitudes of Frederic’s view of the human body will make it clear that A Farewell to Arms is a story intending to describe the vast influence of the Great War

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機

子ども・かがやき戦略 元気・いきいき戦略 花*みどり・やすらぎ戦略

ISSJは、戦後、駐留軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血の子ども達の救済のために、国際養子

[r]

今回、子ども劇場千葉県センターさんにも組織診断を 受けていただきました。県内の子ども NPO